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2014年10月1日水曜日

ニーチェの隠し事

…技術の本があっても、それを読むときに、気をつけないといけないのは、いろんな人があみ出した、技術というものは、そのあみ出した本人にとって、いちばんいい技術なのよね。本人にとっていちばんいい技術というのは、多くの場合、その技術をこしらえた本人の、天性に欠けている部分、を補うものだから、天性が同じ人が読むと、とても役に立つけど、同じでない人が読むと、ぜんぜん違う。努力して真似しても、できあがったものは、大変違うものになるの。(……)

といっても、いちいち、著者について調べるのも、難しいから、一般に、著者がある部分を強調してたら、ああこの人は、こういうところが、天性少なかったんだろうかな、と思えばいいのよ。たとえば、ボクの本は、みなさん読んでみればわかるけれども、「抱える」ということを、非常に強調しているでしょ。それは、ボクの天性は、揺さぶるほうが上手だね。だから、ボクにとっては、技法の修練は、もっぱら、「抱えの技法」の修練だった。その必要性があっただけね。だから、少し、ボクの技法論は、「抱える」のほうに、重点が置かれ過ぎているかもしれないね。鋭いほうは、あまり修練する必要がなくて、むしろ、しないつもりでも、揺さぶっていることが多いので、人はさまざまなのね。(神田橋條治「 人と技法 その二 」 『 治療のこころ 巻二 』 )

…………


『ツァラトゥストラ』の第二部に「同情者たちVon den Mitleidigen」という項がある(Thomas Commonの英訳では the pitiful)。

以下、手塚富雄訳より抜粋する。

わたしは、同情せずにいられないときにも、同情心の深い者とは言われたくない。また、同情するときには、自分の身を離して遠くから同情したい。まことに、わたしは苦悩している人たちに何ほどかのことをしたことはある。しかし、それ以上によいことをしたと思えたのは、わたしがよりよく楽しむことを覚えたときである。
……わたしは悩む者を助けたことのある自分の手を洗う。そればかりでなく、自分の魂をも念入りに拭うのだ。というのは、悩む者が悩んでいるのを見たとき、わたしはそのことを、かれの羞恥のゆえに恥じたのだから。また、かれを助けたとき、わたしはかれの誇りを苛酷に傷つけたのだから。
大きい恩恵は、相手に感謝の念を起こさせない。それどころか、相手のうちに復讐心を芽ばえさせる。また小さい恩恵が記憶のうちに残っているあいだは、それは呵責の虫となって、その恩恵を受けた者の心を食い荒らす。
……だが、わたしは贈り与える者である。友として友にわたしは喜んで贈り与える。しかし未知の者や貧しい者たちは、わたしの果樹から自分の手で果実を摘み取るがいい。そうすればかれらに羞恥の念を起こさせることが少ないだろう。

次に『この人を見よ』から。

わたしが同情心の持ち主たちを非難するのは、彼らが、恥じらいの気持、畏敬の念、自他の間に存する距離を忘れぬ心づかいというものを、とかく失いがちであり、同情がたちまち賤民のにおいを放って、不作法と見分けがつかなくなるからである。(手塚富雄訳)


これらの断片から窺われるのは、ニーチェは決して同情=憐れみを感じることそれ自体を批判しているわけではなく、ただその感情を露骨に表してしまうのを嫌厭すること甚だしいということだ。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。( ……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』 289番)

《ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。》(吉田秀和ーー 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』(神崎繁)よりの孫引き)

《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

…………

ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。

それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。

そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザが私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の所有者」の道から、退きつつある。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』P332ーー「軽さと重さ」)

写真はいわば、穏やかな、つつましい、分裂した幻覚である。一方においては、《それはそこにはない》が、しかし他方においては、《それは確かにそこにあった》。写真は現実を擦り写しにした狂気の映像なのである。…写真と狂気と、それに名前がよくわからないある何ものかとのあいだには、ある種のつながりがある、ということを私は理解したと思った。私はその何ものかをとりあえず愛の苦悩と呼んでみた。しかしながら…その何ものかは、恋愛感情よりももっと豊かな感情のうねりだった。写真によって呼び覚まされる愛のうちには、「憐れみ」という奇妙に古くさい名前をもった、もう一つの調べが聞き取れた。私は最後にもう一度、私を《突き刺した》いくつかの映像、…を思い浮かべてみた。それらの映像のどれをとっても、まちがいなく私は、そこに写っているものの非現実性を飛び越え、狂ったようにその情景、その映像のなかへ入っていって、すでに死んでしまったもの、まさに死なんとしているものを胸に抱きしめたのだ。ちょうどニーチェが、1889年1月3日、虐待されている馬を見て、「憐れみ」のために気が狂い、泣きながら馬の首に抱きついたのと同じように。comme le fit Nietzsche, lorsque le 3 janvier 1889, il se jeta en pleurant au cou d’un cheval martyrisé : devenu fou pour cause de Pitié(ロラン・バルト『明るい部屋』).

…………

ニーチェはショーペンハウアーとの遭遇を次のように語っている。

或る日(1865年秋:二十一歳)、私は古本屋でこの本(『意志と表象の世界』:引用者)を見つけ、全然未知のものであったので、手にとってページを繰った。・・お前はこの本を家に持ち帰れ・・と私に囁いたのはどういうデーモンであったのか私にはわからない。いずれにせよ書物の購入をあまり急がないという私の日頃の習慣に反した出来事であった。(ニーチェ『回顧』)

ここでは『意志と表象の世界』からではなく『存在と苦悩』から。

すべての生きとし生ける者に限りない同情を持つことこそ、倫理的に正しい態度をとる上で最も堅固、確実な保証を与えるものであり、これについてとやかく良心の問題などを取り上げる必要はない。この気持ちに満たされた者は、必ずや、誰にも危害を加えたり、侵害したり、なんびとをも陥れようとせず、むしろできる限り他人のことをおもんばかり、あらゆる人を許し、助けるようつとめるであろう。さらにそうした人の行動は、正義と人間愛の刻印を担うことになろう。(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)

ここにまた「正義」なんて言葉が出てくるのだよな
この文はじつは、「"正義"という「主人のシニフィアン」(バディウ=ジジェク)」やら
正義とは不快の打破である」の続きものだ、ということを分かってもらえるだろうか
あるいは、「「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ」の。
ーーまさか! だれにもそんなことは期待してないさ


《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)


ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ『反キリスト』原佑訳  P172)

《カントをもまた、道徳の毒蜘蛛であるルソーが刺していた。カントにもまた、魂の底には道徳的な狂信の思想が伏在していた。》(『曙光』序文)

ルソーに反対。――われわれの文明は何かあわれむべきものそれ自体を持つということが真であるなら、ルソーとともに「このあわれむべき文明はわれわれの劣った道徳に対して責任がある」と結論を続けるか、あるいはルソーに反対して次のように逆の結論を出すかは、諸君のお好み次第である。「われわれのすぐれた道徳は文明のこのあわれむべき状態に対して責任がある。善悪に関するわれわれの弱い、男らしくない、社会的な概念、および心身に対するその絶大な支配は、すべての身体とすべての心をとうとう弱めてしまい、自主的な、独立的な、とらわれない人間を、すなわち強い文明の支柱を破壊してしまった。劣った道徳に現在なお出会う場合、これらの支柱の最後の破片が見られる。」やはりこのように逆説が逆説に対立するとすれば! この場合真理がどちらの側にもあることは不可能である。それでは真理はそもそもどちらかの側にあるのか? 吟味せよ。(ニーチェ『曙光』P163番 茅野良男訳)

ーーとしつつ後年、カントやショーペンハウアーよりも、ルソーを相対的に持ち上げている。

二人のドイツ人。――精神に関してではなく、魂に関して、カントやショーペンハウアーとを、プラトンや、スピノザや、パスカルや、ルソーや、ゲーテなどと比較するなら、上述の二人の思想家は不利な立場にある。彼らの思想は情熱的な魂の歴史を形成していない。そこでは、物語も、危機も、破局も、臨終も、何ら推測されない。彼らの思索は同時にひとつの魂の無意識的な伝記であるのではなく、カントの場合にはひとつの頭脳の歴史であり、ショーペンハウアーの場合には、ひとつの性格の(「不変なものの」)記述と反映であり、「鏡」そのものの、すなわち優れた知性の喜びである。カントは、その思想を通して彼がちらちら光るとき、最上の意味で実直で、尊敬すべきように思われるが、しかし重要でないように思われる。彼には広さと力が不足している。彼はあまり多くの体験はしなかった。しかも彼の流儀の仕事は、重要なことを体験する時間を彼から奪いとる。――当然のことながら、私は外面的な粗っぽい「出来事」のことを考えているのではない。閑暇を所有して思索の情熱に燃えている全く孤独で全く静かな生活の帰属する、運命と戦きとのことを考えているのである。ショーペンハウアーは、カントよりも先んじている。彼は少なくとも生まれつきある種の激しい醜さを身につけている。憎悪や、欲望や、虚栄心や、邪推の点で、彼は幾分野性的な素質の持ち主であり、この野性のための時間と閑暇とを持っていた。しかし彼の思想圏にも不足していたように、彼には「発展」が不足していた。彼はいかなる「歴史」も持たなかった。(『曙光』481番)

ところでカントの正義ってなんだったっけ?
これでいいのかな、カント研究者さんたちよ

カント自身、その方法の斬新さは、いまや法が<善>に依存するのではなく、逆に<善>が法に依存するのだという点にあるのだと口にしている。それが意味するところは、もはや法には、その権利の源流となる上位の原理を基礎にしてみずからを築く必要性もなければ、またその可能性もないということである。(……)

事実、法がそれに先立ってある高次の<善>に根拠をおくことがもはやなく、その内容をまったく非限定的なものとして放置するそれ固有の形態によって有効であるとするなら、最善をめざして正義が法に服するということは不可能になる。というよりむしろ、法に服するものは、然るが故に正義にかなっているわけではないし、またそう自覚することもないということだ。事態は逆であって、自分は罪を犯しているという自覚があり、彼は前もって有罪者なのである。しかも厳格に法に服すれば服するほど、ますます罪深いものとなるのである。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』「法、ユーモア、そしてイロニー」の章 蓮實重彦訳ーーメモ:超自我、良心、罪責感(フロイト)

ラカンの「サドとともにカントを」なんていうのは持ち出さないでおくよ
この程度にしておくぜ、ここでは。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』ーー「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン

さて、なんのはなしだったか?
ニーチェは、後年ルソーを持ち上げる、なんて書いてしまったんだなーー、まさか!

私の意味での進歩。――私もまた「自然への復帰」について語るが、もっともそれは、もともと帰ることではなく高まりゆくことであるーー高い、自由な、怖るべきものでさえある自然と自然体、大いなる課題と戯れる、戯れることの許されているそうした自然と自然性のうちへと高まりゆくことである・・・それを比喩で言えば、ナポレオンは私が解する意味での「自然の復帰」の一つであった(たとえば戦術のことにおいて in rebus tacticis それでころか、軍人の知るとおり、戦略的なことにおいて)。――ところがルソー ーーこの男はもともとどこへ帰ろうとしたのであろうか? ルソー、この最初の近代的人間は、理想主義者と下層民とを一身にそなえている。この男は、しまりのない虚栄としまりのない自己軽蔑に病んで、おのれ自身の外見を保つために、道徳的「品位」を必要とした。近代の閾ぎわに陣取ったこの奇形児もまた「自然への復帰」を欲したーー繰り返したずねるが、ルソーはどこへ帰ろうとしたのであろうか? ――私は革命の点においてもやはりルソーを憎悪する、革命は理想主義者と下層民というこの二重性を世界史的に表現するものであるからである。この革命が演ぜられた血なまぐさい茶番、その「無道徳性」は、私にはほとんどかかわりない。だが、私が憎悪するのは、そのルソー的道徳性であるーーこの道徳性がいまなおそれで影響をおよぼし、一切の浅薄な凡庸なものを説得して味方にしている革命のいわゆる「真理」である。平等の教え! ・・・しかしこれ以上の有毒な毒は全然ない。なぜなら、平等の教えは正義について説いたかにみえるのに、それは正義の終末であるからである・・・「等しき者には等しきものを、等しからざる者には等しからざるものを」――これこそが正義の真の言葉であるべきであろう。しかも、そこから生ずるのは、「等しからざるものをけっして等しきものになすことなかれ」ということにほかならない。――あの平等の教えの周囲ではあれほど身の毛もよだつ血なまぐさいことがおこったということは、この選りぬきの「近代的理念」に一種の栄光や火光をあたえ、そのためこの革命は演劇として最も高貴な精神をも誘惑したのである。このことは結局は、この革命により以上の敬意をはらう理由とはならない。――私は、この革命が感じとられなければならないとおりに、嘔吐をもってそれを感じとったたった一人の人を知っているーーゲーテを・・・(ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」『偶像の黄昏』原佑訳 P142)

ルソーを読むには、鼻をきかせなくちゃな。もちろんニーチェを読むのにも、さ。

《私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。感傷的なルソーは泣かんばかりに進歩的思想を語ったが、一方で自分が産ませた大勢の私生児を方々の救貧院や感化院に入れたきり、一顧だにしなかった。(……)ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。》(ナボコフ『ロシア文学講義』ーー「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ


…………

◆『悦ばしき知識』338番 「苦悩への意志と同情者たち」より 、(「共苦Mitleid」/「共喜Mitfreude」)の叙述。

何はさておいても同情深い人間であるということは、君たち自身の身のためになることであろうか? さてまた、…苦悩している人たちの身のためになることだろうか?

―我々は最も深刻に、最も個人的に悩んでいるものは、他人の誰にもほとんど理解されえないし、窺い知られないものである。…それなのに、我々が苦悩者だと気づかれる際は、いつも、我々の苦悩は浅薄な解釈を蒙る。他人の苦悩から、その独特に個人的な契機を剥ぎ取ってしまうのが、同情という感情の本質に属したことだ。…不幸な人たちに施される大方の慈悲には、同情深い者が運命をいじり回す知的軽率さが見られて、何となく腹立たしい気持ちになる。

同情深い者は、私や君にとって不幸とされているもの、内面的いきさつやもつれの全体について、何ひとつ知るところがない! …彼らは援助しようとするが、不幸の個人的必要性というものが存在することには思いつかない。のみならず私にも君にも恐怖・窮乏・零落・暗夜・冒険・離れ業・失敗など が、その反対のものと同様に必要であることに、いや、神秘的な言いあらわしをすれば、自分の極楽に至る道が、いつでも自分の地獄の歓楽を突っ切っていくも のだということに、思い及ばない。

ああ、君たち安楽で善良なる方々よ、君たちは人間の幸福について何と僅かしか知っていないことか! ―なぜかといって、幸福と不幸とは兄弟であり双生児であって、そろって大きく育ってゆくか、あるいは君たちの場合のように、そろって―小さいままでいるからである!……

……さもあれ私は自分に次のように告げる私の道徳を秘密にしておく気はない、―お前はお前自身を生きうるために、隠れて生きよ!お前と現代との間に、少なくとも三世紀の皮膚を張りわたせ! …お前とて人を助けようとはするだろうが、しかし、お前と苦悩を一にし希望を同じくするがゆえに、その人の憂苦をお前が残らず了知している者たちだけを、助けよ、―つまり、お前の友達だけを助けよ。それも、お前がお前自身を助けるようなやり方でだけ助けるがいい。―…私は、彼らに、こんにちごく僅かな者だけが理解して、あの同情共苦の説教家たちがほとんど理解しないものを、教えようと思う、―つまり同喜共歓をだ! (信太正三訳)

◆『曙光』より「同情する人間と同情を持たない人間」

「もはや私のことを思わない。」――まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼が全く好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛びこむのは、なぜか? 同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。――と無思慮がいう。誰かが血を吐くと、彼に対して悪意や敵意さえ持っているのに、われわれが苦痛と不快を感じるのは、なぜか? 同情のためである。われわれはその際まさしくもはや自分のことは思っていない。――と無思慮が言う。

真実は、同情というときーー私は間違ったやり方で通常同情と呼ばれるのが常であるもののことを考えているのだが、――われわれはなるほどもはや意識的にわれわれのことを思っていないけれども、極めて強く無意識的にわれわれのことを思っているのである。ちょうど足がすべったとき、われわれにとって現在意識されていないが、最も目的にかなった反射運動をし、同時に明らかにわれわれの知性全体を使用しているように。

