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2014年11月14日金曜日

「エンロンEnron社会」を泳がざるをえない「文化のなかの居心地の悪さ」

◆まず、フロイト博物館の国際会議(17 October 2014)における基調講演者Paul Verhaegheの要旨より。

ーー「悲哀のなかのナルシシズムーー父権社会の消滅」(Paul Verhaeghe Narcissus in Mourning - The Disappearance of Patriarchy)

ある概念を理解するためのひとつの方法は、その対立物とその概念を対照させることである。私の考え方では、ナルシシズムはメランコリーの片割れである。ナルシシズムとは完全性と全能性omnipotenceを意味する。それは全能なるalmighty母との同一化を呼び戻す。彼女は子供が欠けているものを与えることができるので全能なのである。エディプス期の間に、この同一化は父にシフトする。その父の機能とは母からの保護を意味する。メランコリーは喪失と無力感を意味する。原初の全能性の幻想の不首尾は、父の避けがたい不首尾、あるいは父が請合うと見なされた安全保障感の失敗である。実際のところ最終的なファリックな保障などどこにもない。結果として、典型的な神経症の反作用が、代替物を絶え間なく探求することとなる。それが一連のイマジナリーな父たちを創りだす。これが導くのは、二次的なナルシシズムであり、ファリックな思考の領域の内部に留まることになる。

One way to understand a concept is to contrast it with its opposite. To my way of thinking, narcissism is the counterpart of melancholia. Narcissism implies completeness and omnipotence. It harks back to the identification with the almighty mother. She is almighty because she can give what the child lacks. During the oedipal period, this identification shifts to the father, who functions as a safeguard for the mother. Melancholia implies loss and helplessness. The failure of the original fantasy of omnipotence is the inevitable failure of the father and the safety that he was meant to guarantee; there is in fact no final phallic guarantee whatever. Consequently, a typically neurotic reaction is the endless search for a substitute, creating a series of imaginary fathers. This leads to secondary narcissism and stays within the realm of phallic thinking.
われわれは個人のレベルでのこのような考え方を解釈するのに馴染んでいる、父たちと子供、エディプスコンプレクス等々。フロイトが、彼のエッセイ『ナルシシズム入門』と『悲哀とメランコリー』を書いたとき、まさに同じ衝突が世界的なスケールで起こっていた。ファリックなナルシシズムが第一次世界大戦によって情け容赦なく粉々に打ち砕かれた。そして世界的な悲哀の時期が引き続いたーー、父への悲哀(哀悼)、大文字の父への哀悼。私の観点からは、この悲哀は父権制社会の終焉の告知であり、別の言い方をすれば、伝統的な権威の終焉である。これは権威の概念自体を再考するように、われわれを強いる。

We are accustomed to interpreting these ideas at the level of the individual – the child with his parents, the oedipus complex and so on. When Freud was writing his essays ‘On Narcissism’ and ‘Mourning and Melancholia’, the very same clash was happening on a global scale. Phallic narcissism was brutally shattered by the First World War, and a period of universal mourning followed – the mourning of the father, of The Father. In my view, this mourning announced the end of patriarchy, in other words, the end of traditional authority. This compels us to rethink the concept of authority as such.


まず前段の《全能なるalmighty母との同一化を呼び戻す。彼女は子供が欠けているものを与えることができるので全能なのである。エディプス期の間に、この同一化は父にシフトする。その父の機能とは母からの保護を意味する》をめぐっていささか捕捉しよう。ポール・ヴェルハーゲが1995年(40歳時)に書いた論文からである。


◆NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL(Paul Verhaeghe)より(私意訳ーー「鰐なる母=女の口、あるいは象徴的ファルスと想像的ファルス」より)

構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。このようにして純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。これが、セクシュアリティがつねにfascinans et tremendum(魅惑と戦慄)の混淆である理由だ。すなわちエロスと死の欲動(タナトス)の混淆である。このことが説明するのは、セクシュアリティ自身の内部での本質的な葛藤である。どの主体も彼が恐れるものを恋焦がれる。熱望するものは、享楽の原初の状態と名づけられよう。

この畏怖に対する一次的な防衛は、このおどろおどろしい存在に去勢をするという考えの導入である。無名の、それゆえ完全な欲望の代りに、彼女が、特定の対象に満足できるように、と。この対象の元来の所持者であるスーパーファザー(享楽の父)の考え方をもたらすのも同じ防衛的な身ぶりである。ラカンは、これをよく知られたメタファーで表現している。《母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。》

このことは、われわれに想い起こさせる、スフィンクスとその謎に直面した状況を。スフィンクスはあなたを貪り食うだろう、もしあなたが正しい答え、すなわち、正しいシニフィアンを齎さなかったら。実のところ、われわれは実在の女について話しているわけではもはやない。逆に、すべての女は、二重の仕方でこの姿形の餌食になるのだ。主体として、彼女はこのおどろおどろしい形象に直面する(すなわち、男と同じように、生れたときは、母の欲望に直面する:引用者)。さらに、女として、彼女はこの畏怖すべき形象の姿を纏わせられる。あなたがこのおどろおどろしい女性の姿形の説明を知りたいのなら、カミール・パーリアの書物、『性のペルソナ』をにおける性と暴力をめぐる最初の章を読んでみるだけでよい。彼女は正しく、この姿形と自然自身とを同一化している。もしこの姿形に直面した男性の不安の臨床的な説明を読みたいなら、オットー・ヴァイニンガーの『性と性格』Geschlecht und Charakterを読んでみよう、ジジェクのコメントとともに。この二つとも意図されずに、臨床的な事実の説明となっている。すなわち、防衛的な機能とともに、おどろおどろしい女性の姿形のアポステリオリな(後天的な)構築物であるという事実の。もし意図された臨床的な説明がほしいなら、Klaus Theweleitによる美しい『Männer Phantasien』を手に入れ、繙いてみればよい。

後段の《ファリックなナルシシズムが第一次世界大戦によって情け容赦なく粉々に打ち砕かれた。そして世界的な悲哀の時期が引き続いたーー、父への悲哀(哀悼)、大文字の父への哀悼》の捕捉については中井久夫の次の簡潔な文がよい。

二十世紀をもっとも大きく動かした詩は結局、フランス詩のポール・ヴァレリー( 1871-1945年)の「若きパルク」『魅惑』の一対、ドイツ詩のライナー・マリア・リルケ(1875-1926年)の『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』の一対、そして英詩のT・S・エリオット(1888-1965年)の『荒地』に落ちつくかと私は思う。

これらの詩は一九二二年を中心とするごく狭い時期に出ている。「若きパルク」だけは一七年春に刊行されたが、この詩人が世に広く知られるのは一九年である。二二年は『魅惑』『荒地』との刊行の年である。翌二三年早々に『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』が伝説的な短期間で完成する。

これらの詩は成立の時間が近いだけではなく、互いに密接な関係にある。「若きパルク」『魅惑』の衝撃がリルケが書き悩んでいた『ドゥイノの悲歌』を完成させ、その傍らに『オルフォイスへのソネット』を生んだ。リルケは『魅惑』の独訳にその後の短い晩年の多くを費やすとともに、フランス語で詩作するようになる。エリオットの『荒地』だけは詩でなく十九年に英国の雑誌に掲載されたヴァレリーのエッセイ「精神の危機」と密接な関係にある。ともに西洋の精神的危機を正面からとりあげたものである。(中井久夫「私の三冊」ーートラウマを飼い馴らす音楽

もっとも最近のポール・ヴェルハーゲの論点は、冒頭の記事の叙述の範囲を超えた領域がその核心となっている。フロイトを生み出したヴィクトリア王朝時代の禁止ー抑圧の文化が、第一次世界大戦によってその文化の超自我(父権制社会)が揺るがされる。ここまでは同じである。だがその後、1968年の学生運動によって象徴的父の決定的な崩壊、さらには1989年のベルリンの壁の崩壊後の現在の課題とは、この今、われわれはどんな社会構造に囚われており、その社会構造では異なった人格(アイディンティティ)、異なった病が生み出されているという点を指摘することにある。

ヴェルハーゲによれば現在の自閉症の多発は、旧来型のものとは異質であり、この社会の「文化のなかの居心地の悪さ」から生まれているとする。世界的な「いじめ」猖獗、あるいはひとびとの幼児化などもこの新しい社会構造のせいであると。

これらの歴史的進展については日本ではやや様相が異なるという指摘もあるだろう、《かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか》(中井久夫「父なき世代」)。あるいはまた柄谷行人は、90年代初頭に、日本の権力構造の特徴のひとつとして、母系的なものの残存を指摘している、《日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない》(柄谷行人「フーコーと日本」1992)。だがいまはそれについて詳しく触れることはしない。

ヴェルハーゲは、1990年以降の市場原理主義社会(新自由主義社会)における病理をたんに父権制社会の消滅のせいとして片付けるわけにはいかないとする。彼は21世紀の先進国における病理のよってきたる社会を「エンロン社会」と名づけている。すなわち、マッキンゼー出身でエンロン社CEOになったジェフリー・スキリングの「ランク・アンド・ヤンク」方式ーー役員から社員までをランク付けしておいて、下位の者をクビにしていくーーこの差別化方式がその多寡はあれ、あらゆる領域で運用されている社会である。勝ち組と負け組みをたえずつくりだしていく「効率的な」システム。

ここでは敢えて訳さずに英文のまま貼り付けておく。「文化のなかの新しい居心地の悪さ」と名づけれらた論文(2011)である。これについては、最近でもGuardian(ガーディアン 2014.09.29) にて"Neoliberalism has brought out the worst in us"「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎した」という記事が書かれている(参照:「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)

◆『Capitalism and Psychology Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent』 Paul Verhaeghe

In the Enron company this became known as Rank and Yank. The achievements of every employee were judged competitively and on that basis one fifth of them were sacked each year after being publicly humiliated by having their name, photo and ' failure' posted on the company's website. (de Waal, 2009, p.Sl) In a very short time, almost every employee started to lie about his achievements, which ultimately led to the company's bankruptcy. Nevertheless, various weaker versions of the Enron model are still in operation elsewhere.

ポール・ヴェルハーゲのこの「エンロン社会」の主張は、ここでもまた中井久夫の次の文によって捕捉することができる。

今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。もはや「生き甲斐」の出番はなくなり、「アイデンティティ」概念も存在を脅かされているのではないか。80年代から弱々しい「自分探し」がさまよえる魂の呟きとなった。アイデンティティ追求の猶予である「モラトリアム」も得難くなって、それは無期限の「ひきこもり」になったかに見える。しかしこれらもやがて過ぎ去るであろう。先の見えない移行期に私たちはいる。

セーフティーネットのない殺風景な世界が実現すれば、「生き甲斐」はもちろん「アイデンティティ」の追求も一種の贅沢になるだろう。冒頭に述べたように現にそういう社会はある。その行き着く果ては「人間であること」が贅沢とされる世界である。「アイデンティティ」や「生き甲斐」はもう古いなどと軽々しくいうべきでないと私は思う。(中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』)


もっともこれらの見解は、ジジェクが90年の初頭に書いた『斜めから見る』にすでに書かれているという言い方もできるかもしれない。エンロン社会における「勝ち組」であるための典型的戦略が「病的ナルシシスト」として振舞うことであると言いうる。

……「病的ナルシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。(「現代の「病的ナルシスト」たち、あるいは「母なる超自我」と「内的な自由」」より)


おそらく多くの人が、「エンロン社会」においてどうやって「勝ち組」になるかを無意識的にせよ模索しているのだろう。そしてそれを全面的に否定するものでは、わたくしは全くない。

さて前にもいったように、実生活にとっては、きわめて不確実とわかっている意見にでも、それが疑いえぬものであるかのように従うことが、ときとして必要であると、私はずっと前から気づいていた。(デカルト『方法序説』ーー「人間的主観性のパラドックス」覚書

ところで國分功一郎氏は、「哲学とは人生論でなければならない」と言っているそうだが、これはわたくしのような旧世代の人間には、驚くべき言葉である(彼のその真意は別のところにあるのかも知れないし、「人生論」という語彙の捉え方にもよるだろうが)。90年以前に思想なるものに出会った人間には、決して口に出来なかった言葉であり、かつてそんなことを言ってしまえばひどく嘲笑されただろう。

僕は國分功一郎というのに驚いたんだけど、「議会制民主主義には限界があるからデモや住民投票で補完しましょう」と。
21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね。

……住民投票による「来るべき民主主義」とか、おおむね情報社会工学ですむ話じゃないですか。哲学や思想というのは、何が可能で何が不可能かという前提そのものを考え直す試みなんで、可能な範囲での修正を目指すものじゃないはずです。(浅田彰


「エンロン社会」をどうやって巧みに泳ぐかの「人生論」ではなく、「エンロン社会」で生きる前提を問い直す「人生論」であることを是非とも望むがーーすくなくともそれに触れていることをーー、わたくしは彼の著作を読んでいるわけではないので、あまりえらそうなことをいえない。

もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』1983)

