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2014年6月30日月曜日

「強い視差 parallax」、あるいは「超越論的」

前投稿にて、柄谷行人の『探求Ⅱ』からつぎの文を引用した。

他の人間が夢をみているだけだから眼ざめさせねばならぬと考える者、つまり自らを”超越的”な立場にあるとみなす者こそ、夢をみているだけなのだ。デカルトは、そのような人々の間にまじって「真理」を説くことを回避したが、というのも、彼の懐疑は、どのような共同体(システム)にを属さない空=間においてしか根拠がなかったからである。それは、さまざまな真理を幻想とみなすメタレベルではありえない。

夢のなかで夢をみていることを自覚しても、なおひとが夢をみていることには変わりない。デカルトは、ひとが完全にめざめる(夢の外部に出る)ことができるなどとは考えない。つまり、彼は超越的立場を斥ける。彼の方法は、カントやフッサールの用語でいえば、超越論的なのである。超越論的な方法によってしか、幻想を幻想とみなす、逆にいえば真理を基礎づけることはできない。が、超越論的とは、上方や下方に向かうことではない。それはいわば横に出ることだ。(柄谷行人『探求Ⅱ』P90)

《他の人間が夢をみているだけだから眼ざめさせねばならぬと考える者、つまり自らを超越的な立場にあるとみなす者こそ、夢をみているだけなのだ》とあるが、これはわれわれは日夜やっている(たとえばインターネット上で)のであり、かなりの割合の言説は「メタレベル=超越的」であるということになる。では上のように書いている柄谷行人の言説はどうか。ここだけ読めば、やはり「超越的」のようにみえてしまうのではないか。それについても前投稿(「超越的/超越論的」と「イロニー/ユーモア」)に叙した。

さて柄谷行人の立場とは次のようであった。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」ーー
象牙の塔(メタレベル)不在の「美しい日本の私」

柄谷行人は、冒頭の文にかんしても、日本的環境、《経験論がドミナントである》環境において、《合理論からそれを批判した》ということになるのだろうか。

ここで柄谷行人が好んで引用するデカルトの『方法序説』のなかから代表的な一文のひとつを抜粋してみよう。

私は、すでに学校時代に、どんな奇妙で信じがたいことでも哲学者の誰かが既に言っているものだ、ということを知った。またその後旅に出て、 我々の考えとは全く反対の考えを持つ人々も、だからといって、みな野蛮で粗野なのではなく、それらの人々の多くは、我々と同じくらいにあるいは我々以上 に、理性を用いているのだ、ということを認めた。

そして同じ精神を持つ同じ人間が、幼時からフランス人またはドイツ人の間で育てられるとき、仮にずっとシナ人や人食い人種の間で生活してきた場合 とは、いかに異なったものになるかを考え、また我々の着物の流行においてさえ、十年前には我々の気に入り、また十年経たぬうちにもう一度我々の気に入ると 思われる同じものが、今は奇妙だ滑稽だと思われることを考えた。

そして結局のところ、我々に確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもか かわらず少し発見しにくい真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であることの方がはるかに真実らしく思われるのだから、 そういう真理にとっては賛成者の数の多いことは何ら有効な証明ではないのだ、ということを知った。

こういう次第で私は、他を置いてこの人の意見をこそ取るべきだと思われる人を選ぶことができず、自分で自分を導くということを、いわば強いられたのである。(デカルト『方法序説』)

ジジェクはこのデカルトの一文を『パララックス・ヴュー』の冒頭近くでそのまま引用している。

I had been taught, even in my College days, that there is nothing imaginable so strange or so little credible that it has not been maintained by one philosopher or other, and I further recognized in the course of my travels that all those whose sentiments are very contrary to ours are yet not necessarily barbarians or savages, but may be possessed of reason in as great or even a greater degree than ourselves. I also considered how very different the self-same man, identical in mind and spirit, may become, according as he is brought up from childhood amongst the French or Germans,or has passed his whole life amongst Chinese or cannibals. I likewise noticed how even in the fashions of one's clothing the same thing that pleased us ten years ago, and which will perhaps please us once again before ten years are passed,seems at the present time extravagant and ridicu-lous. I thus concluded that it is much more custom and example that persuade us than any certain knowledge, and yet in spite of this the voice of the majority does not afford a proof of any value in truths a little difficult to discover, because such truths are much more likely to have been discovered by one man than by a nation. I could not, however, put my finger on a single person whose opinions seemed preferable to those of others, and I found that I was, so to speak, constrained myself to undertake the direction of my procedure.

『パララックス・ヴュー』の前半は、柄谷行人の『トランスクリティーク』の吟味のような箇所が多い。そもそも『パララックス・ヴュー』という題名は、柄谷行人がこの書で記述する「強い視差 parallax」から借りたものであるから当然といえば当然であるが。

『視霊者の夢』から『純粋理性批判』への移行はこのように明白である。にもかかわらず、後者を読みためには、前者を参照しなければならない。カントの独特の「反省」の仕方が『視霊者の夢』にあらわれているからだ。《以前に私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のでない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もいそかなる動機もろとも、他人の視点から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある》(『視霊者の夢』)。ここでカントがいっているのは、自分の視点から見るだけでなく、「他人の視点」からも見よ、ということではない。そのようなことならありふれている。なぜなら、「反省」とは他人の視点で自分を見ることであり、哲学の歴史はそのような反省の歴史なのだから。しかし、ここでカントがいう「他人の視点」はそのようなものではない。それは「強い視差 parallax」においてしかあらわれない。(『トランスクリティーク』P77-78)
ハイデガーは、カントの超越論的( transcendental)な批判を、深みに向かう垂直的な方向において理解する。しかし、それは同時に、いわば横断的( tramsversal)な方向において見られねばならない。そして、私はそれを〈 transcritique〉と呼ぶのである。 P150

柄谷行人にとっては「トランスクリティーク」とは、すなわち「超越論的批評」を意味する。


ジジェクは、『パララックス・ヴュー』にて、上記の柄谷行人の文の一部を引用して次のようなコメントをつけている。

Kant's stance is thus “to see things neither from his own viewpoint, nor from the viewpoint of others, but to face the reality that is exposed through difference (parallax).” (Is this not Karatani's way of asserting the Lacanian Real as a pure antagonism, as an impossible difference which precedes its terms?)

ところで、ジジェクは上に掲げたデカルトの『方法序説』の文の引用のあと、このデカルト文の柄谷行人解釈をめぐって次のように記している。

Thus Karatani is justified in emphasizing the insubstantial character of the cogito: “It cannot be spoken of positively; no sooner than it is, its function is lost.” The cogito is not a substantial entity but a pure structural function, an empty place (Lacan's $)— as such,it can emerge only in the interstices of substantial communal systems. The link between the emergence of the cogito and the disintegration and loss of substantial communal identities is therefore inherent, and this holds even more for Spinoza than for Descartes: although Spinoza criticized the Cartesian cogito, he criticized it as a positive ontological entity—but he implicitly fully endorsed it as the “position of the enunciated,” the one which speaks from radical self-doubting, since, even more than Descartes, Spinoza spoke from the interstices of the social space(s), neither a Jew nor a Christian.(ZIZEK” The Parallax View”)

ここに”an empty place (Lacan's $)”という表現があることに注目しておこう。すなわちデカルトのコギトは、ラカンの斜線を引かれた主体のことである、というジジェクの見解である。ところで柄谷行人の『トランスクリティーク』には次のような文がある。

デカルトは、「思う」をあらゆる行為の基底に見出す。《それでは私は何であるのか。思惟するものである。思惟するものとは何か。むろん、疑い、理解し、肯定し、否定し、欲し、欲しない、また想像し、そして感覚するものである》(『省察』)。このような思考主体は、カントによれば、「思考作用の超越論的主観すなわち統覚X」である。私はこのような言い方を好まないが、カントのいう「超越論的主観X」とは、いわば「超越論的主観〔「主観」に×印を上書きする〕」である。それはけっして表象されない統覚であって、それが「在る」というデカルトの考えは誤謬である。しかし、デカルトのコギトには、「私は疑う」と「私は思う」という両義性がつきまとっており、しかもそれらは超越論的自我について語るかぎり避け難いものである。(『トランスクリティーク』p132)


さて、次に『トランスクリティーク』より、カントに「超越論的な態度」が生じた経緯が書かれる箇所をあげる。

『視霊者の夢』に書かれているのは、端的にいえば、それまでライプニッツ・ヴォルフの合理論的哲学に立っていたカントが自身いうように、ヒュームの経験論的な懐疑を受けいれざるをえず、なお、それにも満足しえなかった状態である。それから『純粋理性批判』にいたるまで、彼は十年ほど社交界からもジャーナリズムからも離れて沈黙した。カントが「超越論的」と呼ぶ態度は、その間に生じたのである。『純粋理性批判』は、主観的な内省とは異質であるだけでなく、「客観的な」考察とも異質である。超越論的な反省は、あくまで自己吟味であるが、同時に、そこに「他人の視点」がはいっている。逆にいえば、それはインパーソナル(非人称的)な考察であるにもかかわらず、徹頭徹尾、自己吟味なのだ。

人々は、この超越論的態度をたんなる方法として受けとめてしまう。そして、カントが見いだした無意識の構造を、まるで所与のもののように論じる。だが、超越論的な態度は「強い視差」なしにありえなかった。カントの方法は主観的であり、独我論的であると非難される。しかし、それはつねに「他人の視点」につきまとわれているのだ。『純粋理性批判』は『視霊者の夢』のように自己批評的に書かれていない。しかし、「強い視差」は消えてはいない。それはアンチノミー(二律背反)というかたちであらわれたのである。それは、テーゼとアンチテーゼのいずれもが「光学的欺瞞」にすぎないことを露出するものだ。しかし、それはたんに論理的な記述として受けとられてしまう。

