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2014年9月21日日曜日

精神的な痴漢たち

痴漢たちは、発見され処罰されることをきわめて深く懼れているものの、同時に、その危険の感覚なしには、かれの快楽は薄められあいまいになり衰弱し、結局なにものでもなくなる。禁忌が綱渡り師にその冒険の快楽を保証する。そして痴漢たちが安全にかれの試みをなしとげると、その瞬間、安全な終末が、サスペンスのなかの全過程の革命的な意味を帳消しにしてしまうのである。結局、いかなる危険もなかったのだから、いままで自分の快楽のかくれた動機だった危険の感覚はにせに過ぎなかったのであり、すなわち、いまあじわい終わったばかりの快楽そのものがにせの快楽だと、痴漢たちは気がつく。そして再びかれはこの不毛な綱渡りをはじめないではいられない。やがて、かれらが捕えられ、かれの生涯が危機におちいり、それまでのにせの試みがすべて、真実の快楽の果実をみのらせるまで……(大江健三郎『性的人間』新潮文庫 P78~)

海に向かって南西に延びる半島の付け根にある地方都市。その町の私鉄郊外電車に乗って、少年は高校に通う。四両編成ののんびりした電車だ。おおくの高校生たちは、決った車輌の決ったドアから乗り込む、たとえば後ろから二つ目の車輌の後ろの扉から、というように。もちろん東京の通勤電車ほどには混みあっていないが、この路線のいくつかの駅の傍にはいくつもの高等学校があり、毎朝、鼻面に同じ年輩の少年少女の体臭が掠めるほどには混んでいる、そこでは躰が圧迫されるほどではないが、ときに肩や腕、あるいは手の甲は触れ合い、車輌が傾けば膝や太腿などが絡み合う。授業中の教室の鎮まり返ったにおいが滲み込んでいる制服の布地に鼻腔を押し拡げたり、眼前にある脂が浮かんだにきび面の模様をつくづくと凝視したり、なめらかな肌理のこまかい頬に震える生毛にふと見惚れたり、少年たちの黒く硬い頭髪の汗臭い臭いに顔を顰めたり、少女たちの長く柔らかい髪の毛から醸しだされる芳香に甘美なむずかゆさの溜息が洩れるほどの混み具合。座席に坐れることはめったになく吊り皮につかまって二十分ほど佇むことになるのだが、途中、市街地を下る長い坂の手前の駅で乗客の半分ほどは下車し、それを越えると畑がひろがり、季節のよいおりには、開け放たれた窓からガソリン臭やら生活臭の饐えたにおいとは違ったさわやかさに包まれる。風が薫り、海のにおいがかすかにして、肥料の人糞や牛糞やらのにおい、太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いもする。






途中駅にある名門校の制服の、いささかもの思いに沈んだ、そして濃密な密林の液体のようなゆるやかな体温の微熱のもやに包まれた、色白でほどよい肉づきの少女も、同じ車輌の同じ扉から入り、さらに後方の連結部に近い片隅にわけ入り、吊り皮をもって車輌の揺れに身をまかせる。傍らに立った少年の鼻先に、少女の頭髪用の石鹸のにおいとともにほのかな腋臭、そのさわやかな酸味をまじえたかおりがかすめる。電車がブレーキをかけてやや強く揺れ、少年の曲げた右肘が少女の左胸にのめりこみ、その熱の籠もった柔らかな弾力感に頭の芯まで震えが走りぬける。次の機会からは、わずかな揺れをも利用した。それを毎朝繰り返す。少女は避ける様子がない。車窓のむこうをぼんやりと眺めているだけだ。《さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。》……さらなる作戦の妄想に耽った日曜日をはさんだ翌月曜日の朝、少女の姿はなくなった。






電車の中は、そう混雑していたわけではない。井村は窓際に立っていた。傍らに、人妻風の二十七、八歳にみえる女性が立っていた。(……)青春の日々のことが、鼻の奥に淡い揮発性の匂いを残して掠め去って行った。

その瞬間から、傍らの女の存在が、強く意識されはじめた。それも、きわめて部分的な存在として、たとえば腕を動かすときの肩のあたりの肉の具合とか、乳房の描く弧線とか、胴から腰へのにわかに膨れてゆく曲線とか、尻の量感とか……、そういう離れ離れの部分のなまなましい幻影が、一つの集積となって覆いかぶさってきた。

いつの間にか、彼は青春の時期の井村誠一になっていた。肘を曲げて、軽く女の腕に触れてみると、女は軀を避けようとしない。さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、乳房を下から持ち上げた。身を堅くした気配が伝わってきたが、相変わらず女は軀を避けようとしない。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。次の瞬間、彼はその肘を離し、躊躇うことなく、女の腿に掌を押し当てた……。
(……)

女は位置を少しも動かず、井村の掌は女の腿に貼り付いている。女も井村も、戸外を向いて窓際に立っていた。掌の下で、女の腿が強張るのが感じられた。やがて、それが柔らかくほぐれはじめた頃、女は腿を曲げて拳を顔の前に持上げると、人差指の横側で、かるく鼻の先端を擦り上げた。女はその動作を繰返し、彼はそれが昂奮の証拠であることを知っていた。衣服の下で熱くなり、一斉に汗ばんできている皮膚を、彼は掌の下に思い描いた。

窓硝子に映っている女の顔を、彼は眺めた。電車の外に拡がっている夜が、女の映像を半ば吸い取って、黒く濡れて光っている眼球と、すこし開いたままになっている唇の輪郭だけが、硝子の上に残っている。

その眼と唇をみると、彼は押し当てている掌を内側に移動させていった。女は押し殺した溜息を吐き、わずかに軀を彼の方に向け直した。その溜息と軀の捩り方は、あきらかに共犯者のものだった。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)




大学生の頃、井村がしばしば体験した状況になったのである。不思議におもえるほど、女たちは井村の掌から軀を避けようとしなかった。一度だけ、手首を摑まれて高く持ちあげられたことがあったが、それ以外は女たちは井村の掌を避けようとせず、やがて進んで掌に軀を任せた。

当時、井村誠一は童貞であった。彼は掌に全神経を集め、その掌に未知なるものへの憧れを籠め、祈りさえ籠めて押し当てた。

そして、掌の当る小部分から、女体の全部を、さらには女性という存在全部を感じ取ろうとした。彼女たちが軀を避けなかったのは、彼の憧れを籠めた真剣さ、むしろ精神的といえる行為に感応したためか。

あるいは、誰にも知られることのない、後腐れのない、深刻で重大な関係に立至ることもない、そういう状況の中で快楽を掠め取ることには、もともと多くの女性は積極的姿勢を示すのであろうか。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)


しかし幻想を支えるものとしての対象は、それが実際に手に入った瞬間失われる。女が男に自分自身を与えたその瞬間、彼女自身というこの贈物は《どういうわけか、どうしようもなく下らない贈物に変わってしまう》(ラカン)。

ある夕暮れ、Jは国電中央線の下り快速電車に乗っていた。かれのすぐまえに、かれと同年輩の娘が、かれと直覚に、そしてかれの胸、腹、腿のあわせめに、その体をおしつけて立っていた。Jは娘を愛撫していた。右手は娘の尻のあいだの窪みからその奥にむかって、左手は娘の下腹部の高みから窪みにむかって。そしてJのむなしく勃起した男根は女の腿の外側にふれていた。Jと娘との身長はほぼおなじだった。Jの吐く息は薔薇色に上気している娘の耳朶の生毛をそよがせつづけた。はじめのうちJは恐怖におののき息づかいを荒かった。娘は叫ばないだろうか? その自由な二本の腕でJの腕をつかみ周囲の人々に救いをもとめないだろうか? 最も激しく恐怖しているときJの性器は最も硬くなって娘の腿にむかってきつくおしつけられている。Jは娘の端正な横顔をいかにもまぢかに見つめながら深甚な恐怖のうちにたゆたう。皺はないが短い額、短く上向きに反っている鼻梁、コオフィ色の生毛のはえた皮膚のしたの大きい唇、しっかりした顎、それに色素の濃すぎるせいで全体が黒っぽく曇って見える立派な眼、それはほとんどまばたくことがない。Jは粗い手ざわりのウールのスカートごしに愛撫しつづけながら、不意に失神しそうになる。もしいま娘が嫌悪か恐怖の叫び声をあげれば自分はオルガスムにいたるであろうと感じる。かれは懼れのように、あるいは、熱望のように、その空想に固執する。しかし娘は叫ばない。唇はかたくひきしめられたままだ。そして舞台に切られた垂れ幕がおりるように、瞼が不意にきつく閉じられる。その瞬間、Jの両手は尻と腿の拒否から自由になる。柔らかくなった尻の間をなぞって右手はその奥にとどく。ひろがった腿のあいだを左手は正確に窪みにいたる。

そしてJは恐怖感から自由になる、同時にかれ自身の欲望も稀薄になる。すでにかれの性器は萎みはじめている。かれはいま義務感あるいは好奇心のみにみちびかれて執拗な愛撫をつづけているだけだ。そのときJは、ああ、いつものとおりだ、こういう風にすべて容認され、この状態をこえたひとつの核心にいたることが不可能となるのだ、というようなことを冷たくなってくる頭で考えていたのだった。そこまでは、かれが痴漢になることを決意した日から幾度となくくりかえされた、おなじ様式の一過程にすぎなかった。やがてJは自分のふたつの指先に、その見知らぬ他人の孤独なオルガスムを感じとった。(大江健三郎『性的人間』P91)





《われわれのなすべきこと(ギランやファスビンダーのやっていること)は、サントームをコンテクスト(そのコンテクストのおかげで、サントームは魅力を発揮している)から分離し、その徹底した馬鹿らしさを明るみに引きずり出すことである。いいかえれば、われわれがやらなくてはならないのは、(ラカンが『セミネールⅩⅠ』で用いている表現を借りれば)高価な贈り物を糞便の贈り物に変えること、われわれを金縛りにする魅惑的な声を、<現実界>の猥褻で無意味な断片として経験することである。》(ジジェク『斜めから見る』)であるかどうかは知るところではない。贈物が糞便に変わってもいとおしむ連中もいるのだろう。

ミルクホールで対い合っている伊木と井村の話は、そこで俄かに下世話にくだけた。二人の顔に、中年の男の表情が覗いた。

「それはともかく、電車の中でいろいろなことを学んだよ。女の怖ろしさの片鱗も、最初に知ったのは電車の中だ。夏だった。三十くらいの人妻とおもえる女でね、丁度きのうのように、電車は空いていたが、並んで窓に向いて立って、触っていた。ブラウスの胸がしだいに盛り上がってきた。電車が停って、三人の乗客が入ってきた。そのうちの一人に、その女と知り合いの女がいたんだな。同年配の女だ。どういう具合になるかみていると、今まで乱れていた呼吸がすうっとおさまって、いかにも親しげで同時に儀礼的な挨拶を換しはじめた。顔色も態度も少しも乱れたところがない。こわいとおもったね」

「なるほど、しかし、君のように思い詰めた触り方をしている男ばかりではないだろう。もっと気楽に、触っている痴漢もいるんだろうな」

「たしかに、いたね。また、そういう人物のうちに名人がいる。満員電車で、斜めに傾いた棒になってしまった女性がいた。床に倒れないのは、満員のせいで、周囲の男の乗客は皆にやにや笑っている。誰かは分からぬ名人が一人いてその女を倒したわけだ」

「えらいやつがいるね」

「しかし、その女もえらい。ある瞬間から自己放棄して、倒れてしまったわけだが、えらいものだ」

(……)
結局、電車の中での出来事は、時間の裂け目に陥ち込んで消え去ってしまった。

「一晩留置場で考えたが、電車の中の行為はやはり青春の時期に属するものだ、と分かった。その時期には、痴漢的だが、痴漢ではない。現在では痴漢になってしまう……」
と、井村は言う。その接触行為は、女性への憧れが変形した青春の世界のものであるべきだ。触れられる女性の側にしても、男性への憧れ、あるいは性への憧れがその底にあり、憧れと憧れとが照応してゆく凝縮した魔の一刻といえる。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)

---このように引用したからといって『砂の上の植物群』は、上野 千鶴子、富岡 多恵子,、小倉 千加子による『男流文学論』などで《時代遅れの通俗小説》とか、《こんなに女性に無理解な男が、なんで女を知っているということになっているのか》とさんざんに貶されているのを知らないわけではないし、痴漢的振舞いを讃美するわけのものでもない。いくら種々の理由づけがされたからといって、こういった男の妄想的痴漢話はほとんどの女性にとって迷惑千万なはなしであるには相違ないのだろう。ただ、若年時の女性への接触願望が、《女性への憧れが変形した》、屈折した思いであるならば、その願望を拭い去るには、女性への憧れを抹消する以外の方法が容易に見つかるだろうか、ということはある(その接触行為が最近の仮想的なツールなどでいくらか代償されているのかどうかは寡聞にして不明)。







もし自発的接触行為がまったく否定されるならば、次のようなことになりかねない。

男は手順を一つ進めるごとに、前もって相手の女に明示的な許可を求めなければならないという規則である(「ブラウスのボタンをはずしてもいいかい」などと)。ここでの問題は二重になっている。まず、今日の性心理学者が何度も教えてくれているように、 あるカップルが明示的にいっしょに寝るという意志を述べる前からすでに、すべてはさまざまなレヴェルの意志確認、ボディ ・ ランゲージや視線の交換といったもので決っており、 規則をあからさまに定めることは、余計なことである。そのため、このような明示的な許可を求めることによって一つひとつ手順を進める手続は、状況を明らかにするどころか、根底的な両義性の契機をもたらし、〈他者〉の欲望という深淵を主体につきつける ( 「彼はどうしてこんなことを聞くのかしら。もうちゃんと合図を送っているんじゃなかったっけ」 ) 。(ジジェク『サイバースペース、あるいは幻想を横断する可能性』)


反対に、大江健三郎の小説が示唆するように、電車上の女性が男性の痴漢行為をあっさり受け容れてしまったり、あるいは性行為に進展するかもしれぬ現場で、女性が自らさっさと素っ裸になって、さあ、どうぞ、と積極的に促すようならどうだろう、《魅惑の力がその効果をうみだすためには、その事実は隠されたままでなければならない。主体が、他者が自分を見つめていることに気づいたとたん、魅惑の力は霧散する》のであり、そのとき、<対象a>、隠された財宝、「彼女の中にあって、彼女以上のもの」、すなわち、女性の肯定的特質のいずれと結びつけることもできないにもかかわらず、女性の行動すべてに魔法のオーラを投げかける、捉えどころがなく、手の届かないXは消失してしまう。



日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫『「踏み越え」について』2003)



青春期には陰湿な部分がある、と私はもう一度くり返して言う。

それでは、「青春における生き方」として、その陰湿な部分を取り除くことが考えられるのではないか。取り除くことによって、青春の明るさ輝かしさを曇りないものにしようという考え方である。

しかし、その陰湿さは青春の属性であって、取り除け得るものではない。むしろ、その陰湿さを正面からよくよく眺めてみることが、それを克服する道に通じている。その陰湿さに気づかずに過ぎてしまうことは、精神の怠慢であり、無神経の証拠である。当今流行のドライという言葉で褒める事ではない。(吉行淳之介「鬱の一年」)――「青春」という死語