いずれにせよ(市場原理主義にせよ、新自由主義にせよ、エンロン社会などにせよ)、われわれが囚われている所与の”環境”を批判=吟味するのが、「哲学者」やら「思想家」の仕事のはずだ。

今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て(megalomaniac enterprise) ――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。(……)

哲学は誇大妄想的なものではないと私が知ったのは、愚直(naive)な科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです(スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』)

以下の千葉雅也氏のツイートに《精神医学の領域ですでに起こった変化》とあるのは、DSMという黒船のことや、認知科学や神経生物学、あるいは薬物療法や行動療法などに取って代わられつつある傾向を言っているのだろう。

@masayachiba: 根源的な問いを多様に議論するのをやめ、人それぞれだからという配慮で踏み込まなくなるというのは、精神医学の領域ですでに起こった変化だ。文明全体がそういう方向に向かっていると思う。残される課題は「現実社会の苦痛にどう対処するか」だけ。そもそも苦痛とは何かという問いは悪しき迂回になる。千葉雅也

上に引用したポール・ヴェルハーゲは痛烈なDSM批判をくり返している精神分析医でもある(参照:フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」概念をめぐる現代の新しい「症状」)。

ここでは、千葉雅也氏の《文明全体がそういう方向に向かっている》という文をあえて「誤読」して、文明全体がエンロン社会に向かっているとしておこう。

さてくだくだしく書くのはもうやめる。ただ巷間に流通が目立ちはじめたらしい「人生論」なるものが、《「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則》やら《現実社会の苦痛にどう対処するか》だけでないことを祈るばかりである。

もっともアドラー心理学の流行も病的ナルシシスト育成のための見解に感じられないでもないし(参照:「原初とは最初のことじゃないんだよ」)、米国MBAで修業を積んだらしいどこかの経営コンサルタントが、文科省の有識者会議にて提案した「G型大学とL型大学」なるものを「真摯に」受け止めざるを得ないのも、エンロン社会の病いの臭いがしないでもない。

そしてくり返せば、成功やら苦痛をめぐる教えは、人生を巧みにやりすごすテクニックとしてはひどく大切であり、安易にばかにするつもりは毛頭ないことを念押ししておこう。たとえばアランの人生論から抜き出しておけば、こういった側面はわれわれは意想外に忘れがちなのだから。そしてアランの限界はあるにしろ(たとえば第二次世界大戦勃発前に、サルトルはアランのオプティミズムから離れた)、通常のわれわれの人生の99%はこれでやっていける。

赤ちゃんがはじめて笑うとき、その笑いは絶対になにも表現していない。幸福だからといって笑ったりしない。むしろこういったほうがよい。赤ちゃんは笑っているからこそ、いま幸福なのであると。赤ちゃんは笑うことに快楽を感じているのだ、食べることに快楽を感じるのと同様に。(アラン『プロポ集』井沢義雄・杉本秀太郎訳)

ーーすなわち、《幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ》

私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである。(アラン「オプチミスム」

だが第二次世界大戦直前のナチにはこれでは通用しなかった。そして現在のネオナチ猖獗にも通用するはずがない。

最後にエンロン社会のバイブル、アイン・ランドの書から抜き出しておこう。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)

※補遺:資料:金持のための社会主義

2014年11月11日火曜日

血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉

もうその手の話は、わたくしは厭きた。だがそこの〈きみ〉への応答のために最後の「糖果入りの壺」を贈ろう。

(わたしは)小さな愚行やはなはだ大きい愚行がわたしに加えられても、一切の対抗策、一切の防護策を―――従って当然のことながら一切の弁護、一切の「弁明」を禁ずるのである。わたし流の報復といえば、他者から愚かしい仕打ちを受けたら、できるだけ急いで賢さをこちらから送り届けるということである。こうすれば、たぶん、愚かしさの後塵を拝せずにすむだろう。

比喩を使っていうなら、わたしは、すっぱい話にかかりあうことをご免こうむるために、糖果入りのつぼを送るのである。……わたしに何かよからぬことをしてみるがいい。まちがいなく、わたしはそれにたいしてこういう「報復」をする。つまり、わたしはほどなく、その「犯人」に(ときにはその犯行にたいして)わたしの感謝を表明する機会をみつけるのである―――もしくは、その犯人に何かを頼む機会をみつけるのである。この方が、こちらから何かを進呈するよりいんぎんでありうるのだ。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

以下、すべて引用ですませておく。わたくしはいま忙しいのだ。

 …………
人間存在は、この夜、その単純さの中にすべてを包含しているこの空無である。そこには表象やイメージが尽きることなく豊富にあるが、そのどれ一つとして人間の頭に、あるいは彼の眼前にあらわれることはない。この夜。変幻自在の表象の中に存在する自然の内的な夜。この純粋な自己。そこからは血まみれの頭が飛び出し、あちらには白い形が見える。(…)人は他人の眼を覗き込むとき、この夜を垣間見る。世界の夜を対立の中に吊るす、恐ろしい夜。(ヘーゲル『現実哲学』草稿)

サド(サン=フォン) : 《もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう》 (『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

……隣人を倫理的に飼い慣らしてしまうという誘惑に負けてはならない。たとえばエマニュエル・レヴィナスはその誘惑に負けて、隣人とは倫理的責任への呼びかけが発してくる深遠な点だと考えた。レヴィナスが曖昧にしているのは、隣人は怪物みたいなものだということである。この怪物性ゆえに、ラカンは隣人に〈物das Ding〉という用語をあたはめた。フロイトはこの語を、堪えがたいほど強烈で不可解な、われわれの欲望の究極の対象を指す語として用いた。(……)隣人とは、人間のおだやかな顔のすべてから潜在的に垣間見える(邪悪な)物〉である。(ジジェク『ラカンはこう読め』p81

おわかりだろうか? 偽の正義の味方、おろかな猿たちよ、きみたちにも〈隣人〉がいないわけではあるまい?

フロイトが、まるで恐れをなしたかのように、隣人愛の掟がもたらす帰結の前で立ち止まるたびに、浮かび上がってくるもの、それはこの隣人のうちに宿るあの深い悪意の現前にほかならない。ところが、そうであるとすれば、この悪意は私自身のうちにも宿っている。いったいどんなものが、私の享楽の核心であるところのこの私自身のうちの核心以上に、私に近しいというのか? ただし私は、この核心にあえて近づこうとはしない。というのも、私がそれに近づくやいなや――それこそが『文化のなかの居心地悪さ』の意味である――あの測深しがたい攻撃性が現れてくるからであり、私はそれを前にして後ずさりし、それを私自身に向け直すのである。そうすると、この攻撃性は、消え入ってしまった〈法〉にまさに代わって、 〈物〉の限界にあるひとつの境界線を私が踏み越えることを妨げるものに、重さを与えにやってくるのである。 」 (ラカンSVII, 219)
 何よりも毒性が高いのは〈隣人〉という存在、その欲望とみだらな快楽の深淵である。したがって、人間関係を支配するあらゆる法則の究極の目的は、この毒 性を隔離もしくは中和して〈隣人〉を同胞に転じることだ。(他者という、もうひとつの)主体にあるかもしれない毒性をさがすだけでは不十分だ。自己という 主体自体が、その内部の〈大文字の他者〉という深淵に毒性をたたえているのだから。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』p82)

ここにあるように、〈隣人〉とは、悪をなした他人その人ではなく、大文字の〈他人〉である。フロイトを挿入しよう。

ランク(1913年)はちかごろ、神経症的な復讐行為が不当に別の人にむけられたみごとな症例を示した。この無意識の態度については、次の滑稽な挿話を思い出さずにはいられない。それは、村に一人しかいない鍛冶屋が死刑に値する犯罪をひきおこしたために、その村にいた三人の仕立屋のうちの一人が処刑されたという話である。刑罰は、たとえ罪人に加えられるのではなくとも、かならず実行されなければならない、というのだ。(フロイト『自我とエス』著作集6 P288)

おわかりであろうか? きみたちの〈正義〉なるものの根源を。

人間の歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという理由から刑罰が加えられたことはなかったし、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたこともなかった。――むしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りからして刑罰は行なわれたのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』 木場深定訳 P70)

攻撃欲動の標的が外部に見当たらなければ、自己破壊に向かうということはあり得る。ナチに拷問された生存者たちが自殺衝動に襲われるように。


…………

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十分に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。だが同時に、彼らは“非合理的な”罪の意識にとり憑かれる(それは単にそれ以上のようにして)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやるのだ。これが露わにしているのは、最も純粋な超自我の審級である。不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

 


Recall the strange fact, regularly evoked by Primo Levi and other Holocaust survivors, about how their intimate reaction to their survival was marked by a deep split: consciously, they were fully aware that their survival was the result of a meaningless accident, that they were not in any way guilty for it, that the only guilty perpetrators were their Nazi torturers. At the same time, they were (more than merely) haunted by an irrational feeling of guilt, as if they had survived at the expense of others and were thus somehow responsible for their deathsas is well known, this unbearable feeling of guilt drove many of them to suicide. This displays the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of selfdestruction.
超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的なを途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。

 


The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our beinghuman, the inhuman core of beinghuman, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.
レヴィナスにとって、主体を非中心化する根源的に異質な現実界的〈モノ〉のトラウマ的侵入は、倫理的な〈善〉の〈呼びかけ〉と同じものだ。他方、ラカンにとっては、逆に、原初の“邪悪な〈もの〉”であり、〈善〉のヴァージョンには決して昇華されえない何か、永遠に不安にさせる切り傷のままの何かなのである。こういったわけで、倫理的な呼びかけの出処としての〈隣人〉の飼い馴らしには、〈悪〉の復讐が横たわっている。“抑圧された〈悪〉”は、倫理的呼びかけ自体の超自我の歪曲の見せかけとして回帰する。

 


For Levinas, the traumatic intrusion of the radically heterogeneous Real Thing which decenters the subject is identical with the ethical Call of the Good, while, for Lacan, on the contrary, it is the primordial evil Thing, something that can never be sublated into a version of the Good, something which forever remains a disturbing cut. Therein lies the revenge of Evil for our domestication of the Neighbor as the source of the ethical call: the repressed Evil returns in the guise of the superego's distortion of the ethical call itself.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳)

きみたち仔羊のために穏やかな衣裳をまとったリルケをも引用しておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(リルケ『マルテの手記』)


 さてプリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちの自殺衝動」に戻ろう。きみたちには「死んだ人に申し訳ない」という生存者罪悪感はないのか?そうであるならそれを仔羊の人生という。


一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。

PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。

しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)


ヤスパースは《「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。》


おわかりだろうか、レヴィナスの寝言があまりにも寝言すぎるのが。あるいはヤスパースの「形而上の罪」の厚顔無恥な寝言ぶりを。

ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。

第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。

第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)

つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。

第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。

最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。

この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(『トランスクリティーク』P190の註より)

おわかりだろうか、ヤスパースのなんたる寝言カント解釈を。きみたち猿の〈正義〉は、このヤスパースをさらに四周ほど寝言にしたものだ。「寝言は寝てから言え」!

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

カントはその『純粋理性批判』において、否定判断と無限判断という重要な区別を導入した。

「魂は必滅である」という肯定文は二通りに否定できる、述語を否定する(「魂は必滅でない」)こともできるし、否定的述語を肯定する(「魂は不滅である」)こともできる。

この両者の違いは、スティーヴン・キングの読者なら誰でも知っている、「彼は死んでいない」と「彼は不死だ」の違いとまったく同じものだ。無限判断は、「死んでいる」と「死んでいない」(生きている)との境界線を突き崩す第三の領域を開く。「不死」は死んでいるのでも生きているのでもない。まさに怪物的な「生ける死者」である。

同じことが「人でなし」にもあてはまる。「彼は人間ではない」と「彼は人でなしだ」とは同じではない。「彼は人間ではない」はたんに彼が人間性の外にいる、つまり動物か神様であることを意味するが、「彼は人でなしだ」はそれとはまったく異なる何か、つまり人間でも、人間でないものでもなく、われわれが人間性と見なしているものを否定しているが同時に人間であることに付随している、あの恐ろしい過剰によって刻印されているという事実を意味している。おそらく、これこそがカントによる哲学革命によって変わったものである、という大胆な仮説を提出してもいいだろう。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

2014年11月10日月曜日

私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。

日本には帰省する気はいまのところないね。過去10年以上のあいだ1年に1度は10日ほど帰っていたのだけれど、そしてこの3年ほど帰っていなくて懐かしいには違いないけれど、毎度のこと《あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云ふ》という気分になるからな。それとプルーストのいうような「失望」もあるしね。

…………

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしようという気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです。(ドゥルーズ「哲学について」『記号と事件』)

このドゥルーズの《私はとても旅をしようという気になれない》などというものは、プルーストのヴァリエーションにすぎない、《動きすぎないようにこころがけなければならない》というのも同じく。もちろん、ひとがそれを勝手に「誤読」するのは自由である、--と書けば言い過ぎか?

