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2014年7月23日水曜日

フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」概念をめぐる現代の新しい「症状」

ここのところ一世紀ほどまえの男たちの女性ヒステリー畏怖の事例を、ジジェクの文の引用を中心に続けて投稿した(エリオットーヴィヴィアン、そしてムンクーーオスロワイン商人の娘)。ジジェク曰く、カフカにもその気があるというので、カフカーミレナをめぐってメモしようとしたが、ミレナがヒステリー症状であったかどうかは寡聞にして確かでない。カフカの女性畏怖は間違いなくあるだろうが。

・自分のなかの悲鳴に加えて、あなたの声を同時に聞くなどはできません。 [カフカ ミレナへの手紙]

・彼女が好きなのに話ができない。不意に出くわさないように、現れるのを待ち受けている。 [カフカ 創作ノート]

・それにしても、どうも私はあなたのお顔をはっきり思い出すことができません。後であなたが喫茶店のテーブルの間を遠ざかっていかれたときの様子だけが、そのあなたの姿、あなたの服、それだけが今もってまざまざと目に浮かびます。[ミレナへの手紙]

ーーだが、これらも恋に陥った内気な男のごくふつうの姿なのかもしれない。




「あなたのおっしゃる通りです。私は彼が好きなのです。でもF、あなたのことも私は好きなのです」とあなたは書いています。この文句を私は実に念を入れて読みました。一言一言です。特に「のことも」のところでは長い間立ち止りました。みんなそのとおりです。これがそのとおりでなかったら、あなたはミレナではないでしょう。そして、もしあなたがいなかったなら、一体この私は何なのでしょう。(…)しかもなお、何らかの弱さから私はこの文句と手を切ることができずに、際限もなく読みつづけています。そして、結局それをもう一度ここに写して書き、あなたがこの文句を見て下さるように、二人が一緒にそれを読むように、額に額をよせて(あなたの髪が私のこめかみに)、と望むのです。(カフカ ミレナへの手紙)


というわけで、ここではやや異なった側面から、すなわち現代におけるかつてのヒステリーの消滅という面から、ーーまたしてもヒステリーにかかわるのだが、乗りかかった舟であるーーいくらか記してみよう。

いわゆるヴィクトリア朝風の厳格なモラルが支配的だった時代には、ヒステリーは頻繁にみられたのは間違いない。われわれはその後、女性解放やら避妊革命などを経てきており、また以前ほど父権制社会でもなくなってきている。すなわち、それらの原因により、現代はヒステリー患者が少なくなってきたと一般には言われるのだが、その代りに、パニック障害、摂食障害、自傷行為などが目立つようになってきたとされる。

実際、日本でも、夏目漱石の『道草』や宇野浩二の『苦の世界』などで描かれた女性の極度のヒステリー症状は、現在ほとんど見当たらなくなったといってよいだろう。これらの小説が書かれた時代は、明治維新以後の約半世紀、いわゆる擬似一神教時代のことであり、性風俗がおおらかであった江戸時代は、武士階級は脇にやるとしても、商人階級の女性たちはどうだったのだろう。厳格なモラルのあるところにヒステリーがあるとするなら、理論的には少なかったはずなのだ。そもそも日本では、明治以降の一時期を除いて、欧米にくらべヒステリーは少なかったのではないかと憶測されないでもない。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

――などと書いているわたくしは、この分野のまったくのシロウトであり、以下はそのディレッタントが、たまたまある機縁で、いくつかの論文に目を通した備忘に過ぎない。ここではベルギーのラカン派精神分析医のポール・ヴェルハーゲの見解を中心に記すが、精神医学のそれ以外の派の考え方について、多くを知るものでもない。

ヴェルハーゲの名を知ったのは、中井久夫のトラウマ論を読む傍ら、ラカン派のトラウマをめぐる考え方はどうなのだろうと思いを馳せるなかであり、三年ほどまえ、彼の『Trauma and Histeria』という小論にウェブ上でめぐり合い、いささか関心をもったことに始まる。彼は日本ではほとんど知られていないようだが、たとえばジャック=アラン・ミレールの「二十世紀の神経症から二十一世紀のふつうの精神病へ」という1998年に提出された見解における「ふつうの精神病」概念をウェブ上で英語検索すれば、オーストリアの精神科医Jonathan D. Redmondの“Contemporary perspectives on Lacanian theories of psychosis(2013)に真っ先に行き当たる。そこにはミレールの「ふつうの精神病」概念とヴェルハーゲの「theory of actualpathology」が、精神病をめぐってこの十年に提案されたふたつの傑出した概念だとされている。

…………

まず、「来るべき精神分析」座談会からの文を掲げることにしよう。この座談会は、十川幸司・原和之・立木康介の三氏によって2009年になされたもので、十川幸司の『来るべき精神分析のプログラム』(2008) 上梓後、「来るべき精神分析」の展望の試みとして、十川氏の書を中心にしつつ現在の精神分析と臨床実践の問題が検討されている。


<情動について>

(立木)
 そろそろ理論篇に移りたいと思います。僕が十川さんのご本でまず取り上げてみたいのは、情動の問題とセクシュアリティの問題です。十川さんは欲動が大事だというご意見ですが、最初に情動にも触れておきたい。情動の問題は前著『精神分析』でも大きく扱われていて、それを読んだとき、情動こそが十川さんの構築なさりつつある新しい精神分析の中心になるのかな、という印象をもちました。十川さんが言われる情動というのは「エモーション」のことですか。

(十川)
 いや、「アフェクト」です。

(立木)
 そうですか。それならなおいいのですが、ラカンの言う情動とは、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界にアフェクトされることです。その状態のパラダイムは「不安」ですが、それ以外の形で情動にアプローチするのはなかなか難しい。フロイトに遡っても、欲動の代表として「情動」と「表象」が分けられていますが、いずれもきちんと扱えていない感じがします。とりわけ情動の問題をそのものとして取り出した個所がほとんどない。もっとも、不安の場合だけは別ですが。ラカンに戻れば、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界によってアフェクトされる。現代思想的な言葉を使すなら、「触発」される。それに対して十川さんの場合は、システムとしての自己が他者のコミュニケーションに触発されるという点が重視されています。十川さんは、子供が両親の会話に耳を傾けていたり、子供が寝ているところで両親がコミュニケーションをしている状況--十川さんは「原風景」と呼んでおられます--に注目なさっていますが、子供はそこまでまさにコミュニケーションにアフェクトされ、触発されている。そこから自己のコミュニケーション回路が徐々に形作られ、情動調律というプロセスを通じて情動的なコミュニケーションが始まっていくわけですね。コミュニケーションとしての情動。そこに焦点があてられています。

ここでは、当面、《

ラカンの言う情動とは、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界にアフェクトされること》という立木康介氏の発言に注目しておこう。そして《十川さんの場合は、システムとしての自己が他者のコミュニケーションに触発されるという点が重視》されているとある。これは、症状の身体的側面(情動、欲動、ソマティック)などを重視しつつも、言語機能による治療の有効性を捨て去るつもりはないという態度だと読むことができる(その発言については、末尾に附す)。

いまは敢えて引用しないが、この座談会で語られていることから読み取れるのは、日本でも精神分析、いやもっと大きく精神医学の領野では、現在の患者の「症状」は、旧来の言語の領域(シニフィアンの媒介による「症状」の領域)のみに重点を置く治療では対応しがたくなっているという共通の認識であるようだ。それが「情動」なのか、「欲動」への対応の必要性なのか、あるいはまた別の対応の仕方かは、治療者の視点の置き方によって、さまざまなのであろうが。

…………


以下に、仮にそのレクチャアの冒頭部分を仮に訳出したポール・ヴェルハーゲは、現在の新しい「症状」は、身体、ソマティック(流動する身体)にかかわるとしている。《the new symptoms have mainly to do with the body, and moreover with the somatic.》

ところで、この「ソマティック」は、すでに初期フロイトに現れている、”Somatisches Entgegenkommenとして。人文書院の旧訳では「身体側からの対応」と訳されている(参照:症例ドラのソマティックなフェラチオ欲動)。(岩波新訳ではどう訳されているのかは不明の身である)。

フロイトが焦点を当てるのは、現実界、すなわち欲動にかかわる要素、――フロイトが“Somatisches Entgegenkommenと呼んだものーーだ。のちに『性欲論三篇』にて、「欲動の固着」と呼ばれるようになったものだ。この観点からは、ドラの転換性の症状は、ふたつの視点から研究することができる。象徴的なもの、すなわちシニフィアンあるいは心因性の代表象representation――抑圧されたものーー、そしてもうひとつは、現実界的なもの、すなわち欲動にかかわり、ドラのケースでは、口唇欲動ということになる。(Lacans goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq

さて、上に記したように、ポール・ヴェルハーゲの2008年のダブリンでのレクチャアの冒頭を掲げるが、以下の訳文は専門家でないものが、仮に訳したものであることを断わっておく。


三十年ほど前に、私は最初の患者に出会った。私のうけた古典的な教育と訓練は、次のような臨床的特徴に廻り会うよう想定されていた。すなわち患者は、解釈されうる症状をもっており、これらの症状は意味溢れる構築物だということ。もっとも患者は防衛メカニズムのためにこの意味に気づいていないのだが。患者はこれらの症状がライフヒストリーに関連することに気づいていた。話すことによる治療の目標は、この関連の覆いを取り除くことだった。そうするのは、その裏に潜んだ葛藤が、他のよりより解決法を導き得るようにするためだった。そのうえ、相対的には陽性転移がやがて手助けしてくれた。これは1905年にフロイトによって提唱された、精神分析治療を成功させるための、基本的規準だった。要するに、古典的な精神分析の治療とは、古典的な精神神経症psychoneurosisに向けられたものである。私はここで強調しなくてはならない、接頭辞“精神”を。

