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2014年11月10日月曜日

密封した千の瓶

たとえばこういうことがある。このインドシナの土地では、いま雨季から乾季の変わり目で、これから一ヶ月ほどが一年のうちでもっとも気温が低くなる。とはいえ日中はあいかわらずTシャツと短パンですみ、ただ早朝バイクで走ればウィンドブレーカーが必要となる程度の気温だが。

朝、やや寝過ごしたある日、目が覚めて二階の書斎兼寝室の窓を開ける。室内の気温は当地には珍しく肌寒くなっており、窓を開けた瞬間、日に温められた外気のもわっとした懐かしい感覚に襲われる。このとてつもない懐かしさの快感はどこから生じるのだろうかとしばらく茫然としているのだが、それは、なにかがふとよみがえって、よく耳を傾けてきこう、楽譜にしてみようとつとめる歌のふしに似ている。そうしてしばらくすると、その歌のふしは、日本の五月の初めから五月の半ばにかけての外気を吸ったときの感覚であることがわかってくる。この感覚が訪れるのは一年のうちこの季節だけなのだが、今年もつい先日それにめぐり合った。

三十歳前後、京都の松尾近くに住んでおり、五月にはしばしば自転車で桂川べりをのぼり、嵐山や嵯峨野方面をめぐった。あの窓を開けたときの感覚は、たとえば嵯峨野の大覚寺横の大沢池をさらに東に向かったところにあるれんげ畑をみやったときの快感をも想起させてくれる。






このあたりはと豆腐の老舗森嘉もあり、朝早く行かないと売り切れてしまうので、早朝、季節がよければ自転車で買いに行ったのだが、その豆腐の味まで憶い出す。お揚げさんがことさら美味だった。





もっともこの日本の初夏の感覚は窓からの外気でないこともある。一昨年の十一月十四日の日記にはこう書いている。

「ようやく乾季の訪れか。台所のテーブルに坐って珈琲を啜りつつ開け放たれた窓のむこうの前庭をぼんやり見やれば、花崗岩で組まれた塀のでこぼこした表に、細かく拡がった梢の末の翳を柔らかく描くのは、少し前とは違っておだやかで懐かしい陽射しだ。かすかな風にゆらぐその梢の模様とこがね色の陽光は粘つかず、さらさらと、……《小石ばかりの、河原があって、/それに陽は、さらさらと/さらさらと射しているのでありました》(中也)」

だがこの冷気と暖気、光と影、浮彫と省略、回想と忘却の強い快感を翌日も味わおうとして、朝、窓を開けても、もう前日の快感ほどのものはなくなっている。一年ぶりの感覚の新鮮さがもう翌日その鮮烈さを失ったということもあるだろうが、もっと本質的には、わたくしの構えが、プルーストのいう無意志的なもの/積極的意志の二項対立の後者になってしまっていることによる。

それというのも、フォークの音とかマドレーヌの味とかのような種類の無意識的記憶であれ、私が頭のなかでその意味を求めようと試みていた形象――鐘塔、雑草といった形象が、私の頭のなかで、複雑な、花咲き乱れた、ある魔法の書〔グリモワール〕を編んでいたーーそんな形象のたすけを借りて書かれるあの真実であれ、それらのものの第一の特徴は、私が勝手にそれらを選びだしたのではないということであり、それらがありのままの姿で私にあたえられたということであったからだ。また、それこそが、それらのものの真性証明〔オータンテイシテ〕の極印になるのだと私に感じられた。私は中庭の不揃いな二つの敷石をさがしに行ってそこで足をぶつけたわけではなかった。そうではなくて、不可避的に、偶然に、感覚の出会がおこなわれたという、まさにそのことこそ、その感覚がよみがえらせた過去とその感覚がさそいだした映像との真実に、検印をおすものであった、その証拠に、われわれはあかるい光に向かってあがってこようとするその感覚の努力を感じるのであり、ふたたび見出された現実というもののよろこびを感じるわけなのだ。(プルースト『見出された時』井上究一郎訳 文庫P336)

これは無意識的記憶(無意志的記憶)にかかわる文だが、積極的意志とはプルーストによって「理知」とも書かれる。


また人生が、あるときはじつに美しいものに見えても、結局つまらないもおと判断されたのだったとしたら、そのつまらなさというのは、人生それ自身とはまったくべつのものによって、人生を何一つふくんでいない映像によって、人生を判断し、人生を貶めているからであることを理解するのであった。そしてそれに付随してやっと私が気づいたのは、ざっとこういうことだった、現実の真の印象の一つ一つのあいだをへだてている相違はーー人生の型にはまった一様な描写がとうてい真のものに似るはずがないのは、このたがいの相違によって説明されるんだがーーたぶんつぎのような原因によるのだ、すなわち、われわれが人生のある時期にいったきわめてわずかな言葉とか、ある時期にやったきわめて些細な身振とかは、論理的にすこしもそれとは関係がない諸物にとりかこまれ、その諸物の反映を受けていたが、それらの物を言葉、身振から切りはなしてしまったのは理知で、そうなった以上、理知は、われわれが推理を必要とする場合がきても、それらの物をどこにつなぐこともできなかったのだ。ところが、それらのさまざまな物のまんなかにはーーここには、田舎のレストランの花咲く壁面のばら色の夕映とか、空腹感とか、女たちへの欲望とか、ぜいたくへの快楽とががあり、かしこには、水の女精たちの肩のようにちらちらと水面に浮かびでる楽節の断片をつつみこむ朝の海の青い波の渦巻があるというふうにーーこの上もなく単純な身振や行為が、密封した千の瓶のなかにとじこめられたようになって残っており、その瓶の一つ一つには、絶対に他とは異なる色や匂や気温をふくむものが、いっぱいに詰っているだろう、いうまでもなく、それらの瓶は、われわれが単に夢によってであれ思考によってであれ、たえず変化することをやめないで過ぎてきたその年月順に配列されているのであり、また種々さまざまな高度に位置していて、われわれにきわめて多種多様な雰囲気の感覚をあたえるというわけなのだ。むろんそういう諸変化をわれわれは知らずのうちになしとげただろう。それにしても、突然われわれにもどってくる回想と、われわれの現状とのあいだには、異なる年月、場所、時間の、二つの回想のあいだにおいても同様だが、非常な距離がある、したがって、両者に特有の独自性を問題外にしても、その距離の点だけで、それぞれをたがいに比較できなくするに十分だろう。そうなのだ、回想は、忘却のおかげで、それ自身と現在の瞬間とのあいだに、なんの関係をむすぶことも、どんな鎖の輪を投げることもできなかった、回想は自分の場所、自分の日付にとどまったままだった、回想はいつまでもある谷間の窪道に、ある峰の尖端に、その距離、その孤立を保ってきた、というのが事実であるにしても、その回想が、突然われわれにある新しい空気を吸わせるというわけは、その空気こそまさしくわれわれがかつて吸ったある空気だからなのである。そうした一段と純粋な空気こそ、詩人たちが楽園にみなぎらせようと空しく試みたものであり、その空気は、すでに過去において吸われたことがあって、はじめて、あのように深い再生の感覚をあたえることができるのであろう、けだし、真の楽園とは、人がひとたび失った楽園なのだ。(プルースト『見出された時』P320-321)

 この「積極的意志/無意志的なもの」は、昨日も書いたが、プルースト=ドゥルーズによって、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈》などと言い換えられる。



これらの、「友情/恋愛、会話/沈黙した解釈」の現象のあらわれとして読むことができる小林秀雄の「富永太郎の思ひ出」という短文がある。これも昨年の11月15日の日記にあり、この乾季のおけるプルースト的レミニサンス(無意志的記憶)の時が垂直に立ち上がる刻限の茫然自失から立ち直った後に書かれた文である。

記憶とは、過去を刻々に変へて行く策略めいた或る能力である。富永が死んだ年、僕は彼を悼む文章を書いたが、今それを読んでみて、当時は確かに僕の裡に生きてゐた様々な観念が、既に今は死んで了つてゐる事を確めた。そして、自分は当時、本当に富永の死を悼んでゐたのだらうか、といふ答へのない疑問に苦しむ。

これはまずは次のようなことを言っているはずだ。


(一般に)過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264)
 

しかし続いてある次の文の、


・《発熱で上気した頬の上部に黒い大きな隈が出来てゐて、それが僕をハッとさせた。強い不吉な印象であつた。》


・《死は殆ど足音を立てて彼に近付いてゐた。その確かな形を前にしながら、僕は何故、それを瞥見するに止めたのだらうか。其他これに類する強い印象を、彼の姿態から折に触れ、間違ひなく感受し乍ら、何故、それが当時も僕の心のなかで、然るべき場所を占めなかつたのであらうか。》


――これを読むと、《然るべき場所を占めなかつた》のは友情のせいじゃないかと読む(誤読)ことができるように思う。


彼の死んだ年の或る暑い真昼、僕は彼の家を訪ねた。彼は床の上に長々と腹這ひになつて鰻の弁当を食べてゐた。縁側から這入つて行く僕の方を向き、彼は笑つたが、発熱で上気した頬の上部に黒い大きな隈が出来てゐて、それが僕をハッとさせた。強い不吉な印象であつた。彼は最近書いたと言つて、小さな紙切れに鉛筆で走り書きしたものを見せた。"au Rimbaud"といふ詩だつた。彼は、目をつぶつたまゝ"Parmi les flots : les martyrs!"と呟いた。僕は紙切れを手にして、どんな空想を喋つたか、もう少しも覚えてゐない。だが、たつた今僕を驚かせた彼の顔を、もう少しも見てはゐなかつた事は確かである。死は殆ど足音を立てて彼に近付いてゐた。その確かな形を前にしながら、僕は何故、それを瞥見するに止めたのだらうか。其他これに類する強い印象を、彼の姿態から折に触れ、間違ひなく感受し乍ら、何故、それが当時も僕の心のなかで、然るべき場所を占めなかつたのであらうか。それはどんな空想のした業だつたのだらうか。彼が死んだ時に、僕は京橋の病院にゐて手術の苦痛以外に何も考へてはゐなかつた。間もなく僕はいろいろな事を思ひ知らねばならなかつた、とりわけ自分が人生の入り口に立つてゐた事に就いて。

 富永の霊よ、安かれ、僕は再び君に就いて書く事はあるまいと思ふ。(1941年1月、筑摩書房『富永太郎詩集』)

 富永の顔に現われた「黒い大きな隈」、そのシーニュを読みとる小林秀雄は、《観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈》における二分法の後者、「感受性=愛」の小林秀雄だったのだが、たちまち「おしゃべりな友人同士のコミュニケーション」によって、前者の「観察=友情」の構えになってしまったのだ。

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p199)

《誰かといっしょになったり、友人に話しかけたりすると、すぐ私の精神はくるりと向きを変え、思考の方向は、私自身にではなく、その話相手に移ってしまう。》(プルースト『花咲く乙女たちのかげに 二』)

小林秀雄は、話相手にあらわれた己れの「感受性」、「沈黙した解釈」を促すシーニュ(黒い大きな隈)を捨て去り、友情による「会話」、「観察」に移ってしまったのではないだろうか。すくなくとも、わたくしはそう読んでみたい誘惑にかられる。

《彼の姿態から折に触れ、間違ひなく感受し乍ら、何故、それが当時も僕の心のなかで、然るべき場所を占めなかつた》




私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。

日本には帰省する気はいまのところないね。過去10年以上のあいだ1年に1度は10日ほど帰っていたのだけれど、そしてこの3年ほど帰っていなくて懐かしいには違いないけれど、毎度のこと《あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云ふ》という気分になるからな。それとプルーストのいうような「失望」もあるしね。

…………

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしようという気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです。(ドゥルーズ「哲学について」『記号と事件』)

このドゥルーズの《私はとても旅をしようという気になれない》などというものは、プルーストのヴァリエーションにすぎない、《動きすぎないようにこころがけなければならない》というのも同じく。もちろん、ひとがそれを勝手に「誤読」するのは自由である、--と書けば言い過ぎか?

哲学者には、《友人》が存在する。プルーストが、哲学にも友情にも、同じ批判をしているのは重要なことである。友人たちは、事物や語の意味作用について意見が一致する、積極的意志のひとたちとして、互いに関係している。彼は、共通の積極的意志の影響下にたがいにコミュニケーションをする。哲学は、明白で、コミュニケーションが可能な意味作用を規定するため、それ自体と強調する、普遍的精神の実現のようなものである。プルーストの批判は、本質的なものにかかわっている。つまり、真実は、思考の積極的意志にもとづいている限り、恣意的で抽象的なままだというのである。慣習的なものだけが明白である。つまり、哲学は、友情と同じように、思考に働きかける、影響力のある力、われわれに無理やりに考えさせるもろもろの決定力が形成される、あいまいな地帯を無視している。思考することを学ぶには、積極的意志や、作り上げられた方法では決して十分ではない。真実に接近するには、ひとりの友人では足りない。ひとびとは慣習的なものしか伝達しない。人間は、可能なものしか生み出さない。哲学の真実には、必然性と、必然性の爪が欠けている。実際、真実はおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである。それはおのれを伝達せず、おのれを解釈する。真実は望まれたものではなく、無意志的である。

「見出された時」の大きなテーマは、真実の探求が、無意志的なものに固有の冒険だということである。思考は、無理に思考させるもの、思考に暴力をふるう何かがなければ、成立しない。思考より重要なことは、《思考させる》ものがあるということである。哲学者よりも、詩人が重要である。ヴィクトル・ユゴーは、初期の詩の中で哲学を形成している。なぜならば彼は、《自然のように、思考させることで満足するのではなく、また、みずから思考している》からである。しかしユゴーは、本質的なものは、思考の外側、思考を強制するものの中にあると教える。「見出された時」のライトモチーフは、forcer〔強制する〕ということばである。たとえば、われわれに見ることを強制する印象とか、われわれに解釈を強制する出会いとか、われわれに思考を強制する表現、などである。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「結論 思考のイマージュ」より p196)

強制するについては、次のように引用することもできる。

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p199)
『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の章  P118

ここにある二項対立、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈などが、「動きすぎれば」前者となってしまうということだ。それは積極的意志/無意志的なものの二項対立でもある。ようするにこれらは、《ふと何ごとかが起こりそうな気配を察知し、到来すべき「シーニュ」の予兆に身をまかせ》ること(蓮實重彦)にかかわる。「ギリシア人になる」とは、前者を捨てて、後者を取ることだ(「ギリシャ人を装うこと」)。

