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2014年3月21日金曜日

椿油でゴテゴテ光る黒髪

美容師と女あんまは愛らしいひょうたんを

かたむけてシェリー酒をのんでいる

従妹というのかなんというのかはよく知らないが妻とほぼ同年配の色っぽい女が米国から訪れて、というのはいわゆる華僑ならず越僑の娘であり、その父親が妻の近縁にあたるのだが、二人は夜半まで甘い酒を酌み交わしている。少しのあいだはご一緒させてもらったが、思出話が尽きぬらしくわたくしはしばらくして二階の書斎に引きこもったがそれでもときおりえもいわれぬ嬌声が響き渡る。気が散って本も読むことがままならず、といって音楽を聴く気分でもない。なんの気分かといえば、AVでも見たくなる気分だが、どうもインターネット上には好みの映像作品が見つからないのだ。といってもそれなりには観賞するほうなのを隠すつもりはない。いまは日活ロマンポルノか代々木忠のかつての作品が見たい。わたくしはAVの奥手でありまともに見だしたのは三十前後で、そのころ代々木忠にぞっこんだった。というかほとんど彼の作品しか観なかった。仕方がないので代々木忠のブログを眺めてることにするが、最近のはあまりおもしろくない。《これまで見てきた経験で言うと、感じやすいのだがイケない子に、実は潮吹きが多いように僕には思える》と書かれる2008年の記事「4回 潮吹きについて考える」は忘れがたいものだ。「第8回 表社会と裏社会の狭間」では日活ロマンポルノ上がりで、小指がないことも知った。


それにしてもあの越境女は黒髪がうつくしい
秋でもないのに《もう秋は四十女のように匂い始めた》


石榴と鐘は恋情に

ペン軸は女のパイプに

鉄橋は汽車に

冷寒は盆地に

椿油でゴテゴテ光る黒髪は

四十五歳の女に属すか



2013年11月1日金曜日

断腸亭日乗 昭和十二年及十六年

昭和十二年丁丑  荷風散人年五十九

二月三日。快晴の天気立春の近きを知らしむ。午後銀座に往き食料品を購ひて帰る。霊南坂を登るに坂上の空地より晩霞の間に富士の山影を望む。余麻布に卜居してより二十年いまだかつて富士を望み得ることを知らざりき。家に至るに名塩君来りカメラ撮影の方法を教へらる。夜八時W生その情婦を携来る。奇事百出。筆にすること能はざるを惜しむ。この日より当分自炊をなす事とす。一昨日下女去りて後新しきものを雇入るるには新聞に募集の広告をなすなど煩累に堪へざるを以てなり。W生帰りて後台処の女中部屋を掃除し、夜具敷きのべて臥す。畳の上に寝るも久振りなれば何ともなく旅に出でたるが如き心地なり。

こう引用したからといって、五十九歳百戦錬磨のはずの荷風にとっての「奇事百出」とはなんぞやなどと推測してみようなどという魂胆はない。もちろん「筆にすること能はざるを惜しむ」とあり、カメラ撮影の方法などとあれば、それなりに気になりはするが。




唐突に現代版「メドゥーサの頭」を挿入したが、当時の荷風にカラヴァッジョの腕前があったはずもなかろう。




It was Schopenhauer who claimed that music brings us into contact with the Ding an sich: it renders directly the drive of the life substance that words can only signify. For that reason, music “seizes” the subject in the Real of his or her being, by‐passing the detour of meaning: in music, we hear what we cannot see, the vibrating life force beneath the flow of Vorstellungen. But what happens when this flux of life substance is itself suspended, discontinued? At this point, an image emerges, an image that stands for absolute death, for death beyond the cycle of death and rebirth, corruption and generation. Far more horrifying than to see with our ears—to hear the vibrating life substance beyond visual representation, this blind spot in the field of the visible—is to hear with our eyes, to see the absolute silence that marks the suspension of life, as in Caravaggio's Testa di Medusa: is not the scream of the Medusa by definition silent, “stuck in the throat,” and does not this painting provide an image of the moment at which the voice fails?(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")





ところで敬愛すべき性の巨匠代々木忠にとっても《今まで潮吹きというのは何度か見てきた》程度らしい。そして彼が命名する《真性潮吹》なるものは一度だけのようで、ことさら珍しいもののようだ。この三十年間延べ千人近くの女性を撮って来たと語る代々木氏だが。また、《これまで見てきた経験で言うと、感じやすいのだがイケない子に、実は潮吹きが多いように僕には思える。つまり、女の子たちの言う「潮吹き=イク」ではなく、逆に「イケないからこそ潮を吹く」のではないか》と性の巨匠はおっしゃる……(週刊代々木忠第4回 潮吹きについて考える

