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2014年9月30日火曜日

"正義"という「主人のシニフィアン」(バディウ=ジジェク)


バディウは時折、"正義"を主人のシニフィアンとするように提案する。"自由"や"民主主義"のようなあまりにもひどくイデオロギー的に意味付けられ過ぎた概念のかわりにすべきだというものだ。しかしながら正義についても同様な問題に直面しないだろうか。プラトン(バティウの主要な参照)は正義を次のような状態とする、すなわちその状態においては、どの個別の決断も全体性の内部、世界の社会秩序の内部にて、適切な場所を占めると。これはまさに協調組合主義者の反平等主義的モットーではないか。とすれば、もし"正義"を根源的な束縛解放を目指す政治の主人のシニフィアンに格上げしようとするなら多くの付加的な説明が必要となる。(私訳)

41 Badiou, Théorie du sujet, p. 176, as translated in Bosteels, “Force of Nonlaw,” p. 1913. Badiou sometimes proposes “justice” as the Master‐Signifier that should replace all‐too‐heavily ideologically invested notions like “freedom” or “democracy”—but do we not encounter the same problem with justice? Plato (Badiou's main reference) determines justice as the state in which every particular determination occupies its proper place within its totality, within the global social order. Is this not the corporatist anti‐egalitarian motto par excellence? A lot of additional explanation is thus needed if “justice” is to be elevated into the Master‐Signifier of radical emancipatory politics.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

上の文は、次の文の注である。

As we have said, Badiou supplements the “Sophoclean” couple anxiety‐superego (Antigone‐Creon) with the “Aeschylean” couple of courage and justice (Orestes‐Athena): while the Sophoclean universe remains caught in the cycle of violence and revenge, Aeschylus opens up the possibility of a new law which will break the cycle. However, Badiou insists that all four are necessary constituents of a Truth‐Event: “The courage of the scission of the laws, the anxiety of an opaque persecution, the superego of the blood‐thirsty Erinyes, and finally justice according to the consistency of the new—four concepts to articulate the subject.”41 (CHAPTER 12 The Foursome of Terror, Anxiety, Courage … and Enthusiasm)

バディウの書を読んでいるわけではないので、やや分かにくいのだが、注の文章はバディウの「正義」の主人のシニフィアンを批判(=吟味)していることはわかる。

正義という概念は、主人のシニフィアンになりがたいということだろう。
なぜなら、自由や民主主義と同様、
すでに過剰に意味づけられた概念だから、
という見解であるように読める。

プラトンの正義とは次のようであった。


彼は『国家』のなかで次のように説いています。一人の人間の中には、魂の三つの 部分――理性、精神、欲求――とそれぞれに関係する三つの徳――知恵、勇気、節制―― があり、それぞれが互いと適切な関係を保っている。社会における正義も同じようなもの だ。社会では、それぞれの階級が、他の階級の邪魔をすることなく、それぞれの性質にふ さわしい仕事をこなすことで、それぞれの階級独自の徳を行使している。知恵と理性にあ たる階級は統治にたずさわり、勇気と精神にあたる階級は軍事にたずさわり、残りの部分、 つまり特別な精神や知性はないが節制にすぐれている階級は農業や単純作業にたずさわる。 正義とは、こうした構成要素の間に調和がとれていることなのだ、と。(ナンシー・フレイザー「正義〔正しさ〕について――プラトン、ロールズそしてイシグロに学ぶ」ーー「正義とは不快の打破である」)


プラトンの『国家』における「正義」はこれだけではない、という見解もあるだろうが、やはり『国家』における対話を読めば、ほぼこういう「正義」概念である、とすることができる。

たとえば『国家』には、上の「正義」概念以上に驚くべきエリート偏重の主張がなされている。

「最もすぐれた男たちは最もすぐれた女たちと、できるだけしばしば交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちは、その逆でなければならない。また一方から生まれた子供たちは育て、他方のこどもたちは育ててはならない。もしこの羊の群れが、できるだけ優秀なままであるべきならばね。そしてすべてこうしたことは、支配者たち自身以外には気づかれないように行わなければならないーーもし守護者たちの群がまた、できるだけ仲間割れしないように計らおうとするならば」

(……)
「さらにまた若者たちのなかで、戦争その他の機会にすぐれた働きを示す者たちには、他のさまざまの恩典と褒賞とともに、とくに婦人たちと共寝する許しを、他の者よりも多く与えなければならない。同時にまたそのことにかこつけて、できるだけたくさんの子種がそのような人々からるつくられるようにするためにもね」
(……)

「で、ぼくの思うには、すぐれた人々の子供は、その役職の者たちがこれを受け取って囲い〔保育所〕へ運び、国の一隅に隔離されて住んでいる保母たちの手に委ねるだろう。他方、劣った者たちの子供や、また他方の者たちの子で欠陥児が生まれた場合には、これをしかるべき仕方で秘密のうちにかくし去ってしまうだろう」

(……)
「またこの役目の人たちは、育児の世話をとりしきるだろう。母親たちの乳が張ったときには保育所へ連れてくるが、その際どの母親にも自分の子がわからぬように、万全の措置を講ずるだろう。そして母親たちだけでは足りなければ、乳の出る他の女たちを見つけてくるだろう。また母親たち自身についても、適度の時間だけ授乳させるように配慮して、寝ずの番やその他の骨折り仕事は、乳母や保母たちにやらせるようにするだろう」

――プラトン『国家』藤沢令夫訳 岩波文庫 上 第5巻「妻女と子供の共有」p367-369
…………

ところで主人のシニフィアンとはそもそもなにか。

ラカンは、‘master signifiers’(主人のシニフィアン)を
‘points de capiton’(クッションの綴じ目)と呼んだ。
どの「主人のシニフィアン」も瘤のようなものであり、
知識、信念、実践などを縫い合わせて、
それらが横にずれることを止め、
それらの意味を固定する(ジジェク)。
”なにが主人のシニフィアンを構成するのかといえば、
《語りの残りの部分、一連の知識やコード、
信念から孤立化されることによってである》(Fink 1995)。
この“empty”(空の)シニフィアン(主人のシニフィアン)が、
正確な意味を持たないことによって、
《雑多な観点、相相剋する意味作用のチェーン、
ある特定な状況に付随する独特の解釈を、
ひとつの共通なラベルの下に、固定し保証してくれる》(Stavrakakis 1999)
たとえば、certainty, the good, risk, growth, globalisation, 
multiculturalism, sustainability, responsibility, rationality等々が
”master signifiers“である。

この役割を担うには、「正義」JUSTICEは、
既に過剰な意味が付加されてしまっているということだろう。

以下はプラトン起源だと思われるロールズの『正義論』への
ジャン=ピエール・デュピ(日本では震災後『ツナミの小形而上学』にて名が知れた)
の批判を援用しつつのジジェクの文章である。


ヒステリー患者にとって一番の問題は、自分が何者であるか(自分の真の欲望)と、他人は自分をどう見て、自分の何を欲望しているのかを、いかに区別するかである。このことはわれわれをラカンのもうひとつの公式、「人間の欲望は他者の欲望である」へと導く。ラカンにとって、人間の欲望の根本的な袋小路は、それが、主体に属しているという意味でも対象に属しているという意味でも、他者の欲望だということである。人間の欲望は他者の欲望であり、他者から欲望されたいという欲望であり、何よりも他者が欲望しているものへの欲望である。アウグスティヌスがよく承知していたように、羨望と怨恨とが人間の欲望の本質的構成要素である。ラカンがしばしば引用していた『告白』の一節を思い出してみよう。アウグスティヌスはそこで、母親の乳房を吸っている弟に嫉妬している幼児を描いている。

 私自身、幼児が、まだ口もきけないのに、嫉妬しているのを見て、知っています。
 青い顔をして、きつい目つきで乳兄弟を睨みつけていました。[『告白』第一巻第七章]

ジャン=ピエール・デュピはこの洞察にもとづいて、ジョン・ローズの正義論に対する納得のいく批判を展開している。ロールズ的な正しい社会のモデルにおいては、不平等は、社会階級の底辺にいる人びとにとっても利益になりさえすれば、また、その不平等が相続した階層にはもとづいておらず、偶然的で重要でないとみなされる自然な不平等にもとづいている限り、許される。ロールズが見落としているのは、そうした社会が必ずや怨恨の爆発の諸条件を生み出すだろうということである。そうした社会では、私の低い地位はまったく正当なものであることを私は知っているだろうし、自分の失敗を社会的不正のせいにすることはできないだろう。

 ロールズが提唱するのは階層が自然な特性として合法化されるような恐ろしい社会モデルである。そこには、あるスロヴェニアの農夫の物語に含まれた単純な教訓が欠けている。その農夫は善良な魔女からこう言われる。「なんでも望みを叶えてやろう。でも言っておくが、お前の隣人には同じことを二倍叶えてやるぞ」。農夫は一瞬考えてから、悪賢そうな微笑を浮かべ、魔女に言う。「おれの眼をひとつ取ってくれ」。今日の保守主義者たちですら、ロールズの正義の概念を支持するだろう。2005年十二月、新しく選ばれた英国保守党の党首デイヴィッド・キャメロンは、保守党を恵まれない人びとの擁護者に変えるつもりだと述べ、こう宣言した。「あらゆる政治にとっての試金石は、もてない者、すなわち社会の底辺にいる人びとに対して何ができるかということであるべきだ」。不平等が人間外の盲目的な力から生じたと考えれば、不平等を受け入れるのがずっと楽になる、と指摘したフリードリヒ・ハイエクですら、この点では正しかった。したがって、自由主義資本主義における成功あるいは失敗の「不合理性」の良い点は(市場は計り知れない運命の近代版だという古くからのモチーフを思い出そう)、そのおかげで私は自分の失敗(あるいは成功)を、「自分にふさわしくない」、偶然的なものだと見なせるということである。まさに資本主義の不正そのものが、資本主義のもっとも重要な特徴であり、これのおかげで、資本主義は大多数の人びとにとって許容できるものなのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』

で、「自由」や「民主主義」、あるいは「正義」にかわる
主人のシニフィアン探さなくちゃな

チェーザレ・ボルジアを至高の君主とした
マキャベリの運(ファルトゥナfortuna)/力(ヴィルトゥVirtù)の
ヴィルトゥ(有能性:気概と正義のミックス)なんてのはどうだい?
ーー「プラトンとフロイトの野生の馬
バディウがいう”couple of courage and justice”だよな

《古人は四つの徳をおしえた。すなわち、彼らは自己把持の四つの敵をみとめていたということだ。もっともおそるべき敵は恐怖である。というのは、恐怖は行動も思想もゆがめてしまうから。それゆえ、勇気こそ徳の第一の面、もっとも尊敬される面となる。もし正義がつねに勇気の相のもとにあらわれるならば、正義はなお大きいものとなろう。》(アラン『四つの徳』

ーーというわけだ。

善とは何か? ――権力の感情を、権力への意志を、権力自身において高めるすべてのもの。
劣悪とは何か? ――弱さから由来するすべてのもの。
幸福とは何か? ――権力が生長するということの、抵抗が超克されるということの感情。
満足ではなくて、より以上の権力。総じて平和ではなくて、戦い。徳ではなくて、有能性(ルネッサンス式の徳、Virtù 道徳に拘束されない徳)。(ニーチェ『反キリスト者』)

ヴィルトゥが主人のシニフィアンだって? まさか!
ニーチェはこのあと次のように書いてんだから

弱者や出来そこないどもは徹底的に没落すべきである。これすなわち、私たちの人間愛の第一命題。そしてそのうえ彼らの徹底的没落に助力してやるべきである。

なんらかの背徳にもまして有害なものは何か? --すべての出来そこないや弱者どもへの同情を実行することーーキリスト教・・・

2014年1月11日土曜日

「欲動と享楽の反倫理学」覚書

ポール・ヴェルハーゲ(Paul Verhaeghe)とジジェクをめぐる備忘」より引き続く。
最後に会った時、ミシェル(フーコー)は優しさと愛情を込めて、僕におおよそ次のようなことを言った。自分は欲望désir という言葉に耐えられない、と。 〔…〕僕が「快楽 plaisir」と呼んでいるのは、君たちが「欲望」と呼んでいるものであるのかもしれないが、いずれにせよ、僕には欲望以外の言葉が必要だ、と。

言うまでもなく、これも言葉の問題ではない。というのは、僕の方は「快楽」という言葉に耐えられないからだ。では、それはなぜか? 僕にとって欲望には何も欠けるところがない。更に欲望は自然と与えられるものでもない。欲望は機能している異質なもののアレンジメントと一体となるだけだ。 〔…〕快楽は欲望の内在的過程を中断させるように見え、僕は快楽に少しも肯定的な価値を与えられない。 〔…〕マゾッホの中で僕の興味を引くのは苦痛ではない。 快楽が欲望の肯定性、 そして欲望の内在野の構成を中断しにくるという考えだ。

〔…〕快楽とは、人の中に収まりきらない過程の中で、人や主体が「元を取る」ための唯一の手段のように思える。それは一つの再領土化だ。(ジル・ドゥルーズ「欲望と快楽Désir et plaisir」 、 『狂人の二つの体制 』)

ふたりの偉大な思想家が「欲望」と「快楽」をめぐって語っている

そしてここにいるどこかの「馬の骨」はこういってみよう

欲望? ウンザリだね

快楽のほうがましさ

フーコーの快楽とは享楽(悦楽)も含まれているはずだからな

晩年フィスト・ファックに耽ったフーコーだから


フーコーの死後、その自室から性具・猿ぐつわ等のSM性癖関係の拘束具が数多く出てきたことが伝えられている(出典:ギベール著『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』訳者あとがき)。

《苦痛はまた一つの悦楽LUSTなのだ。呪いはまた一つの祝福なのだ。夜はまた一つの太陽なのだ、――おまえたち、学ぶ気があるなら、このことを学び知れ、賢者も一人の阿呆であることを。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』ーー悦楽(享楽)と永劫回帰

ソクラテスのいう快楽だって実は享楽さ

ソクラテス) 諸君、ひとびとがふつう快楽と呼んでいるものは、なんとも奇妙なものらしい。それは、まさに反対物と思われているもの、つまり、苦痛と、じつに不思議な具合につながっているのではないか。

この両者は、たしかに同時にはひとりの人間には現れようとはしないけれども、しかし、もしひとがその一方を追っていってそれを把えるとなると、いつもきまってといっていいほどに、もう一方のものをもまた把えざるをえないとはーー。(プラトン『パイドン』60B 松永雄二訳)

こっちのほうは欲望ではなくて欲動だな

いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌惡の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!』」
(……)「この話は間違いなく」とぼくは言った、「怒りは時によって欲望と戦うとことがあり、この戦い合うものどうしは互いに別のものであることを示している」(プラトン『国家』439c-440Aーープラトンとフロイトの野生の馬

《古代世界と現代世界の愛情生活における深刻な相違は、古代人が欲動そのものに重点をおくのに対して、現代人はその対象においているという点にある。古代人は欲動を讃美し、これによって下等な対象をも喜んで高尚なものとするのに対し、われわれは欲動の活動自体をさけずみ、ただ対象の優越性によってこれを許そうとするのである。》(フロイト『性欲論三篇』人文書院 p20)

