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2014年11月13日木曜日

「悪魔と青い深海のあいだ」、あるいは美しい男たち


ズッキーニ@香港 ‏@Zuki_Zucchini

明報によると、和平佔中の発起人、戴耀廷、陳健民と朱耀明は来週の金曜日、21日に自首する見込み via @Hongkongdash //《明報》今日報道,佔中三名發起人戴耀廷、陳健民與朱耀明,已計劃下周五(21日)自首。http://fb.me/6UwSTT8ah

戴耀廷


陳 健民


朱耀明

ただの大学の教師たちのような印象の彼らも正念場ではあんなに美しくなる。サルトルやフーコー、ゴダール、ジュネやドゥルーズらと同じくらい美しい。もっとも日本の初老の学者たちに、頭を丸めポロシャツを着て似合う男たちがいるかどうかーーそもそもそんなことをする気になる連中がいるのかどうかーーは知るところではない。

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)

まさか21世紀に入って10年以上経った今でも、精神上の中産階級でありつづけ、気概のかけらもない学者先生ばかりではあるまい?




「フーコー当人からして、すでに正確な意味で人称とはいえないような人物だったわけですからね。とるにたりない状況でも、すでにそうだった。たとえばフーコーが部屋に入ってくるとします。そのときのフーコーは、人間というよりも、むしろ大気の状態の変化とか、一種の<事件>、あるいは電界か磁場など、さまざまなものに見えたものです。かといって優しさや充足感がなかったわけでもありません。しかし、それは人称の序列に属するものではなかったのです」(ドゥルーズ








 (DELEUZE, GODARD, MARLON BRANDO)

…………

ここでなぜか開高健の晩年の名品「玉、砕ける」を引用する。すなわち冒頭の画像の左右の二人朱耀明ーーあるいは陳健民もいくらかーーは開高健の短篇に出てくる「張立人」の生まれ変わりではないかなどと一瞬思ってしまったせいだ。また開高健は真中の戴耀廷にいささか似ていないでもない。

だが三島由紀夫や丹生谷貴志により、開高健への強い批判があったことは忘れないでおこう(参照:丹生谷貴志「個人史を巡る旅:中上健次を巡る旅」)。

あるいはこれはわたくしの思い違いかも知れないが、敢えてここで引用しておこう。

遅い時刻のテレヴィ番組の、一応は文化的な情報を提供する姿勢で作られているものに、まだ俳優だった吾良が出演した。ヨーロッパに留学した時間こそ短いが、いまはパリの社交界にも知己が多いという作曲家が一緒だった。そのパリで仕立てたタキシードと、吾良の方は自分でデザインして洋服屋に作らせたマオカラーの長い上衣がーー黒い繻子の底に臙脂色の艶がほのめいているーー、番組序幕のスタジオを圧するようであったものだ。

しばらく両者の話し合いがあり、その間もかれらはシャンパンを飲んでいたのだが、そこへやはりタキシードを着てシャンパン・グラスを手にした小説家が加わった。ヨーロッパ文化と風俗、とくに美食について一家言ある小説家の、語り口こそ陽気だが、古義人も知っているかれは、そうした表層とはまた別の、むしろ閉鎖的な性格なのだ。マスコミにおいても、海外の文化界でも、自分の才能と見識にみあうーー等身大の、というのが口癖だったーー対応を受けていない、と憤おることのある難しい人だった。そのうち進行が渋滞した。(大江健三郎『取り替え子』)





それにもかかわらず、この晩年の小品は美しい。

…………

玉、砕ける」 開高健

九竜半島の小さなホテルに入ると、よれよれの古い手帖を繰って張立人の電話番号をさがして、電話をかける。張が留守のときには、私は菜館のメニュを読むぐらいの中国語しか喋れないから、私の名前とホテルの名前だけをいって切る。翌朝、九時か十時頃にあらためて電話をすると、きっと張の、初老だけれど迫力のある、炸(はじ)けたような、流暢な日本語の挨拶が耳にとびこんでくる。そこでネイザン・ロードの角とか、スター・フェリーの埠頭とか、ときには奇怪なタイガー・バーム公園の入口とかをうちあわせて、数時間後に会うことになる。張はやせこけてしなびかかった初老の男だが、いつも、うなだれ気味に歩いてきて、突然顔をあげ、眼と歯を一度に剥(む)いて破顔する癖がある。笑うと口が耳まで裂けるのではあるまいかと思うことが、ときにあるけれど、タバコで色づいた、そのニュッとした歯を見ると、私はほのぼのとなる。ニコチン染めのそのきたならしい歯を見たとたんに歳月が消える。

顔を崩して彼がいちどきに日本語で何やかや喋りはじめると、私は黴の大群がちょっとしりぞくのを感ずる。それはけっして消えることがなく、いつでもすきがあればもたれかかり、蔽いかかり、食いこみにかかろうとするが、張と会ってるあいだは犬のようにじっとしている。私は張と肩を並べて道を歩き、目撃してきたばかりのアフリカや中近東や東南アジアの戦争の話をする。張ははずむような足どりで歩き、私の話をじっと聞いてから、舌うちしたり、呻いたりする。そして私の話がすむと、最近の大陸の情勢や、左右の新聞の論説や、しばしば魯迅の言説を引用したりする。数年前にある日本人の記者に紹介されていっしょに食事したのがきっかけになり、その記者はとっくに東京へ帰ってしまったけれど、私は香港へくるたびに張と会って、散歩をしたり、食事をしたりする習慣になっている。しかし、彼の家の電話番号は知っているけれど、招かれたことはなく、前歴や職業のこともほとんど私は知らないのである。日本の大学を卒業しているので日本語は流暢そのもので、日本文学についてはなみなみならぬ素養の持主だとはわかっているけれど、小さな貿易商店で働きつつ、ときどきあちらこちらの新聞に随筆を書いてポケット・マネーを得ているらしいとしかわからない。彼は私をつれて繁華なネイザン・ロードを歩き、スイスの時計の看板があって『海王牌』と書いてあれば、それはオメガ・シー・マスターのことだと教えてくれる。小さな本屋の店さきでよたよたの挿絵入りのパンフレットをとりあげ、人形がからみあっている画のよこに『直行挺身』という字があるのを見せ、正常位のことだと教えてくれたりする。また、中国語ではホテルのこと××酒店、レストランのことは△△酒家という習慣であるけれど、なぜそうなのかは誰にもわからないと教えてくれたりするのである。

 最近数年間、会えばきっと話になるけれどけっして解決を見ない話題がある。それは東京では冗談か世迷言と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である。白か黒か。右か左か。有か無か。あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなければ殺す。しかも沈黙していることはならぬといわれて、どちらも選びたくなかった場合、どういって切りぬけたらよいかという問題である。二つの椅子があってどちらかにすわるがいい。どちらにすわってもいいが、二つの椅子のあいだにたつことはならぬというわけである。しかも相手は二つの椅子があるとほのめかしてはいるけれど、はじめから一つの椅子にすわることしか期待していない気配であって、もう一つの椅子を選んだらとたんに『シャアパ(殺せ)!』、『ターパ(打て)!』、『タータオ(打倒)!』と叫びだすとわかっている。こんな場合にどちらの椅子にもすわらずに、しかも少くともその場だけは相手を満足させる返答をしてまぬがれるとしたら、どんな返答をしたらいいのだろうか。史上にそういう例があるのではないだろうか。数千年間の治乱興亡にみちみちた中国史には、きっと何か、もだえぬいたあげく英知を発揮したものがいるのではないか。何かそんな例はないものか。名句はないものか。

 はじめてそう切りだしたのは私のほうからで、どこか裏町の小さな飲茶屋でシューマイを食べているときだった。いささか軽い口調で謎々のようないいかたをしたのだったが、張はぴくりと肩をふるわせ、たちまち苦渋のいろを眼に浮べた。彼はシューマイを食べかけたまま皿をよこによせ、タバコを一本ぬきだすと、鶏の骨のようにやせこけた指で大事そうに二度、三度撫でた。それからていねいに火をつけると深く吸いこみ、ゆるゆる煙を吐きながら、呟いた。

「馬でもないが虎でもないというやつですな。昔の中国人の挨拶にはマーマーフーフーというのがあった。字で書くと馬馬虎虎です。なかなかうまい表現で、馬虎主義と呼ばれたりしたもんですが、どうもそう答えたんではやられてしまいそうですね。あいまいなことをいってるようだけれど、あいまいであることをハッキリ宣言してるんですからね、これは。これじゃ、やられるな。まっさきにやられそうだ。どう答えたらいいのかな。厄介なことをいいだしましたな」

 つぎに会うときまでによく考えておいてほしいといってその場は別れたのだったが、張はつよい打撲をうけたような顔で考えこみ、動作がのろのろしていた。シューマイを食べかけたままほうってあるのでそのことをいうと、彼は苦笑して紙きれに何か書きつけ、食事のときにはこれが必要なんですといった。紙きれには『莫談国事』とあった。政治の議論をするなということであろう。私は何度も不注意を謝った。

 その後、一年おいて、二年おいて、ときには三年おいて、香港に立寄るたびに張と会い、散歩したり食事したりしながら——すっかり食事が終ってからときめたが——この命題をだしてみるのだが、いつも彼は頭をひねって考えこむか、苦笑するか、もうちょっと待ってくれというばかりだった。私は私で彼にたずねるだけで何の知恵も浮ばなかったから、謎は何年たっても謎のまま苛酷の顔つきの朦朧として漂っている。もしそんな妙手があるものとすればみんながみんな使いたがるだろうし、そういう状況は続発しつづけるばかりなのだから、そうなれば妙手はたちまち妙手でなくなる。だから、やっぱり謎のままでこれはのこるしかないのかもしれなかった。しかし、ときには、たとえば張があるとき老舎の話をしてくれたとき、何か強烈な暗示をうけたような気がした。ずっと以前のことになるが文学代表団の団長として老舎は日本を訪れたが、その帰途に香港に立寄ったことがある。張はある新聞にインタヴュー記事を書くようたのまれてホテルへでかけた。老舎は張に会うことは会ってくれたが、何も記事になるようなことは語ってくれなかった。革命後の知識人の生活はどうですかと、しつこくたずねたのだけれど、そのたびにはぐらかされた。あまりそれが度重なるので、張は、老舎はもう作家として衰退してしまったのではないかとさえ考えはじめた。ところがそのうちに老舎は田舎料理の話をはじめ、三時間にわたって滔々とよどみなく描写しつづけた。重慶か、成都か。どこかそのあたりの古い町には何百年と火を絶やしたことのない巨大な鉄釜があり、ネギ、白菜、芋、牛の頭、豚の足、何でもかでもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮たてる。客はそのまわりに群がって柄杓で汲みだし、椀に盛って食べ、料金は椀の数できめることになっている。ただそれだけのことを、老舎は、何を煮るか、どんな泡がたつか、汁はどんな味がするか、一人あたり何杯ぐらい食べられるものか、徹底的に、三時間にわたって微細、生彩をきわめて語り、語り終ると部屋に消えた。

「……何しろ突然のことでね。あれよあれよというすきもない。それはもうみごとなものでしたね。私は老舎の作品では『四世同堂』よりも『駱駝祥子』のほうを買ってるんですが、久しぶりに読みかえしたような気特になりました。あの『駱駝祥子』のヒリヒリするような辛辣と観察眼とユーモアですよ。すっかり堪能して感動してホテルを出ましたね。家へ帰っても寝て忘れてしまうのが惜しくて、酒を飲みましたな。焼酎のきついやつをね」

「記事にはしなかったの?」

「書くことは書きましたけれど、おざなりのおいしい言葉を並べただけです。よくわかりませんが老舎は私を信頼してあんな話をしてくれたように思ったもんですからね。それにこの話は新聞にのせるにはおいしすぎるということもあって」

張はやせこけた顔を皺だらけにして微笑した。私は剣の一閃を見るような思いにうたれたが、その鮮烈には哀切ともつかず痛憤ともつかぬ何事かのほとばしりがあった。うなだれさせられるようなものがあった。二つの椅子のあいだには抜道がないわけではないが、そのけわしさには息を呑まされるものがあるらしかった。イギリス人はこの事を“Between devils and deep blue sea ”(悪魔と青い深海のあいだ)と呼んでいるのではなかったか?……

