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2014年10月2日木曜日

彼らの家に土足で上がりこんだ日本人

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118)

<対象a>それ自体はごくありふれた日常的なものだ、だが些細な出来事で突然、一種のスクリーンとして、つまり主体が自分の欲望を支えている幻想を投射できるような空間として機能しはじめる。ーー《幻想とは不可能な視線のことである。幻想の「対象」は、幻想の光景そのもの、つまりその内容ではなく、それを目撃している不可能な視線である。》(ラカン)


異国に長年住んでいると、この感覚はよくわかる。いくら言語に習熟しても(いや習熟すればするほど)、彼らはわたくしの些細な発音やアクセントを〈対象a〉化する。わたくしの挨拶の仕方、笑い方、箸の持ち方などを眺めることにより、わたくしを魔法のようにエイリアンに変身させる。いわゆる「在日」の方々も、このような「人種差別」に遭ってきたのは疑いようがない。



最も基本的な幻想とは何か。幻想の存在論的逆説(スキャンダルといってもいい)は、それが「主観的」と「客観的」という標準的な対立を転倒するという事実である。もちろん幻想はその定義からして客観的(何かが主体の近くからは独立して存在する)ではありえない。しかし、主観的(主体の意識的・経験論的直観に属している何か、彼あるいは彼女の想像の産物)でもない。むしろ幻想が属しているのは「客観的主観性という奇妙なカテゴリー」である。「自分には事物がそのように見えているとは思われないのに、客観的にはそのように見えてしまう」(ダニエル・デネット)のである。たとえば、われわれがこう言ったとするーーあの人は、意識的にはユダヤ人に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反ユダヤ的な偏見を抱いている、と。このときわれわれは、(彼の偏見は、ユダヤ人が実際にどうであるかではなく、ユダヤ人が彼にどう見えるかを反映しているのだから)、彼がユダヤ人が実際に彼にどう見えているかに気づいていないと主張しているのではないか。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P93-94)

日本のマジョリティが、意識的には「在日」に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反「在日」的な偏見を抱いているのかどうかは知るところではない。だが、「在日」が、マジョリティによって、〈対象a〉化されている場合があるだろうことは間違いない。

そして次のようにも言い得るのだ、--差別は、まわりじゅうに差別(=些細な差異)を見出す眼差しそのものの中にある、と。

「悪は、まわりじゅうに悪を見出す眼差しそのものの中にある」というヘーゲルの言明を言い換えるならば、<他者>に対する不寛容は、不寛容で侵入的な<他者>をまわりじゅうに見出す眼差しの中にある。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

…………

すこし前、町山智浩氏のツイートをめぐっていささか失礼なことを書いてしまったが、彼らはことのほか「差別」に敏感なのだ。すなわち「差別」はトラウマ化されている。

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion
まあそういわず、潰しましょうよ。RT @TomoMachi 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります…

町山智浩‏@TomoMachi
韓国系である出自を明らかにして差別に対して発言して攻撃や脅迫の矢面に立ってきた自分ですが、日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しいだけです。@soulflowerunion

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion @TomoMachi 了解しました。町山さん、是非一度、若者達のデモやカウンターの現場、取材して下さい。また新たな感慨も抱かれると思います。ちなみに、俺はずっと町山さんの本、読ませていただいてます。町山ファン 笑

町山智浩‏@TomoMachi
@soulflowerunion 僕は高校まで韓国名でしたので差別は身をもって体験していますし、文章や放送を通して訴えるのが自分の役割だと思っているのですが作品をクリエイトしている中川さんがそうおっしゃるなら一度お邪魔したいと思います。

在日の方々の多くは、ヘイトスピーチなどの排外運動の猖獗で、過去のいじめられ体験(差別体験)がふつふつと蘇っているに相違ない。彼らの一部にときにあると窺われないでもない「過剰反応」も斟酌しなければならないのではないだろうか。

いじめる側の子どもにかんする研究は少ない。彼らが研究に登場するのは、家族の中で暴力を振るわれている場合である。あるいは発言したくても発言権がなくて、無力感にさいなまれている場合である。たとえば、どれだけ多くの子どもが家庭にあって、父母あるいは嫁姑の確執に対して一言いいたくて、しかしいえなくて身悶えする思いでいることか。

そういう子どもが皆いじめ側になるわけではない。いじめられる側にまわることが多く、その結果、神経症になるほうが多いだろう。最近、入院患者の病歴をとっていると、うんざりするほどいじめられ体験が多い。また、何らかの形でいじめを克服して、それが職業選択を左右しているかもしれない。もう二十年前になるが、私が精神科医仲間にそれとなく聞いてまわったところでは(私も含めてーー私は堂々たるいじめられっ子である)圧倒的にいじめられっ子出身が多かったが、一人の精神科医はいじめ側であったといい、何人も登校拒否児を作ったから罪のつぐないに子どもを診ているのだと語った。

しかし、いじめ方を教える塾があるわけではない。いじめ側の手口を観察していると、家庭でのいじめ、たとえば配偶者同士、嫁姑、親と年長のきょうだいのいじめ、いじめあいから学んだものが実に多い。方法だけでなく、脅かす表情や殺し文句もである。そして言うを憚ることだが、一部教師の態度からも学んでいる。一部の家庭と学校とは懇切丁寧にいじめを教える学校である。(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』PP.4-5)
たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは六十二歳の私の中でほとんど風化していなかった。(同 P20)


以下は別の方の発言だが、ツイート者の名を掲げないで引用する。

そりゃ、そうだろうよ。そもそも日本人で、「チョン」だの「キムチ臭い」だのと、さんざん蔑まれて育った経験のないヤツが、いくら「差別反対」を叫んだところで、空虚な空文句でしかない。気持ちが全然入っていないから、誰の心も感動させられない。

