このブログを検索

ラベル リルケ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル リルケ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年11月11日火曜日

血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉

もうその手の話は、わたくしは厭きた。だがそこの〈きみ〉への応答のために最後の「糖果入りの壺」を贈ろう。

(わたしは)小さな愚行やはなはだ大きい愚行がわたしに加えられても、一切の対抗策、一切の防護策を―――従って当然のことながら一切の弁護、一切の「弁明」を禁ずるのである。わたし流の報復といえば、他者から愚かしい仕打ちを受けたら、できるだけ急いで賢さをこちらから送り届けるということである。こうすれば、たぶん、愚かしさの後塵を拝せずにすむだろう。

比喩を使っていうなら、わたしは、すっぱい話にかかりあうことをご免こうむるために、糖果入りのつぼを送るのである。……わたしに何かよからぬことをしてみるがいい。まちがいなく、わたしはそれにたいしてこういう「報復」をする。つまり、わたしはほどなく、その「犯人」に(ときにはその犯行にたいして)わたしの感謝を表明する機会をみつけるのである―――もしくは、その犯人に何かを頼む機会をみつけるのである。この方が、こちらから何かを進呈するよりいんぎんでありうるのだ。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

以下、すべて引用ですませておく。わたくしはいま忙しいのだ。

 …………
人間存在は、この夜、その単純さの中にすべてを包含しているこの空無である。そこには表象やイメージが尽きることなく豊富にあるが、そのどれ一つとして人間の頭に、あるいは彼の眼前にあらわれることはない。この夜。変幻自在の表象の中に存在する自然の内的な夜。この純粋な自己。そこからは血まみれの頭が飛び出し、あちらには白い形が見える。(…)人は他人の眼を覗き込むとき、この夜を垣間見る。世界の夜を対立の中に吊るす、恐ろしい夜。(ヘーゲル『現実哲学』草稿)

サド(サン=フォン) : 《もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう》 (『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

……隣人を倫理的に飼い慣らしてしまうという誘惑に負けてはならない。たとえばエマニュエル・レヴィナスはその誘惑に負けて、隣人とは倫理的責任への呼びかけが発してくる深遠な点だと考えた。レヴィナスが曖昧にしているのは、隣人は怪物みたいなものだということである。この怪物性ゆえに、ラカンは隣人に〈物das Ding〉という用語をあたはめた。フロイトはこの語を、堪えがたいほど強烈で不可解な、われわれの欲望の究極の対象を指す語として用いた。(……)隣人とは、人間のおだやかな顔のすべてから潜在的に垣間見える(邪悪な)物〉である。(ジジェク『ラカンはこう読め』p81

おわかりだろうか? 偽の正義の味方、おろかな猿たちよ、きみたちにも〈隣人〉がいないわけではあるまい?

フロイトが、まるで恐れをなしたかのように、隣人愛の掟がもたらす帰結の前で立ち止まるたびに、浮かび上がってくるもの、それはこの隣人のうちに宿るあの深い悪意の現前にほかならない。ところが、そうであるとすれば、この悪意は私自身のうちにも宿っている。いったいどんなものが、私の享楽の核心であるところのこの私自身のうちの核心以上に、私に近しいというのか? ただし私は、この核心にあえて近づこうとはしない。というのも、私がそれに近づくやいなや――それこそが『文化のなかの居心地悪さ』の意味である――あの測深しがたい攻撃性が現れてくるからであり、私はそれを前にして後ずさりし、それを私自身に向け直すのである。そうすると、この攻撃性は、消え入ってしまった〈法〉にまさに代わって、 〈物〉の限界にあるひとつの境界線を私が踏み越えることを妨げるものに、重さを与えにやってくるのである。 」 (ラカンSVII, 219)
 何よりも毒性が高いのは〈隣人〉という存在、その欲望とみだらな快楽の深淵である。したがって、人間関係を支配するあらゆる法則の究極の目的は、この毒 性を隔離もしくは中和して〈隣人〉を同胞に転じることだ。(他者という、もうひとつの)主体にあるかもしれない毒性をさがすだけでは不十分だ。自己という 主体自体が、その内部の〈大文字の他者〉という深淵に毒性をたたえているのだから。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』p82)

ここにあるように、〈隣人〉とは、悪をなした他人その人ではなく、大文字の〈他人〉である。フロイトを挿入しよう。

ランク(1913年)はちかごろ、神経症的な復讐行為が不当に別の人にむけられたみごとな症例を示した。この無意識の態度については、次の滑稽な挿話を思い出さずにはいられない。それは、村に一人しかいない鍛冶屋が死刑に値する犯罪をひきおこしたために、その村にいた三人の仕立屋のうちの一人が処刑されたという話である。刑罰は、たとえ罪人に加えられるのではなくとも、かならず実行されなければならない、というのだ。(フロイト『自我とエス』著作集6 P288)

おわかりであろうか? きみたちの〈正義〉なるものの根源を。

人間の歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという理由から刑罰が加えられたことはなかったし、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたこともなかった。――むしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りからして刑罰は行なわれたのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』 木場深定訳 P70)

攻撃欲動の標的が外部に見当たらなければ、自己破壊に向かうということはあり得る。ナチに拷問された生存者たちが自殺衝動に襲われるように。


…………

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十分に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。だが同時に、彼らは“非合理的な”罪の意識にとり憑かれる(それは単にそれ以上のようにして)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやるのだ。これが露わにしているのは、最も純粋な超自我の審級である。不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

 


Recall the strange fact, regularly evoked by Primo Levi and other Holocaust survivors, about how their intimate reaction to their survival was marked by a deep split: consciously, they were fully aware that their survival was the result of a meaningless accident, that they were not in any way guilty for it, that the only guilty perpetrators were their Nazi torturers. At the same time, they were (more than merely) haunted by an irrational feeling of guilt, as if they had survived at the expense of others and were thus somehow responsible for their deathsas is well known, this unbearable feeling of guilt drove many of them to suicide. This displays the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of selfdestruction.
超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的なを途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。

 


The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our beinghuman, the inhuman core of beinghuman, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.
レヴィナスにとって、主体を非中心化する根源的に異質な現実界的〈モノ〉のトラウマ的侵入は、倫理的な〈善〉の〈呼びかけ〉と同じものだ。他方、ラカンにとっては、逆に、原初の“邪悪な〈もの〉”であり、〈善〉のヴァージョンには決して昇華されえない何か、永遠に不安にさせる切り傷のままの何かなのである。こういったわけで、倫理的な呼びかけの出処としての〈隣人〉の飼い馴らしには、〈悪〉の復讐が横たわっている。“抑圧された〈悪〉”は、倫理的呼びかけ自体の超自我の歪曲の見せかけとして回帰する。

 


For Levinas, the traumatic intrusion of the radically heterogeneous Real Thing which decenters the subject is identical with the ethical Call of the Good, while, for Lacan, on the contrary, it is the primordial evil Thing, something that can never be sublated into a version of the Good, something which forever remains a disturbing cut. Therein lies the revenge of Evil for our domestication of the Neighbor as the source of the ethical call: the repressed Evil returns in the guise of the superego's distortion of the ethical call itself.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳)

きみたち仔羊のために穏やかな衣裳をまとったリルケをも引用しておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(リルケ『マルテの手記』)


 さてプリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちの自殺衝動」に戻ろう。きみたちには「死んだ人に申し訳ない」という生存者罪悪感はないのか?そうであるならそれを仔羊の人生という。


一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。

PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。

しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)


ヤスパースは《「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。》


おわかりだろうか、レヴィナスの寝言があまりにも寝言すぎるのが。あるいはヤスパースの「形而上の罪」の厚顔無恥な寝言ぶりを。

ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。

第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。

第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)

つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。

第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。

最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。

この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(『トランスクリティーク』P190の註より)

おわかりだろうか、ヤスパースのなんたる寝言カント解釈を。きみたち猿の〈正義〉は、このヤスパースをさらに四周ほど寝言にしたものだ。「寝言は寝てから言え」!

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

カントはその『純粋理性批判』において、否定判断と無限判断という重要な区別を導入した。

「魂は必滅である」という肯定文は二通りに否定できる、述語を否定する(「魂は必滅でない」)こともできるし、否定的述語を肯定する(「魂は不滅である」)こともできる。

この両者の違いは、スティーヴン・キングの読者なら誰でも知っている、「彼は死んでいない」と「彼は不死だ」の違いとまったく同じものだ。無限判断は、「死んでいる」と「死んでいない」(生きている)との境界線を突き崩す第三の領域を開く。「不死」は死んでいるのでも生きているのでもない。まさに怪物的な「生ける死者」である。

同じことが「人でなし」にもあてはまる。「彼は人間ではない」と「彼は人でなしだ」とは同じではない。「彼は人間ではない」はたんに彼が人間性の外にいる、つまり動物か神様であることを意味するが、「彼は人でなしだ」はそれとはまったく異なる何か、つまり人間でも、人間でないものでもなく、われわれが人間性と見なしているものを否定しているが同時に人間であることに付随している、あの恐ろしい過剰によって刻印されているという事実を意味している。おそらく、これこそがカントによる哲学革命によって変わったものである、という大胆な仮説を提出してもいいだろう。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

2014年10月7日火曜日

ニーチェの「生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった」(ヴァレリー)

ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった。

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』Nietzsche et Valery : sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

 …………

わたしは、ギリシア語でいえば、いや、ギリシア語で言わなくてもそうだ、アンチクリスト(反キリスト者)なのだ……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳 P82)

訳者注にはこうある。《アンチクリストーーAntichristは、元来、新訳聖書に見える語(ヨハネの第一の手紙、二の一八)なので、「ギリシア語で」と言ったのである。「非キリスト教徒」の意味。》


アンチクリストとはキリストに反することではなく、反キリスト教徒、あるいは非キリスト教徒のことのようだ。

もっともヨハネの手紙はいろいろな解釈があるようだが(たとえばカルヴァン解釈とそれに異議をとなえるベルクーワ解釈)。ーーなどということはわたくしは残念ながらあまり関心がない。


私はキリスト教のまがいのない歴史を語ろう。--「キリスト教」という言葉からして、すでに誤解である、--つきつめたところ、キリスト教徒はただ一人しかいなかった、そしてその人は十字架の上で死んだのである。「福音」は十字架の上で死んだのだ。この瞬間以後、「福音」と呼ばれているものは、すでに、彼が生きていたものの正反対であった、「悪しき音信〔おとずれ〕」、禍信であった。

「信仰」において、たとえばキリストによる救いといったことを信ずることにおいて、キリスト教徒のしるしを見る者があるなら、それは馬鹿らしいほど間違っている。

ただキリスト的実践のみが、十字架上で死んだ人が生きたような生活のみが、キリスト教的なのだ……

今日でもなおそのような生活は可能である。ある種の人間には必要でさえもある。まがいのない、根源的なキリスト的精神は、いつの世にも可能であろう……(アンチクリスト 三九節 秋山英夫訳)

 ここにある「ある種の人間」とはどんな種類の人間だろう。ニーチェが、反キリスト教徒Antichristであるのは、唯一のキリスト教徒、十字架の上で死んだ男の跡継ぎは、ニーチェ自身しかいないと主張してはいないか。ーーいやいやそんな馬鹿げたことを言うつもりはない。ツァラトゥストラや「超人」が跡継ぎなのだ、と断言するのもここでは避けておこう。

(一)……救世主〔キリスト〕はわれわれの代わりに、われわれの罪を引き受けて死に給うた! すくなくとも聖パウロの解釈はこうである。そしてこの解釈が〈教会〉のうちで、また歴史において勝利をおさめたのだ。だからキリストの殉教は、ディオニュソスの殉教とは真向から対立する。前者の場合には生は裁かれ、罪を贖わねばならない。後者の場合、生はそれ自身充分正しく、一切を正当化するのである。従って「十字架にかけられた者に対抗するディオニュソス」と言われる。――(二) しかしもしひとが、いま述べたようなパウロ的な解釈の下に、キリストの個人的な類型がどのようなタイプであるかを探すとすれば、キリストはあるまったく異なった様式で「ニヒリズム」に属するのだということがよくわかる。彼は温和で、歓びに充ち、あらゆる罪過に無関心で、非難も断罪もしない。彼はただ死ぬことを望み、死を願う。そのことによってあkれは、聖パウロよりもはるかに進んでいることを証明している。既に彼はニヒリズムの最高の段階を、〈最後の人間〉のそれを、あるいは〈滅びようと望む人間〉のそれさえも表象している。ディオニュソス的な価値転換に最も近い段階を示すのである。キリストは「デカダンたちのうちで最も興味深い者」であり、一種の仏陀である。彼は価値転換が可能となるようにする。この観点からすれば、ディオニュソスとキリストの統合が、「ディオニュソス – 十字架にかけられた者」が、それ自身可能となる。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 P81)





「福音」の全身理学のうちには負い目と罰という概念はない、同じく報いという概念もない。「罪」、神と人間とのあいだを分かついずれの距離関係も除去されている、--まさしくこれこそ「悦ばしき音信」なのである。浄福は約束されるのではない、それは条件に結びつけられるのではない、それは唯一の実在性なのであるーーその他は、それについて語るための記号である。

そうした状態の結果は一つの新しい実践、本来的に福音的な実践のうちに投影される。「信仰」がキリスト者を区別するのではない。キリスト者は行為し、異なった行為によって区別されるからである。キリスト者は、おのれに悪意をいだく者に、言葉によっても心のうちでも手向かわないということ。キリスト者は、異教人と同郷人とのあいだに、ユダヤ人と非ユダヤ人とのあいだになんらの区別をもおかないということ(「隣人」とはもともと信仰の仲間、ユダヤ人のことである)。キリスト者は、誰にも立腹せず、誰をも軽蔑しないということ。キリスト者は、法廷に姿をみせることもなければ、弁護をひきうけることもないということ(「誓うな」)。キリスト者は、どんなことがあっても、たとえ妻の不義が証明された場合でも、その妻を離縁しないということ。--すべてこられは根本においてただ一つの命題であり、すべてこれらはただ一つの本能からの結果であるーー

救世主の生涯はこうした実践以外の何ものでもなかった、--彼の死がまたこれ以外の何ものでもなかった・・・(ニーチェ『反キリスト者』三三節 原佑訳)





《「隣人」とはもともと信仰の仲間、ユダヤ人のことである》などという文がある。

このニーチェ解釈によれば、フロイトやラカンがあれほどゴネた「隣人」をめぐる議論は、十字架の上で死んだ唯一のキリスト教徒以外の「似非キリスト教徒」によって拡大解釈された「隣人」の議論ということになる。

「お前の隣人をお前自身のように愛せ」……。なぜそんなことをしなければならないのか。そんなことをして何の役に立つというのか。それに第一、そんなことはできようはずはないではないか。私の愛は私の貴重な財産なのだから。充分な理由もなしに大盤振舞いすることなど許されない。(……)

そんなことをすれば、私は間違いを犯すことになる。なぜなら、私の家族は私の愛を自分たちの持物だと思っているのだから。私がその他人をこれら家族の者たちと同列に置けば、私は自分の家族を不当に扱うことになる。けれども、その他人も昆虫・みみず・がらがら蛇などと同じくこの地上の生物であるという理由でどうしてもその他人を愛さなければならないとすれば、この他人に振り向けられる私の愛はごく微量だ。理性の判断にしたがうかぎり、私も私自身のために自分の愛の一定量を取っておく権利があるが、それだけの量の愛をこの赤の他人に振り向けることはとうていできない。(……)

まったくの話、あのご結構な命令が「お前の隣人がお前を愛するのと同じようにお前の隣人を愛せ」といっていたら、私はなんの異議もさしまさまないだろう。(……)