『純粋理性批判』を出版した後、カントは、同書における記述の順序に関して、現象と物自体という区分について語るのは、弁証論におけるアンチノミーについて書いてからにすべきだったと述べている。実際、現象と物自体の区別から始めたことは、彼のいわんとすることを、現象と本質、表層と深層というような、伝統的な思考の枠組みに引き戻す結果を招いてしまった。カント以後に物自体を否定した者は、そのようなレベルで考えているのである。また、ハイデガーのように物自体を擁護した者はそれを存在論的な「深層」として見いだしている。しかし、物自体はアンチノミーにおいて見い出されるものであって、そこに何ら神秘的な意味合いはない。それは自分の顔のようなものだ。それは疑いもなく存在するが、どうしても像(現象)としてしか見ることができないのである。したがって重要なのは、「強い視差」としてのアンチノミーである。それのみが像(現象)でない何かがあることを開示するのだ。カントがアンチノミーを提示するのは、必ずしもそう明示したところだけではない。たとえば、彼はデカルトのように「同一的自己」と考えることを、「純粋理性の誤謬真理」と呼んでいる。しかし、実際には、デカルトの「同一的自己はある」というテーゼと、ヒュームの「同一的自己はない」というアンチテーゼがアンチノミーをなすのであり、カントはその解決として「超越論的主観X」をもちだしたのである。(『トランスクリティーク』P80-81)


ジジェクは柄谷行人の見解に同調するように、次のように書いている。

Far from designating a “synthesis” of the two dimensions, the Kantian “transcendental” stands, rather, for their irreducible gap “as such”: the “transcendental” points to something in this gap, a new dimension which cannot be reduced to either of the two positive terms between which the gap is gaping. And Kant does the same with regard to the antinomy between the Cartesian cogito as res cogitans, the “thinking substance,” a self-identical positive entity, and Hume’s dissolution of the subject in the multitude of fleeting impressions: against both positions, he asserts the subject of transcendental apperception which, while displaying a self-reflective unity irreducible to the empirical multitude, nonetheless lacks any substantial positive being—that is to say, it is in no way a res cogitans.(ZIZEK” The Parallax View”)

しかし、この後、柄谷行人の「超越論的仮象ranscendental illusion」の解釈に異議をとなえる。

Here, however,we should be more precise than Karatani, who directly identifies the transcendental subject with transcendental illusion:

yes, an ego is just an illusion, but functioning there is the transcendental apperception X. But what one knows as metaphysics is that which considers the X as something substantial.Nevertheless, one cannot really escape from the drive [Trieb] to take it as an empirical substance in various contexts. If so, it is possible to say that an ego is just an illusion, but a transcendental illusion.(KARATANI)

※柄谷行人原文
(カントはそれに対して、)自己は仮象であるが、超越論的統覚Xがあるといった。このXを何らかの実体にしてしまうのが、形而上学である。とはいえ、われわれは、そのようなXを経験的な実体としてとらえようとする欲動から逃れることはできない。したがって、自己とは、たんなる仮象ではなく、超越論的な仮象である。(『トランククリティーク』)

The precise status of the transcendental subject, however, is not that of what Kant calls a transcendental illusion or what Marx calls the objectively necessary form of thought. First, the transcendental I, its pure apperception, is a purely formal function which is neither noumenal nor phenomenal—it is empty, no phenomenal intuition corresponds to it, since, if it were to appear to itself, its self-appearance would be the “thing itself,” that is, the direct self-transparency of a noumenon. The parallel between the void of the transcendental subject ($) and the void of the transcendental object, the inaccessible X that causes our perceptions, is misleading here: the transcendental object is the void beyond phenomenal appearances, while the transcendental subject already appears as a void.(ZIZEK” The Parallax View”)

このあたりは、両者のカント解釈の相違、そしてジジェクのヘーゲル(あるいはラカン)への傾斜にかかわるのだろうが、おそらくそれだけではない(というか、わたくしにはいまだ判然としない)。たとえばジジェクはこの『パララックス・ヴュー』の後に書かれたもうひとつの主著『LESS THAN NOTHING』で自己とはフェティッシュな仮象(イリュージョン)と書いている。

《the Self is the fetishized illusion of a substantial core of subjectivity where, in reality, there is nothing.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")》

私がカントのパララックス的把握を重視したのは、それによってヘーゲルによる弁証法的総合を批判するためであった。しかし、ジジェクは、ヘーゲルにおける総合(具体的普遍)にこそ、真にパララックス的な見方がある、したがって、私のヘーゲル観は的外れだ、というのである。それに対して、私は特に、反対しない。私のカントが通常のカントと異なるのと同様に、ジジェクのヘーゲルも通常のヘーゲルではないからだ。(パララックス・ヴュー 書評

ジジェクが同調する柄谷行人の《デカルトの「同一的自己はある」というテーゼと、ヒュームの「同一的自己はない」というアンチテーゼがアンチノミーをなすのであり、カントはその解決として「超越論的主観X」をもちだした》も、いまでは別の観点(たとえば新たなヒューム解釈)があるのだろう。

柄谷行人は『トランスクリティーク』の註44で、次のように書いている。

……彼(ドゥルーズ)は、ヒュームやベルクソンを一方で称えながら、他方で、スピノザ、さらにライプニッツをも称えている。つまり、そのいずれをも肯定することによって、それらを暗に批判しているのである。その意味で、彼がやっているのは、カント=マルクス的なトランスクリティークであるといってよい。実際、彼は『ニーチェと哲学』において、ニーチェの仕事をカントの三批判の続編と見なし、『アンチ・オイディプス』において、マルクスやフロイトの仕事を「超越論的批判」と見なしている。しかし、一般に、ドゥルーズは、美学的なアナーキストたちの愛玩物となっている。彼らは、ドゥルーズが死ぬ二年前のインタビューで「私は完全にマルクス主義者だ」と語ってことなど、まったく無視している。そしてドゥルージアンの多くは、ベルクソニズムにまで退行してしまう。

2001年に行われた共同討議『トラウマと解離』(斉藤環・中井久夫・浅田彰)における浅田彰の発言は、あきらかに『トランスクリティーク』の変奏である。

メディア環境がどんどん解離的な状況を作り出す方向に向かっているのは、よく言われるとおりで、かなりの程度まで事実だろうと思います。メディアに接続することで、ここにいる自分とメディア空間の中の自分が多数多様なペルソナーー場合によっては性を年齢も異なったーーを演じ分けることができる、云々。

また逆に、そこから人間自身の捉え方も変わってくるんですね。統一性のもった心身で手ごたえのある世界を体験する、それこそがリアリティだと言うけれど、哲学的に反省してみれば、実はそれもヴァーチュアル・リアリティのひとつに過ぎない、と。

そもそも、人工知能のパイオニアのミンスキーが『心の社会』という表現を使っているように、心というのは多数のモジュールないしエージェントが統一的なプログラムなしに並列して走っているようなもので、その中には意識としてドミナントになるものもあるけれど、それとは別のリズムで意識には上らないまま動いているものもある、その総体が心なんだ、と。(……)人口知能で複数のモジュールを並列的に走らせる実験から逆に類推して、人間だって同じようなものだと考えるわけです。

こうした流れが、フロイトからジャネへの退行にもつながるわけでしょうし、柄谷行人流に言えばカントからヒュームへの退行につながるわけでしょう。ヒュームは、自己というのは多数の知覚の束だ、いわば蚊柱のようなものだ、と考えている。自己の一貫性と言ったって、選挙で内閣が替わっても外国との約束は引き継ぐという程度のものだ、と。ヒュームによるそういう徹底的な解体の後に、カントが、超越論的統覚Xという、いわばどこにもないものを持ってきて、新たな統合を図るわけですね。(……)

まあ、ヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統が再び優位になっているということでしょう。およそ、ファウンデーショナリズム(基礎付け主義)というのは、いわば神学の世俗化に過ぎず、有害でしかない。そのようなファウンデーションを自己言及的なパラドクスに追い込んで脱構築するなどと言っても、いわば否定神学的な観念の遊戯を出ない。そもそも、ファウンデーションなしに、複数の独立したゲームを並列的にプレイしてみて、それぞれがそこそこうまくいけばいいではないか、と。そういうローティ流のプラグマティズムが、いまもっとも支配的な哲学――というか反哲学でしょう。それが人工知能論などから見た「心の社会」論などともフィットするわけですね。

しかし、多少とも哲学的な立場からすると、それですべてが片付くとはとても思えません。もちろん、いまさら超越論的なものを天下り式に持ってくることはできない。けれども、カントの言った超越論的統覚だって、予定調和的に与えられているのではなく、あくまでXとしてあるわけですからね。あるいは、時代は下るけれど、ジャネが水平の解離を強調したのに対して、フロイトは強引に垂直も抑圧によって無意識まで含めた統合を図ろうとし、ラカンはそれをされに徹底して体系化しようとした、それを思弁的に過ぎると言って批判するのは簡単だけれど、逆にそれなしではものすごく単純な経験論とプラグマティズムに戻ってしまうという危惧があるわけです。

現在、「超越論的」な態度が論じられるとき、このあたりを視野においていないようにみえる言説にめぐりあうことがあるのだがーーたとえば極めつけは、カントの態度を「超越論的主体」(フッサール的な「超越論的自我」? といえばフッサールにも失礼に当たる:【参照】「人間的主観性のパラドックス」覚書)などとだけし、しかもそれを「自分語り」だなどと決めつけるだけの、《解釈さえ放棄する無邪気な「無神論者」》、そのファストフード的消費者風の驚くべき寝言(超越論的「主体」と超越論的「領野」の言葉だけに捉われているとしか思えない)ーー、どの見解をとるにしろ、これら柄谷行人やジジェクの観点をやりすごして(おそらくほかにも種々の見解があるのだろうが)、素朴に語るのは、いささか厚顔無恥という気味があるのではないか。上にも書いたが、柄谷行人の『トランスクリティーク』は「超越論的批評」を意味する書名なのであり、またジジェクの『パララックス・ヴュー』とは「超越論的見方」を意味する書名なのだから(そして彼らが二十世紀後半から今世紀かけてカントの「超越論的」のまわりをめぐって考えている「代表的な」思想家の二人であるはずであるから)。

もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように生まれるわけですよ。哲学の理論体系はだいたいヘーゲルで完成されており、それと現実とのずれの中でヘーゲル的な円環を突き破るようにしてマルクスの意味での批判=批評というのが始まり、我々もその前提の上でやってきた。(浅田彰

上に「驚くべき寝言」としたが、《私はこう思うとのみ宣言して解釈さえ放棄する》のは、ツイッターなどのSNSだけではなく、ブログなども似たりよったりなのだろう。わたくしも気づかぬままに、似たような寝言を書いていないとは決して断言しがたい。