――と、「在日」の方がツイートされて、「カウンター」のひとたちに批判され、ツイートを削除している(と思う)。おそらく言い過ぎや失言に近い言葉と本人は感じたのかもしれないし、反差別運動をしている日本人の「カウンター」のひとびとのなかには、ひどく不快を感じるひとがいるだろうことは十分に憶測できる。


だが今はこの発話をうんぬんするつもりはない。「チョン」だの「キムチ臭い」だのと似たようなことを、わたくしもやってきたな、とあらためて回顧するだけだ。

小学生の入学前後、母の病気で母方の祖父の家の裏庭に引っ越した。三十米ほどさきに奇妙な路地があった。そこだけ舗装されておらず、道の一方は背の高いコンクリート塀が続く。他方の側に十軒前後だろう、小さな薄暗い家があった。その路地は、これも三十米ほどの長さだっただろう、拳大よりも大きく尖った石が、埃っぽいでこぼこ道からいくつも顔を出していたり、軒には唐辛子が吊るしてあったり、玄関脇に大きな壺が置かれてあったりした。小学一、二年と五、六年に、その路地にある家の子と同じクラスになった。一、二年のころは彼が「在日」であるかどうかにまったく頓着していなかったはずだが、彼の家に遊びに一度行った後、母から「あそこは、ちょっと違ったひとが住んでいるところだから……」云々のような言葉で、遊びに行くのを止められた。家に友達を招く機会にも、彼とは学校ではそれなりに親しくしていて、また一番近い住まいの友だったのに、彼が遊びに来た記憶はない。

小学生のときの記憶はこれだけだが、中学二年生になってまた同じクラスになった。そのとき「チョン」に近い言葉を使ったり、彼を敬遠するような振舞いがあったに相違ない(ようやく今になってそう思う)。

もう一つの日本における「在日」の方との交わり、たぶん気づかずにそれまでも接してきたことはあるのだろうが、意識的な交際をしたのは、京都に住むようになってからで、同じマンションで、コンピューターソフトの会社を経営しているひどく美しい夫妻と顔見知りになった。互いの娘がこれも同じマンションのピアノ教師に学んでおり、ピアノ教師が自らのピアノの演奏を聞かせる催しのため自宅に招いた折、何度か食事を一緒にしたり、子どものピアノ発表会の帰りにカフェで一緒になったり。ただそれだけの関係であり、とても遠慮深い上品な夫妻だったが、互いを訪問しあうまでには至らなかった。

インドシナにあるいまの国に住むようになってからは、多くの韓国の方と知合いになっている。主にテニスを一緒にする。いまの住まいの土地には、大きな韓国籍の繊維工場や製靴工場がいくつかあり(主に著名なブランド製品委託生産して米国へ輸出しており、二級品をすこぶる安い価格で手に入れることができる)、多くの知友はそこの従業員たちである。それなりの数の韓国人が居住しているため、この都心から三十キロほど離れた郊外の土地には、日本食堂はないが、韓国料理屋は何軒かある。どの店も韓国出身の女主人であり、そのうちの馴染みの客になった一軒の女将さんは、ひどく「情が濃い」。それほど年齢はかわらないはずだが、なんだか彼女の息子のようにかわいがってもらっている気分になる。ただし片言の英語での意思疎通ではある。そこでテニス仲間の韓国人とともに食事をする、酒を飲む。別に小さな韓国製食料品店もあり、電話一本で食材を配達してくれる(この主人は名古屋生まれであり、さて尾張や三河の伝統的商売法を受けついでいるのかーー、とまで訊いたことはない)。

もっとも当地では最近韓国人は評判を落としている。その大きな理由のひとつは、業者による「売買婚」のせいだ(それ以外に、妻は韓国人はアツイからねえ、と口を濁すが、これは昔からのことであり、逆に日本人はヌルスギルとも言いうるものだ、実際彼らとテニスをすると、そのアツサはよくわかる)。売買婚は、かつて日本がタイやフィリピンの女性と大量に結婚したやり方と同様のふるまいなのかどうかはわたくしは詳しくはない。




なにはともあれ、この現象に、日本人として過剰に苛立つことはできがたい。それはわれわれの〈加害者的側面を一時忘れさせ》ることになってしまうだろうから。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)


さて話をもとに戻せば、韓国人の知友から、日本の嫌韓風潮の話題が出ることはない。だがわたくしには、彼らと歓談しているおり、ときにうしろめたい気分でいっぱいになることがある。それに「かつて彼らの家に土足で上がりこんだ」日本人だという心持をもってしまうことがある。もっとも、ここで「無限責任」などということを言い出すつもりはない。

だが「在日」の問題は、「強姦によって生れた子ども」という側面は忘れるわけにはいかない。

ガヤトリ・スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」という言い方をしています。強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味です。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。スピヴァックは直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、これが現実の植民地状況で、今なお起きている事態であり、単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。(鵜飼哲 共同討議「ポストコロニアルの思想とは何か」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

またもし恥じるべきことがあるならば、日本の《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部は存続している》かどうかだ。

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)

だがここでは、《なんだろねこの一種独特の「ぬるさ」は》が、《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部》かどうかは問わないでおこう。それが「空気」を読みながら行動する曖昧模糊として春のような気質のことであるならば、そんな気質は容易に変え難く、これまた「無限責任」の話に近づいてしまのだから。


わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』ーー「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ

ーーというわけで、われわれにまず第一に何が必要なのだろうか。われわれも、ある次元では「マイノリティ」であることに気づくことではないか。もっともそれが日本という「ムラ社会」ではことさら難しいのだろうが。

浅田彰) 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。(マジョリティの「選択的非注意」

たとえば反ファシズムを声高に言い募る「正義」の集団はーーここで文脈上、来るべきマジョリティと呼んでおこう、ーー実は「権力欲」を発露させているのでは、との疑いはときにあってもよい(参照:ネオナチ完全無視のすずしい顔の手合い)。

われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

「カウンター」のひとびとは、たとえば「在特会」の連中を、《より下位のもの》、《「自分より下」の者》としがちなことは明らかなのだから。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがない。差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微の一つでもある。(……)

些細な特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。(中井久夫「いじめの政治学」)

もっともこういった側面もあるというだけであり、この側面に心を配りつつも、わたくし自身はいまの「カウンター」運動をかなり熱心にーー海外住まいの「無行動」派であり、いささか「偽善」の様相を呈していないでもないがーー応援していることは念押ししておこう。



※附記

人種差別の標準的な分析では、人種差別主義者たちは誤った教育を受けたか、無学で、犠牲者たちについて無知であることになっている。人種差別主義者が犠牲者となる人種を客観的に見て、彼らをよく知りさえすれば、偏見もなくなるだろう、とこの理論は続ける。たとえば、もしドイツの人種差別主義者が、トルコ移民がいかにドイツに貢献しているかを理解したら。フランスの人種差別主義者が、アルジェリアの共同体がフランスの名のもとにいかに文化的に重要な貢献を果たしてきたかを知りさえしたら。あるいは、イギリスの人種差別主義者が、第二、第三世代のインド人たちが英国の健全な発展にいかに貢献してきたかを理解することができさえしたら。しかしジジェクによれば、たとえ人種差別主義者たちがそういうことを理解したとしても、それでもなお彼らは人種差別主義者のままだろう。なぜだろうか?

答えは、人種差別を受ける主体は、個々の人間からなる客観的な集団ではなく、幻想上の人物像だからである。たとえば1930年代に、アーリア人種をひそかに陥れようとする国際的な陰謀があってその中心はユダヤ人である、などという考えはばかげている、という合理的な議論をしても、ナチスが説得されることはなかっただろう。ジジェクによると、ユダヤ人はそんなことはしていないと証明する経験的な証拠を、ナチスに示すことはできない。彼らは……現実に対する客観的な見かたを云々していたわけではないからだ。むしろ彼らは、ユダヤ人を幻想の枠組みで見ていた。そのため、彼らはそうした幻想の枠組みと、現実はどのようなものかという視点を対比することができなかった。幻想の枠組みの肝心な点は、なによりもまずそれがあなたの現実を構成していることだからだ。だからジジェクの推測では、もしあなたがナチで、真に友好的で「善良な」ユダヤ人が隣に住んでいても、あなたは自分の反ユダヤ主義とこの隣人とのあいだに、いかなる矛盾も経験しないだろう。むしろ、隣人が表面上はきちんと見えることこそ、ユダヤ人の危険を示す最高の証拠である、と結論を下すだろう。あなたは幻想の窓を通じてものを見ているので、反ユダヤ主義と一見矛盾するように見える事実こそが、まさに反ユダヤ主義を支える議論となりうるのである。(トニー・マイヤーズ『スラヴォイ・ジジェク』ーー幻想の横断

…………

というわけで、この記事自体、いかがわしい臭いをぷんぷんさせているのは、わかってるさ。

……イカガワシサときみがいい、H氏やK氏の僕への言葉だともいうんだが、きみ自身として当の言葉をよく考えてのことだろうか? そのように僕は内心の思いを展開させていたのだ。鋏でよく髯を刈りこんでいるが、それゆえにかえって薄汚れた風情の、若い同胞よ。初対面の会話できみが軽く使う、その言葉を、僕は相当の心づもりに立たずには使ったことがない。いったいきみはどういう対決の理由があって、この旅先まで僕を訪ねて来ているのか? それをまず聞くことができれば、話は早手まわしとなるはずだが。きみがイカガワシサという言葉について、それを発したとたんに始まる厄介な闘いへの、心準備なしにしゃべりたてる人物なら、僕として真面目に答える必要もないわけだ……(大江健三郎「見せるだけの拷問」)

ここにある《H氏やK氏》というのは、小説のなかの記述とはいえ、もちろん蓮實重彦と柄谷行人のことだからな。もっともらしいことを書いたらイカガワシイのさ。

大江健三郎だけではなく、蓮實重彦や柄谷行人だって、自らのイカガワシサを自覚しているはずだよ

《たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。》(柄谷行人ーーマッチョイメージとしての「革命家」

途中、「火病」、「ファビョる」などという語彙群を口にするのを思い留まるのに苦労したな。

その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”であると。その空は、秋に冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中には堅固な意志と非妥協的な誠実があった。(「安克昌先生を悼む」『時のしずく』所収

すなわち、「堅固な意志と非妥協的な誠実 」と「ファビョる」との相関関係を。

……右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。(福沢諭吉『学問のすすめ』)

次の元高級官僚のオッチャン、ときにとんでもないツイートするんだが、これは事実を記述している。

林雄介 @yukehaya

ファビョるはアメリカ精神科協会が公的に韓国人特有の精神疾患と認定している。精神疾患の国際的なガイドラインであるDSMに、火病という韓国人特有の精神疾患として分類されている。精神疾患の判断は国際的にDSMを使うから、国際基準でファビョるは民族的な精神疾患と断定されている。

もっともテニスのダブルスでペアを組んで、こちらが気の抜けたミスを怒髪天を突く表情で睨む彼らを「ファビョる」など言ってはいけないらしい。

おそらく「火病 Hwa-Byung」研究の第一人者のひとりであるだろうSung Kil Min氏によれば、「火病」は、朝鮮民族の主人のシニフィアンの一つ“恨(ハン)”概念にかかわるということ。

◆”Clinical Correlates of Hwa-Byung and a Proposal for a New Anger Disorder”( Sung Kil Min)

