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2014年11月11日火曜日

血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉

もうその手の話は、わたくしは厭きた。だがそこの〈きみ〉への応答のために最後の「糖果入りの壺」を贈ろう。

(わたしは)小さな愚行やはなはだ大きい愚行がわたしに加えられても、一切の対抗策、一切の防護策を―――従って当然のことながら一切の弁護、一切の「弁明」を禁ずるのである。わたし流の報復といえば、他者から愚かしい仕打ちを受けたら、できるだけ急いで賢さをこちらから送り届けるということである。こうすれば、たぶん、愚かしさの後塵を拝せずにすむだろう。

比喩を使っていうなら、わたしは、すっぱい話にかかりあうことをご免こうむるために、糖果入りのつぼを送るのである。……わたしに何かよからぬことをしてみるがいい。まちがいなく、わたしはそれにたいしてこういう「報復」をする。つまり、わたしはほどなく、その「犯人」に(ときにはその犯行にたいして)わたしの感謝を表明する機会をみつけるのである―――もしくは、その犯人に何かを頼む機会をみつけるのである。この方が、こちらから何かを進呈するよりいんぎんでありうるのだ。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

以下、すべて引用ですませておく。わたくしはいま忙しいのだ。

 …………
人間存在は、この夜、その単純さの中にすべてを包含しているこの空無である。そこには表象やイメージが尽きることなく豊富にあるが、そのどれ一つとして人間の頭に、あるいは彼の眼前にあらわれることはない。この夜。変幻自在の表象の中に存在する自然の内的な夜。この純粋な自己。そこからは血まみれの頭が飛び出し、あちらには白い形が見える。(…)人は他人の眼を覗き込むとき、この夜を垣間見る。世界の夜を対立の中に吊るす、恐ろしい夜。(ヘーゲル『現実哲学』草稿)

サド(サン=フォン) : 《もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう》 (『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

……隣人を倫理的に飼い慣らしてしまうという誘惑に負けてはならない。たとえばエマニュエル・レヴィナスはその誘惑に負けて、隣人とは倫理的責任への呼びかけが発してくる深遠な点だと考えた。レヴィナスが曖昧にしているのは、隣人は怪物みたいなものだということである。この怪物性ゆえに、ラカンは隣人に〈物das Ding〉という用語をあたはめた。フロイトはこの語を、堪えがたいほど強烈で不可解な、われわれの欲望の究極の対象を指す語として用いた。(……)隣人とは、人間のおだやかな顔のすべてから潜在的に垣間見える(邪悪な)物〉である。(ジジェク『ラカンはこう読め』p81

おわかりだろうか? 偽の正義の味方、おろかな猿たちよ、きみたちにも〈隣人〉がいないわけではあるまい?

フロイトが、まるで恐れをなしたかのように、隣人愛の掟がもたらす帰結の前で立ち止まるたびに、浮かび上がってくるもの、それはこの隣人のうちに宿るあの深い悪意の現前にほかならない。ところが、そうであるとすれば、この悪意は私自身のうちにも宿っている。いったいどんなものが、私の享楽の核心であるところのこの私自身のうちの核心以上に、私に近しいというのか? ただし私は、この核心にあえて近づこうとはしない。というのも、私がそれに近づくやいなや――それこそが『文化のなかの居心地悪さ』の意味である――あの測深しがたい攻撃性が現れてくるからであり、私はそれを前にして後ずさりし、それを私自身に向け直すのである。そうすると、この攻撃性は、消え入ってしまった〈法〉にまさに代わって、 〈物〉の限界にあるひとつの境界線を私が踏み越えることを妨げるものに、重さを与えにやってくるのである。 」 (ラカンSVII, 219)
 何よりも毒性が高いのは〈隣人〉という存在、その欲望とみだらな快楽の深淵である。したがって、人間関係を支配するあらゆる法則の究極の目的は、この毒 性を隔離もしくは中和して〈隣人〉を同胞に転じることだ。(他者という、もうひとつの)主体にあるかもしれない毒性をさがすだけでは不十分だ。自己という 主体自体が、その内部の〈大文字の他者〉という深淵に毒性をたたえているのだから。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』p82)

ここにあるように、〈隣人〉とは、悪をなした他人その人ではなく、大文字の〈他人〉である。フロイトを挿入しよう。

ランク(1913年)はちかごろ、神経症的な復讐行為が不当に別の人にむけられたみごとな症例を示した。この無意識の態度については、次の滑稽な挿話を思い出さずにはいられない。それは、村に一人しかいない鍛冶屋が死刑に値する犯罪をひきおこしたために、その村にいた三人の仕立屋のうちの一人が処刑されたという話である。刑罰は、たとえ罪人に加えられるのではなくとも、かならず実行されなければならない、というのだ。(フロイト『自我とエス』著作集6 P288)

おわかりであろうか? きみたちの〈正義〉なるものの根源を。

人間の歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという理由から刑罰が加えられたことはなかったし、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたこともなかった。――むしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りからして刑罰は行なわれたのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』 木場深定訳 P70)

攻撃欲動の標的が外部に見当たらなければ、自己破壊に向かうということはあり得る。ナチに拷問された生存者たちが自殺衝動に襲われるように。


…………

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十分に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。だが同時に、彼らは“非合理的な”罪の意識にとり憑かれる(それは単にそれ以上のようにして)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやるのだ。これが露わにしているのは、最も純粋な超自我の審級である。不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

 


Recall the strange fact, regularly evoked by Primo Levi and other Holocaust survivors, about how their intimate reaction to their survival was marked by a deep split: consciously, they were fully aware that their survival was the result of a meaningless accident, that they were not in any way guilty for it, that the only guilty perpetrators were their Nazi torturers. At the same time, they were (more than merely) haunted by an irrational feeling of guilt, as if they had survived at the expense of others and were thus somehow responsible for their deathsas is well known, this unbearable feeling of guilt drove many of them to suicide. This displays the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of selfdestruction.
超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的なを途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。

 


The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our beinghuman, the inhuman core of beinghuman, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.
レヴィナスにとって、主体を非中心化する根源的に異質な現実界的〈モノ〉のトラウマ的侵入は、倫理的な〈善〉の〈呼びかけ〉と同じものだ。他方、ラカンにとっては、逆に、原初の“邪悪な〈もの〉”であり、〈善〉のヴァージョンには決して昇華されえない何か、永遠に不安にさせる切り傷のままの何かなのである。こういったわけで、倫理的な呼びかけの出処としての〈隣人〉の飼い馴らしには、〈悪〉の復讐が横たわっている。“抑圧された〈悪〉”は、倫理的呼びかけ自体の超自我の歪曲の見せかけとして回帰する。

 


For Levinas, the traumatic intrusion of the radically heterogeneous Real Thing which decenters the subject is identical with the ethical Call of the Good, while, for Lacan, on the contrary, it is the primordial evil Thing, something that can never be sublated into a version of the Good, something which forever remains a disturbing cut. Therein lies the revenge of Evil for our domestication of the Neighbor as the source of the ethical call: the repressed Evil returns in the guise of the superego's distortion of the ethical call itself.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳)

きみたち仔羊のために穏やかな衣裳をまとったリルケをも引用しておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(リルケ『マルテの手記』)


 さてプリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちの自殺衝動」に戻ろう。きみたちには「死んだ人に申し訳ない」という生存者罪悪感はないのか?そうであるならそれを仔羊の人生という。


一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。

PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。

しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)


ヤスパースは《「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。》


おわかりだろうか、レヴィナスの寝言があまりにも寝言すぎるのが。あるいはヤスパースの「形而上の罪」の厚顔無恥な寝言ぶりを。

ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。

第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。

第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)

つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。

第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。

最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。

この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(『トランスクリティーク』P190の註より)

おわかりだろうか、ヤスパースのなんたる寝言カント解釈を。きみたち猿の〈正義〉は、このヤスパースをさらに四周ほど寝言にしたものだ。「寝言は寝てから言え」!

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

カントはその『純粋理性批判』において、否定判断と無限判断という重要な区別を導入した。

「魂は必滅である」という肯定文は二通りに否定できる、述語を否定する(「魂は必滅でない」)こともできるし、否定的述語を肯定する(「魂は不滅である」)こともできる。

この両者の違いは、スティーヴン・キングの読者なら誰でも知っている、「彼は死んでいない」と「彼は不死だ」の違いとまったく同じものだ。無限判断は、「死んでいる」と「死んでいない」(生きている)との境界線を突き崩す第三の領域を開く。「不死」は死んでいるのでも生きているのでもない。まさに怪物的な「生ける死者」である。

同じことが「人でなし」にもあてはまる。「彼は人間ではない」と「彼は人でなしだ」とは同じではない。「彼は人間ではない」はたんに彼が人間性の外にいる、つまり動物か神様であることを意味するが、「彼は人でなしだ」はそれとはまったく異なる何か、つまり人間でも、人間でないものでもなく、われわれが人間性と見なしているものを否定しているが同時に人間であることに付随している、あの恐ろしい過剰によって刻印されているという事実を意味している。おそらく、これこそがカントによる哲学革命によって変わったものである、という大胆な仮説を提出してもいいだろう。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

2014年10月7日火曜日

ニーチェの「生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった」(ヴァレリー)

ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった。

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』Nietzsche et Valery : sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

 …………

わたしは、ギリシア語でいえば、いや、ギリシア語で言わなくてもそうだ、アンチクリスト(反キリスト者)なのだ……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳 P82)

訳者注にはこうある。《アンチクリストーーAntichristは、元来、新訳聖書に見える語(ヨハネの第一の手紙、二の一八)なので、「ギリシア語で」と言ったのである。「非キリスト教徒」の意味。》


アンチクリストとはキリストに反することではなく、反キリスト教徒、あるいは非キリスト教徒のことのようだ。

もっともヨハネの手紙はいろいろな解釈があるようだが(たとえばカルヴァン解釈とそれに異議をとなえるベルクーワ解釈)。ーーなどということはわたくしは残念ながらあまり関心がない。


私はキリスト教のまがいのない歴史を語ろう。--「キリスト教」という言葉からして、すでに誤解である、--つきつめたところ、キリスト教徒はただ一人しかいなかった、そしてその人は十字架の上で死んだのである。「福音」は十字架の上で死んだのだ。この瞬間以後、「福音」と呼ばれているものは、すでに、彼が生きていたものの正反対であった、「悪しき音信〔おとずれ〕」、禍信であった。

「信仰」において、たとえばキリストによる救いといったことを信ずることにおいて、キリスト教徒のしるしを見る者があるなら、それは馬鹿らしいほど間違っている。

ただキリスト的実践のみが、十字架上で死んだ人が生きたような生活のみが、キリスト教的なのだ……

今日でもなおそのような生活は可能である。ある種の人間には必要でさえもある。まがいのない、根源的なキリスト的精神は、いつの世にも可能であろう……(アンチクリスト 三九節 秋山英夫訳)

 ここにある「ある種の人間」とはどんな種類の人間だろう。ニーチェが、反キリスト教徒Antichristであるのは、唯一のキリスト教徒、十字架の上で死んだ男の跡継ぎは、ニーチェ自身しかいないと主張してはいないか。ーーいやいやそんな馬鹿げたことを言うつもりはない。ツァラトゥストラや「超人」が跡継ぎなのだ、と断言するのもここでは避けておこう。

(一)……救世主〔キリスト〕はわれわれの代わりに、われわれの罪を引き受けて死に給うた! すくなくとも聖パウロの解釈はこうである。そしてこの解釈が〈教会〉のうちで、また歴史において勝利をおさめたのだ。だからキリストの殉教は、ディオニュソスの殉教とは真向から対立する。前者の場合には生は裁かれ、罪を贖わねばならない。後者の場合、生はそれ自身充分正しく、一切を正当化するのである。従って「十字架にかけられた者に対抗するディオニュソス」と言われる。――(二) しかしもしひとが、いま述べたようなパウロ的な解釈の下に、キリストの個人的な類型がどのようなタイプであるかを探すとすれば、キリストはあるまったく異なった様式で「ニヒリズム」に属するのだということがよくわかる。彼は温和で、歓びに充ち、あらゆる罪過に無関心で、非難も断罪もしない。彼はただ死ぬことを望み、死を願う。そのことによってあkれは、聖パウロよりもはるかに進んでいることを証明している。既に彼はニヒリズムの最高の段階を、〈最後の人間〉のそれを、あるいは〈滅びようと望む人間〉のそれさえも表象している。ディオニュソス的な価値転換に最も近い段階を示すのである。キリストは「デカダンたちのうちで最も興味深い者」であり、一種の仏陀である。彼は価値転換が可能となるようにする。この観点からすれば、ディオニュソスとキリストの統合が、「ディオニュソス – 十字架にかけられた者」が、それ自身可能となる。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 P81)





「福音」の全身理学のうちには負い目と罰という概念はない、同じく報いという概念もない。「罪」、神と人間とのあいだを分かついずれの距離関係も除去されている、--まさしくこれこそ「悦ばしき音信」なのである。浄福は約束されるのではない、それは条件に結びつけられるのではない、それは唯一の実在性なのであるーーその他は、それについて語るための記号である。

そうした状態の結果は一つの新しい実践、本来的に福音的な実践のうちに投影される。「信仰」がキリスト者を区別するのではない。キリスト者は行為し、異なった行為によって区別されるからである。キリスト者は、おのれに悪意をいだく者に、言葉によっても心のうちでも手向かわないということ。キリスト者は、異教人と同郷人とのあいだに、ユダヤ人と非ユダヤ人とのあいだになんらの区別をもおかないということ(「隣人」とはもともと信仰の仲間、ユダヤ人のことである)。キリスト者は、誰にも立腹せず、誰をも軽蔑しないということ。キリスト者は、法廷に姿をみせることもなければ、弁護をひきうけることもないということ(「誓うな」)。キリスト者は、どんなことがあっても、たとえ妻の不義が証明された場合でも、その妻を離縁しないということ。--すべてこられは根本においてただ一つの命題であり、すべてこれらはただ一つの本能からの結果であるーー

