このブログを検索

ラベル 三好達治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 三好達治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年5月26日日曜日

マチネ・ポエティック運動


遠い心の洞のなか

扉のひらく時を待ち

乱れて眠る赤はだか

緑の髪の娘たち


白い泉の畔りには

しじまを染めて立昇る

炎 記憶の燃える岩

仄かに明日は透きとほる

……  

ーー中村真一郎「真昼の乙女たち」より



頭韻が「と」「と」「み」「み」、「し」「し」「ほ」「ほ」とありAABBの形式。
脚韻が「か」「ち」「か」「ち」、「は」「る」「は」「る」とありABABの形式。

これが戦後まもなく結成された福永武彦、中村真一郎、加藤周一、窪田啓作、白井健三郎などの詩運動『マチネ・ポエティック』の詩の試みのひとつであり、すべてソネット(十四行詩)である。



死の馬車のゆらぎ行く日はめぐる

旅のはて いにしへの美に通ひ

花と香料と夜とは眠る

不可思議な遠い風土の憩ひ



漆黒の森の無窮をとざし

夢をこえ樹樹はみどりを歌ふ

約束を染める微笑の日射

この生の長いわだちを洗ふ


……

ーー福永武彦「火の鳥」より


こちらは脚韻だけの試み(だろうか? 一部頭韻がないでもない)。


福永は三好達治の追悼文で「戦後、私が友人たちと定型詩を試み「マチネ・ポエチック詩集」を出した時に、三好さんは鋭い批評を下された。好意的悪評といったものだが、三好さんの位置が、その発言に権威あらしめたために、この批評は決定的に私たちを敗北させた。」と振り返っている。その三好の批評文とは「マチネ・ポエテイクの試作に就いて」である。ここで三好はマチネの詩作が「つまらない」と表明する。

《奥歯にもののはさかつた辞令は、性分でないから、最初にごめんを蒙つて、失礼なことをいはしてもらはう。まづ、同人諸君の作品は、例外なく、甚だ、つまらないといふこと。諸君が危惧してゐられるやうに、決してそれは難解ではないが、私にはいつかうつまらなかつたといふこと。詩に於ける難解といふことはその詩の魅力と並立してこそ、はじめて成立ちうる性質の難解であつて、魅力を欠いた孤立した難解といふやうなものは、昼まのお化けで、ありつこない。》(三好達治)

その上で三好は日本語においてなぜ押韻定型詩が不可能なのかを、理由を三点挙げ説明する。一つは「脚韻の効果」が薄いこと、つまり「日本語の声韻的性質」である「常に均等の一子音一母音の組合せで、フィルムの一コマ一コマのやうに正しく寸法がきまつて、それが無限に単調に連続する」ために、押韻は「読者の注意を喚起」しない。二つめは「命題の末尾(原則として脚韻の位置)を占める動詞の数は、中国語や欧羅波語の場合当然その位置を占めるべき名詞の数に比して、比較にもならぬ位その語彙は少数」となるために、「窮屈な貧しさ」を露呈すること。最後にマチネの詩作に「文章語脈ないしは翻訳口調の、入り乱れて混在する」ことを指摘し、そこに「いかにも不熟で、ぎこちなく、支離滅裂で、不自然」な点があるとし、この背景には「文章語脈」の形式性が「我々の今日の領分」に相応しいように「きり崩されて」いないこと、「現在の口語脈」の未成熟、「翻訳語脈」の日常生活への不適応性があるとしている。(「マチネ・ポエティクと『草の花』」西田一豊)mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/irwg10/Jinbun37-06.pdf



もっとも彼らの試みは誤っていず、彼らが詩人でなかっただけだなどと評する人もいる。

…………



三好達治は、ほかにも星菫派の名残りがないでもない大岡信の第一詩集『記憶と現在』の中の「六月」について、次のように批判しているようだ。

国文畑の出身と聞く作者が、「鳥たち」「花々」などといふのは、もと、変てこな語感に違いない。意味のアイマイなだけ、音調においてはするすると滑りのよい、それらの比喩、...それらは、かんじんの「詩」の犠牲に於て、その「突貫工事」を突貫しようとするのであらうかと…


あわせて、吉本隆明による加藤周一の雑種文化論への批判を記しておこう。

《さしずめ、西欧乞食が洋食残飯を食いちらしたあげく、伝統詩形に珍味を見出しているにすぎない》(吉本隆明「三種の詩器」1958)