「これは風呂屋ですよ。澡堂(そうどう)というのは銭湯のことです。ただ湯につかるだけではなく垢も落してくれるし、按摩もしてくれるし、足の皮も削ってくれるし、爪も切ってくれます。あなたは裸になって寝ころんでるだけでいいんです。眠くなれば好きなだけ眠ればいいんです。澡堂もいろいろですけれど、ここは仕事がていねいなので有名です。帰りには垢の玉をくれます。いい記念ですよ。一つどうです。布を三種類、硬いのやら柔らかいのやらとりかえて、手に巻いて、ゴシゴシやる。びっくりするほどの垢がでる。それをみんな集めて玉にしてくれる。面白いですよ」

 明日は東京へ発つという日の午後遅く、張と二人でぶらぶら散歩するうち、『天上澡堂』と看板をかけた家のまえを通りかかったとき、張がそういって足をとめた。私がうなずくと彼はガラス扉をおして入っていき、帳場にいた男にかけあってくれた。男は新聞をおいて張の話を聞き、私を見て微笑し、手招きした。張は用事があるのでこのまま失礼するがあすは空港まで見送りにいくといって、帰っていった。

 帳場の男は椅子からたちあがると、肩も腰もたくましい大男であった。手招きされるままについていくと、壁の荒れた、ほの暗い廊下を通って小さな個室につれこまれた。個室には簡素なシングル・ベッドが二つあり、一つのベッドに白いバス・タオルを巻きつけた客が俯伏せになって寝ていて、爪切屋らしい男が一本の足をかかえこんで、まるで馬の蹄を削るようにして踵の厚皮を削っていた。帳場の男が身ぶり手真似で教えるので私はポケットの財布、パスポート、時計などをつぎつぎと渡す。男はそれをうけとると、サイド・テーブルのひきだしにみんな入れ、古風で頑強な南京錠をかけた。その鍵は手ずれした組紐で男の腰のベルトにつながれている。安心しろという顔つきで男は微笑し、腰を二、三度かるくたたいてみせて出ていった。服やズボンをぬいで全裸になると、白衣を着た、慈姑のような、かわいい少年が入ってきて、バス・タオルを手早く背後から一枚、腰に巻きつけてくれ、もう一枚、肩にかけてくれる。手真似で誘われるままに個室を出ると、草履をつっかけてほの暗い廊下をいく。そこが浴室らしいが、べつの少年が待っていて、手早く私の体からバス・タオルを剥ぎとった。ガラス扉をおすと、ざらざらのコンクリートのたたきがあり、錆びた、大きなシャワーのノズルが壁からつきでていて、湯をほとばしらせている。それで体を洗う。

 浴槽は大きな長方形だが、ふちが幅一メートルはあろうかと思えるほど広くて、大きくて、どっしりとした大理石である。湯からあがった先客がそこにタオルを敷いてもらってオットセイのようにどたりとよこたわっている。全裸の三助が繃帯を巻きつけてその団々たる肉塊をゴシゴシこすっている。おずおずと湯につかると、それは熱くもなく、冷たくもなく、何人もの男たちの体で練りあげられたらしくどろんとして柔らかい。日本の銭湯のようにキリキリと刺しこんでくる鋭い熱さがない。ねっとり、とろりとした熱さと重さでたゆたっている。壁ぎわにたくましいのと、細いのと、二人の三助が手に繃帯を巻いて全裸でたち、私があがるのを待っている。たくましい男のそれがちんちくりんのカタツムリのように見え、やせた男のが長大で図太くて罪深い紫いろにふすぼけて見える。それは何百回、何千回の琢磨でこうなるのだろうかと思いたいような、実力ある人のものうさといった顔つきでどっしりと垂れている。嫉妬でいらいらするよりさきに思わず見とれてしまうような逸品であった。それを餓鬼のようにやせこけた、貧相な小男がぶらさげていて、男の顔には誇りも傲りもなく、ただ私が湯から這いあがってくるのをぼんやりと待っている。私が両手でかくしながら湯からあがると、男はさっとバス・タオルをひろげ、私に寝るように合図する。

 張がいったように垢すりの布は三種ある。一つは麻布のように硬くてゴワゴワし、これは腕や尻や背や足などをこする。ちょっと綿布のように柔らかいのは脇腹とか、腋とかをこするためである。もっとも柔らかいのはガーゼに似ているが、これは足のうらとか、股とか、そういった、敏感で柔らかいところをこするためである。要所要所によってその三種の布をいちいち巻きかえとりかえ、そのたびにまるで繃帯のようにしっかりと手に巻きつけてこするのである。手をとり、足をとり、ひっくりかえし、裏返し、表返し、男は熟練の技で、いささか手荒く、けれど芯はあくまでも柔らかくつつましやかにといったタッチでくまなくこする。しばらくすると、ホ、ホウと息をつく気配があり、口のなかでアイヤーと呟くのが聞えたので、薄く眼をあけてみると、私の全身は、腕といわず腹といわず、まるで小学生の消しゴムの屑みたいな、灰いろのもろもろで蔽われているのだった。男は熱意をおぼえたらしく、いよいよ力をこめてこすりはじめる。それはこするというよりは、むしろ、皮膚を一枚、手術としてでなく剥ぎとるような仕事であった。全身に密着した垢という皮膚をじわじわメリメリと剥ぎとるような仕事であった。男は面白がって、ひとりでホ、ホウ、アイヤーと呟きつつ、頭のほうへまわったり足の方へまわったりして丹念そのものの仕事にはげんでくれた。そのころにはもう私は羞恥をすべて失ってしまい、両手をまえからはなし、男が右手をこすれば右手を、左手をこすれば左手を、なすがままにまかせた。一度そうやってゆだねてしまうと、あとは泥に全身をまかせるようにのびのびしてくる。石鹸をまぶして洗い、それを湯で流し、もう一度浴槽に全身を浸し、あがってきたところで二杯、三杯、頭から湯を浴びせられ、火のかたまりのようなお紋りで全身をくまなく拭ってくれる。

「ハイ、これ」

 そんな口調でニコニコ笑いながら手に垢の玉をのせてくれた。灰いろのオカラの玉である。じっとり湿っているが固く固く固めてあって、ちょうど小さめのウズラの卵ぐらいあった。それだけ剥ぎとられてみると、全身の皮膚が赤ん坊のように柔らかく澄明で新鮮になり、細胞がことごとく新しい漿液をみたされて歓声あげて雀躍(こおど)りしているようであった。

 個室にもどってベッドにころがりこむと、かわいい少年が熱いジャスミン茶を持って入ってくる。寝ころんだままでそれをすすると一口ごとに全身から汗が吹きだしてくる。少年が新しいタオルを持ってきて優しく拭いてくれる。爪切屋が入ってきて足の爪、手の爪、踵の厚皮、魚の目などを道具をつぎつぎとりかえて削りとり、仕事が終ると黙って出ていく。入れかわりに按摩が入ってきて黙って仕事にかかる。強力で敏感な指と掌が全身をくまなく這いまわって、しこりの根や巣をさがしあて、圧したり、撫でたり、つねったり、叩いたりして散らしてしまう。どの男も丹念でしぶとく、精緻で徹底的な仕事をする。精力と時間を惜しむことなく傾注し、その重厚な繊細は無類であった。彼らの技にはどことなく重量級の選手が羽根のように軽く縄跳びをするようなところがある。涼しい靄が男の強靭な指から体内に注入され、私は重力を失って、とろとろと甘睡にとけこんでいく。


…………

カボチャ頭たちに奇態な教訓を読み取られないように(誤読されないように)次ぎのように引用しておこう。

学者や芸術家とつきあうときに、人はまったく逆の評価をしてしまいがちである。すぐれた学者を凡庸な人物だと思い込むことが多いしー、凡庸な芸術家をーきわめてすぐれた人物だと思い込んでしまうものだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』)
芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』p315
自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが、…… 同P461)


2014年10月16日木曜日

見出された「権力への意志」=「死の欲動」

ドゥルーズの『差異と反復』に、ここ数日、権力への意志=死の欲動をめぐって書いた内容がすべて書かれている。マイッタネ、--英訳しか手元になくて読むのを敬遠してたんだけど。

When Kierkegaard speaks of repetition as the second power of consciousness, 'second' means not a second time but the infinite which belongs to a single time, the eternity which belongs to an instant, the unconscious which belongs to consciousness, the 'nth' power. And when Nietzsche presents the eternal return as the immediate expression of the will to power, will to power does not at all mean 'to want power' but, on the contrary: whatever you will, carry it to the 'nth' power - in other words, separate out the superior form by virtue of the selective operation of thought in the eternal return, by virtue of the singularity of repetition in the eternal return itself. Here, in the superior form of everything that is, we find the immediate identity of the eternal return and the Overman.
The Proustian formula 'a little time in its pure state' refers first to the pure past, the in-itself of the past or the erotic synthesis of time, but more profoundly to the pure and empty form of time, the ultimate synthesis, that of the death instinct which leads to the eternity of the return in time.

永劫回帰とはキルケゴール的な意味での「反復」とされている(参照:二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」)。

希望は腕の間をすり抜けていく可愛い娘である。想起は今ではもう役に立たない美しい老婦人である。反復は、けっしてあきることのない愛妻である。なぜなら、あきがくるのは新しいものだけだからである。古いものはけっしてあきることがない。(キルケゴール)
同一的な規則を前方に想定するような行為は「想起」(キルケゴール)にほかならないが、そうでない行為、規則そのものを創りあげてしまうような行為は、「反復」または「永劫回帰」とよばれる。(ドゥルーズ『探求Ⅱ』)

この英訳では"death instinct”となっているが、これはラカン派なら"death drive”(死の欲動)であり、プルーストの 'a little time in its pure state' 《きらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間》は、死の欲動にかかわり、永劫回帰にも関係するとされている(そして永劫回帰は権力の意志の表現と)。

権力への意志が原始的な欲動形式であり、その他の欲動は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)
私が説く教義は、こうである。「きみがいま経験している生を、再び生きたいと当然願うことになるような仕方で、生きよーーそれこそが義務なのだ。なぜなら、いずれにせよ、きみはその生を再び生きることになるのだから! 努力することが最高の歓びである者は、充分に努力すればよい! なによりも休息を好む者は、ゆっくり休めばよい! なによりもまして服従するのが好きな者、従順で、後につき従うのが好きな者は、思う存分服従するがよい! ただしそういう者は誰であれ、自分の選択が優先的にどこへ向かうのかは知っておかねばならない。またいかなる手段を前にしたときでも、けっしてたじろいだり、後込みしたりしたはらなない! そこで問題となっているのは、それが永遠に反復されるということなのだから」。

この教義は、それを信仰しない人々に対してまったく厳格ではない。地獄墜ちになるとか、その他さまざまの脅迫など少しも持たない。ただそれを信仰しない者は、自らのうちにすぐに消え去る、束の間の生命しか感じ取ることはないであろう。(1881年の「遺された断想」より『〈力〉への意志』第四部――ドゥルーズ『ニーチェ』からの孫引き 湯浅博雄訳)
私がなにを欲するにせよ(たとえば私の怠惰、貪欲、臆病、あるいは私の美徳でもよいし悪徳でもよい)、私はそれが永遠に回帰することもまた欲するような仕方で、それを欲するのでなければならない。「生半可な意志」たちの世界はふるい落とされる。「一度だけ」という条件でわれわれが欲するようなものは、すべてふるい落とされるのである。たとえ臆病、怠惰であっても、それが自らの永遠の回帰を欲するとするならば、怠惰や臆病とは別のものになるだろう。それらは能動的になり、そして肯定の〈力〉となるであろう。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 文庫P67)


ドゥルーズの言う死の欲動とは、実は「死なない」衝動であり、永遠の反復衝動である。

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動とはいわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

死の欲動とはアンデルセンの童話「赤い靴」なんだ
少女が赤い靴を履くと靴は勝手に動き出し
彼女はいつまでも踊り続けなければならない
靴は少女の無限の欲動ということになるわけだ

灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その反復運動
おれたちの生はTriebmischung(エロスとタナトスの欲動融合)なのさ
いわれてみればあたりまえなんだけどな(赤い靴と玄牝の門