ツァラトゥストラが次に語っているのは「欲動」のことであるぐらいは分るだろうな

君はおのれを「我」と呼んで、このことばを誇りとする。しかし、より偉大なものは、君が信じようとしないものーーすなわち君の肉体と、その肉体のもつ大いなる理性なのだ。それは「我」を唱えはしない。「我」を行なうのである。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「肉体の軽侮者」より 手塚富雄訳)

※参考:資料:欲望と欲動(ミレールのセミネールより)

ジジェクの解釈ではドゥルーズの欲望機械は「欲動Trieb」のことらしいから

ドゥルーズも欲望ではなく欲動だったら許すがね

 ゲーテはなんといっていたか
「楽しい日々の連続ほどたえがたいものはない」だってさ

……人間にとって人生の目的と意図は何であろうか、人間が人生から要求しているもの、人生において手に入れようとしているものは何かということを考えてみよう。すると、答はほとんど明白と言っていい。すなわち、人間の努力目標は幸福であり、人間は幸福になりたい、そして幸福の状態をそのまま持続させたいと願っている。しかもこの努力には二つの面、すなわち積極的な目標と消極的な目標の二つがあり、一方では苦痛と不快が無いことを望むとともに、他面では強烈な快感を体験したいと望んでいる。狭い意味での「幸福」とはこの二つのうちの後者だけを意味する。人生の目標がこのように二つに分かれていることに対応して、人間の行動も、これら二つのうちのどちらかをーー主として、ないし、場合によってはもっぱらーー実現しようと努めるかによって、二つの方向に発展してゆく。(……)

快感原則が切望している状態も、それが継続するとなると、きまって、気の抜けた快感しか与ええないのである。人間の心理構造そのものが、状態というものからはたいして快感を与えられず、対照〔コントラスト〕によってしか強烈な快感を味わえないように作られているのだ(註)。

註)ゲーテにいたっては、「楽しい日々の連続ほどたえがたいものはない」とさえ警告している。もっとお、これは誇張と言っていいかもしれない。(フロイト『文化への不満』人文書院 フロイト著作集3 P441)

ふぬけた満足はごめんだね

欲望なんてイカサマだよ

《欲望そのものはすでにある種の屈服、ある種の妥協形成物、換喩的置換、退却、手に負えない欲動に対する防衛なのではあるまいか。》(ジジェク『斜めから見る』)


《desire should be seen as a defence against the drive and jouissance. 》(THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE Paul Verhaeghe)

Trieb, drive, impulse: something drives the subject to a point where he himself does not want to go, where he loses all control.
The drive has an aim that a person is barely aware of, and what can be known about it is often enough for him or her not to want to know any more. I don't want to know any-thing about it'. But he has to know.
……the very first appearance of this jouissance is nothing more than anxiety, the harbinger of one's own disappearance. I disappear, and being takes over. No wonder that jouissance is what the ego does not want. The price is ceasing to exist as an ego. The fact that this anxiety is transformed into ecstasy does not reduce the price to be paid. In this light, desire should be seen as a defence against the drive and jouissance. A defence against something that gives one pleasure, though the status of the word 'one' is not quite clear in this context, and the concept of 'pleasure' is also strange.(Paul Verhaeghe)

《The drive is the source of a pleasure that is not desired by the subject. Therefore desire and drive are opposites like 'Beauty and the Beast'—or rather, like the familiar 'me' in contrast to the 'not-me'.》

しかし、精神分析に由来するのだが、快楽のテクストと悦楽のテクストとを対立させる間接的な手段もある。すなわち、快楽は言葉でいい表わせるが、悦楽はいい表わせない〔le plaisir est dicible, la jouissance ne l'est pas〕、というのである。

悦楽は いい表わせない[内部でいい表わされる]、禁じられている[間で語られるin-dicible]。私はラカン(《忘れてはならないのは、悦楽はありのままに語る者には禁じられている、あるいは、行間でしか語られないということである……》)とルクレール(《……みずからの言葉で語る者には悦楽は禁じられている。あるいは、相関的に、悦楽を享受する者は、あらゆる文字を――存在し得るあらゆる言葉を――彼の讃える無条件の無化作用の中で消滅せしめる》)を念頭に置いているのであ る。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

※ここでの「悦楽jouissance」は、『彼自身によるロラン・バルト』の訳語では、ラカン訳語と同様、享楽だ。


The basic paradox of jouissance is that it is both impossible and unavoidable: it is never fully achieved, always missed, but, simultaneously, we never can get rid of it—every renunciation of enjoyment generates an enjoyment in renunciation, every obstacle to desire generates a desire for an obstacle, and so on. This reversal provides the minimal definition of surplus‐enjoyment: it involves a paradoxical “pleasure in pain.” That is to say, when Lacan uses the term plus‐de‐jouir, one has to ask another naïve but crucial question: in what does this surplus consist? Is it merely a qualitative increase of ordinary pleasure? The ambiguity of the French expression is decisive here: it can mean “surplus of enjoyment” as well as “no enjoyment”—the surplus of enjoyment over mere pleasure is generated by the presence of the very opposite of pleasure, namely pain; it is the part of jouissance which resists being contained by homeostasis, by the pleasure‐principle; it is the excess of pleasure produced by “repression” itself, which is why we lose it if we abolish repression.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")


詩も音楽も、そして匂いも快楽ではなく悦楽だ

享楽よりも悦楽のが字面がいい

ここは「悦楽」じゃなくてはいけない

とかげの舌
女の舌
女のまたのはこび
四十女の匂い
 おばあさんのせき……


・露にしめる /黒い石のひややかに /夏の夜明け

・もう秋は四十女のように匂い始めた

・野原をさまよう時 /岩におぎようやよめなをつむ/ 女のせきがきこえる

・黒い畑の中に白い光りのこぶしの木が /一本立つている

・まだこの坂をのぼらなければならない/とつぜん夏が背中をすきとおした/石垣の間からとかげが /赤い舌をペロペロと出している

・柿の木の杖をつき /坂を上つて行く /女の旅人突然後を向き /なめらかな舌を出した正午

・けやきの木の小路を/ よこぎる女のひとの /またのはこびの/ 青白い/終わりを

・ちようど二時三分に /おばあさんはせきをした /ゴッホ(西脇順三郎)



ーーああすべて悦楽だ

・四人の僧侶/畑で種子を播く/中の一人が誤って/子供の臀に蕪を供える/驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた(吉岡実「僧侶」)

・水べを渉る鷭の声に変化した女の声を聴く(「感傷」)

・割れた少年の尻が夕暮れの岬で/突き出されるとき/われわれは 一茎のサフランの花の香液のしたたりを認める/波が来る 白い三角波(「サフラン摘み」)

わかるかい?

ニブイ<きみたち>のために

いささか解説的な谷川俊太郎をも抜き出しておこう


散文をバラにたとえるなら
詩はバラの香り
散文をゴミ捨場にたとえるなら
詩は悪臭

ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より(八月三日)
言葉で捕まえようとすると
するりと逃げてしまうものがある
その逃げてしまうものこそ最高の獲物と信じて(同 九月四日)
詩はなんというか夜の稲光りにでもたとえるしかなくて
そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ
意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を

ーー「理想的な詩の初歩的な説明」より

音楽が悦楽だというのはいいだろうな?

もっともだらだらとした「欲望」の音楽だってあるさ

悦楽の音楽とはこういうことだ


グールドの場合には、なによりもヘルダーリンが望んだ表現の透明さ die Klarheit der Darstellungがある。このような透明な光は熱狂的な憑依体験の対極にあるわけではない。このような光は、静謐なものでもなければ抑制されたものでもない。それは奪い取ることであり、切開を意味するのだ。それでいてこの光は冷たく遠くにある。神的なるものの訪れは火、炎、煙の上がる光景を意味しない。グールドを訪れた神はヘルダーリンを訪れた神と同一である。ディオニュソスではない。熱狂的な暗闇の神ではない。アポロンであり、正しきもの、透明なるものなのだ。(ミシェル・シュネデール)

あの苦痛をともなう喜び
あのわれわれを分割する瞬間的な光
リルケが語ったあの「恐るべきもののはじまり」

彼の演奏について語ろうとしても、いくつかの言葉しか思い浮かばない。遠さ、戦慄、なにか異様なもの。彼はわれわれを試練に遭わせるーーあまりにも透明なあの音、昇華作用を経たあのピアノが耐えられないという人々をわたしは知っている。このピアノを聴くと彼らの皮膚はひきつり、指は痙攣するのだ。試練はときに恐ろしいものを含んでいる。わたしもまた、そのせいで、彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある。ーー「暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとする」より)

匂いが特権的なのは

「一瞬よりいくらか長く続く間」(大江健三郎

しか続かないせいだ

悦楽とはそういうものだ


プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。(『彼自身によるロラン・バルト』)

《小雨が降り出して埃の香いがする》(西脇順三郎『第三の神話』)

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」手塚富雄訳)

さてここでも説明的な文章を附記しておこう

《詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、
散文とはその図式的側面を主にした使用である。》
(中井久夫『現代ギリシャ詩選』序文)

T・S・エリオットは、十七世紀の詩人ジョン・ダンについての評論の中でこの詩人は「観念をバラの花の匂いのごとくに感じる」と述べている。この一句には最近あらためて考えさせられるものがあった。観念には匂いと非常に似ているところがある。まず、それはいっときには一つしか意識の座を占めない。二つの匂いが同じ強度で共在することはありえないが、観念もまた、二つが同じ強度で共存することはーーある程度以下の弱く漠然としたものを除いてはーーきわめて例外的で、病的な状態においてかろうじてありうるか否かというくらいのものである。

第二に、匂いは、たしか二十秒くらいしかとどまらない。匂い物質は送られてきても、それに対する嗅覚は急速に作働しなくなってしまう。これは、嗅覚が新しい入力に対応するためで、こうなくてはならないことである。

観念はどうであろう。観念を虚空に把握しつづけることは、それこそ二十秒以上はむつかしいのではなかろうか。とすれば、持続的といわれる幻覚、妄想、固定観念も、たえざる入力によってくり返しくり返し再出現させて維持されていることを示唆する。ただ、この入力は、決して“ 自由意志 ”によるものではない。

最後に、両者とも、起そうとして起せるものではない。観念も、意識的というか人工的に催起させられるものではない。両者とも、基本的には意識を「襲う」ものである。少なくとも重要な気づきは、はげしい香りと同じく、ひとを打つのである、科学的、思想的発見であっても、パースナルな気づきであっても。(中井久夫「世界における索引と徴候」『徴候・記憶・外傷』所収 P20)


表題の意味はわかるだろうな
どこかのニブイ「哲学者」への皮肉さ
などとはわたくしはケッシテいわない
フィストファックがきらいな公衆むけには
あの程度がいい
猿の乾いた笑いを気味悪がる手合いには

語りながら、フーコーは何度か聡明なる猿のような乾いた笑いを笑った。聡明なる猿、という言葉を、あの『偉大なる文法学者の猿』(オクタビオ・パス)の猿に似たものと理解していただきたい。しかし、人間が太刀打ちできない聡明なる猿という印象を、はたして讃辞として使いうるかどうか。かなり慎重にならざるをえないところをあえて使ってしまうのは、やはりそれが感嘆の念以外の何ものでもないからだ。反応の素早さ、不意の沈黙、それも数秒と続いたわけでもないのに息がつまるような沈黙。聡明なる戦略的兵士でありまた考古学者でもある猿は、たえず人間を挑発し、その挑発に照れてみせる。カセットに定着した私自身の妙に湿った声が、何か人間たることの限界をみせつけるようで、つらい。(蓮實重彦「聡明なる猿の挑発」フーコーへのインタヴュー 「海」 初出1977.12号)

《フーコー当人からして、すでに正確な意味で人称とはいえないような人物だったわけですからね。とるにたりない状況でも、すでにそうだった。たとえばフーコーが部屋に入ってくるとします。そのときのフーコーは、人間というよりも、むしろ大気の状態の変化とか、一種の<事件>、あるいは電界か磁場など、さまざまなものに見えたものです。かといって優しさや充足感がなかったわけでもありません。しかし、それは人称の序列に属するものではなかったのです》(ドゥルーズ


70年代のフランスにいけるのだったら
フーコーを見てみたいな
ラカンやバルトに未練がないわけではない
ドゥルーズ?
ただの「やくざの親分」(蓮實重彦)だろ
デリダは?
「小さな衒学者」(フーコー)だよ


日本人のなかで見てみたい人物っているかい?
そうだな
作品の好みとは離れて
(谷崎や荷風ファンなのだが、まあ想像がつく)
大気の状態が変化しそうな人物は志賀直哉かな
「末期の眼」の川端康成も








2013年12月27日金曜日

悦楽(享楽)と永劫回帰(ニーチェ)

2001年9月11日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。(ジジェク『 〈現実界〉の砂漠へようこそ』) 
「いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌悪の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!』」(プラトン『国家』藤沢令夫訳)

この翻訳では「見たいという欲望」となっているが、この「欲望」は、二〇世紀以降(フロイト以降)の文脈でなら、フロイトのリピドー、あるいは冒頭に掲げられたジジェクの文の「享楽」か、もしくは「欲動」としてよいだろう。

いずれにせよ、フロイトの快原則の彼岸とは、まずは上のようなことを言う。それは不快なものをもとめる衝動であり、快感原則の埒外にあるものだ。かつての公開処刑や鞭打ちの刑に公衆が押しかけた(祭りの催しの一環として行われていたことも多い)などという例もあるし、現在でもひとがホラー映画に惹かれてしまうのも同じドライブ(欲動)なのだ。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

この悦楽jouissanceは、「享楽」とも訳される(バルトはたぶんラカンから借用しているはずだ)。

『テクストの快楽』につけ加えて。享楽jouissance、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ジジェクの著書の題名「現実界の砂漠にようこそ」とあるように、ラカン派的にいえば、「享楽」は現実界realの審級に属するものであって、このrealは象徴界に属するrealityとは異なる。ロラン・バルトが「快楽」を《文化から生まれそれと縁を切らず》としているのは、すなわち象徴界から縁を切らずということだ。


ところでニーチェの『ツァラトゥストラ』には、「快」と訳されたり「悦楽」と訳されたりするLUSTという語がしばしば出てくる。


ニーチェを引用するまえに、まずLUSTについてフロイトの説明を聞こう。
人間や動物にみられる性的欲求の事実は、生物学では「性欲動」という仮定によって表わされる。この場合、栄養摂取の欲動、すなわち飢えの例にならっているわけである。しかし、「飢え」という言葉に対応する名称が日常語のなかにはない。学問的には、この意味でリピドーという言葉を用いている。(フロイト『性欲論三篇』 フロイト著作集5 人文書院)

この性欲論の冒頭にこうあったあと、すぐさま註がふされる。
ドイツ語の「快感」Lustという語がただ一つ適切なものではあるが、残念なことには多義的であって、欲求の感覚と同時に満足の感覚をよぶにもこれが用いられる。

ニーチェの“Lustにも満足の感覚の快として使用されている箇所もあり、しかしながら欲動や享楽(悦楽)、場合によっては死の欲動としてもよい使用の仕方がある。もっともラカンにとっては、すべての欲動は死の欲動であるし、ジジェクの説明によれば、死の欲動とは死なない欲動、永遠の反復運動である。

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動とはいわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ジジェクの他の説明であるならば、死の欲動とは、アンデルセンの童話「赤い靴」でもある。少女が赤い靴を履くと、靴は勝手に動き出し、彼女はいつまでも踊り続けなければならない。靴は少女の無制限の欲動ということになる。あるいは独楽が永遠に反復回転をすれば、それは静止したように(死んだように)みえる。