About 30 years ago I saw my first patient. My classic education and training meant that the following clinical characteristics were to be expected: a patient would have symptoms that can be interpreted; these symptoms are meaningful constructions, although the patient is unaware of this meaning due to defence mechanisms; the patient would be aware that these symptoms were connected with a life history. The aim of the talking cure is to uncover this connection so that the underlying conflicts may find another and better solution. Furthermore, a relatively positive transference was forthcoming. These were the basic criteria put forward by Freud in 1905 for a successful psychoanalytic treatment (Freud, 1905a). In short: a classic psychoanalytic treatment is intended for the classic psychoneurosis, and I must stress the prefix “psycho.”
現在、フロイトから百年経て、われわれはまったく異なった症状に直面している。恐怖症の構築のかわりに、パニック障害に出会う。転換症状のかわりに、身体化と摂食障害に出会う。アクティングアウトのかわりに、攻撃的な性的エンアクトメント(上演)に出会う、それはしばしば自傷行為と薬物乱用を伴っている。そのうえ、ヒストリゼーション(歴史化)等々はどこかに行ってしまった。個人のライフヒストリーのエラボレーション、そこにこれらの症状の場所や理由、意味を見出すようなものは、見つからないのだ。最後に、治療上の有効な協同関係はやってこない。その代りに、われわれは上の空の、無関心な態度に出会う。それは疑いの目と、通常は陰性転移を伴う。実際、そのような患者を、フロイトは拒絶しただろう。いささか誇張をもって言うなら、好ましく振舞う(行儀のよい)かつての精神神経症の患者はほとんどいなくなってしまった。これが、あなたがたが臨床診療の到るところで見出す現代の確信である。すなわち、われわれは新しい種類の症状、ことに、新しく取扱いが難しい患者に出会うのだ。

Today, a hundred years after Freud, we are confronted with totally different symptoms. Instead of phobic constructions, we meet with panic disorders; instead of conversion symptoms, we find somatization and eating disorders. Instead of acting-out we are confronted with aggressive and sexual enactments, often combined with self-mutilation and drug abuse. Furthermore, the aspect of “historization” is missing: i.e., the elaboration of a personal life history in which these symptoms find a place, a reason and a meaning. Finally, the development of a useful therapeutic alliance is not forthcoming. Instead, we meet with an absent-minded, indifferent attitude, together with distrust and a generally negative transference. Indeed, such a patient would have been refused by Freud. I can say, with some exaggeration, that the well-behaved psychoneurotic patient of the past has almost disappeared. Hence the contemporary conviction that you will find everywhere in clinical practice: we are meeting with new kinds of symptoms and, especially, with a new and difficult kind of patient.


こうして、新しい症状の特徴について次の三つが挙げられることになる。

①主に身体にかかわる、さらにいえばソマティックに。
②それらはふつう、パフォーマティヴな特徴がある。
③意味作用の異なったレイヤーが欠けている、ヒストリゼーションの側面の欠如とともに云々、とある。

すなわちヒステリー≒ヒストリーなら、かつてのヒステリー的な特徴が現在の患者の症状にはなくなってしまっているという捉え方なのだろう。ここでさらにヴェルハーゲのActual-pathology 」をめぐっての説明を、英文のまま抜き出すことにする。

Firstly, the new symptoms have mainly to do with the body, and moreover with the somatic. Secondly, they are usually of a performative nature. Thirdly, they lack the different layers of signification together with the aspect of historization. Moreover, these three characteristics are combined with a typical therapeutic alliance that is everything but positive and cooperative. We will now go more deeply into their differences from classic psychopathology.

Concerning the importance of the body, it is quite obvious that in the new symptoms the somatic aspect is central in a direct, unmediated way. In the classic symptoms, the reality of the body is kept outside the psychopathology; insofar as it enters the neurotic game, it is always in an imaginary fantasising manner. For example, conversion symptoms do not concern the real body in a permanent way. In contrast to this, the new symptoms imply it directly: self-mutilation and eating disorders are the most spectacular examples of putting the body in the centre, as is the case with aggressive and/or sexual enactments.

Secondly, the new symptoms are usually performative: they imply action. With the exception of obsessive-compulsive actions, the classic symptoms remain almost always within the field of the imaginary (see phobic complaints, hallucinations, obsessive thoughts, delusions), and don't give rise to actions. In cases where they do, our term for them, acting-out, implies that this action has a meaning, usually taking place at the limit of symbolisation. The classic patient has to be driven to a certain point before he crosses the threshold and acts. In cases of the new enactment, it is exactly the other way around; this form of enactment is one of the reasons why these are difficult patients, their demand from us is more coercive.

Thirdly, unlike the classic symptoms, the new ones seem to lack meaning, together with a clear-cut connection to the life history of the patient. This comes as a surprise because usually when someone consults a therapist, he or she will talk about his problems in such a way that these problems form part of his or her history, with the parents and the siblings playing important roles. By and large, this is not typical for the new clinical situation. For example, while most of these patients suffer from a combination of anxiety and depression, what in the DSM-dialect is called “mood disorders,” there is a lack of significant content. Classic depression, as described by Freud (1917e), goes back to the loss of a significant object and the ensuing (partial) loss of identity. It is not too difficult to find both losses in clinical practice, the classic ones being the loss of a love partner or a conflict in the work-place. In both cases, there is a significant loss of identity for the subject. Again, this is not the case with the new type of patient. It seems as if the depression has always been there and there is no obvious link with the loss of an object. In these times of genetics, the aetiology of such a depression will be considered as biological, something to do with “chemical imbalances,” although there is no clear-cut scientific proof for such an assumption. Clinical evidence shows that such a depression arises against a background of a general meaninglessness, where the most insignificant drawback is enough to trigger the depression that is already there. The same reasoning can be applied to the anxiety that is ever ready to materialise without the need for a specific object or situation. Finally, this group of characteristics can be linked to something also present in the idea of personality disorders. It seems as if these patients are different in matters of identity and because of this difference their way of relating to others is unusual.

Based on my contemporary reading of Freud, I believe it is possible to bring these new symptoms together under one heading, and to put forward a common diagnostic difference from the classic group. The best label for the first group is psychopathology; the name for the new group is actual-pathology. Psychopathology means that the psychological part is in the foreground, i.e., psychological symptoms, with a meaning and with a history. Actual-pathology means that the actual - the here and now - fills the scene, together with the body, and apparently without a link to the life history. These two groups should be understood as two poles of the same continuum. This is what Freud discovered quite early in his clinical practice.

この文は、ヴェルハーゲが初期フロイト用語の変奏である”Actual-pathology”を現在の症状の名とする理由が書かれている。こうして、ヴェルハーゲは、DSM批判の急先鋒でありつつ、ジャック=アラン・ミレールの「ふつうの精神病」概念にも異議を唱えることになる(参照:ラカン派の「ふつうの精神病」概念をめぐって)。

Actual-pathology”は、邦訳でどうのように訳すべきかは判然としないが、これはもともと1890年代のフロイトの著作に現れた ”Aktualneurose”(actual neurosis)を起源としており(そこでは「精神神経症」と対比されて語られている)、 ”Aktualneurose”は「現勢神経症」やら「現実神経症」と訳されているので、ここで仮に「現勢病理」としておく。すなわち旧来の「精神病理」(精神神経症に起源を発する)に対する概念である。

なぜ「現勢病理Actual-pathology」が、この何十年間のあいだに顕著になってきたのかについては、通常、ジジェクなどによってしきりに主張される「エディプスの斜陽」(父性的な象徴権威の弱体化)の文脈からの憶測が可能だが、ヴェルハーゲは、冒頭に掲げた2008年のダブリンレクチャーの一年まえに、同じダブリンで次のような説明をしている。

◆“Chronicle of a death foretold”: the end of psychotherapy. Paul Verhaeghe – Dublin, September 2007 – Health4Lifeconfererence – DCU.(敢えて訳出するが、重ねて繰り返せば、英文を充分に参照のこと)

ラカン派のタームであるなら、鏡像段階のあいだに何かがうまく行っていないのです。鏡像段階、すなわち、アイデンティティの形成が欲動の規制と共同して始まる時期です。まるで現代の〈大他者〉――その意味するところは、両親だけではなく、また象徴的秩序ですがーー彼/彼女の鏡像的機能を果たすことにますます失敗しているかのようです。その結果は、子供は心理的に発達しないのです、すなわち、欲動やそれに伴う興奮を取り扱う表象的な方法に欠けているのです。さらにアイデンティティ自体の形成さえも狂わされています。結果として、欲動の処理はソマティック(身体的な)レベル、すなわち原初の現実界のレベルに立ち往生してしまっています。

To put it in Lacanian terms, something went wrong during the mirror stage, that is, the period where the identity formation starts in combination with the drive regulation. It seems as if the contemporary Other – meaning the parents, but also the symbolic order – is failing more and more in taking on his/her mirroring function. The result is that the child does not develop a psychological, meaning a representational way of handling his drives and the accompanying arousal. Moreover, the identity formation as such is hampered as well. Consequently, the processing of the drives remains stuck at the somatic level, that is, the original level of the Real.
これが、なぜ症状が、なにものにも介入されない、さらにはパフォーマティヴな仕方で身体に呼びかけるのかを説明してくれます。同様に意味の欠如をも説明してくれます。それらは、防衛メカニズムのたぐいではなく、意味のない「解除反応Abreaction」により接近しています。私の考え方の道筋では、これはフロイトが命名した「現勢神経症」ものへと導いてくれます。時間がないので、フロイト理論の現代的解釈を詳しく述べることはしませんが、こういうだけで充分でしょう、すなわち。「現勢神経症」の主な特徴とは、表象を通しての欲動興奮を処理することの失敗である、と。

