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2014年9月6日土曜日

ファシストの頭突きとハンマー投

すこしまえ、Bernardo Bertolucci のNovecento冒頭のスチル写真(すばらしい糸杉並木の画像)貼り付けたのだが、そのせいもあり彼の作品のいくつかを観直す。五時間を超えるNovecentoもベッドに横になりながら、iPadでじっくり観た。

ベルトルッチは、わたくしの好みからしたら、初期の作品以外は、物語すぎる。だいたい齢を重ねると、物語はどうでもよくなる。ただ彼の「絵」には惹き付けられるものが多い。またベルトルッチはあきらかに足フェチなので、これはわたくしの琴線にひどくふれる。以前、彼のその映像を三つばかり貼り付けたことがあるが、あれはこのブログでなかったかもしれない。まあそれもこの際どうでもよろしい。




右手前のまな板に載っているのは、山羊のチーズだろうが、イタリアの赤ワイン(チリワインでもいいが)とイタリア風の中身がいっぱいつまったパン、それに山羊のチーズはいまでも大好物で、とくに贅沢しないときは、それで満足である、--いや、サラミか生ハムがちょっと欲しいぜ、バージンオリーブオイルと塩と胡椒をふっただけのイタリア香菜を齧らないわけにはいかないしな、それにリゾットかポレンタを三口ほど、海の幸サラダはどうなった? キノコ類は?ーーというわけで、それで満足というのは、オオウソだが、それでも最初のみっつは至高の食べ物である(すくなくともチーズは、多くの場合山羊のチーズを食す)。

わたくしは最近街中にでるのがひどく億劫になって、レストランに行くことは稀なのだが、ひと月に一度ほどは、妻が街に出てイタリア食材を仕入れてくる。ハノイのイタリア大使館でコックをしていたイタリア人が、妻の友人と結婚していて、サイゴンでレストランをやっており、その顔見知りの細君から、比較的安く、まとめ買いするのだ(パンも大量に仕入れ、冷凍しておく)。チリワインのおいしさを知ったのは、この元大使館のコックのお爺ちゃんのせいである。お爺ちゃんといっても、ベルリンギエリ家の小作人頭であり主人公のひとりオルモの祖父であるレオ(スターリング・ヘイドン)のようないい男だ。






ところで肉体労働をしたあと、仲間と食事するというシアワセを知ってるかい?


六月    
                 茨木 のり子         

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

Bernardo Bertolucci のNovecentoを観たときは、この茨城のり子の詩をとても好んでいたころで、上の場面をみたときは、《一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール/鍬を立てかけ 籠をおき/男も女も大きなジョッキをかたむける》の詩句と重なって惚れ惚れしたものだ。だいたいわたくしのイタリア食ごのみは、ベルトルッチのせいかもしれない。それと須賀敦子のエッセイだな、とくにサフランのリゾット好みは、完全に須賀敦子のせいだが、これはもっと後年になる。彼女が上質のエッセイを書き始めたのは、90年前後のことなのだから。

だいたい映画に限らず、芸術作品のたぐいは、それが印象に残るものであればあるほど、それを観たときや出会ったときの記憶にとりまかれている。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃に出会った作品なら、その作品の出来不出来にかかわらず、いつまでも大切な作品でありうるし、またその年頃でなくても、なんらかの「精神的な危機」、--といえば大げさになるが、たとえばひどい恋に陥っていたときに出会った作品は、これはまた掛け替えのない記憶にとりまかれている。






Bernardo Bertolucci のNovecentoは、わたくしにとってそういう作品だ。だが、なんの「精神的な危機」の折に出会ったなどとは、書きたくない。ひとに示すには、いまだイタすぎる。傷は思いのほか深く、三十年ほど経っているのに、癒着したと見えた傷が、かえって肥大して表れたりする。

Novecentoは、石鹸の広告ではないが、わたくしにとっては、いまだ肥沃、かつ危険な作品なのだ。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳)

ところでNovecentoはEnnio Morriconeの叙情的な音楽と糸杉並木の美しい場面から始まるが、その後すぐさま血が現われる(最後近くにも、この糸杉並木のすばらしい景色が出てくる。わたくしは並木の美にひどく弱い)。

ーーYo-Yo Ma にはEnnio Morriconeの曲集があるが、このNovecentoのテーマ曲はやってないようだな、けしからん!


で、なんの話だったか。Novecentoの血の場面をふたつばかり貼り付けておこう。

わたくしの比較的好みの俳優ドナルド・サザーランドの猫への頭突きと子供のハンマー投回転の映像。


◆Novecento - Attila e il gatto (how to fight communism)



◆BERTOLUCCI Novecento Donald Sutherland




2014年8月3日日曜日

獣めく夜/お尻を差し出す夜/暴力によってのみ実現すること

悦楽が欲しないものがあろうか。悦楽は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。悦楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が悦楽のなかに環をなしてめぐっている。――

- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -

――悦楽は愛しようとする、憎もうとする。悦楽は富にあふれ、贈り与え、投げ捨て、だれかがそれを取ることを乞い求め、取った者に感謝する。悦楽は好んで憎まれようとする。――

- sie will Liebe, sie will Hass, sie ist überreich, schenkt, wirft weg, bettelt, dass Einer sie nimmt, dankt dem Nehmenden, sie möchte gern gehasst sein, -

――悦楽はあまりにも富んでいるゆえに、苦痛を渇望する。地獄を、憎悪を、屈辱を、不具を、一口にいえば世界を渇望する、――この世界がどういうものであるかは、おまえたちの知っているとおりだ。

- so reich ist Lust, dass sie nach Wehe durstet, nach Hölle, nach Hass, nach Schmach, nach dem Krüppel, nach _Welt_, - denn diese Welt, oh ihr kennt sie ja! (悦楽(享楽)と永劫回帰(ニーチェ)





