このブログを検索

ラベル 吉川洋 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 吉川洋 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年10月31日金曜日

「日本の財政は破綻する」などと言っている悠長な状況ではない?

財政制度等審議会会長の吉川洋東大大学院教授曰く、

 --消費税増税を延期すべきだとの声が高まっている

 「予定通り来年10月に10%に引き上げるべきだ。そもそも、消費税増税の目的は社会保障制度を持続可能な制度にするためだ。高齢化で年金、医療、介護の給付金など支出が膨らみ、現役世代が払う保険料だけでは賄えない分を税金で支えてきた結果、日本は国内総生産(GDP)の2倍超の財政赤字を抱えることになった。大きな戦争が起こっていない平和な国で、この巨額の赤字は異常だ。放置すべきではない」(吉川洋・東大大学院教授に聞く 社会保障維持へ10%判断を

吉川洋氏は2009年に次のように語っている。


一人っ子家庭が増加するにつれ、若者たちは 「結局は年老いてからひどい扱いを受け、蔑まれることになるのに、若い時分に自分の望みを押さえ生活を窮乏にしなければならない理由がどこにあろうか」と考えはじめる。また「なに よりも女房と子供のために働きかつ貯蓄せん」 という動機は失われ、個人主義的功利主義が支配するようになり、人々は「ただ将来のために働くことを命ずる資本主義的倫理をも喪失する に至る」とする。吉川は、 「シュンペーターによれば、優良な 投資機会が少なくなるということで資本主義は滅びはしない。それは家族の変容を伴いながら 企業家精神が喪失されることにより自壊するのである」と結論づけている。(『企業家精神―シュンペーター『経済発展の理論』財務総合政策研究所研究部長 田中 修)

…………

ところで知る人ぞ知る『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』なるものがある。研究会発足にあたる2012年時点での問題意識は、《われわれは日本の財政破綻は『想定外の事態』ではないと考える。参加メンバーには、破綻は遠い将来のことではないと考える者も少なくない》とされている。

2012622日の第1回会合では、三輪芳朗氏の《もはや『このままでは日本の財政は破綻する』などと言っている悠長な状況ではない?》という論点メモが提出されている。疑問符をつけているのがやや遠慮深いとはいえるが、経済理論的にはいつ財政破綻してもおかしくない状況でまた回避できようもないのだから、そんな「悠長な」ことはやめて「その後」を考えようというものだ。これは冒頭に掲げた吉川洋氏のいまだあきらめきれない「誠実な」立場とは異なり、一見「ひねくれた」、あるは「やけくそ気味」の人たちの集まりとも感じれれる。

 メンバーは次の通り。




直近の会合の概要欄(第21回2014.8.27)には次のようにある。

日本の深刻な財政危機状態や2%の物価上昇率を目標に掲げる日銀の歴史的な積極的金融緩和策が続行されるなか、8月末時点の長期債の最終利回りは0.5%を下回っている。ある意味、不可解な現象である。われわれは過去2年間「現状の日本でなぜ国債価格の大幅下落、急激なインフレを伴う「財政破綻」は現実化しない、その予兆も見えないのはなぜか・・・?」という問題意識を抱き、研究会を続けてきた。そして過去数回の研究会では、日本の国債価格の形成メカニズム、とりわけ投資家の期待形成メカニズムや資産選択行動を解明する糸口を求めて関連するファイナンス研究について見てきた。

 エライ学者先生にとってはーーあるいは「とっても」ーー、国債価格が下落しないのは《不可解な現象》なようだ。実際、日銀首脳もアベノミクス導入後、つねに国債価格の下落を怖れている。


来年10月予定の消費税再増税について「増税で景気が落ち込みば財政・金融政策で対応可能だが、延期で国債価格が下落(金利は上昇)すれば対応が難しい」との持論を繰り返した。「今のところ政府の財政再建の方針は守られている」と増税決行に期待を示した。(追加緩和手段に限界ない、現時点で議論不要=黒田日銀総裁 2014.9.11)


──異次元緩和後の金利動向をどうみているか。

「金利に対しては2つの違う働きの効果が働いている。国債を大量に買い入れたため、名目金利やリスクプレミアムは下がる。一方、予想インフレ率が上がることで名目金利が上昇する要素もある。金融政策の結果、予想インフレ率が上昇し、実質金利が下がっているかどうかが一番大事だ。そうでなければ株や為替、実体経済に対する影響が出てこない。(現在の実質金利は)BEIでみるとマイナスだ」(岩田日銀副総裁インタビューの一問一答 2103.6.24)

これらの「懸念」のよってきたるところの大きな理由のひとつを池尾和人氏は次のように説明している。

 「日銀が大量の国債を買い取ることで、これまで民間部門が保有していた国債が減るために、国債の需給が引き締まり、長期国債の利回りは低下する要因となるはず。一方で他の資産市場にシフトして国債市場から離脱する市場参加者の方が多ければ、かえって需給が緩み、結局利回りは下がらない。何らかのストレスが市場に発生することで、財政に伝播してしまうリスクや、金利上昇の際のリスクが大きくなったともいえる」と不安を示す。

