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2014年11月7日金曜日

「諸君、それは女狂い、”可能なる昇華”以外の何であろう」

このブログは今後(すくなくとも当面は)、バッハあるいは祈りの音楽の話かエロの話しか書きません。おそらく大方の中庸な方々には縁がないことのメモに終始します。要するに数少ない読者のみなさんですが、その方々も少なくとも二週間ぐらいはーー二カ月か二年ぐらいかもーー明けてみないほうがいいと思います。しばらくは、あるひとりの若い女性への私信みたいなものです。彼女の名はアプリコットちゃんです。


ーーというわけでバッハ頭になってしまったので、軌道修正できるかどうかは別にして、ハゲマシのために以下の文を貼り付けておく。

そもそもバッハというのは、高橋悠治によれば性的においがぷんぷんする音楽なのであり、カンタータなどの祈りの音楽だって、そこからエロスのにおいを嗅がないヤツラってのは不感症なんじゃないか。

バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータなど組曲の6曲セットを作っている。当時のドイツは、ヨーロッパの田舎だった。文化の中心パリの流行は、周辺地の音楽家の手で古典性をおびる。それらはもう踊られるためのものではなく、むしろ音楽語法を身に着けるためのモデルであり、ヨーロッパ中心の音楽世界地図でもあった。その装飾的な線の戯れにはどこか、かつての性的身ぶりの残り香がある。若いバッハは、入念に粉を振った最新の鬘をつけ、若い女を連れ、パイプをくわえて街をそぞろ歩く伊達男だったと言われる。音楽がまだ化石になっていないのも、そこにただようエロティシズムの記憶のせいかもしれない。(踊れ、もっと踊れ  高橋悠治





乱交パーティ用の音楽だぜ。

バッハの最も崇高なコラールのひとつといわれるBWV12の2曲目=ロ短調ミサの合唱の起源は次の通り。→ バッハカンタータBWV12とヴィヴァルディPiango, gemo, sospiro e peno


(ヒエロニムス・ボス「快楽の園」)


…………

芸術家が制作――すなわち自分の空想の所産の具体化――によって手に入れる喜び、研究者が問題を解決し真理を認識するときに感ずる喜びなど、この種の満足は特殊なもので、将来いつかわれわれはきっとこの特殊性を無意識真理の立場から明らかにすることができるであろうが、現在のわれわれには、この種の満足は「上品で高級」なものに思えるという比喩的な説明しかできない。けれどもこの種の満足は、粗野な一次的欲動の動きを堪能させた場合の満足に比べると強烈さの点で劣り、われわれの肉体までを突き動かすことがない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 P444)


「上品で高級な満足」に没頭するのもいいが、やっぱり「

一次的欲動の動き」も堪能もしとかないとな。


……さまざまの欲動は、満足の条件をずらせたり、他の方法をとるよう余儀なくされる。これは、大部分の場合には、われわれに周知の(欲動目標)昇華と一致するが、まだ昇華とは区別されうる場合もある。欲動の昇華は、文化発展のとくにいちじるしい特色の一つで、それによってはじめて、学問的・芸術的・イデオロギー的活動などの高級な心理活動が文化生活の中でこれほど重要な役割を占めることが可能になっている。第一印象にしたがうかぎりわれわれは、「昇華こそはそもそも文化に無理強いされて欲動がたどる運命なのだ」と主張したい誘惑を押えかねる。けれども、この件はもう少し慎重に考えたほうがよい。そして最後にーーしかもこれこそ一番大事と思われるがーー、文化の相当部分が欲動断念の上にうちたてられており、さまざまの強大な欲動を満足させないこと(抑圧、押しのけ、あるいはその他の何か?)がまさしく文化の前提になっていることは看過すべからざる事実である。この「文化のための断念」は人間の社会関係の広大な領域を支配している。そして、これこそが、いかなる文化も免れえない文化にたいする敵意の原因であることは、すでにわれわれが見てきたところである。この「文化のための断念」は、われわれの学問にもさまざまの困難な問題を提起するであろうし、われわれにとしては、この点に関し多くのことを解明しなければならない。ある欲動にたいし、その満足を断念させることなどがどうしてできるのかを理解するのは容易ではない。それに、欲動にその満足を断念させるという作業は、かならずしも危険を伴わないわけではなく、リビドーの管理配分の上からいって、その補償をうまく行わないと重大な精神障害の起こる恐れがある。(『文化への不満』p458)

このあとエロスとタナトスの議論が展開されていく。

人類の共同生活は、外部からの苦難によって生まれた労働への強制と、愛の力 ――男性の側からいえば性欲の対象である女性を、そして、女性の側からいえば自分の分身である子供を、手許にとどめておこうとする愛の力 ――という二重の楔によって生まれたのだ。すなわち、エロス(愛)とアナンケ(宿命)は、人間文化の生みの親ともなったのだ。(『文化への不満』P460)

だがここではその議論のいっそうの展開を追うことはやめ、冒頭の「昇華」の話に留まることにする。

フロイトによれば、芸術も学問も政治(イデオロギー)も、欲動断念によるーーその代表的なものは性欲動だーー「昇華」であり、「昇華」で胡麻化してもいずれ始原の欲動に支配されるか、胡麻化し続けていたら精神障害になるかもな、ということを言っている。最も「高級な」昇華と思われている芸術や学問も、オマンコ(あるいはオチンチン)の「仮面」だよ、と。いわゆる「スフィンクスの謎」探求の仮装なのだ。

スフィンクスの謎とは、女性性、父性、性関係に関してであり、フロイト的に言えば、母のジェンダー(女のジェンダー)、父の役割、両親の間の性的関係。

「ママにもおちんちんあるの?」
「もちろんよ、なぜ?」
「ただそう思っただけなの」
(……)
あるとき彼は就寝前に脱衣するのを固唾をのんで見まもる。母親が尋ねる。「何をそんなに見ているの?」
「ママにもおちんちんがあるかどうか、見ているだけよ」
「もちろんあるわよ。あなた知らなかったの?」
「うん。ママは大きいから、馬みたいなおちんちんをもっていると思ったの」(フロイトの『ある五歳男児の恐怖症分析』(少年ハンス(フロイトとラカン)

より一般的に言えば、Das ewig Weibliche (永遠に女性的なるもの)、Pater semper incertuus est( 父性は決して確かでない)、Post coftum omne animal tristum est (性交した後どの動物でも憂鬱になる)の三つ。ラカンの変奏なら、La Femme n'existe pas, 〈女〉は存在しない、L'Autre de l'Autre n'existe pas, 〈他者〉の〈他者〉は存在しない、Il n'y a pas de rapport sexuel,性関係はない。

ここから逃れて昇華による代償満足に専念してても無駄さ。いずれ露顕してくるよ。

サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。(中井久夫 「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)

晩年のヴァレリーの「女狂い」ってのも、ようやく最近知ることができるようになった。


外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P111-112)

たとえば西脇順三郎の晩年の詩だって、《エロス的ダブルミーニング》の詩ばかりさ。『近代の寓話』に《形而上学的神話をやつている人々と/ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ》とあるのを西脇順三郎自ら、《これは実は「猥談」をしている同僚のことだ》と解説したそうだが。

《鶏頭の酒を/真珠のコップへ/つげ/いけツバメの奴/野ばらのコップへ。/角笛のように/髪をとがらせる/女へ/生垣が/終わるまで》(西脇順三郎)

ーーこんなのワカメ酒に決まってるだろ、そら、いけよツバメくん、野ばらの生垣が終わる処まで啜り舐めゆけ、ほら、真珠の栗と栗鼠めがけて! 嘴は「森林限界を越えて火口へと突き進む」(俊 『女へ』)。石灰質だらけの死火山と侮っていても突然激烈に噴火することがあるからな、御嶽山のように。

でも、あそこには実は「原初的な空無」があるのさ

昇華(=崇高化)はふつう非・性化と同じことだと考えられている。非・性化とはすなわち、リビドー備給を、基本的な欲動を満足させてくれそうな「野蛮な」対象から、「高級な」「洗練された」形の満足へと置き換えることである。われわれは女に直接に襲いかかる代わりに、ラヴレターや詩を書いたりして誘惑し、征服する。敵を気絶するまでぶん殴る代わりに、その敵を全面否定するような批判を含んだ論文を書く。通俗的な精神分析的「解釈」によれば、詩を書くことは肉体的欲求を満足させるための崇高にして間接的な方法であり、精巧な批判を書くことは肉体的攻撃衝動の崇高な方向転換ということになろう。 ラカンの出発点は、直接的で「野蛮な」満足とされているものの対象ではなく、その反対、すなわち原初的な空無である。原初的な空無とは、そのまわりを欲動がぐるぐる回っている空無であり、<物自体 the Thing>(フロイト的な das Ding。不可能にして獲得不能な享楽の実体)の形のない形としてポジティヴな存在形態をとる欠如である。崇高な対象とはまさしく「<物自体>の気高さまで高められた対象」である。(ジジェク『斜めから見る』)

このジジェク=ラカンの説く「原初的空無」ーーフロイト的な性欲とかオマンコというのじゃなくて、ーーがラカン派的には肝なのだろう。

原初の喪失とはなにか? 永遠の生の喪失、それは、ひどく逆説的だが、性的存在としての出産の刻限に失われる。Meiosis(分裂)によるのだ。(ラカン「セミネールⅩⅠ」私訳ーーEncore, encore ! --快・不快原理の彼岸=善悪の彼岸

まあでも、いまはそんなややこしい話はやめとくよ、ここでは杏子と真珠貝の話に収斂しよう。






《夕顔のうすみどりの/扇にかくされた顔の/眼(まなこ)は李(すもも)のさけめに/秋の日の波さざめく》(西脇)




川の瀬の岩へ
女が片足をあげて
「精神の包皮」
を洗っている姿がみえる
「ポポイ」
わたしはしばしば
「女が野原でしゃがむ」
抒情詩を書いた
これからは弱い人間の一人として
山中に逃げる

ーー吉岡実「夏の宴」--西脇順三郎先生に)


《ああ すべては流れている/またすべては流れている /ああ また生垣の後に /女の音がする》(西脇)

ーーこれ読んで、アンモニア臭感じない連中を不感症っていうんだよ


《みんなは盗み見るんだ/たしかに母は陽を浴びつつ/ 大睾丸を召しかかえている/……/ぼくは家中をよたよたとぶ/大蚊[ががんぼ]をひそかに好む》(吉岡実「薬玉」)



亜麻色の蜜蜂よ きみの針が
いかに細く鋭く命取りでも、
(……)
刺せ この胸のきれいな瓢を。
(……)
ほんの朱色の私自身が
まろく弾む肌にやってくるように!

素早い拷問が大いに必要だ。

 ーーヴァレリー「蜜蜂」中井久夫訳




2014年10月14日火曜日

「dyssyntagmatismus者」たち、あるいはニーチェと樫村晴香

《わたくしという現象は……風景やみんなといっしょにせはしなくせはしなく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です》(宮澤賢治)

彼は幸福に書き付けました。とにかく印象の生滅するままに自分の命が経験したことのその何の部分だつてこぼしてはならないとばかり。それには概念を出来るだけ遠ざけて、なるべく生の印象、新鮮な現識を、それが頭に浮ぶままを、--つまり書いている時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした。(……)彼にとつて印象といふものは、或ひは現識といふものは、勘考さるべきものでも翫味さるべきものでもない、そんなことをしてはゐられない程、現識は現識のままで、惚れ惚れとさせるものであつたのです。それで彼は、その現識を、出来るだけ直接に表白さへすればよかつたのです。(中原中也「宮沢賢治の死」昭10.6)

…………

なおわれわれは、概念の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。

すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである。(ニーチェ「哲学者の本」「哲学者に関する著作のための準備草案」1872∼1873)

18721873 とあるように、ニーチェ初期の論である。処女作『悲劇の誕生』(1872)と『反時代的考察』第一篇(1873)の間のものとしてよいだろう。

以下は、樫村晴香の『ドゥルーズのどこが間違っているか?  強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点』からだが、彼の論文は、わたくしには密度が濃すぎるので、勝手に行を分けて引用することにする。

…………


永劫回帰の総体は、彼に悪魔の囁きという、
思念的‐聴覚的な、ひとつの現実的「体験」と して訪れた。

ある晩、悪魔が彼の孤独に忍び寄り、
これまで生きたこの人生を、さらにまた無限回、
何一つ新しいものなくくり返さねばならないことを語りかける。
この瞬間の眼前の蜘蛛も、梢を洩れる月光も、悪魔の声も、
あらゆるものが細大漏らさず回帰するだろう。
こ の同じことを、何千回となくくり返し欲し続けるためにのみ、
人は自らの存在と人生を、
さらに愛さねばならないというのだろうか?……

もし人がニーチェの言葉に直接耳を傾けるなら
(つまりハイデッガーのそれも含めて、
解説書を通じて何かを「理解」しようとしないなら)、
この体験が「真実」であり、
そこには表現の一語一句が代置不能な価値をもつ、
緊密 な「物理的実在」が存在し、その実在的力によって、
啓示伝播の最大限の魅惑暴力が駆動することが、
了解されるだろう。