This explains why the symptoms address the body in an unmediated and even in a performative way. It explains their lack of meaning as well, they are much closer to a meaningless “Abreaction” than to whatever kind of defense mechanism. In my reasoning, this leads to what Freud has called actual neurosis. For lack of time, I can't elaborate on our contemporary interpretation of Freud's theory; suffice it to say that the main characteristic of actual neurosis is the failure to process the drive arousal via representations.
ラカンの鏡像段階の理論とフロイトのアイデンティティ発達の理論の光の下では、表象能力の失敗とは、原初の〈大他者〉との関係における失敗として理解されなければなりません。ごく一般的には、そうなのです。古典的な精神神経症では、欲動興奮は表象的なオブラートがあり、意味溢れる古典的に分析され得る症状を通して、象徴的な表現を見出せます。

In the light of Lacan's theory on the mirror stage and Freud's theory on identity development, this failure of the representational capacity has to be understood via a failure in the relationship with the primordial Other. Normally, that is: in classic psychoneurosis the drive arousal obtains a representational coating and finds a symbolic expression via meaningful and classically analyzable symptoms.
現勢神経症の場合では、この表象の処理がひどく妨げられています。臨床像に関する結果は、“意味溢れる”症状の不在です。そこにはソマティックな現象にかかわるパニックな攻撃と不安が伴っています。不安とは原初の興奮arousalの表現なのです。結果として、興奮状態excitationが過剰な割合を占めてしまいます。そして行動をとおした捌け口が見出されるのです。それは自らの身体に向けてであったり、他者に向けてであったりします。

In case of actual neurosis this representational process is seriously hampered. The effect with regard to the clinical picture is an absence of ‘meaningful' symptoms combined with the preponderance of panic attacks and anxiety related somatic phenomena, the latter being expressions of the original arousal. Consequently, the excitation obtains excessive proportions and finds an outlet via actions that are either directed towards the own body or towards the other.

いま訳出した文の冒頭近くにある、《現代の〈大他者〉――その意味するところは、両親だけではなく、また象徴的秩序ですがーー彼/彼女の鏡像的機能を果たすことにますます失敗している》とは、「鰐の口のつっかえ棒」が機能していないということであり、それが《エディプスの斜陽》(父性的な象徴権威の弱体化)やら「父なき世代」と言われる内実であるだろう。

漫画に恐ろしいワニの口から逃れるために、つっかえ棒をするシーンがある。ラカンはそれに倣って、このワニの恐ろしい口の中で子どもが生きるには、口の中につっかえ棒をすればよいと言う。ファルスとは実はつっかえ棒のようなもので、父親はこのファルスを持つ者である。そして父親のファルスは子供の小さいファルス(φ)ではなく、大きなファルス(Φ)である。つまり正義の騎士が万能の剣をたずさえて現れるように、父親がファルスを持って子供を助けてくれるのだ。

これは何を意味するのであろう。子供が母親の前にいるとき母親の目が子供だけに向き、欲望の対象が子どもだけであれば子どもはその貪欲な口の中で押しつぶされてしまう。このときに子供の外にも母親の関心を引くものがあれば、母親の欲望が「他のもの」(Autre)にも向いていれば、子供は母親のファルスに全面的に同一化する必要ななくなり、母親に飲み込まれることを逃れることができる。その「他のもの」が子どもを救ってくれるのだ。この「他のもの」が父親である。だがこの父親は現実に存在する父親ではない。ひとつの隠喩である。(向井雅明「精神分析と心理学」2002)

さて、すこしまえに戻って、ポール・ヴェルハーゲは、ジャック=アラン・ミレールの「ふつうの精神病」概念批判をしているとしたが、--すなわち、その概念に対して”Actual-pathology”(現勢病理)を前面に押し立てているのだがーー、ラカン派における新しい対応法のひとつ「サントームの臨床」をめぐっては、ミレールの立場と大きく異なることはないようにみえる。

◆ミレールの2008年のセミネールから

・新たな精神分析臨床はラカンの最後期の教育から切り出されたものですが、これは古い臨床より圧倒的に優れているものです。それは、構造論的臨床と対立するボロメオの臨床であると言われます。構造論的臨床は神経症と精神病の断絶を前面に出してきます、より完璧を期すなら神経症、精神病、倒錯です。
・この第二の臨床は正常性やメンタルヘルスに範をとる基礎を葬り、次の公式をその原則とします「ひとは皆狂人でありTout le monde est fou言い換えれば妄想的délirantである」。これは一度ラカンが副次的なテクストのなかで書いたものですが、私は昨年これを広めました。
・第2の精神分析臨床は、症状symptômeの概念を、この〔「終わりのない分析」で示される症状の〕残余のモデルに基づいて再構成するものです。こうしてラカンはそれを古い綴り方でサントームsinthomeと呼びました。サントームとは、治癒不可能なものの名前なのです。

ヴェルハーゲの2001年に上梓された書にも、既にほぼ同じような見解を見ることができる。

フロイトとラカンのふたりとも見出していた、まさに、この現実界における症状の根には治療効果を妨害するものがあることを。分析は、無意識の抑圧された部分、すなわち表象されたファリックシステムにねらいをつける。しかし〈他者の享楽〉に直面したとき無力である。現在のまさに事実とは、われわれは、抑圧などほとんど現れない患者に直面することだ。これは、精神分析にとってまったく新しいチャレンジを意味する。(Paul Verhaeghe『BEYOND GENDER』ーー二種類の「症状symptom」(象徴界と現実界)と「サントームsinthome」

そもそも「サントーム sinthome」とは、ラカンによる「症状symptom」の新しいヴァージョンなのであり、旧来の「象徴界の症状」に対して、「サントーム」とは「現実界 réelの症状symptom」としてよい。とすれば、ヴェルハーゲの「Actual-pathology」(現勢病理)は、「現実界病理」とか「リアル病理」と 呼ぶこともできよう。ヴェルハーゲはあえて「サントーム」というラカン派ジャーゴンを使用せず、初期フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」起源の用語遣いをしたのだろう。実際、1890年代のフロイト論文は、トラウマに関わった、すなわちラカン文脈では現実界にかかわった用語がそれ以外にもみられる。たとえば「Fremdkörper」(異物としての身体)や、上にも挙げた 「Somatisches Entgegenkommen」(身体からの対応)など。ヴェルハーゲはこれらの用語を取り出しつつ、フロイトは初期から二種類の症状を考えていたのだとしている(参照:二種類の「症状symptom」(象徴界と現実界)と「サントームsinthome」)。


さていずれにせよ、ミレールの「ふつうの精神病」概念は仮称であるだろうし、ラカンの「サントーム」概念も、ラカン派以外は通用しがたい。精神医学に携わる方は、ラカンジャーゴンを耳にしただけで抵抗がある口もいるだろう。そのとき初期フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」起源の”Actual-pathology”「現勢病理」概念は、いまでは熱心に読まれることの稀になっているはずのフロイトへの再度の回帰を促し、しかもラカン派内部のしがらみを超えた親しみやすい言葉遣いであるには相違ない。ラカン派とされる斎藤環氏からもこんな発言が出るくらいなのだから、やはり「ふつうの精神病」は仮称にしてもいただけない。

@pentaxxx: しかし今日のコロックでつくづく思ったが、こう「普通精神病」や「普通倒錯」が一般化したというのなら「普通境界例」とか「普通自閉症」なんてのも出てきそうな気が。そして私が10分間の「普通精神分析」で治療をする、と。いやマジでね。(2014.3.9)

…………

※附記:冒頭に掲げた「来るべき精神分析」座談会で十川氏はヒステリーをめぐり次のように発言していることをここにつけ加えておこう。

(原)
 言語を介して情動のレベルに働きかけるというテーゼは、ご本の中に繰り返し出てきますが、それがなぜ可能なのかについては、どうなんでしょうか? 二つの切り離されたものがあって、一方が他方に働きかけるイメージにどうしてもなってしまうのですが。

(十川)
 どうして可能なのかと聞かれると、なかなか答えるのは難しい(笑)。言語と情動が最も緊密に結びついているのは、ヒステリー患者です。ヒステリー患者は、みずからの無意識を自由連想によって物語る驚くべき能力をもっています。そして、その話に対して解釈を加えると、その解釈が情動を巻き込んだ形で患者の症状にまで届く。フロイトが『ヒステリー研究』で取り上げているのも、ヒステリーのこのようなメカニズムです。ヒステリー患者が少なくなってきたという話はよく聞きますが、実際少なくなったのは派手な症状を呈するヒステリー患者であって、ほとんど無症状で、一見ありきたりの悩みを抱えているヒステリー患者は今でも数多くいます。そういう人の治療では、言葉の力というものを明確な手ごたえをもって実感できます。




2014年2月25日火曜日

「夜中の一時だったか/それとも一時半」

「夜中の一時だったか

それとも一時半」


ケイタイ切っとくのを忘れたよ

目が醒めちゃったから

モルトウィスキーを一口

ダイジョウブカナ、痛風
それでとーー

ダンヒルのパイプは寿命だね
美丈夫の生涯独身だった叔父の形見でさ
足掛け四〇年ものだからな
マウスピースがすかすかでね

海泡石のパイプは詰まってるし

刻みタバコも湿ってるな


「ダンヒルのパイプを河原のすすきの中へ

すててヴァレリの呪文を唱えた

「お前さんは曲がつている。すずかけの木よ」


なんてことはできないな
呪文ぐらいは唱えるさ
開け胡麻って
「扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種」

