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2014年8月6日水曜日

キッチュの華

古義人は小林秀雄訳『別れ』をまだ松山に転校して行く前、愛読していたのだ。(……)吾良がそこに書き写してある前半の結びの、
《だが、友の手などあらう筈はない、救ひを何処に求めよう。》
という詩句にこだわるとしたら、と考えもしたのだった。

(……)
――あの翻訳は、自分勝手な感情移入をしているようではあるが、やはりいいねえ!
――そうだね、と古義人は声に喜びが滲み出るのを押さえず答えたのだ。

二年前、この詩を書き写しながら、古義人は、その最初の行が、俺達はきよらかな光の発見に志ざす身ではないのか、という、その俺達と呼びかける友達がいない、と感じたものなのだ。

いま、ここに俺達の片割れがいて、同じ詩に感動している、と古義人は思った。もっとも当の詩は、さきのような前半の結びに到るものだったけれども。

大江健三郎の『取り替え子 チェンジリング』からだが、古義人は大江自身、吾良は伊丹十三がモデルである。


いまここにあるのは小林秀雄訳じゃなくて、この間、きみの推選されたちくま文庫版だがな、あらためてそれで『別れ』を読んでみると、おれのいったことは、その後のおれたちの生涯によって実証されている。まったくね、痛ましいほどのものだよ。

あの書きだしのフレーズを、きみが好きだったことは知っているよ。おれも同じことを口に出した。しかしあの時すでに、おれはあまり立派な未来像を思い描いていたのじゃなかった。そしてそれも、ランボオの書いていることに導かれて、というわけなんだから、思えば可憐じゃないか? それはこういうふうだったのさ。

<秋だ。澱んだ霧のなかで育まれてきた私たちの小舟は、悲惨の港へ、炎と泥によごれた空はひろがる巨大な都会へと、舳先を向ける。>というんだね。

それに続けて、都会での<また、こんな自分の姿も思い浮かぶ。>というだろう? <泥とペストに皮膚を蝕まれ、頭髪と腋の下には蛆虫がたかり、心臓にはもっと肥った蛆虫がむらがっていて、年齢もわからなければ感情もないひとびとの間に、長ながと横たわっている…… 私はそこで死んでしまったのかも知れないのだ……>

これはじつに正確かつ具体的な、未来の予想だと、おれは保証するよ。きみのことは知らないが、とまあここではそういっておこう! おれ自身の近未来像を思えば、まったくドンピシャリだ。(……)

のみならず、次のフレーズにいたるとね、おれはやはり自分の作った映画のことを思うんだだよ。<私はあらゆる祝祭と、あらゆる勝利と、あらゆる劇とを創造した。新しい花、新しい星、新しい肉体、新しい言語を、編み出そうと試みた。超自然の力を手に入れたとも信じた。>
 
古義人のことをね、定まり文句で嘲弄するやつがいるね。サブカルチュアに対して差別的な、時代遅れの純文学、純粋芸術指向のバカだとさ。しかし、おれはそうは思わないんだ。きみの書いているものをふくんで、あらゆる文学が、むしろあらゆる芸術が、根本のところでキッチュだ、と長らく小説を書いてきたきみが承知していないはずはないからね。そうしてみれば、おれの作った、お客の入りのすこぶるいい映画をね、おれ自身、もとよりキッチュな光暈をまといつかせてやってきた。おれはあらゆる祝祭と、あらゆる勝利と、あらゆる劇とを創造した、とホラを吹いたとして、きみは笑わないのじゃないか?
(……)さて、それからランボオはこういうんだ。<仕様がない! 私は自分の想像力と思い出とを、葬らねばならない! 芸術家の、そしてまた物語作者のすばらしい栄光が、持ち去られるのだ。>
<とにもかくにも、嘘を糧にしてわが身を養って来たことには、許しを乞おう。そして出発だ。>
いま、このくだりがおれにはじつに身にしみるよ。古義人、きみもそうじゃないか? おれたちのような職業の人間にしてみれば……キッチュの新しい花、キッチュの新しい星を切り売りしてきた人間にしてみればさ、年の残りも少なくなって、こういう覚悟に到るほかはないじゃないか!篁さんはどうだったろう? 

きみはそうしたことを、あの人が癌で入った病室で聞いてみなかったか? 篁さんの音楽こそは純粋芸術で、キッチュなどとは無縁だなどというのじゃあるまいね? 篁さんに最後の愛想をつかされることがあったとしたら、古義人がついにセンチメンタルになって、そう言い張ろうとする時だったぜ!

十六歳の古義人に会った時から、おれはきみに嘘をいうな、といってきた。人を楽しませるため、人を慰めるためにしても嘘をいうな、と言い続けてきた。ついこの前もそういったところじゃないか? しかし、夫子自身が嘘を糧にしてわが身を養って来たことは、それはその通りだった。ふたりともどもにさ、なにものかに許しを乞うことにしようじゃないか、そして出発だ。

伊丹十三の妹は、大江健三郎の妻であることは、あらためて言うまでもないが、やはり言っておこう。




――あなたがまだ若くて、おもに翻訳を読んでいた頃、早口で発音不明瞭というところもあったけれど、話の内容は本当に面白かったのね。輝くような、風変わりなほど新しい表現があって……

