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2014年8月29日金曜日

「卑しいごますり作家どもに災いあれ」

@cbfn: ・・・或るシンポジウムで、文学の危機を口にするフランス人文学研究者に対して蓮實さんは、「場所を特定し得ぬものに危機の診断を下すことを私は一切する気は御座いません」というような応答をしたそうです。伝聞ですから正確な表現は知りませんが、見事に正当な応答だと思います(丹生谷貴志)

とはいえ、文学だけに限らず、書くだけで喰っていけた作家という職業の危機というものはあるのだろう。もちろんそんな作家はかつてから稀ではあったのだろうが、今は芥川賞を取っても、小説だけ書いて生活できる者は一握りしかいないわけで、大学で教師などとの兼任がどうしても必要となる。

詩人? 詩人ならなおいっそうのこと。

《基本的に生活をかけて仕事をしてきたから、ずっと書きつづけてきたってことはあると思います。 もちろん詩を書く仕事だけじゃありませんですけどね。 僕の同世代の詩人たちは、大学の先生とか定職を持っていた人も多かった。僕は書いて稼ぐしかなかったんです》 (谷川俊太郎

…………



《自分の作品が「新潮」に掲載されたときの原稿料が一枚八百円(当時は日給がちょうど八百円くらい)》との北方謙三の発言に対し、《卵の値段と原稿料は変わらない》(川上弘美)。


そもそも小説家というのは、ヤクザや売春婦にもなれない人間が、最後の寄る辺としてなるものであって、なろうとしてなるものじゃないですね。(矢作俊彦

古井由吉のように大学教師を辞めて原稿料一本で生活するなどということはいまでは滅多にないはずだ。

古井由吉は、手取りの月給が10万円に届いていない時代の大学教師を辞めて書いた第一作は240枚の『杳子』であり、当時の文芸雑誌の原稿料は600円から1000円なので、当分の計算は立った、と語っている(『人生の色気』)。

僕は、大江健三郎にせよ村上春樹にせよ、まともな文学が読まれなくなり、『ハリー・ポッター』が世界を制覇するような状況に、敏感に反応してるとは思う。(……)かつてのような文学はある意味で終わったんだから、どんどん攻めていかないとダメだっていう危機感が作家たちにあるんじゃないか。(……)

古井由吉みたいに衰弱を衰弱として見せるみたいな本当に高級な芸の境地に達しちゃえば、本が一〇〇〇部しか売れなくてもすごいって言ってられるかもしれない。でも、ある程度社会的に発信しようと思った場合、いわゆる純文学なんて言ってられないんじゃないか、と。(浅田彰「憂国呆談」)

やはり作家たちの危機感というものはあるはずで、冒頭の蓮實重彦の発言は、そのことについて「文学の危機」と抽象的に言ってしまってはいけないといういう含みもあるのではないか。

…………

哲学書としては異例の2万部を記録した『動きすぎてはいけない』で思想界を震撼させた千葉雅也さんが『別のしかたで ツイッター哲学』を上梓した。千葉さんの日頃のツイートをまとめたこの本、ページをめくると、哲学、トンカツ、学問論、ダチョウ倶楽部、精神分析など、話題は多様だ。ツイート同士に繋がりがあるものもあれば、ないものもある。時系列もバラバラで、白紙のページもある。(「ツイッターによる哲学書とは」)

――とあり、『動きすぎてはいけない』は《異例の2万部》とのことだが、浅田彰の『構造と力』が《難解な哲学書としては異例の15万部を超すベストセラーとなり、ある種の社会現象にまでなりました》ことに思いを馳せれば、いかにも2万部は少ない。日本からの情報はほとんどツイッターから得ているだけなのだが、あれだけの作家名・作品名の露出があるのだから、5万部ぐらいは売れているのではないか、となんとなくーー要するに旧世代の時代錯誤的感覚でーー憶測していたのだが。

「別のしかたで」とは、これは千葉雅也氏の書の内容とは別にして、ある程度社会的に発信しようと思った場合、思想書なんて言っていられないことによる「啓蒙書」分野への殴りこみでもあるはずで、これは國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』も同様なのだろう。

(この二人の作家の書物を読んだことがない者が書いていることを断わっておく。國分氏のものをウェブ上でその断片を読んだ程度だ)

もっともドゥルーズは、「別の仕方で」を次のように使っており、本来はおそらくこっちの意味なのだろう。

現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。(ドゥルーズ『フーコー』「褶曲あるいは思考の内(主体)」宇野邦一訳)

あるいは、「別のしかたで」とは、「非現働的な仕方で」とも読み替えてみたい誘惑にかられる。

能動的に思考すること、それは、「非現働的な仕方でinactuel、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである」。(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』江川隆男訳)

これは、ニーチェの『反時代的考察』unzeitgemässe Betrachtungからの引用であるが、「非現働的な仕方でinactuel」とは、ニーチェ訳文だとおおむね「反時代的に」となっている(『反時代的考察』の仏旧訳は”Considérations intempestives”、新訳では ”Considérations inactuelles”)。「啓蒙的」であることは、現在の読者に向けてへの教育という面があるのだから、啓蒙的であることと、反時代的(季節外れ、流行遅れ)であることは、いささか両立しがたい態度ではないだろうか。ーーと書けば、ドゥルーズやフーコー、あるいはニーチェだって、啓蒙的な書はあるという反論はあるだろうし、そもそもこういう考え方とは、また「別の仕方」の考えをとらざるをえないのが現代という時代なのかもしれない。


以下の蓮實重彦の語りは、氏がつねにこの態度であったかどうかは別にして、学生や読み手に背中を向けた「反啓蒙的な」姿勢を表現している。もっともこの態度が非現働的であるのかどうかは充分に議論の余地があるだろうが、《むなしい「恋文」のよう》に書く態度が、現在の書き手のなかでどれほど見られるものだろうか。

私は、まだ撮ったことのない映画を撮るようにして、作家と向かい合っていたのではないかと思います。要するに、徹底した観客無視です。見る者を代表するかたちで、一般観客向けに、この作品はこう理解すべきだといったことはいっさい口にしてない。おそらく、そんな批評は、これまであまりなかったのかも知れません。自分ではそうは思わないのですが、初期の私の映画批評がしばしば難解だといわれたのは、おそらくそのことと関係しています。澤井さんもいわれるように、私の批評は、見る人のことなどまったく考えず、もっぱら撮る人のことばかり考えて書かれたむなしい「恋文」のようなものだったのかも知れません。日本語を読むことのない外国の監督たちに触れている場合もそうした姿勢を貫いてきたので、翻訳で私の書いたものを読んで、それを介して親しくなる監督の数も増えてきました。考えて見ると、私は、外国の映画研究者よりも、外国の映画作家たちとずっと話が合うのです。

そうしたことが、教師としての私の姿勢にも現れていたのでしょう。この作品はこう読めといったことはいっさい無視し、勝手に映画作家たちへの「恋文」めいたことをまくしたてていた私の授業を聞いておられた若い人たちを、映画を語る方向ではなく、多少なりとも映画を撮る方向に向かわせることができたのは、そうしたことと無縁ではないのでしょう。(蓮實重彦インタビュー「作り手たちへの恋文」)


いずれにせよ、一時的には「啓蒙的」であることを選択せざるをえないとき、本来、非現働的な仕方で(inactuelに、であるならば、非現勢的、すなわち潜在的virtuelに)書かれるべき思想書の質の低下をどのように歯止めるかが問われるところだ。

「非現働的」とはプルースト流に言えば、《沖合いはるかな遠い未来のなかに》でもあるだろう。

自分の作品にその独自の道を たどらせようと思えば(……)その作品を十分に深いところ、沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)

さらにはまた何年もかけて仕上げた「思想書」よりも、わずかの期間で仕上げた啓蒙書ーーここでの「わずかの期間」とは語弊を惧れるがーーのほうが数倍も売れてしまったとき(いや同じ程度でもよい)、本来の「思想書」に回帰する書き手はそれほど多くないはずだ。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)

金にある程度かたがついても(あるいは金銭欲がもともとなくても)、「名声」というよりいっそう厄介なものが待っている。

ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがておとずれた名声は、彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名のまわりに集まるすべての誤解の総体にすぎないのだから。(リルケ『ロダン』)

金と名声とは、すなわち市場と名声であり、そこでは市場の蠅が待っている。

民衆は、真に偉大であるもの、すなわち創造する力に対しては、ほとんど理解力が無い。市場と名声とを離れたところで、全ての偉大なものは生い立つ。市場と名声を離れたところに、昔から、新しい価値の創造者たちは住んでいた。
 
逃れよ、私の友よ、君の孤独の中へ。
 
私は、君が毒ある蝿どもの群れに刺されているのを見る。逃れよ、強壮な風の吹くところへ。
 
逃れよ、君の孤独の中へ。君は、ちっぽけな者たち、みじめな者たちの、あまりに近くに生きていた。目に見えぬ彼らの復讐から逃れよ。君に対して彼らは復讐心以外の何物でもないのだ。
 
彼らに向かって、最早腕をあげるな。彼らの数は限りが無い。蝿たたきになることは、君の運命ではない。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「市場の蝿」(手塚富雄訳)


もちろんこれだけではない。評判となった作家の第一作とその後の第一作とは、かねてから、このようであろう。

芥川賞を初め、文学賞受賞作と受賞後第一作との相違を次のように定式化することができる。受賞作にあるあらゆる萌芽的なもののうち、受賞第一作においては、受賞によって光を当たられた部分が突出しているとーー。しばしば、受賞作にある豊穣さは第一作においては単純明快化による犠牲をこうむっている。(中井久夫「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収)

サドは、《卑しいごますり作家どもに災いあれ》とかつて書いたが、作家たちは、その多寡、意識的/無意識的な相違はあるにしろ、ごますりを免れるのは難い、とくに社会的に発信しようと思えば、それはどうしても避けがたくなる。だが現在はなおいっそうのことそうなのだろう。


…………

※附記:いまではほとんど通用しなくなってしまった言葉たちを並べておこう。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)
公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』)
文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。それでもよければ、それでいいでしょう。どうぞ、そうしてください。それに、そもそも私は、倫理的であること、政治的であることを、無理に文学に求めるべきでないと考えています。はっきりいって、文学より大事なことがあると私は思っています。それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでにその役割を果たし尽くしたと思っているのです。(……)