だが、それについては、《現実的で、がさつで、標準的頭脳ばかりのいまの若い人たちには、さだめし不可解だろう》。



……喫茶店を抜け出して海岸へ行き、人気のない小さな砂原を見つけ、洞穴のような形をした赤茶けた岩が菫色の影をおとすなかで、私は、つかのまの貪婪な愛撫をはじめた。誰かがおき忘れたサングラスだけが、それを目撃していた。私が腹ん這いになって、愛する彼女をまさに自分のものにしようとした瞬間、髭をはやした二人の男、土地の老漁夫とその弟とは、海からあがってきて、下卑た歓声をあげて私たちをけしかけた。それから四ヶ月後に、彼女はコルフ島で発疹チフスで死んだ。

こうしたみじめな記憶のページを何度となくめくりながら、私の人生の亀裂は、あのとき、あの遠い夏のきらめく日ざしのなかではじまったのだろうか、あの少女への熾烈な欲情は先天的な異常性格の最初の徴候にすぎなかったのだろうかと、くりかえし自分に問いつづける。しかし、自分自身の渇望や動機や行動などを分析しようとすると、私は際限なく二者択一の問題を提供して分析癖をたのしませる一種の回顧的な想像に落ちこみ、そのために、一つ一つの道筋が果てしなく八方にわかれて過去が狂おしいほど複雑なものに見えてくるのだ。しかし、ある魔術的な宿命的なつながりによって、ロリータの前身がアナベルだということは確信できるように思う。

また、アナベルの死のショックが、あの悪魔のような夏の日の欲求不満を固定化し、それが永久的な障害となって、もはやいかなる恋もできずに灰色の青春時代をおくらなければならなかったことも、私は知っている。現実的で、がさつで、標準的頭脳ばかりのいまの若い人たちには、さだめし不可解だろう……(ナボコフ『ロリータ』)

2014年8月6日水曜日

自転車の女たち

こし前方に、べつの一人の小娘が自転車のそばにひざをついてその自転車をなおしていた。修理をおえるとその若い走者は自転車に乗ったが、男がするようなまたがりかたはしなかった。一瞬自転車がゆれた、するとその若いからだから帆か大きなつばさかがひろがったように思われるのだった、そしてやがて私たちはその女の子がコースを追って全速力で遠ざかるのを見た、なかばは人、なかばは鳥、天使か妖精かとばかりに。(プルースト「囚われの女」)




―――ゴダール=ナタリー・バイ「勝手に逃げろ/人生」


生きつづける欲望を自己の内部に維持したいとねがう人、日常的なものよりももっと快い何物かへの信頼を内心に保ちつづけたいと思う人は、たえず街をさまようべきだ、なぜなら、大小の通は女神たちに満ちているからである。しかし女神たちはなかなか人を近よせない。あちこち、木々のあいだ、カフェの入り口に、一人のウェートレスが見張をしていて、まるで聖なる森のはずれに立つニンフのようだった、一方、その奥には、三人の若い娘たちが、自分たちの自転車を大きなアーチのように立てかけたそのかたわらにすわっていて、それによりかかっているさまは、まるで三人の不死の女神が、雲か天馬かにまたがって、神話の旅の長途をのりきろうとしているかのようであった。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)




「ただ この子の花弁がもうちょっと
まくれ上がってたりら いうことはないんだがね」(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)

一台の自転車
その長い時間の経過のうちに
乗る人は死に絶え
二つの車輪のゆるやかな自転の軸の中心から
みどりの植物が繁茂する
美しい肉体を
一周し
走りつづける
旧式な一台の自転車
その拷問具のような乗物の上で
大股をひらく猫がいる
としたら
それはあらゆる少年が眠る前にもつ想像力の世界だ
禁欲的に
薄明の街を歩いてゆく
うしろむきの少女
むこうから掃除人が来る

ーー吉岡実「自転車の上の猫」






亀の剥製のサドルをもつ自転車
その艶やかな甲羅に跨り
しきりと汗を流す内股
しだいに窄まり挟み込みゆく
スカートの股裾を押上げ屹立する
若々しく精悍な亀頭のファルス
汗はほのかなバルトリン腺の匂いと混じりあい
恥らいがちに腰をよじる少女
がいるとしたら
それはあらゆる倒錯者をしずまり輝かせる

「美しい魂の汗の果物」

輝く涎の犬は夢みる


鼈甲サドルに媚薬を塗りこむまでもない
少女の匂い立つ白い太腿は
甘い先験の夏を輝かす」







「夏の回廊を一廻りして」も
「買つてくれたお客をよろこばす
ために閨房のまねをする梨売り女」
大股開きの洗濯女
「たおやめが横になり
女同士で碁をうっている」
のにわずかに慰められるのみ
「触らないで、というものを身に纏っている」
乙女はどこにもいない

むなしい初老の男の声の泡


私はそれを引用する
他人の言葉でも引用されたものは
すでに黄金化する

ーー吉岡実「楽園」『夏の宴』所収






砂浜にまどろむ春を堀りおこし
おまえはそれを髪に飾る おまえは笑う
波紋のように空に散る笑いの泡立ち
海は静かに草色の陽を温めている

おまえの手をぼくの手に
おまえのつぶてをぼくの空に ああ
今日の空の底を流れる花びらの影

ーー大岡信「春のために」より   






「デートのときおれは彼女にいつも、自転車で来てくれって要求しました。おれは歩きです。高校時代に一緒に帰ってたときこのパターンだったんで。家近い彼女が自転車でオレが駅まで歩きで。彼女は高校時代のノスタルジーでオレがそんな要求するのかと思ってたようで、セーラー服着てくれって言われるよりマシってことで毎回自転車に乗って来てくれました。でも自転車押して並んで歩くってのは街中なんかじゃたるいでしょ。で彼女には自転車に乗ってもらうことにね。オレが歩いてる傍らを彼女が自転車で並走ってのはきついんで、どんどん走ってもらいます。で、ブロックをぐるりと回ってオレに追いついて、追い越して、また後ろから追いついて追い越して、また……ってパターン。追い越すときに会話するわけだけど、オレは『自然な追い越され方がいい』ってことで、無言でシカトしあいながら追い越される、ってことにしてもらったんです。彼女はひたすらオレを追い越しつづける。何度も何度も。どうしてオレが「自然」にこだわったかっていうと、追い越すとき振り向いたりしてほしくなかったわけ。ていうのは自然に通りすがりみたいにして追い越してってほしかったわけ。それでどこに目が向くか。サドルに接した彼女のヒップが天然震動っていうかね、あ、そうそう、彼女にはスカートじゃなくていつもズボンはいてきてもらってたんです。しかもジーパンとかじゃなくてなるべく薄地の。でくっきり輪郭のプルんと丸いお尻サドルにかぶさるというか谷間にサドルがぴっちり挟まって、ペダルを漕ぐにつれて右左、交互にサドルがお尻に揉まれるというか逆にお尻がサドルに食い込まれるというか、じんわり体温というか摩擦というかいかにも密着熱が、ああ、それ見てオレは天にも昇る幸福感を味わっていたんでした。で、それをじっくり味わうためにはゆっくりと追い越してもらう必要があるわけなんですけど、いやぁ、オレ自身は彼女のお尻に顔でも体でも乗っかられたことはなかったんで、自転車尻を見て疑似体験して喜んでるってのも倒錯っちゃ倒錯もいいとこですが、従順な彼女は理由も質さずに自転車に乗りつづけ追い越しつづけてくれましたっけ。ま、うすうすオレの尻フェチぶりには気づいてたんでしょうけどね。





だけどこういうデート重ねているうち曲がり角とか入り組んでる路地で彼女が一周してきたときオレの進路とずれちゃってはぐれちゃったことが三四回あって、まあそれも原因だったんですが、なんやかんや追い抜かれっこしてるうちにたまたま理想的な坂道を見つけましてね。西武線の東久留米とひばりヶ丘の中間ぐらいんとこの小さな商店街に、ただの坂道ならぬ曲がり坂道、ぐーっとこう九十度近く曲がってるのがありましてね、自転車にとっちゃ適度の難所で、そこを自転車漕いで登る人はまあ、立ち漕ぎをせざるをえないんですね。で、坂がゆるくなるところまで立ち漕ぎして、おもむろにサドルに座る。これが、これがたまらない! 空中を泳いでいた女性のズボン尻がゆっくりサドルに降りて密着する瞬間、その直後に立ち会えたときの勃起度といったら! 立位後向きにすぼまっていた緊張尻がゆっくり下向きに割れ広がって一挙くつろいでサドルを挟み潰す瞬間ってばもうサイコーッすよ。てわけで彼女にはもう何度その曲がり坂道を自転車で立ち漕ぎそして腰降ろしを繰り返してもらったことか。ちょうど坂がゆるくなる境目でオレを追い越さなきゃならないんでタイミングが微妙で、もうあの坂道挟んだサーキットを何周も何周も、もうぐるぐるぐるぐるやってたことがありました。さすがに彼女も疲れたらしくですね、いや歩いてるオレの方が足痛くなってましたがね、もーうこんなデートたくさん! って彼女、こんなにまでしてオレと付き合いつづける必要はないんだって突如気づいたみたいで唐突に振られちゃいました。あ~あ、貴重な彼女失いましたよ。しかしなんで合わせてくれなかったですかね、いかがわしいタイの痩せ薬とかに手を出したりしてた彼女ですから、デートしながら坂道ダイエット出来りゃ本望だったと思うんだが。ともかくそれ以後はこんなかったるいデートしてくれる女にはめぐり合わなかったですし。(三浦俊彦小説『偏態パズル』)






 ま、それでも今、街を歩いててそこそこ満足ですよ。目覚めるって素晴らしいことですよね。理想の坂道にはそうは行き当たらないけど、自転車の女に追い抜かれることってけっこうあるんで、むこうから自転車女がやってきてすれ違いそうなときはそりゃもう、何か思い出したふりして手前で方向転換して歩き出して、追い抜かれる按配にもってくわけです。ときにはわざわざ道の反対側に渡って間近に尻景色をね。彼女失ったおかげで街の色とりどりのお尻に意識が目覚めるようになりましたってば。ズボンや坂道にもこだわらなくなりました。もちろんスカートってのはインターフェイスがあいまいなぶんサドルとの相性悪いんで興奮いまいちというか基本的には残念なわけで、ときどき女子高生なんかスカートの裾を全周サドルの外へ垂らしてやがったりしてね、あれ困りますよね、密着面が隠れちまって輪郭まるっきしなんでほんっと頭きてましたけど、むしろそのパターンって、パンツ尻が直接サドルにぴったり接してるってことでしょ、ぐいぐい熱くくわえ込んで揺れてるってことでしょ、そのこすり色が香りほのかにずくずくしみ拡がってゆくさまをじっと頭ン中で透視してですね、勃起できるほどになりました。好みは変わるもんで全周垂れ下がりスカートに大恍惚のこの頃ってわけです。あぁ彼女今頃どうしてるかなぁ、まだあの自転車使ってるかなぁ……」(ただしこの直後、アロマ企画のヤラセ・盗撮混合マニアックビデオ『自転車のお姉さんのお尻』がDVD版(ARMD21)として一般普及し、同類の自転車フェチが全国ひしめいていることを知った吉岡明之は即座にサドル尻マニアを辞めてしまった。マニアの自負であるが、まさざま名マイナー倒錯者がカミングアウトし直ちに市場を形成していく現在、種類的に孤高のマニアであることは難しくなっていることは確かだ……)。




腰を浮かして力いっぱいペダルを踏み、それからスピードが落ちるのをそのままにして、けだるそうな姿勢でサドルに腰をおろす彼女。それからまた、家の郵便箱の前で自転車をとめ、サドルにまたがったまま、送られてきた雑誌にさっと目を通して、もとへ戻し、舌で上唇の端をなめ、足で地面を蹴って、ふたたび淡い影と光のなかへ飛びだす彼女。(ナボコフ「ロリータ」)






私たちはまた坂をくだっていった、すると、一人また一人とすれちがうのは、歩いたり、自転車に乗ったり、田舎の小さな車または馬車に乗って坂をのぼってくる娘たちーー晴天の花、ただし野の花とはちがっている、なぜなら、どの娘も、他の花にはない何物かを秘めていて、彼女がわれわれの心に生まれさせた欲望を、彼女と同種類の他の花でもって満足させるというわけには行かないからーーであって、牝牛を追ったり、荷車の上になかば寝そべったりしている農場の娘、または散歩している商店の娘、または両親と向かいあってランドー馬車の腰掛にすわっている上品な令嬢などであった。(プルースト「花さく乙女たちのかげに」)






@orverstrand: @ynytk 横浜で女性が所有する自転車の革のサドルばかり盗んでいた男が逮捕されました。サドルに染みついた女性の匂いがかぎたかったとのこと。匂いだけで女性のものかどうか分ったそうです。そのニュースに触れた刹那、火花のように君のことを、しかも懐かしく思い出したのでご報告する次第。(矢作俊彦)





女性の自転車のサドルばかりを狙い、窃盗を繰り返していた男が24日、神奈川県警山手署に逮捕された。盗んだサドルがちょうど200個に達したタイミングで“御用”となった。同署によると「残っている女性のにおいを嗅ぎたかった」と容疑を認めている。
(……)

 200個はすべて女性のものだった。近藤容疑者は「においで完全に判別できる」と豪語しているという。

 同署によると、「サドルの質感やにおいが好きで、感触を楽しんだり、なめたり嗅いだりした」と供述。革製のサドルしか満足できなかったといい「レザーオイルで磨いてピカピカにさせてから楽しんだ」と話している。(サドルフェチ男逮捕「女性のにおいを嗅ぎたかった」で200個窃盗

ーーほとんど一年前の記事だがいまだに強い印象が残っているのだよな
なぜだかわかるだろ?
新潮の名編集長だけじゃないさ




2014年7月16日水曜日

「人間の消滅、これは私のお気に入りの観念でね」

作家は社会的責任を有するか」というご質問にお答えします。答えは、「ノー」であります。─『ナボコフ書簡集 1959-1977』
私はエゴイストじゃない。エゴイストという言葉は、まったくふさわしくないでしょうね。私は思いやりのある人間で、他人の苦しみは、じかに私に響く。でも人類が明日消えてなくなっても、私にはどうでもいい。人間の消滅、これは私のお気に入りの観念でしてね。(シオラン『対談集』)
サドは人間の天体が、まともな実生活から遠く離れた、歌う無為の太陽たちの回帰線に傾くことを祝う。彼は人間の非社会化を祝い、母熊に舐められた〔躾けられた〕部分を徐々に捨てることを教える。(『詩におけるルネ・シャール』ポール ヴェーヌ, Paul Veyne, 西永 良成訳)


穏やか系も引用しておこう。

震災後の世界で、詩がそれほど役に立つとは思っていない。詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。震災後、みんなが言葉を求めていると聞いて意外。僕の作品を読んだ人が力づけられたと聞くと、うれしいですが。(……)

 


詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。(震災後 詩を信じる、疑う 谷川俊太郎)。
生きること。内在的に。とドゥルーズは言った。小さな健康。太った健康ではなく、とドゥルーズは言った。肥大して他人を巻き込んで「健康」化せんとするのではなく、各人にとって特異なる健康さ=すわなち欲望のプロセスを楽しむ。極端に言えば、自閉症的にもなる事柄である。そこでどう共存するか。(千葉雅也ツイート)

 浅田 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

 そこで、「優等生」は、ネットを使って声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。それはそれでいい。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」でしょう。「切断」の思想は、そうやって対話から逃げる自由を重視する「不良」のすすめだと思います。

 千葉 そうですね。「不良」というのは、社会の多様性の別名ですから。対話を工夫することは必要だとしても、そもそも必要なのは、誰だって様々な面で「不良」でありうる、マイノリティーでありうるという自覚を活性化することである、と。「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう。多様な「不良」を擁護する、それが「切断」の哲学ですね。(つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん 2013.12)

