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2014年11月10日月曜日

密封した千の瓶

たとえばこういうことがある。このインドシナの土地では、いま雨季から乾季の変わり目で、これから一ヶ月ほどが一年のうちでもっとも気温が低くなる。とはいえ日中はあいかわらずTシャツと短パンですみ、ただ早朝バイクで走ればウィンドブレーカーが必要となる程度の気温だが。

朝、やや寝過ごしたある日、目が覚めて二階の書斎兼寝室の窓を開ける。室内の気温は当地には珍しく肌寒くなっており、窓を開けた瞬間、日に温められた外気のもわっとした懐かしい感覚に襲われる。このとてつもない懐かしさの快感はどこから生じるのだろうかとしばらく茫然としているのだが、それは、なにかがふとよみがえって、よく耳を傾けてきこう、楽譜にしてみようとつとめる歌のふしに似ている。そうしてしばらくすると、その歌のふしは、日本の五月の初めから五月の半ばにかけての外気を吸ったときの感覚であることがわかってくる。この感覚が訪れるのは一年のうちこの季節だけなのだが、今年もつい先日それにめぐり合った。

三十歳前後、京都の松尾近くに住んでおり、五月にはしばしば自転車で桂川べりをのぼり、嵐山や嵯峨野方面をめぐった。あの窓を開けたときの感覚は、たとえば嵯峨野の大覚寺横の大沢池をさらに東に向かったところにあるれんげ畑をみやったときの快感をも想起させてくれる。






このあたりはと豆腐の老舗森嘉もあり、朝早く行かないと売り切れてしまうので、早朝、季節がよければ自転車で買いに行ったのだが、その豆腐の味まで憶い出す。お揚げさんがことさら美味だった。





もっともこの日本の初夏の感覚は窓からの外気でないこともある。一昨年の十一月十四日の日記にはこう書いている。

「ようやく乾季の訪れか。台所のテーブルに坐って珈琲を啜りつつ開け放たれた窓のむこうの前庭をぼんやり見やれば、花崗岩で組まれた塀のでこぼこした表に、細かく拡がった梢の末の翳を柔らかく描くのは、少し前とは違っておだやかで懐かしい陽射しだ。かすかな風にゆらぐその梢の模様とこがね色の陽光は粘つかず、さらさらと、……《小石ばかりの、河原があって、/それに陽は、さらさらと/さらさらと射しているのでありました》(中也)」

だがこの冷気と暖気、光と影、浮彫と省略、回想と忘却の強い快感を翌日も味わおうとして、朝、窓を開けても、もう前日の快感ほどのものはなくなっている。一年ぶりの感覚の新鮮さがもう翌日その鮮烈さを失ったということもあるだろうが、もっと本質的には、わたくしの構えが、プルーストのいう無意志的なもの/積極的意志の二項対立の後者になってしまっていることによる。

それというのも、フォークの音とかマドレーヌの味とかのような種類の無意識的記憶であれ、私が頭のなかでその意味を求めようと試みていた形象――鐘塔、雑草といった形象が、私の頭のなかで、複雑な、花咲き乱れた、ある魔法の書〔グリモワール〕を編んでいたーーそんな形象のたすけを借りて書かれるあの真実であれ、それらのものの第一の特徴は、私が勝手にそれらを選びだしたのではないということであり、それらがありのままの姿で私にあたえられたということであったからだ。また、それこそが、それらのものの真性証明〔オータンテイシテ〕の極印になるのだと私に感じられた。私は中庭の不揃いな二つの敷石をさがしに行ってそこで足をぶつけたわけではなかった。そうではなくて、不可避的に、偶然に、感覚の出会がおこなわれたという、まさにそのことこそ、その感覚がよみがえらせた過去とその感覚がさそいだした映像との真実に、検印をおすものであった、その証拠に、われわれはあかるい光に向かってあがってこようとするその感覚の努力を感じるのであり、ふたたび見出された現実というもののよろこびを感じるわけなのだ。(プルースト『見出された時』井上究一郎訳 文庫P336)

これは無意識的記憶(無意志的記憶)にかかわる文だが、積極的意志とはプルーストによって「理知」とも書かれる。


また人生が、あるときはじつに美しいものに見えても、結局つまらないもおと判断されたのだったとしたら、そのつまらなさというのは、人生それ自身とはまったくべつのものによって、人生を何一つふくんでいない映像によって、人生を判断し、人生を貶めているからであることを理解するのであった。そしてそれに付随してやっと私が気づいたのは、ざっとこういうことだった、現実の真の印象の一つ一つのあいだをへだてている相違はーー人生の型にはまった一様な描写がとうてい真のものに似るはずがないのは、このたがいの相違によって説明されるんだがーーたぶんつぎのような原因によるのだ、すなわち、われわれが人生のある時期にいったきわめてわずかな言葉とか、ある時期にやったきわめて些細な身振とかは、論理的にすこしもそれとは関係がない諸物にとりかこまれ、その諸物の反映を受けていたが、それらの物を言葉、身振から切りはなしてしまったのは理知で、そうなった以上、理知は、われわれが推理を必要とする場合がきても、それらの物をどこにつなぐこともできなかったのだ。ところが、それらのさまざまな物のまんなかにはーーここには、田舎のレストランの花咲く壁面のばら色の夕映とか、空腹感とか、女たちへの欲望とか、ぜいたくへの快楽とががあり、かしこには、水の女精たちの肩のようにちらちらと水面に浮かびでる楽節の断片をつつみこむ朝の海の青い波の渦巻があるというふうにーーこの上もなく単純な身振や行為が、密封した千の瓶のなかにとじこめられたようになって残っており、その瓶の一つ一つには、絶対に他とは異なる色や匂や気温をふくむものが、いっぱいに詰っているだろう、いうまでもなく、それらの瓶は、われわれが単に夢によってであれ思考によってであれ、たえず変化することをやめないで過ぎてきたその年月順に配列されているのであり、また種々さまざまな高度に位置していて、われわれにきわめて多種多様な雰囲気の感覚をあたえるというわけなのだ。むろんそういう諸変化をわれわれは知らずのうちになしとげただろう。それにしても、突然われわれにもどってくる回想と、われわれの現状とのあいだには、異なる年月、場所、時間の、二つの回想のあいだにおいても同様だが、非常な距離がある、したがって、両者に特有の独自性を問題外にしても、その距離の点だけで、それぞれをたがいに比較できなくするに十分だろう。そうなのだ、回想は、忘却のおかげで、それ自身と現在の瞬間とのあいだに、なんの関係をむすぶことも、どんな鎖の輪を投げることもできなかった、回想は自分の場所、自分の日付にとどまったままだった、回想はいつまでもある谷間の窪道に、ある峰の尖端に、その距離、その孤立を保ってきた、というのが事実であるにしても、その回想が、突然われわれにある新しい空気を吸わせるというわけは、その空気こそまさしくわれわれがかつて吸ったある空気だからなのである。そうした一段と純粋な空気こそ、詩人たちが楽園にみなぎらせようと空しく試みたものであり、その空気は、すでに過去において吸われたことがあって、はじめて、あのように深い再生の感覚をあたえることができるのであろう、けだし、真の楽園とは、人がひとたび失った楽園なのだ。(プルースト『見出された時』P320-321)

 この「積極的意志/無意志的なもの」は、昨日も書いたが、プルースト=ドゥルーズによって、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈》などと言い換えられる。



これらの、「友情/恋愛、会話/沈黙した解釈」の現象のあらわれとして読むことができる小林秀雄の「富永太郎の思ひ出」という短文がある。これも昨年の11月15日の日記にあり、この乾季のおけるプルースト的レミニサンス(無意志的記憶)の時が垂直に立ち上がる刻限の茫然自失から立ち直った後に書かれた文である。

記憶とは、過去を刻々に変へて行く策略めいた或る能力である。富永が死んだ年、僕は彼を悼む文章を書いたが、今それを読んでみて、当時は確かに僕の裡に生きてゐた様々な観念が、既に今は死んで了つてゐる事を確めた。そして、自分は当時、本当に富永の死を悼んでゐたのだらうか、といふ答へのない疑問に苦しむ。

これはまずは次のようなことを言っているはずだ。


(一般に)過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264)
 

しかし続いてある次の文の、


・《発熱で上気した頬の上部に黒い大きな隈が出来てゐて、それが僕をハッとさせた。強い不吉な印象であつた。》


・《死は殆ど足音を立てて彼に近付いてゐた。その確かな形を前にしながら、僕は何故、それを瞥見するに止めたのだらうか。其他これに類する強い印象を、彼の姿態から折に触れ、間違ひなく感受し乍ら、何故、それが当時も僕の心のなかで、然るべき場所を占めなかつたのであらうか。》


――これを読むと、《然るべき場所を占めなかつた》のは友情のせいじゃないかと読む(誤読)ことができるように思う。


彼の死んだ年の或る暑い真昼、僕は彼の家を訪ねた。彼は床の上に長々と腹這ひになつて鰻の弁当を食べてゐた。縁側から這入つて行く僕の方を向き、彼は笑つたが、発熱で上気した頬の上部に黒い大きな隈が出来てゐて、それが僕をハッとさせた。強い不吉な印象であつた。彼は最近書いたと言つて、小さな紙切れに鉛筆で走り書きしたものを見せた。"au Rimbaud"といふ詩だつた。彼は、目をつぶつたまゝ"Parmi les flots : les martyrs!"と呟いた。僕は紙切れを手にして、どんな空想を喋つたか、もう少しも覚えてゐない。だが、たつた今僕を驚かせた彼の顔を、もう少しも見てはゐなかつた事は確かである。死は殆ど足音を立てて彼に近付いてゐた。その確かな形を前にしながら、僕は何故、それを瞥見するに止めたのだらうか。其他これに類する強い印象を、彼の姿態から折に触れ、間違ひなく感受し乍ら、何故、それが当時も僕の心のなかで、然るべき場所を占めなかつたのであらうか。それはどんな空想のした業だつたのだらうか。彼が死んだ時に、僕は京橋の病院にゐて手術の苦痛以外に何も考へてはゐなかつた。間もなく僕はいろいろな事を思ひ知らねばならなかつた、とりわけ自分が人生の入り口に立つてゐた事に就いて。

 富永の霊よ、安かれ、僕は再び君に就いて書く事はあるまいと思ふ。(1941年1月、筑摩書房『富永太郎詩集』)

 富永の顔に現われた「黒い大きな隈」、そのシーニュを読みとる小林秀雄は、《観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈》における二分法の後者、「感受性=愛」の小林秀雄だったのだが、たちまち「おしゃべりな友人同士のコミュニケーション」によって、前者の「観察=友情」の構えになってしまったのだ。

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p199)

《誰かといっしょになったり、友人に話しかけたりすると、すぐ私の精神はくるりと向きを変え、思考の方向は、私自身にではなく、その話相手に移ってしまう。》(プルースト『花咲く乙女たちのかげに 二』)

小林秀雄は、話相手にあらわれた己れの「感受性」、「沈黙した解釈」を促すシーニュ(黒い大きな隈)を捨て去り、友情による「会話」、「観察」に移ってしまったのではないだろうか。すくなくとも、わたくしはそう読んでみたい誘惑にかられる。

《彼の姿態から折に触れ、間違ひなく感受し乍ら、何故、それが当時も僕の心のなかで、然るべき場所を占めなかつた》




2014年10月26日日曜日

「美しい旋律にもまして趣味を台なしにするものは何ひとつとしてない!」(ニーチェ)

ニーチェは最終的には『力への意志』という標題の書物を断念したという見解が有力で ある。 しかし、 「あらゆる価値の価値転換」 というモチーフは維持されていたと考えられて いる(大石紀一郎ほか編『ニーチェ事典』 (弘文堂、1995 年)の大石紀一郎氏による「ニ ーチェ年譜」および三島憲一氏による「さまざまなニーチェ全集について」参照) 。 『力へ の意志』 の標題が計画されていたことは、 本文中に引用した通り、 『道徳の系譜学』 の中で も記されているのであるから、 『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる。(ニーチェ『道徳の系譜学』における「無への意志」の階層性と両義性について 松田愛)

ーーという文章を読んだが、『道徳の系譜』における『力への意志』への言及は次の通り。


――もう沢山だ! もう沢山だ! われわれは最も近代的な精神のこの珍奇と複雑から眼を転じよう。それは滑稽であるとともに嫌悪すべきものである。(……)そうした事柄については、私は他の機会においてもっと根本的に、またもっと厳密に論及するつもりである(『ヨーロッパのニヒリズムの歴史について』という標題のもとに。これに関して私は、私の目下準備しつつある著作、すなわち『力への意志、あらゆる価値の価値転換の試み』を紹介しておく)。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p204)

松田愛さんの論に《『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる》とあるが、ではどんな変更があったとするのか。「力への意志」概念には飽きてしまったのなら、なんのせいか、――こういった問いはどうでもよいかもしれないが、乗りかかった船ではあり、すこし探ってみることにしよう。


大いなる年、1888年が来る。『偶像の黄昏』、『ワーグナーの場合』、『アンチクリスト』、『この人を見よ』。あたかもニーチェの創作能力が激しくかき立てられ、崩壊に先立ってその最後の飛躍を遂げたかのように、一切は進行したのである。偉大な技量を示すこれらの作品においては、トーンさえも変化する。ある新しい暴力性があり、〈超人〉的なものが持つコミック性のように、新たなユーモアが見られる。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 p24)

この大いなる年の作品、――ハイデガーも別の意味でだろうが、ニーチェのプラトニズムの転倒からの真の転回脱出が《ニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられた》(ハイデガー『ニーチェ』)と言っているーー、この、1889年初頭に狂気に陥る前年、かの大いなる年に書かれた著作に、『力への意志』を放り出すような痕跡がなにかあるのか。

芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく。私は(『芸術の生理学によせて』という標題の私の主著の一章において)以下のことを詳細に示す機会をもつであろう、すなわち、芸術の俳優的もののうちへのこの総体的変化は、まさにまぎれもなく生理学的退化の一つの現われ(もっと精確には、ヒステリー症状の一形式)であって、この点はヴァーグナーによって開始された芸術のそれぞれの頽廃や脆弱さも同様であり、その実例は、瞬間ごとに立場を変えるのに必要なこの芸術の観点の動揺においてみられることを。(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』1888年のトリノ書簡  原佑訳p308)

というわけで、他にもあるのかもしれないが、『芸術の生理学によせて』という痕跡を見つけ出しただけでわたくしは満足しておく。大いなる年における文体の音調の変化については、ヘルダーリンとそれを解釈するアガンベンの言葉でも抜き出しておくことにしよう。

「すべてはリズムであり、あらゆる芸術作品が唯一のリズムであるように、人間の運命全体は、天上の一なるリズムである。そして一切は、神の吟唱する唇によって振動する……」(ヘルダーリン)

ーー《アガンベンはヘルダーリンを解釈して、「芸術作品」とは真理を開くための根源的な「空間」であると把捉する。この空間は、「人間という世界内存在の構造、および人間が真理や歴史と結ぶ関係の構造そのものが賭けられているような次元」を意味している》とのことだそうだ(マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』×ジョルジョ・アガンベン『中身のない人間』)。

・この空間の中で初めて人間は、地上における自己の居住の根源的な尺度を測り、直線的な時間の途切れることのない流れの中に現存する自己の真理を見出すことができるのである

・芸術作品を経験する時、人間は<真理>のうちに、言い換えればポイエーシス的行為においてようやくヴェールを剥がされる始原のうちに直立しているのである」(アガンベン『『中身のない人間』)

おわかりであろうか、わたくしの伝えたいことが。ーーなんだと? まだわからないだと? ではしかたがない、くどくなるのを怖れないでもないが、こう引用しておこう。

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー聖者と道化、あるいはニーチェとラカン


ところで上に引用した『ヴァーグナーの場合』には、《芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく》とあり、「俳優」と語が出てくるが、この言葉をただひたすら嘲弄語彙と勘違いしてはならない。ニーチェの俳優の捉え方には両義性がある。

徳の俳優と罪の俳優。――徳のために有名になった古代の人々の間には、自分自身に対して俳優を演じた人々が数えきれないほど多数いたように思われる。ことにギリシア人は、根っからの俳優であるから、このことをまさしく全く無意識的に行ない、よいことだと思ったであろう。その上各人は自分の徳で、ある他人の徳または他のあらゆる人々の徳と競争していた。自分の徳を見せびらかすために、何よりもまず自分自身に見せるために、練習のためにさえも、あらゆる手段に訴えてどうしていけないのだろう? 示すこともできず、示し方を心得てもいな徳が何の役にたとうか! ――これらの徳の俳優たちを阻止したのは、キリスト教である。その代わりにキリスト教は、罪の不快な顕示と誇示を案出し、捏造された罪深さを世界にもちこんだ(今日にいたるまで、立派なキリスト教徒の間では、これが「上品な作法」と見なされている)。(ニーチェ『曙光』29番 茅野良男訳)

そして『ツァラトゥストラ』にはこうある。


・かれらのうちには自分で知らずに俳優である者と、自分の意に反して俳優である者とがいる。――まがいものでない者は、いつもまれだ。ことにまがいものでない俳優は。

・やめよ、おまえ、俳優よ、贋金造りよ、根柢からの嘘つきよ。おまえの正体はわかっている。

・おまえ、孔雀のなかの孔雀よ、虚栄心の海よ。何をおまえはわたしに演じてみせたのだ。よこしまな魔術師よ、(……)

・よこしまな贋金造りよ、おまえにはほかにしようがないのだ。おまえは医者に裸を見せるときでも、おまえの病気に化粧をするだろう。。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

 このように、ギリシア人の「徳」の俳優が顕揚され、キリスト教的な贋金造りーー「罪」の俳優が貶められているわけだ。


ギリシアの神々(……)。高貴で自主的な人間の反映たるあの神々にあっては、人間のうちにある動物は自分を神のように感じたので、従って自分自身を喰い裂くこともなかったし、自分自身に対して狂暴を仕かけることもなかったのだ! あのギリシア人たちは極めて長い間、彼らの神々を実に「良心の疚しさ」を寄せつけざらんがために用い、彼らの精神の自由を愉しみ続けえんがために用いた。つまり、彼らは神々をキリスト教のおける用い方とは正反対の意味において用いたのだ。彼らはーーその素晴らしいし、獅子のような心をもった子供たちは、この道をずっと遠く進んで行った。(……)

オリュンポスの目撃者かつ審判者が(……)、人間を怨んだり悪く思ったりは決してしないのを聞き、また見るであろう。「奴らは何と愚かなのだろう!」と彼は死すべき者たちの非行を見て思うーーそして、「愚かさ」・「無分別」・少しばかりの「頭の狂い」、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として許したーー愚かさであって、罪ではないのだ! 諸君にはそれがわかるか……しかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーー「そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。われわれ高貴な素性の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?」ーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。「きっと神が瞞したのに違いない」とついに彼は頭を振りながら自分に言った…… この遁辞はギリシア人にとって典型的なものだ…… このように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろより高貴なものを、すなわち罪を身に引き受けたのだ……(『道徳の系譜』p111-113)


ここでギリシアに学んだ--おそらくニーチェ経由でーーフーコーの

『性の歴史』における

克己enkrateia、節制sophrosyneを持ち出してもよいが(参照:プラトンとフロイトの野生の馬)、長くなりそうなので、いまはひたすらニーチェメモに徹することにする。

わが友らよ、私たちが理想に本気であるなら、私たちは誹謗しよう、私たちは旋律を誹謗しよう! 美しい旋律にもまして危険なものは何ひとつとしてない! それにもまして確実に趣味を台なしにするものは何ひとつとしてない! わが友よ! 人がふたたび美しい旋律を愛するときには、私たちは見捨てられていうのである! ・ ・ ・

原則、旋律は非道徳的である。証明、パレストリーナ。応用、『パルジファル』。旋律の欠如はそれ自身神聖にする・ ・ ・(『ヴァーグナーの場合』p305-306)

おわかりだろうか、ベルニーニにぞっこんの諸君たちよ!




頽廃は一般化している。病気は深部にある。ベルニーニが彫刻の荒廃の代名詞であるように、ヴァーグナーが音楽の荒廃の代名詞であるとしても、それだからとて彼はその原因であるのではない。彼はその荒廃のテンポを速めたにすぎない(『ヴァーグナーの場合』「第二のあとがき」p337)



ワーグナーを聴くなら、へなへなした美貌歌手ではなく、ギリシアの神々の生れ変りのようなジェシー・ノーマンで聴くべきだ、彼女ならニーチェもきっと許してくれることあろう。






わたくしはどちらかというと神々への幅がひろいほうなので、ジェシー・ノーマンほどではなくても、ノアルスイユ夫人タイプの歌手であれば許すことにしているが。

「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」(『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

おわかりであろうか、わたくしの趣味が。それとも諸君と同じように美しき魂の持ち主を愛するべきなのだろうか、《完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども》を。

女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

我が日本にも味方がいるではないか! もっとも荷風や谷崎の女は、歌をうたうのはひどく下手そうではあるが。

毒婦の第一の資格は美人でなければならぬ。其れも軽妙で、清洒で、すね気味な強みを持つてゐる美人でなければならぬ。其れ故、毒婦が遺憾なく其の本領を発揮する場合には観客は道義的批判を離れて、全く芸術的快感に酔ひ、毒婦の迫害に遭遇する良民の暗愚遅鈍を嘲笑する(永井荷風『虫干』ーー倒錯と女の素足(谷崎潤一郎)
幾十人の男の魂を弄んだ年増のように物凄く整って(……)国中の罪と財との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代り死に代った麗しい多くの男女の、夢の数々から生れ出いづべき器量(谷崎潤一郎『刺青』)
…………

《私は少しばかり窓を開けたい。空気を! もっと空気を!》(『ヴァーグナーの場合』p300)


よい空気が大切なのだ! よい空気が大切なのだ! そしてとにかく文化のあらゆる癲狂院や病院の傍を離れることだ! だからこそ良い仲間が大切なのだ! いずれにせよ、内向的な頽廃と内密な病人の虫害とが放つ悪臭から遠ざかることだ!…… わが友らよ、われわれがそれこそわれわれ自身のために取っておかれたかもしれないあの二つの最も悪性の疫病から少なくともなお暫くの間実を守るために、――人間に対する大なる吐き気から! 人間に対する大なる同情から!…… (ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p158)

という具合ではあるがニーチェはワーグナーにぞっこんだった自らを恥じているわけではまったくない。

――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)
哲学者が最初にして最後におのれに求めるものは何であろうか? おのれの内なるその時代を超克すること、「無時間的」となることである。それでは彼は何とそのこのうえなく苛烈な死闘をまじえるのか! まさしく彼がその点で時代の子であるそのものとである。よろしい! 私はヴァーグナーと同様この時代の子である、言ってよいなら、デカダンであるが、ただ私はこのことをわきまえていた、ただ私はこのことに対して抵抗した。私の内なる哲学者がそれに対して抵抗したのである。


私が最も深くたずさわってきたもの、事実それはデカダンスの問題であった、――私はそのために理由をいくつかもっていた。「善と悪」はあの問題に一変種にすぎない。衰退の特徴について眼識をそなえてしまえば、道徳の心得もまたそなわる、――道徳のこのうえなく神聖な名称や価値定式のしたに何が隠されているのかがわかるのである。すなわち、それは貧困化した生、終末への意志、大きな疲労にほかならない。道徳は生を否定する・・・そうした課題のために私には自己訓練が必要であったのである、すなわちーーヴァーグナーをもふくめて、ショーペンハウアーをもふくめて、全近代的「人間性」をもふくめて、身に深い疎遠、冷淡、幻滅、しかも最高の願いとしては、ツァラトゥストラの眼、人間という全事実を途方もない遠方から見渡す眼、――おのれの下に見おろす眼・・・そのような目標――どのよおうな犠牲もそれに相応しないのではなかろうか? どのような「自己超克」も! どのような「自己否認」も!

