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2014年11月12日水曜日

小さな気泡が次々に弾ぜるような感覚

男根が子宮口に当り、さらにその輪郭に沿って奥のほうへ潜りこんで貼り付いたようになってしまうとき、細い柔らかい触手のようなものが伸びてきて搦まりついてくる場合が、稀にある。小さな気泡が次々に弾ぜるような感覚がつたわってくる(吉行淳之介『暗室』)





あの海は昏い、あの海は激しい、憤ろしい、しかも静かだ、

あの海は太古から変わらぬはるかな眼差しとたえず打ち寄せては退く波音のなだらかな息遣いを夜陰に拡げ、少年の恥軀をすっぽり覆い尽くし、雲間ごしにかすかに洩れた月光だけが少年の足元にまでとどいて、あちこち波打ち際に舫う海人船と荒磯にひそむ泡船貝の蠢動を仄かに照らしている、

生暖かな浜風が少年の魂に誘う何たる蠱惑の触手、短袴から斜めに突きだしつややかな肌を輝かせる一本の百日紅樹は、脈うち反りかえり薔薇色に変貌し、すもものように包皮を脱ぎ棄て密やかに反復される熟練の骨牌賭博師の手捌き、少年はある未知の道、死の道とも思われた一つの道をかきわけ、ついに勢いよくふるえおののき、月明りのなか白い鳩の羽搏きを奔出させる、耳のなかの海潮、その凪、その放心、遠い水平線の手触り、茫漠たる焚火の燻り、燃え尽きた魂の煙、--少年の足元を浸しはじめる潮満ちる海は法螺貝のむせび泣きとともに、栗花薫る漿液を吸い清める、少年は星の俘虜のように海の膝に狂った星を埋める、それとともに四方八方にひるがえって交接する無数の夜光虫、あの圧倒的な現前のさまを思え、海の熱風、海の卵巣、海の気泡、海のこめかみ、海のひかがみ、海のひよめき、海の窪みの抱擁に少年はもどかしくもたゆたいはじめ、空から落下する無垢の飾窓のなかで偶さかの遊戯の余韻に溶け込んでゆく、


「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。___ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」(三好達治「郷愁」)

あの女を見つけねばならぬ、あのなかにこそほんとうの奇跡が潜んでいるのだから、ふるえる一筋の光の線がなぎさを区切っている不動の海、ゆらぐ海藻のかげ、波間に見え隠れするとび色の棘、縦に長く裂けた海の皺の奥、その輪郭に沿ってさらに奥のほうへ潜りこんで貼り付いたようになってしまうとき、細かく柔らかい触手が伸び絡まりつき、小さな気泡が弾ぜる数え切れない奇跡の痕跡がくっきり刻まれているのだから、あの女は昏い、あの女は激しい、憤ろしい、しかも静かだ、紡錘形の二つの岬のあわいの磯陰でひたひたと匂いさざめく法螺貝の唇をまさぐりあて、あの女のなかに歩み入っていかねばならぬ






2014年9月21日日曜日

精神的な痴漢たち

痴漢たちは、発見され処罰されることをきわめて深く懼れているものの、同時に、その危険の感覚なしには、かれの快楽は薄められあいまいになり衰弱し、結局なにものでもなくなる。禁忌が綱渡り師にその冒険の快楽を保証する。そして痴漢たちが安全にかれの試みをなしとげると、その瞬間、安全な終末が、サスペンスのなかの全過程の革命的な意味を帳消しにしてしまうのである。結局、いかなる危険もなかったのだから、いままで自分の快楽のかくれた動機だった危険の感覚はにせに過ぎなかったのであり、すなわち、いまあじわい終わったばかりの快楽そのものがにせの快楽だと、痴漢たちは気がつく。そして再びかれはこの不毛な綱渡りをはじめないではいられない。やがて、かれらが捕えられ、かれの生涯が危機におちいり、それまでのにせの試みがすべて、真実の快楽の果実をみのらせるまで……(大江健三郎『性的人間』新潮文庫 P78~)

海に向かって南西に延びる半島の付け根にある地方都市。その町の私鉄郊外電車に乗って、少年は高校に通う。四両編成ののんびりした電車だ。おおくの高校生たちは、決った車輌の決ったドアから乗り込む、たとえば後ろから二つ目の車輌の後ろの扉から、というように。もちろん東京の通勤電車ほどには混みあっていないが、この路線のいくつかの駅の傍にはいくつもの高等学校があり、毎朝、鼻面に同じ年輩の少年少女の体臭が掠めるほどには混んでいる、そこでは躰が圧迫されるほどではないが、ときに肩や腕、あるいは手の甲は触れ合い、車輌が傾けば膝や太腿などが絡み合う。授業中の教室の鎮まり返ったにおいが滲み込んでいる制服の布地に鼻腔を押し拡げたり、眼前にある脂が浮かんだにきび面の模様をつくづくと凝視したり、なめらかな肌理のこまかい頬に震える生毛にふと見惚れたり、少年たちの黒く硬い頭髪の汗臭い臭いに顔を顰めたり、少女たちの長く柔らかい髪の毛から醸しだされる芳香に甘美なむずかゆさの溜息が洩れるほどの混み具合。座席に坐れることはめったになく吊り皮につかまって二十分ほど佇むことになるのだが、途中、市街地を下る長い坂の手前の駅で乗客の半分ほどは下車し、それを越えると畑がひろがり、季節のよいおりには、開け放たれた窓からガソリン臭やら生活臭の饐えたにおいとは違ったさわやかさに包まれる。風が薫り、海のにおいがかすかにして、肥料の人糞や牛糞やらのにおい、太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いもする。






途中駅にある名門校の制服の、いささかもの思いに沈んだ、そして濃密な密林の液体のようなゆるやかな体温の微熱のもやに包まれた、色白でほどよい肉づきの少女も、同じ車輌の同じ扉から入り、さらに後方の連結部に近い片隅にわけ入り、吊り皮をもって車輌の揺れに身をまかせる。傍らに立った少年の鼻先に、少女の頭髪用の石鹸のにおいとともにほのかな腋臭、そのさわやかな酸味をまじえたかおりがかすめる。電車がブレーキをかけてやや強く揺れ、少年の曲げた右肘が少女の左胸にのめりこみ、その熱の籠もった柔らかな弾力感に頭の芯まで震えが走りぬける。次の機会からは、わずかな揺れをも利用した。それを毎朝繰り返す。少女は避ける様子がない。車窓のむこうをぼんやりと眺めているだけだ。《さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。》……さらなる作戦の妄想に耽った日曜日をはさんだ翌月曜日の朝、少女の姿はなくなった。






電車の中は、そう混雑していたわけではない。井村は窓際に立っていた。傍らに、人妻風の二十七、八歳にみえる女性が立っていた。(……)青春の日々のことが、鼻の奥に淡い揮発性の匂いを残して掠め去って行った。

その瞬間から、傍らの女の存在が、強く意識されはじめた。それも、きわめて部分的な存在として、たとえば腕を動かすときの肩のあたりの肉の具合とか、乳房の描く弧線とか、胴から腰へのにわかに膨れてゆく曲線とか、尻の量感とか……、そういう離れ離れの部分のなまなましい幻影が、一つの集積となって覆いかぶさってきた。

いつの間にか、彼は青春の時期の井村誠一になっていた。肘を曲げて、軽く女の腕に触れてみると、女は軀を避けようとしない。さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。次の瞬間、彼はその肘を離し、躊躇うことなく、女の腿に掌を押し当てた……。
(……)

女は位置を少しも動かず、井村の掌は女の腿に貼り付いている。女も井村も、戸外を向いて窓際に立っていた。掌の下で、女の腿が強張るのが感じられた。やがて、それが柔らかくほぐれはじめた頃、女は腿を曲げて拳を顔の前に持上げると、人差指の横側で、かるく鼻の先端を擦り上げた。女はその動作を繰返し、彼はそれが昂奮の証拠であることを知っていた。衣服の下で熱くなり、一斉に汗ばんできている皮膚を、彼は掌の下に思い描いた。

窓硝子に映っている女の顔を、彼は眺めた。電車の外に拡がっている夜が、女の映像を半ば吸い取って、黒く濡れて光っている眼球と、すこし開いたままになっている唇の輪郭だけが、硝子の上に残っている。

その眼と唇をみると、彼は押し当てている掌を内側に移動させていった。女は押し殺した溜息を吐き、わずかに軀を彼の方に向け直した。その溜息と軀の捩り方は、あきらかに共犯者のものだった。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)




大学生の頃、井村がしばしば体験した状況になったのである。不思議におもえるほど、女たちは井村の掌から軀を避けようとしなかった。一度だけ、手首を摑まれて高く持ちあげられたことがあったが、それ以外は女たちは井村の掌を避けようとせず、やがて進んで掌に軀を任せた。

当時、井村誠一は童貞であった。彼は掌に全神経を集め、その掌に未知なるものへの憧れを籠め、祈りさえ籠めて押し当てた。

そして、掌の当る小部分から、女体の全部を、さらには女性という存在全部を感じ取ろうとした。彼女たちが軀を避けなかったのは、彼の憧れを籠めた真剣さ、むしろ精神的といえる行為に感応したためか。

あるいは、誰にも知られることのない、後腐れのない、深刻で重大な関係に立至ることもない、そういう状況の中で快楽を掠め取ることには、もともと多くの女性は積極的姿勢を示すのであろうか。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)


しかし幻想を支えるものとしての対象は、それが実際に手に入った瞬間失われる。女が男に自分自身を与えたその瞬間、彼女自身というこの贈物は《どういうわけか、どうしようもなく下らない贈物に変わってしまう》(ラカン)。

ある夕暮れ、Jは国電中央線の下り快速電車に乗っていた。かれのすぐまえに、かれと同年輩の娘が、かれと直覚に、そしてかれの胸、腹、腿のあわせめに、その体をおしつけて立っていた。Jは娘を愛撫していた。右手は娘の尻のあいだの窪みからその奥にむかって、左手は娘の下腹部の高みから窪みにむかって。そしてJのむなしく勃起した男根は女の腿の外側にふれていた。Jと娘との身長はほぼおなじだった。Jの吐く息は薔薇色に上気している娘の耳朶の生毛をそよがせつづけた。はじめのうちJは恐怖におののき息づかいを荒かった。娘は叫ばないだろうか? その自由な二本の腕でJの腕をつかみ周囲の人々に救いをもとめないだろうか? 最も激しく恐怖しているときJの性器は最も硬くなって娘の腿にむかってきつくおしつけられている。Jは娘の端正な横顔をいかにもまぢかに見つめながら深甚な恐怖のうちにたゆたう。皺はないが短い額、短く上向きに反っている鼻梁、コオフィ色の生毛のはえた皮膚のしたの大きい唇、しっかりした顎、それに色素の濃すぎるせいで全体が黒っぽく曇って見える立派な眼、それはほとんどまばたくことがない。Jは粗い手ざわりのウールのスカートごしに愛撫しつづけながら、不意に失神しそうになる。もしいま娘が嫌悪か恐怖の叫び声をあげれば自分はオルガスムにいたるであろうと感じる。かれは懼れのように、あるいは、熱望のように、その空想に固執する。しかし娘は叫ばない。唇はかたくひきしめられたままだ。そして舞台に切られた垂れ幕がおりるように、瞼が不意にきつく閉じられる。その瞬間、Jの両手は尻と腿の拒否から自由になる。柔らかくなった尻の間をなぞって右手はその奥にとどく。ひろがった腿のあいだを左手は正確に窪みにいたる。

そしてJは恐怖感から自由になる、同時にかれ自身の欲望も稀薄になる。すでにかれの性器は萎みはじめている。かれはいま義務感あるいは好奇心のみにみちびかれて執拗な愛撫をつづけているだけだ。そのときJは、ああ、いつものとおりだ、こういう風にすべて容認され、この状態をこえたひとつの核心にいたることが不可能となるのだ、というようなことを冷たくなってくる頭で考えていたのだった。そこまでは、かれが痴漢になることを決意した日から幾度となくくりかえされた、おなじ様式の一過程にすぎなかった。やがてJは自分のふたつの指先に、その見知らぬ他人の孤独なオルガスムを感じとった。(大江健三郎『性的人間』P91)





《われわれのなすべきこと(ギランやファスビンダーのやっていること)は、サントームをコンテクスト(そのコンテクストのおかげで、サントームは魅力を発揮している)から分離し、その徹底した馬鹿らしさを明るみに引きずり出すことである。いいかえれば、われわれがやらなくてはならないのは、(ラカンが『セミネールⅩⅠ』で用いている表現を借りれば)高価な贈り物を糞便の贈り物に変えること、われわれを金縛りにする魅惑的な声を、<現実界>の猥褻で無意味な断片として経験することである。》(ジジェク『斜めから見る』)であるかどうかは知るところではない。贈物が糞便に変わってもいとおしむ連中もいるのだろう。

ミルクホールで対い合っている伊木と井村の話は、そこで俄かに下世話にくだけた。二人の顔に、中年の男の表情が覗いた。

「それはともかく、電車の中でいろいろなことを学んだよ。女の怖ろしさの片鱗も、最初に知ったのは電車の中だ。夏だった。三十くらいの人妻とおもえる女でね、丁度きのうのように、電車は空いていたが、並んで窓に向いて立って、触っていた。ブラウスの胸がしだいに盛り上がってきた。電車が停って、三人の乗客が入ってきた。そのうちの一人に、その女と知り合いの女がいたんだな。同年配の女だ。どういう具合になるかみていると、今まで乱れていた呼吸がすうっとおさまって、いかにも親しげで同時に儀礼的な挨拶を換しはじめた。顔色も態度も少しも乱れたところがない。こわいとおもったね」

「なるほど、しかし、君のように思い詰めた触り方をしている男ばかりではないだろう。もっと気楽に、触っている痴漢もいるんだろうな」

「たしかに、いたね。また、そういう人物のうちに名人がいる。満員電車で、斜めに傾いた棒になってしまった女性がいた。床に倒れないのは、満員のせいで、周囲の男の乗客は皆にやにや笑っている。誰かは分からぬ名人が一人いてその女を倒したわけだ」

「えらいやつがいるね」

「しかし、その女もえらい。ある瞬間から自己放棄して、倒れてしまったわけだが、えらいものだ」

(……)
結局、電車の中での出来事は、時間の裂け目に陥ち込んで消え去ってしまった。

「一晩留置場で考えたが、電車の中の行為はやはり青春の時期に属するものだ、と分かった。その時期には、痴漢的だが、痴漢ではない。現在では痴漢になってしまう……」
と、井村は言う。その接触行為は、女性への憧れが変形した青春の世界のものであるべきだ。触れられる女性の側にしても、男性への憧れ、あるいは性への憧れがその底にあり、憧れと憧れとが照応してゆく凝縮した魔の一刻といえる。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)

---このように引用したからといって『砂の上の植物群』は、上野 千鶴子、富岡 多恵子,、小倉 千加子による『男流文学論』などで《時代遅れの通俗小説》とか、《こんなに女性に無理解な男が、なんで女を知っているということになっているのか》とさんざんに貶されているのを知らないわけではないし、痴漢的振舞いを讃美するわけのものでもない。いくら種々の理由づけがされたからといって、こういった男の妄想的痴漢話はほとんどの女性にとって迷惑千万なはなしであるには相違ないのだろう。ただ、若年時の女性への接触願望が、《女性への憧れが変形した》、屈折した思いであるならば、その願望を拭い去るには、女性への憧れを抹消する以外の方法が容易に見つかるだろうか、ということはある(その接触行為が最近の仮想的なツールなどでいくらか代償されているのかどうかは寡聞にして不明)。







