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2014年9月21日日曜日

若い女の米をとぐ濡れた手




外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

…………




午前一時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。(辺見庸『ハノイ挽歌』)

今は街中は交通事情のためシクロは多くの通りで出入り禁止になってしまった。




こういった景色は、今では中心部から外れた場所でしか見られない。


ところで辺見庸の文章はウェブ上から拾って手元にあるわけではないのだが、妙に印象に残る文章だと思ったら、「シクロ」、「深海」、「沈んだ」、「しじま」、「湿気」、「支配」と頭韻が踏んであるのだな。その前にある「寝静まり」の、シ音さえ響き合う。

「カフェー帰り」、「客」、「遠慮がちにカシャリカシャリ」も「カ」音のも、これはなんというのか、はて押韻だったか? まだほかにも「カ」音があるな

意図的かどうかは知れないが、こういった文章書かなくちゃな。


…………

君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に

ーーー『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之訳より





汽車が速度をはやめだしたあいだも私はまだじっとその美しい娘を目で追っていたが、その姿は、私の知っている人生とは何かのふちかざりでへだてられた、べつの人生の一部分のようであり、そこにあっては、物の呼びさます感覚は、もはや普通の感覚ではなく、いまそこから出て元の人生に帰ることは、私自身を永久に見すてるにもひとしかったであろう。すくなくとも、そうした新しい人生につながっていると感じる甘美な気持をつづけてもつには、毎朝ここへきてこの田舎娘からミルク・コーヒーを買うことができるように、この小さな駅のすぐ近くに住めばよかったであろう。しかし、ああ! 私がこれから次第に早くそのほうにはこばれてゆくべつの生活には、彼女はつねに不在なのだ。かならずいつかまたこのおなじ汽車に乗り、このおなじ駅にとまれるようにしよう、そうしたプランを立てないではとても私はあきらめてこれからの生活を受けいれる気にはなれなかった。(プルースト 「花咲く乙女たちのかげにⅠ」井上究一郎訳)


1995年の阪神大震災とオウムの年、日本の生活から逃げるようにした三十代なかばの鬱屈した男は、インドシナのいくつかの土地をたいした目的もなく彷徨い、とりあえずの短い旅だけではなく、ある国に二ヶ月ほど住んでみることにした。







狭い路地に隔てられた向かいのアパートメントで色黒だが可憐な若い家政婦が部屋を掃除したりベランダに出て洗濯物を干したりしている。朝、こちら側のアパート、六階建ての三階にある殺風景な部屋のベランダに下着を干したりしていて、何度かその姿に目をやっていると、少女はそれに気づき互いに挨拶するようになった、覚えたての当地の言葉で、「おはよう、いい天気だね!」と。何日かすると、彼女は仕事が終ると近くの牛鍋家で給仕をしていること身ぶり手ぶりを交えて告げた。







それはプルーストのミルクコーヒー売りの田舎娘の話のようでもあり、あるいは大江健三郎の『懐かしい年の手紙』の次の一節のようでもあった。


《インスルヘンテス大通りのなにやら古風なざわめきが、こちらは今日風な車のクラクションともども階下のガレージから聞こえてくる殺風景なアパートで、僕はあきることがなかった。窓から見おろす妙に奥行きの深い建物の屋上には、いちめんに張りわたしたロープに毎日大量の洗濯物が干されていた。ひとりよく働く洗濯婦は、日中の労働が終ると、建物脇の階段の奥から運び出す大型の七輪に釜を載せて、売り物のタコスを焼きはじめる、そうした眺めをあかず見おろしながら……》。

きみが手紙に書いて来たドイツ系の日本研究者のさ、牛に踏み荒らされた泥濘の裏通りに日本風の風呂のあるコンクリートの家を建てて、混血〔メステイソ〕の若妻と暮らしているという暮し向きにね、スルリと入って行きそうな気もするんだ。/きみがひとりで経験しているメキシコ・シティーの長い夕暮の時間がね、きみにとって東京の家族のことはすこしも思わず、ただゆったりした時間の流れにひたっていることのある、そうした奇態なものだと、きみのいうその表現には妙な実感がある。Kちゃんよ、自分もまさに奇態なものをそこにかぎとるふうなんだが…… 

もっとも、牛鍋屋の娘ばかりではない、当時この土地は平均月収が30ドルほどであり、盛り場の若い女たちは、金ばなれのよさそうな異国の男たちにとても愛想がよかった(ただし目抜き通りの酒場のいくつかは米軍駐留時の酒池肉林に練磨された伝統を持っており、油断すると容赦なかった)。女たちの多くはまさに「泥濘の裏通り」に住んでおり、女の運転するバイクのバックシートやら、シクロに二人掛けで、その家を訪れると、彼女の父母やら兄弟、あるいは祖父母だかにまで歓待される。あれでほとんど危ない目に遭わなかったのは幸運だったのか……、女だと思ったまま部屋についてから男だと気がついたこともあった。