「過去をふり返るとめまいがするよ

人間があんまりいろいろ考えるんで

正直言ってめんどくさいよ

そのくせい自分じゃ何ひとつ考えられない

ぼくは自分を鉛筆の落ちた音のように感ずる

カチャンコロコロ……

過去がないから未来もない音だね


それでとーー

ちょっともう続けようがないなこの先は」






私は、たまたま高等学校において、古代ギリシャ文学を愛する教師に勧められ、当時ようやく出版された独習書を使って古代ギリシャ語を勉強しようとした。哲学よりも詩を好み、ギリシャ詞華集の一部を暗誦しようとした。

この勉強は、京都大学法学部に入学してからも継続した。私は、そのまま行けば、ひそかにギリシャ文学を読む会社員か公務員になっていたであろう。

しかし、私は結核になった。当時、結核の経歴があるということは卒業しても失業を意味した(リッツォスの青春期と似た状況である)。治癒後、私は、独立して生きる可能性が高い医師になろうと思い、医学部に転入学した。(中井久夫「私とギリシャ文学」『家族の深淵』所収)

ーー今でもいるのかね、こういう「教養」を身につけている人は。
すでにヴァレリーやエリオット、リルケなどの原典を
甲南の九鬼文庫で読んでいた後の話だからな
何度読んでも愕然とするね
十代の後半のオレはいったいなにをやっていたというのだろう、と


韓国と日本では知識人の基準が少し違う。日本では何らかの専門家であることが必要である。しかし、それでまあ十分である。韓国では、専門の力量に加えて高度の一般教養がなくてはならない。いま小学生から英語を教え、高校で二ヶ国語を必修としている隣国の教育の凄さに日本人は無知である。この家(中井久夫が下宿したY夫人家:引用者)に来訪する韓国の知識人との交際はこよなく洗練され高度なものであった。夫人との毎晩の四方やま話も尽きなかった。当時の私は韓国から毎日出稼ぎに日本へ行っては毎晩帰っているようなものであった。三年間私は文化的に韓国に住んでいた。おそらく、その最良の部分の一端に触れていた。(中井久夫「Y夫人のこと」『家族の深淵』所収


一八歳の中井久夫が休学中(結核だが、個人的絶望のせいでも、とある)、西脇順三郎氏との間で何度か親密な手紙のやりとりをしたことは、知る人ぞ知る、である。

……自分が妙なことにならないために詩の翻訳を自分に課した。これはその後、精神的な危機の際の私の常套手段となった。占領下、H百貨店の洋書部主任、東大仏文でのY氏の好意で入手した洋書が多かった。また私の高校に寄贈されていた九鬼周造氏の蔵書も教師の名で貸与してもらって筆写していた。後者の中にT・S・エリオットの『荒地』があった。

ノートを作ったりしているうちに、N氏の訳が出た。当時としては豪華な装丁と紙質と活字だった。書評は絶賛が続いた。しかし、私は氏がいくつかの初歩的な誤訳をされているように思われた。(……)大いにためらってから、私は氏に手紙を書いた。著名人に手紙を書くのは初めてである。私が当時、鬱屈していたことは否定できない。

私は、数日後、厚い速達に驚かされた。氏は、感動的な率直さで誤訳を認めておられた。(「N氏の手紙」『記憶の肖像』所収)

浅田彰は十年以上まえの東京大学に於ける講演で次のように発言している、--ということは当時の東大にも当然まれだということだろう。


たとえば自分は医者になるがゲーテは原書で読んだとか、自分はフランス文学をやっているが彗星が来る周期に関しては必死にPCで計算してみたというほうが重要。最低限のスタンダードが教育されている上で一人の人間の中で広く浅くたくさんの人と教養を深めようというより、狭く深くでいいから、それが複数並び立つのがいい。医学をやっている人がゲーテを読んだってあまり普遍的な広がりはないかもしれないが、なくていい。深いが狭い、しかし狭いが深いというようなものが複数あってそれらがネットワークを作ることが重要。

もっというと、それが複数の人の間で拡がっていって、深いが狭い、狭いが深いというようなものがいくつかショートする状況を作ることが重要。情報ネットワークの発達でそれを可能にする条件は整いつつある。昔は物理的に全然関係ない学校の人、いわんや別の場所の人とコミュニケートするだけでずいぶん大変だった。今はそれはネットですぐできる。そういうものを使って良い形でのコミュニケ―ションを作ることが重要。(浅田彰氏講演録「知とは何か・学ぶとは何か」)

まじでまともな「人材」つくり直すのだったら
「3歳から小学校入学前の幼児と母親を対象の
のたぐいをやらなくちゃな
十代後半ではまったくおそいんだよ


…………


「憩いに就く」


夜中の一時だったか

それとも一時半


酒場の隅だったね

板仕切りの後ろ

きみと二人。他には人はいなかったね

ともしびもほとんど届かなくて

給仕はドアのきわで眠っていた


誰にも見られなかったけれど

どうせこんなに燃えたからには

用心しろといっても無理だよね。


……


神のごとき七月の燃えさかる中


大きくはだけた着物と着物の間の

肉の喜び。

肉体はただちにむきだしとなってーー

そのまぼろしは二十六年の時間をよぎって

この詩の中で今憩いに就くのだよ(中井久夫訳  以下同)



◆「酒場の隅」あるいは「からみあい」ヴァリエーション

亭主がまだ部屋から出ていくかいかないうちに、フリーダは、はやくも電燈のスイッチを切るなり、カウンター台の下のKのそばに来ていた。

「好きな人! わたしの大好きな人!」と、彼女は、ささやいたが、Kのからだにはふれなかった。恋のために気が遠くなったみたいに仰向けに寝ころんで、両腕をのばしていた。これからはじまる愛の陶酔をまえにしては、時間も無限であるらしかった。(……)

ふたりは、抱きあった。Kの腕のなかで、小さなからだが燃えていた。彼らは、失神したような状態でころげまわった。Kは、この失神状態からたえず抜けだそうとこころみたが、どうにもならなかった。しばらくころげまわっているうちに、どすんとにぶい音をたててクラムの部屋のドアにぶつかった。それからは、こぼれたビールの水たまりや床一面にちらばったごみのなかに寝ころんでいた。そうして、ふたりの呼吸と心臓の鼓動がひとつになった何時間がすぎていった。そのあいだじゅうKは、自分は道に迷っているのかもしれない、あるいは、自分以前にはまだひとりの人間も足をふみ入れたことがないような遠い異郷の地に来てしまったのかもしれないという感じ、ここでは空気ですらも故郷の空気とは異質で、その異質な空気のために息がつまりそうでありながらも、その妖しい魅力にたぶらかされてこのまま歩きつづけ、道に迷いつづけることしかできないという感じをたえずもちつづけていた。(カフカ『城』前田敬作訳)

ところが、ボーイは、調理場の半ば開いた扉とサイド・テーブルの間の、こちらからは良く見えない陰になっている床の上で、空色のスカート丈の短いユニフォームのウエイトレスと激しくもつれあっているのだった。スカートがまくれあがってしまっているので、ストッキングをつけていない長い脚が宙を泳ぐように動き、ボーイはウエイトレスの脚をすくいあげるようにして、抱え込もうとしていた。食堂には何組かの客が食事をしているのだが、客たちはボーイの振舞いには無関心で、というよりも、まるで気がついていないらしく、二組の夫婦の連れている小さな子供たちだけが、床の上の活劇めいた淫らな行為を熱心に見つめていた。

わたしはすっかりあきれてしまい、それに、はっきり言えば、それはかなり刺激的な光景だったので、どぎまぎして、平然としている彼女の顔を見た。彼女はボーイとウエイトレスの淫らな振る舞いに気づいているのだが、気にするでもなく、自分で食堂の調理場に」近いバーのコーナーに足を運んで、カンパリ・ソーダを拵えて来て、椅子にすわりながら、意味もなくわたしの顔を見て無邪気な様子で微笑みかけるのだった。苛立たしい微笑だ。それから、わたしは唐突に、あのボーイの奴はいつもああなんですか、と批難がましい口調で彼女に質問し、彼女は首をかしげて考え込むような仕草をして、そうねえ、いつもというわけじゃあないけれど、と答える。……(金井美恵子『くずれる水』)

私たちはからみあって組みうちをするのだった。私は彼女をひきよせようとし、彼女はしきりに抵抗する。奮闘のために燃えた彼女の頬は、さくらんぼうのように赤くてまるかった。彼女は私がくすぐったかのように笑いつづけ、私は若木をよじのぼろうとするように、彼女を両脚のあいだにしめつけるのであった、そして、自分がやっている体操のさなかに、筋肉の運動と遊戯の熱度とで息ぎれが高まったと思うまもなく、奮闘のために流れおちる汗のしずくのように、私は快楽をもらした、私にはその快楽の味をゆっくり知ろうとするひまもなかった、たちまち私は手紙をうばった。するとジルベルトはきげんよくいった、

「ねえ、よかったら、もうしばらく組みうちをしてもいいのよ。」

おそらく彼女は私の遊戯には私がうちあけた目的以外にべつの目的があるのをおぼろげながら感じたのであろう、しかし私がその目的を達したことには気がつかなかったであろう。そして、その目的を達したのを彼女に気づかれることをおそれた私は(すぐあとで、彼女が侮辱されたはずかしさをこらえて、からだをぐっと縮めるような恰好をしたので、私は自分のおそれがまちがっていなかったのをたしかめることができた)、目的を達したあとの休息を静かに彼女のそばでとりたかったのだが、そんな目的こそほんとうの目的であったととられないために、なおしばらく組うちをつづけることを承諾した。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』井上究一郎訳)

…………


「午後の日射し」


私の馴染んだこの部屋が

貸し部屋になっているわ

その隣は事務所だって。家全体が

事務所になっている。代理店に実業に会社ね


いかにも馴染んだわ、あの部屋


戸口の傍に寝椅子ね

その前にトルコ絨毯

かたわらに棚。そこに黄色の花瓶二つ

右手に、いや逆ね、鏡付きの衣裳箪笥

中央にテーブル。彼はそこで書き物をしたわ

大きな籐椅子が三つね

窓の傍に寝台

何度愛をかわしたでしょう。


(……)