私の最大の体験は一つの快癒であった。ヴァーグナーはたんに私の病気のうちの一つにすぎない。

私がこの病気に対して忘恩であろうとすると言うのではない。私はこの著作でもって、ヴァーグナーは有害であるとの命題を堅持するとしても、それに劣らず私は、それにもかかわらず彼が誰にとって不可欠であるかということも堅持しようと思うーーそれは哲学者にとってである。さもなければ人はおそらくヴァーグナーなしでやってゆくことができるであろうが、ヴァーグナーなしですますことは、哲学者の勝手にはならないのである。哲学者はその時代の良心のやましさでなければならないがーーそのためには哲学者はその時代の最良の知識をもっていなければならない。しかし哲学者は近代的魂の迷路にとって、ヴァーグナーにもまして通暁した道案内人を、雄弁な精通者を、どこに見いだすことができようか? ヴァーグナーをつうじて近代性はその最も親密な言葉を語っている。すなわち、それはその善いところも悪いところも包み隠さず、それはおおれに対するすべての羞恥を忘れてしまっているのである。また逆に、ヴァーグナーでみられる善と悪に関して明らかとなるなら、近代的なものの価値に関して決着をつけたも同然である。――私には、「私はヴァーグナーを憎むが、私にはもはや他の音楽は耐えられない」と今日誰か音楽家が言うなら、それは完全に理解できる。しかしまた私には、「ヴァーグナーは近代性を要約している。どうにも仕方がない、まずヴァーグナー主義者とならざるをえない・・・」と言明する哲学者の心も、わかることであろう。(『ヴァーグナーの場合』「序言」p285-287)

 さて、「諸君、おわかりであろうか?」ーー、私はこれにていささか肩の荷をおろすことにする。《「優れたものは軽やかであり、一切の神的なものは華奢な足で走る」、これが私の美学の第一命題である。(……)このことでそれは、音楽における多足類とは、「無限旋律」とは反対のものとなる》

フーコーがすでにとっくの昔にいっているように、数々の美しいイマージュをーーわたくしはこれを「数々の美しい旋律を」と翻訳するのだがーー、創り出すのではなく、イマージュを(美しい旋律を)ときほどし、炸裂させた処に顕現するギリシアの神々の軽やかな透明さを愛でるべきであるーーとすれば、あのギリシアの神々の生まれ変わりジェシー・ノーマンは軽やかで華奢な足をもっているといえるのだろうか?--

フィクションはもはや数々のイマージュを倦むことなく生産し輝かせる能力であるべきではなく、逆にそれらイマージュの結びつきをほどき、すべての過重からくる負担を軽くしてやり、内的な透明さ、それらイマージュを少しずつ照らしだしてついにはそれらを炸裂させ、想像し得ぬものの軽やかさのうちにそれらを散らばせる透明さをもってそれらの住処とするような力であるべきなのだ。(フーコー『外部の思考』――モーリス・ブランショ論)

…………

ここに附録のようにしてつけ加えるとするなら、ニーチェの1888年における転回、これについては小林秀雄やクロソウスキーなどによる1887年のドストエフスキーとの出会いの影響の指摘もある。

ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」ーー山師ニーチェ
The sick are rehabilitated for having a greater compassion and, at the same time, for having 'invented' malice; ageing, decadent races are rehabilitated for possessing more spirit; thefool and the saint are rehabilitated - and opposed to the 'genius' and the 'criminal adventurer', who are here united in a single affective genus. Such revisionism, in Nietzsche, was due in large part to his discovery of Dostoevsky. For even if they derived opposite conclusions from their analogous visions of the human soul, Nietzsche could not help but experience, through his contact with Dostoevsky's 'demons' and the 'underground man', an infinite and incessant solicitation, recognizing himself in many of the remarks the Russian novelist put in his characters' mouths.(『 Nietzsche and the Vicious Circle』PIERRE KL,OSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)


2014年10月8日水曜日

山師ニーチェ

むさぼるように私は『曙光』の断章を読みました。ニーチェを読むときに役だつ、あのあらゆるひねくれた感情を込めながら。そして翻訳者にたいする、一巡してはまた生まれてくる感謝の気持を、その“ひねくれた”感情に交えたのです。……(「ニーチェとヴァレリー ヴァレリーのニーチェに関する手稿から」 丹治恒次郎 著 – 1985 ネット上PDFより)

ヴァレリーは仏国では、もっとも早くからのニーチェの読者のひとりだったらしい。上の文は、ニーチェの翻訳者である友人アンリ・アルベール宛(1901)の書簡からであり、彼に感謝の気持を表明しているのだが、それに続いて現われる「“ひねくれた”感情」という表現がいかにもヴァレリーらしい。”Tous les mauvais senntimenntos utiles”――悪感情、不快感としてもよいだろう。

もっともヴァレリーは死の二年前のカイエ(72歳)にも、ニーチェに触れている。


ニーチェを読むーーニーチェ(かれはイデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとりだが)にある詐りのものはーーかれが他者に付与する重要性――論争術、――およびいろんな理論立てを思わせるものすべてである。彼はすでに「文学史」中に席を与えられた物事をあまり眼中におきすぎる。――ソクラテスとカントを制服した「彼」が、だ。――/それから魔術的な語の『生』。しかしこれに助けを呼ぶのは安易というものだ。(寺田透訳)

この時期に到っても熱心にニーチェを読んでいたことになる。しかもやはり「詐りのもの」という表現を差挿させて。


だが《イデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとり》ともあるわけだが、ヴァレリーはマルクスの最初期の読者であることも知られている(もっともマルクスーニーチェーフロイトという偉大な三人組(イデオロギー、道徳、自我の)の残りの一人フロイトへの言及というのは殆んどなかったんじゃないか)。


まあそれはこの際どうでもよろしいが、ニーチェを、”道徳の分野で”、とはいわず、”イデオロギーの分野で”もっとも高く評価すると言っているのも、ヴァレリーらしい。たぶんニーチェの同情道徳批判など端から信じていなかったのだろう。


ニーチェのなかでもっとも面白いものはあの断固たる風采、倫理的執心である。――これが僕をいつも笑わせる。――というのは、要するにこれは台所仕事なのだ、道徳のなかで働こうとする。道徳の現代的基礎が見かけのよい無関心でだということに気がつかない。(ヴァレリー ジッド宛ての書簡 1899.1.13)


◆ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』より


・私はニーチェが言っていることを気にかけない。ニーチェが考えねばならないことに関心がある。

・あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ。

・山師根性の発生源〔は何か〕。存在の分割。

・大ほら吹き。――構築家ではない。


山師だって?、大ほら吹きだって?


ニーチェは妹への手紙で言っている、

自分は生来おとなしい人間だから、自己を喚び覚ますために激しい言葉が必要なのだ。

ーーたぶん、「お兄さん、どうして物を書くとき、あんなに大言壮語するの?」 とでも訊ねられたのではないか。



ところで冒頭の「ひねくれた感情」については小林秀雄もすでに昭和二十五年のエッセイ「ニーチェ雑感」にて次のように引用している。

「私はニイチェを読む、彼を読むに必要な悪意をもって」とヴァレリイは言っている。これはニイチェの知らぬフランス風のアイロニイだ。彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている。そういう血筋についての日本人としての一種の不感症の意識が、ニイチェを読むには、およそ女々しさを知らぬ善意が必要だ、と私に言うようである。ニイチェは暴露心理学の名人ではない。それは彼にはあんまりやさしい芸である。心理は暴露されるが、ひたすら隠そうとしているものが、常にそこにある。それは真理の絶対性であり、そこにはドイツの伝統的精神の血が流れている。頑固な執拗な容赦のない精神の渇望が、憧憬がある。これを、彼の「悪意の知恵」のうちに、いつも感じているのには強い善意を要する。


ここには上に引用したヴァレリーの『ニーチェに関する手稿』における《あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ》の翳も窺われる、すなわち《彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている》とは、《あまりにもドイツ的》の変奏だろう。


ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。(吉田秀和ーー 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』(神崎繁)よりの孫引き)

吉田秀和はもちろん小林秀雄の弟子筋であり、この見解も起源は小林秀雄にあるに相違ない。

反道徳とか、反キリストとか、超人とか、ニヒリスムとか、孤独とかいう言葉は、ニイチェの著作から取り上げられ、誤解され、濫用されているが、これらの言葉は、近代における最も禁欲的な思想家の過剰な精神力から生れた言葉だと思えば、誤解の余地はないだろう。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

ニーチェの主著のひとつ『道徳の系譜』では、この書に収められた三論文のテーマ、第一論文「善悪」、第二論文「同情」、第三論文「禁欲主義」に対して、それぞれ激しく反駁しているのだが、ニーチェこそ善悪の彼岸にある「善=真理」の人、窮極の「同情」の人、至高の「禁欲主義」の人であった、と小林秀雄はすでに暗に言ってしまっているのだ。


そして小林秀雄の見解も、ヴァレリーに負うところが大きいように見える。


ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった。

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。」(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

たとえばショーペンハウアーの《哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである》とある次の文を読んでみよう。

ニイチェは、「教育者としてのショオペンハウエル」を、私という人間を知る鍵だと、これを書いてから十年も経ってから、ローデへの手紙で言っているが、どんな鍵だかは言っていない。鍵をあけるのは読者の方だ。これはニイチェの変わらぬやり方である。

彼はショオペンハウエルの第一ページを読むやいなや、あらゆるページを読んで、あらゆる言葉を傾聴するに違いないことを決定的に感じてしまう、そういう種類のショオペンハウエルの読者だ、と言っているが、彼の書いたものは、まさにそういう読者の書いた「ショオペンハウエル論」であって、この哲学者の哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである。相手を信頼しきった愛読者として、ニイチェがショオペンハウエルから感得したものは、もっと深い処にあるもの、ドグマが死んでも今日もショウペンハウエルが私たちを動かしているものだ。感得とは私の勝手な言葉ではない、ニイチェはこの哲学者を語り、愛読者の「生理的印象」を語るのだ、とさえ言っている。「教育者としてのショオペンハウエル」は、同時代への攻撃が目的であり、それは鋭く雄弁で、一篇の重点をなしているのだが、ニイチェの鍵をあけるなら、私としては、彼が愛読者としての気持ちを語る最初の部分を選びたい。

ショオペンハウエルが、カントの「批判」から立ち上がったのは周知のことであるが、この点で、ニイチェは特色ある洞察を述べている。カントによって厳密に証明された知性の相対性を、いろいろと弄くり廻しているような「計算機械」たちには自分は何の興味もない、なぜ絶望しないのかと彼は言う。彼は、カントから与えられた打撃により、絶望した心を語るクライストの手紙を引用し、人間はいつになったら、クライストのように自然にすなおに感じるようになるか、いつになったら哲学の意味を自分の心の底に照らして計ることを学ぶようになるかと言っている。ショオペンハウエルは、それをやった。それをやったところに、ニイチェが見たものは奇怪なほど明らかなあたりまえなことであった。正直な思想家。その点で、彼に肩を並べられる思想家はモンテエニュ一人だと断言しているのもおもしろい。同時にニイチェは、当代の思想家の、不機嫌、憂鬱、錯雑が、つまるところ自分自身に対する信頼感の不安定をごまかそうとする虚偽から来ているのであって、他にもっともらしい理由なおいっさいないのだと見る。ところで、正直であるとは、「人生の全像」が、この苦痛と不幸との絶えぬ絵が一つ目で見えているという意味だ。ショオペンハウエルは、この絵から、画家を発見しようと男らしく、単純に誠意をもって考えて行く、他の思想家たちが、絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している間に。この愛読者は、そういうふうに読んだ。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

小林秀雄の、しばしば「はったり的」とも批判される様をこの文章に読むひとがいるかもしれない。ショーペンハウアーの「哲学的ドグマなぞ初めから問題ではなかった」だって? 研究者だったらこの断言に苛立つのを憶測できないわけでもない。

ニーチェはこう書いてるじゃないか、と。

ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ『反キリスト』原佑訳  P172)

だがニーチェが山師なら、小林秀雄を山師として読んでどうしていかないわけがあろう。その山師根性から生み出される神経や情動に働きかけてくるエクリチュールに魅せられないひとーーたとえば学者共同体のひとびとはーー、地道に研究活動に精をだしておればよろしい。それが《絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している》のではないことを、ここで他人事ながら祈願しておこう。


《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475

もっともいま黒字強調をした箇所も、たとえば次の文とともに読む必要があるだろう。

ひとはものを書く場合、分ってもらいたいたというだけでなく、また同様に確かに、分ってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にはならない。おそらくそれが著者の意図だったのだ--著者は《猫にも杓子にも》分ってもらいたくなかったのだ。すべて高貴な精神が自己を伝えようとする時には、その聞き手をも選ぶのだ。それを選ぶと同時に、《縁なき衆生》には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこに起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである」(『悦ばしき知識』381番 秋山英夫訳)

もちろんニーチェはこれだけではない。ここでニーチェ読みなら欠かせないとされるクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』を次のように引用しておいてもよい。

強度、刺激、音調。それが思考である。思考が何を語るかはまた別の問題であり、思考が何を語ろうとも同じである。そして思考が何かに適用されれば、また他 の強度、他の刺激、他の音調が生み出される。いまやニーチェは、もはや概念的能力においてではなく、情緒的能力において、思考を実践しようとする。それは 一つの限界点。知が、悟性の平和のためにではもはやなく、〈カオス〉の呼びかけにも似た諸力の意のままに活動する、そのための手段のようなものを手にする 限界点にほかならない。(『ニーチェと悪循環』「トリノの陶酔」兼子正勝訳)

「音調」という語彙が出てきた。ならば、こう重ねて引用せざるをえない。

二種類の著作者たちを区別しなければならない。第一は、人がある著作者たちについて書く、そういう対象としての著作者たちであり、彼らからの影響は、人が彼らについて語ることがらの外にはなく、そのことがらに先立つものではない。そして第二は(もっと古典的な考えかたであり)、人が読む対象としての著作者たちである。ところで、第二の著作者たちから私に及ぼされるものはいったい何だろうか。一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)(『彼自身によるロラン・バルト』ーー「自分の声をさがしなさい」)

で、小林秀雄のニーチェ小論はこの側面が欠けているって? まさか!

ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

…………

※附記

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収ーー意図的な誤読の「楽しみ」


2014年9月23日火曜日

ペダンチックなメロドラマとしての遭遇

「人々はあらゆる時代の最良の書を読む代わりに、年がら年じゅう最新刊ばかり読み、いっぽう書き手の考えは堂々巡りし、狭い世界にとどまる。こうして時代はますます深く、みずからつくり出したぬかるみにはまっていく。」(ショーペンハウアーーーツイッターより)

ははあ、いいこと言ってるじゃん、ショーペンハウアー。

或る日(1865年秋:二十一歳)、私は古本屋でこの本(『意志と表象の世界』:引用者)を見つけ、全然未知のものであったので、手にとってページを繰った。・・お前はこの本を家に持ち帰れ・・と私に囁いたのはどういうデーモンであったのか私にはわからない。いずれにせよ書物の購入をあまり急がないという私の日頃の習慣に反した出来事であった。(ニーチェ『回顧』)

――というのもウェブ上で拾ったのだけれど、便利だねえ、――いまでは「ぬかるみ」にはまるための陥穽はそこらじゅうにあるさ。

ところでニーチェの文は「デーモン」なんたらとあるように、小林秀雄の文に似ているな、パクったんじゃないか。

僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。しかも、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学の力なぞ殆ど問題でないくらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である、と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様にも思われる。(小林秀雄「ランボオ Ⅲ」『作家の顔』所収)

小林秀雄のこの文章くらいは手元にあるさ。

それに次のようなことが書かれる書物だってな、オレの「青春」の書だからな。


……高橋(英夫)氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてい た、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴 な<出会い>として一挙に起こったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語り始めるとき、ここで小林氏が 嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いていた、と“書い てもよい”」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩とし ての「見知らぬ男」の殴打、「偶然見付けたメルキュウル版」に「仕掛けられてて」いた「爆薬」、「敏感」な「発光装置」、「炸裂」などの比喩は、事件とし てあったはずのランボー体験を青春の邂逅の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだし て小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまったが結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれて いる文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあった」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われ た性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とこ とわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ、それとも高 橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。(……)

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会 い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収)

…………

さて、目的は次の文をメモっておくことである。


悪書は読者から、本来なら良書とその高尚な目的に向けられるべき時間と金と注意力をうばいとる。また悪書はお金めあて、官職ほしさに書かれたものにすぎない。

したがって役に立たないばかりか、積極的に害をなす。今日の著書の九割は、読者のポケットから手品のように数ターレル引き出すことだけがねらいで、そのために著者と出版社と批評家は固く手を結んでいる。

三文文士、日々の糧を稼ぐために書く人、濫作家たちが、時代のよき趣味と真の教養に対して企てた抜け目のない相当な悪巧みは功を奏した。エレガントな上流社会全体を誘導し、時勢におくれないように、つまりみなが常におそろいの最新刊を読み、仲間内で話題にするように仕向けたのである。そのためにひと役かったのは、シュピンドラー、ブルヴァー、ウージェーヌ・シユーのような一世を風扉した作家の筆による三文小説のたぐいである。

だがこうした大衆文学の読者ほど、あわれな運命をたどる者はいない。つまり、おそろしく凡庸な脳みその持ち主がお金めあてに書き散らした最新刊を、常に読んでいなければならないと思い込み、自分をがんじがらめにしている。この手の作家は、いつの時代もはいて捨てるほどいるというのに。その代わり、時代と国を越えた稀有な卓越した人物の作品は、その題名しか知らないのだ。特に大衆文芸日刊紙は、趣味のよい読者から、教養をつちかってくれるような珠玉の作品にあてるべき時間をうばい、凡庸な脳みその人間が書いた駄作を毎日読ませる、巧妙な仕組みになっている。

人々はあらゆる時代の最良の書を読む代わりに、年がら年じゅう最新刊ばかり読み、
いっぽう書き手の考えは堂々巡りし、狭い世界にとどまる。こうして時代はますます深く、みずからつくり出したぬかるみにはまってゆく。

したがって私たちが本を読む場合、もっとも大切なのは、読まずにすますコツだ。

いつの時代も大衆に大受けする本には、だからこそ、手を出さないのがコツである。

いま大評判で次々と版を重ねても、一年で寿命が尽きる政治パンフレットや文芸小冊子、小説、詩などには手を出さないことだ。むしろ愚者のために書く連中は、いつの時代も俗受けするものだと達観し、常に読書のために設けた短めの適度な時間を、もっぱらあらゆる時代、あらゆる国々の、常人をはるかにしのぐ偉大な人物の作品、名声鳴り響く作品へ振り向けよう。私たちを真にはぐくみ、啓発するのはそうした作品だけである。

悪書から被るものはどんなに少なくとも、少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない。

悪書は知性を毒し、精神をそこなう。

良本を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるからだ。

ーーいいねえ、やっぱりニーチェだけではなくて、ニーチェの師ショーペンハウアーも「再読」しなくちゃな。

読むことを技術として習練するためには、あることが何よりも必要であるが、今日ではこれが一番忘れられているーー反芻することだ。――だから、私の著作が読まれるようになるには、まだ年月を要するわけだ。このためには、読者は牛になってもらわなくてはならぬ、ともかく「近代人」であっては困るのだ。(道徳の系譜・序 八節)

なあ、そうだろ、牛になって「反芻」することだよ。

……カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女ははげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳 文庫 P532)

2014年6月28日土曜日

「汝が人にしてもらいたくないようなことを、他人に対してなすなかれ」

百万もの法律のかわりに、ただ一つの法律だけで十分である。この法律とはどのようなものであろうか? 汝が人にしてもらいたくないようなことを、他人に対してなすなかれ。汝が他人にしてもらいたいように、他人に対してなせ。これがその法律であり、予言者である。

だが明らかに、それはもはや一つの法律ではなくて、まさに正義の基本的方式、すべての準則である。(プルードン『一九世紀における革命の一般理念』)

中島義道botの「叫び」に出会ったので、記念に並べておく。

彼らは、「自分がされたくないことを他人にするな」と真顔でお説教する。自分がされたくないことでも、他人はされたいかもしれず、自分がされたいことでも、他人はされたくないかもしれないじゃないか!『私の嫌いな10の人びと』中島義道

…………

自由な、ないし民主的な統治の組織は、君主政治のそれよりも複雑であり学問的であり、より勤勉ではあるがより電光石火的ではない実践を伴っており、したがってそれはより大衆的ではないのである。ほとんど常に自由の統治の諸形態は、それよりも君主制的な絶対主義を好む大衆によって貴族政治と見なされてきた。ここから進歩的な人間が陥っており、これからも長い間陥るであろう一種の循環作用が生じる。もちろん共和主義者たちがさまざまな自由と保証とを要求しているのは、大衆の運命の改善である。したがって、彼らが支持を求めなければならないのは大衆に対してであるが、民主的諸形態への不信ないし無関心によって、自由の傷害となるのも民衆なのである。(プルードン『連合の原理』)