ところが、もっと不可解に思え、もっと激しい抵抗を感じさせる第二の命令がある。それは、「お前の敵を愛せ」というのだ。しかしよく考えて見ると、このほうがもっと不当な要求だといって退けるのは当たらない。なぜなら、これら二つの要求は、根本においては同じことをいっているのだから。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3)
人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛本能が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃本能も含まれていると言っていいということである。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在であるばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でも あるのだ。「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。通例この残忍な攻撃 本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは 阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する 種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人―― の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件まで を想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。(同フロイト『文化への不満』)

→《もし私が諸君にどこからこのテクストを抜き出してきたのかあらかじめ告げていなかったとしたら、これはサドのテクストだと言って通すこともできたかもしれない。 》 (ラカン SVII, 217)

サド(サン=フォン) : 「もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう」 (澁澤龍彦訳)


リルケの「隣人」にも登場ねがっておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(『マルテの手記』)

ーーこれはたぶん大山定一訳だと思うが、いま確認しがたい(文庫本がみつからない。わたくしは『マルテの手記』は四種類の邦訳をなぜかもっている)。


愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく/おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、/……/思ってはいけない、運命は幼い日の密度よりゆたかだと。/いかにしばしばおんみらは恋人を追いぬいたことか、いかなる獲得をも目ざさず、/ただ自由の世界へ突きすすむ至福の疾駆に息をはずませながら。/……/ただわれわれは、笑いさざめく隣人たちが/承認してはくれぬもの、うらやんではくれぬものを忘れやすいのだ。疑いようのないものとして/われわれは隣人たちに承認された幸福を高くかかげようとする。疑いようのない幸福が/われわれに顕現するのは、ただわれわれがそれをわれわれの内部において変化さすときだけなのに。/……/天使よ、そしてたとい、わたしがおんみを求愛〔もと〕めたとして! おんみは来はしない。なぜならわたしの/声は、呼びかけながら、押しもどす拒絶〔こばみ〕につねに充ちているのだから。このように強い/気流に逢ってはおんみはそれを冒して歩みよることはできない。さながら高くさしのべられた/腕だ、わたしの呼びかけは。そして摑もうとして花さいた指は、/捉ええぬもの天使よ、おんみを前にして/大きく押しひろげられたままなのだ/さながら拒否と警告のしるしとして。(リルケ『ドゥイノの悲歌』「第七の悲歌」(手塚富雄訳)




2014年9月21日日曜日

咲き出でる樹木の白い「死」

ややメモが溜まってきたのでいくつかの下書きを吐き出す。

…………

@hoshinot: すごい言葉を見つけてしまった!「死んでる組織と生きてる組織があるのが木。生きてる組織だけなのが草花です。」ーいとうせいこう・竹下大学『植物はヒトを操る』より。木というのは中心が死んでいるのだそうだ。木は世界そのもの! http://t.co/hpOd63BYrI
@seikoito: 今日、星野智幸君が紹介してくれた「植物はヒトを操る」で竹下大学さんに教わったことは他にも色々あって、純白の花は自然界になく、突然変異でアルビノが出ても虫には見えない。だから虫媒されない。いわば人に好きにさせて人で増える。http://t.co/nxw1MKKCus
@seikoito: あと、前に森林専門家に聞いたら鹿が樹皮をぐるりと剥がして食べちゃうと、木は全血管を切られたように立ち枯れる。樹皮は「現在」の生命で、その内側はいわば樹木の「過去」が固化したもの。鹿は「現在」を断ち切るだけで、時間の堆積した森全体を素早く破壊してしまう。 (いとうせいこう)

木というのは中心が死んでいる》だって?
《樹皮は「現在」の生命で、
その内側はいわば樹木の「過去」が固化したもの》だって?

樹木の内側だって年々大きくなっていくんじゃないのか
年輪は年毎に変貌していくのじゃないのか

わたくしの「凡庸」な頭には理解できないところがある
にもかかわらず
草花よりは樹木のほうを「特権的」に愛する
そして白い花が咲く樹木をなによりも好むわたくしには
なんとも魅惑的な言葉だ

当地に来て最初に魅せられたのはインドソケイ(プルメリア)の樹だった





そうだな、まずあそこにはリルケがいる

死とは私たちに背を向けた、私たちの光のささない生の側面です。私たちは私たちの存在の世界が生と死という二つの無限な領域に跨っていて、この二つの領域から無尽蔵に養分を摂取しているのだという、きわめて広大な意識をもつように努めなければなりません。まことの生の形体はこの二つの領域に跨っているのであり、この二つの領域を貫いて、きわめて広大な血の循環がなされているのです。此岸というものもなければ彼岸というのもありません。あるのはただ大いなる統一体だけで、そこに私たちを凌駕する存在である『天使』が住んでいるのです。(富士川英郎・高安国世訳『リルケ書簡集2:1914–1926』――『ドゥイノの悲歌』の翻訳者への書簡らしい)

白い花とは樹木の体の中に宿る「神」や「天使」が咲き出でたのではなく
「死」が咲き出でたーー、それでどうしていけないわけがあろう


噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』第六 手塚富雄訳)

もっとも《純白の花は自然界になく》とあるように、
突然変異や人工的な花以外は
どの白も虫媒されない純粋な死の花ではない
ただ喚起されたイメージからの話である

そして花はなにも白でなくても、
すべて死のメタファーであるかもしれない、
という観点はここでは脇にやりつつの話だ。

例えばリルケが「薔薇の花、純粋な矛盾、おびただしい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽」と語るとき、薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという冷酷な現実を再帰させ、しかし次の瞬間、その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、そこに「悦楽」‐幻想を残していく。(樫村晴香『ドゥルーズのどこが間違っているか?』)
薔薇よ、あゝ、純然たる撞着、いや歓喜〔よろこ〕びよ、
それすなわち、あまた伏せられた瞼の下で、
誰しの眠りにもあらぬことの。

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter
soviel Lidern.

— (in seiner letztwillige Verfügung, Oktober 1925.)

樫村晴香とはあまり知られていない名かもしれないが
オレとほぼ同年、かつては浅田彰との対談もある
今は仏で肉体労働?やったり、
ミャンマーの山奥で瞑想しているなどということもあるらしい
奥さんのラカン派である愛子さんは、
オレの故郷の私立大学で教師をやっている。





純白にみえる香高いジャスミンの花も
純粋の白ではないということなのだろう
突然変異でアルビノが出た花ではない
虫には見えない花ではない

庭にある何本かのジャスミンは多くの蝶が寄ってきて
油断をすると貪食な幼虫に一晩で葉を食い尽くされてしまう




チューリップの新品種「アルビノ」とは虫には見えないということなのか
ちょっとそのあたりがわたくしにはよくわからない





「ハクモクレン」が登場したところで、この文は、「逃げ水と海へ向かう道」の続きものでもあるのだが、その関連はあえて示さないでおこう。


…………

死というのは一点ではない、生まれた時から少しずつ死んでいくかぎりで線としての死があり、また生とはそれに抵抗しつづける作用である。(フーコー『臨床医学の誕生』(ビシャの言葉引用から)



女が孕んで、立っている姿は、なんという憂愁にみちた美しさであったろう。ほっそりとした両手をのせて、それとは気づかずにかばっている大きな胎内には、二つの実が宿っていた、嬰児と死が。広々とした顔にただようこまやかな、ほとんど豊潤な微笑は、女が胎内で子供と死とが成長していることをときどき感じたからではないか。(リルケ『マルテの手記』)

孕み女の腹を撫でさするように樹肌を愛撫するのは
樹木の「死」の、樹木の「過去」の、
ひそかなざわめきを、掌でまさぐる仕草であったとして、
どうしてわるいことがあろう

昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。(同マルテ)

…………

鹿が樹皮をぐるりと剥がして食べてしまう、
すると木は全血管を切られたように立ち枯れる。
丸裸にされた樹木の「死」、あるいは「過去」!

――なんという豊かなイマジャリー
それはリルケの詩と同じくらい

……おお、幼年時代の日々よ
そのときわたしたちの見たもろもろの形象の背後には単なる過去
以上のものがあり、また、わたしたちの行手をおびやかす未来もなかった。
もちろんわれわれは刻々に生長した、ときにはより早く
生長しようと背のびした。。ひとつには成人であること以外には
なんの持ちあわせもない大人たちの喜びを買うために。
けれど、わたしたちがひとりで道を行くときには、
過去も未来もない持続をたのしみ、世界と
玩具とのあいだにある中間地帯の、
大初から、純粋なありかたのために設けられた
ひとつの場所に立ったのだ。
たれが幼いものを、そのあるがままの姿で示すことができよう。たれが
幼いものを星々のあいだに据え、遠隔の尺度をその手に
もたらすことができよう。たれがかたまりゆく灰いろのパンから
幼い死を形成することができよう。――またその死を
甘美な林檎の芯のように幼いもののまろやかな口に
含ませることができよう? ……殺害者たちを
見抜くのはたやすい。しかし死を、
全き死を、生の季節に踏み入る前にかくも
やわらかに内につつみ、しかも恨みの心をもたぬこと、
そのことこそは言葉につくせぬことなのだ。(ドゥイノ 第四の悲歌 手塚富雄訳)

…………

もっともいくら樹木を愛でても
次のような文に、若いうちからーーわたくしのように三十歳前後でーー
魅せられないほうがいいのかもしれないとは言っておこう。

だいたい章の心のなかには、古い大きな木の方が、 なまなかの人間よりよっぽどチャンとした思想を持っている、という考えがある。

厳密な定義は知らぬが、いま横行している思想などはただの受け売りの現象解釈で、 そのときどきに通用するように案出された理屈にすぎない。 現象解釈ならもともと不安定なものに決まってるから、ひとりひとりの頭のなかで変わるのが当然で、 それを変節だの転向だのと云って責めるのは馬鹿気たことだと思っている。

皇国思想でも共産主義革命思想でもいいが、それを信じ、それに全身を奪われたところで、 現象そのものが変われば心は醒めざるを得ない。敗戦体験と云い安保体験と云う。 それに挫折したからといって、見栄か外聞のように何時までもご大層に担ぎまわっているのは見苦しい。 そんなものは、個人的に飲み込まれた営養あるいは毒であって、 肉体を肥らせたり痩せさせたりするくらいのもので、精神自体をどうできるものでもない。

章は、ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう格好でやったか、やらなかったか、 または病苦や肉親の死をどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。 そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである。

章は、もともと心の融通性に乏しいうえに、歳をとるに従っていっそう固陋になり、 ものごとを考えることが面倒くさくなっている。一時は焼き物に凝って、 何でも古いほど美しいと思いこんだことがあったが、今では、 古いということになれば石ほど古いものはない理屈だから、 その辺に転がっている砂利でも拾ってきて愛玩したほうが余っ程マシで自然だとさとり、 半分はヤケになってそれを実行しているのである(藤枝静男「木と虫と山」)

中上健次の夏ふようの白い花に魅せられるくらいだったらいいさ。




空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに、その木には白い花が咲き、昼でも夜でもその周囲にくると白の色とにおいにひとを染めた。その木の横に止めたダンプカーに、秋幸は一人、倉庫の中から、人夫たちが来ても手をわずらわせることのないよう道具を積み込んだ。
光が撥ねていた。日の光が現場の木の梢、土に当たっていた。何もかも輪郭がはっきりしていた。曖昧なものは一切なかった。いま、秋幸は空に高くのび梢を繁らせた一本の木だった。一本の草だった。いつも、日が当たり、土方装束を身にまとい、地下足袋に足をつっ込んで働く秋幸の見るもの、耳にするものが、秋幸を洗った。今日もそうだった。風が渓流の方向から吹いて来て、白い焼けた石の川原を伝い、現場に上がってきた。秋幸のまぶたにぶらさがっていた光の滴が落ちた。汗を被った秋幸の体に触れた。それまでつるはしをふるう腕の動きと共に呼吸し、足の動きと共に呼吸し、土と草のいきれに喘いでいた秋幸は、単に呼吸にすぎなかった。光をまく風はその呼吸さえ取り払う。風は秋幸を浄めた。風は歓喜だった。(中上健次『枯木灘』)


2014年9月20日土曜日

逃げ水と海へ向かう道

不安がもだえそうに淡い炎がゆだっている
道端の青い小さな花を煮る六月十日は、
(ひそひそと話をしている)
(柑子の木のあたり、雨に濡れそぼって、ふたりで、小声で)
(おおそのうえ古語で、)
(聞き取れない話をしている。雨の庭の古い濡れた柑子の木のあたりで)
((ちがうよ、あれは鳩だよ))
(人の様な、くぐもってずっと話している。何十羽もいる。)
何十羽も鳩がいる。茂みのなかで鳴いている。
遠く潰れた緑のうえに、
誰かの面影が、こんもりと盛られて、動かないでいる。
今は時々きらっと反射して、
もうすぐ隠れて
見えなくなる。
暁方ミセイ「極楽寺、カスタネアの芳香来る」より)

ブログ「ハクモクレンの城」(暁方ミセイ)に次の画像が貼り付けてあるのをみて、はっとしてしまう。道の向こうにある半円の光の輝き。これはわたくしの「原光景」のヴァリエーションだ。






彼女の詩、ーー暁方ミセイの詩集が手元にあるわけではなく、
ウェブ上で僅かにめぐりあった詩の断片ということだが、
そのいくらかの詩行を想起しつつ
ここに暁方ミセイが「逃げ水」を見ていないと想像するのは難しい

真夜中はアスファルトに電気をまき散らし
昼間とは無関係の、
たとえば朝へは通じていない路地。
物の表面から溢れ、道に満ちてくる水。
これらの発育を助長する。
細胞と水と、
一瞬ずつ反応する神経が
私である。
同じ夜にいる、あなたの家の前を通る。

ーー暁方ミセイ「アンプ」

そして彼女とともに、草いきれのにおいだって嗅いでしまうのは、
わたくしの「転移」のし過ぎのせいか

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。 (ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』)

いや、むっとする草いきれを嗅ぎ取らないのは、
きみたちが文明人すぎるせいではないか
そして草いきれだって、オレには菌臭の一種さ

菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。(中井久夫「きのこの匂いについて」より『家族の深淵』所収ーー「赤い靴と玄牝の門」)

他の若い詩人たちの作品の断片もいくらか掠め読むことはあるのだが
(オレの場合、若い〈女〉の詩人だけだけどね、やや熱心に読んでみるのは)
どうも不感症のままか、あるいは金井美恵子とともに、
この三文詩人! う・ん・ざ・り・よ、と呟きたくなる
詩行に遭遇することが多いなか
暁方ミセイには、なんだか惚れこんじゃったんだよな

うんざりよ
う・ん・ざ・り・よ。

ほんとに、うんざりした表情で唇をへの字に曲げ、湿った咽喉を震わせるようにして、唇を軽く閉じ、鼻の先で嘲笑するといった調子で鼻孔を微かに震わせ、うとんの微妙にくぐもって湿っているのにもかかわらずとてつもなく鋭く響く音を吐き出す。

センチメンタルな三文詩人だったら、ブドウの種を吐き出すように、とでも書くところだろうか。(金井美恵子「恋愛<小説について>」)

《蕾の割れた梅の林から、糸のように漂いやってくる、/五百年前の我が兄子、千年前の我が妹子、》(「駐アカシック、ニュー稲荷前トゥーム」)

なんたるエロスとタナトスの混淆!
フロイトがエロスとタナトスが殆ど常に融合して現れることとした
「欲動融合Triebmischung」だぜ、この詩行は

暁方ミセイは、リルケのいう生と死という
二つの無限な領域から養分を摂取している
に違いない

死とは私たちに背を向けた、私たちの光のささない生の側面です。私たちは私たちの存在の世界が生と死という二つの無限な領域に跨っていて、この二つの領域から無尽蔵に養分を摂取しているのだという、きわめて広大な意識をもつように努めなければなりません。まことの生の形体はこの二つの領域に跨っているのであり、この二つの領域を貫いて、きわめて広大な血の循環がなされているのです。此岸というものもなければ彼岸というのもありません。あるのはただ大いなる統一体だけで、そこに私たちを凌駕する存在である『天使』が住んでいるのです。(富士川英郎・高安国世訳『リルケ書簡集2:1914–1926』――『ドゥイノの悲歌』の翻訳者への書簡らしい)

…………

とまで書いたところで、いやあの画像に魅了されるのはそれだけではないことに気づいた。

あの光景は、高校時代に遭遇した「海へ向かう道」でもあるのだ。



◆ヴァレリーの「海辺の墓地」の冒頭二連

Le cimetière marin

Ce toit tranquille, où marchent des colombes,
Entre les pins palpite, entre les tombes;
Midi le juste y compose de feux
La mer, la mer, toujours recommencée
O récompense après une pensée
Qu'un long regard sur le calme des dieux!