救世主の生涯はこうした実践以外の何ものでもなかった、--彼の死がまたこれ以外の何ものでもなかった・・・(ニーチェ『反キリスト者』三三節 原佑訳)





《「隣人」とはもともと信仰の仲間、ユダヤ人のことである》などという文がある。

このニーチェ解釈によれば、フロイトやラカンがあれほどゴネた「隣人」をめぐる議論は、十字架の上で死んだ唯一のキリスト教徒以外の「似非キリスト教徒」によって拡大解釈された「隣人」の議論ということになる。

「お前の隣人をお前自身のように愛せ」……。なぜそんなことをしなければならないのか。そんなことをして何の役に立つというのか。それに第一、そんなことはできようはずはないではないか。私の愛は私の貴重な財産なのだから。充分な理由もなしに大盤振舞いすることなど許されない。(……)

そんなことをすれば、私は間違いを犯すことになる。なぜなら、私の家族は私の愛を自分たちの持物だと思っているのだから。私がその他人をこれら家族の者たちと同列に置けば、私は自分の家族を不当に扱うことになる。けれども、その他人も昆虫・みみず・がらがら蛇などと同じくこの地上の生物であるという理由でどうしてもその他人を愛さなければならないとすれば、この他人に振り向けられる私の愛はごく微量だ。理性の判断にしたがうかぎり、私も私自身のために自分の愛の一定量を取っておく権利があるが、それだけの量の愛をこの赤の他人に振り向けることはとうていできない。(……)

まったくの話、あのご結構な命令が「お前の隣人がお前を愛するのと同じようにお前の隣人を愛せ」といっていたら、私はなんの異議もさしまさまないだろう。(……)

ところが、もっと不可解に思え、もっと激しい抵抗を感じさせる第二の命令がある。それは、「お前の敵を愛せ」というのだ。しかしよく考えて見ると、このほうがもっと不当な要求だといって退けるのは当たらない。なぜなら、これら二つの要求は、根本においては同じことをいっているのだから。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3)
人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛本能が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃本能も含まれていると言っていいということである。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在であるばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でも あるのだ。「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。通例この残忍な攻撃 本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは 阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する 種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人―― の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件まで を想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。(同フロイト『文化への不満』)

→《もし私が諸君にどこからこのテクストを抜き出してきたのかあらかじめ告げていなかったとしたら、これはサドのテクストだと言って通すこともできたかもしれない。 》 (ラカン SVII, 217)

サド(サン=フォン) : 「もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう」 (澁澤龍彦訳)


リルケの「隣人」にも登場ねがっておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(『マルテの手記』)

ーーこれはたぶん大山定一訳だと思うが、いま確認しがたい(文庫本がみつからない。わたくしは『マルテの手記』は四種類の邦訳をなぜかもっている)。


愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく/おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、/……/思ってはいけない、運命は幼い日の密度よりゆたかだと。/いかにしばしばおんみらは恋人を追いぬいたことか、いかなる獲得をも目ざさず、/ただ自由の世界へ突きすすむ至福の疾駆に息をはずませながら。/……/ただわれわれは、笑いさざめく隣人たちが/承認してはくれぬもの、うらやんではくれぬものを忘れやすいのだ。疑いようのないものとして/われわれは隣人たちに承認された幸福を高くかかげようとする。疑いようのない幸福が/われわれに顕現するのは、ただわれわれがそれをわれわれの内部において変化さすときだけなのに。/……/天使よ、そしてたとい、わたしがおんみを求愛〔もと〕めたとして! おんみは来はしない。なぜならわたしの/声は、呼びかけながら、押しもどす拒絶〔こばみ〕につねに充ちているのだから。このように強い/気流に逢ってはおんみはそれを冒して歩みよることはできない。さながら高くさしのべられた/腕だ、わたしの呼びかけは。そして摑もうとして花さいた指は、/捉ええぬもの天使よ、おんみを前にして/大きく押しひろげられたままなのだ/さながら拒否と警告のしるしとして。(リルケ『ドゥイノの悲歌』「第七の悲歌」(手塚富雄訳)




2014年8月8日金曜日

「どんな性行動の基底にも実は殺人があるってこと」

……ファルスは、ぼくの覚えている限り、サドにユーモアが欠けていると思っていたんだからな! でも、そんなこと言ったって!

「存在は、エスプリがあればあるほど歯止めがきかなくなるものだ。だから才気がある人間は、他と比べてつねに放蕩の快楽を好むようになるんだよ」

法王の「陰茎」! 美徳への悪徳の贈り物! ありがとう! サドを「読解不能」で、「単調」で、「退屈」だと思うのは本物のごろつきだけだ…そいつを耳にするときは気をつけろ! きみたちは、そういったことすべてが現実なものだと信じている田吾作たちのところにいるのだ! 教皇が大衆のおかもをいつまでも掘り続けていると! 

「サドは」、Sが続ける、「目に見えて取り乱しているか、その振りをしているんだよ、まあ二つの事柄を通して見てみろよ…まず最初は、自然のもつ最も聖なるもの、つまり性の激しやすさにしたがって、何者からあえて自然にとどめの一撃を加えたということだ…かれはそいつを耐え難い去勢のように感じる。そんなことが問題になってるんじゃないことを彼は証明したいんだ。殺人を通して性交するためのからくりは、時間と空間のように無限だってことをーーまさにそのことによって、貴重な論証だが、どんな性行動の基底にも実は殺人があるってことを明らかにしながらね …(ソレルス『女たち』p260)





●フリップ・ソレルス『女たち』(せりか書房 鈴木創士訳)訳者あとがきより

…登場人物たちにはなるほど実在の思想家たちのシルエットがダブって見えてくる(…)。傍受したメディアのノイズを要約するなら、本書がパリの文壇にショックを与えた(!)要因のひとつはこの点にあるらしい。問題の登場人物は次のとおりだ。ラカン(ファルス)、バルト(ヴェルト)、アルチュセール(ルツ)、クリステヴァ(デボラ)…




ぼくはヴェルトが打ち明けてくれたことを思い出す、彼がノイローゼにかかっていた頃のことで、ファルスの診察室にわりと足繁く通っていた。「あんなところに通うとろくなことはないよ」…彼はまさにそのために動顛させられた…「彼に自分の今までの出来事を話しているうちに」、ヴェルトはつけ加えて言った、「突然わかったんだ、気のふれた奴とおしゃべりするなんて、ぼくはとんでもない阿呆だって」…明快な話さ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)





ファルスは鍵束を取り出す、およそ十個はある…彼は女たちを自分の家の近くのアパルトマンに住まわせるのが趣味だった…何人いたのか? 三人? 四人? …
(……)…ファルスに復讐するために。彼はすくなくとも週に十通は殺しの脅迫状を受け取っている…気のふれた奴らのやることだ…海の彼方のあらゆる国々の、頭のいかれた女たち…
ところが疑念がぼくの心によぎる…もし彼がこういうのを好きだとしたら? これが彼らのエロティックなサーカスの一部をなしているとしたら? ひょっとして、ブラジル野郎は「じいさん」の覗き趣味のために種馬の役目を努めているのだろうか?





翌日、ファルスがぼくに何も言わずにインド旅行を取りやめにしたことを知る…それから、次の日、アルマンドの家の前の舗道で彼に出会う…「じゃあ、失礼するよ」、彼は疲れ果てた様子でぼくに言う、でもぼくが事の内幕をわかっているのは間違いないと確信して…まるでそのことに言い訳でもするみたいに…彼はどこにいったのか? 食事かな…セリメーヌの覗き窓へ…老いぼれの、おさわりかおしゃぶりの悲惨さにむかって…

それっきり会うことはなかった…ほとんど、と言ったほうがいい…ぼくは彼を置いてインドへ行った…ぼくはとにかく彼についてカルカッタでしゃべった…ボンベイで…ディスクールとパロールについての彼の極めて独特な考え方について…むこうの、その何とかってやつに合わせて…サンスクリットだ…

そして今、彼は死んだ。カクテ彼ハ身籠リヌ…栄光、最後に彼はそれを手にしたのだ…いっぱい…たいていは孤独だった戦いの日々を重ねて…彼の言ったことを理解した者はほとんどいなかった…彼にはめちゃくちゃな話がたくさんあった、彼の同僚、生徒、教育機関、新聞社との…たいがいは非難されていた。山師の気質、権勢の利用、転移の歪んだ使用、妖術、麻薬、恐喝、自殺…彼の企てが動揺していたことは言っておかなくちゃならない…いずれにしても、見てるぶんには面白い…みごとに現実離れしているし…ファルスはまぎれもなく一種の天才だったのだ。いいだろう、でもいささかやくざなところがあったのも本当だ…彼がその標的になった迫害のために、やくざにならざるを得なかったんじゃないか? そうかもしれない…ほんとうのところはわからない。人生は解きほぐせないものだ…彼は絶対的忠誠と抑え難い憎悪をかきたてた…どちらかといえばそれは良い兆候だ…ファルスは、とにかくたぶん彼がそうなるはずだったものを打ち砕いたか、歪めてしまったのだ…いつも彼は金をたんまりもっていた、これが肝心なところだ。スイスの口座…彼の診察室はすいていることがなかった…診察料は恐ろしく高く…時間は短い…彼が一番非難されたのはこれだった、どうやらテンポってものがあるらしい…地獄の足枷…普通の、公認の、協会に加盟した精神分析家は、一回に四十五分はかける…何が起ころうとも…男のあるいは女の患者はやって来ると、横になって、自分の夢を語る、等々。四十五分、これが必要な「時間」だ…「無意識の時計」…混信の、あるいは分析家に対する多かれ少なかれ抑えられた暴力の十五分。主体の核心に触れる十五分、でもそのうちの三分だけが決定的で、それは三十秒でかたがつく。それから水増しの十五分。これで一丁上がり、お次の方どうぞ…ファルスはといえば、そんなものすべてを覆してしまったのだ…彼は、そんなものはハエがぶんぶん唸っているようなものだと思っていた…それは何もせずに眠っていることだと…それは発見の否定だと…彼の狙いはそいつを蒸し煮にしてしまうことだ…あれでは作業の「毒性」を弱めてしまう、と。彼の弟子たちがそう言ったように…毒性、毒性って…ウイルスとしての生命…何はともあれ、彼はあえてやったのだ…三分間…こんにちは、さようなら…さあ払ってもらいましょう…こんどはいつ? 国際学会は調査にのりだした…陰口、事件の口にされなかった裏面があった…彼は除名された…それを彼は見事な叙事詩に仕立あげたのだ…彼は「学派」を創立した…運動…連合…結社…そして、そのつど彼はみごとに失敗した…彼は気にせず、続行した…それは形の上では教会の論争にとてもよく似ていた、ギリシャ正教、宗教改革、反宗教改革、そしてさらにもっと似ていたのが、マルクス主義と共産主義の隊列に起こった周期的爆発だ…精神分析のパウロたるファルスをトロツキーの再来と考えることもできた、武装解除された予言者、流謫の予言者、中央権力によって道を誤まった真理の予言者…ユダヤ教会を破門されたスピノザ…神話がひとり歩きした、ファルスは異端であることを自慢しさえした、いずれ異端が正しいということになるだろう…






「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…彼が自分の後で根本的動揺をいだく者がもうひとりもいないことを望んでいたのを思えば、享楽の没収、享楽は結局何にもならないということの証明…だが、それが「うまくいく」ようにできていると言った者がかつていたのだろうか? 面白いのは、そいつが時どき期待を裏切ることができるってことだ…吹っ飛んでしまう前に…もっとも、それがひと度ほんとうに期待を裏切ったとしたら、そいつはとにかく少しはうまくいっている…憎しみのこもった固着に至り着くのでなければ…でもそれだって避けることはできる…ぼくの意見では、ファルスは十分に滑空しなかったんだな…かれはそのことでまいっていたのだと思う…どんな女も彼の解剖学にしびれなかったのだろうか? そうかもしれない…実際にはちがう…気違いじみてもいなかった…後になって「うまくいっている」か、いってないかってことが彼にとってどうでもよくなるには十分じゃなかった…そこから他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること…ファルスがぼくたちの家でぐずぐずしていたそのやり方のことをぼくはもう一度考えてみる…眼鏡越しにデボラに注がれる彼の長い眼差し…見下げ果てた野郎だ…それは痛ましかった、それだけだ…(ソレルス『女たち』)

ーーーというわけでファルスはラカンがモデルではあるが、小説のなかの叙述であることを念押ししておこう。



       ーーーWhen Heidegger met Lacan


…………



ラカンとハイデガーそして聖人を、象徴的ファルスのようにしているのではないかとさえ読めないでもない小笠原晋也氏がなかなか示唆溢れることを語っている(

精神分析トゥィーティング・セミナー:フロイト・ハイデガー・ラカン (version20140806))。

「男性的抗議」は,signifiant Φ の閉出,すなわち去勢が惹起する不安に対する防御です.その防御をまず解除しなくてはなりません.そのためにも,分析家の言説への導入の際の予備面接の間に,十分に症状を出現させる必要があります.

分析への導入が困難なケースはいろいろありますが,最も困難なもののひとつは,「わたしは,全く正常で,症状も何も無いのですが,分析家になりたいので,教育分析をお願いします」と言ってやってくる比較的若い男性精神科医でしょう.

自分が全く正常だと思い込んでいる人間ほど狂った者はいません.このような ケースは,まさに大学の言説にひたりきっており,場合によって,かなりの揺さぶりをかけないと,夢すら語ろうとしません.Lacan だったらけとばすくらいのことはしたかもしれません.