ーー加藤周一は吉本隆明を、《日本人特有の『いまとここ』主義から生まれる際限の無い現状肯定の見本》(出典不明)と批判しているようだ。


…………

つち澄みうるほひ

石蕗〔つわぶき〕の花さき
       
あはれ知るわが育ちに

鐘の鳴る寺の庭


――室生犀星「寺の庭」

…………

…三好が詩に於てつとに萩原朔太郎を宗としたことは周知のとほりだが、その詩境をうかがふに、年をふるにしたがつて、むしろ室生さんのはうに「やや近距離に」あゆみ寄つて来たのではないかとおもふ。萩原さんの詩はちよつと引つかかるところがあるけれど、室生さんの詩のはうはすらすら受けとれると、げんに當人の口から聞いたことがあつた。萩原さんをつねに渝らず高く仰いてゐた三好として、これは揣らずもみづからの素質を語つたものだらう。ちなみに、そのときわたしは鑑賞上それと逆だと應へたおぼえがある。また三好が酣中よくはなしてゐたことに、芥川龍之介は百發九十九中、室生犀星は百發わづかに一中だが、のべつにはづれる犀星の鐵砲がたまにぶちあてたその一發は芥川にはあたらないものだといつて、これにはわたしも同感、われわれは大笑ひした。つち澄みうるほひ、石蕗の花咲き……といふ室生さんの有名な詩は三好が四十年あまりにわたつで「惚れ惚れ」としつづけたものである。「つち澄みうるほひ」はまさに犀星の一發。このみがき抜かれたことばの使ひぶりは詩人三好が痩せるほど氣に入つた呼吸にちがひない。(石川淳「三好達治」『夷斎小識』所収)

…………
                   
褐色(かちいろ)の

根府川石(ねぶかはいし)に

白き花はたと落ちたり、

ありとしも靑葉がくれに

見えざりし さらの木の花。 


ーー森鴎外「沙羅(さら)の木」


この鴎外の詩をめぐって、中井久夫は次のようにいう、《押韻もさることながら、「褐色の根府川石」「石に白き花はたと」「たり/ありしとも青葉がくれに/みえざりし」に代表される遠韻、中間韻の美は交錯して、日本詩のなかで稀有な全き音楽性を持っている》。さらにこの詩がボードレールの詩句の巧みな換骨奪胎であるとする。(『分裂病と人類』)

…………

中井久夫は現代ギリシャ詩について次のように書いている。

突然、現代ギリシャの詩が私を捉えた。「古代」の間違いではない。現代ギリシャが、二人のノーベル賞詩人セフェリスとエリティスを初めとする優れた詩の源泉であるという知識はかねてよりあった。だが遠い世界だった。第一、私は詩人ではない。

若い友人の結婚式のスピーチを考えていた。甘美で格調のある祝婚の詩はめったにない。たまたま英訳エリティス詩集が書架にあった。たちまち冒頭の「エーゲ海」に吸いこまれた。なんとか日本語にした。結婚式のスピーチ代わりにはなる程度のものができた。

次のページをめくった。次も。私は魅了された。空と海と鷗と白い島と。乾いた夏と湿った冬と。太陽と裸体とセミと星明りの夜ときつく匂う草と。独特の漁船と生乾きの海藻の香と。そして何よりも風。庭を吹き荒れ、樹を揺るがせ、平原をこうこうと吹く風があった。舞い、ひるがえり、一瞬停止し、どっど駆け出す風のリズムがあった。

原文を少し入手した。現代ギリシャ語。鋭い言葉である。母音は短いアイウエオだけ、それもイ、エが多いから。そして我が国語純化論者なら嘆くだろう “乱れ” 。文語が現存し、口語は江戸弁のままという粗さで、しかも両方が混じる。生まの方言で論説や科学論文を書くとすれば、雅語や漢語を加えねばならぬ。そこに生じる混乱、この荒さ、鋭さ、変化が、例えばエリティスの傑作「狂ったザクロの木」になるのだろう。