Collective haan and Korean culture Many scholars consider haan as a unique Korean sentiment beyond its literal meaning, and it is a key word to understand Koreans or Korean culture. Haan has been thought of as Koreans' traditional, cultural and collective emotional state of suppressed and accumulated anger or uk-wool. Koreans have endured repeated suffering from both domestic and international injustice and unfair violence throughout their nation's history. Ordinary people, farmers, servants or other people of the lower class were suppressed by bureaucrats or the literate upper class, called yang-ban. Women were suppressed by men. But haan has been the source of energy for the creativity of ordinary people including for example, the ceramic art that has been made by unknown masters, or for making revolution against political suppression including, for example, a farmers' military rebellion against the local government in the 19th century, which is called Donghak-ran. The typical collective Korean experiences with haan in modern history include the inherited poverty for thousands of years, Japanese colonization, the Korean War and division of the country, suppression by military dictators and the recent economic polarization. But haan has been also thought to provide energy to Koreans for economic development (haan-puri of poverty) and democratization (haan-puri of political suppression) during the so-called "condensed history" of Korea. The haan of women has been solved by women's liberation.52,56 Accordingly, Korean history is referred to as a history of haan and Korean culture as a culture of haan (In this paper, haan will not be translated and it will be used as it is.).

この記述は、朝鮮半島のトラウマの歴史による“恨(ハン)”とも読めるものだ。

もちろん日本民族にも「甘え」、「意地」やら、最近では「ヤンキー」などの奇妙な概念があることを忘れてはならない。

※参照:「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ








2014年2月13日木曜日

「である」と「ですます」調

前投稿から文章や文体をめぐって書いているのだが、どうも読み返す習慣がなくていけない。iPADの修理中でいまようやく戻ってきたので、寝転がって読み返すことにする。コンピューターのスクリーンというのは、どうも読み返す気がおこらないのだ。ーーと書いているのは、実は前投稿の冒頭に小学生並の主語と述語の不一致を見出し、文章などとえらそうなことを書ける身ではない、ということが言いたいのだが、また書いてしまった。いささか垂れ流し気味だが、ある意図があって続けて投稿する。

…………

〈である調〉と〈ですます調〉の両方を、ぼくは気分によって使い分けています。であるで始めて、なんだかちょっと上から目線みたいな文章になりかけたら、ですますで書き直すこともあります。もちろん文章の音の流れを考えて混ぜて使うこともある――こんな感じ。

ぼくの『わらべうた』に〈であるとあるで〉というノンセンスな詩があって、これをユニット名にした木管四重奏団のCD『あるでんて』が出ました。武満徹が賢作の誕生を祝って書いてくれた曲や、谷川・林光コンビの校歌、ぼくが楽器に合わせて書いた詩の朗読も入ってます。

ボーナストラックの子どもたちが歌う賢作作曲の〈うんこ〉がぼくは気に入ってます。乞御一聴……これはである調だな、ですます調なら、一度聴いてみてください、かな。 (谷川俊太郎

ーー谷川俊太郎の《大学の教師とか定職を持たずに職業としての詩人を貫いた態度をめぐっては、ここにいくらかのまとめがある。


かつて批評家中村光夫の「ですます調」というのがあって、おそらく当時猖獗した小林秀雄風の究極の「である」「だ」調の文体の反動・反発としてもあったのではないか。加藤周一や森有正の硬質な文体にも若いころ魅せられた身であり、わたくしにはどうも中村光夫のスタイルは気に入らなかった(では谷崎潤一郎の『文章読本』の「ですます調」はどうなのか、といえば、あれはあれで気にならない、いや、あの啓蒙的な部分も多い内容にはむしろふさわしいという感があるので一概には言えないのだが、やはり谷崎の技倆というしかないもので、おそらく末尾に書かれる「含蓄について」の節における「意味のつながりに間隙を置くこと」という工夫が味気なさを生まない秘訣のひとつだろう、流麗ななかにも読み手を立ちどまって振り返らせる工夫があるのだ。)。

わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)

吉本隆明による中村光夫の「ですます」調批判は次の如し。

…「です」とか「ます」とかいう口調で、対象とする作品あるいは作家に批評の言葉が思い入れをすることを回避したこと。しかしそれが同時に味もそっけもない、これほど読んでつまらないものはないというスタイルになった一つの理由だとぼくは理解しています。(吉本隆明

もっとも蓮實重彦などは中村光夫の批評を小林秀雄より評価している。蓮實重彦の小林批判は、高橋悠治による小林秀雄批判に続くもので、ーー高橋の文は、小林の安っぽいトリックへのもっとも鮮烈な批判として有名だがーー、それににまさるとも劣らない辛辣さをもっていおり、小林秀雄の文章の「メロドラマ」性を批判する、ーー《名高い小林秀雄のランボー体験、モーツァルト体験などは、いずれも遭遇の物語であり、舞台装置や背景までが詳述されている。これは風景の中での制度的な遭遇にすぎず、いわばよくできた思考のメロドラマだ。》(『表層批判宣言』)

※蓮實重彦の小林秀雄をめぐっては以前抜き書きしたものがあるので、末尾にやや詳細に附記する。

そして浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、三浦雅士は、中村光夫を吉本隆明の上におく(『近代日本の批評  昭和篇(下)』)。もちろん一時的に吉本隆明が無闇に崇められたへの時代の風潮への反発もあったはずだ。70年代の柄谷行人や蓮實重彦の批評文には、吉本隆明賛とも受けとれる文がある。『マス・イメージ論』(84年)前後から吉本隆明の発言への失望があったこともあるだろう。ようするに吉本のポストモダン的風潮への媚態に嫌気がさした人たちがいた。

――などということをメモしているのは、新垣隆という方が話題になっているので、どんな人なのか、と検索している中に、大野左紀子氏の文章の「ですます」調に当たったからだ。大野さんはかつて美術活動の実践者で、「なんでもアート」と呼ばれることに鬱憤を抱いてその業界から去ったとある。