ニーチェについていえば、彼の予見と洞察とは、精神分析が骨を折って得た成果と驚くほどよく合致する人であるが、いわばそれだからこそ、それまで,長い間避けていたのだった。(フロイト『自己を語る』1925 )

だが、これらの言葉から、フロイトの死の欲動と、ニーチェの永劫回帰をすぐさま結びつける愚は避けておこう。


次の永劫回帰が語られるツァラトゥストラの結末のひとつ前の章「酔歌」では、享楽の匂いがぷんぷんする。訳者の手塚富雄氏もあやまたず「悦楽」という訳語を当てている。文脈上、より分り易く読むために、「悦楽」という語が頻出するすこし前から引用しよう。


…………


ツァラトゥストラ第四部 酔歌



甘美な竪琴よ、甘美な竪琴よ。わたしはおまえの調べを愛する、おまえの酔いしれた、ひきがえるの声に似た調べを愛する。――どんなにはるかな昔から、どんなに遠いところから、おまえの調べはわたしにやってくることか、はるかな道を、愛の池から。

おまえ、古い鐘よ、甘美な竪琴よ。あらゆる苦痛がおまえの心臓に打ち込まれた、父の苦痛、父祖の苦痛、太祖の苦痛が。おまえのことばは熟した。――

――金色の秋と午後のように、わたしの隠栖の心のように、それは熟した。――そしていま、おまえは語る。

「世界そのものが熟した、葡萄が色づくように、――
――いまやそれは死のうと願っている、幸福のあまりに死のうと願っている」と。おまえたち高人よ、おまえたちはその匂いを嗅がないか。ひそかに湧きのぼってくる匂いを。

――永遠の香り、永遠の匂いを。古い幸福の匂いを。ばらのように至福な、褐色をおびた黄金の葡萄酒の匂いに似た幸福のその匂いを。

――酔いしれた、真夜中の臨終の幸福の匂いが、湧きのぼってくるではないか。その幸福が歌うのだ。「世界は深い、昼が考えたより深い」と。



わたしを放っておいてくれ! 放っておいてくれ! わたしは、おまえと手を結ぶには清らかすぎる。わたしに触れるな。わたしの世界は、ちょうどいま完全になったではないか。

わたしの皮膚は、おまえの手などに触れられるには清らかすぎる。わたしを放っておいてくれ。おまえ、愚かな、鈍重な、うっとうしい昼よ。真夜中のほうが、おまえより明るいのだ。

最も清らかな者が、地の主となるべきなのだ。最も知られていない者、最も強い者、どんな昼よりも明るい、深い真夜中の魂をもつ者が、地の主となるべきなのだ。

おお、昼よ、おまえはわたしをつかもうと手探りしているのか。わたしの幸福がほしいのか。おまえの目には、わたしはひとりぼっちで、富裕で、宝の鉱脈で、黄金の庫〔くら〕であるように見えるのか。

おお、世界よ、おまえはわたしがほしいのか。おまえから見て、わたしは世俗的なのか、宗教的なのか、神的なのか。しかし、昼と世界よ。おまえたちはあまりに不器用だ、――

――おまえたちは、もっと怜悧な手をもつがよい。もっと深い幸福に、もっと深い不幸に、手を伸ばせ。どこかの神につかみかかれ。だが、わたしにはつかみかかるな。

――おまえ、奇妙な昼よ、わたしの不幸、わたしの幸福は深い。だが、わたしは神ではない、神の地獄でもない。その苦痛は深いのだ。



神の苦痛のほうが、より深いのだ。おまえ、奇妙な世界よ。神の苦痛につかみかかるがよい。わたしをつかもうとするな。では、わたしは何か、一つの酔いしれた甘美な竪琴だ、――

――真夜中の竪琴だ、ひきがえるの音を出す鐘だ。その音は、だれも理解しない。しかし、それは語らざるをえないのだ。聾者たちに向かって。高人たちよ。つまりおまえたちは、わたしを去ってしまった、去ってしまった。おお、青春よ、おお、正午よ、おお、午後よ。そしていま夕べと夜と真夜中が来た、――犬がほえる、風がほえる。

――風は犬ではないか。風は啼き、わめき、ほえる。ああ! ああ! なんとそれはため息をすることか、笑うことか。なんと喉を鳴らし、あえぐことか、この真夜中は。

この酔いしれた女詩人の「真夜中」は、いまなんとまじめな酔わぬ声で語ることか。彼女はおそらくその酩酊をも飲み越えてしまったのだろうか。彼女は眠らずに目がさえてしまったのだろうか。彼女は反芻しているのだろうか。

この老いた、深い真夜中は、彼女の苦痛を、夢のなかで、反芻しているのだ。さらにそれ以上に彼女の悦楽を反芻しているのだ。つまり、苦痛は深いとはいうものの、悦楽は心の悩みよりいっそう深いのだ。

ihr Weh käut sie zurück, im Traume, die alte tiefe Mitternacht, und mehr noch ihre Lust. Lust nämlich, wenn schon Weh tief ist: Lust ist tiefer noch als Herzeleid.



おまえ、葡萄の木よ。なぜおまえはわたしを讃えるのか。わたしはおまえを切ったのに。わたしは残酷だ、おまえは血を噴いているーー。おまえがわたしの酔いしれた残酷さを褒めるのは、どういうつもりだ。


「完全になったもの、熟したものは、みなーー死ぬことをねがう」そうおもえは語る。だから葡萄を摘む鋏はしあわせだ。それに反して、成熟に達しないものはみな、生きようとする。いたましいことだ。


苦痛は語る、「過ぎ行け、去れ、おまえ、苦痛よ」と。しかし、苦悩するいっさいのものは生きようとする。成熟して、悦楽を知り、あこがれるために。


――すなわち、より遠いもの、より高いもの、より明るいものをあこがれるために。「わたしは相続者を欲する」苦悩するすべてのものは、そう語る。「わたしは子どもたちを欲する、わたしが欲するのはわたし自身ではない」と。――


しかし、悦楽は相続者を欲しない、子どもたちを欲しない、――悦楽が欲するのは自分自身だ、永遠だ、回帰だ、万物の永遠にわたる自己同一だ。

Lust aber will nicht Erben, nicht Kinder, - Lust will sich selber, will Ewigkeit, will Wiederkunft, will Alles-sich-ewig-gleich.


苦痛は言う。「心臓よ、裂けよ、血を噴け。足よ、さすらえ。翼よ、飛べ。痛みよ、高みへ、上へ」と。おお、わたしの古いなじみの心臓よ、それもいい、そうするがいい。痛みはいうのだ、「去れよ」と。



10


おまえたち高人たちよ、おまえたちはどう思うか。わたしは予言者か。夢みる者か。酔いしれた者か。夢を解く者か。真夜中の鐘か。


一滴の露か。永遠からの香りの一種か。おまえたちの耳は聞かぬか、おまえたちの鼻は嗅がぬか。いままさにわたしの世界は完全になったのだ、真夜中はまた正午なのだ。


苦痛はまた一つの悦楽なのだ。呪いはまた一つの祝福なのだ。夜はまた一つの太陽なのだ、――おまえたち、学ぶ気があるなら、このことを学び知れ、賢者も一人の阿呆であることを。


おまえたちは、かつて悦楽にたいして「然り」と言ったことがあるか。おお、わたしの友人たちよ、そう言ったことがあるなら、おまえたちはいっさいの苦痛にたいしても「然り」を言ったことになる。すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされているのだ。――


――おまえたちがかつて「一度」を二度欲したことがあるなら、かつて「おまえはわたしの気に入った。幸福よ、刹那よ、瞬間よ」と言ったことがあるなら、それならおまえたちはいっさいのことの回帰を欲したのだ。


――いっさいのことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを、おまえたちは欲したのだ。おお、おまえたちは世界をそういうものとして愛したのだ、――


――おまえたち、永遠な者たちよ、世界を愛せよ、永遠に、また不断に。痛みに向っても「去れ、しかし帰って来い」と言え。すべての悦楽はーー永遠を欲するからだ。Denn alle Lust will - Ewigkeit!



11


悦楽は常にすべてのことの永遠ならんことを欲する、蜜を欲する、おりかすを欲する、酔いしれた真夜中を欲する、息を欲する、墓を欲する、墓の涙の慰藉を欲する、金色にちりばめた夕映えを欲するーー


Alle Lust will aller Dinge Ewigkeit, will Honig, will Hefe, will trunkene Mitternacht, will Gräber, will Gräber-Thränen-Trost, will vergüldetes Abendroth –


悦楽が欲しないものがあろうか。悦楽は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。悦楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が悦楽のなかに環をなしてめぐっている。――


- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -


――悦楽は愛しようとする、憎もうとする。悦楽は富にあふれ、贈り与え、投げ捨て、だれかがそれを取ることを乞い求め、取った者に感謝する。悦楽は好んで憎まれようとする。――


- sie will Liebe, sie will Hass, sie ist überreich, schenkt, wirft weg, bettelt, dass Einer sie nimmt, dankt dem Nehmenden, sie möchte gern gehasst sein, -


――悦楽はあまりにも富んでいるゆえに、苦痛を渇望する。地獄を、憎悪を、屈辱を、不具を、一口にいえば世界を渇望する、――この世界がどういうものであるかは、おまえたちの知っているとおりだ。


- so reich ist Lust, dass sie nach Wehe durstet, nach Hölle, nach Hass, nach Schmach, nach dem Krüppel, nach _Welt_, - denn diese Welt, oh ihr kennt sie ja!


おまえたち高人たちよ。悦楽はおまえたちをあこがれ求めている、この奔放な、至福な悦楽は、――できそこないの者たちよ、おまえたちの苦痛をあこがれ求めているのだ。すべての永遠な悦楽はできそこないのものをあこがれ求めている。


Ihr höheren Menschen, nach euch sehnt sie sich, die Lust, die unbändige, selige, - nach eurem Weh, ihr Missrathenen! Nach Missrathenem sehnt sich alle ewige Lust.


つまり、悦楽はつねにおのれ自身を欲しているのだ。それゆえに心の悩みをも欲するのだ。おお、幸福よ、おお、苦痛よ。おお、心臓よ、裂けよ。おまえたち高人たちよ、このことをしっかり学び知れ、悦楽が永遠を欲することを。


Denn alle Lust will sich selber, drum will sie auch Herzeleid! Oh Glück, oh Schmerz! Oh brich, Herz! Ihr höheren Menschen, lernt es doch, Lust will Ewigkeit,


――悦楽はすべてのことが永遠ならんことを欲するのだ、深い深い永遠を欲するのだ。


- Lust will _aller_ Dinge Ewigkeit, will tiefe, tiefe Ewigkeit!



…………

ここで、もう一度、ジジェクの《死の欲動といわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動》だという言葉を想いだしておこう。


永劫回帰にはいろいろな議論があるが、ここではひとつだけ、クンデラ『存在の耐えられない軽さ』の冒頭を附記しておく。

永劫回帰という考えはミステリアスで、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。われわれがすでに一度経験したことが何かもう一度繰り返され、そしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるであろうと考えるなんて! いったいこの何ともわけの分からない神話は何をいおうとしているのであろうか?

永劫回帰という神話を裏返せば、一度で永久に消えて、もどってくることのない人生というものは、影に似た、重さのない、前もって死んでいるものであり、それが恐ろしく、美しく、崇高であっても、その恐ろしさ、崇高さ、美しさは、無意味なものである。だから、十四世紀にアフリカの二つの国家の間で戦われた戦争で、ことばにあらわしがたい苦しみの中に三十万人もの黒人が死んだにもかかわらず、世界の顔を何ひとつ変えなかったように、その恐ろしさ、崇高さ、美しさはまともにとりあげる必要はないのである。

十四世紀のアフリカの二つの国家の戦いが、永劫回帰の中で数限りなく繰り返されたとしたら、何かが変わるであろうか?

変わる。それは目に立ち、永遠に続く塊となり、その愚かしさはどうしようもないものとなるであろう。

もしもフランス革命が永遠に繰り返されるものであったならば、フランスの歴史の記述は、ロベスピエールに対してこれほどまでに誇り高くはないであろう。ところがその歴史は、繰り返されることのないものについて記述されているから、血に塗れた歳月は単なることば、理論、討論と化して、鳥の羽よりも軽くなり、恐怖をひきおこすことはなくなるのである。すなわち、歴史上一度だけ登場するロベスピエールと、フランス人の首をはねるために永遠にもどってくるであろうロベスピエールとの間には、はかり知れないほどの違いがある。

そこで永劫回帰という思想がある種の展望を意味するとしよう。その展望から見ると、さまざまな物事はわれわれが知っている姿と違ったようにあらわれる。それらの物事は過ぎ去ってしまうという状況を軽くさせることなしにあらわれてくる。このような状況があるからこそ、われわれは否定的判断を下さなくてもすむのである。どうして消え去ろうとしているものを糾弾できようか。消え去ろうとしている夕焼けはあらゆるものをノスタルジアの光で照らすのである。ギロチンでさえも。

つい最近のことだが私は信じがたい感情にとらわれた。ヒットラーについての本をパラパラやっていたとき、何枚かの写真を見て、感動させられた。私に自分の少年時代を思いおこさせたのである。私が少年時代を過ごしたのは戦時中であった。親戚の何人かはヒットラーの強制収容所で死んだ。でも、ヒットラーの写真が私の失われた時代、すなわち、二度ともどることのない時代を思い出させてくれたのと比べて、あの人たちの死は何だったのであろうか?

ヒットラーとのこの和解は、回帰というものが存在しないということに本質的な基礎が置かれている世界の、深い道徳的な倒錯を明らかにしている。なぜならばこの世界ではすべてのことがあらかじめ容認され、あらゆることがシニカルに許されているからである。

われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。これがニーチェが永劫回帰の思想をもっとも重い荷物(das schwerste Gewicht)と呼んだ理由である。

もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとしてあらわれうるのである。

だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?

その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷になり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。

それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。

そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか? 重さか、あるいは、軽さか?

この問題を提出したのは西暦前六世紀のパルメニデースである。彼は全世界が二つの極に二分されていると見た。光――闇、細かさーー粗さ、暖かさーー寒さ、存在――不存在。この対立の一方の極はパルメニデースにとって肯定的なものであり(光、細かさ、暖かさ、存在)、一方は否定的なものである。このように否定と肯定の極へ分けることはわれわれには子供っぽいぐらい単純にみえる。ただ一つの例外を除いて。軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか?