若い女の故郷、メコンデルタにある町にも誘われて何度か訪れた。





夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。(デュラス:『愛人(ラマン)』)





空に七つの星が昇ったとき 私はこの草に
座りつづける カムランガの花の赤さの雲が 死んだモニア鳥(どり)のように
ガンジスの河波に沈んでいった-やってきたのは静かな慎ましい
ベンガルの青い夕暮れ-美しい髪の娘が空にあらわれたかのよう、
私の目のうえに 私の口のうえに 彼女の髪は漂う、
地上のどんな道もこの娘を見たことがない-見たことはない これほど
豊かな髪がヒジョル、カンタル、ジャームの樹々にたえまなく口づけをふらすのを
知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に

地上のどんな道でも、やわらかな稲の香り-藻草の匂い
家鴨(あひる)の羽、葦、池の水、淡水魚たちの
微かな匂い、若い女の米をとぐ濡れた手-冷たいその手
若者の足に踏まれた草むら-たくさんの赤い菩提樹の実の
痛みにふるえる匂いの疲れた沈黙-これらのなかにこそベンガルの生命(いのち)を
空に七つの星が昇ったとき 私はゆたかに感じる。(同『美わしのベンガル』)






「私はまだじっとその美しい娘を目で追っていたが、その姿は、私の知っている人生とは何かのふちかざりでへだてられた、べつの人生の一部分のようであり、そこにあっては、物の呼びさます感覚は、もはや普通の感覚ではなく、いまそこから出て元の人生に帰ることは、私自身を永久に見すてるにもひとしかった」のであり「ただゆったりした時間の流れにひたっていることのある、そうした奇態な」感覚を捨て去るわけにはいかなかった。

奇態な両義性ということについていえば、メキシコの広大な空のもと微光が瀰漫しているところへ、しだいに赤っぽい粉のような気配がただよいはじめて、そしてついに日が昏れるまでの、長い長い時間、僕は決して当の時間の進行のゆったりさ加減に苛立つことはなかった。時間の汐溜りのなかに、プランクトンさながら漂っている気分だったわけだ。ヒカリが障害を持って生まれて以来、自分とかれの情動のどこかが癒着しているようにしてずっと生きて来たのに、ヒカリのこともその弟妹のことも、かれらの母親のこともまた、まったく考えず一日を終えたことに気がついたりしていた。むしろ僕は、四国の森のなかの谷間ですごした子供の時分に、長い時のゆっくりした進行をいささかも苦にせず、底の深い淵にでもひたっているような気持だった時期の、その再現を経験している思いでもあったのである。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)

※補遺:デルタの夜



2014年4月15日火曜日

「書くことは語らないこと」(マルグリット・デュラス)

私はひとり、でも声があらゆるところで私に語りかけてくる。そこで・・・ この溢れ出すような感覚をほんの少し知らせようとしているの。長いこと、私は、あれを外部の声だと信じていたけど、今ではそう思っていない。 あれは私なのだと思う。 ( 『マルグリット・デュラスの世界』デュラス)
デュラスの作品でとても美しい言い回しがあると思うと、それは決まって受動態、つまり「誰かが見つめられている」、といった文章なんです。ここで視線は主体の上に投げかけられているんですが、主体は視線を受け取っていない (ミシェル・フーコー「外部を聞く盲目の人デュラス」)




 

デュラスは、「書くことは語らないこと」という。わたしたちは、いま語ってばかりいる。

書くときに私が到達しようと努めているのは、おそらくその状態ね。外部の物音にじっと耳を澄ましている状態。ものを書く人たちはこんなふうに言う、 "書いているときは、集中しているものだ" って。私ならこう言うわ、 "そうではない、私は書いているとき、完全に放心しているような気がする、もう全く自分を抑えようとはしない、私自身、穴だらけになる、私の頭には穴があいている" と。(デュラス/ポルト『マルグリット・デュラスの場所』)
私は、人々が何を出発点にしているのか知らない。物語を出発点にしているなんて、私には信じられない。できあがった、仕上げられた物語からなんて。そうでしょう、書く前から既に、はじまりも、真ん中も、お終いも、波瀾もある物語から出発するなんて、私は信じない。私は、自分がどこへ行くのか、決してよくわからない。もしわかっているなら、書かないでしょうね。だって、できあがっているんだから。できあがっているんだろうから。私にはわからない、既に探求され、調べ上げられ、記録された物語をどのようにして書けるものなのか。そんなことは、私には悲しいことのように感じられる。貧困とも言うべきね、…...要するに......おそらく同じエクリチュールではないということなのね。今のところ、私はどこかまちがっているのかもしれない (同上)

