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2014年7月3日木曜日

ソクラテスのイロニーとプロソポピーア

悲しいときに悲しい詩は書けません/涙をこらえるだけで精一杯です/楽しいときに楽しい詩は書きません/他のことをして遊んでいます(谷川俊太郎「問いに答えて」)

ところでツイッターに悲しいやら楽しいやらと書き込むとき、ひとはほんとうに悲しかったり楽しかったりするのだろうか。たぶんそうではないだろう。愛しい誰かを喪ったときにまさか「かなしい」などと他人に向けて語りはしない。「楽しい」のほうはちょっと違うかもしれない。ひとにうらやましがらせたり、共感してもらったりすると、楽しい心持が増幅する場合があるかもしれない。こっちのほうは、楽しんでいるボクチャンを見て! ということなのだろう。とすれば、悲しんでいるアタシを見て! というのもあるのかもしれない。

この悲しいやら楽しいやらは滅多にみかけはしないが、私はこれこれが好きなのです、という囀りはよく見かける。あれは、こんな(趣味のいい)作品を好むアタシを見て! と発話しているとしてよいだろう。そしてそこには共感の渦が場合によっては拡がる。湿った瞳を交わし合い頷き合う共感の共同体。もちろんそれは逆に、バルトが書くように、いらだちを起こしもする。

《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。とはいうものの、そのことすべてが言おうとしている趣意はこうなのだ、つまり、《私の身体はあなたの身体と同一ではない》。というわけで、好き嫌いを集め たこの無政府状態の泡立ち、このきまぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎の形象である。ここに、身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざま な享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

さて「私は怒っている」というのはどうか。これも稀にしかみないが、ある限られた種族のなかにはこう何度か囀るタイプがいる。社会の不正やら、上から目線への、たとえば学者やら医者、評論家への難詰として。これも「怒っているボクチャンを見て!」ということなのだろう。ほんとうに怒っているとき、「私は怒っている」などと書き込むとは思えない。

――などと書いているのはひねくれた性格のせいである。このところ自分の性格にあわないマジメなことを書きつづけたので、ちょっと軌道修正をしなくちゃ、な。

こういったことは他人のことはよくみえるが、自分のことはあまりみえないものだ。


他者の「メタ私」は、また、それについての私の知あるいは無知は相対的なものであり、私の「メタ私」についての知あるいは無知とまったく同一のーーと私はあえていうーー水準のものである。しばしば、私の「メタ私」は、他者の「メタ私」よりもわからないのではないか。そうしてそのことがしばしば当人を生かしているのではないか。(中井久夫「世界における徴候と索引」より)

「メタ私」、すなわち中井久夫独自の「無意識」概念だが、おのれの「メタ私」がわからないことが、このボクチャンを生かしている。

他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳)


閑話休題、すなわち荷風風にいえば「あだしごとはさておきつ」。釈迢空風なら「話の腰を折ることになるが」。

《話の腰を折ることになるが、――尤、腰が折れて困るといふ程の大した此話でもないが――昔の戯作者の「閑話休題」でかたづけて行つた部分は、いつも本題よりも重要焦点になつてゐる傾きがあつた様に、此なども、どちらがどちらだか訣らぬ焦点を逸したものである。》(折口信夫「鏡花との一夕 」)

…………

ヘーゲルが語るソクラテスのイロニーをめぐる文を掲げる。

ソクラテスが一般的な見解を受けいれ、それを提示せしめるということが、彼が自ら無知をよそおって、人々をして口を開かせるという外観をとるーー彼はそのことを知らない、そこで彼は人々をして語らしめるために無邪気さを装って問いかける。そして彼に教えてくれるように人々に懇願する。さてこれが有名なソクラテスのイロニーである。

イロニーはソクラテスに於ては弁証法の主観的形態である。それは交際に際しての振舞いの仕方である。弁証法は事象の根拠であるが、イロニーは人間の人間に対する特殊な振舞いの仕方である。彼がイロニーによって意図したところは、人々をして自己を言表せしめ、自己の根本的な見解を提示せすめるにあった。そして一切の特定の命題からして、彼はその命題が表現していることの反対のものを展開せしめた。即ち彼は、その命題ないし定義に対して反対の主張をなしたのではなく、その規定をそのままとりあげて、その規定そのものに即して、いかにそれ自身と反対のものがそのうちにふくまれているかを指摘したのである。――かくしてソクラテスは、彼の交友たちに対して、彼らが何も知っていないということを知ることを教えたのである。(ヘーゲル『哲学史講義』)

ここで「表題」のもうひとつの言葉、ギリシア語起源の”プロソポピーア”とは次のように定義される。

A prosopopoeia (Greek: προσωποποιία) is a rhetorical device in which a speaker or writer communicates to the audience by speaking as another person or object. The term literally derives from the Greek roots "prósopon face, person, and poiéin to make, to do".

プロソポピーアは、日本では、一般に擬人法、活喩法と訳され、《無生物を生き物(特に人間)であるかのように表現する方法。「嵐が吠える」「花が笑う」の類》とされる。だが、以下にあるのは、われわれの話はすべてプロソポピーアではないかという議論である。


◆”THE LACANIAN PROSOPOPOEIA” (ジジェク『LESS THAN NOTHING』より 私意訳)

ソクラテスは、その質問メソッドによって、彼の相手、パートナーを、ただたんに問いつめることによって、相手の抽象的な考え方をより具体的に追及していく(きみのいう正義とは、幸福とはどんな意味なのだろう?……)。この方法により対話者の立場の矛盾を露わにし、相手の立場を彼自身によって崩壊させる。(……)ヘーゲルが女は“コミュニティの不朽のイロニーである”と書いたとき、彼はこのイロニーの女性的性格と対話法を指摘したのではなかったか? というのはソクラテスの存在、彼の問いかけの態度そのものが相手の話を“プロソポピーア”に陥れるのだから。

会話の参加者がソクラテスに対面するとき、彼らのすべての言葉は突然、引用やクリシェのようなものとして聞こえはじめる。まるで借り物の言葉のようなのだ。参加者はおのれの発話を権威づけている奈落をのぞきこむことになり、彼らが権威化のありふれた支えに頼ろうとするまさにその瞬間、権威化は崩れおちる。それはまるでイロニーの聴きとれえない反響が、彼らの会話につけ加えられたかのようなのだ。その反響とは、彼らの言葉と声をうつろにし、声は、借りてこられ盗まれたものとして露顕する。

