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2014年11月14日金曜日

この古い写真(1854年)は私の心を打つ

侯 孝賢《風櫃來的人》


《またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.》(黒田夏子






…………



一軒の古い家屋、影になっているポーチ、屋根瓦、昔のアラブ風の装飾、壁に寄りかかって坐っている男、人気のない街路、地中海沿岸に見られ樹木(チャールズ・クリフォード撮影の「アルハンブラ」)。この古い写真(1854年)は私の心を打つ。私はひたすらここで暮らしたいと思う。この願望は、私の心の奥深いところに、私の知らない根を下ろしている。私を引きつけるのは、気候の暑さか? 地中海の神話か? アポロン的静謐さか? 相続人のいない状態か? 隠棲か? 匿名性か? 気高さか? いずれにせよ(私自身、私の動機、私の幻想がどのようなものであるにせよ)、私はそこで繊細に暮らしたいと思うーーその繊細さは、観光写真によっては決して満足させられない。私にとって風景写真は(都市のものであれ田舎のものであれ)、訪れることのできるものではなく、住むことのできるものでなければならない。この居住の欲望は、自分自身の心に照らしてよく観察すると、夢幻的なものではない(私は非日常的な場所を夢みているわけではない)し、また、経験的なものでもない(私は不動産屋の案内広告の写真を見て、家を買おうとしてるわけではない)。この欲望は幻想的なものであり、一種の透視力に根ざしている。透視力によって私は未来の、あるユートピア的な時代のほうへ運ばれるか、または過去の、どこか知らぬが私自身のいた場所に連れもどされるように思われる。ボードレールが「旅への誘い」と「前の世」でうたっているのは、この二重の運動である。そうした大好きな風景を前にすると、いわば私は、かつてそこにいたことがあり、いつかそこにもどっていくことになる、ということを確信する。ところでフロイトは、母胎について、《かつてそこにいたことがあると、これほどの確信をもって言える場所はほかにない》(『不気味なもの』)と言っている。してみると、(欲望によって選ばれた)風景の本質もまた、このようなものであろう。私の心に(少しも不安を与えない)「母」をよみがえらせる、故郷のようなもの(heimlich)であろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』p52-53)

History of photography in Spain


…………

フォーレのOP108は、わたくしにはバッハのBWV 1056やBWV1043(BWV 1062)のLARGOなどをどうしても想起せざるをえないのだが、どうして誰もそういっていないのだろう。









2014年11月11日火曜日

マリラ・ジョナス マズルカ

◆Maryla Jonas plays Chopin Mazurka op. 68 no. 4


マズルカは3/4で、第三拍を強調するといわれる。 (……)しかしマズルカはいったい3/4なのか?(……)

マズルカの第三拍のアクセントとは、たとえば2/ 4+3/8や、 2/4+5/1 6 であったはずのものがショパンの 1 9 世紀的耳にきこえた転移現象ではなかったか。おそらく現在のマズルカは、そこから逆に3/4に整理されてしまっているだろう。 」(高橋悠治 「スクリャービンとの距離」 『ことばをもって音をたちきれ』所収)

◆ Chopin - Maryla Jonas (1946) Various Mazurkas from LP Columbia Entree RL6624




マリラ・ジョナス(Maryla Jonas, 1911~1959年)
ライナーノーツによると、彼女は、1920年、9歳でデビューし、1926年頃からは全ヨーロッパでリサイタルを開くようになります。しかし1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、演奏活動は中断、彼女は強制収容所に収監されてしまいます。7か月以上収監された後、マリラ・ジョナスの演奏を聴いたことがあるドイツ人高官の手助けを得て脱走、徒歩で数か月かけてベルリンのブラジル大使館まで逃亡し、ブラジルへ亡命します。その後、アルトゥール・ルービンシュタインに見出され、1946年にアメリカでのデビューを果たします。このリサイタルを聴いたニューヨーク・タイムズの評論家が彼女を絶賛し、次第に人気がでるようになりますが、厳しい収容所生活のせいもあり、1959年にわずか48年の生涯を閉じてしまいます。

[Photos of Maryla Jonas with a friend, undated.]


2014年11月9日日曜日

Swingle Singers&ボビー・マクファーリン バッハAir

……後年六人組やストラヴィンスキーに影響を与えたミュージック・ホールやジャズの好みをさきどりした《ミンストレル》とか《風変わりなラヴィヌ将軍》は、とびはねるようなリズムを生命とする《パックの踊り》やユーモラスな《ピックウィック殿礼賛》らとともに特別の私の好みというのでもない。同じようなことは《亜麻色の髪の娘》についてもいえる。これはまた、それにヴァイオリン独奏用に編曲されたりして感傷的にひかれすぎ、あまりにも通俗化されすぎてしまった。「名曲」の悲しい運命である。ちょうどショパンの《幻想即興曲》とか、モーツァルトの《Eine Kleine Nachtmusik》のように。こうなると、耳を新しくしてきき直すといっても、実際はちょっとやそっとのことでやれるものではない。というのは、曲自体の方にもーーいかに簡潔は芸術の美徳とはいえーー何かの原因があって、やたらと野外の公園や、家庭音楽会や通俗名曲の夕べでひかれすぎるようになる要素が存在しているのだ。(吉田秀和「ドビュッシー《前奏曲集》」『私の好きな曲』)

バッハのAirも、モーツァルトの《Eine Kleine Nachtmusik》と同じように、名曲の悲しい運命に遭遇したといってよいだろう。


まずSwingle Singers、あるいはMJQとのバッハのAirを貼りつけよう。


◆les swingle singer - JAZZ SEBASTIEN BACH 3/23 - Aria dalla Suite n°3 in ReM BWV 1068 (1963)




◆Bach:The Swingle Singers The Modern Jazz Quartet Air For G String1]




そして1990年の水戶室內管弦樂團との小澤征爾。




ーー小澤征爾は、カラヤン追悼1989でもWiener Philharmoniker で、この曲を演奏している。上の一年後の演奏は、日本におけるカラヤン追悼であるだろう。

◆Herbert Von Karajan - Johann Sebastian Bach - Air on the G String





だが、名曲の悲しい運命なんていっても、オレもバッハのAIRはSwingle Singers&MJQで最初に出会ったんだしな。気軽にきける曲だっていいさ。Bobby Mcferrinなんかその名曲の悲しい運命に抵抗した味わいだしてるしな。

…………


◆Air. J.S. Bach Bobby Mcferrin



◆Bach - Air on G String by Yo Yo Ma and Bobby Mcferrin





ナウモフ BWV106、BWV105

◆Naoumoff BWV 106「神の時は いとも ただしGottes Zeit ist die allerbeste Zeit」



◆György Kurtág BWV106



◆Karl Richter 1966




…………

◆Naoumoff  BWV 105




◆Gunthild WEBER 1952





“Wohin? どこへ?”(マタイBWV244とヨハネBWV245)

《昨日はマタイ受難曲を全部聴いたんだよ。いやぁバッハはすごいね。僕らはクリスチャンじゃないけどなんなんだろう……》(1996年2月19日)

武満徹はこう語って逝った(1996年2月20日)。武満徹は誰の指揮のマタイを最期に聴いたのだろう。

 いつだったか私は、『西洋の音楽では、バッハの《マタイ受難曲》がいちばん偉大な音楽だと思っている。西洋音楽から、ひとつだけとるというのなら、これをとるだろう』と書いたことがある。この考えは今も、変わらない。芸術(つまり、ものを考えてつくる営み)と芸術をこえた精神の最高のものに至るまでの間で西洋の音楽の成就したすべてが、あすこにはあるというのが、私の考えである。(吉田秀和『私の好きな曲』p7)
……私は《マタイ受難曲》は、これまでほんの数回しかきいたことがない。レコードでもはじめから終りまできいたのは、何度あったか。数はおぼえてはいないが、十回とはならないのは確かである。私は、それで充分満足している。私は、こんなすごい曲は、一生にそう何回もきかなくてもよい、と考えている。この曲は、私を、根こそぎゆさぶる。(同p172)
とにかく、《マタイ受難曲》の感動の中には恐ろしいものがあり、その迫真性という点からいっても、悲哀の痛烈さには耐えがたいものがある。(……)《マタイ受難曲》はおそろしい音楽だ。話はもちろんのこと、レチタティーヴォが多く、全曲としてはるかに長大なのも、きき通すことの困難さを増す。それから、また、単純にして痛切なコラールの表現性の峻厳さ。P173 
リヒターの指揮と曲のつかみ方は、一面では峻厳をきわめ、一面では驚くほど自由である。その棒で彼はどこを切っても鮮血のほとばしり出そうな生気に満ちた演奏を創りだす。それは復古的な姿勢を全然持たないくせに、個人的な恣意とは逆の、規範的な様式の樹立に向ってつきすすむ。(……)

合唱が、《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」で一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描いたり、あるいは《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入り「どこへ? どこへ?」と何回となく問いを投げてくる時は、音自体は囁きの微妙な段階的変化でしかないのに、その響きはきくものの意識の中で反転反響しながら棘のようにつきささる。ここでは対位法は技術であると同時に象徴にまで高められている。

