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2014年11月11日火曜日

血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉

もうその手の話は、わたくしは厭きた。だがそこの〈きみ〉への応答のために最後の「糖果入りの壺」を贈ろう。

(わたしは)小さな愚行やはなはだ大きい愚行がわたしに加えられても、一切の対抗策、一切の防護策を―――従って当然のことながら一切の弁護、一切の「弁明」を禁ずるのである。わたし流の報復といえば、他者から愚かしい仕打ちを受けたら、できるだけ急いで賢さをこちらから送り届けるということである。こうすれば、たぶん、愚かしさの後塵を拝せずにすむだろう。

比喩を使っていうなら、わたしは、すっぱい話にかかりあうことをご免こうむるために、糖果入りのつぼを送るのである。……わたしに何かよからぬことをしてみるがいい。まちがいなく、わたしはそれにたいしてこういう「報復」をする。つまり、わたしはほどなく、その「犯人」に(ときにはその犯行にたいして)わたしの感謝を表明する機会をみつけるのである―――もしくは、その犯人に何かを頼む機会をみつけるのである。この方が、こちらから何かを進呈するよりいんぎんでありうるのだ。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

以下、すべて引用ですませておく。わたくしはいま忙しいのだ。

 …………
人間存在は、この夜、その単純さの中にすべてを包含しているこの空無である。そこには表象やイメージが尽きることなく豊富にあるが、そのどれ一つとして人間の頭に、あるいは彼の眼前にあらわれることはない。この夜。変幻自在の表象の中に存在する自然の内的な夜。この純粋な自己。そこからは血まみれの頭が飛び出し、あちらには白い形が見える。(…)人は他人の眼を覗き込むとき、この夜を垣間見る。世界の夜を対立の中に吊るす、恐ろしい夜。(ヘーゲル『現実哲学』草稿)

サド(サン=フォン) : 《もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう》 (『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

……隣人を倫理的に飼い慣らしてしまうという誘惑に負けてはならない。たとえばエマニュエル・レヴィナスはその誘惑に負けて、隣人とは倫理的責任への呼びかけが発してくる深遠な点だと考えた。レヴィナスが曖昧にしているのは、隣人は怪物みたいなものだということである。この怪物性ゆえに、ラカンは隣人に〈物das Ding〉という用語をあたはめた。フロイトはこの語を、堪えがたいほど強烈で不可解な、われわれの欲望の究極の対象を指す語として用いた。(……)隣人とは、人間のおだやかな顔のすべてから潜在的に垣間見える(邪悪な)物〉である。(ジジェク『ラカンはこう読め』p81

おわかりだろうか? 偽の正義の味方、おろかな猿たちよ、きみたちにも〈隣人〉がいないわけではあるまい?

フロイトが、まるで恐れをなしたかのように、隣人愛の掟がもたらす帰結の前で立ち止まるたびに、浮かび上がってくるもの、それはこの隣人のうちに宿るあの深い悪意の現前にほかならない。ところが、そうであるとすれば、この悪意は私自身のうちにも宿っている。いったいどんなものが、私の享楽の核心であるところのこの私自身のうちの核心以上に、私に近しいというのか? ただし私は、この核心にあえて近づこうとはしない。というのも、私がそれに近づくやいなや――それこそが『文化のなかの居心地悪さ』の意味である――あの測深しがたい攻撃性が現れてくるからであり、私はそれを前にして後ずさりし、それを私自身に向け直すのである。そうすると、この攻撃性は、消え入ってしまった〈法〉にまさに代わって、 〈物〉の限界にあるひとつの境界線を私が踏み越えることを妨げるものに、重さを与えにやってくるのである。 」 (ラカンSVII, 219)
 何よりも毒性が高いのは〈隣人〉という存在、その欲望とみだらな快楽の深淵である。したがって、人間関係を支配するあらゆる法則の究極の目的は、この毒 性を隔離もしくは中和して〈隣人〉を同胞に転じることだ。(他者という、もうひとつの)主体にあるかもしれない毒性をさがすだけでは不十分だ。自己という 主体自体が、その内部の〈大文字の他者〉という深淵に毒性をたたえているのだから。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』p82)

ここにあるように、〈隣人〉とは、悪をなした他人その人ではなく、大文字の〈他人〉である。フロイトを挿入しよう。

ランク(1913年)はちかごろ、神経症的な復讐行為が不当に別の人にむけられたみごとな症例を示した。この無意識の態度については、次の滑稽な挿話を思い出さずにはいられない。それは、村に一人しかいない鍛冶屋が死刑に値する犯罪をひきおこしたために、その村にいた三人の仕立屋のうちの一人が処刑されたという話である。刑罰は、たとえ罪人に加えられるのではなくとも、かならず実行されなければならない、というのだ。(フロイト『自我とエス』著作集6 P288)

おわかりであろうか? きみたちの〈正義〉なるものの根源を。

人間の歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという理由から刑罰が加えられたことはなかったし、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたこともなかった。――むしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りからして刑罰は行なわれたのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』 木場深定訳 P70)

攻撃欲動の標的が外部に見当たらなければ、自己破壊に向かうということはあり得る。ナチに拷問された生存者たちが自殺衝動に襲われるように。


…………

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十分に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。だが同時に、彼らは“非合理的な”罪の意識にとり憑かれる(それは単にそれ以上のようにして)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやるのだ。これが露わにしているのは、最も純粋な超自我の審級である。不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

 


Recall the strange fact, regularly evoked by Primo Levi and other Holocaust survivors, about how their intimate reaction to their survival was marked by a deep split: consciously, they were fully aware that their survival was the result of a meaningless accident, that they were not in any way guilty for it, that the only guilty perpetrators were their Nazi torturers. At the same time, they were (more than merely) haunted by an irrational feeling of guilt, as if they had survived at the expense of others and were thus somehow responsible for their deathsas is well known, this unbearable feeling of guilt drove many of them to suicide. This displays the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of selfdestruction.
超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的なを途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。

 


The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our beinghuman, the inhuman core of beinghuman, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.
レヴィナスにとって、主体を非中心化する根源的に異質な現実界的〈モノ〉のトラウマ的侵入は、倫理的な〈善〉の〈呼びかけ〉と同じものだ。他方、ラカンにとっては、逆に、原初の“邪悪な〈もの〉”であり、〈善〉のヴァージョンには決して昇華されえない何か、永遠に不安にさせる切り傷のままの何かなのである。こういったわけで、倫理的な呼びかけの出処としての〈隣人〉の飼い馴らしには、〈悪〉の復讐が横たわっている。“抑圧された〈悪〉”は、倫理的呼びかけ自体の超自我の歪曲の見せかけとして回帰する。

 


For Levinas, the traumatic intrusion of the radically heterogeneous Real Thing which decenters the subject is identical with the ethical Call of the Good, while, for Lacan, on the contrary, it is the primordial evil Thing, something that can never be sublated into a version of the Good, something which forever remains a disturbing cut. Therein lies the revenge of Evil for our domestication of the Neighbor as the source of the ethical call: the repressed Evil returns in the guise of the superego's distortion of the ethical call itself.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳)

きみたち仔羊のために穏やかな衣裳をまとったリルケをも引用しておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(リルケ『マルテの手記』)


 さてプリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちの自殺衝動」に戻ろう。きみたちには「死んだ人に申し訳ない」という生存者罪悪感はないのか?そうであるならそれを仔羊の人生という。


一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。

PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。

しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)


ヤスパースは《「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。》


おわかりだろうか、レヴィナスの寝言があまりにも寝言すぎるのが。あるいはヤスパースの「形而上の罪」の厚顔無恥な寝言ぶりを。

ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。

第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。

第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)

つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。

第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。

最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。

この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(『トランスクリティーク』P190の註より)

おわかりだろうか、ヤスパースのなんたる寝言カント解釈を。きみたち猿の〈正義〉は、このヤスパースをさらに四周ほど寝言にしたものだ。「寝言は寝てから言え」!

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

カントはその『純粋理性批判』において、否定判断と無限判断という重要な区別を導入した。

「魂は必滅である」という肯定文は二通りに否定できる、述語を否定する(「魂は必滅でない」)こともできるし、否定的述語を肯定する(「魂は不滅である」)こともできる。

この両者の違いは、スティーヴン・キングの読者なら誰でも知っている、「彼は死んでいない」と「彼は不死だ」の違いとまったく同じものだ。無限判断は、「死んでいる」と「死んでいない」(生きている)との境界線を突き崩す第三の領域を開く。「不死」は死んでいるのでも生きているのでもない。まさに怪物的な「生ける死者」である。

同じことが「人でなし」にもあてはまる。「彼は人間ではない」と「彼は人でなしだ」とは同じではない。「彼は人間ではない」はたんに彼が人間性の外にいる、つまり動物か神様であることを意味するが、「彼は人でなしだ」はそれとはまったく異なる何か、つまり人間でも、人間でないものでもなく、われわれが人間性と見なしているものを否定しているが同時に人間であることに付随している、あの恐ろしい過剰によって刻印されているという事実を意味している。おそらく、これこそがカントによる哲学革命によって変わったものである、という大胆な仮説を提出してもいいだろう。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

2014年9月17日水曜日

マッチョイメージとしての「革命家」

さて、〈とかくうわつ調子な〉「議論しないこと」と「ほっとく」能力などという記事を、たとえばクンデラに批判されてみよう。

二十歳で共産党に入党したり、あるいは小銃を手にして、ゲリラに参加して山岳地帯に入ったりする青年は、革命家としての自分自身のイメージに魅惑されているのである。なにしろ、そのイメージによって彼はすべての他人と区別され、そのイメージによって彼自身になれるのだ。(クンデラ『不滅』)

たとえば若い時代に左翼系の論客なり新聞記者なりとして自らの職業を選択した者は、その自分自身のイメージに生涯魅惑されている、ということはありうる。そして、そこにマッチョの臭いを嗅ぎつけるひとが数多いるのは十分に憶測される。

もちろんもっと短期的な視野でもよい、「革命家」や「ラディカル左翼」して己を選択するのは、《半分は、ふだんの構えによって決まるが、半分は、いったん一つの構えを取ると、それを取りつづける傾向が強い》(中井久夫)――のかもしれない。もっと一般化して言えば、人間にとって卑怯と勇気とはしばしば紙一重」であるだろう。

マッチョのイメージは、人を惑わせる仮面として経験されるのではなく、人がなろうと努力する理想の自我として経験される。男のマッチョイメージの裏には、なにも秘密はなく、彼の理想に恥じない行動をとり難いただ弱々しいごく普通の男があるだけだ。(私訳)

the macho-image is not experienced as a delusive masquerade but as the ideal-ego one is striving to become. Behind the macho-image of a man there is no secret, just a weak ordinary person that can never live up to his ideal.(Zizek Woman is One of the Names-of-the-Father)

そうだろう、どのマッチョの仮面の裏にも、弱々しいごく平凡な男がいる。マッチョでなくてもよい。理念や正義を語り行動する人たち、彼らに胡散臭さを感じる人々がいるのは止む得ない。彼らを冷笑する露悪主義者たちは、いつの世にも存在する。


理念や正義? 良心や超自我?


良心とは、一般に信じられているように「人間の中なる神の声」などではないということ――良心とは、もはや外部に向かって放電できなくなってしまったので方向を変えて内面へ向かうようになった残虐性の本能であるということ。( ニーチェ『この人を見よ』)

ここにはすでに『快原則彼岸』以降の後期フロイトがいる、「死の欲動」を語ったフロイトが。すなわち超自我は外的なものではなく、攻撃欲動が自分自身に向かうことによって形成されるとしたフロイトだ。

罪責感に本質的かつ共通な点としては、それは内部へ転位した攻撃欲動であるということだけが残った(フロイト『文化への不満』)

だが、《たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。》(柄谷行人ーー「世の中がいやになっちゃうよ、もう。かってにしやがれ」(大岡昇平)

偽善は統整的に働くのだ。


たとえば、われわれが自然を認識できるだろうという「統整的理念」は、事実、発見的に働くのである。マンハッタン・プロジェクトに関与したというノーバート・ウィーナー(サイバネティックスの創始者)は、原爆製造に成功した後、防諜上最大の機密とされたのが、原爆の製造法ではなく、原爆が製造されたという情報であったといっている。同時期にドイツ・日本でもそれぞれ原爆の開発を進めていたので、それが製造されたという事実がわかれば、たちまち開発に成功するからである。詰め将棋の問題は実戦におけるよりはるかに易しい。かならず詰むという信が最大の情報である。自然界が数学的基礎構造をもつというのもそのような理論的な「信」である。この意味で、もし近代西洋においてのみ自然科学が誕生したとしたら、このような「理論的信」があったからだといってよい。(柄谷行人『トランスクリティーク』 p83-84)

ただここで統整的な理念と構成的な理念の相違には注意しておこう。

理性の統整的使用とは、目的がある「かのように」想定することであり、目的が構成的になったしまえば、それは暴力的強制となる。運動者による「正義」の主張が、統整的であるのか構成的であるのかはよく見極めねばならない。(参照:柄谷行人「第一回長池講義 講義録」

運動者の「正義」が統整的なものであるなら、どうして彼らが「マッチョ」のようにみえて悪いわけがあるだろう? いや本来、ひとは構成的理念の正義の人物のみをマッチョと見なすべきだとしてもよい。だが、いわゆる「正義」のために活動している人物をすべてマッチョ的だと見なす傾向にあるのではないか。

シニカルな露悪主義者たちーー善をめざすことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心している彼らーーは決定的に間違っている。騙されない者は彷徨うのだ。


マルクス兄弟の映画の一本で、嘘を見破られたグルーチョが怒って言う。「お前はどっちを信じるんだ? 自分の眼か、おれの言葉か?」 この一見ばかばかしい論理は、象徴的秩序の機能を完璧に表現している。社会的仮面のほうが、それをかぶっている個人の直接的真実よりも重要なのである。この機能は、フロイトのいう「物神崇拝的否認」の構造を含んでいる。「物事は私の目に映った通りだということはよく知っている。私の目の前にいるのは堕落した弱虫だ。それにもかかわらず私は敬意をこめて彼に接する。なぜなら彼は裁判官のバッジをつけいてるので、彼が話すとき、法が彼を通して語っているのだ」。ということは、ある意味で、私は自分の眼ではなく彼の言葉を信じているのだ。確固たる現実しか信じようとしない冷笑者(シニック)がつまずくのはここだ。裁判官が語るとき、その裁判官の人格という直接的現実よりも、彼の言葉(法制度の言葉)のほうに、より多くの真実がある。自分の眼だけを信じていると、肝腎なことを見落としてしまう。この逆説は、ラカンが「知っている[騙されない]人は間違える(Les non-dupes errent)」という言葉で言い表そうとしたことだ。象徴的機能に目を眩ませることなく、自分の眼だけを信じ続ける人は、いちばん間違いを犯しやすいのである。自分の眼だけを信じている冷笑者が見落としているのは、象徴的虚構の効果、つまりこの虚構がわれわれの現実を構造化しているということである。美徳について説教する腐敗した司祭は偽善者かもしれないが、人びとが彼の言葉に教会の権威を付与すれば彼の言葉は人びとを良き行いへと導くかもしれない。(ジジェク『ラカンはこう読め!』ーー騙されない人は彷徨うLes non-dupes errent