他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの卑怯を確認させるであろう。言いかえると、それはすでにそれ自体で、他人に対するわえわれの名誉の、またはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減少を必然的にともなう。換言すれば、他人の不幸と苦しみの中にはわれわれに対する危険の指示がある。そして人間的な危うさと脆さ一般の目印としてだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。

われわれは、この種の苦痛と侮辱を拒絶し、同情するという行為によって、それらに報復する。この行為の中には、精巧な正当防衛や、あるいは復讐さえもありうる。われわれが根底において強くわれわれのことを思うということは、われわれが苦しむもの、窮乏するもの、悲嘆するものの姿を避けることのできるすべての場合に、われわれの行なう決心からして推測される。われわれが一層強力なもの、助けるものとしてやって来ることができるとき、喝采を博することの確実であるとき、われわれの幸福の反対のものを感じるのを望むとき、あるいはまたその姿によって退屈から脱出することを期待するとき、われわれは避けることをしまいと決心する。そのような姿を見るときわれわれに加えられ、しかも極めて多種多様でありうる憂苦を同情と名づけることは、間違った道に導く。なぜなら、どんな事情があっても、それは、われわれの前で苦しんでいる者とは関係がない憂苦であるからである。

しかしわれわれはこの種のことを、決してひとつの動機から行なうのではない。われわれがその際苦しみからの解放を望んでいることが全く確実であるように、われわれが同じ行為において、快楽の衝動に服従することもやはり確実である。――快楽が生じるのは、われわれの状態の反対のものの姿を見るときである。われわれが望みさえすれば助けうるという考えをもつときである。われわれが助けた場合、賞賛され、感謝されるという思いを抱くときである。行為がうまくゆき、そしてそれが一歩一歩成功するものとして実行者自身を楽しませるかぎり、助けるという行為そのものの中においてである。しかしとくに、われわれの行為が腹立たしい不正を制限する(彼の腹立たしさの爆発だけでも気分をさわやかにする)という感覚の中においてである。この一切合財に、さらに一層精巧なものがつけ加わると、「同情」である。――言語はそのひとつの言葉を用いて、何と不格好に、そのように多声的な存在の上に襲いかかることであろう! ――これに反して、苦しみを眺めるときに起きる同情が、その苦しみと同種のものであること、あるいは、同情が苦しみに対して特別に精巧な、透徹した理解をもつこと、この二つのことは、経験と矛盾する。そして同情をほかならぬこの二つの視点で称賛した者は、まさに道徳的なもののこの領域において、十分な経験を欠いていたのである。ショーペンハウアーが同情について報告することのできるすべての信じがたい事柄にもかかわらず、これが私の懐疑である。彼はわれわれをして、彼の大きな新発明品を信じさせようとしている。それによると、同情はーー彼によって極めて不完全な観察がなされ、全く粗悪な記述がなされた、まさにその同情はーー、一切のあらゆる以前の、また将来の道徳的な行為の源泉であるーーしかも彼がはじめて捏造して、同情になすりつけたほかならぬその能力のためにそうなのである。――

おしまいに、同情をもたない人間は、同情する人間と何で区別されるか? 何よりもまずーーここでもやはり荒っぽくのべるだけであるがーー同情をもたない人間は、恐怖という刺激されやすい想像力や、危険をかぎつける鋭い能力をもっていない。さらに、何事か起きても、かれらが阻止できるならば、彼らの自惚れはそんなに速やかに傷つけられはしない。(彼らの誇りの慎重さは、関係のない事柄に無益な干渉をしないように、彼らに命令する。それどころか、彼らは自発的に、各人が自分自身を助け、自分自身のトランプで遊ぶことを好むのである。)その上彼らは大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない。最後に彼らにとっては心の優しい状態は、ちょうど同情する人間にとってストア主義的な無関心の状態が苦痛であるように、苦痛である。彼らはその状態に軽蔑的な言葉を付加し、自分の男らしさと冷たい勇気がそれによって危険にさらされたと思う。――彼らは涙を他人の眼からかくし、自己自身に立腹して、それをぬぐう。それは、同情する人間とは別の種類の利己主義である。――しかし彼らをすぐれた意味で悪いと呼び、同情する人間をよいと呼ぶことは、時をえているひとつの道徳的な流行にほかならない。ちょうど反対の流行にも時が、しかも長い時があったように! (ニーチェ『曙光』第133番 茅野良男訳)

ーーとだけ引用して、ニーチェの「同情」を、逆張り的に解釈するのは一面的であるに相違ない。以下、次回?、もしくはそのうちに続く(たぶん)。

ところで、同情をもたない人間は、《大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない》というのはーー、そうだなよなあ

自分が苦しんでいるときに他人への同情なんてしないだろうから。

器質的な痛苦や不快に苦しめられている者が外界の事物に対して、それらが自分の苦痛と無関係なものであるかぎりは関心を失うというのは周知の事実であるし、また自明のことであるように思われる。これをさらに詳しく観察してみると、病気に苦しめられているかぎりは、彼はリピドー的関心を自分の愛の対象から引きあげ、愛することをやめているのがわかる。(……)W・ブッシュは歯痛に悩む詩人のことを、「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」と述べている。リビドーと自我への関心とがこの場合は同じ運命をもち、またしても互いに分かちがたいものになっている。周知の病人のエゴイズムなるものはこの両者をうちにふくんでいる。われわれが病人のエゴイズムを分かりきったものと考えているが、それは病気になればわれわれもまた同じように振舞うことを確信しているからである。激しく燃えあがっている恋心が、肉体上の障害のために追いはらわれ、完全な無関心が突然それにとってかわる有様は、喜劇にふさわしい好題目である。(フロイト『ナルシシズム入門』フロイト著作集5 p117)


現代日本では、生活苦という「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」人間が多くなったのだろうな。ーー《みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。》(「なんのために」ーーー加藤周一『羊の歌』より

「ルソーの憐れみのひと」らしい東浩紀氏がこんなこと言ってたなあ。

@hazuma: ぼくは第二次大戦については、戦争悪いとかとは別に、いちどあれだけリベラルでモダンになった日本が急速に竹槍とかモンペ一色になっていく、その文化的墜落にいつも衝撃を受けるのよね。その点では、この15年ほど似たような墜落が生じていると感じていて、このあと戦争がなかったとしても嫌だ

@hazuma: いまはバブル世代や団塊ジュニアって評判悪いけど、95年までの日本はどうのこうのいいながら余裕があって、嫌韓本がベストセラーになったりすることはなかった。それは単純にいいことなんじゃないですかね。「戦わなければ生き残れない!」とか、そりゃそうかもしれないけど、基本下品ですよ。 (東浩紀)

ーーというわけで、この話題を続けようと思ったら、百投稿ぐらい連投しなくちゃならないんじゃないか。で、やっぱり「専門家」にまかせるよ。この投稿自体、これで12000字ほどだから、そこらあたりのブログの5~10投稿分ほどはあるのだよな

原来此種の記載は無用に属するかも知れぬが、或は他書を併せ考ふるに及んで、有用のものとなるかも知れない。わたくしは此の如き楽天観に住して、甘んじて点簿の労に服する。(森鴎外『伊沢蘭軒』 その百三)

で、問題は、専門家や学者はお上品な種族のひとがほとんどで、鼻が退化しているのじゃないか、ということだな

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。(M.ホルクハイマー、Th.W.アドルノ『啓蒙の弁証法』)


2014年9月15日月曜日

「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ

フロイトは『ある幻想の未来』をロマン・ロランに贈呈した。その書に対するロマン・ロランの感想の手紙には次のようにある(フロイト『文化への不満』より)。

「自分は宗教についてのあなたの判断にまったく賛成である。しかし、あなたが宗教のそもそもの源泉を十分評価していないのが残念だ。それは一種独特の感情で、つねづね一瞬たりとも自分を離れず、ほかの多くの人々も自身がその種の感情を持っていることをはっきり述べているし、また無数の人々についても事情は同じと考えてよいものだ。それは、「永遠」の感情と呼びたいような感情、なにかしら無辺際・無制限なもの、いわば「大洋」のようなものの感情である。この感情は、純粋な主観的事実で、信仰上の教義などではない。この感情は、死後の存続の約束などとは無関係であるが、宗教的エネルギーの源泉であり、さまざまの教会や宗教的体系によって捕捉され、一定の水路に導かれ、じじつたしかに消費されてもいる。たとえすべての信仰、すべての幻想は拒否する人間でも、こうした大洋的な感情を持ってさえおれば、自分を宗教的な人間だと称してさしつかえない」

フロイトは、《私自身のどこをどう探してもこの「大洋的な」感情は見つからない》な、とかなり嘲弄的とも読める反応をしている。《参照:あなたを落ち込ませることとは? /アホな連中が幸せそうにしているのを見ること》。そして「このばら色の光の中で息をつける者は幸福だ」と。


…………

坂口恭平 @zhtsss東浩紀さんの「弱いつながり」読了。僕は東さんの「一般意志2.0」を読んで鼎談したのが初対面だったのだが、僕は出会い頭に「一番感動したのは第十三章で『憐れみの海』という四文字でした」と言った。ふとそのことを思い出した。何だか全く違う方向向いているようで、意外と東さんとシンクロしてる

――だそうだ。わたくしはどちらの書も読んだことがないが(読んでない本についてこうやって書くのは気が引けるが)、どうやら「憐れみの海」とは、ルソー起源らしい。

ゲンロン形而上学クラブ@superflat_2『弱いつながり』では、人々が「憐れみ」の感情で弱く繋がることを説いたルソーの社会契約論が重視されているが(p106)、日本の「地域アートの諸問題」について考えるときも、この「弱さ」が議論の最も重要なポイントになる。それはホッブズやロックの説いた「強い」社会契約論とは異なっている。

東浩紀氏の『一般意志2.0』には「憐れみ」について次のようにあるそうだ――ウェブ上で拾ったので正確であるかどうかはわからない。

熟議が閉じる島宇宙の外部に『憐れみの海』が広がり、ネットワークと動物性を介してランダムな共感があちこちで発火している、そのようなモデル

あるいは、

東浩紀botβ @spectralisation · 2011年4月9日
人間の理念は閉じる。コミュニケーションも閉じる。しかしその外側に、動物的な「憐れみ」の海=ネットワークが拡がっており、自由も民主主義ももはやその海をこそ基盤に設立されるほかない

ルソー自身の言葉もも引こう。

……人間には身体的な不平等が存在する。年齢、健康、精神の差などがこれに当たる。これは自然に規定される不平等であって、無くすことはできない。それゆえ私が不平等を問題にするときには、社会的不平等のほうを指している。社会的な不平等は政治的な不平等であり、これは約束にもとづき合意によって定められるものだ。

その平等が失われてしまっている。それはなぜか?人びとが生活の知恵を身につけたからだ。自然は人間に対して厳しく振る舞う。つまり強者だけが生き残り、弱者は滅んでしまう。しかし住まいを得ることによって人びとは堕落し始める。そうして人びとの間の差異が次第に拡大してしまうのだ。

自然生活の人間の心は平和で、かつ身体は健康だ。ひとびとはの間に従属関係は存在しないし、闘争状態も存在しない。なぜなら彼らには憐れみの情(憐憫)が備わっているからだ。したがって強者による法律も存在しない。(ルソー『人間不平等起原論』

ルソーには「自己愛amour-de-soi/利己愛amour-propre」という概念もある。

素朴な情念はすべて直接にわれわれの幸福をめざしているので、それに関係のある目標しかわれわれをかかわらせず、自己愛amour-de-soiのみを原理としているので、本質的にまったく優しく穏やかなものなのです。しかし障害によって目標からそらされると素朴な情念は到達すべき目標よりも避けるべき障害のほうにかかずらって性質を変えてしまい、怒りっぽく憎しみに満ちた情念になる。まさにこのようにして、善なる絶対感情である自己愛amour-de-soiが、利己愛 amour-propre、すなわちたがいを比較させ選り好みさせる相対感情になるわけです。利己愛のもたらす喜びはただただ否定的なもので、利己愛はもはやわれわれ自身の幸福によってではなく、他人の不幸によってのみ満足させられるのです。(『ルソー、ジャン=ジャックを裁く--対話』)

このルソーの文に注目しつつ、ジジェクは、『Less Than Nothing』(2012)の最終章で、《邪悪な輩は、自己愛者=エゴイストのことではない、なぜならエゴイストは自らの関心/利益にのみ注意を払うことに忙しく、他人の不幸などにかまっているほど余裕はないのだから。本当に厄介な「悪人」とは、自身へよりも他人への関心に没頭してしまう連中だ》という意味合いのことを語っている。

An evil person is thus not an egotist, "thinking only about his own interests." A true egotist is too busy taking care of his own good to have time to cause misfortune to others. The primary vice of a bad person is precisely that he is more preoccupied with others than with himself.(A modest plea for enlightened catastrophism Slavoj Zizek


利己愛 amour-propreは、いうまでもなく怨恨(ルサンチマン)に関わってくるだろう。

怨恨。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする。反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「反感=怨恨」となる。それでひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その<力>から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」。(ドゥルーズ『ニーチェ』)

さてここで唐突にナボコフのややイヤミな言葉を引用しておこう。


私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。感傷的なルソーは泣かんばかりに進歩的思想を語ったが、一方で自分が産ませた大勢の私生児を方々の救貧院や感化院に入れたきり、一顧だにしなかった。(……)ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。(ナボコフ『ロシア文学講義』ーー「ルソーのきれいごと」)


ーーと引用しても、なにもルソーに恨みがあるわけではない。東浩紀氏がおそらくやっているようにーーそしてジジェクにも最近その気配があるーールソーの「可能性の中心」を読んだらよいのだ。


ただひとには憐れみを抱いて「同情」し行動に移すこともあれば、逃げてしまうこともある。

多くの場合「卑怯と勇気とはしばしば紙一重」であるだろう。


フロイトによれば、

《同情は同一化から生まれる》(フロイト『集団心理学と自我の分析』)。すなわち同情するから同一化するのではなく、同一化するから同情する(ラカンが同一化セミネールで語る小文字の他者への同一化、大文字の他者との同一化、ジジェクの想像的同一化、象徴的同一化、理想自我/自我理想との同一化の議論とか、さらに三種類の同一化などの議論はここでは脇にやる)。

ここでは、まずは次の文を抜き出そう。

同一化は前記のように、感情結合のもっとも初期のもっとも根源的な形式である。そして症状形成や、したがって抑圧や無意識の機制が支配する条件のもとでは、対象選択がふたたび同一化になり、このようにして自我が、この同一化のさいに、ときには好まない人物を、また、ときには愛する人物を模写することは注目に値する。両方の場合はいずれもこの同一化は部分的で、極度に制限されたものであり、対象人物の一つの特色a single traitだけを借りていることも、われわれの注意をひくにちがいない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)


このフロイト英訳から拾った「a single trait

一つの特色」がおそらく”Ein einziger Zug”だと思うがーーラカンの”UNARY TRAIT”--、ドイツ語原文をみてみることは今はしない。

一般的に、人が特定の人物と同一化を起こす場合、対象となる人物の様々な性格を取り入れるのではなく、たった一つの特徴を取り入れるという形で生じるという興味深い事実があるのです。これはフロイトが指摘したことです。同一化というとその人の特質を出来る限り取り入れることだと思いがちですが、実はたった一つの特徴を取り入れればそれで足りるのです。フロイトはこのたったひとつの特徴のことを Ein einziger Zug と呼んでいます。

 同一化 identification においては、様々な特徴ではなく、たった一つの特徴を取り込むのです。Ein einziger は「唯一の」「たった一つの」、Zug は「特徴」です。フロイトの天賦の才は、こういう洞察のなかにパッと現われるんですね。(藤田博史「セミネール断章 2012年6月9日講義より」



すなわち「ときには好まない人物」にも、そしてたったひとつの特徴で、同一化する。そしてその同一化により、同情や憐れみが生まれうる、としておこう。


 さてここで反ルソーのニーチェの「同情」をめぐる文を引こう。《

カントをもまた、道徳の毒蜘蛛であるルソーが刺していた。カントにもまた、魂の底には道徳的な狂信の思想が伏在していた。》(『曙光』序文 茅野良男訳)とあるように「道徳の毒蜘蛛」ルソー批判として読むことができる以下の文である。