ここで想いだしてみよう、男が妻の前で話をしているありふれた光景を。夫は手柄話を自慢していたり、己の高い理想をひき合いに出したりしている等々。そして妻は黙って夫を観察しているのだ、ばかにしたような微笑みをほとんど隠しきれずに。妻の沈黙は夫の話のパトスを瓦礫にしてしまい、その哀れさのすべてを晒しだす。この意味で、ラカンにとって、ソクラテスのイロニーとは分析家の独自のポジションを示している。分析のセッションでは同じことが起っていないだろうか? (……)神秘的な“パーソナリティの深層”はプロソポピーアの空想的な効果、すなわち主体のディスクールは種々のソースからの断片のプリコラージュにすぎないものとして、非神秘化される。(……)彼は脱-主体化されてしまうのだ。これをラカンは“主体の脱解任”と呼んだ。

プロソポピーアとは、“不在の人物や想像上の人物が話をしたり行動したりする表現法”と定義される。(……)ラカンにとってこれは会話の性格そのものなのであり、二次的な厄介さなのではない。ラカンの言表行為の主体と言表内容の主体の区別はこのことを指しているのではなかったか? 私が話すとき、“私自身”が直接話しているわけでは決してない。私は己れの象徴的アイデンティティの虚構を頼みにしなければならない。この意味で、すべての発話は“胡散臭いindirect”。「私はあなたを愛しています」には、愛人としての私のアイデンティティーがあなたに「あなたを愛しています」と告げているという構造がある。

ーーということで、ソクラテス風のイロニーをやるなら、女性的な態度がいいらしいわ

「男の言葉を女の言葉に/近づけることを考えなければならない」(西脇順三郎)

《男性とは「自分が存在すると信じている女性である」》だったら、男も(象徴界に)存在しないようにしなくちゃね、そうでないと女たちにやられっぱなしになっちゃうわよ

結局、「お前の妹(姉さん、母さん)、すぐにやらせてくれるって話じゃないか」などといった罵り文句は、「〈女性〉は存在しない」という事実、ラカンの言葉を借りれば、彼女が「完全ではない」、「完全に彼のものではない」という事実を、下世話な言葉で表現したものである。「女性は非-全体である」という命題は、女性ではなく男性にとって耐えがたい。それは、男性の存在の内、象徴界における女性の役割の内に注ぎ込まれた部分を脅かすのである。この種の中傷に対する男性の極端な、全く法外な反応――殺人を含む――を見てもいいだろう。これらの反応は、男性は女性を「所有物」だと見なしている、という通常の説明で片づけられるものではない。この中傷によって傷つけられるのは、男性がもっているものではなく、彼らの存在、彼らそのものである。関連する命題をもうひとつ紹介して、ドン・ジュアンに返ろう。「〈女性〉は存在しない」という命題を受け入れるなら、スラヴォイ・ジジェクが言うように、男性の定義は次のようなものになる――男性とは「自分が存在すると信じている女性である」。( アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理―カントとラカン』)


さてここでラカンの言表行為/言表内容という言葉が出て来たので、いささか捕捉しておこう。まずごく一般的には、「言表内容 enonce」とは実際に話された言葉(意味内容)であり、「言表行為 enonciation」はその言葉を発言する行為のこととされる。

《すべての発話はなんらかの内容を伝達するだけでなく、同時に、主体がその内容にどう関わっているかをも伝達する》(ジジェク『ラカンはこう読め』)

誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできます。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」

《言表内容と言表行為の区別を曖昧にすることによって、「私は嘘をつく」の袋小路に至るあのパラドックスに遭遇するのに十分なのだ》とするラカンの『同一化』セミネールでは、次のようにある。

「我思う」というのは、論理的には幾人かの論理学者を困らした「私は嘘をつく」以上に確固としたものではない。(……)「私は嘘をつく」、こう言えばそれは真実でありながら、私は確かにうそをつく。なぜなら「私は嘘をつく」と言いながら、逆を主張するのであるから。(……)

「我思う」に「私は嘘をつく」と同じだけの要求をするのなら次の二つに一つが考えられる。まず、それは「私は考えていると思っている」という意味。これは想像的な、もしくは見解上の「私は思う」、「彼女は私を愛していると私は思う」と言う場合に-つまり厄介なことが起こるというわけだが-言う「私は思う」以外の何でもない。(……)もう一つの意味は「私は考える存在である」である。この場合はもちろん、「我思う」から自分の存在に対して思い上がりも偏見もない立場をまさに引き出そうとすることをそもそも台無しにすることになる。私が「私はひとつの存在です」と言うと、それは「私は存在にとって本質的な存在である」ということで、ただのおもいあがりである。(ラカン『同一化セミネール』


このラカンの「言表行為」と「言表内容」の還元できないギャップというのは、いろいろな形で語られてきた。デカルトのCogito ergo sumやカントの「超越論的」もこの流れのなかで捉えうるといえるかもしれない。ほかにもヘルダーリン(ヘーゲルの同時代人)やニーチェなら次のように書く。

もし私が、私は私だというとき、主体(自我)と客体(自我)とは分離さるべきものの本質が損なわれることなしには、分離が行われて統一されることはありえない。逆に、自我は、自我からの自我のこの分離を通じてのみ可能なのである。私はどうやって自己意識なしに、“私!”と言いうるというのだろう?(ヘルダーリン「存在・判断・可能性」私訳ーー「超越的/超越論的」と「イロニー/ユーモア」
どんなケースにせよ、われわれが欲する場合に、われわれは同時に命じる者でもあり、かつ服従する者でもある、ということが起こるならば、われわれは服従する者としては、強制、拘束、圧迫、抵抗などの感情、また無理やり動かされるという感情などを抱くことになる。つまり意志する行為とともに即座に生じるこうした不快の感情を知ることになるのである。しかし他方でまたわれわれは<私>という統合的な概念のおかげでこのような二重性をごまかし、いかにもそんな二重性は存在しないと欺瞞的に思いこむ習慣も身につけている。そしてそういう習慣が安泰である限り、まさにちょうどその範囲に応じて、一連の誤った推論が、従って意志そのものについての一連の虚偽の判断が、「欲する」ということに関してまつわりついてきたのである。(ニーチェ『善悪の彼岸』ーードゥルーズ『ニーチェ』湯浅 博雄訳より)


