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2013年6月1日土曜日

枕絵とフェティシズムーー春信と歌麿(加藤周一)


男女三歳にして席を同じくせず。これは西洋人のいわゆる「ヴィクトリア朝道徳」をさらに徹底させたタテマエである。タテマエはむろんそのまま実行できないから、徳川時代はウラの性風俗への関心を強めた。その制度化されたものが遊里である。その私的領域で栄えたものが枕絵である。遊里は、少なくとも徳川時代の後半には、歌舞伎の劇場と共に、町人社会の文芸・音楽・絵画の中心となった。枕絵は、同時代の高名な浮世絵版画家で、それを作らなかった者はほとんどいない。



しかしタテマエの非現実性だけが、枕絵の大量生産を説明するわけではないだろう。徳川時代の後半、殊に一八世紀後半から一九世紀初めにかけての町人社会は、物質的に繁栄していたと同時に、近い将来に体制の変革を期待していなかった。そこで人々の関心が私的領域に向かったのは、当然であり、私的領域におけるもっとも強い衝動の一つが、性的欲望であることは、いうまでもない。しかし性的なものへの強い関心は、必ずしも直ちに性的なものの豊富な表現を意味するとはかぎらない。表現は内面的衝動の外面化すなわち社会化であり、その形式は文化によって異る。性的なものが主として商品として表現される文化もあり、それが芸術として表現される文化もあるだろう。徳川時代の文化の特徴の一つは、性的表現の動機がしばしま芸術的表現のそれと結びついていた、ということである。

枕絵の多くは、絵としては稚拙である。しかしその多くは風俗史興味をひく。そこには、たとえば、二人の男女の組み合せばかりでなく、三人以上多人数の組み合せや女二人の組み合せもある。背景は屋内を主とするが、縁先、屋外、海中にまで及ぶ。当事者のうち女には、遊女が多いが、町屋や武家の女もあり、海女の例もある。日本の枕絵はほとんどすべて性器の大きさを著しく誇張する。おそらくそれは「フェティシズム」の直接の反映であるのかもしれない。しかしそういうこととは別に、絵として優れたものも少なくない。たとえば鈴木春信や喜多川歌麿の枕絵は、彼らのその他の作品、たとえば美人画とくらべて、緊密な構図、優美な線、微妙な色彩の、どの点から見ても、少しも劣らず、むしろしばしば勝ることがある。







春信は、相合傘の少年少女を描いたように、若い男女の情交を、室内の、――窓外の風景をも含めて、――細かく描きこんだ背景のなかに置き、情緒的な画面を作った。その人物が画面全体のなかに占める割合も大きくない。われわれは、人物と同時に、彼ら自身が見ていないだろう環境を、見るのであり、そのことがわれわれと人物との距離を大きくする。しかもそれだけではない。春信は、しばしば、情交の当事者の他に、彼らを観察する第三者を、画中に配する。その第三者の視線に、当事者が気づかぬ場合、たとえば柱のかげからもう一人の女が室内の様子を窺っているような場合には、われわれはその第三者の視線を通して、いわば間接に、当事者の行為を見ることになる。そのことがわれわれと対象との距離をさらに大きくするだろうことは、いうまでもない。当事者が意識している第三者は、たとえば遊女の行為を見ている禿〔かぶら〕である。その場合には、絵を見るわれわれではなくて、画中の当事者が第三者の視線を通して自分自身を見るということになろう。われわれはそういう当事者を、すなわち自己を対象化する主体を、対象化する。二重の対象化もまた、人物とわれわれとの距離を強化するにちがいない。







歌麿の方法は、春信のそれの正反対であった。大首絵の接近画法を美人画に用いた彼は、もつれ合う男女をも近いところから見た。その姿態は、画面の全体に拡がって、背景を描く余地をほとんど残さない。しかしそれは細部を観察するためではなかった。歌麿は対象に近づけば近づくほど、抽象化し、様式化し、二次元的な色面を駆使し、透視法――それはもちろん幾何学的であるとはかぎらないーーから遠ざかる。なぜなら当事者には背景が見えず(あるいは断片的にしか見えず)、相手と自分自身の着物や身体の一部だけが大きく視野のなかに入って来て、そこではどういう種類の透視法も成立し難いはずだからである。目的はあきらかに対象(当事者)と画家(したがって絵を見るわれわれ)との距離を大きくすることではなく、小さくすることにあった。あるいはむしろ愛の行為の当事者が見る世界を、絵を見るわれわれが見ることにあった、というべきだろう。そのために歌麿が駆使したのは、彼が知っていたあらゆる手法であり、そうすることで彼は、ほとんど浮世絵の枠を破り、表現主義的抽象絵画の領域にさえ近づくところまで行ったのである。 





