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2014年3月12日水曜日

ちょっとゾッとしますね

注目された<わたし>が落ちていく姿、それを誰もが見たいんだから……。自分は事故のとき痛切に感じたですね……。マスコミから一般の人たちの憶測に秘められた嬉しさ……、ちょっとゾッとしますね……北野武のバイク事故後の発話より

わたくしは日本の生の情報はツイッターという場でしか出逢わないのだが
《注目された人物が落ちていく姿、それを誰もが見たい》のだよな 

《憶測に秘められた嬉しさ》だって?

もちろんこのわたくしにもあるなあ


で、理研がらみでなんかもめてるねえ

一度目の結婚披露宴の主賓って

理研のエライさんだったんだよ

所長じゃなかったか あの人

ちょっと覚えがないけれど、副所長だったかも
ナツカシイねえ

ツイッターってのは集団化するのだよな

集団の道義を正しく判断するためには、集団の中に個人が寄りあつまると、個人的な抑制がすべて脱落して、太古の遺産として個人の中にまどろんでいたあらゆる残酷で血なまぐさい破壊的な本能が目ざめされて、自由な衝動の満足に駆りたてる、ということを念頭におく必要がある。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむるということである。彼の情緒は異常にたかまり、彼の知的活動はいちじるしく制限される。そして情緒と知的活動と二つながら、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な衝動の抑制が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。(同上)

やっぱり注目された人にたいしては
なんらかの嫉妬や羨望の感情を多くのひとはもっているので
ひとびとは彼らの落度を虎視眈々と窺っており
それがあれば嬉しくなって
さらに集団内部の同一化によって
つまり《他人にたいする感情結合》によっていっそう渦をまくんだろうな

次の文の「憎んでいる」に、「羨望している」を代入して読んでみよう

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手の気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。……(フロイト『夢判断』下 新潮文庫P219-221――「無邪気に偽装された侮蔑」より)

――でどうしたらいいかって?
まあ盗用は咎められるべきには相違ないよ
でもツイッターの集団化システムって
なんとかならないかな
まずはあのリツイートってやつさ
《情動を湧起せしめうるきっかけが質的には正常だが
量的には異常な結果を生む》のだよな

もっとも事故情報などにはすこぶる役に立っているわけだから
文句をいったらマズイんだろうな


《だれも、ひとりひとりみると/かなり賢く、ものわかりがよい/だが、一緒になると/すぐ、馬鹿になってしまう》(シラー 「優しい人たちによる魔女狩り」)









2013年8月30日金曜日

無邪気に偽装された侮蔑

《注目されたわたしが落ちていく姿、それを誰もが見たいんだから……。自分は事故のとき痛切に感じたですね……。マスコミから一般の人たちの憶測に秘められた嬉しさ……、ちょっとゾッとしますね……》、《もしかしたら自分は自殺を図ったのかなあという感じはありますね》






《 いや、お弟子さんというか、元々要素はお持ちですから、私に代わってオウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃないでしょうかね》(麻原彰晃氏――ビートたけし氏との対談1991)

このとき冗談めかして、《いや、俺はね、5年後は、自殺するか、やめちゃうか、どっちかだと思っているんですよ》としている。

吾良の死以後の短い間に古義人がテレヴィ局や新聞社、また週刊誌の人間から受けとった印象は特殊なものだった。それは、かれらに自殺者への侮蔑の感情が共有されている、ということだ。

侮蔑の感情は、マスコミの世界で王のひとりに祭り上げられていた吾良が引っくり返り、もう金輪際、王に戻って反撃することはないという、かれらの確信から来ていた。

吾良の死体に向けて集中した侮蔑はあまりに大量だったので、ついにはみ出すようにして、マスコミのいう吾良の関係者にも及んだ。書評委員会の集まりなどでは親身にあつかってくれた女性記者から、取材申し込みが留守番電話に入っていたが、そこに浮びあがるのは、やはり権威が揺らいだにせの王への、無邪気に偽装された侮蔑だった。

(……)

……古義人は、吾良の死を映画の仕事の行き詰まりに帰している記事に納得しなかった。イタリアの映画祭で賞を得たコメディアン出身の監督が、受賞映画のプロモーションにアメリカへ出かけて、おおいに受けたという、
――吾良さんが屋上から下を見おろした時、私の受賞が背中をチョイと押したかも知れない、というコメントを読んだ時も、こういう品性の同業者かと思っただけだ。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』)

※吾良は伊丹十三がモデル、「コメディアン出身の監督」とはもちろん北野武のこと。北野武の「自殺願望かもしれない」とされるバイク事故は1994年、伊丹十三の投身自殺は1997年のこと。

一時期、吾良がフロイドやラカンの専門家たちと知り合って、脇で見ていて不思議なほど素直に影響を受けたことがあったでしょう? その経過のなかで、吾良はやはり子供じみて聞えるほど素直に、いかに自分が母親から自由になったか、を書きました。けれども私は、こんなに容易にお母様から離れられるはずはない、と思っていた。私は無知な人間ですけど、そして幼稚な疑いだともわかっていますけど、心理学が大のオトナにそんなに有効でしょうか? 吾良だってすでに、海千山千のインテリだったじゃないですか?