Quel pur travail de fins éclairs consume
Maint diamant d'imperceptible écume,
Et quelle paix semble se concevoir!
Quand sur l'abîme un soleil se repose,
Ouvrages purs d'une éternelle cause,
Le temps scintille et le songe est savoir.


◆中井久夫訳

鳩歩む この静かな屋根は
松と墓の間(ま)に脈打って
真昼の海は正に焔。
海、常にあらたまる海!
一筋の思ひの後のこの報ひ、
神々の静けさへの長い眺め

細かな燦めきの清らかな働きが
見えぬ飛沫(しぶき)のダイヤを費ひ(つかい)尽くし、
何たる平和のはらまるるかに見ゆることよ!
一つの陽の影が深い淵の上に休らふ時
「永遠の動因」の純粋な所産――
「時」は輝き、「夢」はただちに「知」! 


 

◆白井健三郎訳

鳩たちがあゆむ、この 静かな屋根、
松の樹の間に、また墓石の間に 脈打ち――
「真昼」正しきもの そこに 炎でつくる
海よ、海、いつも繰り返される海を!
おお ひとすじのおもいのはてに このむくい
神々の静けさへの なんという久しい眺め!

こまかな光の なんという純粋なはたらきが
眼に見えない水沫の あまたの金剛石を灼(や)きつくし、
そしてまた なんというやすらぎが はぐくまれるものか!
深淵の上に 疲れ知らぬ 一つの太陽が 休むとき、
永劫因(えいごういん)が生んだ 二つの純粋な作品、
「時間」はきらめき 「夢」はそのまま叡智となる。


十代後半の少年は、この白井健三郎訳の「海辺の墓地」に魅せられた。海辺近くの町に住んでいた彼は、自転車通学の帰り道に、ときおり家とは反対の方角の太平洋に面する海岸に向かい(そもそもふだんは電車を使っての通学だったが、寝坊すると十キロあまりの道のりを自転車を使って通って、そうすると、のんびりした郊外電車よりもはやく高校に到くこともある)、道すがら、アスファルトに干された牧草のにおいやしだいに濃厚になってくる潮のかおりに包まれ、「しぶきをあげて廻転する金の太陽」が西に傾いてゆくなか、同道する友たちの笑顔の口もとからこぼれる白い歯の輝きに、いささか重苦しいものを抱えもした日頃のうさをも忘れた。

友たちの笑いの泡立ちが「波紋のように空に散る」あの光景ーー、「海辺の墓地」の詩句に促されてその光景を回想している初老の男がここにいる、《自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか? そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮かぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか?》(大江健三郎『燃えあがる緑の木』第一部)――そう、これから「砂浜にまどろむ(青)春を堀りおこし」(大岡信)にいくのだった。


そうやって彼らは近道で浜辺にでる絶壁のそばに辿りつくと、今度は、崖を削りとっただけで石ころだらけの、獣道のようでもある急峻な下り坂を、ハンドルをとられて転倒しころげ落ちるのを怖れながら、それでも傍らの友たちに臆病だとなじられないように、速度を落とさずに疾駆して海に向かって下りてゆく。そのスリルあふれる趨走の短い刻限、赫土からいびつな姿をなかば覗かせている大きな荒石をなんとか避けようとして、でこぼこ道の佇まいに眼を凝らして俯いたままなのだが、いささか緊張で汗ばんだ顔、その額のななめ上方の樹々の間のかなたには、季節や時刻によってそれぞれの、茫漠とした水平線の拡がりが,青い色のまばゆい背中が、夕暮れ近くなら「千の甍」が,浮かびあがり脈うっているのを掠め見る。ああ,それはまさに、眉の上にある「静かな屋根」なのであり、甍のうえには、「鳩たち」が歩んでもいよう、――ひとときのこわばりのはての なんというむくい! 神々の静けさへの なんという久しい眺め! そしてまた浜辺にたどりつけば、あの波のとどろきと潮のかおり、そこでは、なんというやすらぎが はぐくまれるものか!

いまではあの崖道は、いつのまにか舗装され整備され、しかもそのあと、廃道となっているようだ。(伊古部廃道




伊古部海岸から半島は西に延びていき、伊良湖岬にいたる途中に、このあたり唯一の赤羽根漁港があって、そこから「赤羽根」の鳩たちが、伊古部の海の沖合いにたむろすることもあった。ーー《

何十羽も鳩がいる。茂みのなかで鳴いている。》(暁方ミセイ)

「海辺の墓地」の最終節(その一行目が,堀辰雄の訳『風立ちぬ、いざ生きめやも』(小説『風立ちぬ』のエピグラフ)として人口に膾炙している)を読めば、「鳩たち」は,三角帆の漁船(foc)でもあることが知れる。ーー((ちがうよ、あれは鳩だよ))

風が起こる……生きる試みをこそ
大いなる風がわが書(ふみ)を開き、閉じ、
波は砕けて岩に迸る!
飛び去れ、まこと眩ゆい頁(ページ)!
砕け、高波、昂(たか)まる喜びの水で
三角(さんかく)の帆がついばんでゐた静かな屋根を! (中井久夫訳)



2014年6月1日日曜日

不安のにおい

……自分はどんなつもりで暮らしていたのだろう、と女は寝床の中から振り返って驚くことがあった。人よりは重い性格のつもりでも、何も考えていなかった。まだ三十まで何年かある若さだったということもあるけれど、物をまともに考えるには足もとが、底が抜けたような時代に入っていた。世間は未曾有の景気と言われ、余った金が土地などの投機に走り、その余沢からはずれたところにいたはずの自身も、後から思えば信じられないような額の賞与を手にすることがあった。ましてや有卦に入った会社に勤めて三十代のなかばにかかっていた夫は、当時の自分から見ても、罰あたりの年収を取っていた。

罰あたりという感覚はまだ身についてのこっていたのだ。世の中の豊かになっていくその谷間にはまったような家に育って、両親には早くに死に別れ、兄姉たちも散り散りになった境遇だけに、二十代のなかばにかかるまでは、周囲で浮き立つような人間を、上目づかいはしなかったけれど、額へ髪の垂れかかる感じからすると、物陰からのぞくようにしていた。その眼のなごりか、景気にあおられて仕事にも遊びにも忙しがる周囲の言動の端々から洩れる、投げやりのけだるさも見えていた。嫌悪さえ覚えていた。それなのに、その雰囲気の中からあらわれた、浮き立ったことでも、けだるさのまつわりつくことでも、その見本のような男を、どうして受け容れることになったのか。男女のことは盲目などと言われるけれど、そんな色恋のことでもなく、人のからだはいつか時代の雰囲気に染まってすっかり変わってしまうものらしい。自分の生い立ちのことも思わなくなった。(古井由吉「枯木の林」)
その頃には世の中の景気もとうに崩れて、夫の収入もだいぶしぼんで、先々のことを考えてきりつめた家計になっていた。どんな先のことを考えていたのだろうか、と後になって思ったものだ。会社を辞めることにした、と夫は年に一度は言い出す。娘の三つ四つの頃から幾度くりかえされたことか。なにか先の開けた商売を思いつくらしく、このまま停年まで勤めて手にするものはたかが知れているなどと言って、一緒に乗り出す仲間もいるようで、明日にでも準備にかかるような仔細らしい顔をしていたのが、やがて仲間のことをあれこれののしるようになり、そのうちにいっさい口にしなくなる。その黙んまりの時期に、家に居ればどこか半端な、貧乏ゆすりでもしそうな恰好で坐りこんでいたのが、夜中にもう眠っている妻の寝床にくる。声もかけずに呻くような息をもらして押し入ってくるので、外で人にひややかにされるそのかわりに家で求めるのだろう、とされるにまかせていると、よけいにせかせかと抱くからだから、妙なにおいが滴るようになる。自分も女のことだから、よそのなごりかと疑ったことはある。しかし同棲に入る前からの、覚えがだんだんに返って、怯えのにおいだったと気がついた。なにかむずかしいことに追いつめられるたびに、そうなった。世間への怯えを女の内へそそごうとしている。(同上)

古井由吉には、リルケの「ドゥイノの悲歌」の散文詩訳がある。


しかし心得てほしい。われわれの語るところは、物たち自身が内々、おのれのことをそう思っているだろうところとは、けっして同じではないのだ。恋人たちの心に迫って、その情感の中で何もかもがこの世ならぬ恍惚の相をあらわすように仕向けるのも、滅多には語らぬ現世の、ひそかなたくらみではないのか。敷居はある。たとえ恋人たちがそれぞれ昔からある自家(いえ)の戸口の敷居をいささか、踰えることによって擦り減らしたところで、二人にとって何ほどのことになる。以前の大勢の恋人たちに後(おく)れて、以後の恋人たちに先立って、自身も痕跡を遺すだけのことではないのか……かすかに。

そのリルケには「不安のにおい」(『マルテの手記』)という言葉がある。


街(とおり)が方々からにおいはじめた。かぎわけられるかぎりでは、ヨードホルムや、いためジャガの油や、「不安」などのにおいだった。夏になると、どの町も、におうものだ。それから奇妙な、内障眼(そこひ)のような家にもお目にかかった。それは、地図には見あたらなかったが、ドアの上には、まだかなりはっきり読みとれるように、「簡易宿泊所」と書かれてあった。入口のそばに、宿泊料金がしるされてあった。読んでみたが、高くはなかった。

 それから、ほかには? 置きっぱなしの乳母車のなかのひとりの子ども。ふとっちょで、青白く額の上にはっきりと吹出物がでていた。が、見たところすっかりなおっていて、もう痛みはなかった。子どもは眠っていた。口はあいたままで、ヨードホルムと、いためジャガと、「不安」を、呼吸していた。ほかにどうしようもないのだ。肝心なことは、その子が、生きていることだった。それが肝心なことだった。 (リルケ『マルテの手記』星野慎一訳)

においの作家の系譜というものがある。わたくしの知るかぎり、吉行淳之介、金井美恵子、そしてやはり古井由吉。

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『砂の上の植物群』
部屋の空気は湿っていたし、それに、すり切れた絨毯や、 同じようにすり切れてやせた織糸の破れ目から詰め物とスプリングがはみ出ているソファが、古い車輌に乗ったりすると、時々同じようなにおいのすることのある、人々の体臭や汗のしみ込んで、それが蒸されて醗酵したような不快な汚物のようなにおいを発散させていたので、その鼻を刺激する醗酵性のにおいに息がつ まりそうになり、わたし自身の身体からも、同じにおいを発散させる粘り気をおびた汗がにじみだして来ては、体温の熱でにおいをあたりに蒸散させているよう な気がした。(金井美恵子『くずれる水』)
……においと言えば昔、二人きりになって初めて寄り添った男女は、どちらもそれぞれの家の、水まわりのにおいを、いくら清潔にしていても、髪から襟から肌にまでうっすらとまつわりつけていたもので、それが深くなった息とともにふくらむのを、お互いに感じたそのとたんに、いっそ重ね合わせてしまいたいと、羞恥の交換を求める情が一気に溢れたように、そんなふうに振り返っていたものだが、車の排気と言われてみればある時期から、街全体をひとしなみに覆うそのにおいが、家々のにおいに取って代わっていたのかもしれない、と思った。(古井由吉「蜩の声」

詩人たちはどうか? これは(これも)読み手によるのだろうが、西脇順三郎や田村隆一でさえ、においの詩人として魅惑されるときがある。

たとえば田村隆一が、《新しい家はきらいである/古い家で生れて育ったせいかもしれない/死者とともにする食卓もなければ/有情群類の発生する空間もない》とするとき、これは黴の懐かしいにおいのことを書いているとして読む。

田村隆一が、とりわけ愛した西脇順三郎の詩のひとつは「秋 Ⅱ」だ。

タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ

ロラン・バルトも匂いの、あるいは触覚の作家である。

プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。(『彼自身によるロラン・バルト』)

視覚の感受性、聴覚の感受性、嗅覚の感受性など、それぞれ作家には感度の鋭さや鈍さがあるだろう。どの作家に惹かれるのかは、これもまた読者の感受性による。たとえば谷崎潤一郎は触覚の作家だろう。一般に視覚の作家が愛でられることの多いのは、読み手も視覚の感受性が他の感受性に比べて際立つひとが多いせいではないか。

ところで、中井久夫には「匂いの記号論」ともいうべき文章がある。だが、ここでは長くなりすぎるので引用しない(参照:遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえ)。かわりに「不安のにおい」という節がある「微視的群れ論」から抜き出す。



◆「不安のにおい」――中井久夫「微視的群れ論」(『精神科医がものを書くき 〔Ⅰ〕』所収)

……人間というのは、においということをあまり重要視していません。においというのは、たいへん低級な感覚だといわれているけれども、どうもそうではないのではないかと、ぼくは思っているんです。

町には町のにおいがあります。それから、それぞれの家にはそれぞれのにおいがあります。普通は気づかないですが、よそを訪問すると、それぞれの家の独特のにおいがあるでしょう。神戸から来ますと、東京も名古屋も、それぞれの町のにおいが違います。そういう町のにおいがどう働くのかわかりませんが、においというのは意外な力をもっていますからね。においは触れることの予感でもあり、余韻でもあり、人間関係において距離を定める力があると思います。においのもたらすものはジェンダー(性差)を超えたエロスですが、そういうものの比重は、予想よりもはるかに大きかろう。

だから、逆に人同士を離すにおいもあるんです。いまは、精神病院も清潔になったし、みんな風呂に入りますから、あまりにおいませんけど、昔の精神病院というのは、独特のにおいがありました。とにかくあのにおいは何のにおいだろうと思ったけれど、長らくわかりませんでした。ただ不潔にしているというのではないんです。浮浪者なんかのにおいとは全然違いますから。

ある患者さんと面接したんですが、その人を不安にさせるようなことを言ってしまったら、途端に、たぶん口の中から出てきたんだと思うんですが、そのにおいがしたんです。口の中というのは、内臓全部のにおいですから。体の中からすぐ何か出たんです。とにかく例のにおいがしたんです。パーッとにおってきた。

ぼくは、これは不安のにおいだなと思いました。不安のにおいというのは、リルケの『マルテの手記』のなかに出てくるんですけれども、こちらを遠ざけるにおいなんです。つまり、その場から去らせたくなるにおいなんですね。不安になった人間が放つにおいというのは、ひょっとしたら他の個体を去らせるような作用をしているのかもしれない。だから、不安になった人が孤独になっていくということは、大いに考えられるわけです。

何でこんなものがあるんだろうと思って考えてみたら、昔むかしのことですが、人間の群れにオオカミとかライオンが来て、それに最初に気づいた人間が、突如不安になって、それがあるにおいをパーッと出すと、周りの人間はその人間から離れたくなる。不安は伝染するといいますけれども、次々にそうなって、お互いの距離が離れますと、一人や二人の人間は食われるかもしれないけれども、全体としては食われる率が減る。

