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2014年5月11日日曜日

五月十一日 歴史にみる「戦後レジーム」 中井久夫

以下の「戦後レジーム」をめぐる中井久夫の文には、「首相(安倍)」とあるが、第一次安倍内閣(2007年)の時のことである。安倍総理は、今年の三月久しぶりのその言葉を発した。

安倍晋三首相は14日の参院予算委員会で「私は戦後レジームから脱却をして、(戦後)70年が経つなかで、今の世界の情勢に合わせて新しいみずみずしい日本を作っていきたい」と述べた。「戦後レジームからの脱却」は第1次政権で掲げたが、最近は控えていたフレーズだ。(久々に登場、「戦後レジームからの脱却」 安倍首相

さて中井久夫の随筆「歴史にみる「戦後レジーム」」は、一見たんたんと書かれているかにみえる文だが、隠し味がたくさんある。いや、わたくしはそのようにして読む。だが《総評のために辞を費さぬ》ことにする。《若し今事の伝ふべきを伝へ畢つて、言讚評に亘ることを敢てしたならば、是は想像の馳騁、主観の放肆を免れざる事となるであらう。わたくしは断乎としてこれを斥ける。》(森鷗外『伊沢蘭軒』)。

首相が脱却したい「戦後レジーム」とは何か、という問いが冒頭にあり、直接には書かれていないのにも拘わらず、戦後レジーム脱却の是非をめぐる中井久夫の思いが読めば自然に分かるように書かれている。ここで引用される文は、三ヶ月に一回「神戸新聞」に連載された「清陰星雨」の「「歴史にみる「戦後レジーム」」全文である。「清陰星雨」の連載は二〇一二年三月次のように書かれて休まれることになった。

《私はどこか日本の学者を信頼して、それが体験の基礎になっていた。官僚も、政界も、はてなと思うことはあっても、終戦の時と同じく、列車が走り、郵便が着くという初歩的なことで基盤にゆえなき信頼感があったのであろうか。私が20余年続けたこのコラムを休むのは、その代わりに考えきれない重しのようなものが頭の中にあるからである。》(中井久夫さん、最後の「清陰星雨」


歴史にみる「戦後レジーム」


年金問題の陰に隠れているが、首相(安倍)が脱却したいという「戦後レジーム」とは何か。ほとんど内容が取り上げられず、また何に変わりたいのか、誰もいわない。そこで私は射程をぐっとのばして日本史全体を眺めなおしてみようと思う。

日本史上、大陸への大規模外征は三度行なわれ、悉く失敗している。その後には必ず旧敵国の優れた制度を導入して、一時の混乱はあっても、安定した平和の時代を迎えることに成功している。「戦後レジーム」もその一例であると、私は見る。

天智天皇二年(六六三年)百済王子を擁して朝鮮半島に傀儡政権樹立を試みた倭の約四百隻の艦隊は、百隻の唐艦隊に白村江河口において短時間で全滅した。古代の「ミッドウェー海戦」である。以後、日本は専守防衛に転じて半島出兵をやめ、唐の国制を取り入れて内政を整備し、半世紀かけてようやく唐との国交回復をなしとげた。

南蛮人の世界征服に刺激されたかもしれない秀吉の朝鮮出兵も、戦争目的を果たせずに終わった。後を継いだ徳川政権は朝鮮の国学である朱子学を採用し、儒教にもとづく文治政策を打ち出し、朝鮮との修好に努めた(維新の際に徳川に援軍を送ろうという提案が朝鮮政府の中に起こっている)。

江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。特に家康の決めた「祖法」は変更を許されなかった。その下で、江戸期の特徴は航海術、灌漑技術、道路建設、水道建設、新田開発、手工業、流通業、金融業の発達である。江戸は人口百万の世界最大都市となり、医師数(明治二年で一万人)も国民の識字率もおそらく世界最高であった。江戸期に創立された商社と百貨店と多くの老舗は明治期も商業の中核であり、問屋、手形、為替など江戸の商業慣行は戦後も行なわれて、「いまだ江戸時代だ」と感じることがたくさんあった。

「戦後レジーム」が米国から多くを学ぼうとしたのも、過去の敗戦後の日本史の法則通りであるといえそうである。米国は、科学から政治経済を経て家庭生活までが理想とされた。気恥ずかしいほどであった(貧しくなった西欧にも類似の米国賛美はあった)。

天皇が政治に関与せず、マッカーサー元帥が将軍として君臨したのも、米軍が直接統治せず、日本の官僚制度を使ったのも、江戸期の天皇、幕府、諸侯の関係に似ている。占領軍の指令は何と「勅令第何号」として天皇の名で布告され、日本政府が実施の責任を負った。

ドイツとは全然違った。ヒトラーの自殺後、ドイツは無政府状態となって軍人も市民も出会った米英仏ソ軍に降伏した。この「流れ解散」の間に十万人のドイツ人が殺されるか行方不明になった。日本の場合は「ポツダム宣言」があり、国外の軍には「勅使」が説得にあたった。

なお、敗戦後のドイツ人虐殺を遺憾としたのは数ある米将官中マッカーサー一人で、そういうところが彼にはある。日本国憲法は、当時の日本側の提出する大日本帝国憲法の焼き直しに業を煮やして米国主導で作られたので、仮に日本側草案が行なわれていたら、戦後の日本人は民主主義を享受できなかっただろう。また、日本国憲法は先に列挙した徳川幕府の祖法にもかなり似ている。軽武装・経済中心は日本人に馴染むものである。