ーー自由よりも権威を好む「民衆」? これは悪くない。


間違ってばかりいる大衆の小さな意識的な判断などは、彼には問題ではなかった。大衆の広大な無意識界を捕えて、これを動かすのが問題であった。人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅墓な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変わりはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択にまかすと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう。ヒットラーは、この根本問題で、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」で描いた、あの有名な「大審問官」という悪魔と全く見解を同じくする。言葉まで同じなのである。同じように孤独で、合理的で、狂信的で、不屈不撓であった。(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

2014年6月19日木曜日

「依怙贔屓」、あるいは「お前は才能がない」

長い間教師をしてきた私の結論は、依怙贔屓によってしか人は伸びないということです。私ははじめから自分は依怙贔屓でゆくと公言している。個々の学生の潜在的な素質が見えてきた段階からは、教育的な配慮を平等には振り撒かないということです。(蓮實重彦)

ツイッターで拾ったのだが、なんというか、ずばりと「真実」を語ってしまう元東大総長である。出典が不明であり前後関係はわからないので、あまりこうやって引用して、あれやこれやとは書きたくないのだが、捨てておくにはあまりにも「魅力的」な言葉すぎる。

いずれにせよ人はこうやって依怙贔屓をしたりされたりして生きてきている。たとえば母親が子供たちのひとりだけを依怙贔屓しないということがありうるだろうか、それは仮に内心だけであって、表面には出ないように努めていることが多いにしろ。依怙贔屓されることによって、その当人は素質をのばす。かつての嫡子制度をみよ。あれはすこぶる「健全な」依怙贔屓制度ではなかったか(たとえばエリートを育てるための)。

そもそも愛とは依怙贔屓、すなわち選別と排除の仕草ではないか。《愛しているときのわたしはいたって排他的になる》(フロイト『書簡集』)

もちろん制度的な依怙贔屓、すなわち差別システムは撤廃しなくてはならないというのは「統整的」理念には相違ない。だがジジェクは、自由主義的資本主義における制度的「差別」、格差システムが、人びとの怨恨の暴発を救っていると言う。「ヒエラルキー」の仕組みは、社会的下位者が、社会的上位者、特権者に屈辱感を抱かせないシステムとするのだ(これは『ツナミの小形而上学』で著者ジャン=ピエール・デュピュイの見解を参照にしているようだ)。

2005年十二月、新しく選ばれた英国保守党の党首デイヴィッド・キャメロンは、保守党を恵まれない人びとの擁護者に変えるつもりだと述べ、こう宣言した。「あらゆる政治にとっての試金石は、もてない者、すなわち社会の底辺にいる人びとに対して何ができるかということであるべきだ」。不平等が人間外の盲目的な力から生じたと考えれば、不平等を受け入れるのがずっと楽になる、と指摘したフリードリヒ・ハイエクですら、この点では正しかった。したがって、自由主義資本主義における成功あるいは失敗の「不合理性」の良い点は(市場は計り知れない運命の近代版だという古くからのモチーフを思い出そう)、そのおかげで私は自分の失敗(あるいは成功)を、「自分にふさわしくない」、偶然的なものだと見なせるということである。まさに資本主義の不正そのものが、資本主義のもっとも重要な特徴であり、これのおかげで、資本主義は大多数の人びとにとって許容できるものなのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

フロイトは、「万人の平等こそ正義なり」という思想運動など抽象的なものだと言い放って、「自然は、すべての人間に不平等きわまる肉体的素質と精神的才能をあたえることによって種々の不正を行っており、これにたいしてはなんとも救済の方法が無いではないか」と書いている。ヒエラルキー制度がない社会では、あるいは名目的・心情的には「より平等な社会」(日本のような)では、自分の低いポジションは「自分にふさわしい」ものだということをいやがおうでも悟らされはしないか。

私自身、若いころ、貧乏の辛さを嫌というほど味わい、有産階級の冷淡さ・傲慢さを肌身に感じたことのある人間なのだから、財産の不平等およびそこから生まれるさまざまな結果を除去しようという運動にたいしてお前は理解も好意も持っていないのだなどという邪推は、よもや読者の心に萌すまい。もちろん、こうした運動の目標が、「万人の平等こそ正義なり」などという抽象的なものであるなら、さっそく次のような反論が起こるだろう。すなわち、「自然は、すべての人間に不平等きわまる肉体的素質と精神的才能をあたえることによって種々の不正を行っており、これにたいしてはなんとも救済の方法が無いではないか」と。(フロイト『文化への不満』人文書院 旧訳)

蓮實重彦の《個々の学生の潜在的な素質が見えてきた段階からは、教育的な配慮を平等には振り撒かない》という見解に対して、限られた高等教育におけるだけの話で小学校や中学校では、すくなくとも「建前」上、まかりならぬという人びともいるだろう。だが、フロイトの次の文を読んでみよう。若い頃から社会的「依怙贔屓」制度の練習を積んでおいたほうがよいのではないか、との見解として読めはしないか。

今日の教育は、若い人々がいずれは他人の攻撃欲動の対象にされるにちがいないのに、そのための心の準備をしてやらないという点で罪を犯している。若い人々をこれほど間違った心理学的オリエンテーションのまま人生に送りこむ今日の教育の態度は、極地探検に行こうという人間に装備として、夏服と上部イタリアの湖水地方の地図を与えるに等しい。そのさい、倫理の要求のある種の濫用が明白になる。すなわち、どんなきびしい倫理的要求を突きつけたにしても、教師のほうで、「自分自身が幸福になり、また他人を幸福にするためには、人間はこうでなければならない。けれども、人間はそうではないという覚悟はしておかねばならない」と言ってくれるなら、大した害にはならないだろう。ところが事実はそうではなくて、若い人々は、「他の人たちはみなこういう倫理的規則を守っているのだ。善人ばかりなのだ」と思いこまされている。そして、「だからお前もそういう人間にならなければならないのだ」ということになるのだ。(『文化への不満』)

もちろんこれらは「極論」かもしれない。だが「極論」によって初めて隠蔽されているものが見えてくる。

…………


ここで少し異なった文脈で語られる「お前は才能がない」との蓮實重彦の発言を抜き出そう。

蓮實)みんな、文学は教えられないというけど、文学の教育は可能なんです。日本では、文学教育のプロフェッショナルがいなかったというだけのことです。文学部系のアカデミズムがあまありにも弱体だったので、教育が機能しなかったのであり、そのうち、みんががあきらめちゃった。これは、不幸なことですよね。これが有効に機能していたら、いまの批評家の半分は批評家にならずにすんだと思う。自分の趣味とは関係なく、文学の名において、おまえは才能がないと言う人がいなかったんです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

「おまえは才能がない」と指摘しない「優しく曖昧な」制度によって、不幸にも才能のない仕事を生涯つづけることになるなどということがありはしないか。早い時期に「才能がない」と指摘されれば、諦めて別のより才能を発揮できる仕事を見出すこともできるだろうし、逆に「才能がない」と言われても、諦めずに己れの好みや選択を継続するとき、そこに生じる「反撥」の力によって、大成する道が開かれるかもしれぬ。

もっとも、注意しなければならないのは、「才能がない」のと世間に受け入られる(たとえば流行作家になる)とは、まったく別の話であるということだ。才能がないために、よく売れることだってありうる、ましてや現在のようにファストフード的知的消費者ばかりが席巻しているなら、いっそうのこと。

ベルゴットのもっとも美しい文章は、実際に、読者に、自己へのより深い反省を要求したが、読者はそんなベルゴットよりも、単に書きかたがうまくなかったという理由でより深く見えた作家たちのほうを好むのであった。
(……)
批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっているから、作家が大衆によって判断されること(大衆にとって未知である探求の領野に芸術家がくわだてた事柄を、大衆が理解することも不可能でないとしての話だが)をむしろ好む傾向ともなるのであろう。というのも、大衆の本能的生活と大作家の才能とのあいだには、本職の批評家と皮相な駄弁や変わりやすい基準とのあいだより以上に、多くの相通じるものがあるからで、大作家の才能は、他のいっさいのものに命じられた沈黙のただなかで敬虔にききとられた本能、よく把握され、十分に仕上げられた本能にほかならないのである。(プルースト「見出された時」)

いずれにせよ、現在ではいっそうのこと、才能を持つことよりも人に知られた名前を持つことのほうが遥かに重要であるに相違ない。

ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

ここで話をすこし前に戻せば、そもそも「才能がない」と言われて諦めてしまうこと自体が、「才能がない」証拠であるとすら言える。浅田彰は自ら「本当の才能がない」と自覚してしまったなどと、驚くべき「謙遜さ=巷間の書き手への嘲笑」とも受けとられない言葉を洩らしている。

浅田彰は西部すすむに《浅田さんがほとんど書かなくなったのは世界や人類を馬鹿にしてのことですか》と問われて、私は《いや単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、おおいなる盲目をもてず、したがってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がないということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるんで、僕は選ばれなかっただけですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上にすぎないということも、明晰に認識していますけど》と答えている (『批評空間』Ⅱ-16)。

だが、これは次のような発言をみても、額面通りとらえるべきなのだろう。

浅田:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。

大江:浅田さんには「自分は単なる明晰にすぎない」という、つつましい自己規定があるんですね。明晰な判断力ではとらえきれないものがあって、それは明晰さより上のレベルだと思っていられる。天才というようなものが働くレベルというか。文学というあいまいな場所で生きている人間からすると、上等な誤解を受けている気がします・・・・・・(笑い)。

浅田:ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)


…………



※附記:

大岡昇平「再会」より(青山二郎(Y 先生)の小林秀雄(X 先生))

私を除いて酔って来た。Y 先生が X 先生にからみ出した。

お前さんには才能がないね

「えっ」

と X 先生はどきっとしたような声を出した。先生は十何年来、日本の批評の最高の道を歩いたといわれている人である。その人に「才能がない」というのを聞いて、私もびっくりしてしまった。

「お前のやってることは、お魚を釣ることじゃねえ。釣る手附を見せてるだけだ。 (Y 先生は比喩で語るのが好きである)そおら、釣るぞ。どうだ、この手を見てろ。 (先生は身振りを始めた)ほおら、だんだん魚が上って来るぞ。どうじゃ、頭が見えたろう。途端、ぷつっ、糸が切れるんだよ」

しかし Y 先生は自分の比喩にそれほど自信がないらしく、ちょろちょろ眼を動かして、X先生の顔を窺いながら、身振りを進めている。

「遺憾ながら才能がない。だから糸が切れるんだよ」

X 先生がおとなしく聞いてるところを見ると、矢は当ったらしい。Y 先生は調子づいた。 「いいかあ、こら、みんな、見てろ。魚が上るぞ。象かも知れないぞ。大きな象か、小さな象か。水中に棲息すべきではない象、象が上って来るかも知れんぞ。ほら、鼻が見えたろ。途端、ぷつっ、糸が切れるんだよ」

「ひでえことをいうなよ。才能があるかないか知らないが、高い宿賃出してモツァルト書きに、伊東くんだりまで来てるんだよ」

「へっ、宿賃がなんだい。糸が切れちゃ元も子もねえさ。ぷつっ」

こうなると Y 先生は手がつけられない。私も昔は随分泣かされたものである。

私はいいが、驚いたことに、暗い蝋燭で照らされた X 先生の頬は、涙だか洟だか知らないが、濡れているようであった。私はますます驚いた。

2014年6月16日月曜日

「生成性」という名の菊の御紋

世のマルクス主義文芸批評家は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかもしれない。しかし、諸君の脳中においてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。まさに商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る。だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行するとき、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。(小林秀雄『様々なる意匠』)

『様々なる意匠』は、小林秀雄の27歳のときの作品(『改造』懸賞評論論二席入選作)で、実質的なデビュー作といっていいだろう。

ここに書かれている「商品は世界を支配する」というのは、商品のフェティシズムなどと言われるもので、貨幣のフェティシズムと同様、マルクスの物神論のひとつである。

貨幣呪物の謎は、ただ,商品呪物の謎が人目に見えるようになり人目をくらますようになったものでしかない。(マルクス『資本論』)
金を貨幣として、したがって貨幣退蔵の構成分子として固定させるためには、流通することを、また購買手段として、享楽手段になってしまうことを、妨げなければならない。それゆえに、貨幣退蔵者は、黄金神のために自分の肉欲を犠牲にする。彼は禁欲の福音に忠実である。他方において、彼が流通から貨幣で引上げることのできるものは、彼が商品として流通に投じたものだけである。彼は生産するほど、多くを売ることができる。したがって、勤勉と節約と吝嗇は、その主徳をなしている。多く売って少なく買うということが、彼の経済学のすべてである。(同 マルクス『資本論』)


若き小林秀雄がいいたいのは、マルクス主義者たちは商品の魔術を言い募って巷間の無分別を批判するが、きみたちのやっていること自体魔術的な意匠となってしまっていて、それが商品のフェティシズムと似たようなもの、すなわち人間の意志をこえて動きだし人間を拘束する一つの観念形態になっていることに気づいているのかい? ということだろう。

これは現在でも、学者やら研究者やら、あるいはその取り巻きも似たようなことをやっているのであって、たとえば概念や構造の凝着に対抗するために主張される「生成性」、ーー最近では一部に「動詞形」なるワカリヤスイ言い方もあるようだがーーそのあり方の顕揚自体が「意匠」となって「概念の凝着」と似たようなものになってしまうなどということがあり得る。

ここで、ロラン・バルトの言葉を援用するなら、生成性の顕揚自体が、生成性のエクリチュールになっていなければならないということになる。

メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないだろう。(『作品からテクストへ』)

これはテル・ケル誌の朋友であったクリスティヴァのテクスト理論(意味生成性)の論述の仕方への批判=吟味でもありうるので、――すなわちクリスティヴァでさえ、小林秀雄の指摘する同じ罠に嵌ってしまっているーー、そのことをバルトは、クリスティヴァの名をあげずに、《『テクスト理論』がメタ言語的陳述に満足できない》としている。蓮實重彦をそれをめぐって、次のように書いている。

「テクスト理論」と呼ばれるメタ言語的な言説とも深くかかわりあってはならず、あくまで浅い関係にとどまらなければならない。なぜならみずからそうした言説を担うことは、支配する「テクスト」を支配することにほかならず、とどのつまりは「テクスト」の終りの宣言にも通じてしまうからだ。(……)

バルトを通して読まれることによってではなく、バルトとともに読まれることで、クリステヴァは救われる。快楽主義者を自称するこの犠牲者の言説と離れて読まれたクリステヴァは、その「意味生成性」の概念にもかかわらず、メタ言語的な閉域で一つの秩序を構築するだけの言葉となってしまうだろう。(蓮實重彦『物語批判序説』)

あるいは、蓮實重彦は次のようにも書いている、《かりに、エクリチュールなるものが濃密な環境として文学の全域に充満していたなら、バルトは間違いなく『作者の死』ではなく『エクリチュールの死』を書いていたことだろう。それは文学の未来を約束する絶対的な善なのではなく、それとごく浅く戯れることでかろうじてコードの「《裏をかく》」ことがありえるかもしれぬ虚構の楽しみの一つなのである。》ーーすなわちエクリチュールがドクサとなってしまえば(菊の御紋化)、それに対抗したに相違ないということだろう。

もっともいまではほとんどファストフード的読者しかいなかったり、さらには《

若い人たちはマンガくらいしか読まないし、文学とか全然読まない訳です。そうやってマンガだけを読んで育った人が見る側もほとんどなので、ものすごく子供っぽくなっている》(桃井かおり)というわけで、なにかを主張したければツイッターなどのSNSにて「わかりやすく」スローガン的に、すなわちパロール形式で語るよりいたし方ないのかもしれない。バルトに言わせれば、学者の著述でさえパロールである、《知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない》(「作家、知識人、教師」)。パロール自体が己れのすでに考えたことを公表するという形であるなら、凝着性の傾向をもってしまう。たいしてエクリチュールとは、一語または一行書くとき、それが思いもよらぬ方向に運ばれてゆくことであるだろう。おそらくパロールを反復していると、馬鹿ではない人間でさえ、自らの言表行為がそのたびごとに自らの言表内容を裏切っているという《平凡な事実を忘れさせる力をもつのである》。

「言表内容 enonce」とは実際に話された言葉(意味内容)であり、「言表行為 enonciation」はその言葉を発言する行為のことである。

ロラン・バルトの若い友人でもあり、ラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールの次の文は、もちろん人間の発話にどうしようもなく本来的にそなわってしまう、言表内容enonceと言表行為enonciationとの間の還元不能な落差を語っているのは言うまでもない。

主体、語る主体は自分自身で言っていることの主人ではありません。彼が語るとき、彼 が言語を使用していると考えるときは、実は言語が彼を使用しているのです。彼が語ると きには常に彼自身が言う以上のことを言います。自分が欲している以上のことを言うのです。そしてそのうえ、常に他のことを言います。(ミレール『エル・ピロポ』)
誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできま す。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)

クリスティヴァの旦那、かつロラン・バルトやラカンの若い友人であったソレルスなら、次のようにオッシャル。

語りたまえ、そうすればすべてが明らかになる。出来事と諸力に対するきみたちの位置、きみたちの盲目性、きみたちの操作の範囲、きみたちの暗黙の信仰、鏡のなかの自分自身を見るきみたちの仕方が …語りたまえ、そうすればいまにもきみたちは思わず本心を洩らすだろう。叙述したまえ、そうすればきみたちは、自分の思考で考えていることよりずっと多くを言うだろう。悪と関わるきみたちのやり方。ただひとつの悪、実存することの悪だ。全能なる羨望と嫉妬のなかで。一般化された大人の稚拙さのなかで。(ソレルス『女たち』)

…………


自分の得た結果をそのような一つの全体に融合しようとする多くの、未成功に終った試みのあとで、私は自分にそのようなことが成就できるわけでないこと、私の書きうる最上のものはたんなる哲学的考察にとどまるであろうこと、私の思想は、それを自然のなりゆきに逆らって、むりやり一つの方向に向けようとしたとたんに、不具になってしまうであろうこと、に気がついた。そして、このことは、もちろん、ここで行なわれる探求そのものの性質にも関係していたのである。 ――すなわち、この探求は、思想の広汎な領域を縦横無尽に、あらゆる方向へ向かって遍歴することを、われわれに要求する。(ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』)


2014年5月13日火曜日

五月十三日 小林秀雄と岡崎乾二郎

微恙あり。尿酸値上がる。薬を飲むといつもの如くいささかの嘔吐感。

…………

岡崎乾二郎:日本にグリーンバーグがいなかったのは、グリーンバーグより優秀な小林秀雄がいたから。 #genroncafe

――などと御大はオッシャッテイルらしい。

これはどこで語ったのかよく分からないが、次のような発言もあるそうだ(小林秀雄について:メモ)。

岡崎乾二郎 先日、近畿大学で小林秀雄の『近代絵画』を扱いました。小林秀雄は その当時読める物を海外の文献を含めてだいたい読んでいる。これだけ文献を読んでいる 日本人は彼しかいないだろうというぐらい読んでいる。確かに論としてはヒントしか 書かれていないんですが、発展させればクレメント・グリンバーグからさらに現代の ロザリンド・クラウスの議論に通じる論点までがそこにはある。なぜそういう射程 の深さがあったかというと、もちろんボードレールからアルフレッド・バーに至るまで、 先程の柄谷さんの話ではないけれど読むべき基本文献を読んでいたからですね。グリンパーグ やらクラウスと共通の出発点をきちんと押さえていた。小林秀雄というとそれだけで誤解 があって、現代の美術批評はもちろん、その当時もおそらく誰もこの本の可能性を理解して いなかったでしょう。「解説」を読むと案の定理解していなくて「画家たちの魂の深み」 みたいなことが書いてある(笑)。

つまり小林秀雄が前提とした文化的コーパス(サブカルチャーまで含めたかなりの広さの)を共有していないと、小林秀雄が何を言っているか、何を批判しようとしていたかは、わからない。グリンバーグが昔、日本に来て、マティスやセザンヌをみたことがない日本人には自分のいっているモダニズムの議論は意味がないだろう。それはむしろ幸せなのかもし れないなんてことをアイロニカルにいったけれど、この言葉は少なくとも小林秀雄には通用 しなかった。逆にいえば、ゆえに小林の美術論も当時の日本はおろか、現代の日本の文化の 状況でもまったく理解されえないだろうとも感じるのですね。その小林をわれわれが批判 しようとするときには、それ相当の覚悟がいる。せめて小林と同じくらいは美術や音楽に 触れていないとどうしようもない。現在小林よりもはるかに容易にそれに触れる チャンスがあるのに小林ほどにも経験がないというのはどうしようもない。

ははあ、かつて岡崎乾二郎は小林秀雄をめぐって「所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない」としたらしいが、これはとくに『近代絵画』をめぐってではなかったか。

岡崎 どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。(グリーンバーグ講義ノート1)。

これも批判の対象は、とくに小林秀雄に照準を向けてだろうが、それにもかかわらずやはり偉大だということか。それとも今の「批評」の程度が低すぎるということか。

一時期、高橋悠治や蓮實重彦の小林秀雄批判などがあり、それはそれで小林秀雄の弱点を的確に突いていた。


批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。冬の大阪で、小林秀雄の脳は手術を受けたようにふるえたかも知れないが、モーツァルトのメロディーは無傷で通りすぎてゆく。出会いは相互のものでなければならない。

この本は、つまらないゴシップにいやらしい文章で袖を引き、わかりきった通説のもったいぶった説教のあげくに、予想通り、反近代に改造されたモーツァルト像をあらわす。

作品について書かれた例外的な個所では、そのまわりをぐるぐるまわるだけである。うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋には、かつて水をたくわえるためにこのツボをつくった職人の心はわかるまい。

ゴシップのつみかさねから飛躍して、「誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない」とか、「ヴァイオリンが結局ヴァイオリンしか語らぬように、歌はとどのつまり人間しか語らぬ」などの大発見にいたるそのはなれわざには、眼もくらむおもいがする。やがては、「雪が白い」とか、「太郎は人間である」というような大真理だけを語ったことを感謝しなければならない日もくるだろう。

