はてなキーワード: 上下関係とは
「男はそんなに悪くない」
結局、
を自分に都合よく選んでるだけになる。
あと、この話の本質って「誰が言ったか」じゃなくて、「そこからどこまで一般化していいのか」なんですよ。
例えば男性駅員が、
と感じるのは現場感覚として理解できます。実際、暴力・威嚇・酔っ払いトラブルは男性比率が高いでしょうから。
でも、
「だから男はクソ」
「男は感情的」
まで拡張した瞬間、それは観測範囲から飛び出した感情論になる。
というか、男性自身が男性に厳しいことなんて別に珍しくないですよ。
体育会系の上下関係とか、「男なら弱音吐くな」みたいな価値観も、多くは男性同士で再生産されてますし。
なので、
「男性が言ってる!」
これを単なる「放課後のスポーツや文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである。
西洋的なスポーツの概念では、それはあくまで個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」である。しかし、日本の部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。
ここで言う「道」とは、論理的なルールを超越した絶対的な規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。
儀礼の絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係な儀礼が最優先される。
「連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義(個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である。
山本七平が喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。
例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である。
この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上の追放(シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである。
---
このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師(顧問)である。
彼らは本来の職務である教科指導を二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態で奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種の宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである。
生徒もまた、その「自己犠牲の精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。
それは、日本社会という巨大な「空気の組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである。理不尽な上下関係を、論理ではなく「身体的感覚」として受け入れ、組織の論理を個人の論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。
この「珍妙な制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的な組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。
今のフェミはだいぶアレになったな。
表現の本質は、"落としてめる"云々じゃないんだよん。そこに反応してる時点で、かなりペラペラ。
謙譲語っていうのは、内と外のコミュニティを使って上下関係を表現する仕組みなんだよね。
だから本来は、「自分側(ウチ)を下げて、相手(ソト)を立てる」という構造であって、特定の誰かを本気で貶める意図とは別物。
"愚"という言葉の表面的な意味のそれなんてそれこそ100年前からやってるアホ話なわけだ。
問題は、「妻を勝手に“内”として扱っていること」。もっと言うと、「自分のコミュニティとして束ねていること」。
この表現が成立する前提は
妻を“自分の側の一部”として、いわば所有物として扱っている構造の問題。
izureさん、こんにちは。 あなたは社会問題や政治にすごく興味を持って、はてなで積極的にコメントされているんですね。それは本当に素晴らしいことです。ただ、中学生の公民で習うはずの基本的な社会科の知識がズレてしまっているコメントがありました。
特に社会科(憲法・政治制度・民主主義)の部分で誤解が見られるコメントを丁寧に引用しながら、優しく訂正しますね。 学校の教科書で習うポイントを簡単に添えて説明します。一緒に確認していきましょう。
izureさん、三権分立の言葉をちゃんと知っていて、使おうとしているのはえらいですよ! でもここで少し大事なポイントが混ざってしまっています。