ーーこれは若く聡明な、そしてまだ分析を受けていない、さらには大学人でもある男性精神科医に読ませてやりたいところだな


他殺であれ自殺であれ,それは,死そのものである φbarré が a を破壊し,呑み込んでしまうことです.わたしは身をもってその極限状態を経験しました.文字どおり,突然足もとに穴が開いて,そこに呑み込まれてしまう感覚でした.実存構造の突然にして急激な解体が起きた場合,そのようなことが起こり得ます.
精神医学であれ精神分析であれ,もともと何らかの精神病理をかかえている者が興味を持ちやすい分野です.わたし自身にも当然あてはまります.だからこそみづから精神分析を受けたいと思ったのです.

Paris ではこんな話も聞きました.つまり,小学校や中学校の教師のなかに小児性欲者がいることが避けがたいように,精神科医や分析家のなかに精神病者がいることも避けがたい.当然,望ましいことではありませんが,完全に防止することは困難です.

話は若干脱線しますが,カトリック司祭のなかにも同性愛者,小児性欲者がいることは事実です.それがゆえの事件が起きており,教皇は被害者に謝罪しています.神学校では,神学生が同性愛者でないかどうか非常に厳しいチェックが行われているそうです.


…………


2002 年のわたしの事件に関する御質問をいただきました.

わたしと分析をしようとする人には,当然,わたしの事件のことを事前に知っておいていただかなければなりません.

わたしが「患者と恋愛関係」に陥ったとの御指摘ですが,それは事実ではありません.「おがさわらクリニックにかつて通院していた女性」です.当時,治療関係には既にありませんでした.しかも,その女性は実際には,精神科医療を必要とする厳密な意味での病者ではありませんでした.

医師と患者ないし元患者との恋愛関係が職業倫理的に許されないのは,以下の条件のもとにおいてだと考えます: 1) 医師が患者に対する自分の優位な立場にもとづき患者を利用しようとする場合; 2) 両者の関係が病状に悪影響を与える場合.

例えば,教師とその教え子との恋愛関係についても,それが職業倫理上許されないのは同様の条件においてでしょう: 1) 優位な立場にある教師が,その優位性にもとづいて教え子を利用しようとする場合; 2) 両者の関係が教え子の教育学的状態に悪影響を与える場合.加えて,教え子が未成年ではいけないでしょう.

わたしのケースにおいては,それらの条件は全く当てはまりません.

わたしの事件に関して事実に反する記述は Internet 上にまだ残っています.いちいち訂正して行くことはしないつもりでしたが,御質問をいただいた機会に正確な事実をお伝えしました.質問者の意図は明らかに単なる嫌がらせにすぎませんが,あなたが意図せずにこのような機会を提供してくださったことにに感謝します.

なお小笠原氏は次のようなこともおっしゃられるお方であるようだ。

中井久夫先生の或る文章に関連して御質問をいただきましたが,あの手の心理学的言説に捕らわれないようにしましょう.そこにおいては適切に問いを立てることができませんから,答えも見つかりません.

この論理で行くと、「心理学的な」小説はどうなるのだろう、たとえばプルースト。あるいは《人間の心理について教えてくれた最大の心理学者》とドストエスフキーを顕揚しつつ、みずからをその系譜とするニーチェ。彼が三島由紀夫や村上春樹の小説を書いてロマン派的(メロドラマ的な)なツイートをしているのは脇にやるとしても。

ーーこれがなかったら、ラカンは小笠原晋也の象徴的ファルスではないかとまでは書きたくなかったのだが、やはり繰り返し書いておこう。そもそもツイッターで質問者の答える形式のあり方は、質問者のヒステリーのディスクールに応じる主人=ファルスのディスクールとして受けとめざるをえないところがある。あれがはりぼての支配者のディスクールでなくてなんだろう。もちろんラカンがアンコールで書くように、ディスクールはあるものから別のものに変る。

I will remind you here of the four discourses I distinguished. There are four of them only on the basis of the psychoanalytic discourse that I articulate using four places - each place founded on some effect of the signifier - and that I situate as the last discourse in this deployment. This is not in any sense to be viewed as a series of historical emergences - the fact that one may have appeared longer ago than the others is not what is important . here. Well, I would say now that there is some emergence of psychoanalytic discourse whenever there is a movement from one discourse to another.(On Feminine Sexuality The Limits of Love and Knowledge BOOK XX Encore 1972-1973 TRANSLATED WITH NOTES BY Bruce Fink)

すなわちときに大学人のディスクール、ときにヒステリーのディスクールではあるだろうが、おおむね主人のディスクールのように思わざるをえない。ーーとするわたくしはおそらくヒステリーのディスクールなのだろう。

◆アレンカ・ジュパンチッチの四つのディスクール論より(http://ideiaeideologia.com/wp-content/uploads/2013/07/Zupancic-When-Surplus-Enjoyment-Meets-Surplus-Value.pdf)。
the hysteric likes to point out that the emperor is naked. The master, this respected S1 admired and obeyed by everyone, is in reality a poor, rather impotent chap, who in no way lives up to his symbolic function. He is weak, he often doesn't even know what is going on around him, and he indulges in "disgusting" secret enjoyment; he (as a person) is unable to control himself or anybody else.

 In popular jargon, this attitude of attacking and undermining the masters, pointing at their weaknesses, is usually said to be castrating. Yet, although it does indeed have to do with the question of castration, it is much more ambiguous than this popular wisdom implies. The hysteric's indignation about the master really being just this miserable human being, full of faults and flaws, does not aim at displaying how castrated he is; on the contrary, it is a complaint about the fact that the master is precisely not castrated enough—il he were, he would utterly coincide with his symbolic function, but as it is, he nevertheless also enjoys, and it is this enjoyment that weakens his symbolic power and irritates the hysteric. In this sense, the hysteric is much more revolted by the weakness of power than by power itself, and the truth of her or his basic complaint about the master is usually that the master is not master enough. In the person of a master, the hysteric thus attacks precisely those rights she is otherwise so eager to protect, namely what remains or exists of the master besides the master signifier. In other words, the target of the attack on the master is his surplus enjoyment, a. This is what is superfluous, what should not be there, and what, on the obverse side of the same coin, represents the point where the master is accused of enjoying at the subject's expense.





2013年11月30日土曜日

妙に気を使い合う「実名者」たち

週刊誌ブームが、現代日本文化の一種の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰まらない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。(……)私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。(小林秀雄「読者」)

少し前にも何気なく引用したのだが、この小林秀雄の言葉をもう少し考えてみよう。

《批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きている》、とある。これを患者ではない批評など信用するに当らぬ、というふうに読みたい誘惑にかられる。たとえば蓮實重彦は柄谷行人との対談集『闘争のエチカ』で、次のように語っている。

自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない

あるいは柄谷行人の『トランスクリティーク』冒頭の「序文」にはこうある。
私がなそうとしたのは、カントとマルクスに共通する「批判(批評)」の意味を取り戻すことである。いうまでもなく、「批判」とは相手を非難することではなく、吟味であり、むしろ自己吟味である。(柄谷行人『トランスクリティーク』「序文」)

そもそもカント的なアンチノミーの指摘を持ち出すまでもなく、批判している対象と異質な地平に立つことなどできはしない。

われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている。(柄谷行人『トランスクリティーク』--「人間的主観性のパラドックス」覚書より)

だが、ここでは馴れぬ哲学的な話は脇にやり、冒頭の小林秀雄にもどれば、「批評精神とは患者の側に生きる」とは、柄谷行人のいうカントとマルクスに共通する考え方、「批評とは自己吟味である」こととしてよいだろう。

他方、逆に、相手を非難する「批判」とか、批判している対象と異質な地平に立ったような批評でも、そのすべてではないにしろ、実は己れを語っているというふうに見ることができる。少なくともそういったふうに他者非難の言葉を読んでみることもときには必要であろう。

プルーストにはこのあたりのことを指摘する文章がいくらでもある。
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト『囚われの女』井上究一郎訳)

つまるところ、自分がもっているものと、あるいはもっていたものと、とてもよく似た欠点が他人にあるので、それによく気づき非難のことばが生まれる、あるいはそういった場合が多いということだ。そうでなかった場合、そんな欠点に気がつくことは少なく、嫌悪感も生まれにくいのではないか。

……自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。近視の男は他人の近視のことをこういう、「だってあれはほとんど目があけられないくらいですよ。」胸部疾患の人間は、この上もなく頑丈な人間の健康な肺臓にも種々の疑念をもつし、不潔な男は、他人がお湯や水を浴びないことばかりを口にするし、悪臭を放つ人間は、誰でもいやな匂がすると言いはる、だまされた亭主は、いたるところにだまされた亭主たちを、浮気な女房はいたるところに浮気な女房たちを、スノッブはいたるところにスノッブたちを見出す。それからまた、各自の悪徳は、それぞれの職業とおなじように、専門の知識を要求し、それをひろくきわめさせる、各自はそんな知識を得々と人まえで弁じたてずにはいられない。倒錯者は倒錯者たちを嗅ぎだし、社交界に招かれたデザイナーは、まだこちらと話をまじえないのに、もうこちらの服地に目をつけ、その指は生地のよしあしをさわってみたくていらいらしているし、歯科医を訪ねて、しばらく話をまじえたのちに、こちらについて忌憚のない意見をきいてみると、彼はこちらの虫歯の数をいうだろう。彼にはこれよりも重大に見えることはないのだが、そういう彼自身の虫歯に気がついたこちらにとっては、これほどこっけいなことはない。そして、われわれが他人を盲目だと思うのは、われわれが自分のことを話しているときばかりではない。われわれはいつも他人が盲目であるかのようにふるまっている。われわれには、一人一人に、特別の神がついていて、その神が、われわれの欠点にかくれ蓑をかけてわれわれからかくし、他人には見えないという保証をしてくれているのであって、同様に、その神は、からだを洗わない人々にたいして、耳にためた垢の筋や、腋の下から発する汗の匂に、目をとじ鼻腔をふさがせ、誰もそれと気づかないであろう社交界へ、それぞれその垢の筋や汗の匂をもちこんでも平気だという確信をあたえるのだ。そしてイミテーションの真珠を身につけたり、贈物にしたりする人は、それがほんものに見られるだろうと想像するのである。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」 第二部井上究一郎訳)

 

そしてこれらのことは優れた人間でも凡庸な人間でも変わりがない、とプルーストは書く。

性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。(プルースト「見出された時」)

もちろん、これは広い意味での「心理学」の領域の話なので、たとえばフロイトにもふんだんにこの類の指摘はある。

……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。……(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))

ようするにラカン派的な言葉づかいをすれば、《自分の欲望についての真理を隠すために》他者非難をするのだ。

他方、フロイトは、「自己非難」についても、次のような逆転を書く。

メランコリー患者のさまざまな自責の訴えを根気よくきいていると、しまいには、この訴えのうちでいちばん強いものは、自分自身にあてはまるものは少なく、患者が愛しているか、かつて愛したか、あるいは愛さねばならぬ他の人に、わずかの修正を加えれば、あてはまるものであるという印象をうけないではいられない。事態をしらべればしらべるほど、この推測は確かなものになる。このように、自己非難とは愛する対象に向けられた非難が方向を変えて自分自身の自我に反転したものだと見れば、病像を理解する鍵を手にいれたことになる。

夫に同情して、自分のような働きのない女と一緒になったのは気の毒であると口に出して言う妻は、どのような意味で言っているにせよ、実は夫の働きのないことを訴えているのである。(……)言葉の古い意味にしたがえば、彼らの訴えは告訴なのである。彼らが自分について言っている軽蔑の言葉は、根本的には他人について言っているのだから、彼らはそれを恥じたり、かくしたりしないわけである。また、実際に品性下劣な者だけにふさわしいはずの卑下や屈従を、周囲の人に見せることをしないで、きわめてはげしく苦しみ、たえず悩み、ひどく不当な目にあっているかのようにふるまうわけである。これらすべてのことは、彼らの態度に見られる反応が反逆という精神的姿勢から発しているからこそ可能なのであって、この反逆がある過程によってメランコリーの後悔というものに移行するのである。(フロイト『悲哀とメランコリー』 フロイト著作集6)

この二つの機制は、ドゥルーズがニーチェのルサンチマン(怨恨)を語るときの二つの「投射」でもあるだろう。

怨恨。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする。反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「反感=怨恨」となる。それでひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その<力>から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」。(ドゥルーズ『ニーチェ』)
疚しい心。私が悪い、私のせいだ……。内向投射のモメント。反動的な諸力は、ちょうど魚を釣り針に掛けるようにうまく生を罠に掛けたあとで、それ自身へと戻ることができる。それら諸力は過ちを内面化し、自分が罪深いのだと言い、自分自身に敵対する。だがそうすることで、反動的な諸力は模範を与えるのであり、生が全体として反動的な諸力と結びつき、一体化するよう促すのである。そうやって反動的な諸力は最大限の伝染力を獲得する。そしてさまざまな反動的な共同体を形成するのである。(同上)

ただし現在、後者の「自己非難」や「内向投射」は少なくなってきている、という指摘が中井久夫にある。

1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間2001Ⅲー1 「共同討議」トラウマと解離(斉藤/中井/浅田)

これは、一般には「大文字の他者」の凋落、父なき時代にかかわるとされるが、今はそれについては触れない。簡単にいえば、フーコー/ドゥルーズの「ディシプリンの社会」から「コントロールの社会」への移行ということでもあろう。

中井久夫の指摘する文から自罰的/他罰的という二項対立だけを捉えれば、後者の他罰的が現代の特徴だということになる。インターネット上には匿名者のルサンチマンによる発話が跳梁跋扈しているには相違ない。だがプルーストやフロイトの指摘で面白いのは、その匿名者を厳しく非難する実名者の言葉そのものさえ、自己を語る遠まわしの方法ではないか、と疑ってみる必要があるということだ。

ニーチェなら、すべての意見はひとつの隠れ家であり仮面である、という。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。(……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』289番)

そもそも「正義」の言説とは、フロイトによれば、次のようなことだ。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ルサンチマンの発話者への非難は、それを楽しんでいる人びとへの羨望でもあり得るのだろう、たとえば抗議や嘲弄が立場上できない人の。

抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

もっとも、わたくしはネット上の攻撃的な発言を擁護するつもりはさらさらない。

個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。(内田樹「ネット上の発言の劣化について」)

だがそれなりに地位のあるひとからさえ、次のような発話が生まれるのは、なにか鬱憤が溜まっているのではないかとは疑わざるをえない(関東エリアにある国立大学の准教授のツイッター上の発言5/27

・外野でシニカルに構えて、何かを言ったふりだけする奴ら。本当にどうにかならんもんかなと思う。しかも、ほとんどが匿名。自分をリスクにさらす勇気もない連中が、誰ひとりとして取り組んだことのないことにトライする人たちの試みを、斜に構えて眺めている。

・この国のシニシズムは、本当に病根が深いと思う。


だれでも、「あの野郎、とんでみない奴だ」、と思うことはあるだろう。それは上の発言では「匿名者」に向けられているが、実名であるために(つまり自分をリスクにさらしているがゆえに)言いたいことが言えない状況に陥ってはいないか。

たとえば2011年の春の事故からしばらくたって、大学当局が「早野黙れ」という情報統制の指示を出していたことが明らかになった。現在、戦前の「内務省」設置法案に反対している良識ある研究者たちは、では、当時なぜ大学当局の情報統制に大して憤りもみせず、遣り過してしまったのだろう。自分をリスクにさらして職場で居心地が悪くなったり、究極的には職を失うのを怖れたためではないか。

今まで、あまり喋ったことのない秘密を少し話しますと、やはり私たちは組織に属している人間なので、喋っていいことといけないことがあるかということで、東京大学が次画像のような通知を出しました。要するに「大学本部が仕切るので、個々の教員は勝手なことを言うな」という通知です。私は直接、大学本部から「早野黙れ」と言われました。そこで理学部長などとも少し相談して、黙らないことにしました。(大学本部から「早野黙れ」と言われたが

現在政府の法律に強い反発表明をしている「良識」ある研究者や学者たちは、当時これを社会と文化への脅威として、すくなくとも表立っては憤ることがたいしてなかったのはなぜなのか。ひょっとして、あそこで教職員のデモなりボイコット運動なりの抗議があったら、いまの法案の設立にさえわずかにしろ影響を与えることができたのではないか。

「現実主義でいこう、われわれ左翼学者は、体制が与えてくれる特権をすべて享受しながら、外面的には批判的でありたいのだ。そのために、体制に対して不可能な要求をなげつけよう。そうした要求がみたされないことは、みな分っている。つまり、実際には何も変わらず、われわれがこれまで通り特権化されたままでいられることは確かなのだ」(ジジェク『信じるということ』)

まあしかしながら、過去のことはこの際どうでもよろしい。肝腎なのは今どうするかだ、外面的には批判的でありたいだけではないなら。

…………

カントは理性の「公的使用」と「私的使用」についてこう書いている。

自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない、これに反して自分の理性を私的に使用することは、時として著しく制限されてよい、そうしたからとて啓蒙の進歩はかくべつ妨げられるものではない、と。ここで私が理性の公的使用というのは、ある人が学者として、一般の読者全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。また私が理性の私的使用というのはこうである、---公民としてある地位もしくは公職に任ぜられている人は、その立場においてのみ彼自身の理性を使用することが許される、このような使用の仕方が、すなわち理性の私的使用なのである。

(中略)しかしかかる機構の受動的部分を成す者でも、自分を同時に全公共体の一員――それどころか世界公民的社会の一員と見なす場合には、従ってまた本来の意味における公衆一般に向かって、著書や論文を通じて自説を主張する学者の資格においては、論議することはいっこうに差支えないのである。(カント 『啓蒙とは何か』)

柄谷行人は、その『トランスクリティーク』において上記の文を引用して次のように書く。

通常、パブリックは、私的なものに対し、共同体あるいは国家のレベルについていわれるのに、カントは後者を逆に私的と見なしている。ここに重要な「カント的転回」がある。この転回は、たんに公共的なものの優位をいったことにではなく、パブリックの意味を変えてしまったことにあるのだ。パブリックであること=世界公民的であることは、共同体の中ではむしろ、たんに個人的であることとしか見えない。そして、そこでは個人的なものは私的であると見なされる。なぜなら、それは公共的合意に反するからだ。しかし、カントの考えでは、そのように個人的であることがパブリックなのである。(p155~)


公民としてある地位もしくは公職に任ぜられていることに囚われた発話は、カント的には理性の私的使用なのだ。

そして立場上(つまり、公民としてある地位もしくは公職に任ぜられていることにより)、自由に理性の公的使用ができない鬱憤、そのルサンチマンが、「匿名」批判に向けられているということはないだろうか。もっとも、くり返せば、現在ネット上に席巻する匿名者の発言の質の劣化、その非論理性、その攻撃性を擁護するつもりは毛筋ほどもない。

「●●が■■で××の件wwwww」とか「これがあれwwワロタwww」とか書いておけば、すべて2ちゃんねる風になるんだな。

「●●が■■で××の件wwwww」とかいう表現形式によって内容関係なしに伝わる、あの独特の「おれ本当は弱いんだけど、おまえらのことバカにしてるってあえて表明しとくわ、あ、責任は取らないしマジで抗議されたら逃げるけどなw」感をなんと表現したらいいんだろうな。

というか、そんな卑怯で醜い負け犬の遠吠え的表現がこんなに一般化しちゃった日本って大丈夫なのかと心配になる。(東浩紀ツイート)


ただし実名者たちには、次のようなことがあるのだろう。

最近ネットなどを見ていると、妙に気を使い合ったりして、あまり人の名前を出して批判したりはしない。他方、批判が一回出てしまうと、それが非難の応酬に繋がってあっという間に絶縁、といった、狭い所でお友達どうし傷つけ合わないようにという感じになっている。

 

しかし、コミュニケ-ションは常にディスコミュニケーションを含むし、議論は常に相互批判を含むから、それができにくくなっているとしたら忌々しき事態。人格・個人に対する批判ではないという前提で、相互に攻撃すればいい。ある程度けんかしなければお互い成長はしない。けんかするとお互い傷つくが、傷だらけでなんとかやっていくのが社会。別に仲良くやっていく必要はない。けんかし、けんかした上で共存していくというのが重要だ、ということは知っておくべき。(浅田彰「「知とは何か・学ぶとは何か」

要するに、ある論点を批判しても、それが人格批判としてみられてしまって、理性の公的使用がしにくくなっているのではないか。ツイッターが流行しだした当初には批判の応酬がそれなりにあったのだが、今では互いに妙に気を使い合っている現象があきらかに窺われる。そして実名者の建て前でしかない発言と匿名者の本音ばかりが蔓延る。

建て前、すなわち、次のようなたぐいの発話として勘繰らざるをえない言葉ばかりが少なくともツイッター上では目につく。
学問の世界で、同僚の話がつまらなかったり退屈だったりしたときの、礼儀正しい反応の仕方は「面白かった」と言うことである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

立場上、あるいは友人関係などで、理性の私的使用しかできないのは、やむえない面があるのを否定するものではない。だが、たとえば今年になってドゥルーズの研究者による評判の高い書物が何冊か上梓されているが、われわれの知りたいのは彼らの仲良しぶりではなく、どこに論点の違いがあるのか、「相互に攻撃」する箇所があるに違いないのに、それはほどんどなされない(すくなくとも私のすくない見聞では)。お互いのよい箇所だけを褒め合いましょう、ドゥルーズにはいろいろな面があるのだから、という群れのなかの相似形の疑似対話・批評の如きものしかない。たとえば短い紹介書評だからやむえないのかもしれないが、「「いい加減」な生の姿を記述」などという文はほとんど何も言っていないにひとしいようにわたくしには感じられてしまう。

わずかに次のような発言が遠まわしに年輩のドゥルーズ研究者からあるだけだ(もっともこれもわたくしの寡聞によることだけなのかも知れないが)。

@kumatarouguma: ドゥルーズを読んで政治を語りたがる人間は、あらゆる批判、反省、省察は何もの意味もなさない、すべて新しいものはいいものである、それだけがまともな世界をつくることができるという、そういう言葉にこめられた絶望と凄みを実践的に考えるべきだとおもうけどね。他人を批判する人間のほぼ99%はただのルサンチマンで怨恨、こんなもので政治と正義を語ったと気取っている連中が「権力」なぞににぎったらどういう連中になるか容易に想像ができる。本当に最低の社会になるぜ。

@kumatarouguma: 吉本が天皇制を語るときに記紀から読まない左翼なんか相手にしないように、彼が徹底して良心左翼を批判することでしか左翼について何かをつくることができないといいつづけたように、きちんとものを考える人間ていないのかね。無能な連中ばかりだね。自分の無能は差し置いていますがすみません。

われわれの知りたいのは、1%の人物たちの「相互攻撃」による論点の明確化であろう。

立場上できないのなら、むしろ、かつて中井久夫が楡林達夫という変名を使ったような理性の公的使用による批判だ。むしろ「精神の健康のために」(ニーチェ)匿名や偽名で語るべきなのではないか。
楡林達夫が誰であるかは絶対に知られてはならない。ぼくの大学も。大学がわかったら、ああ、あれは○○大学のことさ、で片づけられてしまうだろう。抵抗的医師とは何か


最後にサドとともに、「提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり学者どもに災いあれ!」としておこう。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)

現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。(ドゥルーズ『フーコー』宇野邦一訳)





2013年11月23日土曜日

一片欣々たる皇室尊崇の念(森鷗外)


断腸亭日乗 大正七年戊午 荷風歳四十

正月廿四日。鴎外先生の書に接す。先生宮内省に入り帝室博物館長に任ぜられてより而後全く文筆に遠ざかるべしとのことなり。何とも知れず悲しき心地して堪えがたし。

荷風の日記には、鴎外にたいして殆ど崇拝の念を感じさせる記述ばかりが目立つが、上の文はその稀な例外である。

もっとも鴎外は、この大正七年前後、完全に執筆活動をやめていたわけではなく、遅々として進まぬながら『北條霞亭』を書いていたようだ。

「北條霞亭」は森鴎外史伝三部作の最後の作品であるとともに、彼の著作活動の絶筆ともなった作品である。大正五年十月に新聞紙上に連載を開始して以来、長い中断を置いて、大正十年雑誌「あららぎ」誌上で連載を終了するまで、実に五年余の歳月を要している。しかしてその八ヵ月後に鴎外は世を去るのである。

この作品の完結にかくも長い期間を要したのは、世間がこの作品を喜ばなかったからである。最初この作品の連載を載せた新聞(東京日日新聞)は、開始後二か月で連載を中止した。本編165回分のうち57回分を終えたところだった。1年以上の中断を経て今度は雑誌(帝国文学)に続編を発表したが、これも遅々として進まず、大正9年1月には雑誌社そのものが廃刊してしまう。最後に連載を引き受けた「あららぎ」は創刊したばかりで、創始者の齋藤茂吉は鴎外に尊敬の念を抱いていたから、いわばご祝儀のようなつもりだったのだろう。連載中作品そのものが世間の話題を呼ぶことは殆どなかった。(森鴎外「北條霞亭」:文化文政時代の精神を描く

《大正5年(1916)1月13日から鴎外「渋江抽斎」を「東京日日新聞(毎日新聞)」に連載開始。同年、3月28日、鴎外の母死す。その1ヶ月後、「渋江抽斎」完結。それから10日もたたぬうちに漱石が「明暗」を「朝日新聞」に連載開始。その年、12月9日、漱石死す(50才)。鷗外(55才)も漱石の葬儀には参列している。

鷗外と漱石は、お互いに「見た」ことはあるが交流はなかった。

「実際には漱石は鴎外が同時代の小説家の中でただ一人尊敬していた人です。尊敬というか、好敵手と見ていた人です。」

鷗外の「ヰタ・セクスアリス」には、「夏目金之助君が小説を書き出した、金井君(主人公の鴎外)は非常な興味を以て読んだ。そして技癢を感じた。」》(鴎外と漱石 江藤淳 要約


ーー漱石の「朝日新聞」における新聞小説の人気に対抗するようにして、鴎外は「

東京日日新聞」で執筆することになったのだろうが、最初の歴史物『渋江抽斎』はまだしも、その後、だんだんと読まれなくなったということなのだろう。

鷗外にとって、「自己」は実体的ななにかではなく、「あらゆる方角から引つ張つてゐる糸の湊合してゐる」(『妄想』)ものであり、マルクスの言葉でいえば「諸関係の総体」(「ドイツ・イデオロギー」)にほかならなかった。いいかえれば、鷗外は「自己」を西洋人のように直接的・実体的にみる幻想をもちえないことを逆に「苦痛」にしていたのである。

したがって、鷗外の本領は、「侍」的人間を書いた歴史小説で発揮されている。そこでは、鷗外は「心理的なもの」を徹底的に排除しようとした。この姿勢は、午前中に小説を書き、午後には漢詩や山水画の世界に浸っていた晩年の夏目漱石と共通している。おそらく、彼らは「文学」とけっしてなじめないものをもっていたのであり、また「表現」を拒絶する視点をもっていたのである。(柄谷行人『日本近代文学の起源』P93)


柄谷行人は鷗外と漱石の共通性を言うが、漱石は「心理的なもの」をその新聞小説では書き、鷗外が「非心理的な」歴史物を書いて、公衆に受けが悪かったということは言いうるのではないか。そして、もし鷗外が「諸関係の総体」としての人物を書いたのなら、今、鷗外の新しさはそこにあるともいえる。

なぜなら、人工知能のパイオニアのミンスキーの、「心というのは多数のモジュールないしエージェントが統一的なプログラムなしに並列して走っているようなもので、その中には意識としてドミナントになるものもあるが、それとは別のリズムで意識には上らないまま動いているものもある、その総体が心なんだ」やら、あるいはヒュームの、「自己というのは多数の知覚の束だ、いわば蚊柱のようなものだ」とする「解離」「多重人格」としての「自己」を描いた、つまり「自閉症」と並び、現在、注目される課題のひとつでもある「自己」のあり方を書いた、ということになるわけだから。