ーーといささか断定的な口調で書いたが、これらも柄谷行人とジジェクから読みとれるひとつの「政治的な」態度に過ぎない。ただいまのところこの態度をとりたいと、残念ながら非行動主義者でしかありえないわたくしは、このように「統整的に」考えているだけの話である。

私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的に」主張することだよ。(「ジジェク自身によるジジェク」私訳)

…………

ところでジジェクの最近の書(2012)にはカントの「統整的理念」への批判(吟味)がある。

The Kantian “regulative Idea” is on the side of desire with its forever elusiveobject‐cause: with every object, the desiring subject experiences a “ ce n’est pas ça” (this  is not that—not what I really want), every positive determinate object falls short of the elusive spectral “X” after which desire runs. With the Idea as the principle of division, by contrast, we are on the side of the drive: the “eternity” of the Idea is nothing other than the repetitive insistence of the drive. However, in the terms of the triad of Being/World/Event, this solution only works if we add to it another term, a name for the terrifying void called by some mystics the “night of the world,” the reign of the pure death drive. If an individual belongs to the order of being, if a human (being) is located in a world, and if a subject has its place within the order of an Event, a neighbor always evokes the abyss of the “night of the world.” Our hypothesis is that it is only with reference to this abyss that one can answer the question “How can an Event explode in the midst of Being? How must the domain of Being be structured so that an Event is possible within it?” Badiou—as a materialist—is aware of the idealist danger that lurks in the assertion of their radical heterogeneity, of the irreducibility of the Event to the order of Being:(ZIZEK “LESS THAN NOTHING”)
One should be careful not to read these lines in a Kantian way, conceiving communism as a "regulative Idea:' thereby resuscitating the specter of an "ethical socialism" taking equality as its a priori norm-axiom. One should rather maintain the precise reference to a set of actual social antagonisms which generates the need for communism-Marx's notion of communism not as an ideal, but as a movement which reacts to such antagonisms, is still fuly relevant. However, if we conceive of communism as an "eternal Idea:' this implies that the situation which generates it is no less eternal, i.e., that the antagonism to which communism reacts wil always exist. And from here, it is only one small step to a "deconstructive" reading of communism as a dream of presence, of abolishing all alienated re-presentation, a dream which thrives on its own impossibility. How then are we to break out of this formalism in order to formulate antagonisms which will continue to generate the communist Idea? Where are we to look for this Idea's new mode? (Zizek "First As Tragedy, Then As Farce")

“night of the world”という表現が見られるように、カント対ヘーゲルの文脈でも読みうる文である。

人間存在は、この夜、その単純さの中にすべてを包含しているこの空無である。そこには表象やイメージが尽きることなく豊富にあるが、そのどれ一つとして人間の頭に、あるいは彼の眼前にあらわれることはない。この夜。変幻自在の表象の中に存在する自然の内的な夜。この純粋な自己。そこからは血まみれの頭が飛び出し、あちらには白い形が見える。(…)人は他人の眼を覗き込むとき、この夜を垣間見る。世界の夜を対立の中に吊るす、恐ろしい夜。(ヘーゲル『現実哲学』草稿)

ーーというわけで、カントやヘーゲルをまともに読んだことのないわたくしにはお手上げであり、聡明なひとたちに、それぞれ勝手に考えていただくことにしよう。



2014年6月30日月曜日

「強い視差 parallax」、あるいは「超越論的」

前投稿にて、柄谷行人の『探求Ⅱ』からつぎの文を引用した。

他の人間が夢をみているだけだから眼ざめさせねばならぬと考える者、つまり自らを”超越的”な立場にあるとみなす者こそ、夢をみているだけなのだ。デカルトは、そのような人々の間にまじって「真理」を説くことを回避したが、というのも、彼の懐疑は、どのような共同体(システム)にを属さない空=間においてしか根拠がなかったからである。それは、さまざまな真理を幻想とみなすメタレベルではありえない。

夢のなかで夢をみていることを自覚しても、なおひとが夢をみていることには変わりない。デカルトは、ひとが完全にめざめる(夢の外部に出る)ことができるなどとは考えない。つまり、彼は超越的立場を斥ける。彼の方法は、カントやフッサールの用語でいえば、超越論的なのである。超越論的な方法によってしか、幻想を幻想とみなす、逆にいえば真理を基礎づけることはできない。が、超越論的とは、上方や下方に向かうことではない。それはいわば横に出ることだ。(柄谷行人『探求Ⅱ』P90)

《他の人間が夢をみているだけだから眼ざめさせねばならぬと考える者、つまり自らを超越的な立場にあるとみなす者こそ、夢をみているだけなのだ》とあるが、これはわれわれは日夜やっている(たとえばインターネット上で)のであり、かなりの割合の言説は「メタレベル=超越的」であるということになる。では上のように書いている柄谷行人の言説はどうか。ここだけ読めば、やはり「超越的」のようにみえてしまうのではないか。それについても前投稿(「超越的/超越論的」と「イロニー/ユーモア」)に叙した。

さて柄谷行人の立場とは次のようであった。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」ーー
象牙の塔(メタレベル)不在の「美しい日本の私」

柄谷行人は、冒頭の文にかんしても、日本的環境、《経験論がドミナントである》環境において、《合理論からそれを批判した》ということになるのだろうか。

ここで柄谷行人が好んで引用するデカルトの『方法序説』のなかから代表的な一文のひとつを抜粋してみよう。

私は、すでに学校時代に、どんな奇妙で信じがたいことでも哲学者の誰かが既に言っているものだ、ということを知った。またその後旅に出て、 我々の考えとは全く反対の考えを持つ人々も、だからといって、みな野蛮で粗野なのではなく、それらの人々の多くは、我々と同じくらいにあるいは我々以上 に、理性を用いているのだ、ということを認めた。

そして同じ精神を持つ同じ人間が、幼時からフランス人またはドイツ人の間で育てられるとき、仮にずっとシナ人や人食い人種の間で生活してきた場合 とは、いかに異なったものになるかを考え、また我々の着物の流行においてさえ、十年前には我々の気に入り、また十年経たぬうちにもう一度我々の気に入ると 思われる同じものが、今は奇妙だ滑稽だと思われることを考えた。

そして結局のところ、我々に確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもか かわらず少し発見しにくい真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であることの方がはるかに真実らしく思われるのだから、 そういう真理にとっては賛成者の数の多いことは何ら有効な証明ではないのだ、ということを知った。

こういう次第で私は、他を置いてこの人の意見をこそ取るべきだと思われる人を選ぶことができず、自分で自分を導くということを、いわば強いられたのである。(デカルト『方法序説』)

ジジェクはこのデカルトの一文を『パララックス・ヴュー』の冒頭近くでそのまま引用している。

I had been taught, even in my College days, that there is nothing imaginable so strange or so little credible that it has not been maintained by one philosopher or other, and I further recognized in the course of my travels that all those whose sentiments are very contrary to ours are yet not necessarily barbarians or savages, but may be possessed of reason in as great or even a greater degree than ourselves. I also considered how very different the self-same man, identical in mind and spirit, may become, according as he is brought up from childhood amongst the French or Germans,or has passed his whole life amongst Chinese or cannibals. I likewise noticed how even in the fashions of one's clothing the same thing that pleased us ten years ago, and which will perhaps please us once again before ten years are passed,seems at the present time extravagant and ridicu-lous. I thus concluded that it is much more custom and example that persuade us than any certain knowledge, and yet in spite of this the voice of the majority does not afford a proof of any value in truths a little difficult to discover, because such truths are much more likely to have been discovered by one man than by a nation. I could not, however, put my finger on a single person whose opinions seemed preferable to those of others, and I found that I was, so to speak, constrained myself to undertake the direction of my procedure.

『パララックス・ヴュー』の前半は、柄谷行人の『トランスクリティーク』の吟味のような箇所が多い。そもそも『パララックス・ヴュー』という題名は、柄谷行人がこの書で記述する「強い視差 parallax」から借りたものであるから当然といえば当然であるが。

『視霊者の夢』から『純粋理性批判』への移行はこのように明白である。にもかかわらず、後者を読みためには、前者を参照しなければならない。カントの独特の「反省」の仕方が『視霊者の夢』にあらわれているからだ。《以前に私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のでない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もいそかなる動機もろとも、他人の視点から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある》(『視霊者の夢』)。ここでカントがいっているのは、自分の視点から見るだけでなく、「他人の視点」からも見よ、ということではない。そのようなことならありふれている。なぜなら、「反省」とは他人の視点で自分を見ることであり、哲学の歴史はそのような反省の歴史なのだから。しかし、ここでカントがいう「他人の視点」はそのようなものではない。それは「強い視差 parallax」においてしかあらわれない。(『トランスクリティーク』P77-78)
ハイデガーは、カントの超越論的( transcendental)な批判を、深みに向かう垂直的な方向において理解する。しかし、それは同時に、いわば横断的( tramsversal)な方向において見られねばならない。そして、私はそれを〈 transcritique〉と呼ぶのである。 P150

柄谷行人にとっては「トランスクリティーク」とは、すなわち「超越論的批評」を意味する。


ジジェクは、『パララックス・ヴュー』にて、上記の柄谷行人の文の一部を引用して次のようなコメントをつけている。

Kant's stance is thus “to see things neither from his own viewpoint, nor from the viewpoint of others, but to face the reality that is exposed through difference (parallax).” (Is this not Karatani's way of asserting the Lacanian Real as a pure antagonism, as an impossible difference which precedes its terms?)

ところで、ジジェクは上に掲げたデカルトの『方法序説』の文の引用のあと、このデカルト文の柄谷行人解釈をめぐって次のように記している。

Thus Karatani is justified in emphasizing the insubstantial character of the cogito: “It cannot be spoken of positively; no sooner than it is, its function is lost.” The cogito is not a substantial entity but a pure structural function, an empty place (Lacan's $)— as such,it can emerge only in the interstices of substantial communal systems. The link between the emergence of the cogito and the disintegration and loss of substantial communal identities is therefore inherent, and this holds even more for Spinoza than for Descartes: although Spinoza criticized the Cartesian cogito, he criticized it as a positive ontological entity—but he implicitly fully endorsed it as the “position of the enunciated,” the one which speaks from radical self-doubting, since, even more than Descartes, Spinoza spoke from the interstices of the social space(s), neither a Jew nor a Christian.(ZIZEK” The Parallax View”)

ここに”an empty place (Lacan's $)”という表現があることに注目しておこう。すなわちデカルトのコギトは、ラカンの斜線を引かれた主体のことである、というジジェクの見解である。ところで柄谷行人の『トランスクリティーク』には次のような文がある。

デカルトは、「思う」をあらゆる行為の基底に見出す。《それでは私は何であるのか。思惟するものである。思惟するものとは何か。むろん、疑い、理解し、肯定し、否定し、欲し、欲しない、また想像し、そして感覚するものである》(『省察』)。このような思考主体は、カントによれば、「思考作用の超越論的主観すなわち統覚X」である。私はこのような言い方を好まないが、カントのいう「超越論的主観X」とは、いわば「超越論的主観〔「主観」に×印を上書きする〕」である。それはけっして表象されない統覚であって、それが「在る」というデカルトの考えは誤謬である。しかし、デカルトのコギトには、「私は疑う」と「私は思う」という両義性がつきまとっており、しかもそれらは超越論的自我について語るかぎり避け難いものである。(『トランスクリティーク』p132)


さて、次に『トランスクリティーク』より、カントに「超越論的な態度」が生じた経緯が書かれる箇所をあげる。

『視霊者の夢』に書かれているのは、端的にいえば、それまでライプニッツ・ヴォルフの合理論的哲学に立っていたカントが自身いうように、ヒュームの経験論的な懐疑を受けいれざるをえず、なお、それにも満足しえなかった状態である。それから『純粋理性批判』にいたるまで、彼は十年ほど社交界からもジャーナリズムからも離れて沈黙した。カントが「超越論的」と呼ぶ態度は、その間に生じたのである。『純粋理性批判』は、主観的な内省とは異質であるだけでなく、「客観的な」考察とも異質である。超越論的な反省は、あくまで自己吟味であるが、同時に、そこに「他人の視点」がはいっている。逆にいえば、それはインパーソナル(非人称的)な考察であるにもかかわらず、徹頭徹尾、自己吟味なのだ。

人々は、この超越論的態度をたんなる方法として受けとめてしまう。そして、カントが見いだした無意識の構造を、まるで所与のもののように論じる。だが、超越論的な態度は「強い視差」なしにありえなかった。カントの方法は主観的であり、独我論的であると非難される。しかし、それはつねに「他人の視点」につきまとわれているのだ。『純粋理性批判』は『視霊者の夢』のように自己批評的に書かれていない。しかし、「強い視差」は消えてはいない。それはアンチノミー(二律背反)というかたちであらわれたのである。それは、テーゼとアンチテーゼのいずれもが「光学的欺瞞」にすぎないことを露出するものだ。しかし、それはたんに論理的な記述として受けとられてしまう。

『純粋理性批判』を出版した後、カントは、同書における記述の順序に関して、現象と物自体という区分について語るのは、弁証論におけるアンチノミーについて書いてからにすべきだったと述べている。実際、現象と物自体の区別から始めたことは、彼のいわんとすることを、現象と本質、表層と深層というような、伝統的な思考の枠組みに引き戻す結果を招いてしまった。カント以後に物自体を否定した者は、そのようなレベルで考えているのである。また、ハイデガーのように物自体を擁護した者はそれを存在論的な「深層」として見いだしている。しかし、物自体はアンチノミーにおいて見い出されるものであって、そこに何ら神秘的な意味合いはない。それは自分の顔のようなものだ。それは疑いもなく存在するが、どうしても像(現象)としてしか見ることができないのである。したがって重要なのは、「強い視差」としてのアンチノミーである。それのみが像(現象)でない何かがあることを開示するのだ。カントがアンチノミーを提示するのは、必ずしもそう明示したところだけではない。たとえば、彼はデカルトのように「同一的自己」と考えることを、「純粋理性の誤謬真理」と呼んでいる。しかし、実際には、デカルトの「同一的自己はある」というテーゼと、ヒュームの「同一的自己はない」というアンチテーゼがアンチノミーをなすのであり、カントはその解決として「超越論的主観X」をもちだしたのである。(『トランスクリティーク』P80-81)