それが永いメキシコシティー滞在の後、翻訳じゃなく外国語で本を読むようになってから、あなたの使う言葉の感じが変わったと思う。新しい深さが言葉に反映している、とは思うことがあるのよ。けれども、なにか突拍子もないおかしさ、面白さの言葉には出会わなくなった。小説に使われている言葉もそうじゃないかしら? 成熟ということかも知れないけれど、以前のようにキラキラした言葉はなくなった。そう考えているうちに、私はあなたの小説を読まなくなってしまったのね。それで、この十五年ほどの小説のことはなにもいえないけれど、そうした変化と、翻訳より原語で読む方が多くなったということと、関係があるかも知れないと思って……原書を読む人こそ、日本語にない面白さを持ち込む、と考えるのが普通かも知れないけれど……

――それは本当にそうかも知れないね。僕の本の売れ行きが下降線を示しはじめたのは、四十代後半からだからね。あまり翻訳を読まなくなった時期と一致するよ。きみのいうとおり、キラキラする面白さが薄れたのかも知れない。翻訳されたものを読む面白さには、原語から読みとるのとは別の、いうならば露骨なものがあるんだよ。あれをこう訳すか、これだけやっていいものか、と驚きながら、自分にはこの日本語は生み出せない、と感服することがよくあるものね。とくに若い有能な翻訳者には、異能といっていいほどの力を示す人がいるよ。(……)

――フランス語の新しい作品を翻訳する、若い人の文章には、突飛な面白さがあるねえ、といった。

――まあ、そうだね、アメリカ西海岸の大学の、直接フーコーの影響下にいる連中などは別として、英語の文章はそれ自体地道だものね。とくにイギリスの学者が書くものは…… 僕の文章がキラキラしなくなったというのは、ブレイクからダンテ研究まで、おもにケンブリッジ大学出版局のモノグラフを読んできたことと関係があるかも知れない……P64-65


ーーというわけで、キッチュをキニスンナよ、そこのきみ! 

きみのは《純粋芸術で、キッチュなどとは無縁だなどというのじゃあるまいね? 
篁さんに最後の愛想をつかされることがあったとしたら、
古義人がついにセンチメンタルになって、
そう言い張ろうとする時だったぜ!》

というわけで、きみがセンチメンタルになったとき、オレは貶すだけさ
篁さんだって、キッチュに決ってんだ。





ただキッチュどんぴしゃなのに
自分は「芸術的」だと思ってる手合いがいるんだよな

女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」)

最近は女性だけじゃないからな
それだけはやめとけ!



《キッチュな人間のキッチュな欲求。それは、あばたをえくぼと化する虚偽の鏡の覗きこみ、そこに映る自分の姿を見てうっとりと満足感にひたりたいという欲求である。》(クンデラ「七十三語」)

キッチュという言葉は、どんなことをしてでも、大多数の人びとに気に入ってもらいたいと望む者の態度をあらわしています。気に入ってもらうためには、あらゆる人びとが理解したいと望んでいることを確認し、紋切り型の考えに仕えなければなりません。キッチュとは、紋切り型の考えの愚かしさを美しさと情緒の言葉に翻訳することなのです。キッチュは、私たち自身にたいする感動の涙を、私たちが考えたり感じたりする平凡なことにたいする 涙を私たちに流させます。

どうしても気に入られ、そうすることによって大多数の人びとの関心を得なければならないという必要を考えてみれば、マス・メディアの美学はキッチュの美学にならざるをえません。マス・メディアが私たちの生活のすべてを包囲し、そこに浸透するにつれて、キッチュは私たちの美学にそして私たちの日常の道徳になっていきます。最近まで、モダニズムは紋切り型の考えとキッチュにたいする非順応的抵抗を意味していました。今日では、モダニティはマス・メディアの途方もない活力と一体になっていますし、モダンであるということは、時代に乗り遅れないようにするためのすさまじい努力、このうえなく型どおりであるよりもさらに型どおりであろうとするためのすさまじい努力を意味しています。モダニティはキッチュというドレスを身にまとったのです。(クンデラ「エルサレム講演」『小説の精神』所収)
キッチュが呼びおこす感情は、もちろんそれを非常に多数の人が分け合えるようなものでなければならない。従ってキッチュは滅多になり状況に基づいてはならず、人びとが記憶に刻み込んだ基本的な姿に基づいていなければならない。恩知らずの娘、問題にされない父親、芝生を駆けていく子供、裏切られた祖国、初恋への思い出。

キッチュなものは続けざまに二つの感涙を呼びおこす。第一の涙はいう。芝生を駆けていく子供は何と美しいんだ! 

第二の涙はいう。芝生を駆けていく子供に全人類を感激を共有できるんは何と素晴らしいんだろう!

この第二の涙こそ、キッチュをキッチュたらしめるものである。

世界のすべての人びとの兄弟愛はただキッチュなものの上にのみ形成できるのである。

世の中に政治家よりこのことをよく理解している人はいない。政治家は身近にカメラがあると、すぐ一番近くの子供に駆け寄り、その子を高く持ち上げて、頬にキスする。キッチュなものはあらゆる政治家、あらゆる政党や運動の美的な理想なのである。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』P290-291)

ところで、きみ!
《言葉が他者の凝視に対峙したとき、そのときエクリチュールは真の産声をあげ》
などと書くのは、かなりヤバイぜ
上に挙げた偏屈ものの小説家や批評家たちだったら
鼻を抓むぜ!
とくに《エクリチュールは真の産声をあげ》というのは
いままでどれだけ繰り返されてきた台詞だろうか?
《昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、
ふと口から漏れてしまったような印象》(蓮實重彦)
「既成の言葉の中から自動的に選ばれる」ような
三文小説家をめざすならまだしも

→ 大江健三郎と三島由紀夫の文体をめぐるメモ


すこしまえ、デモーニッシュの嘲笑という表題で書いたんだが、
投稿を思い留まったんだよ
だがここに附録のようにしてつけ加えておくことにする
やっぱりこれだけはやめといたほうがいいんじゃないかい?