憲法二〇条の政教分離規定は詳細を極める。当時国内外にあったキリスト教の国教化運動の道を断つ規定であることに注目したい。マッカーサー元帥の信仰はスコットランド長老教会かと思う。勤勉、節約、清潔、貯蓄を徳目とする宗教的少数派である。キリスト教の国教化と表記のローマ字化とをしなかったのは、米占領軍の「なさざるの功績」である。

白村江の戦いの前は部族間抗争が大詰めを迎えていた。昭和の敗戦の前は、明治以後敗戦までの「レジーム」であった。半世紀だった安土桃山時代と同じく「レジーム」というよりも、本質的に不安定な「移行期」で、立役者の寿命しか持たなかった。明治維新を闘った最後の元老・西園寺公望の死と敗戦への引き返し不能点である日独伊三国同盟とは、どちらも一九四〇年である。この「移行期」は維新以後七二年で終わったということができる。(中井久夫「清陰星雨」、「神戸新聞」二〇〇七年六月――『日時計の影』所収)

見事に凝縮された文章である。《思考の単位はパラグラフである》とは中井久夫が繰り返して語る言葉だが、そのパラグラフの塊ごとの進行の具合が心地よい。読み手に私見を強いたり、ことさらの強調もない。今はそんな文章ばかり読まされるなか、爽快な読後感を抱く。

善悪智愚醇醨功過、あらゆる美刺褒貶は人々の見る所に従つて自由に下すことを得る判断である。 わたくしは果して能く此の如き余地遊隙を保留して筆を行ることを得たか。若し然りと云はゞ、わたくしは成功したのである。若し然らずして、わたくしが識らず知らずの間に、人に強ふるに自家の私見を以てし、束縛し、阻礙し、誘引し、懐柔したならば、わたくしは失敗したのである。(森鴎外『伊沢蘭軒』)

アンゲプロスがモンタージュをめぐって語る《観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさ》を示す文章が跳梁跋扈する現在である。あるいはファストフード的読者、《道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式……。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせる》(ジジェク)ような文章が著名な大学の教師によってさえも書かれる現在である。

モンタージュによる映画を見ていて私が苛立つのは、それは二つの画面の相互介入といった衝撃の上に成立しているのですが、そのとき、その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。(テオ・アンゲロプロス 蓮實重彦インタヴュー集『光をめぐって』所収)

さて、三つの歴史的事実が書かれていることだけ整理しておこう。それは

旧敵国からの優れた制度の導入という視点である。


・白村江との中国(唐)との戦いの後、

唐の国制の取り入れによる内政の整備

・秀吉による朝鮮出兵の失敗の後、徳川政権による

朝鮮の国学である朱子学の採用

・太平洋戦争敗戦後、米国「民主主義」の受容 



ところですこし前に引用した鴎外の文は次のように続く。


史筆の選択取舎せざること能はざるは勿論である。選択取舎は批評に須つことがある。しかし此不可避の批評は事実の批評である。価値の判断では無い。二者を限劃することは、果して操觚者の能く為す所であらうか、将為すこと能はざる所であらうか。わたくしはその為し得べきものなることを信ずる。(森鴎外『伊沢蘭軒』その三百六十九)

鴎外は、史実の選択取捨は事実の批評とする。それは価値判断ではない、としているが、どの史実を選択するのかは、やはり価値判断であることを免れない。大岡昇平の森鴎外『堺事件』批判はそのことに係わっている。そうして大岡の未完の遺作である『堺港攘夷始末』が書かれることになる。

もともと大岡昇平の憤りの由来は、代表作のひとつ『レイテ戦記』の執筆に関係するようだ。

「堺事件」の作者鴎外の位置は、レイテ戦の事実を都合よく書き替える高級将校のそれになぞらえることができる。……兵士の死をイデオロギーによって美化すること、そしてそうした作者鴎外を偶像化することは、大岡には認めがたいことだった。(吉田照生「大岡昇平の人と文学」1990)

大岡昇平の『レイテ戦記』の「あとがき」には《旧職業軍人の怠慢と粉飾された物語に対する憤懣》ともある。

だがこのように大岡昇平の鴎外批判をめぐって記したところで、中井久夫の歴史認識を批判するつもりは毛頭ない。おそらくある種の人たちは批判することもあるだろう、と憶測するだけだ。いや日本の歴史における三つの大規模外征失敗後の《旧敵国からの優れた制度の導入》による日本国の成功という認識には苛立つひとたちもいるだろう、と思うだけだ。


この中井久夫のエッセイは、「「和様化」今が好機 」と題された毎日新聞の磯崎新インタヴュー記事(2010年のものだが、元記事はウェブ上からなくなっている)とともに読んでみるとまた面白いかもしれない。中井久夫は1934年生まれ、磯崎新は1931年生まれであり、少年期を太平戦争さなかに送った世代である。

……

中国とは対照的に意気消沈する日本。磯崎さんは90年に著した「見立ての手法」(鹿島出版会)に記していた。

 <数多くの先達の仕事ぶりをみていると、「日本」に激しい憎悪をもち、それとの対立と破壊によって自らの方法を組みたて、成熟していくにつれて和解や回帰がはかられた例をいくつも挙げうる。「日本」を常に異国人(他者)の眼でみることである>

 磯崎さんは、海外で仕事をする時に「日本的なものを売り出そう」などという日本人の言葉をよく耳にしていた。だから、「日本的なものとは何か」という問いに頭をめぐらせてきた。