もし自発的接触行為がまったく否定されるならば、次のようなことになりかねない。

男は手順を一つ進めるごとに、前もって相手の女に明示的な許可を求めなければならないという規則である(「ブラウスのボタンをはずしてもいいかい」などと)。ここでの問題は二重になっている。まず、今日の性心理学者が何度も教えてくれているように、 あるカップルが明示的にいっしょに寝るという意志を述べる前からすでに、すべてはさまざまなレヴェルの意志確認、ボディ ・ ランゲージや視線の交換といったもので決っており、 規則をあからさまに定めることは、余計なことである。そのため、このような明示的な許可を求めることによって一つひとつ手順を進める手続は、状況を明らかにするどころか、根底的な両義性の契機をもたらし、〈他者〉の欲望という深淵を主体につきつける ( 「彼はどうしてこんなことを聞くのかしら。もうちゃんと合図を送っているんじゃなかったっけ」 ) 。(ジジェク『サイバースペース、あるいは幻想を横断する可能性』)


反対に、大江健三郎の小説が示唆するように、電車上の女性が男性の痴漢行為をあっさり受け容れてしまったり、あるいは性行為に進展するかもしれぬ現場で、女性が自らさっさと素っ裸になって、さあ、どうぞ、と積極的に促すようならどうだろう、《魅惑の力がその効果をうみだすためには、その事実は隠されたままでなければならない。主体が、他者が自分を見つめていることに気づいたとたん、魅惑の力は霧散する》のであり、そのとき、<対象a>、隠された財宝、「彼女の中にあって、彼女以上のもの」、すなわち、女性の肯定的特質のいずれと結びつけることもできないにもかかわらず、女性の行動すべてに魔法のオーラを投げかける、捉えどころがなく、手の届かないXは消失してしまう。



日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫『「踏み越え」について』2003)



青春期には陰湿な部分がある、と私はもう一度くり返して言う。

それでは、「青春における生き方」として、その陰湿な部分を取り除くことが考えられるのではないか。取り除くことによって、青春の明るさ輝かしさを曇りないものにしようという考え方である。

しかし、その陰湿さは青春の属性であって、取り除け得るものではない。むしろ、その陰湿さを正面からよくよく眺めてみることが、それを克服する道に通じている。その陰湿さに気づかずに過ぎてしまうことは、精神の怠慢であり、無神経の証拠である。当今流行のドライという言葉で褒める事ではない。(吉行淳之介「鬱の一年」)――「青春」という死語

だが、それについては、《現実的で、がさつで、標準的頭脳ばかりのいまの若い人たちには、さだめし不可解だろう》。



……喫茶店を抜け出して海岸へ行き、人気のない小さな砂原を見つけ、洞穴のような形をした赤茶けた岩が菫色の影をおとすなかで、私は、つかのまの貪婪な愛撫をはじめた。誰かがおき忘れたサングラスだけが、それを目撃していた。私が腹ん這いになって、愛する彼女をまさに自分のものにしようとした瞬間、髭をはやした二人の男、土地の老漁夫とその弟とは、海からあがってきて、下卑た歓声をあげて私たちをけしかけた。それから四ヶ月後に、彼女はコルフ島で発疹チフスで死んだ。

こうしたみじめな記憶のページを何度となくめくりながら、私の人生の亀裂は、あのとき、あの遠い夏のきらめく日ざしのなかではじまったのだろうか、あの少女への熾烈な欲情は先天的な異常性格の最初の徴候にすぎなかったのだろうかと、くりかえし自分に問いつづける。しかし、自分自身の渇望や動機や行動などを分析しようとすると、私は際限なく二者択一の問題を提供して分析癖をたのしませる一種の回顧的な想像に落ちこみ、そのために、一つ一つの道筋が果てしなく八方にわかれて過去が狂おしいほど複雑なものに見えてくるのだ。しかし、ある魔術的な宿命的なつながりによって、ロリータの前身がアナベルだということは確信できるように思う。

また、アナベルの死のショックが、あの悪魔のような夏の日の欲求不満を固定化し、それが永久的な障害となって、もはやいかなる恋もできずに灰色の青春時代をおくらなければならなかったことも、私は知っている。現実的で、がさつで、標準的頭脳ばかりのいまの若い人たちには、さだめし不可解だろう……(ナボコフ『ロリータ』)

2014年7月15日火曜日

女たちによる「猥談」

さてフロイトやラカン嫌いのひとなら、すぐさま拒絶するだろう、「去勢」やら「ファルス」という言葉をふくんだ文の引用から始めてみよう。


(ラカンにとって)想像的去勢不安とは、〈大他者〉のファリックな欲望を満足させえないという不安を意味する。この不能により、この〈他者〉に無視されたり、さらには拒絶されたりする不安である。後者は二種類のジェンダーのヴァージョンに関係してくる。すなわち男は十分に(想像的)ファルスをもっていないことを怖れ、女は十分に想像的ファルスでないことを怖れる(ラカン 1956-57)。これは次の結果をもたらす。特徴ある男性的な“ギネスブック記録”ヒステリーへ、――より性的な意味に限定すれば、バイアグラへと。女性においては、われわれは“ミスワールド”ヒステリーに遭遇する、やがては形成外科手術の過剰を伴う。(私訳)

Imaginary castration anxiety involves an anxiety about being unable to satisfy the phallic desire of the Other and hence, being left or even rejected by this Other because of this inability. The latter receives two gender related versions : the man is afraid that he doesn't sufficiently have the (imaginary) phallus; the woman is afraid that she insufficiently is the imaginary phallus (Lacan, 1956-57). This leads to the characteristic masculine “ Guinness book of Records ” -hysteria, and –in a more restricted, sexual sense, to Viagra . In women , we encounter the “ Miss World ” -hysteria, eventually accompanied with excesses in plastic surgery. (“Sexuality in the Formation of the Subject”Paul Verhaeghe)


《男は十分に想像的ファルスをもっていない》ことの不安が、おそらく男の猥談を花盛りにするとすれば(性的経験/能力の誇示)、《女は十分に想像的ファルスでない》ことの不安は、いかに他者を惹きつけるかをめぐっている。胸の谷間からスカートや腰脇のスリット、あるいはミニスカやローライズなどもそれにかかわるのだろうし、「女子力」、「婚活」などの語彙群の氾濫は、女の猥談の気味合いがある。猥談というのに語弊があるならば、猥行為としてもよい。いずれにせよセクシュアリティにかかわる。この視点の光のもとでは、女性が猥談をすることは稀、というのは間違っている。


ここで小田嶋隆氏の名言を挿入しておこう(「あれは「女子力」のイベントだった」より)。

・「女子力」は、単に「男のコロがし方」を婉曲に表現しただけの言葉であったりする。

・「女子力」って自分で何かを成し遂げる能力じゃなくて、他人に何かをさせる(あるいはし てもらう)能力だよね。


・っていうか「女子力」って、「バカ男子動員力」みたいなもんだろ?


・女子力は女子の中では発揮できない。男子に囲まれている場所でしか機能しない。魚 の遊泳力が水の中でないと発揮できないのと一緒。


 …………


《男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」ということである》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

男は自分の幻想の枠にフィットする女を欲望する。他方、女は自分の欲望をはるかに徹底的に男のなかに疎外する(男のなかに向ける)。女の欲望は男に欲望される対象になることである。すなわち男の幻想の枠にフィットすることであり、女は自身を、他者の眼を通して見ようとするのだ。“他者は彼女/私のなかになにを見ているのかしら?” という問いにたえまなく煩わせられている。しかしながら、女は、それと同時に、はるかにパートナーに依存することが少ないのだ。というのは彼女の究極的なパートナーは、他の人間、彼女の欲望の対象(男)ではなく、ギャップ自体、パートナーからの距離なのだから。そのギャップ自体に、女性の享楽の場所がある。(私訳)

a man directly desires a woman who fits the frame of his fantasy, while a woman alienates her desire much more thoroughly in a man—her desire is to be the object desired by man, to fit the frame of his fantasy, which is why she endeavors to look at herself through the other's eyes and is permanently bothered by the question “What do others see in her/me?” However,a woman is simultaneously much less dependent on her partner, since her ultimate partner is not the other human being, her object of desire (the man), but the gap itself, that distance from her partner in which the jouissance féminine is located.(Zizek『Less Than Nothing』)

ここにある、

《女は……はるかにパートナーに依存することが少ないのだ》というジジェクの見解は、日本でもしばしば流通している「男性の恋愛は名前をつけて保存、女性の恋愛は上書き保存」という名言を説明してくれる。

ほかにも、《女の欲望は男に欲望される対象になることである》についてはこんな話がある。路上カフェに女性が座っているとする。目の前を男女のカップルが通りすぎる。すばらしくいい男だ。だが女性の場合、その男に魅惑されても、その男と一緒にいる女を観察することにいっそう時を費やす。

She may be attracted to the man, but will nonetheless spend more time looking at the woman who is with him.(Darian Leader

結局これらの話は、一九二〇年代から三〇年代にかけて活躍した名高い女流精神分析家で、フロイトの著作の翻訳者でもあるジョン・リヴィエールJoan Rivièreの論「仮装としての女性性Womanlinessas a Masquerade(1929)」のまわりをめぐっている。

男性を女性へと結びつける魅力について想像してみると、「仮装した人」として現れる方が優勢であることを我われは知っているからです。仮面の仲介を介してこそ男性と女性は疑問の余地なくもっとも激しく、もっとも情熱的に出会うことができるのです。(ラカン『セミネールⅩⅠ』)
女性が自分を見せびらかし、自分を欲望の対象として示すという事実は、女性を潜在的かつ密かな仕方でファルスと同一のものにし、その主体としての存在を、欲望されるファルス、《他者》の欲望のシニフィアンとして位置づけます。こうした存在のあり方は女性を、女性の仮装[mascarade]と呼ぶことのできるものの彼方に位置づけますが、それは、結局のところ、女性が示すその女性性のすべてが、ファルスのシニフィアンに対する深い同一化に結びついているからです。この同一化は、女性性ともっとも密接に結びついています。(ラカン「セミネールⅤ」)
どんなにポジティブな決定をしてみても、女性というのはひとつの本質だ、女性は「彼女自身だ」と定義してみても、結局のところ、女性が演技しているもの、女性が「他者にとって」どういう役割をもっているかという問題に引き戻されてしまう。なぜなら、「女性が男性以上の主体となるのは、まさに女性が本来の仮装の特徴を帯びているときだけ、女性の特徴が、すべて人工的に「装われている」ときだけだからである」。(エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』)


…………

最後に、ラカン派におけるファンタジーのごく標準的な考え方を付記しておこう。


《The ultimate object of fantasy is the gaze itself》 Zizek


ラカン派によれば、究極的な幻想(ファンタジー)の対象とはまなざしそれ自体である。まなざし、すなわち欲望の対象-原因としての〈対象a〉ということになる。


《the ultimate fantasy is the fantasy of sexual relationship》(Zizek)


かつまた究極的な幻想とは、性関係の幻想である。ラカンによれば「性関係はない」のだから、このときのファンタジーとは、性関係があるように幻想するということになる。


《the fantasy is an attempt to give meaning to a part of the Real that resists to the Symbolic.》 (Paul Verhaeghe)

幻想とは象徴界に抵抗する現実界の部分に意味を与える試みであるなら、究極的なファンタジーとは、性関係がないという象徴界に、性関係があるという幻の想念を抱くことである。


ところで、幻想は欲望を上演する(ステージに上げる)。だがこの欲望とは誰の欲望なのか?


欲望の最初の問いは、「私は何を欲しているのか」という直接的な問いではなく、「他者は私から何を欲しているのか。彼らは私の中に何を見ているのか。彼ら他者にとって私は何者なのか」という問いである。幼児ですら関係の複雑なネットワークにどっぷり浸かっており、彼を取り巻く人びとの欲望にとって、触媒あるいは戦場の役割を演じている。父親、母親、兄弟、姉妹、おじ、おばが、彼のために戦いを繰り広げる。母親は息子の世話と通して、息子の父親にメッセージを送る、子どもはこの役割をじゅうぶん意識しているが、大人たちにとって自分がいかなる対象なのか、大人たちがどんなゲームを繰り広げているのかは、理解できない。この謎に答を与えるのが幻想である。どんな単純な幻想も、私が他者にとって何者であるのかを教えてくれる。どんなに単純な幻想の中にも、この幻想の相互主観的な性格を見てとることができる。たとえばフロイトは、苺のケーキを食べることを夢想する幼い娘の幻想を報告している。こうした例は、幻覚による欲望の直接的な満足を示す単純な例(彼女はケーキがほしかった。でももらえなかった。それでケーキの幻想に耽った)などではけっしてない。決定的な特徴は、幼い少女が、むしゃむしゃケーキを食べながら、自分のうれしそうな姿を見て両親がいかに満足しているかに気づいていたということである。苺のケーキを食べるという幻想が語っているのは、両親を満足させ、自分を両親の欲望の対象にするような(両親からもらったケーキを食べることを心から楽しんでいる自分の)アイデンティティを形成しようという、幼い少女の企てである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)


では冒頭の文脈に戻って、男と女はいったいどうすればいいのか。《瓶ビールを抱いているカエル》の話がある。

二、三年前、イギリスのTVでビールの面白いCMが放映された。それはメルヘンによくある出会いから始まる。小川のほとりを歩いている少女がカエルを見て、そっと膝にのせ、キスをする。するともちろん醜いカエルはハンサムな若者に変身する。しかし、それで物語が終わったわけではない。若者は空腹を訴えるような眼差しで少女を見て、少女を引き寄せ、キスする。すると少女はビール瓶に変わり、若者は誇らしげにその瓶を掲げる。女性から見れば(キスで表現される)彼女の愛情がカエルをハンサムな男、つまりじゅうぶんにファロス的な存在に変える。男からすると、彼は女性を部分対象、つまり自分の欲望の原因に還元してしまう。この非対称ゆえに、性関係は存在しないのである。女とカエルか、男とビールか、そのどちらかなのである。絶対にありえないのは自然な美しい男女のカップルである。幻想においてこの理想的なカップルに相当するのは、瓶ビールを抱いているカエルだろう。この不釣り合いなイメージは、性関係の調和を保証するどころか、その滑稽な不調和を強調する。われわれは幻想に過剰に同一化するために、幻想はわれわれに対して強い拘束力をもっているが、右のことから、この拘束から逃れるにはどうすればよいかがわかる。同時に、同じ空間内で、両立しえない幻想の諸要素を一度に抱きしめてしまえばいいのだ。つまり、二人の主体のそれぞれが彼あるいは彼女自身の主観的幻想に浸かればいいのだ。少女は、じつは若者であるカエルについて幻想し、男のほうは、実は瓶ビールである少女について幻想すればいい。(『ラカンはこう読め!』ジジェク 鈴木晶訳p99~)

…………

※附記

いまはかつての話かもしれない。そして下手な猥談ばかりの時代になってしまったのかもしれないが、附記しておこう。

大人になった男が、ワイダンをするには、いろいろ理由がある。

 その一つは、それが、最も無難な話題であるためだ。男というものは、社会に出て、辛い生活をしながら生計を立てていかねばならない。そして、社会生活で、最も心を悩ますのは対人関係である。うっかりした話題を出すと、さしさわりが起る。ワイダンをやっていれば、無難である。下手なワイダンは困りものだが、巧みなワイダンに顔をしかめるのは、偽善者ということに、大人の世界ではなっている。