獣めく夜もあった

にんげんもまた獣なのねと

しみじみわかる夜もあった

シーツ新しくピンと張ったって

寝室は 落葉かきよせ籠り居る

狸の巣穴とことならず

なじみの穴ぐら

寝乱れの抜け毛

二匹の獣の匂いぞ立ちぬ

なぜか或る日忽然と相棒が消え

わたしはキョトンと人間になった

人間だけになってしまった

ーーー茨木のり子 遺稿詩集『歳月』所収「獣めく」





妻にセックスを要求する男からパートナーをレイプする男へのステップはしばしばほんのわずかなギャップしかない。この内的分裂がいっそう強くなるのは、優しい夫が我を失い/妻を殴る瞬間だ。妻を罵り、彼女を縛り上げ、サディストのようにアナルレイプし、それから彼は罪の感覚に囚われて妻が慰めるとき。Trieb、欲動drive、衝動。なにかが主体をdriveするのだ、彼自身がそこまで行きたくない先にまで。そこでは彼はすべてのコントロールを失う。犯罪とのつながりは私たちに教えてくれる、――どの欲動の現われも暴力の成分があることを。すなわち暴力のない欲動は、その用語からすれば、矛盾している。「闘いではなく愛せよ」などというのは不可能な組み合わせだ。欲動には人がほとんど気づいていない目標がある。そして欲動について知りうることは、しばしば、彼、彼女にはもはや知りたくないことである。「オレはそれについてなにも知りたくないね」。だが彼は知らなくてはならない。(Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE Paul Verhaeghe私訳)

《きみたちにフロイトの『性欲論三篇』を読み直すことを求める。というのはわたしはla dériveと命名したものについて再びその論を使うだろうから。すなわち欲動Triebを「享楽のdérive(drift)漂流」と翻訳する。》(ラカンセミネールⅩⅩアンコール私訳)


2001年9月11日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。(ジジェク『 〈現実界〉の砂漠へようこそ』)





「何も恐れることはない。どんなときでも君をまもってあげるよ。昔柔道をやっていたのでね」と、いった。

重い椅子を持ったままの片手を頭の上へまっすぐのばすのに成功すると、サビナがいった。「あんたがそんな力持ちだと知って嬉しいわ」

しかし、心の奥深くではさらに次のようにつけ加えた。フランツは強いけど、あの人の力はただ外側に向かっている。あの人が好きな人たち、一緒に生活している人たちが相手だと弱くなる。フランツの弱さは善良さと呼ばれている。フランツはサビナに一度も命令することはないであろう。かつてトマーシュはサビナに床に鏡を置き、その上を裸で歩くように命じたが、そのような命令をすることはないであろう。彼が色好みでないのではなく、それを命令する強さに欠けている。世の中には、ただ暴力によってのみ実現することのできるものがある。肉体的な愛は暴力なしには考えられないのである。

サビナは椅子を高くかざしたまま部屋中を歩きまわるフランツを眺めたが、その光景はグロテスクなものに思え、彼女を奇妙な悲しみでいっぱいにした。

フランツは椅子を床に置くとサビナのほうに向かってその上に腰をおろした。

「僕に力があるというのは悪いことではないけど、ジュネーブでこんな筋肉が何のために必要なのだろう。飾りとして持ち歩いているのさ。まるでくじゃくの羽のように。僕はこれまで誰ともけんかしたことがないからね」とフランツはいった。

サビナはメランコリックな黙想を続けた。もし、私に命令を下すような男がいたら? 私を支配したがる男だったら? いったいどのくらい我慢できるだろうか? 五分といえども我慢できはしない! そのことから、わたしにはどんな男もむかないという結論がでる。強い男も、弱い男も。

サビナはいった。「で、なぜときにはその力をふるわないの?」
「なぜって愛とは力をふるわないことだもの」と、フランツは静かにいった。

サビナは二つのことを意識した。第一にその科白は素晴らしいもので、真実であること。第二に、この科白によりフランツは彼女のセクシャル・ライフから失格するということである。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』P131-132)




……だからこうして夜になると、パパとママは仲良く腕を組んでお家に帰ってくる、少しばかり千鳥足で。パパが階段でママのスカートをめくる夜 …昔のようにパパがママとセックスする夜、無我夢中で、経験豊かな放埓さをもって …ママが呻き、優しくも淫らな言葉を思わず洩らし、身をよじり、反撥し、寝返りをうって、体の向きを変えて、パパにお尻を差し出す夜 … (…… )自分の家でエロティックであること。自分の女房を享楽し、彼女を悦ばせること、はたしてこれ以上に鬼畜のごとき悪趣味を想像できるだろうか? これこそこの世の終わりだ! 小説の滅亡! (ソレルス『女たち』鈴木創士訳)



2014年7月16日水曜日

女たちの「申し分のない仕返し」(ボーヴォワールと夏目鏡子)

サルトルとボーヴォワールのオープンマリッジ(開放結婚)には袋小路がある。二人の手紙を読めば、彼らの“取り決め”は事実上非対称であり、うまく働かず、ボーヴォワールに多くのトラウマを引起こした。彼女は、サルトルが一連の愛人を持っていながら、自分は「例外」の存在であり、真の愛の関係にあることを期待したのだが、サルトルのほうは、ボーヴォワールは一連のなかの”ただ一人”ではなく、まさに一連の複数の例外の一人だったのである。すなわち彼の一連とは、一連の女たち、それぞれが彼にとって例外的ななにかだったのである。(ジジェク)

――と拙く訳せば、なんのことやら分からないが、原文は次の如し。

(I owe this point to a conversation with Alenka Zupancic. To give another example: )therein also resides the deadlock of the “open marriage” relationship between Jean-Paul Sartre and Simone de Beauvoir: it is clear, from reading their letters, that their “pact” was effectively asymmetrical and did not work, causing de Beauvoir many traumas. She expected that, although Sartre had a series of other lovers, she was nonetheless the Exception, the one true love connection, while to Sartre, it was not that she was just one in the series but that she was precisely one of the exceptions—his series was a series of women, each of whom was “something exceptional” to him. (Slavoj Zizek 『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』)






冒頭に引用された文は次の文の注である。

in Seminar XX, when Lacan developed the logic of the “not-all” (or “not-whole”) and of the exception constitutive of the universal.The paradox of the relationship between the series (of elements belonging to the universal) and its exception does not reside merely in the fact that “the exception grounds the [universal] rule,” that is, that every universal series involves the exclusion of an exception (all men have inalienable rights, with the exception of madmen, criminals, primitives, the uneducated, children, etc.). The properly dialectical point resides, rather, in the way a series and exceptions directly coincide: the series is always the series of “exceptions,” that is, of entities that display a certain exceptional quality that qualifies them to belong to the series (of heroes, members of our community, true citizens, and so on). Recall the standard male seducer's list of female conquests: each is “an exception,” each was seduced for a particular je ne sais quoi, and the series is precisely the series of these exceptional figures.(『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』)