体験が「悪魔」の「声」を通じて到来したこと、
すべてが 「無数」に到来し、それが「苦痛」をもたらすこと、
そして眼前に「蜘蛛」と「月の光」が「見える」こと。

これらすべてが固有の理論的実体的(症候的)価値をもち、
しかもそれらは狭い意味での発症過程の症候的要素というのではなく、
そこに至る彼の、
ディオニュソス、偽装、 真理の転倒、善悪の彼岸、力意志、といった
「明晰な思考としての症候総体」の一過程と しての、
(表現表象ではなく)内実そのものとして立ち現れる。


……とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? しかし事態はそのように単純でなく、Dz のある種の啓蒙的スタイル(確かにそのせいで彼の本はクロソフスキーの数倍読まれたが)は、彼が幻想(永劫回帰)に対してもつ、ニーチェとは異なる固有の位置関係に由来する(そしてこの問題の責は、結局ベルグソンに帰せられるべきように思われる)。

彼は Dz(ガタリDz)のように
諸差異の肯定欲望を称揚するのでなく、
「再び欲望する」ことがいかに「困難」かを述べている。なぜなら
(クロソフスキ ーもまた別の仕方病でそれを体験したように)
永劫回帰において、実際に人は
「無数のもの」を完全には忘れていないからであり、それは
(彼が最後の明晰さの中で「歴史上すべ ての名は、
私であった」と語ったように)
人格的同一性の解体に帰結するが、
しかし愛すること、欲することは、
自己、他者、および両者の関係の想像的恒存性=幻想に由来し、
その 幻想的誤認は、無数の諸差異の忘却を基礎づけ、
かつ忘却に依存するからである。
無数のものとは、実際は全く同じ体験の再帰ではなく、
今日の月、昨日の月、一昨日の月とい う無数のもの、
さらには一瞬ではないこの今に、
刻々と参入するこれら無数の月である。
人 が知覚の場におとなしくいる限り、
事実けっして同じではない無数の月(の入力)は、
一つ の月として出力される。
実際犬でさえ、無数の肉片を同じ肉として認識記憶し、
それができなければ淘汰される。
ニーチェがくり返しいうように、
同一性認識目的は、
「微細な美的感覚をもつ貴族でなく鈍感な下層階級を繁殖させる」
ダーウィン的‐遺伝子的原理によ って、最終審級で支えられる。


最大の重し もしある日、またはある夜、デーモンが君のお前のあとを追い、お前のもっとも孤独な孤独のうちに忍び込み、次のように語ったらどうだろう。 「お前は、お前が現に生き、既に生きてきたこの生をもう一度、また無数回におよんで、生きなければならないだろう。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛、あらゆる愉悦、あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく小なるものと大なるもののすべてが回帰するにちがいない。しかもすべてが同じ順序で―この蜘蛛、樹々のあいだのこの月光も同様であり、この瞬間と私自身も同様である。存在の永遠の砂時計はくりかえしくりかえし回転させられる。―そしてこの砂時計とともに、砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!」 ―お前は倒れ伏し、歯ぎしりして、そう語ったデーモンを呪わないだろうか? それともお前は、このデーモンにたいして、「お前は神だ、私はこれより神的なことを聞いたことは、けっしてない!」と答えるようなとほうもない瞬間を以前経験したことがあるのか。 
もしあの思想がお前を支配するようになれば、現在のお前は変化し、おそらくは粉砕されるであろう。万事につけて「お前はこのことをもう一度、または無数回におよんで、意欲するか?」と問う問いは、最大の重しとなって、お前の行為のうえにかかってくるだろう! あるいは、この最後の永遠の確認と封印以上のなにものも要求しないためには、お前はお前自身と生とにどれほど好意をよせなければならないことだろう?(ニーチェ『悦ばしき知識』信太正三訳)

ニーチェの「批判哲学」が対象への憐憫と郷愁そして無関心、
他方での尋常でない狂暴さという不均衡を露にするのに対し、
Dz の言説が全く穏便であり、しかしその展開において、
常に想定さ れた批判対象への備給を続ける
執拗さをもっていることは、歴然たる違いである。

これは結局、ニーチェが自己の体験実体に魅惑、
というより蹂躙されていたのに対し、
Dz がニ ーチェの体験言説に魅惑されていることの違いに回付される。
人が「言説」に魅惑される 限りで、
思考の主体としての能動性(つまり批判的思惟)は放棄されず、
魅惑の対象に対する受動性は、受動=能動という一体として可能となる。
つまり魅惑されること(=幻想)とい う受動性が、
思考批判という(魅惑するものの否定的対立物に向かう)能動性と、
同じ領野に属し、相互に結合可能となる。

例えば分裂病者が「正月とは全身の毛を剃ることです」 というとき、
それは比喩隠喩ではなく、
本当に正月の意味内容とは「全身の毛を剃る」
身体作用なのだと理解せねばならない。

…………

◆次の箇所は、リルケの詩でさえ、ニーチェの言葉とは異質なものだとしている。


ここでニーチェとハイデッガーの位相の相違を端的に確認すると、
まずニーチェの言説は、 厳密な意味で隠喩とよぶべきものと無縁である。
一見した水準でも、既述のごとく、
彼の作 品は一つの体験という要約不能な実体であり、
そこでは眼前の蜘蛛や水道栓のたてる音、 プラトンが与える憂鬱さ等は、
すでに獲得された観念を比喩する表象ではなく、
そういった 観念、表象のオーダーそのものから
「その彼方へと遠ざかっていく物理的な感覚」
直接的提示として機能する。

ここで隠喩という機能の内実を確認しておこう。
まず隠喩とは、基 本的にすでに獲得された意味内容‐抑圧物を
表象し回帰させる作用である。
しかも厳密 な意味での隠喩とは、
いったん獲得抑圧された意味内容抑圧物外傷を示唆すること で、
不快な抑圧物を再帰させて
主体を原初的な反復攻撃の体勢に退行させ、
その上で さらにそれを隠蔽回収してやることで、
主体を原初的想像的な「よき他者」の前に再帰さ せ、
幻想を補強するような言葉である。

例えばリルケが「薔薇の花、純粋な矛盾、
おびただ しい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽」と語るとき、
薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、
すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという
冷酷な現実を再帰させ、し かし次の瞬間、
その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、
そこに「悦楽」幻想を残して いく。

この開示/隠蔽という対立(「純粋な矛盾」)が
「悦楽」を生産していく過程は、
いうまでもなくハイデッガーのアレーテイアの開示/隠蔽が、
同様に帰属するオーダーであり、
そこで矛盾運動振動とは、
抑圧物の再帰とともに駆動する不安と、
それを押し止める他者力との間の、
基本的に幻想的想像的な対立として駆動する。

これに対し、ニーチェを 襲う強度反復としての運動拍動は、
幻想の保護の向こう側で、
主体が全くの異物としての現実‐悪しきものに直面し、
それを反復=模倣=攻撃しつつ、
主体としては解体していくよ うなオーダーに帰属する。
それゆえ、ニーチェ的永劫回帰では、
感覚と気分の結合再帰 意味は最終的に不能であり、
それゆえ矛盾=対立もまた、
異なるものの結合同平面化を 前提とするゆえに存在しない。

それに対しアレーテイアのオーダーでは、
抑圧物(死)の回帰は、
常にすでに幻想他者の力(隠喩の力)によって
過ぎ去ったものとして幻想の内部で生じるので、
そこでは疎通不能性無数性ではなく、
幻想的な力に帰属するものとして の、
一つの対立こそが問題となる。

つまり対立振動あるいは平衡する緊張は、
多様な場に発見されつつも、
常に同じ一つの不安と、不安への同じ一つの闘いである。
あらゆる存在者の下には、それを可能にしている力の均衡、
「聖なる神殿が岩石から引き出す、
無に 押し込められて支えるということの暗さ、
さらには自らをよぎる嵐の暴力」が発見されるが、
それは結局、隠喩幻想(聖なる神殿)によって開示遂行終了される、
抑圧物(重力、嵐) をめぐる同じ一つの拮抗である。


誤解のないようにつけ加えておけば、樫村晴香は、ドゥルーズを全面的に批判しているわけではない。

えばニーチェの永劫回帰は、 Dz の「理論構造」から判断する限り、永劫回帰の隠喩として受容‐処理されているが、現 実には、Dz はすべての言説を、隠喩ではなくそれこそ「音楽を聴くように」、または小説の エクリチュールを読むように、「半覚醒的に」受信していたのだろう。そしてその感覚があれ ばこそ、意味作用を完全に確定することなく宙吊りにし、理論的分節を半ば未確定に開い たまま次々進み、個々の論点相互の差異へは鷹揚なまま、すべてを取り入れ絶え間なく 移動していく、増殖するエクリチュール‐小説のごとき彼の記述スタイルが可能になる。こ の半覚醒性において、意味作用は言葉が記憶=意味内容に十全に回付=変換される過程 にではなく、言葉に次の言葉が重なり、ずれ合い、その相互の差異が直接に生み出す共 鳴に、帰属する。子供が泣き、豚が叫び(キャロル)、Kの分身の学生が走り、廷丁が走る (カフカ)。意味はそれぞれの言葉がもつ記憶にではなく、言葉(セリー)相互の間の表層 にあり、それは反復される音楽のテーマ間の差異‐変奏、揺れる木の枝の一瞬ごとの差異 ‐移動と同じである。それは差異というより「微分」であり、その概念にこそ Dz の内発的感覚がある。

…………

樫村晴香は保坂和志との対談で次のように語っているそうだ(ウェブ上で拾ったので、正確にいつ、どの対談からは判然としない)。


自閉症だと、幻想の皮膜が自己の身体表面までしかない。それと反対に あなた(=保坂)の作品は、世界全体が自己の幻想の外延と重なって、他者の悪意 を登記する装置がなくなるように感じる。一方、私は本当に自閉症的で、幻想 は身体表面までしかなく、その外側は完全に言語野で抑えようとする。

最近は自閉症/分裂病を選別する議論もかしましいが、わたくしには(いまのところ)、関心の範囲から遠い。もっとも樫村の議論は自閉症者の読むニーチェ分裂病論だとすれば、やや気になるところだが。

とはいえ中井久夫の言い方では、ニーチェも樫村晴香も、統合失調症、あるいはdyssyntagmatismusとなるのかもしれない。

オイゲン・ブロイラーが生きていたら、「統合失調症」に賛成するだろう。彼の弟子がまとめたブロイラーの基本障害である四つのAすなわちAmbivalenz(両価性)は対立する概念の、一段階高いレベルにおける統合の失調であり、Assoziationslockerung(連合弛緩)は概念から概念への(主として論理的な)「わたり」を行うのに必要な統合の失調を、Affektstorung(感情障害)は要するに感情の統合の失調を、そして自閉(Autismus)は精神心理的地平を縮小することによって統合をとりもどそうと試みて少なくとも当面は不成功に終わっていることをそれぞれ含意しているからである。ブロイラーがこのように命名しなかったのは、よいギリシャ語を思いつかなかったという単純な理由もあるのかもしれない。「統合失調症」を試みにギリシャ語にもとずく術語に直せば、syntagmataxisiaかasyntagmatismusとなるであろう。dyssyntagmatismusのほうがよいかもしれない。「統合失調症」は「スキゾフレニア」の新訳であるということになっているが無理がある。back translation(逆翻訳)を行えばこうだと言い添えるほうが(一時は変なギリシャ語だとジョークの種になるかもしれないが)結局は日本術語の先進性を示すことになると思うが、どうであろうか。(中井久夫『関与と観察』


ここでラカン派による神経症と精神病の鑑別のあり方を附記しておこう。

ラカン派の疾患分類は、神経症、精神病、倒錯が三大カテゴリーがまず大前提とされ、それぞれ抑圧、排除、否認の機制によって規定される。神経症の下位分類にヒステリーと強迫があり、精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニーとメランコリーがある。

◆松本卓也「Lacan派の鑑別診断学へのプロレゴメナ」(栃木精神医学第 33巻 2013)より

フアルス的意味作用,すなわち「隠された意味」の有無によって神経症と精神病の鑑別診断を行う手法は, Freudが 1915年に既に行なっていたことである。まず, Freudがそこで記述している症例をみておこう。 Freudは.「靴下を履くことができない」という症状を訴える2人の患者について論じている。この2人は,「靴下を履くことができない」という訴えは同じだが,その意味作用の違いによって一方は強迫神経症,もう一方は統合失調症と診断することができる,と Freudは言っている。

強迫神経症の患者は.靴下を履いたり脱いだりする行為を手淫に相当するものと考えていた。つまり,足は陰茎の隠喩となっており.彼にとって足はもはや足でありながら足ではなく,それ以上の意味を含んだものになっている。その意味の過剰のために,彼は靴下を履くことができなかったのである。

一方.統合失調症の患者は.靴下をはくことができない理由は「靴下の網目の一つ一つが女性器の穴に思えてしまうからJであると語った。これは.先ほどの足と陰茎を同一視するメカニズムとは明らかに異なる。ここで働いているのは,靴下の網目も女性器も両方ともが穴である.つまり「穴は穴である(から同じもの)」というシニカルな命題なのであって,そこには隠された意味が何もないのである。

