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2014年5月20日火曜日

五月廿日 ジ・アザー・セックスは謎のままにして置きたい

「従軍慰安婦」問題に関する集会で必ず出てくる発言に、「自分もその場にいたら同じことをしたかもしれない」というのがある。若い世代の男性にも少なくないし、他の人権問題に専門的に関与している人からもある。男性の性欲の発露だから仕方がないという類の、この種のナイーブな性欲自然主義の正体は一体何なのだろうか。(大越愛子「「従軍慰安婦」問題のポリティックス」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

ーーという文を少し前に読んで、続けて一万字程、ぐたぐたと文句を書いたのだが、どうもいけない。精神分析理論を使わないで、反論できないものか。いまはその「ぐたぐた」をカットして、別の「ぐたぐた」を書くことにする。

ところで、男性諸君! そこの清廉潔白かもしれない〈きみ〉は、 「自分もその場にいたら同じことをしたかもしれない」と言わないタイプだろうか? このように言わない健康な若い、いやまだ老境に達していない男性がどれほどいるものだろうか?

…………

古橋綾氏の「日本軍「慰安所」制度とセクシュアリティ── 日本軍将兵による「戦争体験記」に着目して ──」は、《セクシュアリティをめぐって特に女性やセクシュアル・マイノリティなどに関する研究は一定程度行われているが、男性のセクシュアリティについては語られることが少ない。(……)被害者を対象とする研究に重心がおかれ加害者を対象とする研究に深まりが見られない》という問題意識から書かれた論文である。


そこでは、さまざまな「加害者」の発言の豊富な引用を読むことができる。


フィリピンで大隊長を務めた長嶺秀雄は「作戦がひと段落したときなどは、性欲の処理に大変苦労するのは当然」だという認識を見せている。

マライ方面に従軍した直井正武は「戦争、とくに勝ち戦さには例外なく、性欲の暴走が起こる」 「理屈はどうあろうと、戦争と性欲とは、切っても切れない間柄である」 「性欲の処理は肉体と精神との調和剤で、戦争の潤滑油である。軍部が慰安所を必需品としたのも、戦争担当者としては当然と言える」

これらの兵士たちの発言文を引用して、古橋綾氏は、男たちの性欲自然主義を指摘する。あるいは《戦争によって他者を支配すること、性行為によって女性を支配することの同一性を見せてくれる》ともする。


あるいは次のような引用がある。

ニューギニア島にいた松本良男は、馴染みの由紀子という「慰安婦」について「戦闘でずたずたになった神経を休める、憩いの場として行くのであった。だから私にとって由紀子は、母親であり、姉であり、恋人であり、友人であった」 (松本 1989: 176)ラバウルで従軍したパイロットは「男女の仲は、たとえ明日をも知れぬ戦闘機パイロットとさすらいの慰安婦の間であっても、通じ合えるものがあった」 (第 204海軍航空隊 1987: 139)と書く。

この文を受けて次のように書かれることになる。

このような記述は、金銭的な理由であれ、または精神的な結びつきであれ、女性たちは「慰安所」で性の相手をすることを望んでいたという認識を示している。これはマッキノンの指摘のように、男性が女性を欲望した時、女性も同じように欲望しているとみなされるという構図だといえる。女性たちがそれをどう感じていたのか、ということは関係なしに男性側から女性たちの意志を想定しているわけである。これは女性たちへの攻撃性を隠蔽するもう一つの要素である。女性たちは性的に支配されたり攻撃されたりすることを望んでいると考えることで、 その行為の暴力性は薄れるように感じられる。 そのため、女性も自分と同じように欲望していると感じられる構図が必要なのである。しかし実際にはこの構図の中に女性の意志は含まれておらず、また含まれる必要性も感じられてはいない。