ジジェクは柄谷行人の見解に同調するように、次のように書いている。

Far from designating a “synthesis” of the two dimensions, the Kantian “transcendental” stands, rather, for their irreducible gap “as such”: the “transcendental” points to something in this gap, a new dimension which cannot be reduced to either of the two positive terms between which the gap is gaping. And Kant does the same with regard to the antinomy between the Cartesian cogito as res cogitans, the “thinking substance,” a self-identical positive entity, and Hume’s dissolution of the subject in the multitude of fleeting impressions: against both positions, he asserts the subject of transcendental apperception which, while displaying a self-reflective unity irreducible to the empirical multitude, nonetheless lacks any substantial positive being—that is to say, it is in no way a res cogitans.(ZIZEK” The Parallax View”)

しかし、この後、柄谷行人の「超越論的仮象ranscendental illusion」の解釈に異議をとなえる。

Here, however,we should be more precise than Karatani, who directly identifies the transcendental subject with transcendental illusion:

yes, an ego is just an illusion, but functioning there is the transcendental apperception X. But what one knows as metaphysics is that which considers the X as something substantial.Nevertheless, one cannot really escape from the drive [Trieb] to take it as an empirical substance in various contexts. If so, it is possible to say that an ego is just an illusion, but a transcendental illusion.(KARATANI)

※柄谷行人原文
(カントはそれに対して、)自己は仮象であるが、超越論的統覚Xがあるといった。このXを何らかの実体にしてしまうのが、形而上学である。とはいえ、われわれは、そのようなXを経験的な実体としてとらえようとする欲動から逃れることはできない。したがって、自己とは、たんなる仮象ではなく、超越論的な仮象である。(『トランククリティーク』)

The precise status of the transcendental subject, however, is not that of what Kant calls a transcendental illusion or what Marx calls the objectively necessary form of thought. First, the transcendental I, its pure apperception, is a purely formal function which is neither noumenal nor phenomenal—it is empty, no phenomenal intuition corresponds to it, since, if it were to appear to itself, its self-appearance would be the “thing itself,” that is, the direct self-transparency of a noumenon. The parallel between the void of the transcendental subject ($) and the void of the transcendental object, the inaccessible X that causes our perceptions, is misleading here: the transcendental object is the void beyond phenomenal appearances, while the transcendental subject already appears as a void.(ZIZEK” The Parallax View”)

このあたりは、両者のカント解釈の相違、そしてジジェクのヘーゲル(あるいはラカン)への傾斜にかかわるのだろうが、おそらくそれだけではない(というか、わたくしにはいまだ判然としない)。たとえばジジェクはこの『パララックス・ヴュー』の後に書かれたもうひとつの主著『LESS THAN NOTHING』で自己とはフェティッシュな仮象(イリュージョン)と書いている。

《the Self is the fetishized illusion of a substantial core of subjectivity where, in reality, there is nothing.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")》

私がカントのパララックス的把握を重視したのは、それによってヘーゲルによる弁証法的総合を批判するためであった。しかし、ジジェクは、ヘーゲルにおける総合(具体的普遍)にこそ、真にパララックス的な見方がある、したがって、私のヘーゲル観は的外れだ、というのである。それに対して、私は特に、反対しない。私のカントが通常のカントと異なるのと同様に、ジジェクのヘーゲルも通常のヘーゲルではないからだ。(パララックス・ヴュー 書評

ジジェクが同調する柄谷行人の《デカルトの「同一的自己はある」というテーゼと、ヒュームの「同一的自己はない」というアンチテーゼがアンチノミーをなすのであり、カントはその解決として「超越論的主観X」をもちだした》も、いまでは別の観点(たとえば新たなヒューム解釈)があるのだろう。

柄谷行人は『トランスクリティーク』の註44で、次のように書いている。

……彼(ドゥルーズ)は、ヒュームやベルクソンを一方で称えながら、他方で、スピノザ、さらにライプニッツをも称えている。つまり、そのいずれをも肯定することによって、それらを暗に批判しているのである。その意味で、彼がやっているのは、カント=マルクス的なトランスクリティークであるといってよい。実際、彼は『ニーチェと哲学』において、ニーチェの仕事をカントの三批判の続編と見なし、『アンチ・オイディプス』において、マルクスやフロイトの仕事を「超越論的批判」と見なしている。しかし、一般に、ドゥルーズは、美学的なアナーキストたちの愛玩物となっている。彼らは、ドゥルーズが死ぬ二年前のインタビューで「私は完全にマルクス主義者だ」と語ってことなど、まったく無視している。そしてドゥルージアンの多くは、ベルクソニズムにまで退行してしまう。

2001年に行われた共同討議『トラウマと解離』(斉藤環・中井久夫・浅田彰)における浅田彰の発言は、あきらかに『トランスクリティーク』の変奏である。

メディア環境がどんどん解離的な状況を作り出す方向に向かっているのは、よく言われるとおりで、かなりの程度まで事実だろうと思います。メディアに接続することで、ここにいる自分とメディア空間の中の自分が多数多様なペルソナーー場合によっては性を年齢も異なったーーを演じ分けることができる、云々。

また逆に、そこから人間自身の捉え方も変わってくるんですね。統一性のもった心身で手ごたえのある世界を体験する、それこそがリアリティだと言うけれど、哲学的に反省してみれば、実はそれもヴァーチュアル・リアリティのひとつに過ぎない、と。

そもそも、人工知能のパイオニアのミンスキーが『心の社会』という表現を使っているように、心というのは多数のモジュールないしエージェントが統一的なプログラムなしに並列して走っているようなもので、その中には意識としてドミナントになるものもあるけれど、それとは別のリズムで意識には上らないまま動いているものもある、その総体が心なんだ、と。(……)人口知能で複数のモジュールを並列的に走らせる実験から逆に類推して、人間だって同じようなものだと考えるわけです。

こうした流れが、フロイトからジャネへの退行にもつながるわけでしょうし、柄谷行人流に言えばカントからヒュームへの退行につながるわけでしょう。ヒュームは、自己というのは多数の知覚の束だ、いわば蚊柱のようなものだ、と考えている。自己の一貫性と言ったって、選挙で内閣が替わっても外国との約束は引き継ぐという程度のものだ、と。ヒュームによるそういう徹底的な解体の後に、カントが、超越論的統覚Xという、いわばどこにもないものを持ってきて、新たな統合を図るわけですね。(……)

まあ、ヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統が再び優位になっているということでしょう。およそ、ファウンデーショナリズム(基礎付け主義)というのは、いわば神学の世俗化に過ぎず、有害でしかない。そのようなファウンデーションを自己言及的なパラドクスに追い込んで脱構築するなどと言っても、いわば否定神学的な観念の遊戯を出ない。そもそも、ファウンデーションなしに、複数の独立したゲームを並列的にプレイしてみて、それぞれがそこそこうまくいけばいいではないか、と。そういうローティ流のプラグマティズムが、いまもっとも支配的な哲学――というか反哲学でしょう。それが人工知能論などから見た「心の社会」論などともフィットするわけですね。

しかし、多少とも哲学的な立場からすると、それですべてが片付くとはとても思えません。もちろん、いまさら超越論的なものを天下り式に持ってくることはできない。けれども、カントの言った超越論的統覚だって、予定調和的に与えられているのではなく、あくまでXとしてあるわけですからね。あるいは、時代は下るけれど、ジャネが水平の解離を強調したのに対して、フロイトは強引に垂直も抑圧によって無意識まで含めた統合を図ろうとし、ラカンはそれをされに徹底して体系化しようとした、それを思弁的に過ぎると言って批判するのは簡単だけれど、逆にそれなしではものすごく単純な経験論とプラグマティズムに戻ってしまうという危惧があるわけです。

現在、「超越論的」な態度が論じられるとき、このあたりを視野においていないようにみえる言説にめぐりあうことがあるのだがーーたとえば極めつけは、カントの態度を「超越論的主体」(フッサール的な「超越論的自我」? といえばフッサールにも失礼に当たる:【参照】「人間的主観性のパラドックス」覚書)などとだけし、しかもそれを「自分語り」だなどと決めつけるだけの、《解釈さえ放棄する無邪気な「無神論者」》、そのファストフード的消費者風の驚くべき寝言(超越論的「主体」と超越論的「領野」の言葉だけに捉われているとしか思えない)ーー、どの見解をとるにしろ、これら柄谷行人やジジェクの観点をやりすごして(おそらくほかにも種々の見解があるのだろうが)、素朴に語るのは、いささか厚顔無恥という気味があるのではないか。上にも書いたが、柄谷行人の『トランスクリティーク』は「超越論的批評」を意味する書名なのであり、またジジェクの『パララックス・ヴュー』とは「超越論的見方」を意味する書名なのだから(そして彼らが二十世紀後半から今世紀かけてカントの「超越論的」のまわりをめぐって考えている「代表的な」思想家の二人であるはずであるから)。

もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように生まれるわけですよ。哲学の理論体系はだいたいヘーゲルで完成されており、それと現実とのずれの中でヘーゲル的な円環を突き破るようにしてマルクスの意味での批判=批評というのが始まり、我々もその前提の上でやってきた。(浅田彰

上に「驚くべき寝言」としたが、《私はこう思うとのみ宣言して解釈さえ放棄する》のは、ツイッターなどのSNSだけではなく、ブログなども似たりよったりなのだろう。わたくしも気づかぬままに、似たような寝言を書いていないとは決して断言しがたい。

「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える単純な先行論」の一般化された形式を、「イデアリズムと呼ばれる伝統批評」にほかならぬと彼(デリダ)は断じている(……)。だが、「神学」的たることをまぬがれぬこの「伝統批評」の観念論――そこには、私はこう思うとのみ宣言して解釈さえ放棄する無邪気な「無神論者」も含まれようーーは、彼にとって文学の批評の名に値するものとはいいがたい。なぜなら、それは「神学」的な解釈手段を無自覚に文学に適用したものでしかなく、そこには批評など成立しようもないからである。(蓮實重彦「「本質」、「宿命」、「起源」」)

だが、なぜこのようなことが起ってしまうのか。

今人々は、『内部』の閉域での符牒のやったり取ったりだけでコミュニケーションの用は足りると信じ、言語というこの怪異な化け物への畏れをすっかり失ってしまっているようです。(松浦寿輝 古井由吉との対談『色と空のあわいで』2007)

本来は、いまのような複雑な世では、一つの考えや状態を人に伝えるのに、どうしてもワンセンテンスの呼吸が長くなるはずなんです。切れ切れの話でやったららちがあかない。もちろん、複雑な事態を複雑なまま、できるだけ正確に伝えるのは難しいが。まずは、一つ呼吸を長くする、というようなことでしょうか。(古井由吉さん 衰えゆく言葉を鍛えよ

「符牒」の時代であり、「呼吸の短さ」の時代、それはツイッターやブログに「スローガン」的短文を書いて事足れりとする病気の時代でもある。

……もろもろのオピニオン誌の凋落は、「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いているんだから、あんなもん読む気がしない」といういささか性急ではあるがその現実性を否定しがたい社会的な力学と無縁でない。そんな状況下で、人がなお他人のブログをあれこれ読んだりするのは、それが「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いている」という安心感を無責任に享受しうる数少ない媒体だからにほかならず、「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛とオピニオン誌の凋落とはまったく矛盾しない現象なのだ。〔蓮實重彦「時限装置と無限連鎖」)

…………

※附記:ドゥルーズの超越論的経験論の浅田彰解釈(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)。

ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、いちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。

その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。

つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されていたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになるわけです。

ただし、カント自身、晩年の『判断力批判』において、「美」の共通感官を論じたあと、「崇高」を論じたところで、それを超える方向を示している。その方向を徹底的に突き進めなければならない。

諸能力を、超越論的というより、超越的に使用すること、つまり、それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破り、やはりランボーが「あらゆる感覚の錯乱」と呼んだような非人称的な高次の経験へと突き抜けていかなければならない。そのような経験に定位するのが、高次の経験論、つまり超越論的経験論だということになるわけです。

そういう超越論的経験論の次元での超越論的領野は、さらに存在論の次元では「成立平面(プラン・ド・コンシスタンス)」あるいは「内在的平面(プラン・デイマナンス)」と呼ばれるんですね。ドゥンス・スコトゥスが「一義的な存在」を提示し、スピノザがそれを「神即自然」として肯定し、ニーチェがさらにそれを動態化して「永遠回帰」と呼んだ。

この動態化のキーになるのは、「回帰とは生成の存在である」という規定で、それが示すのは、アナーキックな生成が行き着くところまで行けば自ずと堅固さ=一貫性(コンシスタンス)を持つ―――カオスー彷徨(カオエランス)とひとつであるような一貫性(コエランス)を内在的に獲得するということです。

もはやそれを超越する外部の点をもたないこのような領野が、「成立平面(プラン・ド・コンシスタンス)」あるいは「内在的平面(プラン・デイマナンス)」と呼ばれるわけですね。

さらに、ベルグソン哲学との関連では、そのような領野は「潜在的<潜勢的>なもの(ヴィルチユエル)」の場として規定されます。そこでは、差異的=微分的differentielな諸関係とそれに対応する諸特異点から成る潜在的な多様体があって、それが分化differenciarionの過程を通じて顕在化<現働化>(アクチュアリゼ)されることで、現象が構成されることになるんですね。

このように呼び方はさまざまですが、ともあれ、カオス的な領野があって、そこでは私も世界も多数多様な粒子と流束の群れになっているというわけです。したがって、それは独我論の対極に見える。

しかし、すべてがひとつの「内在平面」の内にあって、私も複数、他者も複数なのだから、そこに他者性はない。その意味で、ドゥルーズの哲学は、過激な独我論―――自我さえ必要としないほど過激な独我論だと言ってもいいのではないかと思うんです。

『意味の論理学』(69年)の付録でクロソウスキーとトゥルニエを論じているところを比較してみると、それがよくわかるでしょう。クロソウスキー論で描かれているのはまさに多数多様性の世界であって、カントにおいてまだ保たれていた自我と世界と神の統一性が解体し、すべてが多数多様な変容へと解き放たれる―――小説に描かれたアレゴリーで言うと、一個の身体の中に複数の霊が入ったり出たりして、狂気のような永遠回帰のロンドを踊るということになるわけですね。