◆ジャック=アラン・ミレール『エル・ピロポ El Piropo』より

人間の伝達においては、受信者がメッセージを後からそれを発信する者に送るのです。受信者が送るのというのは根本的には彼がメッセージの意味を決定するからです。他者に話すということは決して我々自身が言っていることを我々が分かっているということではありません。他者だけが我々にそれを知らせてくれるのです。そしてそれゆえに我々は互いに話し合うのです。それも常に内容のある情報を伝えるためとは限りません。むしろ相手から我々自身が何であるかを教わるためなのです。こういう理由からディスクールにおいて はつねに喚喩および隠喩が混じり合い、語るにおいて我々はいつも自分自身を越えたとこ ろに追いやられるのです。誰かの言うことを文字通りに取ることは大変失礼にさえ当たり ます。 というのは、 意味 sens は、 意味があるのは常にその彼方ですから、 むしろその人が 言うことの奥を聞き取らなければいけないのです。

ミレールの「エルピロポ」から引用されたこの文は、ここでの文脈との関連性からやや離れてるかもしれないが、この文と似たような内容のことを、柄谷行人バフチンやヴィトゲンシュタインを語るなかで書いている。


◆柄谷行人『探求Ⅰ』より

言葉が話し相手に向けられていることの意味は、はかりしれないほど大きい。実際、言葉は二面的な行為なのである。それは、それが誰のものであるかということと、それが誰のためのものであるかということの、二つに同等に規定されている。それは、言葉として、まさに、話し手と聞き手の相互関係の所産なのである。あらゆる言葉は、《他の者》に対する関係における《ある者》を表現する。言葉のなかでわたしは、他者の見地にみずからに形をあたえる。と言うことは結局、みずからの共同体の見地からみずからを表現する。言葉とは、私と他者とのあいだに渡されたかけ橋なのである。もしそのかけ橋の片方の端が私に立脚しているとすれば、他方の端は話し相手に立脚している。言葉とは、話し手と話し相手の共通の領土なのである。

だが話し手とはいったいなにものであろうか? たとえ言葉が全面的にはその者に属さないーー、いわば、彼と話し相手の境界ゾーンであるーーにしても、やはりたっぷり半分は言葉は話し手に属している。(バプチン「マルクス主義と言語哲学」桑野隆訳)

いうまでもなく、彼は、話し手と話し相手の両方が同時にみえるような「客観的」立場に立っているのではない。むしろ、“対話”とは「命がけの飛躍」であり、「私と他者とのあいだに渡されたかけ橋」は、それを渡るというより飛びこえるほかないものだといわねばならない。「言葉が話し相手に向けられているということ」は、話し手自身にとって「意味している」という特殊な内的経験などは存在しない、ということを意味する。フッサールがいうような「孤独な心的生活」においては、意味というものが“意味をなさない”のだ。そのかぎりで、“対話”は、独我論(方法的独我論=現象学)に対する決定的な批判の視点となりうるだろう。それは、われわれが「教える」側の視点と読んだものにほかならない。

バプチンは、近代の哲学・言語学・心理学・文学などは、すべてモノローグ的であり、単一体系性のなかに閉ざされているといっている。それに対して、彼は、ポリフォニックな、多数体系性を対置する。個人の意識に問いただすかぎり、われわれが見出すのは、きまって単一(均衡)体系である。ニーチェがいうように、「私たちが意識するすべてのものは、徹頭徹尾、まず調整され、単純化され、図式化され、解釈されている」(『権力の意志』)からだ。しかし、多数(不均衡)体系を、たんにそれに対置するだけでは、何もいったことにならない。P21-22



…………

さてもうひとつ、ジジェクがプロソポピーアを説く文のなかに、《私が話すとき、“私自身”が直接話しているわけでは決してない。私は己れの象徴的アイデンティティの虚構を頼みにしなければならない。この意味で、すべての発話は“胡散臭いindirect”》とあった。この象徴的アイデンティティとは、象徴的去勢にかかわる。そして「去勢」という言葉のイメージとは異なり、実は「去勢」とは「権力」のこととされる。《去勢とは、ありのままの私と、私にある特定の地位と権威を与えてくれる象徴的称号との、落差のことである。この厳密な意味において、それは、権力の反対物などではけっしてなく、権力と同義である。その落差が私に権力を授ける。》


……私の直接的な心理的アイデンティティと象徴的アイデンティティ(私が<大文字の他者>にとって、あるいは<大文字の他者>において何者であるかを規定する、象徴的な仮面や称号)との間のこの落差が、ラカンのいう「象徴的去勢」であり、そのシニフィアンはファルス(男根)である。なぜラカンにとって、ファルスはたんなる授精のための器官ではなく、シニフィアンなのか。伝統的な即位式や任官式では、権力を象徴する物が、それを手に入れる主体を、権力の行使する立場に立たせる。王が手に錫杖をもち、王冠をかぶれば、彼の言葉は王の言葉として受け取られる。こうしたしるしは外的なものであり、私の本質の一部ではない。私はそれを身につける。それを身にまとって、権力を行使する。だからそれは、ありのままの私と私が行使する権力との落差(私は自分の機能のレベルでは完全ではない)を生み出すことによって、私を「去勢」する。これが悪名高い「象徴的去勢」の意味である。この去勢は、私が象徴的秩序に取り込まれ、象徴的な仮面あるいは称号を身にまとうという事実そのものによって起きる。去勢とは、ありのままの私と、私にある特定の地位と権威を与えてくれる象徴的称号との、落差のことである。この厳密な意味において、それは、権力の反対物などではけっしてなく、権力と同義である。その落差が私に権力を授ける。したがってわれわれはファルスを、私の存在の生命力をじかに表現する器官としてではなく、一種のしるし、王や裁判官がそのしるしを身につけるのと同じように私が身につける仮面である。ファルスはいわば身体なき器官であり、私はそれを身につけ、それは私の身体に付着するが、けっしてその器官的一部とはならず、ちぐはぐではみ出た人工装着物として永遠に目立ち続ける。(ジジェク『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳 P64-65)