「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える単純な先行論」の一般化された形式を、「イデアリズムと呼ばれる伝統批評」にほかならぬと彼(デリダ)は断じている(……)。だが、「神学」的たることをまぬがれぬこの「伝統批評」の観念論――そこには、私はこう思うとのみ宣言して解釈さえ放棄する無邪気な「無神論者」も含まれようーーは、彼にとって文学の批評の名に値するものとはいいがたい。なぜなら、それは「神学」的な解釈手段を無自覚に文学に適用したものでしかなく、そこには批評など成立しようもないからである。(蓮實重彦「「本質」、「宿命」、「起源」」)

だが、なぜこのようなことが起ってしまうのか。

今人々は、『内部』の閉域での符牒のやったり取ったりだけでコミュニケーションの用は足りると信じ、言語というこの怪異な化け物への畏れをすっかり失ってしまっているようです。(松浦寿輝 古井由吉との対談『色と空のあわいで』2007)

本来は、いまのような複雑な世では、一つの考えや状態を人に伝えるのに、どうしてもワンセンテンスの呼吸が長くなるはずなんです。切れ切れの話でやったららちがあかない。もちろん、複雑な事態を複雑なまま、できるだけ正確に伝えるのは難しいが。まずは、一つ呼吸を長くする、というようなことでしょうか。(古井由吉さん 衰えゆく言葉を鍛えよ

「符牒」の時代であり、「呼吸の短さ」の時代、それはツイッターやブログに「スローガン」的短文を書いて事足れりとする病気の時代でもある。

……もろもろのオピニオン誌の凋落は、「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いているんだから、あんなもん読む気がしない」といういささか性急ではあるがその現実性を否定しがたい社会的な力学と無縁でない。そんな状況下で、人がなお他人のブログをあれこれ読んだりするのは、それが「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いている」という安心感を無責任に享受しうる数少ない媒体だからにほかならず、「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛とオピニオン誌の凋落とはまったく矛盾しない現象なのだ。〔蓮實重彦「時限装置と無限連鎖」)

…………

※附記:ドゥルーズの超越論的経験論の浅田彰解釈(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)。

ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、いちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。

その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。

つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されていたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになるわけです。

ただし、カント自身、晩年の『判断力批判』において、「美」の共通感官を論じたあと、「崇高」を論じたところで、それを超える方向を示している。その方向を徹底的に突き進めなければならない。

諸能力を、超越論的というより、超越的に使用すること、つまり、それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破り、やはりランボーが「あらゆる感覚の錯乱」と呼んだような非人称的な高次の経験へと突き抜けていかなければならない。そのような経験に定位するのが、高次の経験論、つまり超越論的経験論だということになるわけです。

そういう超越論的経験論の次元での超越論的領野は、さらに存在論の次元では「成立平面(プラン・ド・コンシスタンス)」あるいは「内在的平面(プラン・デイマナンス)」と呼ばれるんですね。ドゥンス・スコトゥスが「一義的な存在」を提示し、スピノザがそれを「神即自然」として肯定し、ニーチェがさらにそれを動態化して「永遠回帰」と呼んだ。

この動態化のキーになるのは、「回帰とは生成の存在である」という規定で、それが示すのは、アナーキックな生成が行き着くところまで行けば自ずと堅固さ=一貫性(コンシスタンス)を持つ―――カオスー彷徨(カオエランス)とひとつであるような一貫性(コエランス)を内在的に獲得するということです。

もはやそれを超越する外部の点をもたないこのような領野が、「成立平面(プラン・ド・コンシスタンス)」あるいは「内在的平面(プラン・デイマナンス)」と呼ばれるわけですね。

さらに、ベルグソン哲学との関連では、そのような領野は「潜在的<潜勢的>なもの(ヴィルチユエル)」の場として規定されます。そこでは、差異的=微分的differentielな諸関係とそれに対応する諸特異点から成る潜在的な多様体があって、それが分化differenciarionの過程を通じて顕在化<現働化>(アクチュアリゼ)されることで、現象が構成されることになるんですね。

このように呼び方はさまざまですが、ともあれ、カオス的な領野があって、そこでは私も世界も多数多様な粒子と流束の群れになっているというわけです。したがって、それは独我論の対極に見える。

しかし、すべてがひとつの「内在平面」の内にあって、私も複数、他者も複数なのだから、そこに他者性はない。その意味で、ドゥルーズの哲学は、過激な独我論―――自我さえ必要としないほど過激な独我論だと言ってもいいのではないかと思うんです。

『意味の論理学』(69年)の付録でクロソウスキーとトゥルニエを論じているところを比較してみると、それがよくわかるでしょう。クロソウスキー論で描かれているのはまさに多数多様性の世界であって、カントにおいてまだ保たれていた自我と世界と神の統一性が解体し、すべてが多数多様な変容へと解き放たれる―――小説に描かれたアレゴリーで言うと、一個の身体の中に複数の霊が入ったり出たりして、狂気のような永遠回帰のロンドを踊るということになるわけですね。

ところが、トゥルニエ論の方では、そのような世界は実は孤島のロビンソンに対して現れるのだと言っているんです。ロビンソンが一人で島に流れ着く。それは他者のない世界なんですね。ドゥルーズは、他者というのは「可能世界の表現」だと言う。私の知覚野は狭いけれども、他者は私に見えないものが見えているかもしれないし、私に感じられないものが感じられているかもしれないし、そもそも、そのような他者がいるからこそ知覚野が共同主観的構造として整然と秩序化されているのだ、と。しかし、それは現象のレヴェルの問題にすぎない。たしかに、そういう他者がいなくなると、最初、世界の秩序が崩壊して、ロビンソンは非常な苦しみを体験する。しかし、それを突き抜けていくと、ロビンソン自身も島全体がエレマン(諸元素)の群れとなって立ち上がり、コスミックなロンドを踊り始める。フライデーが出てきても、他者としてではなく、すでにエレマンテールなものとして出てくるにすぎない。それがトゥルニエの偉大な独我論的ファンタスムなのだ、というわけです。

それと併せて見れば、ドゥルーズは、ニーチェからクロソフスキーに至る多数多様性のヴィジョンを、むしろトゥルニエ的な独我論の相で見ていると言えるのではないか。

もしそう言えるとしたら。それを具体的な「外」と接合していくきっかけになったのが、交通の人としてのガタリとの遭遇だ、というのが、最初に言った仮説の後半なのですけどね。

―――浅田彰は、この引用の冒頭に、次の仮説を提出している。

ドゥルーズは、最も正統的な哲学史家であり、最も正統的な哲学者であって、まさにそのことによって哲学史や哲学を突き抜けた。ただし、それは、独我論者―――もはや自我も必要としないほど過激な独我論者としての突き抜け方だった。それに対し、ガタリは最も過激な交通の人として現れてくる。そして、極端な独我論者と極端な交通の人の遭遇から、『千のプラトー』を頂点とする奇跡的な果実が生み出される。しかし、ドゥルーズ自身は、それ以前も、その以後も、良くも悪くも非常に正統的な哲学者だった。

※附記:カオスとは?(同じく浅田彰の発言による)
丸山圭三郎派の幼稚なカオス概念、つまり言語的に分節化されない一様な混沌がカオスだと言うなら、もちろんそのようなカオスはドゥルーズにはない。むしろ、カオス―――少なくとも内在平面においてとられられたカオスは、それ自体、とことん差異化=微分化されていて、さまざまな特異点がひしめいている。そのようなものをカオスと呼ぶなら、それは潜在的多様体として存在する。




2014年6月2日月曜日

「寝言は寝てから言え」

「寝言は寝てから言え」とは中島らもの言葉だそうだ。丹生谷貴志氏が次のようにツイートしている。

「寝言は寝てから言え」、これはらもさんの啖呵=コピーの傑作かつ絶唱ってもんでしょう。もっとも、この決めの言葉を最初に用意してチャートしてしまっていたような感じは拭えない。周囲にクラン/バンドを誘引し牽引しながら同時にそれに肩すかしの準備を忘れない・・・狡知か「孤高」の整備か・・・

罵倒文句として使ってみたくなるとても愉快な科白だ。だがここではいささか「斜めから」受け止めてみよう、寝言は寝たときに言われるのだろうか、むしろ起きているときのほうが、ひとは「寝言」を言うのではないか、と。

というのは、夢に現れる思想の方がしばしば他の思想より力強くはっきりしていることがある以上、夢の思想のほうが他より偽であると、どうして確かに知りうるのであろうか。(デカルト「方法序説」)

これは柄谷行人の『探求Ⅰ』から『探求Ⅱ』にかけての大きい主題のひとつでもある。

ドストエフスキーは人々は「自由」など望んでいないといったが、同様に、“精神”であることを人は望んでいない。自分はめざめて、現実を直視し、ほかの人は幻想に支配されていると説くあの連中のように、夢をみていることを望むのである。(『探求Ⅱ』P95)

これは何を言っているのだろうか。ここでの“精神”とは? 「あの連中」とは? 

デカルトにおける自分が夢をみているのではないかという疑いは、《自分が共同体の“慣習”または“先入見”にしたがっているだけではないかという疑いと同義である》(『探求Ⅰ』)。


彼(デカルト)にとって、「疑う」ことは、自らが「思う」ことが共同体(言語ゲーム)に属しているのではないかと疑うことにほかならない。いいかえれば、疑う主体は、共同体の外部へ出ようとする意志としてのみある。デカルトは、それを“精神”とよんでいる。(柄谷行人『探求Ⅱ』P10)

寝ているときよりも、目覚めているときのほうが、人は、共同体の言語ゲーム、すなわち“慣習”や“先入見”により多く従うだろう。共同体の外部に出るのはむしろ寝ているときのほうだろう。

ところでラカンは最晩年(死の二年前)次のように語っている。


「私はただ相対的には愚かに過ぎないよ、つまり他の人たちと同じでね。というのは多分私はいくらか啓蒙されてるからな」

“I am only relatively stupid—that is to say, I am as stupid as all people—perhaps because I got a little bit enlightened”?  (Lacan“Vers un signifiant nouveau” 1979)

ジジェクはこの文を引用して、《この「相対性」は、"完全には愚かでない"と読むべきだ、すなわち厳密な意味での非-全体の論理として。ラカンの中には愚かでないことは何もない。愚かさへの例外はない。ラカンが完全には愚かでないのは、彼の愚かさのまさに非一貫性にある》(ジジェク「『LESS THAN NOTHIG』私訳)と叙しているが、その「非-全体pas-tout」の論理による解釈はこの際どうでもよろしい。