ところが、トゥルニエ論の方では、そのような世界は実は孤島のロビンソンに対して現れるのだと言っているんです。ロビンソンが一人で島に流れ着く。それは他者のない世界なんですね。ドゥルーズは、他者というのは「可能世界の表現」だと言う。私の知覚野は狭いけれども、他者は私に見えないものが見えているかもしれないし、私に感じられないものが感じられているかもしれないし、そもそも、そのような他者がいるからこそ知覚野が共同主観的構造として整然と秩序化されているのだ、と。しかし、それは現象のレヴェルの問題にすぎない。たしかに、そういう他者がいなくなると、最初、世界の秩序が崩壊して、ロビンソンは非常な苦しみを体験する。しかし、それを突き抜けていくと、ロビンソン自身も島全体がエレマン(諸元素)の群れとなって立ち上がり、コスミックなロンドを踊り始める。フライデーが出てきても、他者としてではなく、すでにエレマンテールなものとして出てくるにすぎない。それがトゥルニエの偉大な独我論的ファンタスムなのだ、というわけです。

それと併せて見れば、ドゥルーズは、ニーチェからクロソフスキーに至る多数多様性のヴィジョンを、むしろトゥルニエ的な独我論の相で見ていると言えるのではないか。

もしそう言えるとしたら。それを具体的な「外」と接合していくきっかけになったのが、交通の人としてのガタリとの遭遇だ、というのが、最初に言った仮説の後半なのですけどね。

―――浅田彰は、この引用の冒頭に、次の仮説を提出している。

ドゥルーズは、最も正統的な哲学史家であり、最も正統的な哲学者であって、まさにそのことによって哲学史や哲学を突き抜けた。ただし、それは、独我論者―――もはや自我も必要としないほど過激な独我論者としての突き抜け方だった。それに対し、ガタリは最も過激な交通の人として現れてくる。そして、極端な独我論者と極端な交通の人の遭遇から、『千のプラトー』を頂点とする奇跡的な果実が生み出される。しかし、ドゥルーズ自身は、それ以前も、その以後も、良くも悪くも非常に正統的な哲学者だった。

※附記:カオスとは?(同じく浅田彰の発言による)
丸山圭三郎派の幼稚なカオス概念、つまり言語的に分節化されない一様な混沌がカオスだと言うなら、もちろんそのようなカオスはドゥルーズにはない。むしろ、カオス―――少なくとも内在平面においてとられられたカオスは、それ自体、とことん差異化=微分化されていて、さまざまな特異点がひしめいている。そのようなものをカオスと呼ぶなら、それは潜在的多様体として存在する。




2014年4月17日木曜日

イマージュと美、あるいは感性の形式と悟性のカテゴリー

まず、『映像について何を語るか-ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-』(箭内 匡)より。www.tenri-u.ac.jp/icrs/dv457k0000006wgb-att/1-6.pdf

『シネマ』におけるドゥルーズの思索の出発点をどこに見出すことができるだろうか。それは、非常にゆるやかな意味では、現代の多くの重要な哲学書――ドゥルーズ自身の旧著『差異と反復』を含め――と同様に、『純粋理性批判』のカントの思索であるということができるだろう。これに関して興味深いのは、ドゥルーズが『シネマ』の執筆に取りかかる少し前の1978年に、パリ第八大学で行なった、カントについての講義である。なぜなら、後の『シネマ』でのドゥルーズの議論の基礎になっている「イメージ」と「時間」の二つの概念が、『純粋理性批判』の中でカントが創始し、現代の我々もまたその影響下にあるような、ある根本的な思考の変革の中心部分として、この講義で事実上提示されているからである。

註):《「事実上」と書いたのは、そこでは「イメージ」(image)というベルクソン的表現でなくて、カント自身の「現れるもの」(ce qui apparaît あるいは apparition)という表現が使われているからである。(……)「現れるもの」に相当するカントの原語はErscheinung であり、これは通常は phénomèneと仏訳される言葉だが、ドゥルーズはドイツ語のニュアンスを生かす形で ce qui apparaît あるいはapparitionという言葉を使っていると思われる。「現れるものの条件」については、「現れるものの意味(sens)」と言ってもよい、とも述べている。》

では、ドゥルーズにとっての、カントによる根本的な思考の変革とは、具体的には何だろうか。それは、『シネマ』の全体に関わる点からいえば、次の三点になるだろう。第一にカントが、プラトン以来の「本質」(essence)と「仮象」(apparence)の対立と訣別し(つまりこの世界の背後に、この世界を根拠付けるような「真の世界」を前提することを廃止して)、ただ「現れるもの」(ce qui apparaît)のみを、その「現れるものの条件」(conditions de ce qui apparaît)ととともに思考したこと。第二に、この「現れるものの条件」の根底にあるものとして、新しい、真に近代的な「時間」の概念――いかなる宇宙的リズムをも前提としない、つまり、いかなる「動き(運動)」の蝶番からも解放された、純粋な「時間」――を導入したこと。第三に、この純粋な「時間」の概念を、同時にいかなる心理的リズムにも依拠しないものとして考えることを通じ、「私の存在」が「私は他者である」(“Je est un autre”)というパラドックスを内包する形でのみ綜合されうること、そして、この綜合作用の根底に「自己の自己による変様」としての「時間」があること、を見出したことである。

――という文を冒頭に掲げたのは、現代思潮社の「鈴木創士の部屋」の次の文を読んだ(読み返した)からだ(わたくしは鈴木創士氏のスタイルのすこぶるファンであって、このウェブ上のエッセイを一年毎くらいにまとめてPDFにして読み返す)。

カント的問題には、生々しいものであれ、古代ギリシアの唯物論風であれ、形而上学的であれ、はたまた神学的であれ、「イマージュ」についての考察がすっぽり抜け落ちているように思われる。そんなものは問題にすらならない。カントは物を見ていたのだろうか。「物自体」はイマージュとの光の照応を断っていたのだろうか。ともあれわれわれは何かを見ている最中なのだから、いくら「美」の哲学というものが複雑な代物であっても、美学が「感覚の論理」であるならば、ある曲線を、ある直線を、ある水の流れを、ある風景を、ある瞳を、ある動物を、稀にはある人の心の様を、ある横顔を、ある瞬間を、ある花や樹を、ある音楽を、ある静寂を、ある肢体を、ある朝と夜を、美しいと思うのは、まずはとても単純で揺るぎないことのように思えるのだけれど …。この点では私はいつも実在論と唯名論の中間を漂い続けざるを得ないということになる …。(鈴木創士「悪魔……」

さてどのように上のふたつの文の齟齬を処理したらよいのだろうか。カントやドゥルーズをまともに読んでいるわけではないわたくしは、それでも「物自体」と「イマージュ」について、たとえば次のような文を引用することぐらいはできる。

物自体に何ら神秘的な意味合いはない。カントは次のように警告している。

《一般に観念論の主張することろではこうである―――思考する存在者のほかには、いかなるものも存在しない、我々が直観において知覚すると信じている他の一切の物は、この思考する存在者のうちにある表象にすぎない、そしてこれらの表象には、思考する存在者の外にあるいかなる対象も実際に対応するものではない、というのである。

これに反して、私はこう主張する。―――物は、我々の外にある対象であると同時に、また我々の感官の対象として我々に与えられている。しかし物自体が何であるかということについては、我々は何も知らない、われわれはただ物自体の現れであるところの現象がいかなるものであるかを知るにすぎない、換言すれば、物が我々の感官を触発して我々のうちに生ぜしめる表象が何であるかを知るだけである。それだから、私とて、我々の外に物体のあることを承認する》(『プロレゴメナ』篠田英雄訳、岩波文庫)。

つまり、カントは世界も他我もわれわれが作ったものでなく、われわれに関係なく存在し生成していることを認めている。言い換えれば、われわれが「世界内存在」であることを。彼が物自体をいうのは、主観の受動性を強調するためである。(柄谷行人 『トランスクリティーク――カントとマルクス――』(岩波書店)第一部注P467)

あるいは、ドゥルーズのイマージュをめぐれば、前田秀樹【「悟性と感性の「性質の差異」について』(「批評空間」1996)より。


【伝統的な哲学】
哲学にとって、光は精神の側にあるもので、意識と呼ばれるものは、さまざまな事物をそれらが本来住んでいる暗闇から引き出してくる光の束である。意識という内面の光が。外側の暗闇に潜んでいる事物を照らし出す。

ドゥルーズによれば、現象学でさえこうした考えに哲学的伝統には忠実だったのであり、ただ現象学はかつて内面性の光とされていたものを、まるで電灯の光線のようにすべて外側に向けて開いていったに過ぎない。

【ベルクソンの哲学】

これに対して、ベルクソンは、事物というのはどんな光によって照らされているわけでもない、すでにそれ自体が光なのである、と。では意識とは何かというと、この光を屈折させ、停止させ、遮断するもの、言わば光にとっての障害物にほかならない。事物のイマージュは、意識の光によって照らし出されて浮かび上がるのではなく、意識をとおした光の屈折や遮断によって、つまり光の部分的な否定によって視えるものとなる。


さて素朴な疑問に戻って鈴木創士氏のいう、ある横顔を、ある肢体を、美しいと思うのは、単純で揺るぎないことなのだろうか。わたくしの誤読でなければ、ここでは何かが忘れられている。《われわれがかつて女だと見るのを拒んだあのルノワールの女たち》、すなわち醜いと思った女が、美しく見えるようになった経験を、われわれはして来ている。たとえば黒人女が美しくなったのは、二十世紀中葉の写真家や映像作家のせいではなかったか。

こんにちならよい趣味の人たりはわれわれに向ってこういう、――ルノワールは十八世紀の大画家である、と。しかし、そういうことを口にするとき、彼らは忘れているのだ、時を。すなわちルノワールが大芸術家としての待遇を受けるには十九世紀のただなかにあってさえ多くの時を必要としたことを。そのようにして世に認められることに成功するには、独創的な画家にしても、独創的な芸術家にしても、いずれも眼科医のような方法をとる。そんな画家とか芸術家とかが、絵や散文の形でおこなう処置は、かならずしも快いものではない。処置がおわり、眼帯をとった医師はわれわれにいう、ーーさあ、見てごらん。するとたちまち世界は(世界は一度にかぎり創造されたわけではない、独創的な芸術家が出現した回数とおなじだけ創造されたのだ)、われわれの目に、古い世界とはまるでちがって見える、しかも完全にはっきり見える。女たちが街のなかを通る、以前の女たちとはちがう、つまりそれはルノワールの女たちというわけだ。われわれがかつて女だと見るのを拒んだあのルノワールの女たちというわけなのだ。馬車もまたルノワールである、そして水も、そして空も。はじめて見た日どうしても森とは思えず、たとえば無数の色あいをもっているがまさしく森に固有の色あいに欠けているタペストリーのようだった、そんな森に似た森のなかを、われわれは散歩したくなってくる。そのようなものが、創造されたばかりの、新しい、そしてやがて滅びるべき宇宙なのである。その宇宙は、さらに独創的な新しい画家や作家がひきおこすであろうつぎの地質的大変動のときまでつづくだろう。(プルースト「ゲルマントのほう Ⅱ」井上究一郎訳) 

《美学が「感覚の論理」であるならば、ある曲線を、ある直線を、ある水の流れを、ある風景を、ある瞳を、ある動物を、稀にはある人の心の様を、ある横顔を、ある瞬間を、ある花や樹を、ある音楽を、ある静寂を、ある肢体を、ある朝と夜を、美しいと思うのは、まずはとても単純で揺るぎないことのように思えるのだけれど …。》――だが、それらが美しいのは、とても単純で揺るぎないことではない。

たとえば、アルプスが障害物でなく、「美しい」自然となったのは、ルソーの「文学」によるとする比較的若い時期の柄谷行人がいる。

『告白録』のなかで、ルソーは、1728年アルプスにおける自然との合一の体験を書いている。それまでアルプスはたんに邪魔な障害物でしかなかったのに、人々はルソーがみたものをみるためにスイスに殺到しはじめた。(柄谷行人「風景の発見」『日本近代文学の起源』)

次に「準備と注解/岡崎乾二郎」より、アルブレヒト・デューラーの《一人の人間から美しい像を写し取ることは不可能である。美しい人間というものは地上に生きていないから。人はつねにもっと美しくありうるから。また、人間の最美の形態がいかなるものかを語ったり示したりすることのできる人も地上には生きていない。神以外には美を判断することは誰にもできない。それについて人は異なる意見をもちうる。》という文の引用で始まる凝縮されたエッセイから、カントを孫引こう。

経験的条件のもとでは、形態の美に関して黒人と白人とはそれぞれ異なる標準的理念をもつに違いないし、またシナ人はヨーロッパ人と異なる標準的理念をもつに違いない。そして美しい馬や美しい犬(それぞれ異なる種属の)の模範についても、事情はまったくこれと同様であろう。美のかかる標準的理念は、経験から得られて一定の規則と見なされるような比例に基づくものではない、むしろこの理念に従って初めて判定の規則が可能になるのである。この標準的理念が則ち個体に関する直観─換言すれば、さまざまに異なる一切の個別的直観の遥曳するところの形象であり、これに対応するものは『類』の全体である。自然はかかる形像を、同一の『類に属する自然的所産の原型とした、しかし個々のものについては、この原型の完全な実現は見られないようである。要するに標準的理念は、人間という『類』における美の完全な原型そのものではなくて、およそ美の成立に欠くことのできない条件を成すところの形式であり、従ってまたこの『類』の表現における適正を示すにすぎない。この理念はポリュクレイトスの有名な『ドリュフォロス』が規則(カノン)と呼ばれたのと同じ意味において規則なのである。またそれだからこそ標準的理念は、個別的─性格的なものをいっさい含んではならないのである。もしそうだとしたらこの理念は『類』に対する標準的理念ではなくなるだろう。標準的理念は、美によって我々に快いのではなくて、人間という『類』に属するものが美であり得るための唯一の条件に矛盾していないからこそ、快いのである。要するにかかる表現は正格というだけのことである。(カント『判断力批判』篠田英雄訳)

つまるところ、時代の、文化の「美しさ」という標準的理念から与えられる規則(カノン)があって、対象は「美しい」のであり、「美」は対象の性質ではないと主張している。

カントの『純粋理性批判』にはこうある。

感性的直観能力は本来、受容性にほかならない、 ――換言すれば、表象によって或る仕方で触発せられる能力である。そしてこれらの表象の間の相互関係が即ち空間および時間という純粋直観(我々の感性の純粋形式)なのである。

またこれらの表象は、それがかかる関係(空間および時間の)において経験統一の法則に従って結合せられ規定せられる限りでは、 “対象” と名づけられる。かかる表象を生ぜしめる非感性的原因は、我々にはまったく知られていない、従って我々はこの非感性的原因を対象として直観することはできない。

このような対象(自体)は、(感性的表象の単なる条件としての)空間においてもまた時間においても表象せれれ得ないだろう、しかし我々はかかる感性的条件なしには、直観というものをまったく考えることができないのである。