哲学者には、《友人》が存在する。プルーストが、哲学にも友情にも、同じ批判をしているのは重要なことである。友人たちは、事物や語の意味作用について意見が一致する、積極的意志のひとたちとして、互いに関係している。彼は、共通の積極的意志の影響下にたがいにコミュニケーションをする。哲学は、明白で、コミュニケーションが可能な意味作用を規定するため、それ自体と強調する、普遍的精神の実現のようなものである。プルーストの批判は、本質的なものにかかわっている。つまり、真実は、思考の積極的意志にもとづいている限り、恣意的で抽象的なままだというのである。慣習的なものだけが明白である。つまり、哲学は、友情と同じように、思考に働きかける、影響力のある力、われわれに無理やりに考えさせるもろもろの決定力が形成される、あいまいな地帯を無視している。思考することを学ぶには、積極的意志や、作り上げられた方法では決して十分ではない。真実に接近するには、ひとりの友人では足りない。ひとびとは慣習的なものしか伝達しない。人間は、可能なものしか生み出さない。哲学の真実には、必然性と、必然性の爪が欠けている。実際、真実はおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである。それはおのれを伝達せず、おのれを解釈する。真実は望まれたものではなく、無意志的である。

「見出された時」の大きなテーマは、真実の探求が、無意志的なものに固有の冒険だということである。思考は、無理に思考させるもの、思考に暴力をふるう何かがなければ、成立しない。思考より重要なことは、《思考させる》ものがあるということである。哲学者よりも、詩人が重要である。ヴィクトル・ユゴーは、初期の詩の中で哲学を形成している。なぜならば彼は、《自然のように、思考させることで満足するのではなく、また、みずから思考している》からである。しかしユゴーは、本質的なものは、思考の外側、思考を強制するものの中にあると教える。「見出された時」のライトモチーフは、forcer〔強制する〕ということばである。たとえば、われわれに見ることを強制する印象とか、われわれに解釈を強制する出会いとか、われわれに思考を強制する表現、などである。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「結論 思考のイマージュ」より p196)

強制するについては、次のように引用することもできる。

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p199)
『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の章  P118

ここにある二項対立、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈などが、「動きすぎれば」前者となってしまうということだ。それは積極的意志/無意志的なものの二項対立でもある。ようするにこれらは、《ふと何ごとかが起こりそうな気配を察知し、到来すべき「シーニュ」の予兆に身をまかせ》ること(蓮實重彦)にかかわる。「ギリシア人になる」とは、前者を捨てて、後者を取ることだ(「ギリシャ人を装うこと」)。

……自分を煽りたてていた構造主義的な熱病にすっかりいやけがさして『テクストの快楽』や『恋愛のディスクール・断章』に逃れたなどといってみても、事情は変わらない。快楽も、愛も、好奇心から生まれるものでないという点が重要なのだ。好奇心とは、好奇心とは、特権的な感覚器官を粗雑なままに特権化し、主体を拡散と断片化の力学にさからわせようとする、知性の、独断的で退屈な拒絶の儀式にほかならない。ことによると、それは、無自覚なまま先取りされた死の実践であるかもしれぬ。自分に対しても、他者に対しても、いたわりを欠いた振舞いであるが故に、それは独断的なのだ。好奇心とは別の文脈に生きること。中庸の記号たるバルトの真の美しさは、そうした願望を、決定的な実現へと導くことなく、退屈と倦怠のよるべなさと戯れさせた点にある。それが彼自身の生の倫理だ。(蓮實重彦 「倦怠する彼自身のいたわり」)

この文でさえ、プルーストの変奏として、あるいはまた「動きすぎてはいけない」の変奏として読むことができる。好奇心の次元とは、上記の二項対立、「積極的意志/無意志的なもの」などの前者に属するのはいうまでもない。退屈と倦怠のよるべなさとは、ロラン・バルトの「動きすぎてはいけない」だ。

というわけでプルーストを引用しよう。

単なる過去の一瞬、それだけのものであろうか? はるかにそれ以上のものであるだろう、おそらくは。過去にも、そして同時に現在にも共通であって、その二者よりもさらにはるかに本質的な何物かである。これまでの生活で、あんなに何度も現実が私を失望させたのは、私が現実を知覚した瞬間に、美をたのしむために私がもった唯一の器官であった私の想像力が、人は現にその場にないものしか想像できないという不可避の法則にしばられて、その現実にぴったりと適合することができなかったからなのであった。ところが、ここに突然、そのきびしい法則の支配力が、自然のもたらした霊妙なトリックによって、よわまり、中断し、そんなトリックが、過去と現在とのなかに、同時に、一つの感覚をーーフォークとハンマーとの音、本のおなじ表題、等々をーー鏡面反射させたのであった。そのために、過去のなかで、私の想像力は、その感覚を十分に味わうことができたのだし、同時に現在のなかで、物の音、リネンの感触等々による私の感覚の有効な発動は、想像力の夢に、ふだん想像力からその夢をうばいさる実在の観念を、そのままつけくわえたのであって、そうした巧妙な逃道のおかげで、私の感覚の有効な発動は、私のなかにあらわれた存在に、ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆるしたのであった。あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのであるところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまりにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?(プルースト「見出された時」P324-326 井上究一郎訳 文庫)

これだけではピンとこないかもしれないので、次ぎの文をもつけ加えておこう。

――私は、ヴェネチアの、とりわけ私には春の、水路めぐりに行くことは、季節の関係で、むりだとしても、すくなくともバルベックにふたたび行ってみたい、という誘惑に駆られはした。しかし私は、そうした考に、一瞬間とはとどまれなかった。それは私がつぎのことを知っていたからだ、――土地はその名が私に描きだすようなものではもはやなく、またある土地が、人に見られ人にふれられる共通のものから判然と区別された純物質でつくられて、私のまえに横たわるのは、いまはもう私が眠っている夢のなかでしかないし、人々に共通のそのようなものも、純物質でつくられていたのは、私がそれらを想像に描いているときのことでしかなかった、ということを。そして単にそれだけではなく、さらに、土地の名が描きだすものとは別種の映像、回想の映像に関しても、私はつぎのことを知っていたからだ、――バルベックの美は、一度その土地に行くともう私には見出されなかった、またそのバルベックが私に残した回想の美も、もはやそれは二度目の逗留で私が見出した美ではなかった、ということを。私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。また、失われた時を私が見出すであろうのは、バルベックへの二度の旅でもなければ、タンソンヴィルに帰ってジルベルトに会うことでもないのと同様に、もはやサン・マルコの広場の上ではないということを。また、それらの古い印象が、私自身のそとに、ある広場の一角に、存在している、という錯覚をもう一度私の起こさせるにすぎないような旅は、私が求めている方法ではありえない、ということを。またしてもまんまとだまされたくはなかった、なぜなら、いまの私にとって重大な問題は、これまで土地や人間をまえにしてつねに失望してきたために(ただ一度、ヴァントゥイユの、演奏会用の作品は、それとは逆のことを私に告げたように思われたが)、とうてい現実化することが不可能だと思いこんでいたものにほんとうに自分は到達できるのかどうか、それをついに知ることであったからだ。それゆえ私は、無益におわると長いまえから私にわかっている手にのって、また一つよけいな経験を試みようとはしなかった。私が固定させようとつとめているいくつかの印象は、その場の接触でじかにたのしもうとすると、消えうせるばかりであり、直接のたのしみからそれらの印象を生まれさせることができたためしはなかった。それらの印象を、よりよく味わうただ一つの方法は、それらが見出される場所、すなわち私自身のなかで、もっと完全にそれらを知る努力をすること、それらをその深い底の底まであきらかにするように努力することだった。これまで私は、バルベックにいることの快感をその場では知ることができず、アルベルチーヌと同棲することの快感をそのときには知ることができなかった、快感は事後でなくては私に感知されなかったのであった。ところで、これまで生きてきたかぎりにおける私の人生の失望は、私に、人生の現実は行動にあるのではなくてもっとほかのところにあるにちがいないと思わせたのだが、そんな失望をいま私が要約するとなれば、それぞれちがった落胆を、単なる偶然のなりゆきでむすびつけたり、私の生存の状況にしたがって関連づけたりするわけには行かなかった。私がはっきり感じたのは、旅行の失望も、恋の失望も、別段ちがった失望ではなくて、おなじ失望の異なる相であり、われわれが肉体的な享楽や実際的な行動で自力を十分に発揮できなかったときのその無力感が、旅行とか恋とかいう事柄にしたがって、そういう異なる相を呈する、ということだった。そして、あるいはスプーンの音、あるいはマドレーヌの味から生じた、あの超時間的なよろこびをふたたび考えながら、私は自分にいうのだった、「これであったのか、ソナタの小楽節がスワンにさしだしたあの幸福は? スワンはこの幸福をあやまって恋の快感に同化し、この幸福を芸術的創造のなかに見出すすべを知らなかったのであった。この幸福はまた、小楽節よりもいっそう超地上的なものとして、あの七重奏曲の赤い神秘な呼びかけが私に予感させた幸福でもあった。スワンはあの七重奏曲を知ることができないで死んだ、自分たちのために定められている真実が啓示される日を待たずに死んだ多くの人たちとおなじように。といっても、その真実は彼には役立つことができなかっただろう、なぜならあの楽節は、なるほどある呼びかけを象徴することはできたが、新しい力を創造する、そして作家ではなかったスワンを作家にする、ということはできなかったから(同P331-334)

この文のヴァリエーションとして中井久夫もこう書いている。

時々さういふことがある。その人にとって重要な意味を持ってゐるかに見える場所へ行ってゐないといふことである。その理由はさまざまである。

たとへばフランスの詩人ポール・ヴァレリーであるが、ギリシャと結び付けられること多く、実際、ギリシャの建築家の登場する対話編『エウパリノス』、ギリシャ建築を讃えた詩「円柱の歌」デルフォイの巫女に仮託した狂気の詩「巫女」などを書いたこの詩人はつひにギリシャの土を踏んでいない。

私はある時そのことを知って、いささか意外であった。

彼が何度も足を運んでゐるのは英国である。実際、二十歳の精神的危機以後の重要な人格形成と再編成は二十四歳までの二回に及ぶ英国滞在中になされた。二十八歳の彼が選んだ新婚旅行先はオランダである。後年の講演旅行先も、ジュネーヴ、ブタペスト、ストックホルム、そしてまた、何度も英国である。そして彼は語らないが、英詩に詳しい。

南仏出身のヴァレリーには実は強い北方指向性がある。他方、北方出身の親友ジッドには青年時代のホメロス味読があり、北アフリカが個人的にも文学作品でも重要な位置を占めてゐる。ジッドの第一作『アンドレ・ワルテルの手記』に恋人と二人でホメロスを読む段があるが、あれほど共感的にホメロスが読めるのは若い私には驚異であった。

ヴァレリーには「ギリシャに行かざるの弁」を述べてゐないやうだが、『源氏物語』の有名な英訳者アーサー・ウェーリーは、明治・大正の日本に何度も招かれながら、つひに招待を断り通した。彼は「私の行きたいのは王朝時代の日本であって今の日本ではない」と答へつづけた。私には彼の気持ちがわかる。現代ギリシャ詩を量だけは相当翻訳してゐる私も、実はギリシャに行ったことがない。私の現代ギリシャは詩が呼び覚ます想像の土地である。その想像がギリシャ詩の翻訳を生む腐葉土になってゐる。この非在の肥料によって閉じられた円環が私の翻訳を成り立たせてゐる。ヴァレリーもである。私と彼との縁は十代に始まる。三十二歳で始めた精神医学より遥かに古い。偶然がリルケの独訳からヴァレリーの詩に私を導いた。邦訳の入手は遥かに後であり、実はさほど読み込んでゐない。この偶然が私を長くヴァレリーに繋ぎとめたのかもしれない。

だが、私はヴァレリーの誕生の地であり「海辺の墓地」のあるセットには行ってゐない。いかうとすると何か故障が起こる。ほんたうに私はセットに行きたいのだろうか。自問すると答へは曖昧である。錯覚であるが、もう行ったやうな気もする。

ある時、「ああ、さうか」と思った。フランス留学中であった若い精神科医9.白川美也子から1946年版のヴァレリー画集を贈られた。敗戦直後の出版であり、珍しい資料だということで一部をみすず版の『若きパルク/魅惑』(1995年)に掲載した。

しかし、私はひそかな失望を味はっていた。詩人描くところの『若きパルク』の挿絵、とりわけ最後の、パルクが朝の太陽を迎へる絵である。私は、ずんぐりした女性が森の間から花束を小さく色薄い太陽に向かって振ってほしくなどなかった。私が原詩から得てゐたものは、はるかに絢爛、はるかに多重、はるかに多声、はるかにリアルであった。私は、長き欲望の地をつひに踏んだ時にしばしば起こる「興ざめ性」と同じものをしたたかに味はった。

アーサー・ウェイリーの日本非訪問は、この「興ざめ性回避」に違ひない。ヴァレリーがギリシャを訪れないのにも、それがあったらう。(「「その地」を訪れざるの記」『関与と観察』中井久夫)