「マイノリティとの同一化」と「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」(症候との同一化)は類似しているが、そこにある差異はなんだろう? 政治的コミットメントをするジジェクとそうでない浅田彰、あるいは千葉雅也の相違。


おそらく政治の世界においても、一種の「症候との同一化」を必然的にとまなうような経験がある。よく知られている、「われわれはみんなそうだ!」という感傷的なpathetic経験だ。それはすなわち、耐えがたい真実の闖入として、すなわち社会的メカニズムは「機能しないdoesn't work」という事実の指標として、機能するfunctionsある現象に直面したときの、同一化の経験である。たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。たとえば完全な無視。あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。これらの例について、次のことを明らかにしておかねばならない。「症候との同一化」は「幻想を通り抜ける"going through the fantasy“」ことと相関関係にあるということである。(社会的)症候へのこうした同一化によって、われわれは、社会的意味の領域を決定している幻想の枠、ある社会のイデオロギー的自己理解を横断し、転倒する traverse and subvert the fantasy。その枠の中では、まさしく「症候」は、存在している社会的秩序の隠された真実の噴出の点としてではなく、なにか異質で不気味なものの闖入some alien, disturbing intrusionとしてあらわれるのである。(ジジェク『斜めから見る』ーーメモ:「幻想の横断」(症候との同一化)とサントーム

2014年6月11日水曜日

「ルソーのきれいごと」

私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。感傷的なルソーは泣かんばかりに進歩的思想を語ったが、一方で自分が産ませた大勢の私生児を方々の救貧院や感化院に入れたきり、一顧だにしなかった。(……)ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。(ナボコフ『ロシア文学講義』)

さて憐憫の作家ルソー、そしてニーチェが褒めたたえた大心理家ドストエフスキーもナボコフにかかるとこんな具合である。ナボコフのいうことが「正しい」かどうかは問題ではない。われわれの通念を揺るがす(座標軸を宙吊りにする)言葉を愛でるだけだ。

《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

ルソーをめぐっては、「みにくさはたやすく美しくなるような顔立ちにおいていっそうよく目立つ」の後半にいくらかのメモがある。

あまりうえと関係がない話かもしれないが、ギリシアの民主主義のはじまりというのも中井久夫の指摘するように「きれいごと」に過ぎないだろう。

近代医療のなりたちですが、これは一般の科学の歴史、特に通俗史にあるような、直線的に徐々に発展してきたというような、なまやさしい道程ではありません。

ヨーロッパの医療の歴史は約二千五百年前のギリシャから始めるのが慣例です。この頃のギリシャは、国の底辺に奴隷がいて、その上に普通の職人と外国人がいて、一番上に市民がいました。当時のギリシャでは神殿にお参りしてくる人のために神殿付きドクターと、一方では奴隷に道具一式をかつがせて御用聞きに回るドクターとがありました。

ドクターの治療を受けられたのは中間層であって、奴隷は人間として扱われていなかったのでしばしば病気になってもほっておかれました。市民は働かないで、市の真中の広場に集まって一日中話し合っているんです。これが民主主義の始まりみたいな奇麗ごとにされていますが、働かない人というのはものすごく退屈していますから、面白い話をしてくれる人が歓迎されます。そこでは妄想は皆が面白がって、病気とはみなされなかったようです。いちばん上の階級である市民が悩むと「哲学者」をやとってきて話をさせます。つまり当時の哲学者はカウンセラーとして生計を立てているのです。この辺はローマでも同じです。ローマ帝国は他国を侵略して、だんだん大きくなってきます。他国人を捕えて奴隷として働かせ、消耗品として悲惨な扱いをしていました。暴力の発散の対象に奴隷がなって、慰みに殺されたりしています。……(中井久夫「近代精神医療のなりたち」  『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕 P159 広栄社)




2014年4月3日木曜日

備忘:ナボコフの「暗号と象徴」(SYMBOLS AND SIGNS BY VLADIMIRNABOKOV)

備忘:ナボコフの「暗号と象徴」(SYMBOLS AND SIGNS BY VLADIMIRNABOKOV)。

ーー邦訳が手元にないので、ネット上で訳文が拾える箇所のいくつかを英文とともに並べるてみる。とくに意図はないが、この数頁しかない短編はナボコフの代表作とされる。そして、たとえば『ロリータ』などより原文はずっと読みやすい。

For the fourth time in as many years, they were confronted with the problem of what birthday present to take to a young man who was incurably deranged in his mind. Desires he had none. Man-made objects were to him either hives of evil, vibrant with a malignant activity that he alone could perceive, or gross comforts for which no use could be found in his abstract world. After eliminating a number of articles that might offend him or frighten him (anything in the gadget line, for instance, was taboo), his parents chose a dainty and innocent trifle—a basket with ten different fruit jellies in ten little jars.

不治の精神錯乱で入院している息子のところへどんな誕生祝いを持って行くかという問題に彼らが直面したのは、四年間でこれが四度目だった。本人はなにもほしがっていない。人間がこしらえた物は、息子にしてみれば、自分だけにわかる悪だくらみでぶんぶん唸りをあげている悪の巣箱のようなものか、それとも彼の抽象的な世界ではまったく役に立たない下品な慰めでしかない。息子が腹をたてたり怖がったりしそうな物をあれこれと除外してから(たとえば、気の利いた製品みたいなものは厳禁だった)両親はあたりさわりのなさそうなに洒落た小物を選んだ。十個の小さな壺に入った、すべて種類の違うフルーツ・ゼリー十個の籠入りだ。(若島正訳)

That Friday, their son’s birthday, everything went wrong. The subway train lost its life current between two stations (「列車は二つの駅のあいだで命の流れが切れてしまい」)、and for a quarter of an hour they could hear nothing but the dutiful beating of their hearts and the rustling of newspapers. The bus they had to take next was late and kept them waiting a long time on a street corner, and when it did come, it was crammed with garrulous high-school children. It began to rain as they walked up the brown path leading to the sanitarium. There they waited again, and instead of their boy, shuffling into the room, as he usually did (his poor face sullen, confused, ill-shaven, and blotched with acne), a nurse they knew and did not care for appeared at last and brightly explained that he had again attempted to take his life. He was all right, she said, but a visit from his parents might disturb him. The place was so miserably understaffed, and things got mislaid or mixed up so easily, that they decided not to leave their present in the office but to bring it to him next time they came.
Outside the building, she waited for her husband to open his umbrella and then took his arm. He kept clearing his throat, as he always did when he was upset. They reached the bus-stop shelter on the other side of the street and he closed his umbrella. A few feet away, under a swaying and dripping tree, a tiny unfledged bird was helplessly twitching in a puddle.( 「数フィート先の、風になびいて雫を垂らしている木の下で、まだ羽の生えそろっていない小さな死にかけの小鳥が一羽、水たまりの中でぴくぴくもがいて」)
During the long ride to the subway station, she and her husband did not exchange a word, and every time she glanced at his old hands, clasped and twitching upon the handle of his umbrella, and saw their swollen veins and brown-spotted skin, she felt the mounting pressure of tears. As she looked around, trying to hook her mind onto something, it gave her a kind of soft shock, a mixture of compassion and wonder, to notice that one of the passengers—a girl with dark hair and grubby red toenails—was weeping on the shoulder of an older woman.

夫の年老いた手ふくれあがった血管、茶色いしみだらけの皮膚が、傘の柄のところで握りしめられたり痙攣したりするのを目にするたびに、彼女は涙がこみあげてきそうになるのを感じた。気を紛らそうとあたりを見まわすと、乗客の一人で、足の指にだらしなく赤いマニキュアをした黒髪の娘が、年配の女の肩にもたれて泣いているのに気がついて、かすかなショックを受け、同情と驚きの入り混じった感情を覚えた。



《こうしたディテールのつらなりこそがこの小説の、というよりナボコフのすべての小説の要なのだが、のちに「ヴェイン姉妹」を「ニューヨーカー」に没にされた際、ナボコフは「私の物語はすべて文体の織物(ウェッブ)であり、一瞥したくらいでは、ダイナミックな内容をたいして含んでいるようには見えません。(略)私にとっては「文体」こそ内容なのです」(1951年3月17日付)とホワイト女史に手紙を書き送っている。同じ手紙のなかで「暗号と象徴」についても次のような言及がある。

 「私が今考えている物語の大半は、この方向で、つまり表面の半透明のストーリーのなかに、あるいはその背後に二番目の(主要な)ストーリーを織り込むという方法に従って作られることになります(過去にもこのような物語を何篇か書いています――こういった「内部」を持った物語を、実のところ貴社はすでに掲載しています――年老いたユダヤ人夫婦と彼らの病んだ息子の話です)。」》(「暗号と象徴」をめぐって――ナボコフ再訪(7)


たしかにナボコフのディティールの描写には魅惑されてやまない、ナボコフが愛したチェーホフの文章のように。

海がしけたので船はおくれて、日が沈んでからやっとはいって来た。そして波止場に横着けになる前に、向きを変えるのに長いことかかった。アンナ・セルゲーヴナは柄付眼鏡を当てがって、知り人を捜しでもするような様子で船や船客を眺めていたが、やがてグーロフに向かって物を言いかけたとき、その眼はきらきらと光っていた。彼女はひどくおしゃべりになって、突拍子もない質問を次から次へと浴びせかけ、現に自分で訊いたことをすぐまた忘れてしまった。それから人混みのなかに眼鏡をなくした。(チェーホフ『犬を連れた奥さん』神西清訳

…………

それでも彼は座って煙草をふかし続け、爪先をぶらぶら揺らしていた。そして他の人たちが話をしている最中も、自分が話をしている最中も、いつどこででもそうしていたように、他人の内面の透明な動きを想像しようと努め、ちょうど肘掛け椅子に座るように話相手の中に慎重に腰をおろして、その人のひじが自分の肘掛けになるように、自分の魂が他人の魂の中に入り込むようにした。(ナボコフ『賜物』)
水たまりに藁が一本浮いていて、二匹の糞虫が互いに邪魔し合いながらしがみついていた。彼はその水たまりを飛び越え、道端に靴底の跡を刻み込んだ。なんとうい意味ありげな足跡だろう、いつまでも上を向いたまま、消え去った人間の姿をいつまでも見ようとしている。(同)

日本にもディティールのつらなりに眼を瞠らされる作家がいないわけではない。たとえば安岡章太郎の『海辺の光景』。

信太郎は、タバコをのんでいる父親の顔がきらいだった。太い指先につまみあげたシガレットを、とがった唇の先にくわえると、まるで窒息しそうな魚のように、エラ骨から喉仏までぐびぐびとうごかしながら、最初の一ぷくをひどく忙しげに吸いこむのだ。いったん煙をのみこむと、そいつが体内のすみずみまで行きわたるのを待つように、じっと半眼を中空にはなっている ……。吸いなれた者にとっては、誰だってタバコは吸いたいものにきまっている。けれでも父の吸い方は、まったく身も世もないという感じで、吸っている間は話しかけられても返辞もできないほどなのだ。(安岡章太郎『海辺の光景』)
「下顎呼吸がはじまったな」と看護人が云った。
母は口をひらいたままーーというより、その下顎が喉にくっつきそうになりながらーー喉の全体でかろうじて呼吸をつづけている。「これがはじまると、もういかんですねえ」と、看護人は父をかえりみた。

父は無言でうなずいた。そして信太郎に、「Y村に電話するか」と云った。
すると信太郎は突然のように全身に疲労を感じた。と同時に、眼の前の二人に、あるイラ立たしさを覚えて云った。
「べつに、また死ぬときまったわけじゃないでしょう。それに電話したって、伯母さんは来れるかどうか、わからんですよ」
二人は顔を見合わせた。やがて父は断乎とした口調で云った。「Y村へは報せてやらにゃいかんよ。報せるだけでも ……」

たしかに、自分の云ったことは馬鹿げたことだ、と信太郎はおもった。しかし確実にせまってきた母の死を前にして、儀礼的なことが真先にとり上げられるということが、なにか耐えがたい気持だった。

( ……)

すべては一瞬の出来事のようだった。
医者が出て行くと、信太郎は壁に背をもたせ掛けた体の中から、或る重いものが抜け出して行くの感じ、背後の壁と “自分” との間にあった体重が消え失せたような気がした。そのまま体がふわりと浮き上がりそうで、しばらくは身動きできなかった。

看護人が母の口をしめ、まぶたを閉ざしてやっているのに気づいたのは、なおしばらくたってからのことのようだ。看護人の白い指の甲に黒い毛が生えているのがすこし不気味だったが、彼の手をはなれた母を眺めるうちに、ある感動がやってきた。さっきまで、あんなに変型していた彼女の顔に苦痛の色がまったくなく、眉のひらいた丸顔の、十年もむかしの顔にもどっているように想われる。 ……そのときだった、信太郎は、ひどく奇妙な物音が、さっきから部屋の中に聞こえているのに気づいた。肉感的な、それでいて不断きいたことのなお音だ。それが伯母の嗚咽の声だとわかったとき、彼は一層おどろいた。人が死んだときには泣くものだという習慣的な事例を憶い出すのに、思いがけなく手間どった。なぜだろう、常人も泣くということを彼は何となく忘れていた。その間も絶えず泣き声がきこえてきて、その声はまた何故ともなく彼を脅かし、セキ立てられているような気がした。ついに彼は泣かれるということが不愉快になってきた。それといっしょに、泣き声をたてている伯母のことまでが腹立たしくなった。あなたはなぜ、泣くのか、泣けばあなたは優しい心根の、あたたかい人間になることが出来るのか。


あるいは、大江健三郎の『燃え上がる緑の木』第一部の冒頭には、死期を間近に控えた「お祖母ちゃん」の様子を叙す醒めたまなざしがある。

・お祖母ちゃんは、初め、待ち望んでいた相手を迎えた様子ではあるのだが、薄茶色に曇りのつけてある銀縁の眼鏡の向こうの、翳った水たまりのような眼を、肘掛椅子のあの人に向けたままだった。

・お祖母ちゃんの皺としみですっかり覆われているーーそのこと自体に徹底したものの美しさもあるーー横顔に、不機嫌さの気配が滲むのを見るように思った。

・ところがお祖母ちゃんは、便所への暗い廊下の、母屋から段差のある曲り角で、嵩のない蠟色の紙のかたまりのように倒れていた。

・――それは、なあ……というほどの、しかも乾いた皺の覆っている皮膚に透明なカゲロウが羽化しようとしているような微笑みを展げて。

・お風呂の介護をする際、つい眼に入るお祖母ちゃんの腿は、使い棄てられた子供の椅子の腕木のような細さ

ーーこれらを詩句のようなものとして、わたくしは読む。


・誠実な重みのなかの堅固な臀(吉岡実)

・驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた(同)







2014年2月6日木曜日

悪霊の看護婦、あるいは最も淫らな強迫観念

先日妻の郷里への小旅行に『悪霊』の文庫本を携え何年かぶりで読み返した。ドストエフスキーの作品のなかでは好みのもののひとつでたぶん四五度目くらいの再読だ。メコン河岸で椰子の林のあいだに吊られたハンモックに揺れながら、あるいは高床式の家の板の間でテト祝いの酒と馴れ鮨に舌鼓をうちながら思いのほか熱中して読む時間をもった。

ところで『悪霊』のダーリヤという女はドストエフスキーの妻がモデルではないだろうか。伝記的事実には疎いながら、そしてインターネット上ですこし調べてみてもそんな見解は見当たらないのだが、帰宅して朧な記憶を探るようにして小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』を繙いてみると、二番目の妻アンナ・グリゴリエヴナ・スニトキナはドストエフスキーの速記者としての仕事を与えられて知り合っているのだが、結婚後ドストエフスキーの一文無しになるまでやめられない賭博癖による生活の窮迫、あるいは先妻や逝去した兄の残された家族への過剰ともいえる心配り、たとえば兄の妻の外套を受け出すために外套を質に入れるなどということまでして驚くほどの「献身さ」である。結婚披露宴での癲癇の発作の騒動のあと、旅先から友人宛の手紙にはこうある。