もっともこの文は額面通りに受け取らなくてもよいのであって、たしかに象徴的去勢はこのジジェクの説明がただしいのだろうが、通常語られるのは、イマジネールな去勢、すなわち想像的去勢とでもいうべきものだろう。それならば旧来の「おちんちん」がカットされた男ということであり、この用法を、すくなくともこの〈わたくし〉は棄て去るつもりはない、たとえば浅田彰が使うような使い方を。

闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。(『憂国呆談』)

事実、ジジェクの師であるラカンの娘婿ミレールも次のように使っている。

Sarah Palin: Operation "Castration" .Jacques-Alain Miller

The choice of Sarah Palin is a sign of the times. In politics, the feminine enunciation is hence called to dominate. But be careful! It's no longer about women who play elbows, modeling themselves on the men. We are entering an era of postfeminist women, women who, without bargaining, are ready to kill the political men. The transition was perfectly visible during Hillary's campaign: she began playing the commander in chief and, since that didn't work, what did she do? She sent a subliminal message, one that said something like: "Obama? He's got nothing in the pants." And she immediately took it back, but it was too late. Sarah Palin is not only picking up where she left off but, being younger by fifteen years, she is otherwise ferocious, slinging feminine sarcasm like a natural; she overtly castrates her male adversaries (and with such frank jubilation!) and their only recourse is to remain silent: they have no idea how to attack a woman who uses her femininity to ridicule them and reduce them to impotence. For the moment, a woman who plays the "castration" card is invincible.





2013年12月16日月曜日

わたしは聴く耳をもつ者たちに警告の歌をうたってきかせる(ヘルダーリン)

あまり日本語を話す機会はないのだが、話せば一人称単数代名詞の「僕」を主語として使うだろう、たまには「俺」だ。だが文章を書く時はつとめて「わたくし」とする。ときに「オレ」とするが、平仮名や漢字で「おれ」とか「俺」としないのはこれは自己の生ぐささから離れたいからだ。さいきんは書き言葉で「僕」を使ったことはないはずだ。これらは奇妙なこだわりかもしれないが「僕」とすると生身の自分のようでどうもいけない。数年前ツイッターで使って懲りた。

ことさら名文章家の古井由吉を真似るつもりはないのだが、そしてフィクションを書こうとする気など毛筋ほども持ち合わせていないのだが、「僕」ではなく「わたくし」と書くようになったのは次の文を読んでからで、――ということはいま思い出してひさしぶりに読み返してみると冒頭に書いた文はモロにこの文の影響を受けていて気恥ずかしいが消さないままにしておく。

とにかくある人物ができかかって、それが何者であるかを表さなくてはならないところにくると、いつも嫌な気がしてやめてしまう。そんなことばかりやつていたんです。で、なぜ書けるようになったかというと、本当に単純なばかばかしいことなんです。「私」という人称を使い出したんです。……そうしたらなぜだか書けるんです。今から考えてみると、この「私」というのはこのわたしじゃないんです。この現実のわたしは、ふだんでは「私」という人称は使いません。「ぼく」という人称を選びます。この現実のわたしは、ふだんでは「私」という人称は使いません。「ぼく」という人称を選びます。だけど「ぼく」という人称を作品中で使う場合、かえってしらじらと自分から離れていくんです。(中略)

…… この場合の「わたし」というのは、わたし個人というよりも、一般の「私」ですね。わたし個人の観念でもない。わたし個人というよりも、もっと強いものです。だから自分に密着するということをいったんあきらめたわけです。「私」という人称を使ったら、自分からやや離れたところで、とにもかくにも表現できる。で、書いているとどこかでこの「わたし」がでる。この按配を見つけて物が書けるようになったわけです。 (『「私」という白道』)

「わたくし」と書けば、自我を引き寄せるよりも、ひとまず他者の近くまで遠ざける働きをするということはあるもので、それは実際やってみると奇妙にもそうなって変なわだかまりが消える。ツイッターで「僕」と書いて恥ずかしい思いをしたあと、女言葉で「アタシ」としていわゆる「ネカマ」をやってみるとフィクションのなかの主人公のようで心地よいという経験もした(現在はSNSに書き込むことから遠ざかっているが)。もっともまともに物を描写する訓練をしようとしたこともやってみたことも殆どないので、次のような境地にはほど遠い。

私の場合、小説の中で「私」という素っ気ない一人称を思い切りよく多用することを覚えてから、表現の腰がひとまず定まった。この一人称は自我を引寄せるよりも、ひとまず他者の近くまで遠ざける働きをする。それとひきかえに、私は表現といういとなみの中で以前よりもよほどしぶとく自我に付くことができるようになった。描写においてである。見たままを写す、記憶に残るままを写す、そこまではまさに描写だが、描写によって心象が呼び起され、その心象がさらに細部まで描写で満たすことを要請することがある。その時、人は物に向うようにして心象に向いながら、おのずと自我を描写することになる。 ……そして小説は全体として、いくつかの描写による自我の構図となる。 (古井由吉「翻訳から創作へ」 )

古井由吉のように書いて多くの人に読まれるわけではないのは彼の小説の売行き具合が示しているし、たしかに親しむことができるまでには手間暇がかかる。

次の文はさる書評にたいするジジェクのめずらしい駁論だがそこには「今日のファストフード的な知的消費者todays fast-food intellectual consumers」という言葉があり現在よく読まれるだろう文の的確な指摘がある。《深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えて》とあり、まあそんなものでありわたくしにしても無知の分野、たとえば政治とか経済の分野ならそのたぐいの文をあり難がって読む口だ。

あなたは、あなたが批評しているところの著作がどのようなものであるかを全く無視している。あなたは論争の道筋を再構成する試みを全く放棄している。その代わりに、曖昧模糊とした教科書的な通則やら、著者の立場の粗雑な歪曲、漠然とした類推、その他諸々を一緒くたにして放り投げ、そして自身の個人的な従事を論証するために、そのような深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えているのだ(「見ろ!あの著者は新たなホロコーストを主張しているみたいだぞ!」といったように)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して)

…………

自分が見る、自分を見る、見られた自分は見られることによって変わるわけです。見た自分は、見たことによって、また変わる。(古井由吉『「私」という白道』)
「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムジール観念のエロス』)