私は吾良がいつかは心理学に逆襲される、と思っていました。あのような死に方をしたことの原因のすべてを、心理学の逆襲だというつもりはないんです。しかし、吾良の心理状態のヤヤコシイもつれについてだったら、幾分かでも、あの心理学者たちに責任をとってもらいたいと考えることがあるわ。(大江健三郎『取り替え子』(67~68頁)


ここには、それが彼の妻のモデルである千樫の発話であるとはいえ、心理学、あるいは精神分析に常に一定の距離を置く大江健三郎がいるといえる。そして一般の人が「精神分析」に拒絶反応を起こすときの代表的態度のひとつともいえる。

……はじめ古義人は吾良を、父親の特質を受け継いだ息子とみなしていた。しかしそのうち、吾良にはむしろ母親からつたわっているものが多いことに気付いた。吾良自身、それを克服するという動機づけで、心理学に深入りすることにもなったのだ。その時分、かれがフロイドやラカンの学者と対談した記録の、悪くいえば速成の著書を読んでみても、古義人には吾良がたてまつっている心理学者たちに納得できず、若い編集者から、あたなは、吾良さんの新しい友人に嫉妬しているのじゃありませんか、といわれたりした。(同 123頁)

…………


閑話休題。



あきらかなことだが、われわれを連れ去ろうとする人たちは、はなばなしくもそうぞうしい外観の花火により、賞賛により、侮辱により、皮肉により、恥辱により、威嚇によって、われわれの注意をおびえさせ、疲れさせ、がっかりさせることからまずはじめる。(アラン『プロポ』)

《ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがておとずれた名声は、彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名のまわりに集まるすべての誤解の総体にすぎないのだから。》(リルケ『ロダン』)

すぐれた人と呼ぱれる人は自分を欺いた人である。その人に驚くためにはその人を見なければならない――そして、見られるためには姿を現わさなけれぱならない。かくしてその人は自分の名前に対する愚かな偏執にとりつかれていることをわたしに示すのだ。そのように、偉人などといわれる人はすぺて一つの過誤に身を染めた人である。世にそのカが認められるような精神はすぺて己れを人に知らせるという誤ちから出発する。公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』)


《……公衆の面前で悪しざまに罵倒することができる数少ない公的存在として、世間が○○を選んでしまったのである。実際、不死の人という特権を身にまとって以後の彼は、ますます説話論的な犠牲者としての相貌を明らかなものにしてゆき、いまや、反動的な非国民として、全会一致の敵意を全身でうけとめざるをえなくなっている。》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P771)

私は高校二年の時、「隠れた人生が最高の人生である」というデカルトの言葉にたいへん共感した。私を共鳴させたものは何であったろうか。私は権力欲や支配欲を、自分の精神を危険に導く誘惑者だとみなしていた。ある時、友人が私を「無欲な人か途方もない大欲の人だ」と評したことが記憶に残っている。私はひっそりした片隅の生活を求めながら、私の知識欲がそれを破壊するだろうという予感を持っていた。その予感には不吉なものがあった。私は自分の頭が私をひきずる力を感じながら、それに抵抗した。それにはかねての私の自己嫌悪が役立った。(中井久夫「編集から始めた私」『時のしずく』所収 )





…………

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手の気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。……(フロイト『夢判断』下 新潮文庫P219-221)


《……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。》(フロイト「あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)」)







※附記

われわれの友人は、各自に多くの欠点をもっているから、そんな友人を愛しつづけるにはーーその才能、その善意、そのやさしい気立てを考えてーーその欠点をあきらめるようにするか、またはむしろ、積極的にわれわれの善意を出しきってその欠点をのんでしまうようにつとめなくてはならない。不幸にも、友人の欠点を見まいとするわれわれの親切な根気は、相手が盲目のために、それとも相手が他人を盲目だと思いこんでいるために、あくまでその欠点をすてないので、その頑固さにうちまかされてしまう。相手は、なかなか自分の欠点に気がつかず、また自分では他人に欠点を気づかれないと思いこんでいるのだ。他人のきげんをそこなう危険は、何よりも物事がそのまま通ったか気づかれなかったかを見わけることの困難から生じるのだから、われわれは用心して、すくなくとも自己のことはけっして語らないがいいだろう、なぜなら、自己の問題では、他人の見解とわれわれ自身のそれとがけっして一致しないことは確実だといえるからだ。他人の生活の真相、つまり見かけの世界のうらにある真の実在の世界を発見するときのおどろきは、見かけはなんの変哲もない家を、その内部にはいってしらべてみると、財宝や、盗賊の使う鉄梃〔かなてこ〕や、屍体に満ちている、といったときのおどろきに劣らないとすれば、われわれが他人のさまざまにいった言葉からつくりあげたわれわれ自身の像にくらべて、他人がわれわれのいないところでわれわれについてしゃべっている言葉から、他人がわれわれについて、またわれわれの生活について、どんなにちがった像を心に抱いているかを知るときも、またわれわれのおどろきは大きい。そんなわけで、われわれが自分のことについて語るたびに、こちらは、あたりさわりのない控目な言葉をつかい、相手は表面はうやうやしく、いかにもごもっともという顔をしてきいてかえるのだが、やがてその控目な言葉が、ひどく腹立たしげな、またはひどく上調子な、いずれにしてもはなはだこちらには不都合な解釈を生んだということは、われわれの経験からでも確実だといってよい。一番危険率がすくない場合でも、自己についてわれわれがもっている観念とわれわれが口にする言葉とのあいだにあるもどかしい食違によって、相手をいらいらさせるのであって、そうした食違は、人が自分について語るその話を概してこっけいに感じさせるもので、音楽の愛好家を装う男が、自分の好きなアリアをうたおうとして、その節まわしのあやしさを、さかんな身ぶりと、一方的な感嘆のようすとで補いながら、しきりに試みるあのおぼつかないうたいぶりに似ているだろう。なお自己と自己の欠点とを語ろうとするわるい習慣に、それと一体をなすものとして、自分がもっているものとまったくよく似た欠点が他人にあるのを指摘するあのもう一つのわるい習慣をつけくわえなくてはならない。
ところで、自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人の中に向けるように思われる。近視の男は他人の近視のことをこういう、「だってあれはほとんど目があけられないくらいですよ。」胸部疾患の人間は、この上もなく頑丈な人間の健康な肺臓にも種々の疑念をもつし、不潔な男は、他人がお湯や水を浴びないことばかりを口にするし、悪臭を放つ人間は、誰でもいやな匂がすると言いはる、だまされた亭主は、いたるところにだまされた亭主たちを、浮気な女房はいたるところに浮気な女房たちを、スノッブはいたるところにスノッブたちを見出す。それからまた、各自の悪徳は、それぞれの職業とおなじように、専門の知識を要求し、それをひろくきわめさせる、各自はそんな知識を得々と人まえで弁じたてずにはいられない。倒錯者は倒錯者たちを嗅ぎだし、社交界に招かれたデザイナーは、まだこちらと話をまじえないのに、もうこちらの服地に目をつけ、その指は生地のよしあしをさわってみたくていらいらしているし、歯科医を訪ねて、しばらく話をまじえたのちに、こちらについて忌憚のない意見をきいてみると、彼はこちらの虫歯の数をいうだろう。彼にはこれよりも重大に見えることはないのだが、そういう彼自身の虫歯に気がついたこちらにとっては、これほどこっけいなことはない。そして、われわれが他人を盲目だと思うのは、われわれが自分のことを話しているときばかりではない。われわれはいつも他人が盲目であるかのようにふるまっている。われわれには、一人一人に、特別の神がついていて、その神が、われわれの欠点にかくれ蓑をかけてわれわれからかくし、他人には見えないという保証をしてくれているのであって、同様に、その神は、からだを洗わない人々にたいして、耳にためた垢の筋や、腋の下から発する汗の匂に、目をとじ鼻腔をふさがせ、誰もそれと気づかないであろう社交界へ、それぞれその垢の筋や汗の匂をもちこんでも平気だという確信をあたえるのだ。そしてイミテーションの真珠を身につけたり、贈物にしたりする人は、それがほんものに見られるだろうと想像するのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに 第二部』井上究一郎訳)