2014年11月7日金曜日

「諸君、それは女狂い、”可能なる昇華”以外の何であろう」

このブログは今後(すくなくとも当面は)、バッハあるいは祈りの音楽の話かエロの話しか書きません。おそらく大方の中庸な方々には縁がないことのメモに終始します。要するに数少ない読者のみなさんですが、その方々も少なくとも二週間ぐらいはーー二カ月か二年ぐらいかもーー明けてみないほうがいいと思います。しばらくは、あるひとりの若い女性への私信みたいなものです。彼女の名はアプリコットちゃんです。


ーーというわけでバッハ頭になってしまったので、軌道修正できるかどうかは別にして、ハゲマシのために以下の文を貼り付けておく。

そもそもバッハというのは、高橋悠治によれば性的においがぷんぷんする音楽なのであり、カンタータなどの祈りの音楽だって、そこからエロスのにおいを嗅がないヤツラってのは不感症なんじゃないか。

バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータなど組曲の6曲セットを作っている。当時のドイツは、ヨーロッパの田舎だった。文化の中心パリの流行は、周辺地の音楽家の手で古典性をおびる。それらはもう踊られるためのものではなく、むしろ音楽語法を身に着けるためのモデルであり、ヨーロッパ中心の音楽世界地図でもあった。その装飾的な線の戯れにはどこか、かつての性的身ぶりの残り香がある。若いバッハは、入念に粉を振った最新の鬘をつけ、若い女を連れ、パイプをくわえて街をそぞろ歩く伊達男だったと言われる。音楽がまだ化石になっていないのも、そこにただようエロティシズムの記憶のせいかもしれない。(踊れ、もっと踊れ  高橋悠治





乱交パーティ用の音楽だぜ。

バッハの最も崇高なコラールのひとつといわれるBWV12の2曲目=ロ短調ミサの合唱の起源は次の通り。→ バッハカンタータBWV12とヴィヴァルディPiango, gemo, sospiro e peno


(ヒエロニムス・ボス「快楽の園」)


…………

芸術家が制作――すなわち自分の空想の所産の具体化――によって手に入れる喜び、研究者が問題を解決し真理を認識するときに感ずる喜びなど、この種の満足は特殊なもので、将来いつかわれわれはきっとこの特殊性を無意識真理の立場から明らかにすることができるであろうが、現在のわれわれには、この種の満足は「上品で高級」なものに思えるという比喩的な説明しかできない。けれどもこの種の満足は、粗野な一次的欲動の動きを堪能させた場合の満足に比べると強烈さの点で劣り、われわれの肉体までを突き動かすことがない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 P444)


「上品で高級な満足」に没頭するのもいいが、やっぱり「

一次的欲動の動き」も堪能もしとかないとな。


……さまざまの欲動は、満足の条件をずらせたり、他の方法をとるよう余儀なくされる。これは、大部分の場合には、われわれに周知の(欲動目標)昇華と一致するが、まだ昇華とは区別されうる場合もある。欲動の昇華は、文化発展のとくにいちじるしい特色の一つで、それによってはじめて、学問的・芸術的・イデオロギー的活動などの高級な心理活動が文化生活の中でこれほど重要な役割を占めることが可能になっている。第一印象にしたがうかぎりわれわれは、「昇華こそはそもそも文化に無理強いされて欲動がたどる運命なのだ」と主張したい誘惑を押えかねる。けれども、この件はもう少し慎重に考えたほうがよい。そして最後にーーしかもこれこそ一番大事と思われるがーー、文化の相当部分が欲動断念の上にうちたてられており、さまざまの強大な欲動を満足させないこと(抑圧、押しのけ、あるいはその他の何か?)がまさしく文化の前提になっていることは看過すべからざる事実である。この「文化のための断念」は人間の社会関係の広大な領域を支配している。そして、これこそが、いかなる文化も免れえない文化にたいする敵意の原因であることは、すでにわれわれが見てきたところである。この「文化のための断念」は、われわれの学問にもさまざまの困難な問題を提起するであろうし、われわれにとしては、この点に関し多くのことを解明しなければならない。ある欲動にたいし、その満足を断念させることなどがどうしてできるのかを理解するのは容易ではない。それに、欲動にその満足を断念させるという作業は、かならずしも危険を伴わないわけではなく、リビドーの管理配分の上からいって、その補償をうまく行わないと重大な精神障害の起こる恐れがある。(『文化への不満』p458)

このあとエロスとタナトスの議論が展開されていく。

人類の共同生活は、外部からの苦難によって生まれた労働への強制と、愛の力 ――男性の側からいえば性欲の対象である女性を、そして、女性の側からいえば自分の分身である子供を、手許にとどめておこうとする愛の力 ――という二重の楔によって生まれたのだ。すなわち、エロス(愛)とアナンケ(宿命)は、人間文化の生みの親ともなったのだ。(『文化への不満』P460)

だがここではその議論のいっそうの展開を追うことはやめ、冒頭の「昇華」の話に留まることにする。

フロイトによれば、芸術も学問も政治(イデオロギー)も、欲動断念によるーーその代表的なものは性欲動だーー「昇華」であり、「昇華」で胡麻化してもいずれ始原の欲動に支配されるか、胡麻化し続けていたら精神障害になるかもな、ということを言っている。最も「高級な」昇華と思われている芸術や学問も、オマンコ(あるいはオチンチン)の「仮面」だよ、と。いわゆる「スフィンクスの謎」探求の仮装なのだ。

スフィンクスの謎とは、女性性、父性、性関係に関してであり、フロイト的に言えば、母のジェンダー(女のジェンダー)、父の役割、両親の間の性的関係。

「ママにもおちんちんあるの?」
「もちろんよ、なぜ?」
「ただそう思っただけなの」
(……)
あるとき彼は就寝前に脱衣するのを固唾をのんで見まもる。母親が尋ねる。「何をそんなに見ているの?」
「ママにもおちんちんがあるかどうか、見ているだけよ」
「もちろんあるわよ。あなた知らなかったの?」
「うん。ママは大きいから、馬みたいなおちんちんをもっていると思ったの」(フロイトの『ある五歳男児の恐怖症分析』(少年ハンス(フロイトとラカン)

より一般的に言えば、Das ewig Weibliche (永遠に女性的なるもの)、Pater semper incertuus est( 父性は決して確かでない)、Post coftum omne animal tristum est (性交した後どの動物でも憂鬱になる)の三つ。ラカンの変奏なら、La Femme n'existe pas, 〈女〉は存在しない、L'Autre de l'Autre n'existe pas, 〈他者〉の〈他者〉は存在しない、Il n'y a pas de rapport sexuel,性関係はない。

ここから逃れて昇華による代償満足に専念してても無駄さ。いずれ露顕してくるよ。

サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。(中井久夫 「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)

晩年のヴァレリーの「女狂い」ってのも、ようやく最近知ることができるようになった。


外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P111-112)

たとえば西脇順三郎の晩年の詩だって、《エロス的ダブルミーニング》の詩ばかりさ。『近代の寓話』に《形而上学的神話をやつている人々と/ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ》とあるのを西脇順三郎自ら、《これは実は「猥談」をしている同僚のことだ》と解説したそうだが。

《鶏頭の酒を/真珠のコップへ/つげ/いけツバメの奴/野ばらのコップへ。/角笛のように/髪をとがらせる/女へ/生垣が/終わるまで》(西脇順三郎)

ーーこんなのワカメ酒に決まってるだろ、そら、いけよツバメくん、野ばらの生垣が終わる処まで啜り舐めゆけ、ほら、真珠の栗と栗鼠めがけて! 嘴は「森林限界を越えて火口へと突き進む」(俊 『女へ』)。石灰質だらけの死火山と侮っていても突然激烈に噴火することがあるからな、御嶽山のように。

でも、あそこには実は「原初的な空無」があるのさ

昇華(=崇高化)はふつう非・性化と同じことだと考えられている。非・性化とはすなわち、リビドー備給を、基本的な欲動を満足させてくれそうな「野蛮な」対象から、「高級な」「洗練された」形の満足へと置き換えることである。われわれは女に直接に襲いかかる代わりに、ラヴレターや詩を書いたりして誘惑し、征服する。敵を気絶するまでぶん殴る代わりに、その敵を全面否定するような批判を含んだ論文を書く。通俗的な精神分析的「解釈」によれば、詩を書くことは肉体的欲求を満足させるための崇高にして間接的な方法であり、精巧な批判を書くことは肉体的攻撃衝動の崇高な方向転換ということになろう。 ラカンの出発点は、直接的で「野蛮な」満足とされているものの対象ではなく、その反対、すなわち原初的な空無である。原初的な空無とは、そのまわりを欲動がぐるぐる回っている空無であり、<物自体 the Thing>(フロイト的な das Ding。不可能にして獲得不能な享楽の実体)の形のない形としてポジティヴな存在形態をとる欠如である。崇高な対象とはまさしく「<物自体>の気高さまで高められた対象」である。(ジジェク『斜めから見る』)

このジジェク=ラカンの説く「原初的空無」ーーフロイト的な性欲とかオマンコというのじゃなくて、ーーがラカン派的には肝なのだろう。

原初の喪失とはなにか? 永遠の生の喪失、それは、ひどく逆説的だが、性的存在としての出産の刻限に失われる。Meiosis(分裂)によるのだ。(ラカン「セミネールⅩⅠ」私訳ーーEncore, encore ! --快・不快原理の彼岸=善悪の彼岸

まあでも、いまはそんなややこしい話はやめとくよ、ここでは杏子と真珠貝の話に収斂しよう。






《夕顔のうすみどりの/扇にかくされた顔の/眼(まなこ)は李(すもも)のさけめに/秋の日の波さざめく》(西脇)




川の瀬の岩へ
女が片足をあげて
「精神の包皮」
を洗っている姿がみえる
「ポポイ」
わたしはしばしば
「女が野原でしゃがむ」
抒情詩を書いた
これからは弱い人間の一人として
山中に逃げる

ーー吉岡実「夏の宴」--西脇順三郎先生に)


《ああ すべては流れている/またすべては流れている /ああ また生垣の後に /女の音がする》(西脇)

ーーこれ読んで、アンモニア臭感じない連中を不感症っていうんだよ


《みんなは盗み見るんだ/たしかに母は陽を浴びつつ/ 大睾丸を召しかかえている/……/ぼくは家中をよたよたとぶ/大蚊[ががんぼ]をひそかに好む》(吉岡実「薬玉」)



亜麻色の蜜蜂よ きみの針が
いかに細く鋭く命取りでも、
(……)
刺せ この胸のきれいな瓢を。
(……)
ほんの朱色の私自身が
まろく弾む肌にやってくるように!

素早い拷問が大いに必要だ。

 ーーヴァレリー「蜜蜂」中井久夫訳




2014年11月1日土曜日

高齢化社会対策の劇薬

以下、メモ。このような少子高齢化推測の資料は、興味のある人にとっては周知のことなのだろうが、日本の新聞雑誌等を手にとることがないわたくしには目新しいのでここに貼付。

2050年と言えば、いま30歳の人が65歳になる頃である。ちょうど今の彼らの両親の年齢になる頃といってよいかもしれない。





このデータはおそらく移民による生産年齢人口増を考慮していないはず。以下に図表の説明がある(共同通信)。


総務省が公表した2013年10月1日時点の人口推計で、働き手の中核となる15~64歳の「生産年齢人口」が32年ぶりに8千万人を下回りました。

 Q 人口推計とは。
 A 全世帯に調査票を渡して人口などを調べる国勢調査は5年に1度だけです。国勢査のない年に、出生児数と死亡者数の差や、出入国者数の変動などから算出するのが人口推計です。

 Q 生産年齢人口が減ったのはなぜですか。
 A 少子化の流れが止まらない上に、1947~49年ごろの第1次ベビーブームに生また「団塊の世代」が65歳に達し高齢化が急速に進んでいるためです。この傾向は今後も続く見通しです。

 Q 生産年齢人口が減るとどうなりますか。
 A 働き手不足が深刻化して日本経済の成長力が低下する懸念があります。国民の豊かさが損なわれるだけでなく、税収が減って公共サービスや社会インフラの整備が滞る可能性もあります。

 Q ほかの影響は。
 A 高齢者が増えて生産年齢人口が減れば、若い世代の社会保障費の負担が重くなります。働く世代を20~64歳、高齢者を65歳以上とした財務省の試算では、12年は働く世代2・4人で高齢者1人の社会保障費を支えていましたが、50年には1・2人で支える時代になる見通しです。

 Q 現行制度を今後も維持できるのですか。
 A 年金支給開始年齢は現在、自営業者らが加入する国民年金の場合は65歳です。会社員の厚生年金は段階的に引き上げている途中で、男性は25年度、女性は30年度から65歳支給となります。この支給開始をさらに遅らせるなどの抑制策が必要との指摘もあります。