 それに、ワイダンというものは、じつはけっしてナマナマしいものではなく、これほど観念的なものはないといってもよいくらいのものだ。男と女のちがいの一つは、性について知ることが多くなればなるほど、女は肉体的になってゆくが、男は観念的になってゆくことだ。女は眼をつむってセックスの波間に溺れ込むようになるが、男はますます眼を見開いて観察し、そのことから刺激を得て、かろうじて性感を維持してゆく。(吉行淳之介「不作法紳士―男と女のおもてうら―」)

吉行淳之介は、中学生くらいの年齢における性の目覚めについて、男女間の著しい相違が何かといえば、それは男子中学生は盛んに好んで猥談をすることだとしている。あるいは、《猥談も出来ないような男は偽善者扱いをされるので皆男は酒を飲むと猥談に夢中になり抽象論議に夢中になる》とも。だが女たちも中学生のころから、別の「猥談=猥行」(仮装としての女)を実践しているのではないか。

自然的本性を熊手で無理やり追いだしても、それはかならずや戻ってやってくるだろう。(ホラティウス)

2014年6月1日日曜日

不安のにおい

……自分はどんなつもりで暮らしていたのだろう、と女は寝床の中から振り返って驚くことがあった。人よりは重い性格のつもりでも、何も考えていなかった。まだ三十まで何年かある若さだったということもあるけれど、物をまともに考えるには足もとが、底が抜けたような時代に入っていた。世間は未曾有の景気と言われ、余った金が土地などの投機に走り、その余沢からはずれたところにいたはずの自身も、後から思えば信じられないような額の賞与を手にすることがあった。ましてや有卦に入った会社に勤めて三十代のなかばにかかっていた夫は、当時の自分から見ても、罰あたりの年収を取っていた。

罰あたりという感覚はまだ身についてのこっていたのだ。世の中の豊かになっていくその谷間にはまったような家に育って、両親には早くに死に別れ、兄姉たちも散り散りになった境遇だけに、二十代のなかばにかかるまでは、周囲で浮き立つような人間を、上目づかいはしなかったけれど、額へ髪の垂れかかる感じからすると、物陰からのぞくようにしていた。その眼のなごりか、景気にあおられて仕事にも遊びにも忙しがる周囲の言動の端々から洩れる、投げやりのけだるさも見えていた。嫌悪さえ覚えていた。それなのに、その雰囲気の中からあらわれた、浮き立ったことでも、けだるさのまつわりつくことでも、その見本のような男を、どうして受け容れることになったのか。男女のことは盲目などと言われるけれど、そんな色恋のことでもなく、人のからだはいつか時代の雰囲気に染まってすっかり変わってしまうものらしい。自分の生い立ちのことも思わなくなった。(古井由吉「枯木の林」)
その頃には世の中の景気もとうに崩れて、夫の収入もだいぶしぼんで、先々のことを考えてきりつめた家計になっていた。どんな先のことを考えていたのだろうか、と後になって思ったものだ。会社を辞めることにした、と夫は年に一度は言い出す。娘の三つ四つの頃から幾度くりかえされたことか。なにか先の開けた商売を思いつくらしく、このまま停年まで勤めて手にするものはたかが知れているなどと言って、一緒に乗り出す仲間もいるようで、明日にでも準備にかかるような仔細らしい顔をしていたのが、やがて仲間のことをあれこれののしるようになり、そのうちにいっさい口にしなくなる。その黙んまりの時期に、家に居ればどこか半端な、貧乏ゆすりでもしそうな恰好で坐りこんでいたのが、夜中にもう眠っている妻の寝床にくる。声もかけずに呻くような息をもらして押し入ってくるので、外で人にひややかにされるそのかわりに家で求めるのだろう、とされるにまかせていると、よけいにせかせかと抱くからだから、妙なにおいが滴るようになる。自分も女のことだから、よそのなごりかと疑ったことはある。しかし同棲に入る前からの、覚えがだんだんに返って、怯えのにおいだったと気がついた。なにかむずかしいことに追いつめられるたびに、そうなった。世間への怯えを女の内へそそごうとしている。(同上)

古井由吉には、リルケの「ドゥイノの悲歌」の散文詩訳がある。


しかし心得てほしい。われわれの語るところは、物たち自身が内々、おのれのことをそう思っているだろうところとは、けっして同じではないのだ。恋人たちの心に迫って、その情感の中で何もかもがこの世ならぬ恍惚の相をあらわすように仕向けるのも、滅多には語らぬ現世の、ひそかなたくらみではないのか。敷居はある。たとえ恋人たちがそれぞれ昔からある自家(いえ)の戸口の敷居をいささか、踰えることによって擦り減らしたところで、二人にとって何ほどのことになる。以前の大勢の恋人たちに後(おく)れて、以後の恋人たちに先立って、自身も痕跡を遺すだけのことではないのか……かすかに。

そのリルケには「不安のにおい」(『マルテの手記』)という言葉がある。


街(とおり)が方々からにおいはじめた。かぎわけられるかぎりでは、ヨードホルムや、いためジャガの油や、「不安」などのにおいだった。夏になると、どの町も、におうものだ。それから奇妙な、内障眼(そこひ)のような家にもお目にかかった。それは、地図には見あたらなかったが、ドアの上には、まだかなりはっきり読みとれるように、「簡易宿泊所」と書かれてあった。入口のそばに、宿泊料金がしるされてあった。読んでみたが、高くはなかった。

 それから、ほかには? 置きっぱなしの乳母車のなかのひとりの子ども。ふとっちょで、青白く額の上にはっきりと吹出物がでていた。が、見たところすっかりなおっていて、もう痛みはなかった。子どもは眠っていた。口はあいたままで、ヨードホルムと、いためジャガと、「不安」を、呼吸していた。ほかにどうしようもないのだ。肝心なことは、その子が、生きていることだった。それが肝心なことだった。 (リルケ『マルテの手記』星野慎一訳)

においの作家の系譜というものがある。わたくしの知るかぎり、吉行淳之介、金井美恵子、そしてやはり古井由吉。

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『砂の上の植物群』
部屋の空気は湿っていたし、それに、すり切れた絨毯や、 同じようにすり切れてやせた織糸の破れ目から詰め物とスプリングがはみ出ているソファが、古い車輌に乗ったりすると、時々同じようなにおいのすることのある、人々の体臭や汗のしみ込んで、それが蒸されて醗酵したような不快な汚物のようなにおいを発散させていたので、その鼻を刺激する醗酵性のにおいに息がつ まりそうになり、わたし自身の身体からも、同じにおいを発散させる粘り気をおびた汗がにじみだして来ては、体温の熱でにおいをあたりに蒸散させているよう な気がした。(金井美恵子『くずれる水』)
……においと言えば昔、二人きりになって初めて寄り添った男女は、どちらもそれぞれの家の、水まわりのにおいを、いくら清潔にしていても、髪から襟から肌にまでうっすらとまつわりつけていたもので、それが深くなった息とともにふくらむのを、お互いに感じたそのとたんに、いっそ重ね合わせてしまいたいと、羞恥の交換を求める情が一気に溢れたように、そんなふうに振り返っていたものだが、車の排気と言われてみればある時期から、街全体をひとしなみに覆うそのにおいが、家々のにおいに取って代わっていたのかもしれない、と思った。(古井由吉「蜩の声」

詩人たちはどうか? これは(これも)読み手によるのだろうが、西脇順三郎や田村隆一でさえ、においの詩人として魅惑されるときがある。

たとえば田村隆一が、《新しい家はきらいである/古い家で生れて育ったせいかもしれない/死者とともにする食卓もなければ/有情群類の発生する空間もない》とするとき、これは黴の懐かしいにおいのことを書いているとして読む。

田村隆一が、とりわけ愛した西脇順三郎の詩のひとつは「秋 Ⅱ」だ。

タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ

ロラン・バルトも匂いの、あるいは触覚の作家である。

プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。(『彼自身によるロラン・バルト』)

視覚の感受性、聴覚の感受性、嗅覚の感受性など、それぞれ作家には感度の鋭さや鈍さがあるだろう。どの作家に惹かれるのかは、これもまた読者の感受性による。たとえば谷崎潤一郎は触覚の作家だろう。一般に視覚の作家が愛でられることの多いのは、読み手も視覚の感受性が他の感受性に比べて際立つひとが多いせいではないか。

ところで、中井久夫には「匂いの記号論」ともいうべき文章がある。だが、ここでは長くなりすぎるので引用しない(参照:遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえ)。かわりに「不安のにおい」という節がある「微視的群れ論」から抜き出す。



◆「不安のにおい」――中井久夫「微視的群れ論」(『精神科医がものを書くき 〔Ⅰ〕』所収)

……人間というのは、においということをあまり重要視していません。においというのは、たいへん低級な感覚だといわれているけれども、どうもそうではないのではないかと、ぼくは思っているんです。

町には町のにおいがあります。それから、それぞれの家にはそれぞれのにおいがあります。普通は気づかないですが、よそを訪問すると、それぞれの家の独特のにおいがあるでしょう。神戸から来ますと、東京も名古屋も、それぞれの町のにおいが違います。そういう町のにおいがどう働くのかわかりませんが、においというのは意外な力をもっていますからね。においは触れることの予感でもあり、余韻でもあり、人間関係において距離を定める力があると思います。においのもたらすものはジェンダー(性差)を超えたエロスですが、そういうものの比重は、予想よりもはるかに大きかろう。

だから、逆に人同士を離すにおいもあるんです。いまは、精神病院も清潔になったし、みんな風呂に入りますから、あまりにおいませんけど、昔の精神病院というのは、独特のにおいがありました。とにかくあのにおいは何のにおいだろうと思ったけれど、長らくわかりませんでした。ただ不潔にしているというのではないんです。浮浪者なんかのにおいとは全然違いますから。

ある患者さんと面接したんですが、その人を不安にさせるようなことを言ってしまったら、途端に、たぶん口の中から出てきたんだと思うんですが、そのにおいがしたんです。口の中というのは、内臓全部のにおいですから。体の中からすぐ何か出たんです。とにかく例のにおいがしたんです。パーッとにおってきた。

ぼくは、これは不安のにおいだなと思いました。不安のにおいというのは、リルケの『マルテの手記』のなかに出てくるんですけれども、こちらを遠ざけるにおいなんです。つまり、その場から去らせたくなるにおいなんですね。不安になった人間が放つにおいというのは、ひょっとしたら他の個体を去らせるような作用をしているのかもしれない。だから、不安になった人が孤独になっていくということは、大いに考えられるわけです。

何でこんなものがあるんだろうと思って考えてみたら、昔むかしのことですが、人間の群れにオオカミとかライオンが来て、それに最初に気づいた人間が、突如不安になって、それがあるにおいをパーッと出すと、周りの人間はその人間から離れたくなる。不安は伝染するといいますけれども、次々にそうなって、お互いの距離が離れますと、一人や二人の人間は食われるかもしれないけれども、全体としては食われる率が減る。

こういうのを警戒フェロモンという名前がついていますけれども、ひょっとしたら、不安になったときに人間が出すにおいというのは、お互いに「遠ざかれ」という警戒フェロモンであるかもしれない。

そんなことを感じたのですが、ただ、いまでは、オオカミが襲ってくるということはあまりありませんので、有効性のほうがなくなって、慢性的に不安になっている人がだんだん孤立していくだけの働きしかない。

そんなことを感じたのですが、ただ、いまでは、オオカミが襲ってくるということはあまりありませんので、有効性のほうがなくなって、慢性的に不安になっている人がだんだん孤立していくだけの働きしかない。

こういうものは、意識させたら役に立たなくなるものだから、意識に上らないようなかたりで、人間の行動を規定しているのかもしれません。この種のものが人間の行動を規定している力というのは、非常に大きいのではないかというふうに、私はだんだん思うようになりましたね。

◆福岡伸一「生物の進化と“ におい ”の関係」
生物が、外部環境を識別するために発達させた感覚機能には、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の 5つがあります。いわゆる「五感」です。そのなかであえて順位をつけると、生物学的に一番重要だと考えられる感覚は嗅覚です。その理由として、まず「こちらからコンタクトしなくてもその存在が確認できる」という点があげられます。たとえば視覚であれば、対象物が自分の視野に入ってはじめて認識することができます。味覚の場合は、対象物を口に入れる、というこちらからの積極的なコンタクトが必要になります。しかし嗅覚はどうでしょう。嗅覚は、相手が見えなくても、接触しなくても、そのにおい物質が空気中を拡散して伝われば、その存在を認知できるシステムになっています。

もうひとつ、嗅覚の重要説を裏付けるものとして、においの「レセプター(受容体)」について触れておきましょう。人間は、各対象に対応したレセプターを持ってはじめて、対象を感知することができます。たとえば味覚であれば、甘味、苦味、酸味などを感知するレセプターを 5つほど持っていて、その組み合わせによって味を判断しています。視覚も同様で、光の粒子を感知する数種類のレセプターで色を認識しています。そして嗅覚はというと、においのレセプターが発見されたのは、約 20年前のことです。発見したのは女性研究者、リンダ・バック博士。彼女の研究によってわかった人間のにおいレセプターの数は、少なくとも数百種類あります。人間の遺伝子が 2万数千種類であるのに対して、その全体の数パーセントを、においに関する遺伝子が占めていることになります。ここまでたくさんの数の遺伝子を用意している組織は、ほかにありません。人間にとってどれだけ嗅覚が大切か、お分かりいただけるでしょう。


◆フェロモンをめぐって(中井久夫「母子の時間、父子の時間」より『時のしずく』所収

母子の時間の底には無時間的なものがある。母の背に負われ、あるいは懐に抱かれたならば、時間はもはや問題ではなくなる。父子にはそれはない。父親と過ごす時間には過ぎゆくものの影がある。長い時間の釣りでさえ、ハイキングでさえ、終わりがある。終わりの予感が、楽しい時間の終末部を濃く彩る。

友人と過ごす時間には、会うまでの待つ楽しさと、会っている最中の終わる予感とがある。別れの一瞬には、人生の歯車が一つ、コトリと回った感じがする。人生の呼び戻せなさをしみじみと感じる。それは、友人であるかぎり、同性異性を問わない。恋人と言い、言われるようになると、無時間性が忍び寄ってくる。抱き合う時、時間を支配している錯覚さえ生じる。もっとも、それは、夫婦が陥りがちな、延びきったゴムのような無時間性へと変質しがちで、おそらく、離婚などというものも、この弾力性を失った無時間性をベースとして起るのだろう。

この無時間的なものの起源は、胎内で共有した時間、母子が呼応しあった一〇カ月であろう。生物的にみて、動く自由度の低いものほど、化学的その他の物質的コミュニケーション手段が発達しているということがある。植物や動物でもサンゴなどである。胎児もその中に入らないだろうか。生まれて後でさえ、私たちの意識はわずかに味覚・嗅覚をキャッチしているにすぎないけれども、無意識的にはさまざまなフェロモンが働いている。特にフェロモンの強い「リーダー」による同宿女性の月経周期の同期化は有名である。その人の汗を鼻の下にぬるだけでよい。これは万葉集東歌に残る「歌垣」の集団的な性の饗宴などのために必要な条件だっただろう。多くの動物には性周期の同期化のほうがふつうである。

( ……)

胎内はバイオスフェア(生物圏)の原型だ。母子間にホルモンをはじめとするさまざまな微量物質が行き来して、相互に影響を与えあっていることは少しずつ知られてきた。( ……)味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓は、言語から遠いため、私たちは単純なものと錯覚しがちである。それぞれの家に独自の匂いがあり、それぞれの人に独自の匂いがある。いかに鈍い人間でも結婚して一〇日たてば配偶者の匂いをそれと知るという意味の俗諺がある。