…………

「デーモニッシュなシューベルト...

どうしてこんなにも惹かれるのかしら」

などとどこかのオジョウサンが呟いておられる
のを垣間眺めて寒いぼが立ってしまう
これはどういうわけだろうか?
とは捏造された疑問符であり
オレが偏屈もののせいにきまっている

そうはいってもなぜなのか
そもそもシューベルトといえば
デモーニッシュというに相場が決っている
手垢にまみれた形容詞デモーニッシュ
デーモニッシュなシューベルトなんて
「銭湯の壁画みたい」(丹生谷貴志)

《安堵と納得の風土の中に凡庸さが繁殖する。
そこに語られる言葉が紋切型というやつだ》(蓮實重彦)

金井美恵子あたりなら、その毒舌の真っ先の矛先
いや矛先どころか絶句してただちに背を向けるだろう

《おしなべて他者への媚びと「つるつる生きる」ことの鈍重な自足
に改めて愕然とさせられる》

ああ恥ずかしい! でも安心しろ
ダイジョウブだ、もはや金井美恵子の
凶暴な繊細さと大胆さは通用しない時代だ

あたしなんかよりニブイひとたちが書いているという
安心感を無責任に享受しうる媒体の猖獗
《「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛》(蓮實重彦)
の時代なんだから
「はしたなさは進歩する!」
とはフローベールは言っていない
「愚かさは進歩する!」だけだ
だが似たようなもんだぜ、
フローベールの愚かさは凡庸なんだから

凡庸な資質しか所有していないものが、その凡庸さにもかかわらず、なお自分が他の凡庸さから識別されうるものと信じてしまう薄められた独創性の錯覚こそが、今日における文学の基盤ともいうべきものだからである。文学と文学ならざるものとは異質のいとなみだという正当な理由もない確信、しかもその文学的な環境にあって、自分は他人とは同じように読まず、かつまた同じように書きもしないとする確信、この二重の確信が希薄に共有された領域が存在しなければ、文学は自分を支えることなどできないはずだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

まともな感性があれば決して書きえない言葉
ーーなどとはオレはケッシテイワナイ
そらこの通り、お馬鹿さんトリオの媒体のひとつに書き綴っている
オレにもまともな感性はないさ

はしたない感性しか所有していないものが
そのはしたなさにもかかわらず
なお自分がそのはしたなさから識別されうるものと信じてしまう
薄められた上品さの錯覚ってヤツだぜオレのはな
それに手垢にまみれた形容詞でも活きることはあるのだから

《形容語句に生き生きとした魅力を与えるのは、
しばしばそれが置かれている位置であり、
隣接する言葉がそれに投げかける反映なのである》(ナボコフ)

ああでもそれにもまして
「どうしてこんなにも惹かれるのかしら」だって?
これだけはやめとけ!
なんというホモセンチメンタリスぶり!

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。 (クンデラ『不滅』)

感傷にひたる俗物を批判するのが文学のつとめだ
というのはナボコフだ
《俗物は文学や芸術のことは何一つ知らないし、
知ろうともしないが
──俗物は本質的に反芸術的である──
情報は求めているし、
雑誌を読む習慣は身につけている》(ナボコフ)

それにまだあるんだな
「デーモニッシュなシューベルト...」の三点リーダー
《わたくしが耐えがたかったのは、
このような点を平気で書くことや、
それが印刷されたものを眺めて
恥ずかしさを感じない連中が
少なからずいたことでした。
そんなややつは馬鹿だ、と》(蓮實重彦)
――《あれが許されるのは歌謡曲の世界でしょう。
あとは丹生谷貴志さんくらい》

ゴメンアソバセ!
偏屈者の書き手の文ばかりあげてしまった
でも「はしたなさ」の権化のような囀りだぜ
いやオレだって「…」の曖昧な情緒に溺れて
いい気持ちになることあるさ
他人の囀りのはしたなさを俎上に上げるなんて
厚顔無恥だわ…
もう、いけずやわあ。うちそんなん、よう言わん
粗暴とさえいえる

《おわかりだろうが、わたしは、
粗暴ということをあまり見下げてもらいたくないと思っている。
粗暴は、きわだって”人間的な”抗議形式であり、
現代的な柔弱が支配するなかにあって、
われわれの第一級の徳目の一つである。
--われわれが豊かさを十分にそなえているなら、
不穏当な行動をするのは一つの幸福でさえある》(ニーチェ)

デモーニッシュとは由緒正しい言葉だ
ゲーテの著作に頻出する
「デーモンのdämonisch嘲笑」(『詩と真実』)
いまやってるのはデモーニッシュな嘲笑さ

ソクラテスのダイモーン起源でもあるらしいな
アドルノやトーマス・マンにも頻出するさ
ニーチェのディオニソスと並べてね
だが《ディオニソス的なニーチェとは異なる
プラトン的なニーチェというものを想定せねばならない》(ドゥルーズ)

「どうしてこんなにも惹かれるのかしら」
などという自己耽溺の破廉恥な囀りを
破廉恥とさえ感じない連中があまた
棲息するのがインターネットというものだ
《それを崩れと観るという感受性それ自体が、
こんなに萎えてしまっているのではねえ》(松浦寿輝)

《女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、
という考えに熱中するあまり、
すっかり自分が高まっちゃった、
と思い込むことであります》(三島由紀夫)

エスにたいする自我の弱さ、われわれのうちにあるデモーニッシュなものにたいする合理性の弱さについて、無数の声がこれを強調し、この言葉を、精神分析学の「世界観」の支柱とみなそうとしている。だが、分析家がこれほど極端な党派にかたよらぬようにするものこそ、抑圧の効能についての知恵ではなかろうか。(フロイト『制止、症状、不安』)

さてなんの話だったか
ああ「デーモニッシュなシューベルト...