ここでもマッキンノンを持ち出して、やっぱり男側の浅墓な言い訳だわよ、などというふうに読める言葉が呟かれることになる(これがなかったらよい論文なのだが)。

ーーというわけで、こうやってメモして、何を言おうとするわけでもない。

ただいささか「精神分析」の入り口付近を往ったり来たりしている者としては、こう呟いておこう、女たちの男の性欲の甚だしい無理解とは、どこから来るのだろう、と。

精神分析は入り口に「女性というものを探し求めないものはここに入るべからず」と掲げる必要はありません。というのも、そこに入ったら幾何学者でもそれを探しもとめるのです。(ミレール「もう一人のラカン」)

男は男につごうのよい男像に頼って生きているのだろうし、女は女につごうのよい男像に頼って生きているのだが、やや違うところは、男のほうが女という〈他者〉を探し求めることが多いようではある(いや、ラカン派においては、--ああ精神分析はやめようと思ったのに、また口に出してしまったので、括弧つきにするがーー、〈他者〉とは〈女〉であり、女も男と同様、〈女〉を求めるのだ。すなわち誰も〈男〉など求めはしない、男の性欲なんてたかだか支配欲だよ、などと通俗ラカン派の斎藤環? ーーシツレイ! ーーの言葉を鵜呑みにして(『関係する女 支配する男』)、すませておけばよろしい、と)

万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのである(Human being cannot endure very much reality ---T.S.Eliot)(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264)

逐語訳なら「人というものはあまりに大きな現実には堪えられない」となり、中井久夫の「超訳」とすることができるが、エリオットの『四つの四重奏』の「エピグラフ」に、ヘラクレイトスの《most people live as if they had a wisdom of their own.》とあり、この訳である、とすることもできる。

ーー男も女も自分のほうが賢いと思いつつ生きているのだろう。


中井久夫曰く、《私にはやはり、ジ・アザー・セックス、ジェンダーは謎のままにして置きたいですね。》(「「身体の多重性」をめぐる対談ーー鷲田清一とともに」『徴候・記憶・外傷』所収)

中井氏とともに《女>という他者は謎にしておきたい、というだけではすまされない、と思うことがないでもない。

ーーで繰り返せば、何が言いたいわけでもない……。

ところで、次のようなことをオッシャル「聡明」なはずのおばちゃんに対して、どうしたらいいのだろう、男性諸君!

性欲にはけ口が必要であるならば、ムラムラは自分で解消すればいい。相手のあるセックスをしたければ、相手の同意が必要なのは当たり前だろう。セックスは人間関係なのだから、関係をつくる努力をすればよい。(……)

カネまで払って男性がやりたい理由は、私には永遠の謎だ。男たちが変わるのに何世紀かかるかわからないが、この男の不気味さは男に解いてもらいたい。(上野千鶴子氏 売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化

…………

It is striking how little attention has been paid to the drive and to sexuality in contemporary gender studies. (『Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender 』 Paul Verhaeghe




2014年5月8日木曜日

五月八日 「あんた日本人でしょ、あたしの人生返して!」

ーー「もう一度、17歳のときの青春に戻して」(金学順)
――I lost my lifeTeng-Kao Pao-Chu

……社会構築主義者は、また、元従軍慰安婦の運動を支持する多くの知識人も、民族と国民は想像的に構築された所産にすぎないからということで、また、ナショナリズムの再興に加担することになるからということで、日本人としての責任に疑義を呈した。

 これに対して、徐京植(Suh Kyung Sik)は、『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』(影書房、2002)で、社会構築主義者の上野千鶴子に対して、こう反論した。「上野氏は「国民」というのは「わたし」を作り上げているさまざまな関係性のひとつにすぎないとして、「単一のカテゴリーの特権化や本質化」を拒絶すると述べている。上野氏と同じように、「日本人」というのは自分を構成する多面的なアイデンティティーの一側面にすぎない、と多くの日本人がことさらに言う。そんなことは当然ではないか。私にとっても、「韓国人」というのは「私」の一側面にすぎない。だが、ある集団の他の集団に対する加害責任が問題となっているこの場では、「あなた」という存在の、逃れようのない一側面が名指しを受けているのである」(p.80)。