「もはや私のことを思わない。」――まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼が全く好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛びこむのは、なぜか? 同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。――と無思慮がいう。誰かが血を吐くと、彼に対して悪意や敵意さえ持っているのに、われわれが苦痛と不快を感じるのは、なぜか? 同情のためである。われわれはその際まさしくもはや自分のことは思っていない。――と無思慮が言う。

真実は、同情というときーー私は間違ったやり方で通常同情と呼ばれるのが常であるもののことを考えているのだが、――われわれはなるほどもはや意識的にわれわれのことを思っていないけれども、極めて強く無意識的にわれわれのことを思っているのである。ちょうど足がすべったとき、われわれにとって現在意識されていないが、最も目的にかなった反射運動をし、同時に明らかにわれわれの知性全体を使用しているように。

他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの卑怯を確認させるであろう。言いかえると、それはすでにそれ自体で、他人に対するわれわれの名誉の、またはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減少を必然的にともなう。換言すれば、他人の不幸と苦しみの中にはわれわれに対する危険の指示がある。そして人間的な危うさと脆さ一般の目印としてだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。

われわれは、この種の苦痛と侮辱を拒絶し、同情するという行為によって、それらに報復する。この行為の中には、精巧な正当防衛や、あるいは復讐さえもありうる。われわれが根底において強くわれわれのことを思うということは、われわれが苦しむもの、窮乏するもの、悲嘆するものの姿を避けることのできるすべての場合に、われわれの行なう決心からして推測される。われわれが一層強力なもの、助けるものとしてやって来ることができるとき、喝采を博することの確実であるとき、われわれの幸福の反対のものを感じるのを望むとき、あるいはまたその姿によって退屈から脱出することを期待するとき、われわれは避けることをしまいと決心する。そのような姿を見るときわれわれに加えられ、しかも極めて多種多様でありうる憂苦を同情と名づけることは、間違った道に導く。なぜなら、どんな事情があっても、それは、われわれの前で苦しんでいる者とは関係がない憂苦であるからである。……(ニーチェ『曙光』第133番)

ーーと引用したが、重ねて書くようにルソーに恨みがあるわけではない。ただ「憐れみの海」などという言葉に素直に感動してしまえる坂口恭平さん(1978年4月13日 - )は、建築家・作家・絵描き・踊り手・歌い手であるらしい。《一番感動したのは第十三章で『憐れみの海』という四文字でした》。きっと純朴な方なのだろう。

もっとも純朴さから遠く離れているようにみえるクンデラにも、《ニーチェの馬の首を抱き、涙を流す》刻限をめぐる次のような文がある。

ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。

それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。

そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザが私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の所有者」の道から、退きつつある。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』P332ーー「軽さと重さ」)


と引用してさえ、まだかなりイヤミとして読まれる可能性があるので、ここではニーチェと異なり、「穏和な」精神科医中井久夫の文を引用しておこう。

圧倒的な危機においては、従来の習慣にしがみつく構えと、新しい発想に打って出ようとする構えとの基盤は一見ほどには大きく相違するものではない。沈没しようとする艦船の船腹に最後までしがみつくか、フネを見捨てて敢えて海に飛び込むかという選択のいずれが正しいかはいうことができない。生存のチャンスは全くの賭けなのである。フネが沈没した後、今脇に抱えている板切れにしがみつきとおすか、それを棄てて近づいてくるようにみえる救助船に向かって泳ぎだすかも、全くの賭けである。救助船は私を認めていなくて旋回して去ってゆくかもしれないし、すでに満員であって、ふなべりにかけて私の手は非情にもナイフで切り落とされるかもしれない。

半分は、ふだんの構えによって決まるが、半分は、いったん一つの構えを取ると、それを取りつづける傾向が強い。

もっと一般的に、池で溺れている少年、あるいはいじめられようとしている少女を目撃した場合に、見て見ぬふりをして立ち去るか、敢えて救助に向かうかの決定が紙一重となる瞬間がある。この瞬間にどちらかを選択した場合に、その後の行動は、別の選択の際にありえた場合と、それこそハサミ状に拡大してゆく。卑怯と勇気とはしばしば紙一重に接近する。私は孟子の「惻隠〔みてしのびざる〕の情」と自己保存の計算との絞め木にかけられる。一般に私は、救助に向かうのは最後までやりとおす決意とその現実的な裏付けとが私にある場合であるとしてきた。中途放棄こそ許されないからである。「医師を求む」と車中で、航空機中で放送される度に、外科医でも内科医でもない私は一瞬迷う。私が立つことがよいことがどうか、と。しかし、思いは同じらしく、一人が立つと、わらわらと数人が立つことが多い。後に続く者があることを信じて最初の一人になる勇気は続く者のそれよりも大きい。しかし、続く者があるとは限らない。日露戦争の時に、軍刀を振りかざして突進してくるロシア軍将校の後ろに誰も続かなかった場合が記録されている。将校は仕方なく一人で日本軍の塹壕に突入し、日本軍は悲痛な思いで彼を倒した(日本将校にとっても明日はわが身かもしれない)。(中井久夫「一九九六年一月・神戸」『復興の道なかばで  阪神淡路大震災一年の記憶』所収ーー)


《半分は、ふだんの構えによって決まるが、半分は、いったん一つの構えを取ると、それを取りつづける傾向が強い》ーーすばらしい言葉だ。たとえば、いったん反レイシズム、反ネオナチ、反原発の姿勢を取ったら、それを取り続ける傾向が強いだろう。そうでなかったら、いつまでも曖昧な姿勢を取ったり、完全無視してすずしい顔に終始することだってありうる。

さらにはまた「大洋的感情」やら「憐れみの海」やらに感動する心性の、象徴的効果をもあなどってはならない。

象徴的機能に目を眩ませることなく、自分の眼だけを信じ続ける人は、いちばん間違いを犯しやすいのである。自分の眼だけを信じている冷笑者が見落としているのは、象徴的虚構の効果、つまりこの虚構がわれわれの現実を構造化しているということである。美徳について説教する腐敗した司祭は偽善者かもしれないが、人びとが彼の言葉に教会の権威を付与すれば彼の言葉は人びとを良き行いへと導くかもしれない。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

これがラカンが「騙されない人は彷徨うLes non-dupes errent」で言おうとしたことだ。


…………

いずれにせよ、われわれは同一化して同情や憐れみの感情を抱いたにしろ、「惻隠の情」と自己保存の計算との絞め木にかけられることがある。そのバランスの秤が各人によってかなり異なるのだろうが、それはなぜなのか。いまのところ、それはトラウマにかかわるのではないか、という思いがあるが、議論の展開をするつもりはなく、ここでもまた引用ですませておく。


……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』所収P93ーー「ネオナチ完全無視のすずしい顔の手合い」)

中井久夫は、阪神・淡路大震災の現場で、ボランティアの茶色や金色に髪を染めた若者たちが、率先して動くのに感嘆している、こういったときに人間の真価が出る、と(いまその文が探し出せないでいるので記憶で書いている)。彼らの多くは、通常の人に比べて、なんらかのトラウマを抱えているひとたちが多いのではないか、とまでは言っていないが、ほとんどそういいたい口ぶりではないか、とわたくしは「錯覚」に閉じこもり得たことがある。



※附記

……新しい災害は過去の災害によるPTSDの症状を呼び覚ます。愛知県の義援金が他府県を抜いて格段に多い事実は、伊勢湾台風のPTSDが呼び覚まされたためではないだろうか。名古屋に赴いた時、それは三月の末であったが、震災が昨日のことであったかのように、盛んに義援金の募集が行われ、『中日新聞』に載る額も、小企業で一千万円、個人で十万円、百万円と「半端じゃなかった」。人々は「名古屋人はケチといわれているけれど、出す時は出すんだ」と胸を張って、伊勢湾台風との関連は意識していないようであった。しかし、ひとごとではないという気分が人々の間にあった。

老人たちは戦争の記憶を新たにした。戦後五〇年という「記念日現象」と重なって、まだ済んでいない精神的債務への態度が何か変わってきたと私は思う。

神戸人は伊勢湾台風の時は救援に熱心ではなかった。しかし、サハリン地震の義援金募集は、勤務先でも地域でも早く、また盛んであった。新潟の水害の知らせを聞いてボランティアがすぐ出発した。思わず微笑するほどであった。

このように、PTSDは、障害としてマイナスの意味だけを帯びるのではない。「ひとごとではない」という連帯の意識を呼び覚ます力にもなる。実際、関東大震災の時には被災者は全国に散った。片道切符をもらって東北本線に乗るか、軍艦で清水港、時には大阪まで運ばれるか、バラックを自力で建てるしかなかった。東京の人口は相当年数、大阪を下回ったのである。今回の震災では、全国が神戸にやってきた。さらには海外さえも。再び鮮やかになった過去の心の傷に導かれて被災地に関与したという面がないであろうか。誰か心の傷がない人があるだろうか。まして、この二十世紀においてーー。この支持が孤立感をどれだけ和らげたことか。PTSDが予想よりも軽く経過しつつあるのではないかという多くの精神科医の観察は、もし真実ならばこの支持なしにはありえなかったことである。

個人のいのちに対しても、PTSDは決してマイナスばかりではない。最初の現実感喪失、呆然状態でさえ、事態を見極めてから動くゆとりを与えるものと考えられないだろうか。気分の高揚と過剰な活動なしでは、修羅場を切り抜けられるだろうか。ただ、これはもっと自然と近かった時代、おそらく動物としての危機回避反応であろう。地震によって大被害が起こるのは都市ならばこそである。たまたま私は福井大震災を阪神間の畑の中で体験した。結構な揺れであったが、要するにしばらく地面とともに揺れていれば済んだのであった。

PTSDは、精神医学の新奇な一症候群というだけではない。統合失調症にせよ、躁鬱病にせよ、神経症にせよ、これらは、精神の内科的な病いである。これに対して、PTSDは、外傷後ストレス障害という名のとおり、心に負った傷という精神の外科的な障害である。今回の震災が日本の精神医学にもたらしたものといえば、心の外科的障害への開眼であろう。

精神障害が誰にでも起こりうるという、当たり前の事実は、一般公衆にも、精神科医にも、この震災によってはじめてはらわたにしみて認識されたのではないか。全国から集まった精神科医たちも、現場にあって多くのことを学んだ。主に遺伝素因によって精神障害が起こると考えていた研究者が、状況によって起こることを目の当たりにして素朴な驚きを語った。(中井久夫「阪神大震災八カ月に入る」『復興の道なかばで  阪神淡路大震災一年の記録』所収)







2014年6月11日水曜日

「ルソーのきれいごと」

私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。感傷的なルソーは泣かんばかりに進歩的思想を語ったが、一方で自分が産ませた大勢の私生児を方々の救貧院や感化院に入れたきり、一顧だにしなかった。(……)ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。(ナボコフ『ロシア文学講義』)

さて憐憫の作家ルソー、そしてニーチェが褒めたたえた大心理家ドストエフスキーもナボコフにかかるとこんな具合である。ナボコフのいうことが「正しい」かどうかは問題ではない。われわれの通念を揺るがす(座標軸を宙吊りにする)言葉を愛でるだけだ。

《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

ルソーをめぐっては、「みにくさはたやすく美しくなるような顔立ちにおいていっそうよく目立つ」の後半にいくらかのメモがある。

あまりうえと関係がない話かもしれないが、ギリシアの民主主義のはじまりというのも中井久夫の指摘するように「きれいごと」に過ぎないだろう。

近代医療のなりたちですが、これは一般の科学の歴史、特に通俗史にあるような、直線的に徐々に発展してきたというような、なまやさしい道程ではありません。

ヨーロッパの医療の歴史は約二千五百年前のギリシャから始めるのが慣例です。この頃のギリシャは、国の底辺に奴隷がいて、その上に普通の職人と外国人がいて、一番上に市民がいました。当時のギリシャでは神殿にお参りしてくる人のために神殿付きドクターと、一方では奴隷に道具一式をかつがせて御用聞きに回るドクターとがありました。

ドクターの治療を受けられたのは中間層であって、奴隷は人間として扱われていなかったのでしばしば病気になってもほっておかれました。市民は働かないで、市の真中の広場に集まって一日中話し合っているんです。これが民主主義の始まりみたいな奇麗ごとにされていますが、働かない人というのはものすごく退屈していますから、面白い話をしてくれる人が歓迎されます。そこでは妄想は皆が面白がって、病気とはみなされなかったようです。いちばん上の階級である市民が悩むと「哲学者」をやとってきて話をさせます。つまり当時の哲学者はカウンセラーとして生計を立てているのです。この辺はローマでも同じです。ローマ帝国は他国を侵略して、だんだん大きくなってきます。他国人を捕えて奴隷として働かせ、消耗品として悲惨な扱いをしていました。暴力の発散の対象に奴隷がなって、慰みに殺されたりしています。……(中井久夫「近代精神医療のなりたち」  『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕 P159 広栄社)




2014年4月6日日曜日

「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)

まず経済学に触れたことのある人なら、誰でもが知っているもっとも有名な文章、すなわち「経済学の父」の、「見えざる手(Invisible Hand)」をめぐる文章を掲げる。

通常、個人は、公共の利益を促進しようと意図しているわけでもないし、自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかを知っているわけでもない。意図しているのは、自分自身の安全と利得だけである。だが、こうすることによって、かれは、見えざる手に導かれて、自分では意図してもいなかった目的を促進することになる。自分自身の利益を追求することによって、かれは実際にそうしようと思ったときよりもかえって有効に、社会の利益を促進することになる場合がしばしばある。(アダム・スミス『国富論』第四篇第二章)

アダム・スミスはこの文の後、《社会のためだと称して商売している連中が、社会の福祉を真に増進したというような話は、いまだかつて聞いたことがない》ともしている。経済学の知識がわずかでもあるひとたちは、1991年12月、ソ連の崩壊によって、誰もが「アダム・スミスの時代」になったことを、すくなくともその当時は実感したはずだ。

もっともその後、アジア金融危機や、ヘッジ・ファンドの一つLCTM失墜(FRBの元議長と二人のノーベル賞経済学者さえもが参加していた)、あるいはリーマン危機によって、「見えざる手」は働かず、予想の無限の連鎖、ケインズの美人コンテスト理論が実証されてしまったのをわれわれは知っている。すなわち個人の合理性の追求が社会全体の非合理性をうみだしてしまうという、社会現象に固有の「合理性のパラドックス」を。

理論の正しさは経験からは演繹できない。いや、経験から演繹できるような理論は、真の理論とはなりえない。真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。それだからこそ、それはそれまで見えなかった真理をひとびとの前に照らしだす。

アダム・スミスの「見えざる手」の理論ほど、日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする理論もないだろう。われわれの日々の経験からいえば、善い人間とは、仲間との信頼関係を重んじ、他人のためを思いやる人間である。悪い人間とは、仲間や他人のことを考慮せず、じぶんの利益のみを追求する人間である。ところが、アダム・スミスはこの常識をひっくり返す。「社会のためだと称して商売している連中が、社会の福祉を真に増進したというような話は、いまだかつて聞いたことがない」。市場経済のなかではひとびとは「公共の利益を促進しようとする意図」する必要などない。ただ「自分自身の安全と利得だけ」を考えればよい。それにもかかわらず、いや、それだからこそ、「見えざる手に導かれて、自分では意図してもいなかった目的を促進することになる」というのである。

(……)理論の批判は、理論によってしか可能でない。そしてそれは、それまでの理論が「思考せずに済ませていたこと」を思考することによってのみ可能なのである。アダム・スミスの理論が思考せずに済ませていたこととは何か? それは、まさに「投機」の問題に他ならない。(……)

アダム・スミスの末裔たちは、投機について思考しながらも、投機について思考せずに済ませていた。すなわち、あくまで市場の「見えざる手」のたんなる延長として位置づけようとしてきたのである。

そのような投機理論の代表として、現代における自由主義思想のチャンピオンであるミルトン・フリードマンの投機理論がある。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』)