-- というわけで、プルーストの見出された時から引用しておこう。

単なる過去の一瞬、それだけのものであろうか? はるかにそれ以上のものであるだろう、おそらくは。過去にも、そして同時に現在にも共通であって、その二者よりもさらにはるかに本質的な何物かである。これまでの生活で、あんなに何度も現実が私を失望させたのは、私が現実を知覚した瞬間に、美をたのしむために私がもった唯一の器官であった私の想像力が、人は現にその場にないものしか想像できないという不可避の法則にしばられて、その現実にぴったりと適合することができなかったからなのであった。ところが、ここに突然、そのきびしい法則の支配力が、自然のもたらした霊妙なトリックによって、よわまり、中断し、そんなトリックが、過去と現在とのなかに、同時に、一つの感覚をーーフォークとハンマーとの音、本のおなじ表題、等々をーー鏡面反射させたのであった。そのために、過去のなかで、私の想像力は、その感覚を十分に味わうことができたのだし、同時に現在のなかで、物の音、リネンの感触等々による私の感覚の有効な発動は、想像力の夢に、ふだん想像力からその夢をうばいさる実在の観念を、そのままつけくわえたのであって、そうした巧妙な逃道のおかげで、私の感覚の有効な発動は、私のなかにあらわれた存在に、ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆるしたのであった。あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのである。ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまりにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?(井上究一郎訳)


前には書かなかったけれど、大江健三郎の「一瞬よりはいくらか長く続く間」ってのは、もちろんプルーストからのパクリさ、--《きらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間》

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。(大江健三郎)

というわけで、死の欲動やら権力への意志やらぐたぐた考えずにーーやっぱりたいていの学者ってのは阿呆だね、阿呆というか不感症というのか……このふたつの概念をめぐって論じるのはいいのだけれど(いやいや同時に論じいているやつは日本にはいそうもないな)、みずからの「永遠」の刻限がなさそうな連中ばかりだからな、いくら堅い論文でも、この己れの「正午」があれば文章に「痕跡」が残るはずだが、その気配が微塵もないような論文ばかりさーー、いずれにせよプルーストのいう《きらりとひらめく一瞬の持続の時間》、その、時間が垂直に立ち上がる「永遠」の刻限、これを味わうのが、真の人生だぜ、--《「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?》

ニーチェの「正午」でも西脇の「正午」もそのうちのひとつさ、(神々しいトカゲ)。

開け胡麻! ってわけさ、「扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種」。

別になにも高級な芸術作品でなくてもいいんだよ、
プルーストは石鹸の広告でいっていってるぜ。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳

というわけで、きみたちも「正午」を探せよ。

ニーチェも正午を探していると言っていた。垂直に光が差す。影の消える刻限。一瞬だけ原型さえもが見えなくなる。夜は思い出でさえなくなり、昨日のなかへ遠ざかり、消滅する。樹々の影も一瞬消え失せ、キリコの絵のなかの街路も、また別の日常の神秘に覆われることになる。見回しても、輪遊びしている少女もいない。ありえない蒸発、停止。諸々の生の停滞、とランボーがうんざりして言ったのはこのことではない。そうではなく、ただひとつの停止。あっという間のことである。一瞬だけ感情も来歴も何もかもが外に追い出される。お払い箱なのだ。(正午を探す街角




2014年9月21日日曜日

精神的な痴漢たち

痴漢たちは、発見され処罰されることをきわめて深く懼れているものの、同時に、その危険の感覚なしには、かれの快楽は薄められあいまいになり衰弱し、結局なにものでもなくなる。禁忌が綱渡り師にその冒険の快楽を保証する。そして痴漢たちが安全にかれの試みをなしとげると、その瞬間、安全な終末が、サスペンスのなかの全過程の革命的な意味を帳消しにしてしまうのである。結局、いかなる危険もなかったのだから、いままで自分の快楽のかくれた動機だった危険の感覚はにせに過ぎなかったのであり、すなわち、いまあじわい終わったばかりの快楽そのものがにせの快楽だと、痴漢たちは気がつく。そして再びかれはこの不毛な綱渡りをはじめないではいられない。やがて、かれらが捕えられ、かれの生涯が危機におちいり、それまでのにせの試みがすべて、真実の快楽の果実をみのらせるまで……(大江健三郎『性的人間』新潮文庫 P78~)

海に向かって南西に延びる半島の付け根にある地方都市。その町の私鉄郊外電車に乗って、少年は高校に通う。四両編成ののんびりした電車だ。おおくの高校生たちは、決った車輌の決ったドアから乗り込む、たとえば後ろから二つ目の車輌の後ろの扉から、というように。もちろん東京の通勤電車ほどには混みあっていないが、この路線のいくつかの駅の傍にはいくつもの高等学校があり、毎朝、鼻面に同じ年輩の少年少女の体臭が掠めるほどには混んでいる、そこでは躰が圧迫されるほどではないが、ときに肩や腕、あるいは手の甲は触れ合い、車輌が傾けば膝や太腿などが絡み合う。授業中の教室の鎮まり返ったにおいが滲み込んでいる制服の布地に鼻腔を押し拡げたり、眼前にある脂が浮かんだにきび面の模様をつくづくと凝視したり、なめらかな肌理のこまかい頬に震える生毛にふと見惚れたり、少年たちの黒く硬い頭髪の汗臭い臭いに顔を顰めたり、少女たちの長く柔らかい髪の毛から醸しだされる芳香に甘美なむずかゆさの溜息が洩れるほどの混み具合。座席に坐れることはめったになく吊り皮につかまって二十分ほど佇むことになるのだが、途中、市街地を下る長い坂の手前の駅で乗客の半分ほどは下車し、それを越えると畑がひろがり、季節のよいおりには、開け放たれた窓からガソリン臭やら生活臭の饐えたにおいとは違ったさわやかさに包まれる。風が薫り、海のにおいがかすかにして、肥料の人糞や牛糞やらのにおい、太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いもする。






途中駅にある名門校の制服の、いささかもの思いに沈んだ、そして濃密な密林の液体のようなゆるやかな体温の微熱のもやに包まれた、色白でほどよい肉づきの少女も、同じ車輌の同じ扉から入り、さらに後方の連結部に近い片隅にわけ入り、吊り皮をもって車輌の揺れに身をまかせる。傍らに立った少年の鼻先に、少女の頭髪用の石鹸のにおいとともにほのかな腋臭、そのさわやかな酸味をまじえたかおりがかすめる。電車がブレーキをかけてやや強く揺れ、少年の曲げた右肘が少女の左胸にのめりこみ、その熱の籠もった柔らかな弾力感に頭の芯まで震えが走りぬける。次の機会からは、わずかな揺れをも利用した。それを毎朝繰り返す。少女は避ける様子がない。車窓のむこうをぼんやりと眺めているだけだ。《さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。》……さらなる作戦の妄想に耽った日曜日をはさんだ翌月曜日の朝、少女の姿はなくなった。






電車の中は、そう混雑していたわけではない。井村は窓際に立っていた。傍らに、人妻風の二十七、八歳にみえる女性が立っていた。(……)青春の日々のことが、鼻の奥に淡い揮発性の匂いを残して掠め去って行った。

その瞬間から、傍らの女の存在が、強く意識されはじめた。それも、きわめて部分的な存在として、たとえば腕を動かすときの肩のあたりの肉の具合とか、乳房の描く弧線とか、胴から腰へのにわかに膨れてゆく曲線とか、尻の量感とか……、そういう離れ離れの部分のなまなましい幻影が、一つの集積となって覆いかぶさってきた。

いつの間にか、彼は青春の時期の井村誠一になっていた。肘を曲げて、軽く女の腕に触れてみると、女は軀を避けようとしない。さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。次の瞬間、彼はその肘を離し、躊躇うことなく、女の腿に掌を押し当てた……。
(……)

女は位置を少しも動かず、井村の掌は女の腿に貼り付いている。女も井村も、戸外を向いて窓際に立っていた。掌の下で、女の腿が強張るのが感じられた。やがて、それが柔らかくほぐれはじめた頃、女は腿を曲げて拳を顔の前に持上げると、人差指の横側で、かるく鼻の先端を擦り上げた。女はその動作を繰返し、彼はそれが昂奮の証拠であることを知っていた。衣服の下で熱くなり、一斉に汗ばんできている皮膚を、彼は掌の下に思い描いた。

窓硝子に映っている女の顔を、彼は眺めた。電車の外に拡がっている夜が、女の映像を半ば吸い取って、黒く濡れて光っている眼球と、すこし開いたままになっている唇の輪郭だけが、硝子の上に残っている。

その眼と唇をみると、彼は押し当てている掌を内側に移動させていった。女は押し殺した溜息を吐き、わずかに軀を彼の方に向け直した。その溜息と軀の捩り方は、あきらかに共犯者のものだった。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)




大学生の頃、井村がしばしば体験した状況になったのである。不思議におもえるほど、女たちは井村の掌から軀を避けようとしなかった。一度だけ、手首を摑まれて高く持ちあげられたことがあったが、それ以外は女たちは井村の掌を避けようとせず、やがて進んで掌に軀を任せた。

当時、井村誠一は童貞であった。彼は掌に全神経を集め、その掌に未知なるものへの憧れを籠め、祈りさえ籠めて押し当てた。

そして、掌の当る小部分から、女体の全部を、さらには女性という存在全部を感じ取ろうとした。彼女たちが軀を避けなかったのは、彼の憧れを籠めた真剣さ、むしろ精神的といえる行為に感応したためか。

あるいは、誰にも知られることのない、後腐れのない、深刻で重大な関係に立至ることもない、そういう状況の中で快楽を掠め取ることには、もともと多くの女性は積極的姿勢を示すのであろうか。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)


しかし幻想を支えるものとしての対象は、それが実際に手に入った瞬間失われる。女が男に自分自身を与えたその瞬間、彼女自身というこの贈物は《どういうわけか、どうしようもなく下らない贈物に変わってしまう》(ラカン)。

ある夕暮れ、Jは国電中央線の下り快速電車に乗っていた。かれのすぐまえに、かれと同年輩の娘が、かれと直覚に、そしてかれの胸、腹、腿のあわせめに、その体をおしつけて立っていた。Jは娘を愛撫していた。右手は娘の尻のあいだの窪みからその奥にむかって、左手は娘の下腹部の高みから窪みにむかって。そしてJのむなしく勃起した男根は女の腿の外側にふれていた。Jと娘との身長はほぼおなじだった。Jの吐く息は薔薇色に上気している娘の耳朶の生毛をそよがせつづけた。はじめのうちJは恐怖におののき息づかいを荒かった。娘は叫ばないだろうか? その自由な二本の腕でJの腕をつかみ周囲の人々に救いをもとめないだろうか? 最も激しく恐怖しているときJの性器は最も硬くなって娘の腿にむかってきつくおしつけられている。Jは娘の端正な横顔をいかにもまぢかに見つめながら深甚な恐怖のうちにたゆたう。皺はないが短い額、短く上向きに反っている鼻梁、コオフィ色の生毛のはえた皮膚のしたの大きい唇、しっかりした顎、それに色素の濃すぎるせいで全体が黒っぽく曇って見える立派な眼、それはほとんどまばたくことがない。Jは粗い手ざわりのウールのスカートごしに愛撫しつづけながら、不意に失神しそうになる。もしいま娘が嫌悪か恐怖の叫び声をあげれば自分はオルガスムにいたるであろうと感じる。かれは懼れのように、あるいは、熱望のように、その空想に固執する。しかし娘は叫ばない。唇はかたくひきしめられたままだ。そして舞台に切られた垂れ幕がおりるように、瞼が不意にきつく閉じられる。その瞬間、Jの両手は尻と腿の拒否から自由になる。柔らかくなった尻の間をなぞって右手はその奥にとどく。ひろがった腿のあいだを左手は正確に窪みにいたる。

そしてJは恐怖感から自由になる、同時にかれ自身の欲望も稀薄になる。すでにかれの性器は萎みはじめている。かれはいま義務感あるいは好奇心のみにみちびかれて執拗な愛撫をつづけているだけだ。そのときJは、ああ、いつものとおりだ、こういう風にすべて容認され、この状態をこえたひとつの核心にいたることが不可能となるのだ、というようなことを冷たくなってくる頭で考えていたのだった。そこまでは、かれが痴漢になることを決意した日から幾度となくくりかえされた、おなじ様式の一過程にすぎなかった。やがてJは自分のふたつの指先に、その見知らぬ他人の孤独なオルガスムを感じとった。(大江健三郎『性的人間』P91)