いや、今も文学はある、という人がいます。しかし、そういうことをいうのが、孤立を覚悟してやっている少数の作家ならいいんですよ。実際、私はそのような人たちを励ますためにいろいろ書いてきたし、今後もそうするかもしれません。しかし、今、文学は健在であるというような人たちは、そういう人たちではない。その逆に、その存在が文学の死の歴然たる証明でしかないような連中がそのようにいうのです。(柄谷行人「近代文学の終り」
20世紀の歴史的事実をなかったことにしたり、既に相対化されてしまったと割り切ったりするわけにはいかない。例えば文化的には、モダニズムということで文学でも、ジョイスやベケットがいて現代文学があった。日本でも大江健三郎や中上健次がいて今がある。しかし、特にここ10年くらい、そうした現代文学がなかったかのようにして、大正時代のような小説が平気で書かれる。確かに、ジョイスとかベケットの後では書けないとか、大江健三郎、中上健次の流れだけが現代日本文学だとかいうのは一方的過ぎるけれども、それは一回知っておくべきだし、それを知ってしまうとナイーブに物語は書けないはず。ところが、書き手自身がジョイスやベケットも読まないし、大江健三郎も中上健次も読まない、そして、なんか大正時代の文学が好きだからなんか書いてみたらこうなりましたとなる。それが芥川賞を取ったりする。これは驚くべきこと。(浅田彰氏講演録「知とは何か・学ぶとは何か」2001)

…………

◆蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』

(凡庸さ)はたんなる才能の欠如といったものではない。才能の有無にかかわらず凡庸さを定義しうるものは、言葉以前に存在を操作しうる距離の意識で あり方向の感覚である。凡庸な芸術家とは、その距離の意識と方向の感覚とによって、自分が何かを代弁しつつ予言しうる例外的な非凡さだと確信する存在なの だ。
語るべき根拠を持たぬままに語ること。知の欠如という消極的な無知を何とか埋めながら、ほどよい物語を語ってみせるというのではなく、無知に徹することで物語を宙に迷わせること。この凡庸な時代に文学たりうる言葉は、何らかの意味でその種の愚鈍さを体現している。

あるいは書くことへの不断の信仰を仰々しく述べるマクシム・デュ・カンの言説にたいして、

……安堵と納得の風土の中に凡庸さが繁殖する。そこに語られる言葉が紋切型というやつだ。(……)どこかしら正当な根拠のようなものと戯れ続けることで日々の執筆を習慣化したマクシムには、ギュスターブ(フローベール)のように書くことの無根拠と戯れる愚鈍さが欠けていたというべきだろう。
マクシムは、ただひたすら筆を走らせていたわけではなく、きまって何かを書くために、情熱的にペンを握り続けていたのだ、書くにふさわしい根拠を発見したときのみ、筆を走らせていたというマクシムの「情熱」は、もっぱら、その書くべき何かに向けられていたにすぎない。そのとき言葉は、素直に筆に従属するのみで、書き手を脅かす薄気味悪い環境へと変貌したりはしないようだ。ただ、書くことの無根拠さをきわだたせることは避けようとする配慮だけが、その筆を支えていたのである。

マクシムにとって、書くという「職人」的な「勤勉」さは、必然性を欠いた愚鈍な振る舞いであったためしがない。(……)マクシムにとっての書くことは、書かないでいることとは異質の特権的ないとなみにほかならず、「職人」的な「勤勉」さによってよく書くことへの善意がきまって報われるだろうと信じている。そして、不幸にして、その事実を信じて疑おうとはしない。みずからの犯した説話論的な錯誤のかずかずが、ことによったら、よく書くことへと誘う不実な言葉の裏切りによるものだとはまるで考えてもみないようだ。それが、無根拠に言葉と戯れうる愚鈍さを欠いたものの不幸にほかならない。

文学は、マクシムとともに、その不幸の別名となる。書くことが、書かずにいることとは異質の意味あるいは振舞いだと教えられてしまった相対的に聡明な者たちが支えあう文学の中で、マクシムは典型的な文学者の表情を獲得する。徹底した根拠の不在と進んで戯れうる無暴な愚鈍さに恵まれない作家たちは、はからずも知ってしまったことを正当な理由に仕立てあげ、多くの物語を不断に語り続ける。晩年のマクシムの信仰告白がふと洩らしているのは、そうした文学の不幸にほかならない。多くのことを知りながら、その不幸の凡庸さだけは知るまいとして、文学は百年に及ぶ歴史を刻んでしまったのだ。


2014年7月9日水曜日

「自らの新しさを誇示する」ための「言い換え」と「交替」

カントがいう「批判」は、ふつうにわれわれがいう批判とはちがっている。つまり、ある立場に立って他人を批判することではない。それは、われわれが自明であると思っていることを、そういう認識を可能にしている前提そのものにさかのぼって吟味することである。「批判」の特徴は、それが自分自身の関係するということにある。それは、自らをメタ(超越的)レベルにおくのではない。逆に、それは、いかなる積極的な立場をも、それが二律背反に陥ることを示すことによって斥ける、つまり、「批判」は超越論的なのである。

しかし、カントの「批判」を、べつに「批判哲学」のように限定して考える必要はない。たとえば、今日デリダやド・マンのいうディコンストラクションは、「批判」以外の何であろうか。それは、一義的な意味(真理)を、決定不能性(二律背反)に追いこむことによって無効化するものだし、批判(解体)ではなく、「批判」(脱構築)なのである。「超越論的」という言葉も同様である。それをとくにフッサールのいう意味に限定する必要はない。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

ここで柄谷行人は、「脱構築」はカントの「批判」の言い換えに過ぎないよ、と言っている。またこの『探求Ⅱ』の前に書かれた『探求Ⅰ』では、脱構築はソクラテスの「イロニー」の言い換えだよ、と言っている。

イロニーはソクラテスに於ては弁証法の主観的形態である。それは交際に際しての振舞いの仕方である。弁証法は事象の根拠であるが、イロニーは人間の人間に対する特殊な振舞いの仕方である。彼がイロニーによって意図したところは、人々をして自己を言表せしめ、自己の根本的な見解を提示せすめるにあった。そして一切の特定の命題からして、彼はその命題が表現していることの反対のものを展開せしめた。即ち彼は、その命題ないし定義に対して反対の主張をなしたのではなく、その規定をそのままとりあげて、その規定そのものに即して、いかにそれ自身と反対のものがそのうちにふくまれているかを指摘したのである。――かくしてソクラテスは、彼の交友たちに対して、彼らが何も知っていないということを知ることを教えたのである。(ヘーゲル『哲学史講義』)

ヘーゲルがいうように、ある命題を、いったん受け入れた上で、そこからそれに反対の命題を導き出して「決定不能性」に追いこみ、それを自壊させるというイロニーは、今日ではディコンストラクションとよばれている。というより、ディコンストラクショニストは、イロニーという語を避けることによって、自らの新しさを誇示してきたにすぎない。(『探求Ⅰ』)


それを言っちゃあおしまいだ、という観点もあるだろう。たとえば千葉雅也の「切断」は浅田彰の「逃走」の言い換えにすぎないという言い方もできるようだ。

浅田「ドゥルーズの話で前に言っていたけどね、(AOで)connecticutというのをconnect-i-cutとする、直訳すると「接続せよ-私は-切断する」というように、コネクション(接続)とカット(切断)が同義であるようなものとして、リゾームと言っていたわけじゃないですか。今(の若手論壇)は明らかにコネクション(接続)の方ばっかりですね。

〔……〕千葉雅也さんに今さらカット(切断)と言われてもそんなの最初からそうだよとは思うけどね。(浅田彰×東浩紀「「フクシマ」は思想的課題になりうるか)


ところで千葉雅也氏はつぎのようにツイートしている。

@masayachiba 浅田さんの場合の逃走と、僕の言う非意味的切断はけっこうニュアンスが違うのよね。 そのあたりを読み取ってほしいですね。浅田さんは強度の人。僕は弱度の人。

微妙な差異が肝要なのであって、それは前世紀80年代の時代状況にたいして、この二十一世紀の10年代の時代の変遷に対応したドゥルーズの読み取りということもあるのだろうがーーインターネットが蔓延る時代に「強度」の切断なんていっちゃあいられない、「弱度」だよ、という具合かーー、まあそれ以外のニュアンスの差も当然あるのだろう。



さて、ここで冒頭の思想の「言い換え」の話の続きにもどれば、柄谷行人はまた、哲学の発展に見えるような主義の変遷は二項対立的な繰り返しに過ぎないよ、と言う、《実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす》。


柄谷行人の言い方を真似すれば、いま流行りの「ポスト・ポスト構造主義」(ポスト構造主義を超える)は、これも「言い換え」か、「交替」かのどちらかということになる。

……カントの倫理性は、道徳論においてのみ見てはならない。理論的であることと同時に実践的であること、この超越論的な態度そのものが倫理的なのだ。われわれは、ここで、戦後のフランスで生じた実存主義、構造主義、ポスト構造主義という変遷を別の観点から見てみよう。たとえば、実存主義者(サルトル)は、人間が構造論的に規定されていることを認めながら、なお、自由があることを主張した。それはある意味で「実践的」観点である。一方、構造主義者が主体を疑いそれを構造の「効果」(結果)として見たとき、「理論的」な態度をとったのである。彼らがスピノザに遡行したのは無理もない。先に述べたように、カントの第三アンチノミーにおける正命題は、スピノザの考えーーすべてが原因によって決定されており、ひとが自由だと思うのは、原因があまりに複雑であるからだーーに帰着する。そうした自然必然性を超える自由意志や人格神は想像物であり、それこそ自然的、社会的に規定されている。ただしその原因はけっして単純ではない。そこではしばしば原因は結果によって遡及的に構成されている。


だが、このような考えに驚くべきではない。それは一つの括弧入れによって生じる「理論的」立場に固有のものである。実存主義と構造主義、あるいは主体と構造というかたちで問われた問題は、すこしも新しくない。それはカントが第三アンチノミーとして語った事柄の変奏にすぎない。構造主義的な視点に対して、主体を強調すること、あるいはそこに主体を見出そうとすることは無意味である。なぜなら、それを括弧に入れることによってのみ、構造論的決定論が見出されるのだから。逆に、構造論的な決定を括弧に入れた時点で、はじめて主体と責任の次元が出現する。ポスト構造主義者が道徳性を再導入しようとしたのは、当然である。しかし、それが何か新たな思想でもあるわけではない。実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす。カントが明らかにしたのは、この二つの姿勢を同時にもたねばならないということである。わかりやすくいえば、われわれは括弧に入れると同時に、括弧をはずすことを知っていなければならないのだ。(柄谷行人『トランスクリティーク』P184)