こうやってデュラスを引けば、ドゥルーズの『差異と反復』の「はじめに」から次の文を抜き出すこともできる。

自分が知らないこと、あるいは適切に知っていないことについて書くのではないとしたら、いったいどのようにして書けばよいのだろうか。

あるいは、
書くことは〔エクリチュール〕とは意味することとは縁もゆかりもなく、測量すること、地図化すること、来るべき地方さえも測量し、地図化することにかかわるのだ。(『千のプラトー』)

さらには、ドゥルーズがプルースト論の決定的な補遺「アンチ・ロゴスまたは文学機械」で書いた観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈、ことば/名などの二項対立を想い起こすこともできる。

プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

デュラスは器官なき身体、あるいは蜘蛛になって書いた、といってよいだろう。

しかし、器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。(……)そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する器官のない身体の包括的で強度は反作用として存在する無意志的な感受性、無意志的な記憶作用、無意志的な思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれをなかば開けるか閉じるために動くのは、この身体=巣=クモである。語り手の奇妙な可塑性。……(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能――クモーー」の章)

デュラスの「書くことは語ることではない」というのは、エクリチュールはパロールではない、ということだ。

ロラン・バルト曰く、学者や知識人の書く文はエクリチュールではない。


パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(「作家、知識人、教師」『テクストの出口』所収)
要約されることのできない(要約すると、ただちに、メッセージとしての自分の性格を破壊する)《メッセージ》の送り手は、皆、《作家》(この語は、つねに、社会的価値ではなく、実践を指す)と呼ぶことができる。《メッセージ》が要約できないというのが、作家が、狂人、饒舌家、数学者と共有する条件である。しかし、それは、まさに、エクリチュール(すなわあち、ある種の能記〔シニフィアン〕の実践)が明確にしなければならない条件である。(同上)

《知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。》(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

あるいは「日記」はテクストではない、とも言う。

……私は私の「日記」のいくページかが《私が視線を向けている者》の視線のもとに、あるいは《私が話しかけている者》の沈黙のもとに置かれていると想像するのである。――これはすべてのテクストの状況ではなかろうかーー。いや、そうではない。テクストは匿名である。あるいは、少なくとも、一種の「ペンネーム」、作家のペンネームによって生み出される。日記は全然違う(たとえ日記の《私》が偽名であったとしても)。「日記」は《ディスクール》(特殊なコードに従って《writeされた》一種のパロール)であって、テクストではない。(ロラン・バルト「省察」『テクストの出口』所収)

ではエクリチュールとはなになのか。


いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(デリダ「署名、出来事、コンテクスト」)

《自らの父の立会いから分離された》、すなわち書き手から分離され、《書かれた言語記号は本質的に無責任な漂流性を生きるもの》として書かれ読まれるものがここではとりあえずエクリチュールであるとしておこう。


これはなにも難しいことではない、《つねにいまここにありながら、 ある種の錯覚から見えなくなってしまっているものに改めて視線を注ごうとしているだけ》なのだ。


《父親が子供に対して持つのと同じ先行関係》にあるのではない作家たちの身振りを表現ではなく記入と呼ぶロラン・バルトは次のように書く。

彼はいかなる点においても、自分の書物を述語とする主語にはならない。(ロラン・バルト『作家の死』)

これらのバルトの言葉を引用しつつ、蓮實重彦は『物語批判序説』のロラン・バルトをめぐる章「ロラン・バルト あるいは受難と快楽」でこう書く、

……まぎれもなく一人の人間によって書かれた文章の中に、 それが日常的な伝達とは異質の水準に展開される言葉である場合、 誰がそのように語っているのか識別が困難となるいくつもの指摘がまぎれこむことによってもたらされる、語る主体の曖昧化といったもの(……)。 書きつつある本人の生身の肉体はいうに及ばず、 あらゆる種類の自己同一性への言及が不可能となるそうした言語的環境がエクリチュールにほかならず、 それはどんな時代にも存在していたのだが、近代の登場人物としての「作者」の概念が誇大視された結果、あたかも「作者」がその言葉の起源であるかに考えられてしまった……。

そうであるなら、最晩年にはプルーストのような小説を書きたいと願ったにもかかわらず、そして最晩年の著作『明るい部屋』にはその「小説」的なものの僅かな痕跡があるにも係わらず、生涯「エッセイスト」であったことを否定しがたいロラン・バルトの書き物は、エクリチュールなのだろうか、パロールなのだろうか。