また、李順愛(イ・スネ)は、『戦後世代の戦争責任論』(岩波書店、1998)で、こう追及した。「朝鮮人が朝鮮人であることを、また、在日朝鮮人が朝鮮人であることを、いやがおうでも意識させ骨身にしみさせたのは日本人だった。他の民族意識を刺激しておいて、問題は未解決のまま、その当の日本のインテリは「日本人であること」「日本国民であること」を知的・観念的に否定してみせるのである」。(小泉義之「他者のために生きる」

この種の、すなわち上野千鶴子が応答したのと似たようなことを、われわれは言い勝ちなのであって、それはなにも「社会構築主義者」であるからだけではない。だが、《国家が国家であるのは、外部に国家があるからですね。》(柄谷行人『闘争のエチカ』)であるとするなら、日本人が日本人であるのは、外国人があるからだ。韓国人からあなたたち日本人はわたしたちになんということをしたのだ、と言われたとき、この日本人という「名指し」からどうして逃れられよう。(多血質な、そして堅固な意志と非妥協的な誠実さの民から、曖昧模糊とした気質、世間の動向を気にして「空気」を読みながら行動する「根回し」の民への糾弾という面をも忘れないでおこう)。

そもそも社会構築主義とはなんだって?  

歴史の「真実truth」や「事実fact」が実在するのではなく、ただ特定の視角からの問題化による再構成された「現実reality」があるだけである。すべての歴史 叙述が現在から構築されたものであることを認めたうえで、文書中心主義的実証主義から離脱しなくてはならない。(上野千鶴子編 『構築主義とは何か』 勁草書房

この程度のことを言うのに(いやこれだけでもないのだろうが)、堅苦しい言葉を使うものだ。どうも社会学の概念は、仲間同士の隠語のように聞こえてしまう。と書けば冥府から懐かしい声がしてくる。

池内紀)去年だったかな。『朝日新聞』の書評委員会で、書名をずっと読み上げるでしょう。それで『社会学は何ができるか』という書名が読み上げられたとき、須賀さんがはっきり通る声で、すぐ合いの手を入れた。「何もできない」って(笑)。ぼくもずっとそう思っていたんだけれども勇気がなかったからいえなかった。前に社会学の先生が二人おられたし……(笑)(『追悼特集 須賀敦子』河出書房新社1998)

で、なんの話だったか。ーー「社会構築主義」などという言葉に引っかかってしまったが、どうやらそれはトーマス・クーンの「パラダイム」概念が出自のひとつのようだ。

クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依拠していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」は存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される。(柄谷行人『隠喩としての建築』ーー「人間的主観性のパラドックス」覚書

さて元に戻れば、たとえば「慰安婦」問題ではなく、もっと大きく戦争責任を問われたとする。

「あんた私の祖国に土足で上がりこんでさんざん荒らした日本人なのね」

ーー私はそのとき生まれてなかったんだから、日本人って言われたって関係ないよ、と応じたくなるところだ。

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(加藤周一「今日も残る戦争責任」『加藤周一 戦後を語る』所収)  

加藤周一は《戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある》としている。この「存続している」ものは何だろう。

加藤周一は,こう問うた。

2003年3月20日に開始されたイラク戦争に対する,日本とドイツの政府の態度がおおきく異なったのは,なぜか。

ドイツは参戦を拒否し,日本は平和だろうと戦争だろうとアメリカのあとにしたがう。ドイツは「ヒトラーに臣従した過去」を徹底的に批判し,いまや「アメリカの権力にも権威にも臣従しようとしない」国である。それにくらべ日本は,かつては「臣民にすぎなかった過去」から真に訣別しなかったゆえ,「国民が主権を保持する国」となったいまでも、「昔を懐かしみ和を貴しとする」以外に批判精神を研ぎすますことがすくない)。bbgmgt-institute.org/Ronsou12.pdf