岩井克人はこのあと、フリードマン理論を批判し、次のように書くことになる、

真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。だが、日常経験と対立し、世の常識を逆なでするというその理論のはたらきが、真理を照らしだすよりも、真理をおおい隠しはじめるとき、それはその理論が、真の理論からドグマに転落したときである。そしてそのとき、その理論に内在していた盲点と限界とが同時に露呈されることになる。

ところで、アダム・スミス(Adam Smith1723 - 1790年)の同時代人ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712 - 1778年)には「自己愛amour-de-soi利己愛 amour-propre」という概念がある。


素朴な情念はすべて直接にわれわれの幸福をめざしているので、それに関係のある目標しかわれわれをかかわらせず、自己愛amour-de-soiのみを原理としているので、本質的にまったく優しく穏やかなものなのです。しかし障害によって目標からそらされると素朴な情念は到達すべき目標よりも避けるべき障害のほうにかかずらって性質を変えてしまい、怒りっぽく憎しみに満ちた情念になる。まさにこのようにして、善なる絶対感情である自己愛amour-de-soiが、利己愛 amour-propre、すなわちたがいを比較させ選り好みさせる相対感情になるわけです。利己愛のもたらす喜びはただただ否定的なもので、利己愛はもはやわれわれ自身の幸福によってではなく、他人の不幸によってのみ満足させられるのです。(『ルソー、ジャン=ジャックを裁く--対話』)

この文を、アダム・スミスの「見えざる手」とそのまま結びつける愚をおかすつもりは毛頭ないがーー自己愛者が果たして優しく穏やかなものだろうか、これはルソーの私有財産制以前の社会の、孤立と自足の「自由人」の理想モデルに過ぎないーー、しかしながら、個人の《意図しているのは、自分自身の安全と利得だけである》とは、「自己愛amour-de-soi」者のことで、《社会のためだと称して商売している連中が、社会の福祉を真に増進したというような話は、いまだかつて聞いたことがない》における《社会のためだと称して商売している連中》は、利己愛 amour-propre」とすることができないでもない。

もっとも、《(個人が)意図しているのは、自分自身の安全と利得だけである》というとき、すでにその各個人のあいだは生れるまえから、既に社会的条件が違う。その条件とは、一言でいえば「私有財産」であり、《「幸福を追求し、私有財産をもつ権利」 とは、盗む(他人を搾取する)権利である》(ジジェク『ラカンはこう読め』)とするなら、搾取者と被搾取者、あるいは貧富の差の間隙は狭まるどころか、拡大するのが、「見えざる手」の原理の帰結のひとつであるといえる。なぜなら自由の旗印のもと、搾取者はいっそう搾取しようとする「合理的」行動をとるだろうから。

富というものはわれわれをつよくとらえる。われわれはこれを羨望し、かくして奴隷になってしまう。われわれが富をもつとなると、富はさらにいっそうよくわれわれをとらえる。それゆえ、われわれはなにかにつけかせぎたくなる。いいかえれば、より少なくあたえたり、より多く受けとったりしたくなる。そして、この盗みたいという魅力にわれわれが抗しうる徳、あるいは内なる力とは、すなわち正義である。警官や裁判官による強制的な正義ではなく、自由な正義、自己に対する正義、だれもこれについてはなにも知らぬということを前提としての正義である。ところで、この徳は不確実さによってわれわれを疲れさす。というのはわれわれは、自分が四方八方から盗まれているような気がするし、またしばしば自分が、みずから欲せずに、しかも万人にほめられながら、盗人になっているような気がするから。ふつうの人は自分の正義をあかすよりも、その勇気をあかすのにいっそう注意ぶかいと、私がいったのはこのゆえである。このことはつぎの逆説をいくぶん説明してくれる。すなわち、ひとは自分の金よりも自分の命のほうをいっそう無造作にあたえてしまうものだと。(アランの「四つの徳」

かつては「教育」が「私有財産」や「富」の差異を是正すると夢想されたこともあったが、いまでは既に高等教育の機会そのものも、養育者の私有財産の多寡によって限定されてしまっている。現在のイデオロギーは、弱肉強食の「自由主義」を、ある種の人間主資義的モラリズムによって彌縫することでしかないだろう。

(世界で支配的なイデオロギーの主流は)資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主資義的モラリズムで彌縫する機能しか果たしていない。上からの計画というのは、つまり構成的理念というのは、もうありえないので、私的所有と自由競争にもとづいた市場に任すほかない。しかし、弱肉強食であまりむちゃくちゃになっても困るから、例えば社会民主主義で「セイフティ・ネット」を整えておかないといかないーーこのように資本主義的なシニシズムと新カント派的なモラリズムがペアになって、現在の支配的なイデオロギーを構成しているのではないかと思う(浅田彰 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」2000.11.27)

《後はどうとでもなれ。これがすべての資本家と、資本主義国民の標語である。だから資本は、社会が対策を立て強制しないかぎり、労働者の健康と寿命のことなど何も考えていない。》(マルクス ツイッターbotより)


さて、少し前に戻って、ジジェクの言葉、《「幸福を追求し、私有財産をもつ権利」 とは、盗む(他人を搾取する)権利である》と引用したが、これは次のフロイトの言葉がベースになっているはずだ。


人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛本能が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃本能も含まれていると言っていいということである。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在である ばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でもあるのだ。「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。通例この残忍な攻撃本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人――の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件までを想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 469頁)

ラカンはこの文の一部の抜き出して、次のように語っている。

もし私が諸君にどこからこのテクストを抜き出してきたのかあらかじめ告げていなかったとしたら、これはサドのテクストだと言って通すこともできたかもしれない。(セミネールⅦ)

さあまたしても十八世紀人サド(1740 - 1814年)が現れた。アダム・スミスの言うように、経済学的には《意図しているのは、自分自身の安全と利得だけで》あったにしろ、社会的動物であるわれわれは、他人とかかわらなければならない。そのときなされるのは、

私はきみの体によって享楽する権利を有し、この権利を私は、私が堪能したいと思う気まぐれな濫用ぶりをいかなる限界によっても妨げられることなく、行使するだろう(ラカンによるサドの格率 エクリ 768-769)

これが攻撃欲動の抑圧を解かれた「自由主義」の実態であるに相違ない。

自分自身の心の中にも感ぜられ、他人も自分と同じく持っていると前提してさしつかえないこの攻撃本能の存在こそは、われわれと隣人の関係を阻害し、文化に大きな厄介をかける張本人だ。そもそもの初めから人間の心に巣喰っているこの人間相互の敵意のために、文化社会は不断の崩壊の危機に曝されている。本能的情熱は理性的打算より強力だから、労働共同体の利害など持ち出しても、文化社会を繋ぎとめておくことはできないだろう。人間の攻撃本能を規制し、その発現を心理的反動形成によって抑止するためには、文化はその総力を結集する必要がある。さればこそ文化は、人間を同一視や本来の目的を制止された愛情関係へと駆り立てるためのさまざまな方法を動因し、性生活に制限を加え、「隣人を自分自身のように愛せ」などという、本来をいえば人間の本性にこれほど背くものはないということを唯一の存在理由にしているあの理想的命令を持ち出すのだ、しかし、必死の努力にもかかわらず、これまでのところ文化は、この点大した成果はあげていない。犯罪人を力で抑える権利を自分に与えることによって文化は、血なまぐさい暴力が極端に横行することは防ぐことができると考えている。けれども、人間の攻撃本能がもっと巧妙隠微な形であらわれると、もはや法律の網にはひっかからない。われわれはすべて、若いころの自分が他人に託した期待が幻想だったとして捨て去る日を一度は経験し、他人の悪意のおかげでいかに自分の人生が厄介で苦しいものになるかを痛感するはずである。(470頁)

ところでフロイトは同じ『文化への不満』のなかで、「私有財産」をめぐっても語っている。

私有財産の廃止は有益かとか有利であるとかを検討する資格は私には無い。しかし私にも、共産主義体制の心理的前提がなんの根拠もない幻想であることを見抜くことはできる。私有財産制度を廃止すれば、人間の攻撃本能からその武器の一つを奪うことにはなる。それは、有力な武器にはちがいないが、一番有力な武器でないこともまた確かなのだ。私有財産がなくなったとしても、攻撃本能が自分の目的のために悪用する力とか勢力とかの相違はもとのままで、攻撃本能の本質そのものも変わっていない。攻撃本能は、私有財産によって生み出されたものではなく、私有財産などはまたごく貧弱だった原始時代すでにほとんど無制限の猛威を振るっていたのであって、私有財産がその原始的な肛門形態を放棄するかしないかに早くも幼児の心に現われ、人間同士のあらゆる親愛関係・愛情関係の基礎を形づくる。唯一の例外は、おそらく男の子に対する母親の関係だけだろう。物的な財産にたいする個人の権利を除去しても、性的関係についての特権は相変わらず残るわけで、この特権こそは、その他の点では平等な人間同士のあいだの一番強い嫉妬と一番激しい敵意の源泉にならざるをえないのである。(471頁)

この文には、次のような註が附されている、《自然は、すべての人間に不平等きわまる肉体的素質と精神的才能をあたえることによって種々の不正を行っており、これにたいしてはなんとも救済の方法が無いではないか。》

私有財産を排したら、平和で平等な社会が実現されるというのは疑わしい。

自由主義資本主義における成功あるいは失敗の「不合理性」の良い点は(市場は計り知れない運命の近代版だという古くからのモチーフを思い出そう)、そのおかげで私は自分の失敗(あるいは成功)を、「自分にふさわしくない」、偶然的なものだと見なせるということである。まさに資本主義の不正そのものが、資本主義のもっとも重要な特徴であり、これのおかげで、資本主義は大多数の人びとにとって許容できるものなのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)


仮に自分の低いポジションが「自分にふさわしい」ものだとしたらどうだろう。格差社会では起こらない「怨恨」が、格差のない社会では暴発するというのが、ジジェクやデュピュイ(日本では『ツナミの小形而上学』で著者として名が知れた)の考え方であり、「ヒエラルキー」の仕組みは、社会的下位者が、社会的上位者、特権者に屈辱感を抱かせないシステムとされる。(参照:不平等きわまる肉体的素質と精神的才能


…………

わたしたちは後戻りすることはできない。共同体的社会も社会主義国も、多くはすでに遠い過去のものとなった。ひとは歴史のなかで、自由なるものを知ってしまったのである。そして、いかに危険に満ちていようとも、ひとが自由をもとめ続けるかぎり、グローバル市場経済は必然である。自由とは、共同体による干渉も国家による命令もうけずに、みずからの目的を追求できることである。資本主義とは、まさにその自由を経済活動において行使することにほかならない。資本主義を抑圧することは、そのまま自由を抑圧することなのである。そして、資本主義が抑圧されていないかぎり、それはそれまで市場化されていなかった地域を市場化し、それまで分断されていた市場と市場とを統合していく運動をやめることはない。

二十一世紀という世紀において、わたしたちは、純粋なるがゆえに危機に満ちたグローバル市場経済のなかで生きていかざるをえない。そして、この「宿命」を認識しないかぎり、二十一世紀の危機にたいする処方箋も、二十一世紀の繁栄にむけての設計図も書くことは不可能である。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』)

ーー《ひとが自由をもとめ続けるかぎり、グローバル市場経済は必然である》とある。おそらくこれが現在に生きる大半のひとたちのコンセンサスなのだろう。だが、ここでジジェクの反対意見を挿入しておこう。


◆「スラヴォイ・ジジェク--資本主義の論理は自由の制限を導く
ーー二極化の世界にあっては、資本主義は「自由世界のショーウィンドウ」として自己宣伝し、そうした自由の約束によって魅力のあるものとなっていた。われわれは、平等を否定するだけでなく自由も砕きつぶしてしまうような資本主義へと向かっているのだろうか。

ジジェク:マルクスの資本主義批判は内在的なものだった。彼は、自由な領域を生み出した資本主義が、最終的にはその自由を保障しないというという事実を分析した今後、資本主義に内在するこの論理が自由を制限するほうへ自らを導くだろう。共産主義の終焉、そればかりでなく社会民主主義の終焉によって、消えていくのは、集団的行動によって歴史を変えることが可能だという考えだ。われわれは「宿命の支配する社会 société du destin」へと戻ってしまった。ここではグローバリゼーションが宿命とされる。それを拒否することはできようが、しかしそれを待つ代償は、排除だ。人類が集団的な約束によって生を変えられるのだという考えそのものが、潜在的に全体主義的なものとして非難される。「新しい強制収容所を作るつもりか!」という批判を受ける。私はといえば、綱領も、政策も、単純な「解決」も持たない。左翼はそれ独自の責任を持っている。哲学者として、私の倫理的・政治的義務は、解答を与えることにではなく、神秘化された問題を新しく定義しなおすこと、そして、アラン・バディウ Alain Badiou が「問題の現われる場所 site événementiel」と呼んだところのものを見つけることにある。それは、なんらかの可能性があるところ、何かがあらわれてくるための潜在的可能性のある場所だ。その意味では、私はヨーロッパに対しいかなるユートピア観も抱いていない。同じ一つのシステムの二つの面を象徴する合衆国と中国のつくる軸の外に位置しようという意欲がヨーロッパにはあるにしても。

今はこの対立見解の是非を問わない。ここでは岩井克人の著書を遡行して、だが名著『貨幣論』をすっとばし、岩井克人が三十代に書いた『ヴェニスの商人の資本論』からもうひとつ引用しよう。

資本主義ーーそれは、資本の無限の増殖をその目的とし、利潤のたえざる獲得を追及していく経済機構の別名である。利潤は差異から生まれる。利潤とは、ふたつの価値体系のあいだにある差異を資本が媒介することによって生み出されるものである。それは、すでに見たように、商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業主義と、具体的にメカニズムには差異があっても、差異を媒介するというその基本原理にかんしては何の差異も存在しない。

しかし、利潤が差異から生まれるのならば、差異は利潤によって死んでいく。すなわち、利潤の存在は、遠隔地交易の規模を拡大し、商業資本主義の利潤の源泉である地域間の価格の差異を縮めてしまう。それは、産業資本の蓄積をうながして、その利潤の源泉である労働力と労働の生産物との価値の差異を縮めてしまう。それは、新技術の模倣をまねいて、革新的企業の利潤の源泉である現在の価格と未来の価格との差異を縮めてしまう。差異を媒介するとは、すなわち差異そのものを解消することなのである。資本主義とは、それゆえ、つねに新たな差異、新たな利潤の源泉としての差異を探し求めていかなければならない。それは、いわば永久運動的に運動せざるをえない、言葉の真の意味での「動態的」な経済機構にほかならない。(岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』P59)


《新たな差異、新たな利潤の源泉としての差異を探し求めていかなければならない》のが資本主義の原理だとしても、たとえば二十一世紀は差異が見出しにくくなっている。


グローバリゼーションもインターネットも、言ってみれば、もはや『外部』はないという宣言です。岬を回りこんで新たな海域に出ようとしても、もはや既知なるものとしかめぐり遭えない。(松浦寿輝 古井由吉との対談『色と空のあわいで』(2007年))

さらには柄谷行人は次のようにさえ言う。
資本主義経済そのものが終わってしまう可能性がある。中国やインドの農村人口の比率が日本並みになったら、資本主義は終る。もちろん、自動的に終るのではない。その前に、資本も国家も何としてでも存続しようとするだろう。つまり、世界戦争の危機がある。(第四回長池講義 要綱

これは商業資本利潤の源泉である遠隔地との差異、あるいは産業資本主義の利潤の源泉である農村ー都市人口の差異の消滅を指摘している。さらに革新的企業の利潤の源泉である現在の価格と未来の価格との差異がインターネットの普及で危うくなっているのであれば、のこるは産業資本主義の利潤の源泉である《閉ざされた内部》における労働力と労働の生産物との価値の差異しかない。たとえば非正規雇用形態は、どんな法案を作ってそれを押し留めようとしても、抜け道を探って類似の雇用形態を取り、労働力の価格を引き下げようとするのが、資本(家)の論理である。

これがジジェクの云う、二十一世紀に入って、ベルリンの壁ならぬ新しい壁がいたるところに築かれつつあるという現象の大きな由来のひとつであろう、ーー、《新しい形態のアパルトヘイト=新しい〈壁〉とスラム》(ジジェク『はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)。