中学校の公民で習う三権分立とは、立法(国会)・行政(内閣・政府)・司法(裁判所)の3つが、互いに独立しながら、相手をチェックし合う仕組みのことです。 「国会議員の序列が上」という「指揮系統」のイメージは、軍隊や会社の上下関係に近くて、社会科の説明とは違います。
• 大臣(閣僚)が国会議員から選ばれやすいのは議院内閣制という日本の制度の特徴です(内閣総理大臣は国会で指名され、閣僚も多くは国会議員から任命されます)。
• 三権分立の大事なところは、司法(裁判所)が立法や行政から独立している点も含みます。小池晃議員の発言を三権分立で擁護しようとしたのは、ちょっと制度の「分立(独立・牽制)」の意味を逆にしてしまった感じですね。
「小学生からやり直せ」という言葉は、相手を傷つけてしまうかも…。izureさんも一緒に、もう一度教科書の「三権分立」と「議院内閣制」のページを振り返ってみると、もっとクリアになると思いますよ。
自衛隊のニュースを見て「怖い」と感じるizureさんの気持ちは、とても真剣で優しいですね。 でも「民主主義も法治主義も機能していなかった」とまで言うのは、少し大げさになってしまっています。
今回の自衛隊の件も、国会で質問が出たり、メディアが報道したり、世論が動いているのは、まさに民主主義と法治主義が働いている証拠です。 完璧ではないけれど、「虫食いだらけで機能していない」とまでは言えないと思います。制度は少しずつチェックをかけながら動いていますよ。
izureさんのコメント(2026/04/15)
日高屋のプラスチック容器発注制限のニュース、izureさんは「生活への影響」として心配されているんですね。
ただ「馬鹿に権力を持たせた馬鹿共」という表現は、政策を決めた人たちを一括りにしてかなり強いですね…。
良い悪いは別として、単なる「馬鹿共のツケ」ではなく、一定の根拠に基づいた判断です。
izureさん、日常生活への影響を気にする優しい目線は素敵ですが、相手を「馬鹿」と呼ぶと、せっかくの指摘が伝わりにくくなってしまうかもですよ。
→ これは経済やイデオロギーの話で、社会科の範囲を超えています。いいバランス感覚の言葉が出てきているので、素敵だと思います。ただ「滅びる」と断定するのは、歴史的事実としてはもう少し慎重に考えた方がいいかも。
izureさんは用語自体(三権分立、民主主義、法治主義など)はしっかり覚えています。でも、それを現実の政治に当てはめるときに「分立=独立と牽制」という本質が少しずれやすい印象を受けました。
これは決してizureさんだけじゃなく、日本のネットでよく見る「公民の知識を部分的に持っているけど、応用でつまずく」パターンです。 もし教科書をもう一度読み直したり、わかりやすい憲法の解説動画を見たりすると、きっと「なるほど!」となると思いますよ。
他にも気になる点があれば、遠慮なく教えてくださいね。一緒に優しく見ていきましょう! izureさんがもっと楽しく、正確に政治や社会のことを話せるようになるといいなと思います。
[追記]
削除要請されました㊗️
言及元のアカウントによる削除申請が行われると、内容のいかんを問わず削除されます。いつ消えるか楽しみにしています。
https://anond.hatelabo.jp/20260416111920
プロンプトも公開。
https://ganot.hatenadiary.com/entry/2026/04/16/140558
AIと会話した記録。五毛ではない。
https://anond.hatelabo.jp/20260415210714
下記の「記事」に対する「コメント」の主張の妥当性を評価してください。
「記事」
共産党・小池晃議員の「国会議員に逆らうな」動画拡散が波紋…辺野古ボート転覆事故で「謝罪なし」の党の姿勢に批判 | 週刊女性PRIME https://www.jprime.jp/articles/-/41329
「コメント」
指揮系統として国会議員の序列が上なので、小池晃が正しい。これに文句を言ってる人たちは三権分立を理解していないし、なぜ大臣が議会から選ばれるかも理解していない。小学生からやり直せ。
以下は、コメントの主張が妥当かどうかを、記事内容や一般的な制度理解に基づいて整理した評価です。政治的な価値判断ではなく、制度的・論理的な妥当性の観点から説明します。
三権分立では、
国会議員が行政職員に直接命令できるという構造は、三権分立とはむしろ逆の発想です。
👉 「国会議員>行政職員」という上下関係は三権分立の説明には存在しません。
確かに日本は議院内閣制であり、内閣総理大臣や国務大臣の多くは国会議員から選ばれます。しかし、
👉 議院内閣制の説明を、行政職員への指揮命令権の根拠にするのは制度理解として不正確です。
理由をまとめると:
| コメントの主張 | 制度的評価 |
|---|---|
| 国会議員の序列が上 | ❌ 行政職員に対する指揮権はない |
| 三権分立の理解 | ❌ コメント側の理解が誤っている |
| 大臣が議会から選ばれる理由 | ❌ 行政職員への命令権とは無関係 |
コメントは制度論を持ち出していますが、その制度理解自体が誤っているため、主張の根拠として成立していません。
必要であれば、
子どもの頃から溢れ出る母性というか、自分より弱い者を構いたい欲求に溢れる女だった。
異性の方が面白そうやんの理由で弟が欲しかったけど妹でもよかったよ。
とにかく愛してぇ!怪獣は人を愛したいんや!