触覚や圧覚は、確実性の起源である。指を口にくわえることは、単に自己身体の認識だけではない。その時、指が口に差し入るのか、指が口をくわえるのかは、どちらともいえ、どちらともいえない状態である。口 ―身体― 指が作る一つの円環が安心感を生むもとではないだろうか。それはウロボロスという、自らの尾を噛む蛇という元型のもう一つ先の元型ではないだろうか。

聴覚のような遠距離感覚でさえ、水の中では空気中よりもよく通じ、音質も違うはずだ。母親の心音が轟々と響いていて、きっと、ふつうの場合には、心のやすらぎの妨げになる外部の音をシールドし、和らげているに違いない。それは一分間七〇ビートの音楽を快く思うもとになっている。児を抱く時に、自然と自分の心臓の側に児の耳を当てる抱き方になるのも、その名残りだという。母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおりである。いわば、胎児の耳は保護を失ってむきだしになるのだ。

視覚は遅れて発達するというけれども、やわらかな明るさが身体を包んでいることを赤児は感じていないだろうか。私は、性の世界を胎内への憧れとは単純に思わない。しかし、老年とともに必ず訪れる、性の世界への訣別と、死の世界に抱かれることへのひそかな許容とは、胎内の記憶とどこかで関連しているのかもしれない(私は死の受容などと軽々しくいえない。死は受容しがたいものである。ただ、若い時とは何かが違って、ひそかに許しているところがあるとはいうことができる)。


2014年1月29日水曜日

臀と尻、あるいは翳と軀

私の詩のなかで、〈手〉と〈掌〉という文字を探すことは、きわめて困難な筈である。それは私が意識的に、それらの文字を避けてきたからである。もちろん〈手足〉とか〈波の手〉とか類似の用語は若干あると思うが。(……)

〈手〉や〈掌〉の内在する象徴性にもたれかかって、安易に成立った作品を見ると、私はやりきれない気持になる。

〈手〉や〈掌〉は、私の嫌いな〈文字〉ではなく、むしろ好きなほうである。〈手〉はこれからも必然性があれば使うだろうけれど、まだ私は〈掌〉という〈文字〉を書くことはないだろう。(吉岡実「手と掌」)

「翳」という文字がある。たとえば、日の光を受けた街路樹が、地に落すかげ、重なり合った木の葉のかげが、地面でチラチラ動く、そういうかげのときは、「翳」を使わないとおさまらない。心の具合が顔や軀の上に惨み出てユラユラ動いている場合も、「翳」である。(吉行淳之介)

吉岡実は《〈手〉や〈掌〉の内在する象徴性》という。吉行淳之介は《木の葉のかげが、地面でチラチラ動く、そういうかげのときは、「翳」を使わないとおさまらない》という。両者は文字の象徴性にかんして全く正反対の態度のようにも見えるが、二人ともいかにも文字遣いへの繊細さを語っている(ふたりの言わんとしていることは、それだけではないのだろうが、ここでは深く追求しない)。

吉岡実の文字の象徴性にもたれかかることへの抵抗は、詩人だからということだけではなく、やはり吉岡の潔癖さにも由来するのだろう。《詩でね、変らない詩人がたくさんいるでしょ。ぼくはやっぱり、絶えず変りたい》 (吉岡実)

吉行には「翳」だけでなく、「軀」という字への拘りがあるのはかつてはよく知られていた。散文だから象徴性が煩わしくならないということはあるのか、ーーだが、あまりに「軀」という漢字のエロティックさを強調することが重なれば、ときにうるさいと感じる人がいるのも想像されないではない。いずれにせよ、このような敏感さをもつのがすぐれた書き手の特徴であるのは、わたくしが言うまでもなかろう。

「軽薄にソネットを扱いそこにピタゴラス的な美をみないのは馬鹿げている」(ボードレール)。ピタゴラス的な美とは、”現実”や”意味”と無関係に形式的な項の関係のみで成り立つものである。(柄谷行人『隠喩としての建築』)

吉行のまだ比較的若い頃の作品では、「軀」ではなく「躰」が使われている。ここには「翳」も出てくるので引用しておこう。

「あたしを嫌いなくせに。あたしだって好きじゃない」

 その言葉が、奇妙に僕の欲情を唆った。僕は娘の顔を眺めた。うっすらと荒廃のが、その顔に刷かれていた。僕は娘のを眺めた。紡錘形の、水棲動物めいたが衣裳のうえから感じられた。(吉行淳之介『焔の中』1956年)


吉行淳之介はかつて三島由紀夫の文体を《漢字の美的感覚に寄りかかり過ぎている》と批判している。だが後年《あの発言は自分の嫉妬からだった》と洩らすことになる。


もっとも文字面の美をどのように追うかは、作家のタイプにもよるようであり、谷崎潤一郎はその『文章読本』で、志賀直哉の文を引用して、《それを刷ってある活字面が実に鮮やかに見える》としてこの見事なお手本を繰り返し玩味すべきとしているが、続けて、流麗な文(和文調)と簡潔な文(漢文調)――源氏物語派と非源氏物語派――に分けて文章の美が説かれ、谷崎潤一郎自身は流麗な調子を好み、《この調子の文章を書く人は、一語一語の印象が際立つことを嫌います》と書かれることになる。

…………


吉岡実の詩には、漢字と平仮名の均衡を眺めるだけでほれぼれする詩行がある。

たとえば「子供の臀に蕪を供える」は「子供の尻に蕪を供える」ではけっしてないだろう。
そしてつねに「臀」が使われるわけではない。

「臀」は豊かにふくらんでいる部分を指すなどと説かれたりすることもあるが、吉岡実はもちろんそんな定義などにこだわりはしない。


・いつもパンを焼くフライパンの尻を叩きながら

・水着の美女の尻

ーーこの二つの詩行における「尻」は「臀」にするわけにはいかない(美感上、としておこう)。

いくつか視覚的にも美しい詩行を抜き出そう。


・誠実な重みのなかの堅固な臀

・驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた

・洗濯物は山羊の陰嚢

・母親の典雅な肌と寝間着の幕間で

・美しい魂の汗の果物

・いまは緑の繻子の靴に踏まれる森の季候

・賢い母親は夏の蝉の樹木の地に

・数ある仮死のなかから溺死の姿を藉りる

…………

吉行淳之介の代表作『砂の上の植物群』(1964)から、いくつかのパラグラフを行分け、かつ句読点を削除して抜き出してみよう。

…………


絶え間なく動いている女の唇だけが
目立っていた
その唇にも血にまみれたように口紅が塗られてあった
女というものの抵抗できぬ逞しさを示しているようにもみえ
見知らぬ動物の発情した性器のようにもみえた

彼の予想では川村朝子は白粉気のない顔で
ぎこちなく店の隅に佇んでいる筈だった
しかし彼女は真赤に唇を塗り
身軽に店の中を歩きまわり
物馴れた酒場女のような口をきいた
濃い化粧は彼女を醜くしてはいなかった
平素よりももっと
可愛らしく愛嬌のある顔になっていた
ただいかにも人工的な趣がつきまとっていた
そして時折ひどく成熟した
むしろ四十女といってよい表情が
その顔に現われる瞬間があるように見えた
その顔は手がかりの付かぬものを
いきなり眼の前に突き出されたように
彼にはおもえた


…………


旅館の玄関に立って案内を乞うと
遠くで返事だけあって
なかなか人影が現われてこなかった
少女と並んで三和土に立って待っている時間に
彼は少女のに詰まっている
細胞の若さを強く感じた
そして自分の細胞との落差を
痛切に感じた
少女の頸筋の艶のある青白さを見ると
自分の頸の皮が酒焼けで赤黒くなっており
皮がだぶついているような気持になった
待っている時間は
甚だしく長く感じられた
ふたたび何かがの中で爆ぜ
兇暴な危険な漿液がに充ちてくるのを感じた


…………


太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである
娼婦たちのが熟したときに漂ってくる
多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおい
それに消毒液の漂白されたようなにお
の絡まり合った臭気とは
全く違ったものだった

…………


明子の眼に映る札束は
金銭としてのものではない
明子に純潔を説いてやまぬ
姉の京子のの裂目から
露出した臓物のようなものとして
明子の眼には映っている筈だ

…………

長い病気の恢復期のような心持が
のすみずみまで行きわたっていた
恢復期の特徴に
感覚が鋭くなること
幼少年期の記憶がの中を
凧のように通り抜けてゆくこととがある
その記憶は
薄荷のような後味を残して消えてゆく

…………

立上がると
足裏の下の畳の感覚が新鮮で
古い畳なのに
鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた
それと同時に
雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや
縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや
線香花火の火薬の匂いや
さまざまの少年時代のにおいの幻覚が
一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた

…………

たとえば最後のパラグラフの、「におい」と「匂い」の使い方を注意してみてもよい。

藺草のにおい」「蚊帳の匂い」「蚊遣線香の匂い」「火薬の匂い」「少年時代のにおい」の使い分けは、おそらく漢字とひらがなの字面の美感からくる選択ではないだろうか。

あるいはもうすこし上の引用には、《太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである/娼婦たちのが熟したときに漂ってくる/多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおいそれに消毒液の漂白されたようなにお》とある。

これらは字面というよりも、よい香りとそうでない香りによって、匂い/においと区別して使用していると考えられるもする。


「におい」という語に注意を払ったので、中井久夫の「かおり」「香り」「香」「匂い」の使い分けへの極度の繊細さをあらわす冒頭の文を引用しておく。この小論の末尾には「匂いの記号論」という表現がでてくることからも分かるように、匂いの徴候感覚に人にふさわしい出だしであるといえる。中井久夫の語句の選択の多様性は字面の美感とともに音調によることも多い。


ふたたび私はそのかおりのなかにいた。かすかに腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香りーー、それと気づけばにわかにきつい匂いである。

それは、ニセアカシアの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨あがりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。

金銀花の蔓が幹ごとにまつわり、ほとんど樹皮をおおいつくし、その硬質の葉は樹のいつわりの毛羽となっていた。かすかに雨後の湿り気がたちのぼる。

二週間後には、このあたりは、この多年生蔓草の花の、すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめて、ひとは、おのれをつつむこのの出どころはどこかととまどうはずだ。小さい十字の銀花も、それがすがれちぢれてできた金花の濃い黄色も、ちょっと見には眼にとまらないだろう。(中井久夫『世界の徴候と索引』)

中井久夫によれば、「もの」としての語、その物質的側面とは、語が単なる意味の担い手なのではなく、まずは音調があり、発語における口腔あるいは喉頭の感覚、あるいは舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もあるとする。
これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。

さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。(「「詩の基底にあるもの」――その生理心理的基底」)

中井久夫の音調や音韻への驚くべき繊細さは次の文にも現れる。
…プルーストが「心の間歇」を題名の有力な候補としながら結局は最終的には却けたのはどうしてかについての憶測を記しておこう。題名としての言葉の美を比較すれば、最終題名「失われた時を求めて」A la recherche du temps perduはa音が多く明るさがあり、また流れるようなrechercheが滝壺のような淀みであるtemps perduで享けとめられて、心に訴えるその力はi、e、oeの卓越する硬く静止的な「心の間歇intermitterennce du coeur」と格段の相違である。また、題名の「射程」が大きく違う。
しかし、そういうこととは別に、この長篇小説が必ずしも「心の間歇」だけに光を当てたものではなくなっていったからではないだろうか。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」)

それ以外にも、中井氏は、文字に色を感じる「共感覚者」であるとは、氏のエッセイで何度か打ち明けられているところだ。この共感覚は、ランボー、プルーストも持ち合わせているのが知られている。

ちなみに私の場合、ひらがな、カタカナ、漢字、ラテン文字、ギリシャ文字には一字一字に色彩が伴っている。文字が複合して単語になれば、また新しく色が生じる。それぞれ弁別性があるような、非常に微妙な色彩である。この「色」が単語の記憶に参加しているらしい。(……)

「文字の色」にかんしてよく挙げられるのはランボーの詩「Aは黒……」であるが、Aが黒であるはずはないと私は思っている。詩人は反対の色を挙げることによってショックを与えようとしているのであると私は読む。Aは多くの人に尋ねたが、ニュアンスの差はあっても皆「明るい赤」である。(……)

私の場合には、音と色の連合なのか文字と色との連合なのかほんとうにはわからない。またどこから始まったのかその起源も不明であるが、四歳の時にはすでに色を意識していた。たとえば、形容詞とそれが形容する名詞との「色が合わない」と私は使えないのである。(中井久夫「記憶について」『アリアドネからの糸』所収P121-122)

ーー参照:表象文化論学会2009研究発表4:共感覚の地平——共感覚は「共有」できるか?
より詳しくは、http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/51545/1/Kitamura_panel.pdf




※附記
〔ランボーの〕母音のソネットほど有名ではないが、おそらく同じ程度に関与的なプルーストのつぎのテクストを思い出していただきたい。《……赤味をおびた上品なレースをまとったあんなに背が高く、そのいただきが最後の音節の古金色に照り映えているバイユーBayeuxの町。アクサン・テギュが古井由吉ガラス戸〔ヴィトラージュ〕に黒い木の枠の菱形模様をつけているヴィトレVitréの町。その白身が卵の殻の薄黄から真珠色へと変化するやわらかなランバルLamballeの町。脂肪質の黄ばんだ末尾の二重母音がバターの塔で上部を飾るノルマンディーの大聖堂、クータンスCoutancesの町》など。(……)

彼の音声的動機づけは(おそらくバルベックの場合を除けば)ほとんどすべて音と色彩との等価性を含意していて、ieuは古金色、éは黒、anは黄ばんだ色やブロンド色や黄金色、iは緋色である。(ロラン・バルト「プルーストと名前」)















2014年1月28日火曜日

惚れた女へのセンチメンタルオマージュ

蒼白い蛍光灯のわずかな光
索然とした窓のない通路が伸びる
「なぜこのビルの廊下は
こんなにひろくわびしいのだろう」
一方の側にだけ部屋が並んでいる
女はそのひどく古ぼけたビルの一室に住んでいた
鼈鍋で有名な料理店のすぐ近く
通いだす切っ掛けはなんだったか
のは憶えていない





「今から行く」と電話で告げる
「だめだわ」とはじめは強く拒絶する
重ねて乞うと曖昧な応答になる
その声の奥には
おそらく彼女自身も気付いていない
媚がある
との錯覚に閉じこもり得た

西陣のかつての繁栄の無残な残照
うら寂れた建物に向けて
千本通を北へまっすぐ
今出川通へとめざして
車を飛ばす
いそいでも十五分はかかる

階段を駆け上がってドアをノックする
最初はドアの鎖をつけたまま
わずかの隙間から顔をのぞかせる
「だめよ」
もう何度目かなのに同じ返事をする
ときにはドアを閉ざされ
薄気味わるい廊下で
待ちぼうけの時間をもつ
部屋を二米伸ばしてもまだ余裕がある通路だ
別の用途でつくられた建物を
貸し部屋にしたに相違ない

下に降りて果物屋で苺を買う
ドアをまた強く叩く
「果物買ってきたんだ
それだけでも一緒に食べよう」




男は米国に留学している
女の狭く居心地のよい居室
そこになんとか潜り込んだあとでさえ
最初はいつものごとく貞節さの鎧
かたくなさとつつましさの殻を被る
わずかの軀の接触さえ許そうとしない
(何度も重なれば性交前の儀式のようなものだ)