ところで、岩井克人は最近「消費税」をめぐって次のように発言している。

・消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。

・日本のリベラルは増税と財政規模拡大に反対する。世界にない現象で不思議だ。高齢化という条件を選び取った財政拡大を。(「アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン」より)

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。

 消費増税は、もちろん短期的には消費に対してマイナスだろうが、法人税減税などと組み合わせれば、インパクトを最小限に抑えることができる。重要な点は、消費増税によって財政規律に対する信頼を回復させ、長期金利を抑制することだ。実際、消費増税の実施が決定的となった昨年9月には、長期金利は低下した。

現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。

このような議論をすると、「1997年に消費税を3%から5%へ引き上げたあと、日本経済は不況に陥ったのではないか」との反論が上がる。しかし当時の景気減退は、バブル崩壊後の不良債権処理が住専問題騒動で遅れ、日本が金融危機になったことが主因である。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻は、小さな規模のリーマン・ショックだったのである。

また、「消費税は弱者に厳しい税だ」という声も多い。だが、消費額に応じて負担するという意味での公平性があり、富裕層も多い引退世代からも徴収するという意味で世代間の公平性もある。たしかに所得税は累進性をもつが、一方で、「トーゴーサン(10・5・3)」という言葉があるように、自営業者や農林水産業者などの所得の捕捉率が低いという問題も忘れてはいけない。(「剥き出しの市場原理と猖獗するネオナチ」より)

この見解に賛同するか否かは問わない。だが世界一の少子超高齢化社会で、極めて低い消費税率(あるいは国民負担率)のままでありえるのかーーいやそんなことはありえるはずがない、と私のようなシロウトは考えてしまうが、そうでない見解も経済学者のなかにはあるようだーーは、それぞれ、とくに日本のリベラルは、もう少し問うたほうがいいのではないか。わたくしは今のところ次のような見解を信頼したい。

@kazikeo: 私は「消費税引き上げの影響は存外に大きい可能性がある」という見方です(植田和男先生とたぶん同じ)。ただし、目先の景気と将来の負担との比較の問題で、目先の痛みは大きいとしても、それをしなかったときの将来の痛みはもっと大きいと考えています。(池尾和人)
消費税率10%への引き上げ見送りが、日銀の政策への最大のリスクになる(黒田東彦日銀総裁インタヴュー

あるいは田中康夫のような問い、《前から言ってるけど、人口構造も逆ピラミッド状態で、制度をいくらいじったって、年金制度が維持できる訳もない今、ベーシック・インカムのようなドラスティックな方法を取る必要があると改めて痛感するね》(「憂国呆談」)でもよい。それがないままで、目先の貧困者擁護などを口実に、いつまでも二十年来の反復である消費税反対の態度でよいのだろうか。むしろそれは、なしくずしに財政逼迫を促進し、困窮者の首をいっそう真綿で絞めることにならないのだろうか。


国民負担率の国際比較




日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」

上で岩井克人のミルトン・フリードマンの「投機」理論批判を紹介したが、たとえば消費税を十五%から二十%にするという前提で(ベーシックインカム制度の実現可能性やその効用が疑わしいとするならば)、フリードマンの「負の所得税」案を視野におけないものか。それは富裕層や引退層から困窮層への資金移転となりうるだろう。もっとも最近の経済理論にはまったく疎い者の云う「思いつき」の範囲を出ないのは重々承知しており、財源の試算もしていないが(「子育て世帯臨時特例給付金」制度は、それは「臨時」であり小粒でありながら、類似した試みなのではないか)。

負の所得税とは所得に関係なく一定の税率を一律にかけ、 基礎控除額を定めることでそれを上回った者から所得税を徴収し、下回った者は逆に所得に応じた負の所得税を払うものである。負の所得税とはすなわち政府からの給付金である。

基本税率 40 パーセント、基礎控除額が年収 200 万円だとすると 年収 1000 万円の者は基礎控除額を超過している 800 万円が課税対象となり 40 パーセントの 320 万円を所得税として支払う。
年収 200 万円の者は基礎控除額を上回りも下回りもしないため所得税を支払わない。

年収 100 万円の者は基礎控除額 200 万円を 100 万円下回るためマイナス 100 万円が課税対象となり、40 パーセントのマイナス 40 万円を支払う。つまり政府から 40 万円を受け取る。この 40 万円が負の所得税である。

つまりまったく収入が無い者はマイナス 200 万円の 40 パーセントである 80 万円を受け取ることになり、これが最低レベルの所得の者に支払われる生活保護額となる。(「再分配方法としての負の所得税」ネット上PDFよりーー「民主主義の始まり」より)

ーーここで例に挙げられている数字は、いささか富裕層の所得への過剰な課税であるだろう。それをもうすこし抑制し、その代わりの消費税増という考え方である。

もっとも、上に引用したDIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」では、ベーシックインカムや負の所得税とは関係なしに、財政再建と社会保障費維持のための、楽観的なシナリオとして消費税25%案が示されている。

しかも、ここで消費税率25%とは、かなり控えめにみた税率である。①医療や介護の物価は一般物価よりも上昇率が高いこと、②医療の高度化によって医療需要は実質的に拡大するトレンドを持つこと、③介護サービスの供給不足を解消するために介護報酬の引上げが求められる可能性が高いこと、④高い消費税率になれば軽減税率が導入される可能性があること、⑤社会保険料の増嵩を少しでも避けるために財源を保険料から税にシフトさせる公算が大きいこと――などの諸点を考慮すると、消費税率は早い段階でゆうに30%を超えることになるだろう。

このプロジェクトを取り仕切った元財務次官、日銀副総裁の武藤敏郎氏のインタヴュー記事でも、消費税20%が語られている→ 「2013年9月12日 「中福祉・中負担は幻想」 武藤敏郎氏

…………


最後に、上の文脈からはすこし毛色の異なる中井久夫の文章を引用しておこう。

中井久夫によれば、精神医学史家であると同時に犯罪学者でもあるエランベルジェ(エレンベルガー)は、犯罪学と医学が科学でない理由として、疾患の研究、犯罪の研究からは「疾患は治療すべきであり、犯罪は防止すべきであるということが理論的に出てこない」ことを強調している。すなわち、彼によれば、犯罪学と医学は「科学プラス倫理」である、と。

だが中井久夫はこの文に引き続き、医学はまず倫理的なものであるが、それでは不十分だ、とする(「医学・精神医学・精神療法は科学か」『徴候・記憶・外傷』所収)。

少なくとも、もう一点で、医学は科学と相違する。それは、囲碁や将棋が数学化できるかどうかという問題と本質的に同じである。囲碁や将棋は数学化できない。それは、科学とちがって徹底的に対象化することのできない「相手」があるからである。「対象」ではなく「相手」である。わかりやすいために、殺伐な話だが戦争術を考えてみるとよい。実験的法則科学はいつも成立しなければならないが、「必ず勝てる」軍事学はない。もしできれば、人間に理性がある限り、戦争は起こらない。それでも起これば、それは心理学か犯罪学という「綜合知」の対象である。経済学でもよい。インフレやデフレなどの経済学的不都合を絶対に克服する学ではなく、その確実な予測の学でさえない。これらが向かい合うものは「相手」である。科学は向かい合うものを徹底的に対象化する。そしてほどんどつねに成り立つ「再現性のある」定式の集合である。対象化と再現性は表裏一体である。すなわち、「相手」が予想外に動きをしては困るのである。ところが、囲碁や将棋や戦争術は相手の予想外に出ようとする主体間の術である。なるほど、経済学は、常に最大利益を得ようとして行動する「経済人(ホモ・エコノミクス)」というものを仮定しているが、これは人工的な対象化であって、経済学が経済の実態の予測を困難にしている一因である。それは、経済学の対象すなわち経済行動を行う人間の持つ、利益追求の欲望以外の心理学的要素の大きさを重々自覚しながら、これを数理化できないために排除しているからである。つまり、科学的であろうとする努力が経済学をかえって現実から遠ざけてきた。現在、むき出しの「市場原理」が復権をとげている。「市場原理」ならばローマ時代、いや太古からあった。(186頁)


2014年3月16日日曜日

犬のお尻にほれてしまえば、 犬のお尻もばらの花

以下の文は、前回引用された、ルソー『エミール』の三つの格率ーーそれになんとか結びつけようと当初は考えたプルーストの「同情」をめぐる叙述だが、やはりそんなオロカな真似はやめて(だがいささかの痕跡は残して)、ほぼ純粋に文章を楽しむことにする。

《われわれのすぐそばで日々の生活の卑俗さのなかにいる連中よりは、よく知らぬ人々、想像に描く人々のほうに、われわれはより多くの同情をよせる》(失われた時最終巻「見出された時」)

あるいは、《彼女から遠く離れている人間の不幸ほど彼女のあわれみをそそったことを私は知った。》(失われた時第一巻「スワン家のほうへ」)

ーーここでキルケゴール=ジジェクを挿入しておこう。

《I admire Kierkegaard — he was a genius. Do you know what he said about the idea of "love thy neighbor?" You should take it literally. You should love your neighbor as if he were already dead, because the only good neighbor is a dead neighbor.》

…………

プルーストの小説『失われた時をもとめて』の主要登場人物シャルリュス男爵は当時の仏国で屈指の名門家系の出として設定されている。成り上がりのブルジョワたちを嘲弄するとともに、《憐憫の情が深く、相手が敗北者だとわかると胸が痛む》つねに弱者の味方である人物として描かれている。下記に引用される文は第一次世界大戦時の叙述であり、その前後の文章から、ブルジョワたちの権勢の猖獗が顕著になった時代だと読むことができる。シャリュリス男爵の心の内では、成り上がり者たちは、かつての社交界で君臨した花形のポジションを奪ってしまった手合いであり、彼は《時代から取り残されている》。シャルリュス男爵は己れの係累に属するものたちが戦争の成行きの決定権をもった「タレーランやウィーン会議の伝統」に郷愁を抱く人物なのだ。《世俗的な社交界の雰囲気のなかから、歴史と、美と、絵画性と、諧謔と、はなやかなエレガンスをふくむ、一種の詩情をひきだすことのできた詩人》として振舞っていた彼を社交界はもはや必要とはしてない。

他方、成り上がり者たちは、政財界や軍部にわたりをつけて情報提供者として会話の花形となっている。新聞発表以前に知りえた政府の公式発表を参列者に告げ得る役割を担っているのだ。

《一般の人が翌日またはもっとおそくでなくては知らないことを、せめて電話でなりとも、きいてからでなくては、誰一人として眠れなかったであろう》とは、かつてはたかだか芸術愛好家のサロンの女主人にすぎながった新興ブルジョワのヴェルデュラン夫人やそのまわりの者たちの様子だが、電話をするのは、総司令部のしかるべき高官のところにである。

下に書かれるシャルリュス氏が憐憫の情を振り向ける相手は、敗北者とあるように、《自分より同情すべき人》であり、かつ名門貴族の格式が地に堕ちたことが明らかである当時は、己れを《自分もそれを免れていない》(ルソー 第二格率)敗北者とひそかに感じていたということがいえるかもしれない。それ以外にも、もちろん、倒錯した男色家としてソドムの館に出入りする男爵には「刑を宣告された人間の苦悩で骨身をけずられ」る要因は、充分にある。シャルリュス男爵は、いかがわしいホテルに入りびたって、人殺しの牛乳配達とか、外国人の自動車運転手とかいった「下層社会の人間」たちの、ときに「残忍性が足りない」と思われもする鞭の一撃に裸身をさらすという快楽にふけっているわけだから。ーー《「あの子がいては言いにくかったものだからね、あれはたいへん素直で一所懸命やってくれる。だが残忍性が足りないと思うんだ。顔は気に入った、だが教えられたことを復習するような調子で、ぼくを極道と呼ぶんだよ。」――「とんでもない! 誰もひところも教えてはいませんよ」とジュピアンは答えたが、そんな言いわけがいかにもうそのようにきこえることに気づきはしなかった。》


……シャルリュス氏は、憐憫の情が深く、相手が敗北者だと思うと、胸が痛むのであった、彼はつねに弱者の味方だった、彼が裁判の諸記録を読まないのは、刑を宣告された人間の苦悩で骨身をけずられたくないからであり、裁判官と、刑の執行者と、「裁きがおわった」のを見てよろこぶ群衆とを、一思いに殺してしまえないことで骨身をけずられたくないからだった。いずれにしても、彼にとってたしかなのは、フランスがもはや敗北しそうもないということであり、逆に、彼にわかっているのは、ドイツが飢えに苦しみ、早晩無条件降伏をしなくてはならないだろうということであった。この考もまた、彼がフランスに生きているという事実によって、彼にはいっそう不愉快なものになるのだった。ドイツの思出は、なんといっても彼にとってははるかに遠い過去であり、それにひきかえ、フランス人たちときたら、彼に不快な思いをさせるようなよろこびようでドイツの壊滅を語っていて、彼にはその欠点が見えすいている連中、反感をそそる面構えの連中ばかりなのだ。そんな場合、われわれのすぐそばで日々の生活の卑俗さのなかにいる連中よりは、よく知らぬ人々、想像に描く人々のほうに、われわれはより多くの同情をよせるのである、といっても、そのとき、われわれがまわりの連中に完全に同化し、彼らと一体でしかないというならべつで、愛国心はよくあのような奇蹟をなしとげるのであり、人は恋のあらそいで自分の立場をまもるように、自分の国をまもるのである。(プルースト「見出された時」 井上究一郎訳 文庫 p154)

もっとも《われわれのすぐそばで日々の生活の卑俗さのなかにいる連中よりは、よく知らぬ人々、想像に描く人々のほうに、われわれはより多くの同情をよせる》と書かれたあと、すぐさま《われわれがまわりの連中に完全に同化し、彼らと一体でしかないというならべつ》とあることにも注目をしておこう。これはラカン派文脈なら「想像的同一化」と呼ばれるものだ、


《よく知らぬ人々、想像に描く人々のほうに、われわれはより多くの同情をよせる》をめぐっては、冒頭に抜き出したように、プルーストの長い小説の第一巻「スワン家のほうへ」に家政婦フランソワーズの描写に似たような叙述がある(最終巻「見出された時」と第一巻は、草稿研究によればほぼ同時期に書かれたとされる)。

たとえばレオニー叔母はーーこのころ私がまだ知らなかったことだがーーフランソワーズがその娘や甥たちのためなら惜気もなく命を投げだしたであろうのに、他人には奇妙に冷酷であることを知っていた。にもかかわらず、叔母はフランソワーズを家にひきとめていた、というのも、フランソワーズの冷酷さは知りながら、その奉公ぶりを買っていたからだ。私にすこしずつわかったことは、フランソワーズのやさしさ、悔いあらため、さまざまな美徳が、下台所のさまざまの悲劇を秘めていたことで、教会のステーンド・グラスのなかに合掌した姿で描かれている王や王妃の治世が血なまぐさい事変に色どられたことを歴史があばくのと似ているのである。身内のものを除けば、彼女から遠く離れている人間の不幸ほど彼女のあわれみをそそったことを私は知った。新聞を読んでいて、彼女が見知らぬ人たちの不幸に流すおびただしい涙は、すこしでも明確に当人を思いうかべることができると、たちまちとまってしまうのであった。下働の女中がお産をしてからあとのある夜なかに、この女がはげしい腹痛に襲われた、ママはその悲鳴をきくと、とびおきて、寝ているフランソワーズを起こしたが、フランソワーズは平気で、そんな泣声はみんなお芝居だ、「奥さまぶり」たいのだ、と言いはなった。そういう発作をおそれていた医師は、私たちの家にそなえてあった医書のその症状が記載されているページにしおりをはさんで、最初にどんな手当が必要であるかを知るときに参照するようにと教えてくれていた。母はしおりを落とさないようにと注意をあたえながら、フランソワーズにその医書をさがしにやった。一時間経ってもフランソワーズはもどってこなかったので、腹を立てた母は、フランソワーズがまた寝てしまったのだと思い、私に自分で本棚のことろへ見に行くようにといった。私はそこにフランソワーズがいるのを見つけたが、彼女はしおりがはさんであるところをひらき、その発作の臨床記述を読んでいて、そこに出ている彼女が知りもしないあるモデル・ケースの病人の身の上に声をあげてすすり泣いているのであった。解説書の著者が挙げている苦しい徴候の一つ一つに彼女は大きな声をあげていた、「なんとまあ! 聖女さま、そんなことがあるのでしょうか、神さまが不幸なひとをこれほど苦しめようとなさるなんて? ああ! かわいそうなひと!」