《性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。》(プルースト『見出された時』 井上訳)



…………

最後のバルバラの伴奏はミシェル・ベロフ。わたくしはドビュッシーのプレリュードを最初に若きベロフの録音で聴いた(当時は全集版はそれしか手に入らなかったのかもしれない)。

ベロフはアルヘリッチとの恋愛、才能への嫉妬などがあったらしい。






1983年 10歳年下のミシェル・ベロフと交際開始
1986年 ベロフと破局

ベロフが、華々しくデビューしたのはよいのですが、しばらくしてスランプに陥ったのかどうか、さっぱり名前を聞かなくなったなあ という時期がありました。
この本によると、これは、アルゲリッチの放つオーラを浴びて、エネルギーをすっかり奪い取られ、自信喪失に陥った挙げ句の深刻なスランプだったということです。(ついには、右手が動かなくなってしまった。その後、ベロフは、アルゲリッチのもとを離れ、右手も回復、再び演奏活動を再開することが出来るようになった。)(マルタ・アルゲリッチ~子供と魔法 

次の演奏は蜜月時代のものなのだろう。なんというビロードの肌触り。

September, 1985.
Locarno, Switzerland. live






2013年7月9日火曜日

知的スノッブたち、あるいは音楽のユートピア (ロラン・バルト)

クラシック音楽の演奏会を聴きに行くひとたちのカテゴリーとして、

①専門家、あるいは専門家を夢見る人たち(教師、学習者、その家族、友人を含め)

②素朴な(古典的な)スノッブたち(ようするにクラシック音楽を好むのが良家の子女の嗜みだと思っているひとたち)

③知的スノッブたち

④非スノッブたち(ロラン・バルトのいう「アマチュア」、あるいは浅田彰のいう孤独な「蛮人」など)

このように今、思いついたが、ほかにもたくさんカテゴリー分けができるかもしれない。


③については、かつて吉本隆明が、浅田彰、柄谷行人や蓮實重彦に対して、他者や外部としての「大衆」をもたず、知の頂を登りっぱなしで降りてこられない(親鸞でいうところの「還相」の過程がない)「知の密教主義者」として、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」と評したことを思い出しておこう。

まあ彼ら三人が、三バカのスノッブかどうかは保留しても、彼らの言うところを批判なしに素直にきいてしまう、ーーすくなくともかつての、そして今でもあやしい<わたくし>のようなーー連中が、③のカテゴリーに属する。《田舎者のひとつの定義は『蓮實重彦に幻惑される人間』だ》(浅田彰)

というわけで、旧世代の知的スノッブを自認するわたくしは、柄谷行人の言葉を素直にきいておこう(いまは別の「知的スノッブの三バカ」がいるのかどうか、知るところではない)。
日本的スノビズムとは、歴史的理念も知的・道徳的な内容もなしに、空虚な形式的ゲームに命をかけるような生活様式を意味します。それは、伝統指向でも内部指向でもなく、他人指向の極端な形態なのです。そこには他者に承認されたいという欲望しかありません。たとえば、他人がどう思うかということしか考えていないにもかかわらず、他人のことをすこしも考えたことがない、強い自意識があるのに、まるで内面性がない、そういうタイプの人が多い。最近の若手批評家などは、そういう人ばかりです。(『近代文学の終り』柄谷行人)

④の非スノッブについては、バルトのアマチュアの定義を掲げよう(バルトを好むなど典型的な「知的スノッブ」であるだろう)。

「「好家アマチュア」(amateur)」(絵や音楽やスポーツや学問を嗜みながら、名人の域をねらうとか勝ち抜こうなどという魂胆はない人)。「愛好家」は、自分の享楽に連れ添って行く(「amator」とは、愛し、そして愛しつづける人、ということだ)。それは決して英雄(創作の、業績の、ヒーロー)ではない。彼は、記号表現の中に「優雅に」(無報酬で)腰を据えている。音楽や絵画の、そのまま決定的な材質の中に落ち着いている。彼の実践には、通常「ルバート」(属性のために物を搾取すること)は一切含まれない。彼は、反ブルジョワ芸術家である―たぶん、いずれそうなるはずである。(「ロラン・バルトと音楽のユートピア   安永 URL http://hdl.handle.net/10297/5471より)