ーー加藤周一の文はそもそもこの歌麿の「後家」をめぐる。他はわたくしが恣意的につけ加えたもの。

作品がワイセツであるかどうか、そんなことは私にとって何ら興味もない。私に興味があるのは、それが絵としてどれほど完成し、どれほど独創的であったか、ということである。歌麿のすべての版画のなかでも、これほど完成し、これほど独創的なものは、おそらく少い。(加藤周一「対象との距離」『絵のなかの女たち』所収) 

《作品がワイセツであるかどうか、そんなことは私にとって何ら興味もない。》とは、加藤周一だから言えるのであって、わたくしのような凡人には、興味がないでもない……




…………


加藤周一は、《日本の枕絵はほとんどすべて性器の大きさを著しく誇張する。おそらくそれは「フェティシズム」の直接の反映であるのかもしれない》としている。古来の男根崇拝(物神=フェティシズム)の聯想からだろう。ラテン語のfascinumは勃起したペニスを意味した。つまり、魅惑するものfascinating。これは精神分析的に使われるフェティッシュとは意味合いがいささか異なる。










精神分析的には、《「フェティシズム」とは何かというと、本来性器に向かう欲望が、直接性器ではなく性器の代替物によって置き換わっている状態》(藤田博史「人形愛の精神分析」)とされ、たとえば、フロイトの『呪物崇拝(フェティシズム)』によれば、フェティッシュとは、換喩による代替である。


だが「ペニス羨望」までを「フェティシズム」の視野にいれるのなら、どうだろう。

“The phallus is the organ inasmuch as it is, i.e., it is a matter of being, inasmuch as it is feminine jouissance.”(Lacan)

ときに「器官」は、突然フェティッシュなものとなる。"The organ suddenly takes on the value of the fetish……And there is also a tendency to appropriate a symbolic and imaginary mixture of the organ as a fetish" (On Women and the Phallus Pierre-Gilles Guéguen


だがこれは、女性の「ペニス羨望」をフェティシュとする議論だ。

そもそも枕絵の「巨根」に羨望を覚えるのが、女性であるとは限らないだろう。むしろ標準的な男性の「羨望」を促すことのほうが多いだろう。

以下はいささか議論の水準が異なるが、ジジェクは『LESS THAN NOTHING』で、ファルスのシニフィアンのパラドックスを指摘するなかで次のように書いている。

This brings us to the paradox of how sexual difference relates to the phallic signifier: the moment we conceive the phallus as signifier and not only as an image (“symbol”) of potency, fertility, or whatever, we should conceive it primarily as something that, due to the very fact that a woman lacks a penis, belongs to her (or, more precisely, to the mother). It is thus not that, in a first moment, man “has it” and woman does not, and, in a second moment, woman fantasizes about “having it.” As Lacan puts it on the very last page of his Écrits: “the lack of penis in the mother is ‘where the nature of the phallus is revealed.' We must give all its importance to this indication, which distinguishes precisely the function of the phallus and its nature.” And it is here that we should rehabilitate Freud's deceptively “naïve” notion of the fetish as the last thing the subject sees before it sees the lack of a penis in a woman: what a fetish covers up is not simply the absence of a penis in a woman (in contrast to its presence in a man), but the fact that this very structure of presence/absence is differential in the strict “structuralist” sense.

そしてこの文に注が附される。

Against the standard feminist critiques of Freud's “phallocentrism,” Boothby makes clear Lacan's radical reinterpretation of the notorious notion of “penis envy”: “Lacan enables us finally to understand that penis envy is most profoundly felt precisely by those who have a penis” (Richard Boothby, Freud as Philosopher, London: Routledge 2001, p. 292). 