こういうのを警戒フェロモンという名前がついていますけれども、ひょっとしたら、不安になったときに人間が出すにおいというのは、お互いに「遠ざかれ」という警戒フェロモンであるかもしれない。

そんなことを感じたのですが、ただ、いまでは、オオカミが襲ってくるということはあまりありませんので、有効性のほうがなくなって、慢性的に不安になっている人がだんだん孤立していくだけの働きしかない。

そんなことを感じたのですが、ただ、いまでは、オオカミが襲ってくるということはあまりありませんので、有効性のほうがなくなって、慢性的に不安になっている人がだんだん孤立していくだけの働きしかない。

こういうものは、意識させたら役に立たなくなるものだから、意識に上らないようなかたりで、人間の行動を規定しているのかもしれません。この種のものが人間の行動を規定している力というのは、非常に大きいのではないかというふうに、私はだんだん思うようになりましたね。

◆福岡伸一「生物の進化と“ におい ”の関係」
生物が、外部環境を識別するために発達させた感覚機能には、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の 5つがあります。いわゆる「五感」です。そのなかであえて順位をつけると、生物学的に一番重要だと考えられる感覚は嗅覚です。その理由として、まず「こちらからコンタクトしなくてもその存在が確認できる」という点があげられます。たとえば視覚であれば、対象物が自分の視野に入ってはじめて認識することができます。味覚の場合は、対象物を口に入れる、というこちらからの積極的なコンタクトが必要になります。しかし嗅覚はどうでしょう。嗅覚は、相手が見えなくても、接触しなくても、そのにおい物質が空気中を拡散して伝われば、その存在を認知できるシステムになっています。

もうひとつ、嗅覚の重要説を裏付けるものとして、においの「レセプター(受容体)」について触れておきましょう。人間は、各対象に対応したレセプターを持ってはじめて、対象を感知することができます。たとえば味覚であれば、甘味、苦味、酸味などを感知するレセプターを 5つほど持っていて、その組み合わせによって味を判断しています。視覚も同様で、光の粒子を感知する数種類のレセプターで色を認識しています。そして嗅覚はというと、においのレセプターが発見されたのは、約 20年前のことです。発見したのは女性研究者、リンダ・バック博士。彼女の研究によってわかった人間のにおいレセプターの数は、少なくとも数百種類あります。人間の遺伝子が 2万数千種類であるのに対して、その全体の数パーセントを、においに関する遺伝子が占めていることになります。ここまでたくさんの数の遺伝子を用意している組織は、ほかにありません。人間にとってどれだけ嗅覚が大切か、お分かりいただけるでしょう。


◆フェロモンをめぐって(中井久夫「母子の時間、父子の時間」より『時のしずく』所収

母子の時間の底には無時間的なものがある。母の背に負われ、あるいは懐に抱かれたならば、時間はもはや問題ではなくなる。父子にはそれはない。父親と過ごす時間には過ぎゆくものの影がある。長い時間の釣りでさえ、ハイキングでさえ、終わりがある。終わりの予感が、楽しい時間の終末部を濃く彩る。

友人と過ごす時間には、会うまでの待つ楽しさと、会っている最中の終わる予感とがある。別れの一瞬には、人生の歯車が一つ、コトリと回った感じがする。人生の呼び戻せなさをしみじみと感じる。それは、友人であるかぎり、同性異性を問わない。恋人と言い、言われるようになると、無時間性が忍び寄ってくる。抱き合う時、時間を支配している錯覚さえ生じる。もっとも、それは、夫婦が陥りがちな、延びきったゴムのような無時間性へと変質しがちで、おそらく、離婚などというものも、この弾力性を失った無時間性をベースとして起るのだろう。

この無時間的なものの起源は、胎内で共有した時間、母子が呼応しあった一〇カ月であろう。生物的にみて、動く自由度の低いものほど、化学的その他の物質的コミュニケーション手段が発達しているということがある。植物や動物でもサンゴなどである。胎児もその中に入らないだろうか。生まれて後でさえ、私たちの意識はわずかに味覚・嗅覚をキャッチしているにすぎないけれども、無意識的にはさまざまなフェロモンが働いている。特にフェロモンの強い「リーダー」による同宿女性の月経周期の同期化は有名である。その人の汗を鼻の下にぬるだけでよい。これは万葉集東歌に残る「歌垣」の集団的な性の饗宴などのために必要な条件だっただろう。多くの動物には性周期の同期化のほうがふつうである。

( ……)

胎内はバイオスフェア(生物圏)の原型だ。母子間にホルモンをはじめとするさまざまな微量物質が行き来して、相互に影響を与えあっていることは少しずつ知られてきた。( ……)味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓は、言語から遠いため、私たちは単純なものと錯覚しがちである。それぞれの家に独自の匂いがあり、それぞれの人に独自の匂いがある。いかに鈍い人間でも結婚して一〇日たてば配偶者の匂いをそれと知るという意味の俗諺がある。

触覚や圧覚は、確実性の起源である。指を口にくわえることは、単に自己身体の認識だけではない。その時、指が口に差し入るのか、指が口をくわえるのかは、どちらともいえ、どちらともいえない状態である。口 ―身体― 指が作る一つの円環が安心感を生むもとではないだろうか。それはウロボロスという、自らの尾を噛む蛇という元型のもう一つ先の元型ではないだろうか。

聴覚のような遠距離感覚でさえ、水の中では空気中よりもよく通じ、音質も違うはずだ。母親の心音が轟々と響いていて、きっと、ふつうの場合には、心のやすらぎの妨げになる外部の音をシールドし、和らげているに違いない。それは一分間七〇ビートの音楽を快く思うもとになっている。児を抱く時に、自然と自分の心臓の側に児の耳を当てる抱き方になるのも、その名残りだという。母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおりである。いわば、胎児の耳は保護を失ってむきだしになるのだ。

視覚は遅れて発達するというけれども、やわらかな明るさが身体を包んでいることを赤児は感じていないだろうか。私は、性の世界を胎内への憧れとは単純に思わない。しかし、老年とともに必ず訪れる、性の世界への訣別と、死の世界に抱かれることへのひそかな許容とは、胎内の記憶とどこかで関連しているのかもしれない(私は死の受容などと軽々しくいえない。死は受容しがたいものである。ただ、若い時とは何かが違って、ひそかに許しているところがあるとはいうことができる)。


2014年1月16日木曜日

承認欲望と承認欲動

乳児はおそらく原初の内的な欲動をなにか周辺的なもとのして経験するだろう。どんな場合でも、その欲動は<他者>の現存を通してのみ姿を消すことができるにすぎない。<他者>の不在は、内部の緊張の継続の原因として見なされるだろう。しかしこの<他者>が傍らにいて言動によって応えても、この応答はけっして十全なものではない。というのは、<他者>は継続的に子供の叫び声を解釈しなければならないし、解釈と緊張のあいだに完全な照合はありえないのだから。この時点で、われわれはアイデンティティの形成の中心的な要素に直面する。すなわち、欠如、――欲動の緊張(強い不安)に完全に応答することの不可能性。要求、――それを通して乳児が欲求を表現するとき、残余が生ずること。この意味は<他者>の要求の解釈はけっして本来の欲求とは合致しないというとだ。<他者>の不完全性が、いつでも、内的にうまくいかないことの責めを負わされる最初のもののようにみえる。(ポール・ヴェルハーゲ 私訳)(ポール・ヴェルハーゲ 私訳ーーPaul Verhaeghe, "On Being Normal and Other Disorders: A Manual for Clinical Psychodiagnostics"ーーラカン派における「主体と大他者の欠如」、あるいは「疎外と分離」の覚書より)

この文をより詳細に、そして〈他者〉の欲望に同一化する(想像的ファルスになる、とラカン派では言われる)ことまで含めて書かれている文を次に掲げる。

Paul Verhaeghe(ポール・ヴェルハーゲ)の『Sexuality in the Formation of the Subject』 より(同私訳)。

フロイトにとって、人間の成長の出発点は最初の不快の経験である。その不快とは、「痛みSchmerz」と呼ばれ、すなわち典型としては空腹や渇きにより齎される内的な欲求の結果としての痛みだ。フロイトはこの痛みを緊張の蓄積として理解する。この興奮を、「寄せあつめられた欲動component drives」(ほぼ「部分欲動」に等しいが、いくつかの部分欲動ということだろう:訳者)によるものとして理解するのはそんなに難しくはない。この不快な状態への乳児の反応は典型的なものであり、引き続いておこる間主観的な関係の基礎となるものだ。すなわち無力な赤子は他者に向かって泣き叫ぶ。他者は、乳児の内的な緊張をやわらげる「具体的な行動」に気を配る者と見なされる。そのような介入はつねに言葉と行動の組合せによって成り立っている。すなわち、〈他者〉は要求を理解しそれに応えることを子どもに示す。

この原初の相互作用の重要性を買いかぶってはならない。というのはそれに引き続く関係の基礎を構成するからだ。

まず第一に、寄せ集められた欲動によってひき起こされた最初の身体的な緊張は、永続的に〈他者〉に繋がることになる。その意味するところは、部分欲動はまさに最初から間主観的な次元をもつということだ。なおさらに、〈他者〉は己れの緊張をやわらげる責任があるものとして捉えられる。

二番目には、初期から、未来の主体subject-to-beは受身的な立場をとる必要がある。彼、あるいは彼女は、〈他者〉に完全に隷属している。

三番目に、われわれはここに、すべての主体における原初の不安に出逢う。すなわち引き離される不安separation anxietyだ。〈他者〉の不在や〈他者〉反応の欠如は耐えがたい。その結果、われわれは原初的な憧憬をも見出すことができるだろう、そのあこがれとは、〈他者〉と一緒にいたい存在ということだ。ーー部分欲動と死の欲動をめぐる覚書より
欲動の緊張に対処しようとするなか、子どもは、最初の〈他者〉に訴えかける。母はこの訴えかけを要求として解釈するが、それは彼女自身の部分欲動に向けた自己の立場を元にする。そしてこのようにして自己の欲望を含んだ答えをつくり出す。結果として、子どもはこの〈他者〉によって現わされたイメージに自己自身を同一化する。すなわち、自己の興奮に応答を受け取るために、〈他者〉の欲望に同一化するということだ。

簡単な例をあげよう。子どもの泣き叫びは食べ物への要求として最初の〈他者〉により解釈される。その結果、子どもは、ただ食べなければならないのではなく、この〈母〉の解釈を元にして、自分自身の興奮を食べ物の欠如として解釈することを余儀なくされる(引用者:場合によってはほかの興奮であることもあるのだ、たとえば、寒い、おっしこをして不快だ、抱っこしてほしいなど。究極的には母と合体(融合)したいということ)。

この解釈とともに、最初の〈他者〉は彼女自身の欲望を表現するのだが、その〈母〉の欲望に子供は服従しなければならないのだ、もし子ども自身の欲動の応答を受け取るためには。他者が子どもの欲求に応答する責任をもつという原初的な相互関係と比較して、われわれはここにふたたびおどろくべき逆転に出逢う。自己の欠如の応答をえるためには、子どもは〈他者〉の欲望に従いつつ己れの手本model itselfにしなければならない。〈他者〉の欲望に同一化しなくてはならないのだ。これ以降、主体は〈他者〉の欲望に応答する責任をもつ。そして主体と〈他者〉の欲望の相違はぼんやりしてくる。すなわち、主体の欲望は〈他者〉の欲望である。

主体は、己のa(対象a)への完全な応答を得る/与えるのを確信するために、母他〔(m)other〕を独占したい。だがそのような完全な応答は不可能である。そこにはつねに残余があり、“ Encore”(もっと、またもっと)の必要の切迫がある。“ Drang ”(衝拍、もしくは圧力)は、ドライブ〔欲動の継続〕したままだ。(同ポール・ヴェルハーゲ)

さらに想像的ファルスと象徴的ファルスの相違が書かれているのは向井雅明氏の次の文がよいだろう。
一般にはラカンのファルスの話(想像的ファルス(φ)、象徴的ファルス(Φ)はこう語られる。子供は母親から生まれ、まず母親と二人だけの関係にある。この時点ではよく母親と子どもの間には融合的関係があり、子供はまだ外世界に興味を持っていないと言われるが、ラカンはそれをはっきりと批判し、子どもは殆ど生まれてからすぐに外世界、他者(A)にたいして開かれていると主張する。そしてこの時点からすでに母親の欲望というものを想定する。母親の欲望とは子どもが母親にたいして持つ欲望という客体的意味もあるが、それよりもまして母親の持っている欲望という主体的な意味が決定的である。母親はまず欲望を持っている者とされるのだ。そして人間の欲望は他者の欲望であるという定式から、子供にとって他者はまず母親であるから、子供の欲望は母親の欲望、つまり母親を満足させようという欲望となる。母親の前で子供は母親を満足させる対象の場にみずからを置き母親を満足させようとする。つまり母親のファルスとなる。だが、母親の欲望の法は気まぐれな法であって、子どもはあるときは母親に飲み込まれてしまう存在となり、あるときは母親から捨て去られる存在となる。母親の欲望というものは恐ろしいもので、それをうまく制御することは子どもの小さなファルスにとって不可能である。ラカンは母親の欲望とは大きく開いたワニの口のようなものであると言っている。その中で子どもは常に恐ろしい歯が並んだあごによってかみ砕かれる不安におののいていなければならない。

漫画に恐ろしいワニの口から逃れるために、つっかえ棒をするシーンがある。ラカンはそれに倣って、このワニの恐ろしい口の中で子どもが生きるには、口の中につっかえ棒をすればよいと言う。ファルスとは実はつっかえ棒のようなもので、父親はこのファルスを持つ者である。そして父親のファルスは子供の小さいファルス(φ)ではなく、大きなファルス(Φ)である。つまり正義の騎士が万能の剣をたずさえて現れるように、父親がファルスを持って子供を助けてくれるのだ。 (向井雅明『精神分析と心理学』)psychanalyse.jp/archives/M_MUKAI/Psychanalyse_et_psychologie.doc‎

「父の機能」が不充分なとき、つまり「去勢」がされていない、あるいは「去勢」が不充分だ、というとき、この象徴的ファルスの介入が不充分だということになる。

もっともこのあたりの言葉遣いは微妙なところがあり、ラカン派(日本で言えば向井雅明派にあたるはずだ)の若き俊英松本卓也氏のツイートでは次のようなことらしい。このあたりは混乱するところで、傾聴に値する指摘だ。

たとえば、あまりよくないラカン本ではΦ(象徴的ファルス)と父の名NdPを区別していなかったりするのですが、Phallus et fonction phalliqueの説明では、この2つは水準が違うことが明記されています。Φは全体としてのシニフィエの諸効果を指し示すシニフィアンであって、つまるところシニフィアンとシニフィエの結びつきを調整するもの。一方、父の名のほうは、意味作用が関わってくる水準。つまり、ファルス享楽についての謎に答えるために、先行する母の欲望(=シニフィアン)を隠喩化することでファリックな意味作用を作り出すという機能が父の名にはある

父の名は意味作用に関わる。だからこそ、父の名の隠喩が不成立であった場合(排除)、通常成立するはずのファリックな意味作用が成立せず、世界が「謎めいた意味」の総体になるわけです。

…………

ところで承認欲求という言葉が巷に跳梁跋扈している。それは実はラカン派的観点からは、承認欲望、あるいは承認欲動と呼ぶほうが正しいのではないか。

ひとが絶え間なくイマジネールな(想像的な)他者の欲望の対象になろうとする振舞いは、承認欲望とすることができる。

他方、より根源的な、ヴェルハーゲの云うところの、《己のa(対象a)への完全な応答を得る/与えるのを確信するために、母他〔(m)other〕を独占したい》という意味では、承認欲動とすることができる。ここでのa(対象a)は、《永遠に到達できない究極的な愛》と呼んでもいい。

