ハンガリーはサッカーの世界では、古豪といわれる。近年のワールドカップでは本大会出場すら果たせていないが、1950年代は世界のトップチームだったのひとつだった。そのハンガリーと日本代表が、2004年の4月25日にザラエゲルツェグで対戦した試合は、ボクのサッカー観を変える印象的な試合のひとつとなった。
欧州組を欠く日本代表は、茶野、坪井、田中の3バック。ぶっつけ本番のディフェンスラインは、ハンガリーにセットプレーから後半に2ゴールを許す。それでも、久保と玉田のゴールで2点差を追いついた日本代表だったが、終了間際に茶野がペナルティーエリア内でファールを犯してPKを献上。ロスタイムに決勝ゴールを決められて、ジーコが審判に激怒した試合として、しばしば取り上げられる試合だ。
この試合は、日本のディフェンスラインに高さがなかったこともあり、ハンガリーは執拗にサイドアタックをかけてきた。その結果、セットプレーから3失点を喫した。当時は、4-2-3-1を基本にしたサイドアタックが全盛の時代で、某スポーツライターが、"サイドアタック=攻撃的なサッカー"と定義し、いかにしてサイドに人数を置いて攻めるかが、最も重要な戦術のように語られていて、3バックだから、(もしくは、中盤がダイヤモンドだから)日本サッカーはサイド攻撃ができずに駄目なんだと、本気で語られていた時期である。
この試合の日本代表は、本山の素晴らしい個人技から、中央突破で2得点を挙げたが、対照的な得点シーンを見て、こういう印象をもった。「結局、ハンガリーは、セットプレーとサイド攻撃からしか点が取れないんだね。だから、堅実なサッカーをして、空中戦から点を奪うしか勝機を見出せないんだな。一部の国を除いて、欧州の国がサイドアタックを重視するのは、ある意味自然のことで、ポゼッションサッカーをしたくてもできないんだね」と。
ポゼッションサッカーがいいか、カウンタースタイルのサッカーがいいか、サイドアタック重視のオーソドックスなサッカーがいいのか、これはいつまでたっても答えは出ないが、その時々のタレントによって、柔軟に方向性を決めていくことは大切である。そういう意味では、ジーコ監督が、中村や中田や小野や小笠原を生かした、ポゼッションサッカーを志したことは、悪くない。
名波浩が、先日のインタビューで、こういうことを言っている。
「中盤のどの組み合わせかではなくて、この日本の中盤なら、誰が出ても本当に凄いプレーをするのは間違いないし、自分がもしそこでプレーができれば…、というイメージをかきたててくれる。本当に楽しみで、楽しみで仕方ない。」ボクは、"日本代表が、F組の中で、グループリーグを突破できるかどうか"ということだけに着目して大会前から悲観的になっている人が不思議でしょうがない。W杯って、そういうものだったっけ?
参考:「この中盤が、楽しみで仕方ない」──名波 浩(ジュビロ磐田MF)
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