もっともこの男性のペニス羨望をめぐっても、一筋縄ではいかない議論であり、象徴的ファルス、あるいは去勢とはなにかにかかわり、ジジェクは次のようにも書いている。

the phallus is an “organ without a body” which I put on, which gets attached to my body, without ever becoming its “organic part,” forever sticking out as an incoherent, excessive supplement. (……)

the phallus is the organ which men effectively possess (as a penis), but they do not feel it as such, always experiencing it as missing, cut off, separated.


《徳川時代の後半、殊に一八世紀後半から一九世紀初めにかけての町人社会は、物質的に繁栄していたと同時に、近い将来に体制の変革を期待していなかった》のであれば、彼らは「去勢」されていたとも言えるだろう。だが、そのとき「巨根」描写の春画の氾濫はなにを意味するのか、ーーなどと捏造された問いを発するつもりはない。






2013年5月31日金曜日

春信の女と歌麿の女の胸(加藤周一)



以下、加藤周一の『絵のなかの女たち』よりだが、図像は、春信の「雪中相合傘」と歌麿の「山姥と金太郎」以外は、引用者がつけ加えた。


日本の若い恋人たちを考えるとき、私はいつも鈴木春信の「雪中相合傘」を想いうかべる。二人は寄り添うが、抱き合うのではない。傘をもつ手がわずかに触れるばかり。一種の抑制、はにかみとでもいうべきものが、そこにはある。しかし雪の日の人通りは少く、二人の私語を聞く者はない。やっと二人きりになったというよろこび、あるいはむしろ「生きることのよろこび」と称すべきものも、また、おのずから姿態にあらわれている。







色彩は素晴しい。殊に男の着物の黒い色面は、裏地の赤の抑えた色調、女の着物と雪の白との対比において、際立っている。春信(1725-70)は、一七六五年頃、木版画の多色刷、いわゆる「錦絵」を創始したといわれている(彼の錦絵の彫工としては遠藤五緑、摺工としては湯本幸枝の名が知られる)。それから一七七〇年の死まで、およそ五年間に、多数の(現存するもの八〇〇点余り)錦絵を作った彼は、色彩家として群を抜いていた。その春信の色のなかでも、均質な黒の平面の用法は、大胆で、しかも繊細を極める。しかし錦絵に黒を活用したのは、春信だけではなかった。役者絵の勝川春章は、美人画の春信に匹敵する。いずれにしても、一八世紀のヨーロッパは、まだかくも品位高く、かくも輝かしい黒という色を知らなかった。





春信の錦絵の画題は、人物である。女一人、または女二人、女の群像は少くて、男女一対の図柄は多い。その多くが人物を場景のなかに置く。屋外の風景もあり、室内もあるが、また殊に縁先のように半ば室内で、背景に屋外の風景をあしらうものもある。いずれも劇的でなく、日常的で、おだやかな場面である。同じことは、徳川時代の多くの画工のように春信が描いた「春画」についてもいえるだろう。一組の男女は、むしろ小さく、屋外の風景(水辺、舟中、山中など)や、室内の窓際(障子が開かれていて、外が見える)など、何らかの場景のなかに、描きこまれている。また春信の「春画」では、当事者のほかに第三者――しばしば子供――が描かれていて、二人の行為を見まもっている。すなわち当事者とその局部は、物理的および社会的環境のなかで、対象化され、客観化され、相対化されるのである。当事者の主観からこれほど遠い「春画」はほかに少いだろうし、その意味でこれほど上品な「春画」も少いだろう(歌麿のそれとの対照)。













春信の女主人公は、ほとんど常に、若くて、痩せている。小さな手、細い脚、腰の膨みはほとんどなく、少女の顔をしていて、その細身を優雅にくねらせている。吉原の女も、町屋の娘も、その意味では同じ。浮世絵の美人の類型の一つを、この画家は高度の「デフォルマション」と強い様式化を通して作りだした。純粋に鑑賞用の、絵のなかにしかいない少女たちーー彼らは愛されるために、また愛されるためにのみ、存在していた。