だが「彼女の一つ一つの動作の継ぎ目や隙間から
生温かい性感が分泌物のように滲み出ている
彼女自身そのことに気付かないにしても
やがては溶岩のような暗い輝きをもった
一つ一つの細胞の集積が
彼女を突き動かすときが来る」(吉行淳之介『砂の上の植物群』)

軀をかさねあわせる
洗髪剤や入浴剤に贅沢な女だった
興奮した細胞を萎えさせる
安物のシャンプーのにおいはしない

「彼だって遊んでるわ、きっと」

高まると彼氏の名を叫ぶ
続けて規則正しく間歇的な
「水べを渉る鷭の声に変化した女の声を聴く」(吉岡実)
薄い壁の向う
隣室のがさごそとした気配が伝わってくる
「よくうなりはる女や」(野坂昭如)
腰の動きをとめて
隣室に目配せする
「……かまわないわ」





あるとき彼氏が一時帰国

仕事の席で耳打ちする
「彼かわっちゃったわ」
微笑を含んだ眼で
すくい上げるように見る
その身のこなしが淑やかにもみえ
また粘り付くような
したたかなものも感じさせる
驕慢ともみえる燃えるような眼で
その眼の中に軽侮する光が走り抜けたのを
確かに見たと思った

母が死んだ

郷里の町にしばらく帰る

桂離宮の傍らの森閑とした寮に戻ってくる
と女からの分厚い手紙

綿々と悼みの言葉が連なっている


驕慢さの翳は微塵もなく
むしろ幼さが滲みでている
との印象をおぼえた

それ以後通うのをやめてしまった

のはなぜか


惚れていたのに








素足  谷川俊太郎

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ






別 の 名   高田敏子


ひとは 私を抱きながら
呼んだ
私の名ではない 別の 知らない人の名を

知らない人の名に答えながら 私は
遠いはるかな村を思っていた
そこには まだ生れないまえの私がいて
杏の花を見上げていた

ひとは いっそう強く私を抱きながら
また 知らない人の名を呼んだ

知らない人の名に――はい――と答えながら
私は 遠いはるかな村をさまよい
少年のひとみや
若者の胸や
かなしいくちづけや
生れたばかりの私を洗ってくれた
父の手を思っていた

ひとの呼ぶ 知らない人の名に
私は素直に答えつづけている

私たちは めぐり会わないまえから
会っていたのだろう
別のなにかの姿をかりて――

私たちは 愛しあうまえから
愛しあっていたのだろう
別の誰かの姿に託して――

ひとは 呼んでいる
会わないまえの私も 抱きよせるようにして
私は答えている

会わないまえの遠い時間の中をめぐりながら 


《その女を、彼は気に入っていた。気に入るということは愛するとは別のことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ待つことだ。それは、自分自身にたいしての顧慮が倍になることである。(……)

現在の彼は、遊戯の段階からはみ出しそうな女性関係には、巻込まれまいと堅く心に鎧を着けていた。……交渉がすべて遊戯の段階にとどまると考えるのは誤算だが、……その誤算は滅多に起こらぬ気分になってしまう》(吉行淳之介『驟雨』)






◆ミレール 愛について(私意訳)より



――どうしてある人たちは愛し方を知っていて、ほかの人たちはそうでないのでしょう?

ある人たちは、他者、たとえば何人かの愛人に――男でも女でも同様にーー、愛を引き起こすやり方を知っています。彼らはどのボタンを押したら愛されるようになるのか知っているのです。けれど彼らはかならずしも愛する必要はありません。むしろ彼らは囮をつかって、猫と鼠の遊戯にふけるのです。愛するためには、あなたは自分の欠如を認め、あなたが他者を必要とすることに気づかなければなりません。あなたはその彼なり彼女なりがいなくて淋しいのです。己が完璧だと思ったり、そうなりたいと思っているような人たちは愛し方を知りません。そしてときには、彼らはこのことを痛みをもって確かめます。彼らは操作し、糸を引っ張ります。けれども彼らが知っている愛は、危険も悦びもありません。


――自分を完璧だとするなどは、ただ男性だけの場合のように思えますが…。

まさに! ラカンはよく言いました、「愛することはあなたが持っていないものを与えることだ」と。その意味は、「愛するということは、あなたの欠如を認めて、それを他者に与える、他者のなかにその欠如を置く」ということです。あなたが持っているものーーなにかよいものを与えるのではない、それを贈り物にするのではないのです。あなたが持っていないなにか他のものを与えるのです(対象aの定義のひとつは、「あなたの中にあってあなた以上のもの」である:引用者)。そうするには、あなたは己れの欠如――フロイト曰くの「去勢」――を引き受けなくてはなりません。そしてそれは女性性の本質です。ひとは、女性のポジションからのみ本当に愛することができます。「愛する女性」 Loving feminisesとはそういうことです。男性の愛がいつもやや滑稽なのはその理由です。けれども男性がそのみっともなさに自身を委ねたら、実際のところ、己れの男らしさがさだかではなくなります。

――男にとって愛することは女より難しいということでしょうか?

まさにそうです。愛している男でさえ、愛する対象への誇りの閃きと攻撃性の破裂があります。というのはこの愛は、彼を不完全性、依存の立場に導くからです。だから男は彼が愛していない女に欲望するのです。そうすれば彼が愛しているとき中断した男らしさのポジションに戻ることができます。フロイトはこの現象を「性愛生活の(価値の)下落debasement of love life」と呼びました。すなわち愛と性欲望の分裂です。


――女性はどうなのでしょう?

女性の場合は、その現象はふつうではありません。たいていの場合、男性のパートナーとの同化共生doubling-upがあります。一方で、彼は女性に享楽を与えてくれる対象であり、女性が欲望する対象です。しかし彼はまた、余儀なく去勢され女性化した愛の男でもあります。どちらが運転席に坐るのかは肉体の構造にはかかわりません。男性のシートに坐る女性もいるでしょう。最近では「もっともっと」そうです。ひとりの男は、家庭での愛のため、そして他の男たちは享楽のために、インターネットで、街で、汽車の中で。


――どうして「もっともっと」なのですか?

社会と文化における女であることと男であることのステレオタイプが、劇的な変容の渦中だからです。男たちは情緒を自在に解放するように促されています、愛すること、そして女性化することさえも。女たちは、反対に、ある種の「男性化への圧力」に晒されています。法的な平等化の名の下に、女たちは「わたしたちも」といい続けるようにかりたてられています。同時にホモセクシャルの人たちも、ヘテロセクシャルの人たちと同様の権利とシンボルを要求しています、結婚や認知などですね。それぞれの役割のひどく不安定な状態、愛の場での広汎な変わりやすさ、それはかつての固定したあり方とは対照的です。愛は、社会学者のジグムント・バウマンが言うように「流動化liquid」しています。だれもが己れの享楽と愛の流儀を身につけるため、それぞれの「ライフスタイル」を創り出すように促されています。伝統的なシナリオはゆっくりと廃れています。従うべき社会的圧力が消滅してしまったわけではありませんが、衰えているには相違ありません。

――わたしたちは偶然に彼や彼女を見出すのではありません。どうしてあの男なのでしょう? どうしてあの女なのでしょう?

それはフロイトがLiebesbedingungと呼んだものです、すなわち愛の条件、欲望の原因です。それは固有の特徴なのです。あるいはいくつかの特徴の組合せといってもいいでしょう。それが愛される人を選ぶ決定的な働きをするのです。これは神経科学ではまったく推し量れません。というのはそれぞれの人に特有なものだからです。彼らの風変わりな内密な個人的歴史にかかわります。この固有の特徴はときには微細なものが効果を現わします。たとえば、フロイトがある患者の欲望の原因として指摘したのは、女性の鼻のつやでした。


――そんなつまらないもので生まれる愛なんて全然信じられない!

無意識の現実はフィクションを上回ります。あなたには思いもよらないでしょう、いかに人間の生活が、特に愛にかんしては、ごく小さなもの、ピンの頭、神から授かった細部によって基礎づけられているかを。とりわけ男たちには、そのようなものが欲望の原因として見出されるのは本当なのです。フェティッシュのようなものが愛の進行を閃き促すのです。ごく小さな特異なもの、父や母の追憶、あるいは兄弟や姉妹、あるいは誰かの幼児期の追憶もまた、愛の対象としての女性の選択に役割をはたします。でも女性の愛のあり方はフェティシストというよりももっとエロトマニティック(被愛妄想的)です。女性は愛されたいのです。関心と愛、それは彼女たちに示されたり、彼女たちが他のひとに想定する関心と愛ですが、女性の愛の引き金をひくために、それらはしばしば不可欠なものです。 


――ファンタジー(幻想)の役割はどうなのでしょう?

女性の場合、ファンタジーは、愛の対象の選択よりもジュイサンス(享楽)の立場のために決定的なものです。それは男性の場合と逆です。たとえば、こんなことさえ起りえます。女性は享楽――ここではたとえばオーガズムとしておきましょうーーその享楽に達するには、性交の最中に、打たれたり、レイプされたりすることを想像する限りにおいて、などということが。さらには、彼女は他の女だと想像したり、ほかの場所にいる、いまここにいないと想像することによってのみ、オーガズムが得られるなどということが起りえます。


――男性のファンタジーはどんな具合なのですか?

最初の一瞥で愛が見定められることがとても多いのです。ラカンがコメントした古典的な例があります。ゲーテの小説で、若いウェルテルはシャルロッテに突然の情熱に囚われます、それはウェルテルが彼女に初めて会った瞬間です。シャルロッテがまわりの子どもたちに食べ物を与えている場面です。女性の母性が彼の愛を閃かせたのです。ほかの例をあげましょう。これは私の患者の症例で次のようなものです。五十代の社長なのですが、秘書のポストの応募者に面接するのです。二十代の若い女性が入ってきます。いきなり彼は愛を表白しました。彼はなにが起こったのか不思議でなりません。それで分析に訪れたのです。そこで彼は引き金をあらわにしました。彼女のなかに彼自身が二十歳のときに最初に求職の面接をした自分を想いおこしたのです。このようにして彼は自分自身に恋に陥ったのです。このふたつの例に、フロイトが区別した二つの愛の側面を見ることができます。あなたを守ってくれるひと、それは母の場合です。そして自分のナルシシスティックなイメージを愛するということです。

ミレールの女性のファンタジーをめぐる発話は、精神分析理論に慣れていない人には若干の違和があるかもしれない。この発話は、フロイトの論文『子供が打たれる』や『マゾヒズムの経済的問題』などにある叙述がベースになっていると思われ、たとえば後者の論には女性的マゾヒスムとして次のような叙述がある(もちろんこの「女性的」というのは、受身的という意味で、生物学的なものではない。男性にも見られるのは周知の通り。たとえばプルーストの小説にはそのサンプルがふんだんにある)。

……幻想の顕在内容はこうである。すなわち、殴られ、縛られ、撲たれ、痛い目に遭い、鞭を加えられ、何らかの形で虐待され、絶対服従を強いられ、けがされ、汚辱を与えられるということである。(……)もっとも手近な、容易に下される解釈は、マゾヒストは小さな、頼りない、依存した、ひとりでは生きてゆくことのできない子供として取り扱われることを欲しているということである。(フロイト『マゾヒスムの経済的問題』)

これは原初的な無力な存在としての乳幼児期に回帰したいファンタジーとしても捉えられるが、ここではそれには触れない(参照としては「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」にいくらかの記述がある)。

そもそも幻想は、われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守ってくれる遮蔽膜として機能する。たとえば母との共生への回帰が不可能であるならば、かわりのフィクションを必要とする場合があり、それが幻想のひとつの姿だ。マゾヒスム的(受動的)なファンタジーとは逆に、能動的なフィクション遊びをするということはしばしば見られる。そもそも作家たちが悲惨な恋愛を想起して書くのは、耐えがたい恋愛トラウマを能動的に飼い馴らすことよって解放感を得るためでもあるだろう。

《われわれの悲しみが協力した作品は、われわれの未来にとって、苦しみの不吉な表徴〔シーニュ〕であるとともに、なぐさめの幸福な表徴である、と解釈もできる》(プルースト

《ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否いなやうれしくなる。涙を十七字に纏まとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉さだけの自分になる》(夏目漱石)

幼い女児が母親を洗ってやったり、着物を着せてやったり、またはお手洗いにゆくようにしたりしたがるという話を、まれには聞くことがある。女児がまた、時には「さあ遊びましょう、わたしがお母さん、あなたは子供よ」などということさえある、――しかしたいていはこのような能動的な願望を、人形を相手に、自分が母親となり人形を子供にした遊ぶという、間接的な仕方でみたしているのである。人形遊びを好むことは女児の場合、男児とは違って早くから女らしさがめばえたしるしだと考えられるのが普通である。それは不当ではないにしても、しかしここに現れているのは女児の偏愛はおそらく、父親という対象をまったく無視する一方では排他的に母親に愛着していることを証明するものであるということ、を見逃してはならない。(フロイト『女性の性愛について』 フロイト著作集5 p150)

※写真はすべて荒木経惟の作品。

…………


【附記】

車から降りたウェルテルがはじめてシャルロッテをみかける(そして夢中になる)。戸口を額縁のようにして彼女の姿が見えている(彼女は子供たちにパンを切り分けている。しばしば注釈されてきた有名な場面)。われわれが最初に愛するのは一枚のタブローなのだ。というのも、ひとめぼれにはどうしても唐突性の記号が必要だからである(それがわたしの責任を解除し、わたしを運命に委ね、運び去り、奪い去るのだ)。(……)幕が裂ける、そのときまで誰の目にも触れたことのないものが全貌をあらわすにする。たちまちに眼がこれをむさぼる。直接性は充満性の代償となりうるのである。わたしは今、秘密をあかされたのだ。画面は、やがてわたしが愛することになるものを聖別しているのである。(ロラン・バルト恋愛のディスクール』「魂を奪われる」より)


男性のファンタジーの単純さにくらべ、女性のファンタジーがいささか手強いのは、女性は幼い時期、母親ー娘の関係から、父親ー娘の関係に対象を変えているために、幻想の構造が複雑だからだと説かれることが多い。

この愛する対象の母から父への変化(女から男への変化でもある)のもっとも重要な帰結は、女たちは「関係性」により注意を払うようになることだ。それは男たちとは対照的で、男たちはファリックな側面(母の(女の)支配、あるいはフェティスト的な部分欲動)に終始する傾向にある。もっとも上のミレールの言葉にあるように、この側面は漸次かわりつつあるのだろう。このあたりのことを斎藤環は啓蒙的に『関係する女 所有する男』で書いているはずだ(わたくしは残念ならが未読だが)。

男のフェティッシュと女のエロトマニア(被愛妄想)とは、フロイトのテーゼであり、旧来の両性の幻想の構造の基本はここにある。

男の性欲の本質的なフェティシスト的、オナニスト的傾向。(澁澤龍彦『少女コレクション序説』)
どんなにポジティブな決定をしてみても、女性というのはひとつの本質だ、女性は「彼女自身だ」と定義してみても、結局のところ、女性が演技しているもの、女性が「他者にとって」どういう役割をもっているかという問題に引き戻されてしまう。なぜなら、「女性が男性以上の主体となるのは、まさに女性が本来の仮装の特徴を帯びているときだけ、女性の特徴が、すべて人工的に「装われている」ときだけだからである」。(エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』

現在でも、インターネットでの男女の振舞いに、これらは如実に露われている。画像やAVを見てオナニーに耽る男たち。他方、女たちはチャットで男たちの関心を惹くことにより熱中する。

