① サントス(清水エスパルス)
ポジション ボランチ
生年月日 1960年12月9日
所属チーム 鹿島アントラーズ(93-95)
清水エスパルス(95-00)
ヴィッセル神戸(01)
実に、41歳まで現役を続けた「鉄人」。Jリーグ創設当時から、中盤の底のポジションで、”ボランチとは何か”を伝え続けた。93年には鹿島でサントリーシリーズを制覇し、ベストイレブンに選ばれる。95年に清水に移籍し、99年には、リーグ制覇に大きく貢献した。J1通算では、265試合で33得点。
② 風間八宏(サンフレッチェ広島)
ポジション ボランチ
生年月日 1961年10月16日
所属チーム サンフレッチェ広島(93-97)
国籍 日本
若くして、レバークーゼンとプロ契約を果たした異端児。89年に西ドイツから帰国しマツダに加入。94年のサントリーシリーズでは、森保一とのダブルボランチで、チームを優勝に導いた。”ダブルボランチ”という言葉を世間に広めたのは、森保と風間のコンビであった。Jリーグ通算103試合で6得点。日本代表では20試合に出場しているが、そのすべてが20代前半の頃である。93年のアメリカW杯予選を戦うにあたって、当時のオフト日本代表監督から、たびたび代表復帰を要請されていたらしいが、「サンフレッチェにとって大事な時期だから。」と召集を拒んでいたらしい。
③ ドゥンガ(ジュビロ磐田)
ポジション ボランチ
生年月日 1963年10月31日
所属チーム ジュビロ磐田(95-98)
国籍 ブラジル
現ブラジル代表監督。ブラジル代表として、90年・94年・98年の3度のW杯に出場した「鬼軍曹」。入団当時、名波浩や藤田俊哉ら若くて有望な選手が多かったジュビロ磐田の基礎を作った功労者の1人。磐田入団当時は、現役ブラジル代表ではあったが、それほどうまい選手ではなかった。しかしながら、ややレベルの劣るJリーグで腕を磨いて、98年W杯では、FKのキッカーを任されるほどの円熟したレジスタとなった。Jリーグ出場は99試合。ブラジル代表では91試合に出場した。97年のJリーグ最優秀選手。97年・98年のJリーグのベストイレブン。
④ ジョルジーニョ(鹿島アントラーズ)
ポジション ボランチ/右サイドバック
生年月日 1964年8月17日
所属チーム 鹿島アントラーズ(95-98)
国籍 ブラジル
ブラジル代表として、90年と94年のW杯に出場した、正真正銘のワールドクラスの右サイドバック。精密機械のような精度の高いクロスで国際的な評価を得た。鹿島でも、入団当初は右サイドバックで起用されていたが、次第にボランチで起用されるようになっていった。しかしながら、専門外といえるボランチでも、ハイレベルなプレーを見せて、96年には年間最優秀選手に選ばれた。Jリーグ出場は103試合。ブラジル代表では64試合に出場した。
⑤ デュリックス(名古屋グランパス)
ポジション ボランチ
生年月日 1965年10月20日
所属チーム 名古屋グランパス(95-96)
フランス代表クラスの実力をもったモダンなボランチ。ストイコビッチ・トーレスとともに、95年のリーグ2位の原動力となる。戦術眼に優れており、すべてのプレーをハイレベルでこなした。相手GKの意表を突くロングシュートがうまい。
⑥ サンパイオ(横浜フリューゲルス)
ポジション ボランチ
生年月日 1968年3月31日
所属チーム 横浜フリューゲルス(95-98)
柏レイソル(02年)
サンフレッチェ広島(03-04)
国籍 ブラジル
「パルメイラス・トリオ」のひとり。ブラジル代表として、98年のW杯に出場し3得点。堅実な守備と正確なパスワークを武器に活躍したワールドクラスのボランチで、山口素弘とのダブルボランチは、Jリーグ史上最高のダブルボランチだった。ブラジル代表では、47試合に出場し6得点を挙げた。愛嬌のあるキャラクターでサポーターから愛された。
⑦ 森保一(サンフレッチェ広島)
ポジション ボランチ
生年月日 1968年8月23日
所属チーム サンフレッチェ広島(93-97)
京都サンガ(98)
サンフレッチェ広島(99-01)
ベガルタ仙台(02-03)
国籍 日本
守備的MFの代名詞的な存在で、オフトジャパンの中心選手。攻撃力はそれほどでもないが、中盤の底で守備を最優先し、相手の攻撃の芽を摘むプレーやこぼれ球を拾う能力に長けていた。J1通算293試合に出場して15得点。94年シーズンは、広島をサントリーシリーズ制覇に導く大活躍を見せた。日本代表では、31試合で1得点。
⑧ 山口素弘(横浜フリューゲルス)
ポジション ボランチ