※柄谷行人のこの議論は、『隠喩としての建築』におけるペルレマンの「説得の論理学」を引用しての説明が水際立っている。


いやいや、プルースト曰く、「芸術」だって進歩するというのだから、「思想」はもちろんもっと進歩する。

ベルゴットのお株をうばって私をひきつけた作家は、私が習慣にしたがって意味をたどろうとした文章の関係の不統一のためにそれの理解に苦労させたのではなく、むしろ関係の申しぶんのない統一の新しさのために私を苦労させたのであった。いつもおなじ点まできて私がはたと行きづまるのを感じるのは、私の力の出しかたが毎回おなじであることを示していた。それにしても、千に一度、その文章のおわりまでその作家についてゆくことができたとき、私の目に見えてくるものは、かつてベルゴットを読んで私が見出したものに似てはいるが、つねにそれより快い、一種のおかしさ、真実性、魅力なのであった。私は思いかえすのであった、そういえば私がいまベルゴットの後継者から期待しているものに類する、世界を見る目とおなじ一新を、そう何年もまえにでなく私にもたらしたのはベルゴットであったことを。そして、内心こんなことを自分に反問するにいたった、ホメロス時代から大して進んでいるわけでもない芸術と、たえまのない進歩の状態にある科学とのあいだに、われわれがつねに投げるあの区別には、なんらかの真実があるのだろうかと。もしかすると、芸術は、その点では普通に考えれらているのとは反対に、科学に似ているのかもしれなかった、独創的な新しい作家はいずれもおのれに先だった作家を乗りこえて進歩をとげるのだと、私には思われてくるのであった。したがって、こんにち新人といわれる作家に、二十年後になって、私が苦労なくついてゆけるであろうときには、またべつの作家が出現して、その人のまえに現在の新人がベルゴットのあとを追ってすみやかに後退しないとは、誰が私にいえたであろう? (プルースト『ゲルマンとのほう Ⅱ』井上究一郎訳 文庫P29-33)

と、ここまでは、ツイッターでクンデラBOTの次の文に遭遇して「自由連想」引用したものである(わたくしはこの種の文をEVERNOTEの「引き出し」にかなりためこんでいる)。

人間がただ自分自身の魂の怪物と戦うだけでよかった最後の平和な時代、ジョイスとプルーストの時代は過ぎさりました。カフカ、ハシェク、ムージル、ブロッホの小説においては、怪物は外側から来るのであり、それは《歴史》と呼ばれています。《講演「セルバンテスの貶められた遺産」》

すなわち、なんら意地悪な見方をするつもりはない。新しい「思想家」の皆さん、ガンバッテ下サーイ!


若い人たちは、柄谷行人や、「思想の握手会」などという旧世代のインテリなどほうっておけばよろしい。


@cbfn: 送られて来た雑誌を見ると「ポスト・ポスト−構造主義」の字が躍る。いつこんな「アウフヘーベン」が起こったのかしらと、大体がテーゼもアンチテーゼも起動した記憶がないのに。思想の握手会みたいなもんなんでしょう。ガードマン不要、ってあたりがちとさみしいか、或いは自己防衛に覚えがあるか。

@cbfn: メイヤスーなんて、パンク気取りのエコール・ノルマル・エリートの御用達思想家みたいな人、そのうち翻訳攻勢がかかるのか、翻訳なんて業績にも換算してくれない手間仕事、もう誰もやらないか。(丹生谷貴志)

さてクンデラBOTのカフカとジョイス言及にて、もうひとつの文を自由連想したので、最後に附記しておく。

ジジェクは《カフカはある意味ですでにポストモダニストであり、ジョイスの対極であって、幻想の作家、吐き気を催させるような非活性的な現前の空間の作家である、ジョイスのテクストが解釈を誘発するとしたら、カフカのテクストは解釈を封じる》とか、《ポストモダニズムはある意味でモダニズムに先行するとすら言いたくなる》とかの言葉を差し挟みながら、次のように書いている。


脱構築はすぐれてモダニズム的手法である。それはおそらく「暴露(仮面を剝ぐ)」という論理の最も根源的な形である。この論理においては、意味の経験の統一性そのものが、意味作用のメカニズムの効果としてとらえられる。そしてその効果は、それを生んだテクストの運動を無視しているかぎりにおいて可能である。ラカンにおいてはじめて「ポストモダニズム的」断絶が生じる。というのも彼は、きわめて曖昧な地位を維持しているある種の現実界的で外傷的な核を論理化したからである。〈現実界〉は象徴化に抵抗するが、同時にそれ自身の遡及的産物でもある。この意味で、われわれは次のようにすら言うことができるーー脱構築主義者たちは根本的には依然として「構造主義者」であり、享楽こそが「真の〈物自体〉」であり、この中心の不可能性のまわりに、すべての意味作用のネットワークは構造化されている、と断言したラカンこそ唯一の「ポスト構造主義者」である、と。(ジジェク『斜めから見る』P267)

この書は90年代の初頭に上梓されたものだが、最近でも(たとえば『LESS THAN NOTHING2012)でも似たようなことを書いている。もっともジジェクにかかれば、なんでもラカン、なんでもヘーゲルの気味合いがある。

〈脱構築主義者たちは根本的には依然として「構造主義者」〉とある。

これは蓮實重彦が『フーコーと《19世紀》』という小論で、《フーコーにとって「ポストモダン」という問題は存在しない。〔中略〕現在のエピステーメーの領域にはいかなる断絶の兆候もない。いわゆる「大理論」の成立は何の変化ももたらさず、またそれらの死と呼ばれるものも、全く効力がない。考古学者フーコーにとって、「ポストモダン」とは、いわば誤まった問題なのである。》とするのと似たような視点なのだろう。

さてこれも旧世代のいまでは後期高齢者のオッサンがこんな見解をかつて示しただけであり、「ポストポスト構造主義」は、きっとアタラシイことが言われているにチガイナイ。若き思想家の皆さん、こんなことは気にしてはいけない、真に「自らの新しさを誇示」してクダサァ~イ!

…………


「アタラシイ」などと書いてしまうと、また「自由連想」引用の連鎖になってしまう。

《「新しいこと」は十中八九、新奇さのステレオタイプでしかない》(ロラン・バルト『テクストの快楽』)。


批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっている(プルースト『見いだされた時』)

2014年6月14日土曜日

「救命ホース」

たとえば、ただひたすら「レッテル貼り」(「名詞形」)なる他人の態度が思考だの身振りだのからしなやかさを奪っているのだと信じねば気のすまぬ連中というのがどこの世界にも存在していて、そのことじたいは、彼らが孤独にそう信じているかぎりどうということはないのだが、しかしながら、かつて居酒屋や井戸端で呟かれて翌日は忘れられたはずのそのたぐいのナイーヴな考えを誰もがインターネット上に書きこむようになった現在では、酒場に長時間居座ったままの頭の曇り具合のままに吐き出された無知蒙昧な言葉が巷間に流通してしまう。すると、悪くすれば同じような酒を飲まないまでもいつも酔っ払ったような手合いの頷きあいの連鎖を引起こし、場合によっては表面的な、かつ庶民的正義感のはけ口に利用されて、先入見の無思考の輪がたちまち拡がってしまうなどということが起こりうる。そんなありさまをいささかの距離をおいてながめているものたちも、彼らの表情がそのときばかりは妙に真剣なので、それをあからさまに無視するのも何か気がひけてしまうのだが、たぶん善意にほどよく湿っているのであろう瞳をこらして彼らが信じ込んでいるたとえば「名詞形」なる悪の猖獗をじっと見すえている仕草はなかなか堂に入っていて、まんざら冗談とも思えず、ついついそれほどのことならひとつ連中とつきあってみようかと思ってしまうものがでてくるのも無理からぬ話だ。

ーーとはさる書き手の文体模写の練習である。文体はまだしも、ひどい内容だねえ。わたくしは決してこんなことはいいはしない。

ところでドゥルーズの「概念の創造」ってのは、新しくレッテル貼りするのとどう違うんだろ?

柄谷行人)ぼくはドゥルーズがいった概念の創造ということに関して大きな誤解があると思う。概念の創造というのは新しい語をつくることだと思っている人が多い。その意味でいうと、『千のプラトー』はものすごく新しい概念に満ち満ちているように見えるけれど……。

ぼくはそんなものは感嘆に形式化できると言っている。だからそこに新しさを見てはいけない。概念を創造するというのは、あたりまえの言葉の意味を変えることなんですよ。しかし、そうやって意味を変えるときに、必ずドゥルーズならドゥルーズという名前がついてくるんです。たとえば、マルクスが「存在が意識を決定する」と言ったときの「存在」は、マルクスによって創造された概念なんで、その一行は「事件」なんです。ぼくはそれが概念の創造だと思う。

浅田彰)だから、たとえばデカルトの「コギト」(われ思う)というのが概念の創造なんですね。

蓮實重彦)まさにそのとおりだと思うけれども、ちょっと違う角度から言うと、たとえば『マゾッホ』、あれはサディズムの概念をおもしろく定義したからいいのではないし、マゾヒズムの概念をおもしろく定義したからいいのではなくて、ふたつを分けたことが概念の創造なんです。

浅田)「マゾヒズム」はサディズムと関係ないというのが概念の創造なんですね。
( ……)
音楽でいうと概念というのはライトモチーフなんですよ。だから、一回聴いたらそれがだれのものかわかるんですね、どういう変奏のもとに出てきたとしても。

蓮實)そこで、まさに概念は署名と不可分だということになる。それで、ドゥルーズという署名の問題が出てくるんだけれども、彼がガタリと創造した概念を、あたかもそれがCMでいうコンセプトであるかのようにして流通させている人は、まさに固有名を背後に感じていながらもこれを切断しているという、悪しき流通形態に陥ってしまう。それに対してドゥルーズは非常に厳しく批判していますね。

浅田)たとえば「スキゾ」という概念が 80年代の日本で結果的にCMのコンセプトのようなものとして流通したことは事実だし、その責任の一端は感じますけど ……。

蓮實)ありますよ、それは(笑)。

浅田)しかし、本当は、「スキゾフレニー」(分裂症)という言葉だってそれまでにいろんな人たちによっていろんな形で使われてきたわけで、ドゥルーズとガタリは新しい言葉を作るのではなくそういう既成の言葉を新しい形で使うことで概念を創造したんです。その点では、ガタリはまだ新しい言葉を生み出しているとして、ドゥルーズはほとんどそういう言葉を生み出していないとあえて言いたいぐらいなんですね。

蓮實)であるがゆえにすごいんだということでしょ。

浅田)そうです。つまり、ドゥルーズはやはり何よりも哲学史家だと思う。音楽の比喩で言うと、作曲家ではなくて演奏家なんです。ドゥルーズとガタリはグールドが好きだったけれど、グールドが弾くとバッハもベートーヴェンもグールドになってしまう、しかしそれはやはりバッハやベートーヴェンなんです。ガタリとの関係で言えば、ドゥルーズはほとんどガタリというピアノを弾いているんですね。

柄谷)カント論もニーチェ論もみなそうで、演奏なんですね。

浅田)演奏ってインタープリテーション(=解釈)ですから。

柄谷)ただし、解釈学とは違う解釈ですね。(共同討議「ドゥルーズと哲学」批評空間 1996Ⅱ―9)

…………

…次のことだけを指摘しておきたい。しばしば合理的な思考の源泉とみなされるギリシャの思想家における「建築の意志」が、ヘブライニズムに劣らず、非合理的な選択にほかならなかったということである。ニーチェが、それを、生成の多様性・偶然性を肯定することのできない弱者のデカタンス、あるいは合理主義への非合理的な逃避とみなしたように。