……自分を煽りたてていた構造主義的な熱病にすっかりいやけがさして『テクストの快楽』や『恋愛のディスクール・断章』に逃れたなどといってみても、事情は変わらない。快楽も、愛も、好奇心から生まれるものでないという点が重要なのだ。好奇心とは、好奇心とは、特権的な感覚器官を粗雑なままに特権化し、主体を拡散と断片化の力学にさからわせようとする、知性の、独断的で退屈な拒絶の儀式にほかならない。ことによると、それは、無自覚なまま先取りされた死の実践であるかもしれぬ。自分に対しても、他者に対しても、いたわりを欠いた振舞いであるが故に、それは独断的なのだ。好奇心とは別の文脈に生きること。中庸の記号たるバルトの真の美しさは、そうした願望を、決定的な実現へと導くことなく、退屈と倦怠のよるべなさと戯れさせた点にある。それが彼自身の生の倫理だ。(蓮實重彦 「倦怠する彼自身のいたわり」)

この文でさえ、プルーストの変奏として、あるいはまた「動きすぎてはいけない」の変奏として読むことができる。好奇心の次元とは、上記の二項対立、「積極的意志/無意志的なもの」などの前者に属するのはいうまでもない。退屈と倦怠のよるべなさとは、ロラン・バルトの「動きすぎてはいけない」だ。

というわけでプルーストを引用しよう。

単なる過去の一瞬、それだけのものであろうか? はるかにそれ以上のものであるだろう、おそらくは。過去にも、そして同時に現在にも共通であって、その二者よりもさらにはるかに本質的な何物かである。これまでの生活で、あんなに何度も現実が私を失望させたのは、私が現実を知覚した瞬間に、美をたのしむために私がもった唯一の器官であった私の想像力が、人は現にその場にないものしか想像できないという不可避の法則にしばられて、その現実にぴったりと適合することができなかったからなのであった。ところが、ここに突然、そのきびしい法則の支配力が、自然のもたらした霊妙なトリックによって、よわまり、中断し、そんなトリックが、過去と現在とのなかに、同時に、一つの感覚をーーフォークとハンマーとの音、本のおなじ表題、等々をーー鏡面反射させたのであった。そのために、過去のなかで、私の想像力は、その感覚を十分に味わうことができたのだし、同時に現在のなかで、物の音、リネンの感触等々による私の感覚の有効な発動は、想像力の夢に、ふだん想像力からその夢をうばいさる実在の観念を、そのままつけくわえたのであって、そうした巧妙な逃道のおかげで、私の感覚の有効な発動は、私のなかにあらわれた存在に、ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆるしたのであった。あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのであるところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまりにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?(プルースト「見出された時」P324-326 井上究一郎訳 文庫)

これだけではピンとこないかもしれないので、次ぎの文をもつけ加えておこう。

――私は、ヴェネチアの、とりわけ私には春の、水路めぐりに行くことは、季節の関係で、むりだとしても、すくなくともバルベックにふたたび行ってみたい、という誘惑に駆られはした。しかし私は、そうした考に、一瞬間とはとどまれなかった。それは私がつぎのことを知っていたからだ、――土地はその名が私に描きだすようなものではもはやなく、またある土地が、人に見られ人にふれられる共通のものから判然と区別された純物質でつくられて、私のまえに横たわるのは、いまはもう私が眠っている夢のなかでしかないし、人々に共通のそのようなものも、純物質でつくられていたのは、私がそれらを想像に描いているときのことでしかなかった、ということを。そして単にそれだけではなく、さらに、土地の名が描きだすものとは別種の映像、回想の映像に関しても、私はつぎのことを知っていたからだ、――バルベックの美は、一度その土地に行くともう私には見出されなかった、またそのバルベックが私に残した回想の美も、もはやそれは二度目の逗留で私が見出した美ではなかった、ということを。私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。また、失われた時を私が見出すであろうのは、バルベックへの二度の旅でもなければ、タンソンヴィルに帰ってジルベルトに会うことでもないのと同様に、もはやサン・マルコの広場の上ではないということを。また、それらの古い印象が、私自身のそとに、ある広場の一角に、存在している、という錯覚をもう一度私の起こさせるにすぎないような旅は、私が求めている方法ではありえない、ということを。またしてもまんまとだまされたくはなかった、なぜなら、いまの私にとって重大な問題は、これまで土地や人間をまえにしてつねに失望してきたために(ただ一度、ヴァントゥイユの、演奏会用の作品は、それとは逆のことを私に告げたように思われたが)、とうてい現実化することが不可能だと思いこんでいたものにほんとうに自分は到達できるのかどうか、それをついに知ることであったからだ。それゆえ私は、無益におわると長いまえから私にわかっている手にのって、また一つよけいな経験を試みようとはしなかった。私が固定させようとつとめているいくつかの印象は、その場の接触でじかにたのしもうとすると、消えうせるばかりであり、直接のたのしみからそれらの印象を生まれさせることができたためしはなかった。それらの印象を、よりよく味わうただ一つの方法は、それらが見出される場所、すなわち私自身のなかで、もっと完全にそれらを知る努力をすること、それらをその深い底の底まであきらかにするように努力することだった。これまで私は、バルベックにいることの快感をその場では知ることができず、アルベルチーヌと同棲することの快感をそのときには知ることができなかった、快感は事後でなくては私に感知されなかったのであった。ところで、これまで生きてきたかぎりにおける私の人生の失望は、私に、人生の現実は行動にあるのではなくてもっとほかのところにあるにちがいないと思わせたのだが、そんな失望をいま私が要約するとなれば、それぞれちがった落胆を、単なる偶然のなりゆきでむすびつけたり、私の生存の状況にしたがって関連づけたりするわけには行かなかった。私がはっきり感じたのは、旅行の失望も、恋の失望も、別段ちがった失望ではなくて、おなじ失望の異なる相であり、われわれが肉体的な享楽や実際的な行動で自力を十分に発揮できなかったときのその無力感が、旅行とか恋とかいう事柄にしたがって、そういう異なる相を呈する、ということだった。そして、あるいはスプーンの音、あるいはマドレーヌの味から生じた、あの超時間的なよろこびをふたたび考えながら、私は自分にいうのだった、「これであったのか、ソナタの小楽節がスワンにさしだしたあの幸福は? スワンはこの幸福をあやまって恋の快感に同化し、この幸福を芸術的創造のなかに見出すすべを知らなかったのであった。この幸福はまた、小楽節よりもいっそう超地上的なものとして、あの七重奏曲の赤い神秘な呼びかけが私に予感させた幸福でもあった。スワンはあの七重奏曲を知ることができないで死んだ、自分たちのために定められている真実が啓示される日を待たずに死んだ多くの人たちとおなじように。といっても、その真実は彼には役立つことができなかっただろう、なぜならあの楽節は、なるほどある呼びかけを象徴することはできたが、新しい力を創造する、そして作家ではなかったスワンを作家にする、ということはできなかったから(同P331-334)

この文のヴァリエーションとして中井久夫もこう書いている。

時々さういふことがある。その人にとって重要な意味を持ってゐるかに見える場所へ行ってゐないといふことである。その理由はさまざまである。

たとへばフランスの詩人ポール・ヴァレリーであるが、ギリシャと結び付けられること多く、実際、ギリシャの建築家の登場する対話編『エウパリノス』、ギリシャ建築を讃えた詩「円柱の歌」デルフォイの巫女に仮託した狂気の詩「巫女」などを書いたこの詩人はつひにギリシャの土を踏んでいない。

私はある時そのことを知って、いささか意外であった。

彼が何度も足を運んでゐるのは英国である。実際、二十歳の精神的危機以後の重要な人格形成と再編成は二十四歳までの二回に及ぶ英国滞在中になされた。二十八歳の彼が選んだ新婚旅行先はオランダである。後年の講演旅行先も、ジュネーヴ、ブタペスト、ストックホルム、そしてまた、何度も英国である。そして彼は語らないが、英詩に詳しい。

南仏出身のヴァレリーには実は強い北方指向性がある。他方、北方出身の親友ジッドには青年時代のホメロス味読があり、北アフリカが個人的にも文学作品でも重要な位置を占めてゐる。ジッドの第一作『アンドレ・ワルテルの手記』に恋人と二人でホメロスを読む段があるが、あれほど共感的にホメロスが読めるのは若い私には驚異であった。

ヴァレリーには「ギリシャに行かざるの弁」を述べてゐないやうだが、『源氏物語』の有名な英訳者アーサー・ウェーリーは、明治・大正の日本に何度も招かれながら、つひに招待を断り通した。彼は「私の行きたいのは王朝時代の日本であって今の日本ではない」と答へつづけた。私には彼の気持ちがわかる。現代ギリシャ詩を量だけは相当翻訳してゐる私も、実はギリシャに行ったことがない。私の現代ギリシャは詩が呼び覚ます想像の土地である。その想像がギリシャ詩の翻訳を生む腐葉土になってゐる。この非在の肥料によって閉じられた円環が私の翻訳を成り立たせてゐる。ヴァレリーもである。私と彼との縁は十代に始まる。三十二歳で始めた精神医学より遥かに古い。偶然がリルケの独訳からヴァレリーの詩に私を導いた。邦訳の入手は遥かに後であり、実はさほど読み込んでゐない。この偶然が私を長くヴァレリーに繋ぎとめたのかもしれない。

だが、私はヴァレリーの誕生の地であり「海辺の墓地」のあるセットには行ってゐない。いかうとすると何か故障が起こる。ほんたうに私はセットに行きたいのだろうか。自問すると答へは曖昧である。錯覚であるが、もう行ったやうな気もする。

ある時、「ああ、さうか」と思った。フランス留学中であった若い精神科医9.白川美也子から1946年版のヴァレリー画集を贈られた。敗戦直後の出版であり、珍しい資料だということで一部をみすず版の『若きパルク/魅惑』(1995年)に掲載した。

しかし、私はひそかな失望を味はっていた。詩人描くところの『若きパルク』の挿絵、とりわけ最後の、パルクが朝の太陽を迎へる絵である。私は、ずんぐりした女性が森の間から花束を小さく色薄い太陽に向かって振ってほしくなどなかった。私が原詩から得てゐたものは、はるかに絢爛、はるかに多重、はるかに多声、はるかにリアルであった。私は、長き欲望の地をつひに踏んだ時にしばしば起こる「興ざめ性」と同じものをしたたかに味はった。

アーサー・ウェイリーの日本非訪問は、この「興ざめ性回避」に違ひない。ヴァレリーがギリシャを訪れないのにも、それがあったらう。(「「その地」を訪れざるの記」『関与と観察』中井久夫)



2014年11月8日土曜日

かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い

粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(中略)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ。(プルースト)

カペー四重奏とプルースト」や「フォーレとヴァントゥイユ(プルースト)」にてもいくらか抜粋したが、『Anne Penesco Proust et le violon interieur (Les Editions duCerf, 2011)』の安永愛書評からここでふたたび抜きだしてみよう。

サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ

ヴァントゥイユのソナタの聴取の記述に最も大きなインスピレーションを与えたものと、プルーストの書簡から読み取られるのは、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタである。しかし奇妙なことに、プルーストはサン=サーンスについて、自分の好みではなく凡庸な作曲家だと、1915年にアントワーヌ・ビベスコ宛ての書簡で述べている。これは一体いかなることなのだろうか。アンヌ・ペネスコは、その答をボードレールについてのプルーストの評論の記述の中に見出している(p104)。それによれば、音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではないというのである。また、プルーストは未完の小説『ジャン・サントゥイユ』の「粗悪音楽礼賛」のくだりでこう述べているという。「粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(中略)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ」と。

サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れないだろうが、良い音楽か否かは間わず、「夢」や「涙」と結びつく音楽であればポエジーの糧になるというプルーストの考え、そして彼が必ずしも好みではない音楽家の作品を『失われた時を求めて』における音楽の記述の発想源としていたというのは、興味深い。

実は『失われた時を求めて』執筆の前にプルーストが手がけた未完の二人称小説『ジャン・サントゥイユ』の中には、主人公ジャンがサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに耳傾ける場面があるのだという。このことから、サン=サーンスを好まないと1915年の時点で書簡にプルーストは書いているものの、人の嗜好は変化するものであって、プルーストのサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに寄せる思いは、『失われた時を求めて』の語り手がジルベルトに寄せる思いと同じく、初恋のようなものではなかったか、とアンヌ・ペネスコは推測している(p108)。プルーストは、やはりサン=サーンスのヴァイオリン・ソナ夕に魅了されていたのだとペネスコは断じる。かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思いが、文学テクスト上のヴァントゥイユの音楽の創出にあずかっていたというのが、ペネスコの見立てである。

ここにベネスコが書くプルーストのサン・サースへの思い、《かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い》とは、フロイト=ラカン派ならメランコリーの機制というだろう。それも「カール・リヒターとメランコリー」で書いた。これは「粗悪な音楽」、あるいは粗悪な芸術かどうかにはかかわりがない。ある程度齢を重ねれば、だれにでもあるはずだ。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳)

以下は、フロイトの『悲哀とメランコリー』をもとにしたジジェクのメランコリーをめぐる叙述である。

ある特定の町に住み慣れてきた人が、もしどこか別の場所に引っ越さなくてはならなくなったら、当然、新しい環境に投げ出されることを考えて、悲しくなるだろう。だが、いったい何が彼を悲しませるのか。それは長年住み慣れた場所を去ることそれ自体ではなく、その場所への愛着を失うという、もっとずっと小さな不安である。私を悲しませるのは、自分は遅かれ早かれ、自分でも気づかないうちに新しい環境に適応し、現在は自分にとってとても大事な場所を忘れ、その場所から忘れられるという、忍び寄ってくる意識である。要するに、私を悲しませるのは、私は現在の家に対する欲望を失うだろうという意識である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)
ジョルジオ・アガンベンが強調したように、喪の対極にあるメランコリーは、喪の作業の失敗、対象のリアルへの不変の愛着であるだけでなく、そうした失敗や愛着とは正反対のものでもある。つまり、「メランコリーは、対象の喪失を見越し、喪失に先立って喪の作業を行おうというパラドクスを提示している」。ここにメランコリーの策略がある。一度も手にしたことのない対象、最初から失われていた対象を所有する唯一の方法は、しっかり所有している対象を、あたかもそれがすでに失われたものであるかのように扱うことなのだ。だから、喪の作業を成し遂げることを拒否するメランコリー者の身振りは、そうした拒否とは正反対の外観を呈する。それはつまり、対象が失われないうちから、その対象に関して過剰で余計な喪の作業を行うという偽の身振りである。(……)