ある時期までのマスコミは《戦時中の自分たちの振る舞いについていままで何度も反省し、それをこれ見よがしに公表し、総括を行ってきたはずだった》し、学者たちもそれを教壇で教えてきたはずだった。いまはそれも滅多にみられない。であるならよりいっそう冒頭の糾弾から逃れるわけにはいかない。(先ほど引用した文に引き続き、小泉義之氏はすこし異なった形で、――日本人の「無限責任」としてーー語っているのだが、この「無限責任」の議論のいくらかは、「「慰安婦」、あるいは支配的イデオロギー」を見よ)。

…………

以下、別に投稿しようと思ったがここに附記。

ガヤトリ・スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」という言い方をしています。強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味です。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。スピヴァックは直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、これが現実の植民地状況で、今なお起きている事態であり、単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。(鵜飼哲 共同討議「ポストコロニアルの思想とは何か」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

《ポストコロニアリズムの 「ポスト」は、コロニアリズムが終わったという意味ではない。(……)一般の意識においては過去とみなされていながら現代のわれわれの社会性や意識を深く規定している構造、それをどう考えるのか、それとどう向き合っていくべきかという問題提起が、この接頭辞には含まれている。》(鵜飼哲『〈複数文化〉のために』 )



◆ポストコロニアリズム 犬飼太介より www.diced.jp/~genbun/event/pdf/1999kouen_inukai.pdf


アメリカ大陸という女性 コロンブスは自身の航海誌において土着の民は<女も、母親が産んだ時と同じ状態の裸で歩いております>という一文を記録している。この<部分的記述>が帝国主義イデオロギーによって<全体の物語に仕立て上げ>られてしまった。<イデオロギーは部分を、当然の「常識」や「自然」として、ときには「現実それ自体」として表現することによって、これを成し遂げる>。 ここにおいて新大陸アメリカは往々にして男性侵略を待ち受ける裸の女として表象され、「処女地」という単一像がヨーロッパのために産出される。 そして裸のアメリカは着衣し武装したヨーロッパにレイプされる。

鵜飼哲は、「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」について《誰が、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉》としているが、たとえば、強姦した主体が言う場合と、強姦された主体が言う場合があるだろう。前者は場合によっては、「吐き捨てるように」言うことがあるかもしれない。強姦した主体が「真に」反省して発話すれば、それはたちまち無限責任の領域の話になってくる。

逆に強姦された主体は、「従軍慰安婦」としての〈私〉の現在のあり様を、植民地主義という強姦によって生れた子どもという言い方をすることがあるのかもしれない。とすれば世界中に、たとえば上にあるようにアメリカ先住民の現在の土地返還の訴えも、この「強姦によって生れた子ども」の文脈で語ることができる。だがアクセントによって、誰がいうかによって、ひとをひどく傷つける言葉であることを念頭に置かなければならない。そのことの微妙さをも鵜飼氏は語っているのだろう。


「従軍慰安婦」問題は日本国家の問題ではあるが、それが日本国家だけの問題ではない、という認識は、世界的に共有されつつある。それはまさしく近代国民国家の「性の政治」の最もおぞましい極限態であり、女性を分断しつつ暴力的に支配、搾取してきた近代国民国家の男根主義の象徴なのである。

それはまた、近代国民国家の植民地主義、人種間闘争、自民族中心主義、民族浄化政策の無惨な帰結である。これらは欧米中心的世界システムの中で、巧妙に隠蔽されてきたし、支配体制側の歴史からは抹殺されていた。こうした近代国家の恥部を白日の下に晒したのが、ナチスドイツであり、日本国家である。(大越愛子「「従軍慰安婦」問題のポリティクス」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

…………

冒頭のような告発、すなわち欲しても取り返しようのない不可能な願いをしてもよいのか、という疑義はあるかもしれない。また過去の同じような不幸があっても、そのように語らない人もいるだろう。心的外傷という側面を除いて言っても、あのように発話した当時、当人は「不幸」だったのではないかとも憶測される。

(一般に)過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)