 「僕は歴史を通じて日本のオリジナルはどこにあったかを考えた。というのも、日本のオリジナルがあったとするならば、日本的と改めて言う必要はな いわけです。海外から『日本は特別だよ』と言われるから、日本が日本的なものを探していると思っていた。建築では、伊勢神宮などが日本的と言われるけれ ど、僕が調べると必ずしもそうではない。あの時代に日本的なものを作らなければならなかったから伊勢神宮もできた。一種のナショナリズムです」

 7世紀に白村江の戦いで唐・新羅に敗れた日本は、伊勢神宮を国家的な規模で祭ったとされる。12世紀には大胆な構造の東大寺南大門を再建した。 「伊勢神宮は唐・新羅による侵略の恐怖などに対し、国を誇示するものとして、東大寺南大門再建は13世紀後半の元寇の前に蒙古の侵攻を予感していた結果で す」

 16世紀に南蛮文化の外圧にさらされ、鎖国していた日本は19世紀半ばに黒船の来航により開国して、近代国家の道を歩んだ。

 「でも僕は1990年代前半には、海外から日本に戻る多くの日本人を見て、鎖国状態になっているのを実感したんです。90年代後半に、海外で大きな事業を手掛ける日本人が2人でも3人でもいたら、この島国にも少しの可能性があるのではないかと考えたのですが……」

 だが、磯崎さんが周りを見渡した時、みんなが日本国内へ内向きになっていた。磯崎さんは「今も鎖国状態は変わらない」と言い切った。

    ■

 米軍普天間飛行場移設問題などでは米国との関係に揺れ、中国には今年にもGDP(国内総生産)で追い抜かれる。政権交代はしたものの、鳩山政権は視界不良だ。

 日本は鎖国状態でやっていけますか? 「日本は鎖国状態を恐れる必要はありませんよ。今の日本は、米国から外される、中国から追い抜かれるとビクビクしている。だけど、日本はむしろ孤立した方がいいんです」。意外な答えが返ってきた。

 「僕はこの鎖国状態の期間を『和様化の時代』と呼んでいいと思います。歴史を見れば、和様化の時代は、輸入した海外の技術を徐々に日本化していく時期にあたります。今はこの和様化、つまり『日本化』を徹底する時期だと思いますね」

 磯崎さんに言わせれば伊勢神宮もしかり。漢字とひらがなが入り交じった日本語も、外国語をいかに日本化するかを考えたことから今の形となった。戦 後で言えば、自動車やカメラだ。日本が始めた産業ではないにもかかわらず、実用化、大量化、精密化して世界の群を抜く製品化に成功した。

 「どう言ったらいいんですかね」などと言葉を探しながら語る磯崎さん。

 「歴史を振り返ると、日本人は鎖国状態の時期、非常に細かい技術を駆使して、発案した人たちを脅かすものをつくり続けてきた。そして、その時期にできた日本語や自動車などの日本的なものが、日本の文化や産業の歴史的な主流になってきています」

   ■

 一昨年秋のリーマン・ショック以後、先進国である日米欧の経済は低迷を続けているにもかかわらず、新興国の中国やインドは成長を続ける。一国の力 ではどうにもならないグローバリゼーションの渦中にあるのではないだろうか。海外で日本がどれだけ評価されたか、海外で日本人がどれだけ活躍したか--。 我々の海外への関心は高い。海外の目は日本人を相対化することができる。例えば、イチローの活躍は国民を勇気づける。多くの日本人が持つ視点だろう。

 「日本には、海外でグローバルスタンダードを作ることができる外向きの人々と、国内で和様化を洗練する内向きの人々がいます。外向きの人々は企業 でも個人でも、世界の一部分としてしか動けないから、どんどん海外へ行けばいい。日本にとって意義あることは、ダブルスタンダード、つまり役割を分担して 外向きと内向きをともに推し進めることだと思います」

 磯崎さんは一気に2時間近くも語った。「細かな芸の洗練」という美学を持つ島国、ニッポン。鎖国状態を悲観することなく、強みとなる「日本化」を進めることができるだろうか。



2014年2月26日水曜日

「ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ」

以下、古い文献と新しいレポートを織り交ぜたメモ。


◆中井久夫の「引き返せない道」より(1988初出 産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え 『精神科医がものを書くとき』〔〕広栄社)。

一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。国際的にも二大国対立は終焉に近づきつつある。その場合に日本の地理的位置からして相対的にアジアあるいはロシアとの接近さえもが重要になる。しかし容易にアメリカの没落を予言すれば誤るだろう。アメリカは穀物の供給源、科学技術供給源、人類文化の混合の場として独自の位置を占める。危機に際しての米国の強さを軽視してはならない(依然として緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう)。