パルメニデースは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。

本当かどうか? それが問題だ。確かなことはただ一つ、重さーー軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。

2013年12月18日水曜日

アランの「四つの徳」

前投稿(「プラトンとフロイトの野生の馬」)に引き続き、プラトン『国家』をめぐる資料。

◆アランのプラトンの『国家』について

プラトンは自己抑制について、素晴らしいことを言ひ、内面の統制は貴族的でなければならないことを示してゐる。つまり、優れたものが劣るものを統治するのだ。「優れたもの」で彼がさしたのは、私達の一人ひとりが内に持つ、知り、理解する力である。私達の内にある民衆、それは怒りであり、欲望であり、欲求だ。私はプラトンの『国家』を読んで欲しいと思ふ。それについておしやべりをするため、つまり、普通に言はれてゐるところを再確認するためではなく、自らを統治する術を学び、自らの内に正義を打ち立てるために。

彼の主な考へは、かういふものだ。人が自らをうまく統治できれば、さうしようと考へなくても、他人のためにも善き人、役に立つ人になる。これは全ての倫理の理念だ。それ以外は、野蛮人の取締りに過ぎない。諸君が恐怖といふ手段だけで、人々が争ひを避け互ひに助け合ふやうにすれば、確かに国の中にある種の秩序を築いたことになる。しかし、一人ひとりの内側は、単なる無政府状態だ。暴君に他の暴君が取つて代はる。恐怖が物欲しさを牢に入れてゐる。内側ではあらゆる悪が泡立つてゐる。外側の秩序は不安定だ。暴動、戦争、地震が来ると、牢から囚人達が吐き出されるやうに、私達の内でも牢が開かれ、怪物のやうな欲望が街を占領する。

だから、私は、計算や用心深さに基礎を置く倫理の教へは、凡庸だと判断してゐる。それ以上は言はないが。愛されたいと思へば、優しくしろ。お返しをして貰へるやうに、同胞を愛せ。子供に尊敬されたかつたら、親を敬へ。これは街頭警備に過ぎない。誰もが常に良い機会を、不正を犯しても罰せられない機会を待つてゐる。

私は、若いライオンの仔らが、倫理の教科書や教理問答集、全ての慣習や格子で爪を研ぎ始めたら、すぐに、別のやり方で語るだらう。彼らに、かう言ふだらう。何も恐れるな。自分が望むところを為せ。金の鎖にせよ、花で飾られた鎖にせよ、どのやうな束縛も受け入れるな。ただ、君たちは、自分自身の王になりたまへ。位を譲るな。欲望を、怒りを、そして恐れを支配する者たれ。羊飼ひが犬を呼び戻すやうに、怒りを呼び戻す訓練をせよ。諸君の欲望に君臨する王たれ。怖ければ、諸君を恐れさせるものに静かに歩み寄れ。諸君が怠惰なら、自らに任務を課せ。無気力なら、体を鍛へよ。我慢が足りないなら、縺れた糸の球を自分に与へよ。煮込みが焦げたら、大いなる食欲で食べるといふ王の贅沢を持て。悲しみに襲はれたら、自分に喜びを布告せよ。眠られず、草の上の鯉のやうに寝返りを打つてゐるなら、動かずにゐて、命令により眠る訓練をしたまへ。さうすれば、諸君は、自分の王になつてゐるのだから、王のやうに振る舞ひたまへ。そして、自らが良いと思ふことを為したまへ。

《君たちは、自分自身の王になりたまへ》とある。この勧告をどうどらえるか。前回みたように、フロイトーラカンの考えでは、われわれは自身の王にはなりえない。ここではあまりややこしいことは書きたくないが、ラカンの言い方では、主体の核には欠如がある。言語化されない欲動(欲望ではなく)の蠢きがある。もし己れの王になることを極限まで言うならば次のような定言命令がある。

汝の生み出した発話行為の内なる死の欲動を、決してしらばくれることなしに汝自身のものんと認めよ。(アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理』)
だがいまはその話ではない。


◆小林秀雄「プラトンの「国家」」より

「国家」或は「共和国」とも言われているこの対話篇には、「正義について」という副題がついているが、正義という光は垣間見られているだけで、徹底的に論じられているのは不正だけであるのは、面白い事だ。正義とは、本当のところ何であるかに関して、話相手は、はっきりした言葉をソクラテスから引出したいのだが、遂にうまくいかないのである。どんな高徳な人と言われているものも、恐ろしい、無法の欲望を内に隠し持っている、という事をくれぐれも忘れるな、それは君が、君の理性の眠る夜、見る夢を観察してみればすぐわかる事だ、ソクラテスは、そういう話をくり返すだけだ。

そういう人間が集まって集団となれば、それは一匹の巨大な獣になる。みんな寄ってたかって、これを飼いならそうとするが、獣はちと巨き過ぎて、その望むところを悉く知る事は不可能であり、何処を撫でれば喜ぶか、何処に触れば怒りだすか、そんな事をやってみるに過ぎないのだが、手間をかけてやっているうちには、様々な意見や学説が出来上り、それを知識と言っているが、知識の尺度はこの動物が握っているのは間違いない事であるから、善悪も正不正も、この巨獣の力に奉仕し、屈従する程度によって定まる他はない。何が古風な比喩であろうか。

プラトンは、社会という言葉を使っていないだけで、正義の歴史的社会的相対性という現代に広く普及した考えを語っている。今日ほど巨獣が肥った事もないし、その馴らし方に、人びとが手を焼いている事もない。小さな集団から大国家に至るまで、争ってそれぞれの正義を主張して互いに譲る事が出来ない。真理の尺度は依然として巨獣の手にあるからだ。ただ社会という言葉を思い附いたと言って、どうして巨獣を聖化する必要があろうか。

ソクラテスは、巨獣には、どうしても勝てぬ事をよく知っていた。この徹底した認識が彼の死であったとさえ言ってよい。巨獣の欲望に添う意見は善と呼ばれ、添わぬ意見は悪と呼ばれるが、巨獣の欲望そのものの動きは、ソクラテスに言わせれば正不正とは関係のない「必然」の動きに過ぎず、人間はそんなものに負けてもよいし、勝った人間もありはしない。ただ、彼は、物の動きと精神の動きとを混同し、必然を正義と信じ、教育者面をしたり指導者面をしているソフィスト達を許す事が出来なかったのである。巨獣の比喩は、教育の問題が話題となった時、ソクラテスが持出すのだが、ソクラテスは、大衆の教育だとか、民衆の指導だとかいう美名を全く信じていない。巨獣の欲望の必然の運動は難攻不落であり、民衆の集団的な言動は、事の自然な成行きと同じ性質のものである以上、正義を教える程容易な事があろうか。この種の教育者の仕事は、必ず成功する。彼は、その口実を見抜かれる心配はない、彼の意見は民衆の意見だからだ。

もし、ソクラテスが、プロパガンダという言葉を知っていたら、教育とプロパガンダの混同は、ソフィストにあっては必至のものだと言ったであろう。言うまでもなく、ソクラテスは、この世に本当の意味での教育というものがあるとすれば、自己教育しかない、或はその事に気づかせるあれこれの道しかない事を確信していた。もし彼が今日まで生きていたら、現代のソフィスト達が説教している事、例えばマテリアリズムというものを、弁証法とか何とか的とか言う言葉で改良したらヒューマニズムになるというような詭弁を見逃すわけはない。事実を見定めずにレトリックに頼るソフィストの習慣は、アテナイの昔から変わっていない、と彼は言うだろう。

イデオロギイは空言でも美辞でもない、その基底には、歴史の必然による要請がある、と現代のソフィスト達は、口をそろえて言うだろうが、ソクラテスの炯眼をごまかすわけにはいくまい。嘘をつかない方がよい、基底には、君自身が隠し持っている卑屈な根性がある。君達は自己欺瞞がつづき、君たちのイデオロギイが正義の面を被っていられるのも、敵対するイデオロギイを持った集団が君達の眼前にある間だ。みんな一緒に、同じイデオロギイを持って暮さねばならぬ時が来たら、君達は、極く詰らぬ瑣事から互いに争い出すに決っている。そうなってみて、君達は初めて気がつくだろう。歴史的社会という言葉は、一匹の巨獣という言葉より遥かに曖昧な比喩だという事に気がつくだろう。

社会は一匹の巨獣である、では社会学にはならぬ。そんな事を言って、プラトンを侮るまい。いよいよ統計学に似て来る近代社会学には、統計学の要求に屈して、人間を、計算に便利な人間という単位で代置する誘惑が避け難い。この傾向は、人間について何が新しい発見を語る事なのか、それとも来るべきソフィスト達の為に、己惚れの種を播く事なのか。一応疑ってみた方がよいだろう。

ソクラテスの話相手は、子供ではなかった。経験や知識を積んだ政治家であり、実業家であり軍人であり、等々であった。彼は、彼らの意見や考えが、彼等の気質に密着し、職業の鋳型で鋳られ、社会の制度にぴったりと照応し、まさにその理由から、動かし難いものだ、と見抜いた。彼は、相手を説得しようと試みた事もなければ、侮辱した事もない。ただ、彼は、彼等は考えている人間ではない、と思っているだけだ。彼等自身、そう思いたくないから、決してそう思いはしないが、実は、彼等は外部から強制されて考えさせられているだけだ。巨獣の力のうちに自己を失っている人達だ。自己を失った人間ほど強いものはない。では、そう考えるソクラテスの自己とは何か。

プラトンの描き出したところから推察すれば、それは凡そ考えさせられるという事とは、どうあっても戦うという精神である。プラトンによれば、恐らく、それが、真の人間の刻印である。ソクラテスの姿は、まことに個性的であるが、それは個人主義などという感傷とは縁もゆかりもない。彼の告白は独特だが、文学的浪漫主義とは何の関係もない。彼は、自己を主張しもしなければ、他人を指導しようともしないが、どんな人とも、驚くほど率直に、心を開いて語り合う。すると無智だと思っていた人は、智慧の端緒をつかみ、智者だと思っていた者は、自分を疑い出す。要するに、話相手は、皆、多かれ少かれ不安になる。そういう不安になった連中の一人が、ソクラテスに言う。
「君は、疑いで人の心をしびれさせる電気鰻に似ている」
ソクラテスは答える。
「いかのもそうだ、併し、電気鰻は、自分で自分をしびれさせているから、人をしびれさせる事が出来る、私が、人の心に疑いを起こさせるのは、私の心が様々な疑いで一杯だからだ」と。

(……)
お終いに、ソクラテスが、民主主義政体について語っているところ、これはまことに精妙であって、要約は難しいが(「国家」第八巻)、附記して置こうか。言うまでもなく、この政体の最大の所有物は平等と自由とであるが、この政体に最も適した人間は、自分の内に持つ様々な欲望を平等に自由に解放している人間に相違なく、それ故、又、人間性格の様々な類型を、一人で演ずる事の出来るような人間であり、元気で敏感で、先生は生徒に媚び、老人は青年に順応し、亭主は女房を恐れ、女房は飼犬を尊敬し、というような事は一番苦もない事と言える人間達だ。政治関係にしても、為政者は、圧制者の評判をとるのが一番恐いから、まるで被治者のような治者が尊敬されるだろうし、逆に、自由の名の下に、為政者に反抗する、治者のような被治者が一番人気を集めるだろう。

政治は普通思われているように、思想の関係で成立するものではない。力の関係で成立つ。力が平等に分配されているなら、数の多い大衆が強力である事は知れ切った事だが、大衆は指導者がなければ決して動かない。だが一度、自分の気に入った指導者が見つかれば、いやでも彼を英雄になるまで育て上げるだろう。権力慾は誰の胸にも眠っている。民主主義の政体ほど、タイラントの政治に顛落する危険を孕んでいるものはない。では、何故、指導者がタイラントになるか。この諧謔を交えた仮借ない分析を辿るには全文を要するのだが、プラトンの政治思想の骨組は、はっきり透けて見える。

ソクラテスの定義によれば、指導者とは、自己を売り、正義を買った人間だ。誰が血腥いタイラントになりたいだろう。だから、誰もなるものではない、否応なくならされるのだ、とソクラテスは言う。正義に酔った指導者が、どうして自分のうちに、人間を食う欲望のひそんでいる事を知ろうか。「狼の山」に建てられた神殿にそなえられた生贄の肉の中に、子供の内臓が混じっていたのを知らずに食べたものは、狼になるのが運命だ。彼の運命は劇的でもあり、悲壮でもあるので、よく芝居などにも仕組まれるのさ。

政治の地獄をつぶさに経験したプラトンは、現代知識人の好む政治への関心を軽蔑はしないだろうが、政治への関心とは言葉への関心とは違うと、繰返し繰返し言うであろう。政治とは巨獣を飼いならす術だ。それ以上のものではあり得ない。理想国は空想に過ぎない。巨獣には一かけらの精神もないという明察だけが、有効な飼い方を教える。この点で一歩でも譲れば、食われて了うであろう、と。

小林秀雄の読みはここではアランよりずっとペシミスティックであると言えるだろう。

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)

《三島由紀夫が生きていたら、彼に読まれるということだけで、書けない小説があったはずだ。三島が死んでしまったら、同世代の作家たちの中に、あいつに読まれたら恥ずかしいという意識がなくなって、歯止めがきかなくなってしまった。小林秀雄が現職のときも、そういうことがあったと思う。》——蓮實重彦


後年、柄谷行人は小林秀雄批判の言葉を洩らすにしろ、柄谷行人の初期評論のモデルは小林秀雄にあったことは間違いない。



恐らく、《作家であること》! というあの幻想をいだいて青春をすごす若者は、もうひとりもいないのだ。いったい同時代の作家の誰からコピーしようとのぞめばいいのか。誰かの作品をではなく、その仕事ぶり、その姿勢、ポケットに手帳を、頭に文をおさめて世間を歩いてゆくあの流儀を、いったい誰について真似すればいいというのか(そんな風に私はジッドを見ていたものだった、ロシアからコンゴまで歩きまわり、気に入った古典を読み、食堂車のなかで料理を待ちながら手帳に書いている姿を。そんな風なジッドを、私は実際に一九三九年のある日、ブラッスリ・リュテシアの奥まったテーブルで、梨をたべながら本を読んでいる姿を、見たことがある)。なぜなら、幻想が強制するもの、それは日記の中に見いだされるような作家の姿だからである。それは《作家からその作品を差し引いたもの》である。神聖なものの至高な形式、すなわちマークつきの空虚である。(『彼自身によるロラン・バルト』)


いまそんなモデルはどこにもない。




◆プラトン『国家』(藤沢令夫訳)より


アデイマントス発言)生まれつき不正を忌み嫌うような性質を神から授かっているか、あるいは知を得て不正から身を遠ざける人の場合は例外として、一般には、みずからすすんで正しい人間であろうとする者など一人もいないのだ、ただ勇気がなかったり、年を取っていたり、その他何らかの弱さをもっていたりするために、不正行為を非難するけれども、それは要するに、不正をはたらくだけの力が自分にないからなのだ(366D)
それではまた放埓であることが昔から非難されているのも、同じような理由によるとは思わないかね。すなわち、そのような状態においては、あのおそろしい、あの巨大で複雑怪奇な獣が、しかるべき限度以上に解放されるからなのではないかね?(……)

また強情や気むずかしさが非難されるのは、それがライオン的な部分や蛇的な部分を不調和に大きく成長させ、緊張させる場合ではあるまいか?(……)

他方、贅沢や柔弱が非難されるのは、まさにその部分をゆるめて弛緩させるためではあるまいかーーその部分の内に臆病さを植えつける場合にね(……)

また、へつらいや卑しさが非難されるのは、同じその部分、気概の部分を、あの荒れ狂って始末におえぬ獣の下に屈従させ、金銭のため、またその獣の飽くことなき欲望のために屈辱に甘んじさせ、ライオンであることをやめて猿となるように、若いときから習慣づける場合ではないだろうか(590B)


プラトンの議論では知恵、勇気、節制が国家の正義をもたらすということになる。

この国家は、<知恵>があり、<勇気>があり、<節制>をたもち、<正義>をそなえていることになる》(427E)