隠喩としての建築とは、混沌とした過剰な“生成”に対して、もはや一切“自然”に負うことのない秩序や構造を確立することにほかならない。(柄谷行人『隠喩としての建築』p10-11)

「生成/秩序」の二項対立とあるが、まあこれも前投稿で言及した「動詞形/名詞形」なるものとどうちがうのかということだな。だいたい哲学の歴史とはこういった二項対立のひっくりかえしの繰り返しなのだということは、無知蒙昧の稀少な連中を除いてーーすなわちわたくしのような輩を除いてーー、いまでは誰もが知っているはずのことだ。もちろん微妙な差異が肝要だとはいえ、すべて形式化できる、というのがこの当時の柄谷行人の見解だね(ということは上のドゥルーズ座談会でも繰りかえしているが)。

たとえばドゥルーズの「少女になる、子供になる」ってのも「生成」だよな。当時流行していた構造主義のひっくりかえしさ。

少女や子供が生成変化をとげるのではない。生成変化そのものが少女や子供なのである。子供が大人になるのではないし、少女が女性になるのでもない。少女とは男女両性に当てはまる女性への生成変化であり、同様にして子供とは、あらゆる年齢に当てはまる未成熟への生成変化である。「うまく年をとる」ということは若いままでいることではなく、各個人の年齢から、その年齢に固有の若さを構成する微粒子、速さと遅さ、そして流れを抽出することだ。「うまく愛する」ということは男性か女性のいずれかであり続けることではなく、各個人の性から、その性に固有の少女を構成する微粒子、速さと遅さ、流れ、そしてn個の性を抽出することだ。<年齢>そのものが子供への生成変化なのだし、性一般も、さらには個々の性も、すべて女性への生成変化、つまり少女たりうるのである。――これは、プルーストはなぜアルベールをアルベルチーヌに変えたのだろうかという愚劣な問いへの答えである。

ところで、女性への生成変化も含めて、あらゆる生成変化がすでに分子状であるとしても、あらゆる生成変化は女性への生成変化に始まり、女性への生成変化を経由するということも、はっきりさせておかなければならない。女性への生成変化は他のすべての生成変化を解く鍵なのである。戦士が女性に変装し、少女になりすまして逃走する、そして少女の姿を借りて身を隠すということは、彼の経歴において恥ずべき仮そめの偶発事などではない。身を隠し、偽装するということは、戦士の機能そのものなのだ。……(ドゥルーズ『千のプラトー』厚表紙版 p320

 

丹生谷貴志氏は、たしか二年ほどまえにこうツイートしている。

・例えばD/Gの提起するものは無論或る「思考実験」だが同時にそれは「生の実験」に関わるものである。しかしいつの間にか彼らの思考は研究者の書斎や語句注解の営みに呑み込まれてしまった。それを推進するはずの者の営みがその本質を封鎖する障壁になってしまう・・・まあ、いつの時代も相変わらずか

・「ドゥルーズやフーコー、デリダといった人々の提起はたぶん哲学的にも倫理的にも望ましきことだが、最大の問題は彼らの要請するような世界を耐え続けることが出来る者はおそらく極く稀な者たちだろうということです」、と、こう言ったのがレヴィ=ストロースだったという僕の記憶はいい加減として・・

・じっさい「器官なき身体」やら絶え間ない「脱構築」或いは「外の思考」絶対的分散、主体と起源と帰属の不在、絶対的多元性、マルティテュード、例外性etc.を文字通りに「生きる」ことに耐え続け得る者はおそらく殆どいない。しかし少なくともそれが僕らの「救命ホース」であることに変わりはない

 すなわち生成変化やら動詞形に耐え続ける者は殆どいないんじゃない? ってことだな。
あれら学者たちをみてみろよ。どうみても「生成変化」には縁のなさそうなおっさんがなんたら言っているだけだろ、と。ただ「救命ホース」としては大切だよな、というわけだ。

…………


※附記:柄谷行人の形式化の議論


……ペレルマンは『レトリックの帝国』のなかで、伝統的レトリックではほとんどとりあつかわれない議論技術として「概念の分割」をあげている。「現象/実在」という対象概念は、その最も代表的な例であり、偶然/本質、相対/絶対、個別的/普遍的、抽象的/具体的、行為/本質、理論/実践といった二項対立もおなじみのものだ。ペレルマンはこれを「第一項/第二項」とよび、さらにそれらがたんなる二項対立ではないことをつぎのように説明している。

《現象/実在という対概念を手本として、哲学的概念を第一項/第二項の形で表すことができる。第一項は現象的なもの、最初に出てくるもの、現実的なもの、直接的なもの、直接に認識されるものを表わす。第二項は第一項との間には区別があるが、この区別は第一項に関連づけてのみ理解される区別であって、第一項の諸様相間に現れた不両立関係を除かんがため第一項内で行われた分割の産物が第一項と第二項との区別である。第二項は第一項の諸様相内で価値あるものと無価値なものとを区別することを可能にする基準、規範を示している。第二項はたんに与えられてそこにあるものではなく、第一項を分割するにあたってその諸様相間に上下関係を設定することを可能にする規則のための構成物(コンストラクション)でもある。何が実在であるかを決定する第二項の規則に合致しないものが、見かけのもの、誤っているもの、悪い意味で現象的なものである。第二項は第一項に対して規範であり、同時に説明でもあるのである。》(ペルレマン「説得の論理学」)


「説得の技術」としてみられているかぎり、どんなレトリック論も不毛である。(中略)「説得の技術」であるかぎり、レトリックは二次的であり、それはペレルマン自身のいい方でいえば、{(レトリック/哲学)哲学}という構図のなかにある。すなわち、レトリックと哲学の対立はメタレベルとしての哲学によって支えれれている、しかし、今日いわれている「レトリックの復権」は、そのような構図の“逆転”としてあらわれたのである。つまりレトリックそのものがレトリカルに逆転されたのであって、この自己言及性に注意しなければならない。それがもはやたんなる“逆転”でありえないことはいうまでもない。ペレルマンは、西洋哲学がそのような二項対立のなかにあると同時に、“独創的思想”が、これらの対概念の上下を逆転することによって生じてきたこと、しかしたんなる“逆転”にはとどまりえないことを、次のように説明している。

《独創的思考はためらうことなくこれら対概念の上下をひっくり返すものだが、しかし、その逆転も、対概念の二項のいずれかを手直しすることなしに起こることはまれである。逆転を正当化する理由を言う必要があるからである。こうしてたとえば個別的/普遍的という伝統的形而上学の特徴的な対概念を逆転すると、抽象的/具体的という対概念になる。なぜなら普遍がプラトン的イデアの如き高度の実在でなく、具体的なものから派生した抽象物とみなされるところでは、唯一の具体的存在でる個別的なものの方にこそ価値があるとされるからである。その場合直接に与えられたものの方が実在であり、抽象物は理論/実在の対概念に対応した派生的理論的産物にすぎないものとなる。》

そこからみれば、「形式化」が、たんに形式/内容の逆転ではありえず、{(形式/内容)内容}という構図そのものの逆転であらざるをえないことが明らかになるだろう。そして、この逆転は、{(内容/形式)形式}に帰結するだろう。デリダのいう「自己再固有化の法則」とはこのことである。そして、彼自身が{(差異/同一性)同一性}という形而上学的な構造を根本的に逆転するかぎり、{(同一性/差異)差異}に帰着してしまわざるをえない。彼自身が「自己再固有化」におちいらないようにするために、再び従来の構図を必要とするのである。

すでにのべたように、十九世紀後半からの「形式化」は、「知覚/想像力」・「実存/本質」・「不在/現前性」・「シニフィアン/シニフィエ」・「文字/音声」・「狂気/理性」・「精神/身体(知覚)」、その他ありとあらゆる二項対立(副次的なもの/一次的・本質的なもの)の“逆転”としてあらわれている。それが実存主義とよばれようと、構造主義とよばれようと、また当人がそのような名称を拒絶しようと、重要なのはそのような“逆転”ではない。むしろわれわれが問うべきなのは、いかにして“逆転”が可能なのかということだ。そのことは、すでにペレルマンが「分割」についてのべたことのなかに示唆されている。 すなわち、第二項は、「第一項/第二項」の対立に属すると同時に、第一項において不可避的に生じる「不両立関係」(パラドックス)を回避するために見出されるメタレベルであり、そしてこの上下(クラスとメンバー)の混同を禁止するところに、いわば「形而上学」がある。つまり、プラトン以来の哲学は、たんなる二分法によるのではなく、この対立がもつ自己言及的なパラドックスを“禁止”するところにあった。しかし、それはけっして“禁止”できない、というのは、それは形式的にコンシステントであろうとするかぎり、「決定不能性」におちいるからである。(柄谷行人「形式化の問題」『隠喩としての建築』(講談社版)P115-119)



2013年7月6日土曜日

大江健三郎と三島由紀夫の文体をめぐるメモ

皆さん、芸術家なら自分の作品をエラボレートするのは当り前だろう、といわれるかもしれません。しかし、この国ではそうじゃないんです。エラボレートする作家は──文学でいうならば──じつにまれで、たとえば安部公房のように特別な人なんです。かれの小説の初出と、全集におさめてあるものを比較すればあきらかですが、安部さんはいったん発表したものも、なおみがきあげずにはいられない作家でした。

三島由紀夫の文体は見事だ、というのが定説ですが、あれはエラボレートという泥くさい人間的な努力の過程をつうじて、なしとげられた「美しい文章」ではないのです。三島さんは、いわばマニエリスム的な操作で作ったものをそこに書くだけです。書いたものが起き上がって自分に対立してくるのを、あらためて作りなおして、その過程で自分も変えられつつ、思ってもみなかった達成に行く、というのではありません。三島さんのレトリック、美文は、いわば死体に化粧をする、アメリカの葬儀屋のやっているような作業の成果なんです。若い作家でそれを真似ている人たちがいますから、ここでそう批判しておきたいと思います。(大江健三郎 講演「武満徹のエラボレーション」|東京オペラシティコンサートホール)

《大江健三郎は懸命に三島由紀夫を否定する。ちょうどヘーゲルが懸命にシュレーゲルを否定したように。》(柄谷行人「同一性の円環」)――もっとも柄谷行人がこう書くのは、大江の三島由紀夫文体への「否定」をめぐってではないが、いまはその内容については触れない。大江健三郎はありとあらゆる機会をとらえて三島由紀夫を否定する、そのことが言いたいだけだ。文体に関しては、大岡昇平が指摘されたとされる以下の文のようなことを、大江氏は想起しつつ上のように語ったのかもしれない(丹生谷貴志の文であるが、ツイッター上で拾ったので出典は不明)。