ところが、私に呼びとめられ、ジョットーの慈悲(下働きの女中のあだ名、スワンの命名による:引用者)のそばにもどるやいなや、フランソワーズの涙はたちまち流れなくなった。彼女のお手のものであり、彼女が新聞を読んでいてしばしばそそられた、あわれみと涙もろさのあの快い感覚も、またそれど同系統のどんなたのしさも、真夜なかに下働の女中のために起こされたというにくらしさといらだたしさで、何一つ感じることができず、さきほどの記述にあったのとおなじ苦しみを目のまえにしながら、彼女はおそろしいあてこすりさえまじった不機嫌な小言を口にするだけであった、そして自分のいうことが部屋を出ていった私たちにもうきこえるはずがないと思ったとき、彼女がいったのはこうだった、「この女もあんなことさえしなければこうはならなかったのに! さんざんおたのしみをしたのだからね! いまさらもったいぶるのはごめんだよ! とにかくこいつといっしょになったために、あたら若い男が一人神さまから見はなされなくてはならなかったのだもの。ああ! 死んだ母さんの田舎の言葉でよく人がこういっていた、

犬のお尻にほれてしまえば、
犬のお尻もばらの花。」(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳 厚表紙版 P154-159)

…………

シャルリュス男爵のブルジョワ侮蔑、その成り上がり者批判に戻れば、成り上がり者といえば、関西人にとって関東、あるいは東京人は成り上がりものという意識がいまだどこかにあるのかもしれない。わたくしが比較的よく読む「穏和で品位高い」奈良盆地生まれで神戸に住む中井久夫の文章には、その侮蔑の毒をほのかに垣間読める、--いや時にそういう錯覚に閉じこもることができる。

現地は精神科医はもう間に合っているようだということを厚生省の現地本部は中央へ報告しているが、これは人間の疲労度を知らない話である。最初の三日間というのは大体食料補給無しで頑張ってるが、被災地で自己激励してやれるのは三日であり、三日以後になると過剰な自己激励で躁状態になり、ついには躁病になり急に鬱に転じて自殺した人も残念ながらいないわけではない。だいたい三日経つと視野狭窄が起こり、とにかく目の前の仕事をやるというふうになってくる。それで頑張れるのが七日で、七日目になるとやはり士気の低下が目立ってくる。

私はこの時に九州の大学にとにかく緊急に来てくれと要請した。どうして九州かというと、九州人というのはこういう時、理屈をいわないであろう、助けてくれといって断らないだろうというのが私の読みであった。おそらく東京だと大会議を開くのではないかと思った。これはたいへん失礼な推測だがやはりそうであった。

九州は「二時間後に送る」「一切の費用は自己負担でやる」「費用は君達に心配かけない」と言ってきた。このことの最大の効果は、とにかく援軍が来る、そう聞くと残ったスタミナを安心して使い果たせるのである。(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」ー「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない」より)



◆「微視的群れ論」(中井久夫 『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕より)


雑踏・人の流れ


神戸の町を歩いていますと、人間と人間の間隔が広いということを感じます。元町通りなんていう繁華街でも、人間と人間とのあいだが透けて見えるんです。神戸にも多少のラッシュアワーはありますが、東京のようなラッシュアワーではない。みな次の電車を待ちます。無理して乗らない。

都市それぞれには定数のようなものがあって、大阪に行けば、大阪ってなんて人が多いんだろうとぼくらは思うし、東京に来ると、さらにさらにそう思います。ぼくは東京で神戸にいるときのように行動するかというと、そうではないですね。定数に応じて行動形態が違ってきます。東京では雑踏のなかに身をゆだねます。しかし、神戸なら、誰もそういうゆだね方をしないし、私ももとよりです。こういう混み合いのかたち、あるいはどの程度の混み合いとするかというのは、場所によって違うんですね。私は、それぞれの町によって、自分が変身する、群れのなかで自分が変身していくということを感じますね。私だけではないでしょう。

(……)

東京や大阪の雑踏をただちにアジア的雑踏と言っていいのかどうか、わからないですけれども、インドネシアのバンドンという古い町に行ったわずかな経験ですが、そこは一人か二人歩けるぐらいの市場なんです。両側はぎっしり店で、商品が両側にそそり立つ中を人が行くんだけれども、その中に入ってしまえば、それほど苦痛ではない。それなりに楽しいものなんですね。むろん、その時に自分のペースを主張しすぎると、それは大変な苦痛ですね。

両側の店の人が声を掛けてくるし、前も後ろも人が詰まっている。ある人は突然閉所恐怖に襲われるかもしれないけれども、水泳と同じで、いったん水に入って馴染んでしまえば何ということはない。ある臨界線さえ通りこえれば何ともないわけです。夜店の雑踏をうんとつめ合わせたようなものですね。

さて、こういう定数の違いは国単位なのか、都市単位なのか。都市単位でしょうね。人間がつくった都市というのは、エルサレムでも何でもそうですけれども、千年単位でもちます。しかし、国というのはそんなにもちませんね。日本も、応仁の乱あたりで一編切れたと考えてもいいぐらいだと、司馬遼太郎さんは言っておられるけれでも、都市というのはしぶとい。

私は、二十八歳ぐらいではじめて東京に出てきたんですけれども、東京の知識人というのは、時間が明治維新から始まるんですね。関西では、明治維新というのは、ある過程の中のひとつの中間駅にすぎないんだけれどもーー。始まりというのは、だいたい織田信長から徳川家康あたりです。あのあたりから「現在」なんだという意識ですね。ぼくは東京に出てこんなに明治維新が大きな比重をもっているのかと思って、非常にびっくりしたものです。

実際、京都の町並みなどは、江戸の中期のものを反映しています。奈良と和歌山にある私の両親の実家も、私が子どものときに二百五十年たっていた家でしたから、二百五十年までは実在感、連続感、現在感があったわけです。たしかにそこから先は茫漠としています。しかし、島根県とか兵庫県の播磨のあたりみたいに戦乱がないところだと、鎌倉時代まではすっと行ってしまうらしい。

私は行ったことがないけれども、エルサレムなんていうのは、ここをキリストが歩んだという石畳が残っていて、オリーブの園も残っている。二千年前の当時としては小さな事件の跡が生きている。つまり、都市それぞれの歴史に、人間を方向づけるような歩き方から、振る舞い方、人間と人間の距離の取り方までを、規定するところがあるという気がしますね。当然かな。

だから、ある町に引っ越していって溶け込めるかどうかということも、そういうことと関係しているのではないかな。田舎の何とかという町へ赴任したけれども、さっぱり溶け込めないといっても、溶け込むとはどういうことをいうのか。その町の重要人物と知り合いになって付き合うことですか? 土地の人がそうしているかというと、べつにそういうことはないですね。ある村に生まれついて、村の指導者層とは全然付き合いがなくても、では溶け込んでないと言えるかどうかというと、そうじゃないですね。もっと都市固有のリズムとか時間とか、あるいは匂いとか、肌ざわりとか、そういうものに、うまく乗るかどうかというようなことなんでしょうね。

日本人論なんかのなかには、その人が育ったところが日本だと思っているようなところがあって、「ぼくも日本にいるけれども、そうばかりは言えないよ」ということが、それぞれいっぱいあるのではないでしょうか。

アジア的雑踏ということに関して、大阪というと、大阪――台北――シンガポールというように連続するものがあるだろうと思うんです。大阪の雑踏はアジア的雑踏といえても、東京の雑踏というのはどうなんでしょうか。

私が東京にいたころと、いまの東京の雑踏とは、ちょっと違うかもしれません。東京という都市は、オリンピックから変わったのかな。

私は、一九六四年ぐらいから七五年までいましたから、ちょうど変わるときを見ていたんだけれども、東京だろうが大阪だろうが戦後のヤミ市の雑踏は、まさにアジア的雑踏だったと思います。これは記憶にありますよ。一九八〇年にバンドンに行って、自分の少年時代に再会したという感覚をもちましたね。ほっとして、気がゆるんだくらいです。










2014年3月15日土曜日

差別と同情をめぐっての小断想

差別的言動に苛立つとき、――わたくしの場合だがーー、あんなことをするのは恥ずかしい、「常識」に反する、と思い立って苛立つこともあり、差別をうけた者に同情、あるいは「同一化」し、あんな目にあったらたまらないと感じ、苛立つこともある。

第一の「常識」に反するとは、ある「社会的規範」から見て明らかに恥ずべきだと感じる場合だ。


もう二十年前のことだが柄谷行人が岩井克人との対談で次のように語っている。


柄谷)アメリカには現に多数のレイスが共存しているのだから、レイシズムは確かにあるし、陰では悪口を言うかもしれないけれど、けっして公言できませんね。

日本では「けっして公言」できないはずのことが、安易に「公言」されてしまうのは、日本は村社会的な共同体であるから、というのがこの二人の論旨だ。

岩井)ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ。日本のコマーシャルに典型的に出てくるあの白人崇拝というのが、逆方向のレイシズムでしょう。アジア蔑視、白人優越主義の裏返しですよね。もちろん、いろいろな肌の色の有名人も出ますけれど、それは有名人だからなだです。つまり下士官根性の現われなわけですよね。上に媚びて、下に威張るというね。明治以来、日本は常にそうだったと思うんですね。そして、それと同時に、白人もふくめた意味での外人排斥的なレイシズムもある。(柄谷行人 岩井克人対談集1990『終りなき世界』

いまでは日本だけでなく、外人排斥的なレイシズムは、西欧諸国にも自国民中心主義の国を中心に猖獗しているということを知らないわけではない。米国の事情が変わりつつあるのかどうかは判然としないが、《移民を受け入れ、国の中にあらゆる民族がいて、しかも商品も資本もかなり自由に行き来できるというアメリカ》としてはあり続けているだろう。


さて冒頭に書かれた二番目のほう、「差別をうけた者に同情する」というのに関しては、ルソーの『エミール』から《三つの格率》をまずは引こう(より詳しくは、「みにくさはたやすく美しくなるような顔立ちにおいていっそうよく目立つ」にその前後が引用されている)。

第一の格率】:人間の心は自分よりも幸福な人の地位に自分をおいて考えることはできない。自分よりもあわれな人の地位に自分をおいて考えることができるだけである。

第二の格率】:人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。

第三の格率】:他人の不幸にたいして感じる同情は、その不幸の大小ではなく、その不幸に悩んでいる人が感じていると思われる感情に左右される。

これは同情や憐れみのメカニズムについて核心をついている主張と思われるが、ただし「第二の格率」に関しては、そうでないときもあると思う。自分が「まぬがれている」と考えている他人の不幸をも憐れむ」のはかなりの人がそうであろうと憶測する。これは第一の苛立ちのときに書かれた「規範」や「常識」に反している言動に襲われた被害者に同情することにかかわるように思う。

フロイトの『集団心理学と自我の分析』からひいてみる(旧訳からなので、「同一視」は「同一化」として読もう)。

同一視の場合は、対象は失われているか、放棄されてしまっている。そのとき対象は自我の中で再建され、自我は失われた対象の手本にしたがって、部分的に変化する。ほれこみの場合には、対象は保たれており、そのまま自我によって、自我を犠牲にして過大評価(過剰備給)される。しかしこれについても疑念がある。同一視が対象備給の放棄を前提とするのは、いったい確実なことなのだろうか、保持された対象にたいする同一視はありえないのだろうか、この微妙な問題の論議に入る前に、われわれには、すでに次のような洞察がほのぼのと開けてくる。つまり、他の二者択一、すなわち、対象は自我のかわりになるのか、それとも自我理想のかわりになるのか、という問題がこの事態の本質をふくんでいるという洞察である。(「フロイト著作集 6」P229)

ここに書かれている《対象は自我のかわりになる》というのがルソーの「第二格率」における「憐れみ」のよってきたるところであり、《「自我理想」のかわりになる》というのが「規範」によって憐れむということになるのではないか。自我理想はなにも人物でなくても「理念」でもよいのだ。


この機制はのちにラカン派により、「想像的同一化」と「象徴的同一化」として整理された。

・想像的同一化とは、われわれが自分たちにとって好ましいように見えるイメージへの、つまり「われわれがこうなりたいと思う」ようなイメージへの、同一化である。

・象徴的同一化とは、そこからわれわれが見られているまさにその場所への同一化、そこから自分を見るとわれわれが自分にとって好ましく、愛するに値するように見えるような場所への、同一化である。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)

《自分たちにとって好ましいように見えるイメージ》というのはここでの文脈上はいささか齟齬があるとするならば、ジジェクはこうも書いている、《想像的同一化においては、われわれは類似のレベルで他者を模倣する》――これならルソーの第二格率、《人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ》をいささか「翻訳」すればほぼ合致するだろう。すなわち、ふとした弾みで自分も同じような目に遭遇するだろうという想像力によって、あるいはかつて己れが同じような境遇にあったことを想起することなどによって。


フロイトはナルシシズム型の対象選択のあり方を三つ挙げている(『ナルシシズム入門』)。これが「想像的同一化」にかかわるものだ。

・現在の自分(自分自身)
・過去の自分
・そうなりたい自分


さて「象徴的同一化」、すなわち「自我理想」にかかわる憐憫についてももうすこし捕捉しよう。

<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、私が憧れ、現実化したいと願う理想である。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

※象徴的同一化の悪魔的側面は「無能な主人」という記事にいくらかのメモがある。


ここで敬愛する「知識人」のひとり加藤周一の例を挙げれば、氏はあきらかに「自我理想」の人間、――ここではフロイト文脈で自我理想≒超自我とするならーー、「超自我」の人間としてよい(ジジェク文脈では、超自我と自我理想は異なる。その整理の仕方のいくらかは、現代の「病的ナルシスト」たち、あるいは「母なる超自我」と「内的な自由」」にメモされている)。

加藤周一は、その自伝『羊の歌』にて、《なんのために、遠い国のみたこともない子供たちのことを、私は気にするのであろうか。――その「なんのために」に、私はみずからうまい返答を見出すことができない。》と自ら問うている。あるいはまた《彼らが気になるという事実がまずあって、私がその事実から出発する》と(「「なんのために」ーーー加藤周一『羊の歌』より」)。

遠い国で爆撃で死んだり餓死したりする、みたこともない子供たちを気にするのは、「象徴的同一化」にかかわるものばかりではないだろう。ひょんな切っ掛けでたちまち死すべき運命にある人間の悲哀に対する「想像力」、加藤周一の戦争体験などといったものから出てきている面があると推測するならば、「想像的同一化」にもかかわる。

象徴的同一化にかんしては、フランスユマニズムの思想、あるいは自我理想としての「渡辺一夫」があるはずだ、「天から降ってきたような渡辺助教授」(加藤周一『羊の歌』)

大江健三郎も20歳の時に渡辺一夫の集中講義を初めて駒場で聞き、 「人生の目的を達した」と思ったとしている。 (「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」)

差別に苛立ったり、被差別者を憐れんだりする場合、この加藤周一の例によって推測されるように象徴的同一化と想像的同一化が綯い交ぜになった場合もあるし、どちらかが主要になっている場合もあるだろう。

ーー今こんなことを書いているのは、浦和の『JAPANESE ONLY』について、わたくしが苛立ったのは、まずは「象徴的同一化」、ようするにあんなことをしたら世界に恥ずかしいという「規範」からの苛立ちだったことが大きいな、という感慨を持ったからだ。

ところでセルジオ越後氏がすばらしい文章を書いている。「一方的な世論が出来上がっている」ことについての諌めの個所も傾聴に値する。フロイトの次の文をもフォローする発言であると思う。

《特定の個人や制度にたいする憎悪(愛、嫉妬、羨望などでもよいだろう:引用者)は、それらにたいする積極的な依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こすであろう》(フロイト「集団心理学と自我の分析」)