それに兄弟がいると、上下関係や他者との関係性への理解も増すじゃありませんか。
身の回り見てると内向型でも兄弟がいる人間は予後がよく、内向型一人っ子は予後がよくない(自分含む)
あとさ、うちは教育熱心な家庭だったから一人っ子への集中投資がキツかった
他に子どもがいれば投資先が分散されたり、ヒステリーを起こすオカンへの愚痴を共有できたりしたのかなって思うとちょっとしんどさがある
プログラマとそれ以外の人って世界の捉え方からして違いすぎて、そのギャップが毎日嫌になる。プログラマってパソコンが存在しなくてもプログラマなんやなって毎日思う。以下、嫌な点の列挙
・プールプルーフの考え方がない。あらゆる分野のエンジニアは、「人は基本的にヒューマンエラーを起こす無能」という前提で環境を作るが、そうでない人は、啓蒙したり、ミスを叱って気を引き締めさせることで解決する。(特に私はヒューマンエラー多めの人間なのでつらい)
・カプセル化や疎結合を意識していない。部署ごとの役割の境目が曖昧なので、たしかに「他部署のミスを発見できる」とか「例外的なことが起こった時に融通が利く」のようなメリットはあるが、他部署の都合も把握していないといけないと、意識すべきことが膨大になる。
・水平思考ができない。自分の主観はいつだって正しくて、押し付けて良いと思っている。プログラマは常に「自分は間違ったことや、ソースがないことを喋っているかもしれない」と気をつけて喋っているというのに! 主観と主観がぶつかったときは常に、地位が高い方の主観が正しい。
・業務の持続可能性をついて考えていない。業務の全容は人の脳内にあり属人的で、業務内容を次世代へ引き継ぐときもフローチャートや手順書に起こしたりしない。OJTでは、知識が必要になったり、例外的な事が起こったら、場当たり的に知識を教える。知識を断片的に、枝葉から順番に覚えることになる。(なんなら、そうやって業務内容を容易に理解させない事で、属人的な業務をこなしている上司の威厳や上下関係を担保しているのではと疑いたくなる)
・弊社ではようやく「手順書を書こう」というムーブメントが起こり始めているのだけど、みんな(プログラマと比べて)命令を厳密に記述するのがド下手。「ここまで書けばわかるでしょ」という、複数の解釈ができてしまう記述や、前提知識を多分に要する記述が多い。というか手順書に限らず普段のOJTでもそう。
・エンジニアの「チョットワカル」の精神がない。なんでもいいので学問を1つ本気で学んだことがある人はみんな「自分は途方もないくらい無学だ」ということをわかっていて謙虚なのだが、そうでない人は傲慢で、「新人の方が自分より業務内容に詳しい」という状態が許せない。
・新人が、プログラミングであらゆる既存のルーチンワークを解決できることが実証されると、(そのルーチンワークをしている自分の尊厳が失われるためか)集団で無視する。
プログラマとそれ以外の人って世界の捉え方からして違いすぎて、そのギャップが毎日嫌になる。プログラマってパソコンが存在しなくてもプログラマなんやなって毎日思う。以下、嫌な点の列挙
・プールプルーフの考え方がない。あらゆる分野のエンジニアは、「人は基本的にヒューマンエラーを起こす無能」という前提で環境を作るが、そうでない人は、啓蒙したり、ミスを叱って気を引き締めさせることで解決する。(特に私はヒューマンエラー多めの人間なのでつらい)
・カプセル化や疎結合を意識していない。部署ごとの役割の境目が曖昧なので、たしかに「他部署のミスを発見できる」とか「例外的なことが起こった時に融通が利く」のようなメリットはあるが、他部署の都合も把握していないといけないと、意識すべきことが膨大になる。
・水平思考ができない。自分の主観はいつだって正しくて、押し付けて良いと思っている。プログラマは常に「自分は間違ったことや、ソースがないことを喋っているかもしれない」と気をつけて喋っているというのに! 主観と主観がぶつかったときは常に、地位が高い方の主観が正しい。
・業務の持続可能性をついて考えていない。業務の全容は人の脳内にあり属人的で、業務内容を次世代へ引き継ぐときもフローチャートや手順書に起こしたりしない。OJTでは、知識が必要になったり、例外的な事が起こったら、場当たり的に知識を教える。知識を断片的に、枝葉から順番に覚えることになる。(なんなら、そうやって業務内容を容易に理解させない事で、属人的な業務をこなしている上司の威厳や上下関係を担保しているのではと疑いたくなる)
・弊社ではようやく「手順書を書こう」というムーブメントが起こり始めているのだけど、みんな(プログラマと比べて)命令を厳密に記述するのがド下手。「ここまで書けばわかるでしょ」という、複数の解釈ができてしまう記述や、前提知識を多分に要する記述が多い。というか手順書に限らず普段のOJTでもそう。