いまは教師と批評活動をされている方だが、わたくしと同年輩の「芸術」に関心のある方がどんな見方をもっているのか、あるいは教師の目で、いまの若い人への対応の苦慮、あるいは考え方の異和などをブログで書いておられ、数年前からほぼ全記事を読む習慣をもっていた。が、このところiPADを修理に出していたことがあり、テト休みをはさんで二週間ほどご無沙汰していたところでの「新垣隆」の記事である。

ここでは「新垣隆」をめぐってはメモするつもりはない。ただブログでは「ですます」調で書くことはたしか稀であったはずなのに、著書では「ですます」調で書いているのだな、ということにいささか意外感を覚えた。記事内容も演奏家たちの苦闘ぶりが書かれており、やや関心のあるところなので、その個所を引用しよう。

数年前、あるシンポジウム で音楽プロデューサー の平井洋さんとご一緒したことがあります。五嶋みどり をはじめ日本を代表する音楽家のマネジメント やコンサートのプロデュースを、長年やってこられた方です。平井さんによれば、クラシック音楽の分野では「今は一握りの人を除いて、プロがなかなか食っていけない時代」。

 伺ったお話をまとめると、「少し前ならトップクラスは演奏家 で、二番手ならオーケストラに入り、三番手の人はヤマハ音楽教室 で教え、その次は自宅でピアノ教師をするというように、食べていく手段が皆それなりにあった。今はオーケストラのバイオリン の空きポスト一つに人が殺到し、少子化 で音楽教室には人が集まらない。住宅事情も悪く騒音問題もあるので、ピアノを買える家が少なくなった。どこの音楽ホールもお金が無く運営に苦心している。でも、これが当たり前なんだと思うべき。この状況で何ができるかを考え工夫することが大切」。

 ここから二つのことが言えると思います。一つは、これまでの「芸術の振興」は社会全体の安定と豊かさを前提としてきた。二つ目は、単に芸術だから守られるべきだということは言えない。一番目については、低迷する景気と政治的閉塞感の中での橋下氏当選[2011年、大阪市長 に橋下徹 が当選したことを指す]といった現象が端的に示していますし、詳しい説明は不要でしょう。

二つ目について。現在は、ポピュラー音楽 が低俗な娯楽でクラシック音楽が高級な芸術、あるいはポピュラーがわかりやすくクラシック は難しい、とはならなくなりました。趣味嗜好や価値観が多様化 している中で、クラシックもポップスもジャズ もロックもヒップホップ も現代音楽も歌謡曲も民謡 も、音楽としてはどれも同等。どれが重要でどれがそれほどでもないという言い方は、できないのです。そんな中で、かつてはヨーロッパ貴族の庇護のもとにあり、次いで「文化となった芸術」[近代以降の芸術は当初は既成の文化に対抗する「前衛」として現れ、やがて文化となっていくという意味]として制度の恩恵を受けてきたクラシック音楽は、売れなければ生き残れないポピュラー音楽に比べると、経済活動 が貧弱です。日本発の文化ではないので、能や歌舞伎 のような伝統芸能 としての保護は望めません。海外で活躍する日本人アーティストに期待がかけられますが、国内で強い存在感を示すには「工夫」が必要ということになるのでしょう。(『アート・ヒステリー 』第一章 アートがわからなくてもあたりまえp.79~p.80

こういった文体で書くのは、編集者からの要請もあったのかもしれない、若い人に受け入れ易くとか親しみやすくとかの類の。だがわたくしの古い感覚ではいささか失望感を覚える。《「です、ます」調で書かれた文は、相手にそれとなく同調を迫り、相手を自分のペースに巻き込んで、うやむやのうちに同調させようという圧力を持つと私は思う。「です、ます」調の文に対しては批評意識が働かせにくい》(中井久夫)のだ。

「なんでもアート」に反発して創作活動から離脱した人までが、そして「アート=良いもの」を疑うというテーマなのに、このような読み手への媚びを感じざるをえない文体で書くというのは、水村美苗と同じ嘆息をつきたくなる。だがもうそんなことはとっくの昔に諦めざるをえなくなってしまったのだろうか。教師の立場としてやむ得ないこともあるのではあろうが……


メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないだろう。(ロラン・バルト『作品からテクストへ』)

「アート」についてのディスクールは、それ自体が、「アート」にならなければならない。「アート」の探求であり、アートの労働にならなければならない。


批判的な文脈で小林秀雄の名を挙げているが、ここでは致し方ない、次のように肯定的に小林秀雄に触れよう。小林は、彼が敬愛するアランを引きつつ、音楽家も詩人も小説家も一種の物を創り出す人間であり、思想家さえもそうだと言う。「鑿を振り上げる外にどうしようがあるのか」そういう行為が思想だと。「思想といふ一種の物を創る仕事」「文体を欠いた思想家は、思想といふ物に決して到る事は出来」 まい、と。https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/4267/1/92304_278.pdf


ーーなどということは、もちろん何十年間に何人かの書き手の問題ではあるが、あまりにも読者に擦り寄るのもどうかと思うーーとするのも酷な時代なのだろうな。



◆水村美苗「著者と語る『日本語が亡びるとき』 水村美苗 2009.2.6」)より


水村美苗)教育の場で近代文学をもっと読ませるというのには、 さらにもう一つ重要な点があります。それを私は難易度の不可逆性と呼んでいるのですが、 一度近代日本文学を読んだ人にとって、いまのものを読むというのは実に簡単なんです。 スカスカだから、 パッパッと読んでいける。

ところが、 いまのものしか読んでいない人にとって、 逆は無理なんです。 読書力というのは運動と同じです。 若いうちに密度の濃い文章を読む訓練を受けないと、 若いうちに歩かなかった人と同じで、 脳が読書力をきちんと育てられない。 ですから、 大学を出るぐらいまでに、 これだけの近代文学を読んでおくというのが当たり前だというような教育を与えてほしい。