こういう感動は私たち一生忘れられないだろうし、それを残していった音楽家は、天才と呼ぶ以外に何と呼びようがあるだろうか?(吉田秀和「カール・リヒターとバッハ」)

リヒターによる《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」の一分間は何度も貼り付けたので、ここでは割愛する。たとえば、「ナウモフ BWV244-BWV727 「血しおしたたる」」にある冒頭から二番目のものが「真に彼こそは神の子だった」である。

吉田秀和の文には「《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入」ってくる「どこへ?Wohin?」ともあるが、それは後述する。まずは《マタイ》である。マタイにも棘のようにつきささってくる「どこへ?Wohin?」がある。

それは、第 60 曲 アリア(マタイ受難曲 BWV.244 歌詞対訳)であり、そこには《kommt! 来なさい!Wohin? どこへ?》とある。この“Wohin?どこへ”ーー同時に”kommt! 来なさい!”もーーには、少年のころ強く衝撃をうけて、意味もわからず発音も正確に聴き取らず「ホギ! ホギ!」と頭のなかで鳴って囚われの身となっていた時期があるのだ。カール・リヒターのものは実に強烈であり、他の指揮者の”kommt!”あるいは”Wohin?”と、リヒターのものを聴きくらべてみるといいが、もちろん彼の指揮が強烈なのはここだけではない。

吉田秀和のいうように、マタイとは、《私は、こんなすごい曲は、一生にそう何回もきかなくてもよい、と考えている。この曲は、私を、根こそぎゆさぶる》、ーー 「血しおしたたる」、ーーまさにそういった気分になってしまう。だが、カール・リヒター指揮のものではなく、ほかの何人かの指揮者による演奏だったら、いまのわたくしにはやや穏やかな気分で今後も何回かは聴けそうだ。心理的土台が崩落する気分になることは少ない。快楽のテクストとして扱うことができる。カール・リヒターのものはあくまで、わたくしにとっては悦楽(享楽)のテクストなのだ。初老の軟弱な身にはほとんど堪え難い。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』ーーベルト付きの靴と首飾り

《彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある》と書いたのは、グールド論におけるミシェル・シュネデールだが、カール・リヒターのマタイはなおいっそうのことしばらく御免蒙る。今は遠ざけておくしかない。

彼の演奏について語ろうとしても、いくつかの言葉しか思い浮かばない。遠さ、戦慄、なにか異様なもの。彼はわれわれを試練に遭わせるーーあまりにも透明なあの音、昇華作用を経たあのピアノが耐えられないという人々をわたしは知っている。このピアノを聴くと彼らの皮膚はひきつり、指は痙攣するのだ。試練はときに恐ろしいものを含んでいる。わたしもまた、そのせいで、彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある。(『Glenn Gould PIANO SOLO』ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳)

…………

さて、これにてカール・リヒターのマタイとはしばらくお別れしようと思う。もうわたくしは齢を重ねた。あなたの演奏には堪え難い。今は快楽のテクストに逃げ込みたい。疲れきってしまったのだ。

お別れに、マタイ第60曲のアリア「Sehet,Jesus hat die Hand.見よ、イエスは手を差し伸べて」における《kommt! 来なさい!Wohin? どこへ?》を聴く。まずはカール・リヒターによる1958年の録音から。


◆BACH BWV244 Sehet, Jesus hat die Hand/Karl Richter(1958)





◆Sehet Jesus hat die Hand(Philippe Herreweghe





◆Bach - Matthäuspassion - Sehet, Jesus hat die Hand(Ton Koopman





…………

さて、次ぎは、ヨハネ受難曲の“Wohin? どこへ?”

第24曲の「Eilt, ihr angefochtnen Seelen 急げ、お前たち悩める魂よ」からである。こうやって並べて聴くと、冒頭の出足の管弦楽のフレーズの最後の二つの音の音型からすでに、マタイ受難曲の “Wohin? どこへ?”と同じ型(たぶん?)であることに気づく。いずれにせよ、どこもかしこも「ホギ!」だ、死にそうになる、--少年時代の癒着したはずのつもりのひどい傷口がパックリが開き血しおしたたるのだーー、パンドラの箱が開いてしまった。それではサヨウナラ! カール・リヒターよ、ヨハネも鈴木雅明の快楽のテキストに乗り換えることにする。ーーいや鈴木雅明でさえ堪えられるかどうか。ーー --


◆Kieth Engen "Eilt, ihr angefochtnen Seelen" Johannes-Passion(Karl Richter 1964)





◆Bach - St John Passion - Eilt ihr eingefocht'nen Seelen (bass aria)John Eliot Gardiner




◆Bach - St. John Passion BWV 245 (Masaaki Suzuki, 2000) - 8/12





24.

Arie (Baß) und Chor

24.

アリア(バス)と合唱

Baß solo: Eilt, ihr angefochtnen Seelen, 
Geht aus euren Marterhöhlen,
Eilt ― 
Chor: Wohin?
Baß solo: ― nach Golgatha!
Nehmet an des Glaubens Flügel,
Flieht ― 
Chor: Wohin?
Baß solo: ― zum Kreuzeshügel,
Eure Wohlfahrt blüht allda!

独唱:急げ、お前たち悩める魂よ、
逃れよ、お前たちの苦しみの洞窟から、
急いで行け---
合唱:どこへ?
独唱:---ゴルゴダへ!
信仰の翼をもって、
逃れ行け----
合唱:どこへ?
独唱:---十字架の丘へと!
お前たちの幸せはそこでこそ花咲くのだ!




2014年11月8日土曜日

ナウモフ 平均律BWV862フーガ、あるいはシューマン

まず二人の名演奏家のBWV862(バッハ平均律第一巻十七番変イ長調)。

◆Richter plays Bach: WTC1 No. 17 BWV 862 Fugue




◆Edwin Fischer: Das Wohltemperierte Klavier, Book I BWV 862 (Bach)

ーープレリュードも含む。




そしてエミール・ナウモフによるフーガ。

◆Naoumoff plays Bach's fugue in A flat major from WTC 1





ーーさてどの演奏がお気に入りかどうかはどうでもよろしい。このフーガはすばらしい。シューマンが調性を短調にかえて見事にパクったことは、知る人ぞ知るである。






バッハ、フォーレへの執拗な愛、そして幼い頃からの教師であったナディア・ブーランジュNadia Boulanger(彼女はフォーレの生徒だった)へのノスタルジックな愛溢れる自作ワルツをママ・ナディアに捧げるなど(Valse pour Nadia for piano four hands)、いかにもおたく風のエミール・ナウモフであるが、次のようにマエストロ然としてシューマンを弾くNaoumoffもいる。






ナウモフよ、きみはこんな華麗な曲を無理してやる必要はないのではないか? とはいえシューマンだから許しちゃうが。でもこんな別な世界からやってきたような演奏があるからな→ Schumann - Carnaval op.9 - Michelangeli Lugano 1973ーーでも聴いてると、泣けるところいっぱいあるな……第18曲のAveuもいけるな、ピアニッシモの大家と呼ぶべきかーー、きみに惚れてるからな、オレ。

しかしこれに勝てるつもりかい?




どうせシューマンやるなら最晩年のOP.133やってくれないかな。〈母〉なるものへの愛のひとロラン・バルトが最も好んだ曲のひとつシューマンの最晩年の狂気直前に作った暁の歌を。どうもこれといった演奏に当らないから。マエストロ・ナウモフだったら、OP.133いけるんじゃないか、OP.9の第5曲Eusebius.でやった感じでさ。

ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』(暁の歌)の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)





ディスカウ 小川BACHへの言葉

フィッシャー・ディスカウ/バッハで検索して、種々を聴いてみるが、やはり「小川への言葉 Danksagung an den Bach」が最も美しい。


◆シューベルト『美しき水車小屋の娘』(Die schöne Müllerin)D795 第4曲 小川への言葉 Danksagung an den Bach Dietrich Fischer-Dieskau (Gerald Moore, piano)



…………

ここではあまりにも名高いディスカウのカンタータBWV82を掲げるのはやめにして、二人のバッハ歌いの女性歌手とのデュエットを貼付する。もっともElly Ameling をバッハ歌いとするのは語弊があるだろう、→ "Nacht und Träume" - Franz Schubertーー限りなく素晴らしいが、とはいえわたくしはさらにいっそう、Barbara Hendricks  Schubert "Nacht und Träume" を好む。そして二人ともわたくしの偏愛の対象フォーレ歌いでもある。


◆Elly Ameling & Dietrich Fischer-Dieskau"Herr, dein Mitleid" Weihnachtsoratorium



◆Agnes Giebel & Dietrich Fischer-Dieskau "Herr, dein Mitleid" Weihnachtsoratorium




…………

実は上の二人の歌手のマタイ「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」( Aus Liebe will mein Heiland sterben )を並べてみるのがここでの目的である(Gundula JanowitzとDorothee Mieldsの二人の歌唱は「ナウモフ-マタイBWV244」に貼り付けた)。



◆Elly Ameling "Aus Liebe will mein Heiland sterben" Matthäus-Passion(これは冒頭に前曲が入っている、Aus Liebe will mein Heiland sterben は1.30あたりから)。