ただし「何が起こるかは、民間金融機関の行動次第だ。買えるだけの国債は買った上で買えない部分だけ外債投資に移すのか、あるいは、国債市場から離脱して他の投資先を本格的に求めていくのかによって、生じる結果も変わる。確定的なことはわからない」として、今後の市場の動きを見極める必要性を指摘する。

さらに大きなリスクとみているのは、デフレから脱却して景気が回復すれば、金利が上昇し、利払い負担が膨らむこと。「これまでは、デフレのもとで財政が奇妙な安定を保ってきたが、デフレから脱却して金利が上昇すると、財政の安定が崩れるというリスクがある。その際、成長率上昇による税収増と利払い費の比較になる。税収に比べて利払いが大きくなっているので、成長率が1%上がった場合、金利も1%上がると、税収増より利払い増が大きくなり、資金繰りが苦しくなる」というものだ。

そのうえで、デフレ脱却を目指す以上、財政リスクへの備えが欠かせないと指摘。「これだけの公的債務を抱えている国の首相が、金利上昇方向の政策を推進し、大胆な緩和策をとる以上は、それに見合った財政のコンティンジェンシープランが必要だ」と強調する。(インタビュー:利払い負担で資金繰り苦しく、財政不安定化も=池尾教授

※参照:



冒頭に掲げた学者先生たちを「ひねくれた」と書いてしまったが、それでは、あれら

『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』メンバーにはひどくシツレイである。ただマスコミを軽くあしらう癖はあるメンバーであるようで、その議論はあまり知られていないということはあるだろう。

……数日後、来年の日本経済に関する予測特集を組む予定だという経済誌の記者から、「先生が主催されている『財政破綻後の日本経済』の姿に関する研究会について一度お話を伺えませんか?」というメールを受け取った。「毎回議事録を掲載しています。あれ以上に具体的に何を聞きたいというのですか?」と返信した。「日本財政はどういう帰結をたどる可能性が高いか」「その結果、何が起きるのか(国債デフォルトあるいはハイパーインフレ?)」「財政破綻を防ぐにはどうすれば良いのか?」など6項目だという。「議事録を読んで聞きたいことを明確にしていただけませんか?マナーというものがあるでしょう」という返信に対する、数時間後の「大変失礼しました。申し訳ありませんでした」という回答で終了した。多くの「関係者」にとって、「想定外の」内容の議論・研究会であることを象徴するように見える。  年金受給年齢に達した生活者としてはあまり現実化して欲しい内容のものではない。そういう「利害」を棚上げして、内容を真摯に受け止め、積極的に議論に参加したメンバー各位に深謝します。


実際、彼らは「誠実な」ひとびとの集まりであり、第一次世界大戦後のドイツの財政破綻によるハイパーインフレーションなども「真摯に」研究されており、そこにはこうある。


ドイツのインフレ、あの有名なhyperinflationが現実化したのは1923年秋の8月から11月の短期間であり、ドイツ皇帝が退位した1918年11月やVersailles条約調印の1919年6月から4年以上経過後のことである点に何よりも驚いた。敗戦後の混乱した状況下ですぐに現実化したのではない。敗戦後もかなりの率のインフレが進行し、1922年の高率のインフレの後に半年間以上の安定期を経て、1923年8月から11月までの短期間に物価水準が107倍(つまり10,000,000、1千万倍)になるというhyperinflationが現実化した。これに比べれば、先行する時期のインフレ(あるいは第2次世界大戦後の日本のインフレ)もかすんでしまうだろう。

この発表をされた福井義高氏のメモにはこうある。

意外に悪影響の少ない劇薬? 
・長期的視点でみれば、単なる一時的落ち込み
・ 政治的影響も小さい 
・(ハイパー)インフレのメリット – 最終局面を除き、低失業率の実現 
・国民の広い範囲にインフレ利得者が存在
・日本への教訓 – ハイパーインフレ恐るるに足らず? 
むしろ究極の財政再建策として検討すべき?


ーーなかなか過激な見解である。物価も、たとえば500円のざるそばが5万円(百倍)になれば驚くが、50億円になれば(1千万倍)笑ってすますことができるかもしれない。北野武の「日本はいったん亡びたほうがいいんじゃないか」、という発言のヴァリエーションのようにさえ思える。これを読むと岩井克人の見解などひどく「常識的」にみえてしまう。彼らは、いったん日本の財政は崩壊して新たに出直すべきだという議論までしているのだから。

……デフレはすべて悪であるが、インフレはすべて善ではない。それは、さらなるインフレを予想させてインフレをさらに強めるという悪循環に転化する可能性を常に秘めている。その行き着く先であるハイパーインフレこそ、貨幣の存立構造それ自体を崩壊させる最悪の事態である。

好況は多数の人が永続することを願っている。その多数の声に逆らって、善きインフレが最悪のハイパーインフレに転化するのを未然に防ぐ政策を実行すること、それが中央銀行の独立性の真の理由である。しかし、その心配をするのはまだ早い。いまはインフレ基調の確立により総需要が刺激され、日本経済が長期にわたる停滞から解放されることを切に望むだけである。(「日本経済新聞2013年3月14日 経済教室 岩井克人」)

財政破綻後、食料確保の次に懸念されるだろう医療についても、東京大学医学部の橋本英樹氏から「財政破綻は医療を破綻させるか? 話題提供のためのメモ」などにより検討されている(内容はいまは割愛)。