 Q 働き手を増やす方策はありますか。
 A 女性やシニア世代の活用が重要です。子育てをしながら女性が働き続けられるよう、学童保育や育児サービスの充実を図るべきでしょう。企業の定年延長も有効な手段となります。

 Q 建設業や介護分野での人手不足は深刻です。
 A 政府は外国人の活用を拡大する方針です。東京五輪が開催される20年までの時限措置として、新興国への技術移転を目的に労働者を受け入れる外国人技能実習制度の期間延長を決めました。安倍晋三首相は、家事支援や介護分野で外国人労働者を受け入れる制度の検討も指示しています。


 Q 移民は受け入れないのですか。
 A 治安悪化や日本人の雇用が長期的に奪われることへの懸念が根強く、政府は慎重姿勢です。ただ経済界などからは、本格的な受け入れが必要との指摘も出ています。

※より詳しくは、国立社会保障・人口問題研究所による「日本の将来推計人口」(2013)がすばらしい。


社会保障給付費の構成は次の通り(厚生労働省)。





高齢化比率に対して、少子化対策で対応できる時期はもうすでに終わったらしい。


河合 対照的に日本は結婚をしないと産まない国といわれていますが,そもそも未婚者がパートナーを見つけにくくなっています。婚外子の多い国はカップルが成立しやすいようですか,なぜなのでしょう。

阿藤 本当に最近の日本はセックスレスどころか「パートナーレス」ですね。もしかしたら,そこが一番のポイントかもしれませんが,一番わからないところでもありますね。ただ,緩少子化国には核家族の文化をもっているという共通点があります。古くから純粋な核家族の文化があったのが,ちょうど北欧,フランスあたりまで,ドイツや南欧は子どもが結婚しても親と住むタイプの家族(拡大家族)の伝統がありますし,中国文化圏の日本,韓国,台湾なども拡大家族の伝統をもちます。

 日本も含めて核家族文化ではない国では親と子のつながりが強く,親の権威が強い。核家族の国ではすべての子どもは未婚の時代に親から離れるので,外に出て自立してパートナーを見つけ,うまく生きていけるように育てるのが親の務めです。そういうわけで同棲・婚外子が拡がっています。しかし親子の関係が強い社会では親は子どもをひきとめ,子どもはそれに甘えてしまう。パラサイトシングルも,そのような文化を抜きにして考えられないですよ。北欧では成人した子が親とずっと一緒に住むなんて,双方生理的に耐えられないでしょう。
……また,選挙で強いのは高齢者福祉で子どもではないのです。そちらのほうにどうしても関心が行ってしまい,そうこうするうちに出生率を取り戻すタイミングを逸してしまったという感じですね。

河合 取り戻すタイミングとは団塊ジュニア世代が出産できた時代のことですね。

阿藤 そうです。第二次ベビーブームで生まれた世代が出産年齢にあるうちに何とかできれば,日本にもチャンスはあるはずでした。その世代が出産できる年齢を過ぎ,本当はあるべき第三次ベビーブームがないことがはっきりした今,日本は,たとえこれから少々出生率が上がっても大勢は変わりません。今後は出産年齢にある人口が減る一方ですから,私たちはこれを少子化スパイラルと呼んできましたが,長期にわたって人口減が続くことはすでに避けられないのです。

働く世代1.2.人で、高齢者1人を支えなくてはならないなどということはどう考えてもありえず、少子化対策もダメ、消費税増も移民もイヤであるなら、高齢者が急激に死んでくれることを期待するよりほかないんじゃないかい? それとも75歳ぐらいまでは働いて税金払ってもらうとかさ。

上にもあるように、選挙では高齢者(高齢者予備軍も含め)が強いに決まってるんだから、社会保障費削減政策なんて実現しようがないだろうからな。

ところで2011年時点での「平均代替率」は82%だったらしい。すなわち、生産年齢人口 1 人当たりの所得は 316 万円であったのに対し、65 歳以上人口 1人当たりの社会保障給付額は 261万円とのこと。

ここでは議論の大枠を踏まえるために、年金、高齢者医療、介護について、平均代替率をど う制御するかで中央・地方政府の基礎的財政収支均衡を維持するための必要な消費税率、さらには国民負担率が長期的に変わってくることを、マクロの視点から試算する。試算上での平均代替率は、65 歳以上人口1人当たりの社会保障給付(65 歳未満への医療給付、雇用保険給付、子ども手当等を除く社会保障給付)の生産年齢人口1人当たりの平均所得(雇用者報酬及び混合所得)に対する比率と定義する。こうして計算された現在の平均代替率は 2011 年度の実績で82.4%である。すなわち、生産年齢人口 1 人当たりの所得は 316 万円であったのに対し、65 歳以上人口 1 人当たりの社会保障給付額は 261 万円だった。(大和総研「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(2013))

これは消費税率、あるいは国民負担率を上げるための議論のなかの記述なのだけれど、いまはその議論を外し、単純化する(他の条件を一定と仮にする)。

上で見たように、現在、生産年齢人口2.4人で高齢者1人を支えなくてはならなく、2050年は生産年齢人口1.2人で高齢者1人を支えることになる。ある時期の高齢者人口/生産年齢人口を基準にして、たとえば現在の平均代替率を基準としたら、2050年には生産年齢人口/高齢者人口比率が半減するのだから、高齢者への社会保障給付額をも半額130万円にするという「スライド」制でも無理矢理つくったらどうだろうかね。まあこれは冗談にしても、日本の袋小路の根源は、少子高齢化にあるので、最近は殆どすべて他の議論はこの派生物でしかないようにさえ思えるな。

冒頭の図と同じデータからの別の図だが、2012年だって目一杯なんだから、2050年の1.2人ってのはすでに上のおじいちゃん、崩れ落ちているにきまってるよ。そのおじいちゃんとは、いま三十代の「きみ」だぜ。




日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」

どうしたらいいだって? 新しい形態の家族=アソシエーションしかないんじゃないかい?

一般に流布している考えとは逆に、後期のマルクスは、コミュニズムを、「アソシエーションのアソシエーション」が資本・国家・共同体にとって代わるということに見いだしていた。彼はこう書いている、《もし連合した協同組合組織諸団体(uninted co-operative societies)が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府主と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外の何であろう》(『フランスの内乱』)。この協同組合のアソシエーションは、オーウェン以来のユートピアやアナーキストによって提唱されていたものである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

二十代の連中はだって? 彼らはとっくの昔に開き直ってシオラニストだろ。

@Cioran_Jp: 私が自殺を若い頃から考えてきたのは、人生を自殺の遅延と私が考えているからです。三十を過ぎて自分は生きていないだろうと私は思ってました。臆病だったからではないので、私はいつだって自殺を延期してきた。自殺という考えに私はしがみついてきた。自殺に私は寄生してきたんです。(シオラン)

パラサイト・スーサイド(Parasite Suicide)ってわけさ。

…………

困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。

現在のロシアでは、広い大地の家庭菜園と人脈と友情とが家計を支えている。そして、すでにソ連時代に始まることだが、平均寿命はあっという間に一〇歳以上低下した。高齢社会はそういう形で消滅するかもしれない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」『時のしずく』所収ーー何を今更言ってるんだろう

ここに《あっという間に一〇歳以上低下した》とあるが、これはやや誇張のようだ。



ソ連崩壊以降、驚くべき平均寿命の低下があったとも言えるが、最近の上昇ぶりも目覚しい。

ロシアの人口は、 ソ連邦崩壊直後の 1992 年をピークに減少に転じ、 総人口は 2009 年 1 月までの 17 年間で約 6.6 百万人減少した。2007 年以降、減少幅は縮小し、2009 年には自然減を移民増でカバーして 10.5 千人増と、18 年ぶりに僅かながら人口増を記録した。ようやく長年の人口減少は一服した感があるものの、この主因は移民の流入増であって、長期的な人口減少傾向に終止符が打たれたものかどうかは判然としない。また、平均寿命は 67.9 歳(男性は 61.8 歳、2008 年)と BRICS4ヵ国の中ではインドを若干上回るものの、中国(74 歳)、ブラジル(73 歳)に比してかなり低い。一方で、ロシアの医師数(2008 年)は、人口 1,000 人当り 4.54 人 (日本は 2.15 人) と主要国の中では世界一多い。〔『ロシア連邦の医療』医療経済研究機構 専務理事 岡部 陽二)

『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』では、財政破綻によるハイパーインフレーションをめぐって、次のようなメモがあるを見た(参照:「日本の財政は破綻する」などと言っている悠長な状況ではない?)。

・意外に悪影響の少ない劇薬?
・日本への教訓 – ハイパーインフレ恐るるに足らず?
・むしろ究極の財政再建策として検討すべき?

そしてこの「冷徹な」メンバーの方々はロシアの財政崩壊をも研究されている。

いささか不謹慎な話題かもしれませんが・・・。――旧ソ連が崩壊し、ロシアでは、それまで全国民に医療サービスを政府が提供する体制が実質的に崩壊しました。また、ソ連崩壊後の時期に死亡率が急上昇しました。……[送り状(2)]http://www.carf.e.u-tokyo.ac.jp/research/zaisei/ScenarioCrisis2904pdf.pdf

ーー以下、おそらく肝腎なところは、「オフレコ」なようだ。だが彼らがひそかに期待している「劇薬」の最も顕著な効果は何か? はなんとなく憶測できないでもない。

ひょっとすると、多くの社会は、あるいは政府は、医療のこれ以上の向上をそれほど望んでいないのではないか。平均年齢のこれ以上の延長とそれに伴う医療費の増大とを。各国最近の医療制度改革の本音は経費節約である。数年前わが国のある大蔵大臣が「国民が年金年齢に達した途端に死んでくれたら大蔵省は助かる」と放言し私は眼を丸くしたが誰も問題にしなかった。(中井久夫「医学部というところ」書き下ろし『家族の深淵』1995)

《お元気でいらっしゃいましたか? いちばん心配なのは長生きでございます!》(大江健三郎『懐かしい年への手紙』


…………

もし、現在の傾向をそのまま延ばしてゆけば、二一世紀の家族は、多様化あるいは解体の方向へ向かうということになるだろう。すでに、スウェーデンでは、婚外出産児が過半数を超えたといい、フランスでもそれに近づきつつある、いや超えたともいう。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」より(2000年初出)『時のしずく』所収ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障

ーーとすこし前に引用したが、フランスも実際に超えたようだ(「少子化を克服したフランス~フランスの人口動態と家族政策~」 第三特別調査室 縄田康光)。




  (「フランスにベビーブーム到来! 日本の未来は?」NTTコム リサーチより)

今やフランスにおける婚外出生比率は 50%を超えている(2007 年) 。事実婚に対する差別が解消されたことが非婚カップルの出産を促し、出生率上昇につながったと言える。一方我が国の婚外出生比率は、2.03%(2007 年)と先進国では異例の低さであり、また同棲している独身者は、男性 1.9%、女性 2.3%にすぎず、 「出産≒結婚」という傾向は大きくは変化していない。ただ、長期的には我が国においても婚外子が増加する傾向にあることから、婚外子が不利益を被ることのないよう議論を深めていく必要がある。(縄田康光少子化を克服したフランス~フランスの人口動態と家族政策~」) 

日本は、パラサイトシングルの国だからな、しかたがないさ! などと言い放つわけにはいかない。、世界の状況は次の通り。






パラサイトシングル率の国際比較



アジア先進諸国だけでなく、イタリアだって、わが日本の味方さ。でも

婚外子はかなり遅れをとっているようだな。

イタリアの場合、2000年には婚外子は約10%だったものが07年には20・8%に上昇し、このままの上昇率で行けば、20年には出生児の2人に1人、つまり50%は婚外子になると推定されている。

 この急上昇の原因は、正式な結婚をせずに同棲(どうせい)する男女が増えたことだ。1972年と2008年両年の結婚総数、つまり教会での結婚と市役所での非宗教結婚の合計を比較すると、39万2千件から21万2千件に減少している。この結果、上記の結婚のどちらも行わないで一緒に住んでいる男女のカップル、つまり同棲カップルの総数はイタリア全国で現在63万7千組と推定される。

 わが国でも、夫婦別姓制度が導入されるとこれまでの家族概念が崩れ、同棲カップルが増加し、婚外子の数は欧米並みに急増する可能性がある。(坂本鉄男 イタリア便り 婚外子の急増


同棲比率までここでは貼り付けないが、日本の「

男性 1.9%、女性 2.3%」ってあり? カップルは経済単位でもあるけれど、カップルになって困ることってなんだろ? カップルというか同棲してさ。ひょっとして自由に自慰ができなくなることかい?