樫村晴香のニーチェを分裂症状とする考え方は、ほぼこの内容を言っているとしてよいだろう。

松本卓也氏が書く《Freudが 1915年に既に行なっていたこと》の箇所は次の通り。

……われわれは精神分裂病の代理形成と、ヒステリーや強迫神経症の代理形成とのあいだの、微妙であるが、奇怪にひびくある区別をのべたいと思う。私が、現在観察している一人の患者は、顔の皮膚のまずい状態のために、人生のすべての興味から遠ざかっているが、彼は顔ににきびがあって、その深い穴をだれでも見つめるといいはる。分析は、彼の去勢コンプレクスが皮膚のうえに、演出されていることをしめす。彼は、最初のうちは後悔しないで、彼のにきびをいじっていて、にきびを押しだすのはなかなかの満足をあたえた。彼がいうように、そのさいになにかがとびでたからである。それから彼は、にきびを取ったところにはどこでもふかい穴ができることを信じはじめた。そして「手で始終いじくりまわし」て皮膚をいつもよごしたことについて、はげしい非難を自分に加えた。彼にとって、にきびの中身を押しだすのが手淫のかわりであることは明らかである。そのあとに、彼の罪によって生ずる穴は女陰である。つまり手淫によって誘発された去勢の脅威(それに関連して、去勢脅威をあらわす空想)の実現なのである。この代理形成は、ヒポコンドリー的な性格なのにもかかわらず、ヒステリーの転換Konversionと似た点をたくさんもっている。けれどもここには何か異なった事情があるにちがいなく、その相違がなににもとづいているかをいうことができないうちは、ヒステリーとおなじような代理形成に信を置くわけにはいかない感じがするだろう。毛穴のような穴を、ヒステリー患者は、膣の象徴とすることはほどんどないだろう。普通は、中空になっているあらゆる物と膣とを比較するのではあるが。また穴がたくさんあることが、それを女陰のかわりにするのをやめさせるであろうとも考える。おなじようなことが、タウスクが数年前ヴィーンの精神分析学会に報告したところの、若い患者にもあてはまる。彼はその他の点では、まったく強迫神経症患者のようにふるまい、化粧室で数時間をついやしたりしたが彼がその抑制の意義を抵抗なしに話すことができたのは、きわだったことであった。たとえば靴下をはくときに、その編目つまり多くの穴をひろげなければならないという観念がうかんで彼をさまたげた。どの穴も、彼には女の生殖器口の象徴であった。このことはまた、強迫神経症患者にはできないことである。ライトラーの観察した強迫神経症患者は、靴下をはくときに、おなじようなためらいになやんだが、彼が抵抗を克服した後にはじめて、次のような説明をうけいれた。すなわち、足は男根の象徴であり、靴下をはくのは手淫の行為であり、靴下をたえずはいたりぬいだりしなければならなかったのは、一部は手淫の仕事を完全にするためであり、一部はそれがおこらぬようにするためである、と。

精神分裂病の代理形成と症状とに奇怪な性格をあたえているものが何かを考えるならば、われわれは、それが事物関係よりも言語関係のほうが、優位にあることであると思う。にきびを押しだすことと、男根の射精とのあいだには、わずかながら事物に類似がある。無数の浅い皮膚の穴と膣とのあいだの類似は、それよりも少ない。だが第一の場合は、双方ともある物を射出する。そして第二の場合には、文字どおりシニカルに穴は穴であるという命題があてはまる。表現される事物の類似ではなくて、言葉の表現の相似が代理をさだめたのである。その二つのものーー言葉と物と合致しない場合に、精神分裂病の代理形成は、転移性神経症の代理形成とちがってくるのである。(フロイト『無意識について』フロイト著作集6 p110-111)

…………

ここからは、附記。かなり長い引用なので、本来別稿にすべきだが、こういった文を単独で投稿するのは趣味ではないし、樫村論文、あるいは上のフロイトの「精神分裂病」という言葉に反応しつつ、ここに続ける。この中井久夫の文は、いままで断片的には、引用してきたが、かなり以前にーーたぶん一年以上前にーー「写経」したままで、このほぼ全文を引用するのは初めて。


◆中井久夫「詩の基底にあるもの」より(『家族の深淵』所収)

―――その生理心理的基底



精神科医として、私は精神分裂病における言語危機、特に最初期の言語意識の危機に多少立ち会ってきた。それが詩を生み出す生理・心理的状態と同一であるというつもりはないが、多くの共通点がある。人間の脳がとりうる様態は多様ではあるが、ある幅の中に収まり、その幅は予想よりも狭いものであって、それが人間同士の相互理解を可能にしていると思われるが、中でも言語に関与し、言語を用いる意識は、比較的新しく登場しただけあって、自由度はそれほど大きいものではないと私は思う。

言語危機としての両者の共通点は、言語が単なる意味の担い手でなくなっているということである。語の意味ひとつを取り上げてみても、その辺縁的な意味、個人的記憶と結びついた意味、状況を離れては理解しにくい意味、語が喚起する表象の群れとさらにそれらが喚起する意味、ふだんは通用の意味の背後に収まり返っている、そういったものが雲のように語を取り囲む。

この変化が、語を単なる意味の運搬体でなくする要因であろう。語の物質的側面が尖鋭に意識される。音調が無視できない要素となる。発語における口腔あるいは喉頭の感覚あるいはその記憶あるいはその表象が喚起される。舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もある。

これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。

さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。

このような言語の例外状態は、語の「徴候」的あるいは「余韻」的な面を意識の前面に出し、ついに語は自らの徴候性あるいは余韻性によってほとんど覆われるに至る。実際には、意味の連想的喚起も、表象の連想的喚起も、感覚の連想的喚起も、空間的・同時的ではなく、現在に遅れあるいは先立つものとして現れる。それらの連想が語より遅れて出現することはもとより少なくないが、それだけとするのは余りに言語を図式化したものである。連想はしばしば言語に先行する。

当然、発語というものは、同時には一つの語しかできない。文字言語でも同じである。それは、感覚から意味が一体となった、さだかならぬ雲のようなものから競争に勝ち抜いて、明確な言語意識の座を当面獲得したものである。



詩作者と、精神分裂病患者の、特に最初期との言語意識は、以上の点で共通すると私は考える。

私がかつて「詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である」と述べた(『現代ギリシャ詩選』みすず書房、一九八五年、序文)のは、この意味においてである。この場合、「徴候」の中に非図式的、非道具的なもの、たとえば「余韻」を含めていた。その後、私はこの辺りの事情を多少洗練させようとしたが、私の哲学的思考の射程がどうしても伸びないために徹底させられずに終わっている(「世界における索引と徴候」『ヘルメス』 26号、岩波書店、1990年、「世界における索引と徴候 ――再考」同27 号、1990年)。「索引」とは「余韻」を含んでいるが、それだけではない。

その基底には、意識の過剰覚醒が共通点としてある。同時に、それは古型の言語意識への回帰がある。どうして同時にそうなのであろうか。過剰覚醒は、通用言語の持つ覆いを取り除いて、その基盤を露出すると私は考える。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。言語の「発見論的」 heuristicな使用が改めて起こる。これは通常十五歳から十八歳ぐらいに発現する。「妄想を生み出す能力」の発生と同時である。



実際、妄想は未曾有の事態に対する言語意識の発見論的使用がなければ成立しない。幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない。しかし、妄想は単に言語の発見論的使用ではない。妄想が妄想として認識されるのは決してその内容ではなく、問題の陳腐な解決、特にその解決に権力欲がまつわりついた場合であり、さらに発語内容のみならず形式のほとんど一字一句に至るまでの反復によって「妄想」と認識される(初期分裂病の「妄想的」発語は妄想ではない)。妄想を、通常人が「奇想天外」と余裕を以て驚いてみせるのは、実はその意外性、未曾有性でなく、その陳腐さを高みから眺められるからである。もし陳腐でなければ(いやいささか陳腐であっても)、啓示として跪拝するのは日常見られることではないか(ここで分裂病が一次的には妄想病ではないかと私が考えていることを言っておく必要があるだろう)。

むろん一方は病いであり、一方は病いではないといちおうは言うことができる。しかし、分裂病の場合でも、その最初期、病いといえるか否かの「未病」の時期に言語の徴候的側面への過敏が顕著であり、また一般には、この過敏はその時期の徴候一般に対する過敏の一部として出現する。逆に、詩人の場合も、何の危機もなくて徴候性への敏感さが現れるかどうか。

散文を書く時は、たとえ難渋するにしても、それは主題との格闘であって、言語そのものに対しては「大地の感覚」を維持している。散文においても言語は「発見」の道具でありうるが、言語を「発見論」的にしようしてはいない。「発見論」的使用とは、発見のために闇を探ることであり、それは決して何かを証明することはなく、常に「悪魔と深い海との間に落ちる」危うさがある。詩とは言語の「発見論的」使用であり、それゆえの徴候あるいは余韻、索引への敏感性があるということができると私は考える。詩を書き始める年齢は「妄想能力」の成立の年齢とほぼ一致する。

かりに、貴重な薄氷感を失えば、言語の発見論的使用は「妄想」に堕する危険がある。実際、妄想は全面的危機に際して一つの解釈を示して救い手として現れるものであり、患者が妄想にその内容にふさわしい恐怖を示さないかに見えることは、何よりもまず、それに先行する事態がはるかにおそるべきものであって、それに比すれば何ほどのことはないからである。実際、妄想の反復性と一義性とは、内容の恐怖性を補って余りある安定を与える。ここに妄想の抜けにくさがある。それは不要になった時に自然に消滅する他はないものである。しかし、安んじて共存できるものでもない。また問題は、新しい体験が入ってこなくなることであり、それゆえに妄想を持つ人の「心が痩せる」。詩と妄想とは最終的には相互排除的であるが、出発点においては、まったく別個のものではないと私は考える。むろん、発見論的使用と無縁な韻文はありうる。それは韻文であるが「詩」との相違は、数学の論文とパズルとの差に近くはないか。もっとも、詩作のある段階においてはパズル的側面、言語ゲーム的側面が前に出ることもある。それが詩を完成させる救いになることもある。



私がここでポール・ヴァレリーに触れるのは、ただ私が無謀にも彼の詩の若干を訳したことがあるというだけではない(『ヘルメス』 40号、同47 号)。むろん、翻訳は、出来ばえはどうであっても通常よりも徹底的な読みであり、その過程で気づいた襞もある。しかし、それよりも、詩作の生理学を自ら述べているのがなかんづく彼だからである。ここでは紙幅の関係もあり、主に「太公と若きパルク」によって述べよう。

彼は一八九二年に詩作を廃し、一九一二年に四十一歳にして友人の促しによって詩に回帰する。彼は、「自分ではわからない青春への回帰によって二十年を隔てて詩に感興を覚えるようになった」と述べている。外的原因も無視できないが、彼は「長周期の記憶あるいは共鳴があって、それがにわかに己の性癖、力、遠い過去の希望も返してくれるのではないか」と述べている。これについては人生の入口および出口近くに詩作のピークを持つ詩人が少なくないことを付言しておこう。さしあたりT・S・エリオットあるいはリルケが念頭にある。

最初には、ことばの響き、その「音楽」への敏感性を自覚し、さらにそれを味到しようと努力するようになる。「語を耳にすると私の中で自分でもわからない和音的相互依存関係や皮一枚下まできている律動の、まだ声にならない存在〔もの〕が揺らいだ」。この「うたう状態」の始まりは「演奏前のオーケストラの楽器の低い呟きのような甘美」であった。彼は自分の中に詩人を認め、それに馴染み、成り行きに任せる。ここで彼が「当時は難問に取り組むことにとうの昔からうんざりしていた」と述べているのは事実であろう。彼が書き続けてきた「カイエ」による探求は「地獄のような悪循環」になっていた。彼の中に再生した詩への傾斜は、救いとして、さらに青春の再生として感受されている。

これは、彼を「若きパルク」制作に誘い込む陥穽であった。しかし、彼は詩に回帰してもこの地獄から逃避できなかった。「新しい季節の初花の下には抽象的問題と謎とが群集していることをすぐに認めた。見たいと思うところには必ずあった。詩にも」。「粗書きの幸福の後、かいま見た将来の美、内面の声のこの神のような囁きの後、まだ指紋のついていない断片がすでに生れているというのに、そこから苦役にむかって、このざわめきを文節し、断片を繋ぎ合わせ、全知性に問いかけ ……そして待たねばならないのであった」。「最初の一句はミューズから与えられる。後は努力である」と彼は別のところで言っている。ある日、「すでにある部分の構築と推敲とに疲れて」絶望的嫌悪感に陥り、ある部分の断念を自分に言い聞かせて、雑踏の中を彷徨する。一九一三年十二月のことである。

神秘家は、召命の後、ある時期には aridity(不毛)に耐えなければならないと聞く。このことは詩人にもある。

彼はあるカフェに入り、散らばっている新聞に、あるドイツの大公が、愛人であった女優の演技と台詞を具体的に細部にわたって記してあるのに遭遇する。それは「まさにしかるべき瞬間に到来して、もっとも予想外の経路によって必要であった救いをもたらした」。これはサン・ピエトロ広場のオベリスクが建立中途で進退谷〔きわ〕まった時、厳禁されている沈黙を破った「綱を湿せ」の一声が綱の強度を増して破局を救ったのに例えられている。劇はシラーの「メアリ・スチュアート」の処刑寸前の一節を音の高さから沈黙まで記述したものであるが、どうして彼を救ったかは自分ではわからないという。

この時までに彼が現在刊行されている「若きパルク」の草稿のどの段階に達していたかは、それらの多く、特に初期のものに日付がない以上、確定できないが、この特権的な救いによって、「パレット」と「断片」にすっと筋が一本通ったのであろう。棋士が勝負を進める時、あらゆる可能性を読むうちはまだ駄目で、他の可能性がおのずと排除されてすっと一筋の道が見えるようになる必要があるというが、それに似た転換である。