今、注目したいのは、《いくらか啓蒙されているa little bit enlightened”》という言葉だ。これは、共同体の言語ゲーム、“慣習”や“先入見”に囚われているということと殆ど同義である(象徴界の囚人)。

ここで、夢から目覚めることが、絶えられない<現実界>から逃れることであるのを説明するジジェクの文を引用しておこう。

いやそのまえにエリオットの詩句がよい。

万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのである(Human being cannot endure very much reality ---T.S.Eliot)(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264)

逐語訳なら「人というものはあまりに大きな現実very much realityには堪えられない」となり、中井久夫の「超訳」とすることができるが、エリオットの『四つの四重奏』の「エピグラフ」に、ヘラクレイトスの《most people live as if they had a wisdom of their own.》とあり、この訳である、とすることもできる。

ここでの“Human being cannot endure very much reality”における“very much reality”を「現実」ではなく「現実界」(あるいはトラウマ的な核)として下の文を読んでみることにする。《現実に耐えられない人たちのために夢があるのではなく、自分の夢(その中にあらわれる〈現実界〉)に耐えられない人のために現実があるのだ。》

…… われわれが「確固たる現実」と「夢の世界」という素朴なイデオロギー的対立に固執している( ……)。われわれはまさに夢の中でのみ自分の欲望の<現実界>と出会うのだということを考慮に入れたとたん、がらりと重心が変わる。われわれの共通の日常的現実、つまりわれわれが親切で真面目な人間という役割を演じている社会的世界の現実が、じつは、ある種の「抑圧 」、すなわちわれわれの欲望の〈現実界 〉から眼を逸らすことの上に成立した一つの幻想にすぎないということが明らかになる。この社会的現実は、<現実界>の闖入によっていつ何時でも、ごくふつうの日常会話やごくありふれた出来事が危険な方向へとむかい、取り返しのつかない破滅が起こるかもしれないのだ。(ジジェク『斜めから見る』)
もしわれわれが「現実」として経験しているものが幻想によって構造化されているとしたら、そして幻想が、われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守っている遮蔽膜だとしたら、現実そのものが〈現実界〉との遭遇からの逃避として機能しているのかもしれない。夢と現実との対立において、幻想は現実の側にあり、われわれは夢の中で外傷的な〈現実界〉と遭遇する。つまり、現実に耐えられない人たちのために夢があるのではなく、自分の夢(その中にあらわれる〈現実界〉)に耐えられない人のために現実があるのだ。

これが、フロイトが『夢判断』の中で例に挙げている有名な夢から、ラカンが引き出した教訓である。それは、息子の棺を見張っているうちに寝込んでしまった父親がみた夢である。夢の中で、死んだ息子が父親の前にあらわれ、恐ろしいことを訴える。「お父さん、ぼくが燃えているのが見えないの?」 父親が目を覚ますと、ロウソクが倒れ、息子の棺を覆っている布に火がついている。ではどうして父親は目を覚ましたのだろうか。煙の臭いがあまりに強く、その出来事を即興で夢に取り入れ、睡眠を継続することができなかったのだろうか。ラカンはもっとずっと興味深い解釈を述べている。


《夢の機能が眠りの延長だとしたら、そして夢はそれを呼び起こした現実にこれほどまで接近することができるとしたら、眠りから離れることなく夢はこの現実に答えている、と言えるのではないでしょうか。結局、夢には夢遊病的な作用があるのです。それまでフロイトが示してきたことからわれわれがここで立てる問い、それは「何が目覚めさせるのか」ということです。目覚めさせるもの、それは夢「という形での」もう一つの現実にほかなりません。「子どもが彼のベッドのそばに立って、彼の手を摑み、非難するような調子で呟いたーーねえ、お父さん、解らないの? 僕が燃えているのが?」

このメッセージには、父親が隣室で起きている出来事を知った物音よりも多くの現実が含まれているのではないでしょうか。この言葉の中に、その子の死の原因となった出会い損なわれた現実が込められているのではないでしょうか。(ラカン『精神分析の四基本概念』)》

このように、不幸な父親を目覚めさせたのは外の現実からの闖入物ではなく、彼が夢の中で出会ったものの耐えがたく外傷的な性質(traumatic character;原文)だった。「夢をみる」というのが、<現実界>との遭遇を回避するために幻想に耽ることだとしたら、父親は文字通り夢をみつづけるために目を覚ましたのだ。シナリオは次のようになっている。煙が彼の眠りを妨げたとき、父親は睡眠を続けるために、すぐさまその妨害要素(煙、火)を組み入れた夢を作り上げた。しかし、彼が夢の中で遭遇したのは、現実よりもずっと強い、(息子の死に対する自分の責任という)外傷(trauma)だった。そこで彼は<現実界>から逃れるために、現実へと覚醒したのである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)


夢のなかだけなのだ、「寝言」に出会わないのは、――とすれば極論すぎるだろうが、“very much reality”に出会えるのは、共同体の“慣習”や“先入見”に囚われていないときだけなのだ、とすることはできるだろう。
けっきょくのところ、われわれに確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにくい真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であるということのほうがはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことはなんら有効な証明ではないのだ、ということを知った。(デカルト『方法序説』)

もっともわれわれがほどよく「快適な」生活をおくるためには、共同体の「空気」を読まなければならない。


実生活にとっては、きわめて不確実とわかっている意見にでも、それが疑いえぬものであるかのように従うことが、ときとして必要であると、私はずっと前から気づいていた。(デカルト『方法序説』)

慣習や先入見に従うのが、おおむね目覚めたときの生活、すくなくとも社会生活/社交生活であるなら、やはりそれは「夢を見ている」ということになる。われわれは、自他とも「寝言」を交わし合いつつ、他人や社会と妥協して生きてゆく。いや、慣習や先入見の「凡庸さ」にシニカルに反発しつつ生きてゆくことさえ「夢を見る」、あるいは「寝言」を言うことであるとしてもよい。

誰もが凡庸と呼ばれる思考の風土からもっとも離れた地点に自分を位置づけようとしており、そうした姿勢のはば広い共有ぶりが、ことによると凡庸さの実態だといえるのかもしれぬ(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)


というわけで中島らもの名言「寝言は寝てから言え」は、「寝言は寝ているときだけにしたほうがいいぜ」というおそらく通常受け取られる意味以外に、「寝言を言うなら寝ろ、そうすれば目覚めることができる」と斜めから読むこともできる。






2013年11月13日水曜日

人が二十年もかかって考えた処を、一日で理解したと思い込む人々

ああ、きみにも返事しなくっちゃな
無視しているわけじゃないんだがね

…………


固有名詞をあげずに書いた「10月29日」の記事に何度かコメントを貰っており、同じ方なのか、次第に強い口調になるので、この場で返答めいたものを書く。

無視しているわけではないのだが、わたくしはその著書を読んでいないので返事のしようがない。ただ著者のツイッター上での振舞いについての齟齬を書いただけだ。著者のツイートについても、その一部は、以前、固有名詞をあげて、それなりの顕揚をしているんだぜ(参照:日本人の精神構造・社会構造の鍵概念をめぐる)。まあオレが顕揚してもしかたがないのだけれど、それはオレが悪口いってもしかたがないのと一緒で、そんなにキニスンナヨ! よっぽどファンなのかね、彼の。


…………

発見は何物でもない。困難は、発見した処を血肉化するにある。(ヴァレリー「テスト氏との一夜」)

「僕以外の人が、僕の思想を伝えられて受ける利益はと言えば、これもまたたいしたあものではあるまい。(中略)誰でも他人から学ぶ場合には、自分で発明する場合ほどには、何事にせよ充分によく考えることも、これを自分のものにすることもできない。これは、この問題においては、いかにも本当のことで、僕は非常に優れた精神を持った人々に、僕の意見の二、三をしばしば説明してみたが、話している間は、彼らもきわめてはっきりとわかっているように思われるが、彼らがそれをくり返す時には、いつもほとんど決まって、彼らはそれを変えてしまう、僕の意見とははや言えないほどのものにしてしまうのを、僕は見たのである」

ここにデカルトのセプティシスム(懐疑論:引用者)を読むような人は、次の特徴のある文にも彼の皮肉しか読めないであろう。

「僕が、それを明らさまに演繹してみたくないというわけは、人が二十年もかかって考えた処を、二言三言聞いただけで、一日で理解したと思い込むような人々、そういう人々は明敏なほど失敗も多く、真理から遠ざかる連中だが、そういう人々が、これを機会に僕の原理と信じ込んだものの上に、無法極まる哲学を築き上げ、その罪を僕に帰することを恐れたためである」

デカルトには自分の二十年の思い出を純化することのほか何物も必要としなかった。そして弁証家の空しい修辞から離れて、この世のもので最も公平に配分された全く単純な本然の理性をつかむことが人間にどんなに難しいかを警告し、読者から無言で遠ざかるのである。

「人が二十年もかかって考えた処を、一日で理解したと思い込む人々」、もしこの言葉に、皮肉な意味を読みとることが間違いだとしたら、デカルトが言いたい処は、明瞭なはずである。つまり彼にとっては、自分の考えた処と考えるに要した二十年の歳月とを切り離すことができない。物を考える方法を述べるとは、自分の「生活の絵」を拡げてみせることに他ならないのである。これが有名なCogitoの真意ではないか。

(……)当時の教会や大学に対してデカルトが払った顧慮は周知のことであり、彼はしばしば仮面を被っていたと言われるが、どこまでが彼の仮面であり、どこまでが彼の素面であったか、そういう穿鑿が仕事をはっきりさせるとも思われぬ。脱げば素面が現われるような仮面を、人間は人生で被ることはできまいから。人間は、めいめい自分にしっくり合った仮面を被る他あるまいから。(小林秀雄「「テスト氏」の方法」)