結婚じゃなくて同棲でもジジェクのいうメカニズムはいっしょだからな、やっぱり同じ女や男じゃ「義務」になり勝ちなのさ。

ラカン派の用語では、結婚は、対象(パートナー)から“彼(彼女)のなかにあって彼(彼女)自身以上のもの”、すなわち対象a(欲望の原因―対象)を消し去ることだ。結婚はパートナーをごくふつうの対象にしてしまう。ロマンティックな恋愛に引き続いた結婚の教訓とは次のようなことである。――あなたはあのひとを熱烈に愛しているのですか? それなら結婚してみなさい、そして彼(彼女)の毎日の生活を見てみましょう、彼(彼女)の下品な癖やら陋劣さ、汚れた下着、いびき等々。結婚の機能とは、性を卑俗化することであり、情熱を拭い去りセックスを退屈な義務にすることである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』(2012) 私訳)

で、どうして海外の若いヤツラは同棲して子供つくっちゃうんだろ。




…………

※附記:「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会 [論点整理メモ 2]  September 7, 2012: Miwa


*そんなことは誰でも知っている・・・・かもしれない?

・しかし、なかなか話題にならない・・・?――とりわけ、具体的内容を伴う話題とはならない。

・理由?:誰にとっても本格的検討はスタートすることすら容易でない・・・?どのように考えて整理・主張しても、意見の一致は容易には得られない?検討方法すら不明?面倒 ・ ・ ・ ? (バカバカしく阿呆らしい?) ――だから、 誰もが回避したくなる? (誰か ・ ・ ・挑戦してくれないかな・・・と見果てぬ夢を・・・)――そういう状態が続いてきたから、いまさら・・・?――そんな課題に(自らはもちろん、誰かが)挑戦することなど、夢にも見ない?

・ 「政府」の周辺では?――縦割りだから、誰も全体のことは考えない(考えられない)?

ウチだけは大丈夫・・・だと考える(たとえば、社会福祉・医療・教育や農業、対外援助、さらに科学技術の振興など)?だから、これは政治と財務省の検討課題・・・だと無視する?――直接の関係者・担当者は 「考えたくない」 と思っている?1 年や 2 年の在任期間中に急ぐ必要はない・・・?――さらに、周りがそう考えていることもあって実質的なタブー?――さらに、そんな余計なことを考える連中を近づけるな・・・?(自己防御あるいは組織防衛?)――(とはいえ、個人的には深刻な事態だと考えている官僚たちも少なくない・・・?)





2014年10月29日水曜日

「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)

柄谷行人は福島原発事故後、3ヶ月経たときのインタヴューで次のように語っている。

【柄谷】最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。

 日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています。地震のあと、むしろそのような論調が強くなった。もちろん、そんなものはうまく行きやしないのです。といっても、それは、地震のせいではないですよ。それは産業資本主義そのものの本性によるものですから。([反原発デモが日本を変える])


その後も日本では、《世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか》という真の課題を忘れてしまえる「出来事」が続出した。たとえば第二次安倍政権樹立、米中韓国との軋轢、ネオナチ猖獗など。

中井久夫は、バブル時代にすでに日本の「引き返せない道」を書いている。

一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。

2000年にも「親密性と安全性と家計の共有性と」と題して、中井久夫はこう書いている。


私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。

この文のベースにある考え方は次の文にあらわれている。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。
(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

これはジジェクにも、ベルリンの壁の崩壊による東西間の「まなざし」がなくなってしまったという語り口によるほぼ同様の見解の文がある。

私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

そして現在、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。これはジジェクと同じラカン派であるベルギーの精神分析医Paul VerhaegheがGuardian(ガーディアン 2014.09.29) にて"Neoliberalism has brought out the worst in us"「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎した」という主張と同じ文脈のなかにある。もっともVerhaegheの見解は、新しい「文化のなかの居心地の悪さ」、--ただ「政治的」というよりは、個人と組織とのネガティブスパイラルという面への照射ーーに傾くものだが。それはこの短く書かれたガーディアンの記事ではなく、Capitalism and Psychology Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent(PaulVerhaeghe) に詳しい。

人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」12番 原佑訳)

21世紀になって、われわれはみな「イギリス人」になってしまっている。

It was Nietzsche who observed that “human beings do not desire happiness, only the Englishmen desire happiness”- today’s globalized hedonism is thus merely the obverse of the fact that, in the conditions of global capitalism, we are ideologically “all Englishmen” (or, rather, Anglo-Saxon Americans…)ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

どこかの「経営コンサルタント」が文科省の有識者会議にて提案して話題になっているG型大学とL型大学ーーG型大学はGLOBALのG、L型大学はLOCALのLーーもこの「イギリス人」の流れのなかにある。だがそれは「われわれに最悪のものを齎す」とまでは言わないでおこう、旧制高校時代のエリート主義の復活的要素の提案の芽もあると受け取るのなら、それは単純に否定されるべきものではないとも言いうるのだろうから。

蓮實重彦)エリート教育をやったほうが、左翼は強くなるんですよ。エリートのなかに絶対に左翼に行くやつが出るわけですよね。

(……)ところがいまは、エリート教育をやらないで、マス教育をやって、何が起こるかというと、体制順応というほうに皆行っちゃうけどね。(『闘争のエチカ』)

さて中井久夫の文に戻れば、困難な時代を生き抜くには「家族」しかないよ、という趣旨の主張だ。

今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。二一世紀の家族のあり方は、何よりもまず二一世紀がどれだけどのように困難な時代かによる。それは、どの国、どの階級に属するかによって違うが、ある程度以上混乱した社会では、個人の家あるいは小地区を要塞にしてプライヴェート・ポリスを雇って自己責任で防衛しなければならない。それは、すでにアメリカにもイタリアにもある。

困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。

いずれにせよ、20世紀には異様なことが起こったであり、前世紀初頭のヒトの数はわずか20億だった。






              (「今までに存在した世界人口累計」より)


こういった状況下で(急激な少子高齢化で)、社会保障制度(年金制度など)はまともに存続できるわけがない。大和総研の「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(2013)には、1970年に就業者9人で高齢者1人を支える制度として始まった社会保障制度は、《90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である》と記述されている。

高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)。
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。


ドイツのように移民人口が多い国でさえ、付加価値税率19%でありつつ、年金破綻の懸念にひどく憂慮している。左翼勢力が相対的に強いだろうフランスでも、すでに、《80年代以降、政府は(政権の左右を問わず)女性が家庭に戻るように仕向け、この分野への予算を削減しようとの思惑から、政策方針を大幅に転換した。》(「子供か仕事か、欧州女性たちのジレンマ」 アンヌ・ダゲール)


たとえば、これはここでの文脈とは異なり、男女の賃金格差の図であるが、この図を見ると男女賃金格差は、フランス、イタリアは改悪している(差が広がっている)ことがわかる。





フランスやイタリアの状況は、おそらくもっと詳しく、--たとえば移民女性の賃金などを顧慮してーーデータを見なくてはならないという議論もあるだろう。だがそれはここでは脇にやる。

いずれにせよ、欧米諸国には「移民」という強い味方ーーもちろん移民排斥運動はあることを知らないわけではないがーーがあるにもかかわらず、社会保障制度のいままでどおりの継続は困難だと推測しているわけだ。




たとえば、ドイツ。

現在ドイツでは、出生率が1.34 (McDonald 2007)、日本では1.32(全国保育団体連絡会・保育研究所2007)とほぼ同レベルであり, 両国とも深刻な状況にある。その一方で、ドイツと日本における平均寿命の上昇は、両国の高齢者年金制度に深刻な影響をもたらしている。高齢者人口の増加と出生率の低下により、日本同様、ドイツも財政的に困難な状況に直面しており、この変化に対応するために様々な政策が導入されている。(「男女不平等とワーク・ライフ・バランス: ドイツにおける社会変化と少子化問題」(アンドレア・ゲルマー/バーバラ・ホルトス 2007)


少子高齢化はドイツも日本も似たようなものだが、他方、ドイツの消費税(付加価値税)はこんな具合だ。



                  (三井住友銀行による






各国の合計特殊出生率推移は、次の通り。






これをみると、韓国は日本以上に驚くべき状況であることが窺われる(韓国の年金制度のありようは「資料:韓国の自殺率と出生率」を見よ)。上の図には中国のデータはないが、2013年に発表された大和総研の「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」には次のような記述がみられる。

少子高齢化が進展している日本が社会保障システムや政府財政の持続性に問題を抱え、制度疲労に対して喫緊の改革を迫られている点は周知の事実だが、中長期的にみると高齢化は日本に限った話ではなく、世界共通の課題である。ただ、国によってそのスピードが大きく異なることから、高齢化への取り組み方も変わってこよう。

国連の推計に基づくと、いずれの国の中位数年齢(年齢順に並べ、全人口を 2 等分する年齢)も年を経るにつれて上昇していく。例えば、2010 年時点の日本の中位数年齢は 44.7 歳であり、先進国平均の 39.7 歳を大きく上回り、ドイツ(44.3 歳)やイタリア(43.2歳)に近い。それが 2020 年には 48.2 歳、2050 年には 52.3 歳に上昇し、世界における超高齢社会のフロントランナーのポジションは譲らない。他方、高齢化の進展が相対的に遅いドイツやイタリアの場合、2050 年時点でも中位数年齢は 49 歳代にとどまる。

これに対して、 日本の後ろ姿を急速に追いかけてくるのが中国である。 世界最大の人口 (2010年時点 13.4 億人)を抱える中国の場合、2010 年の中位数年齢は 34.5 歳と先進国平均を 5 歳ほど下回っていたが、2020 年には 38.1 歳、2050 年には 48.7 歳へ大きく上昇すると予想される。

つまり、日本の中位数年齢が 40 年間で 7.6 歳上昇するのに対して、中国は同じ期間で 14.1 歳(四捨五入の関係で上記の年齢の差分とは一致せず)と 2 倍近く上昇する計算である。一方、中国に次ぐ人口 12.2 億人を抱えるインドの中位数年齢は 2010 年時点の 25.1 歳から 2020 年には28.1 歳、そして中国を抜いて世界最大の人口(16.9 億人)を抱えるであろう 2050 年には 37.2歳に達すると予想されている。40 年間で 12.1 歳上昇するものの、発射台が低いだけに 2050 年時点でも世界のなかで相対的に若さを保っていよう。

中国の高齢化が急速に進むとみられる背景の一つは、1979 年から導入されている“一人っ子政策”であり、同政策によって出生率は急激に低下した。同時に経済発展によって死亡率が低下した結果、人口ピラミッドの形がいびつになってきた3。2010 年時点で中国の 65 歳以上人口が全人口に占める割合 (高齢化比率) は 8.2%に達し、 経済発展の途上段階で人口構造の成熟化が進んでいる。高齢化に伴う社会的コストが増える一方で、その費用を負担する現役世代の伸び率が鈍化している状態であり、今後中国では現役世代の負担感が大幅に高まっていくと予想される。

具体的に、高齢者人口(65 歳以上)を生産年齢人口(現役世代、15~64 歳)で割った老年人口指数を求めてみると、 2010 年時点では 100 人の現役世代で 11 人の高齢者を支えていたが、 2020年には 17 人、2050 年には 42 人を支えることになり、約 4 倍の負担になる。今後の中国は、これまでの 2 桁台の高い成長率から質の伴った安定成長へスムーズにシフトするという目標を実現しながら、社会保障制度など膨張する費用を賄わなければならない。例えば、子どもが 1 人しかいない家庭では高齢者介護が大きな負担になるために、年金補助制度などを強化していく方針であるという。

ちなみに、 日本において高齢化比率が中国の 2010 年と同じ 8.2%を上回ったのは 1977 年であった。中国の現在の経済規模は日本を抜いて世界 2 位だが、1 人当たり名目 GDP(2010 年時点)は 4,400 米ドル程度であり、 1977 年当時の日本の 1 人当たり名目 GDP6,100 米ドルを下回っている。この間の生活水準や物価の変化を考えれば、その格差はより大きい。単純な比較はできないが、中国では人々の生活が豊かになる前に高齢化が始まっている。

ここでもう一度、中井久夫の文を反芻しておこう、《私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた》と。


国民負担率の国際比較





西欧諸国に比せば、国民負担率を上げる余地が、日本にはあることがわかる(その具体的な方法は、消費税増ということになるのだろう)。

消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(岩井克人

※参考
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013)より)

参考2:「貨幣」から読み解く2014年の世界潮流(岩井克人)

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。

 消費増税は、もちろん短期的には消費に対してマイナスだろうが、法人税減税などと組み合わせれば、インパクトを最小限に抑えることができる。重要な点は、消費増税によって財政規律に対する信頼を回復させ、長期金利を抑制することだ。実際、消費増税の実施が決定的となった昨年9月には、長期金利は低下した。

現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。

このような議論をすると、「1997年に消費税を3%から5%へ引き上げたあと、日本経済は不況に陥ったのではないか」との反論が上がる。しかし当時の景気減退は、バブル崩壊後の不良債権処理が住専問題騒動で遅れ、日本が金融危機になったことが主因である。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻は、小さな規模のリーマン・ショックだったのである。

また、「消費税は弱者に厳しい税だ」という声も多い。だが、消費額に応じて負担するという意味での公平性があり、富裕層も多い引退世代からも徴収するという意味で世代間の公平性もある。たしかに所得税は累進性をもつが、一方で、「トーゴーサン(10・5・3)」という言葉があるように、自営業者や農林水産業者などの所得の捕捉率が低いという問題も忘れてはいけない。