いま、わたくしの視線をとりわけ惹きつけるのは、世間的な意味からするなら、バルトにとっての「生涯の輝ける日」にほかならぬコレージュ・ド・フランス教授就任の日の儀式である。そこでの彼は、伝統にのっとった開講講義を多くの聴衆を前にして口にするのだが、「講義」(邦訳題名は『文学の記号学―― コレージュ・ド・フランス開講講義』)という題名で公刊された書物の中で、バルトは、新たな同僚となる著名な学者や研究者たちに対して、自分自身の存在様態を「不確かな主体」《 subjet incertain》と名付けている。この言葉に魅せられたわたくしは、それに類する語彙を「開講講義」のテクストから芸もなく拾いあげずにはいられなくなる。

すぐさま目にとまるのは、「曖昧な」《 ambigu》という言葉だ。「充分に自覚せざるをえないのですが、私は、エッセイと呼ばれるもののみを刊行してきました。エッセイとは、書くことが主体を分析と競わせる曖昧なジャンルにほかなりません」。ここでのバルトは、「エッセイ」という「曖昧なジャンル」ばかりにかまけてきたがゆえに、みずからを「不確かな」存在とみなしている。それを期に、おのれの存在を貶めるものともとれる形容詞や、否定的な色合いの言辞ばかりが彼の口からもれることになる。「私は、通常、この地位へと人を向かわせるにふさわしい学位を持ってはおりません」、「私が、早い時期から、記号論と呼ばれるものの発生とその発展に自分の探求を結びつけていたのはたしかであります。とはいえ、私は、それを代表する権利をほとんど持っていないのも確かな事実であります」、等々。そして、彼はこう結論づける。

それゆえ、科学と、知と、厳密さと、規律のとれが学問的創意が支配しているこの家に迎え入れられたのは、まぎれもなく、一つの不純な主体なのであります。(「開講講義」六頁)

すぐさまいいそえておかねばなるまいが、この「不確か」で「不純な」《 impur》主体や、「曖昧なジャンル」という言葉の中には、いかなる謙虚さもこめられてはいない。これらの形容詞は、いささかも主体の相対的な劣性を意味するものではなく、主体に「作家」としての身分を保証する絶対的な何かのあり方を示唆しているのである。

実際、「曖昧なジャンル」にほかならぬエッセイの作者としてのバルトは、いたるところで「確か」で「純粋」な存在たることをこばみ、「不確か」で「不純」な状態への執着を隠そうとしない。彼の開講講義の冒頭に読まれるこうした言葉は、コレージュ・ド・フランスという権威ある制度的な空間に教授として迎えられた以上、「不確か」で「不純」で「曖昧さ」であることを今後は自粛するつもりだなどとこれっぽちも断言していない。そればかりか、あなた方は、「曖昧さ」からはほど遠い「不確か」で「不純」である存在を同僚として迎え入れたのだから、私としては、それにふさわしく、あくまで言葉とのそうした関係を維持し続けるだろうという寡黙な態度表明として、その言葉は読まれるべきものなのだ。(蓮實重彦「バルトとフィクション」『表象の奈落』所収)

だが《「曖昧なジャンル」にほかならぬエッセイの作者としてのバルト》、あるいは《

主体に「作家」としての身分を保証する絶対的な何かのあり方を示唆している》にもかかわらず、ロラン・バルトにとって自らの書き物が、十分にエクリチュールではない、との不満はあったようだ。


悲しみ。ある種の倦怠感。自分がしたり、思ったりするすべてのことにまつわるとぎれることのない(最近、喪に服していらいの)、同じ倦怠感(心的エネルギーの備給の不在)。帰宅。空虚な午後。ある困難な瞬間。午後(のちに語る)。たった一人。悲しみ。塩漬けのような状態。私は、かなりの強度で思考する。あるアイディアが不意にわきあがる。文学的な回心のようなものーー古くさい二つの単語が心によみがえる。文学に踏み込むこと。エクリチュールに踏み込むこと。これまで自分がやったことのないようなやり方で、書くこと。もう、それしかやらないこと。まず、エクリチュールによる生を統一するために、コレージュをやめること(講義は、しばしば書くことと葛藤状態に陥るから)。続いて、講義と仕事とを同じ企て(文学的な)へと投入し、主体の分割を停止せしめ、たった一つの計画、偉大なる計画を優先させること。(ロラン・バルト「日記」1978年4月15日 カサブランカにて)

ここで蓮實重彦が、数々の著名な「小説家」の作品を取り上げて、あれらは「小説」ではなく、たんなる「物語」だと断じる論から、氏はエクリチュールという語を使用していないにもかかわらず、おそらく、その定義めいたものを示唆する文を掲げておこう。