大和総研レポート 2013年5月14日 「超高齢日本の 30 年展望」(理事長 武藤敏郎 監修)より


世界経済は、 著しく高齢化する中国のプレゼンスが低下し、 経済の中心は依然として米国であり続けるだろう。
世界経済を長期的に展望するとき、各国の栄枯盛衰が見込まれるなか、米国経済が凋落することなく相対的に強いポジションを維持していくという見方は大方で一致していると思われる。良好な経済パフォーマンスが一定の出生や移民を維持しており、反対に出生や移民が経済パフォーマンスを支えるという双方向の因果関係があると考えられるが、現状でも欧米先進国のなかで例外的に人口が増えているという好循環の構図が米国にはあるという点が重要である。欧州のソブリン問題も、結果的に米国の覇権を再認識させていると思われる。
米国の高齢化の進展速度は、中国やブラジル、インドといった新興国と比べても緩やかである。米国が若さを保つチャネルの一つは移民だが、オバマ大統領は 2 期目の就任演説の中で移民制度改革に言及しており、 1,000 万人を超えるとされる不法移民の取り扱いに加えて、 高い技術を持つ者の受け入れに一段と積極的になれば、潜在成長力を押し上げることにつながろう。長期的な強みに綻びが見え始めているといわれる米国だが、他の国々に比べると若さを維持する人口構造になっている。
<世界の構図を変える可能性を持つ米国のシェール革命>:技術革新によって開発・利用可能になったシェールガス・シェールオイルの増産(シェール革命)で、米国は 2020 年頃までには世界最大の原油生産国になると国際エネルギー機関(International Energy Agency :IEA)は見込んでおり、米国内のガス需要は 2030 年頃には石油を抜いてエネルギーのなかで最大のシェアになるという14。 世界的にみても、 ガス需要は大幅に増加すると予想されているため、米国にとってこれは重大な変化である。実際、米国がエネルギー輸入国から輸出国に転換する可能性も示唆されている。
世界の実質 GDP 成長率は、当面は平均年率 4%強で成長するものの、2020 年頃からは成長率が低下していくものと見込まれる。その原因は、世界 GDP 成長率の約半分を占める中国の寄与度が労働力人口の減少により、2020 年前後から低下するためである。予測の最終年である 2040 年においては、世界 GDP 成長率の寄与度はまだ中国が大きいものの、次第に米国とインドの寄与度が高まっていく。米国も高齢化による労働力人口の減少の影響を免れることはできないが、移民の流入でその影響が緩和されることや、インドは他国と比べて人口構成が若いため、労働力人口の低下のスピードが遅く、相対的に高めの成長率が維持されるものと考えられるからである。そのため、世界経済の牽引役は、中国から徐々に、米国やインドへと移り変わるものと考えられる。
米国連邦準備制度理事会(FRB)が大手金融機関に課した 2013 年のストレステストでは、最悪の景気悪化シナリオとして、米国自身の深刻な景気後退に加えて、中国経済の大幅な減速に起因する世界経済の悪化をダウンサイドリスクに想定した。一年前の同テストでは、欧州経済の悪化・金融市場の混乱がリスク要因だったが、今回はやや様変わりし、それだけ中国の存在が無視できなくなっている。
中国の高齢化が急速に進むとみられる背景の一つは、1979 年から導入されている“一人っ子政策”であり、同政策によって出生率は急激に低下した。同時に経済発展によって死亡率が低下した結果、人口ピラミッドの形がいびつになってきた3。2010 年時点で中国の 65 歳以上人口が全人口に占める割合 (高齢化比率) は 8.2%に達し、 経済発展の途上段階で人口構造の成熟化が進んでいる。高齢化に伴う社会的コストが増える一方で、その費用を負担する現役世代の伸び率が鈍化している状態であり、今後中国では現役世代の負担感が大幅に高まっていくと予想される。

具体的に、高齢者人口(65 歳以上)を生産年齢人口(現役世代、15~64 歳)で割った老年人口指数を求めてみると、 2010 年時点では 100 人の現役世代で 11 人の高齢者を支えていたが、 2020年には 17 人、2050 年には 42 人を支えることになり、約 4 倍の負担になる。

今後の中国は、これまでの 2 桁台の高い成長率から質の伴った安定成長へスムーズにシフトするという目標を実現しながら、社会保障制度など膨張する費用を賄わなければならない。例えば、子どもが 1 人しかいない家庭では高齢者介護が大きな負担になるために、年金補助制度などを強化していく方針であるという。

ちなみに、 日本において高齢化比率が中国の 2010 年と同じ 8.2%を上回ったのは 1977 年であった。中国の現在の経済規模は日本を抜いて世界 2 位だが、1 人当たり名目 GDP(2010 年時点)は 4,400 米ドル程度であり、 1977 年当時の日本の 1 人当たり名目 GDP6,100 米ドルを下回っている。この間の生活水準や物価の変化を考えれば、その格差はより大きい。単純な比較はできないが、中国では人々の生活が豊かになる前に高齢化が始まっている。


◆柄谷行人 岩井克人対談集1990『終りなき世界』より

岩井)ぼくは、アメリカの資本主義とは、世界資本主義のなかで特別な位置を占めてきたし、これからも占めていくと思っているのです。没落したと言っても、当分のあいだ没落しえない構造になっている。

柄谷)もちろんそうですけれどもね。しかし、ぼくはやっぱり戦後アメリカが世界に進出したことが、むしろ彼らの本来もつ孤立主義というかモンロー主義に抵触するように思うんです。没落ではないが、内にこもるという気がする。

岩井)ただぼくね、そのアメリカに関する認識が柄谷さんとちょっと違うなと思うのはね、アメリカの資本主義には二重性があると思ってる点なんですよ。ひとつは、ドイツや日本と同様に国民経済としてのアメリカです。共同体的なアメリカと言ってもよいかもしれない。

ただ、アメリカの場合、もうひとつ、自分の中に世界資本主義そのものを抱えているアメリカというのがあるんです。もちろん共同体としてのアメリカというのは非常にモンロー主義ですね。でも同時にやっぱり、移民を受け入れ、国の中にあらゆる民族がいて、しかも商品も資本もかなり自由に行き来できるというアメリカというのがある。これは、まさに世界資本主義の縮図なんですよ。それゆえ、アメリカはみずからの中に世界資本主義を抱える国として、まさに広義の世界資本主義のなかで特異な位置を占めているわけです。世界はたしかにアメリカ、ヨーロッパ、アジアという三極構造になっていくとは思うんですが、同時に三極の第一番の極であるアメリカのなかに、世界資本主義の縮図が織り込まれているという構造になっていて、必ずしも純粋な三極構造じゃないと思うんですね。三極プラス世界それ自体という、複雑な入れ子構造ですね。