それにも拘わらず我々は、現象一般の仮想的原因を先験的対象と名づけて差し支えない。しかしそれは我々がかかる対象によって、受容性としての感性に対応する何か或るものをもつためにすぎない。

我々は、我々の可能的知覚の範囲と連関とをすべてこの先験的対象に帰し、かかる先験的対象は一切の経験に先きだってその自体与えられている、と言って差し支えない。

ところがこの先験的対象に対応するところの現象は、それ自体与えられるのではなくて、経験においてのみ与えられるのである。  (『純粋理性批判』中、篠田英雄訳 岩波文庫)

柄谷行人の『トランスクリティーク」は、このカントの「感性の形式」(あるいは「悟性のカテゴリー」)をめぐっての議論に、そのかなりの箇所がさかれているといってよい。

カントは、経験論者が出発する感覚データはすでに感性の形式によって構成されたものであると述べた。(柄谷行人『トランスクリティーク』P312)
彼(カント)が感性の形式や悟性のカテゴリーによって現象が構成されるといったのは、言語によって構成されるというのと同じことである。実際、それらは新カント派のカッシラーによって「象徴形式」といいかえられている。P101
マルクスの唯物論は、観念論的と経験論の「視差」においてしかない、そして、この「視差」を失えば、唯物論はもう一つの「光学的欺瞞」(カント)に陥らざるを得ない。

日常生活では、どんな店屋の主人でもごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるかということとを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思いえがいた言葉どおりに信じこんでいるのである。(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)

マルクスの批判は、考えていること(悟性)と現にあること(感性)のギャップの意識においてのみあらわれる。P215-216

「感性の形式」や「悟性のカテゴリー」、あるいは先例と慣例」によるまなざしの汚染をめぐっては、蓮實重彦のいささか衒学的な表現、《解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線》も、上のカントの変奏であるといってよい。もっとも蓮實重彦はパラダイムやエピステーメをめぐる文脈で書いているのだが、そもそもパラダイムとはその時代・文化の感性の形式や悟性のカテゴリーによるものだろう。ここでT.S.クーンのパラダイム概念を想起するなら、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。つまり、経験的なデータが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわり認識論的パラダイムで見 出される、としている。

……だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収)

これらだけではない。われわれは昨日美しかったものが、今日は美しくないという経験をしているはずだ。

諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか? ――自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安が諸君を苦しめたことはないか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちは敏感に見ることさえやはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 自分たちが見ることの背後に昨日は他人よりも一層多くを見ようとしたり、今日は他人とは違ったように見ようとしたり、あるいは諸君がはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと渇望していることに、気づくとすれば! おお、恥辱に値する欲望! 諸君はまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば! 真理とは、諸君が、ほかならぬ諸君がそれを受け入れるような性質のものでなければならないという、完全で秘密な宿命がいつもある! あるいは諸君は、諸君が冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのか? 熱と熱狂とが、思考の産物に正しさを調えてやるのに必要ではないか? ――そしてこれこそ見るということである! あたかも諸君は、人間との交際とは異なった交際を、一般に思考の産物とすることができるかのようである! この交際の中には、等しい道徳や、等しい尊敬や、等しい底意や、等しい弛緩や、等しい恐怖感やーー諸君の愛すべき自我と憎むべき自我との全体がある! 諸君の肉体的な疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。諸君の病熱は、それらを怪物にする! 諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか? 諸君はあらゆる認識の洞窟の中で、諸君自身の幽霊を、諸君に対して真理が変装した蜘蛛の巣として再発見することをおそれてはいないか? 諸君がそのように無思慮に共演したいと思うのは、恐ろしい喜劇ではないのか? ――(ニーチェ 『曙光』539番)

ーーと引用してきたが、感性の形式、悟性のカテゴリー、あるいは物自体について、たいしたことが分かっているわけではないので誤解があるのかもしれない。カントのそれらをめぐっては、覗きたい人は「純粋理性批判の研究 第四章 カテゴリー」などたぐいのまとめがウェブ上にもいくらでもある。

いちばん厄介なのは「物自体」概念であり、当然のことだが、上に引用された文を額面通りに受け取る必要はないのであって、たとえば柄谷行人は次のように書く、《フロイトの超越論的心理学の意味を回復しようとしたラカンが想定した構造は、よりカント的である。仮象(想像的なもの)、形式(象徴的なもの)、物自体(リアルなもの)》(『トランスクリティーク』)。あるいは、

カントは、主観の形式によって構成されるものを「現象」と呼び、たえず主観を触発しつつありながら、主観によってはとらえられないものを「物自体」と呼んでいる。さらにつけ加えるべきなのは、「仮象」である。ここで注意すべきなのは、「現象」と「物自体」は、ドクサ(仮象)とエピステメー(真の認識)という旧来の区別とは異なるということである。たとえば、科学的認識がとらえるのは「現象」である。それは物自体ではないとしても仮象ではない。つまり、大事なのは、「現象」と「仮象」が区別されなければならないということである。カント以前の哲学者は、仮象が感覚にもとづくがゆえに生じる、ゆえに、感覚を越えた理性による認識が真であると考えてきた。カントが画期的なのは、仮象をもたらすのは感覚だけではない、ある種の仮象が理性そのものによって生み出されると考えたところにある。彼の仕事は、そのような理性を批判(吟味)することであった。しかし、それは、人がそのような仮象を容易に取り除けるということを意味するのではない。むしろ、その逆である。たとえば、自分(自己同一性)という考えは仮象である。とはいえ、もし自分というものがないとしたら、人は恐るべき心理状態に陥るだろう。カントはそのような仮象を超越論的仮象と呼んだ。

このように、物自体、現象、仮象という三つの概念は、一組の構造をなしている。つまり、そのどれかを捨てても根本的に意味が失われるのである。もちろん、われわれもこの古くさい「物自体」という言葉を廃棄してもよい。が、これらの構造だけは手放すわけにはいかない。たとえば、精神分析において、ラカンが定立した、「現実的なもの」・「象徴的なもの」・「想像的なもの」という区別は、明瞭にカント的である。このように、物自体、現象、仮象という三つの 概念が別の言葉でも言い換えられるということは、それらが超越論的に見出される一つの「構造」であること、カントの言葉でいえば、アーキテクトニック(建築術)であることを意味する。カント自身が、それを隠喩として語った。(柄谷行人「英語版への序文」、『隠喩としての建築』所収)

だが、ジジェクは物自体はラカンの現実界ではない、としている。

……ラカンのいう<現実界>は、永遠に象徴化を擦り抜ける固定した超歴史的な「核心」という見かけよりも、ずっと複雑なカテゴリーだということである。それはドイツ観念論者イマヌエル・カントが「物自体」と呼んだもの、すなわちわれわれの知覚によって歪曲される前の、われわれから独立した、そこにあるがままの現実とはいっさい無関係である。

《……この概念はまったくカント的ではない。私はこのことをあえて強調したい。もし<現実界>という概念があるとしたら、それは極端に複雑で、それゆえ理解不能である、そこから<すべて>を引き出すようなふうには理解できないのである。》(Lacan”Le Triomphe de La Religion)(ジジェク『ラカンはこう読め』P115-116)

ーーという具合だ。ジジェクはこの『ラカンはこう読め』の出版前に、柄谷行人の『トランスクリティーク』に絶賛に近い書評をしているが、上の文は「物自体≒現実界」とする柄谷行人解釈には瞭然と異議をとなえていると読んでもよいだろう。

…………

上にプルーストを引用したが、あのたぐいの文はいくらでもある。たとえば、《われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念なのである。》(プルーストーー「知った人に会う」という知的行為

いまは、食事のテーブルがかたづけられるあいだも、私はゆっくり居残って、小さな一団の少女たちが通りかかりそうな時刻ではない場合も、海ばかりながめているということはもうなかった。私は手近なさまざまなものをながめたのであり、エルスチールの水彩画のなかにそれらを見てからは、それらを現実のなかに再発見しようとつとめるのであった。

たとえばまだはすかいに置かれているナイフの類のその中断されたままの身ぶり、太陽の光線が黄色いビロードの一片をさしこんでいる使ったあとのナプキンのふっくらしたまるみ、朝顔型に口がひらいた高貴なカットをいっそう目立たせている飲みのこされたワイングラス、日ざしの凝固にも似た透明なそのクリスタルの底の、くすんだ、しかも光にきらめいているぶどう酒の残り、注がれた量の位置のずれ、光線の照明による液体の変質、すでになかば果物の山がくずれたコンポートのなかの、みどりから青へ、青から金色へと移るプラムの色彩の変化、食道楽の祭典が催される祭壇のようなテーブルの上の、敷きつめられたテーブルクロスのまわりに、日に二度ずつやってきては場所につく古ぼけた椅子たち、そしてそのテーブルの上の、牡蠣の殻の底に残っているみず、石の小さな聖水盤のなかに見られるような光った数滴の水、そうしたものを、何か詩的なもののように、私は愛するのであって、そんなところに美があろうとはいままで想像しなかった場所に、もっとも日用に使いなれた事物のなかに、「静物」の奥深い生命のなかに、私は美を見出そうと試みるのであった。(「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ 」井上究一郎訳)



2014年3月22日土曜日

「涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!」(ジジェク)

今日では、形而上学にあらゆる軽蔑をあらかさまに示すことが、時代の好尚となってしまった。(……しかし)実際、人間の自然的本性にとって無関心でいられないような対象に関する研究に、どれほど無関心を装ったろころで無益である。自分は形而上学に対して無関心であると称する人達が、いくら学問的な用語を通俗的な調子に改めて、自分の正体をくらまそうとしたところで、とにかく何ごとかを考えるかぎり、彼等がいたく軽蔑しているところの形而上学的見解に、どうしても立ち戻らざるをえないのである。(カント『純粋理性批判』)

こう引用したからといって、たいして知っているわけでもない「形而上学的見解」に立ち戻るふりをするつもりはない。だがツイッターなどのインターネット上の書き込みを眺めていると、いまさら素朴に驚くなどとカマトトぶるつもりはないにしろ、いろんな種類のひとの呟き・見解に遭遇して感慨を新たにするということがあるわけで、フロイトやジジェクをいくらか齧り、ラカンを掠った程度のわたくしでも、なんらかの感想を書きたくなることがある。だがそれを「精神分析的見解」などとは安易にいうまい。とはいえ以下に書かれるものは、いささか「心理学的見解」の気味があるには相違ない。

…………

たとえば「貧困」や「差別」に対する姿勢である。「まったく無関心」、「嘆かわしい事態として憂慮する」、あるいは「本気で同情して声を荒立てる」という三種類のタイプがまずは目につくだろう。

……たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。たとえば完全な無視。あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。(ジジェク『斜めから見る』p260)


ジジェクの指摘する四つ目のタイプはひとまず置くことにして、一見真摯な態度、「本気で同情して声を荒立てる」タイプに似たような態度を諌める発言として、すこしまえに次のような「正義欲」をめぐる簡潔なツイートにめぐりあった。


@smasuda: 「正義欲」というものがある。無関係の他人の振舞いをみて「こんな不正をしてけしからん」「こんな下劣なことをしてけしからん」と正義の怒りに身を任せる快楽に浸りたい欲望である。人々の正義欲を刺戟するビジネスを「下劣でけしからん」と思うのならば正義欲の発露はほどほどにしとくのが吉

このツイートが《軽薄な幻想の支配を告発する身振りに自足しうる軽薄さ》(蓮實重彦『物語批判序説』)でしかないかどうかは判断を保留しよう。だがインテリとは誰もがこのような一見「気の利いた」発話をしてみたくなるものだ。ときに似非インテリ・にわか知識人として振舞いたくなるわたくしももちろん例外ではない。


もっとも、繰り返すが、「正義欲」なるものは、ときに、己れ加害性を忘れるために、あるいは隠蔽するために、発露されることはあるという意味で、上のツイートの内容自体を批判するつもりは毛頭ない。


……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)

あるいはフロイトやジジェクなら、次のように指摘する。


社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

…………

ここでジジェクが最近の大著『LESS THAN NOTHING』で、フロイト、あるいはラカンの「政治的」態度をもふくめて批判=吟味している文を原文のまま挿入するが、これは読み飛ばしてもらっていい。

We should reject here the common‐sense view according to which, by dispelling all mystifications and illusions, psychoanalysis makes us aware of what we truly are, what we really want, and thus leaves us at the threshold of a truly free decision no longer dependent on self‐delusion. Lacan himself seems to endorse this view when he claims that “if, perhaps, the analysis makes us ready for the moral action, it ultimately leaves us at its door”: “the ethical limits of the analysis coincide with the limits of its praxis. This praxis is only a prelude to a moral action as such.”2 However, does not Lacan outline here a kind of political suspension of the ethical? Once we become aware of the radical contingency of our acts, the moral act in its opposition to the political becomes impossible, since every act involves a decision grounded only in itself, a decision which is, as such and in the most elementary sense, political. Freud himself is here too hasty: he opposes artificial crowds (the church, the army) and “regressive” primary crowds, like a wild mob engaged in passionate collective violence (lynching, pogroms). Furthermore, from his liberal perspective, the reactionary lynch mob and the leftist revolutionary crowd are treated as libidinally identical, involving the same unleashing of the destructive or unbinding death drive.3 It appears as though, for Freud, the “regressive” primary crowd, exemplarily operative in the destructive violence of a mob, is the zero‐level of the unbinding of a social link, the social “death drive” at its purest.
註3:Freud's voting preferences (in a letter, he reported that, as a rule, he did not vote—the exception occurred only when there was a liberal candidate in his district) are thus not just a private matter, they are grounded in his theory. The limits of Freudian liberal neutrality became clear in 1934, when Dolfuss took over in Austria, imposing a corporate state, and armed conflicts exploded in Vienna suburbs (especially around Karl Marx Hof, a big workers housing project which was the pride of Social Democracy). The scene was not without its surreal aspects: in central Vienna, life in the famous cafés went on as normal (with Dolfuss presenting himself as defender of this normality), while a mile or so away, soldiers were bombarding workers' blocks. In this situation, the psychoanalytic association issued a directive prohibiting its members from taking sides in the conflict—effectively siding with Dolfuss and making its own small contribution to the Nazi takeover four years later.