波瀾万丈の物語とは一つの語義矛盾である。あらゆる物語は構造化されうるもので、思ってもみないことが起るのは、その構造に弛みが生じ、物語がふと前面から撤退したときに限られる。挿話の連鎖に有効にかかわらない細部がときならぬ肥大化を見せるような場合に、かろうじて事態は波瀾万丈と呼びうる様相を呈するにいたる。物語を見捨てた言葉の独走といったことが起るとき、構造の支配が遠ざかって小説が装置として作動し始めるといったらいいだろうか。(『小説から遠く離れて』)

ここには冒頭近く引用したデュラスの文がある、ーー《私は、人々が何を出発点にしているのか知らない。物語を出発点にしているなんて、私には信じられない。できあがった、仕上げられた物語からなんて。そうでしょう、書く前から既に、はじまりも、真ん中も、お終いも、波瀾もある物語から出発するなんて、私は信じない。》

誰もが知っている物語を語ってみせながら、なお人を惹きつけてしまう術を心得た人間を、われわれは名人と呼ぶ。だが、小説には名人など存在しない。語り口の魅力とは、もっぱら物語について口にさるべき誉め言葉だからである。石川淳がはたして優れた小説家かどうか疑わしいというのは、そうした理由による。彼は、何度でもその巧みな語りを再現してみせることができるだろう。だが、小説が再現されることなど必要としているはずがない。小説とはもっぱら反復されるべきものであり、反復が可能なのは、同じでないことが明らかな場合に限られている。われわれが擁護してみたいのは、再現ではなく、反復の対象としての小説なのである。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』ーー写経:石川淳『夷齋筆談』と蓮實重彦の「ボロクソ」芸

もっとも今ではこういうことを主張しても、まともに「小説」は読まれもせず、『エクリチュール至上主義』として嘲笑される時代になってしまった。とするなら、せめて、父性原理の権化ともいうべき論文形式ではなく、ロラン・バルトの書いたような「エッセイ」ーー書くことが主体を分析と競わせる曖昧なジャンルーーが、わずかにエクリチュールの生き残りの道なのかもしれない。

手始めは、一人称単数の扱いだ。

わたくしは、もともと一人称単数を主語とした文章を書くのが苦手で、『ゴダール マネ フーコ― 思考と感性とをめぐる断片的な考察』で一箇所だけ「わたくし」と書いたほかは、一人称単数を主語とした文章だけは書くまいとして、日本語の慣行と真正面から向かいあうのを避けてきました。古井由吉さんの小説を読むと、一人称単数を主語とした文章を避けようとする姿勢がけしからんと思うほど見事で、思わずため息がでてしまう。(蓮實重彦+川上未映子対談

では<私>を連発するたとえば柄谷行人をどう扱うべきか。

《私は小説作品として(「探究」シリーズを)読んでいる。彼(柄谷行人)は『探究Ⅱ』を、デカルトとスピノザと3人で書いている。しかも、ワープロを使って。》(蓮實重彦)

蓮實重彦のこの言明の起源のひとつはロラン・バルトの「自伝」の叙述からであるだろう。

ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。(『彼自身によるロラン・バルト』)

そこらじゅうに跳梁跋扈する、ぼく、ぼく、ぼく…、わたし、わたし、わたし…、ツイッターやブログを見よ。思想家だと? 哲学者だと? 「小説家」や「詩人」でさえも、あれら夜郎自大の満艦飾!

語りたまえ、そうすればすべてが明らかになる。出来事と諸力に対するきみたちの位置、きみたちの盲目性、きみたちの操作の範囲、きみたちの暗黙の信仰、鏡のなかの自分自身を見るきみたちの仕方が …語りたまえ、そうすればいまにもきみたちは思わず本心を洩らすだろう。叙述したまえ、そうすればきみたちは、自分の思考で考えていることよりずっと多くを言うだろう。悪と関わるきみたちのやり方。ただひとつの悪、実存することの悪だ。全能なる羨望と嫉妬のなかで。一般化された大人の稚拙さのなかで。