《われわれのなすべきこと(ギランやファスビンダーのやっていること)は、サントームをコンテクスト(そのコンテクストのおかげで、サントームは魅力を発揮している)から分離し、その徹底した馬鹿らしさを明るみに引きずり出すことである。いいかえれば、われわれがやらなくてはならないのは、(ラカンが『セミネールⅩⅠ』で用いている表現を借りれば)高価な贈り物を糞便の贈り物に変えること、われわれを金縛りにする魅惑的な声を、<現実界>の猥褻で無意味な断片として経験することである。》(ジジェク『斜めから見る』)であるかどうかは知るところではない。贈物が糞便に変わってもいとおしむ連中もいるのだろう。

ミルクホールで対い合っている伊木と井村の話は、そこで俄かに下世話にくだけた。二人の顔に、中年の男の表情が覗いた。

「それはともかく、電車の中でいろいろなことを学んだよ。女の怖ろしさの片鱗も、最初に知ったのは電車の中だ。夏だった。三十くらいの人妻とおもえる女でね、丁度きのうのように、電車は空いていたが、並んで窓に向いて立って、触っていた。ブラウスの胸がしだいに盛り上がってきた。電車が停って、三人の乗客が入ってきた。そのうちの一人に、その女と知り合いの女がいたんだな。同年配の女だ。どういう具合になるかみていると、今まで乱れていた呼吸がすうっとおさまって、いかにも親しげで同時に儀礼的な挨拶を換しはじめた。顔色も態度も少しも乱れたところがない。こわいとおもったね」

「なるほど、しかし、君のように思い詰めた触り方をしている男ばかりではないだろう。もっと気楽に、触っている痴漢もいるんだろうな」

「たしかに、いたね。また、そういう人物のうちに名人がいる。満員電車で、斜めに傾いた棒になってしまった女性がいた。床に倒れないのは、満員のせいで、周囲の男の乗客は皆にやにや笑っている。誰かは分からぬ名人が一人いてその女を倒したわけだ」

「えらいやつがいるね」

「しかし、その女もえらい。ある瞬間から自己放棄して、倒れてしまったわけだが、えらいものだ」

(……)
結局、電車の中での出来事は、時間の裂け目に陥ち込んで消え去ってしまった。

「一晩留置場で考えたが、電車の中の行為はやはり青春の時期に属するものだ、と分かった。その時期には、痴漢的だが、痴漢ではない。現在では痴漢になってしまう……」
と、井村は言う。その接触行為は、女性への憧れが変形した青春の世界のものであるべきだ。触れられる女性の側にしても、男性への憧れ、あるいは性への憧れがその底にあり、憧れと憧れとが照応してゆく凝縮した魔の一刻といえる。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)

---このように引用したからといって『砂の上の植物群』は、上野 千鶴子、富岡 多恵子,、小倉 千加子による『男流文学論』などで《時代遅れの通俗小説》とか、《こんなに女性に無理解な男が、なんで女を知っているということになっているのか》とさんざんに貶されているのを知らないわけではないし、痴漢的振舞いを讃美するわけのものでもない。いくら種々の理由づけがされたからといって、こういった男の妄想的痴漢話はほとんどの女性にとって迷惑千万なはなしであるには相違ないのだろう。ただ、若年時の女性への接触願望が、《女性への憧れが変形した》、屈折した思いであるならば、その願望を拭い去るには、女性への憧れを抹消する以外の方法が容易に見つかるだろうか、ということはある(その接触行為が最近の仮想的なツールなどでいくらか代償されているのかどうかは寡聞にして不明)。







もし自発的接触行為がまったく否定されるならば、次のようなことになりかねない。

男は手順を一つ進めるごとに、前もって相手の女に明示的な許可を求めなければならないという規則である(「ブラウスのボタンをはずしてもいいかい」などと)。ここでの問題は二重になっている。まず、今日の性心理学者が何度も教えてくれているように、 あるカップルが明示的にいっしょに寝るという意志を述べる前からすでに、すべてはさまざまなレヴェルの意志確認、ボディ ・ ランゲージや視線の交換といったもので決っており、 規則をあからさまに定めることは、余計なことである。そのため、このような明示的な許可を求めることによって一つひとつ手順を進める手続は、状況を明らかにするどころか、根底的な両義性の契機をもたらし、〈他者〉の欲望という深淵を主体につきつける ( 「彼はどうしてこんなことを聞くのかしら。もうちゃんと合図を送っているんじゃなかったっけ」 ) 。(ジジェク『サイバースペース、あるいは幻想を横断する可能性』)


反対に、大江健三郎の小説が示唆するように、電車上の女性が男性の痴漢行為をあっさり受け容れてしまったり、あるいは性行為に進展するかもしれぬ現場で、女性が自らさっさと素っ裸になって、さあ、どうぞ、と積極的に促すようならどうだろう、《魅惑の力がその効果をうみだすためには、その事実は隠されたままでなければならない。主体が、他者が自分を見つめていることに気づいたとたん、魅惑の力は霧散する》のであり、そのとき、<対象a>、隠された財宝、「彼女の中にあって、彼女以上のもの」、すなわち、女性の肯定的特質のいずれと結びつけることもできないにもかかわらず、女性の行動すべてに魔法のオーラを投げかける、捉えどころがなく、手の届かないXは消失してしまう。



日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫『「踏み越え」について』2003)



青春期には陰湿な部分がある、と私はもう一度くり返して言う。

それでは、「青春における生き方」として、その陰湿な部分を取り除くことが考えられるのではないか。取り除くことによって、青春の明るさ輝かしさを曇りないものにしようという考え方である。

しかし、その陰湿さは青春の属性であって、取り除け得るものではない。むしろ、その陰湿さを正面からよくよく眺めてみることが、それを克服する道に通じている。その陰湿さに気づかずに過ぎてしまうことは、精神の怠慢であり、無神経の証拠である。当今流行のドライという言葉で褒める事ではない。(吉行淳之介「鬱の一年」)――「青春」という死語

だが、それについては、《現実的で、がさつで、標準的頭脳ばかりのいまの若い人たちには、さだめし不可解だろう》。



……喫茶店を抜け出して海岸へ行き、人気のない小さな砂原を見つけ、洞穴のような形をした赤茶けた岩が菫色の影をおとすなかで、私は、つかのまの貪婪な愛撫をはじめた。誰かがおき忘れたサングラスだけが、それを目撃していた。私が腹ん這いになって、愛する彼女をまさに自分のものにしようとした瞬間、髭をはやした二人の男、土地の老漁夫とその弟とは、海からあがってきて、下卑た歓声をあげて私たちをけしかけた。それから四ヶ月後に、彼女はコルフ島で発疹チフスで死んだ。

こうしたみじめな記憶のページを何度となくめくりながら、私の人生の亀裂は、あのとき、あの遠い夏のきらめく日ざしのなかではじまったのだろうか、あの少女への熾烈な欲情は先天的な異常性格の最初の徴候にすぎなかったのだろうかと、くりかえし自分に問いつづける。しかし、自分自身の渇望や動機や行動などを分析しようとすると、私は際限なく二者択一の問題を提供して分析癖をたのしませる一種の回顧的な想像に落ちこみ、そのために、一つ一つの道筋が果てしなく八方にわかれて過去が狂おしいほど複雑なものに見えてくるのだ。しかし、ある魔術的な宿命的なつながりによって、ロリータの前身がアナベルだということは確信できるように思う。

また、アナベルの死のショックが、あの悪魔のような夏の日の欲求不満を固定化し、それが永久的な障害となって、もはやいかなる恋もできずに灰色の青春時代をおくらなければならなかったことも、私は知っている。現実的で、がさつで、標準的頭脳ばかりのいまの若い人たちには、さだめし不可解だろう……(ナボコフ『ロリータ』)

若い女の米をとぐ濡れた手




外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

…………




午前一時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。(辺見庸『ハノイ挽歌』)

今は街中は交通事情のためシクロは多くの通りで出入り禁止になってしまった。




こういった景色は、今では中心部から外れた場所でしか見られない。


ところで辺見庸の文章はウェブ上から拾って手元にあるわけではないのだが、妙に印象に残る文章だと思ったら、「シクロ」、「深海」、「沈んだ」、「しじま」、「湿気」、「支配」と頭韻が踏んであるのだな。その前にある「寝静まり」の、シ音さえ響き合う。

「カフェー帰り」、「客」、「遠慮がちにカシャリカシャリ」も「カ」音のも、これはなんというのか、はて押韻だったか? まだほかにも「カ」音があるな

意図的かどうかは知れないが、こういった文章書かなくちゃな。


…………

君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に

ーーー『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之訳より





汽車が速度をはやめだしたあいだも私はまだじっとその美しい娘を目で追っていたが、その姿は、私の知っている人生とは何かのふちかざりでへだてられた、べつの人生の一部分のようであり、そこにあっては、物の呼びさます感覚は、もはや普通の感覚ではなく、いまそこから出て元の人生に帰ることは、私自身を永久に見すてるにもひとしかったであろう。すくなくとも、そうした新しい人生につながっていると感じる甘美な気持をつづけてもつには、毎朝ここへきてこの田舎娘からミルク・コーヒーを買うことができるように、この小さな駅のすぐ近くに住めばよかったであろう。しかし、ああ! 私がこれから次第に早くそのほうにはこばれてゆくべつの生活には、彼女はつねに不在なのだ。かならずいつかまたこのおなじ汽車に乗り、このおなじ駅にとまれるようにしよう、そうしたプランを立てないではとても私はあきらめてこれからの生活を受けいれる気にはなれなかった。(プルースト 「花咲く乙女たちのかげにⅠ」井上究一郎訳)


1995年の阪神大震災とオウムの年、日本の生活から逃げるようにした三十代なかばの鬱屈した男は、インドシナのいくつかの土地をたいした目的もなく彷徨い、とりあえずの短い旅だけではなく、ある国に二ヶ月ほど住んでみることにした。







狭い路地に隔てられた向かいのアパートメントで色黒だが可憐な若い家政婦が部屋を掃除したりベランダに出て洗濯物を干したりしている。朝、こちら側のアパート、六階建ての三階にある殺風景な部屋のベランダに下着を干したりしていて、何度かその姿に目をやっていると、少女はそれに気づき互いに挨拶するようになった、覚えたての当地の言葉で、「おはよう、いい天気だね!」と。何日かすると、彼女は仕事が終ると近くの牛鍋家で給仕をしていること身ぶり手ぶりを交えて告げた。







それはプルーストのミルクコーヒー売りの田舎娘の話のようでもあり、あるいは大江健三郎の『懐かしい年の手紙』の次の一節のようでもあった。


《インスルヘンテス大通りのなにやら古風なざわめきが、こちらは今日風な車のクラクションともども階下のガレージから聞こえてくる殺風景なアパートで、僕はあきることがなかった。窓から見おろす妙に奥行きの深い建物の屋上には、いちめんに張りわたしたロープに毎日大量の洗濯物が干されていた。ひとりよく働く洗濯婦は、日中の労働が終ると、建物脇の階段の奥から運び出す大型の七輪に釜を載せて、売り物のタコスを焼きはじめる、そうした眺めをあかず見おろしながら……》。

きみが手紙に書いて来たドイツ系の日本研究者のさ、牛に踏み荒らされた泥濘の裏通りに日本風の風呂のあるコンクリートの家を建てて、混血〔メステイソ〕の若妻と暮らしているという暮し向きにね、スルリと入って行きそうな気もするんだ。/きみがひとりで経験しているメキシコ・シティーの長い夕暮の時間がね、きみにとって東京の家族のことはすこしも思わず、ただゆったりした時間の流れにひたっていることのある、そうした奇態なものだと、きみのいうその表現には妙な実感がある。Kちゃんよ、自分もまさに奇態なものをそこにかぎとるふうなんだが…… 

もっとも、牛鍋屋の娘ばかりではない、当時この土地は平均月収が30ドルほどであり、盛り場の若い女たちは、金ばなれのよさそうな異国の男たちにとても愛想がよかった(ただし目抜き通りの酒場のいくつかは米軍駐留時の酒池肉林に練磨された伝統を持っており、油断すると容赦なかった)。女たちの多くはまさに「泥濘の裏通り」に住んでおり、女の運転するバイクのバックシートやら、シクロに二人掛けで、その家を訪れると、彼女の父母やら兄弟、あるいは祖父母だかにまで歓待される。あれでほとんど危ない目に遭わなかったのは幸運だったのか……、女だと思ったまま部屋についてから男だと気がついたこともあった。