窓の傍の寝台

午後の日射しが寝台の半ばまで伸びて来たものね


…あの日の午後四時に別れたわ

一週間ってーーそれからーー


その週が永遠になったのだわ


カヴァフィスは登場人物の容貌をほとんどまったく記述しない。せいぜいが、「詩的な眼」などといって済ませる。服装も身のこなしも叙述しない。舞台についても単純な数語である。「自然が出てこない」とは古くから言われたとおりである。まさに仮面劇である。 しかし、カヴァフィス詩を読む時、この寡黙に直面して、われわれは何らかの不足不満を感じるだろうか。イメージが湧いてこないとか、この辺はどうなっているのだと疑問に思ったりなど決してしないと思う。何かが足りないという感覚は生じない。ふしぎな過不足のなさである(「未刊詩編」にはある。彼が自詩を精選した「カノン(正典)にはない)。すなわち詩人の彫琢精選の結果である。 一方われわれは演出の自由を委ねられていると感じる。われわれはカヴァフィス劇の演出家とならされる。これがカヴァフィスの第三の魔法である。これが彼の詩を普遍的なものにしている要素の一つである。われわれはわれわれなりに演出できるし、せざるをえない。 (……) 状況を共有し、演出者となり、「ゴシップ」感覚を享楽するという、一見矛盾した点からであろうが、カヴァフィス詩の読者の中には、あるふしぎな感覚、「コミットしながらも醒めている」という奇妙な状況が生じる。すなわち、われわれはカヴァフィス詩の状況に共感し共振するが、決して主人公に同一化することはない。彼が感傷的になっている時でさえ、われわれは、その感傷からある距離を保ち、決してこの距離を失うことはない。おそらく、詩人自身が対象との距離を失わないからであろう。カヴァフィス詩の現代性は、安易な感情移入と同一化とを許さないというところにある。(中井久夫「劇詩人としてのカヴァフィス」『家族の深淵』所収)


「タベルナ」


ベイルートのタベルナ、あいまい宿をはいずりまわる私。

アレクサンドリアにいたたまれなかった。

タミデスに去られた。ちくしょう。

手に手をとって行ってしまった、長官の息子めと。

ナイルのほとりの別荘がほしいためだ。市中の豪邸もだな。

どんな顔して俺がおれる、アレクサンドリアに?

……

そんな人生にも救いはある。一つだけある。

永遠にあせない美のような、わが身体に残る移り香のような、救いはこれだ。タミデス、

いちばん花のある子だったタミデスがまる二年

私のものだった。あまさず私のものだった


しかも邸やナイルに臨む別荘目当てじゃなかったってこと(カヴァフィス「タベルナにて」)



ギリシャの詩人カヴァフィス(1863-1933)は、人が群れ立つ広がりから出られなかったようですね。彼は、少年時代は英国で教育を受けているわけだけれども、十代の後半からずっとアレキサンドリアにいたわけです。一九三三年に死んでいるけれでも、前の年にアテネで喉頭がんの手術を受けました。そのあと、アテネの郊外のギリシャ神話に名高い山が見えるところで静養するように、友人が設定するんですけれども、脱走してしまう。そして、カヴァフィスならあそこに行ったに違いないと思って、アテネのいちばん雑踏しているところを捜すと、はたしてそこにいたという話です。

彼の公刊されてる詩には、ほとんど自然が出てきません。遺稿集のなかには、多少植物も出てきますけれども。全部、町であり、その町と人間と追憶、そして、追憶のからまった町並みです。ほとんど彼の記憶そのものと化したようなアレキサンドリアの町というものですね。

ボードレールも、若いときは、過激なものを少し書いています。カヴァフィスも、ヨーロッパ人の評論をよむと、最初からアレキサンドリアの町の申し子みたいになっている。しかし実際には、二十代の後半あたりは、イギリスに対して、ギリシャの文化遺産を持ち去っていってことを抗議するような文章を書いています。彼がアレキサンドリアの町を一時逃れてコンスタンティノープルに行くのは、英国の艦隊がアレキサンドリアを砲撃し、カイロに進撃して、事実上エジプトを支配していく過程においてです。そして、その過程において、彼は諦念をもってアレキサンドリアの町にひっそり住み直すわけですが、昼は小役人として働き、夜はホモの世界に生き、もう一つの顔が詩人であるということです。

デカルトだって、ある種の断念のなかで都市のなかに定住するわけですね。中国にも、ほんとうの隠者は市に隠れるという成句があるでしょう。彼がオランダに住み着くのは、一つには、言論の自由ということもあるんだろうと思います。しかしオランダの町のざわめきというのを、森のなかの鳥のさえずり、というようなかたちで表現している。とにかく、都市のなかで森の静寂のようなものを味わっていて、非常に快適だと言っているんです。『方法序説』の終わりのほうかな。群衆のなかこそ隠れ家となんだというわけなんです。群衆のなかに混じって何かをやっているわけではないんですね。

あのころのいちばん近代的な都市、無名性を許容する都市というのは、アムステルダムなどのオランダの都市だったと思うんです。そういう共通性があってーーある人たちは、権力を求めて都市に来るのかもしれないけれどもーーある人は、国内的であれ、国外的であれ、亡命するために都市に来るのかもしれない。実際、農村に亡命することはできませんね。

パリとかロンドンというのは、あらゆる肌の色の人がいますけれども、イギリスの田舎にそういう人がポッと入っているかというと、それはないですね。そういう意味では、都市というものは、元来の群れから出た人間が潜り込めるようなものかもしれない。

ルソーが、森に二十歩入ったらもう自由だといっている。耕地は統制されているのですね。腐葉土のようにいろいろのものが棲めるのが自然発生都市というものかもしれません。計画された都市、たとえばつくば学園都市なんていうと、これはだいぶ違うかもしれない。これは正反対のものかもしれませんね。隠れ棲むということができない。そこがケンブリッジやオクスフォードと違う。

カヴァフィスのアレキサンドリアは、彼の詩からみると、重層した記憶の町でしょうがね。実際は相当雑駁な新興都市だと思うんですよ。アラビアンナイトから出てきたような町を予想する人もいますけれども。ことに西洋人でカヴァフィスが好きな人には、そういう思い入れがあるんだけど、実際は、あれは十九世紀になってから、エジプトが近代化を始めて、タマネギだとか綿だとかタバコだとか、農作物の集散所として栄えたぐらいで、けっしてそんな由緒ある町ではない。むしろ猥雑な町だったんでしょうね。トルコ風のコーヒー屋があるかと思ったら、イギリスのクラブがある。中東ふうの淫売窟があるかと思ったら、ヨーロッパ人のクラブのようなものがある。たぶんそのようなところだったのでしょうね。

それもどんどん変わってきて、昔はここにカフェがあったけれども、今は全然なくなっているんだというようなことを、カヴァフィスは詠んでいるし、彼はそういう重層した記憶というなかで住んでいたんでしょうね。(中井久夫「微視的群れ論」 『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕所収)


「野蛮人を待つ」  


「市場に集まり 何を待つのか?」

 「今日 野蛮人が来る」

「元老院はなぜ何もしないのか?
 なぜ 元老たちは法律も作らずに座っているのか?」

 「今日 野蛮人が来るからだ。
  今 法案を通過させて何になる?
  来た野蛮人が法を作るさ」

「なぜ 皇帝がたいそう早起きされ、
 市の正門に玉座をすえられ、
 王冠をかぶられ、正装・正座しておられるのか?」

 「今日 野蛮人が来るからだ。
  皇帝は首領をお迎えなさる。
  首領に授ける羊皮紙も用意なすった。
  授与する称号名号 山ほどお書きなすった」

「なぜわが両執政官、行政監察官らが
 今日 刺繍した緋色の長衣で来たのか?
 なぜ紫水晶をちりばめた腕輪なんぞを着け、輝く緑玉の指輪をはめ、
 みごとな金銀細工の杖を握っているのか?」

 「今日 野蛮人が来るからだ。
  連中はそういう品に目がくらむんだ」

「どうしていつものえらい演説家がこないのか?
 来て演説していうべきことをいわないのか?」

 「今日 野蛮人が来るからだ。
  奴等は雄弁、演説 お嫌いなんだ」

「あっ この騒ぎ。おっぱじった。なにごと?
 ひどい混乱(みんなの顔が何とうっとうしくなった)。
 通りも辻も人がさっとひいて行く。
 なぜ 皆考え込んで家に戻るんだ?」

 「夜になった。野蛮人はまだ来ない。
  兵士が何人か前線から戻った。
  野蛮人はもういないとさ」

「さあ野蛮人抜きでわしらはどうなる?
 連中はせっかく解決策だったのに」


この詩は四一歳の作で出発の遅い詩人としては初期の作品であるが、カヴァフィス詩の特徴がよく出ていると思う。

まず、(1)短い。この詩は長いほうで、彼の詩は一般に三ページを滅多に越えず、数行のことも多い。(2)しかも、その中でストーリーが完結する。(3)読むものをいきなり「事件の核心」に降り立たせる。われわれはいきなり状況に投入され、めまいを覚え、息をのむ。(4)現場にいあわせる感覚がある。この詩ではわれわれは対話を小耳にはさむ思いがするが、対話の相手となる場合も、隣室に独語を聞く時もある。しかも(5)読者は登場人物と決して同一化できず、現場にありながら醒めていなければならぬ。この感覚が特にカヴァフィス詩独自であると私は思う。(6)人間を中心とする寸劇、それも仮面劇である。登場人物の容貌も服装も決して与えられず、場面もヒント程度である。自然は出番がない。演出は大幅に読む者にゆだねられている。能か狂言仕立てにならないかと空想したくなる。(7)歴史ものは必ずどんでん返し、あるいは裏の意味がある。この詩の場合は明白だが、よく考えてやっとわかるものもある。(8)古代と現代とが二重写しである。同時代的に感覚されている。(9)ある市井性、世俗性、下世話さ、ゴシップ性といでもいうべきものがある。(10)彼の風刺には読者の中にある「内面化された世論」へのおもねりがない。非常な皮肉家と見る人もいるが、運命の前の人間の小ささというギリシャ悲劇的感覚につながるという見方も可能であろう。(中井久夫「現代ギリシャ詩人の肖像」『精神科医がものを書くとき』〔Ⅱ〕所収 広栄社)