◆Agnes Giebel: Bach, Matthäuspassion - Aus Liebe will mein Heiland sterben



グールドのシューベルト

◆Schubert - Symphony No.5, 1st. mov - Glenn Gould




◆Claudio Abbado "Symphony No 5 (1. Mov.)" Schubert





交響曲はめったに聴かないのだけれど、唯一思いついたように聴くのはシューベルと第ハ長調D. 944。長い間ウィーンフィルのベームで聴いていたのだけれど、アバドもいい。

《ここには、何よりも歓喜がある。いや正直いうと、私は、ほとんど、ここには、終わることのない歓びの泉からじかに水をのんだ記憶となって残るものがあると書きたいところなのだ》(吉田秀和)

ーーこれは第9番の交響曲の第一楽章アンダンテをめぐって書かれた文なのだが、グールドの演奏する5番の冒頭についてもしかり(グールドはシャイ・ミュージックなどと言っているが)。デモーニッシュな作曲家といわれるシューベルトだが、ときに類なれな歓喜を与えてくれるときがある。

《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

◆Schubert Symphony No 9 C major The Great Chamber Orchestra Of Europe Abbado



2楽章のアンダンテ・コン・モトについては、このように書かれる。

このアンダンテはリズムと旋律と和声との宝庫である。そうして、ここに登場する楽器たちの、作曲家の手で書きつけられた役割を演じているというよりも、自分で選びとって生きているような動きの素晴らしさ。三つの主題的な旋律が、めんどうな手続きも回り道もせず、つぎつぎと隣接しながら登場しおわったあと(それはイ短調の楽章の最初のヘ長調の部分の終わったところに当るのだが)、弦楽器がppから、さらに、dim.、dim.と小さく、小さく息を殺していって、そっと和音をならす、その和音の柱の中間に、小節の弱拍ごとに、ホルンがg音を8回鳴らしたあと、9回目に、静かに微妙なクレッシェンドをはさあみながらf音を経てe音までおりてくる。(吉田秀和『私の好きな曲』)




シューマンが『全楽器が息をのんで沈黙している間を、ホルンが天の使いのようにおりてくる』とよんだのは、ここである。これは、音楽の歴史の中でも、本当にまれにしかおこらなかった至高の「静けさ」の瞬間である。

至高の「静けさ」の瞬間は約22分あたりから(約20分あたりから聴くといい、オーケストラの団員たちがその至福の瞬間へ向かう準備をしているような表情をしている気がしてくるから) 。


グールドの庭に面した空間でのくつろいだ喜び溢れるシューベルトを聴いたなら、三人の巨匠による次ぎの映像もいい。




バーブラ・ストライサンド=グールド&The Swingle Singers  バッハ シンフォニア

かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い」その三。
ここではそういい難いものも入っているが、ーーとくにシンフォニアーーこのところの流れのなかで、その三としておく。


◆The Swingle Singers - J.S. Bach - Sinfonia XI (Three Part Invention) BWV 797




この3声のインベンション11番は、わたくしの好みからすると、ほとんどの演奏家が速く弾きすぎる。タチアナ・ニコラーエワと、寡聞にして名の知らなかったCubusという名のピアニストぐらいだ、スウィングル・シンガーズとほぼ同じテンポでやってくれるのは。


◆Three-Part Invention no.11 in G minor BWV 797 - Tatiana Nikolayeva ( Bach )






◆Les Swinger Singers J S Bach Partita No2 Sinfonia 1969





◆Glenn Gould plays Bach's Partita No. 2 (BWV 826) - Sinfonia.





◆Glenn Gould - 02. Bach, Partita No.2 BWV 826, Sinfonia [ 1958 ]




…………

ところで、グレン・グールドはバーブラ・ストライサンドの大ファンだったというのは知っていたが、シュヴァルツコップと並び称しているのは知らなかった。(Swingle Singersにもストライサンド級の歌手がいたらもっとよかったのに)。

Streisand as Schwarzkopf

The voice that is "one of the natural wonders of the age" confronts The Masters

by Glenn Gould
I'M A STREISAND freak and make no bones about it. With the possible exception of Elizabeth Schwarzkopf, no vocalist has brought me greater pleasure or more insight into the interpreter's art.

グールドの冗句だというヤツがいるといけないので書いておくがーー、……別に何が言いたいわけでもない。ただグールドはマジにきまってる!


◆My Name Is Barbra - Happy Days Are Here Again (Live)




◆Schwarzkopf / Fischer: Auf Dem Wasser Zu Singen, D. 774 (Schubert)- Recorded October 4-7, 1952





グールド&Swingle Singers バッハ ラルゴ



◆Les Swinger Singers J S Bach Concerto in F Major largo 1969



◆Glenn Gould: Bach - Concerto No. 5 in F Minor, 'Largo'





◆Maria Joao Pires spielt Bach



◆David Fray Largo & Presto from Bach's Concerto No 5 in F Minor BWV 1056)





◆Nigel Kennedy - Bach - BWV 1060R - II - Largo




…………

◆Bach: Concerto In D Minor After Alessandro Marcello, BWV 974 - 2. Adagio Glenn Gould






たまにはアダージョ(2楽章)だけでなく、通して聴いてみよう。

◆Alessandro Marcello, Concerto in re minore per oboe e orchestra











オーレル・ニコレ&Swingle Singersのバッハ管弦楽組曲

かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い」その一。

◆The Swingle Singers - Badinerie (Johann Sebastian Bach)




◆Bach - Bwv1067 Orchestral Suite - 07 - Badinerie (Ton Koopman, Amsterdam Baroque Orchestra)




40年前は日課のように聴いた頃もあったのだが、最近はまったくご無沙汰だった。いいねえ、ひさしぶりに聴くと。オーレル・ニコレで聴いたのだが、YouTubeには見当たらないな。

かわりにこのカール・リヒターとのフルート・ソナタ。いいなあ、これも。

◆J.S.Bach Sonata for Flute and Cembalo BWV 1031-Karl Richter and Aurele Nicolet




最近の連中はどうなんだろ? Emmanuel Pahudのがあるけど、アイツ生意気そうでなんだかキライなんだよな、出しゃばり過ぎだよ。渋みもないしな。


…………

◆J. S. Bach-Swingle Singers - Transcription of 1st Movement from Brandenburg Concerto n. 3 BWV 1048



◆Bach: Brandenburg Concerto No. 3 in G major, BWV 1048 (Freiburger Barockorchester)




◆J. S. Bach - Ricercare a 6 from "Musikalisches Opfer" BWV 1079 - Jazz-Voices transcription




この音楽の捧げ物のRicercare a 6は、カール・リヒターのアーノンクールのもチェンバロで面白くないので、かわりにオーレル・ニコレのフルートが聴ける第12曲トリオーラルゴTrio - Largoを貼り付けておく。


◆Trio - Largo BACH Musikalisches Opfer BWV 1079 /Karl Richter





…………

故郷の小都市にカフェ・バロックという小さな喫茶店があり、そこにはチェンバロが置いてあった。店主が古楽器のリコーダー好きで、一年に一度ほど、名の知れた演奏家を招いた。30人も入れないスペースである。

高校2年生のとき、小林道夫氏を招いて、バッハのゴールドベルグ変奏曲をチェンバロでやった。小林道夫氏はいまでも東京芸大でカンタータなどを教えているようだ。





40年ほど前の当時オーレル・ニコレの日本公演の伴奏者としても名高かった。いま調べてみるとこうある。

伴奏ピアニストとしても、過去に来日した多くの世界的ソリストと共演し、バリトン歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、テノール歌手エルンスト・ヘフリガー、チェロ奏者ピエール・フルニエ、ソプラノ歌手アーリーン・オジェー、フルート奏者オーレル・ニコレなど錚々たる演奏家の伴奏を勤め、どの演奏家からも高い評価を受け、信頼を得ている。(ウィキペディア)

カフェ・バロックでの演奏そのものはいささか失望した、グールドのゴールドベルグのようなものを聴くつもりでいったのだから。まあそれはこのさいどうでもよろしい。

カフェ・バロックの主人は相当年配のはずだが、あの店はいまでもあるのだろうか、と思い調べてみると今年11月に閉店予定とあった。




※「見すてられた石切場」より。

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

ナウモフ BWV244-BWV727 「血しおしたたる」

◆カール・リヒター1958(Münchener Bach-Orchester, Karl Richter, Münchener Bach-Chor, Münchner C - Matthäuspassion)







ーー少年の頃マタイにめぐり合って先ずは最初にひどく惹かれたのは、上の二つのコラールだったな。「血しおしたたる」なんて、中学生2年生のとき、スコアに音を拾って、ピアノで弾いてみるなどということもしたから。

上の第62曲と63Bの箇所が含まれるKoopmanのーー彼の指揮するカンタータはいまではリヒターより好む作品もあるのだけれどーーこのは、やはり失望してしまう(高校生のとき最初に生演奏で聴いたシェリング指揮も同様で、がっかりした)。




要するにこのあたりのことは浅田彰がほぼ完璧に指摘している。カラヤンの世代ーーまあオレは交響曲をたいして聴かないほうだから、カラヤンに嵌っていたわけではないがーーそうはいっても「聴取の退化」の世代として育ったからな。