(…… )わかりきったことだ。そいつは前面に出てくる。哲学者は旅の逸話のなかで馬脚をあらわす。政治家は物語の色合いの秩序のなかで。さあ、耳をそばだててよく聞くがいい。ヒステリーはその後ろ、すぐ後ろにある、聴診器なんかいらない、それはどんなにささいな文章をも際立たせ、最もささいな形容詞のなかでもそれがふつふつと沸き立っているのが聞こえる。途方もない無意識の退廃、そしてぼく、ぼくが、ぼくが、ぼくが。純粋な思考、それは私だ。絶対への暗示、それは私だ。超越性、それは私、またしても私だ。歴史の意味、それは私だ。異論の余地のない善、それはつねに私、私でしかあり得ない。小説が成功するのは、それが時代のある瞬間、時代の社会的喜劇のある一定の瞬間に、ナルシシズムのあの無限の機織りを感じさせるその正確な割合においてである、このナルシシズムにあっては、誰ひとり誰にも耳を傾けず、各々の生きた小片は一般化された夢遊病の性質を帯びている。眠りや死のそれ以外に、共通の場所、共同体の場所はないのだ。「人は理解し合っている」 …いや、理解なんかまったくしていない! これっぽちも! ……ぼくが、ぼくが、ぼくが …私が自分以外の存在を受け入れる振りをするのは、いまこの存在が腐敗しつつあり、私の望むとおりに霧散しつつあるような印象を私が抱いているからである …「それをぼくに話してみろよ」 …反復される言葉、妙な癖、声の抑揚 …すべての外観の下には、つねに最大限の暴力が …それは聴取可能だ…パラノイアのモザイク …小説とはペテンの技術であり、小説はこれを利用して、通過中のすべての身体の根っ子にはただペテンがあるということを暴露する …いかなるペテンもまるでペストのように小説を恐れる …それはペストなのだ…バルサックやプルーストは恐ろしいリンパ節腫である …そこから、嘘を規制するためには、「小説」と呼ばれる小さな風邪の途絶えることのない組織体をまるごとひとつでっち上げる必要がでてくる …そして、とりわけ野心的な語りのあらゆる可能性をできるだけ卵のうちに殺害してしまう必要が …小説を貶め、それを最大限去勢すること、小説が下等なものと見なされていようと、それが上っ面しか語っていまいと …権力の管理はそこにある …耳をかっぽじってよく聞くがいい …それはつねに女の問題なんだ、とどのつまり …人の語り合うことすべてが …女「なるもの」を伝えるため …問いのなかの問いから逃れるためだ …to beではなく……not to be でもなく …「父」… 禁断の核 …(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)




2013年6月27日木曜日

魂の非安

汝を生み出した行為の内なる死の欲動を、決してしらばくれることなしに汝自身のものんと認めよ》(アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理』)

二〇〇一年九月一一日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。(ジジェク「〈現実界〉の砂漠へようこそ」)

 《

享楽、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかはない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。》(『彼自身のロランバルト』)

こうやって、われわれは死の欲動、あるいは享楽のなかに踏み込む。実はそんなことは誰でも知っている。しらばっくれてもだめだ。魂の平安など求めはしない。

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動といわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(『ラカンはこう読め!』)

《実際に消費する快楽よりも、つねに直接的交換可能性の「権利」を保持し、さらにそれを拡大することから得られる快楽。…資本の蓄積のたえまない運動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」にある欲動(死の欲動)として見られるべきである。》(柄谷行人『トランスクリティーク』p336)



「不安」とは「現実界」に近づき過ぎたときに起こるというのがラカンのテーゼである。

もっとも最近は二つの不安を区別するミレールの見解がある。《Miller recently proposed a Benjaminian distinction between “constituted anxiety” and “constituent anxiety,” which is crucial with regard to the shift from desire to drive: while the first designates the standard notion of the terrifying and fascinating abyss of anxiety which haunts us, its infernal circle which threatens to draw us in, the second stands for the “pure” confrontation with the objet petit a as constituted in its very loss.》(zizek"LESS THAN NOTHING")

ーー欲望の次元の「不安」にある人は、せいぜいその不安を慰めたらよい。だがひとは、欲動の次元の「不安」をうっちゃるわけにはいかない。(参照:欲望と欲動(ミレールのセミネールより)


無駄話にうつつを抜かして慰安を求め、象徴界のひびわれや裂け目に保留されている<現実界>を遣り過して愛想よく頷きあっている「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」を徹底的に嘲笑しようではないか、精神の健康のために。

《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。》(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

……「文芸春秋」を出したのは、菊池さんがたしか三十五の時である。ささやかな文芸雑誌として出発したが、急速に綜合雑誌に発展して成功した。成功の原因は簡単で、元来社会の常識を目当てに編輯すべき総合雑誌が、当時持っていた、いや今日も脱しきれない弱点を衝いた事であった。菊池さんの言葉で言えば、「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」の原稿を有難がるという弱点を衝いた事によってである。(小林秀雄「菊池寛」)