「船上」 


このちいさな鉛筆がきの肖像は
あいつそっくりだ。

とろけるような午後
甲板で一気に描いた。
まわりはすべてイオニア海。

似ている。でも奴はもっと美男だった。
感覚が病的に鋭くて
会話にぱっと火をつけた。

彼は今もっと美しい。
遠い過去から彼を呼び戻す私の心。

遠い過去だ。すべて。おそろしい古さ。
スケッチも、船も、そして午後も。


このぴりっとした寸劇は彼ならではである。いきなり場面に強い照明を当てる第一行。スケッチは当時の同性愛者たちの写真代りであった。そしてイオニア海は、ギリシャに深入りしている楠見千鶴子さんによれば「エーゲ海ほど激しく挑発的で明晰な色合いを持たない代わりに、柔らかく潤んだ大気と混じり合ったけだるい曖昧さで思わず吐息をつかせてしまう」。しかし、この追悼詩の最終行は? スケッチも船も古くて当然。だが「午後」とは? むろん、その午後ははるかな過去だ。だが、はっと疑念がきざす。回想に耽る只今も陳腐だというのでは? そうなれば感傷はすべてくつがえる。(中井久夫「イオニア海の午後」『家族の肖像』所収)


「はるかな昔」


この記憶をぜひ話したい
だが今はもうひどく色あせてーー消え尽きたかのようーー
はるかな昔だから、私の青年時代だから。

ジャスミンの肌――
あの八月の夕べーーはたして八月だったか?――
眼だけは思い出せるーー青――だったと思う
そう。サファイアの青だったね


……一九八九年春、『カヴァフィス全詩集』は、第四十回読売文学賞の研究翻訳賞を受賞した。選考委員たちは、英訳でカヴァフィスを読んでいる人ばかりであるから、日本語の詩としてのカヴァフィスが評価されたのであろうが、カヴァフィスの偉大さが日本語をとおして日本人に評価されたと思いたい。刊行以来四ヶ月で受賞が決まった時、既に限定一五〇〇部はすべて売り切れており、直接売ってくれと私のところに手紙を下さる人さえあった。詩集としては驚くべきことである。詩集の再版は日本でも少ない事件である。

初版を「限定版」としたからには、しばらく再版しないのが紳士的であった。一九九一年に「普及版」が出る前に、私はもう一度原典と各国語にあたった。この普及版が出てからの新しい現象は、大衆雑誌に引用や書評がのるようになったことである。『メンズ・ノンノ』という男性服飾雑誌(一九九一年七月号)がカヴァフィス詩の一部を掲載し、『Hanako』という雑誌の東京版(一九九一年八月十二日号)が推薦図書に『カヴァフィス全詩集』を挙げた。現代人に読むに耐える愛の詩は多くないのであろう。(中井久夫「私と現代ギリシャ文学」『家族の深淵』所収)


「老人」


カフェの騒がしい片隅で
頭をつくえに伏せて老人がすわっている。
連れはない。前に新聞紙。

老年のありきたりのあわれな姿。
老人は思う、強く賢く見目よかった時を、
楽しまずに過ごした歳月の多くを。

ずいぶん歳をとった。知っている。わかる。
感じもある。 若かったのはほんの昨日。 そんな気がする。

時は過ぎた、速く、実に速く。

「分別」が自分を愚弄した。老人は思う、
バカだった。いつも信じた あのごまかし。
「明日にしよう。時間はまだたっぷり」。

思い出す。衝動に口輪をはめた。喜びを犠牲にした。
失ったせっかくの機会がかわるがわる現れて
今あざわらう、老人の意味なかった分別を。

さて考えすぎた。思い出しすぎた。
頭がくらくらする。ねてしまう老人、
頭をカフェのテーブルにやすめて。


ーーまあそこまで言うなよ、カヴァフィスさん




その老学者はまわりの騒がしい若者たちを眺めていたが、突然、このホールのなかで自由の特権をもっているのは自分だけだ、自分は老人なのだから、と思った。老人になってはじめて人は、群集の、世間の、将来の意見を気にせずともすむ。近づいてくる死だけが彼の仲間であり、死には目を耳もないのだ。死のご機嫌をうかがう必要もない。自分の好きなことをし、いえばいいのだ。(クンデラ『生は彼方に』)

(私の魂)といふことは言へない
その證據を私は君に語らう
……

しかも(私の魂)は記憶する
そして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて来る
私はそれを君の老年のために
書きとめた

ーーー伊東静雄 【鶯】(一老人の詩)  

自由詩における改行の意味はどういうところにあるだろうか? 散文詩とどこが違うのであろうか。これには、十分な説明を聞いたことがない。私はこう考えている。読む速度をひそかに規定しているのであろう、と。長い行は速い速度で、短い行はゆっくりした速度で読みように、という指示を下しているのである。散文詩とは、ほぼ同じ速度で読まれる詩である。音韻的には、散文とはそういうものであるというのが、私だけの定義である。同じエリティスの詩でも「狂ったザクロの木」は「エーゲ海」よりも速い速度で読まれるのが自然だと私は思い、私の翻訳では、そのように訳してある。思い入れたっぷりの現代日本詩の朗読法は私の好みではない。現代ギリシャ詩の朗読のように、もっと速い速度で、過度の抑揚を付けずに、ほとんど散文的に、しかし行の長さによって速度を変えるか、行間休止時間を変え、頭韻や脚韻に注意して読まれるべきである。そうすれば、日本語においても、母音と母音、子音と子音の響き合いによる美しさが現れるはずである。

ついでにいえば、私にとって、詩とは言語の徴候的使用であり、散文とは図式的使用である。詩語は、ひびきあい、きらめき交わす予感と余韻とに満ちていなければならない。私がエリティスやカヴァフィスを読み進む時、未熟な言語能力ゆえに時間を要する。その間に、私の予感的な言語意識は次の行を予感する。この予感が外れても、それはそれで「快い意外さ  la bonne surprise」がある。詩を読む快楽とは、このような時間性の中でひとときを過ごすことであると私は思う。(中井久夫「私と現代ギリシャ文学」)

…………

中井久夫のカヴァフィス詩訳は「濡れている」のだよなあ
ヴァレリー訳はそれほどまでにも感じないのだけれど
原詩にもよるのか イオニア海によるものか

《学者たちのこごしくこちたい邦訳は私の心の琴線を掻き鳴らすものではなかった(上田敏や永井荷風の言葉もやや遠かった)》と書いているけれども
中井久夫のエッセイにさえも感じることのすくないあの「濡れ」の感覚

私は、詩の翻訳可能性にかんしての議論は表層言語の水準では解決できないものであると考えている。訳詩というものがそもそも果たして可能かという議論はいつまでも尽きない永遠の問題である。これが、ゼノンの逆理に似ているのは、歩行は現実にできているのだが、それを歩行と認めるかどうかという問題だからだ。ゼノンの逆理に対してディオゲネスは「立って歩けば解決できる」と言ったが、それでもなお「歩いているというのは何かの間違いだ」「ほんとうは歩けないはずだ」という反論はありうるだろう。つまり、詩の訳はできているし、あるのだが、それでもなお「それは原詩とはちがう」「ほんとうは詩の訳はできない」ということはできる。

私は、多くのものが他のもので代表象〔ルプラザンテ〕できる程度には詩の翻訳は可能であると考える。それだけでなく、もっと強く、原文を味到できる人も、その人の母語が別の言語であるならばその人の母語によって訳詩を読むことにかけがえのない意義があると考える。

その詩を母語としない外国語学の専門家が原文を母語のように味到できるという可能性は絶無ではないが、言語の生理学からは非常に至難の技である。ましてや詩である。

人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ、その上に一歳までの間に喃語を呟きながらその言語の音素とその組み合わせの刻印を受け取り、その言語の単語によって世界を分節化し、最後のおおよそ二歳半から三歳にかけての「言語爆発」によって一挙に「成人文法性adult grammaticality」を獲得する。これが言語発達の初期に起こることである。これは成人になってからでは絶対に習得して身につけることができない能力であると決っているわけではないけれども、なまなかの語学の専門家養成過程ぐらいで身につくものではないからである。


それを疑う人は、あなたが男性ならば女性性器を指す語をあなたの方言でそっと呟いてみられよ。周囲に聴く者がいなくても、あなたの体はよじれて身も世もあらぬ思いをされるであろう。ところが、三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。英語、フランス語ならばなおさらである。これは母語が肉体化しているということだ。

いかに原文に通じている人も、全身を戦慄させるほどにはその言語によって総身が「濡れて」いると私は思わない。よい訳とは単なる注釈の一つの形ではない。母語による戦慄をあなたの中に蘇えらせるものである。「かけがえのない価値」とはそういうことである。

この戦慄は、訳者の戦慄と同じでなくてもよい。むしろ多少の違和感があることこそあなたの中にそういう戦慄を蘇えらせる契機となる。実際、訳詩家は翻訳によって初めて原詩の戦慄を翻訳に着手する以前よりも遥かに深く味わうものである。そうでなければ、経済的に報われることが散文翻訳に比してもさらに少ない詩の翻訳を誰が手掛けるだろうか。