日本の音楽批評は、小林秀雄につけてもらった道をいまだに走りつづけている。吉田秀和や遠山一行や船山隆が、まわりくどい文章をもてあそんで何も言わないための「文学」にふけり、音楽の新刊書はヨーロッパ前世紀の死者へのレクィエム以外の何ものでもなく、死臭とカビがページをおおっている。「近代は終わった」とか「現代音楽は転換期にある」などと言う声をきけば、吸血コーモリのようにむらがって、できたての死体の分け前にあずかろうとするが、自分たちが二世紀前の死体の影にすぎないことには、とんと気がつかないらしい。

ここで、《うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋》と書く高橋悠治の言葉は、岡崎乾二郎の《所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない》という文の出所(のひとつ)としてもよいだろう。

名高い小林秀雄のランボー体験、モーツァルト体験などは、いずれも遭遇の物語であり、舞台装置や背景までが詳述されている。これは風景の中での制度的な遭遇にすぎず、いわばよくできた思考のメロドラマだ。(蓮實重彦『表層批判宣言』)

70年代にこういった小林批判があり、その後小林秀雄批判が流行した時期がある。たとえば柄谷行人の批判→ 「意図的な誤読の「楽しみ」

――で、わたくしはこう引用したからといって、何を言おうとするわけでもない。まあそれでもプルーストぐらい引用しておこう。

私は知っていた、――あまりにも長期にわたってかがやかしい名声を博していたものを闇に投じたり、決定的に世に埋もれるように運命づけられたかと思われたものをその闇からひきだしたりする批評の遊戯なるものは、諸世紀の長い連続のなかで、単にある作品と他の作品とのあいだにのみおこなわれるものではなく、おなじ一つの作品においてさえもおこなわれるものであることを。(……)天才たちがあきられたというのも、単に有閑知識人たちがそれらの天才たちにあきてしまったからにすぎないのであって、有閑知識人というものは、神経衰弱症患者がつねにあきやすく気がかわりやすいのに似ているのである。(プルースト「ゲルトマントのほう 二」井上究一郎訳) 
批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっているから、作家が大衆によって判断されること(大衆にとって未知である探求の領野に芸術家がくわだてた事柄を、大衆が理解することも不可能でないとしての話だが)をむしろ好む傾向ともなるのであろう。というのも、大衆の本能的生活と大作家の才能とのあいだには、本職の批評家と皮相な駄弁や変わりやすい基準とのあいだより以上に、多くの相通じるものがあるからで、大作家の才能は、他のいっさいのものに命じられた沈黙のただなかで敬虔にききとられた本能、よく把握され、十分に仕上げられた本能にほかならないのである。(同 プルースト「見出されたとき」井上究一郎訳)

ところで、小林秀雄の『本居宣長』というのは、鴎外の『渋江抽斎』をモデルのひとつにしてるんじゃないだろうか。このところ抽斎伝や蘭軒伝を読んでいるのだが、まだ『本居宣長』を「再読」してみる気にはなっていない。




2014年5月6日火曜日

五月六日 現代嘲弄文例集

小泉義之氏の書評 『社会的なもののために』を読んで、思いがけず愉快を感じてしまったので、以下に遺忘に備えて置く。

副題に「飲屋談義と薀蓄披露」とされているように、徹底的な嘲弄の言葉から成り立っている(かすかな例外を除いて)。最終的には次のように書かれている。

 【人畜無害】あるいは【無毒化・無力化】

本書は平凡で凡庸である。ところが、本書の類は、好意的に迎えられる。人畜無害だからである。だから、大学人がどのようにしておのれを無害化し、ひいては無毒化・無力化するのか、また、そのことを歓迎する層がどのようにしておのれを無力化するのかを探る上で、本書は有益な素材になるのである。

いわゆるすっとぼけた「大学人」ーー学生のとき、学校に長く居続けたいと願った者の成れの果て(レヴィ=ストロース)であるかどうかは窺知れないがーーに活を入れるためには、こういった書評も必要なのだろう。

《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。》(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

悪口は中野重治にも諌めの言葉があるが、やはり捨て難い。

何ごとによらず、悪口をいうことのほうが褒めることよりもやさしいようである。褒め言葉は、当の対象がよほど十分に褒められるのに値していなければ、とかくうわつ調子なものになりがちである。これに反して、悪口のほうは、対象の弱点を取り上げるのがその仕事であるから、本来の性質上、甘くなることがそれほどできぬではないかと思う。それだから、たとえある悪口が実際にはちょろいものであっても、それが悪口であるというだけの原因によつて、けつしてちょろいものではないという外観をーーー少なくとも褒め言葉よりは、そなえやすいようである。(中野重治 「映画の悪口ーーー罪はどこにある」)

 …………


さて項目を立てて順不同に小泉節を抜き出そう。あくまで書評の対象である『社会的なもののために』を読んでいない者が抜粋する「言葉の技」、ボロクソ芸を楽しむためのものである。



【凡庸】
薀蓄開陳以外の大半は凡庸な時論・政論の類で占められている。ただし、発言者たちは、おおむね自己の発言が平凡であることを自覚しており、しかも、現在の情勢ではそんな平凡に強調線を引くことが社会的にも政治的にも重要であると考えているようである。だから、本書を平凡と指摘したところで、書評にも批評にもなりはしないが、その強調線の引き方も平凡なので、平凡×平凡=凡庸と評しておく。

【既視感・既読感】
大学内外の知識人・テクノクラートの発言力が高まっているように見える現状にあって、本書を読みながら感じたのは、「ある民族の発展において、学者が前面にしゃしゃり出ている時代を見るがよい。それは疲労の時代、しばしば黄昏の、没落の時代である」(ニーチェ『道徳の系譜』)ということである。もう一つの印象は、既視感・既読感である。発言者たちの自覚以上に、本書の談論は既に何度となく言われてきたことである。しかも、既存の水準より低下している。発言者たちは狭い専門分野以外についての勉強が足りないのではないか。

【コンセンサスが成り立っているような空気】あるいは【仲良し】
よくあることだが、本書の基本用語「社会的なるもの」の定義はなされていない(定義らしきものはあるにはあるが、論外である)。私自身は定義一般に大した意味を感じないので、そこは問題にしない。問題にしたいのは、その使われ方である。すこし気味がわるいのは、「僕はのれない」(宇野:三四三)といった何様のつもりなのか理解し難い呟きはあるものの、全体として、「われわれが強調しようとしている社会的なもの」(宇野:三二一)の何たるかについて、特段の相互批判もないまま、コンセンサスが成り立っているかのような空気が醸し出されていることである。きっと、みんな仲良しなのだろう。

このコンセンサスが成り立っているような空気をめぐってはラカン派村社会における 仲良し同士の「ジャーゴン」連発に対するジジェクの痛烈な文がある。
…Lacanian communities, where the group recognizes itself through the common use of some jargon-laden expressions whose meaning is not clear to anyone, be it “symbolic castration” or “divided subject”—everyone refers to them, and what binds the group together is ultimately their shared ignorance. Lacan's point, of course, is that psychoanalysis should enable the subject to break with this safe reliance on the enigmatic master signifier.

----THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE. Slavoj Zizek

たとえば最も基本的な概念「転移」をめぐるラカン派の諸説を覗いて見ると愉快になること間違いなし。→ ラカン派の「転移」のいろいろ


【児童会・生徒会】
また、ある発言者によると、それは「理念」であり、どうやら「高負担高福祉というオプション」についての「コンセンサス」のことであるようだ(宇野:二〇八)(こういう単純で乱暴な発言はやめていただきたい)。また、ある発言者によると、社会的なものの「知」は「国民空間をつくる知」になるらしい(道場:二七九)。だから、ある発言者によると、社会的なものが引く「境界」を絶えず乗り越えることが必要であり(宇野:一二八)、その「正統性」を供給するものは国民国家しかないらしく、それを乗り越えるものが「デモクラシー」であるようだ(小田川:二〇五)(この非政治性・非「社会性」にもちょっと驚かされる。たぶん社会は児童会や生徒会のように出来上がっているのだろう)。


ーー 《社会的なものが引く「境界」を絶えず乗り越えることが必要》などというのは、ツイッターなどでも《勉強が足りない》にもかかわらず、インテリぶりたい手合いがしばしば呟いているのを見かけるが、あたかもかつてから何度も反復された幼児の繰言のようであり、ーーたとえば二元論の概念操作を批判する場合のようなーー児戯に類するように感じてしまう。《浅田(彰)君が二元論はいけないと言っているけれどもね。概念操作としては二元論というものは絶対必要なんですよ。》(蓮實重彦『闘争のエチカ』)


【寝ぼけた呟き】
「原理をめぐる質的な論争」?本書にそれは見られない。見られないだけでなく、感じ取れない。その一方で、「量的論争」たる再分配をめぐって研究会後の飲屋での談論としか評しようのない発言(酒井:二八〇を受けて)がなされていく。

過剰労働力問題をどうやって解決したかというと、田中角栄に象徴されるように、公共事業で解決したという側面はあります。土木と建設である、つまりは土建と呼ばれる世界です。これはほとんどもう中上健次の世界ですよね。(前川:二八一)。
 
だから、何だと言いたいのか?今後、土建をどうしたいというのか?震災復興、再生可能エネルギーの土建を何と心得るのか? それが中上健次の世界であったとして(!)、さまざまな地区の土建をどうしようというのか?仮に田中角栄的なものを復権させるというなら、どうして「社会民主主義政党があったほうがいい」(宇野:二〇八)という寝ぼけた呟きが放置されているのか?

【「左翼の人」って誰のこと?】
他方で、社会運動に対する姿勢の反動であろうが、左翼に対するや居丈高になる。例えば、「左翼の人は、経済の論理はおのずからして悪いと考えがちで」(前川:三一三)あるらしいが、その「左翼の人」って誰のことかをきちんと教えていただきたい。言うまでもないが、同時に、その「経済の論理」の内実を示してもらわなければ困る。例えば、一方で新自由主義は「民主的統制なき独占」(小田川・市野川:三三六)とされ、他方で「反独占、脱独占という新自由主義の論理」(市野川:三四〇)とされており、端的に矛盾しているので直していただきたい。その上で、民主的統制付きの独占を何と心得ているのか書いていただきたい。要するに、「経済の論理」――まさかそれは金融政策に還元されるものでも、経済政策原理主義(小泉純一郎内閣)に回収されるものでもあるまい――をきちんと示していただきたい。


【狭い視野に入る限りでのケチつけによるポジショニング】
 こういう言い方もしておく。狭い視野に入る限りでの社会運動や左翼にケチをつけてポジショニングするヒマがあるなら、もっと世間を見渡して、相手にとって不足のない「敵」や「権威」を相手にしていただきたい。いたるところにゴロゴロしているではないか。

…………

さて、なにを楽しんだかって? やっぱりあれら「社会学者」たちは怖がってるんじゃないか。

恐るべき家族の神秘…おびえて、疲れ果てて、のべつ調子外れで、女性化され、虚弱化され、干からびて、女々しく、飼い馴らされ、母性化された男たちの眼差し、ぶよぶよのオッパイ…(……)

ぼくは、いつも連中が自分の女房を前にして震え上がっているのを見た。あれらの哲学者たち、あれらの革命家たちが、あたかもそのことによって真の神性がそこに存在するのを自分から認めるかのように …彼らが「大衆」というとき、彼らは自分の女房のことを言わんとしている ……実際どこでも同じことだ …犬小屋の犬… 自分の家でふんづかまって …ベッドで監視され…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)


以前、嘲笑を磨くための文例を小林秀雄から抜き出したことがあるが、上の小泉節も現代嘲弄文例集として活用すべきではないか。すくなくとも人畜無害な似非インテリをお釈迦にするために。



◆小林秀雄『作家の顔』(新潮文庫より)


【世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿】
……「文芸春秋」を出したのは、菊池さんがたしか三十五の時である。ささやかな文芸雑誌として出発したが、急速に綜合雑誌に発展して成功した。成功の原因は簡単で、元来社会の常識を目当てに編輯すべき総合雑誌が、当時持っていた、いや今日も脱しきれない弱点を衝いた事であった。菊池さんの言葉で言えば、「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」の原稿を有難がるという弱点を衝いた事によってである。(「菊池寛」)

【浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解】
林房雄の放言という言葉がある。彼の頭脳の粗雑さの刻印の様に思われている。これは非常に浅薄な彼に関する誤解であるが、浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(「林房雄」)

【発見は少しもないが、理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人】
「俺の放言放言と言うが、みんな俺の言った通りになるじゃないか」と彼は言う。言った通りになった時には、彼が以前放言した事なぞ世人は忘れている。「馬鹿馬鹿しい、俺は黙る」と彼は言う。黙る事は難しい、発見が彼を前の方に押すから。又、そんな時には狙いでも付けた様に、発見は少しもないが、理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人が現れる。林は益々頭の粗雑な男の様子をする始末になる。(「林房雄」)

【保守派は、現実の習慣のうちに安んじて眠っている。進歩派は、理論のうちに夢みている。】
……保守派も進歩派も、実人生の見えないロマンチストに過ぎぬと、はっきり考えた人なのだ。保守派は、現実の習慣のうちに安んじて眠っている。進歩派は、理論のうちに夢みている。眠っているものと、夢みているものとは、幾らでもいるが、覚めている人は少い。人生は動いて止まぬ。その微妙な動きに即して感じ考え行う人は、まことに稀れである。(「菊池寛文学全集」解説)


【その他】
衰弱して苛々した神経を鋭敏な神経だと思っている。分裂してばらばらになった感情を豊富な感情と誤る。徒らに細かい概念の分析を見て、直覚力のある人だなどと言う。単なる思い付きが独創と見えたり、単なる聯想が想像力と見えたりする。或は、意気地のない不安が、強い懐疑精神に思われたり、機械的な分類が、明快な判断に思われたり、考える事を失って退屈しているのが、考え深い人と映ったり、読書家が思想家に映ったり、決断力を紛失したに過ぎぬ男が、複雑な興味ある性格の持主に思われたり、要するに、この種の驚くべき錯覚のうちにいればこそ、現代作家の大多数は心の風俗を描き、材料の粗悪さを嘆じないで済んでいるのだ。これが現代文学に於ける心理主義の横行というものの正体である。(「林房雄」)

…………


あらためて言うまでもないが、ここに引かれた表現は、《凡庸な資質しか所有していないものが、その凡庸さにもかかわらず、なお自分が他の凡庸さから識別されうるものと信じてしまう薄められた独創性の錯覚》に閉じこもりたい人のための暗記用である、という言い方もできることを念押ししておこう。

しかるべき文化圏に属するものであれば、誰もが暗記していつでも口にする用意が整っていた台詞であり、その意味で、それをあえて言説化してみることはほとんど何も言わずにおくことに等しい。(蓮實重彦『物語批判序説』)

…………

数日前、「経済なき道徳は寝言」という表題で投稿したが、それは二宮尊徳の《道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。》、あるいはジジェクの《右翼知識人は悪党で、既存の秩序はただそれが存在しているがゆえに優れていると考える体制順応者…左翼知識人は道化であり、既存秩序の虚偽を人前で暴くが、自分のことばのパフォーマティヴな有効性は宙ぶらりんにしておく 宮廷道化師》をめぐるものだった。

昨晩、柄谷行人の文のなかにも似たような表現に行き当たったので、ここに備忘しておく。

カントの言葉をもじっていえば、経済的・政治的基盤をもたないコミュニズムは空疎であり、道徳的基盤をもたないコミュニズムは盲目である。(『トランスクリティーク』p200)

まあきみたちも、夜郎自大の「自分の表現」なるもの、すなわちどこかで覚えこんできた台詞の劣化した表現ではなく、せいぜい古典的な書き手の文を「引用」したほうが世のため人のためだぜ。

ところで数年前に次のようなツイートを読んで驚いたことがあり、それ以来この人物の誇大妄想的な、すなわち幼児的な発話に興味をもった時期がある。

やはり私は、今に至るすべての日本語文献には、自分が必要とする論点は書き込まれていない、と感じています。そして実をいうと、外国語文献を調べたってないんだろう、《論点そのものを自分で設計するしかない》と、思い始めています。

このような自惚や傲慢はどうやって生まれるのだろう。母親の「寵児」であった時期をもつ人物なのではないか、などと思いを馳せさせられた。

かつて母親の絶対的な寵児であった者は、生涯あの征服者の感情を、あの成功の確信を抱きつづけるものである。そしてこの確信は、実際に成功を自分の方へ引き寄せてくることがよくある。(フロイト「『詩と真実』中の幼年時代の一記憶」)

だが彼のツイートやブログを読んでも、たとえば一人の作家の全集を徹底的に読み込んだ形跡はまったく見当たらない。いや一冊の古典的書物でさえも疑わしい。おそらく独自の「器量」をもった人物なのだろう。ーー《ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』にあるように、それぞれ自分の器量を超えた部分は、いかにも、ないも同然である》(中井久夫)。フロイトが書くように、自惚れは、《実際に成功を自分の方へ引き寄せてくる》のだから、ケチをつけるのは遠慮しよう。だが本来古典とは次のように接するものであるに違いない。

真に偉大な哲学者を前に問われるべきは、この哲学者が何をまだ教えてくれるのか、彼の哲学にどのような意味があるかではなく、逆に、われわれのいる現状がその哲学者の目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるか、なのである。(ジジェク『ポストモダンの共産主義  はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)

《もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように生まれるわけですよ。》(浅田彰)ーー、上に例を挙げた「彼」だけではない。《自前の哲学を語りたい》連中が最近は跳梁跋扈している。だが、小泉氏が言うように「発言者たちは狭い専門分野以外についての勉強が足りないのではないか。」

「わかりたいあなた」たちにとっては、わかったかわからないかを真剣に問うことよりも、なるべくスピーディーかつコンビニエント に、わかったつもりになれて(わかったことに出来て)、それについて「語(れ)ること」の方がずっと重要なのです。(阿部公彦書評 『ニッポンの思想』佐々木敦

…………

《もはや、われわれには引用しかないのです。言語とは、引用のシステムにほかなりません。》(『砂の本』「疲れた男のユートピア」ボルヘス 篠田一士 訳)

「きみにはこんな経験がないかね? 何かを考えたり書こうとしたりするとすぐに、それについて最適な言葉を記した誰かの書物が頭に思い浮かぶのだ。しかしいかんせん、うろ覚えではっきりとは思い出せない。確認する必要が生じる──そう、本当に素晴らしい言葉なら、正確に引用しなければならないからな。そこで、その本を探して書棚を漁り、なければ図書館に足を運び、それでも駄目なら書店を梯子したりする。そうやって苦労して見つけた本を繙き、該当箇所を確認するだけのつもりが、読み始め、思わずのめりこんでゆく。そしてようやく読み終えた頃には既に、最初に考えていた、あるいは書きつけようとしていた何かのことなど、もはやどうでもよくなっているか、すっかり忘れてしまっているのだ。しかもその書物を読んだことによって、また別の気がかりが始まったことに気付く。だがそれも当然だろう、本を一冊読むためには、それなりの時間と思考を必要とするものなのだから。ある程度時間が経てば、興味の対象がどんどん変化し移り変わってもおかしくあるまい? だがね、そうやってわれわれは人生の時間を失ってしまうものなのだよ。移り気な思考は、結局、何も考えなかったことに等しいのだ」(ボルヘス 読書について──ある年老いた男の話)

ひたすら「引用」の顕揚のように見えかねないので、次のような言い方がある、ということも付記しておこう。

……結局は、自分の言葉でどう捉えなおすということが、つまりはテキストの受容だからね。自分の頭と心とを通過させないで、唇の周りに反射的な言葉をビラビラさせたり、未消化の繰り返しだけやる連中がいるけれどーー学者に、とはいわないまでも研究者にさーー、こういう連中は、ついに一生、本当のテキストと出会うことはないんじゃないだろうか?(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第三部「大いなる日」)

流通するのは、いつも要約のほうなんです。書物そのものは絶対に流通しない。ダーヴィンにしろマルクスにしろ、要約で流通しているにすぎません。要約というのは、共同体が容認する物語への翻訳ですよね。つまり、イメージのある差異に置き換えることです。これを僕は凡庸化というのだけれど、そこで、批評の可能性が消えてしまう。主義者が生まれるのは、そのためでしょう。書物というのは、流通しないけど反復される。ドゥルーズ的な意味での反復ですよね。そして要約そのものはその反復をいたるところで抑圧する。批評は、この抑圧への闘争でなければならない。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)
「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、 “できごと” として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。

決定的な翻訳にたどりつくことなく、「厚顔無恥」に陥ることも避けながら、とりあえずの翻訳にとどまるしかない「批評」は、あるとき、その宿命として、「表象の奈落」を目にする。そこには、もはや、他者の言説など存在せず、覚醒すべき記号さえ見あたらない。その視界ゼロの世界で、とりあえずのものでしかないにせよ、主体にこの不断の翻訳をうながすものは何か、どんな力に導かれて「批評」は記号の覚醒を目ざしたりするのか、それが物として生みだされるのではなく、事件として起こることを許すものは何か、等々、いくつもの声として響かぬ疑問を前にして、人は言葉を失う。「批評」が「批評」を超えた何かに触れることで陥る失語に言葉を与えるものは、もはや「批評」ではない。だかれといって、それが「哲学」かといえば、それは大いに疑わしい。(蓮實重彦『表象の奈落』)






2014年4月21日月曜日

意図的な誤読の「楽しみ」

レヴィ=ストロースの『野生の思考』の冒頭近くに次の文がある。

北アメリカ北西部のチヌーク語は、人や物の特質や属性を示すために抽象語を多用する。(……)「悪い男が哀れな子供を殺した」がチヌーク語では「男の悪さが子供の哀れさを殺した」となる。また、女の使っている籠が小さすぎることを述べるのに「女は、はまぐり籠の小ささの中にエゾツルキンバイの根を入れる」という。

ところで小林秀雄には、《美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない》という文がある。これについて柄谷行人は次のように語っている。

柄谷行人) 小林秀雄の有名な言葉で、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」というのがある。しかし「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない(笑)。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない。とにかく概念がいやなら、いっさい物を言わないことだね。「美はひとを沈黙させる」なんてことも、書くべきではない。(共同討議「芸術の理念と<日本>」 浅田彰、磯崎新、岡崎乾二郎、柄谷行人 『批評空間』 No.10 1993年 )

この発話は、この小林秀雄の文だけ取り出せば、いかにも「正しい」批判であるように見える。だがその前後を読んでみると、いささか小林秀雄の言わんとすることは異なっているように思える。