オレニハ一度シカナイ、などと書けば反語的表現にもかかわらず自慢話と受け取られかねないので、知性溢れるきみたちは決してそんなことは語るべきではないゼ…いずれにせよ男と女との関係は厄介なものである…

during the 'flower power' period, the orgasms of both the man and the woman had to take place at the same time if possible, with the result that the post-Masters and Johnson couple eventually turned into a couple where the man was desperately trying not to reach a climax, while, at the same time, the woman was equally desperately trying to reach a climax. It had been complete-ly forgotten that the woman—despite her potential for having multiple orgasms—has a very different attitude to climaxing compared to the man. The male preoccupation with the actual phallus is in stark contrast with the lack of importance attributed to this work of art by the average woman. This was noted by Oscar Wilde, who said that the obligatory honeymoon trip of those times to the Niagara Falls was the bride's second great disappointment. The elliptical formulation he used is perfect because it effort-lessly evokes a truth that is almost inexpressible. (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe)


さてここでの話は台処の女中部屋の畳の上に寝ることである。当時、荷風の住んでいた麻布兵衛町「偏奇館」は西洋風の屋敷で、荷風は寝台で寝ていた。家政婦を募ったり探したりはしてはいるようだが、上の記述より少し前から戦渦で館が焼失するまで女中のいる気配は窺われない(わたくしの老化した記憶と散漫な読み方の範囲内では)。

もっとも昭和十三年にはこんな女中志願もあったようだ。

三月廿二日。細雨烟の如し。この頃名古屋よりしばしば艶書を送来る女あり。現代婦人の心ほど測りがたきはなし。手紙の文言次の如し。

第一信
未来の御主人様
お顔も御存じ申上げていませぬのにお手紙差上げたりして御免なさい。
貴方様はきっと静かないい毎日をお暮らしの事と存じ上げます。でも私は困っているのです、世の中がつまらなくって。ですから私を貴方様のお家へ女中に押込む事を思案しましたの。女中には困らないなどとおっしゃっては嫌でございます。(……)いい話がなかったわけは第一御面相が御面相ですし、私自身母さんみたいに九人も産まされたり育てたりする勇気がございません。保存すべきほどの種でもございますまい。
貴方様はそんな風な女人――ちょっと自分には過ぎた言葉ですがーー大嫌いでしょうか。だと私は困る。どうしても貴方様のお家へ寄せて戴きたいのですから。(……)

貴方様のおっしゃる事を聞いたりまたよく守って朝に夕にお心のそばにいたいと思います。そしてちょっとお仕事の邪魔をして上げたい。こわい顔にいつもお会いしたい。ではまた。光江拝

名古屋市熱田区沢下町十五  岸田光江





冒頭の日記から四年後の記述、独居老人の自炊生活の感慨味わい深し。

昭和十六年辛巳 荷風散人六拾三

正月一日。風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰ひたる餅を焼き夕は麺麭と林檎とに飢をしのぐ。思へば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなしてより早くも四年の歳月を過ごしたり。始は物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚しく世の中遂に一変せし今日になりて見れば、むさくるしくまた不便なる自炊の生活その折々の感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地のせらるる事多くなり行けり。時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひならが崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて還る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。


古井由吉が《孤立者は死ぬまで老年になるわけにはいかない》と書いているのはすこし前みた。

昭和五十七年の八月に私は東京駅を出た新幹線の中でたまたま開いた週刊誌のグラビアに、昭和三十四年四月末の荷風終焉の姿を見て吃驚させられた。取り散らした独り暮しの部屋の、万年床らしい上から、スボンをおろしかけた恰好のまま、前のめりに倒れこんで畳に頬を捺しつけていた。ちょうど外食から帰宅したところで、吐血だったという。墜落だ、これは、と私はつぶやいたものだ。八十一歳の老人というよりも、むしろ壮年の死だ。孤立者は死ぬまで老年になるわけにはいかない。いまや文豪の死というよりも、一般市民の覚悟しなくてはならない最後の姿だ、と。(古井由吉『東京物語考』

…………

蓮實重彦を真似て、変質者・変人だけが傑作をつくり出すことができる、としておこう。

エリック・ロメールまたは優雅な卑猥さの誘惑(蓮實重彦)

・エリック・ロメールの『緑の光線』は「必見の傑作」といった言葉を、恥も外聞もなく使ってみたい誘惑にかられる、驚くべき映画だ
・映画では変質者だけが傑作を撮ることができる
・エリック・ロメールまたは偶然であることの必然