これは前回しめした、魂の三分説<知を愛する人>、<勝利を愛する人>、<利得を愛する人>、あるいは理(ロゴス)を知る「理性的部分」、怒りや情熱をおぼえる部分「気概的部分」、飢えや金銭欲感じる部分「欲望的部分」のそれぞれが「知恵」「勇気」「節制」に対応し、その三つが相俟って「正義」を生むという議論だが、実際は小林秀雄が指摘するように、不正ばかりが書かれている。あるいは同じ小林秀雄が要約するソクラテスの「民主主義政体」については、当時は奴隷や女性の投票権がない小さな民主主義(いまではエリートだけの民主政とでもいうものだろう)にもかかわらず、衆愚政治やファシズムに陥らざるをえない機微が書かれており、あらためて反デモクラシーの言説として読まざるをえない。それはまたフロイトが『ある幻想の未来』で次のように書いていることをも想起させる。


……指導者は、自分たちの影響力を持ちつづけたいと思うあまり、大衆を自分たちに近づけるよりはむしろ自分たちのほうが大衆に迎合してしまう危険にさらされている。そこで、大衆からの独立を保つためには、指導者たちに権力手段を与えることが必要に思われてくる。これは要するに、文化の諸制度維持のためにはある程度の強制が絶対に必要とされる原因は、人間には自発的に働く意志はなく、また、情熱のとりこになった人間は道理に耳をかそうとはしないという、多くの人間に見られる二つの性質に求められるのである。

以下はふたたびアランだが、ここではプラトンの名は出していないにもかかわらず、明らかに『国家』が下敷きとしてあり、アランは四つの徳を並列的にならべ、最後に知恵=叡知だけが肝要だと説くことになる。この議論はカント的、あるいはフロイト的観点からはそのまま受け容れがたいにしろ、通俗道徳としてはいまでも基本であろう。いま通俗道徳としたが悪い意味ではなく、われわれの生は99パーセント、その道徳によって生きていくことができる。ただそれだけではない、ということが、カントやニーチェ、フロイト、ラカンなどによって言われているのを忘れてはならないということだけだ。

上にプラトンの国家からアデイマントスの発言、《ただ勇気がなかったり、年を取っていたり、その他何らかの弱さをもっていたりするために、不正行為を非難するけれども、それは要するに、不正をはたらくだけの力が自分にないから》と引用したのは、不正ではないが、以下にアランが巧みに書くように’節制の徳がたいして尊敬されず、その理由は人間の器の小ささによると思われがちなことを示すためだ。前記事でしめされた己れの核の享楽(死の欲動)を認めつつのフーコー的な節制であればだれも文句はいうまい。

《節制ということが勇気の妹ということになる。この妹は勇気ほど尊敬されない。なぜか。けだし、節制はつねに拒否へとかたむくもので、それゆえこれは、充分欲しないということからも、あるいは結果をあまりおそれすぎるということからも生じうるものなのだから。だが、そうしたものはすこしも力ではない。すこしも徳ではない。吝嗇家が節制なのは、自分の生活の節約と一種の心のまずしさによってである。》

成熟もしかり。

《「枯淡」は衰えの美称にすぎず、「老成円熟」は積年の習慣の言い換えにすぎないだろう》(加藤周一「老年について 」1997)

《停滞をとりあえず成熟と呼ぶことで、みんながおのれの貧しさを肯定しあ》う(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

プラトンの冒頭近くに印象的な会話がある。
『どうですか、ソポクレス』とその男は言った、『愛欲の楽しみのほうは? あなたはまだ女と交わることができますか?』

ソポクレスは答えた、

『よしたまえ、君。私はそれから逃れ去ったことを、無上の歓びとしているのだ。たとえてみれば、狂暴で猛々しいひとりの暴君の手から、やっと逃れおおせたようなもの』

私はそのとき、このソポクレスの答を名言だと思ったが、いまでもそう思う気持にかわりはない。まったくのところ、老年になると、その種の情念から解放されて、平和と自由がたっぷり与えられることになるからね。さまざまの欲望が緊張をやめて、ひとたびその力をゆるめたときに起るのは、まさしくソポクレスの言ったとおり、非常に数多くの気違いじみた暴君たちの手から、すっかり解放されるということにほかならない。(329D)

ニーチェならひどく嘲弄する言葉だろう、連中の哲学はすべてこのたぐいさ、と。

わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者を笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「崇高者たち」手塚富雄訳)


さてようやくアランのプロポ「四つの徳」全文を引用することができる。実は前投稿から引き続き、このアランの文章を吟味するために、プラトンやフロイト、ニーチェ、小林秀雄などを引用しているようなところがある。ようするに十代の後半に出逢ったすばらしい文章であるにもかかわらず、齢を重ねて雑念が積み重なった身の者が引用するにはいささかの留保が必要なのだ(そして少年時にひどく愛したアランをなんとか救いたいという心持がある)。

そう、たとえばラカンならこう言う。

「チョークの粉がつくる雲の中で教師然としているアラン」(ラカン「メルロポンティ追悼」)でありつつ、『セミネール一巻』では、それなりに好意的に取り上げていることを抜かさずにおこうーー《アランは、パンテオンについて心に描くイマージュにおいては人はその円柱の数を数えることはできない、と強調しました。それについては私なら、パンテオンを設計した人を除いては、と答えましょう。これだけでもう、私達は現実的なもの、想像的なもの、象徴的なものそれぞれの関係に入り込んでいます。》(「フロイトの技法論」上 P231 岩波書店)


徳ということばは、まずそれ自身おどろくべき曖昧さをふくんでいる。日常のことばづかいにおいてもそうだ。植物の徳とはなにかは、だれでもこれを理解できる。それは植物に附された有効性のことで、これはけっして欺かず、けっして務めをおこたらず、確実にひとがそこに見出しうるものである。徳とは、これをいかように解そうともつねに力であることはかわらない。他方、徳とはつねに断念である。この矛盾は勇気のない精神の持主をなやます。まったく反対に、この矛盾は、語勢のためにすぎないときでも、まさしく人の個々とを刺激し、目ざめさせ、挑発すべきものなのだ。徳とは、たし
かに無力さゆえの断念ではなく、むしろ力ゆえの断念である。もし私が気狂いじみた怒りゆえに勇気があるのなら、それは徳ではない。もし私が卑怯さからして断念するならば、それはすこしも徳ではない。徳とはなにかといえば、自己の自己に対する力である。なんの役にも立たぬのについに罵りかえしてしまって、これを得意におもうものはない。肉屋の店先で、犬がやるのを見かけるように、快楽をまえにしてハアハアあえいで、これを得意におもうものはない。自分のかせぐお金によって自分の意見を規制するのを得意におもうものはだれもいない。自分の主人にへつらうことの好きなものはだれもない。自分の考えるところをいうこと、そして、まずもって自分の考えるところ、いうところを、そのため失敗をまねくかも知れないとおもわれるその状況のなかで、吟味すること、これが徳である。

古人は四つの徳をおしえた。すなわち、彼らは自己把持の四つの敵をみとめていたということだ。もっともおそるべき敵は恐怖である。というのは、恐怖は行動も思想もゆがめてしまうから。それゆえ、勇気こそ徳の第一の面、もっとも尊敬される面となる。もし正義がつねに勇気の相のもとにあらわれるならば、正義はなお大きいものとなろう。ある人に対して勇敢にいどみつつ正義を体することは、自己の自己に対する正義を体することよりもやさしい。それならば、勇気に対するこの熱情はどこから来るのか。おそらく、勇気のあかしということには論議の余地がないからである。問題は危険な行動をおこなうこと、しかも、躊躇によってであれ、軽率によってであれ、けっして挫かれてしまうことなしにそれをやることだ。そうしたものは、顔や手や声でわかる。それゆえにこそ、いかなる人に対しても勇気のあかしを示すことがもとめられていいこと、またこの条件によってしかなにびとも尊敬されないということが、なん世紀にもわたって人びとにみとめられて来たわけだ。こんにち決闘や挑戦はいささか忘れられている。もっとも、すっかり忘れられているわけではない。むしろ、勇気のあかしということは依然として人びとのうえに君臨している。戦いへの招きはこばみがたいものだが、それもこうした理由によるのである。

人間のいま一つの敵、それは快楽だ。かくして、節制ということが勇気の妹ということになる。この妹は勇気ほど尊敬されない。なぜか。けだし、節制はつねに拒否へとかたむくもので、それゆえこれは、充分欲しないということからも、あるいは結果をあまりおそれすぎるということからも生じうるものなのだから。だが、そうしたものはすこしも力ではない。すこしも徳ではない。吝嗇家が節制なのは、自分の生活の節約と一種の心のまずしさによってである。こういうわけで、この節制という徳は、ややもするといかがわしく思われる。自己の自己に対するばあいでもそうだ。というのは、およそ金づかいというもののほうが、いかにも勇気ありげにみえるものなのだから。それゆえに、人はこのヴェールをかむった徳、節制のまえではためらう。

富というものはわれわれをつよくとらえる。われわれはこれを羨望し、かくして奴隷になってしまう。われわれが富をもつとなると、富はさらにいっそうよくわれわれをとらえる。それゆえ、われわれはなにかにつけかせぎたくなる。いいかえれば、より少なくあたえたり、より多く受けとったりしたくなる。そして、この盗みたいという魅力にわれわれが抗しうる徳、あるいは内なる力とは、すなわち正義である。警官や裁判官による強制的な正義ではなく、自由な正義、自己に対する正義、だれもこれについてはなにも知らぬということを前提としての正義である。ところで、この徳は不確実さによってわれわれを疲れさす。というのはわれわれは、自分が四方八方から盗まれているような気がするし、またしばしば自分が、みずから欲せずに、しかも万人にほめられながら、盗人になっているような気がするから。ふつうの人は自分の正義をあかすよりも、その勇気をあかすのにいっそう注意ぶかいと、私がいったのはこのゆえである。このことはつぎの逆説をいくぶん説明してくれる。すなわち、ひとは自分の金よりも自分の命のほうをいっそう無造作にあたえてしまうものだと。

この三つの徳を考察してみると、これらのものが第四番目の徳、すなわち叡知によってもたらされた影のようなものだということに気づく。というのは、問題なのはつねに、欺かれぬことであり、自分の明晰な精神を保持することなのだから。そして、情念の第一の作用とは、われわれを盲目にすることである。それゆえ、第一の徳とは、よく判断することであり、よく判別することであり、自分になにがもとめられているか、なにが約束されているか、自分にとってなにが重要なのか、自分はなにを欲し、なにを欲しないのかを知ることである。そして、あきらかなことだが、われわれを連れ去ろうとする人たちは、はなばなしくもそうぞうしい外観の花火により、賞讃により、侮辱により、皮肉により、恥辱により、威嚇によって、われわれの注意をおびえさせ、疲れさせ、がっかりさせることからまずはじめる。じつは、徳という名のもと、つねに目ざされているものは、判断力なのだ。徳は一つしかなく、自己自身をまえにした精神の自由な態度こそそれである。もろもろの徳のかげに姿をみせているのは、うまいことばでいえば、自己尊重ということである。有徳の人とは、自分がいわば精神の捧持者であると知り、またこの高い属性に対しみずから責任あると知る人のことである。それゆえ、賢者はただ自己をしか信ぜず、自己についてはただ自己の精神をしか信じない。かくして彼はときに、徳とはなにものでもないとさえいうにいたる。(アラン『人生語録集』(プロポ集 )彌生選書 1978 井沢義雄・杉本秀太訳)

これらはプラトンだけではなく、わたくしの狭い読書範囲でも、仏モラリストたちの系譜の言葉であることが分る。

たとえば、ラ・ロシュフーコーの箴言集から。

正義とは、自分に属するものを奪われるのでないか、との生ま生ましい危惧にほかならない。隣人のすべての権益に対する配慮と尊重、隣人にいかなる迷惑もかけまいとする、細心の注意はここから生まれるのである。この危惧が人間を生まれや運によって自分に与えられた富の限度内に踏みとどまらせるのであって、これがなければ、人間はとめどなく他人の財産を掠め取ろうとするようになってしまうだろう。

アランと小林秀雄より

森有正は、「彼(アラン)はアリストテレスを十八回読破したと言う!」と、感嘆の声を発しているが、およそアランほど、徹底して古典を読みこんだ者はいないであろう。

例えば、彼は、トルストイの大作『戦争と平和』を10回以上、あの厖大なサン・シモンの『回想録』を一行も飛ばさずに少くも三度以上反読する。『谷間の百合』、『パルムの僧院』、『赤と黒』に至っては実に五十回以上も読み返し、しかも読むたびに喜びを新にする。

「ステイヴンソンの『宝島』は、はとんど記憶の中に書きとめられている」と言う。おそらく、プラトンやスピノザ 、デカルト、ヘーゲル、(……)などの哲学者も、こんな風にして、その全著作をくり返し彼は熟読したのであろう。

例えば『谷間の百合』が退屈だとかつまらぬとか言う者がいるが、彼等はかけ足でページからページへと急いだだけで、ろくによく読みもしないで勝手な言辞を弄している、これこれしかじかの素晴らしい個所を引用してみると、彼等はそんな部分があったことにさえ全く気づいていない。

肝心の作品をよく読みもしないで、手前勝手な理屈をこねまわす文学研究者の何と多いことよ、とアランは嘆くのである。

ーー森有正もアランに熱中した同じ頃熱愛したのだが、彼を救うための文章を書こうとして書き切れていない(もちろん救うといっても、わたくしの個人的な読書歴のなかで「救う」のであって、他人に強要するつもりはないが、少年時の愛は森有正のかんしては救い切れていないのだ)。

…………

アランは第一次大戦に自ら望んで従軍している。《46歳で兵役義務はなかったにもかかわらず、そして戦争を憎んでいたにもかかわらず、しかもアンリ四世校という名門中の名門の学校で哲学教師の職を得ていたにもかかわらず、志願して従軍しました。それも、アランの年齢と地位に配慮して後方任務が用意されたのを断り、重砲兵を希望して前線に赴いたのです。》(村井章子

《アランが世に知られるきっかけとなったのも、ドレフュス事件(1894年)の際に、スパイ容疑をかけられたドレフュス大尉を擁護し軍部を攻撃する論陣を張ったことでした。》

ほかにも一九三六年に組織された反ナチズム知識人連盟の会長になっている。
ボーヴォワールの日記を読むと、ふたつの大戦間、いかにアランが敬愛されよく読まれていたかを知ることができる。ただし第二次世界大戦間際には、あのオプティミズムは、ナチの侵攻に対しては通用しない、という意味のサルトルかあるいは他の友人との会話が書かれていたはずだが、いま確めてみることはしない。