アメリカの内部にあるこの二つの資本主義、それはアメリカにおける民主主義と自由主義ということかもしれないのですが、それはけっして民主党と共和党という対立には還元できない、もっと根源的な内部構造なんだと思います。そして、このアメリカ内部における世界資本主義のダイナミズムが、たんなるアメリカ、ヨーロッパ、アジアという拡大された国民経済の三極のあいだの勢力関係以上のダイナミズムを世界にもたらし続ける気がしますね。日米経済摩擦というのも、やはり同時にアメリカの内部における二つの資本主義のあいだの対立の問題の反映であるとみることもできる。九十年代において、三極構造だけでは理解できないダイナミズムがありうるわけで、これをやっぱりみていかないといけないような気がしますね。

柄谷)それは同感ですが、ぼくが言いたいのは、アメリカにあるモンロー主義の可能性をむしろ見てなきゃいけないということなんですよ。つまりあまりにも戦後のアメリカに慣れすぎて、むしろモンロー主義が基底にあるということを忘れているのではないかと思うんですね。アメリカのナショナリズムの思想的元祖は、エマソンですね。彼は、日本の本居宣長とある意味でよく似ているんです。彼のトランセンデタシズムは、歴史や伝統を切断して、自分の内部と経験に問えということですが、これは別の意味で、アメリカのナショナリズムです。なぜなら、歴史や伝統はヨーロッパのものだからです。

エマソンは「ヨーロッパへ行くな」とも書いている。これは、宣長が「漢意」を批判して、おのれ自身の心(もののあはれ)を重視したのと平行しています。日本の場合と同様に、これは、反インテレクチュアリズムとして根強いですね。ただし、日本と違って、インテリのほうも頑固で根強いですが、と言うのも、インテレクチュアルはヨーロッパから直接に来ていますからね。書物だけが来るのではない。とにかく、このエマソン主義は、政治的な表現をとるかどうかは別としても、アメリカの思想的基底にあるものだと思う。この意味で、ぼくはアメリカは巨大な「島」だと思っているんです。

アメリカが実際に閉鎖的になると、世界的に影響しますね。たとえば明治の末、日本人移民の締め出しが起こった。江藤淳の説によると、石川啄木の「時代閉塞の現状」というのは、アメリカが日本からの移民を拒絶したということから来るらしい。つまり日本の空間から出る道がなくなったったわけですね。それは日本だけじゃない。一九三〇年代、ヨーロッパでファシズムが起こったのは、アメリカの移民制度のせいだという説もありますね。

岩井)全くその認識は正しいと思います。アメリカがみずからの内にある世界資本主義を閉塞させてしまうと、世界は単純な多極的な構造になって、共同体と共同体がじかにぶつかり合うという不安定性が増幅してしまう。今度の東ドイツから西ドイツへ大量の移民が逃げたということもあるけれども、やっぱりアメリカという国が長い間東ヨーロッパやソ連から移民を受け入れてきたということが大きかったんだと思う。これが、東ヨーロッパやソ連を世界資本主義のなかに巻き込んだ現実的な力として働いたんですね。そういう意味での、アメリカの勝利なんですよ。西欧民主主義などという原理の勝利じゃなくて、移民を受け入れるという事実の勝利なんです。

柄谷)そうですね。ぼく自身、亡命ということ、移住ということを考えたとき、やはりアメリカしか考えてないですね(笑)。現在でも、世界で亡命しうる国と言えば、じつはアメリカ以外はない。

岩井)ぼくもそうですよ(笑)。かつてスピノザの両親がポルトガルからオランダに亡命した。あのときはオランダというのが世界資本主義の中心地だった。亡命できる都市と世界資本主義の中心地というのは、必然的に一致するんですね。やっぱりその意味ではアメリカがこれからも亡命の地であるということで、まさにその限りにおいて世界資本主義の中心地としての地位を保っていくんじゃないかと思います。

柄谷)日本は絶対に亡命の地じゃない。ぼくは亡命の地たりうるかどうかにおいて、その国の「自由」の度合い、あるいは、世界資本主義における比重を測りうると思いますね。

岩井)ほんとにそうですね。

柄谷)ある意味で、東欧・ソ連問題というのは、アメリカ人からみたら、みんな親戚の問題ですね。以前たまたまヴィデオを見たんだけど、アルメニアの大地震のときに、BBCがニュースを二時間ぐらい特集しているんですね。アメリカのアルメニア人がみな集まってワイワイ言ってるわけです。地震が起こったところはソ連ですよ。だけど、それに関してものすごい救援活動をやるんですね。テレビも大々的に支援する。これは、日本人がアメリカという国にもっているイメージに合わないところだと思います。

岩井)特にアルメニアなんてのは国自体がなくなったでしょう。ソ連の中に吸収されたし、残りはトルコの中に一部あるということで。アメリカが逆にアルメニアのいちばん利益代表というところがあるでしょう。

柄谷)だから、ぼくは、アメリカの帝国主義としての世界進出という面は確かにあるけれども、もう一方に、本質的に世界的にならざるをえないところがあると思う。というのは、結局外国から生身の人間が来ているということですね。だから、アメリカ人は世界中の人間が潜在的にアメリカ人だと考えており、その意味で「外部」がないんですね。自分たちの原理はどこにでもあてはまるべきだと思っている。それは、「世界の警察」のようにふるまうアメリカ国家とはまたべつのレヴェルですが。