精神医学の領域では、解離というメカニズムが、現代的な主体においては、抑圧よりもよく見られる防衛システムとして捉えられる傾向にある(座談会「来るべき精神分析のために」 十川幸司発言

実際、鷗外の叙す抽斎は、抽斎自身が解離的だとはどうみても読めないが、「解離的な」友人たちに翻弄・困惑されながらもその頓才・奇才を愛したひとのようには読める。ーー《人と交るには、その長を取って、その短を咎めぬが好い》(『渋江抽斎』)


ところで、冒頭の荷風の日記が書かれた大正七年とは米騒動の年であり、鴎外は当時の社会の激動に無關心で、歴史物を書くのに専念していた、という批判もあるようだ。


荷風の大正七年の日記には、「既に切迫し来れるの感」とあり、翌年には「朝鮮人盛に独立運動をなし」あるいは「新聞紙連日支那人排日運動の事を報ず」などとあり、文人趣味を横溢させる荷風にも、社会的な動乱への関心があるのが知れる。



わたくしは、鴎外の『渋江抽斎』は四五度は読んでいるが、『伊沢蘭軒』はどうもいけない(わたくしには漢文が多過ぎる)。『北条霞亭』は掠ったこともない。青空文庫にもない。が、いまインターネット上をみると、横書きにて打ち込んだものがあるようだ。

ここでは読んでいない小説のことをとやかく言わずに、またすでに多く語られた『渋江抽斎』の感想などを記すことも遠慮し、緒家の『抽斎』賛を掲げておこう。

大正十二年歳次 葵亥 荷風年四十五

五月十七日。 曇りて寒し。午後東光閣書房主人来談。夜森先生の『渋江抽斎伝』を読み覚えず深更に至る。先生の文この伝記に至り更に一新機軸を出せるものゝ如し。叙事細 密、気魄雄勁なるのみに非らず、文致高達蒼古にして一字一句含蓄の妙あり。言文一致の文体もこゝに至つて品致自ら具備し、始めて古文と頡頑(けつかう)す ることを得べし。

『抽斎』と『霞亭』といずれを取るかといえば、どうでもよい質問のごとくであろう。だが、わたしは無意味なことはいわないつもりである。この二篇を措いて鷗外にはもっと傑作があると思っているようなひとびとを、わたしは信用しない。(……)『抽斎』と『霞亭』と、双方とも結構だとか、選択は読者の趣味に依るとか、漫然とそう答えるかも知れぬひとびとを、わたしは信用しない。(……)では、おまえはどうだときかれるであろう。ただちに答える。『抽斎』第一だと。(石川淳「鷗外覚書」)
出来上がった作品としては「蘭軒」は「抽斎」に及ばない。うっとりした部分、遣瀬ない部分、眼が見えなくなった部分、心さびしい部分をもって、しかも「抽斎」はその弱いところから崩れ出して行かない世界像を築いている。いわば、作者のうつくしい逆上がこの世界を成就したのであろう。そういううつくしい逆上の代わりに今「蘭軒」には沈静がある。世界像が築かれるに至らないとしても、蘭軒という人間像をめぐって整理された素材の粛粛たる行列がある。(石川淳『森鴎外』)


丸谷才一は、『霞亭』ではなく、『抽斎』と『蘭軒』派のようだ。

日本の近代文学で誰が偉い作家かといえば、夏目漱石と谷崎潤一郎、そして森鷗外の3人だと相場はほぼ決まっています。戦前の文壇筋では、谷崎はともかく、漱石や鴎外を褒めるのは素人で、一番偉いのは志賀直哉だと評価が定まっていましたが、ここにきてやっと妥当なところに落ちつきました。

一般的に漱石や谷崎の作品はよく読まれているはずなので、あらためて触れる必要はないでしょう。問題なのは森鴎外です。だいたい、鴎外の小説は美談主義でたいしたことはない。それでも、国語の教科書で『高瀬舟』なんかを無理矢理読まされるものだから、みんなうんざりしてしまう。そもそも教科書にはつまらないものが載るので、教師の教え方も下手に決まっているから、印象が悪くなるのは当たり前。鴎外の作品で本当に価値があるのは、晩年の50代に書いた3つの伝記なのです。

その3作とは、書かれた順に『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』。いずれも江戸後期の医官でたいへんな読書家だった。鷗外は古本屋で彼らが売った本に出合い、「いったいどんな人がこれほど立派な蔵書を持っていたのだろう」と好奇心を抱いて探り出す。そこから話が始まります。(……)

先に挙げた3作の中では、僕は『渋江抽斎』と『伊沢蘭軒』がいいと思う。この2作品は近代日本文学の最高峰といえるでしょう。なぜそれほど素晴らしいのか。この2作は続けて書かれたものですが、謎解きの構造がたいへん大仕掛けになっていて、『伊沢蘭軒』の中で、前作で解決されなかった謎がすっかり解けるのです。(文壇の重鎮 丸谷才一が語る「不朽の名作」

みずから進んで抽斎の妻に嫁し、思慮深く、好学心があり、しかも勇敢であった五百に鷗外は遂にみずから得なかった理想の妻の姿を見出したのではなかろうか。

作中もっとも劇的な場面の一つは、抽斎を脅迫する三人の侍を、五百が追い出した話である。三人が訪れたとき、五百は浴室にいた。三人は奥の間に通って、抽斎に金を要求し、容れられずとみるや、刀の柄(つか)に手をかけて、抽斎をかこんだ。そのにらみ合いの最中に、廊下に足音もせず、静かに障子が開く。

《刀の柄に手を掛けて立ち上った三人の客を前に控えて、四畳半の端近く坐していた抽斎は、客から目を放さずに、障子の開いた口を斜に見遣った。そして妻五百の異様な姿に驚いた。

五百は僅(わずか)に腰巻一つ身に著けたばかりの裸体であった。口には懐剣を銜(くわ)えていた。そして閾(しきい)際に身を屈めて、縁側に置いた小桶二つを両手に取り上げるところであった。小桶からは湯気が立ち升(のぼ)っている。縁側を戸口まで忍び寄って障子を開く時、持って来た小桶を下に置いたのであろう。

五百は小桶を持ったまま、つと一間に進み入って、夫を背にして立った。そして沸き返るあがり湯を盛った小桶を、右左の二人の客に投げ附け、銜えていた懐剣を把って鞘を払った。そして床の間を背にして立った一人の客を睨んで、「どろぼう」と一声叫んだ。

熱湯を浴びた二人が先に、柄に手を掛けた刀をも抜かずに、座敷から縁側へ、縁側から庭へ逃げた。跡の一人も続いて逃げた。》(森鴎外著『渋江抽斎』)

これは探偵小説の一場面ではなく、さながら映画の活劇場面であろう。腰巻一枚の方はしばらく措き、果たして今日の映画女優に、一声能(よ)く三人の侍を走らせる裂帛(れっぱく)の気合ありやなしや。私は尊敬する先学北野克氏から恵贈された五百自筆の短冊「秋雨」を居室に掲げ、それをみる度に、鴎外の描いた幕末の女の勇気を想出す。(加藤周一著「『渋江抽斎』について」)


『渋江抽斎』賛ではないが、三島由紀夫の鷗外賛。

鴎外とは何か?(……)

鴎外は、あらゆる伝説と、プチ・ブウルジョアの盲目的崇拝を失った今、言葉の芸術家として真に復活すべき人なのだ。言文一致の創生期にかくまで完璧で典雅な現代日本語を創りあげてしまったその天才を称揚すべきなのだ。どんな時代になろうと、文学が、気品乃至品格という点から評価されるべきなら、鴎外はおそらく近代一の気品の高い芸術家であり、その作品には、量的には大作はないが、その集積は、純良な檜のみで築かれた建築のように、一つの建築的精華なのだ。(三島由紀夫「作家論」―森鷗外)

…………



◆「史伝に見られる森鴎外の歴史観」(古賀勝次郎)より

鴎外は、「わたくしが渋江抽斎のために長文を書いたのを見て、無用の人を伝したと云ひ、これを老人が骨董を掘り出すに比した学者」云々としている(『伊沢蘭軒』)。この学者とは和辻哲郎である。

私は部分的にしか読まなかった『渋江抽斎』をここで批判しようとは思はない。にもかかはらず私は先生の態度に対する失望をいはないではゐられない気持ちがする。……しかもあの頭のよさと確乎した物の掴み方とは、ともすれば小さいくだらない物の興味に支配されるのではなからうか。……私は『渋江抽斎』にあれだけの力を注いだ先生の意を解し兼ねる。私の憶測し得る唯一の理由は、『掘り出し物の興味』である。しかし埋没されてゐたといふことは、好奇心をそそりはしても、その物の本来の価値を高めはしない。その物の価値は『掘り出された』ことと独立して判定せられねばならない。……例へば中央アジアで発掘された仏像は珍奇な発掘品である故に価値があるのではなく、ある時代の文化を象徴する少数の遺物である故に芸術的価値以外に更に尊さを加へるのである。抽斎の伝記にはそれがない。彼の個人としての偉大さも文化の象徴としての意義も、先生のあれだけの労作に価するとは思へない。(和辻哲郎「文化と文化史と歴史小説」)


漱石派/鴎外派の対立ということもあるのだろう。

森先生の歴史小説は、その心理観察の鋭さと、描写の簡素と、文体の晴朗とで以て、われわれを驚嘆せしめる。例へば、『寒山捨得』では、……俗人の心理や真の宗教的心境の暗示や人間の楽天的な無知などが、いかにも楽々と、急所急所を抑へて描いてあるのに感服した。しかし私は何となく、本質へ迫る力の薄さを感じないではゐられない。先生の人格はあらゆる行に沁み出てるるが、それは理想の情熱に燃えてない、傍観者らしい、あくまで頭の理解で押し通さうとする人格のやうに思はれる。そこへ行くと夏目先生は、口では徹底欲を笑ふやうなことをいってゐるが、真実は烈しい理想の情熱で、力限り最後の扉を押し開けようとしてゐる。夏目先生の取り扱ふ題目は、自分の内生を最も力強く揺り動かしてゐる問題である。あくまで心の理解で貫かうとする欲求も見える(同和辻)
ーー和辻は、「夏目先生の長所と森先生の短所との比較」としているが、これは己れの文の、鴎外批判(吟味)と漱石顕揚の対照の甚だしいことを韜晦する為につけ加えた但し書きに過ぎないだろう。



◆鴎外文学に対する三つの視点(井村紹快)より

この人たち(谷崎潤一郎、永井荷風、志賀直哉、等)ををさきの二人(漱石、鴎外) の人に比べてみると、大きい小さい、うまい・まずいということとは別に、今日のこの人たちが、すくなくともあの二人と同じ意味で偉大だとは義理にもいえないと思うということが自然に出てくる。(中野重治「漱石と鴎外との位置と役割」)
しかしそこに、古いものに対する鴎外の屈伏、あるいは妥協ということも私はあったと思います。必ずしも家族制度と限る必要はありません。家庭生活、官吏生活、それから政治生活、すべてを貫いて結局のところ鴎外は、古いものに屈伏しています。従順にそれに従っています。生涯をつらぬいて鴎外は、古いものを守ろうとする立場を守っています。むろんそこに、いろいろの、またなかなかはげしい内部衝突かおりますが、この衝突を、行きつくところまで行きつかせることを鴎外はしません・(中野重治「鴎外位置づけのために」)
そこで、鴎外で目立つ第二の問題ですが、それは、古い権威を維持するため彼がいかにも奮闘しているということだと思います。これは、話が多少面倒になりますが、森茉莉さんの言葉をかりれば、鴎外の思想の根底に『一片耿々たる皇室尊崇の念が確乎として存在』したということに関係があります。やはり必ずしも、皇室とか天皇とかいうものには限りませんが、徳川時代から引きつづいて来た日本の封建的なもの、明治になって再編成された封建的専制的なもの、これを維持しようため、鴎外がいかに奮闘したか、いかに五人前も八人前も働いたかという問題であります。

このことでは、鴎外はさまざまの改革をもやっています。宮内省ないし帝室博物館の問題、陸軍軍医団の編成の問題、東京医学会ないし日本医学会の組織の問題、政府の文芸政策ないし芸術作品にたいする検閲の問題、革命運動にたいする弾圧政策の問題、こういう問題で、鴎外は、広い知識と高い見識とを働かして、なかなか立派な意見を出し、またそれが実行されるよう舞台裏で事を運んでいます。文部次官に手紙をかく。山県有朋に特別に会って話をする。そういうことをやり、またそのため、人と衝突したり、陸軍次官から叱られたりなどもしています。では何のために鴎外がそれほど働いたか。日本の民主化をおさえるため、日本の民主主義革命にブレーキをかけようとして五人前も八人前も仕事をしています。民主主義革命への日本内部の動きと活力、それをおさえるには、上からの力をふんだんに強め、不断に新しくせねばなりまぜん。この上からの力を、粗末なものから精密なものに、低級なものから高級なものに改めて行かねばなりませんが、この支配する力を思想的哲学的に裏づけ高めること、ここに鴎外の五人前も八人前もの力が発揮されたということ、これが第二の問題、また非常に大事な問題だと私は考えます。(中野重治「鴎外位置づけのために」)
労働者階級の成長を明らかに勘定に入れて、さまざまの社会政策を改良主義的に考え、その結果、改良主義から天皇制社会主義( ? )へ行き、排外・全体主義の極右政策に出ようとした一人の人によって近代日本文学が最も高く代表されているという事実、これを日本の労働者階級とその文学的選手団とから隠そうとするのはよくないことであって悪いことである。(「鴎外と自然主義との関係の一面」)
天皇を天皇制の中心として残そうという試みと、同時に天皇をいくらかでも人間的ものとしようという試みとの、分かり切つた空しい統一のための鴎外の努力は、今となっては同情をもって眺められるべきものかも知れない。ここでも古い意味での『忠義』という言葉をつかえば、鴎外は、明治・大正の全期間を通じて、その『忠義』のために金、位、爵位などを得たすべての人よりももっと純粋な意味で『忠義』であったとも言えよう。これは、強かった鴎外の弱点としての美点であった。(「小説十二篇について」)