よく組織された集団(教会と軍隊)と退行的な原初集団という語彙が出てくることから分かるように、その言及がないにもかかわらず、フロイトの『集団心理学と自我の分析』(ヒットラーが理論書として参考にしたとも言われる)の批判(吟味)としてある。そして註には、ドルフースの名が出てくることから分かるように、フロイトたちの集団の政治的無力が書かれている。いやナチスによる占領に加担してしまった集団として。

ここでは、以下の蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』における次の文の「芸術家」の語に「知識人」、あるいは「学者」を代入して読んでみるだけにする。

芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。p315
自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが、… p461
混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択 p582

…………


さて挿入前に戻れば、正義欲など己れの怨恨の隠蔽さ!、などと安易に言い放ってしまうと、たとえばヘイトスピーチに対する怒りの表出を抑圧することにもなる。あるいは政治行動に参加しない言い訳にもなりうる。たとえば以前に、《主観的には「差別に反対する」意図を持った人たちが、これほど露骨に差別の温床になり、あるいは差別の増幅装置にすらなっていることが、あまりに放置されています》などというツイートを拾ったことがあるが、その見解に頷くにもかかわらず、これも抑圧系の呟きとして機能するだろう。

他方、作家・思想家の佐々木中氏にはこんなツイートがある。


@AtaruSasaki: 知人のプログラマによると、もうギークたちはFacebookにもTwitterにもいない、Github Gistで日記書くのもやめてリアルで会ってる。が、TwitterにはまだRSSリーダの代替としての、そして市民運動の連絡ツールとしての役割が残ってる。

@AtaruSasaki: おっと、もうひとつ役割がありました。それは「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」としての機能です。どっちもどっち論者、そこまでやらなくても論者、内容はいいがやってる人間が気に食わない論者。内心にあるのは既得権益を失いたくないという自己保身。東電か。

@AtaruSasaki: 繰り返しますが、人種差別などの歴とした不正が目前で行われているのに、客観中立を装ったり党派的に日和見をしたりするのは、そのような不正に積極的に加担していることになります。その理由が狭い業界での保身ともなれば、思っているより遙かにあなたはあなたの敵だと思っていたものに酷似している。

@AtaruSasaki: 自分の信念を貫くこと、しかしこの社会で生き延びること。この二つをなんとか両立するために、ネゴシエーションというものがある。ギリギリの交渉はストレスフルで疲れます。が、いつも逃げ回っていれば、信念や既得権どころか、正義も生命もすべて失うことになる。

ネット上の「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」にて、佐々木中氏をマッチョ系だと嘲弄するような発言を垣間見たことがあるが、彼の態度は、やはりいまあるべき「模範的」な態度のひとつである、とわたくしは思う。


仮に反差別運動が差別の温床になろうが、己れの加害性の隠蔽になろうが、あるいはまたときによっては速断による誤解や勇み足のはしたなさを晒そうが、場合によっては売名行為などの「偽善」であろうが、それらの批判(自己吟味)を頭の片隅にとどめながら即座に「行動」を起さねばならない対象というものがある。


@AtaruSasaki: 知人が作家ゴイティソーロから直接聞いたユーゴ内戦の話。脱出して来た旧ユーゴの作家や学者達が慟哭し悔いていたこと。「排外主義を唱える連中はみな愚かで幼稚に見えた。何もできまい、放っておけ、三流の媒体でわめかせておけと思った。それが、このざまだ。真正面から戦わなかった我々の責任だ…」

たとえば、われわれは二一世紀に入ってから、仏国のルペン父娘の率いる反EU、移民反対などを唱える極右政党国民戦線の躍進、ーーいつのまにか若者を中心に瞠目せざるをえない支持を集めてしまっているのを知っている。あるいはドイツ? いまだいくらかはナチスの記憶のトラウマが抑制効果の名残りをとどめているのだろうが、それも予断を許さない。

…………

さてここで冒頭近くのジジェクの発言に戻れば、その第四番目の差別、排外主義に対する態度、「われわれはみんなユダヤ人である」、「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」というのは、次の浅田彰の発言、「自分も別の次元ではマイノリティーだ」に想到しないでもないが、それは近似した態度と言えるのだろうか。


 浅田 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

 そこで、「優等生」は、ネットを使って声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。それはそれでいい。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」でしょう。「切断」の思想は、そうやって対話から逃げる自由を重視する「不良」のすすめだと思います。

 千葉 そうですね。「不良」というのは、社会の多様性の別名ですから。対話を工夫することは必要だとしても、そもそも必要なのは、誰だって様々な面で「不良」でありうる、マイノリティーでありうるという自覚を活性化することである、と。「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう。多様な「不良」を擁護する、それが「切断」の哲学ですね。(「つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん」)

発言内容はジジェクと類似しているに相違ない。だがその態度が似ているにしろ、--たとえば、われわれはみな被差別者である!としてみようーー、ジジェクと浅田彰のその態度を受けての政治的な言動はまったく相反するようにみえる。

二十一世紀初頭に書かれた浅田彰によるジジェク吟味の文がある。

ローティに代表されるポストモダン相対主義が政治固有の次元を部分的社会工学へと解消してしまっているという批判は正しい。また、ラカン=アルチュセール主義過激派(観念論との闘争において唯物論の立場に立つことが哲学の任務である)に抵抗して、より重層的な判断の必要性を説いていたデリダ(第一のフェーズでは観念論と唯物論の優劣を逆転する必要があるが、第二のフェーズでは観念論と唯物論の対立の基盤そのものを脱構築する必要がある)も、今となってみれば、実際面ではとりあえず社会民主主義的な漸進的改良を支持する一方、理論面ではアポリアに直面しての不可能な決断といったものを神秘化するばかりという両極分解の様相を呈し、政治固有の次元を取り逃がしていると言えるかもしれない。そのような相対主義や(事実上の)オブスキュランティズムに対し、悪役の責めを負うことを覚悟してあえてドグマティックな現実への介入を行なわなければならないというジジェクの立場は、分かりすぎるほどよく分かる。しかし、それが60年代のヨーロッパのマオイズムと同じ極端な主観主義のネガなのではないか、あるいは、現在支配的なポストモダン相対主義のネガなのではないかという疑いを、われわれはどうしても払拭することができないのである。(パウロ=レーニン的ドグマティズムの復活?

この文は、この記事の表題に掲げられた《涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!》の吟味としてもある。ジジェク批判として今も十分に生きているだろう。ではどうしたらいいのか、というのは宙吊りのままにしろ。

ところで浅田彰はかつて次のように発言している。

資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主資義的モラリズムで彌縫する機能しか果たしていない。上からの計画というのは、つまり構成的理念というのは、もうありえないので、私的所有と自由競争にもとづいた市場に任すほかない。しかし、弱肉強食であまりむちゃくちゃになっても困るから、例えば社会民主主義で「セイフティ・ネット」を整えておかないといかない。(浅田彰 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」2000.11.27)

すなわち、資本主義的な現実を根底から批判する、そのシステムの暴力を、というのが浅田彰の姿勢なのだろう。浅田氏は、たとえばベーシックインカム導入に比較的積極的な態度をとっているには違いない。これは田中康夫の発言だが、《前から言ってるけど、人口構造も逆ピラミッド状態で、制度をいくらいじったって、年金制度が維持できる訳もない今、ベーシック・インカムのようなドラスティックな方法を取る必要があると改めて痛感するね》に対して、ほぼ同調する態度であるように思える(「憂国呆談」)。だがその新しいシステムの導入に積極的に加担する様子は、わたくしの知るうるかぎり、あまり見えてこない。


※いくつかのベーシック・インカムの議論を垣間見たなかでは、なんと「財務省」内での議論、《「ベーシック・インカムと財源の選択‐Atkinson教授の考察を中心に‐」2010年11月12日(金)》 、ーーそこには財源として「シニョリッジ」(貨幣の発行者が貨幣の発行によって手に入れる利益)を利用することが検討されており、参加者の淺川副財務官からは異議は呈されているのだがーーこれは今までの経済学の「通念」を越えた提案なのだろう。いずれにせよ、わたくしのようなシロウトには判断しがたいにしろ、財務省でも打開策のひとつとしてBI制度が検討されていることが窺われる。シニョリッジを財源にするという考え方は、早稲田大学の若い経済学者井上智洋氏の「過激な」--すなわち思いがけないーー提案にもつながるが、以前ネット上にあったいささか難解な論文「貨幣レジームとベーシックインカムの持続可能性」は消えてなくなっているようだ。


ベーシックインカム制度の是非は別にして、田中康夫の認識、少子超高齢化社会が極まりつつある今、社会保障制度は維持できるはずはない、という議論は、大和総研の「超高齢日本の 30 年展望 持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任」(理事長 武藤敏郎 監修 調査本部)に詳しい。
高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

※ジジェクのベーシックインカムに対する態度は次の通り。
……popularised in Europe and latin America, of basic income. I like it as an idea but I think it's too much of an ideological utopia. For structural reasons, it can't work. It's the last desperate attempt to make capitalism work for socialist ends. The guy who developed it, Robert Van Parijs, openly says that this is the only way to legitimise capitalism. Apart from these two, I don't see anything else.(Interview with Slavoj Zizek




他方、千葉雅也氏との対談における《「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行く》という態度は、佐々木中氏の立場からみたら、<この今>の「行動拒否」「逃げ」の態度として腹立たしいということはありうるだろうと推測する。

大江健三郎はその親友伊丹十三を主要登場人物「吾良」のモデルにした『取り替え子』で、吾良がヤクザに襲われた事件に直面して、インテリや学生は、《これを社会と文化への脅威としてデモで抗議する元気を持っていないと思う》と書いている。

おそらく佐々木中氏のツイッター上での挑発的発話は、若い人たちのひとりでも多くが「怒り」の表出としての行動をすることを刺激しようとする試みであろうと憶測する。そしてその「マッチョ性」に顔を顰めてみせる連中、すなわち「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」の機能の場としてもSNSはある、という指摘は正しい。だが不思議なのは、反ヘイトスピーチに積極的な言動を顕示している種族のなかにも、党派性のためなのか、彼に顔を顰めてみせる手合いがいることだが、そのツイートをここで晒してみせることは当面遠慮しておこう。わたくしが僅かな情報にて、佐々木中氏の姿勢を過分に肯定的評価している可能性もあるのだから。

吾良が、関西の暴力団からテロの使命をあたえられて上京したヤクザに刺された時、(……)古義人はシカゴ大学二百年祭の行事に、アジア関係の学部から招かれていた。

(映画研究会の)学生たちは、……東京で映画関係者や学生たちの抗議デモが計画されていると思うが、その日程と時間を確かめてもらえば、自分らも十四時間の時差を見込んで、シカゴで呼応する学内集会を組織する、今日のうちに計画を発表したい、といった。

古義人は、あくまでそれがいま東京から離れた場所にいる自分の憶測で、むしろ誤っていることを望むのだが、と断った上で次のように答えたのだ。

――吾良よりいくらか年長の世代から、同年代の監督たちが、いま日本の映画界の中心だが、かれらはこれを日本映画界へのテロとは見なさないだろう。かれらはこれが吾良個人の災難だとだけ考えるだろう。つまり映画人のデモはありえないし、いま、日本の学生たちは、これを社会と文化への脅威としてデモで抗議する元気を持っていないと思う。(大江健三郎『取り替え子』)

ところで、浅田彰は、NAM運動をめぐるシンポジウム(2000.11.27)で「政治化する以上だれかを傷つける」と語っている。

すべての「他者」に対して優しくありたいと願い、「他者」を傷つけることを恐れて何もできなくなるという、最近よくあるポリティカル・コレクトな態度(……)そのように脱―政治化されたモラルを、柄谷さんはもう一度政治化しようとしている。政治化する以上、どうせ悪いこともやるわけだから、だれかを傷つけるし、自分も傷つく。それでもしょうがないからやるしかないというのが、柄谷さんのいう倫理=政治だと思う。(『NAM生成』所収 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」における浅田彰発言)

浅田彰はこの柄谷行人の倫理=政治を十分に引き受けなかっただろうし、実際、NAM運動は無残な結果に終わった。東浩紀氏との最近の対談では、《柄谷さんはナイーブに行き過ぎたと思う》などという発言もあるようだ。

そもそも、ひとは「政治化」すれば小ファシストであることを免れるのは、とても困難なのだ。それが佐々木中氏が「冷笑者」たちからマッチョと批判されることにもなる理由のひとつだろう。

あらゆる言葉のパフォーマンスとしての言語は、反動的でもなければ、進歩主義的でもない。それはたんにファシストなのだ。なぜなら、ファシズムとは、なにかを言うことを妨げるものではなく、なにかを言わざるを得なく強いるものだからである。(ロラン・バルト『文学の記号学』)

―――バルトはこう語る。68年前後の言葉の暴風雨に辟易して? だかもちろんそれだけではない。

政治的な主張の繰り返しには、もうたくさんだ! という嫌厭感が生じてしまうことがあるのを否定はしまい。そこには同意を強制する声があるのだ。声、--すなわち<正義>という名のもとの破廉恥な同調圧力。

…………

けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう」(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987)
私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた」(加藤周一「現代の政治的意味」あとがき 1979)

そう、たとえ政治が嫌いでも(おそらく多くの人がそうであるように)、政治が「土足」でむこうからやってきたら、どうしたらいいというのか。

ブレヒトからR・Bへの非難(『彼自身によるロラン・バルト』より)


R・Bはいつも政治を《限定し》たがっているように見える。彼は知らないのだろうか? ブレヒトがわざわざ彼のために書いてくれたと思われる考えかたを。

「私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。」(『政治・社会論集』)

彼の場所(彼にとっての《環境》)、それは言語活動である。その場所で、彼は選び取ったり、拒絶したりするのだ。彼の身体にとって何かが《可能で》あったり、《不可能で》あったりするのも、その場所においてである。彼の言語生活を政治的言述のいけにえに捧げるべきなのか? 彼は喜んで政治的《主体》になってもいいと思う。が、政治的《話し手》はご免だ(《話し手》とは、自分の弁説をよどみなく繰り出し、述べ立て、同時にそれが彼の言述であることを告示し、それに署名しておく人間のことだ。)そして、自分の《反復される》一般的な言述から政治の現実をはがし取ることが彼にはどうしてもできないから、けっきょく政治性から彼は排除されているのだ。しかし彼は、少なくとも、排除されているという事実を、自分が書くものの《政治的》意味につくり変えることができる。さながら彼は、ある矛盾現象を体現する歴史的な証人であるとでもいうかのように。それは、《敏感で、貪欲で、沈黙した》政治的主体(これらの修飾語群を分離させてはいけない)、という矛盾現象である。

政治的な言述ばかりが、反復され、一般化し、疲弊するわけではない。どこかに言述の突然変異がひとつ生じると、たちまちそこに、いわば公認ラテン語訳聖書が成立し、そのあとに、動きを失った文がぞろぞろお供について、うんざりさせる行列ができるものときまっている。その現象は珍しくもないが、それが政治的言述に現れたとき、とりわけ彼にとって許しがたいものと思われるのだ。なぜかというと、政治的言述における反復は、《もうたくさんだ》という感じを与えるからである。政治的な言述は、自分こそ現実に対する根本的な知識あるは科学であるという主張を押しつけるので、私たちのほうでは、幻想のあやかしによって、その政治的言述に最終的な権力を認めてしまう。それは、言語活動をつや消しに見せ、すべての討論をその実質の残滓に還元してしまうという権力である。そうだとすれば、政治的なものまでがことばづかいという地位に割りこみ、“おしゃべり”に変身するのを、どうしても歎かずに黙認しておけるだろうか?