上の柄谷行人の発言のなかに「反インテレクチュアリズム」という語が出てきていることに注目しておこう。

《いまやヤンキー化の進行はとどまるところを知らない。気合とアゲのバッドセンス、ポエム化の蔓延、現場主義のリアリズムと夢を語るロマンティシズム、「知性より感性」の反知性主義。ヤンキー化の源泉をさぐることで、あたらしい「日本人」の姿が見えてくる。》(斎藤環「ヤンキー文化と日本文化」――「日本精神分析2.0」
日本は、岡倉天心が『東洋の理想』で書いたように、アジアの諸文化・思想がどんどん入ってきて、排除もされず累積してきた貯蔵庫のようなところがある。もちろん、排除しないというのは、それ自体が排除の形態なので、つまりは、何の影響も受けないということです。アメリカもじつはそうです。しかし、実際の人間が来る。日本に来るのは文物だけです。たとえば、われわれにとって、中国はいうまでもないけど、インドの哲学とか芸術とか言えば、なにか懐かしいような感じ、われわれの一部であるような感じがあります。しかし、インド人がこの国に来たわけじゃないから、たんにイメージなんですね。

岩井)だからアメリカについて、石原慎太郎がアメリカをレイシズム(人種差別主義)と非難したけれど、あれは的が外れている。とくにアメリカの場合、まず当たり前のこととして、国内に多民族を抱えているでしょう。たとえばフランシス・フクヤマがいい例で、日系人やアジア系がかなりのパーセンテージいるわけだし、そんなに単純なかたちのレイシズムにはなれない。

柄谷)アメリカには現に多数のレイスが共存しているのだから、レイシズムは確かにあるし、陰では悪口を言うかもしれないけれど、けっして公言できませんね。たとえば、「ジャップ」とか言えないのは、日本人が抗議するからではなくて、日系アメリカ人がいるからです。ハワイみたいに、日系人が州知事をやってるようなところもあるわけです。

岩井)それから上院議員が二人ぐらいいますしね。アメリカ政府は戦時中の強制収容所の賠償金を日系人に支払いはじめましたね。これらの議員の尽力ですね。

柄谷)しかし、それじゃ日系人が、プロ・ジャパンかと言うと、そうではないわけですよ。

岩井)そう、全然ない。日系人だから賠償金に関する法律を通すんだというのではなく、一応アメリカ人として、戦時中のアメリカ人が本来の道義性を失った行為を同じアメリカ人にしたことの賠償だという論理を使ってね。

柄谷)だから、ああいう単純なレイシズム非難に対しては、日系人も怒ると思うんですね。レイシズムの一言ですむんだったら、戦後四十五年間の日系人の戦いはなかったことになるんですね。それは、アメリカ人としての、アメリカの理念のための戦いだったわけで、彼らはアメリカ人としての誇りを持っているわけですから。アメリカ人が日本人を人種差別しているという単純な言い方に対しては、むしろ彼らが怒ると思うな。それだったら、日本人のほうがはるかにレイシストですからね。

岩井)ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ。日本のコマーシャルに典型的に出てくるあの白人崇拝というのが、逆方向のレイシズムでしょう。アジア蔑視、白人優越主義の裏返しですよね。もちろん、いろいろな肌の色の有名人も出ますけれど、それは有名人だからなだです。つまり下士官根性の現われなわけですよね。上に媚びて、下に威張るというね。明治以来、日本は常にそうだったと思うんですね。そして、それと同時に、白人もふくめた意味での外人排斥的なレイシズムもある。(柄谷行人 岩井克人対談集『終わりなき世界』1990)

…………

※附記:毎日新聞の記事2010、「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 建築家・磯崎新さん」より(リンク切れになっているが、以前メモしたものから)

米軍普天間飛行場移設問題などでは米国との関係に揺れ、中国には今年にもGDP(国内総生産)で追い抜かれる。政権交代はしたものの、鳩山政権は視界不良だ。

 日本は鎖国状態でやっていけますか? 「日本は鎖国状態を恐れる必要はありませんよ。今の日本は、米国から外される、中国から追い抜かれるとビクビクしている。だけど、日本はむしろ孤立した方がいいんです」。意外な答えが返ってきた。

 「僕はこの鎖国状態の期間を『和様化の時代』と呼んでいいと思います。歴史を見れば、和様化の時代は、輸入した海外の技術を徐々に日本化していく時期にあたります。今はこの和様化、つまり『日本化』を徹底する時期だと思いますね」

 磯崎さんに言わせれば伊勢神宮もしかり。漢字とひらがなが入り交じった日本語も、外国語をいかに日本化するかを考えたことから今の形となった。戦 後で言えば、自動車やカメラだ。日本が始めた産業ではないにもかかわらず、実用化、大量化、精密化して世界の群を抜く製品化に成功した。

 「どう言ったらいいんですかね」などと言葉を探しながら語る磯崎さん。

 「歴史を振り返ると、日本人は鎖国状態の時期、非常に細かい技術を駆使して、発案した人たちを脅かすものをつくり続けてきた。そして、その時期にできた日本語や自動車などの日本的なものが、日本の文化や産業の歴史的な主流になってきています」