ここに書かれる鴎外の態度は、いろいろ語られ過ぎた三島由紀夫の天皇にたいする態度と同じものというつもりはないが、すくなくとも「春の雪」の月修寺門跡の態度と驚くほど似通っている。

あの朝、聰子からすべてを聴かされたとき、門跡は聰子を得度させるほかには道がないことを即座にさとられた。宮門跡の傳統ある寺を預る身として、何よりお上を大切に思はれる門跡は、かうして一時的にはお上に逆らふやうな成行になつても、それ以外にお上をお護りする法はないと思ひ定め、聰子を強つて御附弟に申し受けたのである。

お上をあざむき奉るやうな企てを知つて、それを放置することは門跡にはできなかつた。美々しく飾り立てられた不忠を知つて、それを看過することはできなかつた。

かうして、ふだんはあれほどつつしみ深くなよやかな老門跡が、威武も屈することのできない覺悟を固められた。現世のすべてを敵に廻し、お上の神聖を默ってお護りするために、お上の命にさへ逆らふ決心をされたのである。(三島由紀夫「春の雪」『豊饒の海』第一巻 319-320頁)



◆「大岡昇平『堺港攘夷始末』論 : 単一の「物語」への回収を拒否する歴史」(尾添陽平)より

大岡の『堺事件』批判は、大岡自身によつて以下のようにまとめられている。

・全体として、鴎外の美談作りの意図が露骨で、歴史小説の方法として疑間がある。

・一方には無法な洋夷としてのフランス人がおり、他方これを排除せんと決意し、皇国意識に目醒めた土佐藩士がいる。彼等は洋夷の圧力によって切腹しなければならなかったが、正にその切腹によって洋夷を遁走せしめた。洋夷に対して謝罪はしないが、切腹の場に臨み、無言のうちに、彼等の不幸を見守る、天皇家があった。封建的土佐藩は助命された九士を流罪にしたが、天皇制は幼帝即位を機に特赦する仁慈と権威を持っている。鴎外が捏造したこの構図ほど山県体制に役立つものはなかったであろう。(大岡昇平「『堺事件』の構図――森鴎外における切盛と捏造――」)


吉田熙生は、大岡の『堺事件』批判の動機を、「『レイテ戦記』の執筆と完成にあった」と指摘、『「堺事件」の作者鴎外の位置は、レイテ戦の事実を都合よく書き替える高級将校のそれになぞらえることができる」「兵士の死をイデオロギーによって美化すること、そしてそうした作者鴎外を偶像化することは、大岡には認めがたいことだつた」と述べている。大岡は、『レイテ戦記』のあとがきにおいて「旧職業軍人の怠慢と粉飾された物語に対する憤懣」があった、と述べる。大岡は、旧軍人たちによるレイテ戦の記述が、レイテ戦を美化する「物語」を立ち上げ、レイテ戦を、その「物語」の構図に回収する記述であることを批判している。そして『堺事件』が、旧軍人たちによって記されたレイテ戦と同様に「全体として、鴎外の美談作りの意図が露骨」であり、『堺事件』の歴史記述は、無法な洋夷としてのフランス人」を「皇国意識に目醒めた土佐藩士」が、「切腹」という命を代償にした行為によって遁走せしめ、天皇家は、「切腹」した土佐藩士の「不幸を見守」り、「助命された」土佐藩士を「特赦する仁慈と権威を持っている」〉という殉国の「物語」を立ち上げ、堺事件を、その「物語」の構図に回収する記述である、と批判するのである。


…………

戦後以降も、作家、芸術家批判というものがくり返されてきた。彼らがその「現在」、政治にいかにかかわっているか、あるいは体制批判の有無が、鴎外への批判と同じようなものを生む。美学的にいかにすぐれていようと、そのひとの体制へのかかわり方によって「凡俗」という評言が与えられる場合がある。ましてや思想家、批評家ならいっそうのこと。

中野重治や大岡昇平の批判は、本質的なことにかかわっている。そして中野や大岡の指摘する側面からいえば、最も鴎外のその態度に批判的であるべきはずの加藤周一(戦後体制が旧体制からの継続であるのを激しく批判する加藤)が、中野重治や大岡昇平の論点を外してひたすら鴎外顕揚の立場であるのは、加藤周一の「弱さ」、すくなくともある側面に於いて美学的過ぎることによる「脇の甘さ」をみるべきか、それとも別の見方をしていたのかは知るところではない。

いずれにせよ「さらば川端康成」を書いた加藤周一だが、鴎外にたいしては絶賛で終始した。

……私は昔からの読者の一人として、その著作に現代の日本文学をよむことの大きなよろこびを見出してきたのである。その川端康成の死後今日まで、私には容易に消えない感慨がある。さらば川端康成。これは私の知っていた川端さんへの「さらば」であるばかりでなく、私の内なる「川端的」なものへの「さらば」でもある。前者は死別の事実に係る。後者は――決別の願望である、おそらく容易に実現されないであろうところの、しかし断乎としてその実現に向うべきところの。(加藤周一「さらば川端康成」)

もっとも加藤周一の『日本文学史序説』の文脈からいえば、近代の文人として鴎外が至高の位置を占めるのは、止む得ない。

あるいはまた、《漢文学は国学者のプロテストにもかかわらず、日本の文学の正統であった。吉本隆明が強調しているように、万葉集でさえ漢文学あるいは漢字のもたらした衝撃において成立したのである(「初期歌謡論」)。花鳥風月はいうまでもなく、国学者が想定するような純粋土着的なものも、漢文学による「意識」において存在しえたのだ。古代の日本人が「叙景」をはじめたとき、つまり風景をみいだしたとき、すでに漢文学の意識が存在したのである。》(柄谷行人『日本近代文学の起源』)であるのだから、柄谷行人の文脈からいっても漱石・鴎外が顕揚されることになる。そして柄谷行人は、明らかに和辻、中野、大岡と同じように漱石派である。

柄谷行人が鴎外ではなく、漱石をとるのは、和辻が書くように《夏目先生の取り扱ふ題目は、自分の内生を最も力強く揺り動かしてみる問題》であるからであり、それは「心的外傷」(トラウマ)にかかわるからといってもいい。
漱石は幼児に養子にやられ、ある年齢まで養父母を本当の両親と思って育っている。彼は「とりかえ」られたのである。漱石にとって、親子関係はけっして自然ではなく、とりかえ可能なものにほかならなかった。ひとがもし自らの血統〔アイデンティティ〕に充足するならば、それはそこにある残酷なたわむれをみないことになる。しかし、漱石の疑問は、たとえそうだとしても、なぜ自分はここにいてあそこにいないかというところにあった。すでにとりかえ不可能なものとして存在するからだ。おそらく、こうした疑問の上に、彼の創作活動がある。(『日本近代文学の起源』)

加藤周一の『日本文学史序説』からいくらか引用しよう。

・比喩的にいえば、日本では哲学の役割まで文学が代行し、中国では文学さえも哲学的になったのである。

・散文家としての日蓮は、一種の天才であった。その散文には、舌鋒火を吐く激しい気性がよくあらわれている。気性と信念。論戦的な日本語の散文は、早くも13世紀に、日蓮において、殊にその若干の消息文において、ほとんど最高の水準に達していた。

・(道元の)『正法眼蔵』の文章は、13世紀日本語散文の傑作の一つである。

・散文家としての(新井)白石の面目は、『藩翰譜』にみることができる。(……)けだし『藩翰譜』は、元禄期前後の、またおそらくは徳川時代を通じての日本語散文文学の傑作の一つであろう。(加藤周一『日本文学史序説』)

ーーこの流れから、「文人」としての鴎外・荷風・石川淳が顕揚されることになる。

日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは石川淳である。その漢文くずし短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、また内容の緊密さにおいて、荷風を抜きほとんど鴎外の塁に迫る。・・・・・・荷風以後に文人と称し得る者はただ一人の夷斎石川である。(同『日本文学史序説』)

もっとも永井荷風や石川淳が、《哲学の役割まで文学が代行》した作家であるかどうかは議論の余地が大いにあるだろう。ただし、二〇世紀前半までの日本において、《哲学の役割まで文学が代行》したのは、否定しがたい説ではないだろうか。

そして二〇世紀後半のある時期からの文学の衰退により、いささか断定的すぎる嫌いもないではない柄谷行人の絶望の嘆きが生れることになる。

文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。それでもよければ、それでいいでしょう。どうぞ、そうしてください。それに、そもそも私は、倫理的であること、政治的であることを、無理に文学に求めるべきでないと考えています。はっきりいって、文学より大事なことがあると私は思っています。それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでにその役割を果たし尽くしたと思っているのです。(……)

いや、今も文学はある、という人がいます。しかし、そういうことをいうのが、孤立を覚悟してやっている少数の作家ならいいんですよ。実際、私はそのような人たちを励ますためにいろいろ書いてきたし、今後もそうするかもしれません。しかし、今、文学は健在であるというような人たちは、そういう人たちではない。その逆に、その存在が文学の死の歴然たる証明でしかないような連中がそのようにいうのです。(『近代文学の終り』柄谷行人)

…………

さてここで、《旧職業軍人の怠慢と粉飾された物語に対する憤懣》とする大岡昇平の、たとえば《旧職業軍人》に別の言葉を代入すれば、、2011年春以降ことさら《怠慢と粉飾された物語》に汚染されているのが瞭然としているにもかかわらず、それに憤懣・苛立ちを垣間見せさえしない作家や芸術家たちーー、思想家、批評家はもちろんのことーー、彼らに対して、いかに小粒で歪んだ「鴎外」でしかないひとが多いだろうか、などといまさらもっともらしく嘆くふりをするつもりはない、ーーと書くのは、いささか「逆言法」であるのが以下に示される。

芸術家を自称するもののほとんどは、痛みを内面化することこそが自分の役割だと思い込んでいる。その思い込みは、当然のことながら表層的な鈍感さで芸術家を保護することにもなるだろう。だから、芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

この「芸術家」は「知識人」でもある。そして仮に批判的な言葉を呟こうしても、制度は、権力は、すでにその言葉を取り込む「装置」としてある。

われわれは、ここで、いわゆる第二帝政期が、それに批判的であろうとする姿勢そのものが規格化された言葉しか生み落とさないという悪循環を萌芽的に含んだ一時期であると認めざるをえまい。それは、いわゆる知識人や芸術家たちを積極的にとりこむ力学的な装置のようなものだ。顔をしかめて距離をとろうとする一群の人びとを排除するのではなく、彼らの否定的な反応をいわば必須の条件として成立する秩序なのだといいかえてもよい。というのも、知識人や芸術家たちの反応は決して思いもかけぬものではなく、そのとき口にされる言葉のおさまる文脈そのものが、きまって予測可能なものだからである。そして、その文脈の予測さるべき一貫性が、いわゆる大衆化現象と呼ぶべきものなのだ。(同)

このことが、「装置の罠」といわれるものなのだ。

酒井直樹の「共感の共同体批判」に対し、『思想としての3.11』(河出書房新社)において、小泉義之が、「この類の批判は正当で必須であるにしても」(『思想としての3.11』124頁)と前置いたうえで、「共感の共同体への批判と原発産業や政府機関への批判とがワンセットになる構図こそが何度も繰り返されてきたことであって、そこにこそ何か得体のしれない罠が仕掛けられているという気がする」(東日本大震災、福島原発事故における言説の諸関係について

…………

しかし制度の力学的装置の罠に陥らないようにしつつ、次のようでなければならないのは間違いない(美学者や自己愛者を除いて?ーーとしたらそんな人間は存在するだろうか)。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)
「哲学は何の役に立つのか?」と問う人には、次のように答えなければならない。自由な人間の姿を作ること。権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発すること、たったそれだけのこととはいえ、いったい他の何がそれに関心をもつというのか。(ドゥルーズ『意味の論理学』)

鴎外は比較的後年の随筆「沈黙の塔」で次のように書いていることをも付け加えておこう。
芸術の認める価値は、因襲を破る処にある。因襲の圏内にうろついている作は凡作である。(……)学問も因襲を破って進んで行く。一国の一時代の風尚に肘を掣せられていては、学問は死ぬる。







2013年11月14日木曜日

「人は文なり」の時代

「文は人なり」という言葉は、たいした言葉で、なんのかの言いながら、文学の研究法も鑑賞法も、この隻句を出ないと見えるものであるが、この簡明な原理の万能を信ずるためには、作者との直かのつあないなぞない方が好都合である。古典の大きな魅力の一つは、作者が死にきり、したがって作品をいちばん大切な土台として、作者の姿を思い描かざるを得ない魅力である。

友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである。ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす。友だちの言行は、しばしば彼の作品より鋭く強く豊かである。おそらく友情というもののする業だ。(小林秀雄「島木健作」『作家の顔』所収)

二〇世紀後半のテクスト論の流行を経由した現在、「文は人なり」など古臭いというなかれ。

柄谷行人が、七十年代の終わりに次のように書いたのを知らぬわけではないし、マルクスの価値形態論経由らしきヴァレリーの『芸術についての考察』の指摘を知らぬわけでもない(参照:「行間にはなにも書かれていません」)。

作者がある考えや感覚を作品にあらわし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の<神秘的>性格を明らかにしたのはヴァレリーである。彼は、作品は作者から自立しているばかりでなく、“作者”というものをつくり出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった“作者”をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される“作家”が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的イメージにほかならないのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