どうしてこんなにも惹かれるのかしら」
おそらく物を書くとは、こう内面でひそかに呟いて
それを表に出さずに、「翻訳」することなのだ
《書くことは語らないこと》(デュラス)

「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、 “できごと” として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。

決定的な翻訳にたどりつくことなく、「厚顔無恥」に陥ることも避けながら、とりあえずの翻訳にとどまるしかない「批評」は、あるとき、その宿命として、「表象の奈落」を目にする。そこには、もはや、他者の言説など存在せず、覚醒すべき記号さえ見あたらない。その視界ゼロの世界で、とりあえずのものでしかないにせよ、主体にこの不断の翻訳をうながすものは何か、どんな力に導かれて「批評」は記号の覚醒を目ざしたりするのか、それが物として生みだされるのではなく、事件として起こることを許すものは何か、等々、いくつもの声として響かぬ疑問を前にして、人は言葉を失う。「批評」が「批評」を超えた何かに触れることで陥る失語に言葉を与えるものは、もはや「批評」ではない。だかれといって、それが「哲学」かといえば、それは大いに疑わしい。(蓮實重彦『表象の奈落』「あとがき」より)

わかってるさ
これももはや通用しないのは。
今の日本ではもうイロニーさえない。
《たんに夜郎自大の肯定があるだけです。
はっきりいって、現在の日本には何も無い。
そして回復の余地も無い》(柄谷行人)
ーーなどと言う旧世代の死にかけたオッサンたちは
ほうておけばよろしい
厚顔無恥の夜郎自大の彼岸にある
来るべき「批評」!
美しき羞恥心の魂の果物

これは、志賀直哉の小説で読んだと覚えているが、父親が病気の子供をかかえて、夜の闇の中を医者のもとに走るーーあるいは、子供をおいて医者を呼びに走るーーその時、彼は、シューベルトの歌《エリケーニヒ(魔王)》を思い出し、何といやな歌だろう、こんな歌を書いたシューベルトとは何といやな男だろうと呪う。志賀直哉という人も、少なくともここでは、自分の感情をむき出しにぶつけて書いているという印象を与えずにはおかないけれども、しかし、その中には真実な直観がある。シューベルトという男は、疑いもなく、人間の心の奥底にある何かにじかにぶつかり、そこに眠っている深い恐怖をひきずり出してくることのできた芸術家である。

《エルケーニヒ》には、馬のはしるところの描写だとかいう三連符のリズムの持続音型があるわけだが、それはそう思ってきけばというだけの話だけであり、まして《死と乙女》には、そういうモチーフはまるでない。ここでの三連符が死神の象徴ということにはならない。しかし、彼はどんな標題楽作曲家もやれないような形で、音楽を通じて、特定の感情をきくひとからひきだす。そうしないではいられなかった男である。

だが、シューベルトにできたのは、こういう鬼気迫る、凄みだけではない。《ぼだい樹》の三連符――風にそよぐ大樹の葉ずれの音といわれている、あのモチーフ。それと組みあわされた旋律。あれは、きくものをどんな子守唄よりも、もっと深い、私たちの生命の根源にあるところまでつれていって、その眠りの中に誘い入れる魔力をもっている。トーマス・マンが《魔の山》の終りで、戦死した主人公の最後の意識の中で浮びあがらせるのが、この旋律であるのは、この音楽のもつ真実と完全に一致する。ここでは、死は解放であり、安息なわけだが、音楽が生まれてきたのは、その死からだといいたくなるほどである。



シューベルトには、音楽にしかない道を通って、こういう生死の根源的な源泉にじかにぶつかるという経験を、きき手に味わせずにはおかない能力がある。それは、きき手の深い陶酔の中で行われるのだが、その時、きき手は何も、いつも、志賀直哉の小説の主人公のように、闇夜の苦悩の中にいる必要はない。いや、正反対である。それは、あの《ます》の歌の澄んだ、平明な三連符の躍動の中にもあるのだし、《水車小屋》の若者といっしょに、小川の流れのモチーフを口笛で、何回もくりかえしていたってかまわない。

シューベルトの音楽には、日常生活の次元での意識にそって、そのまま動いていながら、同時に、もうひとつ下の層の意識を呼びさます力がある。その時、私たちは、音楽に魅せられて眠りに入るといってもよいし、逆に、日常の世界から、もうひとつの深い世界への意識に目ざめるといってもよい。どちらにせよ、同じことなのだ。それを、私は、シューベルトの音楽のデモーニッシュな性格と呼ぶ。(吉田秀和『私の好きな曲』)


音楽について書くのは実にむずかしい
吉田秀和や小林秀雄の文だって
鼻をつまみたくなるときがある

モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない.涙の裡に玩弄するには美しすぎる.空の青さや海の匂いにように、万葉の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモオツァルトの後にも先にもない。(小林秀雄「モオツァルト」)

「かなしさは疾走する」なんていま誰かが囀っていたら
やっぱりデモーニッシュな嘲笑の対象だ
当時「皺のない言葉」(ブルトン)であったにしろ
いまでは手垢まみれの陳腐化だからな
ーーというのは育った環境と時代、
そして教養によって異なるのだろうな