パレットに絵の具を並べるようにさまざまの語や観念とその相関とが乱舞するのは、分裂病の言語危機においても見られるところである。分裂病が創造性にもっとも近づく一時期である。もし、そのまま推移して、パレットが自動的に増殖し、ついには認知が追いつけないほど加速され、また、語の「自由基」ともいうべき未成の観念の犇めきが意識されるようになれば、病いのほうに近づく。精神は集中に過ぎれば不毛になり(それゆえカイエの「地獄」、散乱にすぎれば解体の危機に近づく(「パレット」の時期)からである。あらゆる可能性をきわめようとしつつ、精神の統一を強化しようとする矛盾した自己激励は、時に創造的であるが、しばしば袋小路に自らを追い込む。



この瞬間によって「若きパルク」に坦々とした道が開けたわけではない。一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。

以下、約一頁ほど続くが、引用ここまで。

上には、《幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない》という文がある。

中原中也が「さらさら」と書いたのは、最晩年であり、彼が分裂親和型であったかどうかはどうでもいいが、ただひたすら「さらさら」に反応して引用しよう、われわれの多くが、たぶん中学校の国語の教科書で読んだだろう、《彼の最も美しい遺品》(小林秀雄)を。

一つのメルヘン  中原中也


秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで珪石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……


…………

すぎゆく ひとすじの風ならで 誰が泣くのか?
いやはての金剛石〔ほしぼし〕とともにひとりある このひとときに ……
誰が泣くのか? だが その泣くときに かくもわが身に近く。

ーーヴァレリー「若きパルク」冒頭 中井久夫訳

「パルクは深夜にめざめる。おそらく夜の半ばだろう。宇宙の地平に明滅するいちばん遠い星がいちばん近く感じられ、その他はすべて闇だというなかにめざめる。私が泣くという自己所属性の意識はない。すぎゆくひとすじのような風にまがう、かそかな泣き声。それは、誰の泣き声なのか。パルクはおのれを知らない。身体のほとんどはめざめていないのだから。しかし、あまりにわが身に近い。ほとんどわが身からのようではないか ……そんな意味であろう。運命の糸をつむぐのがギリシャ神話のパルクだが、このパルクは後の詩行でわかるとおり、おのれの運命を紡ぐ点てユニークなパルクだ。何の予兆とも知らされていないが、しかし、ほとんど現前するもののない世界だ。これは純粋予感だ。あるいは発生機状態in stato nascendi にある予感だ。」〔中井久夫『世界における索引と徴候』)

何と?
御身は こなたに忍び寄らんとするか?
かくも深き夜更けに?……
御身は 何をか望む?
告げよ!
御身は われを圧し、苦しむ、
ああ! はや あまりにもわが身辺に迫りて!
御身は わが息づかいをきく、
わが心音をきく、

ーーニーチェ「アリアドネの嘆き」第四ステージ 中島義生訳

人生の真昼時に、ひとは異様な安静の欲求におそわれることがある。まわりがひっそりと静まりかえり、物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく。彼の心臓は停止している。彼の目だけが生きている、--それは目だけが醒めている一種の死だ。それはほとんど不気味で病的に近い状態だ。しかし不愉快ではない。(ニーチェ「漂泊者とその影」308番 秋山英夫訳)

…………

ここで何人かの詩人や思想家の名前を出したが、彼らが「分裂親和型」、あるいは「dyssyntagmatismus者」であるかどうかは、繰り返せば実はどうでもいい。そもそも最近は、分裂病的だとか統合失調症的だとかいって感受性の鋭さを誇示するのは今はあまり流行らない(80年代に流行りすぎだともいえる)。

ただし、ある種の人たちは特殊な感覚をもつ、あるいはもつ瞬間がある、ということは間違いない。おそらく、その感覚は、《もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する》(中井久夫)であったり《奇妙な静けさとざわめきとひしめき》(同前)であったりするだろうし、これ以外にも、冒頭の中原中也の宮澤賢治追悼文の表現や、あるいは、ニーチェの《物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく》とか、ジュネのような表現の仕方があるだろう。そして、彼らもそれぞれ微妙に異なる感覚を言っているはずだ。

わたしには、もろもろの物象が輝くばかりの明澄さで知覚されると思われるようになった。あらゆる物が、最もありふれたものまでも、その日常的な意義を失っていたので、わたしは終いには、いったい、コップは水を飲むものである、とか、靴は穿くものであるというのはほんとうだろうかと考えるまでになった。(ジャン・ジュネ『泥棒日記』 朝吹三吉訳)

もっと平凡に、なにかが遠ざかってゆく感覚、かつまたなにかが遠くから不意にやってくる感覚としてもよい。「遠くからのように」、「遠くからやってくるように」は、ミシェル・シュネデールのグールド論にリフレインのように現われる。

驚くほどに音が遠くにある感じが好きだ。夕暮れの苦い樹皮、最期の苦痛(……)、とぎすまされていて呆然とさせる境界線の接近。そのただずまいに感じられる果てしない悲しみ。記憶が音楽に変わるのか、それとも音楽が記憶に変わるのか判然としないままだ。

この文はグールドのバッハではなくブラームスの録音について言っているのだが、グールドの間奏曲集は聴き過ぎだ。ここではリヒテルのインテルメッツォを貼り付けておこう。





さて、こう表現すれば、ーーなにかが遠ざかってゆく感覚・なにかが遠くから不意にやってくる感覚ーーこのような感覚は、決して詩人や芸術家だけではなく、短い間であれば、誰にでもあるのではないだろうか。

分裂親和型とは程遠い抑鬱系の作家であると思える大江健三郎の《一瞬よりはいくらか長く続く間》とは、誰でもあるだろう、世界が徴候感覚に充ち、あるいは時間が垂直に立ち上がる稀有な刻限を言い表わそうとしているように感じられる。

――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。カジね、そしてそれはただそう思う、というだけのことじゃないと私は信じる。

この感覚が数年に一度でもいい、まったっく訪れないひとには、谷川俊太郎とともに「ごめんね」とでも言い放っておくよりいたし方ない。

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね (神々しいトカゲ

あるいは樫村晴香とともに、《とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? 》とでもするより他はない。ゴメンネ!

ためしに自転車でひとごみを突っ走ってみたらどうかしら?

オランダの臨床精神医学者リュムケは、正常者でもすべていわゆる分裂病症状を体験する、ただしそれは数秒から数十秒であると述べている。この持続時間の差がなにを意味するのか、と彼は自問する。

私は回復期において一週に一、二回、数十分から二、三時間、“軽症再燃”する患者を一人ならず診ている(慢性入院患者がごく短時間「急性再燃」を示すという報告も別にある)。なかでも、自転車で人ごみのなかを突っ走ると起こりやすい場合があるのは興味がある。当然、追いぬく人の会話の一句二句をひろって走ることになる。この切れ切れに耳に入ってきた人のことばは、それ自体はほとんどなにも意味しないのだが、いやそれゆえにと言うべきか、聴きのがせぬ何かの(たとえば自分への批評の)兆候となる。そこからさまざまな“異常体験”への裂け目がはじまる。しかし、じっとして“ふりまわされぬ”ようにしていれば、この兆候的なもののひしめく裂け目は閉じ、すべてが過ぎ去ることが判ってきて、そのようにしているとーーー決して愉快な時間ではないがーーーいつのまにか消えてゆく。この場合、ガラスにひびの走るように拡がって急速なパニックには陥らないわけで、どうやら多くの“分裂病性異常体験”は、その基底にある不安あるいは(対人的)安全保障喪失感の“量”というか根の深さいかんで、恐慌状態になる場合からほとんど看過ごされる場合まで実に大きな幅があるようだ。幻聴でも、すこし聴こえただけで参ってしまう人もあるが、「大学教授なら停年までつとめられる例がある」とも聞いた。もっとも、持続時間を決定している因子はまた別かも知れない。(中井久夫『分裂病と人類』)

 だれかに徹底的に惚れて「不安」になってみたらどうかしら?

一般に、世界が徴候化するのは、不安に際してである。私がその世界に安んじておれないということである。(……)

徴候化は、対象世界にも、私の側にも起こる。対象の側に起こる簡単な場合には、山で道に迷った場合があろう。「道に迷った!」と直観した刹那に、人はもはや眼前の美しい森やこごしい断崖に眼を注がない。ささやかな踏みわけ跡らしきものを、けものみちであるか、先人のとおった跡であるかを見分けるために、ごく些細な徴候を捜して、明確な対象は二の次三の次になるだろう。これが、世界が徴候化する場合のごくわかりやすい一例である。それが私の中に起これば精神の危機である。私の中に起こるつかもどころのない変動のいちいちは、私の精神がバランスを失うかも知れない徴候である。この場合にも、私にとっては、日常の食事、睡眠、入浴が二の次になる。

(……)

もっとも、不安なしに対象世界が徴候化することはある。それは、狩人の場合であって、カルロ・ギンズブルグは、些細な足音や草の倒れた形から獣が通った跡を推理する狩人の「徴候的知」を、歴史家、医師、推理作家などの方法の先駆として、この「知」による科学に「演繹」や「帰納」による科学と同等の「知」としての位置を与えることを主張している。(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」)

だれかにひどく嫉妬するとかさ

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p199)

神経症者とか最近の現代版パラノイア型ナルシシストたち同士で、おしゃべりにうつつを抜かしていると、《一瞬よりはいくらか長く続く間》なんて一度も出会えなくなっちゃうぜ。

「病的ナルシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。(現代の「病的ナルシスト」たち、あるいは「母なる超自我」と「内的な自由」

ーーこれって、四十歳前後以下のそれなりに名のしれた「思想家」や「批評家」でさえ、奴らのタイプの多くは、この「病的ナルシシスト」に近いと睨んでいるのだがね。《自我理想の枠と絶縁する》というのは、エディプスの斜陽のせい。いわゆる象徴的権威の衰退のせい、ということになるから、彼ら自身の問題ではないのだが。


おっと、こういうことを書いたらいけない、と蓮實重彦センセの嘲罵がとつぜん遠くから閃光のようにやってきたので、「よい子」はけっしてしないように、――《たしかなことは、 誰もが凡庸と呼ばれる思考の風土からもっとも離れた地点に自分を位置づけようとしており、 そうした姿勢のはば広い共有ぶりが、ことによると凡庸さの実態だといえるのかもしれぬ》のであり、《あたりに氾濫する無自覚な凡庸さを何とか超えようとする姿勢そのもの》が「凡庸さ」を形作るのだから。



2014年10月8日水曜日

山師ニーチェ

むさぼるように私は『曙光』の断章を読みました。ニーチェを読むときに役だつ、あのあらゆるひねくれた感情を込めながら。そして翻訳者にたいする、一巡してはまた生まれてくる感謝の気持を、その“ひねくれた”感情に交えたのです。……(「ニーチェとヴァレリー ヴァレリーのニーチェに関する手稿から」 丹治恒次郎 著 – 1985 ネット上PDFより)

ヴァレリーは仏国では、もっとも早くからのニーチェの読者のひとりだったらしい。上の文は、ニーチェの翻訳者である友人アンリ・アルベール宛(1901)の書簡からであり、彼に感謝の気持を表明しているのだが、それに続いて現われる「“ひねくれた”感情」という表現がいかにもヴァレリーらしい。”Tous les mauvais senntimenntos utiles”――悪感情、不快感としてもよいだろう。

もっともヴァレリーは死の二年前のカイエ(72歳)にも、ニーチェに触れている。


ニーチェを読むーーニーチェ(かれはイデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとりだが)にある詐りのものはーーかれが他者に付与する重要性――論争術、――およびいろんな理論立てを思わせるものすべてである。彼はすでに「文学史」中に席を与えられた物事をあまり眼中におきすぎる。――ソクラテスとカントを制服した「彼」が、だ。――/それから魔術的な語の『生』。しかしこれに助けを呼ぶのは安易というものだ。(寺田透訳)

この時期に到っても熱心にニーチェを読んでいたことになる。しかもやはり「詐りのもの」という表現を差挿させて。


だが《イデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとり》ともあるわけだが、ヴァレリーはマルクスの最初期の読者であることも知られている(もっともマルクスーニーチェーフロイトという偉大な三人組(イデオロギー、道徳、自我の)の残りの一人フロイトへの言及というのは殆んどなかったんじゃないか)。


まあそれはこの際どうでもよろしいが、ニーチェを、”道徳の分野で”、とはいわず、”イデオロギーの分野で”もっとも高く評価すると言っているのも、ヴァレリーらしい。たぶんニーチェの同情道徳批判など端から信じていなかったのだろう。


ニーチェのなかでもっとも面白いものはあの断固たる風采、倫理的執心である。――これが僕をいつも笑わせる。――というのは、要するにこれは台所仕事なのだ、道徳のなかで働こうとする。道徳の現代的基礎が見かけのよい無関心でだということに気がつかない。(ヴァレリー ジッド宛ての書簡 1899.1.13)


◆ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』より


・私はニーチェが言っていることを気にかけない。ニーチェが考えねばならないことに関心がある。

・あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ。

・山師根性の発生源〔は何か〕。存在の分割。

・大ほら吹き。――構築家ではない。


山師だって?、大ほら吹きだって?