いまだ失われずに目の前に存在している対象に対して喪の作業を行うというパラドクスを、どう解決すればよいだろうか。この謎を解く鍵は、メランコリー者は失われた対象において何を失ったのかを知らない、というフロイトの明確な定式にある。ここで、ラカンによる、対象と欲望の原因(-対象)との区別を導入する必要がある。欲望の対象はたんに欲望された対象にすぎないが、欲望の原因は、欲望の対象をわれわれに欲望させる特質(ふだんは気づかなかったり、時には対象を欲望する際の邪魔になっているとさえ思えたりするような或る細部や直し難い癖)である。こうした視点から見ると、メランコリー者は、失われた対象に固着し喪の作業を完遂できない主体であるばかりか、対象を欲望させる原因が消えて力をなくしたために、対象を所有していながらその対象への欲望を失ってしまった主体でもあるのだ。メランコリーは、挫かれた欲望、対象を奪われた(欲望されなくなった)対象それ自身の現前を表している。欲望された対象をついに手に入れたがその対象への欲望は失われている、そういうときにメランコリーは生じるのだ。まさしくこの意味で、メランコリー(欲望を満たすことができない対象、実定的で〔ポジティヴ〕で観察可能な対象すべてに対する失望)は事実上、哲学の始まりなのである。》(ジジェク「メランコリーと行為」2000)

2014年10月16日木曜日

見出された「権力への意志」=「死の欲動」

ドゥルーズの『差異と反復』に、ここ数日、権力への意志=死の欲動をめぐって書いた内容がすべて書かれている。マイッタネ、--英訳しか手元になくて読むのを敬遠してたんだけど。

When Kierkegaard speaks of repetition as the second power of consciousness, 'second' means not a second time but the infinite which belongs to a single time, the eternity which belongs to an instant, the unconscious which belongs to consciousness, the 'nth' power. And when Nietzsche presents the eternal return as the immediate expression of the will to power, will to power does not at all mean 'to want power' but, on the contrary: whatever you will, carry it to the 'nth' power - in other words, separate out the superior form by virtue of the selective operation of thought in the eternal return, by virtue of the singularity of repetition in the eternal return itself. Here, in the superior form of everything that is, we find the immediate identity of the eternal return and the Overman.
The Proustian formula 'a little time in its pure state' refers first to the pure past, the in-itself of the past or the erotic synthesis of time, but more profoundly to the pure and empty form of time, the ultimate synthesis, that of the death instinct which leads to the eternity of the return in time.

永劫回帰とはキルケゴール的な意味での「反復」とされている(参照:二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」)。

希望は腕の間をすり抜けていく可愛い娘である。想起は今ではもう役に立たない美しい老婦人である。反復は、けっしてあきることのない愛妻である。なぜなら、あきがくるのは新しいものだけだからである。古いものはけっしてあきることがない。(キルケゴール)
同一的な規則を前方に想定するような行為は「想起」(キルケゴール)にほかならないが、そうでない行為、規則そのものを創りあげてしまうような行為は、「反復」または「永劫回帰」とよばれる。(ドゥルーズ『探求Ⅱ』)

この英訳では"death instinct”となっているが、これはラカン派なら"death drive”(死の欲動)であり、プルーストの 'a little time in its pure state' 《きらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間》は、死の欲動にかかわり、永劫回帰にも関係するとされている(そして永劫回帰は権力の意志の表現と)。

権力への意志が原始的な欲動形式であり、その他の欲動は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)
私が説く教義は、こうである。「きみがいま経験している生を、再び生きたいと当然願うことになるような仕方で、生きよーーそれこそが義務なのだ。なぜなら、いずれにせよ、きみはその生を再び生きることになるのだから! 努力することが最高の歓びである者は、充分に努力すればよい! なによりも休息を好む者は、ゆっくり休めばよい! なによりもまして服従するのが好きな者、従順で、後につき従うのが好きな者は、思う存分服従するがよい! ただしそういう者は誰であれ、自分の選択が優先的にどこへ向かうのかは知っておかねばならない。またいかなる手段を前にしたときでも、けっしてたじろいだり、後込みしたりしたはらなない! そこで問題となっているのは、それが永遠に反復されるということなのだから」。

この教義は、それを信仰しない人々に対してまったく厳格ではない。地獄墜ちになるとか、その他さまざまの脅迫など少しも持たない。ただそれを信仰しない者は、自らのうちにすぐに消え去る、束の間の生命しか感じ取ることはないであろう。(1881年の「遺された断想」より『〈力〉への意志』第四部――ドゥルーズ『ニーチェ』からの孫引き 湯浅博雄訳)
私がなにを欲するにせよ(たとえば私の怠惰、貪欲、臆病、あるいは私の美徳でもよいし悪徳でもよい)、私はそれが永遠に回帰することもまた欲するような仕方で、それを欲するのでなければならない。「生半可な意志」たちの世界はふるい落とされる。「一度だけ」という条件でわれわれが欲するようなものは、すべてふるい落とされるのである。たとえ臆病、怠惰であっても、それが自らの永遠の回帰を欲するとするならば、怠惰や臆病とは別のものになるだろう。それらは能動的になり、そして肯定の〈力〉となるであろう。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 文庫P67)


ドゥルーズの言う死の欲動とは、実は「死なない」衝動であり、永遠の反復衝動である。

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動とはいわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

死の欲動とはアンデルセンの童話「赤い靴」なんだ
少女が赤い靴を履くと靴は勝手に動き出し
彼女はいつまでも踊り続けなければならない
靴は少女の無限の欲動ということになるわけだ

灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その反復運動
おれたちの生はTriebmischung(エロスとタナトスの欲動融合)なのさ
いわれてみればあたりまえなんだけどな(赤い靴と玄牝の門

-- というわけで、プルーストの見出された時から引用しておこう。

単なる過去の一瞬、それだけのものであろうか? はるかにそれ以上のものであるだろう、おそらくは。過去にも、そして同時に現在にも共通であって、その二者よりもさらにはるかに本質的な何物かである。これまでの生活で、あんなに何度も現実が私を失望させたのは、私が現実を知覚した瞬間に、美をたのしむために私がもった唯一の器官であった私の想像力が、人は現にその場にないものしか想像できないという不可避の法則にしばられて、その現実にぴったりと適合することができなかったからなのであった。ところが、ここに突然、そのきびしい法則の支配力が、自然のもたらした霊妙なトリックによって、よわまり、中断し、そんなトリックが、過去と現在とのなかに、同時に、一つの感覚をーーフォークとハンマーとの音、本のおなじ表題、等々をーー鏡面反射させたのであった。そのために、過去のなかで、私の想像力は、その感覚を十分に味わうことができたのだし、同時に現在のなかで、物の音、リネンの感触等々による私の感覚の有効な発動は、想像力の夢に、ふだん想像力からその夢をうばいさる実在の観念を、そのままつけくわえたのであって、そうした巧妙な逃道のおかげで、私の感覚の有効な発動は、私のなかにあらわれた存在に、ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆるしたのであった。あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのである。ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまりにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?(井上究一郎訳)


前には書かなかったけれど、大江健三郎の「一瞬よりはいくらか長く続く間」ってのは、もちろんプルーストからのパクリさ、--《きらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間》

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。(大江健三郎)

というわけで、死の欲動やら権力への意志やらぐたぐた考えずにーーやっぱりたいていの学者ってのは阿呆だね、阿呆というか不感症というのか……このふたつの概念をめぐって論じるのはいいのだけれど(いやいや同時に論じいているやつは日本にはいそうもないな)、みずからの「永遠」の刻限がなさそうな連中ばかりだからな、いくら堅い論文でも、この己れの「正午」があれば文章に「痕跡」が残るはずだが、その気配が微塵もないような論文ばかりさーー、いずれにせよプルーストのいう《きらりとひらめく一瞬の持続の時間》、その、時間が垂直に立ち上がる「永遠」の刻限、これを味わうのが、真の人生だぜ、--《「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?》

ニーチェの「正午」でも西脇の「正午」もそのうちのひとつさ、(神々しいトカゲ)。

開け胡麻! ってわけさ、「扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種」。

別になにも高級な芸術作品でなくてもいいんだよ、
プルーストは石鹸の広告でいっていってるぜ。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳

というわけで、きみたちも「正午」を探せよ。

ニーチェも正午を探していると言っていた。垂直に光が差す。影の消える刻限。一瞬だけ原型さえもが見えなくなる。夜は思い出でさえなくなり、昨日のなかへ遠ざかり、消滅する。樹々の影も一瞬消え失せ、キリコの絵のなかの街路も、また別の日常の神秘に覆われることになる。見回しても、輪遊びしている少女もいない。ありえない蒸発、停止。諸々の生の停滞、とランボーがうんざりして言ったのはこのことではない。そうではなく、ただひとつの停止。あっという間のことである。一瞬だけ感情も来歴も何もかもが外に追い出される。お払い箱なのだ。(正午を探す街角




2014年10月2日木曜日

「沖合いはるかな遠い未来のなかに」

人が私に同意するときはいつも、私は自分が間違っているに違いないと感じる。

Whenever people agree with me I always feel I must be wrong. (オスカー・ワイルド)

ははあ、ワイルドの言葉のなかに、すでにロラン・バルトがいるな。


何か《洒落た》考察によって聴衆をほほえませるや否や、何か進歩主義的な常套句で聴衆を安心させるや否や、私はこうした挑発の迎合性を感ずる。私はヒステリー的欲動を遺憾に思う。遅まきながら、人に媚びる言述よりいかめしい言述の方が好ましく思われ、ヒステリー的欲動を元に戻したいと思う(しかし、逆の場合には、ヒステリー的に思えるのは、言述の《厳しさ》の方である)。実際、私の考察にある微笑が応じ、私の威嚇にある賛意が応じると、私は、ただちに、このような共犯の意思表示は、馬鹿者か、追従者によるものと思い込む(私は、今、想像上の過程を描写しているのだ)。反応を求め、つい反応を挑発してしまう私だが、私が警戒心を抱くには、私に反応するだけで十分である。

そして、どのような反応をも冷まし、あるいは、遠ざけるような言述を続けていても、そのために自分が一層正確である(音楽的な意味で)とは感じられない。なぜなら、そのときは、私は自分のパロールの孤独さを自賛し、使命を持った言述(学問、真理、等)というアリバイをそれに与えなければならないからである。(ロラン・バルト「作家・知識人・教師」『テクストの出口』所収)

遡ればデカルトだっているさ。

人が二十年もかかって考えたことのすべてを、それについて二つ三つのことばを聞くだけで、一日でわかると思いこむ人々、しかも鋭くすばやい人であればあるほど誤りやすく、真理をとらえそこねることが多いと思われる。(デカルト『方法序説』)

すぐさま理解されたら引退という規約の集団だってあったらしい。

フランスにブルバキという構造主義数学者集団があった。この匿名集団の内密の規約は、発表が同人にただちに理解されれば己の限界を悟って静かに退くというものであった。出版と同時に絶賛される著者には、時にこの自戒が必要であろう。(中井久夫「書評の書評」『リテレール』創刊号 1992)

どうして、いまでは大量ハテブされたり、ツイッターで大量RTされたりなどしても、恥じない手合いばかりなんだろ? 

ーーというのは捏造されて疑問符だよ、そんなことは分かってる。

ただ「承認欲求」という言葉は使用したくなくてね、
ああ使っちまった、消去線引いとかなくちゃな

《誰もが、誰かに見られていることを求める》。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

クンデラはこう書き、四つの視線のカテゴリーをあげる。

①限りなく多数の無名の目による視線(大衆の視線)
②数多くの知人の目という視線
③愛している人たちの視線
④想像上の視線(死者の視線、理念の視線など)

ーー③か④にしとけよな、「承認」されたいのなら。


ここでなぜかシュネデールのグールド論の言葉を引用しておこう。

実際コンサート・ホールという場にあっては、音楽はめったに人の心に届かないと彼はすでに感じていた。うとうとしている人々、終わったあとの食事を思い浮かべている人々、翌日になって演奏会に行ったと語るのが目的で来ている人々、彼らを除いてしまえば、ほとんど誰もいなくなる。ぬるま湯につかったような態度で音楽に接する人々や、音楽を聞きながら夢想や計算をやめずにいられる人々に比べれば、音楽に恐れをなして逃げ出してしまう人々のほうがよかった。p7


これは演奏会の話だが、ネット上の読者なんてのもーーいや「文化人」の書き物をあり難がる手合いももちろんーーこういった連中がほとんどなんだからさ。

深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えている(……)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(ジジェク

「わかりやすさのファシズム」の時代だからな。

結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。(北野武

…………


……天才の作品がただちに賞賛をえることの困難なのは、それを書いた天才その人が異例であり、ほとんどすべての人々が彼に似ていないからである。天才を理解することができるまれな精神を受胎させ、やがてその数をふやし、倍加させてゆくのは、天才の作品それ自身である。ベートーヴェンの四重奏曲(第12、第 13、第14および第15番の四重奏曲)は、それを理解する公衆を生み、その公衆をふくれあがらせるのに五十年を要したが、そのようにして、あらゆる傑作の例にもれず、芸術家の価値にではなくとも、すくなくとも精神の社会に―――最初この傑作が世に問われたときには存在せず、こんにちそれを愛することができる人々によってひろく構成されている精神の社会―――一つの進歩を実現したのは、ベートーヴェンの四重奏曲なのである。人々がいう後世とは作品の後世で ある。作品自身が(……)その後世を創造しなくてはならないのだ。したがって、作品が長くとっておかれ、後世によってしか知れれなかったとしたら、その後世とは、その作品にとっては、後世ではなくて、単に五十年経ってから生きた同時代人のあつまりであるだろう。だから、芸術家は自分の作品にその独自の道を たどらせようと思えば(……)その作品を十分に深いところ、沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。(プルースト「花咲く乙女たちのかげにⅠ」より)

なんてのは芸術家のみなさんも生活かかってるんだから
「沖合いはるかな遠い未来のなかに」なんて

こんな物言いも無視したらよろしい。
せいぜいレスポンスをもらうことに専念したらよろしい。
なあ、ソウダロウ?

蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)  …僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。 東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦) 下らない。それは批評の死を意味します。

――中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田 彰)


蓮實重彦なんて、サルトルまで貶しているわけだからな

…………

サルトルは第二次世界大戦終結後の五日後、『大戦の終末』という文を発表している。《一発で十万人もの人間を殺すことのできる小さな爆発》が導きだした大戦の終末、この武器は《明日ともなれば、二百万人もの生命を奪うこと》にもなろうから《これが突如として我々の人間の責任と、我々とを対決させることになったのだ》。そのとき人は《自己の死滅の鍵》を握って茫然とする、と。

この次の機会には、地球は破裂するかもしれぬし、この不条理な結末は一万年も前から我々人間の心にかかっていた様々な問題を、宙ぶらりんにしてしまうだろう。

もし明日また新しい事変が起ったと告げられても、我々は、あきらめたように肩ををびやかせながら、「予定どおりさね」と言うに違いない。(「大戦の終末」)

――なにやら2011年の極東の島国での「想定外」の事態をめぐって、ある種の「知識人」によって同じようなことを呟かれてもおかしくない文であるし、実際、いくらかの語句修正を施された《聡明、かつ反射神経鋭敏な》評論家連によって語られたともいえる。

蓮實重彦はその『物語批判序説』のなかで、上記のサルトルの文を引用して《世界の表層を不条理というほかない亀裂が走りぬけたとき、みずからのもっとも神経過敏な部分をその痕跡に重ね合わせるほとんど反射的といえる身体反応の美しさ》と語りながらも、《ある種の身体的な聡明さとは、あくまで相対的なものでしかなく》、《誰もが否定しえない知的聡明さと、人間的な誠実さにもかかわらず、この爽快なまでに短い論文を綴ったサルトル》の言説への齟齬感をめぐって書き進める。
……大洪水前の虚無からは幾世代にもわたる祖父たちによって守られており、未来の虚無に対しては、何代にもわたる甥孫によって守られており、つねに時間の流れの中間にあって、決してその末端にはいなかったのだ。しかし、今や我々は、この「世界終末の年」へ戻ってしまったのであり、朝起きる度毎に、時代の終焉の前日にいることになるだろう。(同サルトル)


蓮實氏は、《サルトルのもっともできの悪い文章をとりあげて、作家サルトルの文学的資質をことさら軽視しようとしてこの一節を引いたのではない》、としながらも、《終りという事態を前にした場合、サルトルさえもがこうした貧しい比喩に逃れるほかないという点が問題》であるとするのだ。

「世界終末の年」への逆戻りという表現は、サルトルのいわんとすることの表現であるより、むしろその思考の運動を出来合いの言葉の方へと招きよせ、語りつつある主体を、それが喚起するもろもろの象徴へと、検証を欠いた安易さで同調させる機能を演じているように思う。
……『大戦の終末』はきわめて素直な文章だといえるかもしれない。素直な、というのは誰かに教えこまれたのでもないのに、昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、ふと口から漏れてしまったような印象を与えるからだ。事実、人間の死の予言は、神の死という言葉が流通しうる文化的な圏域にあっては、いずれ誰かが口にすべき言葉として予定に組みこまれていたもののはずである。あからさまに言明されることはなくとも、そうした命題が論じられて何の不思議でもない文脈が用意されていたのであり、それにふさわしいきっかけが与えられればたちどころに顕在化するはずの、潜在的な主題でさえあったといえるだろう。

もちろん、サルトルは、いちはやくその事実を察知する聡明さに恵まれていた、それは日本の2011年の早春における何人かの[知識人」も同様だっただろう。彼らは《聡明さのみならず、ある大胆さと、そしておそらくはいくぶんかの通俗性にも恵まれていたので、誰よりもさきに予定されていた言葉を口にしてしまったのである》。

このようにして、『物語批判序説』の作者によって、『大戦の終末』の文章は、「説話論的な権利に従った自然さ」、あるいは「物語の罠に陥る甘美さ」があると指摘されることになる。つまりは、

しかるべき文化圏に属するものであれが、誰もが暗記していつでも口にする用意が整っていた台詞であり、その意味で、それをあえて言説化してみることはほとんど何も言わずにおくことに等しい。

この後、同じ「人間の死」を語りながらも、つまり《思考が人間の顔を描きえたのはたかだか過去百五十年ほどのことでしかなく、その人間の横顔も、とうぜん、知の配置が体験するだろう新たな変容とともに「波打ちぎわの砂の上に描かれた顔のように消滅する」ほかあるまい》と語るフーコーとの言説的戦略の差を語ることになるのだが、それはここでは割愛する。




2014年9月30日火曜日

自己を語る遠まわしのファシズム批判の方法

なんでおまえらえらそうに言うわりになんの役にも立たないの?」にて、
町山智浩氏のツイートを拾ってから、
すこし彼の発言に注目しているのだけれど、
本日(20140.9.30 PM2;00前後)次のように発言されている。

@TomoMachi: 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります。スターリニズムやポルポトの失敗から学んでください。

@TomoMachi: 普通は「ファシズム倒せ」ですよ。「潰せ」は権力者、強者側のレトリックですよ。

@TomoMachi: 「潰す」というのは上から下に、大きな者が小さな者に対してやる行為です。でも革命や抵抗というのは、下から上、弱く小さな者たちが強く大きな者に挑む戦いです。それは「潰す」ことではないでしょう。

ーーで、たちまち「カウンター」運動やその共感者たちだろう、町山氏の過去の記事を
探し出して、次のようなツイートをしている。

@sangituyama: “@lautrea: 町山さんいいファシズム批判してますね。 「一般の人がダマされる前に共闘し、全力をあげて徹底的に叩き潰しておかないとならない。大変だけど」 http://t.co/4Fiq0eOleF”.

《@royterek 町山さんへのリスペクト感一挙に増した。》!



実際この記事はよいことが書かれている。

記念に、冒頭箇所をいくらか割愛して、すこし長めに貼り付ける。(2004-03-07)


かつてヒットラーが出てきた時、ドイツは民主的なワイマール共和国で、
最初はかなりの人がヒットラーを見て「あんなものにダマされるのはよほどのバカだけだ」と、たかをくくっていた。

そしたら、いつの間にか国民に圧倒的に支持され、
ヒットラーを批判する人は少数者として封殺されてしまう事態になった。

ヒットラーを例に挙げるのは大げさに聞こえるかもしれないが、
こういったことは会社の内部でもあるでしょう?
口がうまくて立ち回りのうまいだけの奴が同じ会社にいて、
「あいつは実力もないし、本当は思いやりもないから、どうせみんないつか気づいてくれるさ」とたかをくくっていると、
そいつがどんどん出世して、
マジメに働いてた方はバカを見るわけですよ。
人を見る目がある人というのは、実際はそんなに多くない。

インチキをインチキだとすぐにわかるカンのいい人はたいていシニカルで現実にあまり期待していないので、

「ほうっておこう」「無視しよう」「自分の仕事に専念しよう」ということになりがちだ。自分も含めて。

しかしインチキに気づかない人々はすぐにノせられてしまうし、そちらのほうが圧倒的に人数が多いので、

あっという間にヒットラーに政権取らせたり、村上が「これほどまでに多くの人に愛されたアーティストはいなかった」なんて大物になってしまうのだ。

だから、こういうインチキな連中が出てきた時は、インチキを感じた人々はシニカルにならず、面倒くさいしお金にならないけれども頑張って、一般の人がダマされる前に共闘し、全力をあげて徹底的に叩き潰しておかないとならない。大変だけど。

そうしておかないと、インチキがわからない圧倒的多数の人たちが彼らを認めたときには、我々は少数派として発言力を失い、

彼らがほしいままに文化や政治や経済を搾取するのを見ているしかなくなってしまう。そうなってからでは遅いのだ。

ーーというわけで、若いひとたち、町山氏をせめちゃいけない!
これはごく標準的な「心理学」の問題にすぎない
フロイトやラカンの「精神分析学」を持ち出す必要など毛頭ない

プルーストでいい。

……自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」 Ⅱ 井上究一郎訳)
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト「囚われの女」)
性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。(プルースト「見出された時」)

かりにもし精神分析を参照したいなら、前期フロイト程度でよいのだ。

……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))


※追記:《日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しい》

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion
まあそういわず、潰しましょうよ。RT @TomoMachi 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります…

町山智浩‏@TomoMachi
韓国系である出自を明らかにして差別に対して発言して攻撃や脅迫の矢面に立ってきた自分ですが、日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しいだけです。@soulflowerunion

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion @TomoMachi 了解しました。町山さん、是非一度、若者達のデモやカウンターの現場、取材して下さい。また新たな感慨も抱かれると思います。ちなみに、俺はずっと町山さんの本、読ませていただいてます。町山ファン 笑

町山智浩‏@TomoMachi
@soulflowerunion 僕は高校まで韓国名でしたので差別は身をもって体験していますし、文章や放送を通して訴えるのが自分の役割だと思っているのですが作品をクリエイトしている中川さんがそうおっしゃるなら一度お邪魔したいと思います

彼らはこうやって「一度お邪魔したいと思います」--という言質を引き出したわけだ。


2014年9月29日月曜日

ドストエフスキーの《非ユークリッド》的語り

おまえ、馬鹿だなあ
騙されるなっていっただろう
コメントへの応答だって架空かもしれねえじゃないか
ドストエフスキーの《非ユークリッド》的語りのバクリだとか、な

《いや諸君、諸君はこう思ってるんじゃないかな、わたしがなにか諸君のまえに懺悔し、しかも許しを乞うているとね……諸君はそう思っているに違いない……ところが、言っておきますがね、諸君がどう思おうと、わたしにはどうでもいいんだ》

ーー以前、削除してしまった記事、貼り付けておくよ

…………

◆『ドストエフスキー』[著]山城むつみ [評者]奥泉光(作家)より。

本書で著者が分析の主要な武器としたのは、バフチンの「ラズノグラーシエ」なる概念である。「異和」と訳してよいこのロシア語こそがドストエフスキーを読み解く鍵であると著者はいう。では「ラズノグラーシエ」とは何か?

 たとえば、ここに死の床にある男がいる。彼は自分の人生は満足すべきものであったと考えている。そこへ誰かがやってきて、「あなたの人生は満足できるものだった」という。もちろん男はそう思っているわけだし、その声に当然唱和するはずである。ところが、自分でそう思っているにもかかわらず、他人から同じことをいわれたとたん、男は激しい異和に襲われてしまう。他者の声で言葉が響くとき、同じ言葉であるのに、まるで違う、むしろ正反対の意味を帯びて聴こえてしまうのだ。ドストエフスキーの小説の人物たちは、たえずこの「異和=ラズノグラーシエ」にさらされる。つまり自己と他者の間には越え難い閾(しきい)があって、言葉の意味は閾の強烈な磁場のなかでねじ曲がり、言葉が予想のつかぬ運動をして渦巻くのが、ドストエフスキーの小説のあの熱感の秘密だと著者は解析する。

 さらに興味深いのは、小説作者のかたりですら、この異和を引き起こす事実である。死の床にある男。彼の内面を作者はもちろん描ける。透明なかたりでもって、「自分の人生は満足すべきものだった」と男に内語させることは容易だ。ところがドストエフスキーの人物たちは、そうしたニュートラルな作者の声にすら異和を覚える! 彼らは「違う」と作者に向かって反発する。作家が人物の内心を描くという行為そのものが、人物のありかたを揺るがしてしまうのだ。結果、小説はどこへ向かうか分からぬものになり、作家は自己の創造した人物たちとの「対話」をひたすら続けるほかなく、目指す場所へと至る奇跡を祈り願いながら言葉の秘境をさまよい歩く。


◆バフチン「ドストエフスキイ論」(柄谷行人『探求Ⅰ』より)。

この予想して先廻りすることには独特の構造上の特徴がある。それは悪しき無限となる。相手の応答に先廻りするということは結局自分のために最後の言葉を保留すると同じことである。最後の言葉とは主人が他者の視線や言葉から完全に独立している、他者の意見や評価に全く無関心であるということを現わすものでなければならぬ。ところが主人公は、自分がひとの前で懺悔し、ひとの許しを乞い、ひとの判断や評価に頭をさげ、自分の確信はひとの是認や承認を必要していると、ひとが考えはすまいかということをなによりも恐れているのである。こういう傾向を持っているので彼は他者の応答に先廻りする。ところが答えを予想し、その先をこすことによって彼は新たに相手(と自分自身)にむかって自分は相手から独立していないのだということを示しているわけだ。彼は自分がひとの意見を恐れていると、ひとが思いはしないかと恐れる。だがこの恐れによって彼は自分が他者の意識に依存し、自分自身の判断に安んじることはできないことを示しているに他ならない。彼は自分の反駁によって自分が反駁しようとしたことを肯定していることになり、しかしそのことを自分で承知している。ここからきりのない堂々廻りが始まり、そのなかへ主人公の自己意識と言葉がまきこまれていう。《いや諸君、諸君はこう思ってるんじゃないかな、わたしがなにか諸君のまえに懺悔し、しかも許しを乞うているとね……諸君はそう思っているに違いない……ところが、言っておきますがね、諸君がどう思おうと、わたしにはどうでもいいんだ》である。(バフチン「ドストエフスキイ論」新谷敬三郎訳)

《これは過剰な自意識というものとはちがっている。また、サルトルがいったように、対自存在に対して抗おうとすることともちがっている。《他者》は、「地獄とは他者」(サルトル)よいうような他者ではない。バフチンが、ドストエフスキーの人物たちは他者によってモノ化されてしまう意識の「自由」をぎりぎりのところで確保しようとするのだというとき、どうもサルトル的にみえてくることは否定しがたい。

しかし、実際はその逆のように思われる。彼らが「語る」のは、他者を「説得する」(教える)ことにほかならない。たんに事実言明的constantiveな語りは、彼らにはありえない。《他者》とは、いわば、言語ゲーム(規則)を異にする者のことである。彼らは、何かをしゃべればそれが他者に或る意味(規則)で理解(誤解)されてしまうということを惧れている。だが、彼ら自身のなかに、明示しうるような規則(意味)もないのである。ドストエフスキーの人物たちを緊張させているのは、「教える」ことに存するパラドックスなのだ。

ドストエフスキーの小説が対話的なのは、人物たちが対立しあい多様な意見を「語る」からではなく、そんな意味ではもはや「語り」えないからである。われわれは、言語ゲームを共有するかぎりで語り合うことができ、対立することさえできるだろう。が、もしそうでないとしたら、「他者に語る」ことは戦慄すべき事柄である。ドストエフスキーの人物たちは、誰もが相互にこのような《他者》に直面しあっている。ここでは、客観的な言明も、私的な内面もありえない。むろん、そこから生じる涯しない饒舌の対極に、沈黙(ソーニャ、ムイシキン、ゾシマ長老)がある。だが、この沈黙も、饒舌と同様に、“他者”とのあいだにひらかれた「深淵」(キルケゴール)を飛びこえようとする言語行為なのである。