しかし、後年、柄谷行人は次のようにも言っている(ツイッター上から拾ったので出典不明。「後年」というのは推測であり、『隠喩としての建築』にも同様なヴァレリー論があるが、そこには記されていない)。

作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。

つまるところ、《作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働き》は、やはり「文は人なり」という隻句に辿り着く。


ところで今ではツイッターなどのSNS上で、作家の日常茶飯の様子が窺われ、もちろんその多寡はあるにしろ、今では実際の友だちではなくても、「にわか友だち」「ヴァーチャル友だち」の親しみを覚えるなどということが起こっている。

すると、《友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである》などということになり、《ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす》、すなわち「作品」を古典を読むようにして読む具合にはますますいかなくなる。

そもそも古典でさえもイメージで読まれることが多い。いや読まれもせずイメージで語られるのみのことが多い。

ギュスターヴ・フローベールと口にするがはやいか、(……)誰もが意味なくすべてを納得した気分になってしまう(……)。そして、知っているという事実をたがいに確認しまうために、人は、フローベールをめぐって誰もが知っている物語を語りあう。(……)誰にでも妥当性を持つことで、誰もがそれを口にするのが自然だと思われる物語。それが知の広汎な共有を保証し、その保証が同じ物語を反復させる。かくして知は、説話論的な装置の内部に閉じこもる。(蓮實重彦『物語批判序説』p18-19)

「ギュスターヴ・フローベール」という固有名詞には、いくらでも他の小説家や批評家、思想家の名前を代入して読むことができる。たとえば隣のおにいちゃんやらおねえさんの親しみやすいイメージを介して著作も読まれるようになり、《意図することもないままに善意の連帯の輪をあたり一帯におし拡げてゆく》(同『物語批判序説)。


制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在しないが機能する不可視の装置なのである。あるいは、きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、それが(……)現代的な言説なのである。

その担い手たちは、知っているから語ろうとする存在ではない。だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、それを語ることだと錯覚する擬似主体こをが現代的な言説の担い手なのであって、誰もが『紋切型辞典』の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者たちは、それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。(『物語批判序説』)


冒頭に引用された小林秀雄の「島木健作」の文の続きにはこうある。

「或る作家の手記」の批評文を書こうとしてペンを取り上げると、おのずとこんな前置きめいたものが書けてしまった。作品の印象は、僕に親しい作者日常の言動と離れ難い。「或る作家の手記」という作品が、僕の家の向かいの二階で風邪をひいてたぶんうどんなぞ食っているのである。僕は今文学のなかから出て来て、友情のなかにいることに気づく。そして、そういう気持ちが、批評する者にとっては、どういう筋合いのものだろうか、というようなことは、僕は少しも考えたくない。

友であれば批評し難い。それは確かであり、ツイッター上で「にわか友だち」がうどんなぞ食っているのだ。そこから読み手の批評が生れるだろうか。

もちろん小林秀雄が書く友情関係による「批評の死」は、インターネットだけの問題によるのではない。たとえば高橋悠治は次のように書いている。

浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』は 11 人の知識人との対話集だが、 これを読んで奇妙に思ったことをいくつか。

(……)

どの対談を読んでも、知識人たちは、 知っているものが、知っていることを 知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。 (もっとも、かれらはインタビューをうけている、 と思いこんでいるはずで、対話という意識さえないのだろうが。) それが、ヴィリリオのいうリアルタイム・インタフェースの じっさいの姿なのだろう。 相手かまわず超高速のフランス語で、 思想のウイルスを過剰露出する。 それが、たちまち回収済みの情報になって、 次の相手との対話で虚仮にされるとは、思ってもみないだろう。 歴史の反復はコッケイなだけだ、とマルクスは思っていたらしいが、 現在の「世界」、つまりヨーロッパの、知識人は、 かつてのヨーロッパ知識人の茶番としての反復にすぎない、 (のかもしれない、) という思いが 一瞬でもかれらの頭をよぎったことがあるだろうか。

対話の最後に柄谷行人がくる。 この操作された順番で、 それまで知のシステムのあいだをくぐっては、 パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、 そのからくりに気づかずに 「世界」についての思いこみをひたすら独語する お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、 群れのなかの相似形の疑似対話で、 知の円環は閉じられる。(高橋悠治 音楽の反方法論序説)

浅田彰自身、柄谷行人のふっきれなさを、《理論的にある核心をつかんでいながら、社会性においてホモソーシャルな秩序、要するに、文壇バーの世界にどっぷり浸かっているってこととも無関係じゃないと思う》(『新・憂国呆談 神戸から長野へ』)などとしている。



今でも、「かつての知識人の茶番としての反復」やら「群れのなかの相似形の疑似対話」やらが、いささか小粒になったようにもみえる「思想家」たちのあいだでなされているとしてよいだろう。

浅田彰)僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦)下らない。それは批評の死を意味します。
(……)
それを嘲笑すべく、ドゥルーズは「哲学はコミュニケーションではない」と書いたわけじゃないですか。(中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」

この二人の対話でさえ、高橋悠治だったら、

「かつての知識人の茶番としての反復」やら「群れのなかの相似形の疑似対話」と言うかもしれない。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう25)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)

だが何が問題なのか、提灯もちの振舞いの?

いまさらヴァレリーのテスト氏におけるように、《われわれは自分の考えをあまりに他人の考えのかたちに照らし合せて評価しすぎるということだ! 》とか、《公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ》などとは言うまい。

だがご機嫌うかがいの振舞いばかりしていれば、次のような現象はほとんど免れ難い。

芥川賞を初め、文学賞受賞作と受賞後第一作との相違を次のように定式化することができる。受賞作にあるあらゆる萌芽的なもののうち、受賞第一作においては、受賞によって光を当たられた部分が突出しているとーー。しばしば、受賞作にある豊穣さは第一作においては単純明快化による犠牲をこうむっている。(中井久夫「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収)

…………

さきほど(11/14夕)、さる若いすぐれた書き手(S氏とC氏)のちょっとした舌戦があった。両者とも注目すべき人なのでいささか興味深い。が、その内容には触れない。そのあと、一方の書き手の友人であるこれも若い書き手Oが次のように書いている。

・本来連帯すべきなのに、つまらない自意識を立てて、あえて悪者ぶって関係者間に無駄な消耗を引き起こす必要はまったくない。そういう「夜戦」はいらない。同世代の連帯を妨げる目障りな言動は、「上の世代」によって大事にされた結果できた「可愛いボク」を守るためのものなのか。甘えるな。

・豊かな時代だったら、「飲み屋のけんか」の延長の議論が話題にもなり、本も売れただろう。だが、人文界隈の不毛な議論を続けて読者を離れさせたのもまた、「飲み屋のけんか」の結果ではないか。


上に蓮實重彦の批判的な言葉、《意図することもないままに善意の連帯の輪をあたり一帯におし拡げてゆく》を挙げたが、最近では、意図して連帯すべきだと言っているようだ。つまり「批評の死」の時代だ、金のために。

でもそのね すべてがビジネスにもとづいているということがますますはっきりしてきたというのは ひとつの文明の衰えていく過程で露になってきた そういう事実  言葉があれだけど 

つまり 文明が盛んなときは別に取引だろうがなんだろうが そういうことはいわなかったし それで成り立ってたわけですよ  それで 今すべてがビジネスだというようなことになったときに そこから何か生まれてくるということはこれ以上ない 儲かる人は儲かるし 力のある人はもっと力があるし そういうようなことでしかないわけでしょ  そうすると そういうことをいくら批判したって始まらないわけだから 

どういうふうに違うものがあるかということになりますね(高橋悠治/茂木健一郎 「他者に痛みを感じられるか」


2013年6月28日金曜日

ヴァージニア・ウルフとサド

ヴァージニア・ウルフの私ひとりの部屋から始めよう

《女性は過去何世紀もの間、男性の姿を実物の二倍の大きさに映してみせるえも言われぬ魔力を備えた鏡の役目を果してきた。》

《文明社会における用途が何であろうと、鏡はすべての暴力的、英雄的行為には欠かせないものである。ナポレオンとムッソリーニがともに女性の劣等性をあれほど力説するのはそのためである。女性が劣っていないとすると、男性の姿は大きくならないからである。女性が男性からこうもたびたび必要とされるわけも、これである程度は納得がいく。また男性が女性の批判にあうとき、あれほど落ち着きを失うことも、あるいはまた、女性が男性にむかってこの本は良くないとか、この絵は迫力がないなどと言おうものなら、同じ批判を男性から受けるときとは段違いの絶えがたい苦痛を与え、激しい怒りをかきたてるわけも、これで納得がいく。》

《つまり、女性が真実を語り始めたら最後、鏡に映る男性の姿は小さくなり、人生への適応力が減少してしまうのである。もし男性が朝食の時と夕食の時に、実物よりは少なくとも二倍は大きい自分の姿を見ることができないなら、どうやって今後とも判決を下したり、未開人を教化したり、法律を制定したり、書物を著したり、盛装して宴会におもむき、席上で熱弁をふるうなどということができようか?そんなことを私は、パンを小さくちぎり、コーヒーをかきまわし、往来する人々を見ながら考えていた。》

《 鏡に映る幻影は活力を充たし、神経系統に刺激を与えてくれるのだから、きわめて重要である。男性からこれを取り除いてみよ、彼は、コカインを奪われた麻薬常用者よろしく、生命を落としかねない。この幻影の魔力のおかげで、と私は窓の外を見やりながら考えた、人類の半数は胸を張り、大股で仕事におもむこうとしているのである。ああいう人たちは毎朝幻影の快い光線に包まれて帽子をかぶり、コートを着るのだ。》


《女性が真実を語り始めたら最後、鏡に映る男性の姿は小さくなり、人生への適応力が減少してしまう》…そうさ、二〇世紀中葉から、漸く女たちが真理を語り始めた…偉大なる先駆者の尻馬に乗ったてかまいはしない…「真理」だと? そんなものはない、わかってるさ…ではなんていったらいいのかい? またしてもニーチェやラカンかい? もうとっくのむかしに耳にタコができたさ…

《真理が女である、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。》(『善悪の彼岸』)

《真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。》(『同一化』セミネール)


限りなくサドを遠巻きにしてサドの隠れた親戚みたいな偉大なウルフ、初潮の狼…《うしろむきの夫/大食の父親/初潮の娘はすさまじい狼の足を見せ/庭のくろいひまわりの実の粒のなかに/肉体の処女の痛みを注ぐ》(吉岡実「聖家族」)

そもそも女というものは、自然がわれわれ男の必要と快楽を満足させるために与えた家畜ではないかね? われわれの家畜飼育場の牝鶏より以上に、彼女たちがわれわれの尊敬を受けねばならぬという、どんな権利があるのだね? この二つのあいだに見られる唯一の違いは、家畜というものが従順なおとなしい性格によって、なんらかの意味でわれわれの寛容なあしらいを受けるに値するのに対し、女は許術、悪意、裏切り、不実といった永遠に根治しない性質によって、過酷と乱暴なあしらいしか受けるに値しない、ということではないかね?(サド『悪徳の栄え』)――「十六通りのさまざまな方法で、縛られた十六人の娘」を殺し、その死骸を昼食用に「料理」して食べる登場人物ロシア人ミンスキー曰く)

サドを誤読してはならない…サドはどんな性行動の基底にも実は殺人があるってことを明らかにしただけさ…そんなことはもう何度も復習されている…上品ぶった連中だけがいまだ気づかないだけだ…
イポリット)動物は交尾している時、死に委ねられています。しかし動物はそれを知りません。
ラカン)一方、人間はそれを知っています。それを知り、それを感じています。
イポリット)そのことは、人間こそ自らに死を与えるということにまで至ります。人間は他者を介して己れ自身の死を望みます。
ラカン)愛は自殺の一形態であるという点で私たちは完全に意見が一致しています。
(ジャック・ラカン『フロイトの技法論』上 岩波書店 242頁)

いま耳をすますのは別の声だ…さあ、耳をそばだててもう一度よく聞くがいい、聴診器なんかいらない…ウルフ、初潮の狼の声…最もささいな形容詞のなかでもそれがふつふつと沸き立っているのが聞こえてくる…


女の許術、悪意、裏切り、不実といった永遠に根治しない性質だって? 過酷と乱暴なあしらいしか受けるに値しないだって? いやアントニオーニのいうように「ひとりの女のうちにある不誠実は、けっして深くとがめられることではない」、――サドだってそんなことは重々承知している。

「これ以上はっきり申し上げられるでしょうか、マダム? 私の胸の裡をこれ以上はっきりお聞かせできるでしょうか? どうかお願いですから、私のおかれた状態を少しは憐れんでください! 恐ろしい状態なのです。そう申し上げることで私があなたを勝利者にしてしまうことくらい承知しています。しかしもうそんなことはかまいません。私はあまりにも不運なやりかたであなたのお心の平安を乱してしまったがために、マダム、私の犠牲であなたに勝利をご提供致すはめになったことを悔やむ気にすらなれないのです。あなたはご自分の力を尽くして、ひとりの人間が蒙りうる最高度の辱めと、絶望と、不幸とに私が見舞われるのをご覧になろうとしたわけですから、どうぞご享楽ください、マダム、さあどうぞ、なぜならあなたは目標を達せられたのですから。私はあえて申しますが、人生を私ほど重荷に感じている存在はこの世にひとりたりともおりません。 」(サド「1783 年 9 月 2 日付モントルイユ夫人宛書簡」)

ごらんの通り、女はつねに勝利する、マダム、マドモアゼル、どうぞご享楽ください!