中将姫のあでやかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは、歴史の泥中から咲き出でた花の様に見えた。人間 の生死に関する思想が、これほど単純な純粋な形を取り得るとは。僕は、かういふ形が、社会の進歩を黙殺し得 た所以を突然合点した様に思つた。要するに、皆あの美しい人形の周りをうろつく事が出来ただけなのだ。あの 慎重に工夫された仮面の内側に這入り込むことは出来なかつたのだ。世阿弥の「花」は秘められてゐる、確かに。  現代人は、どういふ了簡でゐるから、近頃能楽の鑑賞といふ様なものが流行るのか、それはどうやら解かうと しても労して益のない難問題らしく思はれた。たゞ、罰が当つてゐるのは確からしい、お互に相手の顔をジロジ ロ観察し合つた罰が。誰も気が付きたがらぬだけだ。室町時代といふ、現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑はなかつたあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心してゐる。

それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じてゐるから。そして又、僕は、無要な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何んの疑はしいものがない事を確かめた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところをば知るべし」。美しい「花」があ る、「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方 が、化かされてゐるに過ぎない。肉体の動きに則つて観念の動きを修正するがいゝ、前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で深淵だから、彼はさう言つてゐるのだ。不安定な観念の動きを直ぐ模倣する顔の表情の様なやく ざなものは、お面で隠して了ふがよい、彼が、もし今日生きてゐたなら、さう言ひたいかも知れぬ。

僕は、星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。あゝ、去年(こぞ)の雪何処に在りや、いや、いや、そんな ところに落ちこんではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。(小林秀雄「当麻」)

小林秀雄が、《美しい「花」》というとき、それは世阿弥のお面としての「花」なのであり、《「花」の美しさ》というとき、そのお面の後ろに秘められた「花」の美しさというふうに読める。そして仮面としての「表層」に現れた美の向こうを探ろうとばかりして、「表層」の動きに瞳を向けること少ない「現代の美学者」のあり方を批判している。すなわち、お面の後ろなどに「花」の美しさなどというものはない、「表層」としての「形象」の動きを見よ、と言い放っているのだ。それは上に抜き出した文のすぐ前にある次の文によっていっそう証される。

仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。ルッソオはあの「懺悔録」で、懺悔など何一つしたわけではなかった。あの本にばら撒かれていた当人も読者も気が付かなかった女々しい毒念が、次第に方図もなく拡がったのではあるまいか。僕は間狂言の間、茫然と悪夢を追う様であった。

この文はむしろ、柄谷行人が『日本近代文学の起源』で書いた近代文明におけるパラダイムの変換――「風景の発見」――をめぐる文章との近縁性を示唆する。

伊藤整には、市川団十郎がその当時大根役者と言われたことを伝える文があるが、ーーおそらく九代目の市川団十郎であろうーー、その伊藤整の「日本文壇史」の文、《大根役者と言われたのは、その演技が当たらしかつたからである。彼は古風な誇張的な科白をやめて、日常会話の形を生かした。また身体を徒らに大きく動かす派手な演技よりも、精神的な印象を客に伝へる表現を作り出すのに苦心した》ーーを引用しつつ、柄谷行人は次のように書いている。

団十郎の演技は「写実的」であり、すなわち「言文一致」的であった。もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形のかわりに人間を使ったものである。「古風な誇張的な科白」や「身体を徒らに大きく動かす派手な演技」は、舞台で人間が非人間化し「人形」化するために不可欠であったのである。歌舞伎役者の、厚化粧で隈取られた顔は「仮面」にほかならない。市川団十郎がもたらし、のちに新劇によっていっそう明瞭に見出されたのは、いわば「素顔」だといえる。

しかし、それまでの人々は、化粧によって隈取られた顔にこそリアリティを感じていたといえる。いいかえれば、「概念」としての顔にセンシュアルなものを感じていたのである。それは、「概念」としての風景に充足していたのと同じである。したがって、「風景の発見」は素顔としての風景の発見であり、風景についてのべたことはそのまま演劇についてあてはまる。

レヴィ=ストロースは、素顔と化粧・刺青の関係についてこういっている。《原住民の思考のなかでは、すでにみたように、装飾は顔なのであり、むしろ装飾が顔を創ったのである。顔にその社会的存在、人間的尊厳、精神的意義を与えるのは、装飾なのである》(「構造人類学」)。顔は、もともと形象として、いわば「漢字」のようなものとしてあった。顔としての顔は「風景としての風景」(ファン・デン・ベルク)と同様に、ある転倒のなかではじめて見えるようになるのだ。

風景が以前からあるように、素顔ももとからある。しかし、それがたんにそのようなものとして見えるようになるのは視覚の問題ではない。そのためには、概念(意味されるもの)としての風景や顔が優位にある「場」が転倒されなければならない。そのときはじめて、素顔や素顔としての風景が「意味するもの」となる。それまで無意味と思われたものが意味深くみえはじめる。
(……)

伊藤整は、市川団十郎が「精神的な印象を客に伝へる表現を作り出すのに苦心した」というのだが、実際は、ありふれた(写実的な)素顔が何かを意味するものとしてあらわれたのであり、「内面」こそその何かなのだ。「内面」ははじめからあったのではない。それは記号論的な布置の転倒のなかでようやくあらわれたものにすぎない。だが、いったん「内面」が存立するやいなや、素顔はそれを「表現」するものとなるだろう。演技の意味はここで逆転する。市川団十郎がはじめ大根役者とよばれたことは象徴的である。それは、二葉亭四迷が、「文章が書けないから」言文一致をはじめたというのと似ている。

それまでの観客は、役者の「人形」的な身ぶりのなかに、「仮面」的な顔に、いいかえれば形象としての顔に、活きた意味を感じとっていた。ところが、いまやありふれた身ぶりや顔の“背後”に意味されるものと探らなければならなくなる。(柄谷行人「内面の発見」『日本近代文学の起源』所収)

この柄谷行人の文を読めば、小林秀雄の《仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい》という文を受けて書かれる、《美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない》とは、仮面のみがある、素顔の向こうの内面などというものはない、というふうに読むことができるのではないか。それは近代文明の内面という病いを指摘しているのだ。おそらく柄谷行人は、敢えて忘れたふりをして、《「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない()。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない》と発言している(そして、この発話自体の「面白さ」を否定するつもりはない)。それは当時の小林秀雄批判の「風潮」にいっそう加担するようにして、とまで言うつもりはないが。

ここではむしろ柄谷行人のかつての小林秀雄賛を並べておくに如くはない。




彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)


もちろん小林秀雄の言説は、高橋悠治や蓮實重彦、あるいは岡崎乾二郎などが批判したように、当時のモダンのパラダイムの「意味としての病い」に汚染されている言葉が散見される。だが小林秀雄の世阿弥をめぐる文章は、いわゆる「ポストモダン」の思考、「表面」やら「表層」やらへの回帰への扉を開こうとしている、として読み得る。

ここで、《表面的、いいかえれば表面であるというこの単純な事実がなぜ、同時に貶められた意味を、少なくとも暗黙のうちに、つねにになわされてこなければならなかったのか》という、宮川淳の『紙片と眼差とのあいだに』を引用することもできる、《背後のない表面。のみならず、われわれを決して背後にまで送りとどけることのない表面。われわれは表面をどこまでも滑ってゆく、横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが決して奥へ、あるいは底へではない、アリスの冒険について、ジル・ドゥルーズがいみじくも指摘しているように、表面の背後はその裏がわ、つまりまたしても表面なのだ》。

あるいは蓮實重彦の『表層批評宣言』から次のような文を。

あらゆる「制度」に蔓延している怠惰な事実誤認、それは、「未知」なるものはいまこの瞬間ここにはなく、したがって見えてはいないと信ずることであり、そんな「貧しい」確信が、「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造してもっと奥、もっと遠くへと困難な距離を踏破して進まんとするあまたの擬似冒険者を生み落すのであり、そうした楽天的な魂たちは、自分に最もふさわしい仕草を、「未知」なるものを「既知」なるものへと移行させんとする「発見」の旅だと信じて疑わない。だが、存在が真に有効な視線を欠いているのは、まさしく、いまこの瞬間に、ここにあるものをめぐってなのであり、そのとき瞳を無効にされた存在は、「彼方」を見やって視力の回復をはかるのではなく、むしろ自分自身の瞳を積極的に放棄して、「既知」と思われた領域の一劃に不意に不可解な陥没点を現出せしめ、そこで、いま、この瞬間に、ここにあるものと接しあいながら、もはや自分自身には属さない非人称的な瞳を獲得して、世界を新たな相貌のもとに把えることになるだろう。(「言葉の夢と「批評」」ーー黒字強調箇所は原文では傍点)


あるいはさらにラカン派の「仮装」やsemblant(見せかけ)概念をめぐる言説さえ想起させる。


A man stupidly believes that, beyond his symbolic title, there is deep in himself some substantial content, some hidden treasure which makes him worthy of love, whereas a woman knows that there is nothing beneath the mask( ZIZEK” Woman is One of the Names-of-the-Father, or How Not to Misread Lacan's Formulas of Sexuation “

「素顔」さえ「無」を覆う。覆うことによって、なにかが隠されているような幻想の効果を生む。

The key formula of semblance was proposed by J‐A. Miller: semblance is a mask (veil) of nothing. Here, of course, the link with the fetish offers itself: a fetish is also an object that conceals the void. Semblance is like a veil, a veil which veils nothing—its function is to create the illusion that there is something hidden beneath the veil.(ZIZEK『LESS THAN NOTHING』)

これは柄谷行人が、《それまでの観客は、役者の「人形」的な身ぶりのなかに、「仮面」的な顔に、いいかえれば形象としての顔に、活きた意味を感じとっていた。ところが、いまやありふれた身ぶりや顔の“背後”に意味されるものと探らなければならなくなる》と言っていることに、限りなく近似する。

われわれは、《お互に相手の表情なぞ読み合っては得々としている。滑稽な果敢無い話である。幾時ごろから、僕等は、そんな面倒な情無い状態に堕落したのだろう》(小林秀雄ーー「仔猫の屍骸」より)



…………

最後に附記しておくが、《「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう》といささか不用意に、あるいは挑発的に発話された柄谷行人のここでの「概念」と、《風景が以前からあるように、素顔ももとからある。しかし、それがたんにそのようなものとして見えるようになるのは視覚の問題ではない。そのためには、概念(意味されるもの)としての風景や顔が優位にある「場」が転倒されなければならない。そのときはじめて、素顔や素顔としての風景が「意味するもの」となる。それまで無意味と思われたものが意味深くみえはじめる》(『日本近代文学の起源』)における意味されるものとしての「概念」、いわゆるシニフィエ、あるいは思考のイマージュとしての「概念」とは、別のことを「意味している」ようにも見えるが、ここではそれは追求はしていない。

「概念」をめぐっては、たとえば、柄谷行人が『探求 Ⅱ』で書く、《スピノザにおいて大切なのは、表象と観念の区別、あるいは概念と観念の区別である》とされるときの、表象=概念、あるいは『トランスクリティーク』での、《カントは一般性と普遍性を鋭く区別していた。それはスピノザが概念と観念を区別していたのと同様である》ときの、概念=一般性をめぐっての柄谷行人の文章があるが、ここでの議論はそれにももちろん触れえていない。

2014年2月6日木曜日

悪霊の看護婦、あるいは最も淫らな強迫観念

先日妻の郷里への小旅行に『悪霊』の文庫本を携え何年かぶりで読み返した。ドストエフスキーの作品のなかでは好みのもののひとつでたぶん四五度目くらいの再読だ。メコン河岸で椰子の林のあいだに吊られたハンモックに揺れながら、あるいは高床式の家の板の間でテト祝いの酒と馴れ鮨に舌鼓をうちながら思いのほか熱中して読む時間をもった。

ところで『悪霊』のダーリヤという女はドストエフスキーの妻がモデルではないだろうか。伝記的事実には疎いながら、そしてインターネット上ですこし調べてみてもそんな見解は見当たらないのだが、帰宅して朧な記憶を探るようにして小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』を繙いてみると、二番目の妻アンナ・グリゴリエヴナ・スニトキナはドストエフスキーの速記者としての仕事を与えられて知り合っているのだが、結婚後ドストエフスキーの一文無しになるまでやめられない賭博癖による生活の窮迫、あるいは先妻や逝去した兄の残された家族への過剰ともいえる心配り、たとえば兄の妻の外套を受け出すために外套を質に入れるなどということまでして驚くほどの「献身さ」である。結婚披露宴での癲癇の発作の騒動のあと、旅先から友人宛の手紙にはこうある。

僕の性格は元来病的なのだから、彼女も僕の様な男と一緒になつたら、いろいろ苦労するだらうとも思つてゐた。実際彼女は僕が考へてゐたよりずつと強い女だ、深い心を持つた女だといふ事が解つて来た。随分いろいろな事に出会つて僕の守護神となつてくれた。が、同時に彼女のなかには、何しろ廿歳の女なのだから、子供らしいところが沢山ある。成る程美しいものだし、必要なものだが、僕としてはどう応対したらいいか見当がつき兼ねる。とまあさういふ様な事は出発の際考へとゐた事だ。くどい様だが、彼女は考へてゐたより遥かにしつかりした善良な女だ。併し未だ安心はならない」(1867年、8月16日、ジュネエヴよりマイコフ宛)

もちろんドストエフスキーの創造した人物は、それぞれになんらかのモデルがあるのだろうし、アンナがそのままダーリヤだということはありえない。重婚策略者、幼児強姦者のスタヴローギンの看護婦志願をするダーリヤだけでなく、ステパン氏を「献身的に」世話するワルワーラ夫人のなかにもアンナがいるのだろう。


文学者はひとたび書けば、その作中の諸人物の、身ぶり、独特のくせ、語調の、どれ一つとして、彼の記憶から彼の霊感をもたらさなかったものはないのである。つくりだされた人物の名のどれ一つとして、実地に見てきた人物の六十の名がその下敷きにされていないものはなく、実物の一人は顔をしかめるくせのモデルになり、他の一人は片めがねのモデルになり、某は発作的な憤り、某はいばった腕の動かしかた、等々のモデルになった。(プルースト「見出された時」)


以下は雑然と引用を中心にメモしたものだが、あまりにも長くなったのでひとつのまとまりのようなもの、小節ごとにのちほど節題をつけた。節題と内容があまり合致していないかもしれないが、気にしないでおこう。




【理論を通して読むことの不毛】

《人間の心理について教えてくれた最大の心理学者》とドストエスフキーを呼ぶニーチェの言葉や《ドストエフスキイは、精神分析学が発見した真理を半世紀前に語っている》(ノイフェルト)などの言葉が粗雑に濫用されて、一時期、とくに前世紀中葉前後、ドストエフスキーを心理分析の極致のテキストとして、あるいは精神分析学的観点から論ずる批評が流行したのは周知のことだが、その反動として--これはなにもドストエフスキーに対してだけでないがーー、偉大な文学者のテクストを精神分析理論によって読み解くなどという「厚顔無恥」の跳梁跋扈にうんざりしてみせるのが「文学通」の証しだった時期がある。

小説のなかでさえ、たとえばマンディアルグの『海の百合』Le Lis de mer1956年)はとても繊細な詩的なテキストであるにもかかわらず、その小説の最後に、主人公の性癖が、精神分析理論によって説かれたりすれば、その図式的な物語的落とし込みに興醒め感を覚えてしまう(いやそのようなふりをして見るだけでもいい)。そんな類の小説には、たいした小説読みではないわたくしも何度も廻り合っている。そしてここぞとばかりに書斎でひとり顔を顰めてみせたり、仲間内で仄めかして気取ってみせるのが、小説読みとしての「イキ」な振舞いだと夜郎自大な錯覚に閉じこもりえた「幸福」な時代をわたくしはもったことがある。

理論、とくに精神分析理論を通して文学を読むことを忌避する反動期には、あれらの「はしたなさ」をひとはつとめて避けるようになっていたはずだ。むしろ理論は文学によって読まれるべきだーー《批評は小説の解読装置ではない、小説こそが装置である》(蓮實重彦『闘争のエチカ』「あとがき」)――という態度がすぐれた小説への「誠実な」接し方であるとするのが二十世紀後半の「よき」読み手の、すなわちいささか聡明なふりをしたいスノッブたちの姿勢であっただろう。


【ドストエフスキー嫌いのナボコフ】

かつてとてもよく読まれたドストエフスキーだが、その神話的讃仰はいつのまにか消え失せている(もっともそれは古典文学全般にいえることかもしれない)。小林秀雄が批評家であった時代、あるいはその名残りが覚めやらない頃、すなわち大学入試の試験問題にしばしば小林秀雄のテキストが使用された時代には、小林秀雄がもっとも力を入れて批評した対象のひとりであるドストエフスキーにたいして、文学に関心のないものまでが素朴な崇拝、あるいはその心理描写の見事さに讃嘆してみせるなどということがあった。

ここですこし寄り道して、ドストエフスキーを二流の作家とするナボコフの主張を取り上げてみよう。


私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。……ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。(ナボコフ『ロシア文学講義』)
ドストエフスキーに関する私の立場は、奇妙であり、また厄介である。この講義のすべてにおいて、 私は文学に興味のある唯一の観点から──すなわち永続する芸術と個人の才能という観点から文学を 見るのだが、そのような観点からすれば、ドストエフスキーは偉大な作家ではなくてむしろ凡庸な 作家であり、時たま絶妙なユーモアの閃きがあるとしても、悲しいかな、閃き以外の場所は大部分が文学的決り文句の荒野である。(同上)


《ナボコフはチェーホフを高く評価し、彼が他のロシア作家に与えた評価としてはトルストイのAプラスに次ぐAをプーシキンとチェーホフに与えている。他の作家の評価は、ツルゲーネフがAマイナス、ゴーゴリがB、ドストエフスキイはCマイナス(かDプラス)で、「チェーホフよりもドストエフスキイが好きな者にはロシアの生活の本質は決して理解できないだろう」とウェレズリー大学の女子学生たちに話していた》(Hannah Green, "Mister Nabokov)。

ナボコフのドストエフスキイ嫌いは、作家の繊細な詩的表現を小説の要とする彼の評論や小説からも窺われないではない。チェーホフの『犬を連れた奥さん』における恋の発端としての柄付眼鏡(ローネット)の描写を慈しんだり、アンナ・カレーニナ講義のナボコフのなんという細やかな指摘よ(参照:PDF 霜の針、蝋燭のしみ―― 『アンナ・カレーニナ』を読み直す―― 若島正 )。たしかにドストエフスキーにはこういった描写は稀にしかない。

たとえば、ナボコフの初期の作品『恩恵』の次の叙述は、ピアニッシモの音楽に耳をすますようにして読むことを促す。
電車が停まるたびに、上のほうで風にもがれたマロニエの実が屋根にあたって音を立てるのが聞こえた。コトン--そしてもう一つ、弾むように、やさしく、コトン……コトン……。路面電車は鐘を鳴らして動き出し、濡れた窓ガラスの上で街灯の光が砕け散り、ぼくは胸を刺し貫く幸福感とともに、その穏やかな高い音が繰り返されるのを待った。ブレーキの響き、停留所--そしてまた一つ、丸いマロニエの実が落ちた--つづいて二つめが落ち、屋根にぶつかり転がっていった。コトン……コトン……。(ナボコフ『恩恵』)

これらはドストエフスキーの作家の資質とは異なり、ーーすべての作品を念入りに読んだわけではないわたくしにとって、という保留はしつつもーー、まったくめぐり合ったことのない詩的描写のように感じられる。そもそもナボコフはドストエフスキーには「描写」がすくないという主張さえしている。
ここでの「描写」という語の扱いには注意を要するが(たとえばドストエフスキーには心理描写はふんだんにあるではないかという問いはすぐさま生じるだろう)、ナボコフが愛でる多くの描写は、予感や余韻の感覚であるように思う。もっともたとえばカフカの『変身』の昆虫学的叙述に偏執するナボコフは徴候感覚を愛でるのとはまったく別の「描写」を愛する側面をもっている(参照:ナボコフによるカフカ『変身』の昆虫学的分析──「それはゴキブリではありえない!」)。

そもそもわたくしはプルーストのいうようなドストエフスキーの住まいの創造の「描写」をいまだ十分に読みとっている自信はない。

ドストエフスキーがこの世界にもたらした新しい美に立ちもどっていえば、フェルメールの絵で、布地の配合や物の所在する場所について、ある独特の魂の創造、ある独特の色彩の創造があるように、ドストエフスキーでは、人物の創造があるばかりではなく、また住まいの創造があるということです。たとえば『カラマーゾフの兄弟』に出てくる殺人の家、つまり門番のいるその家は、ラゴージンがナスターシャ・フィリッポヴナを殺す、あの暗くて、長くて、天井が高くて、とらえどころがない家、ドストエフスキーに出てくる殺人の家の傑作ともいうべきあの家とおなじようにすばらしくはないですか? ある家がもつ、このぞっとするような新しい美、女のある顔がもつ、この混成された新しい美、それこそドストエフスキーがこの世界にもたらしたユニークなものなのであって……(プルースト『囚われの女』)

ナボコフはすぐれたプルースト読みだが、この指摘をどう受け止めているのだろう。予感や余韻の徴候感覚ばかりが、小説の醍醐味ではないはずだ。

予感というものは、……まさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である。むつかしいことではない。夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい。(……)

余韻とはたしかに存在してものあるいは状態の残響、残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。(中井久夫「世界における索引と徴候」)

またナボコフはフロイト嫌いとしても知られている。ドストエフスキーに精神分析的真理が発見されたとして、それが小説となんの関係があるだろう、とナボコフなら言うだろう。

ふたたびプルーストを引用すれば、ドストエフスキーにはプリミティヴ派のもつさきがけの美があるとしている。

ぼくはドストエフスキーのなかに、人間の魂の、度はずれに深い、だがあちこちの地点に孤立している、いくつかの井戸を見出します……あの道化役者たちも、『夜警』の人間とおなじように、照明と服装の効果でしか幻想的ではなく、ほんとうはどこにでもいる普通の人間なのかもしれません。……ただぼくをうんざりさせるのはね、人がドストエフスキーについて語ったり書いたりしているあの肩肘をいからせたいかめしさですよ。あなたは彼の諸人物の内面で演じている自尊心と誇の役割に注意したことがある? 彼にとっては、愛と過度のにくしみも、善意とうらぎりも、内気と傲岸不遜も、いわば自尊心が強くて誇が高いという一つの性質をあらわす二つの状態にすぎないのです。そんな自尊心と誇が、アグラーヤや、ナスターシャや、ミーチャが顎ひげをひっぱる大尉や、アリョーシャの敵=味方のクラソートキンに、現実のままの自分の《正体》を人に見せることを禁じているというわけなのです……ドストエフスキーといえばね、さっきはぼくはあなたが思うほど彼から一転してトルストイのことを話しているわけではなく、トルストイはじつは大いにドストエフスキーをまねているのですよ。ドストエフスキーのなかには、やがてトルストイのなかで満面のほころびを見せるものが、まだしかめっ面をした、不平そうな顔で、たくさん詰まっているのです。ドストエフスキーのなかには、やがて弟子たちによって晴れやかにされる、プリミティヴ派のもつさきがけの不機嫌さがあるのでしょうね。」(プルースト『囚われの女』井上究一郎訳)