「人間を他者の言葉、他者の意識との関係において設定することが実にドストエフスキイの全作品を貫く根本テーマである」と、バフチンはいう。「他者の言葉」とは、くりかえしいうが、異なった言語ゲームである。同一の言語ゲームに立つかぎり、どんな対立や葛藤があろうと、モノローグ(独我論)的である。逆にいえば、ダイアローグ、あるいはポリフォニックなものとは、声や視点を多数化することによって得られるのではなく、もはやいわゆる対話が不可能な地点において「他者に語る」ことから生じるのである。逆に、そのような他者の前でのみ、自己の単独性が存する。》(柄谷行人『探求Ⅰ』P168-170)


……今日まで批評家や研究者はドストエフスキーの主人公たちの思想にとらわれてきた。作家の創作の意志は明確な理論的認識にまで達していない。思うにポリフォニイ小説の迷宮に入りこんだ人びとはみんなそこに道を発見できず、個々の声たちの背後に全体を聞きとれないでいる。しばしば全体の漠然たる輪郭すら捉えられず、声たちを結び合わす芸術の原理は全く耳に入らない。ひとはそれぞれ勝手にドストエフスキイの最後の言葉をあげつらい、しかもみんな一様にそれをひとつの言葉、ひとつの声、ひとつの抑揚〔アクセント〕だと思いこんでいる始末だが、そこに根本の間違いがある。ポリフォニイ小説の言葉を超え、声を超え、アクセントを超えた統一の世界は未開拓のままに残されている。(バフチン『ドストエフスキイ論』)

《ぼくはドストエフスキーのなかに、人間の魂の、度はずれに深い、だがあちこちの地点に孤立している、いくつかの井戸を見出します……あの道化役者たちも、『夜警』の人間とおなじように、照明と服装の効果でしか幻想的ではなく、ほんとうはどこにでもいる普通の人間なのかもしれません。……ただぼくをうんざりさせるのはね、人がドストエフスキーについて語ったり書いたりしているあの肩肘をいからせたいかめしさですよ。あなたは彼の諸人物の内面で演じている自尊心と誇の役割に注意したことがある? 彼にとっては、愛と過度のにくしみも、善意とうらぎりも、内気と傲岸不遜も、いわば自尊心が強くて誇が高いという一つの性質をあらわす二つの状態にすぎないのです。そんな自尊心と誇が、グラーヤや、ナスターシャや、ミーチャが顎ひげをひっぱる大尉や、アリョーシャの敵=味方のクラソートキンに、現実のままの自分の《正体》を人に見せることを禁じているというわけなのです……ドストエフスキーといえばね、さっきはぼくはあなたが思うほど彼から一転してトルストイのことを話しているわけではなく、トルストイはじつは大いにドストエフスキーをまねているのですよ。ドストエフスキーのなかには、やがてトルストイのなかで満面のほころびを見せるものが、まだしかめっ面をした、不平そうな顔で、たくさん詰まっているのです。ドストエフスキーのなかには、やがて弟子たちによって晴れやかにされる、プリミティヴ派のもつさきがけの不機嫌さがあるのでしょうね。》(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

……それはカーニバル独特の時間であり、まるで歴史の時間から飛び出し、カーニバル独特の法則によって流れ、急激な転換と変身とを無限に内包しているところの時間である。かかる時間――もっとも、厳密にいうとカーニバルの時間ではなく、カーニバル化した時間――こそドストエフスキーが彼独自の芸術的課題を解決するのに必要だったのである。彼がその内部の深い意味を描き出したところの閾のうえや広場での事件、あるいはラスコリニコフ、ムイシュキン、スタヴローギン、イワン・カラマーゾフといった主人公たちは日常の生物学的、歴史的時間では明らかにすることのできないものであった。いやポリフォニイそのものが、それぞれ全権を有し、しかも内的に完結することのない意識たちの相互作用の事件として、時間や空間の全く別な芸術的概念、ドストエフスキイ自身の表現を用いると、《非ユークリッド》的概念を要求したのである。(同バフチン『ドストエフスキイ論』)

…………

◆ジャック=アラン・ミレール『エル・ピロポ El Piropo』より

人間の伝達においては、受信者がメッセージを後からそれを発信する者に送るのです。受信者が送るのというのは根本的には彼がメッセージの意味を決定するからです。他者に話すということは決して我々自身が言っていることを我々が分かっているということではありません。他者だけが我々にそれを知らせてくれるのです。そしてそれゆえに我々は互いに話し合うのです。それも常に内容のある情報を伝えるためとは限りません。むしろ相手から我々自身が何であるかを教わるためなのです。こういう理由からディスクールにおいて はつねに喚喩および隠喩が混じり合い、語るにおいて我々はいつも自分自身を越えたとこ ろに追いやられるのです。誰かの言うことを文字通りに取ることは大変失礼にさえ当たり ます。 というのは、 意味 sens は、 意味があるのは常にその彼方ですから、 むしろその人が 言うことの奥を聞き取らなければいけないのです。
主体、語る主体は自分自身で言っていることの主人ではありません。彼が語るとき、彼が言語を使用していると考えるときは、実は言語が彼を使用しているのです。彼が語るときには常に彼自身が言う以上のことを言います。自分が欲している以上のことを言うのです。そしてそのうえ、常に他のことを言います。こういう理由からディスクールにおいてはつねに喚喩および隠喩が混じり合い、語るにおいて我々はいつも自分自身を越えたところに追いやられるのです。誰かの言うことを文字通りに取ることは大変失礼にさえ当たります。というのは、意味sensは、意味があるのは常にその彼方ですから、むしろその人が言うことの奥を聞き取らなければいけないのです。


◆柄谷行人『探求Ⅰ』より

言葉が話し相手に向けられていることの意味は、はかりしれないほど大きい。実際、言葉は二面的な行為なのである。それは、それが誰のものであるかということと、それが誰のためのものであるかということの、二つに同等に規定されている。それは、言葉として、まさに、話し手と聞き手の相互関係の所産なのである。あらゆる言葉は、《他の者》に対する関係における《ある者》を表現する。言葉のなかでわたしは、他者の見地にみずからに形をあたえる。と言うことは結局、みずからの共同体の見地からみずからを表現する。言葉とは、私と他者とのあいだに渡されたかけ橋なのである。もしそのかけ橋の片方の端が私に立脚しているとすれば、他方の端は話し相手に立脚している。言葉とは、話し手と話し相手の共通の領土なのである。

だが話し手とはいったいなにものであろうか? たとえ言葉が全面的にはその者に属さないーー、いわば、彼と話し相手の境界ゾーンであるーーにしても、やはりたっぷり半分は言葉は話し手に属している。(パプチン「マルクス主義と言語哲学」桑野隆訳)

いうまでもなく、彼は、話し手と話し相手の両方が同時にみえるような「客観的」立場に立っているのではない。むしろ、“対話”とは「命がけの飛躍」であり、「私と他者とのあいだに渡されたかけ橋」は、それを渡るというより飛びこえるほかないものだといわねばならない。「言葉が話し相手に向けられているということ」は、話し手自身にとって「意味している」という特殊な内的経験などは存在しない、ということを意味する。フッサールがいうような「孤独な心的生活」においては、意味というものが“意味をなさない”のだ。そのかぎりで、“対話”は、独我論(方法的独我論=現象学)に対する決定的な批判の視点となりうるだろう。それは、われわれが「教える」側の視点と読んだものにほかならない。

パプチンは、近代の哲学・言語学・心理学・文学などは、すべてモノローグ的であり、単一体系性のなかに閉ざされているといっている。それに対して、彼は、ポリフォニックな、多数体系性を対置する。個人の意識に問いただすかぎり、われわれが見出すのは、きまって単一(均衡)体系である。ニーチェがいうように、「私たちが意識するすべてのものは、徹頭徹尾、まず調整され、単純化され、図式化され、解釈されている」(『権力の意志』)からだ。しかし、多数(不均衡)体系を、たんにそれに対置するだけでは、何もいったことにならない。P21-22

柄谷行人は後年、次のように書いている。

前期ウィトゲンシュタインは、「語りえないものについては沈黙しなければならない」と書いている(『論理哲学論考』)。その場合、「語りえないもの」とは、宗教と芸術である。この点で、ウィトゲンシュタインがカント的であることは容易に指摘しうる。(……)

しかし、後期ウィトゲンシュタインはどうか。『哲学探究』における言語ゲーム論では、科学・道徳・芸術といった領域的区分が廃棄されている。それは彼がカント的なものから遠ざかったように見えさせる。しかし、すでに述べてきたように、カントの「批判」の核心がそのような区分に関係なく、他者を持ち込むことにあったとすれば、むしろ後期ウィトゲンシュタインのほうがはるかにカント的なのだ。その「他者」は、経験的にありふれているにもかかわらず、超越論的に見いだされたものである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

これはカントの「無限判断」、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似性」、さらにはジジェクによればラカンの非-全体の論理に関係する(参照:「密閉した全体じゃない」)。

ドストエフスキーの「他者」が超越論的な他者であるなら、ドストエフスキー小説の語り口は超越論的であるといえるだろうし(もちろんそれだけではない)、それは「無限判断」、「家族的類似性」、「非-全体の論理」にもかかわる。

カントの哲学は超越論的――超越的とは区別されるーーと呼ばれている。超越論的態度とは、わかりやすくいえば、われわれが意識しないような、経験に先行する形式を明るみにだすことである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P17)

「超越論的」とは、すなわち、《自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかけるということ》であり、《超越的、つまりメタレヴェルに立って見下すものではなく、自己自身に関係していくもの》(柄谷発話 『闘争のエチカ』P53)ということになる。

ここで浅田彰の発言を挿入しよう(共同討議『トラウマと解離』 2001)。

メディア環境がどんどん解離的な状況を作り出す方向に向かっているのは、よく言われるとおりで、かなりの程度まで事実だろうと思います。メディアに接続することで、ここにいる自分とメディア空間の中の自分が多数多様なペルソナーー場合によっては性を年齢も異なったーーを演じ分けることができる、云々。

また逆に、そこから人間自身の捉え方も変わってくるんですね。統一性のもった心身で手ごたえのある世界を体験する、それこそがリアリティだと言うけれど、哲学的に反省してみれば、実はそれもヴァーチュアル・リアリティのひとつに過ぎない、と。

そもそも、人工知能のパイオニアのミンスキーが『心の社会』という表現を使っているように、心というのは多数のモジュールないしエージェントが統一的なプログラムなしに並列して走っているようなもので、その中には意識としてドミナントになるものもあるけれど、それとは別のリズムで意識には上らないまま動いているものもある、その総体が心なんだ、と。(……)人口知能で複数のモジュールを並列的に走らせる実験から逆に類推して、人間だって同じようなものだと考えるわけです。

こうした流れが、フロイトからジャネへの退行にもつながるわけでしょうし、柄谷行人流に言えばカントからヒュームへの退行につながるわけでしょう。ヒュームは、自己というのは多数の知覚の束だ、いわば蚊柱のようなものだ、と考えている。自己の一貫性と言ったって、選挙で内閣が替わっても外国との約束は引き継ぐという程度のものだ、と。ヒュームによるそういう徹底的な解体の後に、カントが、超越論的統覚Xという、いわばどこにもないものを持ってきて、新たな統合を図るわけですね。(……)

まあ、ヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統が再び優位になっているということでしょう。およそ、ファウンデーショナリズム(基礎付け主義)というのは、いわば神学の世俗化に過ぎず、有害でしかない。そのようなファウンデーションを自己言及的なパラドクスに追い込んで脱構築するなどと言っても、いわば否定神学的な観念の遊戯を出ない。そもそも、ファウンデーションなしに、複数の独立したゲームを並列的にプレイしてみて、それぞれがそこそこうまくいけばいいではないか、と。そういうローティ流のプラグマティズムが、いまもっとも支配的な哲学――というか反哲学でしょう。それが人工知能論などから見た「心の社会」論などともフィットするわけですね。

しかし、多少とも哲学的な立場からすると、それですべてが片付くとはとても思えません。もちろん、いまさら超越論的なものを天下り式に持ってくることはできない。けれども、カントの言った超越論的統覚だって、予定調和的に与えられているのではなく、あくまでXとしてあるわけですからね。あるいは、時代は下るけれど、ジャネが水平の解離を強調したのに対して、フロイトは強引に垂直も抑圧によって無意識まで含めた統合を図ろうとし、ラカンはそれをされに徹底して体系化しようとした、それを思弁的に過ぎると言って批判するのは簡単だけれど、逆にそれなしではものすごく単純な経験論とプラグマティズムに戻ってしまうという危惧があるわけです。


木村敏『時間と自己』より

われわれはドストエフスキーから多くのことを学ぶことができる。彼の作品に登場する多数の人物は、ムイシュキンやキリーロフのような癲癇患者だけでなく、全員がこの「現在の優位性」とでもいうべき特徴をそなえている。作中の人物がすべて作家の分身であってみれば、これはちっとも不思議なことではない。一例だけをあげれば、『悪霊』に登場する美貌の令嬢リザヴェータ……彼女にとって、過去・現在・未来の一貫した流れとしての一つの人生などというものは「見たくもない」ものなのである。彼女はスタヴローギンと駆け落ちして一夜の情事を経験した翌朝、「ぼくはいま、きのうよりもきみを愛している」というスタヴローギンに向って、「なんて奇妙な愛情告白かしら!きのううだのきょうだのと、なんでそんな比較が必要なの?」という。彼女は「自分がほんの一瞬間しか持続できない女だとわかっているので、」思いきって決心して「全人生をあの一時間きっかり〔の情事〕に賭けてしまった」のである。

一般に、ドストエフスキーの描く人物はいずれも他人に対して、ときには自分の生命を脅かすような危険な相手に対してすら不思議に無警戒で、分裂病親和者にみられるような他者の未知性に対する恐怖感は稀薄である。また、メランコリー親和者に特徴的な、既成の型の中での役割的対人関係も、彼の作品のどこを探しても見当たらない。彼の描く対人関係は、すべて現在眼の前にいる人との現在の瞬間における直接的な深い連帯感によって支えられている。

ドストエフスキーの意識における現在のこの豊かさは、彼がアウラ体験において死の側から生を眺めたときの壮麗な光景と、どこかで深くつながっているのではあるまいか。死は、生の側から未知の可能性として眺められたときには、身を縮まる恐怖の源となるだろう。しかしもし死を現在直接に生きることができるなら、それはこの上なく輝かしいものであるに違いない。(木村敏『時間と自己』P150)







2014年9月25日木曜日

世間を真に受けぬための積極的な方法

みずから言説を担っているつもりの「主体」が、より大きな時代の言説の一部ともいうべきものの一部としてほどよく分節化されてしまうという事態が、いたるところで起きている(……)。実際、率先して自分の言葉を語っているはずなのに、実はそれが他人の言葉の反復にすぎず、しかも、そのことに無自覚なまま、みずからを言説の「主体」だと勘違いしてしまうという滑稽な錯覚が広く共有され、誰ひとりとして、そのことを滑稽だと思わなくなっているのです。それは、権利の行使と思われていたものが、知らぬ間に大がかりな義務の達成に貢献してしまうという近代独特の皮肉な表現に他なりません。(「知性のために」 蓮實重彦)

《率先して自分の言葉を語っているはずなのに、実はそれが他人の言葉の反復にすぎず、しかも、そのことに無自覚なまま、みずからを言説の「主体」だと勘違いしてしまう》ことに苛立つことはないかい? 