当時、レオンハルトやアルノンクールがやり始めたのは、厳密な校訂を通じてバッハならバッハの元の楽譜をできるだけオリジナルに近い形で復元し、徹底的に研究した上で、当時の楽器、あるいはできるだけそれに近いものを使って、19世紀ロマン派以後に広まった妙な感情移入やドラマティックな演出(とくにテンポの伸縮)なしにザッハリッヒ(即物的)に演奏するということです。いわゆるピリオド楽器によるオーセンティックな奏法ですね。それが対立しているのは、ヴァーグナーから(指揮者だと)フルトヴェングラーを通じてカラヤンに至るようなロマン主義的な演奏のスタイル、どんな音楽でもヴァーグナーのように巨大なオーケストラを使ってドラマティックに演奏してしまうスタイルです。カラヤンに至ると、縦の線をほとんど無視してテンポを主観的に伸縮させながら音楽を流線型の華麗な流れと化し、半強制的な感情移入によって聴衆をそのなかに引きずり込んでいく、というようになる。ある種、ファシズム的な美学ですね。それは言い過ぎだといても、後期資本主義社会における「聴取の退化」(アドルノ)の典型です。それに対して「ノン」と言ったのがレオンハルトやアルノンクールといった人たちだった(古楽でも、カール・リヒターらの演奏は、むろんカラヤンとは違うとはいえ、どこかそれに通じる壮麗なドラマとして演出されていたので、それに対比しても彼らの新しさは明らかです)。要するに、大オーケストラや大コーラスはやめる。そもそもバッハの時代は10人、20人でやっていたのだから、それでいいではないか。縦の線を重視し、むしろ機械的なくらい速めで一定のテンポを保つ。強弱も、連続的なグラデーションで変化させるより、むしろ機械的に強弱を対立させる。ヴィブラートによる表情豊かな表現を排し、できるだけノンヴィブラートであっさり弾く。このように、カラヤンに極まるような、流線型の巨大なオーケストラ音楽で共同体の感情移入を誘うという方向に対し、むしろそれを異化する。ザッハリッヒに、言い換えれば風通しよくドライにいくというのが、この時代に始まったことです。これは古楽で始まったわけですが、アルノンクールなどの場合、その後モーツァルトやベートーヴェン、さらにはロマン派でもそういう形でやってみたらどうかということになってくる。60年代はマイナーだったのが、いまやメジャー化したとは言わないまでもずいぶん一般化してきた。実をいえば、昔の楽器や奏法をどんなに研究しても、録音はないんだし、当時本当にどんな演奏が行なわれていたかはわからないんで、僕なんかはピリオド楽器によるオーセンティックな奏法と称するものの流行がちょっと行き過ぎているんじゃないかと思ったりもする。それこそゴダール的に、たんに音楽があるので、正しい音楽なんてない、と言いたくなったりもする。ともあれ、それくらい、正しい音楽を可能なかぎり歴史的研究で裏付けて演奏しよう、ロマン派の時代にこびりついた余分な化粧は削ぎ落とそうという動きは、古楽の枠をこえて、かなり一般的になってきているんですね。(ちなみに、古楽的なアプローチではなく、現代のオーケストラを使った演奏でも、ストローブ=ユイレのシェーンベルクのシリーズで指揮者を勤めているギーレン[シェーンベルクの女婿のノーノから推薦された]などは、カラヤン的な演奏とはまったく違う、非情なまでにザッハリッヒな演奏スタイルを貫いてきました。ベルリンで彼がアドルノの小品とベルクのヴァイオリン協奏曲を振るのを聴いたことがあるのですが、後半のシューベルトの第8交響曲は、フルトヴェングラーの演奏だと「天国のように長い」はずが、その1.5倍はあるんじゃないかと思われる超高速でさーっと演奏され、さすがに唖然とさせられたものです。)(講演「ダニエル・ユイレ追悼――ストローブ=ユイレの軌跡 1962-2006」2006年12月9日 浅田彰ーー「カール・リヒターとメランコリー」)

…………

マタイ受難曲に調性を変えてくり返し要所にでてくるコラール「血しおしたたる」(O Haupt voll Blut und Wunden」をィリップ・ヘレヴェッヘ(Philippe Herreweghe)の指揮にてまとめたものがある。


◆Bach Matthew Passion Chorale Settings - O Haupt voll Blut und Wunden




◆血しお したたるの日本語版(O Haupt Voll Blut Und Wunden:Bach BWV244 Japanese ver.)




《昨日はマタイ受難曲を全部聴いたんだよ。いやぁバッハはすごいね。僕らはクリスチャンじゃないけどなんなんだろう……》(武満徹 1996年2月19日

※武満 徹(1930年10月8日 - 1996年2月20日

ーーマタイなんて体力衰えているとき(あるいは老いてきたら)、集中して全曲なんて聴かないほうがいいぜ、ボロボロになって、クタバっちまうから。


…………

ナウモフは少年のまま初老になったような男だ。夢中になった曲は、少年のときには誰しもこのように思い入れたっぷりに演奏してみるものだ。それに好悪はあるだろう。わたくしは彼の平均律のいくつかはほとんど聴くに耐えない(今のところ?)。だがコラールのたぐいは許す、許してしまう、いやこれでいいのだ、と思う。


Nadia Boulanger en Emile Naoumoff (Bruno Monsaingeon)

※「Nadia Boulanger teaching Emile Naoumoff age 10」の映像はグールドを撮り続けたBruno Monsaingeonによる映像作品。


◆Naoumoff plays his own piano transcription of Bach's organ Choral Prelude Herzlich thut mich verlangen BWV 727




◆J.S. Bach - Chorale 'Herzlich tut mich verlangen' BWV 727




Emile Naoumoff plays Bach on Organ in Jeu de Paume, Fontainebleau 1972などというものもある。ナウモフは1962年生まれであり、当時10歳ということになる。





※Fournier / Moore(2曲目)



ーーこんなフルニエのスタイルでも、いまの人は許せないのかもなあ。カール・リヒターがアルヒーフでレコード出していたのと同じように、フルニエもアルヒーフだったから、バッハのチェロ曲は、最初にフルニエで聴いたんだけど。








2014年11月7日金曜日

ナウモフ Byrd - アヴェ・ヴェルム・コルプスAve Verum Corpus

◆Byrd(ウィリアム・バード) - Ave Verum Corpus (The Tallis Scholarsタリス・スコラーズ)




◆Naoumoff plays Byrd's Ave Verum




◆Glenn Gould - William Byrd "First Pavan and Galliard"





「諸君、それは女狂い、”可能なる昇華”以外の何であろう」

このブログは今後(すくなくとも当面は)、バッハあるいは祈りの音楽の話かエロの話しか書きません。おそらく大方の中庸な方々には縁がないことのメモに終始します。要するに数少ない読者のみなさんですが、その方々も少なくとも二週間ぐらいはーー二カ月か二年ぐらいかもーー明けてみないほうがいいと思います。しばらくは、あるひとりの若い女性への私信みたいなものです。彼女の名はアプリコットちゃんです。


ーーというわけでバッハ頭になってしまったので、軌道修正できるかどうかは別にして、ハゲマシのために以下の文を貼り付けておく。

そもそもバッハというのは、高橋悠治によれば性的においがぷんぷんする音楽なのであり、カンタータなどの祈りの音楽だって、そこからエロスのにおいを嗅がないヤツラってのは不感症なんじゃないか。

バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータなど組曲の6曲セットを作っている。当時のドイツは、ヨーロッパの田舎だった。文化の中心パリの流行は、周辺地の音楽家の手で古典性をおびる。それらはもう踊られるためのものではなく、むしろ音楽語法を身に着けるためのモデルであり、ヨーロッパ中心の音楽世界地図でもあった。その装飾的な線の戯れにはどこか、かつての性的身ぶりの残り香がある。若いバッハは、入念に粉を振った最新の鬘をつけ、若い女を連れ、パイプをくわえて街をそぞろ歩く伊達男だったと言われる。音楽がまだ化石になっていないのも、そこにただようエロティシズムの記憶のせいかもしれない。(踊れ、もっと踊れ  高橋悠治





乱交パーティ用の音楽だぜ。

バッハの最も崇高なコラールのひとつといわれるBWV12の2曲目=ロ短調ミサの合唱の起源は次の通り。→ バッハカンタータBWV12とヴィヴァルディPiango, gemo, sospiro e peno


(ヒエロニムス・ボス「快楽の園」)


…………

芸術家が制作――すなわち自分の空想の所産の具体化――によって手に入れる喜び、研究者が問題を解決し真理を認識するときに感ずる喜びなど、この種の満足は特殊なもので、将来いつかわれわれはきっとこの特殊性を無意識真理の立場から明らかにすることができるであろうが、現在のわれわれには、この種の満足は「上品で高級」なものに思えるという比喩的な説明しかできない。けれどもこの種の満足は、粗野な一次的欲動の動きを堪能させた場合の満足に比べると強烈さの点で劣り、われわれの肉体までを突き動かすことがない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 P444)