そう、《.ただぼくをうんざりさせるのはね、人がドストエフスキーについて語ったり書いたりしているあの肩肘をいからせたいかめしさですよ。》ーーこの批評は、わたくしの敬愛する作家ではありながら、森有正の仏公費留学直前に上梓された若書き『ドストエフスキー覚書』(1950)にも当て嵌まる、--と言い得るにはその書が手元にないのであり、浅墓との謗りを免れぬだろう。

本書は、文字どおり、ドストエーフスキーの作品についての貧しい『覚書』である。専門も異なり、また原文をも解さない私が、このような『覚書』を公けにすることは、はなはだしい借越ではないかということをおそれている。もちろん、体系的なドストエーフスキー研究ではない。そこには多くの誤謬や思い違いもあるであろう。しかし、私の心はまったくかれに把えられた。神について、人間について、社会について、さらに自然についてさえも、ドストエーフスキーは、私に、まったく新しい精神的次元を開いてくれた。それは驚嘆すべき眺めであつた。私にとって、かれを批判することなぞ、まったく思いも及ばない。ただ、かれの、驚くべく巨大なる、また限りなく繊細なる、魂の深さ、に引かれて、一歩一歩貧しい歩みを辿るのみである。(森有正『ドストエフスキー覚書』「あとがき」

今のリンク先には、森有正の読解と比した専門家である亀山郁夫氏の読解批判がある。後者の読みをどう判断するのかは〈あなたがた〉にまかせる。



【心理学的読みの復活?】

ところで、ドストエフスキー熱愛者は旧世代にはもちろん生き残っており、最近では、ドストエフスキーの長大な『悪霊論』(ニコライ・スタヴローギンの帰郷ーー清水正の「悪霊論」三部作)などというものが書かれているらしく、そこではスタヴローギンの言動を「母親からの自立」などとする「心理学的な」指摘があるらしい(清水正氏は1949年生まれであり、わたくしの十年ほど上の世代の文芸評論家)。

たとえば、清水氏は、「ニコライ・スタブローギン」の数々の乱暴狼藉、つまり 「悪」について、「漫画チック」「大げさな」と書いている。「ニコライを神話化するような見え透いた作者の意図 が伺える」「わざとらしい」と言う。(……)

 そこで、清水氏は、ニコライ・スタブローギンの「悪」は、母親への犯行=反抗と読み解いている。つまり 、ニコライ・スタブローギンは母親の溺愛の元で育ち、まだその母親の呪縛 を脱しきっておらず、それ故に母親の願いを聞き入れて、故郷スクヴァレーニシキへと帰郷するわけであり、それと同時に「母親からの自立」の試みとしての数々の乱暴狼藉、反抗(悪)が繰り返すというわけだ。

最近のドストエフスキー論については無知なので、はて、たとえば山城むつみ氏の評判の高い論はなにを語っているのか(これについてはインターネット上ではたいしたものは見つからなかった)、あるいは毀誉褒貶のある亀山郁夫氏の『悪霊』解釈はどんなぐあいなのか、などとすこし調べているうちに行き当たった論評なのだが、「母親からの自立」の試みというのは別にスタヴローギンでなくてもほとんど誰にでもあるのであって、わたくしには児戯に類する指摘としてしか受け止められない、--とするのはかつてのスノッブの無残な残照としての短絡的な気取りであるには相違ない。そもそも清水正氏の書を読んだわけではないので、当然ほかの重要な示唆と絡んでの見解であるはずであり、ここでは「母親からの自立」についてだけの印象である。

もちろん「母親からの自立」は、たとえば次のような『悪霊』の冒頭近くにある叙述から、誰でもその気配は読みとることができる。

少年は、母親が自分を溺愛していることを知っていたが、彼自身はそれほど母親を好いてはいなかった。夫人はあまり息子とは口をきかなかったし、めったに自由をしばることもなかったが、それでも少年は、たえず自分をじっと見守っている母親の視線を、病的なくらい、いつも肌に感じていた。(『悪霊』江川卓訳 新潮文庫 上 P59)

この冒頭近くの叙述以外にも、スタローギンの母へのアンビバレントな感情の揺れはいくらでも指摘できるだろう。だがそれだけでスタヴローギンという人物の奇怪さを説明されたら堪らない(重ねて書くが、清水正氏の論への短い書評を読んだだけの違和である)。




【文学とは無縁の資質】

ここは松浦寿輝の次のような文章を挿入して、スタヴローギンの一貫した性格を『悪霊』のテキストから読みとる仕草は、「文学とは無縁の資質」であるとしておこう。


たとえば漱石の小説をめぐって書かれた或る種の凡庸な論文などには、或る登場人物がこの箇所ではこんなふうに描写され、あの箇所ではあんなふうに描写されているがその間の食い違いをどう考えたらよいのかなどと、あれこれ真剣に思い悩んでいるものがあり、「文学研究」の学徒とは何と馬鹿馬鹿しいまでに律儀な人々かとわれわれを呆れさせずにおかない。もとより虚構のイメージでしかない物語の登場人物について、これは本当はいったいどういう人なんだろうと考え詰めようとする官僚的な生真面目さなど、もろん文学とはまったく無縁の資質である。(……)

『こころ』も『明暗』も要するにただの絵空事であり、その道具立てとして導入された「先生」だの「K」だの「津田」だの「小林」だのは、言語記号の組合せによって表象される想像的な人物イメージの戯れの積分的な総体に与えられた、仮の名前にすぎない。なるほど、一人一人の登場人物に一貫した自己同一性とリアルな存在感を賦与しようという意図を作家が抱いていたことは間違いなかろうが、しかしたとえそうであっても、創造の「今」において漱石は、そのつど確率論的な揺らぎの中で、むしろ“適当に”書いていたはずである。漱石の筆が運動しつつある、その「今」の現場には、過誤も思い違いも混同も意識せざる誇張も自家撞着も裏切りも、何もかもがいちどきに呼びこまれえたのであり、またそうした人間的“いい加減さ”に大胆に身を委ねることで、彼の「作品」における運動はいよいよ豊かな、また生気に満ちたものになっていったはずなのだ。漱石の文体における「当て字」の問題なども、むしろ「作品」を決定論的凝固から解き放ちたいという彼の骨がらみの欲動の表現として読み解かれるべきではないのか。(松浦寿輝「表象と確率」『官能の哲学』所収 文庫P190)

そもそも『悪霊』は、しっかりした構想の経たあとに書かれた作品ではない(おそらくドストエフスキーの多くの作品と同様に)。執筆当時、既に「無神論」、すなわち『カラマーゾフの兄弟』の構想が頭から離れなかったようだ。


彼自身「惡靈」には大した望みを掛けてゐなかつた。ただカトコフへの借財を支拂ふ爲の餘儀ない仕事と考えてゐた。當時の彼の野心はこの作には關係のない大小説にあつた。(小林秀雄『ドストエフスキーの生活』「8 ネチャエフ事件」)

すなわち、おそらく他の作品にもましていっそうのこと創造の「今」においてむしろ“適当に”書かれた小説なのであり、《その「今」の現場には、過誤も思い違いも混同も意識せざる誇張も自家撞着も裏切りも、何もかもがいちどきに呼びこまれえた》のだろう。


もちろんドストエフスキーのテクストの断片から、精神分析理論的な断片を拾うことはできるのを否定するわけではない。たとえばフロイトの破壊欲動やら享楽と似たような叙述があるな、との「発見」を楽しむことはできる。だがこれはなにもドストエフスキーに限った話ではない。それはフロイトの論文のシェイクスピアからの引用の豊富さを想い起こすだけでよい。


夜の大火は人をいらだたすと同時に、心を浮き立たせるような効果を常に生むものである。花火はこの効果を応用したものだ。しかし花火の場合は、火が優美な、規則正しい形にひろがり、しかも自分の身はまったく安全なので、ちょうどシャンパン・グラスを傾けたあとのように、遊び半分の軽やかな印象しか残さない。ほんものの火事となると、話は別である。この場合は、夜の火の心浮き立たせる効果もさることながら、恐怖心と、やはりわが身に迫るなにがしかの危機感とが、見物人との間に(もちろん、家を焼かれている当人たちの間にではない)ある種の脳震盪めいた作用を惹き起こし、彼らの内なる破壊本能を刺激するような結果になる。しかも、この破壊本能は、悲しいかな! どんな人間の心の底にも、謹厳実直そのもののような家族持ちの九等官の心の底にさえひそんでいるものなのだ……この隠微な感覚は、ほとんどの場合、人を陶酔させる傾きがある。「火事というものを多少の満足感なしに眺められるものかどうか、ぼくはあやしいと思うね」とは、かつてステパン氏が、たまたま出くわした夜の火災からの帰り道、まだその引用がなまなましかったおりに、私に語った言葉そのままの引用である。(ドストエフスキー『悪霊』 江川卓訳 新潮文庫 下 P272)


【厚顔無恥に居直り精神分析的に読むこと】

さてここでは「文学とは無縁の資質」のものの一人と敢えて居直って、フロイトのドストエフスキー論を引用してみよう。


内容豊かな人格を持ったドストエフスキーを前にして、われわれは四つのものを区別して考えたいと思う。すなわち詩人としての彼、神経症者としての彼、道徳家としての彼、および罪人としての彼である。われわれの頭を混乱させるかくも複雑な人格を統一的に把握するには、いったいどうしたらいいのであろうか。(フロイト『ドストエスフキーと父親殺し』)

この小論は1928年に書かれており、後期フロイトと呼ばれる時代、すなわち『快原則の彼岸』1920以降に書かれている。

「四つのものを区別」しているフロイトの、その最初の「詩人としての」資質をめぐって、フロイトは『カラマーゾフの兄弟』は、シェイクスピアに比較してもさして劣っていないとして、とくに「大審問官」の個所は世界文学における最高傑作のひとつとしている。《ただ残念なことに、詩人という問題を前にしては、精神分析は拱手傍観するよりほかはない》と。


これが詩人、芸術家としての作家を前にしたときの、われわれ凡人の素直な態度であろう。


ひとはそれでもなにかを言いたくなるのがわれわれの常であるのだから、神経症者、道徳家、罪人としてのドストエフスキーをめぐって書き綴らざるを得ない批評の言葉を全否定するわけではない。この機会に小林秀雄の『ドストエフスキーの生活』を読み返してみたが、小林秀雄のこの渾身の批評文でさえその類の「批評」であるといえるのかもしれない(すくなくともナボコフ的観点からは)。


さてフロイトに戻って、二番目の区分け、「道徳家」としてのドストエフスキーについてなんと書いているか。

もっとも深い罪の領域を通ったことのある者のみが、もっとも高い倫理の段階に到達するということを論拠として、彼を倫理的に高く評価しようとする態度は、重大な疑点を看過しているといわざるをえない。すなわち、倫理的な人間とは、誘惑というものに、それが心の中で感じられたとたんに直ちに反応し、しかもしれに屈服することのない人間を指していうのである。さまざまな罪を犯し、しかるのち後悔して、高い倫理的要求を掲げるにいったというような人間は、イージーな道を歩んだという非難を免れることはできない。そういう人間は、倫理性の本質的部分、すなわち断念というものを遂行することができなかったわけである。(『ドストエフスキーと父親殺し』)

「罪人として」のドストエフスキーについては、次のように書かれるーー、《彼は、あれほどまでに強く人々の愛を求めたではないか。また、たとえば最初の妻およびその情人にたいする関係においてのように、憎みかつ復讐する権利が自分にあった場合ですら、彼は愛したり援助の手を差し伸べたり、お人好しすぎる態度をする示して、人を愛する能力の大きさを証明している》のに、どうして《犯罪者の本質的特色をなす、あくことを知らぬ我欲や、強烈な破壊的傾向、――冷酷さ、つまり対象(ことに相手が人間である場合)を評価するにあたって感情の要素を交える能力の欠乏》をドストエフスキーに指摘することができるのか、とまずは予測される反論が書かれる。だがこの架空の反論への応答が引き続く。

この疑問にたいする答は、この詩人の素材選択の仕方である。すなわちドストエフスキーはその作品の素材として、乱暴者、殺人犯、我利我利亡者などを、とくに好んで取り上げており、これが、同様な傾向が彼自身の内部にも潜んでいたことを察知させるのである。それからまた、彼の生涯中の若干の事実、たとえば彼の賭博癖があげられるし、あるいはまた、未成年の少女を強姦したというあの事実(この事件については彼自身の告白がある)も、おそらくこの疑問にたいする答となるであろう。この矛盾は、彼自身をたやすく犯罪者にしかねなかったきわめて強い破壊欲動も、ドストエフスキーの現実の生活においては、主として彼自身の人格にたいして(すなわち外に向けられるかわりに内にたいして)向けられ、その結果マゾヒズムおよび罪の意識となって発現したことを見ればおのずと解消する。いずれにせよ、彼の性格の中には、サディスト的な要素も多分にあって、それは彼が愛している人々にたいしてさえ示した短気、意地悪、不寛容などに現れており、あるいはまた、作家としての彼が読者を取り扱うそのやり口にも現れている。したがって彼は、小さな事柄においては外にたいするサディストであったが、大きな事柄においては、内にたいするサディスト、すなわちマゾヒストであり、もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間だったのである。(同フロイト)

このフロイトの叙述は、《もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間》という個所以外は、『悪霊』の主人公スタヴローギンの性格や言動をほとんど彷彿させるものであり、スタヴローギンの言動を「母親からの自立」として読みとるのは児戯に類するというのは、松浦寿輝の「文学研究者」への嘲笑以外にもそういうことを含意する。フロイトはすでにそれ以上のことを書いている。

さてドストエフスキーの第四番目の区分、「神経症的」な面は、ここでは割愛する。罪人の個所で「マゾヒスト」という語が出てきているのだから。


【イントラ・フェストゥム(祭りの最中)をめぐって】

「癲癇持ち」のドストエフスキーについては木村敏によるイントラ・フェストゥムの資質の指摘を想起することもできる。木村敏は、人間の心理的時間感覚を「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」の三つに分類している。祭りの前が分裂病的時間感覚、祭りの後が躁鬱病的時間感覚ということだったが、前者が未知なる未来における自己の可能性の追求、後者が既知の慣習や経験への保守的な埋没とされ、両者とも時間の水平性(未来、あるいは過去)にかかわる病理だとすれば、イントラ・フェストゥムは時間の垂直方向での日常性の瓦解(非日常性の顕現)とされる。

そしてこの指摘において肝要なのは、イントラ・フェストゥムは、癲癇症者だけではなく、健康人の誰にでも訪れる非理性の瞬間(もちろん分裂病者や鬱病者においても)として、《愛の恍惚、死との直面、自然との一体感、宗教や芸術の世界における超越性の体験、災害や旅における日常的秩序からの離脱、呪術的な感応などの形で出現しうるもの》とされていることだ。

たとえば鬱病親和気質と推測される大江健三郎の「一瞬よりはいくらか長く続く間」はそのイントラ・フェストゥムと似たような刻限をいう表現に相違ないし、分裂病親和資質と想定されるニーチェの「正午」も同様。

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」手塚富雄訳)

「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」にかんして、すぐれたグールドシューマンや、プルースト論などの著者、ミシェル・シュネデール(彼は仏高級官僚でもあり、また小説家でもあり精神分析医でもある人物)の次の文を抜き出しておこう。

… ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトゥーロ・べネデッティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのぼらせる。(『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネーデル千葉文夫訳)

しかし、ここでミケランジェリが鬱病親和型、リヒテルが分裂病親和型、グールドが癲癇親和型などというつもりは毛頭ない。それぞれの演奏家は、それぞれの仕方でイントラ・フェストゥムの垂直に立つ時間の感覚を与えてくれるだろう。だがそれにしてもグールドの「現在性」の恍惚のなんと際立つことよ。

だがイントラ・フェストゥムの輝かしい面ばかりを強調してはならない。《祝祭はつねに死の原理によって支配されてもいる。死は、それ自体としてみれば美わしい永久調和を意味するのであろうけれども、個別的生命に執着する日常性の意識にとっては恐怖の対象以外のなにものでもないだろう。殺人や犯罪、革命や戦争はそれなりに人類の祝祭なのである。》(木村敏 P161)

この見解にはいろいろな変奏があるだろう。

戦争の論理は単純明快である。人間の奥深い生命感覚に訴える。誇りであり、万能感であり、覚悟である。戦争は躁的祝祭的な高揚観をもたらす。(中井久夫「戦争と平和についての考察」『樹をみつめて』所収)
われわれの疑問は、たとえば「生の肯定」、「生の蕩尽」としてカーニバル的にあらわれたものが必ずファシズムに転化するのはなぜかということだ。ニーチェやベルグソンはファシストではないといってもはじまらない。もはや純粋なカーニバルなどありえないように、純粋な「生の哲学」もありえない。それはいったん歴史的な文脈に存在するやいなや、思いもよらぬ反転や置換を強いられるのだ。本当は、「暴力的なもの」は《近代》に出現するのだといってもよい。(柄谷行人『歴史と反復』)

さて、ドストエフスキーののイントラ・フェストゥム性については、次のような叙述がある。
われわれはドストエフスキーから多くのことを学ぶことができる。彼の作品に登場する多数の人物は、ムイシュキンやキリーロフのような癲癇患者だけでなく、全員がこの「現在の優位性」とでもいうべき特徴をそなえている。作中の人物がすべて作家の分身であってみれば、これはちっとも不思議なことではない。一例だけをあげれば、『悪霊』に登場する美貌の令嬢リザヴェータ……彼女にとって、過去・現在・未来の一貫した流れとしての一つの人生などというものは「見たくもない」ものなのである。彼女はスタヴローギンと駆け落ちして一夜の情事を経験した翌朝、「ぼくはいま、きのうよりもきみを愛している」というスタヴローギンに向って、「なんて奇妙な愛情告白かしら!きのううだのきょうだのと、なんでそんな比較が必要なの?」(下 P281)という。彼女は「自分がほんの一瞬間しか持続できない女だとわかっているので、」思いきって決心して「全人生をあの一時間きっかり〔の情事〕に賭けてしまった」(下 P286-287)のである。

一般に、ドストエフスキーの描く人物はいずれも他人に対して、ときには自分の生命を脅かすような危険な相手に対してすら不思議に無警戒で、分裂病親和者にみられるような他者の未知性に対する恐怖感は稀薄である。また、メランコリー親和者に特徴的な、既成の型の中での役割的対人関係も、彼の作品のどこを探しても見当たらない。彼の描く対人関係は、すべて現在眼の前にいる人との現在の瞬間における直接的な深い連帯感によって支えられている。

ドストエフスキーの意識における現在のこの豊かさは、彼がアウラ体験において死の側から生を眺めたときの壮麗な光景と、どこかで深くつながっているのではあるまいか。死は、生の側から未知の可能性として眺められたときには、身を縮まる恐怖の源となるだろう。しかしもし死を現在直接に生きることができるなら、それはこの上なく輝かしいものであるに違いない。(木村敏『時間と自己』P150)

この1982年に書かれた木村敏の解釈には今でも瞠目せざるを得ないのであって、フロイトのドストエフスキーのマゾヒスト説に比べても遜色はまったくない。、---もっとも、これも木村敏の論を読み返さなかったら、フロイトの天才は、ドストエフスキーの名を挙げないままで、あたかもドストエフスキーやスタヴローギンの資質をめぐって書いているかのようだ、としてすますところだったのだが。

マゾヒストは小さな、頼りない、依存した、ひとりでは生きてゆくことのできない子供、しかもとくにいたいけな子供として取り扱われることを欲している。フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』(フロイト著作集6 P302)
マゾヒストは、運命という両親代理者による罰を挑発するために、無益なことを仕出かし、自分自身の利益に反して行動し、現実の世界の中にうちひらかれている幸福になる可能性をぶち壊し、時によれば自分自身の生命を絶つこともしかねない。(同上P308)

こうやって精神分析理論を通して読んでしまうわたくしは文学的な資質から遠く離れている。もっともそれがドストエフスキーのいう作家の精神の動きをすこしでも読む機縁になれば幸いである。

作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。(柄谷行人)--「行間にはなにも書かれていません」(蓮實重彦)より

【看護婦志願者としてのダーリヤ】


ところで、『悪霊』の結末は、ダーリヤ・パヴァロヴナ、ーーかつてワルワーラ夫人に連れられた訪れたスイスでの滞在中、スタブローギンの看護婦になると希望したーーその彼女をスイスの山荘での寂しい生活に同行を求める手紙の示されたあとの首吊り自殺の叙述で終っている、《ニコライ・スタヴローギンが首を吊った丈夫な絹紐は、明らかにあらかじめ吟味して用意されていたものらしく、一面にべっとりと石鹸が塗られていた。すべてが覚悟の自殺であること、最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたことを物語っていた。》



ダーリヤは、ニコライ・スタヴローギンの母親ワルワーラ夫人の養い子であり、夫人の侍僕だった父親をもち農奴として生まれたのだが、彼女のお気に入りの娘であり、スタブローギンのスイスでのリザヴェータ・ニコファエヴナとの恋愛事件の折の「相談役」としての役割を担っている。


……リーザがいけないことしたんですの。つまり、ニコライさんにやきもちを焼かせようとして、わざとその方となれなれしくしたんです。わたくし、それをどうこう言うつもりはありませんのよ。若い娘にはありがちの、ほほえましいようなことですもの。ところがニコライさんは、やきもちを焼くどころか、かえってその青年と親密になって、何も気がついていないような、というより、そんなことなどどうでもいいような態度をお見せになったんですよ。リーザにはこれがひどくこたえましたのね。その方がじきに発っていかれると(……)、リーザは何かといえばニコライさんに突っかかっていくようになりましたの。それで、ニコライさんがときどきダーシャと話していらっしゃるのに気がついたものですから、さあ、かっとなってしまって、わたくしも、母親として、生きた空もなくなってしまいましたの。(『悪霊』 上P98)