というわけでひとによるんだろ
シツレイしたな





2013年8月30日金曜日

無邪気に偽装された侮蔑

《注目されたわたしが落ちていく姿、それを誰もが見たいんだから……。自分は事故のとき痛切に感じたですね……。マスコミから一般の人たちの憶測に秘められた嬉しさ……、ちょっとゾッとしますね……》、《もしかしたら自分は自殺を図ったのかなあという感じはありますね》






《 いや、お弟子さんというか、元々要素はお持ちですから、私に代わってオウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃないでしょうかね》(麻原彰晃氏――ビートたけし氏との対談1991)

このとき冗談めかして、《いや、俺はね、5年後は、自殺するか、やめちゃうか、どっちかだと思っているんですよ》としている。

吾良の死以後の短い間に古義人がテレヴィ局や新聞社、また週刊誌の人間から受けとった印象は特殊なものだった。それは、かれらに自殺者への侮蔑の感情が共有されている、ということだ。

侮蔑の感情は、マスコミの世界で王のひとりに祭り上げられていた吾良が引っくり返り、もう金輪際、王に戻って反撃することはないという、かれらの確信から来ていた。

吾良の死体に向けて集中した侮蔑はあまりに大量だったので、ついにはみ出すようにして、マスコミのいう吾良の関係者にも及んだ。書評委員会の集まりなどでは親身にあつかってくれた女性記者から、取材申し込みが留守番電話に入っていたが、そこに浮びあがるのは、やはり権威が揺らいだにせの王への、無邪気に偽装された侮蔑だった。

(……)

……古義人は、吾良の死を映画の仕事の行き詰まりに帰している記事に納得しなかった。イタリアの映画祭で賞を得たコメディアン出身の監督が、受賞映画のプロモーションにアメリカへ出かけて、おおいに受けたという、
――吾良さんが屋上から下を見おろした時、私の受賞が背中をチョイと押したかも知れない、というコメントを読んだ時も、こういう品性の同業者かと思っただけだ。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』)

※吾良は伊丹十三がモデル、「コメディアン出身の監督」とはもちろん北野武のこと。北野武の「自殺願望かもしれない」とされるバイク事故は1994年、伊丹十三の投身自殺は1997年のこと。

一時期、吾良がフロイドやラカンの専門家たちと知り合って、脇で見ていて不思議なほど素直に影響を受けたことがあったでしょう? その経過のなかで、吾良はやはり子供じみて聞えるほど素直に、いかに自分が母親から自由になったか、を書きました。けれども私は、こんなに容易にお母様から離れられるはずはない、と思っていた。私は無知な人間ですけど、そして幼稚な疑いだともわかっていますけど、心理学が大のオトナにそんなに有効でしょうか? 吾良だってすでに、海千山千のインテリだったじゃないですか?

私は吾良がいつかは心理学に逆襲される、と思っていました。あのような死に方をしたことの原因のすべてを、心理学の逆襲だというつもりはないんです。しかし、吾良の心理状態のヤヤコシイもつれについてだったら、幾分かでも、あの心理学者たちに責任をとってもらいたいと考えることがあるわ。(大江健三郎『取り替え子』(67~68頁)


ここには、それが彼の妻のモデルである千樫の発話であるとはいえ、心理学、あるいは精神分析に常に一定の距離を置く大江健三郎がいるといえる。そして一般の人が「精神分析」に拒絶反応を起こすときの代表的態度のひとつともいえる。

……はじめ古義人は吾良を、父親の特質を受け継いだ息子とみなしていた。しかしそのうち、吾良にはむしろ母親からつたわっているものが多いことに気付いた。吾良自身、それを克服するという動機づけで、心理学に深入りすることにもなったのだ。その時分、かれがフロイドやラカンの学者と対談した記録の、悪くいえば速成の著書を読んでみても、古義人には吾良がたてまつっている心理学者たちに納得できず、若い編集者から、あたなは、吾良さんの新しい友人に嫉妬しているのじゃありませんか、といわれたりした。(同 123頁)

…………


閑話休題。



あきらかなことだが、われわれを連れ去ろうとする人たちは、はなばなしくもそうぞうしい外観の花火により、賞賛により、侮辱により、皮肉により、恥辱により、威嚇によって、われわれの注意をおびえさせ、疲れさせ、がっかりさせることからまずはじめる。(アラン『プロポ』)

《ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがておとずれた名声は、彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名のまわりに集まるすべての誤解の総体にすぎないのだから。》(リルケ『ロダン』)

すぐれた人と呼ぱれる人は自分を欺いた人である。その人に驚くためにはその人を見なければならない――そして、見られるためには姿を現わさなけれぱならない。かくしてその人は自分の名前に対する愚かな偏執にとりつかれていることをわたしに示すのだ。そのように、偉人などといわれる人はすぺて一つの過誤に身を染めた人である。世にそのカが認められるような精神はすぺて己れを人に知らせるという誤ちから出発する。公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』)


《……公衆の面前で悪しざまに罵倒することができる数少ない公的存在として、世間が○○を選んでしまったのである。実際、不死の人という特権を身にまとって以後の彼は、ますます説話論的な犠牲者としての相貌を明らかなものにしてゆき、いまや、反動的な非国民として、全会一致の敵意を全身でうけとめざるをえなくなっている。》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P771)