ひとが不安に思ったり驚愕したりするのは、たとえば経済小説家の橘玲氏による「20XX年ニッポンの国債暴落」に叙述される程度のハイパーインフレであり、数カ月でざるそば一杯が50億円になれば、場合によっては一部の人はお祭りのような気分にさえなりうるものかもしれない。バタイユもどきの過剰な蕩尽によるトランス状態,飲んだり喰ったり,踊ったり姦淫したり,この狂騒的リズムーー。

実は消費税増反対をくり返している「左翼」のひとたちも、蕩尽を、内心ーー仮に無意識的にであれーー、望んでいるのなら、なかなかの器である。先日、「左翼」の論客を貶してしまったが、彼らの器量はひょっとしてわたくしに窺い知れない偉大なものがあるのかもしれない。いたずらな嘲笑は、わたくしの凡庸さのなせる技であった。『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』の学者センセの議論を読んで反省することしきりである。ーーシツレイしました!

外苑前で2万円のビジネスランチを食べ、麻布十番の顧客を訪問する。50歳でリタイアし、マレーシアで海外移住生活を送っていたのだが、円安と地価の下落を見て、外貨資産を円に戻して日本に帰ってきた「海外Uターン族」だ。

彼ら新富裕層のおかげで、私は会社でトップ5に入る営業成績を維持できている。目標に到達できなければ問答無用で解雇されるが、成績次第で青天井の報酬が支払われる。私が以前勤めていた電機メーカーはインドの会社に買収され、「同一労働同一賃金」の原則のもと、いまでは日本人社員もインド人と同じ給料で働いている。

今日は早めに仕事を切り上げて、6時の特急電車で南アルプスの家に帰る。

金融危機とそれにつづくハイパーインフレで、私の実家も妻の実家も、祖父母が年金だけは生活できなくなった。そのうえ父と義理の父がリストラされ、路頭に迷ってしまった。それで田舎に3軒の家と農地を格安で購入し、一族が肩を寄せ合って暮らすようにしたのだ。同じようなケースはほかにも多く、日本は大家族制に戻りつつあった。

東京駅前には、赤ん坊を抱いた物乞いの女たちが集まっていた。その枯れ枝のような細い腕を掻き分けて改札を通り抜けると、5000円のビールとつまみを買ってあずさのグリーン席に乗り込む。平日は都心のワンルームマンションで単身赴任し、週末に家族の待つ田舎に戻る生活を始めて1年になる。

プルトップを引いて、冷たいビールを喉に流し込む。この週末は、失業した妻の弟が、いっしょに暮らせないかと相談に来ることになっている。娘の進学問題も頭が痛い。将来に不安がないわけではないが、泣き言はいえない。いまや一族の全員がわたしを頼っているのだ。

中国語やハングルやアラビア文字のネオンサインが、新宿の夜空をあやしく染めていた。青白い月を眺めながら、いつしか浅い眠りに落ちていた。

…………

ところで、国債価格が下落しない《不可解な現象》が起こっているのはなぜなのか? ここではわたくしが依拠するところの多い「常識的な」岩井克人センセにもういちどお出まし願おう。

【ケインズの「美人投票」の理論】(岩井克人『グローバル経済危機と二つの資本主義論』より

ケインズの美人投票とは、しゃなりしゃなりと壇上を歩く女性の中から審査員が「ミス何とか」を一定の基準で選んでいくという古典的な美人投票ではない。もっとも多くの投票を集めた「美人」に投票をした人に多額の賞金を与えるという、観衆参加型の投票である。この投票に参加して賞金を稼ごうと思ったら、客観的な美の基準に従って投票しても、自分が美人だと思う人に投票しても無駄である。平均的な投票者が誰を美人だと判断するかを予想しなければならない。いや、他の投票者も、自分と同じように賞金を稼ごうと思い、自分と同じように一生懸命に投票の戦略を練っているのなら、さらに踏み込んで、平均的な投票者が平均的な投票者をどのように予想するかを予想しなければならない。「そして、第四段階、第五段階、さらにはヨリ高次の段階の予想の予想をおこなっている人までいるにちがいない。」すなわち、この「美人投票」で選ばれる「美人」とは、美の客観的基準からも、主体的な判断からも切り離され、皆が美人として選ぶと皆が予想するから皆が美人として選んでしまうという「自己循環論法」の産物にすぎなくなるのである。

ケインズは、プロの投機家同士がしのぎを削っている市場とは、まさにこのような美人投票の原理によって支配されていると主張した。それは、客観的な需給条件や主体的な需給予測とは独立に、ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然価格を乱高下させてしまう本質的な不安定性を持っている。事実、価格が上がると皆が予想すると、大量の買いが入って、実際に価格が高騰しはじめる。それが、バブルである。価格が下がると皆が予想すると、売り浴びせが起こり、実際に価格が急落してしまう。それが、パニックである。

ここで強調すべきなのは、バブルもパニックもマクロ的にはまったく非合理的な動きであるが、価格の上昇が予想されるときに買い、下落が予想されるときに売る投機家の行動は、フリードマンの主張とは逆に、ミクロ的には合理的であるということである。ミクロの非合理性がマクロの非合理性を生み出すのではない。ミクロの合理性の追求がマクロの非合理性をうみだしてしまうという、社会現象に固有の「合理性のパラドックス」がここに主張されている。