僕の性格は元来病的なのだから、彼女も僕の様な男と一緒になつたら、いろいろ苦労するだらうとも思つてゐた。実際彼女は僕が考へてゐたよりずつと強い女だ、深い心を持つた女だといふ事が解つて来た。随分いろいろな事に出会つて僕の守護神となつてくれた。が、同時に彼女のなかには、何しろ廿歳の女なのだから、子供らしいところが沢山ある。成る程美しいものだし、必要なものだが、僕としてはどう応対したらいいか見当がつき兼ねる。とまあさういふ様な事は出発の際考へとゐた事だ。くどい様だが、彼女は考へてゐたより遥かにしつかりした善良な女だ。併し未だ安心はならない」(1867年、8月16日、ジュネエヴよりマイコフ宛)

もちろんドストエフスキーの創造した人物は、それぞれになんらかのモデルがあるのだろうし、アンナがそのままダーリヤだということはありえない。重婚策略者、幼児強姦者のスタヴローギンの看護婦志願をするダーリヤだけでなく、ステパン氏を「献身的に」世話するワルワーラ夫人のなかにもアンナがいるのだろう。


文学者はひとたび書けば、その作中の諸人物の、身ぶり、独特のくせ、語調の、どれ一つとして、彼の記憶から彼の霊感をもたらさなかったものはないのである。つくりだされた人物の名のどれ一つとして、実地に見てきた人物の六十の名がその下敷きにされていないものはなく、実物の一人は顔をしかめるくせのモデルになり、他の一人は片めがねのモデルになり、某は発作的な憤り、某はいばった腕の動かしかた、等々のモデルになった。(プルースト「見出された時」)


以下は雑然と引用を中心にメモしたものだが、あまりにも長くなったのでひとつのまとまりのようなもの、小節ごとにのちほど節題をつけた。節題と内容があまり合致していないかもしれないが、気にしないでおこう。




【理論を通して読むことの不毛】

《人間の心理について教えてくれた最大の心理学者》とドストエスフキーを呼ぶニーチェの言葉や《ドストエフスキイは、精神分析学が発見した真理を半世紀前に語っている》(ノイフェルト)などの言葉が粗雑に濫用されて、一時期、とくに前世紀中葉前後、ドストエフスキーを心理分析の極致のテキストとして、あるいは精神分析学的観点から論ずる批評が流行したのは周知のことだが、その反動として--これはなにもドストエフスキーに対してだけでないがーー、偉大な文学者のテクストを精神分析理論によって読み解くなどという「厚顔無恥」の跳梁跋扈にうんざりしてみせるのが「文学通」の証しだった時期がある。

小説のなかでさえ、たとえばマンディアルグの『海の百合』Le Lis de mer1956年)はとても繊細な詩的なテキストであるにもかかわらず、その小説の最後に、主人公の性癖が、精神分析理論によって説かれたりすれば、その図式的な物語的落とし込みに興醒め感を覚えてしまう(いやそのようなふりをして見るだけでもいい)。そんな類の小説には、たいした小説読みではないわたくしも何度も廻り合っている。そしてここぞとばかりに書斎でひとり顔を顰めてみせたり、仲間内で仄めかして気取ってみせるのが、小説読みとしての「イキ」な振舞いだと夜郎自大な錯覚に閉じこもりえた「幸福」な時代をわたくしはもったことがある。

理論、とくに精神分析理論を通して文学を読むことを忌避する反動期には、あれらの「はしたなさ」をひとはつとめて避けるようになっていたはずだ。むしろ理論は文学によって読まれるべきだーー《批評は小説の解読装置ではない、小説こそが装置である》(蓮實重彦『闘争のエチカ』「あとがき」)――という態度がすぐれた小説への「誠実な」接し方であるとするのが二十世紀後半の「よき」読み手の、すなわちいささか聡明なふりをしたいスノッブたちの姿勢であっただろう。


【ドストエフスキー嫌いのナボコフ】

かつてとてもよく読まれたドストエフスキーだが、その神話的讃仰はいつのまにか消え失せている(もっともそれは古典文学全般にいえることかもしれない)。小林秀雄が批評家であった時代、あるいはその名残りが覚めやらない頃、すなわち大学入試の試験問題にしばしば小林秀雄のテキストが使用された時代には、小林秀雄がもっとも力を入れて批評した対象のひとりであるドストエフスキーにたいして、文学に関心のないものまでが素朴な崇拝、あるいはその心理描写の見事さに讃嘆してみせるなどということがあった。

ここですこし寄り道して、ドストエフスキーを二流の作家とするナボコフの主張を取り上げてみよう。


私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。……ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。(ナボコフ『ロシア文学講義』)
ドストエフスキーに関する私の立場は、奇妙であり、また厄介である。この講義のすべてにおいて、 私は文学に興味のある唯一の観点から──すなわち永続する芸術と個人の才能という観点から文学を 見るのだが、そのような観点からすれば、ドストエフスキーは偉大な作家ではなくてむしろ凡庸な 作家であり、時たま絶妙なユーモアの閃きがあるとしても、悲しいかな、閃き以外の場所は大部分が文学的決り文句の荒野である。(同上)


《ナボコフはチェーホフを高く評価し、彼が他のロシア作家に与えた評価としてはトルストイのAプラスに次ぐAをプーシキンとチェーホフに与えている。他の作家の評価は、ツルゲーネフがAマイナス、ゴーゴリがB、ドストエフスキイはCマイナス(かDプラス)で、「チェーホフよりもドストエフスキイが好きな者にはロシアの生活の本質は決して理解できないだろう」とウェレズリー大学の女子学生たちに話していた》(Hannah Green, "Mister Nabokov)。

ナボコフのドストエフスキイ嫌いは、作家の繊細な詩的表現を小説の要とする彼の評論や小説からも窺われないではない。チェーホフの『犬を連れた奥さん』における恋の発端としての柄付眼鏡(ローネット)の描写を慈しんだり、アンナ・カレーニナ講義のナボコフのなんという細やかな指摘よ(参照:PDF 霜の針、蝋燭のしみ―― 『アンナ・カレーニナ』を読み直す―― 若島正 )。たしかにドストエフスキーにはこういった描写は稀にしかない。

たとえば、ナボコフの初期の作品『恩恵』の次の叙述は、ピアニッシモの音楽に耳をすますようにして読むことを促す。
電車が停まるたびに、上のほうで風にもがれたマロニエの実が屋根にあたって音を立てるのが聞こえた。コトン--そしてもう一つ、弾むように、やさしく、コトン……コトン……。路面電車は鐘を鳴らして動き出し、濡れた窓ガラスの上で街灯の光が砕け散り、ぼくは胸を刺し貫く幸福感とともに、その穏やかな高い音が繰り返されるのを待った。ブレーキの響き、停留所--そしてまた一つ、丸いマロニエの実が落ちた--つづいて二つめが落ち、屋根にぶつかり転がっていった。コトン……コトン……。(ナボコフ『恩恵』)

これらはドストエフスキーの作家の資質とは異なり、ーーすべての作品を念入りに読んだわけではないわたくしにとって、という保留はしつつもーー、まったくめぐり合ったことのない詩的描写のように感じられる。そもそもナボコフはドストエフスキーには「描写」がすくないという主張さえしている。
ここでの「描写」という語の扱いには注意を要するが(たとえばドストエフスキーには心理描写はふんだんにあるではないかという問いはすぐさま生じるだろう)、ナボコフが愛でる多くの描写は、予感や余韻の感覚であるように思う。もっともたとえばカフカの『変身』の昆虫学的叙述に偏執するナボコフは徴候感覚を愛でるのとはまったく別の「描写」を愛する側面をもっている(参照:ナボコフによるカフカ『変身』の昆虫学的分析──「それはゴキブリではありえない!」)。

そもそもわたくしはプルーストのいうようなドストエフスキーの住まいの創造の「描写」をいまだ十分に読みとっている自信はない。

ドストエフスキーがこの世界にもたらした新しい美に立ちもどっていえば、フェルメールの絵で、布地の配合や物の所在する場所について、ある独特の魂の創造、ある独特の色彩の創造があるように、ドストエフスキーでは、人物の創造があるばかりではなく、また住まいの創造があるということです。たとえば『カラマーゾフの兄弟』に出てくる殺人の家、つまり門番のいるその家は、ラゴージンがナスターシャ・フィリッポヴナを殺す、あの暗くて、長くて、天井が高くて、とらえどころがない家、ドストエフスキーに出てくる殺人の家の傑作ともいうべきあの家とおなじようにすばらしくはないですか? ある家がもつ、このぞっとするような新しい美、女のある顔がもつ、この混成された新しい美、それこそドストエフスキーがこの世界にもたらしたユニークなものなのであって……(プルースト『囚われの女』)

ナボコフはすぐれたプルースト読みだが、この指摘をどう受け止めているのだろう。予感や余韻の徴候感覚ばかりが、小説の醍醐味ではないはずだ。

予感というものは、……まさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である。むつかしいことではない。夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい。(……)

余韻とはたしかに存在してものあるいは状態の残響、残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。(中井久夫「世界における索引と徴候」)

またナボコフはフロイト嫌いとしても知られている。ドストエフスキーに精神分析的真理が発見されたとして、それが小説となんの関係があるだろう、とナボコフなら言うだろう。

ふたたびプルーストを引用すれば、ドストエフスキーにはプリミティヴ派のもつさきがけの美があるとしている。

ぼくはドストエフスキーのなかに、人間の魂の、度はずれに深い、だがあちこちの地点に孤立している、いくつかの井戸を見出します……あの道化役者たちも、『夜警』の人間とおなじように、照明と服装の効果でしか幻想的ではなく、ほんとうはどこにでもいる普通の人間なのかもしれません。……ただぼくをうんざりさせるのはね、人がドストエフスキーについて語ったり書いたりしているあの肩肘をいからせたいかめしさですよ。あなたは彼の諸人物の内面で演じている自尊心と誇の役割に注意したことがある? 彼にとっては、愛と過度のにくしみも、善意とうらぎりも、内気と傲岸不遜も、いわば自尊心が強くて誇が高いという一つの性質をあらわす二つの状態にすぎないのです。そんな自尊心と誇が、アグラーヤや、ナスターシャや、ミーチャが顎ひげをひっぱる大尉や、アリョーシャの敵=味方のクラソートキンに、現実のままの自分の《正体》を人に見せることを禁じているというわけなのです……ドストエフスキーといえばね、さっきはぼくはあなたが思うほど彼から一転してトルストイのことを話しているわけではなく、トルストイはじつは大いにドストエフスキーをまねているのですよ。ドストエフスキーのなかには、やがてトルストイのなかで満面のほころびを見せるものが、まだしかめっ面をした、不平そうな顔で、たくさん詰まっているのです。ドストエフスキーのなかには、やがて弟子たちによって晴れやかにされる、プリミティヴ派のもつさきがけの不機嫌さがあるのでしょうね。」(プルースト『囚われの女』井上究一郎訳)

そう、《.ただぼくをうんざりさせるのはね、人がドストエフスキーについて語ったり書いたりしているあの肩肘をいからせたいかめしさですよ。》ーーこの批評は、わたくしの敬愛する作家ではありながら、森有正の仏公費留学直前に上梓された若書き『ドストエフスキー覚書』(1950)にも当て嵌まる、--と言い得るにはその書が手元にないのであり、浅墓との謗りを免れぬだろう。

本書は、文字どおり、ドストエーフスキーの作品についての貧しい『覚書』である。専門も異なり、また原文をも解さない私が、このような『覚書』を公けにすることは、はなはだしい借越ではないかということをおそれている。もちろん、体系的なドストエーフスキー研究ではない。そこには多くの誤謬や思い違いもあるであろう。しかし、私の心はまったくかれに把えられた。神について、人間について、社会について、さらに自然についてさえも、ドストエーフスキーは、私に、まったく新しい精神的次元を開いてくれた。それは驚嘆すべき眺めであつた。私にとって、かれを批判することなぞ、まったく思いも及ばない。ただ、かれの、驚くべく巨大なる、また限りなく繊細なる、魂の深さ、に引かれて、一歩一歩貧しい歩みを辿るのみである。(森有正『ドストエフスキー覚書』「あとがき」

今のリンク先には、森有正の読解と比した専門家である亀山郁夫氏の読解批判がある。後者の読みをどう判断するのかは〈あなたがた〉にまかせる。



【心理学的読みの復活?】

ところで、ドストエフスキー熱愛者は旧世代にはもちろん生き残っており、最近では、ドストエフスキーの長大な『悪霊論』(ニコライ・スタヴローギンの帰郷ーー清水正の「悪霊論」三部作)などというものが書かれているらしく、そこではスタヴローギンの言動を「母親からの自立」などとする「心理学的な」指摘があるらしい(清水正氏は1949年生まれであり、わたくしの十年ほど上の世代の文芸評論家)。

たとえば、清水氏は、「ニコライ・スタブローギン」の数々の乱暴狼藉、つまり 「悪」について、「漫画チック」「大げさな」と書いている。「ニコライを神話化するような見え透いた作者の意図 が伺える」「わざとらしい」と言う。(……)

 そこで、清水氏は、ニコライ・スタブローギンの「悪」は、母親への犯行=反抗と読み解いている。つまり 、ニコライ・スタブローギンは母親の溺愛の元で育ち、まだその母親の呪縛 を脱しきっておらず、それ故に母親の願いを聞き入れて、故郷スクヴァレーニシキへと帰郷するわけであり、それと同時に「母親からの自立」の試みとしての数々の乱暴狼藉、反抗(悪)が繰り返すというわけだ。

最近のドストエフスキー論については無知なので、はて、たとえば山城むつみ氏の評判の高い論はなにを語っているのか(これについてはインターネット上ではたいしたものは見つからなかった)、あるいは毀誉褒貶のある亀山郁夫氏の『悪霊』解釈はどんなぐあいなのか、などとすこし調べているうちに行き当たった論評なのだが、「母親からの自立」の試みというのは別にスタヴローギンでなくてもほとんど誰にでもあるのであって、わたくしには児戯に類する指摘としてしか受け止められない、--とするのはかつてのスノッブの無残な残照としての短絡的な気取りであるには相違ない。そもそも清水正氏の書を読んだわけではないので、当然ほかの重要な示唆と絡んでの見解であるはずであり、ここでは「母親からの自立」についてだけの印象である。

もちろん「母親からの自立」は、たとえば次のような『悪霊』の冒頭近くにある叙述から、誰でもその気配は読みとることができる。

少年は、母親が自分を溺愛していることを知っていたが、彼自身はそれほど母親を好いてはいなかった。夫人はあまり息子とは口をきかなかったし、めったに自由をしばることもなかったが、それでも少年は、たえず自分をじっと見守っている母親の視線を、病的なくらい、いつも肌に感じていた。(『悪霊』江川卓訳 新潮文庫 上 P59)

この冒頭近くの叙述以外にも、スタローギンの母へのアンビバレントな感情の揺れはいくらでも指摘できるだろう。だがそれだけでスタヴローギンという人物の奇怪さを説明されたら堪らない(重ねて書くが、清水正氏の論への短い書評を読んだだけの違和である)。