遡及的な外傷という言い方もある。《自分の象徴的世界の行き詰まりを打開するために、遡及的に外傷化され、外傷的な<現実界>にまで引き上げられた。》(ジジェク

だがこのようなことは、面と向かっては言い難い。また当事者の実践的態度のあるべき姿というのは、理想的にはニーチェの『運命愛」なのかもしれないが、これも、そうあれ! とは要請し難い。

「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(中略)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(中略)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。(『権力への意志』原佑訳)
ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだ二ーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。

彼が言う運命愛とは、そのような人生を、他人や所与のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。

ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。

しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生みだす現実的な諸関係が存することを見ようとはしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章 P187 岩波書店)

もし「強姦された者」がこのような実践的な自由な主体であったにしろ、柄谷行人がこの文の最後にいうように、少なくとも「強姦した者」にとっては、括弧に入られた因果的決定の括弧を外してみなければならない。やはりその当時の社会的諸関係を見なければならないし、その社会的諸関係が現在も続くならなおさらである。

人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。必然的なことを耐え忍ぶだけではない、それを隠蔽もしないのだ、--あらゆる理想主義は、必然的なことを隠し立てしている虚偽だーー、それではなく必然的なことを愛すること……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

柄谷行人の言葉を繰り返せば、運命愛は運命論的態度とは異なる、ニーチェのこの概念を受け止めるとき、それが最も肝要な点だろう、--《ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。》





2014年5月7日水曜日

五月七日 「慰安婦」、あるいは支配的イデオロギー

第二日目から彼らは私が慰安婦の仕事をすることを強要した。最初私は抵抗して男を受け入れなかったんだ。それで彼らは私に食物を与えず、私を殴った。拒絶し続けることはできなかった。抵抗したら殺されると思って、彼らの言いなりになることに決めた。でも悲しいことに、私には男性経験がなかったので、この性的奴隷化に耐えられなかったんだ。私の性器は引き裂かれ、腫れ上がった。この苦痛は説明できないね。このことを話すだけでも恥ずかしい。逃げるか死ぬかだと考えた。でも逃げ切れなかった。(ボク・ドン・キム(金福童)“Demanding Accountability: The Global Campaign and Vienna Tribunal for Women's Human Rights. “By Charlotte Bunch and Niamh Reilly.

《1990年代の初めに、金学順(Kim Duk-Soon)(当時68歳)は、自分は元従軍慰安婦(ex-comfort woman)であると証言した。金学順は、「私の人生がこんなになったのは日本のせいです。日本は私たちに補償をして、このことを歴史に残さなければなりません」と訴えた。その後、何人もの女性が、証言を開始した。(……)

従軍慰安婦問題においては、有限責任だけではなく、無限責任も問われている。とくに、二つの局面において、無限責任が問われている。 第一に、「もう一度、17歳のときの青春に戻して」(金学順)や、”I lost my life”(Teng-Kao Pao-Chu )という声に、私たちが応答しようとするときである。》(他者のために生きる 小泉義之

この「無限責任」をめぐっては、かつて種々の議論があった。

日本及び日本人を見つめる外部の厳しい視線に、今更のように気づき始め、冷水を浴びたように手前勝手なコスモポリタン幻想から醒めざるをえない。逃れようにも逃れられない「みにくい日本人」の一人であるという事実から出発するしかないのである。その厳しい自己認識なしには、そこから一歩も前に進めない状況にいるからである。(大越愛子『闘争するフェミニズム』1996)
「他者」の倫理の中心にある「顔」(visage)とは、「歴史の裁き」から被った「侮辱」を耐え忍ぶ顔であり、「公的」歴史の外に打ち捨てられた満身創痍の<証人>たちの、「異邦人、寡婦、孤児」たちの顔なのだ。この顔を見ること、またこの顔に見られることによって、「私」の「侮辱」(offence)は「恥辱」(honte)に変じる。というのも、「他者」の「侮辱」はその「顔」を通して「私を見つめ、私を告発する」からであり、「私」を裁く「裁きそのもの」だからである。(高橋哲哉『記憶のエチカ――戦争・哲学・アウシュヴィッツ』1995)