生年月日 1969年1月29日
所属チーム 横浜フリューゲルス(93-98)
名古屋グランパス(99-02)
アルビレックス新潟(03-05)
横浜FC(05-07)
国籍 日本
98年のW杯に出場した、加茂サッカーの申し子。クレバーでかつ正確な技術で中盤を支配するレジスタ。97年の鹿島戦では、すべてミドルシュートでハットトリックをマークした。日本代表では、59試合に出場して、4得点。J1通算では、342試合で37得点。96年・97年のJリーグベストイレブン。
⑨ 本田泰人(鹿島アントラーズ)
ポジション ボランチ
生年月日 1969年6月25日
所属チーム 鹿島アントラーズ(93-06)
国籍 日本
J1では、328試合に出場して4得点。相手の攻撃のキーマンに対するしつこいマーカーとして有名。最も嫌がられたJリーガー。Jリーグ創設当時から鹿島でレギュラーとして活躍していたが、試合を重ねるごとに、展開力が大幅にアップし、加茂ジャパンでは一時期、ボランチのレギュラーポジションをつかんだ。フランスW杯メンバーには入れなかったが、日本代表でも31試合に出場している。93年のベストイレブン。ビスマルクの天敵。
⑩ 伊東輝悦(清水エスパルス)
ポジション ボランチ
生年月日 1974年8月31日
所属チーム 清水エスパルス(93-07)
エスパルス一筋の職人。鋭いドリブル突破を内に秘めながら、普段は黒子役
に徹する「いぶし銀」。33歳になった今でも、J1のトッププレーヤーの1人として活躍する。アトランタ五輪代表の中心選手であったが、当時の西野監督は、チーム結成当時から、なかなかいいパフォーマンスを見せられない伊東を我慢して起用し続けた。その結果、生まれたのが、ブラジル戦のゴールだった。J1通算369試合で、28得点。フランスW杯の日本代表メンバーで、99年のベストイレブン。
⑪ 福西崇史(ジュビロ磐田)
ポジション ボランチ/攻撃的MF
生年月日 1976年9月1日
所属チーム ジュビロ磐田(95-06)
FC東京(07)
99年・01年・02年・03年と4度のJリーグベストイレブンに輝いた、攻撃力の高いボランチ。攻守にマルチな才能をもつため、フォワードや攻撃的MF、リベロで起用されたこともある。国際Aマッチでは、64試合で7得点。02年・06年のW杯代表メンバー。J1通算では、292試合53得点。
⑫ 中田浩二(鹿島アントラーズ)
ポジション ボランチ
生年月日 1979年7月9日
所属チーム 鹿島アントラーズ(98-04)
黄金世代のひとり。精度の高い左足のキックとクレバーな守備で活躍するマルチプレーヤー。98年に鹿島に入団すると、同期の小笠原や本山よりも早く、頭角を現した。01年のJリーグベストイレブン。Jリーグ通算144試合で27得点。02年・06年のW杯代表メンバー。
⑬ 稲本潤一(ガンバ大阪)
ポジション ボランチ
生年月日 1979年9月18日
所属チーム ガンバ大阪(97-01)
黄金世代の中心的存在。Jリーグの育成システムが生んだ最高傑作と評される。誰も真似のできないダイナミックなプレーが持ち味で、97年のJデビュー当時から注目を浴び続ける。日韓W杯のヒーローで、21歳のときにアーセナルに移籍する。J1通算118試合で16得点。00年には、ベストイレブンに選ばれて、低迷していたチームをリーグ4位にまで導いた。
⑭ 遠藤保仁(ガンバ大阪)
ポジション ボランチ
生年月日 1980年1月28日
所属チーム 横浜フリューゲルス(98)
京都サンガ(99-00)
ガンバ大阪(01-07)
黄金世代のひとり。Jリーグデビュー戦は、98年の開幕戦の横浜ダービー。「Fの悲劇」によって1年で移籍を余儀なくされるが、その後も順調に成長。ガンバに移籍した後は、稲本の欧州移籍もあって、チームの顔として君臨する。精度の高いキックで試合をコントロールするレジスタで、03年から06年まで、4年連続ベストイレブン。J1通算245試合で51得点。
⑮ 阿部勇樹(ジェフ千葉)
ポジション ボランチ/センターバック
生年月日 1981年9月6日
所属チーム ジェフ千葉(95-06)
浦和レッズ(07)
98年に、当時の最年少の16歳と333日でJリーグにデビューした逸材。戦術理解度に優れており、ボランチ以外のポジションも難なくこなす。「和製ベッカム」という異名どおり、右足のキックの精度の高さには定評があるが、最大の魅力は、高い身体能力を生かした粘り強い1対1の対応。Jリーグ通算では、214試合で36得点。 05年・06年のJリーグベストイレブン。