翻訳以前の原詩は、いかに精密であり美しくてもアルプスの地図に過ぎない。翻訳は登頂である。ただに頂上を極めることだけではなく、それが極められなくとも、道々の風景を実際に体験する。翻訳を読むことは、あなたが原文を味到することが十分できる方〔かた〕であって、その翻訳にあきたりないところがあっても、登頂の疑似体験にはなる。愛するすべての外国語詩を原語で読むことは誰にもできない相談であるから、訳詩を読むことは、その言語に生まれついていない人には必ず独立の価値があって、それをとおして、原詩を味わうのに貢献すると私は思う。(中井久夫「訳詩の生理学」ーー「女の味」)





2013年12月20日金曜日

暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとする(フロイト、ドゥルーズ)

私はおよそ世界観の製造などを心がけていない。そういうことは哲学者にまかせるがよい。疑いもなく哲学者というものは、あらゆる事情が書きしるしてある旅行案内をもたないと、人生の旅行ができないのである。彼らはその高次の必要性の立場から、軽蔑をもってわれわれを見下すにしても、われわれはあまんじてそれをうけよう。われわれに自己愛的な傲慢があるのは否定できないにしても、自らを慰めて、こう言いたい。これら「人生の指導者」どもは、いくばくもなく、すべて古ぼけてしまうのであって、その旅行案内の再版を余儀なくさせるのは、まさにわれわれの近視眼的にせばめられたささやかな仕事であり、かれらの最新版の旅行案内さえも、もとは、昔の便利で完全な教義問答に代わろうとしているにすぎないのだ。科学が今日まで、世界の謎に光明をあたえることが、どんなに少なかったかは、われわれとてもよく承知している。だが、哲学者のあらゆる騒音は事態を変えはしないこと、確実性を唯一の信条として追求していく忍耐づよい研究の続行だけが、徐々に変革をもたらすこと、これもわれわれはよく知っている。暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。(フロイト『制止、症状、不安』(1926)旧訳フロイト著作集6からだが、一箇所訳語を変更 「高級な貧困」→「高次の必要性」)

《暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。》


まったく異なった文脈で書かれているのだが、『ミラ・プラトー』には、《暗闇をさまよう者は、歌をうたって》カオスのなかに秩序をつくれ、とある、まるでフロイトの美しい表現を使い反フロイトの言葉を紡ぎだすかのようだ。

暗闇に幼い児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(……)

歌はカオスからとびだしてカオスのなかに秩序をつくりはじめる。ひとりの子どもが、学校の宿題をこなすために、力を集中しようとして小声で歌う。ひとりの主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力を持たせているのだ。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「リトルネロについて」厚表紙版p359)

だが、《歌には、いつ分解してしまうかもしれぬ危険がある》という面も肝要なのだろう。そして上の

文だけでは反フロイトであるかどうかは、実のところわからない。だが上の文のすこしまえにはこうある。精神分析家は、歌の、そのリトルネロのことが分っていない、と。

われわれは、リトルネロ(リフレイン)こそ、まさに音楽の内容であり、音楽にひときわ適した内容のブロックであると考える。一人の子どもが暗闇で心を落ち着けようとしたり、両手を打ち鳴らしたりする。あるいは歩き方を考え出し、それを歩道の特徴に適合させたり、「いないいない、ばあ」(Fort-Da)の呪文を唱えたりする(精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとするからだ)。タララ、タララ。一人の女が歌を口ずさむ。「小声で、やさしく一つ節を口ずさむのが聞こえた。」小鳥が、独自のリトルネロを歌いはじめる。ジャヌカンからメシアンにいたるまで、音楽は実にさまざまな形で、小鳥の歌に貫かれている。ルルル、ルルル。音楽は幼児期のブロックによって、また女性性のブロックによって貫かれている。音楽はありとあらゆるマイノリティに貫かれているが、それでもなお絶対な力能を構成する。子供たちのリトルネロ、女たちの、さまざまな民族の、さまざまな領土の、そして愛と破壊のリトルネロ。そこにリズムが生まれる。シューマンの全作品はリトルネロや幼児期のブロックから成り立ち、そこに独自の処理がほどこされている。こうしてシューマン独自の子供への生成変化と、クララという名をもつ女性への生成変化が生まれる。子供の遊戯や子供時代の光景、そして小鳥の歌をすべて拾いあげ、音楽史上のリトルネロが示す斜線上の、あるいは横断的な用例を一覧表にまとめあげることはできるだろう。しかし一覧表など何の役にも立たない。実際には音楽にとって本質的で必然的な内容が問題となっているのに、一覧表を作ってしまうと、主題や題材のモチーフの豊富な実例に目を奪われることになるからだ。リトルネロのモチーフは不安、恐怖、悦び、愛、労働、行進、領土など、さまざまでありうる。しかしリトルネロ自体はあくまでも音楽の内容なのである。

われわれは、リトルネロが音楽の起源であるとか、音楽はリトルネロをもって始まると主張しているのではない。いつ音楽が始まるのか、実のところよくわからないのだ。それにリトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか。しかし音楽が存在するのは、リトルネロもまた存在するからだ。音楽は内容としてのリトルネロととりあげ、これをつかもとって表現の形式に組み入れるからだ。音楽がリトルネロとブロックをなし、それを別のところにもたらすからだ。それ自体は音楽でない子供のリトルネロが、音楽の<子供への生成変化>とブロックをなす。((同「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p344)

《精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとする》だけでないように、ラカンは最晩年ララング概念を紡ぎだしたとしてよい。

lalangue(ララング)とはまず、喃語lalationと関連づけられ、当然、乳幼児に認められるものだが、母親がこれに加わる。母親も自分の赤ん坊には、「大人のことば」以外にも、赤ん坊が喋る喃語を真似てやはり喃語を喋る。母親は赤ん坊の欲望(ここでは、まずは、敢えて、要求とか欲求ということばを用いないで説明したい)を叶えようとする一方で、その母国語を教える。lalationからla langueへ入ってゆく、そこにlalangueができあがるとしてもよいであろう。(ラカン『ラ・トゥルワジィエーム』 La Troisième




……一つの<線―ブロック>が音の中間を通りぬけ、位置決定が不可能な独自の環境(中間)で芽を吹くのだ。音のブロックはインテルメッツォ〔間奏曲〕である。つまり音学的組織をすりぬけ、なおさら強度の音を放つ器官なき身体、あるいは反-記憶なのである。

「シューマン的身体は一箇所にとどまることがない。(……)インテルメッツォは全作品と一体化している。(……)極言するあんら、インテルメッツォしかないのだ。(……)シューマン的身体には分岐しかない。この身体はみずからを構築していくのではなく、ただ間奏曲(休止)を積み重ね、不断の分岐を続けるのだ。(……)シューマン的鼓動は、狂乱しながらもなお、コードをそなえている。そして鼓動を刻む音の狂乱が一般には見過されがちなのは、一見したところ、この狂乱が穏当な言語の限度内に収まっているからである。(……)調性には、矛盾し、しかも共存しうる二つの面があると想定してみよう。一方にはスクリーンが、つまり既知の組織にしたがって身体を分節する言語がありながら、しかしもう一方では、矛盾したことに調性が、別の水準では馴致すべきはずの鼓動に対して、その巧みなしもべとなるのだ。」(ロラン・バルト『第三の意味――映像と演劇と音楽と』)(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p342)

◆ロラン・バルトがその晩年もっとも愛した曲のひとつ、op133の冒頭の『暁の歌』






別の観点から、次のような言い方もある。古井由吉は、カオスのなかに秩序をつくるということではなく、リアル(現実界)に直面したときに、それに耳を塞ぐために、音楽を聴くのではないか、という意味に受けとれる文章を書いている。もっともドゥルーズ&ガタリは《

リトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか》と書いていることを忘れているわけではない。

騒音に押し入られるままになっている人間にとって、ときたまはさまる静まりこそ、おそろしい。静まりとは言いながら内に狂躁の、おもむろな切迫のようなものをはらむ。内にふくらみかかる狂躁を出し抜くためにも、外へ向かって自分から躁がなくてはならない。取りあえず喋りまくる。人がいなければ何でもよいから音を立てる。誰もいない部屋にもどるとまずテレビをつける。まさに、沈黙を忌む、である。耳を澄ますのも、沈黙を招くおそれがあるので、よほど用心しなくてはならない。人との話によけいな間を置くのも、お互いに沈黙の中へ惹きこまれそうになるので、あぶない。

これでは耳の上げ底どころか、心の上げ底になる。道理で物を深くは感じ止められないばかりに、深く思うこともできなかったはずだ。そのことは自嘲して済ますとしても、そうなるとしかし、今の世の男女の交わりは、お互いに沈黙をふせぐための、躁がしさの交換になるはしないか。死者たちのもとまで通じるような沈黙の中へぽつりぽつりと滴る、睦言や兼言や怨言は、絶えて久しい。(古井由吉『蜩の声』)

 あるいは。
音楽こそ人生の苦悶の精華ではないか。どこかで血が流れていると、響きがいよいよ冴える。

ところがたった一人の恍惚者は果てた後の沈黙を心の静かさと取り違えて、祭司みたいな手つきでレコードを替えて塵を払い、また始める。これにはよほどの神経の鈍磨が必要だ。そうそう自らを固く戒めてきたはずなのに、近頃私はまた、夜中にステレオの前に坐りこんでレコードを取っ替え引っ替え回す悪癖に馴染んでしまった。 ただ、音の流れが跡切れると、間がもてない。音が消えたとたんに、自分を囲む空間のまとまりがつかないような、物がひとつひとつ荒涼とした素顔を見せて、私を中心にまとまるのを拒むような、そんな所在なさを覚える。