こういった言説に対する浅田彰の応答ーーそれは小泉氏の論にも批判的に引用されているのだがーー今は別の文献から、より鮮明な反論として、次の文を掲げる。

いまの論調の支配的な流れの一つは、デリダからレヴィナスへの回帰ですよね。ポジティヴな絶対的神はない、しかしネガティヴな絶対的他者がその不在においてわれわれに呼びかけている、それに向かってわれわれは無限の応答責任(レスポンサビリテ)を負う、と。これはニーチェ的にいうと最悪のモラリズムになりかねないでしょう。さらに問題なのは、そういう擬似宗教的な他者論がしばしば政治的な文脈にダイレクトに導入されることです。いわゆる「従軍慰安婦」の問題にしても、まずは、国家が謝罪し補償するという近代の原理で行けるところまで行くのが先決だと思う。そこで、われわれは他者の顔の前に恥を持って立たねばならないとか何とかいっても、あまり実効性がないばかりか、いたずらにマジョリティの反発を招くことにさえなりかねない。結局、そういう擬似宗教的なモラリズムは、一種の麻痺――すべての「他者」に対して優しくありたいと願い、「他者」を傷つけることを恐れて積極的なことは何もできなくなるという、最近よくあるポリティカリー・コレクトな態度を招きよせるだけではないか。(「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」『NAM生成』所収より)

浅田彰の「実践的な」態度をとりあえず肯うにしろ、それにもかかわらず、「もう一度、17歳のときの青春に戻して」(金学順)や、”I lost my life”(Teng-Kao Pao-Chu )という声にどう応答してよいのかという問いは残る。

だが「どう応答してよいか」どころか、日本のマジョリティは、政府が「有限責任」さえまともに果たさず、政治のトップから公営放送のトップまで、リヴィジョニストが跋扈しているのを、見て見ぬふりをしている。それこそ「セカンド・レイプ」というものである。

闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。(浅田彰「憂国呆談」)

たとえば3.11以後、より明らかになっている筈だが、本来、闘うべき相手は、日本のサイレント・マジョリティなのではないか、という問いはある。

今起きている危機は、福島原発事故についてだけのことではないのです。私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った「沈黙による陰謀」とも呼ぶべき行為です。去年の3月11日以来、たくさんの嘘が明らかになりました。そしておそらくは、まだこれからも明らかになってゆくでしょう。これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?(「僕たちは、そんなに騙しやすい国民でしょうか。」大江健三郎へのインタビュー/ルモンド紙(2012.3.16)

騙しやすい国民どころか、騙されたい国民なのではないか。

ジジェクは1993年の浅田彰との対談にて(『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)、1992年に旧東独のロストクで起こったネオ・ナチによる難民収容施設の焼き討ち事件をめぐり、《今回も、それ自体としてはおぞましいネオ・ナチの暴力行為が、ドイツのサイレント・マジョリティの承認とは言わぬまでも暗黙の「理解」を得たことが問題なのです。実際、社会民主党の幹部の中でさえ、こうした事件を口実にドイツのリベラルな難民受け入れ政策の再検討を提唱する人たちが出てきている。こういう時代の空気の変化の中にこそ、「外国人」を国民的アイデンティティへの脅威とみなすイデオロギーがヘゲモニーをとる危険を見て取るべきだと思うのです。》と語っているが、日本のサンレント・マジョリティは、この今「ヘイト・スピーチ」を初めとするレイシズム的言説の猖獗を見て見ぬふりをしていることはないか。