2013年7月1日月曜日

タヌキの跳梁跋扈

過日、「次の世代が、この国で、アジアで、世界で、生き延びうる世界を残す」と語った大江健三郎は、ドイツ議会における「原理的な倫理」の定義を次のように示している。

3.11後、すぐ後で、
「ドイツは原発利用に原理的根拠はない」として、国の方向転換を始めました。
他の国でいま原理的だとか、オラールとかいう言葉はあまりに使われませんが、
ドイツの議員達は次のように「原理的」という言葉を定義しています。

私たちが、次の世代が生き延びることをさまたげない。
次の世代が生きていける環境を無くさない。
その事が今人間のもち得る最大の根本の倫理だ。


というのが彼らの定義であります。


これは岩井克人がかつて環境問題をめぐって語った「未来世代への責任」、あるいは『トランスクリティーク』における柄谷行人の「未来の他者」への責任の倫理ということである。

人類は太古の昔から利己心の悪について語ってきました。他者に対して責任ある行動をとること——それが人間にとって真の「倫理」であると教えてきたのです。だが、経済学という学問はまさにこの「倫理」を否定することから出発したのです。

 経済学の父アダム・スミスはこう述べています。「通常、個人は自分の安全と利得だけを意図している。だが、彼は見えざる手に導かれて、自分の意図しなかった〈公共〉の目的を促進することになる」。ここでスミスが「見えざる手」と呼んだのは、資本主義を律する市場機構のことです。資本主義社会においては、自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進するのだと言っているのです。(……)

未来世代とは単なる他者ではありません。それは自分の権利を自分で行使できない本質的に無力な他者なのです。その未来世代の権利を代行しなけれはならない現在世代とは、未成年者の財産を管理する後見人や意識不明の患者を手術する医者と同じ立場に置かれているのです。自己利益の追求を抑え、無力な他者の利益の実現に責任を持って行動することが要請されているのです。すなわち、「倫理」的な存在となることが要請されているのです。(岩井克人「未来世代への責任」

…ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。また、過去の人間との対話や合意もありえない。彼らは何も語らない。では、われわれはなぜ責任を感じなければならないのか。実際、何の責任も感じない人たちがいる。国家や共同体に関して「道徳的」な人たちが特にそうである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P192)


このふたつの文は、アングロ=サクソン的な自由主義(カール・シュミット流にいえばユダヤ主義ということになる)に対抗しなくてはならないという主張の系譜だ。《カントが『実践理性批判』で最も批判したのは、「幸福主義」(功利主義)である。彼が幸福主義を斥けるのは、幸福がフィジカルな原因に左右されるからだ。つまり、それは他律的だからだ。その意味で、自由はメタフィジカルであり、カントが目指す形而上学の再建とはそのこと以外にない。》(『トランスクリティーク』p184

「フィジカルな原因」に左右されない--だが、

《自分の歯茎が痛めば、その狭い中に全魂が集中するのが人間であり、その瞬間ほど、たとえ地球の反対側で地震が起こるとしても、自分の歯痛ほどではないと考える(……)。結局人は、世界で戦争が起ころうとも、地球に終末が訪れようと、自分が患っている歯痛よりはひどくはないと感じる……》(フロイト



もちろん、このアングロ=サクソン主義に対抗するために20世紀前半に現れたのがファシズムとコミュニズムであるのは周知のことあり、その惨めな結末後は、ふたたびヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統の優位、それが、すくなくともこの二、三十年の支配的な哲学――というか反哲学ということになる。


「未来世代への責任」などと言われても、われわれの多くは、それを「抽象的」と感じる。未来世代への責任どころか、身近な「差別」にたいしてだって、次の呟きが正直な反応だろう。

《生活保護にしろ在日にしろ、つまりは「我われの問題」としてはとらえていない、ということだ。自分たちとは関係ない別世界のお話し。リアリティへの眼差し以前の、無関心と無知と無自覚。

でも、それも仕方ないことだとも思う。例えば、就職活動で自分の人生の選択を迫られている時に遠くの土地で起こっている排外デモに気をとめるだろうか。毎日毎日夜遅くまで働かされて家庭のために頑張ってるなかで生活保護をめぐる過剰なバッシングの欺瞞と虚偽に目が向くだろうか。

みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。これは、生命過程の必然性(アレント)のせいではない。後期資本主義という社会制度のせいである。我われの眼差しは、胃袋からやはり社会構造へ。》(「なんのために」ーーー加藤周一『羊の歌』より


………


「お前さん、大江健三郎の「未来世代への責任」派だったな、78歳の大江健三郎は死ぬまで頑張るのだろうけどね、いつまできみら凡人にその意気込みがもつやら……

やつらが、つまりあの国家寄生虫みたいなやつらが原発再稼動の具体的な指示した場合、抵抗運動はふたたび盛り上がりはするだろうけど、あのタヌキたちにそれだけで対抗できるものかね

《歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っているオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……》《野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる》(浅田彰 『憂国呆談』2012.8より)って具合なのが、さらに自民党政権になっていっそう強敵になったからな

……ところで、首都圏大地震とつぎの原発事故のどっちがはやく起こると思うかい」

「たぶん、地震のほうだね、一万人規模の死者がでる災害なら、おだやかな予測でさえもこれだからな、神戸ではそんな予測のまったくない場所でおこったわけだし……」


ーーー地震調査研究推進本部


「ということは、その地震をたいして心配してない都民が、原発再稼動にたいして文句をいわないのは当たり前じゃないかい、原発事故があったって、自分たちは被災しない遠くの出来事と思ってるはずだから。磯崎新が、《このまま東京一極集中が続くと日本はつぶれてしまうでしょう。祭政一致という概念があらゆる錯誤を起こしてきた。祭祀と政治が一体化した明治以降、統治の中心であり、経済活動の中心でもある。何もかも集まっている。もっと機能を外に出した方がいい》なんていったって何処吹く風さ」