三島由紀夫の死後、大岡昇平は三島の文体に時折露骨なかたちで現れる奇妙なメカニズムを指摘している。三島の文体全般に言えることだが、時折唖然とするほどに空疎な措辞を用いた文章が現れるという点である。例えば、と大岡は『天人五衰』の一文を挙げる。…「宇治市へ入ると、山々の青さがはじめて目に滴った」。…「目の前の現実に対して言葉は既成の言葉の中からほとんど自動的に選ばれる。つまりは美文が生まれる訳である」と大岡は言っている。要するに銭湯の壁画みたいだ、ということである。

同じことが、或いはこの文例よりもさらに空虚な措辞からなる次のような文にも認められる。『暁の寺』最後のクライマックス部分である。「こんな場合にも、ほとんど無意識の習慣で、本多は赤富士を見つめた目を、すぐかたわらの朝空へ移した。すると截然と的れきたる冬の富士が泛んで来た」。…「セツゼントテキレキタルフユノフジ」! …

「既成の言葉の中から自動的に選ばれる」という大岡の評言は、要するに三島は目の前の「現実」に対して、可能な限りそれに“相応しい”言葉の探究をすることなく、例えば旅行用パンフレットに書かれるような「既成のレトリック」の中から…切り取って来るかのようだといった意味だろう。しかしここで重要なのは、三島が、或いは三島が選んだ「文体」が半ば意図的に「現実」との接触を避ける身振りを持っているという点である。正確に言えば、「現実」を前にし、一応そこに向けての接近の身振りをするのだが…そしてそこにおける三島の詳細で微分的な精密さについて否定する者はいないと思われるが、しかし、三島の文体には或る“感覚的に自動的な”飽和点とでも呼ぶべきものがあって、文章が現実の不定型に巻き込まれる程に近づこうとする瞬間に身を引いて自らの中に凝固しようとするかのようなのである。(丹生谷貴志)

「既成の言葉の中から自動的に選ばれる」、――三島由紀夫の文章には、たしかにこういった印象を生む場合がわたくしにもあるのだけれど、まああまり偉そうなことを言うつもりはない、たいして読んでもいないのだから。「截然と的れきたる冬の富士」、こういった漢文ベースの文体、たとえば森鴎外やら永井荷風にも似たような表現はあるのだけれど、なぜこの二人の巨匠の文体にはそういったことを感じないのかのほうが、わたくしには不思議なのだが、その二人の文章だってたいして読んでいるわけではなく、何度も読んだのは、『渋江抽斎』と『断腸亭日乗』なのだけれど、「既成のレトリック」の中から切り取って来るかのような感じを受けたことはない(谷崎からも川端からも受けたことはない、逆に学者の論文などそんなものばかりだ)。

――「琴瑟調わざることを五百に告げた」「淵に臨んで魚を羨むの情に堪えない」「玄碩の遺した女鉄は重い痘瘡を患えて、瘢痕満面、人の見るを厭う醜貌であった」……

――「断膓亭の小窗に映る樹影墨絵の如し」「樹間始めて鶯語をきく」「此日天気晴朗。園梅満開。鳥語欣々たり」……

たぶん「既成のレトリック」の中から切り取って来ること自体が問題なのではなく、丹生谷氏が最後に書いているような《三島の文体には或る“感覚的に自動的な”飽和点とでも呼ぶべきものがあって、文章が現実の不定型に巻き込まれる程に近づこうとする瞬間に身を引いて自らの中に凝固しようとするかのよう》なせいであって、肝心なところで拍子抜けするということなのではないか(描写される時代が漢語表現に適さないということもあるだろう…現代クラッシックの作品が古典的作風で作曲されても、どこか「まがいもの」感が生まれてしまうように…まあこのあたりのことはあまり考えたことはないので、ひどく馬鹿げたことを言っているのかもしれない)。

今どき文学上のリアリズムっていうと、まあ多少文学を考える人はまともに付き合うまいと思うでしょう。リアリズムというのは、人がどこで得心するか、なるほどと思うか、そのポイントなんですよ。つまり人は論理で納得するわけじゃない。論理を連ねてきてどこか一点で、なるほどと思わせるわけです。その説得点あるいは得心点ともいうべきところで、形骸化されたリアリズムが粘るというのが、文学としてはいちばん通俗的じゃないかと思うんです。説得点にかかるところだけはすくなくとも人は真面目にやってほしい。つまりこんな言い方もあるんです。今どき文章がうまいというのは下品なことだと。それをもう少し詰めると、感情的な、あるいは思考の上でのポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる。筋の通ったあり来たりならいいですよ。もしもそういう筋の通った『俗』がわれわれにとって、説得点として健在ならば。しかし時代になんとなく流通するものでもって人に説得の感じを吹き込む、そういう文章のうまさ、工夫、これは僕はすべて悪しき意味の通俗だと思う。これがいわゆるオーソドックスな純文学的な文章にも、ミナサンの文学にも等しくあるわけだ。これをどうするのかの問題でね。(古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』ーーありきたりな言葉


といっても、大岡昇平の文体だって、なんだか物足りなさを感じるときがある、とくにスタンダールやレイモン・ラディゲを擬した恋愛もの。安吾のいうとおり、《心理描写が行き届いて明快であるが、それは御両者のつかみだしてきた事柄についてのことで、その事柄として明快に心理をつかみとって描いてみせているけれども、その事柄でない方には目をふさいでいる。一方に行き届いて明快であることが、他には全然行き届かぬという畸型を生じております》。まあプルーストと比べてしまうのは、彼らに酷かもしれないけれど、おなじ心理を描くといっても、判断保留の宙吊り感といったものが少ない、プルーストの小説の登場人物の一人、《コタールは《偉大》でも《卑小》でもない。仮に真実があるとすれば、その真実は「他者」の言葉が彼に与える動揺全体にいきわたる言述の真実である。》(ロラン・バルト)――こんな感じは全然ない。ラディゲにもサガンにもない。スタンダールはどうか、あるんじゃないかね、スタンダールの翻訳者大岡昇平にくらべて格段に。あまりにもの明快さへの不満かな。もっともこのあたりはたんに好き嫌いのせいだけではないかと疑ってみる必要はあるのだけれど。


大岡昇平と三島由紀夫は戦後に文章の新風をもたらしましたが、その表現が適切に、マギレのないようにと心がけて、まさしく今までの日本の文章に不足なものを補っております。明快ということは大切です。

ですが、小説というものは、批評でも同じことだが、文章というものが、消えてなくなるような性質や仕組みが必要ではないかね。よく行き届いていて敬服すべき文章であるが、どこまで読んでも文章がつきまとってくる感じで、小説よりも文章が濃すぎるオモムキがありますよ。物語が浮き上って、文章は底へ沈んで失われる必要があるでしょう。

御両所に共通していることは、心理描写が行き届いて明快であるが、それは御両者のつかみだしてきた事柄についてのことで、その事柄として明快に心理をつかみとって描いてみせているけれども、その事柄でない方には目をふさいでいる。一方に行き届いて明快であることが、他には全然行き届かぬという畸型を生じております。

それも要するに、文章が濃すぎるということだ。文章というものは行き届くはずはないものです。行き届くということは、不要なものを捨てることですよ。すると他に行き届かないという畸型は現れません。

そして、捨てる、ということは、どういうことかと云うと、文章は局部的なものでないということです。むろん、文章は局部的にしか書けないし、その限りに於て文章は局部的に明快で、また行き届く必要がありますけれども、文章の運動というものはいつも山のテッペンをめざし、小説の全体的なものが本質として目ざされておらなければならない。言葉の職人にとって、一ツ一ツの言葉というものは、風の中の羽のように軽くなければなりませんな。

どうしても、この言葉でなければならん、というのは、そんな極意や秘伝があるのか、と素人が思うだけのことですよ。職人にとっては仕事というものは、この上もない遊びですよ。彼の手中にある言葉は、必然の心理を刺しぬくショウキ様の刀のようなものではなくて、思いのままに飛んだり、消えたり、現れたりする風の中の羽や、野のカゲロウや虹のようなものさ。

言葉にとらわれずに、もっと、もっと、物語にとらわれなさいよ。職人に必要なのは、思いつき、ということです。それは漫画の場合と同じことですよ。ここを、ああして、こうして、という問題のワクがまだ小さいウラミがあります。

要するに、文章が濃すぎると思うのですよ。もっとも、私の言うのは文章だけに目をおいて、言ってるのですがね。(坂口安吾「戦後文章論」

この後、安吾は、《

文章の新風としては、今度の芥川賞の候補にのぼった安岡章太郎という人のが甚だ新鮮なものでありました。私は芥川賞に推して、通りませんでしたが、この人は御両所につづく戦後の新風ですね。》と書いているのだけれど、わたくしも、安岡章太郎の文体には、なんでもない箇所でも魅せられる。

信太郎は、タバコをのんでいる父親の顔がきらいだった。太い指先につまみあげたシガレットを、とがった唇の先にくわえると、まるで窒息しそうな魚のように、エラ骨から喉仏までぐびぐびとうごかしながら、最初の一ぷくをひどく忙しげに吸いこむのだ。いったん煙をのみこむと、そいつが体内のすみずみまで行きわたるのを待つように、じっと半眼を中空にはなっている……。吸いなれた者にとっては、誰だってタバコは吸いたいものにきまっている。けれでも父の吸い方は、まったく身も世もないという感じで、吸っている間は話しかけられても返辞もできないほどなのだ。(『海辺の光景』)

※附記

大江健三郎は『取り替え子』のなかで、妻がモデルである千樫にこう語らせている(千樫との対話が、実際にそうあったのかどうかは問題ではない。千樫との対話は古義人(大江自身がモデル)の内省であり自己対話に近いとしてよいだろう)。


――あなたがまだ若くて、おもに翻訳を読んでいた頃、早口で発音不明瞭というところもあったけれど、話の内容は本当に面白かったのね。輝くような、風変わりなほど新しい表現があって……

それが永いメキシコシティー滞在の後、翻訳じゃなく外国語で本を読むようになってから、あなたの使う言葉の感じが変わったと思う。新しい深さが言葉に反映している、とは思うことがあるのよ。けれども、なにか突拍子もないおかしさ、面白さの言葉には出会わなくなった。小説に使われている言葉もそうじゃないかしら? 成熟ということかも知れないけれど、以前のようにキラキラした言葉はなくなった。そう考えているうちに、私はあなたの小説を読まなくなってしまったのね。それで、この十五年ほどの小説のことはなにもいえないけれど、そうした変化と、翻訳より原語で読む方が多くなったということと、関係があるかも知れないと思って……原書を読む人こそ、日本語にない面白さを持ち込む、と考えるのが普通かも知れないけれど……

――それは本当にそうかも知れないね。僕の本の売れ行きが下降線を示しはじめたのは、四十代後半からだからね。あまり翻訳を読まなくなった時期と一致するよ。きみのいうとおり、キラキラする面白さが薄れたのかも知れない。翻訳されたものを読む面白さには、原語から読みとるのとは別の、いうならば露骨なものがあるんだよ。あれをこう訳すか、これだけやっていいものか、と驚きながら、自分にはこの日本語は生み出せない、と感服することがよくあるものね。とくに若い有能な翻訳者には、異能といっていいほどの力を示す人がいるよ。(……)