というわけで、日銀首脳もある種の経済学者も、《ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然価格を乱高下させてしまう本質的な不安定性》を怖れているわけだ。そしてその動因のひとつが、消費税増延期によって、日本は財政破綻の回避に真剣に取り組む気がないんじゃないか、という「あやふやな噂」が市場関係者のあいだで流通してしまうことになるのだろう。

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。(「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)


ケインズの「美人投票論」というのは、市場関係者の「欲望」にかかわるのはよく知られている。ドゥルーズ&ガタリは、「通貨の問題」と書いているが、「国債価格の問題」を代入して読んでおこう。

ケインズがいくつか貢献したことのうちのひとつは、通貨の問題の中に欲望を再び導入したことであった。こうしたことこそ、マルクス主義的分析の必要条件にあげられるべきことなのである。だから、不幸なことは、マルクス主義の経済学者たちが大抵の場合多くは、生産様式の考察や『資本論』の最初の部分にみられる一般的等価物としての通貨の理論の考察にとどまって、銀行業務や金融操作や信用通貨の特殊な循環に十分に重要性を認めていないということである。(こういった点にこそ、マルクスに回帰する(つまり、マルクスの通貨理論に回帰する)意味があるのである)。(ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』)

2013年8月27日火曜日

引き返せない道

中井久夫の『昭和を送る』所収の「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」1989年に書かれながら「長く単行本に収録する気力を失っていた」)の結びは次のようにある(わたくしはこの著は手元になく、ウェブ上から拾った)。


日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔…〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕ではおれない。われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る。


ここで加藤周一の言葉を挿入しよう。

加藤周一は,こう問うた。

2003年3月20日に開始されたイラク戦争に対する,日本とドイツの政府の態度がおおきく異なったのは,なぜか。

ドイツは参戦を拒否し,日本は平和だろうと戦争だろうとアメリカのあとにしたがう。ドイツは「ヒトラーに臣従した過去」を徹底的に批判し,いまや「アメリカの権力にも権威にも臣従しようとしない」国である。それにくらべ日本は,かつては「臣民にすぎなかった過去」から真に訣別しなかったゆえ,「国民が主権を保持する国」となったいまでも、「昔を懐かしみ和を貴しとする」以外に批判精神を研ぎすますことがすくない)。bbgmgt-institute.org/Ronsou12.pdf
ここで加藤周一氏は、「今日も残る戦争責任」の記事の中で「生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。」(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)81ページ記事引用)
加藤周一氏は『朝日新聞』連載「夕陽妄語」の中で「国の犯罪」と題して次のように述べている。「国が犯罪を犯せばどうなるか。犯罪を犯した国が、そのまま今日まで続いている場合もあり、犯罪を犯した国と今日の国との間に連続と断絶の両面のある場合もある。国土と国民とは連続していても、国家権力の、指導者と制度と価値観に、時と場合によって異なる程度の断絶があり得るからである」。ここで加藤氏が犯罪を犯した国と今日の国との間の連続と断絶を問題にする場合、前者の例として日本を、後者の例としてドイツを念頭に置いていることは明らかであるが、この問題をここでの用語法で言い換えれば、日本では戦前の「公」と戦後の「公」とが連続しており、従って戦前的思想・政策を戦後の現在になってもまだ完全に否定できないのに対して、ドイツにおいては戦後の「公」は戦前の「公」を否定するかのような立場を採ることによって、自らの正当性を担保しており、日本とは逆に戦前的価値を完全否定することが現在の「公」の存在証明となっているように見えることである。(ナチ犯罪処罰の論理構造 「公」の無答責・「私」の断罪

もちろん、これは現在の日本の、たとえば東北沖の「汚染水」の垂れ流しのことを想起しつつ引用している。そしてドイツの決断のことをも。

国民は高枕ではおれない。われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る》であるならば、われわれは今、世界に対して「政府」「官僚」「東電」である。


これだけの人類が全て滅びるような最悪な種をそのまま置いていくという事は
私達が今初めて、やっているんです。

それは、人間がやらなかった、これまでやらなかった最悪の事、最も悪い事じゃないでしょうか。

それは、つまり、人間として、人間としての倫理、モラルの根本に反するものだと。
私たちは考えなければならないと思います。

ドイツで原発を廃止する必要があるという事を決めた学者たちが供述しました。
そして彼らは見事な報告書を作りました。
あの委員会がですね、ドイツ倫理委員会、
ドイツのエシックスのモラルのコメディと言われていた事を、述べられていた事を
皆さんは御記憶になっているでしょう。

このドイツ倫理委員会が、ドイツの人間の、将来の人間の、そして、ヨーロッパ全体の
世界の人間がやってはならん事を、何よりも緊急にやらなければならない問題として、
そのようなこと、すなわち倫理として、倫理の原理としてこの原発の問題を取り上げた。
そして、メルケル首相はそれを受け入れました。
議会はそれを通しました。そして、ドイツは大きい一歩を踏み出したわけでありました。(「原発をやめること、それは人間のいかなる価値を超えて一番大事な倫理なのです」大江健三郎