「上品で高級な満足」に没頭するのもいいが、やっぱり「

一次的欲動の動き」も堪能もしとかないとな。


……さまざまの欲動は、満足の条件をずらせたり、他の方法をとるよう余儀なくされる。これは、大部分の場合には、われわれに周知の(欲動目標)昇華と一致するが、まだ昇華とは区別されうる場合もある。欲動の昇華は、文化発展のとくにいちじるしい特色の一つで、それによってはじめて、学問的・芸術的・イデオロギー的活動などの高級な心理活動が文化生活の中でこれほど重要な役割を占めることが可能になっている。第一印象にしたがうかぎりわれわれは、「昇華こそはそもそも文化に無理強いされて欲動がたどる運命なのだ」と主張したい誘惑を押えかねる。けれども、この件はもう少し慎重に考えたほうがよい。そして最後にーーしかもこれこそ一番大事と思われるがーー、文化の相当部分が欲動断念の上にうちたてられており、さまざまの強大な欲動を満足させないこと(抑圧、押しのけ、あるいはその他の何か?)がまさしく文化の前提になっていることは看過すべからざる事実である。この「文化のための断念」は人間の社会関係の広大な領域を支配している。そして、これこそが、いかなる文化も免れえない文化にたいする敵意の原因であることは、すでにわれわれが見てきたところである。この「文化のための断念」は、われわれの学問にもさまざまの困難な問題を提起するであろうし、われわれにとしては、この点に関し多くのことを解明しなければならない。ある欲動にたいし、その満足を断念させることなどがどうしてできるのかを理解するのは容易ではない。それに、欲動にその満足を断念させるという作業は、かならずしも危険を伴わないわけではなく、リビドーの管理配分の上からいって、その補償をうまく行わないと重大な精神障害の起こる恐れがある。(『文化への不満』p458)

このあとエロスとタナトスの議論が展開されていく。

人類の共同生活は、外部からの苦難によって生まれた労働への強制と、愛の力 ――男性の側からいえば性欲の対象である女性を、そして、女性の側からいえば自分の分身である子供を、手許にとどめておこうとする愛の力 ――という二重の楔によって生まれたのだ。すなわち、エロス(愛)とアナンケ(宿命)は、人間文化の生みの親ともなったのだ。(『文化への不満』P460)

だがここではその議論のいっそうの展開を追うことはやめ、冒頭の「昇華」の話に留まることにする。

フロイトによれば、芸術も学問も政治(イデオロギー)も、欲動断念によるーーその代表的なものは性欲動だーー「昇華」であり、「昇華」で胡麻化してもいずれ始原の欲動に支配されるか、胡麻化し続けていたら精神障害になるかもな、ということを言っている。最も「高級な」昇華と思われている芸術や学問も、オマンコ(あるいはオチンチン)の「仮面」だよ、と。いわゆる「スフィンクスの謎」探求の仮装なのだ。

スフィンクスの謎とは、女性性、父性、性関係に関してであり、フロイト的に言えば、母のジェンダー(女のジェンダー)、父の役割、両親の間の性的関係。

「ママにもおちんちんあるの?」
「もちろんよ、なぜ?」
「ただそう思っただけなの」
(……)
あるとき彼は就寝前に脱衣するのを固唾をのんで見まもる。母親が尋ねる。「何をそんなに見ているの?」
「ママにもおちんちんがあるかどうか、見ているだけよ」
「もちろんあるわよ。あなた知らなかったの?」
「うん。ママは大きいから、馬みたいなおちんちんをもっていると思ったの」(フロイトの『ある五歳男児の恐怖症分析』(少年ハンス(フロイトとラカン)

より一般的に言えば、Das ewig Weibliche (永遠に女性的なるもの)、Pater semper incertuus est( 父性は決して確かでない)、Post coftum omne animal tristum est (性交した後どの動物でも憂鬱になる)の三つ。ラカンの変奏なら、La Femme n'existe pas, 〈女〉は存在しない、L'Autre de l'Autre n'existe pas, 〈他者〉の〈他者〉は存在しない、Il n'y a pas de rapport sexuel,性関係はない。

ここから逃れて昇華による代償満足に専念してても無駄さ。いずれ露顕してくるよ。

サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。(中井久夫 「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)

晩年のヴァレリーの「女狂い」ってのも、ようやく最近知ることができるようになった。


外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P111-112)

たとえば西脇順三郎の晩年の詩だって、《エロス的ダブルミーニング》の詩ばかりさ。『近代の寓話』に《形而上学的神話をやつている人々と/ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ》とあるのを西脇順三郎自ら、《これは実は「猥談」をしている同僚のことだ》と解説したそうだが。

《鶏頭の酒を/真珠のコップへ/つげ/いけツバメの奴/野ばらのコップへ。/角笛のように/髪をとがらせる/女へ/生垣が/終わるまで》(西脇順三郎)

ーーこんなのワカメ酒に決まってるだろ、そら、いけよツバメくん、野ばらの生垣が終わる処まで啜り舐めゆけ、ほら、真珠の栗と栗鼠めがけて! 嘴は「森林限界を越えて火口へと突き進む」(俊 『女へ』)。石灰質だらけの死火山と侮っていても突然激烈に噴火することがあるからな、御嶽山のように。

でも、あそこには実は「原初的な空無」があるのさ

昇華(=崇高化)はふつう非・性化と同じことだと考えられている。非・性化とはすなわち、リビドー備給を、基本的な欲動を満足させてくれそうな「野蛮な」対象から、「高級な」「洗練された」形の満足へと置き換えることである。われわれは女に直接に襲いかかる代わりに、ラヴレターや詩を書いたりして誘惑し、征服する。敵を気絶するまでぶん殴る代わりに、その敵を全面否定するような批判を含んだ論文を書く。通俗的な精神分析的「解釈」によれば、詩を書くことは肉体的欲求を満足させるための崇高にして間接的な方法であり、精巧な批判を書くことは肉体的攻撃衝動の崇高な方向転換ということになろう。 ラカンの出発点は、直接的で「野蛮な」満足とされているものの対象ではなく、その反対、すなわち原初的な空無である。原初的な空無とは、そのまわりを欲動がぐるぐる回っている空無であり、<物自体 the Thing>(フロイト的な das Ding。不可能にして獲得不能な享楽の実体)の形のない形としてポジティヴな存在形態をとる欠如である。崇高な対象とはまさしく「<物自体>の気高さまで高められた対象」である。(ジジェク『斜めから見る』)

このジジェク=ラカンの説く「原初的空無」ーーフロイト的な性欲とかオマンコというのじゃなくて、ーーがラカン派的には肝なのだろう。

原初の喪失とはなにか? 永遠の生の喪失、それは、ひどく逆説的だが、性的存在としての出産の刻限に失われる。Meiosis(分裂)によるのだ。(ラカン「セミネールⅩⅠ」私訳ーーEncore, encore ! --快・不快原理の彼岸=善悪の彼岸

まあでも、いまはそんなややこしい話はやめとくよ、ここでは杏子と真珠貝の話に収斂しよう。






《夕顔のうすみどりの/扇にかくされた顔の/眼(まなこ)は李(すもも)のさけめに/秋の日の波さざめく》(西脇)




川の瀬の岩へ
女が片足をあげて
「精神の包皮」
を洗っている姿がみえる
「ポポイ」
わたしはしばしば
「女が野原でしゃがむ」
抒情詩を書いた
これからは弱い人間の一人として
山中に逃げる

ーー吉岡実「夏の宴」--西脇順三郎先生に)


《ああ すべては流れている/またすべては流れている /ああ また生垣の後に /女の音がする》(西脇)

ーーこれ読んで、アンモニア臭感じない連中を不感症っていうんだよ


《みんなは盗み見るんだ/たしかに母は陽を浴びつつ/ 大睾丸を召しかかえている/……/ぼくは家中をよたよたとぶ/大蚊[ががんぼ]をひそかに好む》(吉岡実「薬玉」)



亜麻色の蜜蜂よ きみの針が
いかに細く鋭く命取りでも、
(……)
刺せ この胸のきれいな瓢を。
(……)
ほんの朱色の私自身が
まろく弾む肌にやってくるように!

素早い拷問が大いに必要だ。

 ーーヴァレリー「蜜蜂」中井久夫訳




Bach - Cantate BWV 127 「魂はイエスの手にて憩う Die Seele ruht in Jesu Händen」

もう30年ほど前にもなるけれど、BWV127の3曲目「魂はイエスの手にて憩う Die Seele ruht in Jesu Händen」を聴いていなかったわけではない、カール・リヒターの指揮の録音で。

※Antonia FahbergソプラノーーBACH - CANTATE BWV 127 " Herr Jesu Christ, wahr' Mensch und Gott " - KARL RICHTER ( 1957 )の第3曲は、8.52あたりから。






だが、ほとんど印象に残らず数回聴いた切りでその後聴きなおすということはしていなかった。おそらく30年以上は聴いていなかったのではないか。かすかな記憶で、当時このオーボエの旋律に惹かれたということはあるから、まったく耳に新しいわけではない。だがバッハにはほかにもすばらしいオーボエの使い方の曲がたくさんある。このリヒター指揮のBWV127は、全体的にテンポがゆっくりのレガート気味で、なおかつ途中で入る弦のピチカートの驚きがない。長いあいだリヒターを絶対視していたから、リヒターの演奏でたいした魅力を感じないのなら、他の指揮者の演奏を聴いてみることは、偶然の機会がなければーーラジオからとかのーーなかった。この曲への不感症はリヒターさんのせいだな……

という訳で、少し前掲げた次のShalev Ad-El指揮、ソプラノBarbara Schlick演奏のピチカートには驚いた。ひとによっては不自然だというかもしれないが、まるで別の世界から突然音が跳ねてきたかのようだ(3.50あたりから)。






次のおそらく同じbarbara schlickソプラノだと思われる次の演奏は上のようなピチカートの驚きはない。自然に入っている。これが標準的な演奏なのだろう(上のはTV録音であり録音技術の稚拙さもあるのかもしれない)。


◆Bach, Cantates BWV 127, Aria [Soprano], Die Seele ruht in Jesu Händen  (barbara schlick おそらく?)