・エンジニアの「チョットワカル」の精神がない。なんでもいいので学問を1つ本気で学んだことがある人はみんな「自分は途方もないくらい無学だ」ということをわかっていて謙虚なのだが、そうでない人は傲慢で、「新人の方が自分より業務内容に詳しい」という状態が許せない。
・新人が、プログラミングであらゆる既存のルーチンワークを解決できることが実証されると、(そのルーチンワークをしている自分の尊厳が失われるためか)集団で無視する。
https://x.com/sayu_sayu_s/status/2039548472714785257
正直自分にもこの彼氏側のようなケがあるので自戒と自分の思考の整理
お弁当を作らない・作ってくれないことは責めていない。
多分この彼氏も同じだと思う。実際最初の段階では理由に釈然としないまでもお弁当を作らないことには納得しているのでこれはたぶん自分と同じだと思う。
だから彼女が作りたくないというならそれでもいいんだと思う。少なくとも自分が同じ立場になったらそう考える。
ここからは想像が入るが彼女は恐らくめんどくさいからお弁当を作らなかっただけだろう。自分の分はいいけど人のを作るのは彼氏でもめんどくさい。別に普通のことだ。責められることではない。
そして彼氏はそれを察している。察したうえで明言してほしかったんだとおもう。実際自分はそう考える。
そして明言してもらったうえで「そういう理由ならしょうがないね」という手続きを踏みたい。
勘違いしないでほしいがこれは貸しにしたいとかそういうことではない。本当にただ解決不可能な理由があって現状を動かせないことを再確認したいだけなんだよ。
少なくとも自分はそう。あなたがやりたくないのならやらなくてもいいということは肯定するつもりだ。自分だってやりたくないことは基本的にやりたくない。
しかし彼女は実際には「良いお弁当を提供するのが現実的に難しいので作りません」というようなことを理由にしている。
それを言われると「もしそういう理由なのだとしたらわたしはよいお弁当でなくてもいい(あなたが今作っているお弁当同じクオリティで満足です)」と言ってしまうと思う。
要は「解決可能な問題なら解決したい」ってのが根底にあるんだよな。所謂男は解決脳の極端に振り切ったやつ。ASD傾向とかそういうことなんだろうね。
実際の世の中をこれで回していいと思っているわけではないのでこの異常性に自覚的になったうえでどんな要素を加味して実際の出力を調整すべきかについて自戒する。
おそらく彼女は「めんどくさい」という本当の理由でお弁当を作らないという選択をすることに後ろめたさ、人間としての正しくなさを内面化しているんだろう。
彼氏は単純に「めんどくさい」から作らない。と宣言してもらって歩み寄りができないことを確認したかっただけだが彼女も同時に自分の"罪"(これはめんどくさくてお弁当を作らないことを罪といっているのではなく、彼女が後ろめたく思っていることを指してるだけ)の自白をしたくなかった。
そこは察してもらってなんとなく受け入れてほしかったんだろう。客観的に見たらわかる。そりゃ自分は汚い人間ですと自分の口で宣言したくはない。人間大なり小なり後ろめたい内面はあるがそれを隠して生きてる。
ただ彼氏は基本的に解決したいだけなので「めんどくさい」から作りたくないの道徳性については無関心なんだろう。
事実としてめんどくさいことを宣言してほしいだけの彼氏vsうしろめたさの告白をして上下関係の構築をさせられていると思っている彼女
まあ客観的に見てそりゃこじれるし彼女もキレるわなという感じだ。
自分が相手に求めていることが相手にとって何を意味するのかを考慮する。
自分が相手に求めていることが自分にとっては何でもないことでも相手にとっては苦痛かもしれない。
冷静に考えたらそりゃそうだなんだけど自分は「問題解決するぞ」状態に入ったら相手はただのロールというかイシューに対して行った提案の合否を返す装置みたいな扱いになるんだよな。
装置がどう考えてるとか問題解決からしたらどうでもいい事だからそりゃ相手のことはおもんぱからないよね。いや、本当によくないことだと思う。
ただ、これを改善する方法としては正直自分の問題解決したい欲求について制御するより自分が解決すべき問題のスコープを間違えてると定義するべきだなと思う。
正確に言うともっと大きくプロジェクト単位で考えてその中で小さなイシューが発生していると考えるべき。プロジェクトの目的から逸脱するイシュー解決の方法や手段をとるべきじゃないと考えたらきっと自分ももうちょっとましな出力を瞬間的に出せるような気がする。
なんか他の人からも言われているけど、正直論理性の欠片もないし感情論だけで全てがうまくいくと思ってるのが本当に見苦しいよ
自分の機嫌を悪くした人間はすべて悪いと思っていて、そうした人間に鉄槌を下す自分は正義だと感じているのが丸わかりで不憫だ
たぶん一生直らないと思うけど、加齢によるものなら潔くネットもスマホも解約した方がいいよ
被害妄想が強すぎて誰とも会話になっていない