…………

「昭和と送る」とほぼ同時期に書かれた中井久夫の「引き返せない道」より(1988初出 産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え 『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕広栄社)。


近未来の変化

1、労働道徳の質的変化。統計によれば、うつ病のピークは四十年に二十代中ごろ、昭和六十年に五十台中ごろにある。これは同一集団が時間とともに高年齢に移動したに過ぎない。この特殊な年齢層の内容吟味は紙幅を超えるが、とにかくこの階層が舞台から消えるとともに、勤勉、集団との一体化、責任感過剰、謙譲、矛盾の回避などの徳目は、第二線に退く。かわって若干の移行期をおいて「変身」(変わり身の早さ)、「自己主張」「多能」などの性格が前面に出てくる。現在の韓国エリートの性格は将来の日本のエリート層の姿でありうる。これは歴史的推移であるとともに、終身雇用の衰退、企業買収、技術革新などの論理的帰結でもある。大方の予想に反して精神病は増加せず、むしろ軽症化に向うが、犯罪、スリルの愛好が増大する。

2、「普遍的労働者」の消滅。異能を持たない平凡な人がなるとされる一般的職業「サラリーマン」「労働者」が、意識としても、おそらく実態としても消滅しつつある。その帰納として、「ふつうの人」が暮らしにくくなる一時期が現れる(こういう時期は歴史上何度か現れた。ルネサンス、明治維新前後など)。また「労働組合」の存立基盤の危機である。(……)

3、階級相互の距離が増大する。新しい最上階級は相互に縁組みを重ね、社会を陰から支配する(フランスの二百家族のごときもの)。階級の維持は教育によって正当化され、税制や利益の接近度などによって保証され、限度を超えた階級上昇はいろいろな障害(たとえば直接間接の教育経費)によって不可能となる。中流階級は残存するが、国民総中流の神話は消滅する。この点では西欧型に近づく。労働者内部の階級分化も増大する(この点では必ずしも西欧型でない)。

4、天皇制はそのカリスマの相当を失い、新階級と合体する。世代交代とともに君が代や日の丸は次第に争点ではなくなり、旧右翼は消滅するが、“皇道派”に代わる“統制派”のごとき、天皇との距離を置いた新勢力が台頭する。(……)

5、抵抗はあっても外国人労働者の移入が行われ、国内の老人労働者、非組織労働者との格差がなくなる。(……)

6、一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。国際的にも二大国対立は終焉に近づきつつある。その場合に日本の地理的位置からして相対的にアジアあるいはロシアとの接近さえもが重要になる。しかし容易にアメリカの没落を予言すれば誤るだろう。アメリカは穀物の供給源、科学技術供給源、人類文化の混合の場として独自の位置を占める。危機に際しての米国の強さを軽視してはならない(依然として緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう)。


驚くべき予測といっていいだろう。ただし、五番目の移民をめぐって以外は。


《外国人登録によれば、日本の外国人人口は2009年末で219万人、1.7である。国立社会保障・人口問題研究所の人口移動調査によれば外国生まれの人口比率は1.1である(2011年)》とのこと(「主要国の移民人口比率推移」より)。









次のようであることを誰もが知っているにもかかわらず(人口構造の変化と現役世代


※「二十一世紀は灰色の世界…働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって」渡辺美智雄1986


債務残高の国際比較(対GDP比)









月収とへそくり40万円の収入の家庭において、社会保障費が24万円、ローン返済が18万円、つまりこの二つを合わせて42万円の支出となり、収入を超えてしまう。これが国家の財政状況だ。


個別的には移民は嫌だとか、消費税増税、社会保障費削減は嫌だというのは当然あるには相違ない。であるならば、なにを選びたいというのだろう。

ジャック・アタリーー「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」。


移民問題で欧米諸国は苦しんでいるだと? そう、たしかに間違いない。  

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)


かつて消費税導入して景気停滞し税収が下がっただと? それでは税収を上げるために、消費税ゼロにしてみたらどうだろう。






※参照:「消費税増税は97~98年の景気後退の「主因」であったとは考えられない」(消費税増税のマクロ経済に与える影響について 吉川洋)

www.cas.go.jp/jp/seisaku/syakaihosyou/syutyukento/dai9/siryou3-2.pdf




※附記


林房雄の放言という言葉がある。彼の頭脳の粗雑さの刻印の様に思われている。これは非常に浅薄な彼に関する誤解であるが、浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(……)



「俺の放言放言と言うが、みんな俺の言った通りになるじゃないか」と彼は言う。言った通りになった時には、彼が以前放言した事なぞ世人は忘れている。「馬鹿馬鹿しい、俺は黙る」と彼は言う。黙る事は難しい、発見が彼を前の方に押すから。又、そんな時には狙いでも付けた様に、発見は少しもないが、理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人が現れる。林は益々頭の粗雑な男の様子をする始末になる。(小林秀雄「林房雄」)





2013年7月19日金曜日

アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン

【国債残高】


しばしば「国債残高は、1000兆円目前である」と語られる。


だが、次の図では、750兆円だ。(2013年度予算案・国債残高と利払い費 2013年1月ーー以下とくに断らない場合の図表は、このリンク先からの転載)