◆Bach - Cantate BWV 127 Dorothee Mields、Herreweghe



◆Hélène Le Corre sings "Die Seele ruht in Jesu Händen"(Luca Pianca)



◆Eileen Farrell sings Bach - Cantatas 79 and 127 (Robert Shaw)



…………

久しぶりに熱狂というか、散歩している間でさえ、耳について離れない。こうなるともういけない、結局、スコアまで手に入れて、ピアノでポロポロやってみることになる。だがこのHarold Bauerの編曲はやや大時代的すぎるな。

2014年11月6日木曜日

ナウモフ-マタイBWV244:「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」

バッハを聴き続ける、ピアニストとしては二流かもしれないナウモフのバッハへの愛を拠り所にして(とはいえ、こんなものもあるのだが→ Prats, Queffélec, Naoumoff, Berman, Koroliov - Live Concert)。

◆Naoumoff「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」( Aus Liebe will mein Heiland sterben )





◆ Gundula Janowitz. From the 1973 recording by Herbert von Karajan 





◆Dorothee Mields Herrewege





…………

◆フィシャー・ディスカウDietrich Fischer-Dieskauによる

第64曲 Am Abend, da es kühle war 夕暮れの涼しいときに、
第65曲 Mache dich, mein Herze, rein おのれを潔めよ、私の心よ







ナウモフ バッハカンタータBWV12,127,202




…………


◆BWV 127  Naoumoff





◆BWV127-3  Barbara Schlick






…………

◆BWV202 Naoumoff





◆BWV202  Dorothee Mields






…………

◆BWV12-1,2  Naoumoff




◆BWV12-1 Ton Koopman




◆BWV12-2 Ton Koopman





…………


◆BWV 21 Barbara Schlick 







2014年9月24日水曜日

兆候的なもののひしめき

読書の快楽のーーあるいは、快楽の読書のーー類型学を想像することができる。それは社会学的な類型学ではないだろう。なぜなら、快楽は生産物にも生産にも属していないからである。それは精神分析的でしかあり得ないだろう。

そして、読書の神経症とテクストの幻覚的形式とを結びつけるだろう。フェティシストは、切り取られたテクストに、引用や慣用語や活字の細分化に、単語の快楽に向いているだろう。強迫神経症者は、文字や、入れ子細工状になった二次言語や、メタ言語に対する官能を抱くだろう(この部類には、すべての言語マニア、言語学者、記号論者、文献学者、すなわち、言語活動がつきまとうすべての者が入るだろう)。偏執症者(パラノイア:引用者)は、ねじれたテクスト、理屈として展開された物語、遊びとして示された構成、秘密の束縛を、消費し、あるいは、生産するだろう。(強迫症者とは正反対の)ヒステリー症者は、テクストを現金として考える者、言語活動の、根拠のない、真実味を欠いた喜劇に加わる者、もはやいかなある批評的視線の主体でもなく、テクスト越しに身を投げる(テクストに身を投影するのとは全く違う)者といえるであろう。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

強迫神経症、ヒステリー、パラノイア、倒錯という言葉が出てきている。

ラカン派の疾患分類は、神経症、精神病、倒錯が三大カテゴリーであり、それぞれ抑圧、排除、否認の機制によって規定される。神経症の下位分類にヒステリーと強迫があり、精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニーとメランコリーがある。

ロラン・バルトの上の文には、スキゾフレニー(分裂病=統合失調症)とメランコリーは出てきていないことになる(倒錯はフェティシストとして現れている)。

ここでミレールの説明を掲げておこう。

ラカンが新しい概念をつかんだとき、あるいは臨床的仕事の新しい観点を強調するとき、彼はそれを神経症・精神病・倒錯に適用します。精神分析においては、新しい観点を作るならば、この三つの領域に関連付けて複雑にしなければならないのです。神経症・精神病・倒錯の三つだけが領域なのではありません。例えば、男と女、男性的構造と女性的構造という臨床的カテゴリーもあります。これは三つの主要な臨床的カテゴリーをきれいに横断しています。例えば、ラカンは倒錯は男性的剥奪であり、男と女の二項構造を神経症・精神病・倒錯の三つ組みと結合させるとさらに複雑になると言っています。私たちが言いうるのは、倒錯は男性的剥奪であり、本物の精神病のすべては女性であろうということです。ラカンは精神病を「女性への衝迫[pousse a la femme]」とみなすという、今では有名となったフレーズを作りました。精神病は女性の領域にあるのです。神経症においては、 ヒステリーと強迫が区別され、 一般に女と男に関連付けられます。しかし、だからといってヒステリーの男性がいないと主張するのではありません。…(「ラカンの臨床パースペクティヴへの導入」 ジャック=アラン・ミレール松本卓也訳)

おそらくラカンに依拠しているだろうロラン・バルトの説明をそのまま信じなくてもいいのだが、バルトのような捉え方は、なにも読書に限らない。たとえば芸術一般にかんして、ひとのタイプによりそれぞれの鑑賞の仕方があるはずだ。

わたくしは倒錯的なところがあると自らを見なしているのだが、バルトは《フェティシストは、切り取られたテクストに、引用や慣用語や活字の細分化に、単語の快楽に向いている》としている。ははあ、図星だな、というのは、このブログをすこしでも眺めれば分かるだろう。

「どれがよく見えるかあなたがた自身で見てごらん、このレンズか、あのレンズか、そちらのレンズか。」――プルーストはそう語る、しかし裸眼でもすでに各人異なった光学器械をそなえているには違いない。



私の読者たちというのは、私のつもりでは、私を読んでくれる人たちではなくて、彼ら自身を読む人たちなのであって、私の書物は、コンブレーのめがね屋が客にさしだす拡大鏡のような、一種の拡大鏡でしかない、つまり私の書物は、私がそれをさしだして、読者たちに、彼ら自身を読む手段を提供する、そういうものでしかないだろうから。したがって、私は彼らに私をほめるとかけなすとかいうことを求めるのではなくて、私の書いていることがたしかにその通りであるかどうか、彼らが自身のなかに読みとる言葉がたしかに私の書いた言葉であるかどうかを、私に告げることを求めるだけであろう(その点に関して、両者の意見に相違を来たすこともありうる、といってもそれは、かならずしも私がまちがっていたからそういうことが起こるとはかぎらないのであって、じつはときどきあることだが、その読者の目にとって、私の書物が、彼自身をよく読むことに適していない、ということから起こるのであろう)。本を読むとき、読者はそれぞれに自分自身を読んでいるので、それがほんとうの意味の読者である。作家の著書は一種の光学器械にすぎない。作家はそれを読者に提供し、その書物がなかったらおそらく自分自身のなかから見えてこなかったであろうものを、読者にはっきり見わけさせるのである。書物が述べていることを読者が自分自身のなかに認めることこそ、その書物が真実であるという証拠であり、すくなくともある程度、その逆もまた真なりであって、著者のテキストと読者のテキストのあいだにある食違は、しばしば著者にでなくて読者に負わせることができる。さらにつけくわえれば、単純な頭の読者にとって、書物が学問的でありすぎ、難解でありすぎることがある、そんなときはくもったレンズしかあてがわれなかったように、読者にはよく読めないことがあるだろう。しかし、それとはべつの特殊なくせ(倒錯のような)をもった読者の場合には、正しく読むために一風変わった読みかたを必要とすることもあるだろう。著者はそれらのことで腹を立てるべきではなく、むしろ逆に、最大の自由を読者に残して、読者にこういうべきである、「どれがよく見えるかあなたがた自身で見てごらん、このレンズか、あのレンズか、そちらのレンズか。」(プルーストの『見出された時』井上究一郎訳)

…………


だれが何病である(精神病理として)というのは、しばしばピント外れのように思えるものも多いし、あまりこういったことは書くべきではないのかもしれないが、国立音楽大学教授で医学博士の阪上正巳さんという方が、《シェーンベルクにパラノイア性,ベルクに循環病性および神経症性,ウェーベルンに統合失調症性》とされている記事にたまたまめぐり合った。

これにはなるほどと思わせるものがあり、ベルクについてはどうかは分からないが、シェーンベルクがパラノイア親和型で、ウェーベルンが分裂病親和型というのは、その音楽から受ける印象とぴったりである。

とくにウェーベルンについては、いままでに何度か、中井久夫の分裂症状のあり方を捉えようとする表現とともにその印象を書いている(たとえば「中井久夫と創造の病い」)。


・《奇妙な静けさとざわめきとひしめき》

・《もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する》





そもそもウェーベルンを聴いて「亡霊たちのざわめき」を聴かないでいるのはむずかしい(これはわたくしの場合であり、それぞれのひとにより、別の曲に「亡霊たちのざわめき」を聴く場合もあれば、そんな「ざわめき」に関心がないひともいるだろう。だが、たとえばシューベルトにデモーニッシュな響きを聴くというのとは、わたくしの場合、ウェーベルンは異質の感覚がある)。