アラン( 1868-1951)は、彼がプロポと名づけたこの種の短文を、 1906年いらい三十数年間、一日に一つ書くのを原則として、ほぼこの間の日数の半分に匹敵するおびただしいプロポをのこした。「君に天分があろうとなかろうと、毎朝、二時間ずつ書きたまえ。」というスタンダールのことばをアランは好んで引用するが、しかし彼はこうした短文をいたずらに書きためていたのではない。「自分の原稿を日ごとに活字にする人は、大理石ないし石材に彫刻する人んい似たところがある。彼は慎重をまなぶのである。」アランは 1906年2 月16日から 14年9 月1日にいたる間、『ルーアン日報』紙に「一ノルマン人のプロポ」と題して毎日かならず一篇の短文を、つまり合計して三千九十八篇のプロポを掲載したのである。以後も、数種の新聞・雑誌に定期的にプロポを発表しつづけた。慎重さは、まさに彼がいうように、翌朝には印刷されもはや修正加筆のきかない形にされた自分の文章が、無数の読者の手もとに配されてしまうという余儀なさによってまなばれる。まなばれた慎重さは、書き手のペン先を規制し、方向逸脱を監視するであろう。それにしても、まずはじめには決断をもってペンを動かすことが、つねに必要であろう。翌日の記事はさし迫っているからである。ところで、あつかう題目は、新聞の読者がよく知っている日常的な経験と毎日の報道のなかに求められねばならない、という余儀なさが、さらに加わる。人々が述べあう諸問題、しかも決して支配者ではなく民衆が語る話題。政治・社会体制は、そこで広い部分を占める。労働、情念、家庭、学校、小説、祭り、その他。以上が、アランのプロポの独特な展開とその文体とを鍛練した主たる条件だと考えられる。そして proposという語は、これらの条件をそのまま一語のうちに含むのである。プロポーー決意・主題・時宜・話題。(『アラン人生語録』弥生書房 1978 杉本秀太郎「あとがき」より)



2013年12月17日火曜日

プラトンとフロイトの野生の馬

……魂の似すがたを、翼を持った一組の馬と、その手綱をとる翼を持った馭者とが、一体になってはたらく力であるというふうに、思いうかべよう。――神々の場合は、その馬と馭者とは、それ自身の性質も、またその血すじからいっても、すべて善きものばかりであるが、神以外のものにおいては、善いものと悪いものとがまじり合っている。そして、われわれ人間の場合、まず第一に、馭者が手綱をとるのは二頭の馬であること、しかもつぎに、彼の一頭の馬のほうは、資質も血すじも、美しく善い馬であるけれども、もう一頭のほうは、資質も血すじも、これと反対の性格であること、これらの理由によって、われわれ人間にあっては、馭者の仕事はどうしても困難となり、厄介なものとならざるをえないのである。(プラトン『パイドロス』)





いわゆるプラトンの「魂の三区分説」を説く箇所のひとつだが、ほかにも『国家』では<知を愛する人>、<勝利を愛する人>、<利得を愛する人>、あるいは、理(ロゴス)を知る「理性的部分」、怒りや情熱をおぼえる部分「気概的部分」、飢えや金銭欲感じる部分「欲望的部分」と区分けされる。


馭者が「ロゴス」、美しい馬は白い馬ともされ「気概」、醜い馬は黒い馬で「欲望」ということにもなる。

ここでの白い馬、「気概的部分」というのが曲者で、実は欲望的部分と同じではないか、として二分説をとる者がいるかといえば(ペナー)、気概的部分をさらにふたつに分けて「気高い気概」と「低級な気概」として四分説とする解釈もある(クレイグ)。

『国家』の英訳をいくつか見比べると、「気概」は、Thumos, Passion,Spiritと訳されている。日本語でいえば根性、情熱、闘志などという訳語を思い浮かべてもよいだろう。

ところで、フロイトの『自我とエス』には似たような野生の馬の比喩がある。


自我は、われわれが理性または分別と名づけるものを代表し、情熱をふくむエスに対立している》とされたあと、次の文があらわれる。


自我の、エスにたいする関係は、奔馬を統御する騎手に比較される。騎手はこれを自分の力で行なうが、自我はかくれた力で行う、という相違がある。この比較をつづけると、騎手が馬から落ちたくなければ、しばしば馬の行こうとするほうに進むしかないように、自我もエスの意志を、あたかもそれが自分の意志ででもあるかのように、実行にうつすことがある。(『自我とエス』著作集6 人文書院  p274 ―――同じ比喩が『夢判断』のなかにもある)

ここで「自我はかくれた力で行う」とあり、フロイト理論では、理性の力のみでは奔馬を飼いならすことが不可能なのだ。

ところで「かくれた力」とはなんなのだろうか。『自我とエス』では上の叙述のあと、しばらくして「自我理想」あるいは「超自我」という語が出てくる(なお、フロイトの自我理想と超自我をほぼ等しいものとする叙述に反して、ラカンージジェクはこのふたつをはっきりと分けている。ジジェクによれば自我理想は象徴界、超自我は現実界の審級に属する)。

《自我はその超自我のために、またその依頼によって抑圧を行なうのだが、この場合は、自我がおなじ武器を、その主人にむけている。》あるいは、《正常な人間は、自分で考えているよりもはるかに反道徳的であるだけでなく、自分が知っているよりもはるかに道徳的である》と、考えている/知っているという多くの者を悩ました表現(後述)のあと、次のようにある。

エスはまったく無道徳であり、自我は道徳的であるように努力し、超自我は、過度に道徳的で、エスに似て非常に残酷になる可能性がある。人間が外部にむかう攻撃を抑制すればするほど、その自我理想の中では、ますます厳格になり、攻撃的になるということは注目に値する。(……)人間がその攻撃を統御すればするだけ、その自我理想にたいする攻撃欲動は昂進する。(同 p296)

こうしてフロイト的には、自我は理性または分別と名づけるものを代表し、情熱をふくむエスに対立しているにもかかわらず、エスを飼いならすには超自我の助けがなくてはならず、その超自我もときと場合によれば、残酷な振舞いをする。


プラトンの「理性的部分」(馭者)、「欲望的部分」(黒い馬)、「気概的部分」(白い馬)はフロイトによってこのように再構築されているのだ。


もっともプラトンの「欲望」は、単純にフロイトの「欲望」と同じように捉えてはならないだろう。フロイトにとっての欲望は一神教的父権制社会の禁止によって生じる「欲望」の意味が強く、多神教的なギリシャでは、むしろ禁止のないところにある、禁止の彼岸にある「欲動」として捉えるべきだろう。ギリシャ人は欲動の節制(自己陶冶)を教え、一神教は欲望を(さえ)禁止する。ギリシャに学んだ『性の歴史』におけるフーコーの克己enkrateia、節制sophrosyneは、精神分析的文脈においては欲動に対するもので欲望に対するものではないとポール・ヴェルハーゲはしている(Paul Verhaeghe『THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』)。

ラカンが欲望を説明するときのひとつとして引用する聖パウロの「ローマの信徒への手紙」は次のようなものだ。
では、どういうことになるのか。
律法は罪であろうか。決してそうではない。
しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。
たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、
わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。
ところが、罪は掟によって機会を得、
あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。
律法がなければ罪は死んでいるのです。
(ローマの信徒への手紙7章7、8節)

「律法」の禁止によって初めて「むさぼり」を知るというのが、フロイトーラカンの欲望である。



他方、欲動については、後期フロイトの「死の欲動」概念や、ギリシャに拘ったフロイトのエロス/タナトスにおける二項対立におけるタナトスなどを想起もできようがこれはいろいろな見解があるのでここでは触れない。むしろ前期フロイトの自己保存欲動/性欲動(リビドー)におけるリビドーがプラトンの欲望(=欲動)に限りなく近いのではないか。


フーコーの克己や節制とは、欲動への内なる隷属にたいする自由を意味しているのであり、欲望に対してではない(ポール・ヴェルハーゲによる)。


さて少し前に戻って、プラトンの「理性的部分」(馭者)、「欲望的部分」(黒い馬)、「気概的部分」(白い馬)はフロイトによって「自我」「エス」「超自我」と再構築されたとしたが、これはなにもフロイトだけの手柄ではないのであり、ほぼ同時代人のニーチェの理知的なアポロンと享楽的なディオニソスやら、力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる、というニーチェの考えはフロイトの「超自我」や「死の欲動」につながる。


さらにはカントの理性の欲動、つまりカントにとって、《感覚や感情が犯す誤謬などは高が知れていて、理性そのものが犯す誤謬こそが問題だった。理性のやみがたい欲動を何とか抑制するのがカントの「批判」》(柄谷行人)にもフロイトの考えの起源のひとつがある。


・みずからのぎりぎりの信念に対しても、「心があらかじめ偏して」いる可能性を留保し、したがって、自らのどんな「正当化の根拠」をも警戒する究極の底にある態度

・きわめて積極的な貴重な本来の「知恵」あるいは、みずからをみずからたらめる ratio (理性 - 根拠)をもあえて疑問に付し、夢とうつつの区別すらさだかでなくなる無定形な不安のうちにたゆたうことをあえてする、もっともラディカルな思考のあらわれ(坂部恵『理性の不安』

※上に引用されたフロイトの『自我とエス』における「考えている/知っているという多くの者を悩ました表現」をめぐるジジェクの説明。

……無意識は野蛮で無法な欲動の「貯水池」であるという通常の考え方は捨てなければならない。無意識は同時に(何よりもまず、とすら言いたくなる)、外傷的で、残酷で、気まぐれで、「理解できない」、「不合理な」、法のテクスト、すなわち一連の禁止と命令の、断片の集積でもある。いいかえれば、「正常な人間は、自分で考えているよりもはるかに反道徳的であるだけでなく、自分が知っているよりもはるかに道徳的である、という逆説的な命題を提出」しなければならないのである。これは『自我とエス』からの引用だが、この「考えている」と「知っている」の区別は、正確には何を意味しているのだろうか。まるでちょっと筆が滑っただけのように見えるし、実際、この部分に添えられた註ではこの区別は失われている。その註において、フロイトは次のように述べているーーこの命題は「たんに、人間の性質は、善に関しても悪に関しても、自分で考えているglaubtよりも、つまり自我がその意識的知覚を通して気づいているよりも、はるかに程度が大きい」ということを言っているのだ、と。ラカンはわれわれに教えてくれたーーこのように一瞬あらわれてはその後すぐに忘れられる区別には最大限の注意を払わなければならない、なぜならそれらを通して、フロイトの決定的に重要な洞察を探り当てることができるからだ、フロイト自信はその洞察の重大な意義に気づいていないのだ、と(一例だけ挙げるならば、ラカンが、これと同様の、自我理想と理想自我との「口がすべったかのような」区別から何を引き出したかを思い出してみようではないか)。

では、「考えている」と「知っている」との束の間の区別は何を意味しているのか。結局のところ、答えは一つしかない。もし人間が、自分が(意識的に)考えているよりも反道徳的で、(意識的に)知っているよりも道徳的だとしたら、いいかえれば、もしエス(禁じられた欲動)に対する彼の関係が「考えている(考えていない)」という関係で、超自我(とその外傷的な禁止と命令)に対する関係が「知っている(知らない)」という関係、つまり無知の関係だとしたら、次のように結論しなけらばならないのではなかろうか。すなわち、エスそのものは抑圧された無意識的な考えからなり、超自我は無意識的な知からなる(その知は、主体の知らない逆説的な知である)、と。すでに見たように、フロイト自身は超自我を一種の知と見なしている(「超自我は無意識的なエスについて自我よりも多くを知っている」)。(ジジェク『斜めから見る』)


…………

さて、プラトンの白い馬としての「気概」をどのように捉えるかは、わたくしにはいまだ判然としていない。ただ近代人の特徴は「気概」の過小評価、あるいは欠如があるとの評言はいままでくり返して流通してきただろう。ニーチェもフーコーもそれに苛立っていたに相違ない。

実際、気概というのかスピリットがなければ、理性が判断した考えを行動に移せない。ひどく理知的であっても見て見ないふりができる。逃げ出したり、高みの見物に耽る。他方、すべてのパフォーマー(戦士、運動家、踊り手、演奏者や講演者、あるいは対談者でさえ)は「気概」の能力のいかんが成否の多くを決定するだろう。

そしてそこにニーチェやハイデガーの生の哲学、ファシズムの臭いを嗅ぎだし、二〇世紀後半以降、気概、スピリットはことさら抑圧されたとしてよいのかもしれない。

・・・われわれの疑問は、たとえば「生の肯定」、「生の蕩尽」としてカーニバル的にあらわれたものが必ずファシズムに転化するのはなぜかということだ。ニーチェやベルグソンはファシストではないといってもはじまらない。もはや純粋なカーニバルなどありえないように、純粋な「生の哲学」もありえない。それはいったん歴史的な文脈に存在するやいなや、思いもよらぬ反転や置換を強いられるのだ。本当は、「暴力的なもの」は《近代》に出現するのだといってもよい。・・・(柄谷行人『歴史と反復』)

あるいはまた、チェーザレ・ボルジアを至高の君主としたマキャベリの運(ファルトゥナfortuna)/力(ヴィルトゥVirtù)のヴィルトゥは気概のことだ。

善とは何か? ――権力の感情を、権力への意志を、権力自身において高めるすべてのもの。
劣悪とは何か? ――弱さから由来するすべてのもの。
幸福とは何か? ――権力が生長するということの、抵抗が超克されるということの感情。
満足ではなくて、より以上の権力。総じて平和ではなくて、戦い。徳ではなくて、有能性(ルネッサンス式の徳、Virtù 道徳に拘束されない徳)。(ニーチェ『反キリスト者』)

フロイトやラカンを読んでいても、この「気概」への導きの糸がいささかすくなく (攻撃欲動にかかわるタナトス、あるいは”passage à act”くらいか?)、憂鬱になることがある。ときにニーチェのビタミン剤を飲む必要がでてくる。

※おそらくフロイトなら、気概などというものはない、自我理想への同一化によるだけだ、と言うのだろう(象徴的な権威としての「自我理想」であり、それは人物像だけではなく、社会の理念、家族の理念であってもよい)。


《ぼくの意見では、ラカンは十分に滑空しなかったんだな》、生の寄生者さ、フロイト? ラカンよりいっそうフロイトの天性の資質だよ……

「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…彼が自分の後で根本的動揺をいだく者がもうひとりもいないことを望んでいたのを思えば、享楽の没収、享楽は結局何にもならないということの証明…だが、それが「うまくいく」ようにできていると言った者がかつていたのだろうか? 面白いのは、そいつが時どき期待を裏切ることができるってことだ…吹っ飛んでしまう前に…もっとも、それがひと度ほんとうに期待を裏切ったとしたら、そいつはとにかく少しはうまくいっている…憎しみのこもった固着に至り着くのでなければ…でもそれだって避けることはできる…ぼくの意見では、ファルスは十分に滑空しなかったんだな…かれはそのことでまいっていたのだと思う…どんな女も彼の解剖学にしびれなかったのだろうか? そうかもしれない…実際にはちがう…気違いじみてもいなかった…後になって「うまくいっている」か、いってないかってことが彼にとってどうでもよくなるには十分じゃなかった…そこから他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること…ファルスがぼくたちの家でぐずぐずしていたそのやり方のことをぼくはもう一度考えてみる…眼鏡越しにデボラに注がれる彼の長い眼差し…見下げ果てた野郎だ…それは痛ましかった、それだけだ…(ソレルス『女たち』p183)

《法に抑えられていた力が暴発するのではない、力が自由に発揮されるところで自分自身を矯めるのだ》というフーコーの節度と克己はラカンやフロイトにはないね

フーコーの死後、その自室から性具・猿ぐつわ等のSM性癖関係の拘束具が数多く出てきたことが伝えられている(出典:ギベール著『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』訳者あとがき)。
さっき、ディシプリンによって生み出される自律は、内面化された他律としての自律でしかない、と言った。そこでのパラダイムはカントだけれど、それはサドと背中合わせになっている。いわば法と侵犯という図式で、法の絶対性とそれを侵犯することの絶対性が見合うようになっているわけです。ところが、キリスト教以前の古代ギリシア・ローマには、性の問題に関しても、そういう厳格な法はほとんどない。法のないところで、自分が好きなことをして、しかし行き過ぎると自分にとってもおぞましい結果になってしまうから、自ずと程を得たところに行き着く、それが自律だと言っているわけです。法に抑えられていた力が暴発するのではない、力が自由に発揮されるところで自分自身を矯めるのだ、と。