現在の残高が1000兆円といわれるとき、「国債及び借入金並びに政府保証債務」のことであって、つまりは国債残高ではなく政府債務の総計なのであり、それであるならば、トータルで1000兆円近く(2012年12月末997兆円)ということになる。

そして下記のように書かれるとき、国債残高は、借入金や政府保証債務を除いて語られているが、それにもかかわらず、21年度末には、1000兆円を超えるということのようだ。(消費税を10パーセント上げての試算)。(2011年1月27日 読売新聞


試算によると、国債残高(復興債を除く)は12年度末の696兆円から21年度末には311兆円増の1007兆円に達する見通し。利払い費も12年度の10兆円から21年度には20.7兆円にまで増える。経済成長率は1%台半ば、長期金利(新発10年物国債利回り)は現在より高い2%程度と仮定している。

消費税率を5%上げるのに伴って税収は15年度には12年度よりも約10.5兆円増える。これにより税外収入なども含めた収入は15年度に56兆円に増える。

 ところが社会保障費や地方交付税など政策的な経費は12年度の68.4兆円から15年度には73.9兆円まで増える。国債も毎年40兆円以上の新規発行で残高が積み上がるため、利払い費に国債の償還費などを足した国債費は12年度の21.9兆円から、15年度には27.5兆円に増えることになる。

【税収と支出】

上の文には、消費税率を5%増にともなって、「税収は15年度には12年度よりも約10.5兆円増える」、とある。現状、税収のトータルはどれほどか。


13年度に、税収が43兆円程度あったものから、消費税を5→10%にして、15年度には、10兆円ほど増えるということになる。歳出の93兆円超に届くためには、消費税だけでは20%になってもまだ足らない(単年度赤字のまま)。5%あげて10兆円の増収なのだから、40兆円の差(93-43-10=40)をまかなうためには、あと20%、つまり消費税を30%にしなければならない(もちろん消費税を上げたら買い控えがおこって実際にはそんな具合にはいかないとか、逆に、歳出の削減もあるだろし、景気回復に伴った税収増などは考慮に入れない話である)。



ところで、歳入と歳出の構成はこんな具合である。




この図から、歳出の削減のためには、まずは社会保障費29兆円と国債費22兆円に注目せざるをえないだろう(国債費内訳については、財務省平成25年度国債費概算額の内訳を参照)。アベノミクスの一環として「日銀による巨額の国債買入」の政策をとる政府・日銀が、長期金利の上昇に神経質になるのは当然である。



【アベノミクスと長期金利上昇の懸念】

今春からの長期金利 上昇が政府の国債利払い費を来年度3000億円以上押し上げる可能性がある。利払い費のための国債増発という財政悪化の悪循環に陥りかねず、日本銀行の黒田東彦総裁も長期金利の過度の変動に注意を払っている。(黒田総裁、長期金利抑制へ-国債利払い増大の懸念
──異次元緩和後の金利動向をどうみているか。

「金利に対しては2つの違う働きの効果が働いている。国債を大量に買い入れたため、名目金利やリスクプレミアムは下がる。一方、予想インフレ率が上がることで名目金利が上昇する要素もある。金融政策の結果、予想インフレ率が上昇し、実質金利が下がっているかどうかが一番大事だ。そうでなければ株や為替、実体経済に対する影響が出てこない。(現在の実質金利は)BEIでみるとマイナスだ」(岩田日銀副総裁インタビューの一問一答

このあたりのことは、池尾和人氏の説明がわかりやすい。

「日銀が大量の国債を買い取ることで、これまで民間部門が保有していた国債が減るために、国債の需給が引き締まり、長期国債の利回りは低下する要因となるはず。一方で他の資産市場にシフトして国債市場から離脱する市場参加者の方が多ければ、かえって需給が緩み、結局利回りは下がらない。何らかのストレスが市場に発生することで、財政に伝播してしまうリスクや、金利上昇の際のリスクが大きくなったともいえる」と不安を示す。

ただし「何が起こるかは、民間金融機関の行動次第だ。買えるだけの国債は買った上で買えない部分だけ外債投資に移すのか、あるいは、国債市場から離脱して他の投資先を本格的に求めていくのかによって、生じる結果も変わる。確定的なことはわからない」として、今後の市場の動きを見極める必要性を指摘する。

さらに大きなリスクとみているのは、デフレから脱却して景気が回復すれば、金利が上昇し、利払い負担が膨らむこと。「これまでは、デフレのもとで財政が奇妙な安定を保ってきたが、デフレから脱却して金利が上昇すると、財政の安定が崩れるというリスクがある。その際、成長率上昇による税収増と利払い費の比較になる。税収に比べて利払いが大きくなっているので、成長率が1%上がった場合、金利も1%上がると、税収増より利払い増が大きくなり、資金繰りが苦しくなる」というものだ。

そのうえで、デフレ脱却を目指す以上、財政リスクへの備えが欠かせないと指摘。「これだけの公的債務を抱えている国の首相が、金利上昇方向の政策を推進し、大胆な緩和策をとる以上は、それに見合った財政のコンティンジェンシープランが必要だ」と強調する。(インタビュー:利払い負担で資金繰り苦しく、財政不安定化も=池尾教授