【文学とは無縁の資質】

ここは松浦寿輝の次のような文章を挿入して、スタヴローギンの一貫した性格を『悪霊』のテキストから読みとる仕草は、「文学とは無縁の資質」であるとしておこう。


たとえば漱石の小説をめぐって書かれた或る種の凡庸な論文などには、或る登場人物がこの箇所ではこんなふうに描写され、あの箇所ではあんなふうに描写されているがその間の食い違いをどう考えたらよいのかなどと、あれこれ真剣に思い悩んでいるものがあり、「文学研究」の学徒とは何と馬鹿馬鹿しいまでに律儀な人々かとわれわれを呆れさせずにおかない。もとより虚構のイメージでしかない物語の登場人物について、これは本当はいったいどういう人なんだろうと考え詰めようとする官僚的な生真面目さなど、もろん文学とはまったく無縁の資質である。(……)

『こころ』も『明暗』も要するにただの絵空事であり、その道具立てとして導入された「先生」だの「K」だの「津田」だの「小林」だのは、言語記号の組合せによって表象される想像的な人物イメージの戯れの積分的な総体に与えられた、仮の名前にすぎない。なるほど、一人一人の登場人物に一貫した自己同一性とリアルな存在感を賦与しようという意図を作家が抱いていたことは間違いなかろうが、しかしたとえそうであっても、創造の「今」において漱石は、そのつど確率論的な揺らぎの中で、むしろ“適当に”書いていたはずである。漱石の筆が運動しつつある、その「今」の現場には、過誤も思い違いも混同も意識せざる誇張も自家撞着も裏切りも、何もかもがいちどきに呼びこまれえたのであり、またそうした人間的“いい加減さ”に大胆に身を委ねることで、彼の「作品」における運動はいよいよ豊かな、また生気に満ちたものになっていったはずなのだ。漱石の文体における「当て字」の問題なども、むしろ「作品」を決定論的凝固から解き放ちたいという彼の骨がらみの欲動の表現として読み解かれるべきではないのか。(松浦寿輝「表象と確率」『官能の哲学』所収 文庫P190)

そもそも『悪霊』は、しっかりした構想の経たあとに書かれた作品ではない(おそらくドストエフスキーの多くの作品と同様に)。執筆当時、既に「無神論」、すなわち『カラマーゾフの兄弟』の構想が頭から離れなかったようだ。


彼自身「惡靈」には大した望みを掛けてゐなかつた。ただカトコフへの借財を支拂ふ爲の餘儀ない仕事と考えてゐた。當時の彼の野心はこの作には關係のない大小説にあつた。(小林秀雄『ドストエフスキーの生活』「8 ネチャエフ事件」)

すなわち、おそらく他の作品にもましていっそうのこと創造の「今」においてむしろ“適当に”書かれた小説なのであり、《その「今」の現場には、過誤も思い違いも混同も意識せざる誇張も自家撞着も裏切りも、何もかもがいちどきに呼びこまれえた》のだろう。


もちろんドストエフスキーのテクストの断片から、精神分析理論的な断片を拾うことはできるのを否定するわけではない。たとえばフロイトの破壊欲動やら享楽と似たような叙述があるな、との「発見」を楽しむことはできる。だがこれはなにもドストエフスキーに限った話ではない。それはフロイトの論文のシェイクスピアからの引用の豊富さを想い起こすだけでよい。


夜の大火は人をいらだたすと同時に、心を浮き立たせるような効果を常に生むものである。花火はこの効果を応用したものだ。しかし花火の場合は、火が優美な、規則正しい形にひろがり、しかも自分の身はまったく安全なので、ちょうどシャンパン・グラスを傾けたあとのように、遊び半分の軽やかな印象しか残さない。ほんものの火事となると、話は別である。この場合は、夜の火の心浮き立たせる効果もさることながら、恐怖心と、やはりわが身に迫るなにがしかの危機感とが、見物人との間に(もちろん、家を焼かれている当人たちの間にではない)ある種の脳震盪めいた作用を惹き起こし、彼らの内なる破壊本能を刺激するような結果になる。しかも、この破壊本能は、悲しいかな! どんな人間の心の底にも、謹厳実直そのもののような家族持ちの九等官の心の底にさえひそんでいるものなのだ……この隠微な感覚は、ほとんどの場合、人を陶酔させる傾きがある。「火事というものを多少の満足感なしに眺められるものかどうか、ぼくはあやしいと思うね」とは、かつてステパン氏が、たまたま出くわした夜の火災からの帰り道、まだその引用がなまなましかったおりに、私に語った言葉そのままの引用である。(ドストエフスキー『悪霊』 江川卓訳 新潮文庫 下 P272)


【厚顔無恥に居直り精神分析的に読むこと】

さてここでは「文学とは無縁の資質」のものの一人と敢えて居直って、フロイトのドストエフスキー論を引用してみよう。


内容豊かな人格を持ったドストエフスキーを前にして、われわれは四つのものを区別して考えたいと思う。すなわち詩人としての彼、神経症者としての彼、道徳家としての彼、および罪人としての彼である。われわれの頭を混乱させるかくも複雑な人格を統一的に把握するには、いったいどうしたらいいのであろうか。(フロイト『ドストエスフキーと父親殺し』)

この小論は1928年に書かれており、後期フロイトと呼ばれる時代、すなわち『快原則の彼岸』1920以降に書かれている。

「四つのものを区別」しているフロイトの、その最初の「詩人としての」資質をめぐって、フロイトは『カラマーゾフの兄弟』は、シェイクスピアに比較してもさして劣っていないとして、とくに「大審問官」の個所は世界文学における最高傑作のひとつとしている。《ただ残念なことに、詩人という問題を前にしては、精神分析は拱手傍観するよりほかはない》と。


これが詩人、芸術家としての作家を前にしたときの、われわれ凡人の素直な態度であろう。


ひとはそれでもなにかを言いたくなるのがわれわれの常であるのだから、神経症者、道徳家、罪人としてのドストエフスキーをめぐって書き綴らざるを得ない批評の言葉を全否定するわけではない。この機会に小林秀雄の『ドストエフスキーの生活』を読み返してみたが、小林秀雄のこの渾身の批評文でさえその類の「批評」であるといえるのかもしれない(すくなくともナボコフ的観点からは)。


さてフロイトに戻って、二番目の区分け、「道徳家」としてのドストエフスキーについてなんと書いているか。

もっとも深い罪の領域を通ったことのある者のみが、もっとも高い倫理の段階に到達するということを論拠として、彼を倫理的に高く評価しようとする態度は、重大な疑点を看過しているといわざるをえない。すなわち、倫理的な人間とは、誘惑というものに、それが心の中で感じられたとたんに直ちに反応し、しかもしれに屈服することのない人間を指していうのである。さまざまな罪を犯し、しかるのち後悔して、高い倫理的要求を掲げるにいったというような人間は、イージーな道を歩んだという非難を免れることはできない。そういう人間は、倫理性の本質的部分、すなわち断念というものを遂行することができなかったわけである。(『ドストエフスキーと父親殺し』)

「罪人として」のドストエフスキーについては、次のように書かれるーー、《彼は、あれほどまでに強く人々の愛を求めたではないか。また、たとえば最初の妻およびその情人にたいする関係においてのように、憎みかつ復讐する権利が自分にあった場合ですら、彼は愛したり援助の手を差し伸べたり、お人好しすぎる態度をする示して、人を愛する能力の大きさを証明している》のに、どうして《犯罪者の本質的特色をなす、あくことを知らぬ我欲や、強烈な破壊的傾向、――冷酷さ、つまり対象(ことに相手が人間である場合)を評価するにあたって感情の要素を交える能力の欠乏》をドストエフスキーに指摘することができるのか、とまずは予測される反論が書かれる。だがこの架空の反論への応答が引き続く。

この疑問にたいする答は、この詩人の素材選択の仕方である。すなわちドストエフスキーはその作品の素材として、乱暴者、殺人犯、我利我利亡者などを、とくに好んで取り上げており、これが、同様な傾向が彼自身の内部にも潜んでいたことを察知させるのである。それからまた、彼の生涯中の若干の事実、たとえば彼の賭博癖があげられるし、あるいはまた、未成年の少女を強姦したというあの事実(この事件については彼自身の告白がある)も、おそらくこの疑問にたいする答となるであろう。この矛盾は、彼自身をたやすく犯罪者にしかねなかったきわめて強い破壊欲動も、ドストエフスキーの現実の生活においては、主として彼自身の人格にたいして(すなわち外に向けられるかわりに内にたいして)向けられ、その結果マゾヒズムおよび罪の意識となって発現したことを見ればおのずと解消する。いずれにせよ、彼の性格の中には、サディスト的な要素も多分にあって、それは彼が愛している人々にたいしてさえ示した短気、意地悪、不寛容などに現れており、あるいはまた、作家としての彼が読者を取り扱うそのやり口にも現れている。したがって彼は、小さな事柄においては外にたいするサディストであったが、大きな事柄においては、内にたいするサディスト、すなわちマゾヒストであり、もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間だったのである。(同フロイト)

このフロイトの叙述は、《もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間》という個所以外は、『悪霊』の主人公スタヴローギンの性格や言動をほとんど彷彿させるものであり、スタヴローギンの言動を「母親からの自立」として読みとるのは児戯に類するというのは、松浦寿輝の「文学研究者」への嘲笑以外にもそういうことを含意する。フロイトはすでにそれ以上のことを書いている。

さてドストエフスキーの第四番目の区分、「神経症的」な面は、ここでは割愛する。罪人の個所で「マゾヒスト」という語が出てきているのだから。


【イントラ・フェストゥム(祭りの最中)をめぐって】

「癲癇持ち」のドストエフスキーについては木村敏によるイントラ・フェストゥムの資質の指摘を想起することもできる。木村敏は、人間の心理的時間感覚を「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」の三つに分類している。祭りの前が分裂病的時間感覚、祭りの後が躁鬱病的時間感覚ということだったが、前者が未知なる未来における自己の可能性の追求、後者が既知の慣習や経験への保守的な埋没とされ、両者とも時間の水平性(未来、あるいは過去)にかかわる病理だとすれば、イントラ・フェストゥムは時間の垂直方向での日常性の瓦解(非日常性の顕現)とされる。

そしてこの指摘において肝要なのは、イントラ・フェストゥムは、癲癇症者だけではなく、健康人の誰にでも訪れる非理性の瞬間(もちろん分裂病者や鬱病者においても)として、《愛の恍惚、死との直面、自然との一体感、宗教や芸術の世界における超越性の体験、災害や旅における日常的秩序からの離脱、呪術的な感応などの形で出現しうるもの》とされていることだ。

たとえば鬱病親和気質と推測される大江健三郎の「一瞬よりはいくらか長く続く間」はそのイントラ・フェストゥムと似たような刻限をいう表現に相違ないし、分裂病親和資質と想定されるニーチェの「正午」も同様。

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」手塚富雄訳)

「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」にかんして、すぐれたグールドシューマンや、プルースト論などの著者、ミシェル・シュネデール(彼は仏高級官僚でもあり、また小説家でもあり精神分析医でもある人物)の次の文を抜き出しておこう。

… ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトゥーロ・べネデッティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのぼらせる。(『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネーデル千葉文夫訳)

しかし、ここでミケランジェリが鬱病親和型、リヒテルが分裂病親和型、グールドが癲癇親和型などというつもりは毛頭ない。それぞれの演奏家は、それぞれの仕方でイントラ・フェストゥムの垂直に立つ時間の感覚を与えてくれるだろう。だがそれにしてもグールドの「現在性」の恍惚のなんと際立つことよ。

だがイントラ・フェストゥムの輝かしい面ばかりを強調してはならない。《祝祭はつねに死の原理によって支配されてもいる。死は、それ自体としてみれば美わしい永久調和を意味するのであろうけれども、個別的生命に執着する日常性の意識にとっては恐怖の対象以外のなにものでもないだろう。殺人や犯罪、革命や戦争はそれなりに人類の祝祭なのである。》(木村敏 P161)

この見解にはいろいろな変奏があるだろう。

戦争の論理は単純明快である。人間の奥深い生命感覚に訴える。誇りであり、万能感であり、覚悟である。戦争は躁的祝祭的な高揚観をもたらす。(中井久夫「戦争と平和についての考察」『樹をみつめて』所収)
われわれの疑問は、たとえば「生の肯定」、「生の蕩尽」としてカーニバル的にあらわれたものが必ずファシズムに転化するのはなぜかということだ。ニーチェやベルグソンはファシストではないといってもはじまらない。もはや純粋なカーニバルなどありえないように、純粋な「生の哲学」もありえない。それはいったん歴史的な文脈に存在するやいなや、思いもよらぬ反転や置換を強いられるのだ。本当は、「暴力的なもの」は《近代》に出現するのだといってもよい。(柄谷行人『歴史と反復』)

さて、ドストエフスキーののイントラ・フェストゥム性については、次のような叙述がある。
われわれはドストエフスキーから多くのことを学ぶことができる。彼の作品に登場する多数の人物は、ムイシュキンやキリーロフのような癲癇患者だけでなく、全員がこの「現在の優位性」とでもいうべき特徴をそなえている。作中の人物がすべて作家の分身であってみれば、これはちっとも不思議なことではない。一例だけをあげれば、『悪霊』に登場する美貌の令嬢リザヴェータ……彼女にとって、過去・現在・未来の一貫した流れとしての一つの人生などというものは「見たくもない」ものなのである。彼女はスタヴローギンと駆け落ちして一夜の情事を経験した翌朝、「ぼくはいま、きのうよりもきみを愛している」というスタヴローギンに向って、「なんて奇妙な愛情告白かしら!きのううだのきょうだのと、なんでそんな比較が必要なの?」(下 P281)という。彼女は「自分がほんの一瞬間しか持続できない女だとわかっているので、」思いきって決心して「全人生をあの一時間きっかり〔の情事〕に賭けてしまった」(下 P286-287)のである。

一般に、ドストエフスキーの描く人物はいずれも他人に対して、ときには自分の生命を脅かすような危険な相手に対してすら不思議に無警戒で、分裂病親和者にみられるような他者の未知性に対する恐怖感は稀薄である。また、メランコリー親和者に特徴的な、既成の型の中での役割的対人関係も、彼の作品のどこを探しても見当たらない。彼の描く対人関係は、すべて現在眼の前にいる人との現在の瞬間における直接的な深い連帯感によって支えられている。

ドストエフスキーの意識における現在のこの豊かさは、彼がアウラ体験において死の側から生を眺めたときの壮麗な光景と、どこかで深くつながっているのではあるまいか。死は、生の側から未知の可能性として眺められたときには、身を縮まる恐怖の源となるだろう。しかしもし死を現在直接に生きることができるなら、それはこの上なく輝かしいものであるに違いない。(木村敏『時間と自己』P150)

この1982年に書かれた木村敏の解釈には今でも瞠目せざるを得ないのであって、フロイトのドストエフスキーのマゾヒスト説に比べても遜色はまったくない。、---もっとも、これも木村敏の論を読み返さなかったら、フロイトの天才は、ドストエフスキーの名を挙げないままで、あたかもドストエフスキーやスタヴローギンの資質をめぐって書いているかのようだ、としてすますところだったのだが。

マゾヒストは小さな、頼りない、依存した、ひとりでは生きてゆくことのできない子供、しかもとくにいたいけな子供として取り扱われることを欲している。フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』(フロイト著作集6 P302)
マゾヒストは、運命という両親代理者による罰を挑発するために、無益なことを仕出かし、自分自身の利益に反して行動し、現実の世界の中にうちひらかれている幸福になる可能性をぶち壊し、時によれば自分自身の生命を絶つこともしかねない。(同上P308)