気をつけるがいい…「父」にすっかり飼い馴らされてしまった女たちだっている…男に尻尾を振る女たち、男たちの家畜…「父」になろうとする女だっている…小説家のなかにさえ…偽のエディプス的女…ーー《「男性」に戦いをいどむ、と言っているのは、つねに手段、口実、戦術にすぎぬ。彼女らは、自分たちを「女そのもの」、「高級な女」、女の中の「理想主義者」に引き上げることによって、女の一般的な位階を引き下げようとしている存在だ。》(ニーチェ『この人を見よ』)

そんな女のいうことには耳を塞がねばならない…善意の女だってそうだ…退化した女…

それに、きみたち!…勘違いしてはいけない…女にヒステリーが多いというのは通り相場だが、あのヒステリーの女たちがウルフと同属だとは…あれは女でも「男性の論理」で動いているのだ…

ラカンの『主体の転覆』 のテクストにはこうある―― 「神経症者では (-Φ) はファンタスムの下に潜り込み、 自我に特有なイマジネーションを助長する。 なぜなら、神経症者はイマジネールな去勢を最初から被っており、それが彼の強い自我を支持しているのだ。この自我はあまりにも強いので、自分の固有名さえじゃまとなり、結局、神経症者とは名無しなのである」 。

ラカンのこのマテームは、そもそも男女の性別化を示す二つのマテームの内の男性を表わすものである。したがって、ヒステリーは女性であっても男性であっても、男性の論理のもとに行動するわけである。これはフロイトのエディプスの論理に相当するものであるから、結局、フロイトは男性の論理しか展開しなかったということになる。(向井雅明「ヒステリーの、ヒステリーのための、ヒステリーによる精神分析」――東京精神分析サークル

偉大なる女たちは「精神病的」なのだ…「女性の論理」…無限判断…境界を欠いた〈非-全体〉の体現者…(「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン

《ラカンは精神病を「女性への衝迫[pousse a la femme]」とみなすという、今では有名となったフレーズを作りました。精神病は女性の領域にあるのです。神経症においては、 ヒステリーと強迫が区別され、 一般に女と男に関連付けられます。しかし、だからといってヒステリーの男性がいないと主張するのではありません。…(ミレール「ラカンの臨床パースペクティヴへの導入」 ーー「ひとりの女のうちにある不誠実は、けっして深くとがめられることではない」)

いや、だからといって「精神病親和型」の女が、ヒステリーにならないとも限らない…気をつけろ…ややこしいのだ…ラカンなんて読むもんじゃない…《病的ナルシシストをヒステリー化するには、その属性に還元できないような象徴的委託を押しつけさえすればいい。そうした対決はヒステリー的な疑問をもたらず。「どうして私は、あなたがこうだと言っているような私なのか」。》(ジジェク『斜めから見る』p195)

まあ、なんでもよい…ヒステリーからは逃げ出せ! 逃げたら追いかけろ! 「女のもとへ行くなら、鞭をたずさえることを忘れるな」(『ツァラトゥストラ』)…やめとけ、鞭なんて…かえってひどい目にあう、サドのように…勝利にするのは、いつも女たちだ…

《女が男の徳をもっているなら、逃げだすがよい。また、男の徳をもっていないなら、女自身が逃げだす》(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」28番)

女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである …(『この人を見よ』)

ウルフのような女に感染しなければならない…わかっているだろうな

女性独自のエクリチュールについて意見を求められたとき、ヴァージニア・ウルフは「女性として」書くと考えただけで身の毛のよだつ思いだと答えている。それよりもむしろ、エクリチュールが女性への生成変化を産み出すこと、一つの社会的領野を隈なく貫いて浸透し、男性にも伝染して、男性を女性への生成変化に取り込むに足るだけの力をもった女性性の原子を産み出すことが必要なのだ。とても穏やかでありながら、厳しく、粘り強く、一徹で、屈服することのない微粒子。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』)


《それに「好きだ」「嫌いだ」っていうのは、結局どういう意味なのか? 梨の木のそばに釘付けにされて立ち尽くしていると、二人の男性のさまざまな印象が降り掛かってきて、目まぐるしくかわる自分の思いを追いかけることが、速すぎる話を鉛筆で書き留めようとするのにも似た、無理な行為に思われてくる。しかもその「話し声」は紛れもない自分自身の声で、それが否定しがたく、長く尾を引くような、矛盾に満ちたことを次々と言い募るのを聞いていると、梨の木の皮の偶然の裂け目やこぶでさえ、どこか永遠不変の確乎としたもののように感じられた。》(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』)


《そもそも肉体に宿る感情を、一体どうすれば言葉にすることができるといのだろうか? たとえばあそこの空虚さを、どうように表現すればいいのか?(リリーの眺める客間の踏み段は恐ろしく空虚に見えた。)あれを感じ取っているには身体であって、決して精神ではない。そう思うと、踏み段のむき出しの空虚感のもたらす身体感覚が、なお一層ひどくたえがたいものになった。》(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』)



耳をかっぽじってよく聞くがいい …ウルフとサドの言葉…それはつねに女の問題なんだ、とどのつまり …人の語り合うことすべてが …女「なるもの」を伝えるため …問いのなかの問いから逃れるためだ

世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども…一杯食わされた管理者たち…筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される…(ソレルス『女たち』)


何度もくりかえして、ウルフの《女性は過去何世紀もの間、男性の姿を実物の二倍の大きさに映してみせるえも言われぬ魔力を備えた鏡の役目を果してきた》の文に耳をすましてみるがいい


幻想のスクリーンとしての<女>

不可能な<女>

<女>は存在しないla Femme n'existe pas

<対象a>としての<女>

The problem with woman is that it is not possible to formulate her empty idealsymbolic functionthis is what Lacan has in mind when he asserts that Woman does not exist. The impossible Woman is not a symbolic fiction, but again a fantasmatic specter whose support is objet a, not S1. zizek”LESS THAN NOTHING”)

<対象a>それ自体はごくありふれた日常的なものだ、だが些細な出来事で突然、一種のスクリーンとして、つまり主体が自分の欲望を支えている幻想を投射できるような空間として機能しはじめる。ーー《幻想とは不可能な視線のことである。幻想の「対象」は、幻想の光景そのもの、つまりその内容ではなく、それを目撃している不可能な視線である。》(ラカン)

ーーわかるか? 男の不可能な視線、それが<対象a>としての<女>のスクリーンに自らの姿を写しだす…最近の鏡は写りが悪い…曇って歪んでいる…だれのせいだ? だれのせいでもいい…そんなことはとっくの昔にわかってたのさ…男たち…あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども…《女性が真実を語り始めたら最後、鏡に映る男性の姿は小さくなり、人生への適応力が減少してしまう》

《男性とは「自分が存在すると信じている女性である」。》( アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理―カントとラカン』)ーー男ども! 虫けら! はやく自分が存在しないとする「女性」に生成変化しろ! 初潮の狼の声に束の間耳をすましたらよいだけだ、《エクリチュールが女性への生成変化を産み出すこと、一つの社会的領野を隈なく貫いて浸透し、男性にも伝染して、男性を女性への生成変化に取り込むに足るだけの力をもった女性性の原子を産み出すことが必要なのだ。とても穏やかでありながら、厳しく、粘り強く、一徹で、屈服することのない微粒子。》


背筋をまっすぐにのばして
目を閉じると
風のにおいがする
まるで果実のような
ふくらみを持った風
そこには
ざらりとした果皮があり
果肉のぬめりがあり
種子のつぶだちがある
果肉が空中で砕けると
種子はやわらかな微粒子となって
男たちの腕にのめりこむ
穏やかでありながら
粘り強い微粒子
一徹で屈服することのない原子
そしてそのあとに
微かな痛みが残る


ーー微かな痛みでよい、まずはそれだけでも感じとれ
(ところで、この詩は剽窃だってことが分ってるだろうな、誰のだって?

女は存在しない。われわれはまさにこのことについて夢見るのです。女はシニフィアンの水準では見いだせないからこそ我々は女について幻想をし、女の絵を画き、賛美し、写真を取って複製し、その本質を探ろうとすることをやめないのです。いずれにせよ女性という存在についてそれに本質などあるかどうかは、普遍的愚行connerie universelle-愚行には常に一片の真理が含まれています-によって疑問とされることですが。このことは女性の価値を低めるものと見なされるかもしれません。しかし別の観点からすると、本質を持たないことは荷が軽いことにもなります。おそらくこれこそ女性を男性よりもはるかに興味深いものにするのでしょう。(ミレール“El Piropo”)

科学があるのでさえ<不可能な女>のせいだ…


《科学があるのは女性というものla femmeが存在しないからです。知はそれ自体他の性についての知の場にやってくるのです。》(ミレール「もう一人のラカン」)



耳をかっぽじってよく聞くがいい …もう一度だ…ラカン派なんてほうっておいてもいい…肝心なのは小説家だ…ウルフとサドの言葉だ…そこにニーチェの胡椒をふりかけて…それはつねに女の問題なんだ、とどのつまり …人の語り合うことすべてが …女「なるもの」を伝えるため …問いのなかの問いから逃れるためだ 大文字の他の性Autre sexs…男たちにとってだけでなく、女たちにとっても「大文字の他の性」は「女」なのだ…


哲学者だと? 思想家だと? 卑しいごますりどもめ あれら提灯持ち! 最近ではドゥルーズまで解釈学の餌食になっている、なんというテイタラク…ドゥルーズ殺し!-- 《彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これ こそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。》(ニーチェ)

オレはもちろん読んでない、ドゥルーズ読み殺しの噂の本など…でもやつの文体をわずかでも掠め読んでみろ…「解釈学」だぜ、あれは…Meaning is an affair of hermeneutics(解釈学), Sense is an affair of interpretation(解釈)…前者が男性の論理、後者が女性の論理だ、《Meaning belongs to the level of All, while Sense is non‐All……Lacan's notion of interpretation is thus opposed to hermeneutics: it involves the reduction of meaning to the signifier's nonsense, not the unearthing of a secret meaning.》…「解釈」の気配など微塵もない…秘かな「意味meaning」を穿り返すのが好みらしい…おめでとう、超越論的経験論のご臨終!…「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破り、ランボーが「あらゆる感覚の錯乱」と呼んだような非人称的な高次の経験へと突き抜けていく超越論的経験論…その姿の気配などどこにもない…いやいや、オレは知らないぜ…しかし、あの文体…文学とはほとんど縁がない…人に説教ばかり垂れている内容空疎な文化人もどき…わかりやすさのファシズム…大衆を間抜けにすることに専念するへぼ教師…でないことを祈るよ…

参考ツイートだ、《國分功一郎は人気のある若手の大学教員らしいが、『暇と退屈の倫理学』も『ドゥルーズの哲学原理』も今ひとつだった。分かりやすいが、このつまらなさは何なのだろうか。國分の個人的なものなのか30代の研究者の平均的なつまらなさなのか、私が臍曲がりだけなのか考えてみるのも面白いかもしれない。

 むろん、面白さやつまらなさというものは一般的にあるわけではない。その証拠に國分を面白いと思う人間もいるだろう(人気があるから多くいるのだろう)。だから違う感想を持つ根拠を、それも単なる個人的なものではなく、考える必要がある。おそらく現代の思想の何かが見えてくるはずだ。》

いやいや、分りやすさも、今では貴重だ…土人の時代の復活なのだから…土人たちにはきっと面白いさ…(「観念の万能」(フロイト)と「腰の奥の力の圧力抜き」(大江健三郎)

あだしごとはさておき。

《作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう)。》(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)


《あの礼節を弁えない連中が言うにことかいて、作家のうちに誠実な人物を探し求めなければならないのだという。私が作家に求めるのは天才である。品行や性格はどうでもいい。なぜなら、私が共にありたいと思っているのは、作家その人ではなく、その作品だからであり、作家が私にもたらすもののうちで私にとって必要なのは、真実のみだからだ。〔 … 〕ディドロ、ルソー、ダランベールは、社交にかけてはほとんどお粗末と言っていいくらいだったようだが、彼らの書いたものは、「デバ」紙の紳士方の恥知らずな攻撃を受けたところで、その崇高さに変わりはない … 》。(同サド「文学的覚書」)

………


《メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないだろう。》(ロラン・バルト『作品からテクストへ』)


ーー超越論的経験論についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬ超越論的経験論の姿を示さなければならない、などとそのあたりの物書きに無謀な要求をするつもりはない。だが、少なくとも次のことは忘れてはならないだろう。《 「美しい書物は一種の外国語で書かれている・・・・・・」(プルースト)これが文体の定義だ。これはまた生成変化の問題だ。人々はつねに多数者の未来を想う(私が偉くなったら、権力をもった時には・・・・・・)。だが、問題は少数者=になることにかかわる。子供、狂人、女性、動物、どもり、あるいは外国人、彼らのふりをするのではない。彼らをつくり出すのでも模倣するのでもない。新たな力、新たな武器を創出するために、それらすべてになることである。》(ドゥルーズ『ディアローグ---ドゥルーズの思想』)


模範的反どもり文体なり?!

我々はドゥルーズの哲学原理を超越論的経験論として描き出した。その出発点にあったのは「発生」への視点である。ドゥルーズは、あらゆるものの発生を描き、あらゆるものをその発生において捉えようとする。これは、どんなものでもその現状の存在様態は発生‘後’の姿として解されるということ、したがって、発生の条件や過程次第で‘変化するもの’として解されるということである。ドゥルーズは、何についてであれ、「そのようなものがあるとしか考えられない」とか「そうしたものを想定せざるをえない」といった仕方で想定されてしまうことを認めない。
 
ドゥルーズは、カントによって創始された超越論哲学のプログラムを極めて高く評価していた。しかし同時に、カントが超越論哲学を運用するにあたって問うのをやめてしまった問いがあることに気づいていた。それが発生の問いである。超越論哲学のカント的運用は「超越論的統覚」という概念によって‘特定の’主体を‘想定’し、その特定の主体によって諸能力の一致(共通感覚)を根拠づける。カントは主体の発生を問わない。ゆえに、諸能力の発生も問わない。 ドゥルーズは、カントに先立つヒュームの哲学に、この発生の問いへの視点を見出した。一般に、カントの超越論哲学はヒューム経験論哲学を乗り越えることで出現したものと理解されている。(『ドゥルーズの哲学原理』)