「おかしいと思うのは」と彼(シャルリュス男爵)は言った、「そんなふうに戦争下の人間や事件を新聞だけでしか判断していない大衆が、自分の意見でそれを判断していると思いこんでいることですよ」(プルースト『見出された時』)

それは当然、自他ともなのだが、まずは他人の語りにだけ気づくのだっていいさ。

他者の「メタ私」は、また、それについての私の知あるいは無知は相対的なものであり、私の「メタ私」についての知あるいは無知とまったく同一のーーと私はあえていうーー水準のものである。しばしば、私の「メタ私」は、他者の「メタ私」よりもわからないのではないか。そうしてそのことがしばしば当人を生かしているのではないか。(中井久夫「世界における徴候と索引」より)

自分の「無意識」よりは、他人の「無意識」のほうが気づきやすいに相違ないから。

どこにいようと、彼が聴きとってしまうもの、彼が聴き取らずにいられなかったもの、それは、他の人々の、彼ら自身のことばづかいに対する難聴ぶりであった。彼は、彼らがみずからのことばづかいを聴きとらないありさまを聴きとっていた。

しかし彼自身はどうだったか。彼は、彼自身の難聴ぶりを聴き取ったことがないと言えるのか。彼は、みずからのことばづかいを聴き取るために苦心したのだが、その努力によって産出したものは、ただ、別のひとつの聴音場面、もうひとつの虚構にすぎなかった。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ーーここにある「虚構」という言葉にも注意しておこう。


冒頭の言葉は、フローベールの『紋切型辞典』にその起源のひとつがある蓮實重彦の長年のテーマのひとつである。

あらゆる項目がそうだとは断言しえないが、『紋切型辞典』に採用されたかなりの単語についてみると、それが思わず誰かの口から洩れてしまったのは、それがたんに流行語であったからではなく、思考さるべき切実な課題をかたちづくるものだという暗黙の申し合わせが広く行きわたっていたからである。その単語をそっと会話にまぎれこませることで一群の他者たちとの差異がきわだち、洒落ているだの気が利いているだのといった印象を与えるからではなく、それについて語ることが時代を真摯に生きようとする者の義務であるかのような前提が共有されているから、ほとんど機械的に、その言葉を口にしてしまうのだ。そこには、もはやいかなる特権化も相互排除も認められず、誰もが平等に論ずべき問題だけが、人びとの説話論的な欲望を惹きつけている。問題となった語彙に下された定義が肯定的なものであれ否定的なものであれ、それを論じることは人類にとって望ましいことだという考えが希薄に連帯されているのである。(『物語批判序説』)

冒頭の文には、たとえば次のような変奏がある。

どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、 なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、 しかもそう信じることの典型的な例外性が、 複数の無名性を代弁しつつ、 自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』) 
すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。(蓮實重彦『表層批評宣言』)
・同じ主題をめぐり、同じ言葉を語りうることを前提として群れ集まるものたちのみが群衆といいうやつなのだ。彼らが沈黙していようと、この前提が共有されているかぎり、それは群衆である。P7

・説話論的な磁場。それは、誰が、何のために語っているのかが判然としない領域である。そこで口を開くとき、人は、語るのではなく、語らされてしまう。語りつつある物語を分節化する主体としてではなく、物語の分節機能に従って説話論的な機能を演じる作中人物の一人となるほかはないのである。にもかかわらず、人は、あたかも記号流通の階層的秩序が存在し、自分がその中心に、上層部に、もっとも意味の濃密な地帯に位置しているかのごとく錯覚しつづけている。P27

・制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する不可視の装置なのである。あるいは、きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、それがこの章に冒頭で触れておいた現代的な言説なのである。その担い手たちは、知っているから語ろうとする存在ではない。だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、それを語ることだと錯覚する擬似主体こそが現代的な言説の担い手なのであって、誰もが、『紋切型辞典』の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者たちは、それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。P50(『物語批判序説』)

さらにトーマス・クーンの「パラダイム」概念やフーコーのエピステーメを視野に入れるなら次のようなことになる。

……だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収)

…………


《仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。》(小林秀雄

素顔が本物で仮面は贋者であるという信念や感覚、自己同一的な内面が本当の私であってそれ以外はすべて外面的で皮相的なものにすぎないとする信念や感覚は、「近代という時代そのものの病い」である。(小泉義之『倫理学』ーー仔猫の屍骸

素顔というのは、もうひとつの仮面である。素顔が本物だと信じるのは上にあるように近代以降の「病気」に過ぎない。

レヴィ・ストロースは、素顔と化粧・刺青の関係についてこういっている。《原住民の思考のなかでは、すでにみたように、装飾は顔なのであり、むしろ装飾が顔を創ったのである。顔にその社会的存在、人間的尊厳、精神的意義を与えるのは、装飾なのである。「構造人類学」》

そもそも「私が語るとき、私は自分の家の主人ではない」(フロイト)との「コペルニクス的転回」宣言の後、どうしていまだ素朴に「素顔」による「自分の言葉」などを信用することができよう。

カフカは、《自分の不安を根絶する》ために、いいかえれば、《救いを得る》ために日記をつけた。私にはこの動機は自然とは思えない。少なくとも終始不変とは思えない。伝統的に「私的日記」に与える目的についても同様である。もはやそれが適切とは思えない。それは《誠実さ》(自分を語る、自分をさらけ出す、自分を裁く)の効用や威光と結びつけられてきた。しかし、精神分析、サルトルの底意批判、マルクス主義のイデオロギー批判が告白を空しいものとしてしまった。誠実さは第二度の想像物〔イマジネール〕でしかない。(ロラン・バルトーー痛みやすい果実

バルトがこう書いてからもすでに三十年以上経っている。インターネットの時代以降、さらには21世紀に入って、別のコペルニクス転回があったわけでもあるまい。

ここから逃れるにはどうしたらいいのか。最初から仮面を被っているのに意識的であるのはそのひとつの方法だろう。

小説にくらべてみた、エッセーの宿命、それは《信憑性》を避けられぬこと―――カギ括弧の排除作用なしですませられないこと。(『彼自身によるロラン・バルト』「疲れと新鮮さ」の項より

『彼自身によるロラン・バルト』の表紙裏にはこう書かれている。

《ここにあるいっさいは、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。》


あるいは本文中には、

ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物―――というより、むしろ複数の登場人物たち―――によって語られているものと見なされるべきだ。なぜなら、想像界とは小説の宿命的材料であり、自分自身について語る人間がさまよい歩く、歯形の段階構成をもつ迷路であり、その想像界を、複数の仮面(《ペルソナエ》)が分担しているのだから。それらの仮面は舞台の奥行きの深さに応じて段階的に登場している(しかもその背後には《誰も》いないのだ)。この本は、選択をせず、交替原理によって作動している。それは、単純な想像界が次々に噴出するにつれ、批評的発作が次々とおこるにつれて、進行する。が、それらの発作そのものはつねに、よそからの反響によって生ずる効果でしかない。(自己)批評以上に純粋な想像界はないのだ。この本の内実は、究極的に、それゆえ全体にわたって、小説的である。エッセーの言述の中へ第三人称が闖入し、しかもその第三人称がどんな虚構的人物をもさしていないとしたら、それは、ジャンルというものの再編成が必要であることを示している。すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。

たとえば、現在、政治的発言を「真摯に」繰り返すひとたちも「象徴的仮面=偽善の面」を被っているのに意識的であるひとはいるだろう。そしてそれはなんら否定されるものではない。

人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。(柄谷行人 「マッチョイメージとしての「革命家」

あるいは、瞞着、すなわち世間を真に受けぬための積極的な方法だってときには必要さ。

【瞞着Mystification】

もっぱらこっけい味のある欺瞞を指すものとして、リベルタン精神の横溢する十八世紀のフランスにあらわれた、それ自体おもしろおかしい(神秘〔ミステール〕という言葉に由来する)新語。ディドロはとてつもない悪ふざけをたくらんで、クロワマール侯爵に、ある不幸な若い修道女が彼の保護を求めていると、まんまと信じこませてしまうが、このときディドロは四十七歳。数ヶ月のあいだ、彼はすっかり感動した侯爵に宛てて、実在しないこの女のサイン入りの手紙を書き送る。『修道女』――瞞着の果実。ディドロと彼の世紀とを愛するための、さらなる理由。瞞着とは、世間を真に受けぬための積極的な方法である。(クンデラ「七十三語」(『小説の精神』)所収)




2014年9月21日日曜日

若い女の米をとぐ濡れた手




外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

…………




午前一時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。(辺見庸『ハノイ挽歌』)

今は街中は交通事情のためシクロは多くの通りで出入り禁止になってしまった。




こういった景色は、今では中心部から外れた場所でしか見られない。


ところで辺見庸の文章はウェブ上から拾って手元にあるわけではないのだが、妙に印象に残る文章だと思ったら、「シクロ」、「深海」、「沈んだ」、「しじま」、「湿気」、「支配」と頭韻が踏んであるのだな。その前にある「寝静まり」の、シ音さえ響き合う。

「カフェー帰り」、「客」、「遠慮がちにカシャリカシャリ」も「カ」音のも、これはなんというのか、はて押韻だったか? まだほかにも「カ」音があるな

意図的かどうかは知れないが、こういった文章書かなくちゃな。


…………

君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に

ーーー『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之訳より





汽車が速度をはやめだしたあいだも私はまだじっとその美しい娘を目で追っていたが、その姿は、私の知っている人生とは何かのふちかざりでへだてられた、べつの人生の一部分のようであり、そこにあっては、物の呼びさます感覚は、もはや普通の感覚ではなく、いまそこから出て元の人生に帰ることは、私自身を永久に見すてるにもひとしかったであろう。すくなくとも、そうした新しい人生につながっていると感じる甘美な気持をつづけてもつには、毎朝ここへきてこの田舎娘からミルク・コーヒーを買うことができるように、この小さな駅のすぐ近くに住めばよかったであろう。しかし、ああ! 私がこれから次第に早くそのほうにはこばれてゆくべつの生活には、彼女はつねに不在なのだ。かならずいつかまたこのおなじ汽車に乗り、このおなじ駅にとまれるようにしよう、そうしたプランを立てないではとても私はあきらめてこれからの生活を受けいれる気にはなれなかった。(プルースト 「花咲く乙女たちのかげにⅠ」井上究一郎訳)


1995年の阪神大震災とオウムの年、日本の生活から逃げるようにした三十代なかばの鬱屈した男は、インドシナのいくつかの土地をたいした目的もなく彷徨い、とりあえずの短い旅だけではなく、ある国に二ヶ月ほど住んでみることにした。







狭い路地に隔てられた向かいのアパートメントで色黒だが可憐な若い家政婦が部屋を掃除したりベランダに出て洗濯物を干したりしている。朝、こちら側のアパート、六階建ての三階にある殺風景な部屋のベランダに下着を干したりしていて、何度かその姿に目をやっていると、少女はそれに気づき互いに挨拶するようになった、覚えたての当地の言葉で、「おはよう、いい天気だね!」と。何日かすると、彼女は仕事が終ると近くの牛鍋家で給仕をしていること身ぶり手ぶりを交えて告げた。







それはプルーストのミルクコーヒー売りの田舎娘の話のようでもあり、あるいは大江健三郎の『懐かしい年の手紙』の次の一節のようでもあった。


《インスルヘンテス大通りのなにやら古風なざわめきが、こちらは今日風な車のクラクションともども階下のガレージから聞こえてくる殺風景なアパートで、僕はあきることがなかった。窓から見おろす妙に奥行きの深い建物の屋上には、いちめんに張りわたしたロープに毎日大量の洗濯物が干されていた。ひとりよく働く洗濯婦は、日中の労働が終ると、建物脇の階段の奥から運び出す大型の七輪に釜を載せて、売り物のタコスを焼きはじめる、そうした眺めをあかず見おろしながら……》。

きみが手紙に書いて来たドイツ系の日本研究者のさ、牛に踏み荒らされた泥濘の裏通りに日本風の風呂のあるコンクリートの家を建てて、混血〔メステイソ〕の若妻と暮らしているという暮し向きにね、スルリと入って行きそうな気もするんだ。/きみがひとりで経験しているメキシコ・シティーの長い夕暮の時間がね、きみにとって東京の家族のことはすこしも思わず、ただゆったりした時間の流れにひたっていることのある、そうした奇態なものだと、きみのいうその表現には妙な実感がある。Kちゃんよ、自分もまさに奇態なものをそこにかぎとるふうなんだが…… 

もっとも、牛鍋屋の娘ばかりではない、当時この土地は平均月収が30ドルほどであり、盛り場の若い女たちは、金ばなれのよさそうな異国の男たちにとても愛想がよかった(ただし目抜き通りの酒場のいくつかは米軍駐留時の酒池肉林に練磨された伝統を持っており、油断すると容赦なかった)。女たちの多くはまさに「泥濘の裏通り」に住んでおり、女の運転するバイクのバックシートやら、シクロに二人掛けで、その家を訪れると、彼女の父母やら兄弟、あるいは祖父母だかにまで歓待される。あれでほとんど危ない目に遭わなかったのは幸運だったのか……、女だと思ったまま部屋についてから男だと気がついたこともあった。


若い女の故郷、メコンデルタにある町にも誘われて何度か訪れた。





夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。(デュラス:『愛人(ラマン)』)





空に七つの星が昇ったとき 私はこの草に
座りつづける カムランガの花の赤さの雲が 死んだモニア鳥(どり)のように
ガンジスの河波に沈んでいった-やってきたのは静かな慎ましい
ベンガルの青い夕暮れ-美しい髪の娘が空にあらわれたかのよう、
私の目のうえに 私の口のうえに 彼女の髪は漂う、
地上のどんな道もこの娘を見たことがない-見たことはない これほど
豊かな髪がヒジョル、カンタル、ジャームの樹々にたえまなく口づけをふらすのを
知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に