《われわれの共通の日常的現実、つまりわれわれが親切で真面目な人間という役割を演じている社会的世界の現実が、じつは、ある種の「抑圧 」、すなわちわれわれの欲望の〈現実界 〉から眼を逸らすことの上に成立した一つの幻想にすぎない(……)。この社会的現実は、<現実界>の闖入によっていつ何時でも、ごくふつうの日常会話やごくありふれた出来事が危険な方向へとむかい、取り返しのつかない破滅が起こるかもしれない…》(ジジェク『斜めから見る』p43)


「現実は、現実界の顰め面」(ラカン「テレヴィジョン」)であることを忘れたふりをしている、あるいは、「現実」は、象徴界によって飼い馴らされた<現実界 réel>であることを見ないふりをしている手合いには嘲弄がふさわしい。

"reality is the Real as domesticated—more or less awkwardly—by the symbolic; within this symbolic space, the Real returns as its cut, gap, point of impossibility"
(François Balmès, 『Ce que Lacan dit de l'être』 1999)


ラカンは、享楽は《裂け目の光のなかで保留されている》とする。「世界の論理の突然のひびわれ」、とデュラスは書く。


愛するという感情が不意に訪れるとしたら、それはどのようにしてなのか、とあなたは訊ねる。彼女は答える-たぶん、世界の論理の突然のひびわれから。彼女はいう-たとえば、ひとつの過ちから。彼女はいう-意志からは決して。(マルグリット・デュラス「死の病い」 )

世界の論理の突然のひびわれ、現実界の闖入を避けたところには、そもそも「愛」などない。「好き」だけだ。


ロラン・バルトの『明るい部屋』での二項対立、ストゥディウム(studium)/ブンクトゥム(punctum)を想起しよう。これは、『テクストの快楽』の、快楽plaisir/悦楽jouissanceに連なる。後者は、ラカン用語としては、「享楽」と訳されている。



プンクトゥムとはほとんど「享楽juissance」のことと言ってよい。(参照:ベルト付きの靴と首飾り


 

《プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことでもありーーしかもまた、骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)


突然のひびわれ、裂け目、 ――ここにしか「愛」はない。


《ストゥディウムというのは、気楽な欲望と、種々雑多な興味と、とりとめのない好みを含む、きわめて広い場のことである。それは好き/嫌い( I LIKE/ I dont)の問題である。ストゥディウムは、好き( to like)の次元に属し、愛する (to love)の次元には属さない。》(同 バルト)


ひとは、このストゥディウムの文化的場でうつつを抜かし、プンクトゥムの、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目をやりすごそうとする。 ――「うつつ」、つまり、” réel を抜かすのだ。


ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。(親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)

《現代ではストオリイは小説にあるだけではない。宗教もお話であり、批評もお話であると私は書いたが、政治も科学も歴史もお話になろうとしている。ラジオや テレビは一日中、料理や事件や宇宙について、甘いお話を流し続け、われわれは過去についてお話を作り上げ、お話で未来を占っている。


これらのお話を破壊しないものが、最も慰安的であるが、現実にもわれわれの内部にもお話の及ばない極地は存在する。人間はそこに止ることは出来ないにしても、常にその存在を意識していなければならない。だからこの不透明な部分を志向するお話が、よいお話である、というのが私の偏見である。》(大岡昇平『常識的文学論』1960



「魂の平和」が訪れて、「不安」がなくなってしまったらどうなるというのか。
「でも、あなたといるとぼくは不安でたまらない。そう、それなんだ、あなたはぼくを不安におとしいれるんです。そのとおりだよ、食事相手はうなずいた。わたしといると最後はだれもがそうなのさ。だけどね、そもそも文学の役割とはそこにあるのだと思わないかい? ひとの不安をかきたてることだとは? わたしに言わせれば、ひとの意識を慰撫するような文学などは信用できない。」(フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』澤田直訳編

もちろん、文学だけではない、ひとの意識を慰撫するような音楽、美術などは信用できない。祈りの音楽? 祈りとは本来、魂の不安を慰撫するのではなく、現実界に直面することではないか。《私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。》(武満徹)でありつつ、《私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態。》(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』)なのだ。


それを安吾のアモラル、あるいは漱石の非人情(人情と不人情の宙吊り)、あるいはカントの無限判断をめぐる記述を援用して、不安と平和との境界線を突き崩す第三の領域を、ここでは「非安」としておく。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られたような空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。その余白の中にくりひろげられ、私の耳に沁みる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、決して、不潔とか、不透明というものではありません。何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。(……)

そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。(坂口安吾『文学のふるさと』)


ジャン・ジュネの《何も言わずに祈り続ける人のように……要するに、にこやかで凶暴だった》とする、あまりにも強く私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける」文における「祈り」を想起しよう。