「そうさね、そもそも、あとは野となれ、山となれ、だからな、ほとんどの人は。今さえよければいい、というのか、やっぱり明日の飯が大事だからね。まあ日本中どこへ行っても、いつ大地震があるか分らないのだから、十年後の未来なんて考えようがないんじゃないか。十年後でもそうなんだから、未来の責任とか、未来の子どもたちのために、とか、放射能の半減期が何万年以上でふつうの事故とはわけが違うなんて言われても、どうもな……『ツナミの小形而上学』のデュピュイの、《カタストロフィまだ起こっておらず、それはあいまいな「未来」でしかない。人びとは現在の現実的関係のなかで生きていて、まだ訪れていない「未来」を基準に行動しようとはしない》ってやつだな」

「ほかにも、こんなのがあるぜ、

中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災ひとつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。他山の石はチェコ、アイスランド、オランダ、せいぜい英国であり、決して中国や米国、ロシアではない。(「日本人はどこがダメか」というアンケートへの答え)

――って具合だな、日本って国は」


「李鵬だったかな、日本などという国は20年後には消えてなくなる、と言ったのは。

まあいずれにせよ、原発停まって困る人、商売あがったりになるっていうのか、失業も含めてだな、原発は裾野のひろい産業というのがほんとうなら、原発にすがりついて再稼動に必死になる人はそれなりの数いても、脱原発派ってのは、老いた知識人やら、なんやら、原発がとまってもたいして困らない人たちなんだよな、ほとんどが。それと庶民的正義感のはけ口に利用してかっこつけている連中。正味のところ、脱原発派に原発推進派ほど必死になってる人間はすくないんじゃないか……

ところで大江健三郎のあの情熱というのは、どこから出てくるのだろうね、オレは敬愛しているには違いないが。オレにはないなあ、あの熱意のかけらも。

クンデラの『不滅』って小説があるんだが、ゲーテが死後の不滅を願って、種々の画策をするって話があるのだけれど……。ある時期から《われわれは熱烈に、不滅のことに気を配りはじめる。不滅のためにタキシードをあつらえたり、ネクタイを買ったりするのだ。それも他人がスーツやネクタイを選ぶことになるのではないか、選びかたが悪いのではないかと心配しながら。》そうやって、ゲーテは回想録『詩と真実』を書こうと決めたり、忠実なエッカーマンを家に招いて、肖像を描かれる人間の親切な監督のもとで『ゲーテとの対話』が制作されたってのは信憑性があるなあ、《異論の余地なく可能なものである大きな不滅に、対面させる職業がある。それは芸術家と政治家の職業である》などと書かれて、ミッテランのことも書かれているのだけれどね、大江健三郎は、ひょっとして死後の不滅をも視野にいれながら、活動してんじゃないかって、最近ふと思うこともあるなあ

それが悪いことというつもりはなくて、日本の政治家さんよ、もっと死後の不滅を願ってくれよ、と言いたいところなのだが、そんなやつは、全然いないんだよな」

「で、どうしろっていうんだい」

「脱原発の動きが実際的になるのは、原発稼動が復活すると、明日の飯に困ってしまう人がそれなりの数になる必要があるんじゃないかね。たとえば全面的な損害保険を義務づけて原発の電気代跳ね上がって……」

「ばかだなあ、あのタヌキ爺たちがそんなことするわけないだろ、終わりをたえず先送りしていくえげつない資本主義を剥き出しにしてる奴らが。そもそも俺たちの大半が、未来世代への責任どころか、未来世代に責任を押し付ける「幸福主義者」たちだからね」


………



倫理とは、言ってみれば、金もうけのために隣人を裏切るなということです。ところが、資本主義はそうではない。人よりも会社だから、だますギリギリのところでもうけても、良いことだとされる。金融資本が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するようになり、いよいよそれが甚だしくなってきています。(震災後論④池澤夏樹さん

だが、金儲けの論理から、いかに逃れうるか。金銭を取得することだけが金儲けではない。

《あらゆる科学だろうと哲学だろうと結局取引関係にいくわけじゃないですか  だから取引関係に基づいて科学も経済も すべてができている これこそ問題じゃないですか?》(高橋悠治


他者に認められようとする振舞いも「金儲け」論理である。

自分の時間やエネルギーを売って、鈍重な自足を買う。《公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。》(ヴァレリー


柄谷行人は『トランスクリティーク』の冒頭で、カントの「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのもならず、つねに同時に目的として用いるように行為せよ」をあげつつ「これはたんに抽象的なものではない」としている。これは逆に「抽象的」ではないかどうか怖れつつ、すくなくともそれを自問自答しつつ書かれているとしてもよいだろう。

道徳的=実践的とは、カントにとって、善悪の問題ではなくて、「自由」(自己原因的)であること、また他者を「自由」として扱うことを意味する。道徳法則とは、「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのもならず、つねに同時に目的として用いるように行為せよ」ということである。だが、これはたんに抽象的なものではない。カントはそれを歴史的な社会の中で、漸進的に実現すべき課題として考えていた。(……)他者をたんに「手段」としてのみ扱うような資本制経済において、カントのいう「自由の王国」や「目的の国」がコミュニズムを意味することは明らかであり、逆に、コミュニズムはそのような道徳的な契機なしにありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』「序文」)