地上のどんな道でも、やわらかな稲の香り-藻草の匂い
家鴨(あひる)の羽、葦、池の水、淡水魚たちの
微かな匂い、若い女の米をとぐ濡れた手-冷たいその手
若者の足に踏まれた草むら-たくさんの赤い菩提樹の実の
痛みにふるえる匂いの疲れた沈黙-これらのなかにこそベンガルの生命(いのち)を
空に七つの星が昇ったとき 私はゆたかに感じる。(同『美わしのベンガル』)






「私はまだじっとその美しい娘を目で追っていたが、その姿は、私の知っている人生とは何かのふちかざりでへだてられた、べつの人生の一部分のようであり、そこにあっては、物の呼びさます感覚は、もはや普通の感覚ではなく、いまそこから出て元の人生に帰ることは、私自身を永久に見すてるにもひとしかった」のであり「ただゆったりした時間の流れにひたっていることのある、そうした奇態な」感覚を捨て去るわけにはいかなかった。

奇態な両義性ということについていえば、メキシコの広大な空のもと微光が瀰漫しているところへ、しだいに赤っぽい粉のような気配がただよいはじめて、そしてついに日が昏れるまでの、長い長い時間、僕は決して当の時間の進行のゆったりさ加減に苛立つことはなかった。時間の汐溜りのなかに、プランクトンさながら漂っている気分だったわけだ。ヒカリが障害を持って生まれて以来、自分とかれの情動のどこかが癒着しているようにしてずっと生きて来たのに、ヒカリのこともその弟妹のことも、かれらの母親のこともまた、まったく考えず一日を終えたことに気がついたりしていた。むしろ僕は、四国の森のなかの谷間ですごした子供の時分に、長い時のゆっくりした進行をいささかも苦にせず、底の深い淵にでもひたっているような気持だった時期の、その再現を経験している思いでもあったのである。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)

※補遺:デルタの夜



2014年9月19日金曜日

言葉の独走

クーによる身体の欲動の噴出」で引用した若き浅田彰の言葉を若干編集して、そのいくらかを再掲してみよう。

・許し難く凡庸な優等生は、音楽の制度に余りにも見事に適合しているため、分節構造の内部のしかるベき位置に音を置いていくことしかできない

・打つことを知っている者は、――打つというのは知ってできることではないーー、彼らは音楽の制度から何ほどかずれているがゆえに、分節構造からはみ出るような音をどうしようもなく打ち出してしまう

・打つことにおいて身体の欲動が分節構造の只中に噴出する

・半ば連続体に身をひたしつつそこからとび出そうとする点、自らのうちにずれや複数性を孕んだ点が、振動しながらつらなってレース模様を織りなしていくとき、そこに音楽が生まれる


これはなにも音楽だけの話じゃないはずだ。
たとえば詩や散文でもこういうことはある。
そして「許し難く凡庸な優等生」は、知ってできることではない。

たとえば次の蓮實重彦の文は、「物語」と「小説」をめぐって書かれているのだが、ここにはエクリチュールの定義めいたものが読みとれる。

波瀾万丈の物語とは一つの語義矛盾である。あらゆる物語は構造化されうるもので、思ってもみないことが起るのは、その構造に弛みが生じ、物語がふと前面から撤退したときに限られる。挿話の連鎖に有効にかかわらない細部がときならぬ肥大化を見せるような場合に、かろうじて事態は波瀾万丈と呼びうる様相を呈するにいたる。物語を見捨てた言葉の独走といったことが起るとき、構造の支配が遠ざかって小説が装置として作動し始めるといったらいいだろうか。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

ーー細部がときならぬ肥大化を見せ、《自らのうちにずれや複数性を孕んだ点が、振動しながらつらなってレース模様を織りなして》いき、言葉の独走といったことが起るとき、《そこに「エクリチュール」が生まれる》

もっとも「言葉の独走」とされているとしても誤解はしてはならない。

波瀾万丈とは、本来、そうした驚きの構造化されがたい衝突を意味しているはずなのだが、言葉が独走するときに起るその種の衝突は、必ずしも迅速さの印象を与えるとは限らない。それは停滞としても、迂回としても、無方向な横滑りとしても起りうる。(同蓮實)


以下は、《なるほど彼(石川淳)は、当代きっての巧みな日本語遣いというべきで、ときには威勢よく啖呵を切り、きわどい冗談をさらりと言ってのけ、下世話な題材を繊細な比喩でもっともらしい語り口に仕立てあげてみせたあたり、その小気味よさに思わずうっとしもしてしまう》としつつの蓮實重彦の「ボロクソ」芸の冒頭である。

何やら微妙な複雑さを身にまとい、理屈では解明しがたい神秘さをたたえているのが小説だとする視点は、文学に無償の価値を捏造して特権的に享受しようとする者たちの悪しき思い込みにすぎないし、その種の捉えどころのなさなど小説はいささかも必要としておらず、文学的な才能というものもその種の曖昧さによって擁護されたりはしないだろう。小説とは、漠たる曖昧さにとらえられた定義しがたい何かなのではなく、優れて厳密なものなのであり、しかも、厳密さとは、形式の問題ではなく、運動の問題にほかならないのである。小説とは、なによりもまず、厳密に作動する装置なのであり、物語があからさまなのは、それが厳密に作動することを回避し、もっぱら形式を踏みはずすことを恐れているだけの言葉だからなのだ。(写経:石川淳『夷齋筆談』と蓮實重彦の「ボロクソ」芸


ーーとすれば若いころ書いた自らの言葉が跳ね返って(「言葉の独走」に縁がない「許し難く凡庸な優等生」であることを自覚して)、書くのをやめたんだろうか、浅田彰。

子どもの頃、『ツァラトゥストラはこう言った』でニーチェが侮蔑を込めて描いている「最後の人間(末人)」の像に触れて、「これはまさに自分のことだ」と思ったのを覚えている。もはや想像と破壊の ドラマは終わり、すべてが平準化された中にあって、「最後の人間」たちは退屈な幸福を生きるだろう。

あらゆる情報を記録したテープがリミックスを加えて反復されるのを瞬きして眺めながら、(後の章に出てくる「小人」のように)「およそすべては円環をなして回帰する」などと小賢しく呟いてみせもするだろう・・・。

『早稲田文学』11月号に出た鎌田哲哉の私に宛てた公開書簡は、そのような「最後の人間」であることに居直る私に対し、「安直なニヒリズムを捨て、人間としてまともに生きよ」と呼びかけるものである と言ってよい。

その書簡は石川啄木の日記にならってローマ字で綴られている。 「僕は啄木のようにまともに生きる、あなたもまともに生きるべきだ」ということだろう。

その純粋な熱意は(ありがた迷惑とはいえ)ありがたいと思うし、そこに書かれた私への批判も(いくつかの点で異論があるとはいえ)おおむね受け入れる。
だが、残念ながら、私はその呼びかけに動かされることがなかった。

ひとつだけ、私の言葉に対する誤解と思われる部分に触れておこう。鎌田哲哉が部分的に引用している通り、西部すすむに「浅田さんがほとんど 書かなくなったのは世界や人類を馬鹿にしてのことですか」と問われて、私は「いや単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、おおいなる盲目をもてず、したがってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がないということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるんで、僕は選ばれなかっただけですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上にすぎないということも、明晰に認識していますけど」と答えている (『批評空間』Ⅱ-16)。

これは、私が本格的なものを書く力がないということ(私の「弱さ」)を、私が明晰に意識しているという意味ではない。書こうとする努力もせずに自分には書けないのだと前もって居直ってしまうことが逃げ口上にすぎないということを、明晰に意識しているという意味だ。
その意味で、私の立場に論理的な問題はないと思う。
では、倫理的な問題としてはどうか。

そのような早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか。
むろん、私は、自分自身がそうできないだけにいっそう、断念を拒否してなんとか努力しようとする人(鎌田哲哉を含めて)を眩しく見上げ、可能なら助力しようとしてきたが、断念したい人に対して断念するなと言う気はさらさなないし、自分に対してそう言われたくもない。
努力したい人は努力し、断念したい人は断念する。
それでいいではないか。

ここで飛躍を厭わずフランシス・フクヤマが『人間の終り』で論じるバイオテクノロジーの問題ともからめて言えば、20世紀が限りない延命を目指した世紀だったのに対し、21世紀の課題はそれへの反省であり、具体的にいって、たとえば安楽死施設、さらには自殺(幇助)施設の合法化であると思う。

生きたい人は生き、死にたい人は死ぬ。それでいいではないか。

ニーチェは「最後の人間」について「少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持ちよく死んでいく」と書いている。
かれの侮蔑にもかかわらず、私はそれも悪くない選択肢だと思わずにはいられないのだ。

もちろん、私はいますぐ死にたいというのではない。大江健三郎の『憂い顔の童子』で「母親が生きている間は自殺できない」という主人公の強迫観念が主題化されていたが、これはすでに父を喪った私にも大変よくわかる。

幸い、私はきわめて凡庸な常識人なので、倫理と言うより礼節の問題として。母より先に自殺するつもりはない。

そうやって生き延びている間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしをしながら「i-modeかなにかでくだらないお喋りを続けること」があってもいいのではないか。
また生きて努力しようとする人々にささやかながら助力することがあってもいいのではないか。

だが、鎌田哲哉が、そのようなおせっかいは生の意思を死の病毒で汚染するだけだというのなら、私はそれを断念し、彼の後姿にむけて静かに幸運を祈るばかりである。

ーーと以前拾ったのだが、リンク切れになっている。http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/realitas/200512c.html


まあ浅田彰のことはどうでもいいというひとがいまでは多いし、
そうであるべきかもしれないけど、
オレは浅田彰と一年違いでね、
彼の若書きの文章読んで、
(雑誌に発表され始めたのは、1981年の『現代思想』)
ああ、これは「思想」やらなんやらから早々に「引退」しなくちゃな、
と観念した口なんだな。

浅田彰は東京生まれではないけれど
やっぱりオレのような田舎者は、中学・高校で決定的に遅れてるのさ
(頭のできぐあいは、ここでは割愛しておくよ、なあ、そうだろ?)

《東京に生まれるのはひとつの才能》(蓮實重彦)なのは間違いないから
大都市生まれの若いきみたち、頑張ってくれ

というわけでこの文章は何度読んでも、
ボカってやられる気分になるぜ

きみらの世代はいいねえ
おそらくそれなりに「有能」であるのだろう「思想家」の処女作出るのは
早くて三十前後だし、通常、三十半ばだから。

いや「引退」を観念するには遅すぎて引くに引けなかった輩が
多数、批評家や学者として棲息している時代じゃないか
とも言えるかもな

知識も基礎学力もない人たちが、こうまで簡単に批評家になれるとはどういうことですかね。最近の文芸雑誌をパラパラと見ていると、何だか多摩川の二軍選手たちが一軍の試合で主役を張っているような恥ずかしさがあるでしょう。ごく単純に十年早いぞって人が平気で後楽園のマウンドに立っている。要するに芸がなくてもやっていけるわけで、こういう人たちが変な自信をまでもっちゃった。(『闘争のエチカ』蓮實重彦)

ーーと蓮實重彦が語ったのは、すでに二十年以上前で
最近こんなことを語っているようだが
《結局20年経って思うのは、何も驚くべき事はないということで、これが一つの驚きだった》

ところで浅田彰のグールドをめぐるすばらしい映像と解説が
以前YouTubeにあったのだが消えているな

かわりに次の映像貼り付けておく
坂本龍一、小沼純一、浅田彰でさえ「寄生虫」のことしか殆ど語っていない
という言い方ができるかもしれないが、
バッハの啓蒙番組だからやむ得ないさ
そもそも音楽というのはバーンスタインのいうようには
なかなか語り難いものだよ

バーンスタインは、音楽における意味を四種のレベル、すなわち1)物語的=文学的意味 2)雰囲気=絵画的意味 3)情緒反応的意味 4)純粋に音楽的な意味に分類したうえで、 4)だけが音楽的な分析を行うに値すると述べて、「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない」とする。(見すてられた石切場





有名な曲・演奏の紹介が多いのだけれど
そのため逆にむしろあまり聴かなくなってしまった演奏録音であり
(オレにとってだけだけれどさ)
あらためて久しぶりに聴くのだけれど
いいねえ、懐かしいなあ
フルトヴェングラーの「まことに、この人こそ神の子であった
Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」まで挙げてるな
まさにオレと同年代のバッハ愛好者たちだね

熱中した少年時代の記憶さえ蘇ってくるな

私のなかに三、四度にわたってよみがえった存在は、そんなわけで、たったいま、時からまぬがれたともいうべき人生の断片を味わったのであったが、それを観想しようとすると、その観想は、永久的なものであるにもかかわらず、つかのまに逃げさって行くのだった。それでも、やはり私に感じられたのは、これまでの生活で、めずらしい間隔を置いて、そのような観想が私にあたえた快感こそ、みのりある、真実な、唯一のものであった、ということだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

三人はオレと同世代ということもあるのだけれど
バッハを愛してSwingle Singersを聴かないってのはマガイだぜ

とは言いすぎだがね、
中学生のときスウィングル・シンガーズのシンフォニアを聴いて
幼い頃すこし習ったきりの、バッハのインベンションとシンフォニアの曲集を
あらためて練習しだしたな
そのとき惚れていた少女の顔まで浮かんで来るな
まさに「時からまぬがれたともいうべき人生の断片」だね





いまでもシンフォニアはこの第十一曲のト短調と
それに第六曲のホ長調を特権的に好むな
当時、ト短調が右手と左手の線を出すのがひどくむずかしくて
かわりにホ長調から練習しだしたのだな


ーーというわけで「知識も基礎学力もない」初老のディレッタントの戯言だぜ、この文章は




2014年9月15日月曜日

「詩は無駄なもの、役立たずの言葉」

またきみか
オレは「甘い」お話ききたくないんだよ
わかんねえのかな

…………

そよかぜ 墓場 ダルシマー  谷川俊太郎

騒がしい友だちが帰った夜おそく 食卓の上で何か書こうとして
三十年あまり昔のある朝のことを思い出した
違う家の違うテーブルで やはりぼくは「何か」を書いていた
夏の間に知り合った女に宛てた「別れ」という題ののそれは
未練がましい手紙のように いつまで書いてもきりがなかった
そのときもラジオから音楽が流れていて
その旋律を 今でもぼくはおぼろげに覚えている

そのときはそれでよかった
ぼくは若かったから
だがいまだにこんなふうにして「何か」を書いていいのだろうか
ぼくはマルクスもドストエフスキーも読まずに
モーツアルトを聴きながら年をとった
ぼくには人の苦しみに共感する能力が欠けていた
一生懸命生きて自分勝手に幸福だった

ぼくはよく話しよく笑ったけど ほんとうは静かなものを愛した
そよかぜ 墓場 ダルシマー
いつかこの世から消え失せる自分.......