誰も、何も、いかなる物語のテクニックも、フェダイーンが過ごしたヨルダンのジェラッシュとアジルーン山中での6ヶ月が、わけても最初の数ヶ月がどのようなものだったか語ることはないだろう。数々の出来事を報告書にまとめること、年表を作成しPLOの成功と誤りを数え上げること、そういうことならした人々がある。季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。政治的選択によって彼らが撤退していたヨルダンのこの地方はシリア国境からサルトへと縦長に伸び広がり、ヨルダン川と、ジャラシュからイルビトへ向かう街道とが境界をなしていた。この長い縦軸が約60キロ、奥行きは20キロほどの大変山がちな地方で、緑の小楢(こなら)が生い茂り、ヨルダンの小村が点在し、耕地はかなり貧弱だった。茂みの下、迷彩色のテントの下に、フェダイーンはあらかじめ戦闘員の小単位と軽火器、重火器を配備していた。いざ配置に着き、ヨルダン側の動きを読んで砲口の向きを定めると、若い兵士は武器の手入れに入った。分解して掃除をし油を塗り、また全速力で組み立て直していた。夜でも同じことができるように、目隠しをしたまま分解し組み立て直す離れ業をやってのける者もあった。一人一人の兵士と彼の武器の間には、恋のような、魔法のような関係が成立していた。少年期を過ぎて間もないフェダイーンには、武器としての銃が勝ち誇った男らしさのしるしであり、存在しているという確信をもたらしていた。攻撃性は消えていた。微笑が歯をのぞかせていた。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』



 ほかにも、

《愛と死。この二つの言葉はそのどちらかが書きつけられるとたちまちつながってしまう。シャティーラに行って、私ははじめて、愛の猥褻と死の猥褻を思い知った。》


《女たちはすでに慣習に叛いていた。男の視線に耐えるまっ直ぐな眼差し、ヴェールの拒否、人目にさらした、時にはすっかり露な髪、つぶれたところのない声。》


《「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを》


ここには「現実界」を真正面から見据える人びとの「強度」、「光」がある。魂の唯物論的な露呈 réel、その「輝き」がある。笑いさざめき、白い歯をこぼす微笑、にこやかな凶暴さ、奇妙にもじっと動かぬ何ものか…まっ直な眼差し…


むき出しになった享楽…名前を欠いた非個性的な欲動が迫り上がる…統禦しがたい匿名の衝動…穴を穿たれ、乗っ取られた人びとの最も深い絶望による輝き…



もう繰りかえすまでもないだろう、「不安」の深淵をのぞきながら、そこから逃げさることのなかった人びとの享楽、死の欲動…愛の猥褻と死の猥褻…

………

◆ニーチェの「魂の平和」

「内なる敵」…その価値…対立に富むという代価を払ってのみ、人は豊饒となる。魂が伸び伸びとせず、平和を求めないという前提のもとでのみ、人は若さを保ちつづける・・・「魂の平和」という以前のあの願望、キリスト教的願望にもまして私たちに縁遠くなったものは、何ひとつとしてない。戦いを断念するときには、偉大な生を断念してしまっているのである・・・

もちろん多くの場合「魂の平和」はたんに一つの誤解であるにすぎない、――もっと率直に命名されることができないだけの何か別のものである。言いのがれや偏見なしで二三の場合をあげてみよう。「魂の平和」は、たとえば豊かな動物性が道徳的なもの(ないしは宗教的なもの)のうちへと穏やかに放射していることでもありうる。あるいは、疲労の始まり、夕暮れが、あらゆる種類の夕暮れが投げかける最初の影でもありうる。あるいは、空気が湿気をおび、南風が近づいてくることの徴候でもありうる。あるいは、順調な消化に対するそれとは知らぬ感謝(ときとして「人間愛」と名づけられる)でもありうる。あるいは、すべての事物に新しい味わいをおぼえ、待ちのぞむ快癒者の心のひっそりとすることでもある・・・

あるいは、私たちの支配的激情の強い満足につづいておこる状態、稀有な飽満の快感でもありうる。あるいは、私たちの意志の、私たちの欲求の、私たちの背徳の老衰でもありうる。あるいは、道徳的に粉飾するよう虚栄心に説きふせられた怠惰でもありうる。あるいは、不確実さによる長いあいだの緊張や拷問ののち、確実さが、怖るべき確実さすらが入りこんでくることでもありうる。あるいは、行為、創造、活動、意欲のただなかでの成熟や練達の表現、静かな息づかい、達成された「意志の自由」でもありうる・・・偶像の黄昏、誰が知ろうか? おそらくはこれまた一種の「魂の平和」でしかなかろう・・・(ニーチェ『偶像の黄昏』「反自然としての道徳」3番より 原佑訳)

※補遺→ ラカン派の現実(幻想)と現実界をめぐる