――フランス語の新しい作品を翻訳する、若い人の文章には、突飛な面白さがあるねえ、といった。

――まあ、そうだね、アメリカ西海岸の大学の、直接フーコーの影響下にいる連中などは別として、英語の文章はそれ自体地道だものね。とくにイギリスの学者が書くものは…… 僕の文章がキラキラしなくなったというのは、ブレイクからダンテ研究まで、おもにケンブリッジ大学出版局のモノグラフを読んできたことと関係があるかも知れない……P64-65








2013年5月6日月曜日

優雅な身振り


最近、丹生谷貴志氏や鈴木創士氏の言葉をよく引用するのだけれど、このふたりは同年1954年生まれ、しかも神戸生まれなんだな。


中井久夫は、『神戸の光と影』(1985)というエッセイで、神戸の境界性を次のように書いている。

ひとつのふしぎな現象として、現在の京都学派といわれる精神病理学の代表的な何人かは、神戸に生まれ、あるいは幼時を過ごして後、京都に学んだ人である。笠原嘉、荻野恒一、藤縄昭、黒丸正四郎の各氏がただちに思い浮かぶ。ここを去って、あの茸臭のただよう小暗い盆地に誘う力に身を委ねた人たちであろう。

逆に京都大学で精神病理を専攻した人のうち、神戸に来た人の過半数にあたる三人が、十年間に自ら死を選んだ。他の土地ではほとんど起こらなかった事態である。

事の異常さは、当事者に十分意識されており、私が四年前、神戸に来る時に、半ば真剣に問題にされたと聞いた。もっとも精神医学は境界の学、神戸は境界の地であり、その境界性が人を精神科医に育て、また破滅させるということに過ぎないと言えば、それだけのことである。 

この文の前には、次のようにも書かれている。精神科医は、《職業ゆえか、その職業を選ばせた個人的特性かは知らず、“過剰な影響”に身を曝す習性があると思う。精神科医の第一の仕事はまず感受することである。(……)精神科医は「穿鑿する人」ではないと思う。「まず感受すること」といったが、「観察」と「感受」との差が非常に近いということだ。望遠鏡でも顕微鏡でもなく、さりとて音叉でもなく、アンテナのように、あるいはその原義(昆虫の触覚)のようにーー。》

この「境界の地」は、『治療文化論』でも指摘されており、力動精神科医の殆んど(メスメル、フロイト、ビンスヴァンガー、ユングなど他多数)の出生地、あるいは育った土地が、《平野部でも山岳部でもなく、森の中央ですらない。おおむね、平野部が森あるいは山に移行するところ、あるいは湖と森のはざま(……)ヨーロッパの辺境》であるとされる。



境界の地には、アンテナの人が育つのだろう、“過剰な影響”に身を曝す人が。もちろん神戸よりすこし大阪よりだったら、温室生まれの人間も多いのだろうけれど。



そこで育ったアンテナの人たちの多くが、分裂病親和性があるとは必ずしもいえないけれど、《奇妙な静けさとざわめきとひしめき》に耳をすましたり、《もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する》人たちが目立って出てくる土地ではないか。


まあそこまでいわなくても、神戸は、《戦前においては、百年たらずの前にできた新しい街であり、皆流れ者の集まり》なのであり、この街は、《戦前、沖仲仕、ずっと以前は漁師が典型的な職業だった。入り船がない時、時化や漁期でない時期には、ぶらぶらしていて当然である。名古屋のような勤勉な都市の浮浪者へのきびしい対応とかなり違っていても不思議ではない》――全国的な影の組織Y組の中心地ともなりうる「住みやすさ」(同 「神戸の光と影」)

――という具合で、「自由人」が育ちやすいのだろう。オレのように名古屋圏の影響のある三河の平凡な平野地に育ったりしたら、ニブク育ってもいた仕方ないぜ、中学、高校時代なんてのはほんとに刺激が欠けていたからなあ、冒頭の二人とは四年違いだけで、ほぼ同世代なのだけれど。いたずらに馬齢を重ねた初老書生が羨むところだね。あそこは徳川の勤勉な農民たちの伝統しかないからな。

まあそうはいっても名古屋からだって、「荒川修作」なんてとんでもない人物が生まれるわけだけど、ーー《荒川:そう、もう完全に、僕はデュシャンの家では家族扱い。孫かなんかだと思ってたんですよ。》(荒川修作オーラル・ヒストリー 2009年4月4日


ところで、今朝ほど丹生谷貴志氏がつぎのようにツイートをしていてね、もともとそれを書こうと思ったのだけれど。

@cbfn: 西郷信綱さんの仕事は古代人の文芸を通して古代人の心を「理解」する試みでは「なかった」。むしろそれを果てしなく「理解不能」のものとすることだった。例えばそれをストルガツキー兄弟の『ストーカー』に置ける「ゾーン」のようなものとして開き、閉じること・・・

@cbfn: 「記号論」とは本来、或る「文書」を了解し解釈する新たな試みではなく、誰にでも了解可能と予想されたものを”そのままの姿で了解不能のものへと転位させて行く方法”であったはずだ。「解釈学と記号論は不倶戴天の敵である」・・・・

@cbfn: 神託を解釈すること? それに対して記号論は与えられた一見自明な文、発話をデルフォイの神託の様なものへと変異させる営みである。「彼女はおはようと言い、ミルクをテーブルに置いた」といった発話がそこでは了解不能な別のものに変異する・・・・



――《優雅な身振りでその出典を曖昧》にした振舞い、《…他人の言葉や概念をあからさまに引用することすら辞さないその身振りは、ほとんど盗みのそれに近いということもできるだろう…》(「近未来の剽窃のために」)――糞真面目な東京人や京都人の学者にはなかなかできないだろうぜ。(もっとも、このあたりは微妙なところで、ていよく出典を隠す「模作」ならいくらでもあるんだよな、彼らの発話や書き物には。そうではなく「剽窃」はない、ということ)

……「社会」と「個人」という対立の捏造が古代文学をも犯す「制度」になってしまっている現実を苦々しく喚起するのは、ここでは詳述しがたい理由によって井上究一郎とともに現代日本が持ちえた最大の「批評家」として位置づけうるべき西郷信綱である。たとえば「増補・詩の発生」(未来社)におさめられた「文学意識の発生」において、「文学の発生」という彼自身の主題の上を旋回しつづける二冊の書物、風巻景次郎の『文学の発生』と折口信夫の『古代研究』がもたらした感銘について語りながら、その主題探求の一時期に「人間の自我意識」という「近代的な概念」(“近代”傍点 原文)のみに立脚したおのれの方法的混乱を告白している。そしてその混乱は、一般に文学以前と想定される「非文学」の中に、「観念や意識ではなく、形であり造型である」文学の姿をいわば野性の思考として解き放つべく決意したときに解消されたのであり、その苦々しい体験から、「批評」が、井上究一郎の『失われた時を求めて』の翻訳にも比較すべき『古事記注釈』(平凡社)として結実しつつあるのだろうが、その混乱解消の契機となったのが、「社会」と「個人」というあのうんざりするほかない対立の図式の廃棄であったという点は、とりわけ注目されねばなるまい。(蓮實重彦「表層の回帰と「作品」」『表層批評宣言』所収)

「物語の構造分析」が、そこに「小説」も含まれよういわゆる「物語」一般の、普遍的な構造の記述を目指したものであり、個別的な「作品」の意味解読とはまったく無縁であるばかりか、かえってそれと鋭く対立矛盾する試みであるということ、すなわちミシェル・フーコーの言葉を借りるなら、「解釈学と記号学とは不倶戴天の仇敵同士」だという血なまぐさい関係をあっさり忘却しうる平岡氏の杜撰さも、というよりあらかじめ視線にはおさめまいとする抽象性も当然そのことと関連している。(同 蓮實重彦「表層の回帰と「作品」」)

丹生谷貴志氏や鈴木創士氏と似たような「自由人」(「インテリやくざ」、といってもよい)としての資質があるようにみえる四方田犬彦氏は、1953年、大阪府生まれなんだな。まあだから境界性は「神戸」という土地だけではないだろうし、世代というのもあるんだろうよ。


わたしが月島で長屋住まいをしていたことのことだが、須賀敦子さんがわが家に突然いらっしゃったことがあった。四〇歳にもなって夏休みにフィレンツェのお料理学校に通うとという酔狂な男のことを、どこかで聞き止められたのだろう。それは感心というわけでお越しになった。(四方田犬彦「須賀敦子、文体とその背景」)

韓国料理でもてなすことになるのだが、《とても機嫌がよく、何をこちらが出しても悦んでくださった。ただ天井をドタドタと鼠が走り出したときだけは、あれはチュウチュウ?! といわれ、さすがに驚かれたようだった。》、と。

話はおのずからイタリアのことになる、やがて須賀敦子の口から出たのは、《現在日本のイタリア文学者の誰彼をめぐる呵責ない批判だった。歯に衣を着せないという表現は、まさにこのときの彼女のために表現であるかもしれない。それほどまでに激烈な調子だった》。

―――須賀敦子のエピソードが語られた最も印象的な文のひとつ。


丹生谷氏も四方田氏も、若い頃、「押し寄せてくる現実のみに基づいて書く」作家を年上の友人としてもってしまった人たちだ。






2013年5月3日金曜日

ありきたりな言葉


昨日(5/2)、丹生谷貴志氏がツイッターで次のように書いているね


しかし「〜の語りの魔術師」式の解説の言い方は何とかならないでしょうかね。大体こんなふうに形容される書き手は空疎な紋切り型文章のくせに変に「文学風」だったり空疎なレトリックが多いだけの駄文を書く場合が多い・・・という論評も紋切り型ですがね。

例えばフローベールの手紙を読むと、彼が完全に”言葉を見失った者”であることが分かるはずだ。

それに対しいわゆる「エンタ系」の小説家は使用すべき文例のデータベース的ストックを持ち、それを疑うことなく使用できる「プロ」であって・・・そして僕はそれを低く位置づけるつもりはさしあたりない。要は、「違う」ところで文が書かれるという確認だけはしておくだけのこと。




まあここに書かれているように、いわゆる「エンタ系」の書き物、あるいはそれだけではなく人文系の論文などでさえ、「空疎な紋切型」の表現ばかりの文章だと感じてしまうことがままある。

逆に「言葉を見失った者」の文章に親しむ習慣をもっていない人なら、それらの空疎なレトリックの多用された文を名文とし、「言葉を見失った者」の文章を悪文などとする具合にもなる(たとえば大江健三郎や中上健次の文章は読みにくいには違いない)。