質問)  『日本語が亡びるとき』 の、 その亡びるという意味ですけれども、 つまり日本語がなくなるというようなことはないんですね。 日本語で考える力が衰えること、 イコール日本語の亡びであるというような意味かなと思っているわけですが、 そういうことでよろしいですか。

水村) そうですね。 人間として精神的に活発な人が日本語を読まなくなる。 少なくとも、 日本語を真剣に読まなくなる。 日本語を読む人たちが、 日本語で書かれたものに大きなものを求めなくなるにつれて、 大志を持った人たちが日本語で書かなくなるという、 悪循環のようなものが始まるのは避けたいということです。

例えば、 漱石には、 途中で死んでしまいましたけれども、 正岡子規がいた。 正岡子規のような人がいるんだから、 何を書いたって、 とことん自分の日本語をわかってくれる人がいると得心できたと思うのです。 つまり、 書く人間にとっては、 どれぐらいの人がどれぐらいのレベルで読んでくれるだろうかということが重要なのです。 二葉亭四迷なんか読むと、 ああ、 これだけの密度のものを読者が読むのを期待して書けたんだと、 それがうらやましく思います。

こんな密度で書いてしまったら、 いまの人は読んでくれないだろうと。 それに加速度がついて、もう読みやすいということだけに重点が置かれるようになるんじゃないかと。

ここで唐突に、蓮實重彦のテオ・アンゲロプロスへのインタビュー(『光をめぐって』より)から抜き出してみよう。モンタージュは、《観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする》と語る彼の言葉を。

モンタージュによる映画を見ていて私が苛立つのは、それは二つの画面の相互介入といった衝撃の上に成立しているのですが、そのとき、その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。ワンシーン・ワンショットの映画では、見る人間の知性と感性とにより多くの自由を残そうとしています、ひとつの画面にあって、観客は、そのしかるべき要素を自分で発見し、自分でそれを組織だててゆく。その時間的推移は、モンタージュにおけるよりはるかに現実の時間に近い。そうすることで、死んだ時間、停滞する時間に対する観客の感性を豊かなものにすることも可能になります。
……

───そのことはとてもよくわかり、まさにそうした点においてあなたの映画に興奮するわけですが、そうした場合、あなたは、観客を全面的に信頼しておられるのですか。

観客にはいろいろ種類があります。アンドレ・マルローが「映画の心理学」でいっているように、映画にとっての障壁が産業であるなら、それによってわれわれは条件づけられてしまう。それはよかろう。だとするなら、選択しなければならない。その一つは、映画を撮りはするが、いつか沈黙におしやられはしないかという危険をいつでも身に感じながら撮り続けるという姿勢をとるか、それとも、いま一つの姿勢として、他の誰もが撮るようなやり方で、つまりモンタージュの映画か、説話論的有効性の映画、等々もつくってゆくことにするか、その二つに一つしかない。つまり、沈黙に向かうか、金銭に向かうか、その選択ということ以外にありえないわけですが、どうでしょうか、ある作家たちは、こうした二つの方向を厳密に選択することなく、複雑な経路をへながらも、みごとな作品を撮り続けることができる。おそらく、私には、そうしたことはできないと思う。しかし、私はそれで他人を批判しようとは思いません。あらゆる批判派自分自身にむけられます。

もちろん「押しつけの姿勢」とは程遠いゴダールのようなモンタージュがあることをわれわれは知っている。

ところで、すべての「ですます」調ではないが、やはりその調子は多くの場合、時代風潮に屈したスタイルに思えてしまう。抵抗は諦めて、多くのひとに読まれることのみを望んでいる、などと臆断するつもりはないが。冒頭近くに書いたように啓蒙的な内容ならば、「ですます調」がふさわしいということもあるのだろう。


北野武が語る「暴力の時代」

―監督は先ほど「エンターテイメントに徹している」と仰いましたよね。今言われたような編集で間を詰めるということと、エンターテイメント性というものは、監督の中では繋がっているものなんでしょうか?

北野:うん。結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

―なるほど。

北野:登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。

こうして二人の映像作家の発話文を抜き出したが、なにが言いたいのかをごたごた説明するつもりはない。

《人間として精神的に活発な人が日本語を読まなくなる。 少なくとも、 日本語を真剣に読まなくなる。 日本語を読む人たちが、 日本語で書かれたものに大きなものを求めなくなるにつれて、 大志を持った人たちが日本語で書かなくなるという、 悪循環のようなものが始まるのは避けたいということです》というのは、もうとっくの昔に折込ずみで、戦線放棄ってわけでもあるまい? 

「リーダビリティ」の重要性を頻りに言い募り、「ですます調」で書く評論家たちもいるが、そして彼らのそれなりの役割を認めないわけではないが、読後に襲われるあの味気なさはなんなのだろう、ーーということも多くの若いひとたちは感じなくなっているわけだな……。

《言葉が尽きずに、改行もなしにとめどなく流れつづけてゆくことの恐怖というのが、いまの時代の姿なのかも知れません。しかしそれを崩れと観るという感受性それ自体が、こんなに萎えてしまっているのではねえ。》(松浦寿輝発言 古井由吉・松浦寿輝『往復書簡集 色と空のあわいに』)

ーー監督は今の時代というものをどう捉えてらっしゃいますでしょうか。

北野:もう、末期かも知れないと思うけどね。何百万年という人類の歴史において、文明とかあらゆるものは、絶滅する時代が必ずあって。無くなることで、新しいものが出てくる。そういう風に考えると、人間はもう行き詰まったなっていう感じはあるよね。人間が生き物として頂点に君臨している時代がついに終わりを迎えられるような気がするよね。

―なるほど。

北野:もしかしたら、あと20年か30年後に世界中の人が「このときから人間の破滅は始まってた」って言うんじゃないかな。それが今日のことを指すのかもしれないし。我々が幕末の話をするときに「このときにはもう江戸幕府は終わってたね」って言うのと同じように、世界のあらゆるものが崩壊しだしている。