ニーチェは妹への手紙で言っている、

自分は生来おとなしい人間だから、自己を喚び覚ますために激しい言葉が必要なのだ。

ーーたぶん、「お兄さん、どうして物を書くとき、あんなに大言壮語するの?」 とでも訊ねられたのではないか。



ところで冒頭の「ひねくれた感情」については小林秀雄もすでに昭和二十五年のエッセイ「ニーチェ雑感」にて次のように引用している。

「私はニイチェを読む、彼を読むに必要な悪意をもって」とヴァレリイは言っている。これはニイチェの知らぬフランス風のアイロニイだ。彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている。そういう血筋についての日本人としての一種の不感症の意識が、ニイチェを読むには、およそ女々しさを知らぬ善意が必要だ、と私に言うようである。ニイチェは暴露心理学の名人ではない。それは彼にはあんまりやさしい芸である。心理は暴露されるが、ひたすら隠そうとしているものが、常にそこにある。それは真理の絶対性であり、そこにはドイツの伝統的精神の血が流れている。頑固な執拗な容赦のない精神の渇望が、憧憬がある。これを、彼の「悪意の知恵」のうちに、いつも感じているのには強い善意を要する。


ここには上に引用したヴァレリーの『ニーチェに関する手稿』における《あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ》の翳も窺われる、すなわち《彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている》とは、《あまりにもドイツ的》の変奏だろう。


ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。(吉田秀和ーー 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』(神崎繁)よりの孫引き)

吉田秀和はもちろん小林秀雄の弟子筋であり、この見解も起源は小林秀雄にあるに相違ない。

反道徳とか、反キリストとか、超人とか、ニヒリスムとか、孤独とかいう言葉は、ニイチェの著作から取り上げられ、誤解され、濫用されているが、これらの言葉は、近代における最も禁欲的な思想家の過剰な精神力から生れた言葉だと思えば、誤解の余地はないだろう。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

ニーチェの主著のひとつ『道徳の系譜』では、この書に収められた三論文のテーマ、第一論文「善悪」、第二論文「同情」、第三論文「禁欲主義」に対して、それぞれ激しく反駁しているのだが、ニーチェこそ善悪の彼岸にある「善=真理」の人、窮極の「同情」の人、至高の「禁欲主義」の人であった、と小林秀雄はすでに暗に言ってしまっているのだ。


そして小林秀雄の見解も、ヴァレリーに負うところが大きいように見える。


ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった。

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。」(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

たとえばショーペンハウアーの《哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである》とある次の文を読んでみよう。

ニイチェは、「教育者としてのショオペンハウエル」を、私という人間を知る鍵だと、これを書いてから十年も経ってから、ローデへの手紙で言っているが、どんな鍵だかは言っていない。鍵をあけるのは読者の方だ。これはニイチェの変わらぬやり方である。

彼はショオペンハウエルの第一ページを読むやいなや、あらゆるページを読んで、あらゆる言葉を傾聴するに違いないことを決定的に感じてしまう、そういう種類のショオペンハウエルの読者だ、と言っているが、彼の書いたものは、まさにそういう読者の書いた「ショオペンハウエル論」であって、この哲学者の哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである。相手を信頼しきった愛読者として、ニイチェがショオペンハウエルから感得したものは、もっと深い処にあるもの、ドグマが死んでも今日もショウペンハウエルが私たちを動かしているものだ。感得とは私の勝手な言葉ではない、ニイチェはこの哲学者を語り、愛読者の「生理的印象」を語るのだ、とさえ言っている。「教育者としてのショオペンハウエル」は、同時代への攻撃が目的であり、それは鋭く雄弁で、一篇の重点をなしているのだが、ニイチェの鍵をあけるなら、私としては、彼が愛読者としての気持ちを語る最初の部分を選びたい。

ショオペンハウエルが、カントの「批判」から立ち上がったのは周知のことであるが、この点で、ニイチェは特色ある洞察を述べている。カントによって厳密に証明された知性の相対性を、いろいろと弄くり廻しているような「計算機械」たちには自分は何の興味もない、なぜ絶望しないのかと彼は言う。彼は、カントから与えられた打撃により、絶望した心を語るクライストの手紙を引用し、人間はいつになったら、クライストのように自然にすなおに感じるようになるか、いつになったら哲学の意味を自分の心の底に照らして計ることを学ぶようになるかと言っている。ショオペンハウエルは、それをやった。それをやったところに、ニイチェが見たものは奇怪なほど明らかなあたりまえなことであった。正直な思想家。その点で、彼に肩を並べられる思想家はモンテエニュ一人だと断言しているのもおもしろい。同時にニイチェは、当代の思想家の、不機嫌、憂鬱、錯雑が、つまるところ自分自身に対する信頼感の不安定をごまかそうとする虚偽から来ているのであって、他にもっともらしい理由なおいっさいないのだと見る。ところで、正直であるとは、「人生の全像」が、この苦痛と不幸との絶えぬ絵が一つ目で見えているという意味だ。ショオペンハウエルは、この絵から、画家を発見しようと男らしく、単純に誠意をもって考えて行く、他の思想家たちが、絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している間に。この愛読者は、そういうふうに読んだ。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

小林秀雄の、しばしば「はったり的」とも批判される様をこの文章に読むひとがいるかもしれない。ショーペンハウアーの「哲学的ドグマなぞ初めから問題ではなかった」だって? 研究者だったらこの断言に苛立つのを憶測できないわけでもない。

ニーチェはこう書いてるじゃないか、と。

ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ『反キリスト』原佑訳  P172)

だがニーチェが山師なら、小林秀雄を山師として読んでどうしていかないわけがあろう。その山師根性から生み出される神経や情動に働きかけてくるエクリチュールに魅せられないひとーーたとえば学者共同体のひとびとはーー、地道に研究活動に精をだしておればよろしい。それが《絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している》のではないことを、ここで他人事ながら祈願しておこう。


《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475

もっともいま黒字強調をした箇所も、たとえば次の文とともに読む必要があるだろう。

ひとはものを書く場合、分ってもらいたいたというだけでなく、また同様に確かに、分ってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にはならない。おそらくそれが著者の意図だったのだ--著者は《猫にも杓子にも》分ってもらいたくなかったのだ。すべて高貴な精神が自己を伝えようとする時には、その聞き手をも選ぶのだ。それを選ぶと同時に、《縁なき衆生》には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこに起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである」(『悦ばしき知識』381番 秋山英夫訳)

もちろんニーチェはこれだけではない。ここでニーチェ読みなら欠かせないとされるクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』を次のように引用しておいてもよい。

強度、刺激、音調。それが思考である。思考が何を語るかはまた別の問題であり、思考が何を語ろうとも同じである。そして思考が何かに適用されれば、また他 の強度、他の刺激、他の音調が生み出される。いまやニーチェは、もはや概念的能力においてではなく、情緒的能力において、思考を実践しようとする。それは 一つの限界点。知が、悟性の平和のためにではもはやなく、〈カオス〉の呼びかけにも似た諸力の意のままに活動する、そのための手段のようなものを手にする 限界点にほかならない。(『ニーチェと悪循環』「トリノの陶酔」兼子正勝訳)

「音調」という語彙が出てきた。ならば、こう重ねて引用せざるをえない。

二種類の著作者たちを区別しなければならない。第一は、人がある著作者たちについて書く、そういう対象としての著作者たちであり、彼らからの影響は、人が彼らについて語ることがらの外にはなく、そのことがらに先立つものではない。そして第二は(もっと古典的な考えかたであり)、人が読む対象としての著作者たちである。ところで、第二の著作者たちから私に及ぼされるものはいったい何だろうか。一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)(『彼自身によるロラン・バルト』ーー「自分の声をさがしなさい」)

で、小林秀雄のニーチェ小論はこの側面が欠けているって? まさか!

ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

…………

※附記

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収ーー意図的な誤読の「楽しみ」


2014年10月7日火曜日

ニーチェの「生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった」(ヴァレリー)

ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった。

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』Nietzsche et Valery : sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

 …………

わたしは、ギリシア語でいえば、いや、ギリシア語で言わなくてもそうだ、アンチクリスト(反キリスト者)なのだ……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳 P82)

訳者注にはこうある。《アンチクリストーーAntichristは、元来、新訳聖書に見える語(ヨハネの第一の手紙、二の一八)なので、「ギリシア語で」と言ったのである。「非キリスト教徒」の意味。》


アンチクリストとはキリストに反することではなく、反キリスト教徒、あるいは非キリスト教徒のことのようだ。

もっともヨハネの手紙はいろいろな解釈があるようだが(たとえばカルヴァン解釈とそれに異議をとなえるベルクーワ解釈)。ーーなどということはわたくしは残念ながらあまり関心がない。


私はキリスト教のまがいのない歴史を語ろう。--「キリスト教」という言葉からして、すでに誤解である、--つきつめたところ、キリスト教徒はただ一人しかいなかった、そしてその人は十字架の上で死んだのである。「福音」は十字架の上で死んだのだ。この瞬間以後、「福音」と呼ばれているものは、すでに、彼が生きていたものの正反対であった、「悪しき音信〔おとずれ〕」、禍信であった。

「信仰」において、たとえばキリストによる救いといったことを信ずることにおいて、キリスト教徒のしるしを見る者があるなら、それは馬鹿らしいほど間違っている。

ただキリスト的実践のみが、十字架上で死んだ人が生きたような生活のみが、キリスト教的なのだ……

今日でもなおそのような生活は可能である。ある種の人間には必要でさえもある。まがいのない、根源的なキリスト的精神は、いつの世にも可能であろう……(アンチクリスト 三九節 秋山英夫訳)

 ここにある「ある種の人間」とはどんな種類の人間だろう。ニーチェが、反キリスト教徒Antichristであるのは、唯一のキリスト教徒、十字架の上で死んだ男の跡継ぎは、ニーチェ自身しかいないと主張してはいないか。ーーいやいやそんな馬鹿げたことを言うつもりはない。ツァラトゥストラや「超人」が跡継ぎなのだ、と断言するのもここでは避けておこう。

(一)……救世主〔キリスト〕はわれわれの代わりに、われわれの罪を引き受けて死に給うた! すくなくとも聖パウロの解釈はこうである。そしてこの解釈が〈教会〉のうちで、また歴史において勝利をおさめたのだ。だからキリストの殉教は、ディオニュソスの殉教とは真向から対立する。前者の場合には生は裁かれ、罪を贖わねばならない。後者の場合、生はそれ自身充分正しく、一切を正当化するのである。従って「十字架にかけられた者に対抗するディオニュソス」と言われる。――(二) しかしもしひとが、いま述べたようなパウロ的な解釈の下に、キリストの個人的な類型がどのようなタイプであるかを探すとすれば、キリストはあるまったく異なった様式で「ニヒリズム」に属するのだということがよくわかる。彼は温和で、歓びに充ち、あらゆる罪過に無関心で、非難も断罪もしない。彼はただ死ぬことを望み、死を願う。そのことによってあkれは、聖パウロよりもはるかに進んでいることを証明している。既に彼はニヒリズムの最高の段階を、〈最後の人間〉のそれを、あるいは〈滅びようと望む人間〉のそれさえも表象している。ディオニュソス的な価値転換に最も近い段階を示すのである。キリストは「デカダンたちのうちで最も興味深い者」であり、一種の仏陀である。彼は価値転換が可能となるようにする。この観点からすれば、ディオニュソスとキリストの統合が、「ディオニュソス – 十字架にかけられた者」が、それ自身可能となる。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 P81)





「福音」の全身理学のうちには負い目と罰という概念はない、同じく報いという概念もない。「罪」、神と人間とのあいだを分かついずれの距離関係も除去されている、--まさしくこれこそ「悦ばしき音信」なのである。浄福は約束されるのではない、それは条件に結びつけられるのではない、それは唯一の実在性なのであるーーその他は、それについて語るための記号である。

そうした状態の結果は一つの新しい実践、本来的に福音的な実践のうちに投影される。「信仰」がキリスト者を区別するのではない。キリスト者は行為し、異なった行為によって区別されるからである。キリスト者は、おのれに悪意をいだく者に、言葉によっても心のうちでも手向かわないということ。キリスト者は、異教人と同郷人とのあいだに、ユダヤ人と非ユダヤ人とのあいだになんらの区別をもおかないということ(「隣人」とはもともと信仰の仲間、ユダヤ人のことである)。キリスト者は、誰にも立腹せず、誰をも軽蔑しないということ。キリスト者は、法廷に姿をみせることもなければ、弁護をひきうけることもないということ(「誓うな」)。キリスト者は、どんなことがあっても、たとえ妻の不義が証明された場合でも、その妻を離縁しないということ。--すべてこられは根本においてただ一つの命題であり、すべてこれらはただ一つの本能からの結果であるーー

救世主の生涯はこうした実践以外の何ものでもなかった、--彼の死がまたこれ以外の何ものでもなかった・・・(ニーチェ『反キリスト者』三三節 原佑訳)





《「隣人」とはもともと信仰の仲間、ユダヤ人のことである》などという文がある。

このニーチェ解釈によれば、フロイトやラカンがあれほどゴネた「隣人」をめぐる議論は、十字架の上で死んだ唯一のキリスト教徒以外の「似非キリスト教徒」によって拡大解釈された「隣人」の議論ということになる。

「お前の隣人をお前自身のように愛せ」……。なぜそんなことをしなければならないのか。そんなことをして何の役に立つというのか。それに第一、そんなことはできようはずはないではないか。私の愛は私の貴重な財産なのだから。充分な理由もなしに大盤振舞いすることなど許されない。(……)