浅田彰の<孤独な「蛮人」>については、以前にも引用したが、次の通り。

シネフィルに代表されるような限定された興味と趣味の共同体の内部で、最新流行の「センスのいい映画の見方」(蓮實重彦経由の古い映画の見方も含めて)を、あるいは「天皇の語り方」を追いかけていこうとするスノビスムが、作品に負のバイアスをかけているということ、むしろ、作家はそういうスノッブであることをやめ、孤独な「蛮人」になるべきだということである。金井美恵子がこう言った、浅田彰がそれにこう反応した、などという根も葉もない下らぬ噂話にうつつをぬかすのは、閉ざされたスノッブ村の「土人」でしかない。

この発言の変奏として、いくつかの文をここに付け加えよう。

・ギュスターブ(フローベール)のように書くことの無根拠と戯れる愚鈍さ。無知に徹することで物語を宙に迷わせること。この凡庸な時代に文学たりうる言葉は、何らかの意味でその種の愚鈍さを体現している。(蓮實重彦)

・フローベールは、カテゴリー的認識の崩壊を代償とすることで初めて得られるこうした無媒介的な官能の豊かさ(松浦寿輝)

・フローベールによると、小説家とはその作品の背後に身を隠したいと思っている者のことです。(クンデラ)

・私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態。(武満徹』)


グールドは同類とのコミュニケーションを拒否したが、 それはただコミュニケーションではないもの、「コミュニケーションの時代」 という名のもとに売られるあの空虚な文句に対する拒否反応だったのだ。 彼の孤独は、 個々の人間とその孤独において結合するための手段だった。 グールドがわれわれに示したのは、 彼を聴こうとするとき、 もはやそこに彼はいないという恥じらい、あるいは友愛だった。(シュネデール)

ーーもっとも、この類の「芸術家」の孤独の称揚については、そのまま信じ込むのではなく、ときには疑いをもったほうがいいだろう。


創作の全過程は精神分裂病(統合失調症)の発病過程にも、神秘家の完成過程にも、恋愛過程にも似ている。これらにおいても権力欲あるいはキリスト教に言う傲慢(ヒュプリス)は最大の陥穽である。逆に、ある種の無私な友情は保護的である。作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて)


ヴァレリーが次のように書いたのは、フィクションのなかの話である(もとより示唆は多いが)。



すぐれた人と呼ぱれる人は自分を欺いた人である。その人に驚くためにはその人を見なければならない――そして、見られるためには姿を現わさなけれぱならない。かくしてその人は自分の名前に対する愚かな偏執にとりつかれていることをわたしに示すのだ。そのように、偉人などといわれる人はすぺて一つの過誤に身を染めた人である。世にそのカが認められるような精神はすぺて己れを人に知らせるという誤ちから出発する。公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。

そこでわたしは夢想した。もっとも強靱な頭脳、もっとも明敏な発明家、思考のなんたるかをもっとも正確に認識している人々はすべからく無名の人であり、己れを惜しみ、己れを語ることなく死んでゆく人でなくてはならい、と。そうした人々の存在にわたしの目が啓かれたのは、ほかならぬ、やや志操の堅固さに欠けるがゆえに、名声が赫々として世に現われた人々の存在そのものによってである。(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』




「知的スノッブ」については、プルーストの「ソドムとゴモラ」の巻に、カンブルメール夫人をめぐってのすばらしい素描がある。

カンブルメール=ルグランダン夫人は海をながめて会話にそっぽを向いた。彼女は姑が愛しているような音楽は音楽ではないと考え、姑の才能を、実際には世間が認めているもっとも顕著なものであったのに、自己流のものであると解し、興味のない妙技にすぎないと考えていた。現存するただひとりのショパンの弟子である老婦人が、師の演奏法、師の「感情」は、自分を通して、嫁のカンブルメール夫人にしかつたえられなかった、と公言していたのはもっともであったが、ショパンの通りに演奏するということは、このポーランドの作曲家を誰よりも軽蔑しているルグランダンの妹には、参考とすべきことからは遠かった。(プルースト「ソドムとゴモラ Ⅰ」井上究一郎訳 p365-366)
そのドビュッシーは、彼女自身が数年経ってからもそう考えていたほどそんなにワグナーからとびはなれていたわけではなかった、それというのも、われわれが一時的に征服されていた相手から自由になって、これを完全に凌駕するには、やはり相手が征服に使った武器をふたたびとってやるよりほかないからなのである、しかしそれにしてもドビュッシーは、表現の十全な、あまりにも完成された作品にたいして、人々が飽きはじめていた時期のあとで、それまでとは反対のある欲求を満足させようとつとめていたのであったが、カンブルメール若夫人はそういう事情を認識していなかったのだ。p367
私はわざわざ彼女の姑に話しかけながら、ショパンは流行おくれになっているどころか、ドビュッシーがとくに好んでいる作曲家であると告げた。「おや、それはおもしろいじゃありませんか」と嫁は微妙な笑顔で私にいった、そんなことは、『ペレアス』の作者が投げつけた逆説でしかない、とでもいうように。それでも、もういまからは、彼女は尊敬のみか快楽をさえ抱いてショパンをきくであろうことはたしかだった。だから、私の言葉は、未亡人にとっては解放の鐘を鳴らしたことになり、彼女の顔に、私への感謝と、とりわけ歓喜とのまじった、一種の表情を浮かべさせた。p368
……『ペレアス』がひきおこした賞賛によって恩恵を受けながら、ショパンの作品は、ふたたび新しいかがやきを見出したのであった、そして、それをききなおさないでいた人たちまでが、どうしてもそれを好きになりたくなり、自分の自由意志からではなかったのに、そうであったような幻想にとらえられて、それを好きになるのであった。(プルースト「ソドムとゴモラ Ⅰ」 p368-369)