8日に行われたJ1第2節の浦和対鳥栖戦で、『JAPANESE ONLY』という横断幕が掲げられた問題に対し、Jリーグが13日に処分を発表した。

 内容は、けん責と、23日の清水戦を無観客試合で開催すること。無観客試合はJリーグ史上初めてのことだ。浦和自身も、15日に行われる広島戦以降、リーグ戦、カップ戦、ホーム、アウェーを問わずすべての横断幕、旗類の掲出を禁止したという。

 人種差別行為が言語道断であるのは間違いない。僕は日系ブラジル人2世だから、余計によく分かっているつもりだ。差別のない国なんて世の中に存在しないし、動物である人間の本能として、自分の群れ以外に警戒心を示す、新しい血を拒むというのもあるだろう。悲しいがこれは事実だね。

『JAPANESE ONLY』という幕がどのような意図で掲出されたものかは分からないが、その掲出意図に関わらず、差別的であると受け手に判断されるものだったことから、今回の処分に至った。巷の声も、「重い罰を」というものが大半だったと思う。他のファンやサポーターの意見、海外も含めたメディアの反応もあって、村井チェアマンは強い態度と罰を示したのだろう。人種差別に対する意志としては妥当なところだ。

 ただ、一方的な世論が出来上がっている中で、一つ言っておきたいこともある。僕は浦和の内部事情も、ゴール裏の雰囲気も知らない。だからあの幕の意図も想像しえない。あくまで客観的な事実だけで見れば、どの国の誰に向けられたものかもはっきりせず、「日本人選手だけのチームになってほしい」という希望の表出と捉えることもできなくはない。サッカーのことを全く知らない裁判官が裁いたら、判定はどうなるかな。スペインのアスレティック・ビルバオはバスク人だけで構成されているチームだけど、彼らが「オレたちはバスク人だけ!」と主張したところで、何も差別ではないよね。つまり、「JAPANESE ONLY」という言葉自体に罪はないということだ。
  
 慌てふためいたJリーグは無観客試合の処分を下し、非難轟々の浦和はすべての装飾品の掲出を禁止した。これで何かの解決になるのだろうか。本当の問題はどこにあるのか。

 これから「JAPANESE」とか「日本人」という言葉を使う時は、みんなビクビクするだろう。問題が必要以上に大きくなり、社会主義国の言葉狩りのようになってしまうのではないか、そんな心配も生まれる。いずれにせよ、この一件は損以外の何ものでもないね。(【セルジオ越後コラム】浦和レッズへの処分に思う、これで何の解決になるのか

 …………



ここまでは差別する側の心理的機微については触れられていないが、最後に附記的に次の文を引用しておこう。むしろよりいっそう問われるのはこちらのほうだろう。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがまずない。差別された者、抑圧されている者がしばしば差別者になる機微の一つでもある。(中井久夫「いじめの政治学」)

「いじめの政治学」は、『アリアドネからの糸』に収められているが、初出は「講座『差別』弘文堂 1997」とのこと。


《差別された者、抑圧されている者がしばしば差別者になる機微の一つでもある》とあるが、『闘争のエチカ』1988には柄谷行人の《いじめている者も、 ふっと気づくといじめられている側に立っている》とあって、その機微の由来が書かれている。


柄谷) ……欲望とは他人の欲望だ、 つまり他人に承認されたい欲望だというヘーゲルの考えはーージラールはそれを受けついでいるのですがーー、 この他人が自分と同質でなければ成立しない。他人が「他者」であるならば、蓮實さんがいった言葉でいえば「絶対的他者」であるならば、それはありえないはずなのです。いいかえれば、欲望の競合現象が生じるところでは、 「他者」は不在です。

文字通り身分社会であれば、 このような欲望や競合はありえないでしょう。 もし 「消費社会」において、そのような競合現象が露呈してくるとすれば、それは、そこにおいて均質化が生じているということを意味する。 それは、 たとえば現在の小学校や中学校の「いじめ」を例にとっても明らかです。ここでは、異質な者がスケープゴートになる。しかし、本当に異質なのではないのです。異質なものなどないからこそ、異質性が見つけられねばならないのですね、 だから、 いじめている者も、 ふっと気づくといじめられている側に立っている。 この恣意性は、ある意味ですごい。しかし、これこそ共同体の特徴ですね。マスメディア的な領域は都市ではなく、完全に「村」になってします。しかし、それは、外部には通用しないのです。つまり、 「他者」には通用しない。

2014年1月27日月曜日

「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」

《なぜ私たちではなくあなたが?》(神谷美恵子「らいと私」 )

《私が今彼らではないのは,たまたま偶然にそうなのにすぎないのではないか。 》(小田実「人間・ある 個人的考察」 )

「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」と御子息の一人が口走ったように、彼女の家族であることも希有な難行である。(中井久夫「書評『神谷美恵子』江尻恵美子著」

まだ父親ならいいだろう、だが母親がこのような考えをもつとき、それはことさら辛いことだ。

《愛の基本的モデルは、男と女の関係ではなく、母と子供の関係に求められるべきである。》(『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』 Paul Verhaeghe)

一般に女児の場合は父親を愛するようになると言われるが、原初の愛の関係はやはり母への愛にある。

人間の幼時がながいあいだもちつづける無力さと依存性……。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我の分化が早い時期に行なわれ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない、愛されたいという要求を生みだす。(フロイト『

制止、症状、不安』 フロイト著作集 旧訳)

愛されたいという要求は、われわれの原トラウマのようなものだ。それを否定してもはじまらない。巷間で「承認欲求」などといわれるものの起源はここにある。もちろん上っ面なだけの「承認欲求」もあるが(参照:承認欲望と承認欲動)。

もう少し核心箇所を抜き出そう。これはフロイトの弟子筋であったオットー・ランクの『出産の外傷』批判=吟味としてもある箇所だ。

われわれの出発点はやはり、われわれが理解できると思われる状況であって、それは母のかわりに知らぬ人を見つけた乳児の状況である。乳児は対象喪失の危険についての不安とわれわれに解釈される不安を示す。だがこの不安はいかにも複雑で、立ち入った検討を要する。乳児の不安についてはなんの疑いもないのだが、表情や泣くという反応は、彼が不安のほかに苦痛を感じていることを推定させる。のちには区別されるいくつかのものが、乳児では一緒になっていると思われる。一時的に見えなくなることと、つづいていなくなることが、まだ区別されていない。母が一度目の前から消えると、乳児は、母をもう二度と見られないかのように思いこんでしまう。母がこうして消えてもまだ現われるのだということを、乳児が学ぶまでには、何回も繰り返してなだめられる経験が必要である。母は、だれもが知っている遊び、顔をかくしてまた出してみせてよろこばせる遊戯「いないいないばあ」をして、この大切な知識を乳児に教えるのである。乳児は、いわば絶望をともなわぬ憧れを感ずるようになる。

母の見えないという状況は、乳児の誤解なのであるから、けっして危険の状況ではなくて、外傷的状況である。いやもっと正しくいうと、乳児がこの瞬間に、母を満足させなければならないという欲求を感じていてはじめて、外傷的状況といえるのであり、この欲求が現実でなくなると危険状況に移行するのである。自我がみずからみちびく最初の不安条件は、対象の喪失と同じに考えられる知覚の喪失である。愛情の喪失はまだ現われていない。もっと大きくなると、対象はちゃんといるが、ときどき子供に意地悪をする、という経験をする。そしてこんどは、対象からの愛情を失うことが、新たな永続する危険と不安の条件になるのである。

母を見失うという外傷的状況は、出産という外傷的状況とは、決定的な点でくいちがっている。出産の場合は見失うべき対象がない。不安だけが、この場合に現われる唯一の反応である。その後は、満足の状況が繰り返されて、母という対象がつくられる。この対象は、欲求のあるときは、「思慕」とよばれる強い充当をうける。こうした更新は、苦痛の反応に関係する。苦痛は対象の喪失にたいする元来の反応であり、不安は、この喪失にとうぜんともなう危険にたいする反応であって、さらに対象喪失にとうぜんともなう危険にたいする反応へ移行するものである。(フロイト『制止、症状、不安』)

ーーランクの『出産の外傷』にたいしてフロイトは一時期ひどく讃嘆したらしい。そのアンビバレントな動揺が、この『制止、症状、不安』の他の箇所にふんだんにあるが、最後には、やはり受け容れがたいとつぶやくことになる。その揺れの具合については「部分欲動と死の欲動をめぐる覚書」の最後にいくらかの抜き書きをしているので参照のこと。


なお《母の見えないという状況は》で始まる段落は、フロイトの翻訳の誤まりを積極的に提示されているさる精神科医さんのブログによれば、次のようであり、おそらくこちらのほうが正しいのであろう。新訳と比べてみる機会は、わたくしにはない(原文は読めないし、英訳と参照するのはいまはうっちゃる)。

翻訳正誤表】より
母の見えないという状況は、乳児が誤解しているせいで外傷的状況になるのであって、けっして危険の状況ではない。いやもっと正しくいうと、乳児がこの瞬間に、母によって満足〈=解消〉させてもらわねばならない欲求を感じていてはじめて、外傷的状況といえるのであり、この状況は、この欲求が当座のものでなくなると危険状況に変わるのである。

いずれにせよ、母への渇望は「原トラウマ」のようなものなのであり、その母が「模範的な」愛の実践者、苦境に立つひとへの愛を、子供への愛と同等に感じてしまうひとであるなら、子供の苦境は想像に難くない(神谷美恵子さんのご子息の発言をそう読むのは誤読かもしれないが、ここでもそう読める観点もあるだろうとする文脈で書いている)。

「なぜメイワクなのか?」をもうすこし具体的に説くフロイトの文がある。フロイトは、「お前の隣人をお前自身のように愛せ」という文化の側からの要請、つまり伝統的な西欧のキリスト教文化に対しての道徳規範に対して次のように異議を申し立てる。

なぜそんなことをしなければならないのか。そんなことをして何の役に立つというのか。それに第一、そんなことはできようはずはないではないか。私の愛は私の貴重な財産なのだから。充分な理由もなしに大盤振舞いすることなど許されない。(……) そんなことをすれば、私は間違いを犯すことになる。なぜなら、私の家族は私の愛を自分たちの持物だと思っているのだから。私がその他人をこれら家族の者たちと同列に置けば、私は自分の家族を不当に扱うことになる。けれども、その他人も昆虫・みみず・がらがら蛇などと同じくこの地上の生物であるという理由でどうしてもその他人を愛さなければならないとすれば、この他人に振り向けられる私の愛はごく微量だ。理性の判断にしたがうかぎり、私も私自身のために自分の愛の一定量を取っておく権利があるが、それだけの量の愛をこの赤の他人に振り向けることはとうていできない。(……) まったくの話、あのご結構な命令が「お前の隣人がお前を愛するのと同じようにお前の隣人を愛せ」といっていたら、私はなんの異議もさしまさまないだろう。(……) ところが、もっと不可解に思え、もっと激しい抵抗を感じさせる第二の命令がある。それは、「お前の敵を愛せ」というのだ。しかしよく考えて見ると、このほうがもっと不当な要求だといって退けるのは当たらない。なぜなら、これら二つの要求は、根本においては同じことをいっているのだから。(フロイト『文化への不満』)

なぜ、「お前の隣人をお前自身のように愛せ」と「お前の敵を愛せ」が同じことなのだろうか。

フロイトの認識の核心は次のようなものだ。

人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛本能が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃本能も含まれていると言っていいということである。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在である ばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でもあるのだ。「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。通例この残忍な攻撃本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人――の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件までを想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。(フロイト『文化への不満』)

「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)とはホッブスの言葉であり、一般に「同情」の思想家と思われている反ルソー的立場であると思われている。だがルソー自身つぎのように書いてもいるのだ。


◆ルソーの『エミール』より三つの格率

・第一格率「人間の心は、自分よりも幸福な人の立場に自分をおいて考えることはできない。ただ自分よりも同情すべき人の立場に自分をおくことができるだけである」


・第二格率「人が他人の不幸を憐れむのは、自分もそれを免れていないと思う場合だけである」

・第三格率「他人の不幸について感じる憐れみの情は、その不幸の大小によってではなく、その不幸に悩む人が感じていると思われる感情によって加減される」


ここで反同情の哲学者ニーチェの言葉を抜き出してもよいのだが、それはここでは思い留まり、吉田秀和のニーチェをめぐる文のみを引用しよう。

ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。(吉田秀和  神崎繁『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』からの孫引き

…………

※追記:フロイトの『制止、不安、症状』の英訳を参照するのはうっちゃるとしたが、怠慢はやめて見比べてみると次のようになっている(www.valas.fr/IMG/pdf/Freud_Complete_Works.pdf‎より)。


In consequence of the infant's misunderstanding of the facts, the situation of missing its mother is not a danger-situation but a traumatic one. Or, to put it more correctly, it is a traumatic situation if the infant happens at the time to be feeling a need which its mother should be the one to satisfy. It turns into a danger-situation if this need is not present at the moment. Thus, the first determinant of anxiety, which the ego itself introduces, is loss of perception of the object (which is equated with loss of the object itself). There is as yet no question of loss of love. Later on, experience teaches the child that the object can be present but angry with it; and then loss of love from the object becomes a new and much more enduring danger and determinant of anxiety.


《母を満足させなければならないという欲求》→《母によって満足〈=解消〉させてもらわねばならない欲求》



2013年6月4日火曜日

フロイトのナルシシズム的強迫型をめぐって

フロイトは、『ナルシシズム入門』(1914)で、二つの根源的な対象選択、つまり性愛の対象選択として、ナルシシズム型と依存型に分かれるとはしているが、すぐさま《すべての人間は一次的ナルシシズムをそなえており、これが場合によっては対象選択のさいに優勢に顕れてくることがあるかもしれない、と仮定するのである》(著作集3 p121、とつけ加えることを忘れない。

フロイトは、愛の対象選択として、

ナルシシズム型は、(a)現在の自分、(b)過去の自分、(c)そうなりたい自分、(d)自己自身の一部であった人物(子供)

依存型は、(a)養育してくれる女性、(b)保護してくれる男性

としている。

この二つの型は、たとえばラカン派ではしばしば語られ、たとえばラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールは次のような例を挙げている。

It’s very much in evidence in love at first sight. The classic example, commented on by Lacan, is in Goethe’s novel, the sudden passion of young Werther for Charlotte, at the moment he sees her for the first time, feeding the rabble of kids around her. Here it’s the woman’s maternal quality that sparks off love. Another example, taken from my practice, is the following: a boss in his fifties is seeing applicants for a secretarial post; a young woman of twenty comes in; straight away he declares his love. He wonders what got hold of him and goes into analysis. There, he uncovers the trigger: in her he met traits that reminded him of what he had been at the age of twenty, when he went for his first job interview. In a way, he’d fallen in love with himself. In these two examples we see the two sides of love distinguished by Freud: either you love the person who protects, in this case the mother, or you love a narcissistic image of yourself.(Jacques-Alain Miller: On LoveーーWe Love the One Who Responds to Our Question: “Who Am I?”)