若い女の故郷、メコンデルタにある町にも誘われて何度か訪れた。





夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。(デュラス:『愛人(ラマン)』)





空に七つの星が昇ったとき 私はこの草に
座りつづける カムランガの花の赤さの雲が 死んだモニア鳥(どり)のように
ガンジスの河波に沈んでいった-やってきたのは静かな慎ましい
ベンガルの青い夕暮れ-美しい髪の娘が空にあらわれたかのよう、
私の目のうえに 私の口のうえに 彼女の髪は漂う、
地上のどんな道もこの娘を見たことがない-見たことはない これほど
豊かな髪がヒジョル、カンタル、ジャームの樹々にたえまなく口づけをふらすのを
知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に

地上のどんな道でも、やわらかな稲の香り-藻草の匂い
家鴨(あひる)の羽、葦、池の水、淡水魚たちの
微かな匂い、若い女の米をとぐ濡れた手-冷たいその手
若者の足に踏まれた草むら-たくさんの赤い菩提樹の実の
痛みにふるえる匂いの疲れた沈黙-これらのなかにこそベンガルの生命(いのち)を
空に七つの星が昇ったとき 私はゆたかに感じる。(同『美わしのベンガル』)






「私はまだじっとその美しい娘を目で追っていたが、その姿は、私の知っている人生とは何かのふちかざりでへだてられた、べつの人生の一部分のようであり、そこにあっては、物の呼びさます感覚は、もはや普通の感覚ではなく、いまそこから出て元の人生に帰ることは、私自身を永久に見すてるにもひとしかった」のであり「ただゆったりした時間の流れにひたっていることのある、そうした奇態な」感覚を捨て去るわけにはいかなかった。

奇態な両義性ということについていえば、メキシコの広大な空のもと微光が瀰漫しているところへ、しだいに赤っぽい粉のような気配がただよいはじめて、そしてついに日が昏れるまでの、長い長い時間、僕は決して当の時間の進行のゆったりさ加減に苛立つことはなかった。時間の汐溜りのなかに、プランクトンさながら漂っている気分だったわけだ。ヒカリが障害を持って生まれて以来、自分とかれの情動のどこかが癒着しているようにしてずっと生きて来たのに、ヒカリのこともその弟妹のことも、かれらの母親のこともまた、まったく考えず一日を終えたことに気がついたりしていた。むしろ僕は、四国の森のなかの谷間ですごした子供の時分に、長い時のゆっくりした進行をいささかも苦にせず、底の深い淵にでもひたっているような気持だった時期の、その再現を経験している思いでもあったのである。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)

※補遺:デルタの夜



2014年8月19日火曜日

トラウマに導いた音楽と飼い馴らす音楽

◆LOUIS ARMSTRONG what wonderful world



『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』 (Paul Verhaeghe)より、私意訳。

エウリピデスの悲劇は、サドマゾヒスティックの世界の究極の地点、逸脱のぎりぎりの限界を描いている。そこでのセクシュアリティは、もはや性器-ファリックな局面の範囲には留まらず、まさに最初の口唇的な関係、文字通り貪り食う愛の回帰へと引き継がれている。結果として、不安と攻撃との関係は、さらにいっそう明らかになる。この関係は、精神分析の歴史の最初期に構想されたものである。性的トラウマから生じる精神病理学的障害disorderは戦争によるトラウマとまさに同じものである。どちらも、ほとんど完璧な規範の不在によって、拘束を解かれた暴力の作用として解釈されうる。ジュディス・ハーマンによる最近の研究では、ふたつの集団、セックスと戦争にトラウマ化された患者たちが、平行関係にあるのではという多くの問いを呈さないままに、並列的に研究されている。“暴力の狂宴(オルギア)”という表現は二つを結びつける。ここでもまた、集団の特徴が本質的なままにある。

戦争神経症の研究は、ひどく興味深い。その非-自発的な(やむえずの)特徴は、数多くのことがらをはっきりさせるための身の毛もよだつ集団実験をもたらす。ヴェトナム戦争の研究は、この文脈において格別に得るところが大きい。暴力に身をゆだねることは、集団の一員になることのよって容易化される。集団の連携がとても強いままであるかぎり、そこにはトラウマ的な影響はわずかだ。集団性としての戦闘単位が、どんな想像形式をも超えてはるかな先にまで行ける形で、まさに逸脱を可能にする。実際、行動を容易にするのは、まさに想像力の欠如なのだ。‘行け、行け、行け!’もし集団が分解するときは、トラウマが湧き起こりうる。そしてヴェトナム戦争の兵士の場合、それがしばしば起こったのは、彼らの義務のツアーからの帰還、つねに個人で、それゆえ孤立しての帰還の後である。集団と集団の規律から離れて、彼らは遡及的にトラウマ化をもたらす何かに遭遇した。公衆に受けのよい表現なら、彼らは、‘イメージと記憶に付き纏われた’。けれどもこの表現は正しくない。ヴェテランたちは実際には、‘それ’を言葉とイメージで表現する不可能性に付き纏われたのである。想像できないこと、それがリアルな仕方で彼らを苦しめつづけたのである。トラウマにとらわれた人物はトラウマを憶い出せない、しかしそれを何度も何度も経験するのだ。

後に何が起こるのかは、いずれにしても、さらに興味深い。公式的な留意や気配りの不在のなか、ヴェトナム戦争は全世代にとって議論され得なかった。そしてヴェテランたちは自助グループとして一体化した。これらのグループは、アフリカ-アメリカンとしてふつうは構成され、能動的に共同してトラウマ的過去と取り組み始めた。ここから彼ら独自の文化、彼ら独自の象徴的代表象が生れた。彼らはトラウマの経験を象徴化し表現することを通してトラウマを処理する試みに導かれていった。

◆1979 title: rappers delight(ヴェトナム戦争後の最初期のいわゆる「ラップ」)



結果はいま広くラップミュージックとして知られている。欲動は身体と心のあいだの境界に横たわる。それは当面の無言とその代表象の間にあり、その要素は表現ができないか、もしくは殆どできない。そして翳の領域で活動する。ラップとは、その起源は、象徴化への最初の一歩を通して、なにかを統御しようとする原始的な根源の試みである。原始的な要素はリズムの選択にある。それは、享楽の未加工の断片を、集団のなかで、その集団のために、かつまた、その集団によって、リズミカルな叫びに従わせようとするのだ。このようにして能動的にエクスタシーの熱狂を創りだす。さらに、それは自我の回帰を許容することになる。というのは、まさに能動的なリズムは、享楽の、無時間的、無媒介的な側面を踏み破り、自己の回帰を感知させるからだ。それはひどく効果的なものである。

私にとって、ラップは、子供が頭をバンバン叩くことのレミニッセンス(想起記憶)である。子供は寝入ることができず、暗闇のと窓の広く開いた穴の怖れに打ち勝とうとして頭を叩く。それはまた呪文の儀式のレミニッセンスでもある。これらは、歴史的な人類学によって叙述されたもので、祈祷と詠唱により、シャーマンは、身体の不可解な側面を理解しようとつとめて、それを捉えコントロールしようとする。レヴィ=ストロースは、この遠くまで及ぶ効能を著作にて示した、「L'efficacite symbolique」(象徴的効果)として。シェイクスピアもまたこの現象には通じている。マクベスの魔女たちは実際ラップアーティストである。そして彼女たちが大釜のまわりを踊るのは偶然ではない(「苦労も苦悩も二倍にするぞ、火を焚きつけろ、釜をぐらぐら煮立たせろ」)。日本の鼓童和太鼓集団のパフォーマンスを見たものは誰でもまたリズムの身体的なパワーを経験する。



これらの経験の意味はのちになって初めて現われる。リズムは根源的に重要である。軍楽、太鼓の連打、行進曲、トムトム、戦士を駆り立てる耳をつんざくようなムスリムの金切り声。エクスタシーに先立つ恐怖を取り扱う方法である。それは苦痛への無感覚として特徴づけられる。――そこには痛みを感じる自我は残されていない。

同じリズムの軌道が、回帰、自我の再生ために使われ得る。ラップとともに、ヴェトナム集団、――同輩集団、すなわち、父なき集団――は本能的に彼らのトラウマを徹底操作(working through:フロイト概念、ラカンの幻想の横断:引用者)する方法を見出したのだ。以前の音楽の流行との比較は、過去から現在の変化を顕している。ラップは享楽のためになされる。ブルースは欲望のためだった。欲望は個人にかかわる。強められた自己の感覚、それが不能を歌い出す、それゆえ自己の欠陥を、長く引き延ばされたトーンにて、歌い吐き出す。

ジャズは欲動を刺激し、よりいっそうの変転を求める。ラップは、過剰を取り扱おうとする試みである。この集団的な変遷の付随的部分において、メンバーは集団のアイデンティティを展開する。彼らが'the brother'として公衆に知られているのに驚くことはない。結果として、どのメンバーも、この集団から彼自身のアイデンティティ、彼自身の自我を蒸留させるのだ。集団アイデンティティとは本質的に規律を意味する、そしてそれゆえに安全保障感を。どの集団も享楽を統制することに関心がある。






…………

※附録:鬱病に対抗するための音楽


古義人は五十代の後半になっても続けているプール行きの電車で、古いタイプのカセットレコーダーを聴いている男が自分ひとりであるのに気がつくことがあった。たまに見つける中年男は、聴きながら唇を動かしている様子から、英会話テープを聞いているのだと見てとれた。この前までは、音楽を聴いている若い連中で充ちみちていた車内で、かれらはいま誰もが携帯電話に話しかけ、あるいはその表示板を見つめてこまやかな指の操作をしていた。ヘッドフォーンから洩れてうるわかったジンジンという音すら、古義人は懐かしく感じたのだ。ところがその現在になって、古義人は「ウォークマン」以前のカセットレコーダーを、水泳用具を入れたリュックサックにしのばせ、半白の頭にヘッドフォーンを載せているのである。そのような自分を、時代遅れの孤独な旧世代と感じるほかなかった。

旧式なモデルのカセットレコーダーは、吾良がまだ映画俳優だった頃、電機メーカーのコマーシャルフィルムに出演して、スポンサーからもらった製品だった。機械の本体こそありふれた長方形で、デザインの凡庸さも目立たなかったものの、ヘッドフォーンのかたちは、古義人が森のなかの子供であった時分、谷川で獲った田亀のようだった。使ってみて、あの何の役にもたたなかった田亀を、今になって頭の両側にしがみつかせているようだ、と古義人は感想をのべた。

しかし吾良は動ぜず、
――それはきみが、鰻や鮎をつかまえるだけの才覚のない子供だったということしかつたえない、といった。遅すぎる贈り物ではあるが、その気の毒な子供にこれをあげよう。田亀とでも名づけて、少年時のきみ自身を慰めるさ。

しかし吾良も、それだけでは古い友達で義弟でもある古義人への贈り物として趣向に欠ける、と思ったようなのだ。それが吾良のライフスタイルのひとつで、映画作りの力にもなった小物集めの才能を発揮すると、魅力あるジュラルミン製の小型トランクをつけてくれた。それには五十巻のカセットテープが収められてもいたのである。吾良の映画の試写会場で受けとり、持って帰る電車のなかで、白い紙ラベルにナンバーだけスタンプで押したカセットを田亀に入れてーー実際、そのように機械を呼ぶことになったーー。ヘッドフォーンのジャックを挿し入れる穴を探していると、つい指がふれてしまったか、テープを入れると再生が自動的に始まる仕組みなのか、野太い女の声の、ウワッ! 子宮ガ抜ケル! イクゥ! ウワッ! イッタ! と絶叫する声がスピーカーから響き、ぎゅう詰めの乗客たちを驚かせた。その種の盗聴テープ五十巻を、吾良は撮影所のスタッフから売りつけられて、始末に困っていたらしいのだ。

かつて古義人はそうしたものに興味を持つことがなかったのに、この時ばかりは、百日ほども田亀に熱中した。たまたま古義人が厄介な鬱状態にあった時で、かれの窮境を千樫から聞いた吾良が、そういうことならば、その原因相応に低劣な「人間らしさS」で対抗するのがいい、といった。そして田亀を贈ってくれたついでに、確かに「人間らしさ」の一表現には違いないテープをつけてくれたのだ、と後に古義人は千樫から聞いた。千樫自身は、それがどういうテープであるかを知らないままだったが……