私の訳で紹介しても甲斐ないことだが、歌い出しは「南の風が白い中庭から中庭へと笛の音をたてて/円天井のアーチを吹き抜けている。おお、あれが狂ったザクロの木か、/光の中で跳ね、しつこい風に揺すられながら、果の実りに満ちた笑いを/あたりにふりまいているのは?/おお、あれが狂ったザクロの木か、/今朝生まれた葉の群れとともにそよぎながら、勝利にふるえて高くすべての旗を掲げるのは?」である。全六連の最後までザクロの木を歌っているのか風なのか定かならぬままにしばしの陶酔を私に与えてくれる。(中井久夫「ギリシャ詩に狂う」)

中井久夫は日本語も捨てたものじゃないと語っているようにも見える、ただ工夫が足らないだけだと。


ここで、現代日本の詩に特有のことかもしれないが、押韻や定型を云々する以前に、詩は音読されねばならないかどうかが問題である。詩は必ずしも音読する必要はないかもしれない。これは、その人がどういう感覚によって詩を作りあるいは味わっているかという問題があって、当否で答える問題ではないと思う。ここで、音読とは、聴覚だけの問題ではないことを言っておくにとどめよう。たとえば、舌と喉頭の筋肉感覚があり、口腔の触覚を始めとする綜合感覚もある。私は、リッツォスの「三幅対」の第三において「接吻の直後にその余韻を舌を動かしながら味わっているひとの口腔感覚」を、音読する者の口腔に再現しようとしたことがある。

きみの舌の裏には、カレイの稚魚がいる。
ブドウの種がある。桃の繊維がある。
きみの睫毛の投げかける影には
暖かい南国がある……

(リッツォス『括弧Ⅰ』「三幅対」三「このままではいけない?」)

もし、音読を詩の必要条件の一つとするならば、いや、詩は時に読まれるべきものだとするなら、改行とは音読をガイドする働きを持っているかもしれないという仮説が生まれる。私は、改行とは、第一に、読む速度をそれとなく規定するものであると考える。長い行ほど早口で読むようにと自然に人を誘導すると私は思う。

視覚的言語が二つの要請を音声に与える。一シラブル(正確には一モーラ)をほぼ同じ速度で読ませようとする「文字」と、一行全体がほぼ同じ時間内に読まれる権利を主張する「行」とのせめぎあいである。これはシラブル数が不定な詩においては特に著しい。その結果として、読後の緩急が決ってくる。この緩急は、行の末端が作り出す上り下りによって、読者にあらかじめ示唆されている。
(……)

私の訳詩は思い入れをこめた緩急な朗読を予想していない。私は、現代日本語の美の可能性の一つは、速い速度で読まれることによる、母音と母音、子音と子音、あるいは母音と子音の響き合いにあるのではないかと思っている。(……)日本語のやや湿った母音は単独ではさほど美しくなくとも、その融け合いと響き合いとが素晴らしい美を醸成することを、私は信じている。
(……)

私は、詩の読まれる速さが、単純に一行の字数で決まるといっているのではない。まず、わが国においては、詩のたいていは漢字かな混じり文である。複雑な漢字は、その存在そのものが一字で二音以上である可能性を示唆し、読む者に、ゆるやかに読もうという姿勢を取らせる。また、漢字の多い行は、当然短くなる。これも、短い行はゆるやかに、という示唆のために、ゆるやかに読む姿勢を強化するだろう。

(中井久夫「詩の音読可能な翻訳について」『精神科医がものを書くとき Ⅱ』広栄社 所収)

2013年4月25日木曜日

変てこな語感


すこしまえにその断片を読んだ荒川洋治の詩の朗読批判には次のような文がある。



「朗読をはじめると、同音異義語など、耳にやっかいな表現を排し、耳に意味が届くとろけた言葉を好んで使って書くようになるので言葉も思考もやせほそる。朗読詩人(現代詩人の大多数)は例外なく知名度を高め、みずからの詩の質量を落とした」



――日本語の同音異義語の多さは世界に誇るとはしばしば語られるけれど、ちょっとしたスピーチをしても、たとえば「コウセイ」、これは「漢字でこう書くコウセイ」です、といわねばならない、ーー構成、校正、公正、厚生、攻勢、更正、後生、後世、恒星……、と。

一方、たとえば多和田葉子は同音異義語だけではなく漢字の形態の近似性から文を紡いで、その自由と飛躍、わけのわからなさと突拍子もなさを齎す(高橋アキと組んで朗読会やってるな)