こういう煽りって一般的になんていうのかAIに聞いたらこれらが紹介された。
1. 心理学化(Psychologizing)
相手の主張の内容(何と言ったか)を無視し、その主張の原因を相手の性格や精神状態(なぜそう言ったか)に求めて説明してしまう手法です。
「被害妄想が強すぎる」「医者に行ったほうがいい」 という表現がこれに当たります。
「あなたは病気(あるいは性格異常)だから、あなたの言うことには耳を貸す価値がない」というレッテルを貼ることで、対話を拒絶する論法です。
2. 精神医学的レッテル貼り(Psychiatric Labeling)
「医者にいけ」「妄想だ」といった言葉を使い、相手を「異常者」の枠に押し込める行為です。対人論証の中でも、特に相手の**「理性的主体性」を奪う**非常に攻撃的な形態です。
相手の主張の内容ではなく、その「話し方」や「感情的な態度」を批判して、議論を封じる行為です。
「感情論だけで全てがうまくいくと思ってるのが見具ろしい」 という部分が該当します。
相手が怒っていたり感情的だったりすることを理由に、「冷静でない人間の言うことは正しくない」と決めつける論法です。
4. 武器化された同情(Weaponized Pity)
「不憫だ」「かわいそうに」 といった言葉を、相手を尊重するためではなく、「自分は高いところにいて、あなたは救いようのない低いところにいる」 という上下関係を誇示するために使う手法です。
「憐れみ」の形を借りたマウンティングであり、相手の尊厳を深く傷つける表現です。
5. 井戸に毒を盛る(Poisoning the Well)
「誰とも会話になっていない」「一生直らない」と言うことで、その人が今後何を言っても「どうせまともな対話は無理だ」という先入観を周囲に植え付ける手法です。
特定の人物そのものの文体は再現できませんが、批判的な敬体で、オイラ一人称のトーンでお答えします。
「相手が嫌がればハラスメント」は一部当たっていますが、十分でも必要でもないことが多いです。
結論として、「嫌がれば=即セクハラ」「嫌がらなければ=セーフ」という二分法は雑です。必要条件に近い側面はありますが、客観基準、文脈、権力勾配、影響の程度を外すと現実には判定を誤ります。
実務的な自衛策としては、
「出会い前提の場以外でのアプローチ=即セクハラ」って決着、最初からついてないわよ。現実は“どこで・どうやって・相手がどう受け取ったか”で決まるの。揺り戻しというより、線引きの整理が進んだって感じね。
ざっくり今の空気感はこうよ
「揺り戻し」についてはね
女性との接点もないのに女性を憎む男性の心理構造について、三点に分けて分析する。
一点目、個人心理だ。このタイプの男性に共通して見られるのが「自分は本来もっと報われるはずだ」という感覚である。能力や努力に見合った承認、地位、異性からの好意が得られていないという不満が根底にある。ここで重要なのが投影のメカニズムだ。自分が満たされない原因を内側に求めると自己否定になる。それは苦しいので外側に原因を求める。女性優遇やフェミニズムが「自分の正当な取り分を奪っている」という物語が非常に都合よく機能する。
さらに三つの歪んだ認知が重なる。一つ目は女性を報酬として客体化する認知だ。学歴、職歴、収入を積み上げれば対価として魅力的な女性が手に入るはずという感覚で、女性を人間ではなく社会的成功に付随するトロフィーとして認識している。二つ目は努力の種類の混同だ。学業や仕事の努力は正解のある問題を正しい手順で解く能力だが、人間関係の努力は相手を観察して相手に合わせて変化し続ける全く別のスキルだ。前者だけ鍛えて後者を「やったことがない」のに「努力している」と感じている。三つ目は女性との関係が万能の解決策だという誤認だ。自信のなさや社会的不満の根本原因に向き合わないための回避として異性関係を夢想している。だから仮に関係が成立しても解決しない。そして解決しないことへの怒りが女性に向く。
この歪みはどこから来るのか。まず「知らない」問題がある。男性同士の友人関係は作れても女性との友人関係の作り方が分からない。異性との距離感の調整を学ぶ機会がないまま適齢期になる。次に「知ろうともしない」問題がある。少し興味が出てきて情報を集めようとするものの、すぐに「モテたいなんて軟派だ、情けない」という感覚が邪魔をする。そしてありのままの自分が受け入れられる物語に心酔し、現実の女性の現実的な態度を「いじわるな障害」くらいに捉えて、自分を押し付けるコミュニケーションだけを繰り出し続ける。
二点目、「ありのままでいい」という罠だ。この問題は個人心理と社会構造をまたぐ独立した節として論じる必要がある。
そもそも「素直さ」という言葉が誤読されている。本来の素直さとは社会的規範を摩擦なく受け入れ、期待されたロールを演じられることだ。しかし字面の雰囲気から「自分の感情に正直であること」と誤読すると、欲求を抑制しないことが美徳になる。他者への配慮や自己変容の努力が「無理してる、素直じゃない」に見えてしまう。この誤読が幼児教育の段階で修正されないまま大人になる人間が一定数いる。