マニュアルのような文章ばかり読んでいれば、あれらが悪文と評されるのも致し方ない。

そしてそれはもうとり返しがつかないところまでいっているのだろう、と嘆息するなどということにもなる。

書く人間にとっては、 どれぐらいの人がどれぐらいのレベルで読んでくれるだろうかということが重要なのです。 二葉亭四迷なんか読むと、 ああ、 これだけの密度のものを読者が読むのを期待して書けたんだと、 それがうらやましく思います。

こんな密度で書いてしまったら、 いまの人は読んでくれないだろうと。 それに加速度がついて、もう読みやすいということだけに重点が置かれるようになるんじゃないかと。―――「著者と語る『日本語が亡びるとき』 水村美苗 2009、2,6」

…………

紋切型とは、蓮實重彦曰くは,《安堵と納得の風土の中に凡庸さが繁殖する。そこに語られる言葉が紋切型というやつだ》(『凡庸な芸術家の肖像』)ということであり、安堵と納得の風土とは、「共感の共同体」の風土、気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいの場、要は馴れ合いの場である。

同じ共同体のなかで共有しあったカテゴリー的認識の居心地のよい磁場に支えられ、そこでの文例、紋切型表現を「プロフェッショナル」として無分別に使用する(もちろん非専門家は、知ったかぶりを気取るために、いっそう多用する)。そこで繁殖するものが「「凡庸さ」=「先入観の無思想」にほかならない。

プロフェッショナルは、《ある職能集団を前提としている以上、共同体的なものたらざるをえない。だから、プロの倫理感というものは相対的だし、共同体的な意志に保護されている》。ーー学者村、原子力村、あるいは「クラスタ」などと称されるものをみよ


もちろん、《プロフェッショナルは絶対に必要だし、誰にでもなれるというほど簡単なものでもない。しかし、こうしたプロフェッショナルは、それが有効に機能した場合、共同体を安定させ変容の可能性を抑圧するという限界を持っている。》(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

丹生谷氏が、「……使用すべき文例のデータベース的ストックを持ち、それを疑うことなく使用できる「プロ」であって・・・そして僕はそれを低く位置づけるつもりはさしあたりない」とするのは、このあたりの消息を伝えている。


ここで、《カテゴリー的認識の崩壊を代償とすることで初めて得られるこうした無媒介的な官能の豊かさ》と書く松浦寿輝の文を引き出そう。


たとえばブルターニュ地方への旅を回顧し、世界と素肌で触れ合い自然と一体化した悦びを語りながら、そのとき自分は海になり、空になり、岩になり、岩に滲み入る水になってしまったと述べる小説家フローベールは、カテゴリー的認識の崩壊を代償とすることで初めて得られるこうした無媒介的な官能の豊かさを文章行為の現場においても全面化させることで、あの尋常ならざるエクリチュールを実現しえたわけだ。『サランボー』や『ブーヴァールとペキュシェ』の作者は、言葉を主体的に操作し成型すること──すなわちあたかも粘土を捏ねて自分の好きな形を作るように言葉を捏ね上げるといった「能動的」な作業など、うまくやりおおせた試しがない。彼はむしろあたりに瀰漫し自分めがけて蝟集する言葉の群れに全身の皮膚をさらし、それにひたすら犯されつづける途を選んだのであり、作家としての彼の生涯は、言葉のなまなましい抵抗感に犯されることの苦痛が倒錯的な快楽に反転する瞬間を辛抱強く待ちつづけることに捧げられたと言ってよい。(死体と去勢──あるいは「他なる女」の表象



たとえば、巷間に蔓延る「自分の意見」とか「自分の考え」とかを主張する言葉、それらが「政治」をめぐるものであれ、「文芸」やら「思想」をめぐるものであれ、あれらのほとんどは、どこかの文を読んでの無自覚な「要約」に過ぎないのではないか、あるいは昔からひそかにくり返し暗記していた台詞がふと口から洩れてしまっただけではないかというような印象を与えたりもする。(……つまりこのオレの文のように、としておこう、そうしとかないと、あとで突っ込まれるからな。まあしかし「無自覚な要約」などというハシタナイ真似はしていない筈で、ポール・ド・マンがいったらしい、古典主義的な意識的ななぞり書きであって、ロマン主義的な無自覚ななぞり書きではないぜ)

丹生谷氏がぽろっと自らのツイートに、「……という論評も紋切り型ですね」とするのも、そのことに自覚的なためだろう。ーーしかし、まあなんというのか、あの思想系だか文学系だかわからない連中の生意気なツイートのなんという紋切型表現の猖獗よ!、そしてその厚顔無恥な無自覚さよ!(例外はあるぜ、もちろん、ーーそれにいわゆる「政法経」やら「理系」の大半は致し方ない、「言葉を見失った者」たちの文章なぞ毛ほども読んじゃいないだろうから)、あいつらやっぱり抜けてる(間抜け)としか思えないがね。(失礼!)


あれらの「自分の考え」の大半は、《しかるべき文化圏に属するものであれば、誰もが暗記していつでも口にする用意が整っていた台詞であり、その意味で、それをあえて言説化してみることはほとんど何も言わずにおくことに等しい。》(蓮實重彦『物語批判序説』)

現代版『紋切型辞典』の項目を作りたくなるぐらいだぜ

《「あらゆる主題について、 ……礼節をわきまえた慇懃無礼な人間たりうるために人前で口にすべきすべてのことがらが列挙されるはず」と構想されたフローベールの『紋切型辞典』……「多数派がつねに正しく、少数派がつねに誤っていると判断されてきた事実を示す」のが目論見。「文学については、凡庸なものは誰にでも理解しうるが故にこれのみが正しく、その結果、あらゆる種類の独自性は危険で馬鹿げたものとして辱めてやる必要がある。」》

…………

 かなりレヴェルを落として書いてみよう(つまりオレのレヴェルだ)。



・バッハのBWV12の二番目の合唱は、不協和音の美の極致のようなで最高です!


・カフカの『城』で、フリーダが宿の食堂の電燈のスイッチを切り、カウンター台の下でKと絡まる部分は奇跡的な官能を与えてくれます!


・クララ・ハスキルのシューマンの心に絡みついてくる親密な音色とスタイルは稀にみる詩情に溢れています!


――などと「最高」とか「奇跡的」とか「詩情あふれる」などと語られるのをきいたとき、ーーいやオレがよくやったんだがーーおい、やめてくれよ、そんなありきたりな表現は!、と先ずはそういう目というのか耳を持つ必要があるのだろうよ(オレのレヴェルなら、”ときには”、でいいよな)。



「言葉を見失った者」に属する、いや属さないまでも、彼らの文章に震撼したものたちは、こんなありきたりな表現を避けようとするに違いない、もっとも、日常会話でつい気を許して、やむなく、あるいは相手のレヴェルにあわせて、という場合はあるのだろうし、たとえばフィクションとしての使うってことはあるが。


たとえば蓮實重彦曰くは、


僕は、共同体というのは形容詞と非常に近い関係にあると思うんです。事実、ある種の申し合わせがなければ、形容詞というのは出ませんよね。それから形容詞が指示すべき対象とも違って、共同体の中で物語化されたあるイメージを使わない限り、形容詞というのは出てこないと思うんです。

その意味で、柄谷さんの文章はそれを全部廃している。つまり、共同体に対してはぶっきらぼうなんです。ところが僕の文章は非常に形容詞が多い。これはほとんど同じことをやっているんだけれども、方向ば別で、フィクションとしての形容詞を使っているわけですね。“美しい”という言葉を僕はよく使うことがあるんだけれども、その「美しい」という言葉は全部フィクションで、現実の美しさにも、共同体が容認するイメージにも絶対に到達することがないと確信しているがゆえに使っているにすぎない(『闘争のエチカ』)

蓮實重彦が「美しい」をどのように使ったか、ひとつだけ例をあげよう


「知」のあらゆる領域で、あの波がしら、あの蒸気船、あの湿った綱、あの白い壁、あの髪、あの日傘、あの扉、あの噴水、あの手袋といったものを、構図を超えて饗応させねばならない。あの声、あの身振り、あの空、あの水、あの炎、あの老眼鏡、あのペン先。そしてあの長方型、あの円運動、あの直線を共鳴させねばならない。とりわけあの美しい畸型の怪物たち、あの過激なる現在を荒唐無稽に嫉妬しなければならない。(蓮實重彦『表層批判宣言』)


しかし、ここに書かれている語句でさえ、いまでは紋切型として使い難いのではないか、「美しい畸型の怪物たち」、「過激なる現在」、「荒唐無稽に嫉妬」など、つまりは蓮實重彦の弟子筋に多用されてきたせいで。



この言葉の紋切性については、金井美恵子が吉岡実を語るなかで、つぎのように語っている。かなり長いが、ああ、そうか、と感心した箇所なので引用してみよう(前半は読み飛ばしてもよいだろうが、わたくしのメモとして引用する)。

……すると、詩人は、身を乗り出すようにして眼を大きく見開きーー自分の言葉と言うか、あらゆる開かれた、外の言葉というものに対する貪欲な好奇心をむき出しにする時、この詩人は身を乗り出して眼を大きく見開くのだがーーロリータねえ、うーん、ロリコンってのは今また流行っているんだってね、と言って笑うのだが、吉岡さんとは長いつきあいではあるけれど、いつも、このての、普通の詩人ならば決して口にはしない言葉、ロリコンといったような言葉を平気で使われる時――むろん、私はロリータ・コンプレックスと、きちんと言うたちなのだーーいわば、自分の使い書いている言葉が、ロリコンという言葉の背後に吉岡実の「詩作品」という、そう一つの宇宙として、それを裏切りつつ、しかし言葉の生命を更新させながら、核爆発しているようなショッキングな気分にとらえられる。吉岡実は、いや、吉岡さんはショッキングなことを言う詩人なのだ。また別のおり、これは吉岡さんの家のコタツの中で夫人の陽子さんと私の姉も一緒で、食事をした後、さあ、楽にしたほうがいいよ、かあさん、マクラ出して、といい、自分たちのはコタツでゴロ寝をする時の専用のマクラがむろんあるけれど、二人の分もあるからね、と心配することはないんだよとでも言った調子で説明し、陽子さんは、ピンクと白、赤と白の格子柄のマクラを押入れから取り出し、どっちが美恵子で、どっちが久美子にする? 何かちょっとした身のまわりの可愛かったりきれいだったりする小物を選ぶ時、女の人が浮べる軽いしかも真剣な楽し気な戸惑いを浮べ、吉岡さんは、どっちでもいいよ、どっちでもいいよ、とせっかちに、小さな選択について戸惑っている女子供に言い、そしてマクラが全員にいき渡ったそういう場で、そう、「そんなに高くはないけれど、それでも少しは高い値段」の丹念に選ばれた、いかにも吉岡家的な簡素で単純で形の美しいーー吉岡実は少年の頃彫刻家志望でもあったのだし、物の形体と手触りに、いつでもとても鋭敏だし、そうした自らの鋭敏さに対して鋭敏だーー家具や食器に囲まれた部屋で、雑談をし、NHKの大河ドラマ『草燃える』の総集編を見ながら、主人公の北条政子について、「権力は持っていても家庭的には恵まれない人だねえ」といい、手がきの桃と兎の形の可愛いらしい、そんなに高くはないけど気に入ったのを見つけるのに苦労したという湯のみ茶碗で小まめにお茶の葉を入れかえながら何杯もお茶を飲み、さっき食べた鍋料理(わざわざ陽子さんが電車で買いに出かけた鯛の鍋)の時は、おとうふは浮き上がって来たら、ほら、ほら、早くすくわなきゃ駄目だ、ほら、ここ、ほらこっちも浮き上がったよ、と騒ぎ、そんなにあわてなくったって大丈夫よ、うるさがられるわよ、ミイちゃん、と陽子さんにたしなめられつつ、いろいろと気をつかってくださったいかにも東京の下町育ちらしい種類も量も多い食事の後でのそうした雑談のなかで、ふいに、しみじみといった口調で、『僧侶』は人間不信の詩だからねえ、暗い詩だよ、など言ったりするのだ。