文末に、《Recall the standard male seducer's list of female conquests: each is “an exception,” each was seduced for a particular je ne sais quoi, and the series is precisely the series of these exceptional figures.》、すなわち、《想起してみたらいい、標準的な男性の誘惑者の女性征服のリストを。それぞれは”ひとつの例外”であり、それぞれの女は、”言葉では言い表わせない”特別な存在として誘惑される。そしてセリエ(シリーズ)は、これの例外的な女たちのシリーズなのである》、とある。


ジジェクは、この内容を近著『LESS THAN NOTHING』2012で、よりわかりやすく説明している。

全体という普遍性とその構成的な例外という論理は次の三段階にて展開されるべきだ。

1)最初に、普遍性への例外がある。すべての普遍性は個別的な要素――それは公式的には普遍的な領域に属しているのだがーー、普遍性のフレームにはフットせず突出している。

2)全体のどの個別的な例あるいは要素はひとつの例外である。“標準の”個別性などない。どの個別性も突出している、すなわち普遍性に関するその過剰あるいは欠如によって。(ヘーゲルが存在するどの国家も「国家」概念にフットしないと示したように)。

3)ここで弁証法的ひねりが加えられる。すなわち、例外の例外――いまだひとつの例外ではあるが、単一の普遍性としての例外、その要素であり、その例外は、普遍性自身に直接のリンクをしており、それは普遍性を直接的に表わす(ここで気づくべきなのは、この三つの段階はマルクスの価値形態論と相等しいことだ)。(私意訳)
The logic of universality and its constitutive exception should be deployed in three moments: (1) First, there is the exception to universality: every universality contains a particular element which, while formally belonging to the universal dimension, sticks out, does not fit its frame. (2) Then comes the insight that every particular example or element of a universality is an exception: there is no “normal” particularity, every particularity sticks out, is in excess and/or lacking with regard to its universality (as Hegel showed, no existing form of state fits the notion of the State). (3) Then comes the proper dialectical twist: the exception to the exception—still an exception, but the exception as singular universality, an element whose exception is its direct link to universality itself, which stands directly for the universal. (Note here the parallel with the three moments of the value‐form in Marx.)


…………

ほら、もう一冊別の本だ…シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『別れの儀式』…サルトルの晩年…またしても主体、そこから抜け出してはいない(……)それにしても、ボーヴォワールが晩年のサルトルの肉体的衰えに魅せられたとは奇妙なことだ…彼女は自分の偉大な男のしなびた肉体を発見する、彼がとんずらしようというときになって…彼女はサルトルの没落の綿密な日記をつける…申し分のない仕返し…まじめな気持ちで…彼の欠伸。サルトルはどのようにしてあっちこっちでおしっこを出すのか…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)







男の場合の全体の論理:普遍性(欠くことのできないーー私にとって全てのーー女)、ある例外を除いて(キャリアや公的な生活という例外を除いて)。

女の場合の非-全体の論理:非-普遍性(男は女の性生活にとってすべてではない)、例外はない(すなわち性化されないものはなにもない)。

the universality (a woman who is essential, all…) with an exception (career, public life) in man's case; the non‐universality (a man is not‐all in woman's sexual life) with no exception (there is nothing which is not sexualized) in woman's case.("LESS THAN NOTHING")

男性の全体の論理、そのアンチノ ミーが〈例外〉を伴う〈不完全性〉の障害であって、他方、女性の非-全体の論理、そのアンチノミーが、境界を欠いた〈非全体〉の表層における〈矛盾(非一貫性)〉の障害だということになる。

これはカントの【男性の論理=力学的アンチノミー/女性の論理=数学的アンチノミー】としても説かれるが、後者の女性の論理とは、「無限集合」ということでもあり、「排中律」は機能しない。

排中律とは、「Aであるか、Aでないか、そのいずれかが成り立つ」というものである。それは、「Aでない」と仮定して、それが背理に陥るならば、「Aである」ことが帰結するというような証明として用いられている。ところが、有限である場合はそれを確かめられるが、無限集合の場合はそれができない。ブローウェルは、無限集合をあつかった時に生じるパラドックスは、この排中律を濫用するからだと考える。(柄谷行人『トランスクリティーク』)


《女は非-全体(無限集合)なのだから、女でない全てがどうして男だというんだね?》(ラカン)
“since woman is ‘non‐all,’ why should all that is not woman be man?”(Lacan)

※附記

It is not that man stands for logos as opposed to the feminine emphasis on emotions; it is rather that, for man, logos as the consistent and coherent universal principle of all reality relies on the constitutive exception of some mystical ineffable X (“there are things one should not talk about”), while, in the case of woman, there is no exception, “one can talk about everything,” and, for that very reason, the universe of logos becomes inconsistent, incoherent, dispersed, “non‐All.” Or, with regard to the assumption of a symbolic title, a man who tends to identify with his title absolutely, to put everything at stake for it (to die for his Cause), nonetheless relies on the myth that he is not only his title, the “social mask” he is wearing, that there is something beneath it, a “real person”; in the case of a woman, on the contrary, there is no firm, unconditional commitment, everything is ultimately a mask, and, for that very reason, there is nothing “behind the mask.” Or again, with regard to love: a man in love is ready to give everything for it, the beloved is elevated into an absolute, unconditional Object, but, for that very reason, he is compelled to sacrifice Her for the sake of his public or professional Cause; while a woman is entirely, without restraint or reserve, immersed in love, there is no dimension of her being which is not permeated by love—but, for that very reason, “love is not all” for her, it is forever accompanied by an uncanny fundamental indifference.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

…………


               (左側が漱石夫妻)



「断腸亭日乗 大正十二年歳次葵亥 荷風四十五」より

昭和二年。終日雨霏霏たり。無聊の余近日発行せし『改造』十月号を開き見るに、漱石翁に関する夏目未亡人の談話をその女婿松岡某なる者の筆記したる一章あり。漱石翁は追蹤狂とやら称する精神病の患者なりしといふ。また翁が壮時の失恋に関する逸事を録したり。余この文をよみて不快の念に堪へざるものあり。縦へその事は真実なるにもせよ、その人亡き後十余年、幸にも世人の知らざりし良人の秘密をば、未亡人の身として今更これを公表するとは何たる心得違ひぞや。見す見す知れたる事にても夫の名にかかはることは、妻の身としては命にかへても包み隠すべきが女の道ならずや。然るに真実なれば誰彼の用捨なく何事に係らずこれを訐きて差閊へなしと思へるは、実に心得ちがひの甚しきものなり。女婿松岡某の未亡人と事を共になせるが如きに至つてはこれまた言語道断の至りなり。余漱石先生のことにつきては多く知る所なし。明治四十二年の秋余は『朝日新聞』掲載小説のことにつき、早稲田南町なる邸宅を訪ひ二時間あまりも談話したることありき。これ余の先生を見たりし始めにして、同時にまた最後にてありしなり。先生は世の新聞雑誌等にそが身辺及一家の事なぞとやかくと噂せらるることを甚しく厭はれたるが如し。然るに死後に及んでその夫人たりしもの良人が生前最好まざりし所のものを敢てして憚る所なし。ああ何らの大罪、何らの不貞ぞや。余は家に一人の妻妾なきを慶賀せずんばあらざるなり。この夜大雨暁に至るまで少時も歇む間なし。新寒肌を侵して堪えがたき故就眠の時掻巻の上に羽根布団を重ねたり。彼岸の頃かかる寒さ怪しむべきことなり。