――最後の文については、これだけ抜き出しただけではすこし分りにくいので末尾にもう少し長く引用する。

あるいは「見出された時」には、こうある。

……カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女ははげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳 文庫 P532

クラシックの演奏家が戦略的に振舞うのなら(売れることを目指すなら)、こういった「知的スノッブ」を相手にするかどうかで、その「レパートリー」や「スタイル」が変ってくるだろう。声の大きいのは彼らであるには相違ない。ということは戦略的に振舞うのであれば、彼らが一番重要だ。

たとえば④の「アマチュア」を顕揚するバルトは、「不思議なことに、演奏会の経験を語らない。彼が語るのは、自らピアノの鍵盤に触れた経験か、音盤に耳傾けた経験か、あるいは声楽の師パンゼラのことである。」(安永愛)

①②のカテゴリーのひとの発話は、仲間内へ向けてなされることが多く、影響力がすくない。


…………

さて、さきほどバルトの「アマチュア」の定義を安永愛「ロラン・バルトと音楽のユートピア  」から引用したが、安永愛さんは、地道なヴァレリーの研究者でありつつ、裏社会の日本史 フィリップ ポンス、Philippe Ponsなどの地味な翻訳もあり、あるいはロラン・バルト、クンデラをめぐる小論、あるいはヴァレリーに絡んで中井久夫の著作にも言及がある。つまり、わたくしのスノビッシュな感性を刺激する女性であり、結婚前の黒田愛名の論文からひそかに読んでいるのだが、ここでその彼女の言葉に耳を傾けてみよう。

バルトは1954年に発表された『神話作用』の中で、フランスを代表するバリトン歌手であるジェラール・スゼーの歌唱について「ブルジョワ的声楽の芸術」の称号を奉ったことがある。バルトは、スゼーの歌唱について、「感情ではなく、感情のしるしをたえず押しつける」という言葉使いで断じている。バルトによれば「ブルジョワ芸術」の特徴とは、聴衆を洗練されない馬鹿正直者としてとらえ、理解されないことを恐れ、表現を噛み砕き意図を過剰なまでに指し示す、というところにあり、スゼーの歌唱は、まさしく「ブルジョワ芸術」の典型である。

ここにある「感情ではなく、感情のしるしをたえず押しつける」は、クンデラの「ホモ・センチメンタリス」の定義を想起させる。

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。(『不滅』――ホモ・ヒステリクス(クンデラ、ロラン・バルト)

あるいは、「聴衆を洗練されない馬鹿正直者としてとらえ、理解されないことを恐れ、表現を噛み砕き意図を過剰なまでに指し示す」などすれば、すぐさまカンブルメール夫人の苦りきった嘲笑の顔が浮んでくる。つまり「知的スノッブ」たちの格好の餌食となってしまう。

ここでロングショットの作家として知られるアンゲプロスが「モンタージュ」について語る部分を挿入しよう。《観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめす》と語る彼の言葉を。



モンタージュによる映画を見ていて私が苛立つのは、それは二つの画面の相互介入といった衝撃の上に成立しているのですが、そのとき、その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。ワンシーン・ワンショットの映画では、見る人間の知性と感性とにより多くの自由を残そうとしています、ひとつの画面にあって、観客は、そのしかるべき要素を自分で発見し、自分でそれを組織だててゆく。その時間的推移は、モンタージュにおけるよりはるかに現実の時間に近い。そうすることで、死んだ時間、停滞する時間に対する観客の感性を豊かなものにすることも可能になります。
……
───そのことはとてもよくわかり、まさにそうした点においてあなたの映画に興奮するわけですが、そうした場合、あなたは、観客を全面的に信頼しておられるのですか。

観客にはいろいろ種類があります。アンドレ・マルローが「映画の心理学」でいっているように、映画にとっての障壁が産業であるなら、それによってわれわれは条件づけられてしまう。それはよかろう。だとするなら、選択しなければならない。その一つは、映画を撮りはするが、いつか沈黙におしやられはしないかという危険をいつでも身に感じながら撮り続けるという姿勢をとるか、それとも、いま一つの姿勢として、他の誰もが撮るようなやり方で、つまりモンタージュの映画か、説話論的有効性の映画、等々もつくってゆくことにするか、その二つに一つしかない。つまり、沈黙に向かうか、金銭に向かうか、その選択ということ以外にありえないわけですが、どうでしょうか、ある作家たちは、こうした二つの方向を厳密に選択することなく、複雑な経路をへながらも、みごとな作品を撮り続けることができる。おそらく、私には、そうしたことはできないと思う。しかし、私はそれで他人を批判しようとは思いません。あらゆる批判は自分自身にむけられます。(蓮實重彦『光をめぐって』の「二十世紀の夢を批判的に考察したかった」より)

ーー引用者注:ここでの「ある作家たち」のなかのひとりに、ゴダールが念頭におかれているのは間違いないだろう。日本でいえば、この「ある作家」のカテゴリーに、詩人の谷川俊太郎が間違いなく入る。


もっとも、現在、アンゲプロスの態度は通用しない時代なのかもしれない。

北野:うん。結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

―なるほど。

北野:登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。特に『アウトレイジ ビヨンド』では登場人物も多いし、ストーリーも入れ込んでるから、喋らせないと映画が長くなって収まり切らないし。これまでのような間を作ってると、前編・後編にしないとちょっと収まらないかなっていう。(北野武が語る「暴力の時代」


さて、安永愛論文の引用に戻る。

 