こうやって精神分析理論を通して読んでしまうわたくしは文学的な資質から遠く離れている。もっともそれがドストエフスキーのいう作家の精神の動きをすこしでも読む機縁になれば幸いである。

作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。(柄谷行人)--「行間にはなにも書かれていません」(蓮實重彦)より

【看護婦志願者としてのダーリヤ】


ところで、『悪霊』の結末は、ダーリヤ・パヴァロヴナ、ーーかつてワルワーラ夫人に連れられた訪れたスイスでの滞在中、スタブローギンの看護婦になると希望したーーその彼女をスイスの山荘での寂しい生活に同行を求める手紙の示されたあとの首吊り自殺の叙述で終っている、《ニコライ・スタヴローギンが首を吊った丈夫な絹紐は、明らかにあらかじめ吟味して用意されていたものらしく、一面にべっとりと石鹸が塗られていた。すべてが覚悟の自殺であること、最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたことを物語っていた。》



ダーリヤは、ニコライ・スタヴローギンの母親ワルワーラ夫人の養い子であり、夫人の侍僕だった父親をもち農奴として生まれたのだが、彼女のお気に入りの娘であり、スタブローギンのスイスでのリザヴェータ・ニコファエヴナとの恋愛事件の折の「相談役」としての役割を担っている。


……リーザがいけないことしたんですの。つまり、ニコライさんにやきもちを焼かせようとして、わざとその方となれなれしくしたんです。わたくし、それをどうこう言うつもりはありませんのよ。若い娘にはありがちの、ほほえましいようなことですもの。ところがニコライさんは、やきもちを焼くどころか、かえってその青年と親密になって、何も気がついていないような、というより、そんなことなどどうでもいいような態度をお見せになったんですよ。リーザにはこれがひどくこたえましたのね。その方がじきに発っていかれると(……)、リーザは何かといえばニコライさんに突っかかっていくようになりましたの。それで、ニコライさんがときどきダーシャと話していらっしゃるのに気がついたものですから、さあ、かっとなってしまって、わたくしも、母親として、生きた空もなくなってしまいましたの。(『悪霊』 上P98)

スイスでの自らの息子とダーリヤとの親密さを危ぶんだのだろうワルワーラ夫人の疑いは「表面的には」すぐさま解消されたかにみえる。


翌朝、夫人の胸に、ダーシャに対する疑いだけは跡形もなくなっていた(……)。というより、そんな疑念はもともときざすはずもなかった、ダーシャに対する夫人の信頼はそれほどに厚かったのである。それに、わがニコラスが、こともあろうに……うちの《ダーシャ》風情に熱をあげるなどとは、夫人には考えも及ばないことであった。(……)

「ダーシャ」とワルワーラ夫人はふいに話をさえぎった。「おまえ、何かこう特別にわたしに話したいと思うようなことはないかい?」
「いいえ、なんにも」ダーシャはちょっと考えたから、その明るい目でワルワーラ夫人を見上げた。(『悪霊』上 P100-101) 

だがワルワーラ夫人は、己れが二十年来、「看護婦」の役をしていると自ら任じている、『悪霊』のもう一人の主人公ステパン・トロフィーモビッチの再婚の相手としてダーリヤを片付けようとする。


「わたしは、奥様、どうでもかまいません、どうしてもお嫁に行かなきゃならないということでしたら」ダーシャはきっぱりと言った。

「どうしてもだって? おまえ、それはなんの謎だい?」ワルワーラ夫人はきびしい目でじっと相手を見つめた。

夫人がダーシャに恥をかかすような真似をするわけがないのは、ほんとうのことだった。それどころか、いまこそ夫人は自分がこの娘の恩人なのだと考えていた。ショールを羽織りながあら、彼女の当惑げな、うさんげな眼差しが自分に注がれているのを感じたとき、彼女の心に燃えあがったのは、だれにうしろ指をさされることもない高潔な憤りの情であった。夫人はほんの子供の時分から心底ダーシャを愛してきた。(……)彼女はもの静かな、おとなしい娘で、辛抱づよく自分を犠牲にできるし、忠実で、並はずれて謙遜で、めったにないほど分別があり、そして何よりも、恩を忘れない子だと決めこんでいた。(『悪霊』上 P107)

 ステパン氏はこの結婚の策略をめぐって、スイスでの「他人の不始末」とつぶやくことになるが、ワルワーラ夫人の申し出を断わるわけではない。もっともその結婚は別の理由で不首尾に終る。

この結婚話とは別に、小説の結末近く、ステパン氏は、ワルワーラ夫人とのあいだに一悶着あったあと、夫人のもとから「家出」して放浪して消耗し、それが原因での死の間際に、枕元のワルワーラ夫人にむかって次のようにつぶやくことになる。

「ボクハ・アナタヲ・アイシテイマシタ、イッショウガイ……二十ネンカン!」
彼女はやはり黙っていたーー二分、三分。
「じゃ、どうしてダーシャと結婚する気になったんです、香水なんかふりかけて……」ふいに夫人は無気味なささやき声で言った。ステパン氏は茫然となった。
「新しいネクタイまで締めて……」
ふたたび二分の沈黙。
「あの葉巻を覚えていますか?」
「友よ」恐怖にかられて彼は口を動かした。
「あの晩の、葉巻、窓のそばの……月が照っていた晩……四阿でお会いしたあと……スクヴォレーシニキの……覚えているの、覚えているの?」彼女はまたはげしく席を立ち、彼の枕の両端をつかんで、枕ごとはげしく彼の頭を揺すった。「覚えているの、からっぽな、実のない、恥さらしな、意気地なしさん、永遠に、永遠にからっぽな人!」夫人は大声に叫びたいのをやっとこらえながら、すさまじいささやき声で言った。それから、ようやく彼をはなすと、両手で顔を覆って椅子の上に突っ伏した。「二十年は過ぎてしたったのよ。もう取り戻せないわ。わたしもばかなのよ」(『悪霊』下 P499-500)

ほとんど同じ叙述が、より突き放す調子だが、この書物の前半にもある。ステパン氏に生涯多額の年金を与えるので、――神聖な義務としてーー、別の場所で暮らしてほしいとワルワーラ夫人が要請する個所である。


「ついこの間、まったく同じあなたの口から、やはり同じように執拗で性急な調子で、まったく別の要求が伝えられたものでした」ステパン氏はゆっくりと、悲しげな、しかしはっきりした言葉づかいで言った。「ぼくはおとなしくおっしゃるとおりにして……あなたのお望みどおりコサック踊りを踊ってみせました。ソウ、コンナ・ヒカクガ・カノウデスネ。ボクハ・ジブンノ・ハカノウエデ・こさっくオドリヲ・オドル・どんノこさっくダッタ。ところが今度は……」

「お待ちになって、ステパン・トロフィーモヴィッチ。ひどく口数が多いじゃありませんか。あなたは踊りを踊ったのじゃなくて、新しいネクタイを締め、新調のシャツに手袋といういでたちで、ポマードをつけ、香水をふった、わたしのところにいらっしゃったんですよ。はっきり申しますけど、あなた自身、結婚したくてうずうずしていらしった。あなたに顔にちゃんとそう書いてありましたし、断言しますけど、それはまあ品のない表情でしたよ。」(『悪霊』上P525-526)

ここに「義務」という言葉、「神聖な義務」という語が出てくることに注目しておこう。もっともワルワーラ夫人のステパン氏への義務は、愛されたいという願い、自己愛やエゴイズムが綯い交ぜになったものであり、それは決して「神聖な義務」といえるものではない。


愛されたい欲望、それは、愛する対象objet aimant がそれとして捉えられる、対象としての自分自身の絶対的個別性のうちに鳥もちづけられ、隷属させられる欲望です。愛されることを熱望する人は、自分の美点son bien のため愛されることにはほとんど満足しません。これはよく知られています。彼の希求は、主体が個別性への完全なsubversion に行くほど愛されること、この個別性がもちうる最も不透明で最もimpensable なものにsubversion されることです。人はすべてが愛されたいのです。On veut être aimé pour tout.彼の自我のためだけではありません。デカル卜はこう言います。彼の髪の色、奇癖、弱さ、すべてのために愛されたいのです。

しかし逆に、私としては相関的にと言いますが、まさしくこのために、愛することはそう見えるものの彼岸で存在を愛することです。愛の能動的贈与は他者を、その特殊性ではなく、その存在において他者を狙います。(ラカン『フロイトの技法論』)

だが安易には言うまい。ここでラカンが語る愛の能動的贈与の側面を忘れてはならない。この発話はセミネール一巻からだが、さらには最晩年のラカンはリルケの『ドゥイノの悲歌』的愛をも語っているのだから。《愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく/おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、/……》(リルケ『ドゥイノの悲歌』


【解読装置としての小説】

ラカンのそれぞれの時期における愛をめぐる発話は驚くほど揺れ動く。われわれはラカンなどの「精神分析理論」によって小説を解読する必要など毛頭ない。むしろラカンの言葉さえ小説を読むように読むべきだ、ラカンがフロイトのテキストをそのように読んだように、すなわち言い直しやいつも戻って来るところ、唐突の沈黙、躊躇いなどを問い直すことによって、フロイトの概念に新たな光を照射したように。

……精神科医は、眼前でたえず生成するテクストのようなものの中に身をおいているといってもよいであろう。

そのテクストは必ずしも言葉ではない、言葉であっても内容以上に音調である。それはフラットであるか、抑揚に富んでいるか? はずみがあるか? 繰り返しは? いつも戻ってくるところは? そして言いよどみや、にわかに雄弁になるところは? (……)

些細な形容詞の変更、時称の選択、何よりも捨てられた草稿、置き換えられた表現、思い切った削除――これらによってテクストが一変する。その前の痕跡をそれとわからぬほどにみせながらーー。これはほとんど私たちの推論そのものだ。(……)

精神科医は精読家Liseurではないが、ためらい、選び、捨て、退き、新たな局面を発見し、吟味して、そして時に棄却し、時に換骨奪胎する精神の営み、そういうテクスト生成研究の過程を身近なものに感じる。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」)

ここで、《批評は小説の解読装置ではない、小説こそが装置である》と繰り返しておこう。もっともそんな小説には稀にしか廻り合えない。

伝統的な小説が前衛的な小説にくらべてものわかりのよさそうな表情を浮かべているというのではありません。筒井康隆だって、安部公房だって、薄気味の悪いほどものわかりがよく、その点では村上春樹と変わりません。こうした一連の闘争放棄は、小説がみずから装置であることを止め、読まれるべき言葉としてあっさり解読装置に身をゆだねてしまうことからくるものです。批評家の手にしているものが解読装置であって、小説がその装置によって解読される対象でしかないようにすべてが進行してしまい、そのことに、小説家も、批評家も疑いの目を向けようとすらしていないという現状が納得しがたいものに思われたのです。

しかし、この関係は不健康に転倒している。装置であるのは、むしろ小説の方なのです。装置でありながら、何の装置だか使用法がわからないものとして小説が存在しているのでなければならない。そして批評家は、その目的や使用法を心得た人間ではないはずです。ましてや、装置を解読する装置が批評なのでもないでしょう。小説という装置は、おそらく小説家にとってさえ、それが何に役立つか見当もつかない粗暴な装置であり、であるが故に、小説は自由なのです。批評家は、使用法もわからぬままにその小説を作動させる。それが、小説を擁護するということの意味なのです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』「あとがき」)


フロイトやラカンの理論のすぐれた解読装置としてドストエフスキーやリルケがある。ところでフロイトの小説への態度は次のようなものであった。

われわれの仲間の一人が『グラディーヴァ』に出てくる夢とその解釈可能性に関心をもった(……)。その人が当の作家に直接会って、あなたの考えに非常によく似た学問上の理論があることをご存知だったのかと尋ねれみた、はじめから予想できたことだが、これにたいして作者は知らないと返答した、しかもそこには多少不快げな調子がこもっていた。そして、自分自身の空想が『グラディーヴァ』のヒントをあたえてくれたのだ、(……)これが気に入らない人はどうかかまわないでいただきたい、と言った。(フロイト『W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢』)

《作者はこのような法則や意図を知っている必要などまったくないし、だから彼がそれを否定したとしてもそこに微塵の嘘もないのである》、フロイトは続けてこのように書く。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(同上)

【滑空足らずのラカン】

精神分析理論、フロイトやラカンを読むとき、ニーチェの次の言葉を想起してともに読むことが必要なときがある。

《悪く考えることは、悪くすることを意味する。 ――情熱は、悪く陰険に考察されると、悪い陰険なものになる。 》(ニーチェ『曙光』76番)

それは決してニーチェを「通して」読むのではない、「ともに」読むのだ。

愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮かぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テキストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持ちになればいいのだ。私は必ずしも快楽のテキストに捉えられているわけではない。それは移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落ち着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような。(バルト『テクストの快楽』)


あるいは《他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること》

「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…彼が自分の後で根本的動揺をいだく者がもうひとりもいないことを望んでいたのを思えば、享楽の没収、享楽は結局何にもならないということの証明…だが、それが「うまくいく」ようにできていると言った者がかつていたのだろうか? 面白いのは、そいつが時どき期待を裏切ることができるってことだ…吹っ飛んでしまう前に…もっとも、それがひと度ほんとうに期待を裏切ったとしたら、そいつはとにかく少しはうまくいっている…憎しみのこもった固着に至り着くのでなければ…でもそれだって避けることはできる…ぼくの意見では、ファルスは十分に滑空しなかったんだな…かれはそのことでまいっていたのだと思う…どんな女も彼の解剖学にしびれなかったのだろうか? そうかもしれない…実際にはちがう…気違いじみてもいなかった…後になって「うまくいっている」か、いってないかってことが彼にとってどうでもよくなるには十分じゃなかった…そこから他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること…ファルスがぼくたちの家でぐずぐずしていたそのやり方のことをぼくはもう一度考えてみる…眼鏡越しにデボラに注がれる彼の長い眼差し…見下げ果てた野郎だ…それは痛ましかった、それだけだ…(ソレルス『女たち』p183)

ーーソレルスの小説のなかの「ファルス」なる人物は、ラカンがモデルであるのはよく知られている。


【ふたたびダーシャ】


もちろん別にワルワーラ夫人のステパン氏とダーシャとの婚姻のすすめは、リーザと似たような振る舞いとしても読めもする、《リーザがいけないことしたんですの。つまり、ニコライさんにやきもちを焼かせようとして、わざとその方となれなれしくしたんです》――いや「やきもち」ではなく、ステパン氏の愛情をたしかめるための振舞いとして。



ここでリーザが自ら進んでニコライに身をまかせた一夜のあとの嫌悪と軽蔑の入りまじった発話を抜き出しておこう。これがワルワーラ夫人の心情とも通ずる「熱烈な愛」、すなわちナルシシズム的愛の典型的な言動だと解釈することもできる(繰り返せば、そうとも見ることができるだけで、これも「安易な」一面的な見方である)。ーー《なにせ女心というやつは、今日においてさえいまだに究めつくされる深淵にほかならないのだから!》(『悪霊』上 P25)


「ぼくを苦しめてくれ、ぼくを罰してくれ、ぼくに憎悪をぶつけてくれ」彼は絶望にかきくれて叫んだ。「きみには十分にその権利がある! きみを愛していないくせに、きみを破滅させたことを、ぼくは知っているんだ。そうだよ、『ぼくは瞬間を自分の手に残しておいた』んだ。ぼくは希望をもっていた……ずっと以前から……最後の希望をもっていた……きみがきのう自分から、一人で、進んでぼくの部屋にはいってきたとき、ぼくは、自分の心を照らし出した光明にさからうことができなかった。ぼくはふいに信じてしまった……ことによると、いまでも信じているのかもしれない」