仕方がありませんよ、荷風先生
やっぱり相当こたえてたんじゃあありませんか
『道草』であんなこと書かれちゃあ、
これは恨みが募ってもやむえません
それに「女の道」、「妻の道」なんていまどき通用しませんよ

彼は親類から変人扱いにされていた。しかしそれは彼に取って大した苦痛にもならなかった。

「教育が違うんだから仕方がない」 
彼の腹の中には常にこういう答弁があった。
「やっぱり手前味噌よ」 
これは何時でも細君の解釈であった。 
気の毒な事に健三はこうした細君の批評を超越する事が出来なかった。そういわれる度に気不味い顔をした。ある時は自分を理解しない細君を心から忌々しく思った。ある時は叱り付けた。またある時は頭ごなしに遣り込めた。すると彼の癇癪が細君の耳に空威張をする人の言葉のように響いた。細君は「手前味噌」の四字を「大風呂敷」の四字に訂正するに過ぎなかった。

義父の恨みもかさなっているんですよ
元貴族院書記官長中根重一さんにもこんな態度じゃあ

けれどもその次に細君の父が健三を訪問した時には、二人の関係がもう変っていた。自ら進んで母に旅費を用立った女婿は、一歩退ぞかなければならなかった。彼は比較的遠い距離に立って細君の父を眺めた。しかし彼の眼に漂よう色は冷淡でも無頓着でもなかった。むしろ黒い瞳から閃めこうとする反感の稲妻であった。力めてその稲妻を隠そうとした彼は、やむをえずこの鋭どく光るものに冷淡と無頓着の仮装を着せた。 

父は悲境にいた。まのあたり見る父は鄭寧であった。この二つのものが健三の自然に圧迫を加えた。積極的に突掛る事の出来ない彼は控えなければならなかった。単なる無愛想の程度で我慢すべく余儀なくされた彼には、相手の苦しい現状と慇懃な態度とが、かえってわが天真の流露を妨げる邪魔物になった。彼からいえば、父はこういう意味において彼を苦しめに来たと同じ事であった。父からいえば、普通の人としてさえ不都合に近い愚劣な応対ぶりを、自分の女婿に見出すのは、堪えがたい馬鹿らしさに違なかった。前後と関係のないこの場だけの光景を眺める傍観者の眼にも健三はやはり馬鹿であった。それを承知している細君にすら、夫は決して賢こい男ではなかった。

 ところで漱石先生は奥さんとちゃんとヤッていたのでしょうかね

でも子供はたくさんできていますね
熊本時代は仲がよさそうですし





幸にして自然は緩和剤としての歇私的里(ヒステリー)を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯伏になって倒れている細君を抱き起して床の上まで連れて来た。真夜中に雨戸を一枚明けた縁側の端に蹲踞っている彼女を、後から両手で支えて、寝室へ戻って来た経験もあった。 

そんな時に限って、彼女の意識は何時でも朦朧として夢よりも分別がなかった。瞳孔が大きく開いていた。外界はただ幻影のように映るらしかった。 

枕辺に坐って彼女の顔を見詰めている健三の眼には何時でも不安が閃めいた。時としては不憫の念が凡てに打ち勝った。彼は能く気の毒な細君の乱れかかった髪に櫛を入れて遣った。汗ばんだ額を濡れ手拭で拭いて遣った。たまには気を確にするために、顔へ霧を吹き掛けたり、口移しに水を飲ませたりした。 

発作の今よりも劇しかった昔の様も健三の記憶を刺戟した。 

或時の彼は毎夜細い紐で自分の帯と細君の帯とを繋いで寐た。紐の長さを四尺ほどにして、寐返りが充分出来るように工夫されたこの用意は、細君の抗議なしに幾晩も繰り返された。
 
或時の彼は細君の鳩尾へ茶碗の糸底を宛がって、力任せに押し付けた。それでも踏ん反り返ろうとする彼女の魔力をこの一点で喰い留めなければならない彼は冷たい油汗を流した。

ーーああ失礼しました、「ヤッて」なんて下品な言葉を洩らしてしまって

でも十八世紀人のディドロもこんなこといってるじゃあありませんか


卑しい偽善者どもには私をほっといてほしいのです。荷鞍をはずした驢馬みたいに、ヤッてもらってもかまいません。ただ、私が「ヤル」という言葉を使うのは認めてもらいたいのです。行為はあなたにまかせますから、私には言葉をまかせてください。「殺す」とか、「盗む」とか、「裏切る」とかといった言葉は平気で口にするくせに、この言葉には口ごもるわけですね! 不純なことは言葉にすることが少なければ少ないほど、あなたの( vous)頭の中には残らないというわけですか? 生殖の行為はかくも自然で、かくも必要で、かくも正しいというのに、あなたは( vous)どうしてその記号を自分の会話から排除しようとしたり、自分の口や、眼や、耳がその記号で汚されることになるなどと考えるのですか? 使われることも、書かれることも、口にされることももっとも稀な表現が、もっともよく、もっとも広く知れわたっているというわけだ。だってそうでしょう。「ヤル」という言葉は、「パン」という言葉と同じくらいなじみ深いものではありませんか? この言葉は年齢に関係なく、どんな方言にも見出され、ありとあらゆる言語のうちに数え切れないほどの類義語をもっている。声も形もなく、表現されることもないにもかかわらず、誰の心にも刻みこまれているというのに、それをもっともよく実践する性が、それについてもっとも口をつぐむならわしなのです。私にはまたあなたの声が( vous)聞こえてきます。あなたは( vous)叫んでいらっしゃいますね。(ディドロ Denis Diderot, OEuvres complètes, t. XXIII)