ずいぶんきれいごとめいて聞こえますが、フーコーはハードゲイSMの実践者で、晩年はとくにアメリカのゲイ・コミュニティにひかれていったんですね。SMというのはまさに法に対する侵犯でめちゃくちゃなことをやっているように思えるけれど、それはヨーロッパのキリスト教国でのイメージ、まさにカント/サド図式にそったイメージでしかない。そういう禁止から解放されたところでは、好き放題やれるわけだけれど、フィスト・ファックとかもやっているわけだから、本当に好き放題やったら死んじゃう(笑)、むしろ、だからこそ、非常に繊細な自他への配慮、苦痛を与えることがお互いにとって快楽になるようなある種の技術というのが必要になるわけです。たぶん、フーコーは、そういう現代のアメリカと古代のギリシア・ローマを結びつけながら、自律――しかも他律(法)の内面化ではない自律を考えようとしていたのではないか。(浅田彰『不安から自律へ』)


…………





◆以下、資料。

1、多くの読み手が頭を悩ます「気概」の箇所をプラトンの『国家』(藤沢令夫訳)から。


「ところで、人がのどは渇いているけれども、飲むことを望まないという場合も時にはあると、われわれは言うべきだろうか?」

「ええ、それはもう」と彼は答えた、「たくさんの人たちが何度もそういう経験をすると言うべきでしょう」

「すると、そういう人たちについてどのようなことが言えるだろうか」とぼくは言った、「その人たちの魂のなかには、飲むことを命じるものがあるとともに、他方では、それを禁止するもうひとつの別のものがあって、飲むことを命じるものを制圧していると言うべきではないだろうか?」(……)
「そして、そのような行為を禁止する要因が発動する場合には、それは理を知るはたらきから生じて来るのであり、他方、そのほうへ駆り立て引きずって行く諸要因は、さまざまな身体条件や病的状態を通じて生じて来るのではないだろうか?」

「そうすると……されわれがこう主張するのは、けっしていわれのないことではないというべきだろうーーすなわち、それらは互いに異なった二つの別の要素であって、一方の、魂がそれによって理を知るところのものは、魂のなかの<理知的部分>と呼ばれるべきであり、他方、魂がそれによって恋し、飢え、渇き、その他もろもろの欲望を感じて興奮するところのものは、魂のなかの非理知的な<欲望的部分>であり、さまざまの充足と快楽の親しい仲間であると呼ばれるのがふさわしい、と」

(……)「こうした二つのはたらきが、魂のなかに内在する二つの種類の要素として、われわれによって区別されて確認されたことにしよう。そこでこんどは気概、すなわち、われわれがそれによって憤慨するところのものだが、いったいこれは第三の要素なのだろうか、それとも、先の二つのどちらかと同種族のものなのだろうか?」

「おそらくは」と彼は言った、「その一方、すなわち<欲望的部分>と同種族のものでしょう」
「しかしね」とぼくは言った、「いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌惡の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!』」

(……)「この話は間違いなく」とぼくは言った、「怒りは時によって欲望と戦うとことがあり、この戦い合うものどうしは互いに別のものであることを示している」(439c-440A)
……気概ということならば、子供たちのなかにもそれを見ることができますからね。すなわち子供でも、生れるとすぐ気概には充ち充ちていますが、理を知るはたらきとなると、ある者たちはいつまでもそれに無縁であるようにさえ思われますし、多くの者はずっと遅くなってからそれを身につけるように思われます(441B)



2、「魂の三分説」を説く箇所のひとつ

魂のひとつの部分は、人間がそれによって物を学ぶところの部分であり、もうひとつは、それによって気概にかられるところの部分であった。そして第三の部分は、多くの姿をとるために、それに固有であるような単一の名前でこれを呼ぶことができずに、それ自身のなかにある最も主要で最も強いものを、この部分の名前として当てることにした。すなわち、われわれはこの部分を、食物や飲み物や性愛やその他それに準ずるものに対する欲望のはげしさにもとづいて、欲望的部分と呼んだのであった。また金銭を愛する部分とも呼んだが、これは、その種の欲望が何よりも金の力によって遂げられるからである。(……)

そうするとまた、この部分がもつ快楽と愛は利得を目ざしているというふうに言うならば、われわれは議論のうえで、これを最もうまく一つの特性に確実にまとめ上げることができて、魂のこの部分を語るときに、その意味がわれわれ自身に明らかになるのではないだろうか。そして呼び名としては、これを<金銭を愛する部分>とか<利得を愛する部分>とか呼ぶなら、正しい呼び方になるのではなかろうか?(……)

ではどうだろう、――<気概の部分>については、その全体がつねに、支配し勝利し名声を得ることへと突き進むのだと、われわれは言うのではないか(……)

だからそれを<勝利を愛する部分>とか<名誉を愛する部分>とか呼べば、ふさわしい呼び方になるのではなかろうか?(……)

さらにまた、われわれがそれによって物を学ぶところの部分については、誰にも明らかなように、その全体がつねに、真実がいかにあるかを知ることへと向かっていて、金銭や評判のことなどには、三つの部分のうち最も関心をもたない部分なのだ(……)

したがって、これを<学びを愛する部分>とか<知を愛する部分>とか呼べば、当を得た呼び方となあるだろうね?(……)

そしてまた……ある人びとの魂の内では、この部分が支配しているが、別のある人々の魂の内では、他の二つの部分のどちらかが支配するのではないか。そのときどきの事情によってね(……)

それゆえにこそ、われわれはまた人間の最も基本的な分類として、<知を愛する人>、<勝利を愛する人>、<利得を愛する人>、という三つの種類があると言うのではないかね?(580D-581C)
気概の部分についても、(……)もし人が理知と知性に従うことなく、名誉と勝利と怒りによる充足のみを追い求めながら、名誉への野心に駆られるときには妬み心によって、勝利への渇望に駆られるときには力の行使によって、怒りっぽい不満に駆られるときには怒り狂うことによって、この気概の部分そのものの欲求を遂げさせるとしたならば?(……)

それならば、どうだろう……われわれは、心安んじて次のように言うべきではないだろうかーーすなわち、利得を愛する部分にしても勝利を愛する部分にしても、もしこれらの部分がもつ欲望が知識と道理の導きに従って、後者と共々に快楽を追い求めながら、知的部分が命じるような快楽だけを取るとしたならば、その場合それらの欲望は、ほかならぬ真理に従っているわけであるから、そうした欲望にとって把握が可能なかぎりでの、最も真実な快楽をとらえることになるだろうと? またさらに、それらの欲望自身に本来ふさわしい快楽をとらえることになるとも、言うべきではなかろうか? いやしくも、それぞれにとって最も善きものはまた、最もふさわしいものであるとするならばね(……)

してみると、魂の全体が知を愛する部分の導きに従っていて、そこに内部分裂がないような場合には、それぞれの部分は、一般に他の事柄に関しても、自己自身の仕事と任務を果しつつ、<正しくある>ことができるとともに、とくに快楽に関しても、それぞれが自己本来の快楽、最もすぐれた快楽、そして可能なかぎりでの最も真実な快楽を、享受することができるのだ(……)

したがってまた、逆に、他の二つの部分のどちらかが支配権をにぎるような場合には、その部分自身が自己本来の快楽を見出すことができないだけでなく、その他の部分に対しても自己本来のものではなくまた真実でない快楽を、追い求めるように強いることになるわけだ(586D-587A)


アランの「四つの徳」に引き続く。







2013年12月13日金曜日

プラトンとニーチェの「洞窟」

ソクラテスの話相手は、子供ではなかった。経験や知識を積んだ政治家であり、実業家であり軍人であり、等々であった。彼は、彼等の意見や考えが、彼等の気質に密着し、職業の鋳型で鋳られ、社会の制度にぴったりと照応し、まさにその理由から、動かし難いものだ、と見抜いた。彼は、相手を説得しようと試みた事もなければ、侮辱した事もない。ただ、彼は、彼等は考えている人間ではない、と思っているだけだ。彼等自身、そう思いたくないから、決してそう思いはしないが、実は、彼等は外部から強制されて考えさせられているだけだ。(……)

彼は、自己を主張しもしなければ、他人を指導しようともしないが、どんな人とも、驚くほど率直に、心を開いて語り合う。すると無智だと思っていた人は、智慧の端緒をつかみ、智者だと思っていた者は、自分を疑い出す。要するに、話相手は、皆、多かれ少かれ不安になる。そういう不安になった連中の一人が、ソクラテスに言う。

「君は、疑いで人の心をしびれさせる電気鰻に似ている」
ソクラテスは答える。
「いかにもそうだ、併し、電気鰻は、自分で自分をしびれさせているから、人をしびれさせる事が出来る、私が、人の心に疑いを起こさせるのは、私の心が様々な疑いで一杯だからだ」と。(小林秀雄『プラトンの「国家」』)

この電気鰻は、最近の訳では、しびれなまずとか、シビレエイとされていることが多い(プラトンの対話編「Meno メノン」

ソクラテスは、当然、次のように言うことができる。―――私は、友人である以上に愛であり、恋人である。私は哲学である以上に芸術である。私は、積極的意志であるよりも、しびれなまずであり、強制であり、力である、と。『饗宴』、『パイドロス』、『パイドン』は、三つの偉大なシーニュの研究である。

しかし、ソクラテスのダイモン・イロニーは、出会いを越えることにおいて成立する。ソクラテスにあっては、知性がまだ出会いに先立っている。知性は、出会いを喚起し、刺激する。プルーストのユーモアは、これとは異なった性質のものである。ギリシャ的イロニーに対する、ユダヤ的ユーモアである。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」P203)

…………


少し前、上の小林秀雄の短いエッセイを読んで、いままでまともに読んだとは到底云い難い『国家』を、今回はやや熱心に読んでみた。熱心といっても、《話があんまり理屈ぽくなると直ぐ退屈なぞする月並みな一読者》に過ぎないし、さらに読書の集中をさまたげる余分な「知識」の欠片さえ持っているのだが、それがあやふやで朧であるのがいっそうたちが悪い。要するに、ニーチェやドゥルーズの「プラトニズムの転倒」やらソクラテス自身がソフィストであるとする見解やらを頭の片隅に抱えながら読むことになる。

朧気な知識の代表的なもののひとつとして、『国家』の最終巻(10巻)に出てくる「寝椅子」をめぐるイデア論はやはりいまではそのまま受けとるわけにはいかないだろう。

そこでは、イデアを創作をする「神」、イデアに従い制作する職人、真似るだけの(見かけだけの像をつくる)芸術家という順番で序列をつけ、芸術家を一番下に貶めているということになる。

例えば寝椅子というものをめぐって、「画家と、寝椅子作りの職人と、神」という三者がそれぞれ寝椅子という作品を作りうるはずだが、神は「真にあるところの寝椅子の真の作り手」であり、寝椅子職人は「或る特定の寝椅子を作る或る特定の製作者」にほかならず、「先の二者が製作者として作るものを真似る(描写する)者」にあたるのが画家ということになる。(蓮實重彦『「赤」の誘惑―フィクション論序説』)

そしてドゥルーズの『シネマ』や『プラトンとシミュラークル』などを読んでいるものではないが、次の指摘は、いまプラトンを読むとき、忘れてはならないことだろう。

映像について何を語るか-ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-箭内 匡より

この論考(「プラトンとシミュラークル」)においてドゥルーズは、プラトンが『ソピステス』において展開する、「コピー」(copie)――プラトンの言葉では「似像エイコーン」――と「シミュラークル」(simulacre)――プラトンの言葉では「見かけだけの像パンタスマ」――の区別を引き合いに出す。

つまり、プラトンによれば、現実の類似物を作るには、(1)モデルとなる物に実際に類似したものを作る(「コピー」を作る)、(2)モデルとなる物と現実上は類似せずとも、見た人に与える効果において同一であることを目指す(「見かけだけの像パンタスマ」、つまりシミュラークルを作る)、の二つの方法がある。

さて、ここで重要なのは、「コピー」があくまでもオリジナルを尊重し、オリジナルの支配下にあるのに対して、「シミュラークル」は、それ自体によってオリジナルと同様の効果を引き起こし、現実には「オリジナル」に似てすらいないために、もはやオリジナルを必要としないということである。ドゥルーズにとって、この「コピー」と「シミュラークル」の区別は、我々の思考様式を根本から反省してみるために役立つものである。

つまり、彼によれば、プラトンに発する「古典的(classique)」な哲学(何らかの形で「本質」と「仮象」の区別も依拠する哲学)の根本的な手続きは、まさに、オリジナル(本質)を無化して根拠なき類似性を提示するシミュラークルを排除し、本質の支配のもとにあるコピー(仮象)のみを残すことで、世界における本質(=イデア)の支配を確立することであった。

しかしながら、我々はもはや、究極的には、このような安定したイデア的中心を持った「古典的」な世界を単純に信じ、そこに存在の根拠を求めることはできないだろう。既にみたように、カントは、「本質」と「仮象」の対立を放棄して、真に「近代的=現代的」(moderne)な思考に向かって決定的な第一歩を踏み出したのであったが、このカントが切り開いた地平において、のちにニーチェが発見し、自らの思索の対象としたのは、プラトン主義による箍が外れて、抑圧されていたシミュラークル(様々な根拠なき類似物たち、偽物たち)が回帰し、その力能を至るところで示しているような世界であり、このニーチェ的なシミュラークルの世界は、今日も、終焉するどころかますますその本領を発揮しつつあると考えられる。

ちなみに、このような状況は、あらゆるシミュラークルたち、「偽物たち」が全て肯定されるという相対主義の勝利を意味するのではない。このニーチェ的な世界観のもとでは、それらの「偽物たち」の存在意義は、いかなる「本質」への類似性によっても評価されない代わりに、それ自体の「力能」(puissance)によって評価されることになるだろう。ニーチェの永遠回帰の概念は、まさにこのシミュラークルの力能の評価の問題と関わるものである。

さて以下は、上のようなあまいな「偏見」をもった者が読むプラトンの『国家』、それにもかかわらず面白く読むことができる箇所を拾い上げようとする者の備忘録である。

…………

ソクラテス、たしかに、そういった点については、あなたに反論できる者は誰もいないでしょう。けれども、あなたがいま言われるようなことを耳にするたびにいつも、聞く者たちのほうは何となくこういう感じを受けるのです。つまり、こう考えるのですーー自分達は問答をとりかわすことに不馴れであるために、ひとつひとつ質問されるたびに、議論の力によって少しずつわきへ逸らされて行って、議論の終りになると、その<少しずつ>が寄り集まって大きな失敗となり、最初の立場と正反対のことを言っているのに気づかされる。そして、ちょうど碁のあまり上手くない者が碁の名人の手にかかると、最後には閉じこめられて、動きがとれなくなるのと同じように、自分たちもまた、碁は碁でもちょっと違った、石のかわりに言葉を使うこの碁によって、最後には閉じこめられて、口を封じられてしまう。しかし、だからといって、真実そのものはけっしてそのとおりのものではないのだ、と(プラトン『国家』藤沢令夫訳 487B)