スイスでの自らの息子とダーリヤとの親密さを危ぶんだのだろうワルワーラ夫人の疑いは「表面的には」すぐさま解消されたかにみえる。


翌朝、夫人の胸に、ダーシャに対する疑いだけは跡形もなくなっていた(……)。というより、そんな疑念はもともときざすはずもなかった、ダーシャに対する夫人の信頼はそれほどに厚かったのである。それに、わがニコラスが、こともあろうに……うちの《ダーシャ》風情に熱をあげるなどとは、夫人には考えも及ばないことであった。(……)

「ダーシャ」とワルワーラ夫人はふいに話をさえぎった。「おまえ、何かこう特別にわたしに話したいと思うようなことはないかい?」
「いいえ、なんにも」ダーシャはちょっと考えたから、その明るい目でワルワーラ夫人を見上げた。(『悪霊』上 P100-101) 

だがワルワーラ夫人は、己れが二十年来、「看護婦」の役をしていると自ら任じている、『悪霊』のもう一人の主人公ステパン・トロフィーモビッチの再婚の相手としてダーリヤを片付けようとする。


「わたしは、奥様、どうでもかまいません、どうしてもお嫁に行かなきゃならないということでしたら」ダーシャはきっぱりと言った。

「どうしてもだって? おまえ、それはなんの謎だい?」ワルワーラ夫人はきびしい目でじっと相手を見つめた。

夫人がダーシャに恥をかかすような真似をするわけがないのは、ほんとうのことだった。それどころか、いまこそ夫人は自分がこの娘の恩人なのだと考えていた。ショールを羽織りながあら、彼女の当惑げな、うさんげな眼差しが自分に注がれているのを感じたとき、彼女の心に燃えあがったのは、だれにうしろ指をさされることもない高潔な憤りの情であった。夫人はほんの子供の時分から心底ダーシャを愛してきた。(……)彼女はもの静かな、おとなしい娘で、辛抱づよく自分を犠牲にできるし、忠実で、並はずれて謙遜で、めったにないほど分別があり、そして何よりも、恩を忘れない子だと決めこんでいた。(『悪霊』上 P107)

 ステパン氏はこの結婚の策略をめぐって、スイスでの「他人の不始末」とつぶやくことになるが、ワルワーラ夫人の申し出を断わるわけではない。もっともその結婚は別の理由で不首尾に終る。

この結婚話とは別に、小説の結末近く、ステパン氏は、ワルワーラ夫人とのあいだに一悶着あったあと、夫人のもとから「家出」して放浪して消耗し、それが原因での死の間際に、枕元のワルワーラ夫人にむかって次のようにつぶやくことになる。

「ボクハ・アナタヲ・アイシテイマシタ、イッショウガイ……二十ネンカン!」
彼女はやはり黙っていたーー二分、三分。
「じゃ、どうしてダーシャと結婚する気になったんです、香水なんかふりかけて……」ふいに夫人は無気味なささやき声で言った。ステパン氏は茫然となった。
「新しいネクタイまで締めて……」
ふたたび二分の沈黙。
「あの葉巻を覚えていますか?」
「友よ」恐怖にかられて彼は口を動かした。
「あの晩の、葉巻、窓のそばの……月が照っていた晩……四阿でお会いしたあと……スクヴォレーシニキの……覚えているの、覚えているの?」彼女はまたはげしく席を立ち、彼の枕の両端をつかんで、枕ごとはげしく彼の頭を揺すった。「覚えているの、からっぽな、実のない、恥さらしな、意気地なしさん、永遠に、永遠にからっぽな人!」夫人は大声に叫びたいのをやっとこらえながら、すさまじいささやき声で言った。それから、ようやく彼をはなすと、両手で顔を覆って椅子の上に突っ伏した。「二十年は過ぎてしたったのよ。もう取り戻せないわ。わたしもばかなのよ」(『悪霊』下 P499-500)

ほとんど同じ叙述が、より突き放す調子だが、この書物の前半にもある。ステパン氏に生涯多額の年金を与えるので、――神聖な義務としてーー、別の場所で暮らしてほしいとワルワーラ夫人が要請する個所である。


「ついこの間、まったく同じあなたの口から、やはり同じように執拗で性急な調子で、まったく別の要求が伝えられたものでした」ステパン氏はゆっくりと、悲しげな、しかしはっきりした言葉づかいで言った。「ぼくはおとなしくおっしゃるとおりにして……あなたのお望みどおりコサック踊りを踊ってみせました。ソウ、コンナ・ヒカクガ・カノウデスネ。ボクハ・ジブンノ・ハカノウエデ・こさっくオドリヲ・オドル・どんノこさっくダッタ。ところが今度は……」

「お待ちになって、ステパン・トロフィーモヴィッチ。ひどく口数が多いじゃありませんか。あなたは踊りを踊ったのじゃなくて、新しいネクタイを締め、新調のシャツに手袋といういでたちで、ポマードをつけ、香水をふった、わたしのところにいらっしゃったんですよ。はっきり申しますけど、あなた自身、結婚したくてうずうずしていらしった。あなたに顔にちゃんとそう書いてありましたし、断言しますけど、それはまあ品のない表情でしたよ。」(『悪霊』上P525-526)

ここに「義務」という言葉、「神聖な義務」という語が出てくることに注目しておこう。もっともワルワーラ夫人のステパン氏への義務は、愛されたいという願い、自己愛やエゴイズムが綯い交ぜになったものであり、それは決して「神聖な義務」といえるものではない。


愛されたい欲望、それは、愛する対象objet aimant がそれとして捉えられる、対象としての自分自身の絶対的個別性のうちに鳥もちづけられ、隷属させられる欲望です。愛されることを熱望する人は、自分の美点son bien のため愛されることにはほとんど満足しません。これはよく知られています。彼の希求は、主体が個別性への完全なsubversion に行くほど愛されること、この個別性がもちうる最も不透明で最もimpensable なものにsubversion されることです。人はすべてが愛されたいのです。On veut être aimé pour tout.彼の自我のためだけではありません。デカル卜はこう言います。彼の髪の色、奇癖、弱さ、すべてのために愛されたいのです。

しかし逆に、私としては相関的にと言いますが、まさしくこのために、愛することはそう見えるものの彼岸で存在を愛することです。愛の能動的贈与は他者を、その特殊性ではなく、その存在において他者を狙います。(ラカン『フロイトの技法論』)

だが安易には言うまい。ここでラカンが語る愛の能動的贈与の側面を忘れてはならない。この発話はセミネール一巻からだが、さらには最晩年のラカンはリルケの『ドゥイノの悲歌』的愛をも語っているのだから。《愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく/おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、/……》(リルケ『ドゥイノの悲歌』


【解読装置としての小説】

ラカンのそれぞれの時期における愛をめぐる発話は驚くほど揺れ動く。われわれはラカンなどの「精神分析理論」によって小説を解読する必要など毛頭ない。むしろラカンの言葉さえ小説を読むように読むべきだ、ラカンがフロイトのテキストをそのように読んだように、すなわち言い直しやいつも戻って来るところ、唐突の沈黙、躊躇いなどを問い直すことによって、フロイトの概念に新たな光を照射したように。

……精神科医は、眼前でたえず生成するテクストのようなものの中に身をおいているといってもよいであろう。

そのテクストは必ずしも言葉ではない、言葉であっても内容以上に音調である。それはフラットであるか、抑揚に富んでいるか? はずみがあるか? 繰り返しは? いつも戻ってくるところは? そして言いよどみや、にわかに雄弁になるところは? (……)

些細な形容詞の変更、時称の選択、何よりも捨てられた草稿、置き換えられた表現、思い切った削除――これらによってテクストが一変する。その前の痕跡をそれとわからぬほどにみせながらーー。これはほとんど私たちの推論そのものだ。(……)

精神科医は精読家Liseurではないが、ためらい、選び、捨て、退き、新たな局面を発見し、吟味して、そして時に棄却し、時に換骨奪胎する精神の営み、そういうテクスト生成研究の過程を身近なものに感じる。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」)

ここで、《批評は小説の解読装置ではない、小説こそが装置である》と繰り返しておこう。もっともそんな小説には稀にしか廻り合えない。

伝統的な小説が前衛的な小説にくらべてものわかりのよさそうな表情を浮かべているというのではありません。筒井康隆だって、安部公房だって、薄気味の悪いほどものわかりがよく、その点では村上春樹と変わりません。こうした一連の闘争放棄は、小説がみずから装置であることを止め、読まれるべき言葉としてあっさり解読装置に身をゆだねてしまうことからくるものです。批評家の手にしているものが解読装置であって、小説がその装置によって解読される対象でしかないようにすべてが進行してしまい、そのことに、小説家も、批評家も疑いの目を向けようとすらしていないという現状が納得しがたいものに思われたのです。

しかし、この関係は不健康に転倒している。装置であるのは、むしろ小説の方なのです。装置でありながら、何の装置だか使用法がわからないものとして小説が存在しているのでなければならない。そして批評家は、その目的や使用法を心得た人間ではないはずです。ましてや、装置を解読する装置が批評なのでもないでしょう。小説という装置は、おそらく小説家にとってさえ、それが何に役立つか見当もつかない粗暴な装置であり、であるが故に、小説は自由なのです。批評家は、使用法もわからぬままにその小説を作動させる。それが、小説を擁護するということの意味なのです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』「あとがき」)


フロイトやラカンの理論のすぐれた解読装置としてドストエフスキーやリルケがある。ところでフロイトの小説への態度は次のようなものであった。

われわれの仲間の一人が『グラディーヴァ』に出てくる夢とその解釈可能性に関心をもった(……)。その人が当の作家に直接会って、あなたの考えに非常によく似た学問上の理論があることをご存知だったのかと尋ねれみた、はじめから予想できたことだが、これにたいして作者は知らないと返答した、しかもそこには多少不快げな調子がこもっていた。そして、自分自身の空想が『グラディーヴァ』のヒントをあたえてくれたのだ、(……)これが気に入らない人はどうかかまわないでいただきたい、と言った。(フロイト『W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢』)

《作者はこのような法則や意図を知っている必要などまったくないし、だから彼がそれを否定したとしてもそこに微塵の嘘もないのである》、フロイトは続けてこのように書く。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(同上)

【滑空足らずのラカン】

精神分析理論、フロイトやラカンを読むとき、ニーチェの次の言葉を想起してともに読むことが必要なときがある。

《悪く考えることは、悪くすることを意味する。 ――情熱は、悪く陰険に考察されると、悪い陰険なものになる。 》(ニーチェ『曙光』76番)

それは決してニーチェを「通して」読むのではない、「ともに」読むのだ。

愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮かぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テキストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持ちになればいいのだ。私は必ずしも快楽のテキストに捉えられているわけではない。それは移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落ち着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような。(バルト『テクストの快楽』)


あるいは《他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること》

「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…彼が自分の後で根本的動揺をいだく者がもうひとりもいないことを望んでいたのを思えば、享楽の没収、享楽は結局何にもならないということの証明…だが、それが「うまくいく」ようにできていると言った者がかつていたのだろうか? 面白いのは、そいつが時どき期待を裏切ることができるってことだ…吹っ飛んでしまう前に…もっとも、それがひと度ほんとうに期待を裏切ったとしたら、そいつはとにかく少しはうまくいっている…憎しみのこもった固着に至り着くのでなければ…でもそれだって避けることはできる…ぼくの意見では、ファルスは十分に滑空しなかったんだな…かれはそのことでまいっていたのだと思う…どんな女も彼の解剖学にしびれなかったのだろうか? そうかもしれない…実際にはちがう…気違いじみてもいなかった…後になって「うまくいっている」か、いってないかってことが彼にとってどうでもよくなるには十分じゃなかった…そこから他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること…ファルスがぼくたちの家でぐずぐずしていたそのやり方のことをぼくはもう一度考えてみる…眼鏡越しにデボラに注がれる彼の長い眼差し…見下げ果てた野郎だ…それは痛ましかった、それだけだ…(ソレルス『女たち』p183)

ーーソレルスの小説のなかの「ファルス」なる人物は、ラカンがモデルであるのはよく知られている。


【ふたたびダーシャ】


もちろん別にワルワーラ夫人のステパン氏とダーシャとの婚姻のすすめは、リーザと似たような振る舞いとしても読めもする、《リーザがいけないことしたんですの。つまり、ニコライさんにやきもちを焼かせようとして、わざとその方となれなれしくしたんです》――いや「やきもち」ではなく、ステパン氏の愛情をたしかめるための振舞いとして。



ここでリーザが自ら進んでニコライに身をまかせた一夜のあとの嫌悪と軽蔑の入りまじった発話を抜き出しておこう。これがワルワーラ夫人の心情とも通ずる「熱烈な愛」、すなわちナルシシズム的愛の典型的な言動だと解釈することもできる(繰り返せば、そうとも見ることができるだけで、これも「安易な」一面的な見方である)。ーー《なにせ女心というやつは、今日においてさえいまだに究めつくされる深淵にほかならないのだから!》(『悪霊』上 P25)


「ぼくを苦しめてくれ、ぼくを罰してくれ、ぼくに憎悪をぶつけてくれ」彼は絶望にかきくれて叫んだ。「きみには十分にその権利がある! きみを愛していないくせに、きみを破滅させたことを、ぼくは知っているんだ。そうだよ、『ぼくは瞬間を自分の手に残しておいた』んだ。ぼくは希望をもっていた……ずっと以前から……最後の希望をもっていた……きみがきのう自分から、一人で、進んでぼくの部屋にはいってきたとき、ぼくは、自分の心を照らし出した光明にさからうことができなかった。ぼくはふいに信じてしまった……ことによると、いまでも信じているのかもしれない」

「そんなふうに潔く打明けてくださるのなら、わたしもお返しをしなければならないわね、ーーわたしはあなたの看護婦になるのはごめんです。もしかして、きょううまい具合に死ねなかったら、ほんとうに看護婦になるかもしれないけど、たとえそうなっても、あなたの看護婦にはなりません。あなたにしたって、むろん、そこらの手なしや足なしと同じようなものですけどね。わたしはいつもこんな気がしていたんです、きっとあなたはわたしを、人間の背丈ほどもある巨大な毒蜘蛛のすんでいるようなところへ連れていくのにちがいない、そこでわたしたちは、生涯、その蜘蛛を眺めながら、びくびくして暮らすことになるんだろうって。そんななかでわたしたちの愛情も消えてしまうんです。ダーシェンカにお話しなさいな、あの人なら、どこへでもあなたにういていってくれるでしょうよ」

「こんなときにも、きみはあれのことを思い出さずにいられないの?」

「かわいそうな小犬さん! あの人によろしく。あなたがもうスイスであの人を老後のお守役に決めてしまったのを、あの人は知っているのかしら? ずいぶん用意周到な方ね! 先の先まで見通していらっしゃる! ……」(『悪霊』下 P288-289)


「義務としての愛」という言葉を使うなら、ダーシャ、ニコライ・スタヴローギンの看護婦になることに決めてしまったダーシャの愛こそその「神聖な愛」として読むことができるかもしれない。

ニコライの決闘、すなわちここでもまた「はしたなく」精神分析概念を適用するならば、彼のマゾヒズム的衝動ともいえるその場面の後、次のようなダーシャとの面会がある。


「ぼくは前からきみと会うのをやめようと思っていてね、ダーシャ……ここのところ……当分は。きみから手紙をもらったけれど、ゆうべはきみに来てもらえなかった。ぼくのほうからも手紙をしたかったんあが、手紙は苦手なのでね」彼はいまいましげに、というよりむしろいまわしげにこうつけ加えた。

「わたしも、お会いするのはやめなければと思っていました。ワルワーラさまが、わたくしたちの仲をひどく疑っていらっしゃいます」
「なあに、疑るのは勝手さ」
「ご心配をかけるのはいけません。では、今度は最後のときまでですのね?」
「まだその最後のときを当てにしなくちゃいられないのかい?」
「ええ、わたしは信じているのです」
「この世の中には終りのあるものなんてないさ」
「これには終りがあります。その最後のときに声をかえてくだされば、わたし、参ります。いまはお別れです」
(……)
「あなたはもう一人の……気の違った方を破滅させはなさらないでしょうね?」
「気違い娘は破滅させないさ、あれも、もう一人もね。しかし正気な娘は、破滅させるかもしれない。ぼくはね、ダーシャ、おそろしく卑劣で醜悪だから、ひょっとしたら、きみが言うように、『最後のおしまいのときに』、ほんとにきみを呼ぶかもしれない。そしてきみも、そんなに賢いくせに、やってくるだろうね。どうしてきみは自分で自分を滅ぼすんだい?」

「最後にはわたし一人があなたのおそばに残ることになるのがわかっていますから……それを待っているんです」(『悪霊』上 P458-460)


【マゾヒストあるいは癲癇症者のドストエフスキー】

すこし前に戻って、スタヴローギンの決闘が、マゾヒズムの顕現とするのはいささか性急すぎるかもしれない。そしてここでふたたび木村敏のドストエフスキーのイントラ・フェストゥム性の指摘をも想起しておこおう。

『悪霊』のなかでももっとも有名なスタヴローギンの告白の章にはつぎのように書かれている。


これまでの生涯にすでに何度かあったことであるが、私は、極度に不名誉な、並はずれて屈辱的で、卑劣で、とくに、滑稽な立場に立たされるたびに、きまっていつも、度はずれな怒りと同時に信じられないほどの快感をかきたれらててきた。これは犯罪の瞬間にも、また生命の危険の迫ったときにもそうなのである。かりに私が何か盗みを働くとしたら、私はその盗みの瞬間、自分の卑劣さの底深さを意識することによって、陶酔を感じることだろう。私は卑劣さを愛するのではない(この点、私の理性は完全に全きものとしてあった)、ではなくて、その下劣さを苦しいほど意識する陶酔感が私にはたまらなかったのである。同様に、決闘の場に立って、相手の発射を待ち受ける瞬間にも、私はいつもそれと同じ恥辱的な、矢も盾もたまらぬ感覚を味わっていた。とくに一度はそれがことのほか強烈であった。白状すると、私はしばしば自分から進んでこの感覚を追い求めたこともある、というのは、それが私にとってはその種のもののなかでももっとも強烈に感じられたからである。(『悪霊』下 P550-551)

こういった文は、ドストエフスキーが同様の衝動(=享楽)を抱いていなかったならば、書けるはずはないと凡庸な「わたくし」は呟いてみる。そもそもペトラシェフスキイ事件による芝居としての死刑の判決、直前まで死刑判決がニコライ皇帝によって却下されていたことを知らされていなかった有名な出来事の折にも、ドストエフスキイは平静な様子だったらしい。

ペトラシェフスキイ、モンペリ、グリゴリエフの三人が、先ず柱に縛され、一二人の兵士が銃を上げた時、赦免のハンカチが翻つた。縛を解かれた時、グリゴリエフは発狂してゐた。或る目撃者の言ふところによれば、ドストエフスキイはまことに平静な様子だつた。断頭台を登る足どりも乱れてゐなかつたし、顔色も蒼ざめてゐなかつたさうである。(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』)

もっとも小林秀雄はこのあと、《だがそんな事が一体何を意味するのだらう。発狂の一歩手前にゐる人間が平静に見えないとも限らない》としている。

不思議なことにこの、まさに最後の瞬間に気絶することはめったにないのです! それどころか、頭はひどく生き生きして、機械が動くように力強く、力強く、力強く働いているにちがいありま せん。僕の想像では、その時さまざまな考えがぶつかっているのです、みんな完結しない、そしてもしか したら、ばかげた、無関係なこんな考えです。『ほら、あそこで見ている。あの額にはいぼがあるし、 ほら、処刑人の下のほうのボタンが一つさびている・・・』で、その間もすべてを認識し、すべてを記憶し ています。決して忘れることのできないある一点があって、気絶することもできず、すべてがその近 くを、この点の近くを動き、回転しているのです。そして考えると、それは最後の四分の一秒までそのま まで、その時にはもう頭を断頭台にのせて、そして待っている、そして・・・知っているのです、 と、突然上に聞こえる、鉄が滑ってきた!これは間違いなく聞こえます!僕なら、もしもそうなったら、僕 はわざわざ耳を澄まして聞くでしょう!それは、もしかしたらほんの一瞬間の十分の一かもしれません が、間違いなく聞こえます!(ドストエフスキイ『白痴』

いずれにせよ、この芝居としての死刑執行の瞬間の心的外傷性記憶がドストエフスキイの小説のなかで繰り返されることになる。木村敏のいうドストエフスキーのアウラ体験とはこのことである。


【義務としての愛】

さていささか寄り道ををしてしまったが、「義務としての愛」に戻ろう。

ダーシャのニコライへの「義務」、ワルワーラ夫人のステパン氏への「義務」、――『悪霊』はこれが繰り返されるテキストでもある。そしてニコライ・スタブローギンもステパン・ヴェルホーヴェンスキーもそれを望むとともにうとましくも思う二律背反した感情に囚われている。

ところで、ドストエフスキーの二番目の妻が夫の破廉恥な振舞いにおどろくほど耐える女性だったことが知られている。


アンナは、賭博生活の一喜一憂を仔細に日記に認めてゐる。賭博を呪ひ、自ら悪漢と罵りつつ、一日もかゝさず火事のに通つてゐる日記に描かれた彼の姿は、確かに正気ではないが、彼女の忍従にも何か異様なものが感じられる。(小林秀雄『ドストエフスキーの生活』「7 結婚・賭博」)

ひとはこういった愛の対象となった場合、ときにそれをひどい重荷とするのではないか。ーーと書いてしまったら、清水正氏の「母親からの自立」とどう違うというのだろう。上に児戯に類すると批判したが、わたくしの読みもやはり児戯に類する。


逆にどんな孤独者でもひとりの愛する人が必要だ、とする中井久夫の言葉をドストエフスキーやらスタブローギンに適用するのなら、繰り返される「義務としての愛」は、ダーシャのスタヴローギンへの無私の愛の叙述を借りた妻への感謝の「意図せざる表現」としても読むことができないではない。

創作の全過程は精神分裂病(統合失調症)の発病過程にも、神秘家の完成過程にも、恋愛過程にも似ている。これらにおいても権力欲あるいはキリスト教に言う傲慢(ヒュプリス)は最大の陥穽である。逆に、ある種の無私な友情は保護的である。作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて)