「発作に故意だろうという疑の掛からない以上、
また余りに肝癪が強過ぎて、
どうでも勝手にしろという気にならない」なんて
ヒステリーの発作のとき以外は
故意と思ってたりどうでも勝手にしろだったんでしょうしねえ

細君の発作は健三に取っての大いなる不安であった。しかし大抵の場合にはその不安の上に、より大いなる慈愛の雲が靉靆いていた。彼は心配よりも可哀想になった。弱い憐れなものの前に頭を下げて、出来得る限り機嫌を取った。細君も嬉しそうな顔をした。 

だから発作に故意だろうという疑の掛からない以上、また余りに肝癪が強過ぎて、どうでも勝手にしろという気にならない以上、最後にその度数が自然の同情を妨げて、何でそう己を苦しめるのかという不平が高まらない以上、細君の病気は二人の仲を和らげる方法として、健三に必要であった。

美しい晩年じゃあないですか
漱石が早死にしてくれてよかったんでしょうねえ





《肉体をうしなって/あなたは一層 あなたになった/純粋の原酒(モルト)になって/一層わたしを酔わしめる》(茨木のり子『歳月』)

ヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、
ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢
になったんでしょうねえ

――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人にういてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。(大江健三郎『人生の親戚』)




2014年2月9日日曜日

マンゴーの花

灌漑用水路のまっすぐな流れだって
水が流れていくのを眺めるのはよいものだ
「二十年ほど前は
まだコンクリートの堤防
を作らない人間がいた。
あのすさんだかたまったシャヴァンヌの風景があった。」(西脇順三郎)
息子と石切り遊びをした
用水路は向う岸の藪まで三十米はある
橋の上流もすこし下流もコンクリートの堤防
なのにこの一キロほどは今も地肌のまま
果樹園がかたまってある地域だからか




マンゴーの花が匂う
シナモンのような香

庭の十本ほどのマンゴーの樹は
すべて切り倒してしまった
のは妻がマンゴーにかぶれるからだ
樹には赤蟻が大量につき
ウルシオールに似たマンゴールを運ぶ
物干竿や紐を伝わって
日干しのシャツやジーンズにもぐりこむ
この赤蟻に噛まれるとひどく痛い
蟻を殺虫剤で処理してしまえば
果実のつきが極端に悪くなる
未受精の処女の花の使者





海辺のホテルのシナモンの香
をふくませたタオルで
顔を拭ったらみるみる赤くなった
休暇が一日台なしになった
田舎育ちにもかかわらず
妻はマンゴーシナモン中毒
樹木や花には未練はないが
花のにおいには未練がある


もっとも花時にはバイクを小径に走らせれば
家々の庭木のマンゴーの花のにおいに包まれる

「どこかに美しい街はないか

食べられる実をつけた街路樹が

どこまでも続き すみれいろした夕暮れは

若者のやさしいさざめきで満ち満ちる」
この茨木のり子の「六月」は一連目のほうがもっといい
「どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける」

しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実の一つを恐々手のひらの上に載せてみた。円錐形の、尻の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋のごとく膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。(……)
私はしばらく手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。(……)
津村も私も、歯ぐきから腹の底へ沁み通る冷たさを喜びつつ甘い粘っこい柿の実を貪るように二つまで食べた、私は自分の口腔に吉野の秋を一杯頬張った。思うに仏典中にある菴摩羅果もこれほど美味ではなかったかも知れない(谷崎潤一郎『吉野葛』)

と美濃柿の熟柿を愛でる谷崎の文の
仏典中の菴摩羅果〔あんもらか〕とはマンゴーのことだが
季節には安価にふんだんと手に入り
マンゴーかぶれの細君もぱくぱく食べる
熟す前の青い実さえ細切りにして食べる
魚醤で煮つけた魚に付合わせる
当初は珍しかったそれも
刺身のつまの大根の千切り
と今ではあまり変わらない










2013年10月15日火曜日

橋をわたって

もうすぐ雨が降ってきそうな曇り日は
土の匂いがこみ上げてきて
とても懐かしい人が
すぐそばまで
来てくれているような気がします
                    (黒田ナオ「曇り日の気配」

《2行目の「こみ上げてきて」がいいなあ。
土がにおうのではなく、自分の肉体が土になっている》
とする谷内修三氏の評言もいいなあ

土でなくてもよい
アスファルトの匂いでも

ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを。
たくさんねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。

ダヴィデ(須賀敦子訳)

-----1945年、425日、ファシスト政権と、それにつづくドイツ軍による圧政からの解放をかちとった、反ファシスト・パルチザンにとっては忘れられないその日のこみあげる歓喜を、都会の夕立に託したダヴィデの作品である。(須賀敦子「銀の夜」『コルシア書店の仲間たち』)




六月    
                 茨木 のり子         

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる


昨日、《ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。》(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)

あるいは、

《ああ私がステッキや傘でりんごの木の幹や垣根の茨をたたいていた時、どれほどそこから女性を出現させたいと願ったことだろう。》(プルースト「カイエ7」)

と引用したときに、《鍬を立てかけ 籠をおき/男も女も大きなジョッキをかたむける》をも想い出し、あわせて引用しようとしたが、思い止まった。


鋤は立てかけ、籠はおかなければならない

どこかに美しい村や街があるのではない

身近なところにある

それに気づかないだけだ

わたくしはやむ得ない事情があって、19951月に起こった地震の現場にむかった(ようするに別れた直後の妻と娘があのあたりに住んでいた)。

そこで次の光景に行き当たった。


外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。……(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

だがこの国に、つねに
歌と踊りがあるわけでもなく
食べられる実をつけた街路樹がどこまでも続くわけでもなく
美しい人と人の力があるわけでもない
日本よりはすこしは多くあったか
だが経済至上主義だって日本よりも多くあった 

鉈を立てかけ茨をつつかない連中など何処にいた?

黒ビールのジョッキをかたむけたあと

酒池肉林の輪に勇んで加わったのは

だれだ?