…… it is wrong to contrast man and woman in an immediate way, as if man directly desires an object, while woman's desire is a “desire to desire,” the desire for the Other's desire. We are dealing here with sexual difference as real, which means that the opposite also holds, albeit in a slightly displaced way. True, a man directly desires a woman who fits the frame of his fantasy, while a woman alienates her desire much more thoroughly in a man—her desire is to be the object desired by man, to fit the frame of his fantasy, which is why she endeavors to look at herself through the other's eyes and is permanently bothered by the question “What do others see in her/me?” However, a woman is simultaneously much less dependent on her partner, since her ultimate partner is not the other human being, her object of desire (the man), but the gap itself, that distance from her partner in which the jouissance féminine is located. Vulgari eloquentia, in order to cheat on a woman, a man needs a (real or imagined) partner, while a woman can cheat on a man even when she is alone, since her ultimate partner is solitude itself as the locus of jouissance féminine beyond the phallus. (Zizek『Less Than Nothing』)



2013年12月14日土曜日

女性の困った性質(三島由紀夫)

マコン公会議(581)における「女性は理性的存在として分類されるべきか、それとも獣として分類されるべきか、また女性は魂をもっているか」という話は「The Myth of Soulless Women」(Michael Nolan)によれば眉唾ものらしい。

もっともフロイトーラカン派では、女には超自我がない、あるいはわずかしかないというテーゼは、生き残っている。

フロイトの理論によると、両性の準拠となるシニフィアンは一つだけしかありません。ファルスがそうです。女性のシニフィアンが無いという考えは女性解放論者達を大変苛立たせました。しかしながら彼女達が、男が現実上このシニフィアンに対応するものを持っているということは男にとって有利なことだ、と考えるのは間違っています。ラカンの目には-これは確かに現実だと思えますが-それはむしろ困惑のもとなのです。それによって男は女よりもはるかに義務、そして超自我の奴隷としてしばられています。女は常に神秘であった、とフロイトは書いています。そして次のように加えます。「私は、女性は男性と同じ超自我を持っていない、そして彼女達は男よりもこの点ずっと自由で、男の行動、活動に見られるような限界が無い、という印象を持っている。(……)

女性解放主義者達のように、フロイトが女性に反対だった、と考えてはなりません。彼にとってこれは単に一つの事実なのです。大切なのはこの事実から、例えばいかに男はグループ、団体を作る傾向にあるか、首長になりたがるか、などなど、そして女には間違いなくこのような男性的習慣を越えた次元があるというのを説明することです。(……)

女は存在しない。われわれはまさにこのことについて夢見るのです。女はシニフィアンの水準では見いだせないからこそ我々は女について幻想をし、女の絵を画き、賛美し、写真を取って複製し、その本質を探ろうとすることをやめないのです。いずれにせよ女性という存在についてそれに本質などあるかどうかは、普遍的愚行connerie universelle-愚行には常に一片の真理が含まれています-によって疑問とされることですが。

このことは女性の価値を低めるものと見なされるかもしれません。しかし別の観点からすると、本質を持たないことは荷が軽いことにもなります。おそらくこれこそ女性を男性よりもはるかに興味深いものにするのでしょう。(ジャック=アラン・ミレール「エル・ピロポ」より)

…………

まったく、男というものには、女性に対してとうてい歯のたたぬ部分がある。ものの考え方に、そして、おそらく発想の根源となっている生理のぐあい自体に、女性に抵抗できぬ弱さがある。(吉行淳之介「わたくし論」)
・女はやさしい形をしているが、だからといって中身までやさしいとはかぎらない。軟らかくて力が弱くできているから、生き延びるためにはかえって内側は獰猛にできていることになるのは、理の当然と私は思っている。

・男がものごとを考える場合について、頭と心臓をふくむ円周を想定してみる。男はその円周で、思考する。ところが、女の場合には、頭と心臓の円周の部分で考えることもあるし、子宮を中心にした円周で考えることもある。(吉行淳之介『男と女をめぐる断章』)

この文が有名な格言「女は子宮で考える」の起源(のひとつ)ということになる。
これは軽蔑的に言われているのではなく、じつはこういうことでもあるだろう。

《若い女というものは誰かに見られていると知ってから窮屈になるのではない。ふいに体が固くなるので、誰かに見詰められていることがわかるのだが。》(三島由紀夫)
ただし若い女とあるが、さて若い女だけであろうか。

幼女期とか、青春期とか、中年とか、老年とか、そういう分節化は女にはない。女の一生は同じ調子のもので、女たちは男と違って、のっぺらぼうな人生を生きている。養老孟司という解剖学者はそう語って、わたしを驚かせた。その意見を伝えると、吉行淳之介という作家はほとんど襟を正すようにして、その人はじつによく女を知っていると述べた。(今週の本棚:丸谷才一・評 『きことわ』=朝吹真理子・著


ーーなどと引用してなにを言いたいのだろう、このオレは?

女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」)

いまでは、こういうことを語るのは難しい時代になった、仮にそう思っているひとがいまだいるにしろ。

ーー幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。男女同権のために戦うなどとは、病気の徴候でさえある。医者なら誰でもそれを知っている。 ――女は、ほんとうに女であればあるほど、権利などもちたくないと、あらがうものだ。両性間の自然の状態、すなわち、あの永遠の戦いは、女の方に断然優位を与えているのだから。(ニーチェ『この人を見よ』)

ニーチェのいわゆる女嫌いの表白は、じつは女を尊敬しすぎていたせいだ、というのは定説であるかどうかは知れないが、ルー・アンドレアス=サロメには翻弄されたには相違ない。





女嫌いとは、・・・人格としてではなく、単に肉塊として、脂肪として、劣情の対象としてのみ、女の存在を承諾すること。(婦人にたいしてこれほど・・・・・冒涜の思想があるだろうか)しかしながら、・・・多数の有りふれた人々が居り、同様の見解を抱いている。殆ど多くの、世間一般の男たちは、初めから異性に対してどんな精神上の要求も持っていない。

女性に対して、普通一般の男等が求めるものは、常に肉体の豊満であり、脂肪の美であり、単に性的本能の対象としての、人形への愛にすぎないのである。

しかも彼等は、この冒涜の故に「女嫌い」と呼ばれないで、逆に却って「女好き」と呼ばれている。なぜなら彼等はどんな場合に於いても、女性への毒舌や侮辱を言わないから。

(「女嫌い」と呼ばれる人々は、女にたいして)単なる脂肪以上のものを、即ち精神や人格やを、真面目に求めているからである。・・・・それ故に女嫌いとは?或る騎士的情熱の正直さから、あまりに高く女を評価し、女性を買いかぶりすぎてるものが、経験の幻滅によって導かれた、不幸な浪漫主義の破産である。

然り!すべての女嫌いの本体は、馬鹿正直なロマンチストにすぎないのである。(「女嫌いと女好き」(萩原朔太郎)

実は次の文をタンブラーで拾ったから、というわけだ、いまこうやってまた懲りずに「女」をめぐる文をメモしているのは。

「大体私は女ぎらいというよりも、古い頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思っているにすぎない。女性は劣等であり、私は馬鹿でない女(もちろん利口馬鹿を含む)にはめったに会ったことがない。事実また私は女性を怖れているが、男でも私がもっとも怖れるのは馬鹿な男である。まことに馬鹿ほど怖いものはない。

また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、教育を全くうけていない聡明な人も沢山いるから、何も私は学歴を問題にしているのではない。

こう云うと、いかにも私が、本当に聡明な女性に会ったことがない不幸な男である、という風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がきっと現れる。こればかりは断言してもいい。しかしそういう女性が、つまり一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである。」 
「女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽と建築は女の手によってろくなものはできず、透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまう。構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。私は湿気の高い感性的芸術のえんえんと続いてきた日本の文学史を呪わずにはいられない。」
「私は芸術家志望の女性に会うと、女優か女声歌手になるのなら格別、女に天才というものが理論的にありえないということに、どうして気がつかないかと首をひねらざるをえない。」(三島由紀夫「女嫌い」)

だいたい、こういったことに興味があるのは、女嫌いのせいに違いない、つまりニーチェと同じく女を尊敬しすぎていたせいだ。

…………


以下、Paul Verhaeghe「ポール・ヴェルハーゲ」ーーベルギーのラカン派精神分析医ーーの、『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』から の意訳(いい加減訳)。一箇所意図して原文(英文)と変えた部分がある。英文は記事末に附す。

上に掲げたラカンの娘婿であるミレールの発言の「超自我」にかかわる箇所が、よりわかりやすく書かれている。


【男の子と女の子の愛の対象】
男児はジェンダー的な意味での最初の愛の対象を維持できる。彼はただ母を他の女性に取り替えるだけでよい。これは次の奇妙な事実を説明してくれる。つまり結婚後しばらくすれば、多くの男たちは母に対したのと同じように妻に対するということを。

反対に、女児は愛の対象のジェンダーを取り替えなければならない。具体的にいえば、最初の愛の対象であった母を父に取り替えなければならない。最初の愛の関係の結果、女の子はいままでどおり母に同一化しており、それゆえ父が母に与えたのと同じような愛を父から期待する。これは同じように奇妙な次の事実を説明してくれる。多くの女たちは妻になり子供をもったら、女たち自身の母親のように振舞うということを。

【変換対象の相違による帰結】
この少女たちの愛の対象の変換の最も重要な結果は、彼女たちは関係それ自体により多く注意を払うようになるということだ。それは男たちがファリックな面に囚われるのと対照的である。少女における、対象への或いはファリックな面への興味の欠如と、関係性への強調は、後年、その関係を願う相手は、(ひとりの)男とである必要はない結果を生むかもしれない。結局のところ、彼女の最初の対象は同じジェンダーであり、思春期の最初の愛はほとんどいつも他の少女に向けられることになる。

ーー(引用者)少女たちの最初の愛が他の少女ではなくとも、すくなくとも非常に多くの場合、人形に向けられるだろう。

《幼い女児が母親を洗ってやったり、着物を着せてやったり、またはお手洗いにゆくようにしたりしたがるという話を、まれには聞くことがある。女児がまた、時には「さあ遊びましょう、わたしがお母さん、あなたは子供よ」などということさえある、――しかしたいていはこのような能動的な願望を、人形を相手に、自分が母親となり人形を子供にした遊ぶという、間接的な仕方でみたしているのである。人形遊びを好むことは女児の場合、男児とは違って早くから女らしさがめばえたしるしだと考えられるのが普通である。それは不当ではないにしても、しかしここに現れているのは女児の偏愛はおそらく、父親という対象をまったく無視する一方では排他的に母親に愛着していることを証明するものであるということ、を見逃してはならない。》(フロイト『女性の性愛について』 フロイト著作集5 p150)

【男性のペニス羨望】
この解釈の光のもとでは、フロイトが女性にとって重要だと信じたペニス羨望――つまり自身のファルスを持ちたいと推定された欲望――は、フロイト自身の男性的、あるいはその結果としての男根主義的な想像力の産物によるところが多いように見える。今までの経験で私が出会った有名なペニス羨望は男性のなかにしかない。その拠って来たるところは、己れのペニスの不十分さへのたえまない怖れと他の男のペニスに比してのたえまない想像的比較による。男の男根主義に対応する女性の主眼は、関係性にある。

【法への態度の相違】
それ以外の帰結は、女性たちの法に対する根本的に異なった態度である。法、すなわち、父の最初の権威に対する態度。少年たちは父をライヴァルとして怖れる理由がそこかしこにある。しかしこれは少女にはほとんどあてはまらない。反対に、父は少女へ愛を与える存在でもあり、少女が愛する存在でもある。それゆえ女たちは法と権威にたいして男たちに比べ、リラックスした関係をもつようになるのは当然であろう。これは、ポストフロイト世代の精神分析医に次のような疑問を生ませた。すなわち女にはほんとうに超自我があるのだろうか、と。それは中世の理論家たちが女たちはほんとうのところ魂をもっているのかどうかを疑わせたのと同じような問いである。

【男たちの徒党を組む傾向】
もっと実際の生活上の相違としては、家父長制の歴史のなか、男たちは階級の影響をひどく受けやすく、中央集権的な組織を作りたがるということがある。教会や軍隊は男たちの集団だ。反対に、女たちは階級を好む性向はわずかしかなく、横へのつながりを望み集団を作ることは少ない。


【英文】:『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE Paul Verhaeghe』(1999 Paul Verhaeghe English translation by Plym Peters and Tony Langham Originally Published in Dutch  1998 ) 

……the boy, as a future man, can retain his first love object in terms of gender; he merely has to exchange it for another woman. This explains the curious fact that, after a while, many men adopt the same attitude to their wife as they originally had to their mother. In contrast, the girl has to change the gender of her love object. More specifically, she has to exchange her first love object, the mother, for her father. As a result of the first loving relationship, she still identifies with the mother and therefore hopes that she will be given the same love by the father as he gives to the mother. This explains the equally curious fact that many women become like their own mother once they have become a wife, and above all a mother, themselves.

The most important effect of this change with regard to the object is that the girl will pay much more attention to the relationship itself, in contrast with the male preoccupation with the phallic aspect. The girl's lack of interest in the object and in the phallic aspect, and her emphasis on the relationship, may have the result that in later life her relationships do not have to be with a man. After all, her original object was also of the same gender, and during puberty the first love is almost always for another girl.

In this light, the penis envy that Freud believed to be important in girls—the presumed desire of girls to have their own phallus—seems more a product of his own male, and consequently phallocentric, imagination. The only place where I have ever found this famous penis envy up to now is in men. It is based on their constant fear of inadequacy and their continual imaginary comparisons with other men's penises. The female counterpart of this male phallocentrism is a focus on relationships.

Another result is the fundamentally different attitude of women to the law, that is, to the original authority of the father. While a boy has every reason to be afraid of his father as a rival, this is not the case—or hardly applies— for a girl. On the contrary, he is the one who gives her love or should give her love. Therefore it is not surprising that women have a much more relaxed relationship with law and authority This has led certain post-Freudian analysts to question whether a woman really has a superego— rather like certain mediaeval theologians who wondered whether women actually had a soul.

A more practical and less esoteric result of this difference in terms of patriarchal Oedipal history is that men are much more susceptible to hierarchies and so much more likely to establish centrally led groups. The church and the army are men's groups. In contrast, women have a much less hierarchical tendency and organise themselves more horizontally, so that they form less of a group.


この1998年に上梓されたヴェルハーゲの論は、男性のファリックな面、女性の「関係」を重要視する面を指摘をしており、一見、斎藤環の『関係する女 所有する男』と似たようなことを書いているようにも思われる。もっとも、わたくしはこの斎藤氏の著書を読んでいないので、詳しいことは分らない。ただしヴェルハーゲが「ファリックphallic 」とするとき、「支配」だけではなく、むしろ性的部分欲動や自体愛な面を強調している。

部分欲動という観点からは、他者はいつも「手段」であり、主体としても個人は必要としない。これは女性側、あるいは受身側からみれば「支配された」という印象を生む場合があるのだろう。

あるいはまた、エロスと享楽は女性側に属し、タナトスとファリックな快楽は男性側に属すると、とりあえずされている。もちろん女性のオーガニズムは、またファリックなものだが、女性はそれを欲求すること少なく(男性に比べて)、原初的な母と子の関係性を願う、という意味のことが書かれている。

Eros and jouissance belong on the side of the woman, Thanatos and phallic pleasure on the side of the man. Each has within itself the potential, or even the aspiration, for the other. The female orgasm is also phallic—she is even multi-orgasmic. However, she needs it less and does not feel it to be essential. Sometimes it can even diminish her potential for gaining pleasure from the other, the lasting aspect of symbiosis in which the original bond is restored. The man is all too familiar with jouissance and is constantly seeking it, though he also flees from it in the short-circuiting of his phallic pleasure, because this other enjoyment turns him into an object without a will, part of a larger whole.