(政治的な言述が反復におちいらずにすむ、いくつかのまれな条件がある。すなわち、第一は、政治的言述がみずから言述性のひとつの新しい方式を打ち立てる場合である。マルクスがそうであった。さもなければ、第二はもっと控えめな場合で、著述者が、ことばづかいというものについて単に《知的理解》さえもっているなら―――みずからの生む効果についての知識によって―――厳密でありながら同時に自由な政治的テクストを生み出せばいい。そういうテクストは、すでに言われていることをあらためて発明し変容させるかのように働き、自身の美的な特異性のしるしについて責任をもつことになる。それが、『政治・社会論集』におけるブレヒトの場合である。さらに第三の場合を考えてみるなら、それは政治的なものが、暗い、ほとんど信じられぬほどの深みにおいて、言語活動の材質そのものに武装をほどこし変形させてしまうときである。それが“テクスト”、たとえば“法”のテクストである。)

ロラン・バルトの姿勢も、自らブレヒトを引用して吟味するように、いま直面する世界的な「排外主義」への傾きに抵抗するには無力だろう。これは浅田彰と千葉雅也の対談を読むかぎり、この二人も類似した姿勢だと言ってよいのではないか。《誰だって様々な面で…マイノリティーでありうるという自覚を活性化すること》。理論的には、こういう立場があるのを批判するつもりはない。だが日本の場合、これは悪くすれば、大勢順応主義的な「政治的無関心」あるいは「逃げ」の姿勢を是認する言い訳になってしまうのではないか、とわたくしは思う。

資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。(ジジェク『暴力』)

浅田彰×千葉雅也の二者の対話には、現在のシステム的暴力への目配りがあまり感じられないように見えるのは、わたくしの思い過ごしかもしれない。たかだか新著の紹介対談なのだから、そこまで期待するのは無理というものなのだろう。

だがこの記事の最後に附記するが、浅田彰には《早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか》という己れに問う発言もあり、その文脈上読めるのは、《早すぎる断念》、あるいはニーチェの「最後の人間」的態度もやむえないとする諦念がある(すくなくともその発言の時期には)。

すこし前に「政治的無関心」としたが、その日本的特徴と韓国の特徴を対比させて書く柄谷行人の言葉を抜き出してみる。韓国では《知行合一という考え方が伝統的に強調されてきた》とある。「即刻運動」の気質の指摘もある。だがそれが韓国人にとっては墓穴を掘る、と。

私から見ると、韓国にあるような大胆な活動性が望ましいが、キム教授から見ると、むしろそのことが墓穴を掘る結果に終わることが多かった。韓国では激しい行動をしない者が非難されるが、それはなぜか、という新聞記者の問いに対して、教授は、つぎのように応えている。《知行合一という考え方が伝統的に強調されてきたからだと思う。知っているなら即刻行動に移さなければならないとされていた。行動が人生の全てを決定するわけではない。文明社会では行動とは別に、思考の伝統も必要だ》。日本と対照的に、韓国ではむしろ、もっと慎重に「空気」を読みながら行動すべきだということになるのかもしれない。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」

中井久夫にも《堅固な意志と非妥協的な誠実さ》の韓国人と《曖昧模糊とした春のような気質》の日本人とを対比させる文章がある(京城の深く青く凛として透明な空)。「空気」を読みながら行動することの甚だしい国民には、《堅固な意志と非妥協的な誠実さ》を鼓舞する態度を、「知識人」というものがかりに今でも存在するならば、彼らはもっと強く押し出すべきではないだろうか、それが「偽善」であっても少しもかまわない。それは2011年春以来、ことさら際立った大江健三郎や柄谷行人の態度でもある。

すこしややこしい言回しをしたが、柄谷行人の知識人の定義(知識人とは知識人を批判するひと)を想起したためである。

われわれは今日ある種の言葉を使えなくなっている。厳密にいえば、それらは死語ではなく、今でも使われているが、あるためらいや留保の感じなしに使えないだけである。その一つは知識人という語である。知識人と名乗る人はほとんどないし、いたところで誰も彼らを相手にしない。にもかかわらず、知識人を攻撃し嘲笑する言葉だけはあいかわらず続いている。むしろいまや知識人批判者が現在の典型的な知識人だというべきである。しかし、実は、知識人、intelligentzia intellectualtという語が使われ実際にそのような者があらわれた時点から、すでにそうであったのではないだろうか。“知識人”をどこかに想定しそれを批判することで自らを意味あらしめようとするようなタイプ、それが知識人なのである。(柄谷行人「死語をめぐって」『終焉をめぐって』1990所収)

最後にジジェクのいささか極右をめぐる発言(ルペンを中心にした)と、ジジェクの政治的態度を象徴する過激な発言を並べておこう。

私が思うに、極右 が力を得ている原因の一つは、左翼 が今や直接に労働者階級 に自らの参照点を置くことに消極的になっていることにある。左翼 は自らを労働者階級 として語ることにほとんど恥を抱いており、極右 が民衆の側にあると主張することを許している!左翼 がそれをするときは、民族 的な参照点を用いることで自らを正当化 する必要性を感じているようだ。「貧困に悩むメキシコ 人」とか「移民 」云々で。極右 は特別のそして結束力のある役割を演じている。「民主主義 者たち」の大部分の反応は見るとよい。彼らは、ル・ペンについて、受け入れがたい思想 を流布する者だと言いながら、「しかし...」とことばを継ぐ。こうやって、ル・ペンが「ほんとうの問題」を提起していると言外に述べようとする。そうしてそのことによってル・ペンの提起した問題を自分たちがとりあげることを可能にする。中道リベラル は、根本 的には、人間の顔をしたル・ペン主義だ。こうした右翼 は、ル・ペンを必要としている。みっともない行き過ぎに対し距離をとることで自らを穏健派と見せるために。私が、2002年 [大統領選挙 ]の第2回投票 の際の対ルペン連帯について不愉快に思ったのは、それが理由だ。そしていまや少しでも左に位置しようとすると、すぐさま極右 を利用しようとしていると非難される。それが示しているのは、ポスト ・ポリティックの中道リベラル が極右 の幽霊 を利用し、その想像 上の危険を公的な敵に仕立て上げようとしていることだ。偽りの政治 対立の格好の例がここにあると私は思う。ジジェク『資本主義の論理は自由の制限を導く』2006)

わたしが言いたいのはもちろん、現代の「狂気のダンス」、多様で移動するアイデンティティの爆発的氾濫もまた、新たなテロルによる解決を待っていると言うことだ。唯一「現実的」な見通しは、不可能を 選ぶことで新たな政治的普遍性を基礎づけること、まったき例外の場を引き受け、タブーもアプリオリな規範(「人権」、「民主主義」)もなく、テロルを、権 力の容赦ない行使を、犠牲の精神を「意味づけなおす」のを妨害するものを尊重すること……もしこのラディカルな選択を、涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ! (バトラー、ラクラウ、ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』


《私たちがますますもって必要としているのは、私たち自身に対するある種の暴力なの だということです。イデオロギー的で二重に拘束された窮状から脱出するためには、ある種の暴力的爆発が必要でしょう。これは破壊的なことです。たとえそれが身体的な暴 力ではないとしても、それは過度の象徴的な暴力であり、私たちはそれを受け入れなけ ればなりません。そしてこのレヴェルにおいて、現存の社会を本当に変えるためには、 このリベラルな寛容という観点からでは達成できないのではないかと思っています。お そらくそれはより強烈な経験として爆発してしまうでしょう。そして私は、これこそ、 つまり真の変革は苦痛に充ちたものなのだという自覚こそ、今日必要とされているので はないかと考えています 》(『ジジェク自身によるジジェク』--「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」より)





…………



※附記:以前、浅田彰が珍しく自らの立場を語った文を拾ったことがある。いまは引用先の記事がなくなってしまっており、どこでいつ語ったのかもはっきりしないが、ここで参考文献として附記しておくことにする。


子どもの頃、『ツァラトゥストラはこう言った』でニーチェが侮蔑を込めて描いている「最後の人間(末人)」の像に触れて、「これはまさに自分のことだ」と思ったのを覚えている。もはや想像と破壊の ドラマは終わり、すべてが平準化された中にあって、「最後の人間」たちは退屈な幸福を生きるだろう。

あらゆる情報を記録したテープがリミックスを加えて反復されるのを瞬きして眺めながら、(後の章に出てくる「小人」のように)「およそすべては円環をなして回帰する」などと小賢しく呟いてみせもするだろう・・・。

『早稲田文学』11月号に出た鎌田哲哉の私に宛てた公開書簡は、そのような「最後の人間」であることに居直る私に対し、「安直なニヒリズムを捨て、人間としてまともに生きよ」と呼びかけるものである と言ってよい。
その書簡は石川啄木の日記にならってローマ字で綴られている。 「僕は啄木のようにまともに生きる、あなたもまともに生きるべきだ」ということだろう。

その純粋な熱意は(ありがた迷惑とはいえ)ありがたいと思うし、そこに書かれた私への批判も(いくつかの点で異論があるとはいえ)おおむね受け入れる。

だが、残念ながら、私はその呼びかけに動かされることがなかった。

ひとつだけ、私の言葉に対する誤解と思われる部分に触れておこう。鎌田哲哉が部分的に引用している通り、西部すすむに「浅田さんがほとんど 書かなくなったのは世界や人類を馬鹿にしてのことですか」と問われて、私は「いや単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、おおいなる盲目をもてず、したがってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がないということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるんで、僕は選ばれなかっただけですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上にすぎないということも、明晰に認識していますけど」と答えている (『批評空間』Ⅱ-16)。

これは、私が本格的なものを書く力がないということ(私の「弱さ」)を、私が明晰に意識しているという意味ではない。書こうとする努力もせずに自分には書けないのだと前もって居直ってしまうことが逃げ口上にすぎないということを、明晰に意識しているという意味だ。
その意味で、私の立場に論理的な問題はないと思う。
では、倫理的な問題としてはどうか。

そのような早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか
むろん、私は、自分自身がそうできないだけにいっそう、断念を拒否してなんとか努力しようとする人(鎌田哲哉を含めて)を眩しく見上げ、可能なら助力しようとしてきたが、断念したい人に対して断念するなと言う気はさらさなないし、自分に対してそう言われたくもない。
努力したい人は努力し、断念したい人は断念する。
それでいいではないか。

ここで飛躍を厭わずフランシス・フクヤマが『人間の終り』で論じるバイオテクノロジーの問題ともからめて言えば、20世紀が限りない延命を目指した世紀だったのに対し、21世紀の課題はそれへの反省であり、具体的にいって、たとえば安楽死施設、さらには自殺(幇助)施設の合法化であると思う。

生きたい人は生き、死にたい人は死ぬ。それでいいではないか。
ニーチェは「最後の人間」について「少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持ちよく死んでいく」と書いている。
かれの侮蔑にもかかわらず、私はそれも悪くない選択肢だと思わずにはいられないのだ。

もちろん、私はいますぐ死にたいというのではない。大江健三郎の『憂い顔の童子』で「母親が生きている間は自殺できない」という主人公の強迫観念が主題化されていたが、これはすでに父を喪った私にも大変よくわかる。
幸い、私はきわめて凡庸な常識人なので、倫理と言うより礼節の問題として。母より先に自殺するつもりはない。

そうやって生き延びている間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしをしながら「i-modeかなにかでくだらないお喋りを続けること」があってもいいのではないか。
また生きて努力しようとする人々にささやかながら助力することがあってもいいのではないか。

だが、鎌田哲哉が、そのようなおせっかいは生の意思を死の病毒で汚染するだけだというのなら、私はそれを断念し、彼の後姿にむけて静かに幸運を祈るばかりである。




2013年11月30日土曜日

妙に気を使い合う「実名者」たち

週刊誌ブームが、現代日本文化の一種の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰まらない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。(……)私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。(小林秀雄「読者」)

少し前にも何気なく引用したのだが、この小林秀雄の言葉をもう少し考えてみよう。

《批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きている》、とある。これを患者ではない批評など信用するに当らぬ、というふうに読みたい誘惑にかられる。たとえば蓮實重彦は柄谷行人との対談集『闘争のエチカ』で、次のように語っている。

自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない

あるいは柄谷行人の『トランスクリティーク』冒頭の「序文」にはこうある。
私がなそうとしたのは、カントとマルクスに共通する「批判(批評)」の意味を取り戻すことである。いうまでもなく、「批判」とは相手を非難することではなく、吟味であり、むしろ自己吟味である。(柄谷行人『トランスクリティーク』「序文」)

そもそもカント的なアンチノミーの指摘を持ち出すまでもなく、批判している対象と異質な地平に立つことなどできはしない。

われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている。(柄谷行人『トランスクリティーク』--「人間的主観性のパラドックス」覚書より)

だが、ここでは馴れぬ哲学的な話は脇にやり、冒頭の小林秀雄にもどれば、「批評精神とは患者の側に生きる」とは、柄谷行人のいうカントとマルクスに共通する考え方、「批評とは自己吟味である」こととしてよいだろう。

他方、逆に、相手を非難する「批判」とか、批判している対象と異質な地平に立ったような批評でも、そのすべてではないにしろ、実は己れを語っているというふうに見ることができる。少なくともそういったふうに他者非難の言葉を読んでみることもときには必要であろう。

プルーストにはこのあたりのことを指摘する文章がいくらでもある。
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト『囚われの女』井上究一郎訳)

つまるところ、自分がもっているものと、あるいはもっていたものと、とてもよく似た欠点が他人にあるので、それによく気づき非難のことばが生まれる、あるいはそういった場合が多いということだ。そうでなかった場合、そんな欠点に気がつくことは少なく、嫌悪感も生まれにくいのではないか。