私は高校二年の時、「隠れた人生が最高の人生である」というデカルトの言葉にたいへん共感した。私を共鳴させたものは何であったろうか。私は権力欲や支配欲を、自分の精神を危険に導く誘惑者だとみなしていた。ある時、友人が私を「無欲な人か途方もない大欲の人だ」と評したことが記憶に残っている。私はひっそりした片隅の生活を求めながら、私の知識欲がそれを破壊するだろうという予感を持っていた。その予感には不吉なものがあった。私は自分の頭が私をひきずる力を感じながら、それに抵抗した。それにはかねての私の自己嫌悪が役立った。(中井久夫「編集から始めた私」『時のしずく』所収 )





…………

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手の気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。……(フロイト『夢判断』下 新潮文庫P219-221)


《……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。》(フロイト「あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)」)







※附記

われわれの友人は、各自に多くの欠点をもっているから、そんな友人を愛しつづけるにはーーその才能、その善意、そのやさしい気立てを考えてーーその欠点をあきらめるようにするか、またはむしろ、積極的にわれわれの善意を出しきってその欠点をのんでしまうようにつとめなくてはならない。不幸にも、友人の欠点を見まいとするわれわれの親切な根気は、相手が盲目のために、それとも相手が他人を盲目だと思いこんでいるために、あくまでその欠点をすてないので、その頑固さにうちまかされてしまう。相手は、なかなか自分の欠点に気がつかず、また自分では他人に欠点を気づかれないと思いこんでいるのだ。他人のきげんをそこなう危険は、何よりも物事がそのまま通ったか気づかれなかったかを見わけることの困難から生じるのだから、われわれは用心して、すくなくとも自己のことはけっして語らないがいいだろう、なぜなら、自己の問題では、他人の見解とわれわれ自身のそれとがけっして一致しないことは確実だといえるからだ。他人の生活の真相、つまり見かけの世界のうらにある真の実在の世界を発見するときのおどろきは、見かけはなんの変哲もない家を、その内部にはいってしらべてみると、財宝や、盗賊の使う鉄梃〔かなてこ〕や、屍体に満ちている、といったときのおどろきに劣らないとすれば、われわれが他人のさまざまにいった言葉からつくりあげたわれわれ自身の像にくらべて、他人がわれわれのいないところでわれわれについてしゃべっている言葉から、他人がわれわれについて、またわれわれの生活について、どんなにちがった像を心に抱いているかを知るときも、またわれわれのおどろきは大きい。そんなわけで、われわれが自分のことについて語るたびに、こちらは、あたりさわりのない控目な言葉をつかい、相手は表面はうやうやしく、いかにもごもっともという顔をしてきいてかえるのだが、やがてその控目な言葉が、ひどく腹立たしげな、またはひどく上調子な、いずれにしてもはなはだこちらには不都合な解釈を生んだということは、われわれの経験からでも確実だといってよい。一番危険率がすくない場合でも、自己についてわれわれがもっている観念とわれわれが口にする言葉とのあいだにあるもどかしい食違によって、相手をいらいらさせるのであって、そうした食違は、人が自分について語るその話を概してこっけいに感じさせるもので、音楽の愛好家を装う男が、自分の好きなアリアをうたおうとして、その節まわしのあやしさを、さかんな身ぶりと、一方的な感嘆のようすとで補いながら、しきりに試みるあのおぼつかないうたいぶりに似ているだろう。なお自己と自己の欠点とを語ろうとするわるい習慣に、それと一体をなすものとして、自分がもっているものとまったくよく似た欠点が他人にあるのを指摘するあのもう一つのわるい習慣をつけくわえなくてはならない。
ところで、自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人の中に向けるように思われる。近視の男は他人の近視のことをこういう、「だってあれはほとんど目があけられないくらいですよ。」胸部疾患の人間は、この上もなく頑丈な人間の健康な肺臓にも種々の疑念をもつし、不潔な男は、他人がお湯や水を浴びないことばかりを口にするし、悪臭を放つ人間は、誰でもいやな匂がすると言いはる、だまされた亭主は、いたるところにだまされた亭主たちを、浮気な女房はいたるところに浮気な女房たちを、スノッブはいたるところにスノッブたちを見出す。それからまた、各自の悪徳は、それぞれの職業とおなじように、専門の知識を要求し、それをひろくきわめさせる、各自はそんな知識を得々と人まえで弁じたてずにはいられない。倒錯者は倒錯者たちを嗅ぎだし、社交界に招かれたデザイナーは、まだこちらと話をまじえないのに、もうこちらの服地に目をつけ、その指は生地のよしあしをさわってみたくていらいらしているし、歯科医を訪ねて、しばらく話をまじえたのちに、こちらについて忌憚のない意見をきいてみると、彼はこちらの虫歯の数をいうだろう。彼にはこれよりも重大に見えることはないのだが、そういう彼自身の虫歯に気がついたこちらにとっては、これほどこっけいなことはない。そして、われわれが他人を盲目だと思うのは、われわれが自分のことを話しているときばかりではない。われわれはいつも他人が盲目であるかのようにふるまっている。われわれには、一人一人に、特別の神がついていて、その神が、われわれの欠点にかくれ蓑をかけてわれわれからかくし、他人には見えないという保証をしてくれているのであって、同様に、その神は、からだを洗わない人々にたいして、耳にためた垢の筋や、腋の下から発する汗の匂に、目をとじ鼻腔をふさがせ、誰もそれと気づかないであろう社交界へ、それぞれその垢の筋や汗の匂をもちこんでも平気だという確信をあたえるのだ。そしてイミテーションの真珠を身につけたり、贈物にしたりする人は、それがほんものに見られるだろうと想像するのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに 第二部』井上究一郎訳)