《勇気を失ってはいけない、(……)多くのことが、まだまだ可能なのだ。あなたがた自身に笑いを浴びせることを学べ、当然笑ってしかるべきように笑うことを学べ。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)


…………

上に断片を引用した中井久夫の文をもうすこし長く引用しておく。

日本語の敬語もよく考えると単に丁寧さの程度だけではない。われわれは同じ対象に向って「です、ます」調で講演し、「である」調で文を綴る。

「です、ます」調が講演や会話で選ばれるのは、接続がやさしいからである。実際、「です」「ございます」は、文から独立して、喚起的な間投詞(というのであろうか)として使用されている。「あのですね、実はですね、昨日のことでございますが、あのう、お電話をさしあげたんですがね、いらっしゃいませんでしたですね。それでですね……」。こういう用法は、顔が見えない電話での会話で頻用される。

「である」にこの作用をもたせると、政治演説になる。「のであるんである」は政治家の演説を嘲笑するのに恰好である。しかし、予想外に多くの批評家の文に「のである」の頻用を発見する。「だ」の間投詞的用法は某政治家が愛用して「それでだ、日本はだ、再軍備してだ……」とやっていたが、「突っぱねるような調子」と批評され、不人気の一因となった。

「のである」を、私は「ここで一度立ち止まっていままでの立論を振り返れ」というしるしと見る。どうしてもなくてはかなわぬ場合以外に使用すると相手をむやみに立ち止まらせ、相手の頭にこちらの考えを押し込もうとする印象の文になり。品が下る。

「です、ます」調で書かれた文は、相手にそれとなく同調を迫り、相手を自分のペースに巻き込んで、うやむやのうちに同調させようという圧力を持つと私は思う。「です、ます」調の文に対しては批評意識が働かせにくい。京都学派がかつて頻用した「なかろうか」にも同じ傷害を感じる。

日本文の弱点は語尾が単調になることで、語尾を豊かにしようと誰も苦心するはずだ。動詞で終ることを多くする。体言止めにする。時に倒置法を使う。いずれもわるくない工夫である。(中井久夫「日本語を書く」1985初出『記憶の肖像』所収)


附記:蓮實重彦の小林秀雄批判

……高橋氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてい た、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴 な<出会い>として一挙に起こったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語り始めるとき、ここで小林氏が 嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いていた、と“書い てもよい”」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩とし ての「見知らぬ男」の殴打、「偶然見付けたメルキュウル版」に「仕掛けられてて」いた「爆薬」、「敏感」な「発光装置」、「炸裂」などの比喩は、事件とし てあったはずのランボー体験を青春の邂逅の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだし て小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまったが結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれて いる文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあった」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われ た性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とこ とわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ、それとも高 橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。(……)

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会 い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批判宣言』所収)


2013年4月22日月曜日

共感の共同体

街中を歩くのは少なくなったけれど
それでもふた月に一度くらいは野暮用で出る
すると今でも昔馴染みの
シクロやバイクタクシーのあんちゃん
煙草売りのねえちゃん
新聞売りのおっさん
に声をかけられたり握手されたり
もう十八年まえからの知りあいの生き残りだね
当時二十だったらもう四十だな、やつら
「おい、どうやって日本人って見わけるんだ」
若い女の旅行者の話だけどね
「韓国でも中国の女の子でも似たようなもんだろ」
日本の乙女を「白ぶた」って呼んでる奴もいるんだけど
「痩せてる連中もいるだろ?」
背中がまるいとか、服が違うとかなんとかいうんだけど
オープンカフェなんかで座っているんをみると
まるわかりだっていうんだよな
首を立てに何度もふって頷きあって話してるってんだってさ
韓国や中国の女はそんな仕草が少ないらしい
共感の共同体」の住民ってわけかね
「事を荒立てる」かわりに、
「『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先している」
ってことかね

たとえば日本の陰湿な「いじめ」ってのは
まずは「孤立化」させる、つまり仲間はずれにするってことだからね
あいかわらず村社会の住人たちの村八分の振舞いだね
怨恨の時代っていうのも、村のなかで仲間同士のはずなのに
なぜか、村社会における自分地位が低くて満足していない
いまではあきらかに「新たな階級格差」の泥沼で身動きとれなくなっている
そこから来るのが大きな理由のひとつだろうよ


島国根性ってのは昔から言われてきたのだけれど
いまだ他に比類を見ない国民さ
わが国が歴史時代に踏入った時期 は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面 的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかっ たためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようで す。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)


日本の誇る「共感」の作家村上春樹の小説が世界中で売れてんだから
いまでは日本だけの話とは言い難いけどね

蓮實重彦に言わせればこんな具合さ、
村上春樹の長篇のほとんどは、作者の感性と読者の感性とが、ときには彼らのそれに酷似した作中人物の感性によって共鳴しあい、それぞれが、ともに、同じ共同体の同じ時代を生きつつあるという安心感において連帯しあっているという意味で、「交通」を排した読まれ方に安住する言葉からなっているといってよい。その限りにおいてそれはよくできた物語だといえようし、その連帯に亀裂を走らせることなく、共同体のあり方そのものについて何がしかを告げもするだろう……(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)
この文は、そのまま「共感の共同体」の作家村上春樹と読めるだろ?
レイシズムってのも、
同じ共同体の同じ時代を生きつつあるという安心感において連帯しあっている
「交通」を排した人間が引き起こすのだろうよ

世界中、「メタ・レイシスト」の跳梁跋扈さ
村上春樹がそれに一役買ってるなんてことはないにしろ
心性は村上春樹世界に席捲されつつあるんじゃないか

浅田)……伝統的なレイシズムは、自民族を上位に置き、ユダヤ人ならユダヤ人を下位の存在として排除する。たとえば、クロード・レヴィ=ストロースの構造人類学は、どの民族の文化も固有の意味をもった構造であり、そのかぎりで等価である、という立場から、そのような自民族中心主義、とりわけヨーロッパ中心主義を批判した。