 
バルトにとって、音楽のアマチュアであるということは、プロフェッショナルか、アマチュアかという二項対立の社会的・職業的カテゴリーと必ずしも一致するものではない。事実バルトは、歴とした職業的ピアニストの演奏に「アマチュア」芸術を見出している。「アマチュア」芸術とは、バルトにとっては、究極といってよい賛辞なのであり、「アマチュア」芸術の名に値するのは、彼が師事した声楽家のシャルル・パンゼラや、若くして亡くなったルーマニアのピアニストのリパッティらに限られている。バルトによれば、表現の素材(音楽においては音)に沈潜し、その素材との戯れの只中から僥倖のように「表現」をもたらしてしまうといった演奏家のみが「アマチュア」芸術家の名を冠しうるのである。しかし、弾く者と聴く者とが分断され、「プロフェッショナル」が聴き手を圧倒することが当然とされてしまった現代においては、そうしたタイプの演奏家は非常に希少な存在になってくる。
バルトが「アマチュア」を「反ブルジョワ的芸術家」として捉えるのは、演奏と聴取の行為が分断され、音楽が受動的に消費されるものになってしまった現代社会において、演奏と聴取の両者に携わり、受動的消費に留まらない音楽との関係性を持ち続ける存在であると見たからであろう。現代フランスを代表する作曲家であるピエール・ブーレーズは、バルトのこの「アマチュア」に関する思考を、現代の音楽の置かれた状況を考えるにあたって見過ごせない視点であると見て、『クリティック』誌のバルト追悼特集に寄せ、「アマチュアの位置15」と題する短い論考を残している。
15)Pierre Boulez « Le statut de lʼamateur », Critique, août-septembre 423-424, Edition du Chêne, pp.662-665.
 バルトは、フランス文化省の肝入りで創設され、ピエール・ブーレーズを中心として組織された現代音楽センターであるIRCAMの活動に、ミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズと共に参与し、現代音楽を考えるにあたってのテーマのリストに「現代音楽における「アマチュア」の位置」の問題を取り上げるようにと提案していた。この視角は、ブーレーズにとって、全く虚をつかれるものであったという。ブーレーズは、現代音楽は高度な専門的・技術的達成を前提としているものであり、バルト的な「アマチュア」的な愉楽と容易に馴れ合えるものではないとの見解を持しているが、そうであるからこそ、バルトの指摘にインパクトを受けたのであろう。このブーレーズの小論は、バルトの見解を単に稚拙として嘲弄するものではなく、思いもかけない視角からの問題提起をしたバルトへの一種の畏敬の思いがにじみ出た追悼の一編となっている。

こうして安永愛は、ロラン・バルトの「音楽のユートピア」を次のようにまとめている。


① 勝ち抜こうとか、極めようとかいう魂胆とは無縁に、芸術の素材との接触の歓びのままに導かれるアマチュア性の重視。資本や名誉のゲームと無縁な営みへの共感。

② 孤独と内面性の重視。

③ 性役割や家族幻想からの解放への欲求。

④ コード化された社交空間の軽視。

⑤ 真率なる愛の空間への欲求。



いずれにせよ、《

昨今の西洋音楽のコンサート形式はもうすぐ終焉を遂げるだろうという、漠然とした予感を抱いている。名匠に憧れる素朴な愛好家たちも、もうすぐ消滅してしまうだろう》「音楽のアマチュア」四方田犬彦)とされるとき、ーーこの類の見解は、高橋悠治が三十年以上前から語っているのだが、--そのとき演奏家が戦略的に振舞うとはどういうことなのか(明日の飯のためではなく、十年後、二十年後に音楽のユートピアにすこしでも近づく戦略として)。やはり従来のコンサート形式とは異なった形式にまなざしを向けることが必要なのだろう。

音楽なんか聴かなくても生きていける。メッセージがあるとすれば、そういうことだ。クラッシク音楽が、聴き手にとってはとっくに死んだものであることに気づかずに、または気づかぬふりをして、まじめな音楽家たちは今日もしのぎをけずり、おたがいをけおとしあい、権力欲にうごかされて、はしりつづけている。音楽産業はどうしようもない不況で、大資本や国家が手をださなければなりたたないというのに、音楽市場はけっこう繁栄している。これほどのからさわぎも、そのななから、人びとにとって意味のあるあたらしい音楽文化をうみだすことに成功してはいない。(高橋悠治「讀賣新聞 1982年10月21日付け夕刊のグールド追悼記事」)

東京に暮していて 音楽を語ることはない
こんなにたくさんの音楽家がいて
音楽することに何の意味があるのか
だれも知らない
それとも言いたくないのか
若い音楽家たちとなら
いっしょに音楽することができると思ったのも
幻想に過ぎなかった
若いのは外見だけでほとんどは
いまなおヨーロッパの規範に追随して技術をみがき
洗練されたうつろな響を
特殊奏法やめずらしい音色や道化芝居でかざりたてて
利益と地位だけが目当てのものたちばかりだった
いまコンサート会場に音楽はない
きそいあう技術や書法や確信にみちた態度
持てるものがもっと持ちたいという欲望
そのための神経症的な努力  

ーー高橋悠治「音の静寂静寂の音(2000)」より



観客を最終的にヴィルトゥオーシテによって魅了するというコ ンサートやレコーディングによる一種の最終目的は、近代スポーツにあてはめればちょうど勝利という感覚によって対応するようなものになる。
たとえば「音楽家」という職業がどういうふうに 人々の間に生きてるかといえば、まさにいま悠治さんが言われたような、人々が親密に集まってくるような場にふと現われてひとしきり密度の濃い音楽をやるよ うな人のことですよね。
「音楽の時間」―高橋悠治・今福龍太 音楽を句読点とした対話―


もしかりにこれらの発言をする高橋悠治が、現在の「知的スノッブ」の信奉する対象だとすれば(いまではそういうことは少ないのであろうが)、従来型のコンサート形式に拘りつづけている演奏家や客は、カンブルメールの嘲笑の餌食であり、カマンベールのように臭う対象である。(まあ、そうはいっても高橋悠治は、最近でも従来型のコンサートで演奏することもあるのではなかったか?)