『悪霊』の第二部第八章の『イワン皇子』のすぐあとにつづく章として書かれた「スタブローギンの告白ーーチホンものとにて」、--結局『ロシア報知』の編集長カトコフが雑誌掲載を断わったために陽の目を見ず、後年(1921年)ドストエフスキーの死後、公表されるのだが、ドストエフスキー自身の校正版とアンナの手による筆写版がある。その二つを見比べてみると、妻アンナがいかに校正版の核心部分を「改竄」し、夫の幼児強姦をめぐる「破廉恥な」テクストを隠蔽しようと試みたのかがわかる。だが、これについては研究者の新しい見解もあまたあるのだろうし、それを知らない者がなんらかの感想めいた書くのはやめにしておこう。

ただダーシャにかかわる部分だけを抜き出しておく。

二ヵ月後、スイスで、私は、かつて初期のころにのみ見られたのと同じような狂暴な衝動の一つにともなわれた、はげしい情欲の発作を感じた。私は新しい犯罪に対する恐ろしい誘惑を、すなわち、重婚を行おうという誘惑を感じたのである(私はすでに妻帯者であるから)。しかし私は、もう一人の若い娘の忠告をいれて逃げだした。そしてその若い娘にほとんどすべてを告白し、それほどまで私が自分のものにしたいと望んでいる女性を、実はまったく愛していないこと、今後もうだれを愛することもできないだろうことまで打ち明けた。それにこの新しい犯罪も、なんら私をマトリョーシャから救ってくれることにはならなかっただろう。(『罪と罰』下 P574)

フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』(1924)や『ドストエフスキーと父親殺し』(1928)は、このスタブローギンの告白を読んだ後ーーあるいはひょっとしてその衝撃によりーー書かれたものだと推測する。


【宙吊りを楽しむこと】


ドストエフスキーのテキストはいろんな個所に注目することができる。わたくしが今回の再読で、ことさら注目したのは、ときおり閃くダーシャの名を借りて書かれるテキストの断片だった。

そして上に書かれたようにダーシャの看護婦としての義務を受け入れる態度は、至高の愛のひとつなのか、それとも愛される人にひどい重みとなるかもしれない「淫らな愛」なのか、あるいはそれらとはまた別のものなのかは、「宙吊り」のままである。いまはその「小説の知恵」を楽しんでこのような文を書いている、としておく。

アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのか、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、…どちらが正しくてどちらが間違っているか。エンマ・ボヴァリーは我慢のならない女なのか、あるいは勇敢で人の心をうつ女なのか。ウェルテルはどうか。彼は多感で気高いのか。あるいは、のぼせ上がった攻撃的な感情家なのか。小説を注意ぶかく読めば読むほど答えることはできなくなる。(……)小説の<真実>は隠されており、表ざたにされず、また表ざたにされ得ないものなのである。(クンデラ『小説の精神』)
人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望んでいます。といいますのも、人間には理解する前に判断したいという欲望 ――生得的で御しがたい欲望があるからです。さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望であります。宗教やイデオロギーは、相対的で両義的な小説の言語を、その必然的で独断的な言説のなかに移しかえることがないかぎり、小説と両立することはできません。宗教やイデオロギーは、だれかが正しいことを要求します。たとえば、アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのかいずれかでなければならず、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、いずれかでなければならないのです。

この<あれかこれか>のなかには、人間的事象の本質的相対性に耐えることのできない無能性が、至高の「審判者」の不在を直視することのできない無能性が含まれています。小説の知恵(不確実性の知恵)を受け入れ、そしてそれを理解することが困難なのは、この無能性のゆえなのです。(クンデラ『小説の精神』 P7-9)

あるいは、プルーストを読むロラン・バルトならこう書く、《コタールは《偉大》でも《卑小》でもない。仮に真実があるとすれば、その真実は「他者」の言葉が彼に与える動揺全体にいきわたる言述の真実である。》
バルベック行きの軽便鉄道の中で、連れのなり婦人が『両世界評論』を読んでいる。彼女は美人でなく、俗悪である。「話者」は彼女を娼家の女将だろうと考える。ところが、次の旅行の際、列車に乗り込んできた一群の客が「話者」に、あの婦人はシェルバトフ大公妃だ、高貴な生まれで、ヴェルヂュラン家のサロンの花だ、と教えてくれる。

まったく対立する二つの状態を同一の対象の中で結びつけ、外見を根底からくつがえし、その反対物へと変える、こうしたスケッチは『失われた時をもとめて』の中によく出てくる。最初のいく巻かから、読む順序に沿って、いくつかの例を挙げると、

一、ゲルマント家の二人のいとこのうち、陽気な方が、実は、横柄(公爵)で、冷淡な方が謙虚な人(大公)である。

二、オデット・スワンは周囲の人の判断ではすぐれた女性であるが、ヴェルデュラン家ではばか者扱いにされている。

三、ノルポワは「話者」の家族を怖気づかせ、彼らの息子には才能がないと説得するほど偉そうにしているが、ベルゴットには、一言でこきおろされる(《あれは間抜け爺いだ》)。

四、同じノルポワは、貴族で、王党派なのに、急進党内閣の特派外交使節を引き受けるが、《ただの反動的なブルジョワでもそんな内閣に仕えるのは拒否したであろうし、ノルポワ氏の過去や係累や考えを知ったら、内閣の方でも心配になったにちがいない。》

五、スワンとオデットは「話者」に対して細かく気を使っているが、ある時、「話者」が書いた、《あれほど説得的で、完璧な》手紙に返事を書こうとさえしないことがあった。(……)

六、ヴェルデュラン氏はコタールについて二通りのいい方をする。コタール教授のことを相手があまり知らないと見てとると、コタールのことを褒めそやす。しかし、相手が知っている時は、逆の方法を取り、コタールの医学上の才能について、ごく素気ない態度を示す。

七、発汗は腎臓に害があるということをある立派な学者の本で読んだばかりの時、「話者」はE博士に会う。すると、彼は、《汗が大量に出るこの暑い季節の利点は、それだけ腎臓の負担が軽減されるという点である》と断言する。以下、同様。(ロラン・バルト「研究の構想」『テクストの出口』所収)

ここでロラン・バルトは第一巻「スワン家のほうに」にあるわたくしにはもっとも印象的なルグランダンの例を挙げていない。スノビズムに火のような毒舌を吐く、憂愁を知った青い眼をもつ、物思わしげな、高尚で繊細なルグランダンが、貴族との挨拶に「異常なまでの活気と熱烈をあらわす」ひどい俗物であることを。だがこのような例はプルーストの小説には枚挙のいとまがない。



【最も淫らな強迫観念】


最後に「厚顔無恥「を恐れず、重ねて精神分析理論から「最も淫らな強迫観念」、義務としての愛を語る比較的若い時に書かれたジジェクの文を引用しておこう。


……無条件の義務の哲学者であるカントが知らなかったものを、通俗的でセンチメンタルな文学、今日のキッチュはよく知っている。このことは別に驚くにあたらない。というのも、〈意中の婦人〉への愛を至高の義務と見なす「宮廷恋愛(騎士道恋愛)」の伝統が今なお生きているのは、まさしくそうした文学の世界なのである。コリーン・マッカロウの『淫らな強迫観念』には、宮廷恋愛ジャンルの典型的な例が見られる。この小説はまったく読むに耐えないもので、そのためにフランスでは叢書「ジェ・リュ(私はもう読んでしまった)」の一冊として出版された。この小説の時代は第二次世界大戦の末期、主人公は、太平洋岸にある小さな病院で精神病者の世話をしている看護婦である。彼女は職業上の義務と、ひとりの患者への愛との葛藤に引き裂かれている。小説の結末で、彼女は自分の欲望を理解し、愛を断念して、義務へと戻る。一見すると、なんの面白みもまにモラリズムのように見える。義務が恋愛感情に打ち勝ち、義務のために「病的な」恋愛が断念されるのだから。しかしながら、この断念にいたる動機の描写はもう少し複雑で微妙である。小説の結びは次のようになっているーー

彼女にはそこに義務があった。(……)それはたんなる仕事ではなかった。そこには彼女の心がこもっていた。しかも奥深く。それが彼女が本当に願っていたことだった。(……)看護婦ラングトリーはふたたび歩きはじめた。颯爽と、恐れることなく、彼女はついに自分自身を理解した。そして、義務こそ、最も淫らな強迫観念であり、愛の別名であることを理解した。

このように、ここにあるのは真に弁証法的・ヘーゲル的反転である。義務そのものを「愛の別名にすぎない」と感じたとき、愛と義務の対立が「止揚される」。このどんでん返しーー「否定の否定」――によって、最初は愛の否定であった義務が、世俗的な対象に対する他のすべての「病的な」愛を廃棄する至高の愛と合致し、ラカンの用語を使えば、他のすべての「ふつうの」愛の〈クッションの綴じ目 point de caption〉として機能する。義務そのものが根源的に猥褻なのだということを経験した瞬間、義務と愛との拮抗、すなわち義務の純粋性と恋愛感情の病的な猥褻性あるいは淫乱性との拮抗は解消する。

小説の最初のほうでは、義務は純粋で普遍的であり、恋愛感情は病的で、個別的で、淫らである。ところが最後のほうになると、義務こそが「最も淫らな強迫観念」であることが明らかになる。ラカンのテーゼ、すなわち、〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない、〈物自体 das Ding〉、つまり残虐で猥褻な〈物自体〉による「淫らな強迫観念」の仮面にすぎない、というテーゼは、そのように理解しなければならないのである。〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である。〈悪〉は特定の「病的な」位置をもたないのである。〈物自体 das Ding〉、が淫らな形でわれわれに取り巻き、事物の通常の進行を乱す外傷的な異物として機能しているおかげで、われわれは自身を統一し、特定の現世的対象への「病的な」愛着から逃れることができるのである。「善」は、この邪悪な〈物自体〉に対して一定の距離を保つための唯一の方法であり、その距離のおかげでわれわれは〈物自体〉に耐えられるのである。(ジジェク『斜めから見る』P299-300)

《いや、きみ(ダーシャ)の望みが何か、ついぞ察しがつかなかったよ。きみがぼく(スタヴローギン)に関心をもつのは、ちょうど年とった看護婦が、なぜかある一人の患者に、ほかの患者よりもよけいに関心をもつことがあるだろう、いや、もっとうまく言えば、あちこちの葬式に立ち会ってきた巡礼の婆さんが、遺体はいろいろあるのに、どれか一つの遺体を妙に好くような、そんなものだと思っていたよ。なぜそんな目でぼくを見るんだい?》(『悪霊』 上 P461)



 …………

※附記

【小林秀雄『ドストエフスキーの生活』】



《ある人は他のある人に対する特定の人間関係において、善人となり、また悪人となる。》(森有正『ドストエフスキー覚書』)

「この潔癖な哲学者(ストラアホフ)は、ドストエフスキイの性格の「奇妙な分裂」には、余程手を焼いたらしい。彼はトルストイに宛てて次の様に書いている。

「拙著『ドストエフスキイ伝』、お受け取り下さったと思います。お暇の折、御一読、御意見をお洩しくだされば幸甚に存じますが、これについて一言私から申し上げて置きたい事があります。私はこの伝記を執筆しながら、胸中に湧き上がる嫌悪の情と戦いました、どうかしてこの嫌な感情に打ち勝ちたいと努めました。(中略)ドストエフスキイは、意地の悪い、嫉妬深い、癖の悪い男でした。苛立たしい興奮のうちに一生を過ごしてしまったと思えば、滑稽でもあり憐れでもあるが、あの意地の悪さと利口さを思えば、その気にもなれません。(中略)スイスにいた時、私は、彼が、下男を虐待する様を、眼のあたりに見ましたが、下男は堪えかねて、『私だって人間だ』と大声を出しました。(中略)これと似た様な場面は、絶えず繰返されました。それというのも、彼には、自分の意地の悪さを抑えつける力がなかったからです。・・・・ある日、ヴィスコヴァトフが来て話した事ですが、或る女の家庭教師の手引きで、或る少女に浴室で暴行を加えた話を、彼に自慢そうに語ったそうです。動物の様な肉欲を持ちながら、女の美に関して、彼が何も趣味も感情も持っていなかった事に注意願いたい。・・・・長い間付き合っているうちには、一切を許してしまえる様な人柄を、相手に見つけ出す事も出来るのです。心からの善意の動きとか、悔悟の一瞬とかいうものは、凡てを水に流すものです。フョオドル・ミハエイロヴィッチについて、そういう或る思い出でもあったら、私は彼を許したでしょうし、彼に対して私は愉快な男にもなれたでしょう。頭で作り上げた愛、文章の上の愛しか持たぬ人間を、偉人だと人に信じさせる事は、一体何という嫌なことでしょうか。」(1883年12月)

 これを書いた人間は、この小説家の臨終を看取るまで、二十年間のドストエフスキーの友であった事を思う時、誰の心のうちにも、冷たい風が通るであろう。ここにあるのは、凡庸な一思想家と天才との間にある埋める事の出来ない単なる隔りか。ストラアホフの眺めたものは、ドストエフスキーの或る反面だろうか。例えば、トルストイに、良人の性格を質問された時に、ドストエフスキーの妻が答えた様に、「良人は人間の理想というものの体現者でした。凡そ人間の飾りとなる様な、精神上、思想上の美質を、彼は最高度に備えていました。個人としても、気の好い、寛大な、慈悲深い、正しい、無欲な、細かい思いやりを持った人でした」(1885年)という言葉も嘘ではないのだろうか。人は好んで或る人の反面という言葉を使いたがる。妙な言葉だ。ドストエフスキーも親友と妻とに、巧く反面づつ見せたものである。ヴィスコヴァトフが、ストラアホフに語った話は、この事件をドストエフスキー自身、ツルゲネフの許で懺悔したという同形の逸話が伝えられているほど有名なもので、事の真偽を調べ上げようと、いろいろ努めている評家もあるが、無論わからない。わかったところで何になろう。単なる事実が逸話より真実だとは限らない。・・・・・・それにしても、この文学創造の魔神に憑かれたこの作家にとって、実生活の上での自分の性格の真相なぞというものが、一体何を意味したろう。彼の伝記を読むものは、その生活の余りの乱脈に眼を見張るのではあるが、乱脈を平然と生きて、何等これを統制しようとも試みなかった様に見えるのも、恐らく文学創造の上での秩序が信じられたが為である。若し彼が秩序だった欠点のない実生活者であったなら、彼の文学は、あれほど力強いものとはならなかったろう。芸術の創造には、悪魔の協力を必要とするとは、恐らく彼には自明の理であった。若しそうなら、ストラアホフは自分の仕事を嫌悪すべき仕事と言っているが、ドストエフスキイは、遥かに嫌悪すべき仕事を仕遂げて死んだとも言えよう。」(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』「6恋愛」)

この小林秀雄の文章は、驚くほど多くのことを語ってしまっている。もちろんここにフロイトの言葉、ドストエフスキーは《小さな事柄においては外にたいするサディストであったが、大きな事柄においては、内にたいするサディスト、すなわちマゾヒストであり、もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間だったのである》の巧みな翻訳を読むこともできよう。あるいはニーチェの言葉の翻訳を。

わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

小林秀雄は『ドストエフスキイの生活」を書くために十年近くかかっている。わたくしの如き何年かぶりの再読をしただけの散漫な読者が数日後になにやら書けば、感想文のようなことしかいえないのに決っている。スタヴローギンの一貫した性格を『悪霊』から読みとるのは「文学とは無縁の資質」としたが、わたくしもダーシャの一貫した性格を読みとろうとする同じはしたない真似をしているのは十分に自覚している。


…………

断片的に引用したスタヴローギンの決闘のあとのダーシャとの会話をもう少し長く付記しておく。


「ぼくは前からきみと会うのをやめようと思っていてね、ダーシャ……ここのところ……当分は。きみから手紙をもらったけれど、ゆうべはきみに来てもらえなかった。ぼくのほうからも手紙をしたかったんあが、手紙は苦手なのでね」彼はいまいましげに、というよりむしろいまわしげにこうつけ加えた。

「わたしも、お会いするのはやめなければと思っていました。ワルワーラさまが、わたくしたちの仲をひどく疑っていらっしゃいます」

「なあに、疑るのは勝手さ」

「ご心配をかけるのはいけません。では、今度は最後のときまでですのね?」

「まだその最後のときを当てにしなくちゃいられないのかい?」

「ええ、わたしは信じているのです」

「この世の中には終りのあるものなんてないさ」

「これには終りがあります。その最後のときに声をかえてくだされば、わたし、参ります。いまはお別れです」

(……)

「あなたはもう一人の……気の違った方を破滅させはなさらないでしょうね?」

「気違い娘は破滅させないさ、あれも、もう一人もね。しかし正気な娘は、破滅させるかもしれない。ぼくはね、ダーシャ、おそろしく卑劣で醜悪だから、ひょっとしたら、きみが言うように、『最後のおしまいのときに』、ほんとにきみを呼ぶかもしれない。そしてきみも、そんなに賢いくせに、やってくるだろうね。どうしてきみは自分で自分を滅ぼすんだい?」

「最後にはわたし一人があなたのおそばに残ることになるのがわかっていますから……それを待っているんです」

「でも、もし結局ぼくがきみを呼ばないで、きみから逃げてしまったら?」

「そんなことはありません、呼んでくださいます」

「ずいぶんぼくを軽蔑した言い方だな」

「軽蔑だけでないことをご存じのくせに」

「してみると、軽蔑もやはりあるわけか?」

「わたしはそんなつもりでは言いませんでした。神さまがご存じです。あなたがけっしてわたしなど必要に感じられないよう、心から願っています」

「言葉には言葉のお返しをしなくちゃな。ぼくも、きみを破滅させることのないように願っているよ」

「あなたがわたしを破滅させるなんて、どうしたってできるはずはありません、それはあなたご自身がだれよりもよくご存じのはずです」ダーリヤは早口に、きっぱりと言った。「もしあなたのところへ参れなければ、わたしは看護婦に、付添い看護婦になって、病人の世話をするか、本売りになって、福音書を売って歩くかします。わたしはそう決めたんです。わたしはだれの妻になることもできませんし、こういう家に住むこともできません。わたしの望みはちがうんです……あなたは何もかもご存じのくせに……」

「いや、きみの望みが何か、ついぞ察しがつかなかったよ。きみがぼくに関心をもつのは、ちょうど年とった看護婦が、なぜかある一人の患者に、ほかの患者よりもよけいに関心をもつことがあるだろう、いや、もっとうまく言えば、あちこちの葬式に立ち会ってきた巡礼の婆さんが、遺体はいろいろあるのに、どれか一つの遺体を妙に好くような、そんなものだと思っていたよ。なぜそんな目でぼくを見るんだい?」

「ひどくお加減が悪いんですのね?」なぜかまじまじと彼の顔をのぞきこみながら、同情をこめて彼女はたずねた。「ああ! それだのにこの人は、わたしがいなくてもいいだなんて!」

「いいかい、ダーシャ、ぼくはこのごろよく幻覚をも見るんだよ。きのうも小さな悪魔めが、橋の上で、レビャートキンとマリヤを殺して、正式の結婚になんぞけりをつけてしまえ、後ぐされのないようにしろ、とぼくに勧めるのさ。その手つけとして銀三ルーブリ請求されたがね、この荒療治はすくなくとも千五百にはつくと、あからさまに匂わしたよ。えらく勘定高い悪魔でね! 帳簿係さ! は、は!」

「でも、それが幻覚だったと、はっきり信じていらっしゃいますの?」

「いやいや、幻覚でもなんでもありゃしない! そいつは懲役人フェージカなのさ、徒刑から逃げだした強盗だよ。しかし、そんなことが問題なのじゃない。そこでぼくがどうしたと思うね? ぼくは紙入れにあっただけの金をやつにくれてやったのさ、だからやつは、ぼくから手つけをもらったものと思いこんでいるだろうさ!……」

「あなたは夜中にその男とお会いになって、そんなことを勧められたんですね? あなたにはおわかりにならないんですか、あの人たちの張った網にあなたがすっかり取りこまれているのが?」

「なに、好きなようなさせておくさ。ところで、きみの舌の先は何かぼくに聞きたいことがあって、むずむずしているようじゃないか、目を見ればわかるよ」いらだたしげな毒々しい笑いを浮かべて、彼はこうつけ加えた。

ダーシャはぎくりとなった。

「聞きたいことなんてありません、疑問に思うこともなんにもありません、それより黙っていてください!」彼女は、その聞きたいことを払いのけようとでもするように、不安げな声で叫んだ。

「というと、ぼくがフェージカに会いに居酒屋へなんぞ行かないと信じているんだね?」

「ああ、なんてことを!」彼女は両手を拍ち鳴らした。「なんでわたしをそんなにお苦しめになるんです?」

「いや、たちの悪い冗談を言って悪かった、きっと、あの連中から悪い癖がうつったんだね。実は、ゆうべからやたらと笑いたくてね、休みなしで長いこと大笑いをしてみたいんだ。まるで笑いを体に仕掛けられたみたいさ……ちょっ! おふくろが帰ってきたな、おふくろの馬車が玄関に止ると、音だけでもうわかるんだ」

ダーシャは彼の手をつかんだ。

「神さまがあなたを悪魔からお救いくださいますように、そして呼んでください、すこしも早くわたしを呼んでください!」

「ふん、ぼくの悪魔がなんだ! ほんのちっぽけな、きたならしい、瘰癧やみの小悪魔で、おまけに鼻風邪までひいたできそこないさ。だけど、ダーシャ、きみはまた何か言いだしかねているね?」

彼女は苦痛と非難をこめて彼を見つめ、戸口のほうを向いた。

「待てよ!」毒々しい笑いに顔をゆがめて、そのうしろから彼が叫んだ。「もしも……いや、要するにもしもさ……わかるだろう、つまり、もしもぼくが居酒屋へ出かけて、そのあとできみを呼んだとしたら、きみは居酒屋のそのあとでも来てくれるかい?」

彼女は振返りもせず、答えようともせず、顔を両手で覆って出ていった。

「居酒屋のあとでも来るな!」ちょっと思案してこうつぶやいた彼の顔に、いとわしげな軽蔑の表情が浮んだ。「付添い看護婦か! ふむ!……もっとも、おれに必要なのはそれなのかもしれん」(『悪霊』上 P458-463)