そのレヴィ=ストロースが、最近では、さまざまな文化の混合は人類の知的キャパシティを縮小させ、種としての生存能力さえ低めることになりかねないから、さまざまな文化の間の距離を維持して、全体としての多様性を保つべきだと、しきりに強調する。つまるところは、フランスはフランス、日本は日本の伝統文化を大切にしよう、というわけです。

もちろん、人類学者がエキゾティックな文化の保存を訴えるのは、博物学者が珍しい種の保存を訴えるのと同じことで、それらがなくなればかれらは失業してしまいますからね(笑)。

しかも、こういう見方からすると、文化的な差異を一元化しようとする試みは「自然」な反発を引き起こし、人種的・民族的な紛争を引き起こしかねないということになる。つまり、すべての人間の同等性を強調する抽象的な反レイシズムは、実はレイシズムを煽り立てるばかりなのであり、レイシズムを避けたかったら、そういう抽象的な反レイシズムを避けなければならない、というわけです。

これが、レイシズムと抽象的な反レイシズムの対立を超えた真の反レイシズムであると称するメタ・レイシズムですね。

ーー「スラヴォイ・ジジェクとの対話」『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(浅田彰)

あるいはこんな話もあるね
谷川俊太郎と穂村弘の対談(「文芸」2009年夏)だけれども

穂村)僕は詩には共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)という二つの要素があると思っていて、いわゆる一般の読者や世間というのは圧倒的にシンパシー重視なんです。何かを読んだ時、まずそこに共感をみようとするし、シンパシーを寄せようとする。でも詩歌の第一義的な力はワンダーの方である。僕は思うんだけれど、(中略)実際にはそれは難解な暗喩性とリンクしていることが多いから、「え、ワンダー? 何それ」みたいになってしまう。

詩だけではない、「芸術」一般の力とはまずは「驚き」、「絶句」なのであって
ドゥルーズのいうアンタンシテ(強度)といってもよいけど
「知」だってそうさ
そこに「距離のバトス」が生まれる

《人と人、階級と階級を隔てる深淵、種々のタイプの多様性、自分自身でありたい、卓越したものでありたいという意志、わたしが〈距離のパトス〉と呼ぶものは、あらゆる「強い」時代の特徴である》(ニーチェ『偶像の黄昏』)

気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学
共感とは異質のある種の齟齬感
同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感
親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たり

――1999年4月12日 東京大学総長 蓮彦の式辞からだけど
こうもあるな
微妙ではありながらも何かが決定的に違っている対象を前にしたときの驚きは、齟齬感や、違和感や、隔たりの意識を煽りたてる対象への深い敬意を前提にしております。知性のみなぎる環境としての大学は、このように、知性をふと逡巡させかねない驚きをとどめた環境でもあります。

ところで、ニーチェの同情批判というのは
「同情=共苦 Mitleid」で「共感」とは違うのだけれど
「自他の間に存する距離を忘れぬ心づかい」というのは
「共感」批判としても通用するね
わたしが同情心の持ち主たちを非難するのは、彼らが、恥じらいの気持、畏敬の念、自他の間に存する距離を忘れぬ心づかいというものを、とかく失いがちであり、同情がたちまち賤民のにおいを放って、不作法と見分けがつかなくなるからである。(ニーチェ『この人を見よ』)

もっともこうやってしきりに「共感」に反吐を書き連ねる人間とは
フロイト曰くはこうでね

…他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。……(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))



つまり「共感」に囚われていることが多いのさ
吉田秀和はこういっているらしいね
《ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。》(   神崎繁『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』より)

この伝でいくと
ニーチェの同情批判だけでなく
ルサンチマン批判
アンチ・キリストなど

 

たぶんニーチェが繰り返し批判する対象は
それらへの誘惑に苦しんだせいだということになるね

アンチ・キリスト? 最後にはカトリック信仰に
回帰するなんて話だってあるさ

異教について… そして円環について …そして自然の本性について …そして、つまり「永劫回帰」については …とにかく、あのプロテスタントの息子ニーチェの、ルー・アンドレアス –サロメへの興味深い打明け話がある …でまかせなんかじゃない、特に彼女、この女性に対しては。「わたしたちは彼の変身のことについて話てしたのですが、その会話の途中でニーチェが半ばふざけてある日この明言したことがありました。『そうなんだ、こうしてレースが始まる、で、それはどこを走るのか? 道の全行程が踏破されたとき、人はどこを走るのか? すべての組み合わせが使い尽されるとき、彼はどうなる? きっと信仰に戻るのではないか? たぶんカトリック信仰に?』そしてニーチェは低い声でこうつけ加えると、彼にこの考えを吹き込んでいた底意を明かしました。『いずれにしろ、円環の完了は、不動状態への回帰よりもはるかにずっとありそうなことだよ。』」(ソレルス『女たち』)

さてオレも共感に回帰したいんだがね


……さもあれ私は自分に次のように告げる私の道徳を秘密にしておく気はない、―お前はお前自身を生きうるために、隠れて生きよ!お前と現代との間に、少なくとも三世紀の皮膚を張りわたせ! …お前とて人を助けようとはするだろうが、しかし、お前と苦悩を一にし希望を同じくするがゆえに、その人の憂苦をお前が残らず了知している者たちだけを、助けよ、―つまり、お前の友達だけを助けよ。それも、お前がお前自身を助けるようなやり方でだけ助けるがいい。―…私は、彼らに、こんにちごく僅かな者だけが理解して、あの同情共苦の説教家たちがほとんど理解しないものを、教えようと思う、―つまり同喜共歓をだ!(ニーチェ『悦ばしき知識』)

 いずれにせよ

『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先するのではなく
あるいは気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる
「同喜共歓」でありたいね