仮に承認欲望をひとがコントロールできても、承認欲動をコントロールすることはできない。それは〈愛〉を失うことになる。


…………

《誰もが、誰かに見られていることを求める》。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)


クンデラはこう書き、四つの視線のカテゴリーをあげる。


①限りなく多数の無名の目による視線(大衆の視線)

②数多くの知人の目という視線

③愛している人たちの視線

④想像上の視線(死者の視線、理念の視線など)


①②は、鏡像的他者の視線(想像的ファルスになること)、③が<対象a>の視線、は、「想像上の視線」と書かれているにもかかわらず、大文字の他者の視線(象徴的ファルスの眼差し)などとすることが、ひょっとしてできるのかもしれないが、このあたりはもう少し考えてみる必要があるだろう。③は、ラカンの中期までの解釈による自己愛的な〈愛〉ではなく、後期の、神への愛、無償の愛(見返りのない愛)として捉えたら、さてどうなるのかという問いも生まれる(参照:ラカンの愛の定義)。



晩年のラカンは、ほとんどドゥイノ悲歌のリルケに近づいたといってもよい。

愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく/おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、/……/思ってはいけない、運命は幼い日の密度よりゆたかだと。/いかにしばしばおんみらは恋人を追いぬいたことか、いかなる獲得をも目ざさず、/ただ自由の世界へ突きすすむ至福の疾駆に息をはずませながら。/……/ただわれわれは、笑いさざめく隣人たちが/承認してはくれぬもの、うらやんではくれぬものを忘れやすいのだ。疑いようのないものとして/われわれは隣人たちに承認された幸福を高くかかげようとする。疑いようのない幸福が/われわれに顕現するのは、ただわれわれがそれをわれわれの内部において変化さすときだけなのに。/……/天使よ、そしてたとい、わたしがおんみを求愛〔もと〕めたとして! おんみは来はしない。なぜならわたしの/声は、呼びかけながら、押しもどす拒絶〔こばみ〕につねに充ちているのだから。このように強い/気流に逢ってはおんみはそれを冒して歩みよることはできない。さながら高くさしのべられた/腕だ、わたしの呼びかけは。そして摑もうとして花さいた指は、/捉ええぬもの天使よ、おんみを前にして/大きく押しひろげられたままなのだ/さながら拒否と警告のしるしとして。(リルケ『ドゥイノの悲歌』「第七の悲歌」(手塚富雄訳)

いずれにせよ、ひとは誰かに見られることを求めることから逃れることはできない。この「求める」を、欲求と翻訳するなら、「承認欲求」という語彙に文句をつけるつもりはない。ただし、上に書かれたように、承認欲望はコントロール可能だが、承認欲動はコントロールし難い。その区別をしないと、だれもが承認欲求があるのさ、ということで済んでしまう(もっとも「承認「という語も検証されなければならないだろう、それは究極的には大文字の母と融合したいというエロス欲動であるのだから)。


さてクンデラの小説の四つの視線の箇所を抜き出しておく。

誰もが、誰かに見られていることを求める。どのようなタイプの視線の下で生きていたいかによって、われわれは四つのカテゴリーに区分されるであろう。

第一のカテゴリーは限りなく多数の無名の目による視線、すなわち別なことばでいえば、大衆の視線に憧れる。これはドイツの歌手、アメリカの女優、それにまた、大きなあごをした編集者のケースである。彼は自分の読者に慣れており、ある日ロシア人が彼の週刊誌を廃止したとき、百倍も薄い大気の中に残されたように感じた。何人〔なんびと〕も、知らない人びとの目という視線を彼におぎなってやることはできなかった。彼は息がつまるように思えた。するとある日のこと、たえず警察につけられ、電話が盗聴され、それどころか路上で密かに写真を撮られていることに気がついた。無名の目が突然いたるところで彼と共にあり、彼はふたたび息をふきかえすことができた。幸福になった! 壁に仕込まれたマイクに芝居のせりふのように話しかけた。警察の中に失われた大衆を見出したのである。

第二のカテゴリーは、生きるために数多くの知人の目という視線を必要とする人びとから成る。この人たちはカクテル・パーティや、夕食会を疲れを知らずに開催する。この人たちは大衆を失ったとき、彼らの人生の広間から火が消えたような気持ちになる第一のカテゴリーの人たちより幸福である。このことは第一のカテゴリーの人たちのほとんどすべてに遅かれ早かれ一度はおこる。それに反して第二のカテゴリーの人はそのような視線をいつでも見つけ出す。ここにマリー・クロードとその娘が入る。

次に愛している人たちの眼差しを必要とする、第三のカテゴリーがある。この人たちの状況は第一のカテゴリーの人の状況のように危険である。愛している人の目が、あるとき閉ざされると、広間は闇となる。この人たちの中にテレザとトマーシュが入る。

そしてもう一つ、そこにいない人びとの想像上の視線の下に生きる人たちという、もっとも珍しい第四のカテゴリーがある。これは夢見る人たちである。例えば、フランツ。彼はただサビナのためにのみカンボジア国境まで歩を運んでいる。バスはタイの道路をがたがたと走り、フランツは彼のことをじっと見ているサビナの長い視線を感ずるのである。

その同じカテゴリーにトマーシュの息子も入る。彼をシモンと呼ぼう(父と同じく、聖書にある名を与えられて嬉しいであろう)。憧れを抱く目はトマーシュの目である。署名運動にまき込まれた後、彼は大学からほうり出された。彼がつき合っていた娘は田舎の司祭の姪であった。彼女と結婚し、集団農場のトラクター運転手、カトリック信者、父親になった。そのあと誰からか、トマーシュも田舎に住んでいることをきき、喜んだ。運命が二人の人生をつり合いのとれた道へと導いた! このことが、トマーシュへ手紙を書かせる勇気を与えた。返事は要求しなかった。ただトマーシュが視線を彼の人生にあてることだけを欲した。 P310-312

中井久夫は、作家の孤独を強調しすぎてはいけない、と書いている。作家の孤独とは「承認欲望」の拒絶としてみることができないか。そして《彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠》と書かれるときに、それは「承認欲動」に近いことを語っているのではないか。

創作の全過程は精神分裂病(統合失調症)の発病過程にも、神秘家の完成過程にも、恋愛過程にも似ている。これらにおいても権力欲あるいはキリスト教に言う傲慢(ヒュプリス)は最大の陥穽である。逆に、ある種の無私な友情は保護的である。作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて)

承認欲望とは次のようなものだろう。

公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』ーー合理的な守銭奴より)

なお欲望と欲動の相違の説明のいくらかは、「資料:欲望と欲動(ミレールのセミネールより)」にある。

…………


二十世紀前半の三大詩人の二人の名を出したのだ。もう一人の詩人エリオットをめぐって、そして最晩年のラカンのピュアラブを語るジジェクの『LESS THAN NOTHING』の叙述を資料として附記しておこう。

We now know that Emily Hale was T. S. Eliot’s “lady of silences,” the object of his discreet love attachment, in the long years of separation from his wife Vivienne: all this time, almost two decades, was spent waiting for the moment when Eliot would be free to marry her. However, here is what happened when, on January 23, 1947, Eliot was informed that Vivienne had died:

He was shocked by his wife’s death, but even more by its consequences. For now, unexpectedly, he was free to marry Emily Hale, which, for the last fifteen years, she and his family had believed was what he wanted. Yet at once he realized that he had no emotions or desires to share … “I have met myself as a middle‐aged man,” says the hero of Eliot’s new play, The Cocktail Party, when he discovers, after his wife departs, that he has lost his wish to marry the shining, devoted Celia. The worst moment, he adds, is when you feel that you have lost the desire for all that was most desirable.

The problem was that Vivienne remained Eliot’s symptom throughout, the “knot” of his ambiguous libidinal investment: “The death of Vivienne meant the loss of Eliot’s focus of torment,” or, as Eliot himself put it through his hero in The Cocktail Party, a fictional account of this trauma: “I cannot live with her, but also cannot live without her.” The unbearable core of the Vivienne‐Thing was concentrated in her hysterical outbursts: Eliot never visited Vivienne in the asylum, because he feared “the nakedness of her emotional demands … the compelling power of her ‘Welsh shriek’.” Vivienne was like Rebecca versus Emily as the new Mrs. De Winter: “The whole oppression, the unreality / Of the role she had almost imposed upon me / With the obstinate, unconscious, sub‐human strength / That some woman have.” As such, she was the object‐cause of Eliot’s desire, that which made him desire Emily, or believe that he desired her—no wonder, then, that the moment she disappeared the desire for Emily disappeared with her. The conclusion to be drawn from Eliot’s imbroglio is clear: there was no love in his relationship to either Vivienne or Emily, for, as Lacan pointed out, love supplements the impossibility of sexual relationship. It can do this in different ways, one of which is for love to function as perversion: a perverse supplement which makes the Other exist through love, and in this sense a pervert is a “knight of love.” Historical forms of love are thus, from a clinical standpoint, forms of perversion (and Lacan complains here that psychoanalysis did not invent any new perversions). In clear contrast, the late Lacan affirms love as a contingent encounter between two subjects, of their unconsciousnesses, subtracted from narcissism—in this authentic love, sexual relationship “cesse de ne pas s’écrire.” Here we are beyond pure and impure, love for the Other and self‐love, disinterested and interested: “Love is nothing more than a saying [un dire] as event.”

The standard notion of love in psychoanalysis is reductionist: there is no pure love, love is just “sublimated” sexual lust. Until his late teaching, Lacan also insisted on the narcissistic character of love: in loving an Other, I love myself in the Other; even if the Other is more to me than myself, even if I am ready to sacrifice myself for the Other, what I love in the Other is my idealized perfected Ego, my Supreme Good—but still my Good. The surprise here is that Lacan inverts the usual opposition of love versus desire as ethics versus pathological lust: he locates the ethical dimension not in love but in desire—ethics is for him the ethics of desire, of the fidelity to desire, of not compromising on one’s desire.

Furthermore, the late Lacan surprisingly reasserts the possibility of another, authentic or pure love of the Other, of the Other as such, not my imaginary other. He refers here to medieval and early modern theology (Fénélon) which distinguished between “physical” love and pure “ecstatic” love. In the first (developed by Aristotle and Aquinas), one can only love another if he is my good, so we love God as our supreme Good. In the second, the loving subject enacts a complete self‐erasure, a complete dedication to the Other in its alterity, without return, without benefice, whose exemplary case is mystical self‐erasure. Here Lacan engages in an extreme theological speculation, imagining an impossible situation: “the peak of the love for God should have been to tell him ‘if this is thy will, condemn me,’ that is to say, the exact opposite of the aspiration to the supreme good.” Even if there is no mercy from God, even if God were to damn me completely to external suffering, my love for Him is so great that I would still fully love him. This would be love, if love is to have le moindre sens. François Balmès here asks the right question: where is God in all this, why theology? As he perceptively notes, pure love must be distinguished from pure desire: the latter implies the murder of its object, it is a desire purified of all pathological objects, as desire for the void or lack itself, while pure love needs a radical Other to refer to.This is why the radical Other (as one of the names of the divine) is a necessary correlate of pure love.









2013年12月19日木曜日

生命の稚い日に露われる一つの生涯(森有正)

《一つの生涯というものは、その過程を営む生命の稚い日に、すでにその本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか》(森有正)

森有正は、渡辺一夫門下の東大仏文系の優秀な弟子の一人だったのだが、40歳前後にフランス留学(戦後官費留学第1号)し、結局、日本に帰ってくるのはやめてしまって、日本の職を投げ捨てた。日本に残っていた妻とも離婚した(渡辺一夫が激怒したらしい)。その森有正のパリ滞在記でもある日記風文章に10代のわたくしはひどくいかれてしまった、あたかも聖書のようなにして読んだといっていいかもしれない。加藤周一や木下順二、あるいは大江健三郎にもいくつかの森有正讃がある。

木下はどこかで次のようなことを語っている、《森有正と加藤周一を比較して、森には読者を包み込む愛がある》、と。

反面、こういう話もある。
辻邦生が森のデカルト研究の草稿が死後、何も残されてないと驚いたが、あれは驚く方がかまととで、間違いだ。因みに、渡辺格氏は『ももんが』の平成15 年5月号で晩年の父君(森有礼の三男:※引用者)は森が帰国し自宅を訪問しても頑として会わなかったこともその理由も引用するに忍びないほどあけすけに書いている。(平川祐弘

まあ辻邦生が「かまとと」であってもそれはどうでもよろしい。《距離の遠さが、わたしに蛇の汚さと悪臭を隠していたのだ。奸智にたけたとかげがみだらな気持でそこを匍いまわっていたことを隠していた》(ニーチェ「無垢な認識」『ツァラトゥストラ』としてもよい。

だがニーチェのこの言葉は本来、森有正向けではなく、「観照の者たち」向けだ。《おまえたち臆病者よ……おまえたちはおまえたちの去勢された「ながし目」を「観照」と呼ぼうとする。そして、臆病な目で撫でまわしたものを、美と名づけたがる。(……)おまえたちは欺瞞者だ、「観照の者たち」よ。ツァラトゥストラも、かつてはおまえたちの神々しい外観に心酔した。そのなかにつまっている蛇のとぐろを見抜くことができなかったのだ》--この言葉は、平川祐弘氏は東京名誉教授だかなんだかしらないが、たかだか凡庸な大学教師の平川氏にふさわしく、森有正にはふさわしくない。《生を、欲念なしに、また犬のように舌をたらすことなしに、観照する》者たちよ、森有正は犬のように女を追い回した。だがそれでなにがわるい? 《無邪気さはどこにあるか。生殖への意志があるところにある。》

《戦後日本の知的ヒーローだった「渡辺先生」以下の仏文出身者の正体は何だったのか。》(平川祐弘)だと? まあ氏は伊文研究者らしく日陰の身にながらく耐えていたのだろうし、敢えて文句はいうまい。


◆森有正氏の思い出――丸山真男氏に聞く」
「非常に広 く読まれた『バビロンの流れのほとりにて』なども含めて、けっきょく森さんは、自分の 哲学を周辺の部分しかのべないで終ってしまった、と思うんです。むしろある種の文学的 な受けとられ方をして愛読者をもったことで、本当の思想的影響を与えることが少なかっ た、とさえいえるのじゃないですか。森さんにいちばん期待していたことが果せないで終った。だから森哲学というのは、周辺から窺う以外にないんです」 。 「森有正をめぐるノー ト12」 、全集12付録、十九頁。

◆加藤周一著作集第7巻「単純な経験と複雑な経験」より

外国において詩人であった森有正氏は、まさに日本において哲学者になろうとする直前に亡くなったのかもしれない。

◆大岡昇平「加藤さんの印象」
私は復員して1948年まで、明石の疎開先を動けなかったので、『1946・文学的考察』や『マチネ・ポエティク詩集』など、敗戦直後の加藤さんの活躍は知らない。はじめてお眼にかかったのは、1954年、パリにおいてである。彼は当時、医者としてソルポンヌに留学中だった。やはりパリ在住の森有正さんに紹介されたと思う。パリのどこにお住いだったか。私はサン・ミシェル通りがリュクサンブール公園にぶつかるあたりの、リュ・ロアイエ・コラールという横丁の安ホテルにいた。森さんはそれよりもう少し南の、アべ・ド・レペという横丁の、たしか「オテル・ド・フランス」にいた。名前が大きくいかめしくなれば、それだけ汚なくなるのは日本とは反対で、森さんはそういう安ホテルに下宿して、ソルボンヌに提出するのだとかいう、パスカルに関する厖大な未整理原稿をかかえていた。それは見せてもらえなかったが、フランス文化を理解するためには、フランス人と同じくらいその伝統に沈潜しなければならない、という意見で、フランスの田舎をこまめに廻っていた。/私はそれはとてもできない相談だから、いい加減にして、東京の教壇に復帰することをすすめてみたが、てんで受け付けて貰えなかった。しかし私はそういう森さんの頑固さ、30歳(ママ)を越えても自分の思想形成のために、清貧に甘んずる態度を、尊敬した。彼のパスカル研究はその後どうなったか知らないが、1957年からその滞仏記録『バビロンの流れのほとりにて』などを日本で発表しはじめた。独自の体験の哲学を打ち立てた。/森さんのことばかり書くようだが、当時、私が加藤さんから受けた印象は、極めて森さんに似ていたからである。/加藤さん、森さんから、私の学んだことは、へんに身なりを飾らないこと、余分の金を稼ごうとしないことである。外国語をやること、教養を大事にすること――これは戦争のため欧米との文化的格差がひどくなっていた1954年頃では、不可欠なことであったが、そこに金持へこびる、成上り者みたいな生活態度が加わると、鼻持ちならなくなる。知識人は貧乏でなければならない――これが加藤さんから学んだ第一の教訓である。/加藤さんは1957年に『雑種文化』を出した。森さんと同じ講談社の「ミリオン・ブックス」だったのは、変な縁だが、加藤さんの方が少し先だったはずである。これは帰国してから書いたものだが、外国滞在の成果であることは共通している。