こうやって古井由吉の評論文ではなく本来はどれかの小説の断片でも引用すべきではあるが、いまは実はほかの目的があって最後の文章を引用した。

なにをメモしておきたいのかというと詩人のヘルダーリンの主体と客体の話であり、これはラカン派の言表行為と言表内容にもかかわるし「主体」と「自我」にもかかわる。あるいは同一化セミネールにおけるエピメニデスの有名なアポリア「すべてのクレタ人は嘘つきだと一人のクレタ人が言った」から《「我思う」というのは、論理的には幾人かの論理学者を困らした「私は嘘をつく」以上に確固としたものではない》、「私は思う」とは《私は「彼女は私を愛している」と思う》以外の何ものでもないとするラカンにもかかわる。

実際に下手に書くと、主体としての私は「彼女は客体としての自分を愛している」と思っているなどと似たようなことを書いているというはしたない気分になることがある。

だが、自分(自己)とは、主体性の実体的な核におけるフェティッシュ化された空想であり、じっさいには、そこにはなにもない。《the Self is the fetishized illusion of a substantial core of subjectivity where, in reality, there is nothing.ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

そもそもひとはSNSなどに書き込むときは主体=客体のつもりで書いているだろう。

僕は古井由吉の文章が好きでたまらない、と書き、僕は「自分が古井由吉の文章が好きでたまらない」と思っているなどとは書かない。

 

ラカンの「四つの言説」は、主人の言説、大学人の言説、ヒステリーの言説、分析家の言説であるが、最初の「主人」の言説は、字義通り「支配者」の言説でもありながら、主体の分裂を抑圧した言説であり、主体=客体としての言表行為は、みずからの支配者になっている発話として捉えれば、主人の言説としてよい。主人の言説では、斜線を引かれた主体$が抑圧されているのであり、斜線を引かれていない主体として語っているのだ。(参照ラカンの四つのディスクール+資本家のディスクール)(もっとも実際のSNSの発話はヒステリーの言説(隠蔽されているものは愛憎)が多く、ときに大学人(インテリ)の言説(権力欲が隠されている)があるのだが、その側面はここでは無視している)。



だが古井由吉が言うように、主体と客体としての自己(自我)が等しいはずはない。「自分」とは、主体としての「私」が自己を客体化したときーー「自己意識」によって「私」が「自分」を客観視したときーー、初めて「自分」といえる。このようなことをすでにヘルダーリンが書いているのだ。もっとも同年生まれのヘーゲルの著書に引用があるらしくヘーゲル読みなら周知なのだろう。


When I say: I am I, the Subject (Ego) and the Object (Ego) are not so united that absolutely no sundering can be undertaken, without destroying the essence of the thing that is to be sundered; on the contrary the Ego is only possible through this sundering of Ego from Ego. How can I say “I” without self‐consciousness?

というわけですこし堅い訳だが邦訳がみつかったので、それにくわえて英文とまったく読むことができないが原文のドイツ語を並べておく。



 ◆「法・道徳・人倫の原理と偶然的決定―個別的自己意識を通じた内容の獲得」―大   宏より。

資料「ヘルダーリン「存在・判断・可能性」

存在 ― それは主観と客観との結合を表現している。
主観と客観とが単に部分としてのみ合一されているのではなく、したがって分離さるべきものの本質を損なうことなしには分割が行われえないように端的に合一されている場合にのみ、叡知的直観の場合と同様に、端的な存在が問題となりうる。

しかし、この存在は同一性と混同されてはならない。もし私が、自我は自我だというとき、主観(自我)と客観(自我)とは分離さるべきものの本質が損なわれることなしには分離が行われえないように合一されているのではない。逆に、自我は、自我からの自我のこの分離を通じてのみ可能なのである。私は如何にして自己意識なしに、自我!と言い得るのか? しかし自己意識は如何にして可能なのか? 私は私に私自身を対立させることによって、私を私自身から分離するが、しかしこの分離にもかかわらず私を対立の中で同一のものとして認識する。しかしどの程度まで同一のものとしてなのか? そのように私は問い得るし、問わねばならない。というのは、別の観点においては、それは自分に対立しているからである。それゆえ、この同一性は、端的に生じるような主観と客観との合一ではなく、それゆえ、この同一性は、絶対的存在には等しく(=)ない。

判断。それは、最高にして最も厳密な意味において、叡知的直観の中で最も緊密に合一されている客観と主観との根源的分離であり、それによって初めて客観と主観とが可能になるような分離であり、つまり原=分割(Ur=Theilung)である。分割の概念の中にはすでに、客観と主観との相互的な関係づけの概念があり、客観と主観とがその部分であるようなある全体という必然的な前提である。「自我は自我である」は、原=分割というこの概念への最もふさわしい実例であるが、これは理論的な判断としての原=分割である。なぜなら、実践的な判断においては、自我は自分を自分自身にではなく非我に対立させるからである。

現実性と可能性とは、媒介的な意識と無媒介的な意識と同様に、区別される。私が対象を可能的なものとして思惟するとき、私は、対象がそれによって現実的になるところの先行的な意識だけを繰り返す。我々にとっては、現実性でなかったような可能性は思惟できない。それゆえ、理性の対象はそうであるべきものとして意識の中に登場するのではないのだから、可能性の概念は理性の対象には妥当しなくて、必然性の概念だけが理性の対象に妥当するのである。可能性の概念は悟性の対象に妥当し、現実性の概念は知覚や直観の対象に妥当するのである。

【英文】(ZIZEK『LESS THAN NOTHING』より)

Being [Seyn]expresses the joining [Verbindung] of Subject and Object. Where Subject and Object are absolutely, not just partially united [vereiniget], and hence so united that no division can be undertaken, without destroying the essence [Wesen] of the thing that is to be sundered [getrennt], there and not otherwise can we talk of an absolute Being, as is the case in intellectual intuition.

But this Being must not be equated [verwechselt] with Identity. When I say: I am I, the Subject (Ego) and the Object (Ego) are not so united that absolutely no sundering can be undertaken, without destroying the essence of the thing that is to be sundered; on the contrary the Ego is only possible through this sundering of Ego from Ego. How can I say I without selfconsciousness? But how is selfconsciousness possible? Precisely because I oppose myself to myself; I sunder myself from myself, but in spite of this sundering I recognize myself as the same in the opposites. But how far as the same? I can raise this question and I must; for in another respect [Rüksicht] it [the Ego] is opposed to itself. So identity is not a uniting of Subject and Object that takes place absolutely, and so Identity is not equal to absolute Being.

