元朝日新聞社の記者で、スポーツ評論家という肩書きをもつ中条一雄(ちゅうじょう・かずお)氏の「W杯取材記者落第てん末記」というコラムが話題になっているので、取り上げたい。
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W杯取材記者落第てん末記 その1 W杯取材記者落第てん末記 その2W杯取材記者落第てん末記 その3
率直に言うと、この人の「取材記者申請書」をパスしなかったのは、日本サッカー協会にとって、正解だったと思う。ここまで凝り固まった頭をもっているのなら、たとえ、ドイツW杯を生で見ていたとしても、たいした記事は書けなかっただろう。
怒り① 1952年からサッカーの記事を書いて来た。半世紀を越えた。あの体が躍動するような興奮する瞬間にも立ち会えなくなった。国際メディアセンターの生き生きと仕事している連中とも会えなくなった。→ あなたにとってW杯とは何なのか、もう一度見つめなおすべき。メディアセンターでたわむれることが、目的だったのか?記者証がもらえなかったからとヘソを曲げて、観戦をあきらめる程度のものだったのか?
怒り② 「だから、たかがJリーグを点数化して、まっとうな「審査」をしたと思っている。笑いたいよ。」→ 誤植でしょうか?
怒り③ 「ここ1、2年Jリーグを、あまり取材していない。その理由は長くなるのでやめるが・・・」→ 一番大事な部分をごまかしているが、実際にどのくらいスタジアムに足を運んで取材をしたのかを明記すべき。それは、別に、Jリーグの試合でなくても、問題はない。高校サッカーでも、ユースの大会でも、中学生年代の試合でもOKだが、はたして・・・。
怒り④ ワールドカップというカードをちらつかされては、生殺与奪の権を握られたのと同じ。おこがましくも、記者個人の能力を価値判断する。これで、まともな記事が書けるだろうか。御用記事を書く記者は事実上の「宣伝要員」だ。これも時代の流れか。→ まっとうな仕事をしている人に対して、あまりにも失礼。
怒り⑤ 「私はサッカーが好きだ。見るのをやめるわけにはいかない。取材証でなくキップを買って見に行く。」→ えらそうに書いているけど、一般人にとっては、こんなものは当たり前。
怒り⑥ 「そりゃ、古い記者は、時には目障りであろう。だが、口はばったいようだが、牛木君も私も、観客が数百人しかいないサッカー界のドン底時代にも、紙面をとり、デスクと戦って取材してきた。今回も取材する権利のようなものは、いま少しは残っていると思っていたのだがなあ。甘かった。」→ 古い記者だから外されたと思っているのであれば、それは、違うんじゃないのか。
怒り⑦ 「Jリーグとワールドカップは、どういう関係があるのだろう。」→ 日本サッカー協会に許可書を申請する以上、無関係であるはずがない。Jリーグの試合を見ている人を、Jリーグの試合を見ていないと公言する人よりも、優遇するのは当然のこと。たとえ、審査がパスしていたとしても、普段、Jリーグの試合を見ていない人の日本代表批評は、どこかでボロが出てきて、説得力を持たない。
あまりにもひどい文章だったので、記事にしてみました。牛木素吉郎のさっぱりとした感じの対応と比べると、何と見苦しい文章だろうか?もし、この記事が、中条一雄氏の名前を勝手に拝借した、牛木氏が書いた、牛木氏自身のイメージアップ作戦のための記事であれば、さすがというほかないが・・・。
ちなみに、一般人がJリーグを見ずに、代表の試合だけを見て、パフォーマンスを批判をするのは、許容範囲でOKだと考える。批判するのは自由である。ただし、そんな状況で的確な批判が出来るとは思えないので、基本的には全て受け流して、無視するが・・・。
10/17 文章・追加いろいろなコメントが寄せられていますが、ひとつはっきりさせたいのは、この人が、”世界のサッカーについてよく知っている”という前提が間違っているのではないか、ということ。確かにW杯に関してはずっと取材をしていたようだが、W杯はサッカーのほんの一部分に過ぎず、4年に1回、W杯を生で見ただけで、サッカーのことを理解できるというわけではない。
世界基準についてよく知っている人が日本サッカーの問題点について言及するのは問題ない。しかし、世界基準を知らないのに世界基準を分かったつもりになっている氏のような記者が、上から目線で、日本サッカーについてえらそうに語っているのは許せない。10年前なら、一般紙(朝日新聞)の読者なら、氏の言うことを真に受けたかもしれないが、時代は変わってきている。
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