しかし錦絵が描きだした理想の美人は、もとより少女だけではない。春信の後、清長は、成熟した女の長身と、その着物の流れるような線を、大川端の涼み台に配した。また殊に歌麿は、「大首絵」の技法と同時に、年増女の豊かな胸と複雑な表情を発見した。一八世紀後半から一九世紀前半へかけて、江戸文化が、女の姿態のこれほど多様な理想像を生みだしたのは、なぜだろうか。おそらく単に人さまざまということではあるまい。もし価値の多様性によって一文化の成熟の度合が測られるとすれば、世俗的江戸文化の感覚的な享楽主義が、そのとき頂点に達し、日常生活の狭い枠組のなかで、あらゆる対象に微妙なよろこびを見出すに至っていたのだろう。少女にも、年増にも、小さな手にも、豊かな胸にも、また閉じた眼にも、薄くひらいた口にも、常に美を発見することができるのは、高度の文化である。(加藤周一「春信の女」『絵のなかの女たち』所収)







…………


喜多川歌麿(1753-1806)には、「山姥と金太郎」の図がいくつかあって、そのなかの一枚、金太郎が山姥の露わな胸の乳を吸い、左の乳首を指でまさぐりながら、横眼に画面左方のどこかを見ている「大錦」は、この浮世絵師の特徴を要約している。「大錦」とは、大判にして錦絵である。大首絵は、人物に接近して、その頭部または胸像を画面一ぱいに写す。歌麿が美人画に用いて大いに成功した構図で、少し後れて写楽が役者絵に活用したものである。色摺りを重ねた錦絵は、歌麿の発明ではなく、一八世紀中葉から行われて、春信や清長がすでに名手であった。








ここでの構図は、髪ふり乱した女の顔を画面の上半部に、その顔と同じ位の大きさの豊かな乳房と、その胸にとりつく子供の顔とをならべて、画面の下半分に配する。衣裳は、わずかな部分が、右下の隅(女の着物の紫)と左下の隅(子供の着物の緑)に見えるにすぎない。浮世絵は原則として衣裳の線や色彩を強調するから、この構図は大胆で独創的である。色彩の面からいえば、女の肌の白さを際立たせるのに、乱れてふりかかる黒髪を一条ずつほとんど細密画の手法で描き分け(デューラーを思わせる)、子供の顔と指(その他の部分は見えない)を赤みがかった褐色で濃く塗りつぶす。女と子供の肌の色の対照という趣向もまた独創的で、ほとんどマネーの「オリュムピア」での、横たわる女の裸体と黒人の召使いの対照とを、想い出させる。


歌麿は女の表情の細かい変化を、極度の省筆と浮世絵の様式を通して、表現することに独得の工夫をこらしていた。一方の乳首に口を含ませ、他方の乳首を指にまさぐらせる女の顔には、ほとんど恍惚の表情があり、その表情は女の髪の乱れによっても強められている。髪を整えるのは、今も昔も、社会的約束の体系へ自己を組みこむことであろう。それに対して、乱髪は、非社会的私的空間(たとえば寝起き)、周辺的存在(山姥は「良家の子女」ではない)、非日常性(たとえば戦乱)、合理的自己統御からの逸脱(宗教的または性的恍惚)などを、示唆する。


乳を吸う子供はなぜ母親の方を見ないで、何処か遠くを見ているのだろうか。それはこの子供が金太郎だからにちがいない。金太郎は、子供ながら怪力を備える。その怪力は、母子関係の展開する私的空間を越えて、歴史的社会的空間のなかで発揮されなければならない。彼は、子供であり、同時に子供ではない。口に含む乳首の感覚には、彼の現在があり、横眼に眺める世界には、彼の未来がある。別の言葉でいえば、金太郎は、ここで、その存在(感覚的な現実)と可能性(後の金時)を同時に生きている。しかるに山姥は、彼女の現在に、その感覚に、あるいは子供の子供としての面への愛着のみに生きている。金太郎は、彼女自身とは根本的にちがう存在、もう一人の別の人間、ほとんど一人の男である。歌麿は、女の乳房を愛撫する男の代わりに、金太郎を描いたのである。




そもそも浮世絵木版画の女は、原則として衣裳をまとっているから、例外はあるけれども(たとえば湯呑みの図)、乳房を示すことは少ない。秘戯図においてさえも、その多くは裸体でなく、上半身を着物につつんで、下半身を露わにするだけである。乳房の魅力を強調するのは、歌麿の作画の特徴の一つだといってよい。そのなかでも、代表的なのが、この「山姥と金太郎」であって、乳房の象徴の両義性は、よくここに描きだされている。すなわち母性の象徴であり、同時に、性的魅力の象徴である。……(加藤周一「歌麿の女の胸」『絵のなかの女たち』所収)