そんなことをすれば、私は間違いを犯すことになる。なぜなら、私の家族は私の愛を自分たちの持物だと思っているのだから。私がその他人をこれら家族の者たちと同列に置けば、私は自分の家族を不当に扱うことになる。けれども、その他人も昆虫・みみず・がらがら蛇などと同じくこの地上の生物であるという理由でどうしてもその他人を愛さなければならないとすれば、この他人に振り向けられる私の愛はごく微量だ。理性の判断にしたがうかぎり、私も私自身のために自分の愛の一定量を取っておく権利があるが、それだけの量の愛をこの赤の他人に振り向けることはとうていできない。(……)

まったくの話、あのご結構な命令が「お前の隣人がお前を愛するのと同じようにお前の隣人を愛せ」といっていたら、私はなんの異議もさしまさまないだろう。(……)

ところが、もっと不可解に思え、もっと激しい抵抗を感じさせる第二の命令がある。それは、「お前の敵を愛せ」というのだ。しかしよく考えて見ると、このほうがもっと不当な要求だといって退けるのは当たらない。なぜなら、これら二つの要求は、根本においては同じことをいっているのだから。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3)
人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛本能が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃本能も含まれていると言っていいということである。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在であるばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でも あるのだ。「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。通例この残忍な攻撃 本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは 阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する 種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人―― の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件まで を想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。(同フロイト『文化への不満』)

→《もし私が諸君にどこからこのテクストを抜き出してきたのかあらかじめ告げていなかったとしたら、これはサドのテクストだと言って通すこともできたかもしれない。 》 (ラカン SVII, 217)

サド(サン=フォン) : 「もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう」 (澁澤龍彦訳)


リルケの「隣人」にも登場ねがっておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(『マルテの手記』)

ーーこれはたぶん大山定一訳だと思うが、いま確認しがたい(文庫本がみつからない。わたくしは『マルテの手記』は四種類の邦訳をなぜかもっている)。


愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく/おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、/……/思ってはいけない、運命は幼い日の密度よりゆたかだと。/いかにしばしばおんみらは恋人を追いぬいたことか、いかなる獲得をも目ざさず、/ただ自由の世界へ突きすすむ至福の疾駆に息をはずませながら。/……/ただわれわれは、笑いさざめく隣人たちが/承認してはくれぬもの、うらやんではくれぬものを忘れやすいのだ。疑いようのないものとして/われわれは隣人たちに承認された幸福を高くかかげようとする。疑いようのない幸福が/われわれに顕現するのは、ただわれわれがそれをわれわれの内部において変化さすときだけなのに。/……/天使よ、そしてたとい、わたしがおんみを求愛〔もと〕めたとして! おんみは来はしない。なぜならわたしの/声は、呼びかけながら、押しもどす拒絶〔こばみ〕につねに充ちているのだから。このように強い/気流に逢ってはおんみはそれを冒して歩みよることはできない。さながら高くさしのべられた/腕だ、わたしの呼びかけは。そして摑もうとして花さいた指は、/捉ええぬもの天使よ、おんみを前にして/大きく押しひろげられたままなのだ/さながら拒否と警告のしるしとして。(リルケ『ドゥイノの悲歌』「第七の悲歌」(手塚富雄訳)




2014年9月20日土曜日

逃げ水と海へ向かう道

不安がもだえそうに淡い炎がゆだっている
道端の青い小さな花を煮る六月十日は、
(ひそひそと話をしている)
(柑子の木のあたり、雨に濡れそぼって、ふたりで、小声で)
(おおそのうえ古語で、)
(聞き取れない話をしている。雨の庭の古い濡れた柑子の木のあたりで)
((ちがうよ、あれは鳩だよ))
(人の様な、くぐもってずっと話している。何十羽もいる。)
何十羽も鳩がいる。茂みのなかで鳴いている。
遠く潰れた緑のうえに、
誰かの面影が、こんもりと盛られて、動かないでいる。
今は時々きらっと反射して、
もうすぐ隠れて
見えなくなる。
暁方ミセイ「極楽寺、カスタネアの芳香来る」より)

ブログ「ハクモクレンの城」(暁方ミセイ)に次の画像が貼り付けてあるのをみて、はっとしてしまう。道の向こうにある半円の光の輝き。これはわたくしの「原光景」のヴァリエーションだ。






彼女の詩、ーー暁方ミセイの詩集が手元にあるわけではなく、
ウェブ上で僅かにめぐりあった詩の断片ということだが、
そのいくらかの詩行を想起しつつ
ここに暁方ミセイが「逃げ水」を見ていないと想像するのは難しい

真夜中はアスファルトに電気をまき散らし
昼間とは無関係の、
たとえば朝へは通じていない路地。
物の表面から溢れ、道に満ちてくる水。
これらの発育を助長する。
細胞と水と、
一瞬ずつ反応する神経が
私である。
同じ夜にいる、あなたの家の前を通る。

ーー暁方ミセイ「アンプ」

そして彼女とともに、草いきれのにおいだって嗅いでしまうのは、
わたくしの「転移」のし過ぎのせいか

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。 (ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』)

いや、むっとする草いきれを嗅ぎ取らないのは、
きみたちが文明人すぎるせいではないか
そして草いきれだって、オレには菌臭の一種さ

菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。(中井久夫「きのこの匂いについて」より『家族の深淵』所収ーー「赤い靴と玄牝の門」)

他の若い詩人たちの作品の断片もいくらか掠め読むことはあるのだが
(オレの場合、若い〈女〉の詩人だけだけどね、やや熱心に読んでみるのは)
どうも不感症のままか、あるいは金井美恵子とともに、
この三文詩人! う・ん・ざ・り・よ、と呟きたくなる
詩行に遭遇することが多いなか
暁方ミセイには、なんだか惚れこんじゃったんだよな

うんざりよ
う・ん・ざ・り・よ。

ほんとに、うんざりした表情で唇をへの字に曲げ、湿った咽喉を震わせるようにして、唇を軽く閉じ、鼻の先で嘲笑するといった調子で鼻孔を微かに震わせ、うとんの微妙にくぐもって湿っているのにもかかわらずとてつもなく鋭く響く音を吐き出す。

センチメンタルな三文詩人だったら、ブドウの種を吐き出すように、とでも書くところだろうか。(金井美恵子「恋愛<小説について>」)

《蕾の割れた梅の林から、糸のように漂いやってくる、/五百年前の我が兄子、千年前の我が妹子、》(「駐アカシック、ニュー稲荷前トゥーム」)

なんたるエロスとタナトスの混淆!
フロイトがエロスとタナトスが殆ど常に融合して現れることとした
「欲動融合Triebmischung」だぜ、この詩行は

暁方ミセイは、リルケのいう生と死という
二つの無限な領域から養分を摂取している
に違いない

死とは私たちに背を向けた、私たちの光のささない生の側面です。私たちは私たちの存在の世界が生と死という二つの無限な領域に跨っていて、この二つの領域から無尽蔵に養分を摂取しているのだという、きわめて広大な意識をもつように努めなければなりません。まことの生の形体はこの二つの領域に跨っているのであり、この二つの領域を貫いて、きわめて広大な血の循環がなされているのです。此岸というものもなければ彼岸というのもありません。あるのはただ大いなる統一体だけで、そこに私たちを凌駕する存在である『天使』が住んでいるのです。(富士川英郎・高安国世訳『リルケ書簡集2:1914–1926』――『ドゥイノの悲歌』の翻訳者への書簡らしい)

…………

とまで書いたところで、いやあの画像に魅了されるのはそれだけではないことに気づいた。

あの光景は、高校時代に遭遇した「海へ向かう道」でもあるのだ。



◆ヴァレリーの「海辺の墓地」の冒頭二連

Le cimetière marin

Ce toit tranquille, où marchent des colombes,
Entre les pins palpite, entre les tombes;
Midi le juste y compose de feux
La mer, la mer, toujours recommencée
O récompense après une pensée
Qu'un long regard sur le calme des dieux!

Quel pur travail de fins éclairs consume
Maint diamant d'imperceptible écume,
Et quelle paix semble se concevoir!
Quand sur l'abîme un soleil se repose,
Ouvrages purs d'une éternelle cause,
Le temps scintille et le songe est savoir.


◆中井久夫訳

鳩歩む この静かな屋根は
松と墓の間(ま)に脈打って
真昼の海は正に焔。
海、常にあらたまる海!
一筋の思ひの後のこの報ひ、
神々の静けさへの長い眺め

細かな燦めきの清らかな働きが
見えぬ飛沫(しぶき)のダイヤを費ひ(つかい)尽くし、
何たる平和のはらまるるかに見ゆることよ!
一つの陽の影が深い淵の上に休らふ時
「永遠の動因」の純粋な所産――
「時」は輝き、「夢」はただちに「知」! 


 

◆白井健三郎訳

鳩たちがあゆむ、この 静かな屋根、
松の樹の間に、また墓石の間に 脈打ち――
「真昼」正しきもの そこに 炎でつくる
海よ、海、いつも繰り返される海を!
おお ひとすじのおもいのはてに このむくい
神々の静けさへの なんという久しい眺め!

こまかな光の なんという純粋なはたらきが
眼に見えない水沫の あまたの金剛石を灼(や)きつくし、
そしてまた なんというやすらぎが はぐくまれるものか!
深淵の上に 疲れ知らぬ 一つの太陽が 休むとき、
永劫因(えいごういん)が生んだ 二つの純粋な作品、
「時間」はきらめき 「夢」はそのまま叡智となる。


十代後半の少年は、この白井健三郎訳の「海辺の墓地」に魅せられた。海辺近くの町に住んでいた彼は、自転車通学の帰り道に、ときおり家とは反対の方角の太平洋に面する海岸に向かい(そもそもふだんは電車を使っての通学だったが、寝坊すると十キロあまりの道のりを自転車を使って通って、そうすると、のんびりした郊外電車よりもはやく高校に到くこともある)、道すがら、アスファルトに干された牧草のにおいやしだいに濃厚になってくる潮のかおりに包まれ、「しぶきをあげて廻転する金の太陽」が西に傾いてゆくなか、同道する友たちの笑顔の口もとからこぼれる白い歯の輝きに、いささか重苦しいものを抱えもした日頃のうさをも忘れた。

友たちの笑いの泡立ちが「波紋のように空に散る」あの光景ーー、「海辺の墓地」の詩句に促されてその光景を回想している初老の男がここにいる、《自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか? そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮かぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか?》(大江健三郎『燃えあがる緑の木』第一部)――そう、これから「砂浜にまどろむ(青)春を堀りおこし」(大岡信)にいくのだった。


そうやって彼らは近道で浜辺にでる絶壁のそばに辿りつくと、今度は、崖を削りとっただけで石ころだらけの、獣道のようでもある急峻な下り坂を、ハンドルをとられて転倒しころげ落ちるのを怖れながら、それでも傍らの友たちに臆病だとなじられないように、速度を落とさずに疾駆して海に向かって下りてゆく。そのスリルあふれる趨走の短い刻限、赫土からいびつな姿をなかば覗かせている大きな荒石をなんとか避けようとして、でこぼこ道の佇まいに眼を凝らして俯いたままなのだが、いささか緊張で汗ばんだ顔、その額のななめ上方の樹々の間のかなたには、季節や時刻によってそれぞれの、茫漠とした水平線の拡がりが,青い色のまばゆい背中が、夕暮れ近くなら「千の甍」が,浮かびあがり脈うっているのを掠め見る。ああ,それはまさに、眉の上にある「静かな屋根」なのであり、甍のうえには、「鳩たち」が歩んでもいよう、――ひとときのこわばりのはての なんというむくい! 神々の静けさへの なんという久しい眺め! そしてまた浜辺にたどりつけば、あの波のとどろきと潮のかおり、そこでは、なんというやすらぎが はぐくまれるものか!