しかしさいわい、音楽と私とは、相変らず折合いが良くない。一節がこちらの身体の奥へすこしく深く響き入って来ると、私の神経はたちまちざわめき立ち、音楽のほうもなにか耳ざわりすれすれのところまで張りつめ、両者は互いを憎むことにならぬようあっさり別れる。(古井由吉『哀原』赤牛ーートラウマを飼い馴らす音楽

ある種の音楽を聴きつづけるには、《よほどの神経の鈍磨が必要》であるには相違ない。

《If we make music and listen to it,. . . it is in order to silence what deserves to be called the voice as the object a".( Jacques-Alain Miller, 1989 cited in Dolar, 1996)》-- Mladen Dolar,”The Object Voice”

"Why do we listen to music?": in order to avoid the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects us from directly confronting the horror of the (vocal) object.(……)

The true object voice is mute, "stuck in the throat," and what effectively reverberates is the void: resonance always takes place in a vacuum—the tone as such is originally a lament for the lost object.— ---Zizek"I Hear You with My Eyes"――「「声」と「沈黙」

音楽が《沈黙と測りあえるほど》(武満徹)のものであるなら、つまり現実界の沈黙の声に耳をすますことを促すものであるならば、どうやって絶え間なしに聴きつづけることができよう。

たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、
音でないものも運動によって定義されるゆえに、
音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、
それが外部にあるとは言えない。
境界はあっても境界線はなく、
沈黙は音と限りなく接していて、
音が次第に微かになり、消えていくとき、
音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。
逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、
ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。
運動に内部もなく、外部もなく、
それと同じように運動によって定義されるものは、
内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、
「音楽をつくることは、
音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、
作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。
流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、
運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。
微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、
それはうつくしい」

ーー高橋悠治『音楽の反方法論的序説』 「音の輪が回る」ーー音と沈黙の「地」と「図」

◆Glenn Gould PIANO SOLO(ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳)より。

彼の演奏について語ろうとしても、いくつかの言葉しか思い浮かばない。遠さ、戦慄、なにか異様なもの。彼はわれわれを試練に遭わせるーーあまりにも透明なあの音、昇華作用を経たあのピアノが耐えられないという人々をわたしは知っている。このピアノを聴くと彼らの皮膚はひきつり、指は痙攣するのだ。試練はときに恐ろしいものを含んでいる。わたしもまた、そのせいで、彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある。
美は耐えがたいものであり、また不寛容なものでもある。美は容赦なくわれわれの視線をさぐり、音を聞こうとする耳を誘惑し、待機中の言葉をつかみかかり、電撃と緩慢さを交錯させる。美はみずから充足し、わたしたち抜きで存在するのだが、それでいて嫌になるほど執拗に呼びかけ、こちらにはわかるはずもない答えを要求する。<パルティータ>第六番の冒頭の数小節からは、あの苦痛をともなう喜び、あのわれわれを分割する瞬間的な光、リルケが語ったあの「恐るべきもののはじまり」が感じられる。完成しながら消えてゆくなにかだ。アルペジオで奏される単純な和音は、ほとんど無に近くも、安定し厳格で簡素な構造となっている。それが開かされるのは、われわれを切り開くという理由だけのことからだ。意図も計算もなく、自身をもって切りつけてくる身振りだ。メスのような冷たさで、音楽の肉体とひとつになった肉体、わたしの肉体めがけて曲線を切りつけてくるのだ。

グールドは連続と切れ目が同時に見いだされるアーティキュレーションのもとにあの数小節を弾いた。そこには長いこと気がかりを見すえ、自分自身の裂け目を真正面から受け止めようとしてきた人間の無頓着な手つきのたしかさがある。
グールドの場合には、なによりもヘルダーリンが望んだ表現の透明さ die Klarheit der Darstellungがある。このような透明な光は熱狂的な憑依体験の対極にあるわけではない。このような光は、静謐なものでもなければ抑制されたものでもない。それは奪い取ることであり、切開を意味するのだ。それでいてこの光は冷たく遠くにある。神的なるものの訪れは火、炎、煙の上がる光景を意味しない。グールドを訪れた神はヘルダーリンを訪れた神と同一である。ディオニュソスではない。熱狂的な暗闇の神ではない。アポロンであり、正しきもの、透明なるものなのだ。


だがグールドのバッハ演奏には事物の謎めいた明証性――われわれからはなにも期待せず、われわれに欲望や記憶があるとは夢にも思わないでいる事物の明証性がある。そのとき音楽は耳に聞えてくるものではなく、われわれを聞くものとなる。

グールドによるバッハの<トッカータ>の演奏はこうしたものだ。この音楽は、耳をそばだてわれわれのことを聴きながら、しかも音楽それ自身しか聴いていない。そのとき人が受け取ることになるのは、親密さをことごとくそぎ落してしまった音のもつれであり、凍てついた微かなフレーズの光であり、手が摑むのは、ひろげた両方のてのひらに入る分量の沈黙なのだ。

だが依然として音楽であるには違いない。あらゆるものにもまして力強く、あらゆるものを横断してやってくる音楽、別の時間と別の場所から洩れて聞えてくる音楽。年老いていると同時に年齢のない音楽。信じがたいほどに音楽それ自体にぴったり調和した音楽。この音楽のなかには取り返しのつかぬなにかが存在している。そのなにかが前進する。むきだしの裸であって、恩寵はやってこないだろう。なおも夜のなかの声だ。消滅に抗して発せられる声、消滅そのものの声だ。その声はなんと忍耐強く執拗なのだろう、そしてこの音楽はなんと疲れを知らぬことか、もはや歩くことができなくなったようにして足を大地に引きずり、眼を天空にさまよわせながら前進するこの音楽は。


◆ジャン・ジュネ『ジャコメッティのアトリエ』 宮川淳・訳

美には傷以外の起源はない。単独で、各人各様の、かくされた、あるいは眼に見える傷、どんな人間もそれを自分の裡に宿し、守っている。そして、世界を 去って、一時的な、だが深い孤独に閉じこもりたいときには、ここに身を退くのである。だから、この芸術と、ひとびとが悲惨主義と名付けるものとは、はるかに隔たっている。

ジャコメッティの芸術はあらゆる存在、のみならず、あらゆる事物のこの秘められた傷を見出だそうとのぞんでいる。この傷がそれらの存在や事物を照らし、輝かさんがために。私にはそう思える。




もちろん、われわれ「俗物」は、つねに彼らのようでありうるわけではないだろう。音楽や彫刻だけでなく、文学だってときには慰安の芸術が必要なのだ。

俗物(philistine)は成熟した大人であって、その関心の内容は物質的かつ常識的であり、その精神状態は彼または彼女の仲間や時代のありふれた思想と月並みな理想にかたちづくられている。(……)「ブルジョア」という言葉を、マルクスではなくフロベールの用例に従って私 は用いる。フロベールの意味での「ブルジョア」は一つの精神状態であって、財布の状態ではない。ブルジョアは気取った俗物であり、威厳ある下司である。

順応しよう、帰属しよう、参加しようという衝動にたえず駆り立てられている俗物は、二つの渇望のあいだで引き裂かれている。一つは、みんなのするようにしたい、何百万もの人びとがあの品物を褒め、この品物を使っているから、自分も同じものを褒めたり使ったりしたい、という渇望である。もう一つは排他的な場、何かの組織や、クラブ、ホテルなどの常連、あるいは豪華客船の社交場(白い制服を着た船長や、すばらしい食事)に所属し、一流会社の社長やヨーロッパ の伯爵が隣に座っているのを見て喜びたい、という渇望である。(ナボコフ『ロシア文学講義』)

「成熟した大人」であるならば、慰めばかりの音楽を選び、いつまでも聴きつづけることができるのだろう。次の文はべつに女性だけの話ではない。

女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」

つまりはこういうことだ。

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

ーーもちろんここでの「凡庸」とはナボコフのいう「俗物」性のことだ。


…………

夜のこわさ。夜でないこわさ。
ひとことでいい。もとめるだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きている、待っているというしるしだけ。いや、もとめなくていい。一息だけ。一息もいらない。かまえだけ。かまえもいらない。おもうだけで。おもうこともない。しずかな眠りだけでいい。……………カフカ(高橋悠治『カフカ/夜の時間』より)
ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。(カフカ 親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日

カフカは、ギムナジウム時代、ニーチェを読んでいた。《ぼくらの内の氷結した海を砕く斧》とは、たとえば、『ツァラトゥストラ』の「幻影と謎」に、《かれの心の氷が割れた》という表現がある。

あるいは、あらあらしい断崖と断崖の間に立っていたツァラトゥストラは、喉に匐いこんだ蛇のため、《のたうち、あえぎ、痙攣し、顔をひきつらせている》若い牧人を見る、そしてツァラトゥストラの絶叫の声、《蛇の頭を噛み切れ。噛め!》――命令どおり噛み蛇の頭を吐き出したあとは次のように書かれる、《それはもはや牧人ではなかった。人間ではなかった、――一人の変容した者、光につつまれた者だった》

この箇所も同じように、《ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないか》との照合がある。



                                      [Prague]August 28  1904]


現代ではストオリイは小説にあるだけではない。宗教もお話であり、批評もお話であると私は書いたが、政治も科学も歴史もお話になろうとしている。ラジオやテレビは一日中、料理や事件や宇宙について、甘いお話を流し続け、われわれは過去についてお話を作り上げ、お話で未来を占っている。

これらのお話を破壊しないものが、最も慰安的であるが、現実にもわれわれの内部にもお話の及ばない極地は存在する。人間はそこに止ることは出来ないにしても、常にその存在を意識していなければならない。だからこの不透明な部分を志向するお話が、よいお話である、というのが私の偏見である。(大岡昇平『常識的文学論』)