上のデカルトの『方法序説』は小林秀雄自身が訳したのだろう、同じ箇所を手もとの野田又夫訳から抜き出しておく。


私の思想の伝達ということから人々が受けるであろう利益を考えてみると、これもまたあまり大きいものではありえない。(……)あることを他人から学ぶ場合には、みずから発見する場合ほど十分に、そのことを理解しそれをわがものにすることができないものだ(……)。そしていまわれわれの問題としている事がらに関してはまったくそのとおりであって、私は自分の意見のいくつかを、非常にすぐれた精神の人々にたびたび説明したことがあり、私が話している間は彼らはきわめて判明に私の意見を理解しているように思われたにもかかわらず、それを彼ら自身の口からもう一度いう段になると、彼らはほとんどつねに、それを変えてしまい、私としてはもうそれを自分の意見だとは認められないようにしてしまうのであった。(デカルト『方法序説』野田又夫訳 中公文庫P82-83) 
……その演繹をここではわざとしないのだ、ということを人々に知らせるためにほかならない(……)。なぜしないかといえば、人が二十年もかかって考えたことのすべてを、それについて二つ三つのことばを聞くだけで、一日でわかると思いこむ人々、しかも鋭くすばやい人であればあるほど誤りやすく、真理をとらえそこねることが多いと思われる人々が、私の原理だと彼らが信ずるものをもとにして、何か奇矯な哲学をたてるきっかけになり、そういう哲学が私のあやまちにされる、というようなことを防ぐためなのである。(同P238)


ここで「二十年もかかって」、とあるのは、『方法序説』はデカルトの処女作と言っていいものであり、しかも彼の四十一歳の作品であるためであろう。


…………

二十年とはいわなくても、自らの思索の十年近くなのだろう、その成果の「作品」を、ブログやらツイッターでの数日間しか読んでいない者の反応をみて右顧左眄するなどの振舞いはまったく馬鹿気ている、というのがわたくしの言いたいところだった。そしてこれは古い世代の妄念にすぎないのかもしれないと繰返しておこう。


いまでは人文学の危機やら出版危機やらでかつてのように書物が売れないせいなのかどうかは知るところではないが、すぐれた書き手までもが、批評家から編集者に鞍替えした人物と同じような振舞いをして、それに全く恥じないかの如くだ、--ってのもあるな

もちろん、詩や、小説や、旅行記を書き綴ることがその主要な関心からそれていったりはしなかったが、それにもまして彼が心を傾けていたのは、作品をいかに世間に流通させるかという点にあった。つまりマクシムは、新しく刊行される文芸雑誌の責任者の一人として、当時の文学的環境にとってはまだ未知のものであった幾つかの名前を、集中的に売りだそうとしていたのである。つまりマクシムは、雑誌編集者に仮装することで文学との関わりを持とうとしており、それが成功するか否かが、彼にとって最大の関心事だったのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)


それなりに有能な思想家・小説家と思われる人物でも(ここは敢えて固有名詞をあげれば、たとえばラカンや中井久夫のよき読み手でもある佐々木中氏)、レストランで食事をとる前にツイッター上に写真を貼り付けるなどの振舞いが頻発する。食事に魅惑されているのなら、ひとはそんなことをするものだろうか。退屈しているか、ツイートの眺め手たちへの媚態、あるいは親しみをもたせるための販促活動にしか思えない。

あるいは記憶違いでなければ、たしかドゥルーズのこのすぐれた研究者・書き手が、旅行中に風景や食事写真などを貼り付けるなどということがあった。これも同様。だがそんな人物が、現在、《つながりすぎ、動きすぎで「接続過剰」になってはいないか。関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生きた方がよいのではないか。》などと語ることになる。あれらをツイートの読み手との「つながり」の振舞いとしなくてなんだろう。それとも、ほどよい「接続」とでもいうのだろうか。

このドゥルーズの文をどう読むのだろう。

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしようという気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです。(ドゥルーズ「哲学について」『記号と事件』)

今では「旅」とは「何かを述べるために帰ってくること」――《そう宣言することの率直な凡庸さは、こんにちではもはや凡庸さとは意識されることもなく希薄に共有されてしまっている》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)とでもいうよりほかない。


《つながりすぎ、動きすぎで「接続過剰」になってはいないか。関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生きた方がよいのではないか。》(「ギャル男」哲学者が感じる 東京五輪の危うさ)という示唆あふれる文の重要な標的のひとつは、SNS、わたくしが知っているのはツイッターだけだが、そこでの「つながりすぎ」、絆による同族意識、『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先している「共感の共同体」なのではないだろうか。

詳しいことは著書を読んでいないのでわからないが、《関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生き》ることとは、蓮實重彦が 1999年4月12日、東京大学総長としての式辞で語った望まれるべきコミュニケーションにあり方の指摘と似たようなものを感じる。

・気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学
・共感とは異質のある種の齟齬感
・同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感
・親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たり

そしてあれらのすぐれた書き手さえがツイッターでやっているコミュニケーションというのは、これにひどく反するように思えるってことだ。

これは著書への批判じゃなくて、すくなくとも、《つながりすぎ、動きすぎで「接続過剰」になってはいないか。関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生きた方がよいのではないか。》って考え方は大いに流通したほうがいいには相違ない、書物が大いに売れたほうがいい。

それともちろん「動きすぎてはいけない」ってのは、オレのドゥルーズのすくない読書範囲からすれば、たぶん「蜘蛛」にかかわるのだろうよ

しかし、器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。(……)そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する器官のない身体の包括的で強度は反作用として存在する無意志的な感受性、無意志的な記憶作用、無意志的な思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれをなかば開けるか閉じるために動くのは、この身体=巣=クモである。語り手の奇妙な可塑性。……(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能――クモーー」の章)

オレの「誤読」の範囲では、うえの蜘蛛の文章は、次の「ゆるくもつ杖」と翻訳するのだけれどね。

身体についていえば、物理学者ニールス・ボーアが好んで使った譬えのように杖を持つ人がゆるく杖を持つ時、杖の動きは地面の凹凸を反映し、杖は観測対象に屈する。逆に堅く持つ時、それは観測主体の動きを反映する。彼の場合、「杖」は「観測手段」であるが、これを「身体」と置き換えてもほぼ成り立つと私は思う。(「中井久夫「医学・精神医学・精神療法は科学か」『徴候・記憶・索引』所収」)

あるいは、フロイトの「自由にただよう注意」でもいい。


さらにはまた「友情」の扱いだな、あの著者のツイートでの片言隻語でわからないのは。

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴス」の章) 
哲学者には、《友人》が存在する。プルーストが、哲学にも友情にも、同じ批判をしているのは重要なことである。友人たちは、事物や語の意味作用について意見が一致する、積極的意志のひとたちとして、互いに関係している。彼は、共通の積極的意志の影響下にたがいにコミュニケーションをする。哲学は、明白で、コミュニケーションが可能な意味作用を規定するため、それ自体と強調する、普遍的精神の実現のようなものである。プルーストの批判は、本質的なものにかかわっている。つまり、真実は、思考の積極的意志にもとづいている限り、恣意的で抽象的なままだというのである。慣習的なものだけが明白である。つまり、哲学は、友情と同じように、思考に働きかける、影響力のある力、われわれに無理やりに考えさせるもろもろの決定力が形成される、あいまいな地帯を無視している。思考することを学ぶには、積極的意志や、作り上げられた方法では決して十分ではない。真実に接近するには、ひとりの友人では足りない。ひとびとは慣習的なものしか伝達しない。人間は、可能なものしか生み出さない。哲学の真実には、必然性と、必然性の爪が欠けている。実際、真実はおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである。それはおのれを伝達せず、おのれを解釈する。真実は望まれたものではなく、無意志的である。((ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章)

友情ってのは、動きすぎるってことじゃないのか

…………

何にも増して私が遠ざけるべきものは、精神をさしおいて唇が選ぶあの言葉、会話で人がよく口にするようなユーモアたっぷりな言葉、他人との長い会話のあとで、人が自分自身に向かってわざとらしく発しつづける言葉、そしてわれわれの精神をうそで満たすあの言葉の数々である。(……)一方、真の書物は、白昼と雑談との子ではなくて、晦冥と沈黙との子でなくてはならない。そして、芸術は人生を正確に再構成するものであるから、人が自分自身の内部に到達してとらえた真実のまわりには、つねに、詩の雰囲気が、ひそやかな神秘が、ただようだろう。それこそは、われわれが通ってこなくてはならなかった薄明のなごりにほかならず、深度計ではかったように正確に記録された標示、ある作品の深さの標示にほかならぬであろう。(プルースト「見いだされた時」井上究一郎訳)
社交の快感は、嫌悪を催すたべものをのみくだしたときのようなむかつきをひきおこすのが落ちでだし、友情にしても、それは一つの見せかけである、というのも、友人と一時間おしゃべりするために、仕事を一時間放棄する芸術家は、どんな道徳的理由からそうするにしても、実在しない何物かのために一つの実在を犠牲にしていることを知るからである。(同上)
……というのは、彼といっしょにしゃべっているとーーほかの誰といっしょでもおそらくおなじであっただろうがーー自分ひとりで相手をもたずにいるときにかえって強く感じられるあの幸福を、すこしもおぼえないからであった。ひとりでいると、ときどき、なんともいえないやすらかなたのしい気持に私をさそうあの印象のあるものが、私の心の底からあふれあがるのを感じるのであった。ところが、誰かといっしょになったり、友人に話しかけたりすると、すぐ私の精神はくるりと向きを変え、思考の方向は、私自身にではなく、その話相手に移ってしまうので、思考がそんな反対の道をたどっているときは、私にはどんな快楽もえられないのであった。ひとたびサン=ルーのそばを離れると、言葉のたすけを借りて、彼といっしょに過ごした混乱の時間にたいする一種の整理をおこない、私は自分の心にささやくのだ、ぼくはいい友達をもっている、いい友達はまたとえられない、と。そして、そんなえがたい宝ものにとりまかれていることを感じるとき、私が味わうのは、自分にとって本然のものである快感とは正反対のもの、自分の薄くらがりにかくれている何かを自分自身からひきだしてそれをあかるみにひきだしたというあの快感とは正反対のものなのであった。(『花咲く乙女たちのかげに 二』)


再度、ドゥルーズの文を抜き出せば、下にあるように、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈、ことば/名などの二項対立があって、「動きすぎてはいけない」や「蜘蛛」は、二項対立の後者を顕揚するものであるはずだ。そして、「しっかり握った杖/ゆるく持った杖」もこの流れのなかにある。


『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の章)


まあこれらは、ほとんどドゥルーズを読んでいないものが書く戯言かもしれないがね(プルースト論とマゾッホ論だけだからな、比較的熱心に読んだのは)。まあだから気にすんな、アバヨ!