いまではあの崖道は、いつのまにか舗装され整備され、しかもそのあと、廃道となっているようだ。(伊古部廃道




伊古部海岸から半島は西に延びていき、伊良湖岬にいたる途中に、このあたり唯一の赤羽根漁港があって、そこから「赤羽根」の鳩たちが、伊古部の海の沖合いにたむろすることもあった。ーー《

何十羽も鳩がいる。茂みのなかで鳴いている。》(暁方ミセイ)

「海辺の墓地」の最終節(その一行目が,堀辰雄の訳『風立ちぬ、いざ生きめやも』(小説『風立ちぬ』のエピグラフ)として人口に膾炙している)を読めば、「鳩たち」は,三角帆の漁船(foc)でもあることが知れる。ーー((ちがうよ、あれは鳩だよ))

風が起こる……生きる試みをこそ
大いなる風がわが書(ふみ)を開き、閉じ、
波は砕けて岩に迸る!
飛び去れ、まこと眩ゆい頁(ページ)!
砕け、高波、昂(たか)まる喜びの水で
三角(さんかく)の帆がついばんでゐた静かな屋根を! (中井久夫訳)



2014年4月29日火曜日

果たして「シェアすることは歓びを増す」だろうか

真の豊かさとは「この世界の豊穣さを多くの人と『分け合う』」ということだ。シェアすることは歓びを増す。美味や美観や良い音楽や藝術、知的遺産と巡り合ったときに、可能なら一人ではなく誰かと一緒に味わいたいと思うのが自然だ、と私は思う。それが実は「反貧困」ということではないのか。(佐々木中)

佐々木中氏の昨晩(2014.4.28ツイートだが、《シェアすることは歓びを増す》とある。《美味や美観や良い音楽や藝術、知的遺産と巡り合ったときに、可能なら一人ではなく誰かと一緒に味わいたいと思うのが自然だ、と私は思う》とある。

だが愛する女と巡り合ったとき、なぜシェアしたくならないのだろう、とひねくれ者のわたくしは言う。なぜ良い音楽や藝術、知的遺産が〈女〉と違うのだろう。愛する女に接するように、音楽や美味に向かうとき、ツイッターなどにその画像や音声を貼り付けたりしてシェアしたいと思うのだろうか。いやけっして。シェアしたいと思うのは、快楽の次元にあるもので、悦楽(享楽)の次元にあるものではない。

快楽plasirのテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽jouissanceのテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

ストゥディウム(studium)、――《この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。》

プンクトゥム(punctum)、――《ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。》

《ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する》(ロラン・バルト『明るい部屋』ーーベルト付きの靴と首飾り


享楽jouissanceの次元、あるいは

プンクトゥムの次元にあるものは、トラウマ的であり、冥府からの途切れがちの声として呟くほかあるまい。すぐれた作家としての佐々木中氏(たとえば古井由吉のすぐれた読み手である彼)はそんなことはとっくに知っているはずなのに、知らないふりをした発言であるように思う。


「若きパルク」も『ドゥイノの悲歌』も、『荒地』でさえも、映像も言語も成人型の記憶のように動き流れていく。断絶や飛躍を越えて連続性がある。前後関係があり遠近がある。

これに対して、二十世紀後半の詩は孤立した鋭い断片であって、成人以前の記憶が禁止を破って突き上げてきた印象がある。このタイプの映像は幼い時の記憶だけでなく、たとえ成人であっても耐えがたい心の傷を負った時には、その記憶がとる形である。

たとえばパウル・ツェランの詩が痛ましさを以て迫るのは、その内容だけでなく詩句もそれが呼び起こす映像も外傷的記憶の形をとっているからであると私は思う。それはもはや冥府下りでなく、冥府からの途切れがちの声である。(中井久夫「私の三冊」ーートラウマを飼い馴らす音楽

ひとは本当のところは、《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)であったり、《まもなく、私の二十年来の友人が須賀敦子さんを”発見”した。私たちは、少年が秘密の宝を共有するように、須賀さんの作品について、声をひそめるような感じで語り合った。ひとにはむしろ触れ回りたくなかった。》(中井久夫『須賀敦子さんの思い出』)ではないか。

われわれは、次のように書くジュネを忘れるわけにはいかない。


美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)


佐々木氏の冒頭のツイートはたんなるスローガン的言説に過ぎないのではないか、とひねくれ者のわたくしは言う。あるいは営業活動の一環でしかないのではないか、とひねくれ者のわたくしは言う。

公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴーー大いなる個人的快楽ーーになぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』ーー承認欲望と承認欲動

《のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。わたしは見る、君が世の有力者たちの惹き起こした喧騒によって聴覚を奪われ、世の小人たちのもつ針に刺されて、責めさいなまれていることを。(……)


のがれよ、わたしの友よ。君の孤独のなかへ。わたしは、君が毒ある蠅どもの群れに刺されているのを見る。のがれよ、強壮の風の吹くところへ。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)


人が芸術的なよろこびを求めるのは、芸術的なよろこびがあたえる印象のためであるのに、われわれは芸術的なよろこびのなかに身を置くときでも、まさしくその印象自体を、言葉に言いあらわしえないものとして、早急に放置しようとする。また、その印象自体の快感をそんなに深く知らなくてもただなんとなく快感を感じさせてくれものとか、会ってともに語ることが可能な他の愛好者たちにぜひこの快感をつたえたいと思わせてくれるものとかに、むすびつこうとする。それというのも、われわれはどうしても他の愛好者たちと自分との双方にとっておなじ一つの事柄を話題にしようとするからで、そのために自分だけに固有の印象の個人的な根源が断たれてしまうのである。(プルースト『見出されたとき』井上究一郎訳)

再度、佐々木中氏の「愛している」はずのニーチェを引用するなら、次のように引用することもできる。

真に自己自身の所有に属しているものは、その所有者である自己自身にたいして、深くかくされている。地下に埋まっている宝のあり場所のうち自分自身の宝のあり場所は発掘されることがもっともおそい。――それは重さの霊がそうさせるのである。(……)

まことに、人間が真に自分のものとしてもっているものにも、担うのに重いものが少なくない。人間の内面にあるものの多くは、牡蠣の身に似ている。つまり嘔気をもよおさせ、ぬらぬらしていて、しっかりとつかむことがむずかしいのだーー。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳ーー
症例ドラの象徴界/現実界(フロイト、ラカン)、あるいは「ふたつの無意識」(ヴェルハーゲ)」)

ーーそれとも、やはりこうでも言っておくよりほかないのだろうか、《ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』にあるように、それぞれ自分の器量を超えた部分は、いかにも、ないも同然である。》(中井久夫「ヴァレリーと私」

少なくとも、《美味や美観や良い音楽や藝術、知的遺産と巡り合ったときに、可能なら一人ではなく誰かと一緒に味わいたいと思うのが自然だ、と私は思う》という発話文のなかの《可能なら》という言葉は、「ほとんど可能ではないが」、と書き換えなくてはならないのではないか。


《愛しているときのわたしはいたって排他的になる》(フロイト『書簡集』)


――フロイトがそう言っている(ここでのフロイトは、正常さの典型とみなされるだろう)。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「嫉妬」の項より)

愛の基本的モデルは、男と女の関係ではなく、母と子供の関係に求められるべきである。(『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』 Paul Verhaeghe)

《私自身、幼児が、まだ口もきけないのに、嫉妬しているのを見て、知っています。青い顔をして、きつい目で乳兄弟を睨みつけていました。》(アウグスティヌス『告白』)

われわれの出発点はやはり、われわれが理解できると思われる状況であって、それは母のかわりに知らぬ人を見つけた乳児の状況である。乳児は対象喪失の危険についての不安とわれわれに解釈される不安を示す。だがこの不安はいかにも複雑で、立ち入った検討を要する。乳児の不安についてはなんの疑いもないのだが、表情や泣くという反応は、彼が不安のほかに苦痛を感じていることを推定させる。のちには区別されるいくつかのものが、乳児では一緒になっていると思われる。一時的に見えなくなることと、つづいていなくなることが、まだ区別されていない。母が一度目の前から消えると、乳児は、母をもう二度と見られないかのように思いこんでしまう。母がこうして消えてもまだ現われるのだということを、乳児が学ぶまでには、何回も繰り返してなだめられる経験が必要である。母は、だれもが知っている遊び、顔をかくしてまた出してみせてよろこばせる遊戯「いないいないばあ」をして、この大切な知識を乳児に教えるのである。乳児は、いわば絶望をともなわぬ憧れを感ずるようになる。

《母の見えないという状況は、乳児が誤解しているせいで外傷的状況になるのであって、けっして危険の状況ではない。いやもっと正しくいうと、乳児がこの瞬間に、母によって満足〈=解消〉させてもらわねばならない欲求を感じていてはじめて、外傷的状況といえるのであり、この状況は、この欲求が当座のものでなくなると危険状況に変わるのである。》自我がみずからみちびく最初の不安条件は、対象の喪失と同じに考えられる知覚の喪失である。愛情の喪失はまだ現われていない。もっと大きくなると、対象はちゃんといるが、ときどき子供に意地悪をする、という経験をする。そしてこんどは、対象からの愛情を失うことが、新たな永続する危険と不安の条件になるのである。 (フロイト『制止、症状、不安』人文書院 旧訳からだが山括弧の個所は「翻訳正誤表」にて修正――「部分欲動と死の欲動をめぐる覚書」より)

――と引用を中心に書いてきたが、佐々木中氏の冒頭のように言いたくなるのは、ある側面からは(たとえば大きな意味での「政治的」な側面からは)、よく分かると言えないでもない。上に書かれたものは批判ではなく批評(吟味)の言葉である。

以前、《「他人が見ている青と自分が見ている青が同じかどうか確かめられない」どころか、「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめられない」という条件を我々の感覚はもっている》(岡崎乾二郎『ルネサンス・経験の条件』「あとがき」)などをめぐってメモ書きをしたことがある(「おっかさんと蛍」)。それらは宙吊りのままである。

たとえば、宙吊りになっている問いへのヒントをわたくしは次の文に読む。

音楽を聞くには隠れなければならないと思うことがある。音楽は手袋の内と外をひっくり返すようにわたしを裏返してしまう。音楽が触れ合いの言葉、共同体の言葉となる。そんな時代がかつてあったし、いまも人によってはそんな場合があるのはもちろん知っているが、わたしの場合は、ほかの人々と一緒に音楽は聞けない。誰かと一緒に音楽を演奏するとなれば話は別だ。室内楽ならば、あらゆる意味で相手に合わせなければならない。二重奏のソナタや三重奏なら一緒に演奏することができる。それだけの謙虚な気持ちと少しばかりの愛があれば十分だ。あるいは深い知識があって、憎しみがなければできる。

だが、なぜ一緒に聞くことができないのだろう。なぜ音楽は孤独で身動きできない状態にあるときのわたしたちをとらえるのか。一緒に聞けば、他人の目の前で、そして他人とともにいながら、自己をあくまでも自分ひとりきりのものでしかない状態に投げ出してしまうことになるからなのか。それぞれの人間によってたがいに異なるはずの遠くの離れたものを共有することになるからなのか。子供時代も死も共有できはしないからなのか。

音楽、それは身体と身体のぶつかりあいであり、孤独と孤独のぶつかりあいであり、交換すべきものがなにもないような場での交換である。ときにそれは愛だと思われもしよう。演奏する者の身体と聴く者の身体がすっかり肉を失い、たがいに遠く離れ、ほとんどふたつの石、ふたつの問い、ふたりの天使を思わせるものとなって、どこまでも悲しい狂おしさを抱いて顔を向き合わせたりしないならば。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』千葉文夫訳)
人びとがあつまるとき、
行事であれ、儀式であれ、
ただ人びとが会うことの悦びのためであれ、
音楽がそこにあれば、楽しい。
それがなくても、人びとはあつまるが、
音楽は集いを、ともにあることのしあわせと、
ふかいやすらぎで飾る。
コンサートの語源は「合意にもちこむ」ということらしい。
争っていたものたちが和平を結ぶ場を想像してみれば、
そこには飲み食いがあり、唄があり、踊りがあり、
それらすべてが音楽ではなかったろうか。
いまコンサート会場には、飲み物食べ物はもちこめず、
踊る場所もなく、歩くことも、立つこともできず、
音楽家と、見物人に分かれ、区切られて、座っている。
それでも、コンサートは否定されるべきものだ、
と言うことはない。
コンサートは現実の場であり、そこに来る人たちがいる限り、観念で否定しても、なくなることはない。
それに替わるものがなければ、いくら貧しくても、
コンサートは音楽の場でありつづける。
別な場をつくりだすのは、音楽家のしごとではない。
人びとのあつまりかた、人間関係、社会が変わらなければ、
音楽の場は変わらないだろう。(高橋悠治「音楽の反方法論的序説」)

ーーとすれば、これらの言葉は実は佐々木中氏の《真の豊かさとは「この世界の豊穣さを多くの人と『分け合う』」ということだ》に限りなく近づくとも言える。

だが、たとえば、現在のツイッターという場での「人びとのあつまりかた」は、あまりにも醜悪だと感じることがある。それは、クラスタ内、小さな共感の共同体内での、湿った瞳の交わし合い、うなずき合いであり、クラスタ外の者の排除なのだ。その場を変えなければならない。肯定的に佐々木中氏のツイートを拾うことが多いわたくしではあるが、彼のツイートは場を変える力として機能していないときもある、と感じることがある。むしろその発言は、受け取り手によっては、「アーバン・トライバリズム(部族中心主義、同族意識)」を助長してしまう機能をもつと思うことがある。

…………


冒頭の佐々木中氏のツイートは次のような文脈で書かれていることを附記しておこう。

@AtaruSasaki RT@gonoi 雨宮処凛さんが「反富裕」という「贅沢は敵だ」的なスローガンを出しているが、私は「贅沢は素敵だ」派なのでまったく賛成できない。RT @karin_amamiya 今年の「自由と生存のメーデー」、熱くなりそう!「反貧困」ではなく「反富裕」!pic.twitter.com/7T9HJThq48

@AtaruSasaki @gonoi 反富裕とは……一歩間違うと「反・知的富裕」等々に雪崩れていって、行き着くところポル・ポトになりかねませんか。

‏@gonoi 肯定を禁止し続ける言説たる「反〜」以前の、スローガンを与えられた群れによる「反〜」への先祖返りが窮極的に行き着く先は、民主カンプチアでしょう。RT @AtaruSasaki 反富裕とは……一歩間違うと「反・知的富裕」等々に雪崩れていって、行き着くところポル・ポトになりかねませんか

‏@AtaruSasaki @gonoi 全くその通りだと思います。ある局面でいかに強固な「アンチ」が必要になろうとも、究極的にはこの世界とその歓びの肯定に至らなくてはなりません。

@gonoi @AtaruSasaki 今日の本務校ゼミで、歓びの肯定がなされる社会としてバタイユ『呪われた部分』のLa société de consumationについて、見田宗介を補助線に解説したばかりです。可視的に数値化された効用に回収されることのない、生命の充溢と消尽を解き放つ社会。