橋をわたって  ベトナム民謡

あのひとに上着をあげた
家に帰って父母に
橋をわたるとき風にとられた、と嘘ついた

あのひとに指輪をあげた
家に帰って父母に
橋をわたるとき落とした、と嘘ついた

あのひとに菅笠をあげた
家に帰って父母に
橋をわたるとき風にとられた、と嘘ついた



While I was Crossing the Bridge by Yuji Takahashi/ 高橋悠治作曲「橋をわたって」








2013年8月17日土曜日

すべての芸術のうちで音楽は最低の地位を占める(カント)

感覚的刺戟と感動とを問題にするならば、言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである( …)これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、すべての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる」(カント『判断力批判』篠田英雄訳)


こう引用したからといって、カントの『判断力』をまともに読んだことがある身ではなく、カントをめぐってなにか言いたいことがあるわけではない。そして上の文を読んでみたらわかるように(「判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば」とあるように)、表題の「すべての芸術のうちで音楽は最低の地位を占める」とは惹句に過ぎない。

わたくしは詩や音楽を好む人間のひとりだが、詩や音楽に耽溺するさまを見せびらかす「他人」に、ときにひどく不快感を覚えることがある、「そんなに酔ってどうするの? 頭はからっぽのまま」と言いたくなるときがある。――《そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いで何をするの/頭はからっぽのまま/……》(茨木のり子「時代おくれ」)

不快感のよってきたるところのひとつは、クンデラのいうホモ・センチメンタリス的振舞いを見てしまうときだ。

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。(『不滅』)

――ああ、美しい 胸に染みいるわ 言葉を失ってしまう……言葉を「喪失」しても、まだそのことを言葉によって他人に示したい手合いがいる。


そこには、ここぞとばかりに自らの内的感性の鋭敏さを誇示するかの如き意気込みでメロドラマに耽りかえる凡庸さと、さらにその鋭敏さの確信こそが自らの凡庸さの叙事詩をかたちづくっていることに不感症であるという二重の凡庸さに犯された存在がいる。

この「凡庸さ」はクンデラの云う「キッチュ」に置き換えてもよい。

《キッチュな人間のキッチュな欲求。それは、あばたをえくぼと化する虚偽の鏡の覗きこみ、そこに映る自分の姿を見てうっとりと満足感にひたりたいという欲求である。》(クンデラ「七十三語」――「私は「音楽」を愛する人間が嫌いなんです」)

あるいはロラン・バルトのように、己の「身体による威嚇作用」への鈍感さと穏健にいってもよい。
《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。とはいうものの、そのことすべてが言おうとしている趣意はこうなのだ、つまり、《私の身体はあなたの身体と同一ではない》。というわけで、好き嫌いを集め たこの無政府状態の泡立ち、このきまぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎 の形象である。ここに、身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざま な享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

さらに「穏健に」、そして視点を変えていえば、《「好きな音楽」というのと「好きな音楽について書く」というのとは、少しちがう。そうして音楽について書くということになると、ベートーヴェンはどうしてもさけがたくなる。この自己主張の強い音楽は、きき手のそれをも誘発しないではない。》(吉田秀和『私の好きな音楽』)

ひとは本当のところは、《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)であったり、《まもなく、私の二十年来の友人が須賀敦子さんを”発見”した。私たちは、少年が秘密の宝を共有するように、須賀さんの作品について、声をひそめるような感じで語り合った。ひとにはむしろ触れ回りたくなかった。》(中井久夫『須賀敦子さんの思い出』)ではないか。



詩や音楽への「主観的お喋り」をふと口から漏らしてしまったとき、ひとに不快感をあたえていないかどうかをときに惧れ、いや間違いなく不快感を与えているに違いないと嫌悪感を抱き、読み手の顔が想定される SNSに書き込むのをやめた。まだブログなら読み手に不快感を与えるようなことを漏らしてしまっても読まなかったらよいだろう、として詩や音楽に耽溺する表現を漏らしてしまうことがあるが、後で読み返すとときに反吐がでることがある。

そんな他人への不快感を抱かないひともあるだろう。要するにこれらの心理的機制は次のようなものだ。

人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

優れた文学の読み手であって、詩をめぐっては殆んど書かない人たちがいる。たとえばわたくしの比較的よく読む作家であればロラン・バルト(ラシーヌ以外は)、日本なら蓮實重彦(もっともわたくしの知るかぎり、であって彼らの著作を網羅的に読んでいるわけではない、そして蓮實重彦なら友人の天沢退二郎の詩の絶賛や弟子筋にあたる松浦寿輝の詩集への賞賛の言葉があるのを知らぬわけではない)。

もっともバルトには、《(それは)一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)》(ロラン・バルト『テクストの快楽』)という文はある。

ニーチェの調子、それは翻訳文であってさえ明らかだ。


ひとは何よりもまず、この人物の口から発せられる調子、あの晴れた冬空に似た静穏な調子を、正しく聴きとらねばならぬ。そうしてこそ、かれの英知にふくまれた意味をみじめに誤解することがなくなるのだ。「嵐をもたらすものは、もっとも静寂な言葉だ。鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだーー」

「いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。

このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――」

ここで語っているのは、狂信家ではない。ここで行われているのは「説教」ではない。ここで求められているのは信仰ではない。無限の光の充溢と幸福の深みから、一滴また一滴、一語また一語としたたってくるのだ。ねんごろの緩徐調が、この説話のテンポだ。こういう調子は、選り抜きの人々の耳にしかはいらない。ここで聴き手になれるということは、比類のない特権だ。ツァラトゥストラの言葉を聴く耳をもつことは、誰にでも許されていることではないのだから……。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

《音楽による偽りの深さ/音楽的ニーチェ/安請合いをする人》とヴァレリーはニーチェにアンビバレントな感情を抱く。

近代の音楽はあまりにも大きく、あまりにも甘美で、あまりにも速い。そのためそれは、すべてのものをあまりにも脆くする。音楽はその力を濫用し、その能力はわずか三分間で生命を賦与する。/加速するイリュージョン。停止するイリュージョン。――そのイリュージョンが、あらゆるものに個々別々に価値をあたえてしまう。そしてこれがアーティキュレーションなのだ。思想は力づくで柔らかくされてしまう、――不完全な現実によって。(ヴァレリー「カイエ」――「完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども」)

頭をからっぽにする「音楽」、そして場合によっては「詩」。思想は力づくで柔らかくされてしまう。ときには抵抗すべきではないか。

散文を歩行に、詩を舞踏に例えたのはポール・ヴァレリーである。T・S・エリオットはこれにやんわりと異議を唱えて、詩と散文とはそれほど明瞭に区別されるものではないと述べている。

これは英詩とフランス詩との相違をも写し出していて、英詩には「歩行的」な「語り」が現代に至るまで少なくない。フランス詩、少なくとも二十世紀のフランス詩とは全く異なる。例外としてサン=ジョン・ペルスの「アナバシス」を挙げることもできるかもしれないが、この「語り」は英詩の基準からすればおおよそ曖昧模糊としたものである。