 「私は西洋見物の途中で日本文化のことを考え、日本人は西洋のことを研究するよりも日本のことを研究し、その研究から仕事をすすめていった方が学問芸術の上で生産的になるだろうと考えた」「ところが日本へかえってきてみて、日本的なものは他のアジアの諸国とのちがい、つまり日本の西洋化が深いところへ入っているという事実そのものにももとめなければならないと考えるようになった」。

その結果、加藤さんは日本文化を「雑種文化」と規定した。このあまりに有名になり、多くの人の手に渡って俗化してしまった概念が、以上のような体験と考察の末に出たものであることに注意を喚起しておきたい。」(加藤周一著作集「月報」ーー大岡昇平「加藤さんの印象」

◆中村雄二郎《森有正のこと》
およそどの書物も、書き出しの一節が、その作品のトーンを奏でる。稚拙なこと ばで始まれば、聴くに耐えない曲に似て、ページをめくる気にもなれない。だが <バビロン>は感動的である。1976年パリで客死した思索家・森有正。その翌年 秋、朝日新聞に彼を想う記事が載った。「去るものは日々に疎しといわれるが、 およそ森さんほど亡くなってからも私たちの心に棲みつづけている人も少ない。 このところ私なども、よく意外な人たちから、間もなく森さんの一周忌になりま すね、といわれておやっと思うことがある。そのたびに、ああこの人の心のうち にも森さんが棲んでいたのか、と思う。森さんは亡くなってから私たちの心に棲 みつづけている、といまいったが、あるいはむしろ、亡くなってからいっそう私 たちの心に棲むようになった、というべきかも知れない。これは尋常ならぬこと である。(考える愉しみ 中村雄二郎エッセー集1《森有正のこと》所収」 )


以下は、森有正の『バビロンの流れのほとりにて』の冒頭。読む年齢やそのとき置かれた環境によって、ときにひどく共鳴したり、ときに強く反撥を感じたこともあるが(たとえば野心の時代、三十歳前後には、ひどく反撥ししばらく森有正から遠ざかっていた)、いまは最近の心的外傷理論とともに読むこともできると敢えてしておこう。すなわち幼児期誰もが抱かざるをえない言語化不可能な三つの問い(女性性、父性、性関係)やら幼児型記憶などにかかわる根源的幻想(あるいは原抑圧)は、原トラウマとして(欲動衝拍として)ひとの生涯を決定的に左右するというものだ。

一つの生涯というものは、その過程を営む生命の稚い日に、すでにその本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか。僕は現在を反省し、また幼年時代を回顧するとき、そう信じざるをえない。この確からしい事柄は、「悲痛」であると同時に、限りなく「慰め」に充ちている。君はこのことをどう考えるだろうか。ヨーロッパの精神が、その行き尽くしたはてに、いつもそこに立ちかえる、ギリシアの神話や旧約聖書の中では、神殿の巫女たちや予言者たちが、将来栄光をうけたり、悲劇的な運命を辿ったりする人々について、予言をしていることを君も知っていることと思う。稚い生命の中に、ある本質的な意味で、すでにその人の生涯全部が含まれ、さらに顕わされてさえいるのでないとしたら、どうしてこういうことが可能だったのだろうか。またそれが古い記録を綴った人々の心をなぜ惹いたのだろうか。社会における地位やそれを支配する掟、それらへの不可避の配慮、家庭、恋愛、交友、それらから醸し出される曲折した経緯、そのほか様々なことで、この運命は覆われている。しかしそのことはやがて、秘かに、あるいは明らかに、露われるだろう。いな露われざるをえないだろう。そして人はその人自身の死を死ぬことができるだろう。またその時、人は死を恐れない。

たくさんの若い人々が、まだ余り遠くない過去何年かの間に、世界を覆う大きな災いのなかに死んでいった。君は、その人々の書簡を集めた本について僕が書いた感想を、まだ記憶していることと思う。そのささやかな本の中で僕の心を深く打ったのは、やがて死ぬこれらの若い魂を透きとおして、裸の自然がそこに、そのまま、表われていることだった。暗黒のクリークに降り注ぐ豪雨、冴え渡る月夜に、遥かに空高く、鳴きながら渡ってゆく一群の鳥、焼きつくような太陽の光の下に、たった一羽、濁った大河の洲に立っている鷲、嵐を孕(はら)む大空の下に、暗く、荒々しく、見渡すかぎり拡がっている広野、そういうものだけが印象に今も鮮やかにのこっている。そこには若い魂たちの辿ったあとが全部露われている。しかもかれらの姿はそこには見えないのだ。このことは僕に一つの境涯を啓いてくれる。そこには喜びもないのだ。悲しみもないのだ。叫びもなければ、坤きもないのだ。ただあらゆる形容を絶した Desolation(絶望)とConsolation (慰め)とが、そしてこの二つのものが二つのものとしてではなく、ただ一つの現実として在るのだ。もう今は、僕の心には、かれらが若くて死んだことを悲しむ気持はない。この現実を見、それを感じ、そこから無限の彼方まで、感情が細かく、千々に別れながら、静かに流れてゆくのを識るだけだ。これは少しも不思議なことではない。極めてあたり前のことなのだ。ただたくさんのものが、静かに漲り流れる光の波を乱して、人生の軽薄さを作っているのだ。人間というものが軽薄でさえなかったら ……。

僕を驚かすものが一つそこにある。いま言ったことは、人間が宇宙の生命に瞑合するとか、無に帰するとか、仏教や神秘哲学がいうしかじかのこととはまるで違うのだ。もっと直接で素朴なことなのだ。ライプニッツというドイツの哲学者が単子説に托して言っているように、この限りない彼方まで拡がってゆく光の波は一人一人の人間の魂の中に、さらにまたそれに深く照応する一つ一つの個物の中に、その全量があるものなので、あるいはそういうものが人間の魂そのものと言ってもよいかも知れない。しかしもうこういう議論めいたことは止めよう。つまり一人の人間があくまで一人の在りのままの人間であって、それ以上でも、それ以下でもない、ということが大切だ。

紗のテュールを篏めた部屋の窓からは、昨日までの青空にひきかえて、灰色がかった雲が低く垂れこめる夕暮の暗い空が、その空の一隅が、石畳の道の向う側にある黒ずんだ石造のアパートの屋根の上に見える。パリの秋はもう冬のはじまりだ。すこしはなれたところにあるゲーリュサック街を通る乗用車やトラックの音が時々響いてくる。小さいホテルの中は、何の物音もしない。本やノートを堆く重ねた机の前に僕はこれを坐って、書いている。これがすくなくとも意識的には虚偽の証言にならないように、ただそれだけを、念じながら。

人間が軽薄である限り、何をしても、何を書いても、どんな立派に見える仕事を完成しても、どんなに立派に見える人間になっても、それは虚偽にすぎないのだ。その人は水の枯れた泉のようなもので、そこからは光の波も射し出さず、他の光の波と交錯して、美しい輝きを発することもないのだ。自分の中の軽薄さを殺しつくすこと、そんなことができるものかどうか知らない。その反証ばかりを僕は毎日見ているのだから。それでも進んでゆかなければならない。

考えてみると、僕はもう三十年も前から旅に出ていたようだ。僕が十三の時、父が死んで東京の西郊にある墓地に葬られた。二月の曇った寒い日だった。墓石には「 M家の墓」と刻んであって、その下にある石の室に骨壷を入れるようになっている。その頃はまだ現在のように木が茂っていなかった。僕は、一週間ほどして、もう一度一人でそこに行った。人影もなく、鳥の鳴く声もきこえてこなかった。僕は墓の土を見ながら、僕もいつかはかならずここに入るのだということを感じた。そしてその日まで、ここに入るために決定的にここにかえって来る日まで、ここから歩いて行こうと思った。その日からもう三十年、僕は歩いて来た。それをふりかえると、フランス文学をやったことも、今こうして遠く異郷に来てしまったことも、その長い道のりの部分として、あそこから出て、あそこに還ってゆく道のりの途上の出来ごととして、同じ色の中に融けこんでしまうようだ。

たくさんの問題を背負って僕は旅に立つ。この旅は、本当に、いつ果てるともしれない。ただ僕は、稚い日から、僕の中に露われていたであろう僕自身の運命に、自分自ら撞着し、そこに深く立つ日まで、止まらないだろう。(森有正『バビロンの流れのほとりにて』)

加藤周一が森有正は哲学者としては失格だ、詩人であったというのは、この文章はもとより、後年の「経験」の哲学もあきらかにリルケの影響が窺われるからだ。詩人としての森有正はリルケの人としての森有正ということだ。

だが詩というものは、若いころに書いたものにろくなものはない。それには待つということが大切だ。そうして一生かかって、それもたぶん長い一生を倦まずたゆまず意味と甘味とを集めねばならない。その果てにようやくたぶん十行の良い詩を書くことができるのであろう。なぜなら、詩はひとの言うように感情ではない(感情ならはじめから十分あるわけだ)、 ――それは経験なのだ。一行の詩句を得るためには、たくさんの都会を、人間を、物を見なければならない。けものたちを知り、鳥の飛び方を感じ取り、朝小さな草花のひらく身ぶりを知らなければならない。はじめての土地の、なじみない道のことを、思いがけない出会いや、もう久しくその近づいてくるのが見えていた別れを思い出すことができねばならない、 ――まだよく意味が明らかにされていない幼年時代のことを、また、両親がぼくたちをよろこばせようとして持って来たものが、ぼくたちにはなんのことかわからず(それはほかの子どもならよろこぶにちがいないものだった)、両親の心を傷つける破目になってしまった思い出や、じつに奇妙な始まり方をして、思いがけない深い重い変化を伴う子どもの病気のことや、ひっそりとつつましい部屋のなかですごす日々のことを、海辺の朝を、海そのものを、多くの海のことを、高い天空をざわめきながら、星々とともに飛び去って行った旅の幾夜さのことを、―― そしてたとえ幸いにも、そういう一切のことを思い出すことができても、それはまだ十分ではない。ひとはまた、どの一夜も他の夜に似ることのなかった多くの恋の夜の思い出を持ち、陣痛にあえぐ女たちの叫びと、産み終えてかろやかに、しろじろとして眠っている女たちの思い出を持たねばならない。しかしまた、死んで行く人々の枕辺にはべり、死んだ人とひとつの部屋にすわって、あけた窓から高くなり低くなりしながらきこえてくる外の物音に耳傾けた経験がなくてはならない。そして思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れられた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。なんとなれば、思い出はそれだけでは、まだ何物でもないのだ。それがぼくたちの内部で血となり、まなざしとなり、身のこなしとなり、名もないものとなって、もうぼくたち自身と見分けがつかなくなってはじめて、いつかあるきわめてまれな時刻に、ひとつの詩の最初の言葉が、それらの思い出のただなかから立ちあがって、そこから出て行くということが考えられるのだ。(リルケ『マルテの手記』)


(Rilke with Lou Andreas-Salomé (1897) On the balcony of the summer house)


この写真から一年あとの四月、リルケはフィレンツェに滞在して、ルー・アンドレアス・サロメに書簡を送りはじめる。
これからあなたに宛てて日記を書き始めることができるほど、自分が十分に落ち着きを得、成熟の域に達したかどうかーーそういうことはわたくしには一切判らない。ただわたくしは、あなたが、あなたのものとなるこの一冊の本の中で、すくなくともわたくしが内密に、秘密に書きとめるものを通して、わたくしの告白をうけて下さらないうちは、いつまでもわたくしのよろこびは自分に縁の遠い、孤独のままでとどまるだろうということを感じるばかりである。それで、わたくしは書き始める。そして、かつて、あなたこそわたくしが優しい願いで自分を準備したその成就であることをまた知らずに、そこはかとない同じ郷愁にかられていたその日々をまる一年の歳月が隔てる今日この頃になって、わたくしの欲望のあかしをすることができる萌しが出て来たことを、わたくしは、喜んで承認するのである。(『フィレンツェだより』1898.4.15)

この『フィレンツェだより』の「あとがき」には、訳者森有正の「リルケのレゾナンス」という文が附されている。

こうして私はリルケの刻印を受けた。それは私自身のある姿でもあった。私の歩みがどういうものであるか、それは「バビロンの流れのほとりにて」の中に私は誌した。私は、リルケのではなく、私の歩みを続ける外はなかった。私のうけた刻印は、私の歩みに従って、苦痛や歓喜や感動や、さまざまの反応を起した。私はそれに耐えて行く外はなかった。(……)

そのようなわけで、リルケは、殆ど対蹠的に見えるアランと共に、ヨーロッパにおける私の生活と仕事との二本の支柱のようなものとなった。そしてこの二人によって代表される二つの思想傾向が本当は異質のものではない、ということを、長い時間をかけて読んだプルーストは私に教えてくれた。(森有正「リルケのレゾナンス」)

いま、わたくしの手元には『バビロンの流れのほとりにて』と、エッセイー集二冊、それにリルケの『フィレンツェだより』だけしかない。


◆J.S. Bach - BWV 653 - バビロンの流れのほとりにて





森有正は、パリ滞在では先輩格にあたる彫刻家高田博厚から次のような不評のことばをも貰っているし、製本家栃折久美子との奇妙な恋愛などもある(「四足の靴を抱えて、小間使いのように扱われている栃折さん」『森有正先生のこと』)。

〈世渡り〉の面で彼には矛盾を感ぜず、一見不器用そうなのに、むしろ得意になる点があるのを私は以前から見ていた。結局、有正は孤独な魂の所有者ではなかったのか?しかし、彼は私にはそういう点は一切見せず、パリの日本学生会館館長に二期もなり、その上、パリ日本人会会長になろうと奔走したことも言わなかった。(高田博厚「回想」『森有正全集7』、月報)

森有正はそのエッセイ「木々は光を浴びて」(1972年)で、フランス人女性の言葉として「3発目の原爆が落とされるのも日本だと思う」と書いた。この言葉を大江健三郎はエッセイで何度か引用してきた。少し調べてみると、森有正の文はこのような消息があるらしい。

新聞の随筆に話を戻すと、大江は森に尋ねたいことがあった。それは森の「木々は光を浴びて」において、森とフランス人女性の話についてである。インタビューをうまくすすめるために、大江は前もってその質問を森へレジュメで送っていた。森とフランス人女性との間で日本についての会話がなされる。日本をよく知るフランス人女性は独り言のように「3発目の原爆が落とされるのも日本だと思う」と言葉にする。それを聞いた森はそのことばに全く反駁する気持ちが起きなかったという。「胸を掻きむしられるような思い」であったという。