古義人の鬱状態は、大新聞の花形記者から十年以上受けた個人攻撃のーーもちろん社会正義は背負った上でのーー引き起こしたものだった。本を読んだり文章を書いたりしている間はなんでもなかったが、夜更けに目ざめてしまったり、用事で外出して街を歩いていたりすると、確かに才能はある記者独特の、悪罵の文体が頭に浮かんで来る。こまかな気もつく性格の大記者は、どうにも汚らしい新聞用原稿紙の書き損じや、ファクスで送信されたゲラ刷りを小さく切って、その裏に「挨拶」を書きいれては、著者や雑誌記事を送って来る。つい覚えてしまうその片言隻語が浮んで来そうになれば、ベッドの中でも街頭でも、「人間らしさ」の表出において拮抗する正直な声を聴けばいい。不思議に気持がまぎれるよ、と吾良は古義人にもいったのだった。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』P10-13   黒字強調原文)

ここに出てくる朝日新聞の才能ある大記者は、本多勝一氏が「モデル」であることはよく知られている。吾良はもちろん伊丹十三がモデル。


※附録2

ツイッターで紹介を受けたのだが、Taylor McFerrin - Degrees Of Light




いいねえ、子宮の海に溺れるような感覚を受けるな。Taylor McFerrinはぜんぜん知らなかったのだが、調べてみると、Bobby McFerrinの息子らしい。ほかのものをいくらか聴いてみると、甘美さが過剰な曲もおおいが、これはいい。






子宮の海とするのはジジェク=ミシェル・シオンのパクリだ。

ジジェクがミシェル・シオンの描出されたもの rendu をめぐって叙述する箇所(『斜めから見る』)。《シニフィアンの浮遊する島、すなわち享楽のどろどろした海に浮かぶ島》。これは神経症の時代から精神病の時代へ、の優れた隠喩としても読める部分だ。


もっとも、語られている内容は、映画における音響の役割の変化について、だが。


すなわち、描出されたものrenduは、現実を映画で表現するための第三の方法であり、(想像的)シミュラークルや(象徴的)コードと対立する。それは、想像的模倣でも、象徴的にコード化された表象でもなく、直接的「描出 rendering」である、というシオンの理論を援用して語る箇所。

現代の音響技術は、「本物の」「自然な」音を忠実に再現できるだけでなく、それを強化し、もしわれわれが映画によって記録された「現実」の中にいたとしたら聞き逃してしまうであろうような細かい音まで再現することができる。この種の音はわれわれの奥にまで入り込み、直接的・現実的次元でわれわれを捕らえる。たとえば、フィリップ・カウフマンがリメイクした『SF/ボディ・スナッチャー』で、人間がエイリアンのクローンに変わるときの、ぞっとするような、どろどろべたべたした、吐き気を催させるような音響は、セックスと分娩の間にある何か正体不明のものを連想させる。

シオンによれば、このようなサウンドトラックの地位の変化は、現代の映画において、ゆっくりした、だが広く深い「静かな革命」が進行していることを示している。音が映像の流れに「付随している」という言い方はもはや適切ではない。いまやサウンドトラックは、われわれが映像空間の中で方向を知るための「座標」の役割を演じている。サウンドトラックは、さまざまな方向から細部を雨のように降らせることによって(……)、ショットの地位を奪ってしまった。サウンドトラックはわれわれに基本的視点、すなわち状況の「地図」をあたえてくれ、その整合性を保証する。一方、映像は、音の水族館を満たしている媒体の中を浮遊するばらばらの断片になってしまった。精神病の隠喩としてこれ以上ふさわしいものは他にはあるまい。
「正常」な状態では<現実界>は欠如、すなわち(ロコスの絵の真ん中にある黒点のように)象徴的秩序の真ん中に開いた穴である。ところがここでは、<現実界>という水族館が<象徴界>の孤立した島々を包み込んでいる。

in contrast to the "normal" state of things in which the real is a lack, a hole in the midst of the symbolic order (like the central black spot in Rothko's paintings), we have here the "aquarium" of the real surrounding isolated islands of the symbolic.

言い換えれば、意味作用のネットワークが織り上げられる核となる中心の「ブラックホール」の役割を担うことによって、シニフィアンの増殖を「駆り立てる」ものは、もはや享楽ではなく、象徴的秩序そのものなのである。それはシニフィアンの浮遊する島、すなわち享楽のどろどろした海に浮かぶ島に成り下がってしまった。

In other words, it is no longer enjoyment that "drives" the proliferation of the signifiers by functioning as a central "black hole" around which the signifying network is interlaced; it is, on the contrary, the symbolic order itself that is reduced to the status of floating islands of the signifier, white ilesflottantes in a sea of yolky enjoyment.
このように「描出された」<現実界>は、フロイトのいう「心的現実」のことに他ならない。そのことをはっきり示しているのが、デイヴィッド・リンチの『エレファント・マン』における、エレファント・マンの主観的体験をいわば「内側」から表現している、神秘的な美しいシーンである。「外部の」「現実的な」音や騒音の発生源は保留され、少なくとも鎮められ、後景へ押しやられている。われわれの耳に入ってくるのは律動的な鼓動だけである。その鼓動の位置は定かではなく、心臓の鼓動」と機械の規則的な律動の間のどこかである。そこにあるのはもっとも純粋な形での描出されたものrenduである。その鼓動は、何物をも模倣あるいは象徴化しておらず、われわれを直接的に「掴み」、<物自体>を直接的に「描出render」している。だがその<物自体>とは何か。それにいちばん近くまで接近する言い方をしようと思えば、やはり「まるで生まれたばかりの生命のようにゆっくり脈打っている、形のない灰色の霧」と言う他ないだろう。目には見えないが質量をもった光線のようにわれわれを貫くその音響は、「心的現実」の<現実界>である。……『斜めから見る』(p83~)




2014年8月6日水曜日

キッチュの華

古義人は小林秀雄訳『別れ』をまだ松山に転校して行く前、愛読していたのだ。(……)吾良がそこに書き写してある前半の結びの、
《だが、友の手などあらう筈はない、救ひを何処に求めよう。》
という詩句にこだわるとしたら、と考えもしたのだった。

(……)
――あの翻訳は、自分勝手な感情移入をしているようではあるが、やはりいいねえ!
――そうだね、と古義人は声に喜びが滲み出るのを押さえず答えたのだ。

二年前、この詩を書き写しながら、古義人は、その最初の行が、俺達はきよらかな光の発見に志ざす身ではないのか、という、その俺達と呼びかける友達がいない、と感じたものなのだ。

いま、ここに俺達の片割れがいて、同じ詩に感動している、と古義人は思った。もっとも当の詩は、さきのような前半の結びに到るものだったけれども。

大江健三郎の『取り替え子 チェンジリング』からだが、古義人は大江自身、吾良は伊丹十三がモデルである。


いまここにあるのは小林秀雄訳じゃなくて、この間、きみの推選されたちくま文庫版だがな、あらためてそれで『別れ』を読んでみると、おれのいったことは、その後のおれたちの生涯によって実証されている。まったくね、痛ましいほどのものだよ。

あの書きだしのフレーズを、きみが好きだったことは知っているよ。おれも同じことを口に出した。しかしあの時すでに、おれはあまり立派な未来像を思い描いていたのじゃなかった。そしてそれも、ランボオの書いていることに導かれて、というわけなんだから、思えば可憐じゃないか? それはこういうふうだったのさ。

<秋だ。澱んだ霧のなかで育まれてきた私たちの小舟は、悲惨の港へ、炎と泥によごれた空はひろがる巨大な都会へと、舳先を向ける。>というんだね。

それに続けて、都会での<また、こんな自分の姿も思い浮かぶ。>というだろう? <泥とペストに皮膚を蝕まれ、頭髪と腋の下には蛆虫がたかり、心臓にはもっと肥った蛆虫がむらがっていて、年齢もわからなければ感情もないひとびとの間に、長ながと横たわっている…… 私はそこで死んでしまったのかも知れないのだ……>

これはじつに正確かつ具体的な、未来の予想だと、おれは保証するよ。きみのことは知らないが、とまあここではそういっておこう! おれ自身の近未来像を思えば、まったくドンピシャリだ。(……)

のみならず、次のフレーズにいたるとね、おれはやはり自分の作った映画のことを思うんだだよ。<私はあらゆる祝祭と、あらゆる勝利と、あらゆる劇とを創造した。新しい花、新しい星、新しい肉体、新しい言語を、編み出そうと試みた。超自然の力を手に入れたとも信じた。>
 
古義人のことをね、定まり文句で嘲弄するやつがいるね。サブカルチュアに対して差別的な、時代遅れの純文学、純粋芸術指向のバカだとさ。しかし、おれはそうは思わないんだ。きみの書いているものをふくんで、あらゆる文学が、むしろあらゆる芸術が、根本のところでキッチュだ、と長らく小説を書いてきたきみが承知していないはずはないからね。そうしてみれば、おれの作った、お客の入りのすこぶるいい映画をね、おれ自身、もとよりキッチュな光暈をまといつかせてやってきた。おれはあらゆる祝祭と、あらゆる勝利と、あらゆる劇とを創造した、とホラを吹いたとして、きみは笑わないのじゃないか?
(……)さて、それからランボオはこういうんだ。<仕様がない! 私は自分の想像力と思い出とを、葬らねばならない! 芸術家の、そしてまた物語作者のすばらしい栄光が、持ち去られるのだ。>
<とにもかくにも、嘘を糧にしてわが身を養って来たことには、許しを乞おう。そして出発だ。>
いま、このくだりがおれにはじつに身にしみるよ。古義人、きみもそうじゃないか? おれたちのような職業の人間にしてみれば……キッチュの新しい花、キッチュの新しい星を切り売りしてきた人間にしてみればさ、年の残りも少なくなって、こういう覚悟に到るほかはないじゃないか!篁さんはどうだったろう? 

きみはそうしたことを、あの人が癌で入った病室で聞いてみなかったか? 篁さんの音楽こそは純粋芸術で、キッチュなどとは無縁だなどというのじゃあるまいね? 篁さんに最後の愛想をつかされることがあったとしたら、古義人がついにセンチメンタルになって、そう言い張ろうとする時だったぜ!

十六歳の古義人に会った時から、おれはきみに嘘をいうな、といってきた。人を楽しませるため、人を慰めるためにしても嘘をいうな、と言い続けてきた。ついこの前もそういったところじゃないか? しかし、夫子自身が嘘を糧にしてわが身を養って来たことは、それはその通りだった。ふたりともどもにさ、なにものかに許しを乞うことにしようじゃないか、そして出発だ。

伊丹十三の妹は、大江健三郎の妻であることは、あらためて言うまでもないが、やはり言っておこう。




――あなたがまだ若くて、おもに翻訳を読んでいた頃、早口で発音不明瞭というところもあったけれど、話の内容は本当に面白かったのね。輝くような、風変わりなほど新しい表現があって……

それが永いメキシコシティー滞在の後、翻訳じゃなく外国語で本を読むようになってから、あなたの使う言葉の感じが変わったと思う。新しい深さが言葉に反映している、とは思うことがあるのよ。けれども、なにか突拍子もないおかしさ、面白さの言葉には出会わなくなった。小説に使われている言葉もそうじゃないかしら? 成熟ということかも知れないけれど、以前のようにキラキラした言葉はなくなった。そう考えているうちに、私はあなたの小説を読まなくなってしまったのね。それで、この十五年ほどの小説のことはなにもいえないけれど、そうした変化と、翻訳より原語で読む方が多くなったということと、関係があるかも知れないと思って……原書を読む人こそ、日本語にない面白さを持ち込む、と考えるのが普通かも知れないけれど……

――それは本当にそうかも知れないね。僕の本の売れ行きが下降線を示しはじめたのは、四十代後半からだからね。あまり翻訳を読まなくなった時期と一致するよ。きみのいうとおり、キラキラする面白さが薄れたのかも知れない。翻訳されたものを読む面白さには、原語から読みとるのとは別の、いうならば露骨なものがあるんだよ。あれをこう訳すか、これだけやっていいものか、と驚きながら、自分にはこの日本語は生み出せない、と感服することがよくあるものね。とくに若い有能な翻訳者には、異能といっていいほどの力を示す人がいるよ。(……)

――フランス語の新しい作品を翻訳する、若い人の文章には、突飛な面白さがあるねえ、といった。

――まあ、そうだね、アメリカ西海岸の大学の、直接フーコーの影響下にいる連中などは別として、英語の文章はそれ自体地道だものね。とくにイギリスの学者が書くものは…… 僕の文章がキラキラしなくなったというのは、ブレイクからダンテ研究まで、おもにケンブリッジ大学出版局のモノグラフを読んできたことと関係があるかも知れない……P64-65


ーーというわけで、キッチュをキニスンナよ、そこのきみ! 