ここで「支配的イデオロギー」と「支配しているかに見えるイデオロギー」を間違えるな、というジジェクの言葉を反芻しておこう。

こうした状況のもとでとくに大切なことは、支配的イデオロギーと支配しているかに見えるイデオロギーとを混同しないように注意することだ。われわれは、これまで以上に、ヴァルター・ベンヤミンが遺してくれた注意事項を心に留めなければならない。その注意事項とは、ある理論(あるいは芸術)が社会闘争に関わる自分の立ち位置をどのように決定するかを訊ねるだけでは不十分であり、それが闘争においてどのようなアクチュアルな機能を発揮しているかもまた問われねばならない、というものである。 例えば、セックスで真のヘゲモニーを掌握している考え方は家父長制的な抑圧などではなく自由な乱交であり、また芸術で言えば、悪名高い「センセーショナル」展覧会と銘打ったスタイルでなされる挑発が規範に他ならなず、それは体制に完全に併合されてしまっている芸術の典型事例である。アイン・ラントは、彼女の最近のノン・フィクション作品のタイトル「資本主義──この知られざる理念」や「経営トップ──アメリカ最後の絶滅種族」に見られるように、公式イデオロギーそれ自体の強調が自己への最大の侵犯へ反転するといったある種ヘーゲル的な捻りを加味することで、こうした論理をその結論にまで押し上げている。( ジジェク『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』長原豊 訳)

支配的イデオロギーのひとつの姿とは、たとえばツイッターの村社会で同族意識の安堵感に浸りながら、湿った瞳を交わし合い頷き合いつつ、趣味の世界、あるいは研究の世界に耽り返っているのみのあれら「優しい」マジョリティなのだ。

完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

 ああ、ここでニーチェ読みでもあるカント学者の中島義道botーーわたくしはこの人の書を読んだことがないのだがーーに手伝ってもらおう!

《ナチスを最も熱心に支持したのは、公務員であり教師であり科学者であり実直な勤労者であった。当時の社会で最も真面目で清潔で勤勉な人々がヒトラーの演説に涙を流し、ユダヤ人という不真面目で不潔で怠惰な「寄生虫」に激しい嫌悪感を噴出させたのである。》(『差別感情の哲学』中島義道)

《一見聡明で穏やかな一般市民が、「魔女」を告発し、その悶え苦しむ姿を楽しむのだ。中世においてそうであったように、そういう逸楽に耽っている者は、極悪人や犯罪予備軍ではない。むしろ「善良な市民」という名の「優しさ」にあふれた怪物である。》『狂人三歩手前』中島義道

《現代日本の精神構造は、中世の魔女裁判のときやヒットラーのユダヤ人迫害のときの精神構造とそれほど隔たったものではない。ほとんどの人は安心してみんなと同じ言葉をみんなと同じように語る。同じ人に対して同じように怒りをぶつける。同じ人に対して同じように賞賛する。》『醜い日本の私』中島義道

耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。(ジジェク『快楽の転移』ーー優しい人たちによる魔女狩り

ーーこういったことは海外住まいの身としては、あまり書きたくないのだが、三年前の春以来、おりあるごとに頭に血が上ってしまう。《不快な渇きが僕の血管の血をにごらせ》る(ランボー「いちばん高い塔の歌」)。ーーいやわたくしは日本住まいのひとたちよりは、韓国人や中国人と顔を合わせる機会はずっと多いだろう、彼らと酒を酌み交わす機会がずっと多いだろう。

さらにいえば、あれらどっちつかずの態度をとる「学者」や「知識人」たちの厚顔無恥!

私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的に」主張することだよ。(「ジジェク自身によるジジェク」私訳)

あれら破廉恥漢!

わたしは仔細ぶった疑いぶかい猫どもの静かさよりは、むしろ喧騒と雷鳴と荒天の呪いを好む。そして人間たちのあいだでも、わたしは最も憎むのは、忍び足で歩く者たち、中途半端な者たち、そして疑いぶかい、ためらいがちな浮動する雲に似た者たちすべてである。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