「そんなふうに潔く打明けてくださるのなら、わたしもお返しをしなければならないわね、ーーわたしはあなたの看護婦になるのはごめんです。もしかして、きょううまい具合に死ねなかったら、ほんとうに看護婦になるかもしれないけど、たとえそうなっても、あなたの看護婦にはなりません。あなたにしたって、むろん、そこらの手なしや足なしと同じようなものですけどね。わたしはいつもこんな気がしていたんです、きっとあなたはわたしを、人間の背丈ほどもある巨大な毒蜘蛛のすんでいるようなところへ連れていくのにちがいない、そこでわたしたちは、生涯、その蜘蛛を眺めながら、びくびくして暮らすことになるんだろうって。そんななかでわたしたちの愛情も消えてしまうんです。ダーシェンカにお話しなさいな、あの人なら、どこへでもあなたにういていってくれるでしょうよ」

「こんなときにも、きみはあれのことを思い出さずにいられないの?」

「かわいそうな小犬さん! あの人によろしく。あなたがもうスイスであの人を老後のお守役に決めてしまったのを、あの人は知っているのかしら? ずいぶん用意周到な方ね! 先の先まで見通していらっしゃる! ……」(『悪霊』下 P288-289)


「義務としての愛」という言葉を使うなら、ダーシャ、ニコライ・スタヴローギンの看護婦になることに決めてしまったダーシャの愛こそその「神聖な愛」として読むことができるかもしれない。

ニコライの決闘、すなわちここでもまた「はしたなく」精神分析概念を適用するならば、彼のマゾヒズム的衝動ともいえるその場面の後、次のようなダーシャとの面会がある。


「ぼくは前からきみと会うのをやめようと思っていてね、ダーシャ……ここのところ……当分は。きみから手紙をもらったけれど、ゆうべはきみに来てもらえなかった。ぼくのほうからも手紙をしたかったんあが、手紙は苦手なのでね」彼はいまいましげに、というよりむしろいまわしげにこうつけ加えた。

「わたしも、お会いするのはやめなければと思っていました。ワルワーラさまが、わたくしたちの仲をひどく疑っていらっしゃいます」
「なあに、疑るのは勝手さ」
「ご心配をかけるのはいけません。では、今度は最後のときまでですのね?」
「まだその最後のときを当てにしなくちゃいられないのかい?」
「ええ、わたしは信じているのです」
「この世の中には終りのあるものなんてないさ」
「これには終りがあります。その最後のときに声をかえてくだされば、わたし、参ります。いまはお別れです」
(……)
「あなたはもう一人の……気の違った方を破滅させはなさらないでしょうね?」
「気違い娘は破滅させないさ、あれも、もう一人もね。しかし正気な娘は、破滅させるかもしれない。ぼくはね、ダーシャ、おそろしく卑劣で醜悪だから、ひょっとしたら、きみが言うように、『最後のおしまいのときに』、ほんとにきみを呼ぶかもしれない。そしてきみも、そんなに賢いくせに、やってくるだろうね。どうしてきみは自分で自分を滅ぼすんだい?」

「最後にはわたし一人があなたのおそばに残ることになるのがわかっていますから……それを待っているんです」(『悪霊』上 P458-460)


【マゾヒストあるいは癲癇症者のドストエフスキー】

すこし前に戻って、スタヴローギンの決闘が、マゾヒズムの顕現とするのはいささか性急すぎるかもしれない。そしてここでふたたび木村敏のドストエフスキーのイントラ・フェストゥム性の指摘をも想起しておこおう。

『悪霊』のなかでももっとも有名なスタヴローギンの告白の章にはつぎのように書かれている。


これまでの生涯にすでに何度かあったことであるが、私は、極度に不名誉な、並はずれて屈辱的で、卑劣で、とくに、滑稽な立場に立たされるたびに、きまっていつも、度はずれな怒りと同時に信じられないほどの快感をかきたれらててきた。これは犯罪の瞬間にも、また生命の危険の迫ったときにもそうなのである。かりに私が何か盗みを働くとしたら、私はその盗みの瞬間、自分の卑劣さの底深さを意識することによって、陶酔を感じることだろう。私は卑劣さを愛するのではない(この点、私の理性は完全に全きものとしてあった)、ではなくて、その下劣さを苦しいほど意識する陶酔感が私にはたまらなかったのである。同様に、決闘の場に立って、相手の発射を待ち受ける瞬間にも、私はいつもそれと同じ恥辱的な、矢も盾もたまらぬ感覚を味わっていた。とくに一度はそれがことのほか強烈であった。白状すると、私はしばしば自分から進んでこの感覚を追い求めたこともある、というのは、それが私にとってはその種のもののなかでももっとも強烈に感じられたからである。(『悪霊』下 P550-551)

こういった文は、ドストエフスキーが同様の衝動(=享楽)を抱いていなかったならば、書けるはずはないと凡庸な「わたくし」は呟いてみる。そもそもペトラシェフスキイ事件による芝居としての死刑の判決、直前まで死刑判決がニコライ皇帝によって却下されていたことを知らされていなかった有名な出来事の折にも、ドストエフスキイは平静な様子だったらしい。

ペトラシェフスキイ、モンペリ、グリゴリエフの三人が、先ず柱に縛され、一二人の兵士が銃を上げた時、赦免のハンカチが翻つた。縛を解かれた時、グリゴリエフは発狂してゐた。或る目撃者の言ふところによれば、ドストエフスキイはまことに平静な様子だつた。断頭台を登る足どりも乱れてゐなかつたし、顔色も蒼ざめてゐなかつたさうである。(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』)

もっとも小林秀雄はこのあと、《だがそんな事が一体何を意味するのだらう。発狂の一歩手前にゐる人間が平静に見えないとも限らない》としている。

不思議なことにこの、まさに最後の瞬間に気絶することはめったにないのです! それどころか、頭はひどく生き生きして、機械が動くように力強く、力強く、力強く働いているにちがいありま せん。僕の想像では、その時さまざまな考えがぶつかっているのです、みんな完結しない、そしてもしか したら、ばかげた、無関係なこんな考えです。『ほら、あそこで見ている。あの額にはいぼがあるし、 ほら、処刑人の下のほうのボタンが一つさびている・・・』で、その間もすべてを認識し、すべてを記憶し ています。決して忘れることのできないある一点があって、気絶することもできず、すべてがその近 くを、この点の近くを動き、回転しているのです。そして考えると、それは最後の四分の一秒までそのま まで、その時にはもう頭を断頭台にのせて、そして待っている、そして・・・知っているのです、 と、突然上に聞こえる、鉄が滑ってきた!これは間違いなく聞こえます!僕なら、もしもそうなったら、僕 はわざわざ耳を澄まして聞くでしょう!それは、もしかしたらほんの一瞬間の十分の一かもしれません が、間違いなく聞こえます!(ドストエフスキイ『白痴』

いずれにせよ、この芝居としての死刑執行の瞬間の心的外傷性記憶がドストエフスキイの小説のなかで繰り返されることになる。木村敏のいうドストエフスキーのアウラ体験とはこのことである。


【義務としての愛】

さていささか寄り道ををしてしまったが、「義務としての愛」に戻ろう。

ダーシャのニコライへの「義務」、ワルワーラ夫人のステパン氏への「義務」、――『悪霊』はこれが繰り返されるテキストでもある。そしてニコライ・スタブローギンもステパン・ヴェルホーヴェンスキーもそれを望むとともにうとましくも思う二律背反した感情に囚われている。

ところで、ドストエフスキーの二番目の妻が夫の破廉恥な振舞いにおどろくほど耐える女性だったことが知られている。


アンナは、賭博生活の一喜一憂を仔細に日記に認めてゐる。賭博を呪ひ、自ら悪漢と罵りつつ、一日もかゝさず火事のに通つてゐる日記に描かれた彼の姿は、確かに正気ではないが、彼女の忍従にも何か異様なものが感じられる。(小林秀雄『ドストエフスキーの生活』「7 結婚・賭博」)

ひとはこういった愛の対象となった場合、ときにそれをひどい重荷とするのではないか。ーーと書いてしまったら、清水正氏の「母親からの自立」とどう違うというのだろう。上に児戯に類すると批判したが、わたくしの読みもやはり児戯に類する。


逆にどんな孤独者でもひとりの愛する人が必要だ、とする中井久夫の言葉をドストエフスキーやらスタブローギンに適用するのなら、繰り返される「義務としての愛」は、ダーシャのスタヴローギンへの無私の愛の叙述を借りた妻への感謝の「意図せざる表現」としても読むことができないではない。

創作の全過程は精神分裂病(統合失調症)の発病過程にも、神秘家の完成過程にも、恋愛過程にも似ている。これらにおいても権力欲あるいはキリスト教に言う傲慢(ヒュプリス)は最大の陥穽である。逆に、ある種の無私な友情は保護的である。作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて)

『悪霊』の第二部第八章の『イワン皇子』のすぐあとにつづく章として書かれた「スタブローギンの告白ーーチホンものとにて」、--結局『ロシア報知』の編集長カトコフが雑誌掲載を断わったために陽の目を見ず、後年(1921年)ドストエフスキーの死後、公表されるのだが、ドストエフスキー自身の校正版とアンナの手による筆写版がある。その二つを見比べてみると、妻アンナがいかに校正版の核心部分を「改竄」し、夫の幼児強姦をめぐる「破廉恥な」テクストを隠蔽しようと試みたのかがわかる。だが、これについては研究者の新しい見解もあまたあるのだろうし、それを知らない者がなんらかの感想めいた書くのはやめにしておこう。

ただダーシャにかかわる部分だけを抜き出しておく。

二ヵ月後、スイスで、私は、かつて初期のころにのみ見られたのと同じような狂暴な衝動の一つにともなわれた、はげしい情欲の発作を感じた。私は新しい犯罪に対する恐ろしい誘惑を、すなわち、重婚を行おうという誘惑を感じたのである(私はすでに妻帯者であるから)。しかし私は、もう一人の若い娘の忠告をいれて逃げだした。そしてその若い娘にほとんどすべてを告白し、それほどまで私が自分のものにしたいと望んでいる女性を、実はまったく愛していないこと、今後もうだれを愛することもできないだろうことまで打ち明けた。それにこの新しい犯罪も、なんら私をマトリョーシャから救ってくれることにはならなかっただろう。(『罪と罰』下 P574)

フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』(1924)や『ドストエフスキーと父親殺し』(1928)は、このスタブローギンの告白を読んだ後ーーあるいはひょっとしてその衝撃によりーー書かれたものだと推測する。


【宙吊りを楽しむこと】


ドストエフスキーのテキストはいろんな個所に注目することができる。わたくしが今回の再読で、ことさら注目したのは、ときおり閃くダーシャの名を借りて書かれるテキストの断片だった。

そして上に書かれたようにダーシャの看護婦としての義務を受け入れる態度は、至高の愛のひとつなのか、それとも愛される人にひどい重みとなるかもしれない「淫らな愛」なのか、あるいはそれらとはまた別のものなのかは、「宙吊り」のままである。いまはその「小説の知恵」を楽しんでこのような文を書いている、としておく。

アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのか、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、…どちらが正しくてどちらが間違っているか。エンマ・ボヴァリーは我慢のならない女なのか、あるいは勇敢で人の心をうつ女なのか。ウェルテルはどうか。彼は多感で気高いのか。あるいは、のぼせ上がった攻撃的な感情家なのか。小説を注意ぶかく読めば読むほど答えることはできなくなる。(……)小説の<真実>は隠されており、表ざたにされず、また表ざたにされ得ないものなのである。(クンデラ『小説の精神』)
人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望んでいます。といいますのも、人間には理解する前に判断したいという欲望 ――生得的で御しがたい欲望があるからです。さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望であります。宗教やイデオロギーは、相対的で両義的な小説の言語を、その必然的で独断的な言説のなかに移しかえることがないかぎり、小説と両立することはできません。宗教やイデオロギーは、だれかが正しいことを要求します。たとえば、アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのかいずれかでなければならず、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、いずれかでなければならないのです。

この<あれかこれか>のなかには、人間的事象の本質的相対性に耐えることのできない無能性が、至高の「審判者」の不在を直視することのできない無能性が含まれています。小説の知恵(不確実性の知恵)を受け入れ、そしてそれを理解することが困難なのは、この無能性のゆえなのです。(クンデラ『小説の精神』 P7-9)

あるいは、プルーストを読むロラン・バルトならこう書く、《コタールは《偉大》でも《卑小》でもない。仮に真実があるとすれば、その真実は「他者」の言葉が彼に与える動揺全体にいきわたる言述の真実である。》
バルベック行きの軽便鉄道の中で、連れのなり婦人が『両世界評論』を読んでいる。彼女は美人でなく、俗悪である。「話者」は彼女を娼家の女将だろうと考える。ところが、次の旅行の際、列車に乗り込んできた一群の客が「話者」に、あの婦人はシェルバトフ大公妃だ、高貴な生まれで、ヴェルヂュラン家のサロンの花だ、と教えてくれる。

まったく対立する二つの状態を同一の対象の中で結びつけ、外見を根底からくつがえし、その反対物へと変える、こうしたスケッチは『失われた時をもとめて』の中によく出てくる。最初のいく巻かから、読む順序に沿って、いくつかの例を挙げると、

一、ゲルマント家の二人のいとこのうち、陽気な方が、実は、横柄(公爵)で、冷淡な方が謙虚な人(大公)である。

二、オデット・スワンは周囲の人の判断ではすぐれた女性であるが、ヴェルデュラン家ではばか者扱いにされている。

三、ノルポワは「話者」の家族を怖気づかせ、彼らの息子には才能がないと説得するほど偉そうにしているが、ベルゴットには、一言でこきおろされる(《あれは間抜け爺いだ》)。

四、同じノルポワは、貴族で、王党派なのに、急進党内閣の特派外交使節を引き受けるが、《ただの反動的なブルジョワでもそんな内閣に仕えるのは拒否したであろうし、ノルポワ氏の過去や係累や考えを知ったら、内閣の方でも心配になったにちがいない。》

五、スワンとオデットは「話者」に対して細かく気を使っているが、ある時、「話者」が書いた、《あれほど説得的で、完璧な》手紙に返事を書こうとさえしないことがあった。(……)

六、ヴェルデュラン氏はコタールについて二通りのいい方をする。コタール教授のことを相手があまり知らないと見てとると、コタールのことを褒めそやす。しかし、相手が知っている時は、逆の方法を取り、コタールの医学上の才能について、ごく素気ない態度を示す。

七、発汗は腎臓に害があるということをある立派な学者の本で読んだばかりの時、「話者」はE博士に会う。すると、彼は、《汗が大量に出るこの暑い季節の利点は、それだけ腎臓の負担が軽減されるという点である》と断言する。以下、同様。(ロラン・バルト「研究の構想」『テクストの出口』所収)

ここでロラン・バルトは第一巻「スワン家のほうに」にあるわたくしにはもっとも印象的なルグランダンの例を挙げていない。スノビズムに火のような毒舌を吐く、憂愁を知った青い眼をもつ、物思わしげな、高尚で繊細なルグランダンが、貴族との挨拶に「異常なまでの活気と熱烈をあらわす」ひどい俗物であることを。だがこのような例はプルーストの小説には枚挙のいとまがない。