《性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。》(プルースト『見出された時』 井上訳)



…………

最後のバルバラの伴奏はミシェル・ベロフ。わたくしはドビュッシーのプレリュードを最初に若きベロフの録音で聴いた(当時は全集版はそれしか手に入らなかったのかもしれない)。

ベロフはアルヘリッチとの恋愛、才能への嫉妬などがあったらしい。






1983年 10歳年下のミシェル・ベロフと交際開始
1986年 ベロフと破局

ベロフが、華々しくデビューしたのはよいのですが、しばらくしてスランプに陥ったのかどうか、さっぱり名前を聞かなくなったなあ という時期がありました。
この本によると、これは、アルゲリッチの放つオーラを浴びて、エネルギーをすっかり奪い取られ、自信喪失に陥った挙げ句の深刻なスランプだったということです。(ついには、右手が動かなくなってしまった。その後、ベロフは、アルゲリッチのもとを離れ、右手も回復、再び演奏活動を再開することが出来るようになった。)(マルタ・アルゲリッチ~子供と魔法 

次の演奏は蜜月時代のものなのだろう。なんというビロードの肌触り。

September, 1985.
Locarno, Switzerland. live






2013年8月15日木曜日

母親の葬儀で涙を流さない人間

「下顎呼吸がはじまったな」と看護人が云った。
母は口をひらいたままーーというより、その下顎が喉にくっつきそうになりながらーー喉の全体でかろうじて呼吸をつづけている。「これがはじまると、もういかんですねえ」と、看護人は父をかえりみた。

父は無言でうなずいた。そして信太郎に、「Y村に電話するか」と云った。
すると信太郎は突然のように全身に疲労を感じた。と同時に、眼の前の二人に、あるイラ立たしさを覚えて云った。
「べつに、また死ぬときまったわけじゃないでしょう。それに電話したって、伯母さんは来れるかどうか、わからんですよ」
二人は顔を見合わせた。やがて父は断乎とした口調で云った。「Y村へは報せてやらにゃいかんよ。報せるだけでも……」

たしかに、自分の云ったことは馬鹿げたことだ、と信太郎はおもった。しかし確実にせまってきた母の死を前にして、儀礼的なことが真先にとり上げられるということが、なにか耐えがたい気持だった。

(……)

すべては一瞬の出来事のようだった。

医者が出て行くと、信太郎は壁に背をもたせ掛けた体の中から、或る重いものが抜け出して行くの感じ、背後の壁と“自分”との間にあった体重が消え失せたような気がした。そのまま体がふわりと浮き上がりそうで、しばらくは身動きできなかった。

看護人が母の口をしめ、まぶたを閉ざしてやっているのに気づいたのは、なおしばらくたってからのことのようだ。看護人の白い指の甲に黒い毛が生えているのがすこし不気味だったが、彼の手をはなれた母を眺めるうちに、ある感動がやってきた。さっきまで、あんなに変型していた彼女の顔に苦痛の色がまったくなく、眉のひらいた丸顔の、十年もむかしの顔にもどっているように想われる。……そのときだった、信太郎は、ひどく奇妙な物音が、さっきから部屋の中に聞こえているのに気づいた。肉感的な、それでいて不断きいたことのなお音だ。それが伯母の嗚咽の声だとわかったとき、彼は一層おどろいた。人が死んだときには泣くものだという習慣的な事例を憶い出すのに、思いがけなく手間どった。なぜだろう、常人も泣くということを彼は何となく忘れていた。その間も絶えず泣き声がきこえてきて、その声はまた何故ともなく彼を脅かし、セキ立てられているような気がした。ついに彼は泣かれるということが不愉快になってきた。それといっしょに、泣き声をたてている伯母のことまでが腹立たしくなった。あなたはなぜ、泣くのか、泣けばあなたは優しい心根の、あたたかい人間になることが出来るのか。(安岡章太郎『海辺の光景』)

ーーこの箇所を読むと、いつも思い出す、わたくしの母の通夜、義理の伯母が涙目で母に死に化粧をしようとした手を振り払ってしまったことを(まだわたくしは若かった、二十代の前半だった)。儀礼としての通夜や葬式に苛立っていたわけだ。あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりする連中に。





ーーと文脈とは異質の映像を挿入したが、異質ついでに、蓮實重彦の文をも挿入しておこう。

伊丹十三と蓮實重彦は、伊丹氏の手料理を食しながら、対談するほど仲が良かったらしい。伊丹氏にとって蓮實重彦はもっとも褒められたい批評家だった。それが、映画『お葬式』のあとは、絶縁状態となる。

『お葬式』はちっとも面白くない。

それで、試写室の出口に伊丹さんが来ていて「どうですか」って言うから、正直に「最低です」と言って別れました。たぶん、それが彼と言葉を交わした最後だと思う。その後も、彼の作品は全部見てますよ。けれど、ひとつとしていい場面の撮れない人だったと思う。キャメラが助けてないし、あんなにいいショットがない映画って珍しいと思います。

それから、どうも劇の構造が全部面白くない。

伊丹父子、万作と十三のふたりは、作品の質とは無縁に評価されている点で同じだと思います。伊丹万作って、今見られるものでは面白いものはひとつもない。

つい最近有名な、『国士無双』の断片を見たんですけど、全く駄目だった。なぜあんなに皆が面白いというのか理解できませんでした。まったく演出のできない、いいショットのひとつもない人だと思います。(蓮實重彦は『帰ってきた映画狂人』)