雲はときに蜘蛛でもあるが、このすりかえは日本語でしか成立しない。わたしはわたしだけの脈絡を見る。作中に登場する蝶と鰈、そうして作者の多和田葉子。いずれの中にも枼字がひそむ。漢字圏の読者には即座に見える単なる事実も、他言語読者にとっては存在しない。いやもしかして意味を欠いた字面を見る分、むしろそちらが目につくこともあるかも知れない。一方、日本語話者にとってさえ、耳で聞いた音だけから、鰈と蝶の共通点に気がつくことはむずかしい。確固とした存在がひらりと身をかわすのではなく、雲のようにそこにある。手を伸ばすと形を変えて、腕を引いてもそのままでいる。そのくせ不意に現れて、突然消えてしまったりする。(円城 塔「響遏行雲」

まあそんなにカタイことを主張するなよ、荒川さん、と言いたいところだが、荒川洋治の詩をほとんど読んでいない(アンソロジーなどで出てきても掠め読む程度だ)ので、もう少し調べてみよう。

……

さて、すくなくともその初期には難解な詩を書くことで知られていた荒川洋治だが、大岡信はこう語っているようだ。


あれはH氏賞をもらっていて、H氏賞をだすということは十数人の既成詩人 が検討していいと認めたわけなんだけど、素朴な感想を言えば、選考に当った年長詩人諸氏は、この詩集を読んでわかったのかいなと気になってるんですけど ね。とくにあの詩集のはじめのほうの何篇かの詩は、僕にはとてもわからない。(現代詩手帖」:1977年、10月号、対談「詩意識の変容と言葉のありか」)


涌井隆氏は、荒川洋治の『娼婦論』をめぐって次のように指摘している。



『娼婦論』という詩集の題は、収録された最後の詩の題でもあるが、この詩 集全編は意味の網の目を張り巡らせており、読者はそれを解きほぐすようにして読むことを強いられる。例えば、「娼婦」という言葉は、様々な変奏を全詩集を 通じて繰り返す。「キルギス錐情」に出てくる「樵夫」は同音異義語であるし、「娼婦論」に出てくる「雪譜(せっぷ)」という言葉は、1)拙婦(愚妻)、 2)節婦(貞節な女性)、3)褻夫(淫乱な男)などの幅広い同音異義語を持っている。「雪譜」という語はまた、石婦(うまずめ)という語を連想させる。石 婦は同時に「石斧」という同音異義語に連なる。「斧」という語は明らかに男性生殖器を象徴しているから、この同音異義語の対は意味深げである。

図式化したらこういうことになるらしい。


      しょうふ


       樵夫                              娼婦

                                       オーラルセックス

                                          (「男斧のほおばりに疲れ」)

       褻夫                               石婦

       石斧                               拙婦、節婦

       (男)                            (女)



いくつか荒川洋治の詩の断片を引用しておこう


「指の数を憂えながら石女のやさしさで胎児を否決するとき」(「諸島論」)



「方法の午後、ひとは、視えるものを視ることはできない」(「キルギス錐情」)


「キルギスの草原に立つ人よ/君のありかは美しくとも/再び ひとよ/単に/君の死は高低だ//わたしは君を/地図のうえに視てい る/ときおりわたしのてのひらに/錐のように/夕日が落ち/すべてがたしかめられるだけだ」(同)



吉本隆明はかつて荒川洋治を、《若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人》と称揚しているそうだ。



…………


なぜ技術かといいますと、当時はあいまいな意味の詩がぼくらをとりまいていた。意味というものは調子にのりすぎるとさまざまな価値の幻想を生みやすいもので、それが僕には耐えられなかった。ムーディーな形で意味の取引が行われていて、技術的な苦しみを経ていない……荒川洋治『技術の威嚇』1977


――この文は、冒頭の朗読批判にそのまま繋がる。


ところで三好達治は、大岡信の第一詩集『記憶と現在』の中の「六月」について、次のように批判したようだ。


国文畑の出身と聞く作者が、「鳥たち」「花々」などといふのは、もと、変てこな語感に違いない。意味のアイマイなだけ、音調においてはするすると滑りのよい、それらの比喩、...それらは、かんじんの「詩」の犠牲に於て、その「突貫工事」を突貫しようとするのであらうかと…