青年期に一過性に分裂病を経験した人の数は予想以上に多数ではあるまいか。その後、社会的に活躍している人のなかにも稀れでないことは、狭い経験からも推定される。外国の例を挙げれば、哲学者ヴィトゲンシュタインは一九一三年にほとんど分裂病状態に陥っていたらしいことが最近刊行された書簡集によって知られるーー「亡霊たちのざわめきの中からやっと理性の声が聞こえてきました。……それにしても狂気からほんの一歩のところにいたのに気づかなかったとは」と。逆に二〇年以上分裂病を病んだロシアの舞踏家ニジンスキーは、大戦末期、医療をまったく受けえない状態で晩期寛解に至っていたのではあるまいか。(中井久夫『分裂病と人類』ーー中井久夫と創造の病い





あるいは、自転車で人ごみを突っ走って、切れ切れに耳に入ってきた音でももちろんよい(ウェーベルンは、しかしながら、もし統合失調症であったならば、後年やや回復したのではないか、後期の作品は兆候的なもののひしめきは、比較的穏やかになっている感を受ける。わたくしがよく聴くのは作品五から作品十一まで)。

オランダの臨床精神医学者リュムケは、正常者でもすべていわゆる分裂病症状を体験する、ただしそれは数秒から数十秒であると述べている。この持続時間の差がなにを意味するのか、と彼は自問する。

私は回復期において一週に一、二回、数十分から二、三時間、“軽症再燃”する患者を一人ならず診ている(慢性入院患者がごく短時間「急性再燃」を示すという報告も別にある)。なかでも、自転車で人ごみのなかを突っ走ると起こりやすい場合があるのは興味がある。当然、追いぬく人の会話の一句二句をひろって走ることになる。この切れ切れに耳に入ってきた人のことばは、それ自体はほとんどなにも意味しないのだが、いやそれゆえにと言うべきか、聴きのがせぬ何かの(たとえば自分への批評の)兆候となる。そこからさまざまな“異常体験”への裂け目がはじまる。しかし、じっとして“ふりまわされぬ”ようにしていれば、この兆候的なもののひしめく裂け目は閉じ、すべてが過ぎ去ることが判ってきて、そのようにしているとーーー決して愉快な時間ではないがーーーいつのまにか消えてゆく。この場合、ガラスにひびの走るように拡がって急速なパニックには陥らないわけで、どうやら多くの“分裂病性異常体験”は、その基底にある不安あるいは(対人的)安全保障喪失感の“量”というか根の深さいかんで、恐慌状態になる場合からほとんど看過ごされる場合まで実に大きな幅があるようだ。幻聴でも、すこし聴こえただけで参ってしまう人もあるが、「大学教授なら停年までつとめられる例がある」とも聞いた。もっとも、持続時間を決定している因子はまた別かも知れない。(同中井『分裂病と人類』)




2014年9月18日木曜日

クーによる身体の欲動の噴出

ナチによる大量虐殺に加担したのは熱狂者でもサディストでも殺人狂でもない。自分の私生活の安全こそが何よりも大切な、ごく普通の家庭の父親達だ。彼らは年金や妻子の生活保障を確保するためには、人間の尊厳を犠牲にしてもちっとも構わなかったのだ。(ハンナ・アーレント)

ーーと、ツイッターにて拾ったのだが、何度か引用した中島義道の次の言葉はアーレントのパクリなんだな。


ナチスを最も熱心に支持したのは、公務員であり教師であり科学者であり実直な勤労者であった。当時の社会で最も真面目で清潔で勤勉な人々がヒトラーの演説に涙を流し、ユダヤ人という不真面目で不潔で怠惰な「寄生虫」に激しい嫌悪感を噴出させたのである。(『差別感情の哲学』中島義道)
魔女裁判で賛美歌を歌いながら「魔女」に薪を投じた人々、ヒトラー政権下で歓喜に酔いしれてユダヤ人絶滅演説を聞いた人々、彼らは極悪人ではなかった。むしろ驚くほど普通の人であった。つまり、「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」であった。(中島義道『差別感情の哲学』)

パクリというのは何の問題もない。もちろん自らの体験から出てきた言葉が尊いには決っているが。

耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。(ジジェク『快楽の転移』)


ーーというわけで、

「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」であるのだけはやめとけよ、なあ、おい!

…………

総統のピアニスト(ヒトラーのお気に入りだった)Elly Neyエリー・ナイのシューマンのEtudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5に少し前びっくりして、彼女の他の録音をYouTubeでときどき聴いているのだが、わたくしには、ベートーヴェンの演奏はちょっと抵抗があるものが多い。

後期ベートーヴェンを、中期ベートーヴェンみたいにやられたら、オレの耳には我慢できないぜ、それがヒトラー好みだったら、趣味わるいな、やっぱりアイツ。もっともヒトラーが好んだワーグナーのオペラは,露骨にドイツ的な《マイスタージンガー》でも、東方の野蛮な遊牧民からドイツを防衛するために武器を取ることを訴える《ローエングリン》でもなくて、名誉や恩義などの象徴的義務にみちた日々の生活という昼を捨て去り、人を夜に埋没させて自己の死を恍惚として受容させる傾向をもつ《トリスタン》だったらしいが。

ところで、ヒトラーを「理解を超えた悪魔」として捉えるのではなく戦争神経症者(毒ガストラウマ)として捉えようとする立場もある。

第二次世界大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会議にも外傷が裏で働いていたかもしれない。

では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P88))

ーーで、何の話だったか?

エリー・ナイはシューマンがよい。すばらしくよい。




ひと月半ほど前、Schumann, Kinderszenen Op 15,Elly NeyがUPされており、昨晩気付いたのだが、これも、--上の演奏ほどではないがーー、とてもよい。





たまたま耳新しく聴いたのでことさら新鮮なのかもしれないが、今のわたくしには著名なハスキルやアルゲリッチの録音より、ずっと魅惑される(第十二曲Kind im Einschlummernの、やや速いテンポもいいなあ、ゆったりとした抒情過多の演奏きかされ過ぎだからなあ、--ところで、ゴダールの『映画史』の3Aでは、シューマンの「子供の情景」の二曲目が流れる。しばらくすると「ミス/クララ・ハスキル/と/一緒/に」との字幕がはいって、すぐに微笑したアルゲリッチの俯いた画像がCDの輪のなかに現われる、CDの上下には赤字で「エラー/マルタ・アルゲリッチ」と)。

エリー・ナイの演奏の魅惑は、ひょっとして打鍵(クー)によるところも大きいのではないか。

バルトは声について「きめ」(グラン)を間うたようにピアノについて「打つこと」(クー)を問う。

ルービンシュタインは打つことができない。許し難く凡庸な優等生アシュケナージはもちろん、時にすぱらしく重いピアニシモを聴かせる老練なブレンデル、そしておそらくポリーニさえ、打つことができないと言うべきだろう。

彼らは音楽の制度に余りにも見事に適合しているため、分節構造の内部のしかるベき位置に音を置いていくことしかできないのだ。

ナットやホロヴィッツは打つことを知っている。いや、打つというのは知ってできることでほない、彼らは音楽の制度から何ほどかずれているがゆえに、分節構造からはみ出るような音をどうしようもなく打ち出してしまうのである。(浅田彰『ヘルメスの音楽』

若い浅田彰ーー「ヘルメスの音楽」は1985年出版だから、28歳だなーー思い切ったこというねえ、アシュケナージやブレンデルはまだしも(ブレンデルだって、許し難く凡庸な優等生さ)、ポリーニさえ、打つことができないって言ってんだから。もちろんここで「敢えて」名前を外しているグールドは、クーのひとという評価に決まってるし(浅田彰の偏愛の対象だからな)、では「完璧主義者」のーー最近、老いのせいか人の名前を忘れることが多くなったよ、一分間ほど名が出てこないぜーーミケランジェリってのは、さあて、どういう評価してんだろ。ツイッターで音楽のこと書くなら、このくらいのこと書けよな、そこの若いの。ミケランジェリは、打つことができない、とかさ。

誤解されると困るから書いておくが、ステージで脳溢血で倒れた後の、ミケランジェリは、少なくとも完全にクーの人だぜ




ーーポリーニも脳溢血やるべきじゃないのかね

さて寄り道が長くなった。
ホロヴィッツはここでは脇にやり(Kinderszenenの話だぜ)、
イヴ・ナットの演奏を聴いてみよう。

まず、1930年の録音。




打つことにおいて身体の欲動が分節構造の只中に噴出する。だからといって、打つことを分節構造と双対をなす連続体の側に帰属させるようなことがあってはならない。

打つことはその両者の<間>であり境界点なのであって、打つ音のつらなりは連続体の側にも分節構造の側にも属さない独自のリズミックな運動体を形作るのである。

中沢新一は(「チベットのモーツァルト」の中で)連続体にポツンと点が打たれるときにもれる禅の笑いについて語っている。その点は連続体に属さないのと同様に分節構造にも属さず、あくまでも両者の<間>のパラドキシカルな場所にあってゆらめいている。ただそれだけのことが何ともいえずユーモラスな笑いを誘うのだ。