さて抗血剤でも飲むことにしようーー。

冒頭に戻っていくらかの備忘をする。

◆「従軍慰安婦問」より

日本は敗戦と同時に、戦時中の証拠を隠滅するため、多くの公文書を破棄・湮滅した。そして、慰安婦はその境遇から、記録を残せる立場になかったため、現存する資料は少なく、文書に書かれた証拠が不足していることにより、現在議論が平行線をたどったままになってしまっている。終戦後、慰安婦の一部は帰国したが、その後も、社会的制裁 (スティグマ)・精神的外傷 (トラウマ)に悩まされ、元慰安婦であるが故に、社会的差別を受け、慰安婦生活のために生じた性病・子宮疾患により、子宮摘出や不妊などの、身体の病気に犯され、それと同時に、後遺症や神経症・鬱病・言語障害などの心の病気にも犯され、子どもを生むことの出来ないからだでは結婚することもできず、「社会の恥」という呪縛に苦しみながら長い間沈黙を守り続けた。

従軍慰安婦問題における大きな犯罪は、二重の犯罪(セカンド・レイプ)と呼ばれ、そのひとつは「戦時強姦」という犯罪であり、もうひとつは、「罪の忘却」という犯罪である。そして三重の犯罪として、もうひとつ、「被害女性の告発の否認」という犯罪も浮かび上がる。

「新しい歴史教科書」を作る会などの削除派の人々は、祖国と皇軍の名誉と尊厳を回復するために、所謂平和団体など反国家の人々の主張を、彼らの求める平和は、ただのマゾヒストの自己満足であると批判し、慰安婦問題浮上のきっかけとなった金学順についても、日韓の反日亡者に利用されて、金欲しさのために提訴し、結局、既成事実を暴かれ捨てられて死んでいった愚か者という。それこそがセカンドレイプという犯罪なのである。


ここでは、上の文の「精神的外傷 (トラウマ)」にのみ注目する。なぜ「従軍慰安婦」たちは半世紀の年月を経たあと、突如として告白しはじめたのだろうか。ある「きっかけ」が必要だったには相違ない。おそらくはフェミニズム運動などの言説がその大きな「きっかけ」になったはずだ。《レイプは女性の側にいかなる事情があるにせよ男性の暴力による女性支配であるというフェミニズムの糾弾なくして、精神神経症からPTSDへの移行はなかった。そしてこの指摘は、当然、暴力による支配行為としての戦争をも尾問題にせざるをえない。》(中井久夫「トラウマとその治療経験」)

……私の子ども時代といえば、明治生まれはまだ若くて、元治だとか嘉永だとか万延生まれの人がおられました。この時代、日露戦争の勇士は戦争体験を語らないと言われていました。一般に明治人は寡黙であり、これは明治人の人徳であると思われてしました。けれども、今から考えるとそうではなくて、日露戦争は、最後は白兵線つまり銃剣で戦われたわけです。それはほとんど語りえないものであったのではないだろうかと思うのです。その一つの傍証を挙げましょう。精神科の大先輩の話ですが、軍医として太平洋戦争に参加している人です。一九七七年にジャワで会った時には、戦争初期のジャワでの暮らしが、いかに牧歌的であったかという話を聞かせてくれました。先生はその後ビルマに行かれたのですが、そちらに話を向けても「あっ、ビルマ。ありゃあ地獄だよ」と言ってそれでおしまいでした。ところが一九九五年の阪神淡路大地震のあとお会いした時には、「実は、今でもイギリスの戦闘機に追いかけられる夢を毎晩見るんだ」ということを言われました。震災について講演に行くと、最前列に座っているのが白髪の精神科の長老たちで、これまであまり側に寄れなかったような人たちですが、講演がすんだら握手を求めに来て「戦争と一緒だねえ」というようなことを言われるわけですね。神戸の震災によって外傷的な体験というものが言葉で語ってもいいという市民権を得たのだなと思いました。それまでずっと黙っておられたのですね。(中井久夫「外傷神経症の発生とその治療の試み」『徴候・記憶・外傷』所収)

こうやって白髪のかつての軍医のように、かつての「慰安婦」たちは半世紀を経て語り始めたのだろう。

一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。

PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。

しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)

この最後にある恥の意識や生存者罪悪感を、ヤスパースは「形而上の罪」と呼んでいる。

ヤスパースは《「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。》

ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。

第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。

第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)

つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。

第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。

最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。

この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(『トランスクリティーク』P190の註より)