きみのは《純粋芸術で、キッチュなどとは無縁だなどというのじゃあるまいね? 
篁さんに最後の愛想をつかされることがあったとしたら、
古義人がついにセンチメンタルになって、
そう言い張ろうとする時だったぜ!》

というわけで、きみがセンチメンタルになったとき、オレは貶すだけさ
篁さんだって、キッチュに決ってんだ。





ただキッチュどんぴしゃなのに
自分は「芸術的」だと思ってる手合いがいるんだよな

女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」)

最近は女性だけじゃないからな
それだけはやめとけ!



《キッチュな人間のキッチュな欲求。それは、あばたをえくぼと化する虚偽の鏡の覗きこみ、そこに映る自分の姿を見てうっとりと満足感にひたりたいという欲求である。》(クンデラ「七十三語」)

キッチュという言葉は、どんなことをしてでも、大多数の人びとに気に入ってもらいたいと望む者の態度をあらわしています。気に入ってもらうためには、あらゆる人びとが理解したいと望んでいることを確認し、紋切り型の考えに仕えなければなりません。キッチュとは、紋切り型の考えの愚かしさを美しさと情緒の言葉に翻訳することなのです。キッチュは、私たち自身にたいする感動の涙を、私たちが考えたり感じたりする平凡なことにたいする 涙を私たちに流させます。

どうしても気に入られ、そうすることによって大多数の人びとの関心を得なければならないという必要を考えてみれば、マス・メディアの美学はキッチュの美学にならざるをえません。マス・メディアが私たちの生活のすべてを包囲し、そこに浸透するにつれて、キッチュは私たちの美学にそして私たちの日常の道徳になっていきます。最近まで、モダニズムは紋切り型の考えとキッチュにたいする非順応的抵抗を意味していました。今日では、モダニティはマス・メディアの途方もない活力と一体になっていますし、モダンであるということは、時代に乗り遅れないようにするためのすさまじい努力、このうえなく型どおりであるよりもさらに型どおりであろうとするためのすさまじい努力を意味しています。モダニティはキッチュというドレスを身にまとったのです。(クンデラ「エルサレム講演」『小説の精神』所収)
キッチュが呼びおこす感情は、もちろんそれを非常に多数の人が分け合えるようなものでなければならない。従ってキッチュは滅多になり状況に基づいてはならず、人びとが記憶に刻み込んだ基本的な姿に基づいていなければならない。恩知らずの娘、問題にされない父親、芝生を駆けていく子供、裏切られた祖国、初恋への思い出。

キッチュなものは続けざまに二つの感涙を呼びおこす。第一の涙はいう。芝生を駆けていく子供は何と美しいんだ! 

第二の涙はいう。芝生を駆けていく子供に全人類を感激を共有できるんは何と素晴らしいんだろう!

この第二の涙こそ、キッチュをキッチュたらしめるものである。

世界のすべての人びとの兄弟愛はただキッチュなものの上にのみ形成できるのである。

世の中に政治家よりこのことをよく理解している人はいない。政治家は身近にカメラがあると、すぐ一番近くの子供に駆け寄り、その子を高く持ち上げて、頬にキスする。キッチュなものはあらゆる政治家、あらゆる政党や運動の美的な理想なのである。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』P290-291)

ところで、きみ!
《言葉が他者の凝視に対峙したとき、そのときエクリチュールは真の産声をあげ》
などと書くのは、かなりヤバイぜ
上に挙げた偏屈ものの小説家や批評家たちだったら
鼻を抓むぜ!
とくに《エクリチュールは真の産声をあげ》というのは
いままでどれだけ繰り返されてきた台詞だろうか?
《昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、
ふと口から漏れてしまったような印象》(蓮實重彦)
「既成の言葉の中から自動的に選ばれる」ような
三文小説家をめざすならまだしも

→ 大江健三郎と三島由紀夫の文体をめぐるメモ


すこしまえ、デモーニッシュの嘲笑という表題で書いたんだが、
投稿を思い留まったんだよ
だがここに附録のようにしてつけ加えておくことにする
やっぱりこれだけはやめといたほうがいいんじゃないかい?

…………

「デーモニッシュなシューベルト...

どうしてこんなにも惹かれるのかしら」

などとどこかのオジョウサンが呟いておられる
のを垣間眺めて寒いぼが立ってしまう
これはどういうわけだろうか?
とは捏造された疑問符であり
オレが偏屈もののせいにきまっている

そうはいってもなぜなのか
そもそもシューベルトといえば
デモーニッシュというに相場が決っている
手垢にまみれた形容詞デモーニッシュ
デーモニッシュなシューベルトなんて
「銭湯の壁画みたい」(丹生谷貴志)

《安堵と納得の風土の中に凡庸さが繁殖する。
そこに語られる言葉が紋切型というやつだ》(蓮實重彦)

金井美恵子あたりなら、その毒舌の真っ先の矛先
いや矛先どころか絶句してただちに背を向けるだろう

《おしなべて他者への媚びと「つるつる生きる」ことの鈍重な自足
に改めて愕然とさせられる》

ああ恥ずかしい! でも安心しろ
ダイジョウブだ、もはや金井美恵子の
凶暴な繊細さと大胆さは通用しない時代だ

あたしなんかよりニブイひとたちが書いているという
安心感を無責任に享受しうる媒体の猖獗
《「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛》(蓮實重彦)
の時代なんだから
「はしたなさは進歩する!」
とはフローベールは言っていない
「愚かさは進歩する!」だけだ
だが似たようなもんだぜ、
フローベールの愚かさは凡庸なんだから

凡庸な資質しか所有していないものが、その凡庸さにもかかわらず、なお自分が他の凡庸さから識別されうるものと信じてしまう薄められた独創性の錯覚こそが、今日における文学の基盤ともいうべきものだからである。文学と文学ならざるものとは異質のいとなみだという正当な理由もない確信、しかもその文学的な環境にあって、自分は他人とは同じように読まず、かつまた同じように書きもしないとする確信、この二重の確信が希薄に共有された領域が存在しなければ、文学は自分を支えることなどできないはずだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

まともな感性があれば決して書きえない言葉
ーーなどとはオレはケッシテイワナイ
そらこの通り、お馬鹿さんトリオの媒体のひとつに書き綴っている
オレにもまともな感性はないさ

はしたない感性しか所有していないものが
そのはしたなさにもかかわらず
なお自分がそのはしたなさから識別されうるものと信じてしまう
薄められた上品さの錯覚ってヤツだぜオレのはな
それに手垢にまみれた形容詞でも活きることはあるのだから

《形容語句に生き生きとした魅力を与えるのは、
しばしばそれが置かれている位置であり、
隣接する言葉がそれに投げかける反映なのである》(ナボコフ)

ああでもそれにもまして
「どうしてこんなにも惹かれるのかしら」だって?
これだけはやめとけ!
なんというホモセンチメンタリスぶり!

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。 (クンデラ『不滅』)

感傷にひたる俗物を批判するのが文学のつとめだ
というのはナボコフだ
《俗物は文学や芸術のことは何一つ知らないし、
知ろうともしないが
──俗物は本質的に反芸術的である──
情報は求めているし、
雑誌を読む習慣は身につけている》(ナボコフ)

それにまだあるんだな
「デーモニッシュなシューベルト...」の三点リーダー
《わたくしが耐えがたかったのは、
このような点を平気で書くことや、
それが印刷されたものを眺めて
恥ずかしさを感じない連中が
少なからずいたことでした。
そんなややつは馬鹿だ、と》(蓮實重彦)
――《あれが許されるのは歌謡曲の世界でしょう。
あとは丹生谷貴志さんくらい》

ゴメンアソバセ!
偏屈者の書き手の文ばかりあげてしまった
でも「はしたなさ」の権化のような囀りだぜ
いやオレだって「…」の曖昧な情緒に溺れて
いい気持ちになることあるさ
他人の囀りのはしたなさを俎上に上げるなんて
厚顔無恥だわ…
もう、いけずやわあ。うちそんなん、よう言わん
粗暴とさえいえる

《おわかりだろうが、わたしは、
粗暴ということをあまり見下げてもらいたくないと思っている。
粗暴は、きわだって”人間的な”抗議形式であり、
現代的な柔弱が支配するなかにあって、
われわれの第一級の徳目の一つである。
--われわれが豊かさを十分にそなえているなら、
不穏当な行動をするのは一つの幸福でさえある》(ニーチェ)

デモーニッシュとは由緒正しい言葉だ
ゲーテの著作に頻出する
「デーモンのdämonisch嘲笑」(『詩と真実』)
いまやってるのはデモーニッシュな嘲笑さ

ソクラテスのダイモーン起源でもあるらしいな
アドルノやトーマス・マンにも頻出するさ
ニーチェのディオニソスと並べてね
だが《ディオニソス的なニーチェとは異なる
プラトン的なニーチェというものを想定せねばならない》(ドゥルーズ)

「どうしてこんなにも惹かれるのかしら」
などという自己耽溺の破廉恥な囀りを
破廉恥とさえ感じない連中があまた
棲息するのがインターネットというものだ
《それを崩れと観るという感受性それ自体が、
こんなに萎えてしまっているのではねえ》(松浦寿輝)

《女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、
という考えに熱中するあまり、
すっかり自分が高まっちゃった、
と思い込むことであります》(三島由紀夫)

エスにたいする自我の弱さ、われわれのうちにあるデモーニッシュなものにたいする合理性の弱さについて、無数の声がこれを強調し、この言葉を、精神分析学の「世界観」の支柱とみなそうとしている。だが、分析家がこれほど極端な党派にかたよらぬようにするものこそ、抑圧の効能についての知恵ではなかろうか。(フロイト『制止、症状、不安』)

さてなんの話だったか
ああ「デーモニッシュなシューベルト...

どうしてこんなにも惹かれるのかしら」
おそらく物を書くとは、こう内面でひそかに呟いて
それを表に出さずに、「翻訳」することなのだ
《書くことは語らないこと》(デュラス)

「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、 “できごと” として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。

決定的な翻訳にたどりつくことなく、「厚顔無恥」に陥ることも避けながら、とりあえずの翻訳にとどまるしかない「批評」は、あるとき、その宿命として、「表象の奈落」を目にする。そこには、もはや、他者の言説など存在せず、覚醒すべき記号さえ見あたらない。その視界ゼロの世界で、とりあえずのものでしかないにせよ、主体にこの不断の翻訳をうながすものは何か、どんな力に導かれて「批評」は記号の覚醒を目ざしたりするのか、それが物として生みだされるのではなく、事件として起こることを許すものは何か、等々、いくつもの声として響かぬ疑問を前にして、人は言葉を失う。「批評」が「批評」を超えた何かに触れることで陥る失語に言葉を与えるものは、もはや「批評」ではない。だかれといって、それが「哲学」かといえば、それは大いに疑わしい。(蓮實重彦『表象の奈落』「あとがき」より)

わかってるさ
これももはや通用しないのは。
今の日本ではもうイロニーさえない。
《たんに夜郎自大の肯定があるだけです。
はっきりいって、現在の日本には何も無い。
そして回復の余地も無い》(柄谷行人)
ーーなどと言う旧世代の死にかけたオッサンたちは
ほうておけばよろしい
厚顔無恥の夜郎自大の彼岸にある
来るべき「批評」!
美しき羞恥心の魂の果物

これは、志賀直哉の小説で読んだと覚えているが、父親が病気の子供をかかえて、夜の闇の中を医者のもとに走るーーあるいは、子供をおいて医者を呼びに走るーーその時、彼は、シューベルトの歌《エリケーニヒ(魔王)》を思い出し、何といやな歌だろう、こんな歌を書いたシューベルトとは何といやな男だろうと呪う。志賀直哉という人も、少なくともここでは、自分の感情をむき出しにぶつけて書いているという印象を与えずにはおかないけれども、しかし、その中には真実な直観がある。シューベルトという男は、疑いもなく、人間の心の奥底にある何かにじかにぶつかり、そこに眠っている深い恐怖をひきずり出してくることのできた芸術家である。