その底をさぐれば、詩と散文との両者を媒介〔なかだち〕し、そして本来はエクリチュール(書かれたもの)でなくエノンセ(口を衝いて出るもの)である詩劇というもののイギリスとフランスとの違いが絡んでくるだろう。フランスのラシーヌ劇の詩的完成はシェイクスピアの及ばないところであるが、ラシーヌは何よりもまず詩として、それも厳格な規則に従ったアレクサンドラン詩形の技巧の極致として耳を打ってくる。これに反してシェイクスピアを純粋に詩として聴く人はあるだろうか。ラシーヌの舞台が観客からいわば無限遠にあるのに対して、シェイクスピアの観客は舞台の上にあがって、そのダイナミズムに合流する。

詩作者としてのヴァレリーが「詩とは舞踏である」という時、彼はおそらくソロで舞踏する姿を思い浮かべていたのであろう。そうだとすれば訳詩というものはデュエットでの舞踏である。原詩の足を踏むかもしれないし、完全に合わせることはできないだろう。程度の差はあってもぎこちないパートナーだろう。しかし、それにもかかわらず、散文の翻訳とはちがう。訳詩者はただ並んで歩き、たかだか歩調を合わせればよいのではない。もっと微妙で多面的な波長合わせが必要である。手を取り合い、足をからませ、肌を合わせ、時には汗を浴び、体臭をふんだんに嗅ぎ、思いがけない近さで顔の造作を眺め、そして醒めていながらも陶酔を共にしなければならない。訳詩者の「舞踏」はそういうものである。したがって、訳詩の過程によって訳詩は原詩よりも劇詩に近づく傾向があって、それはたいていの場合にそうあるよりほかないものである。(中井久夫「訳詩の生理学」)

わたくしは音楽や詩に「醒めていながらも陶酔」したいと願うのだ。陶酔させるばかりで醒める余地のないタイプの音楽や詩を敬遠する。

音楽や詩にはこんなふうに接したい。


《暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。》  −ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ



ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』)


――ということで、マラルメやヴァレリーなどの優れた読み手だったアランの詩への異和をめぐる文をすこし長くなるが引用しておこう。《散文は我々を解放する。それは詩でも、雄弁でも、音楽でもない。中断された歩み、後戻り、 突然の強い調子が、再読と熟考を命ずることからも感じられるやうに。散文は時間から解き放たれて をり、型どほりの議論からも自由である》、あるいは《散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない》とするアランを。もちろん全面的に信頼する必要はない。アラン自身、《散文とは何か、散文は何をなし得るのか、散文はどうあるべきか。私はこれらを知っているとはまだとてもいえない》と書いている。



第9章 詩と散文について

私は詩人の作品を読むのが苦手だ。必然性のない韻、繰り返し、塞がれた穴が 見えすぎるのだ。読んで貰つたら、もつとよく分かつた。さうすると、待つことの ない動きに捉へられた。繰り返しを忘れて、それについて考へる時間さへなかつた。 韻は、その度に感じる小さな恐れによつて、どれも心地よかつた。聞こえてゐる詩をうま く終はらせることは、いつも、不可能だと思はれるのだから。この待つことのない動きは、 即興を思はせる。かうして私を旅へと導くものを、私は詩しか知らない。ここには前文もなく、 用心もない。私は自分が動き出すのを感じる。最初の言葉たちにも別れを告げる。リズムで、 私はやつて来るものを察する。述べてみよといふ呼び掛けであり、最高の詩は、これに応じる。

だが、もつと詳しく調べよう。詩の中では、いつでも二つのものが争つてゐる。規則的な リズムがあり、繰り返される韻を伴ふが、私はこれを常に感じてゐる必要がある。リズムに 逆らふ物語りがあり、長い時間ではないが、時折そのためにリズムが隠れる。この芸は音楽家の もののやうだが、もつと分かりやすい。また、我々に自由な想像を許さないといふ点で、 より専制的なものでもある。その分、慰められることも少ない。しかし、音楽のときのやうに、 あちこちに、休息のやうな和解がある。リズムのある一節と、語られた一節とが一緒に終はる瞬間が 来るのだから。自然さ、言葉の単純さと意味の豊かさが、奇跡を起こすのはこの時だ。詩人がそれまでに 少し苦労をしてゐることさへも、悪くはないのだ。落ちる真似をする軽業師のやうに。しかし、 それはいつでも、船での旅のやうに止まることがない。詩はさういふふうに受け取らねばならない。 この条件がないと、注意を引くリズムとリズムを外さうとする動きを調和させる力が全く理解できないだらう。



雄弁も、また、一種の詩である。そこには音楽的な何かが簡単に見つかる。言ひ回しの強弱、均整、 響きの調整、そして予告され、期待され、言葉が奇跡のやうにそれに応へる結末だ。だが、かうした 極まりは隠されてゐる。思ひが脹らむと、演説家はこれに従はないことがよくある。残るのは、時間を 満たすといふ必要と、避けられない動き、心配と苛立つた疲れで、これはやがて聴衆に伝はる。しかし、 ここでも読むのではなく聞かねばならない。さうしないと、繰り返しやつなぎの言葉で嫌になるだらう。 だが、これは、特に演説家が議論を展開してゐるときには、必要なものなのだ。読むのでは、集まつた 人達の抑へた動きが見えない。書斎の静けさと二千人の沈黙には確かな違ひがある。そして、ソクラテスが、 大きな理由を述べてゐる。「君が話の終はりに来たときには、私は最初を忘れて了つた。」さらに、 全ての詭弁は雄弁である。また、さわぐ心はどれも、他の者にも、自分自身にも雄弁である。確信は、 時の歩みにより、また、証明が現れることで、強まる。それで、雄弁は不幸を予言するには、あるいは、 過ぎ去つた不幸を呼び起こすには、特に適してゐるのだ。この人間は、不幸な者が犯罪へと向かふやうに 結論に至る。終つた不幸に戻るといふのは、最悪の道行きだ。運命論的な考へがその証拠を手に入れるのは、 そのやうにしてなのだから。