ここでの女性側の特徴とされる「享楽」は「<他者>の享楽JA」であり、男性側のphallic pleasure(ファリックな快楽 )はオーガニズムとされているが、一般的には「ファルスの享楽」とされたり、後者は「射精」とされもする(仏語のjouissanceには、‘orgasm’というコノテーションがある)。

そして上の英文の、エロスとタナトスはおおよそ次のようなことを意味する。

・エロスというのは関係の薔薇色の側面を示し、それはカップルの統合・溶解であり、原初的な母との共生関係に収斂する。

・タナトスとは、ファリックの絶頂により「小さな死」が生れ、溶解関係は終わりひとりひとりに戻ること。

woman, jouissance and anxiety are part of Eros; man, phallic pleasure and sadness are part of Thanatos. The affect indicates the break where pleasure results in too great a loss: anxiety relates to the disappearance of the ego that is a condition for jouissance. Sadness relates to the loss of symbiosis as a result of phallic pleasure. In this respect, the opposition between man and woman is extremely relative and should be interpreted more as an active versus a passive position,which any subject can adopt vis-a-vis the other.

ここにあるように重要なのは、女性的/男性的ではなくて、受動/能動ということだ。

そして上の文ではエロス/タナトスの二項を対立させているようにみえるが、実際には、ヴェルハーゲはジジェクやドゥルーズと同様に、エロスとタナトスは対立概念ではないという立場をとっている(参照:トラウマを飼い馴らす音楽)。

sadnessについては、具体的にいえばTristis post Coitum(性交後の悲しみ)である。

原始的淋しさは存在という情念から来る。
Tristis post Coitumの類で原始的だ。
孤独、絶望、は根本的なパンセだ。
生命の根本的情念である。
またこれは美の情念でもある。
                                    
――西脇順三郎『梨の女「詩の幽玄」』より

西脇によれば、Tristis post Coitumが、詩の、美の、あるいは芸術の根本的情念であるということになる、冒頭近くの三島由紀夫などの言葉を想い出してもよいし、あらたにつけ加えればつぎの如し。

男は取り残される。快楽のあとに、姙娠の予感もなく、育児の希望もなく、取り残される。この孤独が生産的な文化の母胎であった。 (三島由紀夫「女ぎらいの弁」)

そのほか、ここでの文脈で頃合の寸言を抜き出しておこう。


・女が自分の本質をはっきり知った時は、おそらく彼女は女ではない何か別のものであろう。 -女ぎらいの弁-

  


・男は愛については専門家ではなく、概して盲目で、バカである。男は愛についてはまだお猿クラスですから、愛されるほうに廻るほかはない。そして男が愛されている姿とは、チャンチャンコを着せられた愛犬という趣がある。-第一の性-

・男性は、安楽を100パーセント好きになれない動物だ。また、なってはいけないのが男である。-あなたは現在の恋人と結婚しますか?-


ラカンの愛の定義のひとつは、「愛とは自分のもっていないものを与えることである」(「セミネール Ⅷ」)―― その意味するところは、「愛するということは、あなたの欠如を認めて、それを他者に与える、他者のなかにその欠如を置く」である。

自らの「欠如」を認めること、すなわち、わたしたちが「去勢」されていることを認めること、そして何よりもまず女性は「欠如」した存在であり、人が愛することためには、「女性」のポジションからでなければならない、愛する男性がいささか滑稽にみえるとしたらこのせいということになる。


女性の享楽(他者の享楽)とは、《her desire is to be the object desired by man, to fit the frame of his fantasy》(ZIZEK)ということであり、ようするにここでも「関係性」なのだ。


ニーチェにふたたびお出まし願うなら、
男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」ということである。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)


※附記
For the man, the phallic sexual act is a goal in itself. This explains the complaint often heard from women: 'he only wants to have sex, there's never any time for talking or tenderness'. For women, this phallic sexual act is more of a means for achieving a different end, namely establishing or maintaining the relationship. This explains the complaint often heard from men: once a relationship has become more or less established, the woman is no longer very interested in sex. When the relationship is threatened for one reason or another, she suddenly becomes interested again. Clearly, we are in deep trouble.(同ヴェルハーゲ)






2013年10月22日火曜日

春本『濡ズロ草紙』を草す(荷風『断腸亭日乗』)

昭和二十三年戊子  荷風散人年七十

一月初三。今日も晴れて暖なり。去年の暮より野菜統制のため闇値またまた暴騰し大根一本金拾円人参三、四本金弐十円となる。街頭に新衣を着たる子供多く駄菓子屋の飴売れること夥し。羽子板紙鳶もよく売れるといふ。これ市川にて見る戦後第四年新春の光景なり。三ケ日文士書估の来ることなし、正午混堂より帰り春本『濡ズロ草紙』を草す。また老後の一興なり。


…………

荷風の断腸亭日乗を一年毎にうしろから読む。逝去の歳昭和三十四年から三十三年、三十二年……という具合に。

昭和二十七年十一月に文化勲章授与、ただちに文化勲章年金証書をも与えられる。年額金五十万円。

昭和廿七年 十二月卅一日。晴。文化功労者年金五十万円下渡しはその後何らの通知もなし。如何なりしや笑ふべきなり。夜銀座マンハッタン女給三人と共に浅草観音堂に賽す。家に帰るに暁三時半。月よし。

 

当時の都市勤労者世帯の月平均収入は二万円ほどというデータがある。

荷風は父譲りの莫大な資産以外にも、年金五十万円以外に全集や映画化などの著作権料や著書の印税が多額に入っていたはず。反骨精神の象徴のようだった荷風の文化勲章受賞をいぶかる文学関係者も多かったそうだが(たとえば伊藤整は、勲章をぶら下げる荷風の写真をみて「哄笑」したらしい)、戦後のインフレで所有している株券も預金も紙くず同然になった上に、戦災で偏奇館を焼失して親戚や知人の家を転々としていた永井荷風にとって、年金は今後の経済生活を保障してくれるしてくれる貴重な「財源」だった、あるいはひどい吝嗇家だったとする人もいる。

いずれにせよ、最晩年、市川菅野、あるいは京成八幡に移転したあとも、荷風いわくは独り「陋屋」に住む。住み込みの家政婦は置かない(通いの家政婦はあったようだが、部屋は埃だらけだったそうだから、毎日通う者だったのかも疑わしい)。

日本にいる外国人は日本人が自分たちをあまり家に招かないとよく言う。私は幸運にも多くの作家から自宅へ招かれた。一番忘れ難いのは、永井荷風の家だ。(中央公論の)嶋中さんが荷風に会う時に私を同伴したのである。市川に向かい、狭まった道路を歩くと表札もなく目立たないお宅に着く。私たちは女中らしい人に案内されて中へ通された。日本人はよく「家は汚いですが」と謙遜しても実は大変清潔であるが、荷風の部屋は腰を下ろすと埃が舞い立った。荷風は間もなく現れたが、前歯は抜け、ズボンのボタンも外れたままの薄汚い老人そのものだった。ところが話し出した日本語の美しさは驚嘆するほどで、感激の余り家の汚さなど忘れてしまった。こんな綺麗な日本語を話せたらどれほど仕合わせだろうと思った。(ドナルド・キーン「私の大事な場所」を読む楽しみ


最期は吐血して、翌日通いの家政婦に発見される。(参照:断腸亭日乗 昭和三十四年

<ひとり暮らしの荷風は外食することが多かったが、際立った特徴があった。荷風に限らず老人特有の「無精」だったのかもしれないが、いつでも同じものを注文するのである。
 
もっとも有名な例は、最晩年、市川の自宅に近い食堂「大黒家」でのカツ井と日本酒だ。毎日毎日そればっかり。最晩年のことで、食事は一日一回だったというから、その徹底ぶりは鬼気迫るものがあった。最後の日も清酒一本にカツ井を食べ、深夜、胃潰瘍の吐血でその米粒を吐き出した姿で死んでいたくらいだ>

食事を済ませ、帰宅した荷風は、メモ帳を取り出して、それを見ながら日記を書いた。特別あつらえの上質の紙を綴じて和本仕立てにして、これに極細の毛筆で書いて行くのである。こうした日記を死の前日まで42年間、一日も欠かさず書き続けたというから、ただごとではない。彼の後半生は、まるで日記を書くためにあるかのようだった。(永井荷風の生活



以下、永井荷風『断腸亭日乗』を中心に備忘もう少々。

上掲と同じく、元文献を読む機会もなく殆どウェブ上から拾ったものであり、なんらの感想を呟くつもりもなし。ひたすら資料を並べるのみ。




『永井荷風ひとり暮らしの贅沢』(永井永光・水野恵美子・坂本真典、新潮社とんぼの本)より

永井永光は、荷風の従兄弟大島一雄(芸名杵屋五叟)の次男。1944年荷風の養子になり、いまも荷風の八幡の家と遺品を守りつづけているとのこと。(……)

●他人から見た荷風

本書によって『摘録 断腸亭日乗』だけでは分からない荷風のひととなりがいくつか分かった。

その1――再婚相手の芸妓八重次は1年も経たぬうちに家を出たのだが、そのときこんな置き手紙をしていった。《あなた様にはまるで私を二束三文にふみくだしどこのかぼちや娘か大根女郎でもひろつて来たやうに御飯さえ食べさせておけばよい……〈中略〉女房は下女と同じでよい「どれい」である〈中略〉つまりきらはれたがうんのつき見下されて長居は却而御邪魔》ちょっと八重次もひがみがきついんじゃないのとは思うが、しかしこんなおもしろいネタを『日乗』に書きのこさないのはおかしい。おもいあたるふしがあったのだろう。

その2――戦後、五叟の一家とともに市川の家でくらすのだが、一家の側から見るとずいぶんわがままなやりかたをしている。疥癬治療のため一番風呂にくさい薬をドボドボ入れてはいったり、畳の部屋に下駄や靴で上がり、七輪をおいて煮炊きをする。その様子を撮した写真が1枚掲載されている。七輪のまわりには調味料を入れているとおぼしきビン缶のたぐいが並んでいる。横文字のラベルが付いているところが荷風らしい。荷風にしてみれば五叟のうちはラジオがうるさくてかなわんから、自分を敬愛するフランス文学者小西茂也のうちに移るのだが、小西も傍若無人にあきれはて立ち退きを申し出ている。



終戦となって、荷風は大島五叟一家が疎開していた熱海へ身を寄せます。そこも仮りの宿で、千葉の市川へ大島一家と共に引越して行きます。独り暮らしで気儘に生きてきた荷風は他人との同居生活にしばしばトラブルを起こします。

そこで、近くの小西茂也(フランス文学の翻訳家)の一室を借りますが、ここでも荷風は奇行ががすぎて同居できません。

新藤は「奇行がすぎて同居でき」ないと書いているが具体的なことは何も書かれない。何があったかは半藤一利が教えてくれる。

「復讐がこはいから僕は何も云ひません。その代り荷風が死ねば洗ひざらひぶちまけますよ」と言っていたのに、小西氏は荷風よりも早く逝ってしまった。ゆえに小西氏に代わってと、佐藤春夫氏がバラしている巷説--それもありそうでなさそうな噂話であるが、フム、フム、なるほど、と納得させられるところもある。

「……小西夫妻の寝室の障子には毎晩、廊下ざかひの障子に新しい破れ穴ができて荷風がのぞきに来るらしいといふので、小西の細君がノイローゼ気味になつたのが、小西の荷風に退去を求めた理由であつたと説く者もある」


《昭和20年、空襲で偏奇館焼失。兵庫県明石から岡山へと逃げ、ここで疎開中の谷崎潤一郎に会った直後に終戦。熱海にしばらくいて、昭和21年、66歳で千葉県市川市に移転。

 市川では四度居を変えている。はじめは市内菅野の借家、次いで菅野の知人宅(京成電鉄京成八幡駅近く。フランス文学者小西茂也宅)に約2年、次いで菅野の一戸建て、昭和23年、69歳の時に市内八幡に新居を建てた。昭和34年に亡くなくなるまでこの家だった。で、小西氏宅に居た時は氏から立ち退きを申し立てられている。その理由は八畳間に古新聞を敷き古七輪を据えた危険で乱雑な生活だった。小西著「同居人荷風」から興味深い以下を紹介。

…冬は部屋のなかで火を熾すので火事の心配を常にせねばならぬのが玉に疵なりと。

若い連中は“のぞき”や女道楽に金を使わぬから秀れた情痴小説が書けぬ。自分は待合を歌女に出させた折り、隣室からのぞき見せり。

…部屋があまりに乱雑なるゆえお部屋を掃除す。洗顔中なりし先生、慌てて部屋に戻り金を蔵いありし所へ行きて、掃除中の女房の前にて金勘定を始めたりと。

僕は風呂屋へ行くと必ず女湯の方をのぞいてくる。老人だから怪しまれぬ。これも年寄りの一徳、近頃の女の風呂場での大胆なポーズには驚くと申されたり。/…先生の話はすべて金と女に落つ。

 さらに「鴎外荷風万太郎」という本に収録の小島政二郎「永井荷風」一文には、不眠症の荷風が自分より30歳も若い小西夫妻の夜の楽しみを覗き見した…いや、覗き見することをやめなかったからだ、を紹介し、この二年前に発表されている荷風氏の小説「問わずがたり」の第六節を見よ、とある。(同棲していた辰子の娘・雪江20歳と女中・松子の同性愛を障子に穴を開けてのぞき見する場面のことだろう)》(大田蜀山人・永井荷風・谷崎潤一郎 “遊学”



昭和八年歳次葵酉   荷風年五十又五

十一月十一日 反故紙

書架を掃除するに鉛筆にてかき散らせし草稿を見出したり。拙劣にして今更添削するにも足らぬものなり。唯その日の紀念にと写し置くこと左の如し。

友達の家庭に何かおもしろからぬ事が起ったり、あるいは子供や娘の事から親達の困っている事などが言伝えられると、その度ごとに君は仕合せだよと、いつもわたくしは友達から羨まれるのである。わたくしは四十前後から定まった妻を持たず、また一度も子を持ったことがない。女房持や子持の人から見ると、わたくしの身の上は大層気楽に思われるらしい。

(……)わたくしは始から独身で一生を送ろうときめたわけではない。六十になっても七十になっても好色の慾は失せないものだと聞いているから、わたくしは今が今でも縁があれば妻を持ってもよいと思っている。(……)一夜の妻が二夜となり、三夜となり、それからずるずる縁がつながって行ったら、大いに賀すべき事だと思って、そういう場合には万事成行きにまかせて置いた事も度々であった。つまりわたくしの方から積極的に事をまとめようとはしない。一夜の妻が変じて一生涯の伴侶になろうという場合には、相方ともにそれ相応の覚悟がなくてはならない。一夜妻は譬えて見れば船か汽車の中で知合になったその場かぎりの話相手であるが、正妻になると少しく事が面倒になる。良人には良人たるべき覚悟、妻には妻となるべき決心がなくてはならない。そこでわたくしは諄々として女に向って講義を始める。この講義をきくとまず大抵の女はびっくりして逃げてしまう。別にむずかしい事をいいうのではないが、わたくしの説く所は現代の教育を受けた女には、甚しく奇矯に聞こえるらしい。わたくしの説は一家の主婦になるものは下女より毎朝半時間早く起き、寝る時には下女より半時間おそく寝る事。毎日金銭の出入はその日の中に洩れなく帳面に記入する事。来客へ出すべき茶は必ず下女の手を待たず自分で入れる事。自分の部屋は自分にて掃除する事。家内の事は大小となく一応良人に相談した上でなければ親戚友人には語らぬ事。まずこの位の事であるが、正面から規則を見せつけられると、大層窮屈に思われると見え、御免を蒙る方が多い。わたくしは何事に限らず人に物事を強いるのを好まないので、わたくしの言う事をきかないからとて決してその人を憎みはしない。縁談がまとまらなくてもその後長く交際のつづいていたような例もある。……