《エルケーニヒ》には、馬のはしるところの描写だとかいう三連符のリズムの持続音型があるわけだが、それはそう思ってきけばというだけの話だけであり、まして《死と乙女》には、そういうモチーフはまるでない。ここでの三連符が死神の象徴ということにはならない。しかし、彼はどんな標題楽作曲家もやれないような形で、音楽を通じて、特定の感情をきくひとからひきだす。そうしないではいられなかった男である。

だが、シューベルトにできたのは、こういう鬼気迫る、凄みだけではない。《ぼだい樹》の三連符――風にそよぐ大樹の葉ずれの音といわれている、あのモチーフ。それと組みあわされた旋律。あれは、きくものをどんな子守唄よりも、もっと深い、私たちの生命の根源にあるところまでつれていって、その眠りの中に誘い入れる魔力をもっている。トーマス・マンが《魔の山》の終りで、戦死した主人公の最後の意識の中で浮びあがらせるのが、この旋律であるのは、この音楽のもつ真実と完全に一致する。ここでは、死は解放であり、安息なわけだが、音楽が生まれてきたのは、その死からだといいたくなるほどである。



シューベルトには、音楽にしかない道を通って、こういう生死の根源的な源泉にじかにぶつかるという経験を、きき手に味わせずにはおかない能力がある。それは、きき手の深い陶酔の中で行われるのだが、その時、きき手は何も、いつも、志賀直哉の小説の主人公のように、闇夜の苦悩の中にいる必要はない。いや、正反対である。それは、あの《ます》の歌の澄んだ、平明な三連符の躍動の中にもあるのだし、《水車小屋》の若者といっしょに、小川の流れのモチーフを口笛で、何回もくりかえしていたってかまわない。

シューベルトの音楽には、日常生活の次元での意識にそって、そのまま動いていながら、同時に、もうひとつ下の層の意識を呼びさます力がある。その時、私たちは、音楽に魅せられて眠りに入るといってもよいし、逆に、日常の世界から、もうひとつの深い世界への意識に目ざめるといってもよい。どちらにせよ、同じことなのだ。それを、私は、シューベルトの音楽のデモーニッシュな性格と呼ぶ。(吉田秀和『私の好きな曲』)


音楽について書くのは実にむずかしい
吉田秀和や小林秀雄の文だって
鼻をつまみたくなるときがある

モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない.涙の裡に玩弄するには美しすぎる.空の青さや海の匂いにように、万葉の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモオツァルトの後にも先にもない。(小林秀雄「モオツァルト」)

「かなしさは疾走する」なんていま誰かが囀っていたら
やっぱりデモーニッシュな嘲笑の対象だ
当時「皺のない言葉」(ブルトン)であったにしろ
いまでは手垢まみれの陳腐化だからな
ーーというのは育った環境と時代、
そして教養によって異なるのだろうな

というわけでひとによるんだろ
シツレイしたな





2014年8月4日月曜日

男なんざ光線とかいふもんだ

なにが起こるだろう、ごくふつうの男、すなわちすぐさまヤリたい男が、同じような女のヴァージョンーーいつでもどこでもベッドに直行タイプの女――に出逢ったら。この場合、男は即座に興味を失ってしまうだろうね。股間に萎れた尻尾を垂らして逃げ出しさえするかも。精神分析治療の場で、私はよくこんな分析主体(患者)を見出すんだ、すなわち性的な役割がシンプルに倒錯してしまった症例だ。男たちが、酷使されているとか、さらには虐待されて、物扱いやらヴァイブレーターになってしまっていると愚痴をいうのはごくふつうのことだよ。言い換えれば、彼は女たちがいうのと同じような不平を洩らすんだな。男たちは女の欲望と享楽をひどく怖れるのだ。だから科学的なターム“ニンフォマニア(色情狂)”まで創り出している。これは究極的にはVagina dentata(「有歯膣」)の神話の言い換えだね。 (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe私訳)



…………

◆カーミル・パーリア「性のペルソナ」より。
女に対する(西欧の)歴史的嫌悪感には正当な根拠がある。(女性に対する男性の)嫌悪は生殖力ある自然の図太さに対する理性の正しい反応なのだ。理性とか論理といったものは、天空の最高神であるアポロンの領域であり、不安(に抗する為に)から生まれたのだ。………





西欧文明が達してきたものはおおかれすくなかれアポロン的である。アポロンの強敵たるディオニュソスは冥界なるものの支配者であり、その掟は生殖力ある女性である。その典型的なイメージはファンム・ファタール、すなわち男にとって致命的な女のイメージである。宿命の女(ファンム・ファタール)は自然の精神的両義性であり、希望に満ちた感情の霧の中にたえず射し込む、悪意ある月の光である。………






宿命の女は虚構ではなく、変わることなき女の生物学的現実の延長線上にある。ヴァギナ・デンタータ(歯の生えたヴァギナ)という北米の神話は、女のもつ力とそれに対する男性の恐怖を、ぞっとするほど直観的に表現している。比喩的にいえば、全てのヴァギナは秘密の歯をもっている。というのは男性自身(ペニス)は、(ヴァギナに)入っていった時よりも必ず小さくなって出てくる。………







社会的交渉ではなく自然な営みとして(セックスを)見れば、セックスとはいわば、女が男のエネルギーを吸い取る行為であり、どんな男も、女と交わる時、肉体的、精神的去勢の危険に晒されている。恋愛とは、男が性的恐怖を麻痺させる為の呪文に他ならない。女は潜在的に吸血鬼である。………





自然は呆れるばかりの完璧さを女に授けた。男にとっては性交の一つ一つの行為が母親に対しての回帰であり降伏である。男にとって、セックスはアイデンティティ確立の為の闘いである。セックスにおいて、男は彼を生んだ歯の生えた力、すなわち自然という雌の竜に吸い尽くされ、放り出されるのだ。………






エロティシズムは社会の一番柔らかい部分であり、そこから冥界的自然が侵入する。………

(性的な意味合いでの)自然とは、食うもの(食物連鎖の上、女を指す)と食われるもの(食物連鎖の下、男を指す)が繰り広げるダーウィン的な見世物である。生殖(性交)はどの側面を見ても食欲に支配されている。性交は接吻から挿入にいたるまでほとんど制御できない残酷さと消耗からなる。人間は妊娠期間が長く、子供時代もまた長く、子供は七年以上も自立することができない。この為に男たちは死ぬまで、(女性への)心理的依存という重荷を背負い続けなければならない。男が女に呑み込まれるのを恐れるのは当然だ。女は(自然を忘れた男を罰して食ってしまう)自然の代行人なのだから。(カーミル・パーリア「性のペルソナ」)



女は腹の魔力(ベリー・マジック)を表す偶像であった。女は自分だけの力で腹を膨らませて出産するのだと考えられていた。この世の始まり以来一貫して、女は不気味な存在と見なされてきた。男は女を崇めると同時に畏怖した。女は、かつて人間を吐き出し、今度はまた呑み込もうとする暗い胃袋だった。男たちは団結し、女=自然に対する防壁として文化を作りだした。天空信仰はこの過程における最も巧妙な手段であった。というのも創造の場所を大地から天空へと移すことは、腹の魔力を頭の魔力(ヘッド・マジック)に変えることであるからだ。そしてこの防御的な頭の魔力から男性文明の輝かしい栄光が生まれ、それに伴って女の地位も引き上げられた。近代の女たちが父権的文化を攻撃する際に用いる言語も論理も、男たちが発明したものである。(同上)

ーーカミール・パーリアは第二世代のフェミニスト、あるいは揶揄的にアンチフェミニズムのフェミニストとも言われる。

女は男の種を宿すといふが
それは神話だ
男なんざ光線とかいふもんだ
蜂が風みたいなものだ 

ーー西脇順三郎 「旅人かへらず」より





…………

あだしごとはさておきつ。

閑話休題(あだしごとはさておきつ)。妾宅の台所にてはお妾が心づくしの手料理白魚の雲丹焼うにやきが出来上り、それからお取り膳ぜんの差しつ押えつ、まことにお浦山吹うらやまぶきの一場いちじょうは、次の巻まきの出づるを待ち給えといいたいところであるが、故あってこの後あとは書かず。読者諒りょうせよ。ーー(永井荷風『妾宅』)

《話の腰を折ることになるが、――尤、腰が折れて困るといふ程の大した此話でもないが――昔の戯作者の「閑話休題」でかたづけて行つた部分は、いつも本題よりも重要焦点になつてゐる傾きがあつた様に、此なども、どちらがどちらだか訣らぬ焦点を逸したものである。》(折口信夫「鏡花との一夕 」)






さて吾良を評価した映画批評家、五十女のエミーは、じつは吾良がプロモーションの旅行に加わっている間、吾良に同行していたのだった。それも吾良の暇を見つけてはホテル近辺の小さなレストランに招いてくれ、もっと長い記事を書きたい、と詳細なインタヴューを続けたのである。

 

そして吾良があらためてサンフランシスコに戻り、日本へ発とうという前日、中華街に誘ってくれての、しめくくりのインタヴューがあった。その後、ホテルへの狭い坂道を辿る途中で抱きしめあることにもなった。吾良は勃起を感じとらせぬよう腰を引く配慮をするどころか、この夜はむしろ相手の下腹やら腿やらをそいつで押しまくってやった。インタヴュー使用言語の英語によって抑圧されていると感じてきた反動の、攻撃性も自覚していた。なにより十日間のアメリカ旅行に、性的なエネルギーが蓄積されていたのである。その結果、エミーは自宅へ向かう替りに吾良の部屋へ上がって来ることになった。

 






――それまでは、健康なことはよくわかるけれども、肥って陽気なインテリ女性というだけだったんだよ。ところがいったんヤルとなると、もの凄い熱中ぶりなんだ。穴という穴、前後を選ばない人でさ。朝までこれの身体のどこかにいつも手をふれていて、ヤッてない間はひたすらペニスを奮い立たせる手だてを講じている。そのほかに何もないよ。さすがにタフな吾良さんもエジャキュレイトが難しいとなると、自分の口のへりにペニスを引き据えてね、おれには指を使わせて、舌で盛んに協力する。なんとか放出できたとなると、カメレオンのようにそいつを舌でとらえるからね。空港への迎えの車が来れば彼女も乗り込んで、ずっとペニスにさわっているんだ!

 

それが今度、三週間のスペイン・ロケが定まってみると、おれと同じホテルに部屋をとったといって来たのさ。恐怖の二十日間のことを思うと、ペニスともどもげんなりしてね!(大江健三郎『取り替え子』p75-76






写真はすべて荒木経惟作品である。


女っていうのはさあ、残酷って言うか、野獣だから「何で私のスケベなとこ見えないのかしら、そういうとこ撮ってくれないのかしら」って内心じゃ怒っているわけだよ。(荒木経惟)





《荒木さんは私の中に潜んでいるその『女』に声をかけてくれた。私もそれを出すために荒木さんが必要だったんです。》ーーと語ったのは、荒木経惟の長年のモデルのひとりであるKAORIちゃんであるかどうかは知るところではない。

荒木の写真は、自分がいなくても自分が写りこむ「私写真」と本人が称するように、写真家の"存在"を痛烈に感じさせるものだ。直接姿を見せずとも、自分を写真の中に色濃く写し出す。(……)

こうした写真家の意図が、「自然に、ありのままに裸体が存在しているはず」という見るものの思惑を、そして見るものの視線を中断させるのだ。できるだけ写真家の痕跡を消そうとしていたグラビア写真とは正反対の行動である。荒木の写真は、扱う題材が一般的なポルノグラフィーとほとんど変わらない、もしくはそれ以上に過激であるにもかかわらず、「役に立たない」写真であるとされている。伊藤俊治の言葉を借りれば、「孤独な満足」を得られないのである。ポルノグラフィーでは可能だった鑑賞者と被写体との個人的な関除に、第三者として荒木が割って入っているからだ。(「私的な視線によるエロティシズム : 荒木経惟の作品を中心とした写真に関する考察」秦野真衣