Judgment: is in the highest and strictest sense the original sundering of Subject and Object most intimately united in intellectual intuition, the very sundering which first makes Object and Subject possible, their UrTheilung. In the concept of division [Theilung] there lies already the concept of the reciprocal relation [Beziehung] of Object and Subject to one another, and the necessary presupposition of a whole of which Object and Subject are the parts. I am I is the most appropriate example for this concept of Urtheilung in its theoretical form, but in practical Urtheilung, it [the ego] posits itself as opposed to the Nonego, not to itself.

Actuality and possibility are to be distinguished as mediate and immediate consciousness. When I think of an object [Gegenstand] as possible, I merely duplicate the previous consciousness in virtue of which it is actual. There is for us no thinkable possibility, which was not an actuality. For this reason the concept of possibility has absolutely no valid application to the objects of Reason, since they come into consciousness as nothing but what they ought to be, but only the concept of necessity [applies to them].The concept of possibility has valid application to the objects of the understanding, that of actuality to the objects of perception and intuition.



Urtheil und Seyn Urtheil. ist im höchsten und strengsten Sinne die ursprüngliche Trennung des in der intellectualen Anschauung innigst vereinigten Objects und Subjects, diejenige Trennung, wodurch erst Object und Subject möglich wird, die Ur=Theilung. Im Begriffe der Theilung liegt schon der Begriff der gegenseitigen Beziehung des Objects und Subjects aufeinander, und die nothwendige Voraussezung eines Ganzen wovon Object und Subject die Theile sind. "Ich bin Ich" ist das passendste Beispiel zu diesem Begriffe der Urtheilung, als Theoretischer Urtheilung, denn in der praktischen Urtheilung sezt es sich dem Nichtich, nicht sich selbst entgegen.

Wirklichkeit und Möglichkeit ist unterschieden, wie mittelbares und unmittelbares Bewußtsein. Wenn ich einen Gegenstand als möglich denke, so wiederhohl' ich nur das vorhergegangene Bewußtseyn, kraft dessen er wirklich ist. Es giebt für uns keine denkbare Möglichkeit, die nicht Wirklichkeit war. Deswegen gilt der Begriff der Möglichkeit auch gar nicht von den Gegenständen der Vernunft, weil sie niemals als das, was sie seyn sollen, im Bewußtseyn vorkommen, sondern nur der Begriff der Nothwendigkeit. Der Begriff der Möglichkeit gilt von den Gegenständen des Verstandes, der der Wirklichkeit von den Gegenständen der Wahrnemung und Anschauung.

Seyn – drükt die Verbindung des Subjects und Objects aus.Wo Subject und Object schlechthin, nicht nur zum Theil vereiniget ist, mithin so vereiniget, daß gar keine Theilung vorgenommen werden kan, ohne das Wesen desjenigen, was getrennt werden soll, zu verlezen, da und sonst nirgends kann von einem Seyn schlechthin die Rede seyn, wie es bei der intellectualen Anschauung der Fall ist.

Aber dieses Seyn muß nicht mit der Identität verwechselt werden. Wenn ich sage: Ich bin Ich, so ist das Subject (Ich) und das Object (Ich) nicht so vereiniget, daß gar keine Trennung vorgenommen werden kann, ohne, das Wesen desjenigen, was getrennt werden soll, zu verlezen; im Gegenteil das Ich ist nur durch diese Trennung des Ichs vom Ich möglich. Wie kann ich sagen: Ich! ohne Selbstbewußtseyn? Wie ist aber Selbstbewußtseyn möglich? Dadurch daß ich mich mir selbst entgegenseze, mich von mir selbst trenne, aber ungeachtet dieser Trennung mich im entgegengesezten als dasselbe erkenne. Aber in wieferne als dasselbe? Ich kann, ich muß so fragen; denn in einer andern Rüksicht ist es sich entgegengesezt. Also ist die Identität keine Vereinigung des Objects und Subjects, die schlechthin stattfände, also ist die Identität nicht = dem absoluten Seyn.


最後にヘルダーリンの未完の詩(1800年の後半(ヘルダーリン三十歳)に創作されたとされる)の断片を引用しておく。

わたしは天上の者たちを観に近づいたのだといおうとも、
その者たちは、おのが手で、わたしを、この偽司祭を
地に生きる者たちのもとへ、暗闇のなかへと投げおとすのだ、
そしてわたしは聴く耳をもつ者たちに警告の歌をうたってきかせる。

そこで……(高木繁光「ヘルダーリンの讃歌『あたかも- 祝祭の日に…』 : 詩人の使命をめぐって」より)

この未完の詩は、「そこで」で終っている。

ーー《わたしは聴く耳をもつ者たちに警告の歌をうたってきかせる。》


2013年5月22日水曜日

私の死生観(中井久夫)


「私の死生観」、――1994年「クリシアン」第427号に書かれたもの(『精神科医がものを書くとき〔Ⅱ〕』広栄社 所収)。中井久夫は1934年生まれだから、そのとき六十歳であったということになる。その数ヵ月後、阪神・淡路大震災に被災し、そのあと憑かれたようにして、「心的外傷」や「記憶」をめぐる多くの仕事を展開させたことを想起しながら読んでみよう。

……私は対人関係に不器用であり、多くの人に迷惑を掛けたし、また、何度かあそこで死んでいても不思議でないという箇所があったが、とにかくここまで生かしていただいた。振り返ると実にきわどい人生だった。(……)

昨年の三月ごろであったか、私はふっと定年までの年数を数え、もうお付き合い的なことはいいではないかという気になった。「面白くない論文はもう読まない。疲れる遠出はしない。学会もなるべく失礼する。私を頼ってくれる患者と若い人への義務を果たすだけにしよう。残された時間を考えれば、今の三時間は、若い時の三時間ではない」と思って非常に楽になった。

幸い、私はさほど大きな欲望を授からなかった。「自己実現」ということが人生の目標のようにいわれるが、私はほとんどそれを考えたことがない。私の「自己」はそれなりにいつも実現していたと、私は思ってきた。