もちろん、たいていの詩人や小説家や批評家はーー私も含めてーー人間不信といった言葉を使ったりはしない。

 

なぜ、そうした言葉に、いわば通俗的な決まり文句を吉岡さんが口にすることにショックを受けるのかと言えば、それは彫刻的であると同時に、生成する言葉の生命が流動し静止しある時にはピチピチとはねる魚のように輝きもする言葉を書く詩人の口から、そういった陳腐な決り文句や言葉が出て来ることに驚くから、などという単純なことではなく、ロリコンとか人間不信といった言葉、あるいは、権力は持ったけれど家庭的には恵まれなかった、といった言い方の、いわばおそるべき紋切り性、と言うか、むしろ、そうではなくあらゆる言葉の持つ、絶望的なまでの紋切り性が、そこで、残酷に、そしてあくまで平明な相貌をともなう明るさの中で、あばきたてられてしまうからなのだ。吉岡さんは、いつも、それが人工的なものであれ、自然なものであれ、平板で平明な昼の光のなかにいて、言葉で人を傷つける、いや、言葉の残酷さを、あばきたててしまう。(「「肖像」 吉岡実とあう」ーー『現代の詩人Ⅰ 「吉岡実」(中央公論社1984)』所収)


吉岡実はその詩作において、一度成功してしまった表現やスタイルは、その後二度と使わなかったそうだ。これも《あらゆる言葉の持つ、絶望的なまでの紋切り性》を避けるためということだろう。どんなすぐれた表現でも繰り返されれば、紋切型に陥りざるをえない。

ここで遠く遡って、アンドレ・ブルトンの初期の詩論のタイトル『皺のない言葉』、--つまり手垢にまみれていない言葉を追い求めた態度を思い出してもよい。(いや「皺のない」は、どういうわけか、いまだそれなりの鮮度があるがーーオレのようなブルトン共同体外の人間にとってはだぜーー、「手垢にまみれていない」という形容句は、とっくの昔に「手垢にまみれた」表現だよな)

詩人や文学者、あるいは大きく「芸術家」たちが、《創造的でありつづけることは、創造的となることよりもはるかに困難》(中井久夫)だろう。最初の成功をおさめた後、古典芸能の俳優のように芸の質を落とさないように精進しているだけの作家たちが殆んどのなかで、いやむしろ、成功作の萌芽的豊穣さを犠牲にして、光りを当てられた部分だけを反復している作家たちが多いなかで、吉岡実の「自己模倣」拒否の姿勢は特筆されてもよい。『僧侶』の成功から『サフラン摘み』の成功までの、過渡期十数年、『紡錘形』、『静かな家』、『神秘的な時代の詩』の三つの詩集はあるにしても、『僧侶』のスタイルを真似ることなく、まさに「神秘的な時代」を潜ったわけだ。


「沈黙」…。これは志賀直哉がほぼ実現した例である。創造的でない時に沈黙できるのは成熟した人、少なくとも剛毅な人である。大沈黙をあえてしたヴァレリーにして「あなたはなぜ書くのか」というアンケートに「弱さから」と答えている。(中井久夫「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」
…………


さてかなり寄り道したが、われわれ凡人は、「〜の語りの魔術師」などという表現を、ひそかに暗記して、しかも自分の台詞として「得意面」で繰り返し使用してしまう。

まあそれでも「最高だ」とか「奇跡のよう」、「詩情あふれる」よりはマシだがね、そんなもの要するにカワイイの類じゃないのかい? 《早い話が、べつに大人が見て、それを可愛いと思わなくても、若い子たちが“カワイイ”とかいっているのは、つまり“カワイイ”と表現したいわけではなくて、“カワイイ”ということで共同体への所属を無邪気に確認しているわけでしょう》(蓮實重彦)



古井由吉は『東京物語考』でつぎのように書いている。


徳田秋声の『足迹』。葬式の、納棺の場面がある。そろそろ葬儀屋が棺をしめる折。《「さあ皆さん打っ着けてしまいますよ。」葬儀屋の若いものと世話役の安公とが、大声に触れ立てると、衆〔みんな〕はぞろぞろと棺の側へ寄って行った。》女たちがもめる、死者が生前に好んだ人形、色々の着物を縫って着せるのが楽しみだったそれを棺に入れるかどうか。《「入れないそうです。」と、誰やらが大分経ってから声かけた。衆〔みんな〕が笑い出した。》


ーーそして、《衆〔みんな〕が笑い出した。》と、変に印象に残る一行であった、と文芸時評家の流儀に従えば、それで済みもすることなのだが、としつつ、その変な印象の由来を念入りに書き綴ることになる。


《変に印象に残る一行》、これも「最高」だとか「奇跡」とか「詩情」の類の仲間だが、まだマシというべきなのか、文芸時評家さんたちよ

しかし文芸時評などというものは、あの繊細さを誇るはずの詩人・小説家の松浦寿輝でさえ、字数制限のせいなのか、「クレオール的な混淆文体の超絶技巧、小説の自由への獰猛なマニフェスト。」 松浦寿輝 書評『晰子の君の諸問題』(朝日新聞/425日/文芸時評より)などと書いてしまうわけで、止む得ないというべきなのか。

それとも「〜の語りの魔術師」とか「変に印象に残る一行」とかほどには、紋切型への傾斜による劣化を受けていないというべきなのか……いや、「超絶技巧」「獰猛なマニフェスト」ってのは、「〜の語りの魔術師」式と同様で、「エンタ系」の書き手以外は、もはや《フィクションとして》としてしか使い難いのではないか。(わかってるよ、そんなこと言ってたら、何も書けなくなるのは)。


でも、「すぐれた」書評家たちでも、”やむなく”かどうかは知らねど、こういうことをするのだから、ツイッターで140字範囲で、どこかの馬の骨が書けば、そのほとんどはこういった表現で溢れかえる(まあ、だから何度も連発するなよな、ってことだよ、口癖のようにして。連投しなかったら目を瞑るぜ)。


それは致し方ないにしても、ときにはそれを恥じる資質があるかが、繊細さの感覚の有無というものだろう。連発して「最高」とか「詩情」「奇跡」などとノタマウ手合いはまったく恥じていないことは明らかで(しかもそんな輩が文学好きなどと自称しているなどということがあれば尚更)、お前さんは「才能がない」と一言いうしかないね。--金井美恵子あたりだったら、なんというかね、島田 雅彦とか高橋源一郎あたりまで糞味噌だぜ、彼女にかかったらーーまさかその文学好きは金井美恵子ファンではあるまいよ(まあつまりこれもオレのことだ)



このあたりを古井由吉は、最近も、《感情的な、あるいは思考の上でのポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる》としているが、これが《変に印象に残る一行》や《〜の語りの魔術師》の「ありきたりさ」というものだ。



今どき文学上のリアリズムっていうと、まあ多少文学を考える人はまともに付き合うまいと思うでしょう。リアリズムというのは、人がどこで得心するか、なるほどと思うか、そのポイントなんですよ。つまり人は論理で納得するわけじゃない。論理を連ねてきてどこか一点で、なるほどと思わせるわけです。その説得点あるいは得心点ともいうべきところで、形骸化されたリアリズムが粘るというのが、文学としてはいちばん通俗的じゃないかと思うんです。説得点にかかるところだけはすくなくとも人は真面目にやってほしい。つまりこんな言い方もあるんです。今どき文章がうまいというのは下品なことだと。それをもう少し詰めると、感情的な、あるいは思考の上でのポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる。筋の通ったあり来たりならいいですよ。もしもそういう筋の通った『俗』がわれわれにとって、説得点として健在ならば。しかし時代になんとなく流通するものでもって人に説得の感じを吹き込む、そういう文章のうまさ、工夫、これは僕はすべて悪しき意味の通俗だと思う。これがいわゆるオーソドックスな純文学的な文章にも、ミナサンの文学にも等しくあるわけだ。これをどうするのかの問題でね。(古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』)

ーーというわけで、紋切型やらありきたりの表現もやむえないよ、そんなものいつも気にしてたら何も書けなくなる、ただし「思考の上でのポイントに入るところで」だけは、それらの表現をさけて、「真面目に」やろうぜ。



ヴィトゲンシュタインに言わせればこういうことになる。


凡庸な物書きは、あら削りで不正確な表現を正確な表現に、あまりにもすばやく置きかえてしまわないよう、用心すべきである。置きかえることによって、最初にひらめきが殺されてしまうからである。そのひらめきは、柄は小さくても、生きた草花ではあったのだ。ところが正確さを得ようとして、その草花は枯れてしまい、まったくなんの価値もなくなってしまう。いまやそれは肥だめのなかに投げ込まれかねないわけだ。草花のままであったなら、いくらかみすぼらしく小さなものであっても、なにかの役にはたっていたのに。 ──ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン「反哲学的断章」

ーーということで、この文も「あら削りで不正確な表現」に満ち溢れているだろう、今一度読み返してみて、それに気づかないオレは「才能がない」、ミナサンと等しく(「まあ」ってのが多いよな、それくらい気づいたよ、これでも今だいぶ削ったんだがな、それと丸括弧多用だよな、この丸括弧内の文はだいたい一度書いたあと、追記しているんだがね)。


※追記:あいつらを「間抜け」というのはやや繊細さに欠けたな、ナボコフのいう如く「真の俗物」としておこう。


俗物根性は単にありふれた思想の寄せ集めというだけではなくて、いわゆるクリシェ、すなわち決まり文句、色褪せた言葉による凡庸な表現を用いることも特徴の一つである。真の俗物はそのような瑣末な通念以外の何ものも所有しない。通念が彼の全体の構成要素そのものなのである。─ナボコフ『ロシア文学講義』