この評言の正否を問う力はわたくしにまったくはない(そもそも伊丹作品のなかでは『お葬式』にもっとも魅了された人間だった)。だが、「作品の質とは無縁に評価されている」ひとたちが、映画の世界だけでなく、われわれの周りには至るところにいるには違いない。たとえば、ヴァレリー・アファナシエフで次のように言う。

さして美しくも醜くもない一人の女性が―――リストの『ピアノソナタ ロ短調』のビデオクリップを製作する。(……)このカリスマ的女性ピアニストは、衣装を替えたり付けたりひげをつけたりパイプを吹かしたりして、ファウスト、メフィストフェレス、マルガレーテの三役を演じ分けてみせる。すると聴衆は言う。「何という個性、何という大胆さ、何という芸術家、何というピアニストなんだろう!」。ソナタの演奏がへたくそなことは言わずもがなだが、誰もそんなことは気にもしない。そもそも、ほとんど曲を聴いてはいないのだ。(『ピアニストのノート』)

小説や詩でも同じく。まずはわれわれの思い込みを揺るがしてくれる批評家の言葉は、ときに傾聴に値する。たとえば、ナボコフ。

ナボコフはチェーホフを高く評価し、彼が他のロシア作家に与えた評価としてはトルストイのAプラスに次ぐAをプーシキンとチェーホフに与えている。他の作家の評価は、ツルゲーネフがAマイナス、ゴーゴリがB、ドストエフスキイはCマイナス(かDプラス)で、「チェーホフよりもドストエフスキイが好きな者にはロシアの生活の本質は決して理解できないだろう」とウェレズリー大学の女子学生たちに話していた(Hannah Green, "Mister Nabokov," 37)。

いまの批評家でこのように語ることができる人がいるだろうか。守るべきなにものかがあれば、ひとは背中からでも撃たなければならない。これはどうですか?青山さんはいつか瀕死の奴を背中から撃てます?映画の中でも、なんでも。》「ゴダールとイーストウッドは背中から撃つ!」)

ーーたとえば若き中井久夫の痛烈な医学界批判だけでなく、己の破門をめぐる後年までの中井久夫の非妥協性を見よ(中井久夫と破門)。

なにも守るものがない人間は、曖昧模糊とした春のような気質の「日本人」をやって、折ある毎に互いに湿った瞳を交し合い、慰め合い頷き合い、あるいは「絆」「寄り添う」などといって誤魔化し合い、さらには「涙を流す」ふりをしていればよろしい(京城の深く青く凛として透明な空)。

もっとも世間にはマラルメ的な礼節を取っている人もあるのだろう、つまり、礼儀を重んじ、忍耐強く、また真に驚歎すべき優しさを以て彼らを迎えたということの根柢にある非情さ、多数の存在を容赦なく処分し、抹殺し去る態度(ヴァレリー)。

そういう私によくわかったのは、かつて耳にした気がする彼女のマーテルリンクにたいする嘲笑のことで(もっとも、いまは彼女はマーテルリンクを讃美しているが、それは文学の流行に敏感な女性の精神的弱点によるもので、文学の流行の光というのは、おそくなってから射してくるのである)、そのことが私によくわかったのは、つぎのことが私にわかったのと軌を一にしていた、すなわり、メリメがボードレールを嘲笑し、スタンダールがバルザックを、ポール=ルイ・クーリエがヴィクトル・ユゴーを、メーヤックがマラルメを、それぞれ嘲笑していた、ということである。むろん私にわかっていたのは、嘲笑者は、自分が嘲笑している相手にくらべて、なるほどせまい考をもっているが、しかしより純粋な語彙をもっている、ということである。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)


…………


もとの文脈の「引用」に戻る。

母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮す社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、無いことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところとちがって、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在することと、感じることとの真理である。それはまだ否定的であるが、これなくしては、自己も世界も、征服することはできないだろう…(アルベール・カミュ『異邦人』 英語版自序)
社会を構成する事実は慣習である。慣習とは、どのような方法をもってしても、またどのように程度をかげんしても、他に方法がないゆえに個人が受け入れ逐行するところの人間的ふるまいの形態である。それらは共存から成り立っている周囲世界、すなわち「他の人たち」、「人びと」……そして社会によって押しつけられたものである。(オルテガ・イ・ガセト『個人と社会─人と人びと─』)



《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

価値の平準化

ニーチェにも、バタイユにも、同じテーマがあります。「未練」のテーマです。現在のある形がおとしめられ、過去のある形が賛えられるのです。この現在も、この過去も、実をいえば、歴史的ではありません。両者とも、デカダンスという、両義的で形式的な運動によって読み取られます。こうして、反動的でない未練、進歩的な未練が生まれるのです。デカダンスとは、通常の共示〔コノタシオン〕とは逆ですが、凝りに凝った、過剰文化的な状態を意味しているのではなく、逆に、価値の平準化を意味しているのです。たとえば、悲劇の大量復活(マルクス)、ブルジョワ社会におけるお祭り的消費の隠密性(バタイユ)、ドイツ批判、ヨーロッパの病い、疲弊、最後の人、《あらゆるものを矮小化する》あぶらむしのテーマ(ニーチェ)。これに、ミシュレの一九世紀――彼の世紀――に対する、「退屈」の世紀に対する毒舌をつけ加えてもいいでしょう。皆、ブルジョワ的平準化がもたらす同じ嘔吐感を感じています。ブルジョワは価値を破壊しません。平準化するのです。小さくし、卑小なものの体制を確立します。(ロラン・バルト『テキストの出口』)