私が恵まれているからだといえば、反論できない。確かに「今は死ぬに死ねない」という思いの年月もあった。しかし、私は底辺に近い生活も、スッと入ってしまいさえすれば何とか生きていけ、そこに生きる悦びもあるということを、戦後の窮乏の中で一応経験している。他方、もし経済的に恵まれていたならば、私はペルシャ文学などのあまり人のやらないものをやって世を送るだろうに、と大学進学のときに思った。ある外国の詩人の研究家になろうかと思ったこともある。この二つの思いは時々戻ってきた。しかし五十歳を過ぎてから、私はかなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった。さすがにこれが出版されたとき、私(の人生)はこれ一つでもよかったくらいだ、後はもう何でもいいという気に一時はとらわれた。
(……)私にとって、生きているとは意識があるということである。植物状態を長く続けるのは全くゾッとしないようである。高度の痴呆で永らえることも望んでいないようである。これは自分の考えを推量していっているので、自分ながら「ようである」というのである。私がわずかしか残さなかった家計を、家族がそのような私のために失うのを私は望まない。「尊厳死」という発想とは少し違うかもしれない。死の過程をーーそれもあまり長くない間――体験したいというのは、私の一種の好奇心ともいえよう。ただ、私はマゾヒストではないから、苦痛の軽減は望み、余裕のある意識で死の過程を味わいたい。また、長い痴呆あるいは植物状態を望まない主な理由は、経済的に家族を破綻させるからで、私はこれらの生命の価値を否定しているわけではない。(……)

しかし私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつらく悲しいのではないかと思う。そのように悲しい人のことを「愛する人」というのだろうか。(中井久夫「私の死生観――“私の消滅”を様々にイメージ」)


この短い引用だけであっても、読む人によって、いろいろ受け取り方があるだろう。

《振り返ると実にきわどい人生だった》とする還暦の男の呟きに自らの過去を振り返って共振する方がいるかもしれない。

《もうお付き合い的なことはいいではないかという気になった。「面白くない論文はもう読まない。疲れる遠出はしない。学会もなるべく失礼する。私を頼ってくれる患者と若い人への義務を果たすだけにしよう。》との感慨には、ある年配を過ぎて、付き合い的なことを避け始める、しかし、<わたくし>には、私を頼ってくれる誰か、それは一人だけでもよい、その支えがあってこそであり、もしそうでなければ、なかなかこういった境地になりえないのではないか、とも思う。それは最後の文につながってくるだろう、《私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつらく悲しいのではないかと思う。そのように悲しい人のことを「愛する人」というのだろうか。》


ほかにも「尊厳死」、――これは浅田彰の発話をすぐさま想起させる。

二〇世紀前半、ナチスが優生学的発想からユダヤ人のみならず障害者も虐殺しちゃったこともあって、二〇世紀後半は、とにかく生命は絶対だ、絶対に延長すべきだってことになってたけど、二一世紀は「よく死ぬ」ことも含めて「よく生きる」ことを考えていくべきなんじゃないか。僕は個人的には安楽死(「尊厳死」っていう言葉はきれいごとに過ぎると思うから)を合法化すべきだと思うし、自殺幇助の合法化すら考えていいと思う。っていうか、たとえば末期がんになった場合、金持ちなら安楽死の合法化されてるオランダやスイスに行って死ねるってのは、どうみても変でしょ。

むろん、これはものすごく微妙な問題なんで、患者の意志の確認に関しては慎重の上にも慎重を期すべきだし、ちょっとでも長く生きたいと思う人の意志がそれで少しでも妨げられることがあっちゃいけないよ。だけど、もう十分だ、自由な意志で死にたいって人がいたら、それを妨げることもないからね。(浅田彰「よく生きる」ということ

だが、ここでは、《私はかなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった。さすがにこれが出版されたとき、私(の人生)はこれ一つでもよかったくらいだ、後はもう何でもいいという気に一時はとらわれた。》のみにかかわる。


中井久夫に「N氏の手紙」というエッセイがある(『記憶の肖像』所収)。N氏とは西脇順三郎のこと。若き中井氏が、西脇順三郎のエリオットの『荒地』の翻訳を読み、そこにいくつかの初歩的な誤訳を見出し、西脇氏に手紙を書いたことを書き記す文だ。

……大いにためらってから、私は氏に手紙を書いた。著名人に手紙を書くのは初めてである。私が当時、鬱屈していたことは否定できない。

私は、数日後、厚い速達に驚かされた。氏は、感動的な率直さで誤訳を認めておられた。それさえ予期しないことであったが、さらに私に病いにまけないよう、過分の評価と激励のことばを添え、いくつか、私の疑問にも答えて下さった。

ここでの病いというのは次の通りである。
私は十八歳であった。そして休学中であった。休学は当時重要な病いであった結核によるものであったが、個人的な絶望もあった。むしろ結核のほうが軽症だったろう。すぐ、午前中の安静だけでいいことになった。

仰臥する私は毎朝訪れてくる朝雲が窓の上縁から顔を出しては流れ去るのを眺めていた。庇の縁が稜線でもあるかのように雲はあとかたあとから湧いて青い空を南へ、つまり下へと去って行く。秋はもう深かった。あのように鮮やかに紅の雲を私はその後見たことがない。

自分が妙なことにならないために詩の翻訳を自分に課した。これはその後、精神的危機の際の私の常套手段となった。……(「N氏の手紙」)




さて、《かなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった》とあるのは、前者は、『現代ギリシャ詩選』 1985や、『カヴァフィス全詩集』 1988、『括弧 リッツォス詩集』 1991であろうし、後者は、1994年には詩集としてはまだ上梓されてはいないが(それ以前に雑誌「へるめす」に発表がある)、『若きパルク・魅惑』 ポール・ヴァレリー1995であろう。


1995年1月17日午前5時46分から

最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。(……)私も眠っていた。私には長いインフルエンザから回復した日であった。前日は私の六一歳の誕生日であり、たまたまあるフランスの詩人の詩集を全訳して、私なりに長年の課題を果たした日でもあった。……(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」)

ここまで来れば本来は無為。

清潔な蝉は乾きを掻き鳴らす。

全ては燃え、崩れ、空気の中で

いかなる元素にか還元される……

不安に酔えば生命は広大、

苦さは甘く、精神は明白。


(中井訳 海辺の墓地 第12節)