ははあ、日本語の名詞の複数ね、なかったんだよな。いや、ないんだよな。

ああ、そんなものか、そんなものだったのか、という感慨だな。いまはその「変てこな語感」に慣れてしまっているのか。

――しかし、詩人たちの、あるいは詩の読み手たちの陶酔のあり様に違和を覚えることはある。現在、時代は変ったにしろ、当時の三好達治はそれを言い当てているということができるんだろう。散文だってそうだ。ネット上の発話まで含めれば、《ムーディーな形で意味の取引が行われて》いると荒川洋治がいう文は枚挙に暇がない。そもそも甘っちょろい<詩的な>文を恥ずかしげもなく褒め合っている「文学好き」「詩好き」の連中に行き当たれば、「眼を閉じる」よりほかない――などと書けば皮肉になるが。オレもちょっと油断すればその類だね


「~たち」「花々」って類は、立原道造の詩によくでてくるな(初期大岡信は、立原の詩に影響を受けているのは明らかだ)。


逝いた私の時たちが 私の心を金にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと(「夏の弔ひ」)


あの日たち 羊飼ひと娘のやうに(「夏花の歌」)

逝いた私の時たちが(「夏の弔ひ」)

さまよひ歩くかよわい生き者たちよ(「溢れひたす闇に」)

風や 光や 水たちが 陽気にきらめくのを(「或る晴れた日に」)

――まいったね、いくらでも出てくる。「あれら」ってのもそうだ、

月は とうに沈みゆき あれらの/やさしい音楽のやうに 微風〔そよかぜ〕もなかつたのに(「さまよひ」)

堀辰雄系譜なんだろうな、堀辰雄の文を拾ってみることはしないが。

そして後継者はマチネ・ポエティックの連中(加藤周一、中村真一郎、福永武彦……)

加藤周一に「ある晴れた日に」って小説があるのだけれど、浅田彰はポストモダン小説と皮肉っているが、とんでもない恋愛小説だね(いや失礼、敬愛する加藤周一よ!)。

かれらを語るときにいくぶんか、気まずさと恥部をさらけだす辱かしい思いに誘われるのはなぜだろうか。おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく冷たく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章」)

――ここにも「これら」って出てくるが、これもダメなのかね

瀧口修造だって、「鳥たちはぼくたちをくるしくした/星たちはぼくたちをくるしくした/光のコップたちは転がっていた/盲目の鳥たちは光の網をくぐる(「地上の星」)として「たち」でリズムをとっているな

――カタイこというなよ、三好達治さん、と言いたいところだが……

「~たち」とすれば、(「たち」だけではなく、ほかにも音調のためだけの付加的接辞がたくさんあるだろう)音調においてはするすると滑りのよくなるに相違ない、それは、《「詩」の犠牲に於て、その「突貫工事」を突貫しようとする》ことでありうる。

たとえば西脇順三郎や吉岡実ならこういった言葉遣いを禁欲していたのだろうな、あまり思い当たらない


もうひとつ例を挙げれば、ヴァレリーの「海辺の墓地」の冒頭、かつては「鳩たちがあゆむ、この 静かな屋根、」などと訳された。中井久夫は、それを「鳩歩む この静かな屋根は」と訳している。



散文でもそうであって、――これは<わたくし>もよくやるなあ、「あれら」なんて口癖みたいなもんだーー、恥ずかしいことかね、そうなんだろうようよ、今でもそういったことに気をつけて書いている書き手はいるんだろう、金井美恵子あたりはどうだろうね

……


初期大江健三郎は翻訳調の多大な影響を受けて、次のように書いた。



数知れない鳥の羽ばたきが、かれを目覚めさせた。朝、秋の朝だった。かれの長々と横たわった体のまわりに無数の鳥がびっしり翼を連ね合って絶え間ない羽ばたきを続けている。かれの頬、かれの裸の胸、腹、もも腿の皮膚一面を、堅く細い鳥の足が震えを伝えながらおおっている。そして暗い部屋いっぱいに、森の樹葉のさやぎのように、いっぱいの鳥たちは、けっして鳴かず飛び立ちもせず、黙り込んだままけんめいに羽ばたきをくりかえしていた。鳥たちは不意の驚き、突然の不安に脅かされてそのあまりにざわめいている様子なのだ。

 

 

かれは耳を澄まし、階下の応接室で母親と男の声がひそかに続けられているのを聞いた。ああそういうことか、とかれは鳥たちへ優しくささやきかけた。羽ばたきはよせ、こわがることは何一つない、だれもおまえたちを捕らえることはできない。あいつらあは、外側の人間どもはおまえたちを見る目、おまえたちの羽ばたきを聞く耳を持っていないんだ、おまえたちを捕らえることなんかできはしない。