だが沈黙と隣り合わせの詩とアンダンテだけを信じていていいのだろうか
日常の散文と劇にひそむ荒々しい欲望と情熱の騒々しさに気圧されて
それとももう手遅れなのか
ぼくは詩人でしかないのか三十年あまりの昔のあの朝からずっと
無疵で





「ふたつのロンド」より

六十年生きてきた間にずいぶんピアノを聴いた
古風な折り畳み式の燭台のついた母のピアノが最初だった
浴衣を着て夏の夜 母はモーツァルトを弾いた
ケッヘル四八五番のロンドニ長調
子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律
ぼくの幸せの原型


…………

震災後の世界で、詩がそれほど役に立つとは思っていない。詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。震災後、みんなが言葉を求めていると聞いて意外。僕の作品を読んだ人が力づけられたと聞くと、うれしいですが。(……)

詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。(谷川俊太郎(震災後 詩を信じる、疑う 吉増剛造と谷川俊太郎――<「芸術」「詩」の役割をめぐって(浅田彰、谷川俊太郎)>)

「震災後」、ツイッターの「クラスタ=村社会」内
すなわち仲良し小好しの仲間たちの間で
湿った瞳を交わし合い頷き合うのだけはやめたね
オレも詩やら芸術やらはどちらかといえば好きなほうなんだけどさ
クラスター内で「寄り添う」手合いは原子力ムラの連中と同じ穴の狢だぜ

原子力村ってのは国家寄生体だからな
クラスタ内で戯れ合っているお前らは「愛国者」なんだろうよ
やっぱりお前らネオナチの資質がぷんぷんするぜ

ナチスを最も熱心に支持したのは、公務員であり教師であり科学者であり実直な勤労者であった。当時の社会で最も真面目で清潔で勤勉な人々がヒトラーの演説に涙を流し、ユダヤ人という不真面目で不潔で怠惰な「寄生虫」に激しい嫌悪感を噴出させたのである。(『差別感情の哲学』中島義道)

「善良な市民」という名の「優しさ」にあふれた「愛国者」たちだね

@kdxn: もう3年ぐらい言ってるけど、原発を続けるかどうかは純粋に一部企業や業界の利益を守るか否かという問題であって、電力が足りる足りないとか、景気が上がる下がるとか、一切関係がないのよね。原発を今やめると膨大な損をする人たちがいる、それを国民が守ってやるかどうか。おこぼれは来ないよ。(野間易通)

貿易赤字や石油価格の上昇の可能性などを考慮してないだって?
まあいいじゃないか、でもこれはやっぱりこうなんだよ
原発再稼動容認なんてのは金持のための社会主義だね、

一般市民は「理解」しないといけないのだろうか? 社会保障の不足を埋め合わせることはできないが、銀行があけた莫大な金額の損失の穴を埋めることは必須であると。厳粛に受け入れねばならないのか? 競争に追われ、何千人もの労働者を雇う工場を国有化できるなどと、もはや誰も想像しないのに、投機ですっからかんになった銀行を国有化すのは当然のことだと。Alain Badiou, “De quell reel cetre crise est-ellelespectacle?” Le Monde, October 17, 2008


いずれにせよ、ツイッターでどんな発言をしても「政治的」になるんだよ

象徴的権威の崩壊が意味するのは、どの倫理的体系も最も根源的な意味で「政治的」な深淵に立脚していることである。政治とはまさにどんな外的保証もなしに倫理的決断をし他人と協議することである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』私意訳)

どうも文芸のたぐいを呟いていると
原発再稼動だけでなく、レイシズム、ネオナチの猖獗という
《混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に
無自覚であることの高度の政治的選択》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
をやっぱりしている気がするんだな
ツイッターでのさえずりはすべて「政治的」であることに自覚しなくちゃな

自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが、……( 同蓮實重彦『凡庸』)

もっとも谷川俊太郎のような態度を否定するものではまったくないさ
《詩を読んで人が心動かされるのは、
言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。
古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた》

詩だけでなく「芸術」は本来こういったものだろう
だがこういった態度をもつ「芸術家」が
湿った瞳を交し合ったり頷き合ったりするものだろうか
芸術愛好家のきみたちのように「かまってチャン」するもんだろうか

もちろんいまどきプルーストはどこにもいないかもな
《プルーストも、母の死後の時間は停止していたに近い。
最後はカフェ・オ・レによって辛うじて生存し、
もっぱら月光のもとでのみ外出し、
ひたすら執筆に没入した。
記述を読むと鬼気がせまってくる。》(中井久夫)

未知の表徴(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

《ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、
事変はそのたびに、作家たちに、
そのような書物を判読しないための
べつの口実を提供したのだった》だって?

だったら「芸術家」たちが政治的発言するのは
真の創造的行為をしないための「口実」かもな

もっともプレヒトの言葉はあるがね

私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。(ブレヒト『政治・社会論集』)


まあいいさ、ひとそれぞれだからな
だが仲良し子良しさんたちは
自らの「高度な政治的選択」だけは自覚しておけよ
きみらのようなインテリのつもりだか
感性がユタカだかのつもりになっている輩が
闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら
「やれやれ」と肩をすくめてみせる、
去勢されたアイロニカルな自意識の
マジョリティをいっそう鼓舞してんだからさ

サラエボの傘まで否定するつもりはないからな、オレは

雨よりも遙かに危険な砲撃に対して傘がまったく無力であり、それがいつ自分の頭上に炸裂するかもしれないと知っていながら、彼らは、それでも傘をさして外出するし、傘の選択には自分の趣味を反映させさえするだろう。それが現実というものにほかならず、砲撃から身を守るのに無力だという理由で、雨の日に傘を差す人々を嘲笑するのは、非現実的である。(蓮實重彦「柄谷行人 またはサラエボに住む人々も、雨が降れば傘をさして外出する」『「国文学解釈と鑑賞」別冊 柄谷行人』一九九五年所収)









2014年9月13日土曜日

ネオナチ完全無視のすずしい顔の手合い

そもそもオレはなぜ日本のネオナチの醜悪さ・猥雑さに
こんなに不快と苛立ちをこんなに覚えるんだろ?
完全無視してすずしい顔の手合いも多いよな

あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う連中

すなわち本気で憂慮するわけではなく、

いつでも身を引くことができる身構えしてるヤツラだな
オレの苛立ちはそうじゃなさそうなんだな
どうだい? フロイトせんせ

…他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))

オレもナチの資質をもってるのかいな
あいつらにオレの「否認された」内面のどろどろした部分をみせつけられるってわけかな
オマエな、追い討ちかけんなよ

自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人の中に向けるように思われる。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』井上究一郎訳)

まあいいさ、オマエらふたり完全無視するぜ
ーーというわけにもいかないのか

ここでふたたび、反ユダヤ主義、反ユダヤ人妄想を思い返してみよう、この幻想(ファンタジー)の根源的な間主観的な性質の例として。ユダヤの陰謀という社会的幻想は、“社会は私から何を欲しているのか?”という問いにたいして返答を与える試みなのである。それは私が余儀なく参加させられる後ろ暗い出来事の意味を明るみに出す。この意味で、“投射”の標準的な理論、すなわち反ユダヤ主義者は、ユダヤ人の姿に自らの否認された部分を“投射する”という考え方では不充分である。“概念としてのユダヤ人”の姿は、反ユダヤ主義者の“内面的な葛藤”の外面化に帰すことはできない。逆に、それは次の事実(あるいはこの事実をなんとか処理しようとする)証拠である。すなわち主体はもともと非中心化されており、その意味と論理がコントロールを逃れてしまう不明瞭なネットワークの部分であるという事実である。

この理由で、幻想の横断traversée du fantasmeの問い(ひとびとの享楽を組織する幻想的な枠組みから最小限の距離をとるにはどうしたらいいのか? その効力を宙吊りにするにはどうしたらいいのか?)は精神分析的な治療とその終結にとって決定的なことだけではなく、われわれのこの時代、レイシストの高揚が再活性化された、あるいは世界的な反ユダヤ主義のこの時代において、おそらくまた最前線の政治的な問いでもある。伝統的な啓蒙主義的態度の不能ぶりは、反レイシスト運動の連中がもっともよい例になる。彼らは理性的な議論のレベルでは、レイシストの〈他者〉を拒絶する一連の説得力のある理由を掲げる。しかし、それにもかかわらず、彼らは自らの批判の対象に明らかに魅せられている。結果として、彼らのすべての防衛は、現実の危機が発生した瞬間(たとえば、祖国が危機に瀕したとき)、崩壊してしまう。それはまるで古典的なハリウッド映画のようであり、そこでは、悪党は、――“公式的には”、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれる(ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と)。

最も重要な課題は、敵を弾劾し打ち負かすことではない。その仕事は容易に、敵のわれわれを把持を強めてしまう結果に終わる。肝要なのは、われわれを魅了させる(幻想的な)呪縛をどうやって中断させるかということだ。幻想の横断traversée du fantasmeのポイントは、享楽から免れることではない(旧式の左翼の清教徒気質モードのような)。むしろ、幻想にたいして最小限の距離をとるということは、いわば、幻想的な枠組みから享楽を“鉤から外し取る”ということであり、かつまた享楽は、非決定的な、分割的ない残余であることに気づくことである。すなわちそれは、歴史的な慣性の支持をする固有に“反動的”なものでもなく、かつまた既存の秩序の束縛を掘り崩す解放的な勢力でもないのだ。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』私テキトウ訳)

ネオナチという悪役にじつは魅了されてるだって?
で幻想にたいして最小限の距離をとる?
ーーそんな厄介にも穿ったこというなよ、ジジェクさんよ

まあここではレベルを落としてちょっと疑ってみるだけにするよ
反ファシズムを声高に言い募る「正義」のひとたちは
たとえば実は「権力欲」の強いヤツではないかと

われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがない。差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微の一つでもある。(……)

些細な特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。(中井久夫「いじめの政治学」)

もちろんこれだけではない
次のような「トラウマ」の経験者という側面もあるさ

……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』所収P93)

それに戦争トラウマがなかったら、戦争のにおいを嗅ぎつける嗅覚も弱いに決まってるさ


戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。(中井久夫「戦争と平和についての観察」ーー「政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割」)

たとえばヘイトスピーチの「ファシスト」猖獗に
孟子の「惻隠〔みてしのびざる〕の情」なんてことは言わないでおくよ
「理念」で対抗とかな
むしろ《同情は同一化から生まれる》(フロイト『集団心理学と自我の分析』)だな
想いだしておくのは。
同情するから同一化して心配するのではない
同一化が先にあるというヤツだ

ところで、だいたいネオナチなんてヨーロッパで席巻してんだから
それに苛立つことすくなく日本のネオナチに頭に血がのぼるってのは
「愛国者」なんだろうか
だったら「愛国保守議」員と同じ穴の狢じゃねえか、はあ?

西田昌司議員、稲田朋美議員、高市早苗議員さんたちとさ

それとも日本独自のネオナチが不快なんだろか

ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。(柄谷行人「フーコーと日本」)

「母性的な共感の共同体」ってヤツだな

公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。それがハードな国家幻想に収束していく可能性はたしかに小さくなったかもしれないとしても、だからといってソフトな閉塞に陥らない という保証はどこにもないのである。(浅田彰「むずかしい批評」(『すばる』1988 7 月号ーーおみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ

これだってオレにはまったく馴染めなかった会社主義や共感の共同体
それに見事に馴染み切って人生泳いでいる手合いへの羨望ってわけかな

ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)


まあいいさ、オレは海外住まいの暇人だからな

暇だといろいろ「余分なこと」で苛立ってみせるのさ

自分の食べることで精一杯で余裕なんてなかったら

ネオナチなんてどこ吹く風なんだろうよ


排外主義にしろ戦争準備政権にしろ、つまりは「我われの問題」としてはとらえていない、ということだ。自分たちとは関係ない別世界のお話し。リアリティへの眼差し以前の、無関心と無知と無自覚。

でも、それも仕方ないことだとも思う。例えば、アベノミクスで経済の上向き期待感を与えてくれるならば、起きるかどうか不確かな戦争への傾斜の怖れなんかに気をとめるだろうか。この政策なら明日の給料がすこしでも上がって、すこしでも生活が楽になるかもしれないと思わせてくれるなら、安倍政権の欺瞞と虚偽に目が向くだろうか。

みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。甘く見てはならないとか高をくくってはならないとか、「日常」をねつ造するメディアに流されないようになんて言われても、財布の中身のほうが大切に決ってる。(「甘く見てはならないとか高をくくってはならないとかなんて言われても」)


要するにそれぞれ「歯痛」を抱えている輩ばかりなんだろうよ




器質的な痛苦や不快に苦しめられている者が外界の事物に対して、それらが自分の苦痛と無関係なものであるかぎりは関心を失うというのは周知の事実であるし、また自明のことであるように思われる。これをさらに詳しく観察してみると、病気に苦しめられているかぎりは、彼はリピドー的関心を自分の愛の対象から引きあげ、愛することをやめているのがわかる。(……)W・ブッシュは歯痛に悩む詩人のことを、「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」と述べている。リビドーと自我への関心とがこの場合は同じ運命をもち、またしても互いに分かちがたいものになっている。周知の病人のエゴイズムなるものはこの両者をうちにふくんでいる。われわれが病人のエゴイズムを分かりきったものと考えているが、それは病気になればわれわれもまた同じように振舞うことを確信しているからである。激しく燃えあがっている恋心が、肉体上の障害のために追いはらわれ、完全な無関心が突然それにとってかわる有様は、喜劇にふさわしい好題目である。(フロイト『ナルシシズム入門』フロイト著作集5 p117)



やっぱり日本は貧しくなったんだろうな
引き返せない道」(中井久夫)歩んでるんだよ

@hazuma: ぼくは第二次大戦については、戦争悪いとかとは別に、いちどあれだけリベラルでモダンになった日本が急速に竹槍とかモンペ一色になっていく、その文化的墜落にいつも衝撃を受けるのよね。その点では、この15年ほど似たような墜落が生じていると感じていて、このあと戦争がなかったとしても嫌だ

@hazuma: いまはバブル世代や団塊ジュニアって評判悪いけど、95年までの日本はどうのこうのいいながら余裕があって、嫌韓本がベストセラーになったりすることはなかった。それは単純にいいことなんじゃないですかね。「戦わなければ生き残れない!」とか、そりゃそうかもしれないけど、基本下品ですよ。 (東浩紀)