こんななかでいわゆる「左翼」の活動家はいまだこんなことをオッシャッテおり(「経済なき道徳は寝言」)ーーたまたま半年ほどまえ拾ったものであり、お二人にはなんのウラミもないが、「左翼」の典型的ツイートとして掲げさせてもらうーー、それを正義の味方として振舞いたいらしい左翼だかリベラルだかの学者センセまでRTしておられる。

河添 誠@kawazoemakoto

・「消費税増税で低所得層に打撃になるのは問題だと思うけれど、今の日本の財政では云々」という人へ。前段の「低所得層への打撃」だけで、消費税増税に反対するのに十分な根拠になるはず。なぜ、財政を理由に低所得層の生活に打撃になるような増税が正当化されるのか?この問いにだれも答えない。

・「消費税増税にはさまざまな問題がありますが、財政の厳しい状況では仕方ないですね」と、「物わかりよく」言ってみせる人たち。低所得層の生活が破壊され、貧困が拡大する最大の政策が遂行されるときにすら反対しないのかね?まったく理解不能。

※河添誠氏のプロフィール欄

《NPO非営利・協同総合研究所いのちとくらし研究員・事務局長/首都圏青年ユニオン青年非正規労働センター事務局長/都留文科大学非常勤講師。非正規労働者・低い労働条件の正社員と失業者の生活支援・権利拡充のために活動中。反貧困たすけあいネットワーク、反貧困ネットワーク、レイバーネット日本の活動なども。》

藤田孝典@fujitatakanori:

・みんなが社会手当を受けたら、国の財源がなくなるという人々がいる。それはウソ。それなら欧州の国々はとっくに破綻している。

・ 財源が足りないという理由だけで、国民の生存権や社会権を剥奪していいなら、法秩序は崩壊する。

※藤田孝典氏プロフィール欄

《ほっとプラス代表理事。反貧困ネットワーク埼玉。ブラック企業対策プロジェクト共同代表、生活保護問題対策全国会議、福祉系大学非常勤講師。著書『ひとりも殺させない』》(「偽の現場主義が支える物語的な真実の限界」より)


こういった「左翼」の消費税増反対などというものは、《文句も言えない将来世代》への残忍非道の振舞いではないか(参照:アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン)。

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)

80年代の消費税導入の遅れ、90年代にいっそうの消費税増が遅れたからこそ、現在、いっそうひどい財政危機に瀕し、いま弱者たちの首をいっそう絞めているのではないか、――とまでは言わないでおくが、「左翼」の連中は、未来の他者への心配りがまったく欠けた経済音痴どもの集まりではないかと疑わざるをえない。90年代におけるあれら「左翼」の弱者擁護の名目での「誠実で正義感溢れる」姿勢・活動が、いまの急激な「格差社会」成立にかなり貢献しているのではなかろうか。

彼らの経済的弱者への「共感」による合意(コンセンサス)は、今ここにいる者たちの間でのみの合意であり、未来の経済的弱者への配慮はなされない。90年代に「未来」であったその弱者は、2014年の今ここに多数いる。その苦境に大いに貢献したのではないか、あの正義の味方「左翼」の連中は。

…ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P191-192)

真のラディカル左翼であるなら、消費税を西欧諸国なみに挙げる提案を支持し、そこから、たとえばベイシックインカム制度が夢物語であるなら、フリードマンの「負の所得税」などを変奏して提案していくべきではないだろうか。

負の所得税とは所得に関係なく一定の税率を一律にかけ、 基礎控除額を定めることでそれを上回った者から所得税を徴収し、下回った者は逆に所得に応じた負の所得税を払うものである。負の所得税とはすなわち政府からの給付金である。

基本税率 40 パーセント、基礎控除額が年収 200 万円だとすると 年収 1000 万円の者は基礎控除額を超過している 800 万円が課税対象となり 40 パーセントの 320 万円を所得税として支払う。
年収 200 万円の者は基礎控除額を上回りも下回りもしないため所得税を支払わない。

年収 100 万円の者は基礎控除額 200 万円を 100 万円下回るためマイナス 100 万円が課税対象となり、40 パーセントのマイナス 40 万円を支払う。つまり政府から 40 万円を受け取る。この 40 万円が負の所得税である。

つまりまったく収入が無い者はマイナス 200 万円の 40 パーセントである 80 万円を受け取ることになり、これが最低レベルの所得の者に支払われる生活保護額となる。(「再分配方法としての負の所得税」ネット上PDFよりーー「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)

もちろん消費税増の導入の景気停滞の影響は顧慮しなくてはならないということはある。

消費税が3%から5%に引き上げられた1997年の景気動向については、アジア通貨危機(7月)、金融システムの不安定化(11月)という大きなショックに日本経済が見舞われたため、消費増税そのものの影響だけを析出するのは容易ではない。(社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書説明資料(第Ⅱ部)  平成23年5月30日東京大学大学院経済学研究科長吉川洋

現在、消費税が5%から8%の影響も存外大きいままなのかもしれない。とはいえ、そうであるなら、8%→10%を遅らせるべきなのだろうか。

私は「消費税引き上げの影響は存外に大きい可能性がある」という見方です(植田和男先生とたぶん同じ)。ただし、目先の景気と将来の負担との比較の問題で、目先の痛みは大きいとしても、それをしなかったときの将来の痛みはもっと大きいと考えています。(池尾和人氏ツイート)
消費税率10%への引き上げ見送りが、日銀の政策への最大のリスクになる(黒田東彦日銀総裁インタヴュー
現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。(岩井克人

とはいえ、アベノミクスなどなんの成功もしていないじゃないか、という反撥もあるだろう。ではどうしたらいいのか? それなしでいたずらな政策否定ではなしのつぶてである。

結局、あれらの「左翼」も「イギリス人」である。イギリス人とは、経済合理主義者の謂であり、短期的な「快」のみを求める。彼らの「快」は、中長期の視点をなおざりにし、いまこの場でのみ「庶民的な正義の味方」として振舞うことだ。それさえできれば「後は野となれ山となれ!」、--そうでなかったなら、どうしてあのような寝言を言いうるのだろう、ーー《財源が足りないという理由だけで、国民の生存権や社会権を剥奪していいなら、法秩序は崩壊する》などと。

われわれは、真の「糞便」をしっかり観察すべきだ、その「糞便」にある甚だしい病気の兆候を見逃して、「うんこ」の臭いのみ鼻を抓む習慣はそろそろやめなければならない。

西洋におけるトイレのデザインの三つの基本型は、レヴィ=ストロースが考えた調理の三角形(生、焼く、煮る:引用者)に対応する、排泄の三角形を構成している。伝統的なドイツのトイレは、排泄物が消えていく穴が前のほうについているので、便は水を流すまで目の前に横たわっていて、われわれは病気の兆候がないかどうか、臭いをかいで調べることができる。典型的なフランスのトイレは、穴が後ろのほうについているため、便はすぐさま姿を消す。最後にアメリカのトイレはいわば折衷型、つまり対立する二極の媒介で、トイレの中に水が満ち、便が浮くが、調べている暇はない。(……)

 ドイツ-フランス-イギリスの地理的三角形を三つの異なる実存的姿勢の表現と解釈した最初の人物はヘーゲルである。ドイツの反省的徹底性、フランスの革命的性急さ、イギリスの中庸的な功利的実用主義。政治的スタンスの面でいえば、この三角形はドイツの保守主義、フランスの革命的急進主義、イギリスの穏健な自由主義と解釈できる。社会生活のどの面が優性かという点からみると、ドイツは形而上学と詩、フランスは政治学、イギリスは経済学だ。トイレを考えてみれば、排泄機能の実践という最も身近な領域にも、同じ三角形を見出すことができる。魅了され、じっくりと観察する、曖昧な態度。不快な余剰をできるだけ速やかに排除しようとする性急な姿勢。余剰物を普通の物として適切な方法で処理しようとする実用的なアプローチ。(ジジェク『ラカンはこう読め』)


…………

さて冒頭、柄谷行人の発言の引用で始めたのだ。彼はその後、2013年の講演で次のように発言していることを付記しておこう。

「世界の現状は、米国の凋落でヘゲモニー国家不在となっており、次のヘゲモニーを握るために主要国が帝国主義的経済政策 で競っている。日清戦争 後の国際情勢の反復ともいえる。新たなヘゲモニー国家は、これまでのヘゲモニー国家を引き継ぐ要素が必要で、この点で中国 は不適格。私はインド がヘゲモニーを握る可能性もあると思う。その段階で、世界戦争が起こる可能性もあります」
 「現実政治を知らなすぎると言って、私の言うことを笑うかもしれませんが、『来るべき戦争』がやってきた時に、私の言ったことを認めざるを得ないでしょう」

債務危機の解決策は、《増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルト》しかない。戦争かデフォルトを選択する戦略なのだろうか、あれらの「左翼」たちは。北野武は、日本という国は一度亡んだほうがいい、という意味のことをどっかで言っていたが、内心「デフォルト」志向なのだろうか。

アタリ氏は「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」と言う。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」とも述べている。(……)

現にアタリ氏自身も「(公的債務に対して)採用される戦略は常にインフレである」と述べている。お金をたくさん刷って、あるいは日銀が吸収している資金を市場に供給して貨幣価値を下げ、借金をチャラにしてしまいしょう、というわけだ。(資料:「財政破綻」、 「ハイパーインフレ」関連

…………

ーーなどということをわたくしが書いても致し方ないのだが、たぶんこういうことは「海外住まい」の消費税増があろうがなかろうが関係ない者のみが言える特権であるのかもしれず、実際すぐれた経済学者も、アベノミクス導入以前には、「逃げ切れるか」、などとオッシャッテイタわけだ。

むしろデフレ期待が支配的だからこそ、GDPの2倍もの政府債務を抱えていてもいまは「平穏無事」なのです。冗談でも、リフレ派のような主張はしない方が安全です。われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれないのだから...(これは、本気か冗談か!?)(ある財政破綻のシナリオ--池尾和人2009.10ーーアベノミクスの博打


2014年10月24日金曜日

「関係構造」は事物の存在より重要である

私は仕事のための場をふたつもっている。ひとつはパリに、そしてもうひとつはいなかに。二ヶ所に、共通の品物はひとつもない。何ひとつとして運んだことがないからだ。それにもかかわらず、これらふたつの場所は同一性をもっている。なぜか? 用具類(用紙、ペン、机、振子時計、灰皿)の配置が同じだからである。空間の同一性を成立させるのはその構造なのだ。この私的な現象を見ただけでも十分に、構造主義というものがはっきりわかるだろう。すなわち、体系は事物の存在より重要である、ということだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

…………


天動説のままの阿呆鳥、あるいは「死の欲動」」にて、柄谷行人の「或る関係構造の項」をめぐる叙述を引用した。ここでもうすこし関係の構造――これはマルクスの価値形態論に起源(のひとつ)があるーーをめぐってメモしてみよう。

柄谷行人の"Revolution and Repetition"(「革命と反復」)にはこうある。おそらく日本語原文があるのだろうが、わたくしは手元に英文しかないので、まずこれを貼り付ける。

I believe that there is a repetition of history, and that it is possible to treat it scientifically. What is repeated is, to be sure, not an event but the structure, or the repetitive structure. Surprisingly, when a structure is repeated, the event often appears to be repeated as well. However, it is only the repetitive structure that can be repeated.