後半箇所の「大きなリスク」をめぐっては、池尾氏は、アベノミクス以前、リフレ談義が巷間で賑わったころより(あるいはそれ以前から)、再三同じようなことを主張し続けている(参照:「財政破綻」、「ハイパーインフレ」関連)。


ここでは野村総研の大崎貞和氏との対談(「経済再生 の鍵は 不確実性の解消 」 野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部 ©2011 Nomura Research Institute, Ltd. )よりひとつだけ抜き出しておく。http://www.nri.co.jp/opinion/kinyu_itf/2011/pdf/itf_201111_2.pdf
デフレから脱却しなければいけないのだけれども、そのプロセスについてはかなり慎重に考えなければいけません。

 インフレになれば債務者が得をして債権者が損をするという感覚があります。しかしそれは、例えば年収と住宅ローンのように、所得1に対して抱えている負債がせいぜい2、3ぐらいのときの話です。

 日本の置かれている状況は、 一般会計の税収40兆円ぐらいに対し、 グロスで1,000兆円ぐらいの政府債務があるわけです。 そうすると、 1対25です。 景気がよくなって税収が増えたとしても、 利払いの増加のほうがその上をいく構造になっています。 ですから、 景気が好転するときが一番用心すべきときになります。

 デフレ脱却を叫ぶのであれば、デフレを脱却しても困らない体制をつくる必要があります。所得税の累進構造をもう少し高めるのも一つですし、景気が回復に向かった際、ある種の増税措置を速やかに発動できる体制をつくるのも一つです。要するに、そこまで日本の財政問題は困難化しているわけです。

 やはり政治にちゃんと機能してもらわないと絶対よくなりません。財務省や日本銀行に責任を丸投げしている場合ではありません。


【消費税増と社会保障費削減】


ところで、2012/1/30の時点で、財務省は、次のような試算をしている。

消費税率を15年10月に10%に引き上げても国債残高は21年度末に1000兆円を超えるまで増え続け、21年度の国債の利払い費は20兆円へと倍増する見込みだ。先進国で日本の債務残高が突出している状態は変わらず、社会保障費の抑制など歳出削減が急務であることが改めてわかった。(……)

試算によると、国債残高(復興債を除く)は12年度末の696兆円から21年度末には311兆円増の1007兆円に達する見通し。利払い費も12年度の10兆円から21年度には20.7兆円にまで増える。経済成長率は1%台半ば、長期金利(新発10年物国債利回り)は現在より高い2%程度と仮定している。

消費税率を5%上げるのに伴って税収は15年度には12年度よりも約10.5兆円増える。これにより税外収入なども含めた収入は15年度に56兆円に増える。

ところが社会保障費や地方交付税など政策的な経費は12年度の68.4兆円から15年度には73.9兆円まで増える。国債も毎年40兆円以上の新規発行で残高が積み上がるため、利払い費に国債の償還費などを足した国債費は12年度の21.9兆円から、15年度には27.5兆円に増えることになる。

ーーこうやって、財政再建のためには、社会保障費の削減が鍵と語られることになる(あわせて消費税増)。


ところで、13年度予算案を家計にたとえた図がある。




月収とへそくり40万円の収入の家庭において、社会保障費が24万円、ローン返済が18万円、つまりこの二つを合わせて42万円の支出となり、収入を超えてしまう。これが国家の財政状況だ。



【日本の岐路】

日本を代表するケインジアンのひとり、岩井克人は『月刊マスコミ市民』2012年7月号にて、次のように語っているそうだ(要約)。

1.日本国債が国内で消化されているから心配ない論は誤り。日本経済の状況が悪いことの裏返しである。

2.消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。

3.日銀のデフレ対策は臆病。インフレターゲット論を明確に打ち出すべし。

4.デフレをめぐり世代間の対立の発生。社会保障による所得再分配で若者を優遇し、子供を生めるようにすべきだ。

5.日本のリベラルは増税と財政規模拡大に反対する。世界にない現象で不思議だ。高齢化という条件を選び取った財政拡大を。

6.所得不平等への対処。日本の所得再分配は遅れている。厚い社会保障による再分配が世界の動き。

7.資本主義以外に選択肢はない。資本主義を守るには自由放任主義を捨てるしかない。

8.民主党のマニフェストは社会保障重視だったが、国民の負担を語るのを避けた。負担はパイを増やすための生産性向上についての方策が要る。その視点の欠落が現在の混乱を呼んだ。

岩井克人は、現在の日銀のあたらしい施策については肯定的な捉え方をしている(期待が根拠、それがお金 経済学者の岩井・東大名誉教授)。

――アベノミクスでも期待に働きかけることが注目されています。お金の価値を下げることを意味するインフレは、緩やかな限り「よいこと」とされている意味とは? 