《もし経済的に恵まれていたならば、私はペルシャ文学などのあまり人のやらないものをやって世を送るだろうに》――、たとえば、1992年に書かれた書評(「「読書アンケート」にこたえて)『精神科医がものを書くとき』所収)こうある。


ジボナノド・ダーシュ『詩集・美わしのベンガル』臼田雅之訳

ありえないほど美しい訳。ベンガル語がわかるわけではむろんないが、リズムと母音子音の響き合いの中から、ベンガルの稲田の上にただよう靄の湿りが、密林に鳴く鳥の声が、木末を滴る雨の音が、乙女の黒髪の匂いがせまってきて、背を快い戦慄が走ります。詩人の故国ベンガルへの強い抑制のかかった烈しい愛も。……

最近の書『私の日本語雑記』でも、『美わしのベンガル』について繰り返される。《したたるほどのイメージが(いや視覚だけでなく聴覚も嗅覚も身体感覚さえも)鮮明強力に立ち上がってくるすばらしい例を挙げたい》と。


「したたる」ーー
いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。

このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――

ここで語っているのは、狂信家ではない。ここで行なわれているのは「説教」ではない。ここで求められているのは信仰ではない。無限の光の充溢と幸福の深みから、一滴また一滴、一語また一語としたたってくるのだ。ねんごろの緩徐調が、この説話のテンポである。こういう調子は、選り抜きの人々の耳にしかはいらない。(ニーチェ『この人を見よ』 手塚富雄訳)


果実が溶けて快楽(けらく )となるように、
形の息絶える口の中で
その不在を甘さに変へるやうに、
私はここにわが未来の煙を吸ひ
空は燃え尽きた魂に歌ひかける、
岸辺の変るざわめきを。(「海辺の墓地」第五節 中井久夫訳)



「無限の光の充溢と幸福の深みから、一滴また一滴、一語また一語としたたってくる」ーー、他にも中井久夫が絶賛する多田智満子訳の「サン=ジョン・ペルス詩集」から引こう。


《植物の熱気、おお、光、おお、恵み!…/それからあの蠅たち あの種の蠅ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!》


《棕櫚…!/あのころおまえは緑の葉の水にひたされたものだ。そして水はまだ緑の太陽のものであった。おまえの母の下婢(はしため)たち、大柄で肌つややかな娘らがふるえているおまえのそばで熱いふくらはぎを動かしていた…》


《…ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように 曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの柵をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くびれ果てて…》


中井久夫は、この詩集に、二三歳の折、出会っている。
……その本は、象牙色の表紙に金文字で『サン=ジョン・ペルス詩集/多田智満子訳/思潮社』とあった。一九六七年の初夏であった。

私はただただ驚嘆した。フランス語の詩、特に象徴詩は、少年時代に親しんだことがあり、いくつかは暗誦するまでになっていたが、学者たちのこごしくこちたい邦訳は私の心の琴線を掻き鳴らすものではなかった(上田敏や永井荷風の言葉もやや遠かった)。(……)

いっとき、私は、それまでの日本詩を埃っぽいものと感じた。それほど、彼女の訳文は、むいたばかりの果実のように汚れがなくて、滴したたるばかりにみずみずしかった。(中井久夫『時のしずく』より)


若い頃にくらべ、この「滴したたるばかりにみずみずしい」感覚にめぐりあうこと少なくなったが、今でもときたま出会えないではない……(わたくしの場合、その感覚を与えてくれるのは、音楽が多い。たとえば数年まえ、長いあいだ聴かないでいた、リヒテルのシューベルトD664を、ドイツに住む音楽家一家の日本人女性にツイッター上で紹介されて聴いた時、ふいに「果実が溶けて快楽(けらく )となるよう」な感覚に襲われた…これはリヒテルの演奏で”なくてはならない”)。


…………


君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に

残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを

焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを

白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを

踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを

森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで

私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に

法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち

煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-

「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に

声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく

立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで

私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に

……(『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之()、花神社)


ーーこうやってダーシュの詩の読めば、まずはタゴールを想起するのが筋合いというものだろう、

《屍を焼く薪の山も徐々にひっそりとした湖畔で消え落ちる/ジャカルの叫びが疲れはてた月光の中の荒廃した屋敷の庭から聞こえてくる》(山室静訳)と。


だが『美わしのベンガル』の滔滔たる調子に、ヘルダーリンの『パンとぶどう酒』をもあわせて共鳴させよう。これらなにかはかりしれぬ大河や夜闇の感覚、その時空をこえたものを生み出すポエジーは日本の詩にはめったにないものだ。



ひっそりと街は静まる。灯のともされた小路にひと気は絶え
 松明の飾り馬車のひびきは遠ざかる
昼の楽しみにもひとは倦み 憩いをもとめて家路をたどり
 得失をかぞえ賢しい頭〔こうべ〕は
家にくつろぐ、ぶどうも花もとりかたされ
 手仕事のいとなみの跡とてなく 広場のざわめきもいまはとだえる

ふと弦の音が遠くあたりの庭からひびきだす。おそらくは
 愛するものがつまびくのか あるいは孤独な男が
遠方の友をおもい青春の日々をしのぶのか。泉は
 絶え間なくあふれ ひたひたとかぐわしい花壇にここちよい
夕暮れの大気の中 ひっそりと鐘が鳴り
 数を呼ばわり夜警が時をふれまわる。

いま風がたち 杜の梢をひそかにゆする。
 見よ! われらの大地の影の姿 月も
しのびやかにたちのぼる。陶然たつもの 夜がきたのだ。
 星々に満ち われらのことなど気にとめぬ顔に
目を見張らせ ひとの世にあり見知らぬものが
 山のかなたに悲しげにまた壮麗にたちのぼり輝きわたる。




神子氏自身の訳か? 福島大学商学論集などという場に発表されているのだが、詩の愛好者は、このように、ひっそりと目立たずに、しかし抑制された烈しい愛を洩れこぼすかのようにして、存在しているのを知ることができる。


中井久夫の仕事の隠された核は、「詩」であるなどというつもりはない。だが、あれら「分裂病〔統合失調症)論、心的外傷、記憶論の底には、詩への「抑制された烈しい愛」があるには相違ない。