@AtaruSasaki @gonoi 僕、卒論バタイユだって話はしましたっけ……笑

このような頷き合いが仲間内の「知識人」の間で、平気でなされているのをみると、あきれ果てるよりほかない。反富裕が一歩間違うとどこにいくのかを語るならば、「贅沢は素敵だ」が一歩間違えばどこに行くのかを語らずにどうしよう。だがツイッターというのはおおむねこの程度の頷き合いの場である。

われわれの疑問は、たとえば「生の肯定」、「生の蕩尽」としてカーニバル的にあらわれたものが必ずファシズムに転化するのはなぜかということだ。ニーチェやベルグソンはファシストではないといってもはじまらない。もはや純粋なカーニバルなどありえないように、純粋な「生の哲学」もありえない。それはいったん歴史的な文脈に存在するやいなや、思いもよらぬ反転や置換を強いられるのだ。本当は、「暴力的なもの」は《近代》に出現するのだといってもよい。(柄谷行人『歴史と反復』)


◆追記:ジジェクと浅田彰と対談『「歴史の終わり」と世紀末の世界』より

浅田)……あなたの言われるように、ここで「北」と「南」というのは、地理的な意味とは限らないので、「北」の世界の中にも「南」の世界が入り込んでいる例は多々ありますーーたとえばアメリカの都市のスラムのように。


ジジェク)そう、そういう傾向は東西の冷戦の終結とともにいっそう強まっていると思いますね。

浅田)(……)自由民主主義と資本主義の勝利によってモダンな世界が普遍化するかに見えた瞬間、ポストモダンな「ネット」とプレモダンな「島々」への新たな分極化が生ずる。

ジジェク)そこであらためて強調しておくべきことは、そういう一見プレモダンな要素が、フクヤマの言うような過去の残滓などではなく、むしろモダンな資本主義システムの生み出したものーーいってみればポストモダンな産物だということです。それは自由主義的資本主義に内在するネガティヴな緒契機なのであり、ヘーゲル主義者として言うなら、自由主義的資本主義の勝利を語ることは同時にそういうネガティブな諸契機の露呈について語ることでもなければならないのです。そこには、内外の「第三世界」の貧困と退行、そして、そこから出てくる復古主義や原理主義といったものが、すべて含まれます。

ヘーゲル的に言って、それらが自由主義的資本主義に内在する「否定判断」、つまり自由主義的資本主義の普遍性の主張に対する内的否定にあたるとすれば、さらにラディカルな「無限判断」にあたるのは、カンボジアのクメール・ルージュやペルーのセンデロ・ルミノソでしょう。資本主義と伝統との矛盾に直面したとき、かれらは二重否定を行い、資本主義を拒否すると同時に、伝統をも解体してゼロからやりなおそうとするからです。この二重否定の逆説の中に反転した形で表現されている真実は、資本主義が前資本主義的な社会的紐帯の支えなしには存続しえないということです。言い換えれば、それは現代の資本主義に内在する矛盾を表現する激烈な症候なのであり、原始的なユートピア志向のラディカリズムの残滓などではありません。そもそも、クメール・ルージュの指導者のポル・ポトはマラルメやランボーを読み解く仏文学の教授だったし、センデロ・ルミノソの指導者のアビマエル・グスマンはカントの空間論について博士論文を書いた哲学の教授だったんですから(笑)。

そういうわけで、フクヤマに対するヘーゲル的警告は、自由民主主義と資本主義について語るとき、人権や経済成長といったポジティヴな面――「肯定判断」だけでなく、ネガティヴな面――「否定判断」や「無限判断」についても語らなければならないということです。たしかに自由民主主義は勝利したかもしれない。しかし、その勝利の瞬間は、そのラディカルな分裂の瞬間でもあるのです。

※否定判断と無限判断については、「「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン(ジジェク『LESS THAN NOTHING』より)」を参照のこと。



2014年4月23日水曜日

四月廿三日 Bêtise(愚かさ)をめぐって

「愚劣さ」は誤りとは関係ありません。つねに勝者(打ち負かすことが不可能)ですが、その勝利は謎の力に属します。それは、まさに、むき出しの、輝くばかりの現に存在することそれ自体です。そこから恐怖と魅惑、死体の魅惑が生じます(何の死体でしょうか。おそらく真実の死体です。死んだものとしての真実です)。「愚劣さ」は悩みません(プーヴァールとペキッシュです。もっと賢かったら、もっと悩むでしょう)。だから、「愚劣さ」は「死」のごとく鈍重に、現に存在するのです。呪文も形式的な操作でしかありません。それは「愚劣さ」を一括して外側から捉えます。《愚劣さは私の苦手だ》(テスト氏)。この言葉は最初のサイクルではこれで十分です。しかし、話は間隔を置いて無限にくり返されます。それはまた愚劣になるのです。(ロラン・バルト「イメージ」『テクストの出口』所収 沢崎浩平訳)

――など、「「人はどこかよそに行きたくなる」、あるいは蜩の声」にて引用したのだが、ここでの「愚劣さ」の原語はなんだろうか、気になるが調べていない、と書いたところーーすなわち学生時代以来ご無沙汰の仏語はできるだけ遠慮したいーー、さっそくさる方から次のような情報を頂いた。多謝。

・沢崎訳とバルトの原文との対応ですが、括弧附きの「愚劣さ」は定冠詞附き大文字の"la Bêtise"(La Bêtise n'est pas liée à l'erreur.)で、括弧なしのそれは冠詞なし小文字の"bêtise"(...il y a bêtise.)であるようです。

・なお、沢崎訳で二度出現する「愚劣になる」の用法は、日本語訳では形容詞述語として「愚劣」という体言にならざるを得ませんが、バルトの原文では形容詞の"bête"(...ça redevient bête. / ...ces systèmes deviennent bêtes.)です。

・例外として、沢崎訳で《反「愚劣さ」》とあるものは定冠詞なし大文字の"contre-Bêtise"、ヴァレリーによる原文は参照していませんが、『テスト氏』の引用部分は定冠詞附き小文字の"La bêtise"(« La bêtise n'est pas mon fort »)でした。

――というわけで、「愚劣さ」は“Bêtise”ということらしい。別にウェブを検索してみると、ヴァレリーの『テスト氏』の冒頭の原文と訳文を並べられている方がいる(「現代化と文学」 SeibunSatuw Oct, 5. 2009)。誰の訳かはわからないが、Satuw氏自身のものかもしれない。ここではそこにある訳ではなく、手元の恒川邦夫訳(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』――新訳の試みと訳注――)、を抜き出して原文と並べる。

愚か事はわたしのよくするところではない。沢山の人たちを見てきた。いくつかの国も訪れた。熱心ではなかったが色々な事業にも首をつっこんだ。ほとんど毎日食事もしたし、女にも手を出した。今ふり返ってみれば、数百の顔、二つ三つのすばらしい光景、そして恐らくは二十冊ばかりの本の中身が脳裡にうかぶ。ただわたしとしては格別上等なもの、あるいは下等なものを記憶にとどめたつもりはない。残ることができたものが残っただけだ。
 
 La bêtise n’est pas mon fort. J’ai vu beaucoup d’individus, j’ai visité quelques nations, j’ai pris ma part d’entreprises diverses sans les aimer, j’ai mangé presque tous les jours, j’ai touché à des femmes. Je revois maintenant quelques centaines de visages, deux ou trois grands spectacles, et peut-être la substance de vingt livres. Je n’ai pas retenu le meilleur ni le pire de ces choses : est resté ce qui l’a pu.

La bêtise nest pas mon fort.》――《愚か事はわたしのよくするところではない》には、恒川氏の註がながながと付いている。

有名な書き出しの一文La bêtise n’est pas mon fort.の訳。文型はごく簡単であるが、全体のトーンを決定するような一文であり、bêtiseという言葉の使い方が極めて特殊であるため、原文の簡潔さをあまり損なわないように翻訳するのは至難の技である。まずはっきりしているところからおさえておくなら、mon fortは「わたしの強いところ、得意とするところ、よくするところ」の意である。とすれば要はbêtiseの意味するところである。まずbêtiseという言葉が現代フランス語として持っている(響かせている)普通の意味は「愚かさ(愚鈍、軽率)、愚かな(軽率な)言動、とるにたらないこと(つまらないこと)といったものであることを頭に置いておくとして、テキスト読解の基本である作品にもどって考えてみれば、ここでbêtiseと言われていることの具体的な内容はこの最初の一文に続く「沢山の人々をみてきた……」以下「残ることができたものが残っただけだ」までに至るパラグラフに示されているのではないか。すなわち「わたし」にとってbêtiseとは「人と会ったり、旅行をしたり、事業に手を出したり、食事をしたり、女を抱いたりする」ことなのであり、もう少し広げれば「本を読む」ことも入りそうである。そうしてみれば、bêtiseとはbête(動物、〔人間の〕獣性)がなせる業のこととも考えられる。すなわち、動物としての人間のするすべてがbêtiseなのである。それならbêtiseに対する概念はなにかといえばintelligenceであって(……)、このあたりの事情を思いきって簡単に言い切ってしまえば「わたしは精神/知性の人間であって、こと動物的な人間の営みについては平々凡々としていて、また自分からことさらの関心も抱かない」といったところだろう。(……)

さて以上のように考えて旧訳を吟味してみると言わば小林秀雄の定訳と考えられているAでは「僕には、自分の愚かさは、うまく扱えない」となっていて、「自分の愚かさ」といったところが少し的が外れているように思われる。もっと古い訳ではbêtiseが「馬鹿な真似をする」となっていてこれもおかしい。馬鹿な真似は馬鹿な真似でも、個人の愚かさとしてではなく、「人間が生きるためにするさまざまな馬鹿々々しい真似」でなくてはならない。さらに翻訳Bでは「愚かしさは私には、自分ながら扱いかねる部分なのだ」となっている。「自分の愚かしさ」が「愚かしさ」となっているが、文章全体の印象からすると、「愚かしさ」というからにはやはりかく言う自分だけに関わっているようで、Aと同工異曲ではないか。

結局、拙訳ではbêtiseを「愚か事」と訳し、文章の流れで、愚か事とは以下に述べることだとわかるように配慮したつもりだが、果たして成功したかどうか。

――ここで比較参照されている翻訳Aとは小林秀雄訳(1977年筑摩書房刊行の増補版ヴァレリー全集2『テスト氏』所収)であり、翻訳Bとは村松剛・菅野昭正・清水徹訳(1960年筑摩書房刊行の世界文学大系56『クローデル ヴァレリー』所収)である。

とメモして今はなにがいいたいわけでもない。ただ恒川邦夫氏の註釈には畏れ入る。以前にも上の冒頭ではなく別の箇所での他訳との比較で、その感想を書いたことがあるが(陶酔と脆弱な精神(ヴァレリー「テスト氏との一夜」))、テクストとはこのように読むものなのだ、あるいは訳文にはこのように接するものなのだ、ということを気づかせ、ほとんどいつも散漫な読者でしかないわたくしにさえも襟を正させる迫力がある。


…………

上に書かれたこととはあまり関係がないかもしれないが、”bêtise”の訳について、以前次のような文を拾ったことがあるので附記(ジャック・レヴィ「譲歩しえぬ「もの」」)。http://www.repository.lib.tmu.ac.jp/dspace/bitstream/10748/4570/1/20012-355-006.pdf
……そして、まさに、現実界と呼ばれる域を直視するという姿勢を前提に置くことが、この『精神分析の倫理』の冒頭にある「我々のプログラム」の主張です。法や道徳の問題は象徴界の領域に属するものだと思われるでしょうけれども、そこでの射程、狙いは現実です、とラカンはあらかじめ述べるのです。フロイトにとっての現実とは何かと問い続けながら、快感原則対現実原則における「現実」という概念に批判の焦点をあて、多様に問題化して行くのですが、また同時に、こうした倫理を真っ向から扱おうとするラカンの姿勢は、1960 年のフランスにおける知的環境を考えた場合、極めて政治的でもあります。つまり、現実 réel を射程に置くことの政治性です。具体的には、セミネールの後半の「隣人愛」と題された章で、進歩主義知識人の bêtise(英語の fool に該当するフランス語として、「愚かさ」 )と右派知識人の canaillerie(英語の knave を訳したフランス語として、日本語訳は「悪党」となっています)といった表現で、政治的言説における「現実」との関係を示唆するまでに至っています。

以下のジジェクの文の悪党/道化は、もともとは「悪党 canaillerie」と「道化bêtise」ということらしい。

『精神分析の倫理』のセミナールにおいてラカンは、「悪党」と「道化」という二つの知的姿勢を対比させている。右翼知識人は悪党で、既存の秩序はただそれが存在しているがゆえに優れていると考える体制順応者であり、破滅にいたるに決まっている「ユートピア」計画を報ずる左翼を馬鹿にする。いっぽう左翼知識人は道化であり、既存秩序の虚偽を人前で暴くが、自分のことばのパフォーマティヴな有効性は宙ぶらりんにしておく 宮廷道化師である。社会主義の崩壊直後の数年間、悪党とは、あらゆる型式の社会連帯を反生産的感傷として乱暴に退ける新保守主義の市場経済論者であり、道化とは、既存の秩序を「転覆する」はずの戯れの手続きによって、実際には秩序を補完していた脱構築派の文化批評家だった。(ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』より