…………

昭和十五年 五月初一

……余が下女を雇はず単独自炊の生活を営み初めしは一昨ゝ年昭和十二年立春の日よりならば満三年をすごせしなり。


2013年9月21日土曜日

9月21日

ははあ
第233回 3つのオーガズム(代々木忠)

(1)小さなオーガズム
(2)中くらいのオーガズム
(3)大きなオーガズム


僕が真のオーガズムと呼ぶのは3番目の「大きなオーガズム」だけである。とはいえ、この30数年間で延べ1000人近くの女性たちを撮ってきたけれど、大きなオーガズムを体験した人は10人にも満たない。

…………


昨日の続き(真実の仮面による欺瞞)。

人間だけは真理そのものを使って騙すことができる。動物は、自分とは違うものであるふりをしたり、自分がやろうとしているのとは違うことをやろうとしているふりをすることはできるが、嘘だと受け取られるだろうと予想して真理を述べ、それによって騙すことができるのは人間だけだ。人間だけは騙すふりをして騙すことができるのだ。(ジジェク『斜めから見る』p141)


「オレはAVはおくてでね、三十過ぎになってはじめてみたんだよ。もっとも日活ロマンポルノは二十前後にお世話になったけど」





「代々木忠のAVだけだね、みたのは。一時期かなりまとめてみたな、「ザ・面接」シリーズだね、お気に入りだったのは」



 




前回のブログで新田が指摘したように、僕の本能には傷がついていて、成熟していないのだと思う。幼児体験もそうだけれど、そればかりではなく、僕はずっとそういう人生を歩んできている。

 生まれ故郷の九州にいるとき、ろくに学校にも行っていない。中学の頃からどうにもならなかったし、入った高校は退学になり、それから定時制に通った。でも、勉強が頭に入ってこない。苦痛なのだ。それよりも生きることに、僕は切羽詰まっていた。

 学歴がないので、就職はまともにできない。大阪の花屋に入ったときには、まだ奉公という概念が残っている時代だったから、住み込みで使ってもらった。いずれにしても、選択肢が非常に狭かったのは事実だ。

 その後も生きていくなかで、みんなが当たり前に暮らしている社会へ入っていきたくても、僕にはそのパスポートがない。社会で生きていく術がない。仲間に入れてほしくても、入れてもらえない。
 1972年から始まった「日活ロマンポルノ裁判」のときにも、攻撃は僕に集中した。学歴もなく元極道だから、検察側もいちばん攻めやすいと思ったはずである。

 今この仕事をやっていても、それを感じる。AVだからという社会的な差別。たとえば事務所ひとつ決めるのにも、なかなか貸してはもらえない。ビルは空いているのに、いざ契約の段になって、AVメーカーだからと断られる。

 社会に入っていけなかったのは、小指がないという事情もある。小指がないことがわかると、その場の空気が変わるのである。それがたまらなくイヤだった。

 たとえば、むかしゴルフを始めようと思って、ゴルフ練習場でコーチについて教えてもらうことにした。最初はふつうに接してくれるのだが、「こっちの小指を絡ませて」と言って僕の小指を見た途端、いきなり寡黙になり空気が変わる。一事が万事そんな具合で、数え上げればキリがない。小指をつめたのは27歳のときだった。

 だから僕はいつの間にか、できるだけ人前に出ないようになっていった。東京には幼なじみもいない。極道をしていた頃の友達も、個人的にはいいのだが、彼の背後には彼の思惑とはまったく違った社会があり、しかもそっちの力は強いので、何が起きるかわからない。

 そういう意味では、僕はヤクザにもカタギにも、どちらにも入れなかった男なのかもしれない。ヤクザの世界では生きられない。でも、カタギの世界でも受け入れてもらえない。僕は表と裏の間にあるわずかな皮膜の部分で生きるしかなかったように思う。

 それでも、どうにかこうにかやってこられたのは、自分の中にある負けん気のおかげだろうか。追い込まれたときに、自分の中から何かが出てくるような気がする。逆に言えば、僕は追い込まれないと本当の力が出てこない人間なのかとも思う。

 日活ロマンポルノ裁判でも、いちばん簡単に落とせそうな僕が落ちなかったのは、検察も計算違いだっただろう。9年にもおよんだこの裁判は、高裁が無罪判決を出したことにより、検察側の敗訴という形で幕を閉じた。

 追い込まれないと、という意味では、アダルトの現場でもコンテなどを立てたら絶対にダメなのだ。なんの用意もなく現場に行って、相手と本当に向き合えるかどうかが僕の勝負である。