…………

附記:式辞抜粋 平成11年1999年4月12日 

                                        東京大学総長 蓮


わたくしは、いま、わたくしの心と体とをとらえている極度のこわばりを、あえて隠そうとは思いません。むしろ、この緊張を、一つの解読さるべき記号として、あなたがたに受け止めていただきたいとさえ願っております。というのも、その緊張に向けて存在をおしひろげ、その波動に身をゆだねることそのものが、こうした儀式に特有の時間と空間のもとで成立するコミュニケーションの一形態にほかならぬからであります。そもそも、儀式とは、見せかけの華麗さが空疎な形式を視界から一瞬遠ざけることで成立する、壮大な退屈さの同義語ではありません。通過儀礼の一つとして、とりあえずは耐えておくべき無駄な時間でもありません。なるほど、日本における儀式の多くは、そうした印象を与えかねない単調さをことさら恥じてはいないかにみえます。また、そこでは、日常のさりげなさからは思いきり遠い公式の言葉が仰々しく口にされがちであります。しかし、本来、儀式の場に流通する言葉には、気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学が働いており、それが有効に機能した場合、そこには、共感とは異質のある種の齟齬感が、同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感が、あるいは、親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たりの意識が、意味の生成に深くかかわるものとして浮上してまいります。いま、あなたがたにあえて緊張の共有を求めたのは、わたくしと同じ状況に身をおいてほしいからではありませんし、それを想像の世界で鮮明に思い描いていただきたいからでもありません。むしろ、それがきわだたせる隔たりの意識に触れ、そうした記号にも、何らかの社会的な意義がそなわっていることを理解していただきたかったからにほかなりません。 


※追記

「文は人なり」という言葉は、たいした言葉で、なんのかの言いながら、文学の研究法も鑑賞法も、この隻句を出ないと見えるものであるが、この簡明な原理の万能を信ずるためには、作者との直かのつきあいなぞない方が好都合である。古典の大きな魅力の一つは、作者が死にきり、したがって作品をいちばん大切な土台として、作者の姿を思い描かざるを得ない魅力である。

友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである。ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす。友だちの言行は、しばしば彼の作品より鋭く強く豊かである。おそらく友情というもののする業だ。(小林秀雄「島木健作」『作家の顔』所収ーー参照:「人は文なり」の時代


続き→ 11月15日




2013年10月10日木曜日

メモ:ラカンの四つのディスクール+資本家のディスクール

さて、もういくらか四つのディスクールのメモ。

まず再度、形式的構造の図




Agent は動因、other(他者)はobject(対象=目的)ともされる
三番目にPruduct生産物と、四番目にtruth真理がある


そしてすでに指摘したとおりtruthは四番目にあたるが
じつは一番目の動因の真の出発点であり、抑圧されたもの

これら四つ(動因、他者、生産物、真理)は空の箱であり、ここにそれぞれの要素が入る($ ,S1 , S2 ,a)。


主人S1、大学人S2、分析家a、斜線を引かれた主体$のディスクールがありそれは次の通り。




ここでは、抑圧されたものだけをみる(左下隅)

・主人の言説では、斜線を引かれた主体$が抑圧されている
つまり、斜線を引かれていない主体として語る

・大学人の言説では、主人S1が抑圧されている
この言説の抑圧された真実は、中立的な「知」という見かけの背後に、主人の身振りがあること

・分析家の言説では、S2が抑圧されている
無-意味をなす沈黙とスカンシオンという技法の背後には、「知」が抑圧されている

・ヒステリーの言説では、対象a(ここでは愛、あるいは愛憎とだけしておく)が抑圧されている


たとえば、大学人のディスクールは、だれだれ曰く、という形式などにより、主人S1が抑圧されていることになる。デカルトさえもディスクールを成り立たせるために、「神」が必要だったのは周知の通り。

私は、私が疑っているということ、したがって私の存在はあらゆる点で完全なのではないということ(というのは、疑うよりも認識することの方が、より大いなる完全性で在ることを、私は明晰に見るから)を反省し、私は私自身より完全な何ものかを考えることをいったいどこから学んだのであるか、を探求することに向った。そして、私は、それが、現実に私より完全であるところのなんらかの存在者からでなければならぬということを明証的に知った。(デカルト『方法序説』)

…………

◆Paul Verhaeghe  FROM IMPOSSIBILITY TO INABILITY: LACAN’S THEORY ON THE FOUR DISCOURSES より

Every field of knowledge functions by the grace of such a guarantee: for example, in our field: “Lacan has said that…”, “Freud has said that…”. The primary example of this relationship between knowledge and mastersignifier is of course Descartes, who needed God to guarantee the correctness of his science.

「医者のディスクール」は、大学人(知)の言説ではなく、主人の言説であるという指摘がある。

A classic example, since the study by Jean Clavreul concerns the medical discourse. A medical doctor functions as a master signifier, without any respect for his being divided as a subject; his dividedness is situated underneath, as part of a hidden truth. In functioning as master-signifier, he will reduce the patient to an object of his knowledge, and this shows in the terminology used, e.g. when referring to a patient as the “cardiac failure of room ”. The net result of the discourse is the lost object, which means that the master will never be able to assume the cause of his desire, as long as he stays in this discourse.


そして医者がつねに主人の言説を語るわけではないことに注意。大学人がつねに大学人の言説で語るわけではない、あるいは、ヒステリー症者がつねにヒステリーのディスクールを語るわけではないのと同様。分析家が分析家のディスクールであるのは、ほとんど治療室のみの稀な機会だろう。


ところで、ロラン・バルトは学者のパロールと作家のエクリチュールを区分けするとき、エクリチュールとは分析家のディスクールに近似する、としたくなる誘惑に駆られる。

パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」)

知識人の文章には転移は起こりづらいが、作家の文章には転移を促すものがある。それは分析家が「知を想定された主体」(対象a)として転移を惹き起こすのと似る。

分析家の、無-意味をなす沈黙とスカンシオンという技法はエクリチュールに通じる(抑圧された「知」の姿態)。

《詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である》(中井久夫)とされるとき、詩はもちろん対象a(アウラ)として機能し、分析家の言説に近い。

※ドゥルーズ研究者の重要な著作が今年は何冊か出版されているが(垣間見るにほとんど「学者」、あるいはパロールの文体)、この10月に出版される書き手の文体は(他の短いエッセイから推測されるかぎりで)、分析家=エクリチュールの技法で書かれている箇所が、ひとを魅惑するだろう。その文体は、ドゥルーズを解釈するのではなく、ドゥルーズを生きるだろう。


書くことは〔エクリチュール〕とは意味することとは縁もゆかりもなく、測量すること、地図化すること、来るべき地方さえも測量し、地図化することにかかわるのだ。(『千のプラトー』)

 ………… 



ラカンには四つのディスクール以外に、資本家のディスクールをも語っている。


資本家のディスクールは、主人のディスクールの左サイドの上下が逆転されたもの。






生産物のポジションに対象aがあるのは、剰余価値であり、ラカンは、

マルクスの剰余価値という概念をもとにして、ラカンが剰余享楽なる概念(=対象a)をつくりあげたことが知られている。



以下、藤田博史氏セミネール断章 2012 11 10 日講義より(上の図も併せて)。


ここで資本家のディスクールについて考えてみます。資本家が目指すものは利益を生み出してくれる過剰な価値の創造です。つまり、資本家のディスクールによって生産されるものは剰余価値です。そしてその剰余価値を生み出すものは、プラスアルファの価値が付与された魅力的な製品群です。たとえば、アップルコンピュータは Retina ディスプレイを搭載した13 インチのMacBookPro を市場に送り出しました、製品というのはいい換えれば知の結晶です。ですから、生み出すのは製品(S2) つまり知です。このように商品を産み出してそこに剰余価値を発生させる。これが資本家のディスクールの根本構造になります(図4)。

ところで、このディスクールは既存の四つのディスクールのどれかに似ていませんか。そう、右半分が主人のディスクールになっているのです。主人のディスクール(図3)。これはいってみれば真理から知に向かって突き進んでゆく命令話法です。これに対し、資本家にとっての真理性は絶対的な条件ではありません。極端なことをいえば、資本家の目的は事業によって出来る限り利益を生み出すことです。端的にいえば、出来るだけお金を儲けることです。良い悪いは別にして、基本的にはそういうことになります。そして、資本家は、必ずしも自らを突き動かしている動機について意識的であるとは限りません。ソフトバンクの孫さんやユニクロの柳内さんですら、もしかしたら、自らの欲望については無知のままでいるかもしれない。先日ニュース番組を見て興味深いと思ったのは、この二人は同じことをいっているのです。すなわち「ナンバーワンでないと意味がない」と。これはどういうことかというと、自分の足下がナンバーワンになること、つまり自分の真理の場所にナンバーワンが来ないといけない、ということなのです。つまり真理は自分の足下になければならない。しかしながら、その一方で、自分自身の欲望については無知であり続ける。ですから資本家のディスクールはこのような構造をなしている。結果的には、主人のディスクールの動因 agent と真理 vérité を上下にひっくり返した形になっています。結果としてはそうなります。しかしながら皆さんは資本家のディスクールが成立している意味を知っていなければなりません。


ほかにもいろいろやっている人がいるようだ、科学者の言説、政治家の言説反体制者学生の言説など。



※参考追記:Žižek’s New Universe of Discourse:Politics and the Discourse of the Capitalist(Levi R. Bryant) http://zizekstudies.org/index.php/ijzs/article/download/163/257

この論文は、ラカンの四つのディスクールと資本主義のディスクールを理解するのに、あまりにも多くの新しい指摘がある(Levi R. Bryantは、ラカンをめぐって英文献を検索すればかならず当るブログ『Larval Subjects』の執筆者)。彼によれば、ラカンの古典的な四つのディスクールとまったく異なった地平に、資本主義のディスクールがあるのであって、資本家のディスクールはそのなかにひとつに過ぎない。

Throughout this paper I distinguish between discourses and universes of discourse. A discourse is an individual structure such as the discourse of the master, the analyst, the hysteric, or the university. As Lacan attempts to demonstrate, the discourse of the hysteric, analyst, and university are permutations of the discourse master found by rotating the terms of this discourse clockwise one position forward. A universe of discourse, by contrast, is a set of structural permutations composed of four discourses taken together. Based on the four terms Lacan uses to represent the variables of any discourse, there are 24 possible discourses. However, these discourses form sets of permutations, such that there are only six possible universes of discourse. For a brief account of Lacan's discourse theory and the six universes of discourses consult the appendix to this paper on page 53.