…………



最後に、上に一部を引用したプルーストを約束どおり、もうすこし長く引用する。

証券取引所で一部の値あがりの動きが起きると、その株をもっているグループの全体がそれによって利益を受けるように、これまで無視されていた何人かの作曲家たちが、この反動の恩恵を受けるのであった、それは彼らがそのような無視に値しなかったからでもあるし、また単にーーそんな彼らを激賞することが新しいといえるのであればーーただ彼らがそのような無視を受けたからでもあった。さらにまた人々は、孤立した過去のなかに、何人かの不羈独立の才能を求めにさえ行くのであった、現在の芸術運動がそれらの才能の声価に影響しているはずはないように思われたのに、新しい巨匠の一人が熱心に過去のその才能ある人の名を挙げるといわれていたからであった。それはつまり、一般に、誰でもいい、どんな排他的な流派であってもいい、ある巨匠が、彼独自の感情から判断し、自分の現在の立場を問わずにどこにでも才能を認めるということ、また才能とまでは行かなくても、彼の青春の最愛のひとときにむすびつくような、彼がかつてたのしんだ、ある快い霊感といったものを認めるということ、しばしばそういうことによるのであった。またあるときは、自分でやりたかったと思ったことにあとでその巨匠が次第に気づくようになった、そんな仕事に似た何かを、べつの時代のある芸術家たちが、何気ない小品のなかですでに実現していた、ということにもよるのである。そんなとき、その巨匠は、古い人のなかに先覚者を見るのであって、巨匠は、べつの形による一つの努力、一時的、部分的に自分と一心同体の関係にある努力を、古い人のなかで愛するのである。プッサンの作品のなかにはターナーのいくつかの部分があるし、モンテスキューのなかにはフローベールの一句がある。そしてときにはまた、その巨匠の好みが誰それであるといううわさは、どこから出たとも知れずその流派のなかにつたえられた一つのまちがいから生まれたのだ。しかし、挙げられた名がたまたまその流派の商号とちょうどうまくだきあわされてその恩恵を受けることができたのは、巨匠の選択には、まだいくらかの自由意志があり、もっともらしい趣味もあったのに、流派となると、そのほうはもう理論一辺倒に走るからなのである。そのようにして、あるときはある方向に、つぎには反対の方向に傾きながら。脱線しそうになって進むというそんな通例のコースをたどることによって、時代の精神は、いくつかの作品の上に天来の光を回復させたのであって、そうした諸作品にショパンの作品が加えられたのも、正当な認識への欲求、または復活への欲求、またはドビュッシーの好み、または彼の気まぐれ、またはおそらく彼が語ったのではなかった話によるのである。人々が全面的に信頼感を抱いていた正しい審判者たちによって激賞され、『ペレアス』がひきおこした賞賛によって恩恵を受けながら、ショパンの作品は、ふたたび新しいかがやきを見出したのであった、そして、それをききなおさないでいた人たちまでが、どうしてもそれを好きになりたくなり、自分の自由意志かれではなかったのに、そうであったような幻想にとらえられて、それを好きになるのであった。(プルースト「ソドムとゴモラ Ⅰ」 p368-369


 ーーすこしこの「スノッブ」にかかわる投稿を断続的に重ねたが、とうめん、これで打ち切りにするつもり。



追記:カンブルメール=ルグランダン夫人の叔父であるスノッブの鑑のようなルグランダンの描写もつけ加えておこう。
「もう何度も奥方さまを訪ねてお見えになった例のかたでございます。」(……)うるさがられている先刻の訪問客がはいってきて、無邪気さと熱意のこもったようすでヴィルパリジ夫人のほうにまっすぐあゆみよった、それはルグランダンであった。p202
私はすぐにルグランダンに挨拶の言葉をかけに行きたかった、しかし彼は私からできるだけ離れた位置をずっとまもりつづけているのであった、察するところ、大いに凝った表現でヴィルパリジ夫人にやたらにふりまいているお追従を私にきかれたくなかったのであろう。(……)

……私はルグランダンのほうにあゆみよった、そして彼がヴィルパリジ夫人のところに顔を出しているのをすこしも罪悪と思わなかった私は、自分がどんなに彼を傷つけようとしているかを知らず、またどんなに傷つける意図があるように彼を思いこませるおそれがあるかをも知らずに、こういった、「これはこれは、あなたをサロンでお見かけするからには、ぼくがサロンに顔を出すのはゆるされていいというのも同然ですね。」ルグランダン氏は私のこの文句から結論したのだった(すくなくとも数日後に私の上にくだした彼の判断はそうだった)、私が悪にたいしてしかよろこびを感じない心底からいじわるのちんぴらであると。

「こんにちはの挨拶からはじめる礼儀ぐらいは心得ていてもらいたいものですね」と彼は手もさしのべず、腹立たしげな下品な声で私に答えた、その声はいままでの彼からは想像もつかない声であり、ふだんの彼の口調との合理的関係は何もなく、彼がいま身に感じている何物かとの、いっそう直接的な、いっそう切実なべつの関係につながっていたのだ。それというのも、われわれが身に感じている事柄をあくまで人にかくそうときめるとき、われわれはまずそれをどんな方法で人に言いあらわそうか、などと考えることはなかったからだ。だから、突如として、われわれの内部に、醜悪な見知らぬ獣が声をあげ、その語調が、無意識に出てくる告白を受けとる相手に、恐怖をあたえることにもなりかねないのであった、そのような告白は、多くは自分の欠点や悪徳の、省略化された、ほとんど抗しがたい、無意識のあらわれで、あたかも殺人犯が、犯行を知らない人に、罪を告白せずにはいられなくなり、急に間接的な奇妙なやりかたでしゃべりだす、そんな自白とおなじような恐怖を、きく人にあたえるのだ。むろん私は、観念論、いかに主観的な観念論も、大哲学者に、美食家で通すさまたげをしないし、執拗にアカデミーに立候補するさまたげをしないことをよく知っていた。それにしてもルグランダンは、憤りやお愛想にひきつれる彼の運動神経のすべてが、この地上でよい地位を占めたいという欲望にあやつられていたのであってみれば、自分はべつの遊星に属する人間だなどとあんなにしばしば人のまえで念をおす必要はまったくなかったのである。

「そりゃね、私のように、どこそこにこいとつづけざまに二十度もうるさくせめたてられたら」と彼は低い声でつづけた、「たとえ自分の自由をまもる権利はあっても、やっぱり無作法な田舎者のようなふるまいはできませんからね。」(プルースト「ゲルマントのほう Ⅰ」p264~)



2013年4月6日土曜日

国債大暴落と円安雪崩?