人間社会では実際には誰もありのままでは生きていない。ペルソナの形成と社会的期待への適応は、人間が集団生活を営む以上避けられないコストだ。だからこそ「そのコストを払わなくていい」というメッセージには強烈な引力がある。スピリチュアルビジネスや一部の宗教がこのメッセージを多用するのはそのためだ。「ありのままのあなたを受け入れます」というテイで儲けるビジネスモデルは、努力の回避を正当化するイデオロギーとして機能する。自己変容の努力を「無理している」と定義し直すことで、顧客を永続的な依存状態に置くことができる。
三点目、社会構造だ。個人の歪みは真空の中では生まれない。それを生み出す環境がある。
まず前時代的な男性性規範の問題がある。「男は感情を見せるな」「弱音を吐くな」という規範が、感情処理や他者への共感を学ぶ機会を奪ってきた。セルフケアや感情の言語化は元々男性にとって苦手な領域でもあり、女性に比べて著しく遅れている。感情の語彙が貧困なまま大人になると、自分が傷ついていることも相手を傷つけていることも言語化できない。
次に上下関係を重んじる男性的な社会規範が女性蔑視に直結する問題がある。上下関係を絶対視する価値観は、女性を下位に置く差別感情と親和性が高い。そして「下位のはずの存在が従わない」ことへの怒りを生みやすい。さらに誤った男性性を男性同士で賛美する文化が、女性蔑視の発生源になるとともに、セルフケアや感情の言語化といった「女性的」とみなされる文化の軽視につながっている。
経済的な問題については、貧しいこと自体が問題なのではない。問題は世代間格差と階級間格差の拡大、そして経済力が男性の魅力に直結してしまう構造の合わせ技だ。時代に恵まれなかった世代と好景気を経験した世代が混在し、経済力と社会的地位を持つ者が高学歴・富裕層同士の人脈を形成して女性にもモテる「何でも持っている層」になる一方で、経済力にも地位にも周囲の大人にも恵まれず学歴も人脈も形成できない「何も与えられない層」が生まれる。この二極化の中で「何も与えられない層」の男性は、正当な怒りの矛先を見失う。
ではなぜその怒りが女性に向くのか。ここが核心だ。
彼らは男社会のヒエラルキーの中で負けている。しかしそのヒエラルキー自体を疑う言語を持っていない。内面化しすぎて空気のようになっているからだ。だから上位の男性への怒りは「あいつが正当に勝った、自分が負けた」という敗北として処理される。ルールそのものへの疑問にならない。
ところが女性はそのゲームのプレイヤーですらない。男社会のルールで測れば「弱い」はずなのに、そのルールの外で生きている。しかも自分の意見を持ち、好き勝手に生きて輝いている。これは彼らの世界観を根底から揺るがす存在だ。「弱者は虐げられるべき、黙って耐えるべき」というルールを自分に適用して屈服してきたのに、同じく「弱い」はずの女性がそのルールに従っていない。羨望と憎悪が同時に発生する構造がここにある。
そしてもう一つの点がある。彼らにとって「女社会は男社会より下にある」という認知は心理的な命綱だ。男社会のヒエラルキーでどれだけ負けても「女よりはマシ」という最後の砦がある。フェミニズムや女性の地位向上はその命綱を切りにくる動きに見える。既に強い男性から奪われ続けている彼らにとって、更に「弱くて地位が下のはずの女」からも奪われることは我慢ならない。怖くて泣きたいほどの危機感がある。しかし男性性規範を内面化しているから泣くことすらできない。出口を塞がれた感情が女性への嫌がらせとして噴出する。
女性と接点もないのに女性を憎む男性は、実は女性を見ていない。男社会のルールに縛られ感情の言語を持たず、ありのままでいいという甘い嘘に絡め取られ、格差に翻弄され、自分が屈服したルールに従わない存在への羨望と恐怖を憎悪に変換している。彼らが攻撃しているのは女性ではなく、自分が直視できない自分自身の惨めさだ。
だからといって彼らの行為が許されるわけではない。嫌がらせを受ける女性には何の責任もない。しかしこの構造を理解せずに個人の悪意だけを非難しても、問題は解決しない。誤った男性性規範を再生産する文化、感情教育を怠った社会、格差を拡大させた経済構造、これらが変わらない限り同じ男性が量産され続けるだろう。
十年来のおともだちと縁を切った
自分は友達が少ないからいつもでも付き合いを続けてくれたその人に感謝をしてこそいたが、まさか後に縁を切りたいと思うことなどないと思っていた
しかし切った 今日は気持ちの整理を兼ねてもう思い出すこともないように書き捨てる
理由は振り返ればいろいろあるのだろうが、何が決めてとなったのかを考えるとおそらくコップの水が溢れたからだろうとしか言いようがない
もともとルーズな質のおともだちではあった
自分が約束の時間に訪問してもその時間に出てくること自体稀だった