 たとえばでも、この子は平本君とやらしたらいいとか、これは銀次だなぁとかっていう思いもないわけではないが、それをあえてしない。「ザ・面接」シリーズは、男優たちの出る順番を決めるクジ引きから始まるが、あれにはそういう意味がある。

 プロデューサー面接で女の子のプロフィールや特徴といったデータは、男優も事前に読んでいる。男優たちは自分の引き出しを持っているから、その気になれば自分の中でどう対応するかの準備というかプランができてしまう。でも、それじゃあ面白くない。だから僕は、誰がどの子とあたるかわからないクジ引きという方法を取る。

 余談だが、うちのプロデューサーですら、あの冒頭にやるクジ引きは、あらかじめ順番だけ決めておいて、表向きだけクジ引きの風景を撮っていると思っていたようだ。男優が忘年会でクジ引きの思い出話をしたとき、「え? あれホントにやってるの?」とプロデューサーは驚いていた。

 こういう時代だから、今このブログを読んでくれている人のなかにも、大変な思いをしている人は少なからずいることだろう。でも、僕のような人間でも、きょうまで生きてこられたのだ。人生どうにかなるものである。(第8回 表社会と裏社会の狭間



ーー鈴木清順作品上映会に日活がフィルム貸し出しを拒否し、解雇問題にまで発展したことから、日活抗議デモの先頭を歩く、若き日の蓮實重彦(手前左)


…………

そうだな
オレが倒錯者のカテゴリーに入るかどうかは
自分では判然としないけれど
それっぽいのは確かだと思うよ(かつてはとくに)

これは本好きにかぎるが
ロラン・バルトが正しいとすれば
だれが何をやっているかで
かなりの程度で判断できるんじゃないか


読書の快楽のーーあるいは、快楽の読書のーー類型学を想像することができる。それは社会学的な類型学ではないだろう。なぜなら、快楽は生産物にも生産にも属していないからである。それは精神分析的でしかあり得ないだろう。そして、読書の神経症とテクストの幻覚的形式とを結びつけるだろう。フェティシストは、切り取られたテクストに、引用や慣用語や活字の細分化に、単語の快楽に向いているだろう。強迫神経症者は、文字や、入れ子細工状になった二次言語や、メタ言語に対する官能を抱くだろう(この部類には、すべての言語マニア、言語学者、記号論者、文献学者、すなわち、言語活動がつきまとうすべての者が入るだろう)。偏執症者(パラノイア:引用者)は、ねじれたテクスト、理屈として展開された物語、遊びとして示された構成、秘密の束縛を、消費し、あるいは、生産するだろう。(強迫症者とは正反対の)ヒステリー症者は、テクストを現金として考える者、言語活動の、根拠のない、真実味を欠いた喜劇に加わる者、もはやいかなある批評的視線の主体でもなく、テクスト越しに身を投げる(テクストに身を投影するのとは全く違う)者といえるであろう。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

…………


私はきくだろう 女が歌いだすのを 通ってゆく汽車の汽笛がきこえ、
その汽笛は、遠くまた近く、森のなかの一羽の鳥の歌のように、
移ってゆく距離を浮きたたせながら、
さびしい平野のひろがりを私に描きだし、そんな空漠としたなかを
光彩がよわまり、低くなり、また高くなり、やがて消えようとする一瞬に、
規則正しく間歇的に発するひときわ強くかがやくさけび声を
「果実が溶けて快楽(けらく )となるように、
形の息絶える口の中でその不在を甘さに変へるやうに、
私はここにわが未来の煙を吸ひ
空は燃え尽きた魂に歌ひかける、岸辺の変るざわめきを。」
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このデルタの岸辺に







あの女を見つけねばならぬ、あのなかにこそほんとうの奇跡が潜んでいるのだから、ふるえる一筋の光の線がなぎさを区切っている不動の海、ゆらぐ海藻のかげ、波間に見え隠れするとび色の棘、縦に長く裂けた海の皺の奥、その輪郭に沿ってさらに奥のほうへ潜りこんで貼り付いたようになってしまうとき、細い柔らかい触手が伸び絡まりつき、小さな気泡が弾ぜる数えられない奇跡の痕跡がくっきり刻まれているのだから、あの女は昏い、あの女は激しい、憤ろしい、しかも静かだ、紡錘形の二つの岬のあわいの磯陰でひたひたと匂いさざめく法螺貝の唇をまさぐりあて、あの女のなかに歩み入っていかねばならぬ