 

 

 安心した鳥たちの羽ばたきが収まり、かれの体一面から震える小鳥の足のかすかで心地よい圧迫が弱まってゆき、消えていった。そしてあとには、頭の皮膚の内側をむずがゆくし熱っぽくしてむくむく動きまわる眠けだけが残っていた。かれは幸福なあくびをし、ふたたび目をつむった。眠けは、鳥たちのようにはかれの優しい声に反応しないから、それを追いやることはむつかしいのだ。それはしかたのないことだ。眠けは現実の一部ということだ、《現実》は鳥たちのように柔らかく繊細な感情を持っていない。かれのごく微細な合図だけでたちまち消え去って行く《鳥たち》に比べて、《現実》はけっして従順でなく、がんこにかれの部屋の外側に立ちふさがっていて、かれの合図をはねつける。《現実》はすべて他人のにおいを根強くこびりつかせているのだ。だからかれはもう一年以上も暗くした部屋に閉じこもって、夜となく昼となく部屋いっぱいになるほど群れ集まって訪れる鳥たちを相手にひっそりと暮らしてきたのだ。(大江健三郎『鳥』)

 


アランは次のように書いている、《散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。》ーー必ずしもこうであるべきとは言わない。


ーーニーチェのスタイルを思い出してるんだよ、原文は知らないけど

一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)》(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

アランだって? 「チョークの粉がつくる雲の中で教師然としているアラン」(ラカン)の言葉は、ほどほどにしてきいておこう



しかし、ドゥルーズ曰く、《文体とは、自らの言語のなかでどもるようになること。難しい。なぜなら、そのようにどもる必要がなければならないのだから。発語(パロール)でどもるのではない、言語活動(ランガージュ)そのものによるどもりなのだ。自国語そのものの中で異邦人のごとくであること。逃走の線をひくこと。》(『ディアローグ』)は、アランの言葉と共鳴しないでもない。


私はこれまでに時どき、詩人たちについてかなり手きびしく語ったことがある。雄弁家、それも非凡な雄弁家たちを、私はそれ以上に大して愛しているわけではない。いたって学識のある人が、そのことで私につっかかってきた。どんな話でも心底から出たものは雄弁の動きとリズムをおのずと帯びる。ただすぐれた詩においてのみ、このリズムは一そう規則立っているのだ、と彼はいう。彼はそこで実例をそらで引用したが、なかなかうまく択んだ。私は散文をしかるべく弁護するすべを知らなかった。散文は、読者が声を出して読むとかならず損なわれる。そして目の方がいっそうよく散文をとらえるように私は思う。散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。どんな遠慮も知らず、いかなる宗教臭もない。これこそ、すっかりはだかになった人間性そのものである。筆致が道具のように喰い入るのだ。(「プロポ」)


上の話とはすこしおもむきが異なるが、「今どき文章がうまいというのは下品なこと」「感情的な、あるいは思考の上でのポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる」とする古井由吉を附記しておく。

今どき文学上のリアリズムっていうと、まあ多少文学を考える人はまともに付き合うまいと思うでしょう。リアリズムというのは、人がどこで得心するか、なるほどと思うか、そのポイントなんですよ。つまり人は論理で納得するわけじゃない。論理を連ねてきてどこか一点で、なるほどと思わせるわけです。その説得点あるいは得心点ともいうべきところで、形骸化されたリアリズムが粘るというのが、文学としてはいちばん通俗的じゃないかと思うんです。説得点にかかるところだけはすくなくとも人は真面目にやってほしい。つまりこんな言い方もあるんです。今どき文章がうまいというのは下品なことだと。それをもう少し詰めると、感情的な、あるいは思考の上でのポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる。筋の通ったあり来たりならいいですよ。もしもそういう筋の通った『俗』がわれわれにとって、説得点として健在ならば。しかし時代になんとなく流通するものでもって人に説得の感じを吹き込む、そういう文章のうまさ、工夫、これは僕はすべて悪しき意味の通俗だと思う。これがいわゆるオーソドックスな純文学的な文章にも、ミナサンの文学にも等しくあるわけだ。これをどうするのかの問題でね。(古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』)


ーーなどと引用しつつ、この<わたくし>の今書く文も、下品な、悪しき意味での通俗の振舞いをどこかでやっている筈でね……