……自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。近視の男は他人の近視のことをこういう、「だってあれはほとんど目があけられないくらいですよ。」胸部疾患の人間は、この上もなく頑丈な人間の健康な肺臓にも種々の疑念をもつし、不潔な男は、他人がお湯や水を浴びないことばかりを口にするし、悪臭を放つ人間は、誰でもいやな匂がすると言いはる、だまされた亭主は、いたるところにだまされた亭主たちを、浮気な女房はいたるところに浮気な女房たちを、スノッブはいたるところにスノッブたちを見出す。それからまた、各自の悪徳は、それぞれの職業とおなじように、専門の知識を要求し、それをひろくきわめさせる、各自はそんな知識を得々と人まえで弁じたてずにはいられない。倒錯者は倒錯者たちを嗅ぎだし、社交界に招かれたデザイナーは、まだこちらと話をまじえないのに、もうこちらの服地に目をつけ、その指は生地のよしあしをさわってみたくていらいらしているし、歯科医を訪ねて、しばらく話をまじえたのちに、こちらについて忌憚のない意見をきいてみると、彼はこちらの虫歯の数をいうだろう。彼にはこれよりも重大に見えることはないのだが、そういう彼自身の虫歯に気がついたこちらにとっては、これほどこっけいなことはない。そして、われわれが他人を盲目だと思うのは、われわれが自分のことを話しているときばかりではない。われわれはいつも他人が盲目であるかのようにふるまっている。われわれには、一人一人に、特別の神がついていて、その神が、われわれの欠点にかくれ蓑をかけてわれわれからかくし、他人には見えないという保証をしてくれているのであって、同様に、その神は、からだを洗わない人々にたいして、耳にためた垢の筋や、腋の下から発する汗の匂に、目をとじ鼻腔をふさがせ、誰もそれと気づかないであろう社交界へ、それぞれその垢の筋や汗の匂をもちこんでも平気だという確信をあたえるのだ。そしてイミテーションの真珠を身につけたり、贈物にしたりする人は、それがほんものに見られるだろうと想像するのである。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」 第二部井上究一郎訳)

 

そしてこれらのことは優れた人間でも凡庸な人間でも変わりがない、とプルーストは書く。

性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。(プルースト「見出された時」)

もちろん、これは広い意味での「心理学」の領域の話なので、たとえばフロイトにもふんだんにこの類の指摘はある。

……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。……(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))

ようするにラカン派的な言葉づかいをすれば、《自分の欲望についての真理を隠すために》他者非難をするのだ。

他方、フロイトは、「自己非難」についても、次のような逆転を書く。

メランコリー患者のさまざまな自責の訴えを根気よくきいていると、しまいには、この訴えのうちでいちばん強いものは、自分自身にあてはまるものは少なく、患者が愛しているか、かつて愛したか、あるいは愛さねばならぬ他の人に、わずかの修正を加えれば、あてはまるものであるという印象をうけないではいられない。事態をしらべればしらべるほど、この推測は確かなものになる。このように、自己非難とは愛する対象に向けられた非難が方向を変えて自分自身の自我に反転したものだと見れば、病像を理解する鍵を手にいれたことになる。

夫に同情して、自分のような働きのない女と一緒になったのは気の毒であると口に出して言う妻は、どのような意味で言っているにせよ、実は夫の働きのないことを訴えているのである。(……)言葉の古い意味にしたがえば、彼らの訴えは告訴なのである。彼らが自分について言っている軽蔑の言葉は、根本的には他人について言っているのだから、彼らはそれを恥じたり、かくしたりしないわけである。また、実際に品性下劣な者だけにふさわしいはずの卑下や屈従を、周囲の人に見せることをしないで、きわめてはげしく苦しみ、たえず悩み、ひどく不当な目にあっているかのようにふるまうわけである。これらすべてのことは、彼らの態度に見られる反応が反逆という精神的姿勢から発しているからこそ可能なのであって、この反逆がある過程によってメランコリーの後悔というものに移行するのである。(フロイト『悲哀とメランコリー』 フロイト著作集6)

この二つの機制は、ドゥルーズがニーチェのルサンチマン(怨恨)を語るときの二つの「投射」でもあるだろう。

怨恨。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする。反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「反感=怨恨」となる。それでひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その<力>から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」。(ドゥルーズ『ニーチェ』)
疚しい心。私が悪い、私のせいだ……。内向投射のモメント。反動的な諸力は、ちょうど魚を釣り針に掛けるようにうまく生を罠に掛けたあとで、それ自身へと戻ることができる。それら諸力は過ちを内面化し、自分が罪深いのだと言い、自分自身に敵対する。だがそうすることで、反動的な諸力は模範を与えるのであり、生が全体として反動的な諸力と結びつき、一体化するよう促すのである。そうやって反動的な諸力は最大限の伝染力を獲得する。そしてさまざまな反動的な共同体を形成するのである。(同上)

ただし現在、後者の「自己非難」や「内向投射」は少なくなってきている、という指摘が中井久夫にある。

1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間2001Ⅲー1 「共同討議」トラウマと解離(斉藤/中井/浅田)

これは、一般には「大文字の他者」の凋落、父なき時代にかかわるとされるが、今はそれについては触れない。簡単にいえば、フーコー/ドゥルーズの「ディシプリンの社会」から「コントロールの社会」への移行ということでもあろう。

中井久夫の指摘する文から自罰的/他罰的という二項対立だけを捉えれば、後者の他罰的が現代の特徴だということになる。インターネット上には匿名者のルサンチマンによる発話が跳梁跋扈しているには相違ない。だがプルーストやフロイトの指摘で面白いのは、その匿名者を厳しく非難する実名者の言葉そのものさえ、自己を語る遠まわしの方法ではないか、と疑ってみる必要があるということだ。

ニーチェなら、すべての意見はひとつの隠れ家であり仮面である、という。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。(……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』289番)

そもそも「正義」の言説とは、フロイトによれば、次のようなことだ。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ルサンチマンの発話者への非難は、それを楽しんでいる人びとへの羨望でもあり得るのだろう、たとえば抗議や嘲弄が立場上できない人の。

抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

もっとも、わたくしはネット上の攻撃的な発言を擁護するつもりはさらさらない。

個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。(内田樹「ネット上の発言の劣化について」)

だがそれなりに地位のあるひとからさえ、次のような発話が生まれるのは、なにか鬱憤が溜まっているのではないかとは疑わざるをえない(関東エリアにある国立大学の准教授のツイッター上の発言5/27

・外野でシニカルに構えて、何かを言ったふりだけする奴ら。本当にどうにかならんもんかなと思う。しかも、ほとんどが匿名。自分をリスクにさらす勇気もない連中が、誰ひとりとして取り組んだことのないことにトライする人たちの試みを、斜に構えて眺めている。

・この国のシニシズムは、本当に病根が深いと思う。


だれでも、「あの野郎、とんでみない奴だ」、と思うことはあるだろう。それは上の発言では「匿名者」に向けられているが、実名であるために(つまり自分をリスクにさらしているがゆえに)言いたいことが言えない状況に陥ってはいないか。

たとえば2011年の春の事故からしばらくたって、大学当局が「早野黙れ」という情報統制の指示を出していたことが明らかになった。現在、戦前の「内務省」設置法案に反対している良識ある研究者たちは、では、当時なぜ大学当局の情報統制に大して憤りもみせず、遣り過してしまったのだろう。自分をリスクにさらして職場で居心地が悪くなったり、究極的には職を失うのを怖れたためではないか。

今まで、あまり喋ったことのない秘密を少し話しますと、やはり私たちは組織に属している人間なので、喋っていいことといけないことがあるかということで、東京大学が次画像のような通知を出しました。要するに「大学本部が仕切るので、個々の教員は勝手なことを言うな」という通知です。私は直接、大学本部から「早野黙れ」と言われました。そこで理学部長などとも少し相談して、黙らないことにしました。(大学本部から「早野黙れ」と言われたが

現在政府の法律に強い反発表明をしている「良識」ある研究者や学者たちは、当時これを社会と文化への脅威として、すくなくとも表立っては憤ることがたいしてなかったのはなぜなのか。ひょっとして、あそこで教職員のデモなりボイコット運動なりの抗議があったら、いまの法案の設立にさえわずかにしろ影響を与えることができたのではないか。

「現実主義でいこう、われわれ左翼学者は、体制が与えてくれる特権をすべて享受しながら、外面的には批判的でありたいのだ。そのために、体制に対して不可能な要求をなげつけよう。そうした要求がみたされないことは、みな分っている。つまり、実際には何も変わらず、われわれがこれまで通り特権化されたままでいられることは確かなのだ」(ジジェク『信じるということ』)

まあしかしながら、過去のことはこの際どうでもよろしい。肝腎なのは今どうするかだ、外面的には批判的でありたいだけではないなら。

…………

カントは理性の「公的使用」と「私的使用」についてこう書いている。

自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない、これに反して自分の理性を私的に使用することは、時として著しく制限されてよい、そうしたからとて啓蒙の進歩はかくべつ妨げられるものではない、と。ここで私が理性の公的使用というのは、ある人が学者として、一般の読者全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。また私が理性の私的使用というのはこうである、---公民としてある地位もしくは公職に任ぜられている人は、その立場においてのみ彼自身の理性を使用することが許される、このような使用の仕方が、すなわち理性の私的使用なのである。

(中略)しかしかかる機構の受動的部分を成す者でも、自分を同時に全公共体の一員――それどころか世界公民的社会の一員と見なす場合には、従ってまた本来の意味における公衆一般に向かって、著書や論文を通じて自説を主張する学者の資格においては、論議することはいっこうに差支えないのである。(カント 『啓蒙とは何か』)

柄谷行人は、その『トランスクリティーク』において上記の文を引用して次のように書く。

通常、パブリックは、私的なものに対し、共同体あるいは国家のレベルについていわれるのに、カントは後者を逆に私的と見なしている。ここに重要な「カント的転回」がある。この転回は、たんに公共的なものの優位をいったことにではなく、パブリックの意味を変えてしまったことにあるのだ。パブリックであること=世界公民的であることは、共同体の中ではむしろ、たんに個人的であることとしか見えない。そして、そこでは個人的なものは私的であると見なされる。なぜなら、それは公共的合意に反するからだ。しかし、カントの考えでは、そのように個人的であることがパブリックなのである。(p155~)


公民としてある地位もしくは公職に任ぜられていることに囚われた発話は、カント的には理性の私的使用なのだ。

そして立場上(つまり、公民としてある地位もしくは公職に任ぜられていることにより)、自由に理性の公的使用ができない鬱憤、そのルサンチマンが、「匿名」批判に向けられているということはないだろうか。もっとも、くり返せば、現在ネット上に席巻する匿名者の発言の質の劣化、その非論理性、その攻撃性を擁護するつもりは毛筋ほどもない。

「●●が■■で××の件wwwww」とか「これがあれwwワロタwww」とか書いておけば、すべて2ちゃんねる風になるんだな。

「●●が■■で××の件wwwww」とかいう表現形式によって内容関係なしに伝わる、あの独特の「おれ本当は弱いんだけど、おまえらのことバカにしてるってあえて表明しとくわ、あ、責任は取らないしマジで抗議されたら逃げるけどなw」感をなんと表現したらいいんだろうな。

というか、そんな卑怯で醜い負け犬の遠吠え的表現がこんなに一般化しちゃった日本って大丈夫なのかと心配になる。(東浩紀ツイート)


ただし実名者たちには、次のようなことがあるのだろう。

最近ネットなどを見ていると、妙に気を使い合ったりして、あまり人の名前を出して批判したりはしない。他方、批判が一回出てしまうと、それが非難の応酬に繋がってあっという間に絶縁、といった、狭い所でお友達どうし傷つけ合わないようにという感じになっている。

 

しかし、コミュニケ-ションは常にディスコミュニケーションを含むし、議論は常に相互批判を含むから、それができにくくなっているとしたら忌々しき事態。人格・個人に対する批判ではないという前提で、相互に攻撃すればいい。ある程度けんかしなければお互い成長はしない。けんかするとお互い傷つくが、傷だらけでなんとかやっていくのが社会。別に仲良くやっていく必要はない。けんかし、けんかした上で共存していくというのが重要だ、ということは知っておくべき。(浅田彰「「知とは何か・学ぶとは何か」

要するに、ある論点を批判しても、それが人格批判としてみられてしまって、理性の公的使用がしにくくなっているのではないか。ツイッターが流行しだした当初には批判の応酬がそれなりにあったのだが、今では互いに妙に気を使い合っている現象があきらかに窺われる。そして実名者の建て前でしかない発言と匿名者の本音ばかりが蔓延る。

建て前、すなわち、次のようなたぐいの発話として勘繰らざるをえない言葉ばかりが少なくともツイッター上では目につく。
学問の世界で、同僚の話がつまらなかったり退屈だったりしたときの、礼儀正しい反応の仕方は「面白かった」と言うことである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

立場上、あるいは友人関係などで、理性の私的使用しかできないのは、やむえない面があるのを否定するものではない。だが、たとえば今年になってドゥルーズの研究者による評判の高い書物が何冊か上梓されているが、われわれの知りたいのは彼らの仲良しぶりではなく、どこに論点の違いがあるのか、「相互に攻撃」する箇所があるに違いないのに、それはほどんどなされない(すくなくとも私のすくない見聞では)。お互いのよい箇所だけを褒め合いましょう、ドゥルーズにはいろいろな面があるのだから、という群れのなかの相似形の疑似対話・批評の如きものしかない。たとえば短い紹介書評だからやむえないのかもしれないが、「「いい加減」な生の姿を記述」などという文はほとんど何も言っていないにひとしいようにわたくしには感じられてしまう。

わずかに次のような発言が遠まわしに年輩のドゥルーズ研究者からあるだけだ(もっともこれもわたくしの寡聞によることだけなのかも知れないが)。

@kumatarouguma: ドゥルーズを読んで政治を語りたがる人間は、あらゆる批判、反省、省察は何もの意味もなさない、すべて新しいものはいいものである、それだけがまともな世界をつくることができるという、そういう言葉にこめられた絶望と凄みを実践的に考えるべきだとおもうけどね。他人を批判する人間のほぼ99%はただのルサンチマンで怨恨、こんなもので政治と正義を語ったと気取っている連中が「権力」なぞににぎったらどういう連中になるか容易に想像ができる。本当に最低の社会になるぜ。

@kumatarouguma: 吉本が天皇制を語るときに記紀から読まない左翼なんか相手にしないように、彼が徹底して良心左翼を批判することでしか左翼について何かをつくることができないといいつづけたように、きちんとものを考える人間ていないのかね。無能な連中ばかりだね。自分の無能は差し置いていますがすみません。

われわれの知りたいのは、1%の人物たちの「相互攻撃」による論点の明確化であろう。

立場上できないのなら、むしろ、かつて中井久夫が楡林達夫という変名を使ったような理性の公的使用による批判だ。むしろ「精神の健康のために」(ニーチェ)匿名や偽名で語るべきなのではないか。
楡林達夫が誰であるかは絶対に知られてはならない。ぼくの大学も。大学がわかったら、ああ、あれは○○大学のことさ、で片づけられてしまうだろう。抵抗的医師とは何か


最後にサドとともに、「提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり学者どもに災いあれ!」としておこう。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)

現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。(ドゥルーズ『フーコー』宇野邦一訳)