《私は歴史に反復があると信じている。そしてそれを科学的に扱うことが可能である。反復されるのは、たしかに、出来事ではなく、構造あるいは反復構造である。驚くべきことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて、しばしば現われる。しかしながら、反復されるのは反復構造のみである。》とでも訳せる文であろう。

 

ところで、柄谷行人は、90年代、システム/出来事、記録/記憶を語った、《それは、システムと出来事の違いだし、記録と記憶の違いだね》(「悪い年」を超えて 浅田彰・坂本龍一・柄谷行人による鼎談 1996-9

これは次の文脈の流れのなかの発言である。


坂本:情報と経験の違いでもある。
(……)
浅田:ドゥルーズの『差異と反復』じゃないけど、記憶というのは常に差異の反復なんで、しかしだからこそ真実なわけじゃない? 全く同じものがコピーされてくるんだったら、記録の再生だけで、そこに本当の反復はない。

とすれば、柄谷行人が反復構造の反復を主張するとき、システムの反復を言っているのだろうか、それとも出来事の反復を言っているのだろうか。通常は、「構造」と言えば前者である。だが反復構造は記録ではなく記憶であるとも考えられないものだろうか。

さあて、ドゥルーズの『差異と反復』もつまみ読みをしただけであり、最近の柄谷行人の仕事にも疎いわたくしは首を傾げて思案するふりをしてみる。

次の文はプルーストの「レミニッサンス=無意識的想起」をめぐるなかで語られ、「純粋過去」の議論に発展していくなかでのドゥルーズの「反復」である。


それら二つの現在〔古い現在と現働的な現在〕が、もろもろの実在的(レエル)なものからなる系列のなかで可変的な間隔を置いて継起するということが真実であるとしても、それら二つの現在はむしろ、別の本性をもった潜在的対象に対して共存する二つの現実的な系列を形成しているのである。しかもその別の本性をもった潜在的対象は、それはそれでまた、それら二つの現実的な系列のなかで、たえず循環し遷移するのだ(たとえ、それぞれの系列のもろもろの位置や項や関係を実現する諸人物、つまり諸主体が、それらとしては依然、時間的に区別されているにしてもである)。反復は、ひとつの現在からもうひとつの現在へ向かって構成されるのではなく、むしろ、潜在的対象(対象=x)に即してそれら二つの現在が形成している共存的な二つの系列のあいだで構成されるのだ。(ドゥルーズ『差異と反復』)

潜在的対象(対象=x)とあれば、ラカンの現実界やら、対象a、そして享楽概念を想起せざるをえない。

ラカン派にはシニフィアンの反復をめぐる議論がある。ラカンはセミネールⅩⅠで二種類の反復を語っている。アリストテレス用語のautomaton/tucheを援用しつつ、象徴界におけるシニフィアンのくり返しが、”automaton”とされ、現実界的なものに促された反復がtuche(チュケー)である(参照:二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」)。

おそらくキルケゴール=ドゥルーズの反復とは、このチュケーの審級に属するものであるだろう。そして柄谷行人の《反復されるのは、たしかに、出来事ではなく、構造あるいは反復構造である。驚くべきことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて、しばしば現われる。しかしながら、反復されるのは反復構造のみである》という文における反復は、チュケーの審級の臭いが、わたくしにはぷんぷんしてくるが、ここで臆断は避けることにする。

ただ同じような反復にみえるものでも、潜在的対象(対象=x)ーーここではトラウマ的なものとしておくーーに促された反復は、シニフィアンの換喩的な連鎖による反復とは、異質なものであるには相違ない。

たとえば日本が戦前のある時期の「構造」を反復するとする。それはただシステムの反復 ”automaton”ではなく、tuche(チュケー)の反復として捉え得る。ここでは、戦後70年経っても解決されないままに居座る戦前の亡霊xによる反復という意味で言っている。《戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。》(「加藤周一「今日も残る戦争責任」)

ただこの議論はいまは発展させない。いずれ? それをめぐってもうすこし詳しく書くかもしれない? ーーとだけしておく。いやいつのことになるかわからないので、ここでそれにまつわる三つの論文を提示しておこう。

1、Jacques-Alain Miller“Transference, Repetition and the Sexual Real Reading The Four Fundamental Concepts of Psychoanalysis”

2、Alenka Zupancic" When Surplus Enjoyment Meets Surplus Value"

3、Ian Parker ”Identification: Signifiers, Negation and the Unary Trait in Seminar IX”


ただラカンは、セミネールⅩⅦにて、次のように言っている、《享楽はそれ自身へのシニフィアンの不十分(無能)以外のなにものでもない。Jouissance is nothing but the inadequacy of the signifier to itself》と。シニフィアンに不足しているものは、中期以降のラカン(ファルスから対象aへ、欲望から欲動へのラカン)においては、主体と対象aであるだろう(ラカンにとって主体とは無意識の主体のことである)。これはほとんどマルクスの剰余価値と同じことを言っている、《価値形態論の構造じたいが、みずからの完成を拒み、みずからに無限のくりかえしを強いることになる》(岩井克人『貨幣論』)。

もちろんラカンの剰余享楽はマルクスの剰余価値から生まれている。

マルクスの剰余価値という概念をもとにして、ラカンが剰余享楽なる概念をつくりあげたのは当然といえば当然であって、剰余享楽もまた貨幣と同じように、事物(快楽の対象)をその反対物に変え、通常はきわめて快い「正常な」性体験と見なされているものを猥褻なものに変え、(愛する人を苦しめるとか、辛い辱めに耐えるといった)ふつうは胸糞悪い行為と見なされているものを言葉では尽くせないほど魅惑的なものに変える、逆説的な力をもっている。(ジジェク『 斜めから見る』)

ここでドゥルーズがファルスと関連付けて語る《潜在的対象(対象=x)》とは実は、主体であり対象aであると修正したい誘惑にかられる。


だが、いまは関係構造の話である。

柄谷行人は、かねてより次のマルクスの文をくり返し引用している、

・《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。》(マルクス『資本論序文』)

・《彼らは、彼らの異種の生産物をたがいに交換において価値として等置させることいよって、彼らのさまざまな労働をたがいに人間労働として等置させるのだ。彼らはこのことを意識しないが、しかしそうやっているのだ。》(『資本論』第一巻第一部第一章第四節)

これをわたくしは次のように変奏してみる、《人はあるポジションにおかれたら、いくら「善」をなそうとしても、社会的な悪に染まってしまう。彼らはこのことを意識しないが、しかしそうやっているのだ。》

◆ひとは、たとえば大学教師のポジションに置かれたら、学者村(共同体)のなかでの保身に走るようになる。これは別に学者でなくてもよい、「専門家」というものはそういうものだ。

プロフェッショナルというのはある職能集団を前提としている以上、共同体的なものたらざるをえない。だから、プロの倫理感というものは相対的だし、共同体的な意志に保護されている。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

◆ひとは、生活苦のポジションに置かれたら、排外主義・レイシズムなどに無関心となる。

排外主義にしろ戦争準備政権にしろ、つまりは「我われの問題」としてはとらえていない、ということだ。自分たちとは関係ない別世界のお話し。リアリティへの眼差し以前の、無関心と無知と無自覚。

でも、それも仕方ないことだとも思う。例えば、アベノミクスで経済の上向き期待感を与えてくれるならば、起きるかどうか不確かな戦争への傾斜の怖れなんかに気をとめるだろうか。この政策なら明日の給料がすこしでも上がって、すこしでも生活が楽になるかもしれないと思わせてくれるなら、安倍政権の欺瞞と虚偽に目が向くだろうか。

みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。甘く見てはならないとか高をくくってはならないとか、「日常」をねつ造するメディアに流されないようになんて言われても、財布の中身のほうが大切に決ってる。(さる「社会思想史」研究者のツイート変奏

◆ひとは、病苦に襲われたら、自分以外のことはどうでもよくなる。

器質的な痛苦や不快に苦しめられている者が外界の事物に対して、それらが自分の苦痛と無関係なものであるかぎりは関心を失うというのは周知の事実であるし、また自明のことであるように思われる。これをさらに詳しく観察してみると、病気に苦しめられているかぎりは、彼はリピドー的関心を自分の愛の対象から引きあげ、愛することをやめているのがわかる。(……)W・ブッシュは歯痛に悩む詩人のことを、「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」と述べている。リビドーと自我への関心とがこの場合は同じ運命をもち、またしても互いに分かちがたいものになっている。周知の病人のエゴイズムなるものはこの両者をうちにふくんでいる。われわれが病人のエゴイズムを分かりきったものと考えているが、それは病気になればわれわれもまた同じように振舞うことを確信しているからである。激しく燃えあがっている恋心が、肉体上の障害のために追いはらわれ、完全な無関心が突然それにとってかわる有様は、喜劇にふさわしい好題目である。(フロイト『ナルシシズム入門』フロイト著作集5 p117)

であるならば、ひとは、自民党総裁のポジションにおかれれば、ネオナチを擁護し、経済界の奴隷になって市場原理主義を擁護する、などと言えるかもしれない(すくなくともベルリンの壁崩壊以後は)。いやナショナリズムでさえ仮装でありうる、資本の欲動一辺倒ではないか、とさえ臆断するひともいるだろう。

安倍晋三は集団的自衛権で、この米国の真似っこをしたいのです。だから中国も韓国も関係ない。保守も愛国も関係ない。領土も防衛も関係ない。たんに経団連傘下の大企業の受注を増やしてあげて、公共事業として戦争をやりたいってだけです。だってそういう企業の献金で生き延びてきたのが自民党だもん。(資本の欲動のはてしなさ(endless)と無目的(end-less)

逆に、ひとは在野のポジションにおかれればーー、だがこれは書くのをやめにしよう。そうではなく、ここで自らのポジションを「宣言」する次元の話を附記しよう。

人が何かをすると、その人は自分を、それをした者として自覚する(そしてそう宣言する)。そしてその宣言にもとづいて、その人は新たな何かをする。主体が変容するのは、行為の瞬間ではなく、宣言の瞬間である。(ジジェク『ラカンはこう読め』p37)

〈あなた〉が反排外主義デモに参加するとする。そしてそれをツイッターで宣言する。そのとき、〈あなた〉は変容する。それは自分は反レイシズムだと自他ともに宣言することだが、ここにおける〈他者〉の、--小文字の他者ではなく大他者のーー認知が肝要である。そのとき〈あなた〉の現実そのものが変わり、〈あなた〉は違ったふうに行動するようになる。これは、ハサミ状の格差のメカニズムでもある。

もっと一般的に、池で溺れている少年、あるいはいじめられようとしている少女を目撃した場合に、見て見ぬふりをして立ち去るか、敢えて救助に向かうかの決定が紙一重となる瞬間がある。この瞬間にどちらかを選択した場合に、その後の行動は、別の選択の際にありえた場合と、それこそハサミ状に拡大してゆく。卑怯と勇気とはしばしば紙一重に接近する。私は孟子の「惻隠〔みてしのびざる〕の情」と自己保存の計算との絞め木にかけられる。一般に私は、救助に向かうのは最後までやりとおす決意とその現実的な裏付けとが私にある場合であるとしてきた。(中井久夫「一九九六年一月・神戸」『復興の道なかばで  阪神淡路大震災一年の記憶』所収)

中井久夫はこうも書いている、《半分は、ふだんの構えによって決まるが、半分は、いったん一つの構えを取ると、それを取りつづける傾向が強い》と。


さて少し前に戻って、柄谷行人のマルクス引用とそれに付されるコメントをやや長く引用する。

《ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてばら色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的範疇(カテゴリー)の人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。》(『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」)

ここでマルクスがいう「経済的カテゴリー」とは、商品や貨幣のようなものではなくて、何かを商品や貨幣たらしめる価値形態を意味する。『グルントリセ』においても、マルクスは商品や貨幣というカテゴリーを扱っていた。『資本論』では、彼は、それ以前に、何かを商品や貨幣たらしめる形式に遡行しているのである。商品とは相対的価値形態におけれるもの(物、サービス、労働力など)のことであり、貨幣とは等価形態におけれるもののことである。同様に、こうしたカテゴリーの担い手である「資本家」や「労働者」は、諸個人がどこに置かれているか(相対的価値形態か等価形態か)によって規定される。それは彼らが主観的に何を考えていようと関係がない。

ここでいわれる階級は、経験的な社会学的な意味での階級ではない。だから、現在の社会において、『資本論』のような階級関係は存在しないというような批判は的外れである。現在だけでなく、過去においても、どこでもそのように単純な階級関係は存在しなかった。そして、マルクスが具体的な階級関係を考察するとき、諸階級の多様性、そして言説や文化の多様性について非常に敏感であったことは、『ルイ・ポナパルドのブリュメールの一八日』のような仕事を見れば明らかなのだ。一方、『資本論』では、マルクスは、資本制経済に固有の階級関係を価値形態という場において見ている。その意味では、『資本論』の認識はむしろ今日の状況によりよく妥当するといってよい。たとえば、今日では、労働者の年金は機関投資家によって運用されている。つまり、労働者の年金はそれ自身資本として活動するのである。その結果、それが企業を融合しリストラを迫ることになり、労働者自身を苦しめることになる。このように、資本家と労働者の階級関係はきわめて錯綜している。そして、それはもう実体的な階級関係という考えではとらえられないように見える。しかし、商品と貨幣、というよりも相対的価値形態と等価価値形態という非対称的な関係は少しも消えていない。『資本論』が考察するのはそのような関係の構造であり、それはその場に置かれた人々の意識にとってどう映ってみえようと存在するのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』p40-41)

この文の次に、《しかし、このような見方は、読者を途方にくれさせる》と続くが、いまは割愛。

最後にニーチェは関係構造への視線が欠けていた、とする柄谷行人の文を掲げておく。

《「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(中略)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(中略)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。》(ニーチェ『権力への意志』原佑訳)

ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだ二ーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。

彼が言う運命愛とは、そのような人生を、他人や所与のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。

ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。

しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生みだす現実的な諸関係が存することを見ようとはしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章 P187)


…………

さあてカタイ話のあとのデザート。ロラン・バルトで始めたのだから、バルトで終えよう。

静かに編物をしながら子供を遊ばせている申し分のない母親(保護者であってしかも放任的な)……「うまくいっている」カップルの構造とはそうしたものであるだろう。いささかの禁止と多くの自由。欲望を教示し、あとは自由にさせておく。道は教えてくれるが、一緒に行ってやるなどとは言い出さぬ、親切な土地の人たちのように。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』P208 )