漫然と読み進めていても、こういった印象を受ける箇所はいくらでもあるのであり、このソフィストめ! と罵るまえに、すこし前に書かれた箇所に戻って、はてと首をひねってみはするが、そう簡単には誤魔化されているのではないかとの印象は消えはしない。

……君の言うことは正しい、たしかに哲学をしている最もすぐれた人々でさえ、一般大衆にとっては役に立たない人間なのだ、ともね。ただし、役に立たないことの責は、役に立てようとしない者たちにこそ問うべきであって、すぐれた人々自身に問うべきではないのだと、命じてやりたまえ。なぜなら、舵取り人のほうが水夫たちに向かって、どうか自分の支配を受けてくださいとお願いするというようなことは、本来あるまじきことだからだね。知者たちのほうから金持の家の門を叩くというものも同様であって、そんな利いたふうなことを言った人は、間違っている。本来からいえば、金持であろうが貧乏人であろうが、病気になれば医者の門を叩かねばならないし、一般に支配を受ける必要のある者はすべて、支配する能力のある者の門を叩かねばならぬというのが、ほんとうなのだ。( 489C)
……こういう状況のただなかにおいて、この最も立派な仕事が、それと正反対の仕事にたずさわっている者たちから善く言われるということは、期待しがたいのだ。しかしながら、哲学に対して寄せられている、これとは比較にならぬほど最も大きく最も強力な非難・中傷はといえば、その原因は、哲学的な仕事にたずさわっていると自称している者たちにある。君が紹介する哲学誹謗者が、『哲学に赴く者の大多数は、まずまったく録でなしであり、そのなかで最も優秀な者たちですら、役立たずの人間だ』と言うのは、ほかならぬそういう自称哲学者たちのことを言っているのだ。(489D)

ここで「自称哲学者」というのが、ソフィストのことだ。

柄谷 ソフィストと呼ばれているけれども、彼らはアテネにとってほとんど外国人であり、いわば思想を売る人たちです。思想の商人ですね。世界資本主義、地中海の資本主義の中心がアテネであって、そこに彼らが集まった。いまで言えばアメリカにヨーロッパの学者が集まるようなものです。アテネの人自体は商業的で、実利的な人たちで、いわゆる哲学に対しては反感しか持ってなかったらしい。

岩井 それはもちろん、ソクラテスが死刑にされちゃうんですから。

柄谷 ものを考える人はみな外国人だった。アメリカもそうなんだけれども(笑)。

岩井 日本には外国人がいないから、だれもものを考えない(笑)。(『終わりなき世界』1990 柄谷行人 岩井克人対談集 P137-138)

二十年以上まえの対談なので、柄谷行人は最近の著書でさらにこのあたりを深めているはずだが、未読のため詳しいことはわからない。いずれにせよ、ソフィストを肯定的に見直そうとする風潮はあるようだ。

 ところで、ドゥルーズは3つの哲学者のイメージを考えていたそうで、『意味の論理学』、第18のセリー「哲学者の三つのイメージについて」を要約すればこういったことらしい。

(1)イデア論など一般に哲学だと思われているのは、閉じこめられていた「洞窟」から抜けだし高い空へ向かって飛翔するイメージ。アポロ。

(2)あるいは「反=哲学者」であるニーチェのように、ソクラテス以前の哲学者たちに思いを馳せることも可能だ。つまり、上述とは反対に「洞窟」から抜け出すことなく、洞窟の中に留まり、その洞窟の「下」にあるもう一つの「もっと深い洞窟」を探究するイメージ。ディオニュソス。

(3)そしてドゥルーズは(1)でも(2)でもない、高さや深さとは関係のない「表層」だけの思考をする哲学者のイメージを登場させる。ヘラクレス。

この(3)は、シミュラクルにもかかわるのだろう。

《コピーに対するオリジナルの優位を否認すること、影像(イマージュ)に対する範型(モデル)の優位を否認することである。要するに、見せかけ(シミュラクル)と反映の君臨を賛美するということなのだ》(『差異と反復』)

ーードゥルーズは後年、シミュラクル概念から距離を置いたともされるが、詳しいことは分らない。


Daniel W. Smithの『Essays on Deleuze』では次のようにある。
①Deleuze considers the conclusion of the Sophist to be one of the most extraordinary adventures of Platonism.

Platonic irony is, in this sense, a technique of ascent, a movement toward the principle on high, the ascetic ideal. The Sophist, by contrast, follows a descending movement of humor, a technique of descent that moves downward toward the vanity of the false copy, the self-contradicting sophist.

③"By dint of inquiring in the direction of the simulacrum," writes Deleuze, "Plato discovers, in the flash of an instant as he leans over its abyss, that the simulacrum is not simply a false copy, but that it calls into question the very notion of the copy ... and of the model" (LS 294). In the final definition of the Sophist, Plato leads his readers to the point where they are no longer able to distinguish the Sophist from Socrates himself: "The dissembling or ironical imitator ... who in private and in short speeches compels the person who is conversing with him to contradict himself."

②のソクラテス/ソフィストをイロニー/ユーモアとする見解をそのまま信用するなら、ドゥルーズのマゾッホ論における、サド/マゾッホ、制度/契約、思弁的論証能力/弁証法的想像的能力、量的な繰返し/質的な宙吊りなどをに関係するということか? だが今はその話題ではない。


さてすこし前に戻って、《閉じこめられていた「洞窟」から抜けだし高い空へ向かって飛翔するイメージ》とされるプラトンの「洞窟の比喩」の話は、『国家』のなかでは最も有名な箇所だろう。

ソクラテスの語る洞窟の比喩は誰でも知っているが、プラトニック・ラヴのように有名になり過ぎて、何処でどういう風に語られているかは読みもせず、みんな空言だと思い込んでいる。だが、実際はそうではない。これは、「対話篇」という思想劇に登場するソクラテスという人物の生き生きした科白であって、もしハムレットの科白が、今日もなお真実だと言うなら、ソクラテスのものもそうだと言わなければおかしい。人間は皆生れてから死ぬまで洞窟の囚人であって、前面の壁に向かって首は固定されていて、背後にある光源が見られないから、壁に映じた自分達の影の動きだけを実在の世界と信ぜざるを得ない。そう語るソクラテス自身も、プラトンの劇作法に従って読めば、洞窟の中にいるので、神様のような口を利いているわけではないし、所謂プラトニスムを講釈しているわけでもない。もし囚人のなかに一人変り者がいて、非常な努力をして、背後を振りかえり、光源を見たとしたら、彼は、人間達が影を見ているに過ぎない事を知るであろうが、闇に慣れていた眼が光でやられるから、どうしても行動がおかしくなる。影の社会で、影に準じて作られた社会のしきたりの中では、胡乱臭い人物にならざるを得ない。人間達は、そんな男は、殺せれば殺したいだろう、とソクラテスは言う。つまり、彼は洞窟の比喩を語り終ると直ぐ自分の死を予言するのである。(小林秀雄『プラトンの「国家」』)





この背後にある光源が曲者であり、いわゆるプラトンのイデアリズム、それは、ジジェクなら光ではなく「影の影」に過ぎないともいう。
The properly Lacanian twist to the story would have been that for us, within the cave, the Real outside can appear only as a shadow of a shadow, as a gap between different modes or domains of shadows. It is thus not simply that substantial reality disappears in the interplay of appearances;what happens in this shift,rather,is that the very irreducibility of the appearance to its substantial support, its “autonomy” with regard to it, engenders a Thing of its own, the true “real Thing.” (Burned by the Thing Slavoj Zizek)

※『パララックス・ビュー』にもまったく同じ文章があるようだが、和訳は手元にないので英文のままとする。


ここでreal(現実界)とあるが、《現実は現実界のしかめっ面である》(『テレヴィジョン』)とされるときのrealであり、現実realityとは異なる。

「現実realityは幻想(ファンタジー)によって構造化されている」、あるいは「現実はフィクションの構造をもっている」等々のラカン派の一見奇妙な指摘があり(参照:幻想の横断)、だがそれらは、「われわれは生涯、影絵をみているに過ぎない」というソクラテスの「洞窟の比喩」とつながる。

いずれにせよ、ソクラテスのこの比喩は、光源ないし太陽を真実や至高の善として捉えることさえなければ、いまでも十分に活きた比喩であって、《人間は皆生れてから死ぬまで洞窟の囚人であって、前面の壁に向かって首は固定されていて、背後にある光源が見られないから、壁に映じた自分達の影の動きだけを実在の世界と信ぜざるを得ない》とは、イデオロギーとかエピステーメ、パラダイムによって首が固定されているというふうにまずは読めばよいのだろう(参照:「人間的主観性のパラドックス」覚書)。

そして後ろを振り向いた光源を真理として、下界の人間だちを外から眺めたつもりになるが、それはまたべつのイデオロギーなのだ。《われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている》(柄谷行人『トランスクリティーク』)

そして再び下界に降りるのは(後述)、こういうことだとしたらよいのだ。
反作用〔反応〕による形成。あるひとつの《ドクサ》(世間の通念)を提示してみて、さて、それが耐えがたいものだとする。私はそれからそのれるために、ひとつのパラドクサ〔逆説〕を要請する。次には、その逆説にべたべたした汚れがついて、それ自体が新しい凝結物、新しい《ドクサ》となる。そこで私はもっと遠くまで新しい逆説を探しに行かざるをえなくなる。(『彼自身によるロラン・バルト』)


われわれの意見や考えは、われわれの気質に密着し、職業の鋳型で鋳られ、社会や時代の制度や規範にぴったりと照応し、まさにその理由から、動かし難い、--洞窟の囚人とはこういうことだ。そして小林秀雄が書くように、

ソクラテス自身も、洞窟の中にいる。


さてすこし前に戻って、小林秀雄の『洞窟の比喩』の説明は簡にして要を得ているが、ここではもうすこし詳しく『国家』から引用すれば、洞窟につながれた囚人が光源を見た後、プラトンの叙述はこうある。

彼は困惑して、以前に見ていたもの〔影〕のほうが、いま指し示されているものよりも真実性があると、そう考えると思わないかね?(……)

もし直接火の光そのものを見つめるように強制したら、彼は目が痛くなり、向き返って、自分がよく見ることのできるもののほうへと逃げようとするのではないか。そして、やっぱりこれらのもののほうが、いま指し示されている事物よりも、実際に明確なのだと考えるのではなかろうか?(515D-E)
(……)

もし誰かが彼をその地下の住いから、粗く急な登り道を力づくで引っぱって行って、太陽の光の中へと引き出すまでは放さないとしたら、彼は苦しがって引っぱって行かれるのを嫌がり、そして太陽の光のもとまでやってくると、目はぎらぎらとした輝きでいっぱいになって、いまや真実であると語られるものを何ひとつとして、見ることができないのではないか?

(……)だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというものがどうしても必要だろう。(516A-B)

こうしてやっと囚人たちは<真実>を見ることに慣れる。

するとどうだろう? 彼は、最初の住いのこと、そこで<知恵>として通用していたもののこと、その当時の囚人仲間のことあんどを思い出してみるにつけても、身の上に起ったこの変化を自分のために幸せであったと考え、地下の囚人たちをあわれむようになあるだろうとは、思わないかね?(516C)

だが<真実>に馴れたあとには、再度、洞窟への下降が要請される。

そこで、われわれ新国家を建設しようとする者の為すべきことは、次のことだ」とぼくは言った、「すなわちまず、最もすぐれた素質をもつ者たちをして、ぜひとも、われわれが先に最大の学問と呼んだところのものまで到達せしめるように、つまり、先述のような上昇の道を登りつめて<善>を見るように、強制を課すること。そしてつぎに、彼らがそのように上昇して<善>をじゅうぶんに見たのちは、彼らに対して、現在許されているようなことをけっして許さないこと」

「どのようなことを許さないと言われるのですか?」

「そのまま上方に留まることをだ」とぼくは言った、「そして、もう一度前の囚人仲間のところへ降りて来ようとせず、彼らとおもにその苦労と名誉をーーそれがつまらぬものであれ、ましなものであれーー分ち合おうとはしないことをだ」(519D)


 《囚人の仲間のところへ降りて来ようとせず》、とあるが、この「降りる」は、ニーチェの読者なら『ツァラトゥストラ』の第一部の冒頭との類似を想起せざるをえないだろう。

「おまえ、偉大なる天体よ。おまえの幸福もなんであろう、もしおまえがおまえの光を注ぎ与える相手をもたなかったならば。

十年間、おまえはこの山に立ちのぼって、わたしの洞窟を訪ねた。もしそこにわたしとわたしの鷲と蛇とがいなかったら、おまえはおまえの光とおまえの歩みとに倦み疲れたことであろう。

けれどもわたしたちは朝ごとにおまえを待ち、おまえの過剰を受けておまえを軽くし、そしてこういう伴侶をもつおまえを祝福した。

見よ、わたしはいまわたしの知恵の過剰に飽きた、蜜蜂があまりに多くの蜜を集めたように。わたしはわたしにさし伸べられるもろもろの手を必要とする。

わたしはわたしの所有するものを贈り与え、分かち与えよう。そうして世の賢いものたちがふたたびおのれの無知を喜び、貧しいものたちがふたたびおのれの富を喜ぶようにしよう。

そのために、わたしは低いところに下りなくてはならぬ、おまえが夕べになれば海のかなたに沈み、かなたの暗黒界にも光をはこんでゆくのと同様に。おお、あふれこぼれる豊かな天体よ。


わたしも、おまえのように下りてゆかねばならぬ。わたしが下りて訪れようとする人間たちが没落と呼ぶもの、それをしなくてはならぬ。

ツァラトゥストラの「洞窟」は山の上にあり、鷲と蛇とともに太陽の光を浴びる。そして彼はそこで得られた「知恵」の過剰に倦み、かなたの暗黒界に降りる。


ソクラテスの囚人は下界の「洞窟」に繋がれ、壁に映じた影の動きだけを「現実」だと信じる存在である。囚人のなかの選ばれた者は、無理矢理上方に登らされ、太陽に直面させられる。そのあと、ふたたび「洞窟」に降りてゆく義務がある。

ここでは「洞窟」の役割はまったく反対になっているにもかかわらず、明らかなアナロジーがあると言えるだろう。

――ということは既に誰かが指摘しているだろうと思い、インターネット上を探ると、日本語文献では村井則夫氏が、次のようなことを書いているようだ。

ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』は、プラトンの「洞窟の比喩」をフレームとした奇妙な絵画である。「洞窟と太陽で始まり、洞窟と太陽で幕を閉じる大きな円環をなしている」(村井 則夫著『ニーチェ—ツァラトゥストラの謎』 108ページ中公新書)という。ただしツァラトゥストラの洞窟は山上にあり、洞窟から下降し、洞窟に上昇する。ニーチェの哲学は「逆転したプラトン主義」(1・3・267)なのである。

英語文献では、『cave men. KABREN LEVINSON』 (19th Century Continental Philosophy MAY 2010 Daniel Berthold) kabrenlevinson.com/writing/CaveMen.pdfにやや詳しい。

・Sarah Kofman suggests that Nietzsche is a reflection or duplication of Socrates and that Nietzsche sees himself in Socrates (Kofman, Sarah, "Nietzsche's Socrates(es): "Who" is Socrates?").

・Though we believe Socrates to be “real” in many instances, he is in a literary context basically an actor constructed by Plato. Similarly, Zarathustra is composed by Nietzsche