このふたつの型のうちの依存型も、第一次ナルシシズムをそなえている、とフロイトは書いているわけだ。つまり、すべての人間は自己愛者(ナルシシスト)であると言っているとしてよいだろう。

依存型の対象としての養育してくれる女性と保護してくれる男性というのは、例外はあるにしても、「母」と「父」とすることができる。この「両親」たちの幼児に向けての養育と保護の振舞いそのものが彼ら自身のナルシシズムであるとされている。

ものやさしい両親が子供たちにとっている態度を注意してみると、それがもうとっくに放棄された自己のナルシシズムの復活であり再生にほかならないことを認めないわけにはいかない(同 p123

そして、幼児的第一次的(原初的)ナルシシズムは、親のナルシシズムの投影から生まれる。ここで何が生じるのかといえば、親の側から不断に語りかけられ、ナルシシズムを投影された幼児は、<他者>の欲望に対する反応――<他者>は何を欲しているかという問いに応答することーーなのであり、この<他者>はイマジネールな小文字の他者ではなく象徴的な大文字の他者である。

「彼(彼女)は、私に話しかけることで、何を欲しているのか?」ラカンによれば、この<他者>の呼びかけを欲望として、そして自らへの「問いかけ」として引き受けるとき、象徴化が既に生じている(ラカンは、幼児にとっての、この「問い」の理解しがたさを「欠如(manque,lack)」と呼ぶ。(比嘉徹徳『ナルシシズムと<他者>』2003ーー参照:「うぬぼれとナルシシズム

こうして比嘉徹徳は、《自己愛の核には根源的な他者性が刻まれているというフロイト的ナルシシズムの論理に他ならない》と書いている。

《自己が対象を愛するのは、その対象の中に他ならぬ自己を見出すからだ》、とするフロイトの説明がこのように読まれるならば、その愛の対象は、想像的(鏡像的)な小文字の他者ではない、ということになる。

フロイトのナルシシズム概念は、一般に抱かれがちな観念、つまり、ナルシシズムとは自己像への病的な愛着であり、他者の視線を欠いている云々とは異なっている。それはフロイトにとって、せいぜい「二次ナルシシズム」をしか意味していない。他方、一次(=原初的)ナルシシズムは、他者を組み込んだ運動そのものを指している。(同比嘉徹徳)

比嘉徹徳によるフロイト解釈では、いわゆるナルキッソスの神話のナルシシズムは、根源的なナルシシズムではなく、第二次ナルシシズムに過ぎないとされているわけだ。

ギリシャ神話は、鏡に写る自分自身の姿以外の何物も気に入らなかった若者、そして同じ名の美しい花に姿を返られてしまった若者をナルキッソスと呼んでいる(フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』)

この主張は、ラカン、すくなくとも前期ラカン、セミネール一巻のフロイトの『ナルシシズム入門』の読解やら、セミネール三巻の次のようなラカンの発話に反する。

私達はナルシシズムの関係を対人関係の中心をなす想像的関係と考えています。…(中略)…。それは、実際は、一種の性愛的関係なのです。すべての性愛的同一化、つまり性愛的魅了という関係の中で、イマージュによって他者を捉えることはすべて、ナルシシックな関係という方法を介して行なわれます。また、それは攻撃的な緊張の基礎でもあるのです。(ラカン『精神病セミネール』)

わたしたちの通念としても、ナルシシズムは否定的な色調を帯びて使われることが多い、つまり「自己像への病的な愛着」として。そうでない自己愛が根源的なものだとする比嘉徹徳のフロイト読解による主張は、ナルシシズム概念に新しい光を照射しているとしてよいだろう。


…………


ところで、ルソーは自己愛amour-de-soiと利己愛 amour-propreとを次のように分けている。
素朴な情念はすべて直接にわれわれの幸福をめざしているので、それに関係のある目標しかわれわれをかかわらせず、自己愛amour-de-soiのみを原理としているので、本質的にまったく優しく穏やかなものなのです。しかし障害によって目標からそらされると素朴な情念は到達すべき目標よりも避けるべき障害のほうにかかずらって性質を変えてしまい、怒りっぽく憎しみに満ちた情念になる。まさにこのようにして、善なる絶対感情である自己愛amour-de-soiが、利己愛 amour-propre、すなわちたがいを比較させ選り好みさせる相対感情になるわけです。利己愛のもたらす喜びはただただ否定的なもので、利己愛はもはやわれわれ自身の幸福によってではなく、他人の不幸によってのみ満足させられるのです。(『ルソー、ジャン=ジャックを裁く--対話』)

このルソーの文に注目しつつ、ジジェクは、『Less Than Nothing(2012)の最終章で、《邪悪な輩は、自己愛者=エゴイストのことではない、なぜならエゴイストは自らの関心/利益にのみ注意を払うことに忙しく、他人の不幸などにかまっているほど余裕はないのだから。本当に厄介な「悪人」とは、自身へよりも他人への関心に没頭してしまう連中だ》という意味合いのことを語っている。
An evil person is thus not an egotist, "thinking only about his own interests." A true egotist is too busy taking care of his own good to have time to cause misfortune to others. The primary vice of a bad person is precisely that he is more preoccupied with others than with himself.A modest plea for enlightened catastrophism Slavoj Zizek


ここでの、ルソーの自己愛amour-de-soiを「第一次ナルシシズム」に近似するもの、利己愛 amour-propreを「第二次ナルシシズム」に近似するものとしてよいのかもしれない。

もっともルソーによって、自己愛amour-de-soiの情念の様相が、《本質的にまったく優しく穏やかなもの》とされており、比嘉氏により《自己愛の核には根源的な他者性が刻まれている》とされる第一次ナルシシズムが、必ずしもそうであるとは限らないだろう。だが、ナルシシズムが自己のなかの根源的な他者性に向うのなら、それは「隣人」にたいしては、「優しく穏やかなもの」であり得る。

他方、利己愛 amour-propreは《たがいを比較させ選り好みさせる相対感情》なのであれば、それは鏡像的な「第二次ナルシシズム」とほぼ同様な意味をもっているように思える。「私に似た」他の人々、競争や相互承認といった鏡像的関係を結ぶ私の同類たち、《私の似姿、鏡像としての隣人》(ジジェク)との相互感情。

そしてわたしたちが「ナルシシズム」を否定的な意味合いで使うとき(あいつは、たんなるナルシシストに過ぎないよ、などと)、それは「利己愛」のことだろう。

…………

そもそもわたしたちの社会通念では、ナルシシストは、愛するより愛されることを願う存在だとされているはずである。

フロイト自身、女性のナルシシズムについての箇所だが、次のように書いている。
……とくに美しく発育してゆくような場合には女性の自己満足が生じてきて、これが女性のために社会的に侵害された対象選択の自由の贖いをするのである。このような女性は厳密にいうならば、男性が彼女を愛するのと同じような強さをもって自分自身を愛しているにすぎない。彼女が求めているものは、愛することではなく、愛されることであり、このような条件をみたしてくれる男性を彼女は受け入れるのである。(『ナルシシズム入門』 p122

ところでこの1914年に書かれた『ナルシシズム入門』からかなり後の『リビドー的類型について』(1931)という小論では、ナルシシズム類型について、《主な関心は自己保存に向けられていて、自主的で、物おじするということはほとんどない。自我はいつでも大量の攻撃性を思いのままにすることができるのだが、これはいつでも行動に移りうることのなかにもよく表れている。愛情生活では、愛されることよりも愛することのほうが優位をしめる。》とまるで正反対のことが書かれることになる。これは、ルソーの自己愛amour-de-soiに近いことを語っているとしてよいのだろうか(その判別は保留して、まずなによりも、ルソーの自己愛は分裂病的なものだろう(注1)ーーそして、フロイトは当初、精神分裂病を自己愛神経症と呼んでいたことをも思い出そう(『本能とその運命』p65)。


心的装置の諸領域がどこでリビドーがおもに消費されるかにしたがって、三つのリビドー的類型を区別することができる。これに命名するのはそう簡単なことではない。われわれの深層心理学をたよりとして、私はエロティック型、ナルシシズム型、および強迫型と名づけることにしたい。

エロティック型はたやすく性格づけることができる。エロティック型の人というのは、そのおもな関心――そのリビドーの相対的に最大の量――が愛情性格にむけられているような人物である。愛すること、しかしとくに愛されることが、彼らにとってはもっとも重要なのである。彼らは愛を失うことに対する不安に支配されており、それゆえとくに、自分たちを愛してくれなくなるかも知れないようなおそれのある他のひとびとに左右されやすい。このような類型は純粋な形のままでも、よく見られる。これらの変種は、他の類型との混同や、同時にふくまれている攻撃性の度合にしたがって、生じてくる。社会的にも文化的にも、この類型はエスの要素的な欲動的要求を代表しており、その他の心的な要請はこのエスのいいなりになっているのである。

私がさしあたり強迫型というなじみのない名前をあたえた第二の類型は高度の緊張のもとに自我から分離してゆく、超自我の優勢ということで際立っている。この類型は愛の喪失に対する不安のかわりに良心の不安によって支配され、外への依存性のかわりにいわば内への依存性をしめしており、高度の独立性を展開して、社会的には、文化のどちらかといえば保守的な真の担い手となるのである。

第三の、正当にもナルシシズム的と名づけられた類型は、本質的には否定的な特性をもっている。自我と超自我とのあいだにはいかなる緊張もなくーーこの類型からは、超自我というようなものを設定することにはほとんどならなかったであろうーーエロティックな欲求の優越ということもなく、主な関心は自己保存に向けられていて、自主的で、物おじするということはほとんどない。自我はいつでも大量の攻撃性を思いのままにすることができるのだが、これはいつでも行動に移りうることのなかにもよく表れている。愛情生活では、愛されることよりも愛することのほうが優位をしめる。この類型のひとびとは「人格者」として、他の人たちに畏敬の念を起させるが、とくにふさわしいのは、他のひとびとのためによりどころとなってやることであり、文化の発展に新たな刺激をあたえたり、既成のものを打ちこわしたりする、指導者の役割を引き受けることである。

これら純粋な類型は、リビドー理論から導きだされたものではないかという疑惑をのがれるわけにはいかないだろう。しかし、純粋型よりもいっそう頻繁に観察される混合型に目を向けるならば、自分が経験というしっかりした地面の上に立っているのが感じられる。これらの新しい類型、つまりエロティック・強迫型、エロティック・ナルシシズム型、およびナルシシズム的強迫型は、事実われわれが分析学によって知った個々人の心的構造を、うまくとりおさめているように思われる。ずっと前からよく知られているもので、この混合型を追及してゆくさいに行きあたるような性格像がある。エロティック強迫型では欲動生活の優越が超自我の影響によって制限をうけているように見える。身近な人間的な対象に対する依存症と同時に、両親の遺物や教育者や模範などに対する依存症も、この類型では最高度に達する。エロティック・ナルシシズム型はおそらくこれに属するという判定がいちばん多く下されるに違いない類型である。これはそのなかで互いに緩和しあうことができるようないくつかの対立を合一している。これを他のエロティック型の類型と比較してみれば、攻撃性と活動性とがナルシシズムの優位と協力しているのを、知ることができる。最後に、ナルシシズム的強迫型は、外的な自立性と良心の要請への顧慮にさらに協力な活動への能力を付加し、こうして自我を超自我に対して強化することによって、文化的にもっとも価値の高い変種を生み出す。

(……)エロティック型が罹患すると、強迫型が強迫神経症となるように、ヒステリーになるということは容易に推量できるように思われるが、しかしこれは最後に強調しておいたような不確実性とも関わりをもっている。ナルシシズム型は、その平正の非依存性によって外界から拒否される機会にされされており、犯罪を犯しやすいという本質的な条件をそなえていると同時に、精神病への特別な素因をふくんでいる。(フロイト「リビドー的類型について」(1931)

ここでの三つの類型は、フロイト自身、《これら純粋な類型は、リビドー理論から導きだされたものではないかという疑惑をのがれるわけにはいかないだろう》と書いているように、明らかに、エロティック型=エス型、および強迫型=超自我型、ナルシシズム型=自我型とすることができる(『自我とエス』1923Das Ich und das Es)の後に書かれた論文であることを思い出そう)。

そして混合型のそれぞれ、エロティック・強迫型、エロティック・ナルシシズム型、およびナルシシズム的強迫型は、「自我の弱い型」、「超自我の弱い型」、「エスの弱い型」とすることができる。

フロイトが、この混合型なら、《自分が経験というしっかりした地面の上に立っているのが感じられる》と書いているように、いくらか血液型判定のような気味合いがないでもないが、まあここでは何が言いたいかと言えば、これだけ見ても、フロイト自身、「ナルシシズム」をめぐって大きく揺れ動いているということだ。


で、フロイトが、すでに1931年の時点で《エロティック・ナルシシズム型はおそらくこれに属するという判定がいちばん多く下されるに違いない類型である》と書いているが、現在、「父なき世代」(中井久夫)であるならば、つまり超自我なき世代ならば、この類型のひとびとが跳梁跋扈しているということになるのだろう。

それは二〇世紀の「神経症の時代」から、二一世紀の「ふつうの精神病の時代」というラカン派(ミレール派)の言明とも一致する。

このエロティック・ナルシシズム型は、エス・自我型とすることができる。フロイトは、《攻撃性と活動性とがナルシシズムの優位と協力しているのを、知ることができる》としているが、この攻撃性とナルシシズムが、現代の人々の特徴ということになる。『自我とエス』から奔馬と騎手の比喩を抜き出しておこう。

自我の、エスにたいする関係は、奔馬を統御する騎手に比較される。騎手はこれを自分の力で行なうが、自我はかくれた力で行う、という相違がある。この比較をつづけると、騎手が馬から落ちたくなければ、しばしば馬の行こうとするほうに進むしかないように、自我もエスの意志を、あたかもそれが自分の意志ででもあるかのように、実行にうつすことがある。(『自我とエス』p274 ―――同じ比喩が『夢判断』のなかにもある)

…………


ここで前半に書かれた比嘉徹徳によるフロイトの読解に僅かながらでも戻るならば、《自己愛の核には根源的な他者性が刻まれているというフロイト的ナルシシズムの論理》とは、すなわち「超自我=自我理想」の復権とされており、フロイトが『リビドー的類型について』で書く「ナルシシズム的強迫型」の復権に向けての「ナルシシズム」概念への新しい光の照射と繰り返しておく(いまは、超自我のない形のルソーの「自己愛」の議論については保留しつつ)。


ナルシシズム的強迫型、すなわち、《外的な自立性と良心の要請への顧慮にさらに協力な活動への能力を付加し、こうして自我を超自我に対して強化することによって、文化的にもっとも価値の高い変種を生み出す。》

ーーもっとも、このナルシシズム的強迫型は、エスの弱い型とされるのだから、芸術型気質のひとには受け容れがたいのであり、まあなんというのか…芸術への愛着をもつ<わたくし>は、そんな類型であるのは御免蒙ると言いたいところがあるな…


※ここでは超自我=自我理想とする比嘉徹徳論文の問題については、ーーいや仮にあるとしてだが、フロイト自身『自我とエス』の段階でさえ、このふたつの間に等号をおいているーー、ラカン派の異議については触れていない。

In Freud’s writings it is difficult to discern any systematic distinction between the three related terms ‘ego-ideal’ (Ich-ideal), ‘ideal ego’ (Ideal Ich), and superego (Über-Ich), although neither are the terms simply used interchangeably. Lacan, however, argues that these three ‘formations of the ego’ are each quite distinct concepts which must not be confused with one another.(An Introductory Dictionary of Lacanian Psychoanalysis Dylan Evans)

超自我の或る側面が自我理想=象徴界のものではなく、現実界のものであるという議論(母なる超自我ほか)、少なくともその二面性をめぐっては、[PDF]The Archaic Maternal Superego-Leonardo S. Rodriguez - Jcfar.orgにフロイト、ラカンやミレールの言葉を引用しつつ、いくらか詳細に書かれている。


…………

注)
この野蛮の時代は黄金時代であった。というのは人々が団結していたからではなくて、離れていたからである。おのおのが万物の主人だと思っていたという。そうかもしれない。しかし誰も自分の手のとどくものしか知らなかったし、欲しがらなかった。彼の要求は彼をその同胞に近づけないで、遠ざけるのであった。人々は出会えば、お互いに相手を攻撃したといってもよい。しかし彼らはめったに出会いはしなかった。いたるところ戦争状態が支配していたが、地上はすべて平和であった。(ルソー『言語起源論』)

ーー柄谷行人は、この文を引用して次のように説明している。


孤立と自足が「自然人」のイメージである。そこでは、他者の欲望、あるいは他者に媒介された欲望(ジラール)などはない。基本的に、彼らは他人に無関心である。フロイト的にいえば、「感情転移能力」をもたない。いわば、分裂病的なのである。しかし、この場合、感情転移能力をもたないということは、たんに他人への愛と憎悪のアンビヴァレントな固着関係をもたないということでしかない。というのは、彼らは(……)動物をふくむ他者への「同情」をもっているからだ。したがって、「いたるところ戦争状態が支配していたが、地上はすべて平和であった」といいうるのである。

中井久夫は、狩猟民は分裂病的であったといっている。農耕社会に入ってから、人間は強迫神経症的になり、それは産業資本主義にいたってもかわっていない。分裂病者を治療することは、事実上、彼らを強迫神経症なタイプに変えることを意味している。だからこそ、彼らの「社会復帰」は困難であり、彼らは、産業資本主義的でないしょうな社会では、あるいは過去の段階では、とくに病人とみなされない。(『分裂病と人類』)(『探求Ⅱ』 p237~)