ここにある六つのuniverses of discourseのひとつが、資本主義のディスクールということになる。







2013年6月29日土曜日

「人間的主観性のパラドックス」覚書

「人間的主観性のパラドックスーー世界に対する主観であると同時に世界のうちにある客観であること」をめぐる覚書。

けっきょくのところ、われわれに確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにく真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であるということのほうがはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことはなんら有効な証明ではないのだ、ということを知った。(デカルト『方法序説』)

人びとが確実だと思っている真理が、彼らの共同体の「先例と慣習」、すなわち共通の規則やパラダイムに従っているにすぎないというこのデカルトの認識――それは、たとえば美をめぐってカントが次のように書いているのをみた。

経験的条件のもとでは、形態の美に関して黒人と白人とはそれぞれ異なる標準的理念をもつに違いないし、またシナ人はヨーロッパ人と異なる標準的理念をもつに違いない。そして美しい馬や美しい犬(それぞれ異なる種属の)の模範についても、事情はまったくこれと同様であろう。美のかかる標準的理念は、経験から得られて一定の規則と見なされるような比例に基づくものではない、むしろこの理念に従って初めて判定の規則が可能になるのである。(カント『判断力批判』篠田英雄訳――「「美しい」といふ事」より)。

つまるところ、時代の、文化の「美しさ」という標準的理念から与えられる規則(カノン)があって、対象は「美しい」のであり、「美」は対象の性質ではないということになる(たとえば、日本では梅よりも桜の花が圧倒的に好まれるが、香り高い梅をもてはやす中国文化の影響があった過去に遡れば、「万葉集」の題材においては、梅約140首、桜約40首であり(もっとも多いのは萩らしい)、しかし「古今集」では桜約100首、梅約20首となり、ある時期から、国風化などの影響で規範が変化したようだ)。



この共同体による「先例と慣例」によるまなざしの汚染をめぐっては、蓮實重彦のいささか衒学的な表現、《解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線》も、上のデカルトやカントの変奏である(われわれは、桜のほうが梅よりも美しいとする解釈を蒙った視線により風景を眺めている)。

……だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収――「観念の万能」と「腰の奥の力の圧力抜き」より)

ここで蓮實重彦が退屈な議論として読み手を挑発している裏には、パラダイムや制度を得意になって語ること自体、現在に続くかもしれない当時の「パラダイム」であるにもかかわらず、《あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性》が跳梁跋扈しているのを諌める意味合いがある。


さて前にもいったように、実生活にとっては、きわめて不確実とわかっている意見にでも、それが疑いえぬものであるかのように従うことが、ときとして必要であると、私はずっと前から気づいていた。しかしながら、いまや私はただ真理の探求のみにとりかかろうと望んでいるのであるから、まったく反対のことをすべきである、と考えた。ほんのわずかの疑いでもかけうるものはすべて、絶対に偽なるものとして投げすて、そうしたうえで、まったく疑いえぬ何ものかが、私 の信念のうちに残らぬかどうか、を見ることにすべきである、と考えた。(……)

私は、それまでに私の精神に入りきたったすべてのものは、私の夢の幻想と同様に、真ならぬものである、と仮想しようと決心した。

しかしながら、そうするとただちに、私は気づいた、私がこのよう に、すべては偽である、と考えている間も、そう考えている私は、必然的に何ものかでなければならぬ、と。そして「私は考える、ゆえに私はある」je pense, donc je suis.というこの真理は、懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断した。(デカルト『方法序説』野田又夫訳)

毀誉褒貶の多いデカルトの「我思う、ゆえに我あり」 ego cogito, ergo sumであるが、たとえばラカンなら『同一化セミネール』でこう言う、《デカルトの命題を扱うといっても、デカルトを乗り越えるということが重要なのではない。彼はひとつの袋小路に陥ったのであるが、それと同時にその基盤を示してくれた。(……)「我思う。ゆえに我あり」はこの凝縮された表現をもって一般的に使われるようになった。それはマラルメがどこかでほのめかしている、使い古されて表面が磨り減ってしまっている硬貨のようになっている記号のようである。それをちょっと取り上げ、その記号の機能に磨きをかけ》てよみがえらせよう、と。ここでは、ラカンは、デカルトに戻って考えてみようとしているわけだ。


もちろん、次のように指摘することにはなるのだが。《「我思う」というのは、論理的には幾人かの論理学者を困らした「私は嘘をつく」以上に確固としたものではない》やら、《「我思う」は、「私は考えていると思っている」と捉えることができる、そしてそれは、「彼女は私を愛していると私は思う」以外の何ものでもない》云々。


ところでフッサールは、デカルトの袋小路をこのように整理した。

世界の中へはいって自然的な仕方で経験したり、その他の何らかの仕方で生きている自我を、世界に関心をもつ自我と呼ぶことにすると、現象学的に変更された見方をとり、しかもそのような見方をたえず固持している態度の特質は、その態度においては自己分裂が起こっており、世界に素朴な関心をもつ自我の上に現象学的自我が、世界に関心をもたない傍観者として位置していることにある(……)。しかし、そのような自我分裂が起こっていること自体は、ある新しい反省によってとらえられるのであり、この反省は、超越論的反省として、その自我分裂に対しても、まさにあの関心をもたない傍観者の態度をとることを要求する。もっとも、関心を持たない傍観者である自我には、その自我分裂を観察して、それを十全に記述するという唯一の関心だけは残されている。(フッサール『デカルト的省察』)

柄谷行人は『トランスクリティーク』で、この文を次のように説明する。

《ここで、フッサールは、心理的自我と現象学的(超越論的)自我を分けているだけでなく、その「自我分裂」自体をさらに「傍観者として」見ている自我を指摘している。

(……)正確にいえば、経験論的自我と、それを超越論的に還元しようとする自我と、それによって超越論的に見出された自我があるというべきなのである。フッサールは、ここで、デカルトが混同した「私は疑う」と「私は考える」の区別、いいかえれば、超越論的還元を行う私(疑う私)と、そのような還元によって見出される超越論的主観の区別を取り戻している。》(『トランスクリティーク』p136

……しかし、《この区別は、フッサールにある深刻なパラドックスをもたらす。世界は超越論的自我によって構成されるが、すべてを疑おうとすることの私は世界に属している》、として次の文が引用される。

しかしまさにこの点に困難がある。あらゆる客観性、すなわちおよそ存在するあらゆるものがそこに解消される普遍的相互主観性が人間性以外の何ものでもないことは明らかである。この人間性は疑いもなく、それ自体世界の部分的要素である。世界の部分的要素である人間的主観性が、いかにして全世界を構成することになるのであるか。すなわち、みずからの志向的形成体として全世界を構成することになるのであるか。世界は、志向的に能作しつつある主観性の普遍的結合の、すでに生成し終え、またたえず生成しつつある形成体なのであるが、そのさい、相互に能作しつつある主観そのものが、単に全体的能作の部分的形成体であったよいものであろうか。

そうなれば、世界の構成部分である主観が、いわば全世界を吞み込むことになるし、それとともに自己自身をも吞み込むことになってしまう。何という背理であろうか。(フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』)


この後、柄谷行人は、フッサールの他者を「自我の変様態」以上のものではない、フッサールが構成する他者は真に他者的ではない、としつつ自らの他者論を展開するのだが、それはここでは割愛して、カントのアンチノミーが語られる。

フッサールが指摘したパラドックスは、カントがアンチノミーとして述べたことにすぎない。われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている、と。しかし、このような議論は少しも新しくない。フッサールはその問題に最後に遭遇したが、最初に出会うべきだったのである。つまり、「他なるもの」は、最後に出会うものではなく、超越論的批判そのものをそもそも動機づけているものなのだ。フッサールの現象学は究極的に独我論的であり、そこからの出口はない。P139


………


われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている



この後半の文に関連するものとして、ラカンの「けっして真理を語ることはできない」、――そのことを「真理」として語ってしまうとか、ロラン・バルトの「作者は死んだ」を、作者として説明してしまう「評論家」などがいるだろう。


前半の文、《われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある》はどうか。ーー《絵はたしかに私の目の中にあります。しかし、わたしはといえばその絵の中にいます。》(ラカン『精神分析の四基本概念』)ーーこう並べてみればひどく似ている。


もちろん、この文は、柄谷行人の書く意味とは異なり、「しみ=<対象a」に係る。つまり若かりしラカンの有名なサーディン缶の逸話であるが、いまは、この<対象a>の文脈を脇にやる。


そうして、「風景はわたしの目の中にあります。しかし、わたしはといえばその風景の中にいます」とすれば、たちまち、蓮實重彦の「解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかな(い)》と並べてみることができる。


観察主体は、観察対象のなかにつねに含まれている。純粋な対象などというものはない。対象は「染み=<対象a」として、あるいは、「共通の規範=大文字の他者」の視線として、観察主体を見つめ返している。われわれは「風景によって解釈を蒙った解釈される視線」で、梅ではなく桜を愛でる。

※対象aの視線が見つめ返すという場合には、たとえば、観察主体の心的外傷性記憶や、幼少期の記憶が、対象に書き込まれている場合などがあるだろう。(参照:ベルト付きの靴と首飾り

ーー以上、大文字の他者の視線、対象aの視線をめぐっては、以下のジジェクの文にヒントを得て書いている(もっともジジェクの叙述は

but the picture is not mineと書かれているように異なった文脈である)。


Recall Lacan's formula: “The picture is in my eye, but I am in the picture.” If, in the common subjectivist perspectival view, every picture is mine, “in my eye,” while I am not (and by definition cannot be) in the picture, the mystical experience inverts this relation: I am in the picture that I see, but the picture is not mine, “in my eye.” This is how Lacan's formula of the male version of the mystical experience should be read: it identifies my gaze with the gaze of the big Other, for in it I see myself directly through the eyes of the big Other. This reliance on the big Other makes the male version of the mystical experience false, in contrast to the feminine version in which the subject identifies her gaze with the small other.("LESS  THAN NOTHING")



もちろん、対象の視線がわれわれを見つめ返すなどといわずに、ドゥルーズ=ベルグソン流の考え方を思い起してもよい。伝統的な哲学にとっての、光は精神の側にあり、意識は、さまざまな事物をそれらが本来住んでいる暗闇からひき出してくる光の束である、という考え方に対して、ドゥルーズ=ベルグソンは、事物というのはどんな光によって照らされているわけではなく、すでにそれじたいが光なのであり、意識は、この光を屈折させ、停止させ、遮断するもの、言わば光にとっての障害物であるという考え方。(参照:ドゥルーズによるベルクソンのイマージュ論概説をめぐって