ひとたびそういう点のつらなったリズミックな運動体として世界をとらえることを知れば、硬直したニ元論や弁証法を持ち出す必要はさらになくなるだろう。バルトが「打つ音」と言うのも、まさにそのような点のことだと考えてよい。

半ば連続体に身をひたしつつそこからとび出そうとする点、自らのうちにずれや複数性を孕んだ点が、振動しながらつらなってレース模様を織りなしていくとき、そこに音楽が生まれる。(浅田 彰)

今のわたくしの耳には、次の1954年の録音よりも、上の1930年のほうが好ましい。そこではバルト=浅田彰のいう《打つことにおいて身体の欲動が分節構造の只中に噴出する》ことが目覚しい。





ーーホロヴィッツ、なんで外したんだって?
芸術家気取りのきみたち、ホロヴィッツきらいだろ、だからさ
「許し難く凡庸な優等生」をなんとかはずそうと
「不良」を気取っているそこの〈きみ〉もだよ

スヴャトスラフ・リヒテルBOT
(ホロヴィッツについて①)
……驚くべき人物、
それでいて不快極まりない、
それでいて卓越したうまさ(「音楽院」的な意味で)、
それでいて夢幻的な音色、という具合に何もかもが矛盾している。
何という才能!それでいて何という下卑た精神……。
(ホロヴィッツについて②)
これほどに気さくで、これほどに芸術家気質で、これほどに限界のある人物とは(いたずらっぽい笑い方を聞いてみよ、彼の姿を見よ)。
それでいて何という巨大な影響を若いピアニストたち(音楽家ではない)の感性に及ぼしたことか。
すべてがあまりにも不可思議だ……。
(ホロヴィッツについて③)
加えてあの「陰険な」ワンダ[ホロヴィッツ夫人]が、例のいわゆる「寛容」にして助力を惜しまぬ女性がいつも傍らに待機して、何事にも目を光らせている。
ほかに何と言ったらよいかわからない。(11月13日



2014年9月5日金曜日

平均律の演奏家たち




名手たちの聴き比べだが、アンドラーシュ・シフ(András Schiff )は、こうやって断片だけ取り出すと水際立っているように感じるときがある、ーー新鮮な果実を果汁を滴らせながらかぶりついている感覚とでもいったらいいのだろうかーー、そうかといって全曲を聴き通すと、わたくしの場合、ゴールドベルグだけでなく、他の演奏でも、退屈してしまうことが多い(エロスが足りないのじゃないか、シフには。性戯は不得手そうだからなあ)。平均律などシフの演奏で通して聴いてみようとは思わない。いま通してしばしば聴くのはアファナシェフだ。この二週間ほどはこうやってブログなどを書いているときは、ピアノ演奏なら彼のバッハを聴いていたのだか、さすがにそろそろ飽きてこないでもない(そもそも平均律を通して聴くというのは邪道なのだろうが)。上のゴールドベルグを聴けば分かるようにバレンボイムも、あるいはポリーニの平均律も、--この男根主義者たちめ!ーーバッハは向かないぜ。

この平均律のニ長調のプレリュードを聴き比べたって、シフの演奏はすばらしい(まてよ、何度も聴いていると、最初最も退屈だったRosalyn Tureckがなぜかよくなってくるのだな……)。






グールドのバッハ演奏を聴いて育ったようなところがあるのだが、平均律だけは、最初にスヴャトスラフ・リヒテルのレコードーーわたくしの少年時代はレコードの時代だーーを購入している。それと殆ど同時に、たぶん、三ヶ月も経ずに、グレン・グールドのものを手に入れた。このグールドの平均律の録音演奏は全体としては、正直リヒテルのものほど魅了されなかった。むしろいくつかの曲については失望さえ覚えた。そしてその反動か、当時、リヒテルとグールドの録音とともに評判の高かったフリードリヒ・グルダの演奏録音をも手に入れた。この三者の演奏で、四十八曲あるプレリュードとフーガのどれが気に入ったのかというのはそれほど熱心にききくらべたわけではないので言いがたいが、よく聴いた順序は、リヒテル、グルダ、グールドの順ではあった。もっとも平均律に限らなければバッハのピアノ演奏のなにかを聴くというのではグールドのCDを聴くのが突出しているし、それはその後も、この現在まで、変わらない。たとえばグールドの平均律二巻の九番ホ長調フーガのレコード版とのちほど演奏されたヴィデオ版のなんという魅力の違うこと! →「バッハ平均律2巻第9番フーガの構造分析(グレン・グールド)

グレン・グールド、「バッハのもっとも偉大な演奏者」。

グレン・グールドは自分のバッハを発見した。そしてその意味ではそのような讃辞を受けるに値する人物だ。彼の主たる美点は音色面にあると思える。それはまさにバッハに相応しいものだ。

とはいえ、バッハの音楽は私に言わせればもっと深く、もっと厳しいものを要求する。然るにグールドにおいては、一切がちょっとばかり輝かしすぎ、外面的すぎる。その上、一切の繰り返しを行わない。これは許せない。つまりはバッハの音楽をそれ程愛してはいないということなのだ (リヒテル)

リヒテルのいう輝かしすぎ、外面的すぎるのが、グールドの平均律のいくつかの演奏では、もっとも気になったということかもしれない。ーーなどとグールドを貶したままではいられないので、ここはシュネデールの言葉を引用して、反作用としてのグールド賛をしておこう。

… ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトゥーロ・べネデッティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのぼらせる。(『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネーデル千葉文夫訳)

 平均律といえば第一巻の最終曲ロ短調が当時はひどく崇められており、少年時のことでわたくしもその尻馬に乗り至宝を扱うように熱心に聴いたのだが、リヒテルグルダに比べてグールドはいまでもわたくしにはちょっといけない。少年時

リヒテルの沈潜した演奏に魅了されたのだが、たとえばさらに沈みこんだような演奏ユーリー・エゴロフーー彼は若くしてエイズで逝っているーー彼のものは最近になって初めて聴いたのだが、驚くべき、だが息が詰るような演奏だ。今のわたくしにはおそらく何度も繰り返して聴くのに耐えられそうもない。




《何度も繰り返して聴くのに耐えられそうもない》とは、もちろん修辞学的誇張である。音への、パートナーへの愛撫の仕方をよくわきまえた男の演奏だ。

エロスは、美しい肢体(てあし)を楽しく揃え、
すんなりと伸びた背丈の型をこね、
やさしいかんばせを整え、
さて、眉と眼と唇に指先を触れて
特別の触れ跡を残したのではないか。

ーーカヴァフィス「カフェの扉にて」 中井久夫訳


あるいは、音と沈黙は、どちらが地で図なのだろう、という問いを発してみたくなる演奏だ。
そして《答がある問いは ほんとうの問いではない》

沈黙は音と限りなく接していて、 音が次第に微かになり、消えていくとき、 音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。 逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、 ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。(高橋悠治


ここでは一息入れて、多くのバッハ演奏でそのペダル多用が気にならないでもない旧世代のエトヴィン・フィッシャーの、だが平均律ロ短調のすばらしく軽やかな演奏を聴いてみる。少なくともこのプレリュードはわたくしにはとても新鮮だ(フーガは? ノーコメント)。





内田光子は、「もし70歳まで生きたらバッハの前奏曲とフーガを全48曲を観客の前で演奏したい」と語っているが、さて、ある種の演奏ではその抒情過多が鼻につく気味がないでもないーーシツレイ!ーーその彼女が演奏する平均律はどんなぐあいの演奏になるのだろうか。

ピアニストにはわたしのようにショパンを弾くタイプとリストを弾くタイプがあります。ショパンの美しさは例えようもないものです。詩的な感性のみならず明確な方向性を持っていて、緻密さも兼ね備えています。ショパンの明確さと緻密さは、モーツァルトの作品と通じるところがありますね。見過ごしがちなことですが、各音符は然るべき場所に存在し重要な意味があります。単に美しい旋律が浮かんでくるのではありません。彼はバッハの音楽を細部まで暗記していました。ショパンはまことの音楽の源はバッハだと信じていたのです。ベートーヴェンは支持しませんでしたが、モーツァルトについては高く評価し尊敬していました。

 この先古い音楽と現代音楽の距離は縮まるでしょうか・・・半ば冗談で言わせてください。〝もし70歳まで生きたらバッハの前奏曲とフーガを全48曲を観客の前で演奏したい〟とね。

 私は一人で弾いたり室内楽団と一緒に演奏することが好きです。また声楽家との共演を好み、シューベルトやシューマンの歌曲を愛しています。何よりリートの伴奏者としての演奏は私に向いているでしょう。(内田光子インタヴュー

…………

バッハのフーガは存在の主観外的な美を凝視させることによって、私たちに自分の気分、情熱と悲哀、自分自身を忘れさせたがるのに反して、ロマン派の旋律は私たちを自分自身のなかに沈みこませ、恐るべき強度で私たちの自我を感じさせ、外部にあるいっさいのものを忘れさせたがる。(クンデラ『裏切られた遺言』)