散文は我々を解放する。それは詩でも、雄弁でも、音楽でもない。中断された歩み、後戻り、 突然の強い調子が、再読と熟考を命ずることからも感じられるやうに。散文は時間から解き放たれて をり、型どほりの議論からも自由である。かういふ議論は雄弁の一手段に過ぎない。真の散文は 私を急せかさない。繰り返しもない。 しかし、このため、人が私に散文を読んでくれるのは、 堪へられない。詩は、自然な言葉が、人々が言語を耳で聞いていた時代に、固定されたものだ。 しかし、今では、人はそれを眼で見る。小さな声に出しながら読むことは、少なくなる一方だ。 人間は殆ど変つてゐないと、私は思ふ。しかし、ここには重要な進展がある。この知的な対象を 眼が追ふのだから。眼はその中心を選び、そこに全てを持ち帰る。画家のやうに。組み直し、 自分で強調し、視点を選び、全ての頂に同じ日の光を求める。散歩する者はこのやうに歩むのだが、 いつでも早足すぎる。特に若く力があると、さうだ。脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。(アラン「詩と散文について」『精神と情念に関する81章』所収

 …………



私はこれまでに時どき、詩人たちについてかなり手きびしく語ったことがある。雄弁家、それも非凡な雄弁家たちを、私はそれ以上に大して愛しているわけではない。いたって学識のある人が、そのことで私につっかかってきた。どんな話でも心底から出たものは雄弁の動きとリズムをおのずと帯びる。ただすぐれた詩においてのみ、このリズムは一そう規則立っているのだ、と彼はいう。彼はそこで実例をそらで引用したが、なかなかうまく択んだ。私は散文をしかるべく弁護するすべを知らなかった。散文は、読者が声を出して読むとかならず損なわれる。そして目の方がいっそうよく散文をとらえるように私は思う。散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。どんな遠慮も知らず、いかなる宗教臭もない。これこそ、すっかりはだかになった人間性そのものである。筆致が道具のように喰い入るのだ。

ナポレオンはフランス野戦のとき、ソワッソンの町が二日も早く陥落したのち、しばし無言であったが、やがていった、「そんなことは偶発事にすぎぬ。だがあのときは幸運がほしかった。」これが、ほかの時にはまたみずから運命を作った人のことばである。ここには翼のはばたきがある。美辞をつらねる人々は、ためしにやることしかしないが、この人間は勝負に出るのだ。注目にあたいすることだが、訂正加筆をせぬこの術の他の実例を求めにゆくとすれば、ナポレオンと同時代、そして彼と同じ行動の人、スタンダールに、私はそれを求める。「彼は脚下に二十里四方の土地を見た。ハヤブサであろう、彼の頭上の大岩から飛び立った鳥が、いたって大きな輪を、音もなく、えがいているのがときどき彼の視界に入った。ジュリアンの目は、機械的にこの猛禽のあとを辿っていた。その落ち着いた、しかも力強い動きが、彼の心を打った。彼はあの力をうらやんだ。彼はあの孤立をうらやんだ。それはナポレオンの運命であった。いつの日か、それが彼の運命になるだろうか。」(『赤と黒』)

修辞と呼ばれているあの模倣の痕跡のごときを、私はここにはまったく見かけない。しかも、喜劇なきこの散文は、公定の芸術(散文)が美辞をつらねて弁じ立てていた一時代のものなのである。ここには、欲望というよりもむしろ意志が、姿をあらわしている。行動が感情をむさぼり食ってしまう。同様に、この散文は何巻もの詩をむさぼり食ってしまう。ちょうど土が水を吸いこむように。イメージは、ここではオペラの舞台装置とはちがう。イメージは動きであり、稲妻であり、とぶ鳥のかげなのだ。「えがく」というこの語が、二つの意味をもっているとは、すばらしい。動きをえがくことは、まさにその動きをすることである。それゆえ、一方で描写は比較する。しかし他方で、描写は象徴するのだ。

散文とは何か、散文は何をなし得るのか、散文はどうあるべきか。私はこれらを知っているとはまだとてもいえない。絵画について何かと書く芸術批評家たちに、私はしばしばおどろいた。なぜなら、絵画は散文よりもなお一そう隠されているからである。こんにちでは、私は詩と散文のあいだの対立関係に気づいている。詩は、ふとした出会いで集まったイメージを延べ拡げ、かつ成長させる。そしてある種の散文は、こうした装飾を徹底的に叩きのめすのである。しかしながら、ヴァイオリンの弾き方がまなばれねばならぬごとく、散文の弾き方も、まなばずしては体得されえない。スタンダールのなかに、装飾をあまりにうち倒してしまう一つの術を、私は見いだす。ところで一方、シャトーブリアンをまねるのは危険性なきにしもあらず、ということを私は知っている。逆に、スタンダールは、ひとりならずの若い天分を枯渇させるだろう。

スタンダールは、雄弁家から、ありうる限りにおいてはなれている。説教は大げさで冗漫なものである。説教は耳と一致させなばならない。いく度も耳を打ち、そして耳をひき戻さねばならない。用意しておき、前ぶれしておくこと。ともかく、雄弁家の力、抒情の力を作っているのは、期待なのだ。韻の期待、区切りの期待、声の抑揚の期待。一完結文とは、手はずをととのえられ、もつれ、そして解決を見る劇のようなものである。それは窓ごしに見られた嵐なのだ。他方、散文の芸術家は事物の空洞そのもののなかにいる。彼の足音の反響がきこえてくる。だが二度とこだましない。ただ一度きりなのだ。彼は道具を休めて空を仰ぐ。詩の一切が通りすぎてゆく。丘から丘にとどく音のように。あのはだかの文体の魔術、それは喜劇を見る子供のように待っているのではなく、ふりかえって自己のうしろを注視することである。目の一躍によって読みかえす。イメージをもう一度しっかり捉える。あの固定した線条があなたを駆けさせる。これに反して、雄弁の芸術は、坐ってじっとしているわれわれのために駆ける。このゆえに、一方の芸術は朗読されたがり、他方の芸術は彫り刻まれることを求める。散文、つねに片足に体をかける、ブロンズ製の、いそぎの使者。(アラン『プロポ集』井沢義雄/杉本秀太郎訳)

ーー《ベルゴットのもっとも美しい文章は、実際に、読者に、自己へのより深い反省を要求したが、読者はそんなベルゴットよりも、単に書きかたがうまくなかったという理由でより深く見えた作家たちのほうを好むのであった。》(プルースト「見出された時」)


詩や音楽が、陶酔だけでなく、自己へのより深い反省を要求するものであってほしいとひとは願わないだろうか。


散文をバラにたとえるなら
詩はバラの香り
散文をゴミ捨場にたとえるなら
詩は悪臭

ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より


《自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」手塚富雄訳)