 

この対象の光を屈折させ遮断する意識に媒介された視線によって、われわれは対象を眺めている。


これらは結局、カントが、「対象」は人間の感性の形式や悟性のカテゴリーによって構成されていると言ったことの変奏だろう(<対象a>のまなざしを除いて)。そしてさらに遡れば、冒頭のデカルトの、われわれの思考が言語と文法と習慣によって決定されているとすることの言い換えである。それは、現在なら、われわれの思考、意識や視線が、制度とかシステム、パラダイム、エピステーメによって支配されているという言い方がされるだけで、ことさら目新しい議論ではない。蓮實重彦が、《…「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている》としているのはそういった意味合いもある。


たまたま、少し前、twitterでの保坂和志botで次の文に行き当たったが、このような捏造された疑問符で語らなくても、 それはデカルト以来の「退屈な議論」ではあるのだが、最近は「アニミズムの時代の復活」(岡崎乾二郎)、土人の時代、つまり穏やかに言えば、人々が日々関心を持つ世界が狭くなった「新タテ社会」であるならば、ときにこのようにして啓蒙的に語る必要があるのだろう、--《見えるもの(現実の世界)をそのまま描く(書く)、というときの「そのまま」とはどういうことなのか?「そのまま」と思い込んでいること自体が自分が育った文化という檻によって作られた、バイアスのかかった見え方でしかないのではないか?》


従来、科学とは、その方法を、徹底的に対象化したモノに対して適用するものだとされた(徹底的能動者である観測主体と徹底的受動者である観測対象の関係)。だが、《クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依拠していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」は存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される。》(柄谷行人『隠喩としての建築』p60)――簡単にいえば、仮説が経験的的データを呼び集めるのだ。



最近では、アフォーダンス的な捉え方、つまり対象が差し出す(アフォードする)情報によって導かれる(観測主体は観測対象に導かれ「教えられて」はじめて何ごとかをなしうる)という考えもあるのだろう。


ーーーというわけで、この文も退屈な復習にすぎないことは、「誰でも知っている」はずのことだ。だが、《その無自覚を基盤としておのれを「制度」に仕たてあげる「文化」の便利な健忘症的資質について、人はいつまで顔をそむけていることができるのか。》

皺だの歪みだの亀裂だの、あるいは毛羽立ちでも引掻き傷といったものでもよかろうが、とにかく自分は平坦でありたいとのみ願うものの相貌を荒々しく乱しにかかる悪意の介入を斥け、盛りあがり、窪み落ち、また穿たれることへの潜在的欲望をもみずからに禁じながら、ひたすら寡黙にその均質で滑らかな表情を人目にさらしつづけ、しかもその謙虚さが熱のこもった視線をいささかもつなぎとめない表層に単調な平坦さのみを露呈することで「文化」に貢献していながら、かえって「文化」の側からのあからさまな無視、蔑視を耐えるしかないものたちの自己犠牲とでもいうべきものをめぐって、「文化」がいまなお無自覚であるという事実、というかその無自覚を基盤としておのれを「制度」に仕たてあげる「文化」の便利な健忘症的資質について、人はいつまで顔をそむけていることができるのか。起伏と陰翳にとぼしく、隆起と陥没とが風景に彩りをそえることのない表層を人目にさらすことで不当に貶められるもの、それは、いま、この瞬間に言葉がその表面に刻みつけられつつある「紙」、それを程よい高さで支えつつ視線を調節する「机」、筆を滑らせつつあるものが外気にこごえることから救っている「壁」、乾燥と湿気とを調節しつつ足を保護している「床」といったものだが、さらには、その同じ瞬間に、別の場所で匿名の足によって踏みかためられつつある「大地」、あるいはその特権的形態としての「道路」などをそれに加えてもよかろうが、こうした平板でのっぺらぼうな顔たちの群に向って、「生活」が投げかける邪悪なる侮蔑の念というか、ほとんどの場合は無関心と呼ぶべきであろうものは、奇妙にも、日常生活の圏域から知的反省の次元にまで均等に流れだしており、だから「文化」が「制度」としての不可視の体系性を強固なものとするのは、意図的な構造化の試みというより、経験的な知と反省的な知との曖昧な妥協ぶりによってなのだ。(蓮實重彦「表層の回帰と「作品」」『表層批評宣言』所収)

この文は、文化という「制度」によって、人は身近にあるものが見えなくなっているだけでなく、そのパラダイムが、われわれの思考全般を囚えていることを語っているのであり、たとえば、この文のすこし先で、蓮實重彦はこのようにも書く、《平坦さがあたりに波及させるあの単調さの印象、そこからくる廃棄された運動感、視線の凪ともいうべき静止の雰囲気が、人びとを平坦なる表層への無視、軽蔑からさらにはその陵辱へと向わせる過程が、日常的な思考と「学問」を自称する思考とに共通な構造を露呈しているという事実こそが、きわめて重要なのだ。》

そしてこんな例が挙げられる、《ミシェル・フーコーはその第一回目の日本滞在中のある講演で、一九世紀初頭のヨーロッパ的食物摂取の形態が蒙った不可逆的な大変動として、民衆による蛋白質消費量の急激な増大という事実を挙げ、伝統的な「歴史」学がかえりみることもなかったこうした「事件」を視界におさめえぬ限り、あらゆる「人間」への言及は抽象的知識に陥るほかないという意味のことを述べている……》

もっともこう引用したからといって、ここでまた桜と梅の話を蒸しかえして、日本の春の花樹として、ひたすら盛りあがった表情を人目にさらすのが「桜」であり、視線の凪、「ひたすら寡黙にその均質で謙虚さが熱のこもった視線をいささかもつなぎとめない」ものが「梅」というのは当らず、梅は風景のなかで桜ほどでなくても、それなりに「盛りあがっている」には相違ない。


……とまで書けば、京都で梅園と菖蒲園のあるやしろ、由緒正しいにもかかわらず、観光名所にはなり切っていないひっそりした小さな神社のそばに住んだことがあって(歩いて五分ほど、路地を抜けたら酒の神様でもあるその神社であり、散歩や煙草を買いにいくついでに、酒蔵からの豊富な奉納のお零れであるただ酒を枡で一杯きゅっと呑むのがおもな目当てであったのだが…神社の名は、梅の名を冠しており…つまりそれいらい、梅の対象aがわたくしを見つめるのだ…)、桜よりも格段に梅好きになり、あるいはもともとへそまがりで共同体の規範を敬遠する身であるので、ここでこの文の表題とは「関係がない」文を引用しておこう。









去年の春、わたくしは物買いに出た道すがら、偶然茅葺屋根の軒端のきばに梅の花の咲いていたのを見て、覚えず立ちどまり、花のみならず枝や幹の形をも眺めやったのである。東京の人が梅見という事を忘れなかったむかしの世のさまがつくづく思い返された故である。それは今にして思返すと全く遠い昔の事である。明治の末、わたくしが西洋から帰って来た頃には梅花は既に世人の興をくべき力がなかった。向嶋むこうじま百花園ひゃっかえんなどへ行っても梅は大方枯れていた。向嶋のみならず、新宿、角筈つのはず池上いけがみ小向井こむかいなどにあった梅園も皆とざされ、その中には瓦斯ガスタンクになっていた処もあった。樹木にも定った年齢があるらしく、明治の末から大正へかけて、市中の神社仏閣の境内にあった梅も、大抵枯れ尽したまま、若木を栽培する処はなかった。梅花を見て春の来たのを喜ぶ習慣は年と共に都会の人から失われていたのである。(……)

わたくしは梅花を見る時、林をなしたひろい眺めよりも、むしろ農家の井戸や垣のほとりに、他の樹木の間から一株二株はなればなれに立っている樹の姿と、その花の点々として咲きかけたのを喜ぶのである。いわゆる竹外の一枝斜なる姿を喜び見るのである。(永井荷風『葛飾土産』)

そう、並木や林としてかたまって眺めるのは、桜のほうがよいのかもしれない。桜樹の枝からやや離れてつける花は風に繊細に靡いて漂い舞い、あるいはその花叢の白い棚を空中にかさねて張り出したようなさまは、遠目に繊細で好ましい。だが一株の梅樹の姿、そのぼってりした蕾や花弁のまろやかなさま、たおやかな香、まだ寒いなか春の先駆けとしてつつましく蕾を綻ばす様子は、かつて自分の家の庭木のようにして散歩がてら眺めていた身には、いっそう親しい。


……「桜切るバカ、梅切らぬバカ」は植木育ての初歩中の初歩である。枝を切ると桜は弱るのである。しかし、桜の木を庭のまん中に植えるとどうなるだろうか。

地下水の潤沢な庭でさえあれば、桜は庭いっぱいに枝をひろげる。

そして、ひろげるだけならまだしも、その覆いかぶさる枝の傘の下には一木一草も生えない。それは桜の木が毒ガスを出して、他の植物を枯らすからだそうである。

この、わずかに苔だけが生える樹の下の暗い地表は、桜の実の腐りつぶれた残骸とおびただしい毛虫が被い尽くして、人が嫌い寄りつかない場所となってしまう。ただ、花見どきは、人が集まって下で無礼講を開く、それだけである。

切るといじける。だからといって、切らないでいると、どこまでも枝を伸ばし、そればかりか毒ガスを出して草一本生えなくし、誰にも嫌われる廃棄物だけをふんだんに降らせるーー、これも桜の一面である。

桜をめでるあまり、もともとあるべき山あいから移して、ちやほやしたのは、桜みずからのせいではなかったであろう。庭のまん中に生えてしまったのも桜の責任ではないかもしれない。隅っこに置けば、それは来る年ごとに道行く人にめでられる花になっただろう。しかし、庭の中央では傍若無人なのが桜である。しかも、いじめるとあわれっぽくいじける。

桜が、「放っておくと図に乗って縄張りをひろげ、その傘の下にあるものを枯らし、汚いものを降らせ、さりとて伸びるのを阻むといじけて哀れっぽく特殊事情を訴える」という象徴にもなりかねないことを時々思い出す必要があるのかもしれない。(中井久夫「桜は何の象徴か」)