昭和27年、文化勲章を受賞。「人に何といわれようとも、ぼくはひとり暮しがいちばんいい。ぼくはひとり暮しをするように生れそなわっているのかも知れないな。ぼくのような生活をしている文学者は、江戸時代にもいなかったし、フランスにだって例はあまりない…」




巻末に永井永光が、「ぬれずろ草紙」を抜粋している。昭和23年(70歳)1月、《春本『濡ズロ草紙』を草す。また老後の一興なり。》と記したエロ小説だ。そこに目をとめた新潮社のT氏が永光に見せろと迫った。おそらく新潮社としては「濡ズロ草紙」を世に出したかったのだろうが永光がウンと言わず、しょうがない、荷風ゆかりの写真を集めて「とんぼの本」シリーズに加え、そのなかに抜粋を掲載するという条件で折り合った……本書上梓のいきさつはおそらくそんなところだ。さまざまな花柳界を描いた荷風が最後に挑んだパンパン小説だ。400字詰め換算で70枚ほどの中編であるという。『日乗』の昭和27年から30年にかけてしきりに有楽町のフジアイスに出かけたことがしるされているが、そこは「洋パン」のたむろする店だったという。取材をかさねていたわけだ。

 戦争未亡人の「わたし」が桜田門のあたりでアメリカ兵に声をかけられ、《見附の中へ入り松の木の立つてゐる土手に登り草の上に腰をおろしわたしが蹲踞(シャガ)むのを遅しとスカートの下からヅロースの間へ指先を入れました。わたしは何しろ二年ぶり男にさはられるのは其日が初てでしたから触られただけでもたまらない気がして男の胸の上に顔を押付け息をはづませ奥の方へ指が入るやうにぐつと両方の足をひろげる始末です。》読んでいて、ええぞええぞそれからどしたと興がのってくると永光の解説文に切り替わってしまう。はなはだ興ざめ。

 永光は文の最後を《この公開には私なりの考えがあっての一回切りの体験だった。これよりのちは一切これを公けにするつもりはない。》としめくくっているが、そんな偉そうなことを言う資格があるのか。芸術作品は人類の共有財産ではないか。パンパンの生態がよくわかり、半壊した新橋演舞場の楽屋が米兵たちが女を引きずり込む場所になっていたなどという興味深い事実も描かれ、戦後裏面史になっているというのに。そしてなにより荷風自身が河盛好蔵にむかって「あらゆる種類の娼婦を書いてきましたがねえ、残すところはパンパンだけなんです」と語っているように最後のエネルギーをふりしぼって書いたものだというのに。「四畳半襖の下張り」ほど完成度が高くないというだけで(それとても永光の感想にすぎない)死蔵していいものだろうか。元妻八重次が永光にもらしたこんな言葉「性的には、女性が満足できる男じゃないですよ」まで公開しておいてだ。父親(養父)の性行為をヘタクソだったとバラしておきながらその作品を隠すとは。バランスを欠いているのではないか。

◆『濡ズロ草紙』より

「残った一人はわたしの腰をかかえて見付の中へ入り松の立っている土手に登り草の上に腰をおろしわたしがしゃがむのをおそしとスカートの下からズロースの間へ指先を入れました」

 

「女のよがる声が耳に入ったのでびっくりしてあたりを見廻すとすぐ後の松の木の下でいつの間に来たのかわたしと同じような薄地のワンピースを着た女が米兵の膝の上に抱き上げられて日本風で云えば居茶臼の形でアラいいのいいのと日本語で泣きながら気をやっている最中です。米兵は膝までズボンをぬぎおろし、女はワンピースとシュミーズと一ツに背中の方までまくり上げられているので此方から見ると馬乗りになった女が腰をつかうたびたび男の一物が抜けそうになってばくっと入るのが真白な女のお臀の割目からまる見えに能く見えるのです」


「夕月が出て涼しそうなその辺の木かげや芝草の上にはあっちにもこっちにも米兵と日本の女とが抱合ったり寝転んだりしています。拭いた紙だの使った後のサックが歩く道の上に掃くほど捨ててあります」



◆無常と俳詣-永井荷風の諸作を巡って- 加田 謙一郎


松本哉は、荷風の女性関係を詳細に調べて、『女たちの荷風』 を書き残した。その巻尾に挙げられたエピソードは、歴史小説家永井路子の母、アルト歌手であった永井智子による、次のような荷風追悼文の一節であった

稽古が遅くなって、朝の七時頃劇作家などとうらさびた朝の浅草の裏通りを歩いている時、遊郭の女郎衆が着ぶくれた身なりで、夜の疲れをそのままに、朝参りをするのを見て、劇作家が、「ああ、きたないなあ、あれだけはいやだな。きたないもんだ」と言うのに「いやあ、あれが美しく見えなくちやあ、小説は書けませんぜえ。あれが美しく見えなくちやあ」 と白い息といっしょに呟かれる先生、そんな先生に、私は慈父のような温かみを覚えるのでした。(永井智子「『葛飾情話』 のヒロインとして」、「婦人公論」昭和三十四年七月号)

注)戦後、岡山に疎開していた荷風が、苦楽を共にした永井智子夫妻を置き去りにして帰京したことについて、荷風が出発した昭和二十年八月三十日に、荷風のいとこである杵屋五里宛に、永井智子は次の様な手紙を送っている。「誠に恐れ入りますが次のことを永井先生におことづけ願えれば幸いです。一、人間誰でも他人のことは考えず自分の思ったま〜のことが出来たらこんな都合のい〜ことはないでしょう。二、三人一緒に東京を出て来たのだから三人一緒に東京へかえる可きもので、もしも一人で行動を取る様なことがあったらそれは道義にはずれる、人間のすべきことではないと常々おっしゃっていた先生が道義も何も無く、突然人間でない行いを実行されました。三、中野を出て今日迄の生活の過し方をよくお考えになって御自分のお心に恥ざることもなく、人間の情けと云うものが少しでも先生のお気持ちの中にあったら私に別にあやまる必要は毛頭ありません。潔癖と節操の強い先生と尊敬していたゞけに私達の裏切られた心の淋しさは一代の大家をみそこねていた気持ちの悲しさで一ばいです。」 杵屋五里は、荷風にこの手紙を見せた。(秋庭太郎、『考証永井荷風 (下) 』、岩波書店、一九六六年。)


永井荷風と作曲家・菅原明朗(あるいは永井智子)


 「生活を共にしたとはいえ、四月二十六日から五月二十五日までは居室だけは別にしていたが、それ以後は居室までも共にせざるを得なくなり、四六時中を文字通りの共同の暮らしをしたので、荷風の日記がどのようにして書きつけられて行くかを眼のあたり見ることが出来た」(菅原明朗「罹災日乗考」(『現代文学大系月報』1965)




爆弾はわたくしの家と蔵書とを焼いた。わたくしの家には父母のみならず祖父の手にした書巻と、わたくしが西洋から携帰つたものがあった。わたくしは今辞書の一冊だも持たない身となつた。今よりして後、死の来るまで-それはさほど遠いことではなからうが-それまでの間継続されさうな文筆生活の前途を望見する時頗途方に暮れながら、わたくしは西行と芭蕉の事を思ひ浮かべる。

歌人とならうが為めでもなければ、又俳詣師にならうがためでもない。わたくしは唯この二人の詩人がいづれも家を捨て、放浪の生涯に身を終わつたことに心づいたからである。家がなければ平生詩作の参考に供すべき書巻を持ってゐやう筈がない。さびしき二人の作品は座右の書物から興会を得たものではなく、直接道途の観察と霹旅の哀愁から得たものである。(永井荷風「冬日の窓」)

…………

以下、作家たちによる荷風の毀誉褒貶のいくつか。


私は永井氏を現代随一の文章家と思っているが、最近の文章では、「葛飾土産」 の中にある、真間川の流れを辿って歩く文章が実にいいと思った。ああいう文は誰にも書けぬ。あの文でもよく分かる様に、永井氏の文章は、観察という筋金が通っている処が、非常な魅力である様に思われる。「ひかげの花」 にしても、そうである。あれは、執拗に見る人の作であり、分析家や心理家の作ではない。それから、この作のもう一つの特色は、作者の人生観がよく現れているところにあると思う。それはひかげの花の様に暮らしている人々に対する作者の強い共感である。真間川という世人から忘れられた凡庸な川の流れを辿って孤独な散歩をする様に、作者は、こういう人生のひかげの花を摘むのである。華々しい教養や文化は、寧ろ真の人間性を覆いかくして了うものだ、そういう作者の確信は恐らく大変強いものだろう。世人は永井氏を変人だと言っている様だが、世人には変人と思わせて置く、こんな好都合な事はない、と永井氏は考えておられるのではないかと思う。(小林秀雄、「ひかげの花」、『荷風全集』月報、一九五一年)

ここで、ちょつと戦後の荷風について考えてみれば、戦後の荷風は文学活動を放棄した、と考えるのが妥当なようだ。私の友人のある大学の先生が、こんなことを言った。「荷風が戦後、いくつかの尻切れトンボのごく短い文章を発表し、それについて批評家がいろいろあげつらつているが、自分の推理によると、もしかすると、こういう事実が考えられる。

彼は、戦後はほとんど猥文しか書かなかったのではないか。そして、導入部だけを活字にして発表し、それから後につづく部分、丹念に毛筆で書きつづられた部分は、筐底深く蔵いこまれてあるのではないか。」その推測を聞いたとき、私はコロンブスの卵を思い出した。如何にも荷風ごのみのことである。(吉行淳之介、「抒情詩人の拒殺」「中央公論」昭和三十四年七月号)


一箇の老人が死んだ。通念上の詩人らしくもなく、小説家らしくもなく、一般に芸術的らしいと錯覚されるようなすべての雰囲気を絶ちきったところに、老人はただひとり、身近に書きちらしの反故もとどめず、そういっても貯金通帳をこの世の一大事とにぎりしめて、深夜の古畳の上に血を吐いて死んでいたという。このことはとくに奇とするにたりない。小金をためこんだ陋巷の乞食坊主の野たれじにならば、江戸の随筆なんぞにもその例を見るだろう。しかし、これがただの乞食坊主ではなくて、かくれもない詩文の家として、名あり財あり、はなはだ芸術的らしい錯覚の雲につつまれて来たところの、明治このかたの荷風散人の最期とすれば、その文学上の意味はどういうことになるか。

 おもえば、葛飾土産までの荷風散人だった。戦後はただこの一篇、さすがに風雅なお亡びず、高興もっともよろこぶべし。しかし、それ以後は……何といおう、どうもいけない。荷風の生活の実情については、わたしはうわさばなしのほかはなにも知らないが、その書くものはときに目にふれる。いや、そのまれに書くところの文章はわたしの目をそむけさせた。小説と称する愚劣な断片、座談速記なんぞにあらわれる無意味な饒舌、すべて読むに堪えぬもの、聞くに値しないものであった。わずかに日記の文があって、いささか見るべしとしても、年ふれば所詮これまた強弩の末のみ。書くものがダメ。文章の家にとって、うごきのとれぬキメ手である。どうしてこうなのか。荷風さんほどのひとが、いかに老いたとはいえ、まだ八十歳にも手のとどかぬうちに、どうすればこうまで力おとろえたのか。わたしは年少のむかし好んで荷風文学を読んだおぼえがあるので、その晩年の衰退をののしるにしのびない。すくなくとも、詩人の死の直後にそのキズをとがめることはわたしの趣味ではない。それにも係らず、わたしの口ぶりはおのずから苛烈のほうにかたむく。というのは、晩年の荷風に於て、わたしの目を打つものは、肉体の衰弱ではなく、精神の脱落だからである。老荷風は曠野の哲人のように脈絡の無いことばを発したのではなかった。言行に脈絡があることはある。ただ、そのことがじつに小市民の痴愚であった。
(中略)

 むかし、荷風散人が妾宅に配置した孤独はまさにそこから運動をおこすべき性質のものであった。これを芸術家の孤独という。はるかに年をへて、とうに運動がおわったあとに、市川の僑居にのこった老人のひとりぐらしには、芸術的な意味はなにも無い。したがって、その最期にはなにも悲劇的な事件は無い。今日なおわたしの目中にあるのは、かつての妾宅、日和下駄、下谷叢話、葛飾土産なんぞに於ける荷風散人の運動である。日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一灯をささげるゆかりも無い。(石川淳「敗荷落日」

《鴎外を先賢師父と仰いだ荷風には史伝体の小説なり随筆を書く資性器量、天性の文辞、絶倫の筆力がありあまるほどあった。さらに言えば生え抜きの自然主義作家正宗白鳥なぞには真似しようのない戯作者気質が生まれながらに備わってあった。(……)

稀代の名文家荷風による香以伝を待ち望んでいた読者は歿後五十年経たいまにすくなからずある。吉原にとどまらず岡場所、茶屋教坊ほかの歌吹海に身銭を切って足を運んだことのない鴎外が破滅型の大通世界を描くなど土台無理の話、香以の取巻き馬十連の阿弥号を誤り写したりするのは当然の結果であろう。鴎外が頼みの材料とした「歌舞伎新報」に出る魯文の『再来紀文廓花街』を駆使しながら、荷風であったらそれまでのお座なりの香以伝とは似て非なる下世話に通じた風流考証を手堅く仕上げたものに相違ない。》(加藤郁乎「かたいもの」)


元々荷風といふ人は、凡そ文学者たるの内省をもたぬ人で、江戸前のたゞのいなせな老爺と同じく極めて幼稚に我のみ高しと信じわが趣味に非ざるものを低しと見る甚だ厭味な通人だ。(……)

荷風は生れながらにして生家の多少の名誉と小金を持つてゐた人であつた。そしてその彼の境遇が他によつて脅かされることを憎む心情が彼のモラルの最後のものを決定してをり、人間とは如何なるものか、人間は何を求め何を愛すか、さういふ誠実な思考に身をさゝげたことはない。それどころか、自分の境遇の外にも色々の境遇がありその境遇からの思考があつてそれが彼自らの境遇とその思考に対立してゐるといふ単純な事実に就てすらも考へてゐないのだ。(坂口安吾「通俗作家 荷風」)




《明治以後の日本文へ欧文が及した影響は、漢文の影響の最大なるときに、最大であった。すなわち鴎外であり、その次に荷風である。また漢文の影響の最小なるときに、最小であった。すなわち昭和期殊に戦後の諸家である。/日本文が漢文の影響を脱するに従って、欧文の影響をうけるようになったというのは、俗説にすぎない。むしろ逆に、漢文の影響と欧文の影響とは平行し、時と共に減じてきたのだ。/散文の場合には、外国の小説の影響がそれほど破壊的ではなかったかもしれない。しかし翻訳小説は沢山あらわれた。したがって翻訳の文章の大部分は、もはや鴎外訳の場合とはまるで性質の違うものであった。そういう翻訳小説をよむことによってえられるだろう信念の一つは、疑いもなく、小説の文章は週刊雑誌の記事と本来ちがわぬものだということ以外ではないだろう。少くとも荷風はそうは考えていなかった。しかし戦後の小説家の多くはそう考えているらしい。》(加藤周一「外国文学のうけとり方と戦後」