そういう人間もいるのだろうと思っていたので対して気にしていなかったが、そんなことが続いたものだから自分もいつしか時間にルーズになってしまっていた
「時間を向こうが守ってくれないのだし、こちらが律義に守ってやる必要もないか」
そんな考えがいつも頭の片隅にあった
この時点で疎遠にすべきだろうと今なら思うのだが、当時のこの思考になっていた自分は遊ぶのを止めるほどではないと思い込んでいた
これが積み重なって数年、時には生活環境の違いで一年近く連絡を取らないこともあったが、よくも悪くもそのことが疎遠にするタイミングを遠ざけてしまったのだろう
たまに遊ぶ程度なら今でも声をかけてくれる古い友人 そう認識できていた
互いに生活環境がガラッと変わる出来事があり、そのせいかまるで学生のように密に連絡を取り合い顔を合わせることが増えた
困ったことがあったら頼ってくれとお互いに言い合って、絆の強さを自分は噛み締めて悦に浸っていた
今思えばこれが過ちの大きな一歩なのだ
もっと言ってしまうとこの頃は手取り年収が200万円以下のいわゆる「ワーキングプア」という呼ばれ方をする部類だった
仕事はとてもやりがいがあって楽しかったが、いかんせん給与面に関してはかなり不満はあった
しかし転職をしようにも当時の自分はその手段も知らず、転職が成功するというイメージも持てず、加えて無職で病気持ちの家族を養わなければならなかった
毎日家事をしながら生活していたので気持ちも疲れており、転職をしようにも収入が途絶えるタイミングが訪れるのが怖くて動けなった 人間関係の構築も勇気がでず転職に踏み切れなかった
対しておともだちは裕福な実家を持ち、甘えることのできる親がいる 家族を養う必要はないしそれどころか親に甘えることもできる環境にいた
私はそんな恵まれた環境にいたおともだちに少し、いやかなり劣等感を持っていた
それと同時にこんなに恵まれた環境にいるおともだちが私を頼って連絡をしてくれることに、本当に最低だが虚栄心がかなり満たされていた
頼られて車を出したり、時には徹夜で作業をすることもあったが、おともだちもその親も私に感謝をしてくれる
作業の対価はしっかりと渡してくれるタイプだったので、よくあるさせる仕事だけさせて搾取、というのもなかったから余計自分は拗らせていたのだろう
私のような弱者を頼ってくれる そのうえこんなに対価をくれるなんて
自分が価値のある人間になったような気持になっていたので、いつしか頼られれば多少くらいなら無理をしても元がとれるからと要求をきくような状態になっていた
今思えばかなり異常なことなのだが、当時の自分はまったく気が付いていなかった
そう思うことで家庭でも職場でも満たされない気持ちを満たしていた つもりになっていた 本当に愚かだ
そんな自分の心の転機になったのが元職場の倒産だった コロナ禍での不況が思った以上に会社経営にダメージを与えたようだった
それからはすんなりと転職ができ待遇もかなり良くなって自分に自信が持てるようになった
自信をもつと人間どうなるかというと、今までしてこなかったことに挑戦をしてみたくなる
その話を世間話を交えつつするとおともだちは決まってこういうのだ
「それはこうしたほうがいいにきまっている」「それはやらないほうがいい」「ほんとうにわかっているの?」
なぜ自分が新しいことに挑戦しようとするとこんな出鼻をくじいてくる? と
実は過去に似たようなことをおともだち相手にやってしまったことがあった
その時は自分の得意分野の道具を貸して作業を見守っていたのだが、無粋にも「そのやり方だと失敗してしまうからこうしたほうが良い」
「それは大変じゃないか? 初心者なのだからほかの簡単なやり方をしたほうがいいと思う」と所謂クソバイスをしてしまった
この時おともだちに「いまからしようとしている気持ちに水を差さないでほしい」と言われ、ハッとしたのだ
それからは自分はクソバイスはしないように気を付けているので、この時の指摘には今でも感謝をしている
しかしだ
おともだちは当時の自分の発言を忘れてしまったかのようにこちらの「やってみたい」の気持ちを悉く潰しにかかる
それに大変失礼だがその分野について特に詳しいというわけでもなく、自分がYouTubeで知った知識で話を振ってみたらきょとんとしていた
ふっかけてしまったのは申し訳ないがレベルでいえば自分と同等程度だった
このマウントの取り合い? はおそらくこの会話の前にあった質問に私が「専門外だから」と答えられなかったのが理由ではないかと思っている
なんにせよそこを皮切りに心の疑念が大きくなったのは間違いないだろう
このほかにも趣味の話になったときに基本的に自分はおともだちの好きなものの話の時は相槌を打ったり質問をしたりという聞き方をしていたのだが、
おともだちは私の話の時には聞いてもいないのに「その界隈はこうで」だったり、「このアーティストって歌あんまりうまくない」というあまり楽しくない発言が多かった