「資本主義とは、お金があるがアイデアはない人が、アイデアはあるがお金がない人にお金を貸すことによって、アイデアを現実化していくシステムです。デフレの時は、お金を持っているだけで得する。人々はお金それ自体に投機し、貸し渋りが起こった。インフレの期待は、人々をお金それ自体への投機から、アイデアに対する投機、さらにはモノに対する投資に向かわせるのです」

 「そういう意味で『期待』によって、お金がお金になるだけではなく、経済そのものに大きな影響を与える。経済政策を巡って『期待だけで実体が伴っていない』と言われますが、貨幣を伴う経済にとって、期待とは本質そのものとすら言えます」(聞き手・高久潤)

この「貨幣を伴う経済にとって、期待とは本質そのものとすら言えます」をめぐっては、「ケインズの「美人投票」理論  (岩井克人)」を参照。


【デフレとインフレ、あるいはハイパーインフレ】

上記のリンク先に、《貨幣にかんするパニックとは、逆に、貨幣の価値を人びとが疑い始めることである。はやく貨幣を手離してモノに換えようとすることが、インフレに火を付け、貨幣価値を下げてしまうという悪循環を生み出す。さらなるインフレが予想されると、「貨幣からの遁走」が始まってしまう。その極限状態が、誰も貨幣を貨幣として受け入れず、物々交換に戻ってしまうハイパーインフレなのである。》とあるように、岩井克人はハイパーインフレをおそれていないわけではない。


だが、デフレはすべて悪であるが、インフレはすべて善ではない。それは、さらなるインフレを予想させてインフレをさらに強めるという悪循環に転化する可能性を常に秘めている。その行き着く先であるハイパーインフレこそ、貨幣の存立構造それ自体を崩壊させる最悪の事態である。
 好況は多数の人が永続することを願っている。その多数の声に逆らって、善きインフレが最悪のハイパーインフレに転化するのを未然に防ぐ政策を実行すること、それが中央銀行の独立性の真の理由である。しかし、その心配をするのはまだ早い。いまはインフレ基調の確立により総需要が刺激され、日本経済が長期にわたる停滞から解放されることを切に望むだけである。

※吉川洋(東京大学教授)などの異なった角度からの指摘のまとめ(見たいものを見る岩田日銀副総裁


さて、ここでは、《善きインフレが最悪のハイパーインフレに転化するのを未然に防ぐ政策を実行すること》を中央銀行に「期待」して、それ以外に、岩井克人の主張による今の現状での政策的な課題として、<主な問題提起>で上げられた、二番目の「消費税」、五番目の「増税と財政規模拡大」にもう一度注目してみよう。

日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。》

《日本のリベラルは増税と財政規模拡大に反対する。世界にない現象で不思議だ。高齢化という条件を選び取った財政拡大を》


ーーこれらは、現在の日銀の施策が上手くいっても、避けられるものではない。


※参照:付加価値税率(標準税率)の国際比較



【過剰な債務の解決策】

ジャック・アタリーー「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」。

社会保障費削減や消費税増を否認しつづけるならば(ラカン派文脈では「わかっているが、それでも……」というフェティシズム的否認の態度という)、そして《英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せず》をも拒絶するならば(実際には既にそうなりつつあるといってよいのかもしれない)、アタリ氏のいう選択肢のなかで残されており実現性のあるものは、そう多くはない。



※附記:(資本主義と倫理について ―世界経済危機を契機に「第 5 話 企業家精神―シュンペーター『経済発展の理論』」.―財務総合政策研究所研究部長 田中 修 www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f03_2009_11.pdfから上にあげた吉川洋東京大学教授がシュンペーターを引きつつ語っている箇所を抜き出しておく。
一人っ子家庭が増加するにつれ、若者たちは 「結局は年老いてからひどい扱いを受け、蔑ま れることになるのに、若い時分に自分の望みを 押さえ生活を窮乏にしなければならない理由が どこにあろうか」と考えはじめる。また「なに よりも女房と子供のために働きかつ貯蓄せん」 という動機は失われ、個人主義的功利主義が支 配するようになり、人々は「ただ将来のために 働くことを命ずる資本主義的倫理をも喪失する に至る」とする。吉川は、 「シュンペーターによれば、優良な 投資機会が少なくなるということで資本主義は滅びはしない。それは家族の変容を伴いながら 企業家精神が喪失されることにより自壊するのである」と結論づけている。

※補遺:アベノミクスの博打


…………

※追記(2014.3.22):「アメリカがアベノミクスに味方する理由〔2〕 - 岩井克人」より

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。

 消費増税は、もちろん短期的には消費に対してマイナスだろうが、法人税減税などと組み合わせれば、インパクトを最小限に抑えることができる。重要な点は、消費増税によって財政規律に対する信頼を回復させ、長期金利を抑制することだ。実際、消費増税の実施が決定的となった昨年9月には、長期金利は低下した。

現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。

このような議論をすると、「1997年に消費税を3%から5%へ引き上げたあと、日本経済は不況に陥ったのではないか」との反論が上がる。しかし当時の景気減退は、バブル崩壊後の不良債権処理が住専問題騒動で遅れ、日本が金融危機になったことが主因である。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻は、小さな規模のリーマン・ショックだったのである。

また、「消費税は弱者に厳しい税だ」という声も多い。だが、消費額に応じて負担するという意味での公平性があり、富裕層も多い引退世代からも徴収するという意味で世代間の公平性もある。たしかに所得税は累進性をもつが、一方で、「トーゴーサン(10・5・3)」という言葉があるように、自営業者や農林水産業者などの所得の捕捉率が低いという問題も忘れてはいけない。