国債大暴落と円安雪崩かもだってよ
まあオレには関係ないけど
週明けが楽しみだね
船橋洋一の最悪のシナリオが実現するのかね
リフレ派の経済学者がこのところ大人しいんだよな
どういうわけかね


彼は2010年に朝日新聞(主筆)やめてんだよな
原発報道もう少しまともだっただろうな
彼がいたら




──本の冒頭第1章では、原子力保安院の保安検査官4人が事故直後に福島第一の現場から敵前逃亡したことに触れています。こんなことが許されていたのですね。


政府事故調も報告書でやや批判的に書いたけれども、これに焦点を当てたものは一個もないのです。私はそれに非常に不満がありました。政府批判のなかで一番、批判されなくてはいけないのはここでないか、と。やはりそういう発想にならないのは、戦後の日本で、国をいったい誰が守るのか、というぎりぎりの部分、安全保障国家としての国家像が欠けているのではないか、と思いました。僕は右翼でも保守派でも何でもないけれども、率直そう思いました。


調べてみると、臨界が起きるのではないかとか、ありとあらゆる口実を言って、逃げちゃっている訳ですよ。彼らだけでなく、黙認した保安院にも責任があるし、それをまた黙認した当時の海江田(万里)経産相にも責任があるのではないか、と思います。


私が調べてみて、へぇっー、そういうことだったのかと思ったのは、保安員も含めて、オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)に逃げ、そこからまた、福島県庁に逃げた。


14日夜9時半ぐらいから15日の昼にかけて、政府の職員たちをみんな逃がしている。その一方で、同じ頃、菅さんは東電に乗り込んで「お前ら、死ぬ覚悟でやってくれ」と言っている。いったいこれは何なのか。これは絡んでいるのです。絡んでいることを意識していたのかどうか。どういう風に解決しようとしたかどうか、知りたかったのです。それを調べたら、気づいたんです。


保安検査官の逃走というのは、一種の規制体制、規制レジームのメルトダウンだったと思います。

──米国もこの事実を聞いてびっくりしたとのことですね。

米国のNRC(原子力規制委員会)の2人に聞きましたが、2人ともびっくりしていて、「信じられない。アメリカだったら、完全に首だし、はっきり言って監獄行きだね」と言っていました。

米国の保安検査官というのは、家族と一緒になってプラントの近くに住むのです。家族の命もかかっているから、死に物狂いで安全を守るのだと言っていました。

──これは誰か責任をとったのですか。


誰もとっていない。とっていないのです。


──保安院がなくなり、責任問題が消えてしまったのですか。


保安院がなくなったんでしょ、過去の話ですね、と言うわけですね。典型的な霞ヶ関の生存術ですよ。

トカゲの尻尾きりです。経産省がつぶされるかもしれないという瀬戸際でしたから、保安院を人身御供(ひとみごくう)にして(経産省は)逃げたということです。
国債大暴落と円安だって、まっさきに逃げだすんだろうよ
あの連中は

北野武じゃないけど
日本という国は一度亡んだほうがいいんじゃないか
無名の優秀なひとはいるんだけど
蛸壺なんだよな
背中や後姿でものいう時代じゃないらしいから
ダイレクトにいえばね

生きるとは何のことかーー生きるとはーー死にかけているようなものを、たえず自分からつきはなして行くことだ。
生きるとはーーわが身において(そしてたんにわが身においてだけではなく)いっさいの弱く老いたものに対して、残酷で情け容赦しなくなることだ。
ーーニーチェ『悦ばしき知識』
 《北野:もう、末期かも知れないと思うけどね。何百万年という人類の歴史において、文明とかあらゆるものは、絶滅する時代が必ずあって。無くなることで、新しいものが出てくる。そういう風に考えると、人間はもう行き詰まったなっていう感じはあるよね。人間が生き物として頂点に君臨している時代がついに終わりを迎えられるような気がするよね。
―なるほど。
北野:もしかしたら、あと20年か30年後に世界中の人が「このときから人間の破滅は始まってた」って言うんじゃないかな。それが今日のことを指すのかもしれないし。我々が幕末の話をするときに「このときにはもう江戸幕府は終わってたね」って言うのと同じように、世界のあらゆるものが崩壊しだしている。》(北野武が語る「暴力の時代」

話はかわるが
ゴダールはHANA-BI』褒めてんだね


日本について言えば、日本もまた、何人かのよい映画作家が存在した国だと思います。溝口、黒澤、小津、成瀬らが存在していました。しかし日本映画は存在しなかったと思います。日本が何だったのか、日本が何になりたいのかを表現する日本映画が存在しなかったと思います。ひとつ日本映画の中で、ここ四、五年、私が素晴らしいと思っている、北野武の映画があります。『HANA-BI』という作品です。私が『HANA-BI』を好きなのは、それが日本映画だからではなく、普遍的な映画だからです。ゴダールインタビュー〈2〉 ── 日本映画というものは、存在しない

蓮實重彦の名文つけ加えておくよ