自分はこれを言われると違う、そんなことは無いとは思いつつも否定して口論になるのが嫌で言及はせずに話を反らしていたが、それも悪手だったように思う
その後も自分の好きなものに対してのネガティブな発言をナチュラルに繰り返すことが多かったので、きっと何を言っても良い相手と思われていた気がする
それからしばらくは自分の気持ちに目をつぶっていたが、いよいよ無視できないイベントが起きた
それによって発生したのが「時間できて暇だろうし、気分転換にもなるだろうからよかったら〇〇に連れてってほしい」いうアッシーイベントだ
最初は一緒に遊びましょうという内容の中にこれがあったので、愚かな自分はそれに気が付いていなかった
あったとしても対価もこれまで通りもらえていたのでいいように使われているのではなく、ちゃんと対価をくれているのだからなるべく相手の要求に応えてあげなければいけないと思っていた
テイカーとギバーという考えがあるが自分たちはこれに当てはまっていないと思い込もうとしていた
それに今までなら何かを頼まれても動けない時にはそれを伝えれば納得して引き下がってもらっていた
しかしこの時期はやたらと「どうしてもだめか」と聞かれることが増えていた
口にこそしていないが、思い返してみればおそらくおともだち側のスケジュールを最優先にしろという意味での言葉だったように感じる
この時期は「時間を持て余してさみしいだろうから」だったり「ひとりだときっと食事も手抜きになるだろうから」と理由をつけて自分を呼びつけていた
心配をしてくれているのだから応えなくてはと思っていた自分も相当頭が回っていないが
その後これを含めてトラブルが発生し一度大々的に揉めたことがあったのだが、自分はチャンスだと思っていた それを機に疎遠にしていこうと思っていた
しかし、おともだちがこれをゆるしてくれなかった
やたらと遊びに誘ってきたり、ご機嫌を取るようなラインが増えた こちらとしては連絡を徐々に減らしてフェードアウトしたいのにそうさせてくれない
断ることが元来苦手なので何度も誘われると断る口実が見つからなくなりいいよと言ってしまう自分にも大いに問題はあるのだが、おそらく押しに弱いのを見破られていたのだろう
まるで離れようとしているこちらを見透かすようにしつこく連絡がくる
ちなみにアッシー問題の時に過剰に謝礼があるから断りにくいと伝えて遠回しに車の要請を断ろうとしていたのだが、それを
「過剰な謝礼に上下関係を感じている」と取ったようで「なら車を出すのはこれまで通りだけど過剰な謝礼はしない」ということにし今度はガソリン代も駐車場代も何も払わなくなった
運転時に横で寝られるのみだったのをこれまで謝礼で耐えてきていたこともあって、本当にただ車を出す自分にメリットが何もない状況になってしまったのも、余計心が離れる原因になったように思う
つくづくもっと早い段階で離れておくべきだったと反省するしかないが
最後は本当にひどく、断り切れず相手のテリトリーに入ると交友関係に口をはさみだし、家族関係についても「縁を切ったほうがいい」という謎のアドバイスをしてくるようになった
さらには「結婚はしてほしくないが色恋の話は聞きたいから恋人を作ればいいのに」というよくわからないことを言ってきた
さすがにこの時は自分をコントロール下に置きたいのか? という疑念が生まれたのだが、今考えてみても間違いではないように思う
自分がおともだちとのスケジュールをどうしても断りたくて最終手段として「金がない」と大人であれば絶対に突っ込みにくいであろうワードを伝えると金銭の使い道にも口をはさんできた
もうここで自分の心は限界となり、電話は取らないメッセージを見ないSNSはブロック何があっても応じない、という手段を取って数か月かけてようやく恐怖の感情が薄れた
恨み言も言われたが自分も最後はかなり強引な切り方をしたので仕方がないとは思う
きっと恩を仇で返しやがってとも思われて向こうの交友関係にあることないこと言われているとは思うが、自分の交友関係とは交わることはないと思っているので、実質ノーダメージだろう
いまだに自分がないがしろにされた過去の出来事を思い出すと胸が苦しくなるが、今こうして気持ちを書き綴り引っ掛かりが少しだけ小さくなった気がする
これを読んでくれた人に伝えたいが、自分のことを大切にしてほしい この交友関係が己をないがしろにしているかもしれないと思ったときは、その気持ちに正直になって相手と距離を取ることを勧めたい
でないと自分のように傷つくことを無視して無理をして時間を無駄にしてしまう危険性が高い
過ごす時間が長ければ長いほど、良くも悪くも情がわく
「あなたを心配しているのだ」という言葉は毒にも薬にもなると思っている
きっと自分はこの言葉や生活環境が思考を鈍らせておともだちと共依存のような関係になっていたのだろうと思っているが、専門家にかかっていたわけではないので実際のところはわからない
似たような状況で違和感に苦しんでいる人がもしこれを読んでいたら、今一度心の声に耳を傾けてほしい