【最も淫らな強迫観念】


最後に「厚顔無恥「を恐れず、重ねて精神分析理論から「最も淫らな強迫観念」、義務としての愛を語る比較的若い時に書かれたジジェクの文を引用しておこう。


……無条件の義務の哲学者であるカントが知らなかったものを、通俗的でセンチメンタルな文学、今日のキッチュはよく知っている。このことは別に驚くにあたらない。というのも、〈意中の婦人〉への愛を至高の義務と見なす「宮廷恋愛(騎士道恋愛)」の伝統が今なお生きているのは、まさしくそうした文学の世界なのである。コリーン・マッカロウの『淫らな強迫観念』には、宮廷恋愛ジャンルの典型的な例が見られる。この小説はまったく読むに耐えないもので、そのためにフランスでは叢書「ジェ・リュ(私はもう読んでしまった)」の一冊として出版された。この小説の時代は第二次世界大戦の末期、主人公は、太平洋岸にある小さな病院で精神病者の世話をしている看護婦である。彼女は職業上の義務と、ひとりの患者への愛との葛藤に引き裂かれている。小説の結末で、彼女は自分の欲望を理解し、愛を断念して、義務へと戻る。一見すると、なんの面白みもまにモラリズムのように見える。義務が恋愛感情に打ち勝ち、義務のために「病的な」恋愛が断念されるのだから。しかしながら、この断念にいたる動機の描写はもう少し複雑で微妙である。小説の結びは次のようになっているーー

彼女にはそこに義務があった。(……)それはたんなる仕事ではなかった。そこには彼女の心がこもっていた。しかも奥深く。それが彼女が本当に願っていたことだった。(……)看護婦ラングトリーはふたたび歩きはじめた。颯爽と、恐れることなく、彼女はついに自分自身を理解した。そして、義務こそ、最も淫らな強迫観念であり、愛の別名であることを理解した。

このように、ここにあるのは真に弁証法的・ヘーゲル的反転である。義務そのものを「愛の別名にすぎない」と感じたとき、愛と義務の対立が「止揚される」。このどんでん返しーー「否定の否定」――によって、最初は愛の否定であった義務が、世俗的な対象に対する他のすべての「病的な」愛を廃棄する至高の愛と合致し、ラカンの用語を使えば、他のすべての「ふつうの」愛の〈クッションの綴じ目 point de caption〉として機能する。義務そのものが根源的に猥褻なのだということを経験した瞬間、義務と愛との拮抗、すなわち義務の純粋性と恋愛感情の病的な猥褻性あるいは淫乱性との拮抗は解消する。

小説の最初のほうでは、義務は純粋で普遍的であり、恋愛感情は病的で、個別的で、淫らである。ところが最後のほうになると、義務こそが「最も淫らな強迫観念」であることが明らかになる。ラカンのテーゼ、すなわち、〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない、〈物自体 das Ding〉、つまり残虐で猥褻な〈物自体〉による「淫らな強迫観念」の仮面にすぎない、というテーゼは、そのように理解しなければならないのである。〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である。〈悪〉は特定の「病的な」位置をもたないのである。〈物自体 das Ding〉、が淫らな形でわれわれに取り巻き、事物の通常の進行を乱す外傷的な異物として機能しているおかげで、われわれは自身を統一し、特定の現世的対象への「病的な」愛着から逃れることができるのである。「善」は、この邪悪な〈物自体〉に対して一定の距離を保つための唯一の方法であり、その距離のおかげでわれわれは〈物自体〉に耐えられるのである。(ジジェク『斜めから見る』P299-300)

《いや、きみ(ダーシャ)の望みが何か、ついぞ察しがつかなかったよ。きみがぼく(スタヴローギン)に関心をもつのは、ちょうど年とった看護婦が、なぜかある一人の患者に、ほかの患者よりもよけいに関心をもつことがあるだろう、いや、もっとうまく言えば、あちこちの葬式に立ち会ってきた巡礼の婆さんが、遺体はいろいろあるのに、どれか一つの遺体を妙に好くような、そんなものだと思っていたよ。なぜそんな目でぼくを見るんだい?》(『悪霊』 上 P461)



 …………

※附記

【小林秀雄『ドストエフスキーの生活』】



《ある人は他のある人に対する特定の人間関係において、善人となり、また悪人となる。》(森有正『ドストエフスキー覚書』)

「この潔癖な哲学者(ストラアホフ)は、ドストエフスキイの性格の「奇妙な分裂」には、余程手を焼いたらしい。彼はトルストイに宛てて次の様に書いている。

「拙著『ドストエフスキイ伝』、お受け取り下さったと思います。お暇の折、御一読、御意見をお洩しくだされば幸甚に存じますが、これについて一言私から申し上げて置きたい事があります。私はこの伝記を執筆しながら、胸中に湧き上がる嫌悪の情と戦いました、どうかしてこの嫌な感情に打ち勝ちたいと努めました。(中略)ドストエフスキイは、意地の悪い、嫉妬深い、癖の悪い男でした。苛立たしい興奮のうちに一生を過ごしてしまったと思えば、滑稽でもあり憐れでもあるが、あの意地の悪さと利口さを思えば、その気にもなれません。(中略)スイスにいた時、私は、彼が、下男を虐待する様を、眼のあたりに見ましたが、下男は堪えかねて、『私だって人間だ』と大声を出しました。(中略)これと似た様な場面は、絶えず繰返されました。それというのも、彼には、自分の意地の悪さを抑えつける力がなかったからです。・・・・ある日、ヴィスコヴァトフが来て話した事ですが、或る女の家庭教師の手引きで、或る少女に浴室で暴行を加えた話を、彼に自慢そうに語ったそうです。動物の様な肉欲を持ちながら、女の美に関して、彼が何も趣味も感情も持っていなかった事に注意願いたい。・・・・長い間付き合っているうちには、一切を許してしまえる様な人柄を、相手に見つけ出す事も出来るのです。心からの善意の動きとか、悔悟の一瞬とかいうものは、凡てを水に流すものです。フョオドル・ミハエイロヴィッチについて、そういう或る思い出でもあったら、私は彼を許したでしょうし、彼に対して私は愉快な男にもなれたでしょう。頭で作り上げた愛、文章の上の愛しか持たぬ人間を、偉人だと人に信じさせる事は、一体何という嫌なことでしょうか。」(1883年12月)

 これを書いた人間は、この小説家の臨終を看取るまで、二十年間のドストエフスキーの友であった事を思う時、誰の心のうちにも、冷たい風が通るであろう。ここにあるのは、凡庸な一思想家と天才との間にある埋める事の出来ない単なる隔りか。ストラアホフの眺めたものは、ドストエフスキーの或る反面だろうか。例えば、トルストイに、良人の性格を質問された時に、ドストエフスキーの妻が答えた様に、「良人は人間の理想というものの体現者でした。凡そ人間の飾りとなる様な、精神上、思想上の美質を、彼は最高度に備えていました。個人としても、気の好い、寛大な、慈悲深い、正しい、無欲な、細かい思いやりを持った人でした」(1885年)という言葉も嘘ではないのだろうか。人は好んで或る人の反面という言葉を使いたがる。妙な言葉だ。ドストエフスキーも親友と妻とに、巧く反面づつ見せたものである。ヴィスコヴァトフが、ストラアホフに語った話は、この事件をドストエフスキー自身、ツルゲネフの許で懺悔したという同形の逸話が伝えられているほど有名なもので、事の真偽を調べ上げようと、いろいろ努めている評家もあるが、無論わからない。わかったところで何になろう。単なる事実が逸話より真実だとは限らない。・・・・・・それにしても、この文学創造の魔神に憑かれたこの作家にとって、実生活の上での自分の性格の真相なぞというものが、一体何を意味したろう。彼の伝記を読むものは、その生活の余りの乱脈に眼を見張るのではあるが、乱脈を平然と生きて、何等これを統制しようとも試みなかった様に見えるのも、恐らく文学創造の上での秩序が信じられたが為である。若し彼が秩序だった欠点のない実生活者であったなら、彼の文学は、あれほど力強いものとはならなかったろう。芸術の創造には、悪魔の協力を必要とするとは、恐らく彼には自明の理であった。若しそうなら、ストラアホフは自分の仕事を嫌悪すべき仕事と言っているが、ドストエフスキイは、遥かに嫌悪すべき仕事を仕遂げて死んだとも言えよう。」(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』「6恋愛」)

この小林秀雄の文章は、驚くほど多くのことを語ってしまっている。もちろんここにフロイトの言葉、ドストエフスキーは《小さな事柄においては外にたいするサディストであったが、大きな事柄においては、内にたいするサディスト、すなわちマゾヒストであり、もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間だったのである》の巧みな翻訳を読むこともできよう。あるいはニーチェの言葉の翻訳を。

わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

小林秀雄は『ドストエフスキイの生活」を書くために十年近くかかっている。わたくしの如き何年かぶりの再読をしただけの散漫な読者が数日後になにやら書けば、感想文のようなことしかいえないのに決っている。スタヴローギンの一貫した性格を『悪霊』から読みとるのは「文学とは無縁の資質」としたが、わたくしもダーシャの一貫した性格を読みとろうとする同じはしたない真似をしているのは十分に自覚している。


…………

断片的に引用したスタヴローギンの決闘のあとのダーシャとの会話をもう少し長く付記しておく。


「ぼくは前からきみと会うのをやめようと思っていてね、ダーシャ……ここのところ……当分は。きみから手紙をもらったけれど、ゆうべはきみに来てもらえなかった。ぼくのほうからも手紙をしたかったんあが、手紙は苦手なのでね」彼はいまいましげに、というよりむしろいまわしげにこうつけ加えた。

「わたしも、お会いするのはやめなければと思っていました。ワルワーラさまが、わたくしたちの仲をひどく疑っていらっしゃいます」

「なあに、疑るのは勝手さ」

「ご心配をかけるのはいけません。では、今度は最後のときまでですのね?」

「まだその最後のときを当てにしなくちゃいられないのかい?」

「ええ、わたしは信じているのです」

「この世の中には終りのあるものなんてないさ」

「これには終りがあります。その最後のときに声をかえてくだされば、わたし、参ります。いまはお別れです」

(……)

「あなたはもう一人の……気の違った方を破滅させはなさらないでしょうね?」

「気違い娘は破滅させないさ、あれも、もう一人もね。しかし正気な娘は、破滅させるかもしれない。ぼくはね、ダーシャ、おそろしく卑劣で醜悪だから、ひょっとしたら、きみが言うように、『最後のおしまいのときに』、ほんとにきみを呼ぶかもしれない。そしてきみも、そんなに賢いくせに、やってくるだろうね。どうしてきみは自分で自分を滅ぼすんだい?」

「最後にはわたし一人があなたのおそばに残ることになるのがわかっていますから……それを待っているんです」

「でも、もし結局ぼくがきみを呼ばないで、きみから逃げてしまったら?」

「そんなことはありません、呼んでくださいます」

「ずいぶんぼくを軽蔑した言い方だな」

「軽蔑だけでないことをご存じのくせに」

「してみると、軽蔑もやはりあるわけか?」

「わたしはそんなつもりでは言いませんでした。神さまがご存じです。あなたがけっしてわたしなど必要に感じられないよう、心から願っています」

「言葉には言葉のお返しをしなくちゃな。ぼくも、きみを破滅させることのないように願っているよ」

「あなたがわたしを破滅させるなんて、どうしたってできるはずはありません、それはあなたご自身がだれよりもよくご存じのはずです」ダーリヤは早口に、きっぱりと言った。「もしあなたのところへ参れなければ、わたしは看護婦に、付添い看護婦になって、病人の世話をするか、本売りになって、福音書を売って歩くかします。わたしはそう決めたんです。わたしはだれの妻になることもできませんし、こういう家に住むこともできません。わたしの望みはちがうんです……あなたは何もかもご存じのくせに……」

「いや、きみの望みが何か、ついぞ察しがつかなかったよ。きみがぼくに関心をもつのは、ちょうど年とった看護婦が、なぜかある一人の患者に、ほかの患者よりもよけいに関心をもつことがあるだろう、いや、もっとうまく言えば、あちこちの葬式に立ち会ってきた巡礼の婆さんが、遺体はいろいろあるのに、どれか一つの遺体を妙に好くような、そんなものだと思っていたよ。なぜそんな目でぼくを見るんだい?」

「ひどくお加減が悪いんですのね?」なぜかまじまじと彼の顔をのぞきこみながら、同情をこめて彼女はたずねた。「ああ! それだのにこの人は、わたしがいなくてもいいだなんて!」

「いいかい、ダーシャ、ぼくはこのごろよく幻覚をも見るんだよ。きのうも小さな悪魔めが、橋の上で、レビャートキンとマリヤを殺して、正式の結婚になんぞけりをつけてしまえ、後ぐされのないようにしろ、とぼくに勧めるのさ。その手つけとして銀三ルーブリ請求されたがね、この荒療治はすくなくとも千五百にはつくと、あからさまに匂わしたよ。えらく勘定高い悪魔でね! 帳簿係さ! は、は!」

「でも、それが幻覚だったと、はっきり信じていらっしゃいますの?」

「いやいや、幻覚でもなんでもありゃしない! そいつは懲役人フェージカなのさ、徒刑から逃げだした強盗だよ。しかし、そんなことが問題なのじゃない。そこでぼくがどうしたと思うね? ぼくは紙入れにあっただけの金をやつにくれてやったのさ、だからやつは、ぼくから手つけをもらったものと思いこんでいるだろうさ!……」

「あなたは夜中にその男とお会いになって、そんなことを勧められたんですね? あなたにはおわかりにならないんですか、あの人たちの張った網にあなたがすっかり取りこまれているのが?」

「なに、好きなようなさせておくさ。ところで、きみの舌の先は何かぼくに聞きたいことがあって、むずむずしているようじゃないか、目を見ればわかるよ」いらだたしげな毒々しい笑いを浮かべて、彼はこうつけ加えた。

ダーシャはぎくりとなった。

「聞きたいことなんてありません、疑問に思うこともなんにもありません、それより黙っていてください!」彼女は、その聞きたいことを払いのけようとでもするように、不安げな声で叫んだ。

「というと、ぼくがフェージカに会いに居酒屋へなんぞ行かないと信じているんだね?」

「ああ、なんてことを!」彼女は両手を拍ち鳴らした。「なんでわたしをそんなにお苦しめになるんです?」

「いや、たちの悪い冗談を言って悪かった、きっと、あの連中から悪い癖がうつったんだね。実は、ゆうべからやたらと笑いたくてね、休みなしで長いこと大笑いをしてみたいんだ。まるで笑いを体に仕掛けられたみたいさ……ちょっ! おふくろが帰ってきたな、おふくろの馬車が玄関に止ると、音だけでもうわかるんだ」

ダーシャは彼の手をつかんだ。

「神さまがあなたを悪魔からお救いくださいますように、そして呼んでください、すこしも早くわたしを呼んでください!」

「ふん、ぼくの悪魔がなんだ! ほんのちっぽけな、きたならしい、瘰癧やみの小悪魔で、おまけに鼻風邪までひいたできそこないさ。だけど、ダーシャ、きみはまた何か言いだしかねているね?」

彼女は苦痛と非難をこめて彼を見つめ、戸口のほうを向いた。

「待てよ!」毒々しい笑いに顔をゆがめて、そのうしろから彼が叫んだ。「もしも……いや、要するにもしもさ……わかるだろう、つまり、もしもぼくが居酒屋へ出かけて、そのあとできみを呼んだとしたら、きみは居酒屋のそのあとでも来てくれるかい?」

彼女は振返りもせず、答えようともせず、顔を両手で覆って出ていった。

「居酒屋のあとでも来るな!」ちょっと思案してこうつぶやいた彼の顔に、いとわしげな軽蔑の表情が浮んだ。「付添い看護婦か! ふむ!……もっとも、おれに必要なのはそれなのかもしれん」(『悪霊』上 P458-463)