この逸話について大江はその後、そのフランス人女性と森との間にどんな対話があったのか、という質問を持っていた。

日本滞在時、ICUのチャペルで森は朝パイプオルガンを弾くことが日課であった。その日は重い感じのするバッハの単調の前奏曲とフーガを何度も運指の練習を弾いていたと大江は記している。

結局、そのあと朝食を共にするという約束を森が違えて、裏口から森は出て行ってしまう。

その日の夜に大江に速達が届き、①フランス人女性に人種的差別感を持たないでほしい ②あの件はもともと自分の思いついたことであったが、そのままの表現にすることに編集者が抵抗して、そのアドバイスに森自身が乗ったことが書かれていたとのことだ。(森有正と大江健三郎

◆BWV 564 Adagio





森有正の『バビロンの流れのほとりにて』は、性愛、その官能とエゴイズムが、哲学的あるいは芸術的の仮装の衣の下に生生しく蠢いており、十代の少年がなによりも魅了されたのは、女を感覚的に愛し、「ヤリマクレ」との御達し(?)を読んだせいでもあるだろう。たかだか萎びて抑圧された生涯を送ったに違いない大学教師たちが、森有正の哲学的な書き物のすくなさに驚く辻邦生を「かまとと」と嘲笑しても、それは彼らの「かまとと」ぶりを露くだけだ。

世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …(……)

恐るべき家族の神秘…おびえて、疲れ果てて、のべつ調子外れで、女性化され、虚弱化され、干からびて、女々しく、飼い馴らされ、母性化された男たちの眼差し、ぶよぶよのオッパイ(……)

ぼくは、いつも連中が自分の女房を前にして震え上がっているのを見た。あれらの哲学者たち、あれらの革命家たちが、あたかもそのことによって真の神性がそこに存在するのを自分から認めるかのように …彼らが「大衆」というとき、彼らは自分の女房のことを言わんとしている ……実際どこでも同じことだ …犬小屋の犬… 自分の家でふんづかまって …ベッドで監視され…(ソレルス『女たち』)

◆森有正『バビロンの流れのほとりにて』
青いブルーズを来たアルジェリアの男が三人(……)かれらの体全体は気安さと、そこはかとないかなしみを表している。削げたようにやせこけた体、日に焼けた皺の多い皮膚、黒目がちの鈍い眼はどこを見ているのか判らない。かれらの体全体は、再びかえらぬ時、あるいは、花咲くことなく朽ち枯れてゆくと時の嘆きを発散している。(……)僕はこういうアルジェリア人を見るのが大すきだ。かれらは思想をもっていない、精神さえもっていないのかも知れない。かれらは輝く太陽の降り注ぐ、まっ青な地中海に切り立つイベリアやアフリカ、あるいはコルシカの岩壁に生えている香り高いジュネヴリやミルトの潅木のようだ。(……)かれらを見ていると一種のノスタルジー、感覚のノスタルジーが湧いてくる。それはかくされていて表面には出ていないが、恋というものをする宿命をもった人間の淡い本能的な憧れの一つの極限をなしている。かれらの恋は感覚の興奮と同じ長さの持続性しと同じ程度の強度しかもたない。激しく短いこと、そして次第に衰えてゆくこと、これがかれらの恋の姿だ。マイヨ門の白じらとして広場を背景にしたかれらの影絵姿は、鉄の柵にもたれたまま、じっとしている。それは感覚と神経と反射中枢とだけでできた人間だ。愛情も歓喜も悲哀も、この反射組織を、ダンスと女と音楽と食物と咲けとに結びつける機能にすぎない。かれらにとって賭は、思考の作用ではなく、かれら自身の存在を抽象化してみる本能の動きだ。この透明な人間たちは、人が恋をする時の理想、意識されない理想ではなかったのか。かれらはメトロの硬い鉄柵にもたれて何を待ち何を考えているのか。、愛ということで人が求めているものの、ぎりぎりの、裸の真実、もうそのうしろには何もかくされてはいない。それ自体で全部である愛欲の裸の姿。愛ということは、二つの人間が合わさることだと誰かが言っているが、かれらは女に対して合わさることしか考えない。P10
およそ人間でも、ものごとでも、恋愛関係としてでなければ考えられない型の人間があるものだ。(……)リールケがそうだった、ゴッホがそうだった、ドストエフスキーがそうだった。しかしその人たちの運命は悲劇に充ちている。殆どすべての場合、孤独の中に終るのだ。P16
仕事は心をもって愛し尊敬する人に見せ、よろこんでもらうためだ。それ以外の理由はすべて嘘だ。中世の人々は神を愛し敬うが故に、あのすばらしい大芸術を作るのに全生涯を費やすことができたのだ。しかし仕事の対象となるこの存在はいったい何なのだろう。何でなければならないのだろう。それでこの人の仕事の質が決定してくるのだ。実に恐ろしい問題だ。僕はたえずこの問題を考えている。P43
ミケランジェロの彫刻の肌は、実に深く、またこまかく、それが生れたトスカナの柔らかい空気を思わせる。パリやシャルトルやランスのカテドラルの肌がイール・ド・フランスの豊かな自然を思わせる様に。しかしここに否定することのできないことがある。それはこの宇宙的、あるいは全人生的なミケランジェロの芸術は、我々に一つのノルムを提供しているということだ。その作品の前に我々の存在の全機能は吟味されてしまう。これは実に辛く、苦しい道だ。その中で自己を破壊しないようにしつつ、この吟味に耐えてゆかねばならない。バッハ、ドストエフスキーに出会ってこの方、僕ははじめて、ここに三度目に僕の全存在を上げて向う対象に出あったという感じがする。(……)自分をどこまでもどこまでも引きずりこむ、底の知れない程深い対象にゆき会うということは人生の最大のよろこびの一つである。しかもそれは同時に最大の責任の一つなのだ。僕がこの吟味を通りこすことができるかどうか、その重みに耐え切れるかどうか。いまや一切はそこにかかっている。P45-46
ありのままの人間をぎりぎりに追いつめて見た時、それは一つの享楽の意志をもった肉体の塊以上のものだろうか。(……)本当の享楽は、自分と同じように意志をもった他の肉体と相互の享楽関係に入ることではないだろうか。これは議論ではなくて事実だ。P61
人は、愛の対象となる人は、その相手の自分に対する愛が利己的であるばあるほど満足を覚えるのではないだろうか、愛は徹底的にエゴイスティックになった時、はじめて相手を満足させるのではないだろうか、。そうに相違ない。僕は殆どすべての友人を喪ってしまった。しかしそれはそれでよい、僕は後悔しない。そんなことは人間の本当の価値とは何の関係もないことなのだ。P73

《真の女は愛が芽生える瞬間がどのようなものであるかを知っている。女はおびえた心を外へ呼び出そうとする声に抵抗できない。男は自分の声を女の心がこのように意識することに抗うことはできない。真の男は愛の魅力からは逃れられない。》(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』p185からだがいくらか変更)

フランツは強いけど、あの人の力はただ外側に向かっている。あの人が好きな人たち、一緒に生活している人たちが相手だと弱くなる。フランツの弱さは善良さと呼ばれている。フランツはサビナに一度も命令することはないであろう。かつてトマーシュはサビナに床に鏡を置き、その上を裸で歩くように命じたが、そのような命令をすることはないであろう。彼が色好みでないのではなく、それを命令する強さに欠けている。世の中には、ただ暴力によってのみ実現することのできるものがある。肉体的な愛は暴力なしには考えられないのである。(……)

サビナはメランコリックな黙想を続けた。(……)
「で、なぜときにはその力を私にふるわないの?」
「なぜって愛とは力をふるわないことだもの」と、フランツは静かにいった。

サビナは二つのことを意識した。第一にその科白は素晴らしいもので、真実であること。第二に、この科白によりフランツは彼女のセクシャル・ライフから失格するということである。(同p131-132)
真の愛とは一人の男あるいは一人の女をその自我から引きはなす、そういう愛である。そして他の者の意志がそれにとってかわるのである。愛の行為とは相手をその自我から引きはなし、それを吸収することである。つまり、相手にとってかわるのである。相手は己れから決定的に引き離されてしまうのである。究極の行為はだから暴力である。しかしそれは、同意し同意された暴力だ。僕は何も、肉体に基づく行為のことを言っているのではない。ただ愛のもつ意義について語っているのである。(森有正『語彙集』

森有正はラカン、あるいはラカン派の言説は読んでいないはずだが、ここでは原初の「母」なるものとの共生symbiosis、享楽の愛が語られているとしてよいだろう。クンデラのいう女の「不安」は享楽の条件であるエゴの消滅の深淵を覗く瞬間を表している。だがほとんどの男はそんなものからは逃げ出し、ファリックな快楽に耽るのみなのだ。だが、そこにはエロスではなくタナトス、Tristis post Coitum(性交後の悲しみ)しかない。

原始的淋しさは存在という情念から来る。
Tristis post Coitumの類で原始的だ。
孤独、絶望、は根本的なパンセだ。
生命の根本的情念である。
またこれは美の情念でもある。
                                    
――西脇順三郎『梨の女「詩の幽玄」』より


◆THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE(Paul Verhaeghe)
woman, jouissance and anxiety are part of Eros; man, phallic pleasure and sadness are part of Thanatos. The affect indicates the break where pleasure results in too great a loss: anxiety relates to the disappearance of the ego that is a condition for jouissance. Sadness relates to the loss of symbiosis as a result of phallic pleasure. In this respect, the opposition between man and woman is extremely relative and should be interpreted more as an active versus a passive position, which any subject can adopt vis-a-vis the other. This explains why sexuality, no matter how satisfying it may be, always contains the seeds of dissatisfaction—the pleasure of one direction detracts from that of the other tendency. Freud anticipated this when he wrote in 1896 that sexuality itself contained a source of displeasure. The two directions are clearly sex-related. Eros and jouissance belong on the side of the woman, Thanatos and phallic pleasure on the side of the man. Each has within itself the potential, or even the aspiration, for the other. The female orgasm is also phallic—she is even multi-orgasmic. However, she needs it less and does not feel it to be essential. Sometimes it can even diminish her potential for gaining pleasure from the other, the lasting aspect of symbiosis in which the original bond is restored. The man is all too familiar with jouissance and is constantly seeking it, though he also flees from it in the short-circuiting of his phallic pleasure, because this other enjoyment turns him into an object without a will, part of a larger whole.




2013年11月28日木曜日

ヴァギナ・デンタータVagina dentata、あるいは卵と壺

What happens when a normal man, that is, a man who wants immediate sex, runs into a female version of the same thing, a woman who also wants to dive into bed straightaway, anywhere and everywhere? The chances are that the man will quickly lose interest and even take flight—in this case, with his non-proverbial tail between his legs. In the context of the psychoanalytical situation, I have often seen this happen with male analysands when the apparently biologically set roles were simply reversed. It was by no means unusual for the man to complain that he felt used and even abused, reduced to an object, a vibrator. In other words, he voiced exactly the same complaint as a woman would. Men are so afraid of female desire and pleasure that they have even created a scientific term for this, 'nymphomania'. This is ultimately no more than the scientific expression of the mythology of the vagina dentata (the vagina with teeth). (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe)


フロイトのヴァギナ・デンタータVagina dentata(「有歯膣」、あるいは「歯の生えた膣」、「歯のある膣」)をすこし調べていたら、縄文土偶の記述にめぐりあう(もっとも直接にVagina dentataへの言及はない)



再生可能な人間の死体をシク(目)アン(ある)ライクル(死体)といい、再生不可能な人間の死体をシク(目)サク(なし)ライクル(死体)というのである。目は再生の原理なのである。この風習はその後日本にもある。例えば大仏開眼の行事や、或いは選挙でダルマに目を入れる風習などの中に残っているのである。

遮光器土偶の巨大な眼窩、それは私は再生の願いを表すものであると思う。遮光器土偶は巨大な眼窩と、かたくつむった目の取り合わせによって人々を驚かせている。それを遮光器と名づけたのは、実はそれは偶然にもユーモラス比喩であるが、恐らくそこに土偶と言うものがつくられる最も深い意味が隠されていたに違いない。(縄文の神秘   梅原 猛







ピカソが魅されたのもたしかに頷ける彫像群だ。


下のものは顔がハート型をしている。ハートは心臓の象徴だと通常はされるが、

キャサリン・ブラックリッジの『ヴァギナ 女性器の文化史 』によれば、次の如し。


多くの学者が指摘しているが、西洋の究極の性のシンボル、ハートは、ヴァギナを表したものにほかならない。確かに生殖器が興奮し、自分の意志で陰唇が開いた状態にあるとき、ヴァギナの見える部分の輪郭は紛れもなくハートの形をしている。

この類のことについて、ジジェクはかならず言及しているはずだと思い、検索してみると次のような発言がやはりある。

My relationship towards tulips is inherently Lynchian. I think they are disgusting. Just imagine. Aren't these some kind of, how do you call it, vagina dentata, dental vaginas threatening to swallow you? I think that flowers are something inherently disgusting. I mean, are people aware what a horrible thing these flowers are? I mean, basically it's an open invitation to all insects and bees, "Come and screw me," you know? I think that flowers should be forbidden to children.
Slavoj Žižek, Dreamboat, Thinks Flowers Are "Dental Vaginas Threatening to Swallow You"



男性が花を好まないとは限らないが、女性が「ナルシシスティック」に好むようには、好まないだろう。

リルケの詩を思い浮かべてみよう、《薔薇 の花、純粋な矛盾、おびただしい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽》ーー「薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという冷酷な現実を再帰させ、しかし次の瞬間、その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、そこに「悦楽」‐幻想を残していく」と樫村晴香は書くが(「ドゥルーズのどこが間違っているのか」)、抑圧されているものは「死」だけではないはずだ。



ヴァギナ・デンタータに近いものとして、ラカンの「鰐の口」を想いだしておこう。


ラカンは母親の欲望とは大きく開いたワニの口のようなものであると言っている。その中で子どもは常に恐ろしい歯が並んだあごによってかみ砕かれる不安におののいていなければならない。

漫画に恐ろしいワニの口から逃れるために、つっかえ棒をするシーンがある。ラカンはそれに倣って、このワニの恐ろしい口の中で子どもが生きるには、口の中につっかえ棒をすればよいと言う。ファルスとは実はつっかえ棒のようなもので、父親はこのファルスを持つ者である。そして父親のファルスは子供の小さいファルス(φ)ではなく、大きなファルス(Φ)である。つまり正義の騎士が万能の剣をたずさえて現れるように、父親がファルスを持って子供を助けてくれるのだ。(「ファルス」と「享楽」をめぐって

さて、いまはフロイトのいうヴァギナ・デンタータについては触れない。『性欲論三篇』などに書かれていたはずだが、あまり憶えていない。そのうち読み返したら書くかもしれない。

各地に伝説はあるようだ。

スー族のインディアンは、ラミアー伝説と同じような物語を語った。美しい魅惑的な女が若い戦士の愛を受け入れて、雪の中で契った。雪が晴れてみると、女は一人で立っていた。男は彼女の足もとで蛇にかじられ、一山の骨と化していた。
アイヌの伝承に、「昔、最上徳内が探検し発見した、メノココタンという島の住民は、全員女性で、春から秋にかけて陰部に歯が生え、冬には落ちる。最上が「下の口」を検めたところ、刀の鞘に歯形がつく程度の咬力があった」(南方熊楠)

そのほかにここにやや詳しい→ 







ここでは、以前、メモして投稿しないままにある文を、ほとんど関係がないが、以下に続ける。要するに、縄文土偶の画像をみていたら、古代キクラデス諸島の彫刻を想起したということだ。

…………


《秘訣とは卵のあの曲面ですよ。なぜなら、陶工の轆轤がまずはじめに形を仕上げていれば、見かけ倒しの部分はもうなくなっているから。》

「だから、いつでもかならず素材が話しかけるのだといえる。それに、精神に話しかけるのはほかでもない、素材を扱っている手であり、そのとき手は、素材を介して、精神に話しかけるのだ。これが芸術の、いや少なくとも造型芸術のお作法ではなかろうか。要するに、腹案が作品に先行しているらしいとはいっても、腹案と作品とのあの関係、私の名づけて工業的といっているあの関係は、諸芸術においては、もう一つの別の関係に、完全に従属している。これが腹案だったのかと悟らせてくれるのは、じつはほかでもない作品なのだ、という関係のほうが、立ちまさっているわけだ。作品を作ってみて、自分の表現したかったことに誰よりも先に教えられ、また誰より先におどろくのは、当の芸術家なのだから、この関係はずいぶん逆説的なものだ」(アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)

アランの対話者は、アンリ・ナヴァルという今ではほとんど無名の、メダル職人から叩き上げた彫刻家で、彼はロダンの彫刻を次のように批判している、「ロダンの親指、あれはどうもいけない。親指というやつは、光線をたよりに肉付けしますから。ところが、じっさいに形を作ってゆくのは人指し指なんです」、と。

ナヴァルは素材を介して精神に働きかけるのは造型芸術だけがそうなのだろうか、たとえば音楽家は? と問う。

 「たしかにあなたのいうとおりだ」と私は答えた「彫刻よりも音楽において、あらかじめの計算が不快を与える割合が少ないなどとはいえない。それに、すばらしい歌の土台になるのは、いつのばあいにも歌い手の身体の均衡状態だ。同じ状態にとどまりつづけることはできず、しかも何か屈折運動というべきものによらずには、いつまでも同じ状態を脱することができない。屈折運動は、上首尾に起こることもあれば、しなやかさを欠くことも、ゆったりとした休息に通じることも、また盛上りの不足を埋めあわせるようにはたらくこともある。そしてじつはこれこそ、音楽と彫刻とのあいだに成り立つアナロジーの好例だ。アナロジー、つまり相似といったが、これを類似ということとけっして混同してはいけない。思想があらわれるのは、アナロジーをとらえた時なのだ。ただ私にはこんな気がするのだが、私が作家の仕事を考えようと思うなら、これよりもっともっと隠された事情に触れなければならないのではないか。なぜなら、作家もまた、彼なりのやり方でではあるが、偶然を活用して美をうみ出すすべを、じつによく心得ているし、またそんなことは詩人においてはほとんど自明のことがらだ。散文作家のことになると、私にはどうもよく分らない。とはいっても、時どき私の感知することだが、散文作家は、野獣をとらえようと待伏せしている特定の形式をにべもなくしりぞける。散文における特定の形式は、いざとなれば詩における形式よりもはるかにうまく森を叩いて野獣を狩り立てる。それが散文作家には気にくわないのだ。……」

「しかし、文筆家にとって、充実した、しかも切れ目のない形は、どこにあるのです。いったいどこに、卵の丸みがあるのです。壺のあの回転性は、どこにあるのです」

「詩の作品になら、卵の丸みは、はっきり見てとれる」と私は応じた「詩節〔ストローフ〕がそれだ。リズムがそれだ。脚韻、脚韻の一糸乱れぬ並びがそれに当る。ソネの形式は、前もって壺を用意している。壺をゆがめないで飾りをつけることができるかどうか、それが問題なのだ。大した仕事ではない。たしかに容易な仕事といってもかまわない。だがしかし、悲歌あるいは叙事詩の、あの響きのよくて、しかも少しの飾りもない形は、いったいどんな種類の形といえばよかろう。『イーリアス』というあの偉大な壺をどういえばいいだろう。まずはじめに詩があり、詩人はその表面に憤怒、死、復讐が、何度もくり返してはじまり、その都度互いにからみ合ってめぐり舞う姿を描き出したのだが。底の底までとらえることは、とてもできないことだ。とはいっても、散文にも、かならず一種の歌は聞こえる。フレーズの円環というべきかもしれないが。ただし、私にいわせるあんら、散文作家はそういう形をずたずたに切ってしまうという点で、詩人からきっぱり区別されるものだ」

彫刻家は像を判断しようと身を引いた。彼が千里のかなたへ遠ざかったような気がした。彼はこういい放った「そうだ、彼は形をずたずたに切る。だが、それこそがまさに形を連続させるひとつのやり方なのだ」(対話三)

この対話録は、『芸術論集』(諸芸術の体系)や、詩と散文の相違を問う詩と散文について」『精神と情念に関する81章』所収)の後になされたものだが、『芸術論集』などでは、《脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。》やら、《散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。》とされている。

『彫刻家との対話』で新しいのは、それらの著述にはみられない「卵と壺」のモチーフが繰り返し現れていることだ。

さて、ロダンに対する評価はさておき、ここで敢えてリルケの『ロダン』から引用してみよう。

詩句の中には、文字面からとび出していて、書かれたというよりは、むしろ造形されたように見える箇所があった。詩人の熱い両の手の中で融けてしまっている言葉や、言葉の群があった。浮彫の手ざわりをもった行があり、また、こみ行った頭飾のついた円柱のように、不安な思想の重荷を担っているソネットもあった。(……)彼(ロダン)はボードレールを自分の先駆者だと感じた。顔面によってはまどわされず、そこでは生命がはるかに大きく、恐怖に充ち、休息を知らないところの、身体の方を探し求めたひとりの人間をそこに感じたのであった。(高安国世訳)

ーーこの文に限れば、リルケはアランとほとんど同じようなことを言っているようにみえる。

…………



高田博厚はアランの頭像を制作している。彼は、1930年頃から27年ほどパリに暮らし、ロマン・ロランやコクトーなどとも交遊があり、あるいは加藤周一、森有正、朝吹登水子などのエッセイにしばしば出てくる。娘は田村隆一の元夫人。若い頃、自伝『分水嶺』を熱心に読み、少し無理をして高田博厚のブロンズ製の女のマスクを手に入れたことがある。ごく小さなものなのでそれほど高価ではなかった。学生生活の仕送り三ヶ月分程度だ。リルケの『ロダン』にいかれていた頃だった。もっとも「ロダンの親指、あれはどうもいけない」なら、高田博厚の親指はもっといけない。


『彫刻家との対話』に戻れば、次のようにある。

すでに指摘したように、芸術家が自分の精神をとりとめのない観念遊戯に忙殺させておき、製作中の作品について先走って考えるゆとりを自分で封じておくのは、これはなかなか巧妙な策略なのである。そしてこの点にういて私は独りごちたのだが、芸術家たちに時として見かけるあの強烈な情念のあらわれは、普通そう思われているよりもはるかに彼らの芸術とは無関係なものにちがいないのだ。あの愛欲の気苦労が心を占めているからこそ、身についた手仕事に即して手が思うさま活動するのである。それに考えてみればなるほど、恋敵の死について思いめぐらすほうが、大理石の表現について瞑想するよりもずっと好ましい。そんな瞑想をしていると、きっと大理石をはみ出る結果になるだろうから。私は乱暴なこういう考察を口に出すことは控えておいた。はじめてここに書きとめる。というのも、今ならこの考察の含む毒をほとんど一滴のこさず抜きさることができるから。意地の悪い思考は、相手をえらびはせず、芸術家だからといって手加減しはしない。それにまた反対に、美しい作品は犯罪計画を吹きとばしてしまう。こうして私の夢想の中を暗殺の刃をにぎった人かげが通りすぎるのを見送ってから、じつはその人かげは兄弟かと思うほどわが彫刻家とよく似ていた……。(対話三)

芸術の受け手が、芸術家の伝記やら、その作品以外の私事によって、評価をしてしまうことを戒める文としても読めるだろうし、作品の作り手が、芸術家が美とはなにか、とか、その表現のあり方に「瞑想する」振舞いへの警告とも読める。そんな暇があるなら、表現の素材に沈潜し、その素材との戯れの只中から僥倖のように「表現」をもたらすことに努めよ、とも読める。

同時代人の、アランと親しいヴァレリーの文を挿入するならば次の如し。

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)

『彫刻家との対話』にはヴァレリーも登場する。

ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」


ーーー古代キクラデス諸島の彫刻Cycladic Sculptures

キクラデス彫刻の頭だけのレプリカが、いま手もとにある。かつてルーヴルで手に入れたものだが、卵にみえもし、亀頭にもみえる。

さて「対話二」にはこうもある。

休憩時間に、シャルトル大寺院の彫像、エーゲのギリシア人の彫刻、中国の仏像の写真をながめていた彫刻家がいう。

「これらには、どこかに共通したところがあります。卵型、壺の丸み、これが共通点です。面のどの起伏も、どの凹みも、すべてあの偉大な法則に服従しているでしょう。ところが、そうだからこそ、何か表情が出ている。表情、そういっていいでしょうね。ただし、何も表現していない表情。そういえますね」

「そういっていい」と私は答えた「いや、そういわねばならない。というのも、言語で説明できそうな感情を彫刻が表現しているとき、われわれは彫刻の外にいるわけだから。それでは完全にレトリックの分野に出て、調子のいいことをしゃべっているだけのことになる。だから私としてはこういいたいと思うのだが、ほんとうの彫刻というものは、ある存在の形体以外のいかなるものも絶対に表現していない。存在の形体、つまり存在のもっとも深い内部という意味だよ。そういう深みから、存在の形はうみ出されて来るし、また奇型の形成を拒否しつつこの世に押し出されもしたのだから」


言葉遣いの古臭い箇所はあるだろう、いまひとは「深い内部」という表現は避けるようになって来ている。「どこか深いところから根源的な声が呼びかける」、などという、ヘルダーリンやリルケ的な表現に胡散臭さを感じてしまうようになっている。ーー「もっとも深い内部」とは実は表面だというのが二〇世紀後半以降の語り口だ。

《表面》について考えながら、たとえば表面とその派生的な表現について、表面、表面的、表面化する……。

あるいはまた次のような事実について。
表面的、いいかえれば表面であるというこの単純な事実がなぜ、同時に貶しめられた意味を、少なくとも暗黙のうちに、つねにになわされてこなければならなかったのか。(……)

だが表面とはなにか。それは存在のあらゆるカテゴリーをのがれるなにものかではないだろうか。表面は存在論の文脈から抜け落ちる、それは、表面が、ほとんど定義によって、存在論の対象となりえないからだ。表面は厚みをもたず、どんな背後にも送りとどけず(なぜならその背後もまた表面)、あらゆる深さをはぐらかす―そのとき、ひとは軽蔑をこめて表面的と形容するだろう。

深さのない表面、決して背後に送りとどけることのない表面。《われわれは表面をどこまでも滑ってゆく―横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが、決して奥へ、あるいは底へではなく……》あるいはチェス。いうまでもなく、『鏡の国のアリス』はチェスの問題として構成されているのだ。(宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』より )

もっともこれは、いまここにはない失われた風景としての「深さ」がロマンティックに探求され過ぎ、そのため平板でのっぺらぼうな「表面」への侮蔑、無関心、盲目がそこらじゅうに蔓延っていたことの批判という文脈でも読む必要があり、いまでは、そこらじゅうにプラスチックのような表面的魂が蝟集しているさまに辟易せざるをえないならば、「深さ」という死語をもういちど復活させたいと願うひとびとがいてもおかしくない。




リルケには、「深く」という語を使いつつも、「きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面」という表現がある。

……作品はロダンの手を離れると、全くまだ一度も人の手をふれたことのないもののようです。光と影はこの物の上では、もぎたての果実の上でのように、いっそうのやわらかさを持ち、朝風にはこばれて来たようにいっそうの動きに充ちているのです。(……)

或るところでは光はゆるやかに流れているかと思うと、或るところでは滝のように落ちており、あるいは浅く、あるいは深く、あるいは鏡のように輝くかと思えば、またにぶく淀んでいる、--きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面によって、そういうふうに光が動きを余儀なくさせられるのです。こういう作品の一つにふれる光は、もはやただの光でいることができません、もはや偶然の方向を持つことはできないのです。物が光を所有することになり、自分のもののように使うことになるのです。

明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすることを、彫刻的事物の本質的な性質の一つとしてロダンは再認したのです。(……)ロダンは光の獲得を自分の発展の一部とすることによって、太古からの伝統の中へ身を置いたのでした。

実際そこには、リュクサンブール美術館にある『思い』とよばれる、あの石塊の上のうつむいた顔のように、自分自身の光を持った石があります。この顔は影になるまで前に傾いて、石の白い微光の上にささえられていますが、この石の輝きのために影は融け去り、一種の透明なうすら明かりへと移って行くのです。(リルケ『ロダン』高安国世訳)

ところで卵と壺の顕揚ーーでは、針金のようなジャコメッティの作品をなんといえばよいのだろう。だが、ジャコメッティは古代エジプト美術に魅了されていたことを忘れてはならない。





ロダンの彫刻が光をわがものとするのであれば、ジャコメッティの作品は空間をわがものとする言い方ができるのではないか。あるいはそのまわりを流れる空気の質を変えてしまうもの、と。ゴッホがデッサンについて語る言葉を援用すれば、《目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開く》やり方。





デッサンするとはどういうことなのか? どうやってそれをやり遂げるのか? それは目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開くという行為であり、その壁は人が感じることとなし得ることの間にあるらしい。いかにしてこの壁を通り抜けなければならないのか? というのもそれを強く叩いても何の役にもたたないし、私の考えではこの壁をじょじょに浸蝕し、ヤスリを使って、ゆっくりと、辛抱強く、それを通り抜けなければならないからである。(ゴッホ-ーー「鈴木創士の部屋」より)





…………


《昭和十六年の夏、私は出征することになった。リルケの《ロダン》と万葉集と《花樫》がとぼしい私の持物だ。》(吉岡実「死児」という絵〔増補 版〕)

こうあるように吉岡実の、少なくとも若年期の「私の一冊」は、リルケ「ロダン」だったようだ。

リルケの詩よりもこの著書に惹かれたらしいが、たとえば詩人としては遅咲きと言えるかもしれない吉岡実の比較的若い頃の詩には、リルケの詩の影響だって十分に窺われる。(『静物』は第二詩集で、36歳のとき私家版二百部が刊行されている。とはいっても十年間ほど書き溜めたものらしい)。


果実  リルケ

それは地中から実りを目ざしてのぼりにのぼった。
そして静かな幹に黙りこみ
あざやかな開花とともに炎となって
そしてふたたび静かになった。

ひと夏のあいだ夜も昼も
やすみなくいそしむ樹木のなかで成熟し
みまもりつづける周囲にむかって
やがて殺到するわが身をさとった。

そしていまやまるまるした楕円の
ふくらみを見せ円熟を誇ると
それはすべてを断念し果皮のうちの
自らの中心にすべりおちてゆく。

――(神子博昭「詩の暗さーーヘルダーリン、リルケ、ツェラン」より)



静物    吉岡実

夜の器の硬い面の内で
鮮やかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく


ある人は、わたしの詩を絵画性がある、または彫刻的であるという。それでわたしはよいと思う。もともとわたしは彫刻家への夢があったから、造型への願望はつよいのである。

詩は感情の吐露、自然への同化に向かって、水が低きにつくように、ながれてはならないのである。それは、見えるもの、手にふれられるもの、重量があり、空間を占めるもの、実在―――を意図してきたからである。だから形態は単純に見えるにしても、多岐な時間の回路をもつ内面構成が必然的に要求される。能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくりかえす複雑さが表面張力をつくる。

だからわたしたちはピカソの女の顔のように、あらゆるものを同時に見る複眼をもつことが必要だ。中心とはまさに一点だけれども、いくつもの支点をつくり複数の中心を移動させて、詩の増殖と回転を計るのだ。暗示・暗示、ぼやけた光源から美しい影が投射されて、小宇宙が拡がる。(吉岡実「わたしの作詩法?」より)

もっともその詩が、真に彫刻的となったのは、「僧侶」以降だろう。