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2013年12月29日日曜日

遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえ

ひさしぶりにホースで庭の水撒きをする。乾季がはじまって二ヶ月近くたち、喉を枯らした土壌が恵みの水をたちどころに吸い込んで安堵の吐息のように迸らせるエロスの香りに一瞬くらくらする。窒素や尿素などの臭気の渾然としたかすかに糞尿に近いにおいに包み込まれ懐かしい大地に吸い込まれるような感覚。

と、土の匂のエロスとしたが、じつは雨が降りはじめたときの埃の匂、あるいはアスファルトが濡れる匂だって似たような悦びを覚えることがある。

《小雨が降り出して埃の香いがする》(西脇順三郎『第三の神話』)

《ずっとわたしは待っていた。/わずかに濡れた/アスファルトの、この/夏の匂いを、/たくさんをねがったわけではない。/ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。/奇跡はやってきた。/ひびわれた土くれの、/石の呻きのかなたから。》(ダヴィデ 須賀敦子訳)

「一瞬よりはいくらか長く続く間」(大江健三郎)の至福の感覚というわけだ。

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」手塚富雄訳)

エロスやタナトスなら思想家の言葉より詩人や小説家の言葉を信用したくなるほうだ(上の文はもちろん詩人としてのニーチェだ)。たとえば、つるはしをふるい大地と性交する秋幸のほうがいっそう肝腎なことを教えてくれる気がする。

自分が考えることもない一本の草の状態にひたっていたかった。過去も未来もない。風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捲れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。(中上健次『枯木灘』)

故郷の小さな家の庭で夏の日に麦藁帽子をかぶった少年が水撒きの途中で振り向いた写真が遺っている。あの時も同じようなにおいが立ち昇っていたはずだ。半ズボンからふっくらした太腿を晒した十歳前後のいっけん温室育ちともみえる少年。日焼けでやや赤らみ、なぜかはにかんだ顔は、だが少年の無邪気さはなく、少年が六歳のとき精神分裂病とも診断された母親の過敏な神経の起伏に右往左往する鬱屈が垣間みえる。おそらく母が写真機を手にしたのだろう、そんな鬱屈のなかの束の間の安堵の表情。蝉しぐれが聞こえてきそうでもあり、うしろには稀なほどの大きさの向日葵が写っている。その向日葵の種は小学生向けの月刊の雑誌の附録なのを今でも強く覚えている。あまりにも見事な姿なので庭に咲いた花からの種を乾かし保存したものを翌年も植えて楽しみにして待っていたのだが、今度は平凡な大きさの花が開き落胆した。

土のかおりを嗅ぐことにより、渥美半島が南西にのびる根元にある海に近い故郷の町、その旧市街の城跡近くのいまではほとんど老人たちしか見ることができない地域にある無人となった実家での記憶が重なり(余談だが、「中央公論」12月号『壊死する地方都市』における《2040年、地方消滅》とは2010年代の今このとき移民政策を抜本的に変えねば決して杞憂ではないだろう)、黒田夏子の小説の冒頭近くにある魅されてやまない表現、《またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.》が浮かび上がることにもなる。

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。 (ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』)

今の庭はかなり広くホースで水撒きするのはたいへんなので、庭土を掘ってポリエチレン製のパイプを通してところどころ撒水用のパイプを垂直を立たせその頭にクルクルまわるノズルがつけてある。水は深く掘った井戸水を電力のモーターで吸いだす仕組みだ。ところがこのところそのモーターが劣化したのか、あるいはまた二キロほど北の工業団地にこの国一二を誇るらしい麦酒工場ができて地下水が枯渇しつつあるのかどうかーーこの工場では日本の著名な麦酒会社が当国向けの麦酒を委託生産をもしていると聞いたことがあるーー、いやそれ以外の別の理由なのかは窺いしれないが、庭隅までは水が到底とどかない。

今年のはじめ塀際に二百本あまりの灌木を植え替えた。以前は玉砂利で敷いた楕円形の散歩道に沿って膝下の高さの灌木が植え込まれていたのだが、庭の中央にある巨木の根がその植え込みの下まで這い伸びてところどころ持ち上がってしまい、不揃いで見苦しかったのを結局全部引っこ抜いて移したのだが、その香り高い花が咲く庭隅の月橘〔げっきつ〕の樹までは十分に届いていないことに気づいて、そのための散水ホースによる水撒きである。

学校から帰ってきた次男が珍しがって自分でもやりたいと乞う。妻も愉快そうに息子がホースの水を斜め上方にしてはしゃぐ様子を眺めている。この二ヶ月のあいだに貰った子犬三匹がそのまわりを駆け回る。古くからいる大型のフーコック犬(当国の南にある富国島特産のもともと狂暴で名高い犬種)だけが、どこふく風の佇まいで、それでもしばらくは連中の騒擾を物憂そうに眺めまわしていたが、結局ピロティー状になった空間にまだ老いるには早すぎるはずの身を無関心そうに横たえている。

庭仕事の手伝いのおばさんが、この数日病を得て休んでおり、落葉が散乱しているのを妻が掃き集めはじめる。そうすれば今度は焚火だ。煙が上方まで勢いよくほぼまっすぐに立ち昇ったあと、北西からの風に乗って家屋のほうにたなびき漂う、白い棚を空中にかさねて流れるかのようだ。

故郷の家は母が病んでから母方の祖父母の家の裏手に建てて移り住んだものだが、祖父母の家の裏庭で、つまりふたつの家の合い間でしばしば焚火をした。揃って体格のいい美丈夫の叔父たちの一人がその火のなかにさつまいもを潜りこませ焼き芋をつくる。焦げてぱりぱりになった表皮をまだ熱いうちに指先で捲り、香ばしい匂いを振り撒く黄金色の肉にかぶりつく。宵闇がせまって祖父母や他の叔父たちや母も焚火のまわりを囲みだす。焚火のにおいもよいものだ、火と煙がゆらめくのを眺めるのと同じくらい。勤め先が遠くなった父はいつも姿がみえず少年は完全な叔父っ子だった。通いのお手伝いさんも、皺としみですっかり覆われているーーそのこと自体に徹底したものの美しさもあるーー渋紙色の横顔を覗かせる。この自転車で牛川といういうと村名がついた農村から通う「かあ(川)ばあちゃん」は、精力増強のためといって、梅干壺のようなもののなかに蚕のような白い幼虫を飼い、ときおり抓みだして口にいれる習慣があった。

火は人を呼ぶ。盛大な焚き火は人々を集める。盛大な焚き火は人々を集める。人々は火を囲んで焔が一時輝き、思い切り背伸びするのをみつめる。かと思うと、焔は身をかがめて暗くなり、いっとき薪にまつわって、はらはらさせる。火を囲む人々は遠い過去の思い出に誘われがちだ。

私は思い出す、戦後の大阪駅前を。敗戦後何年か、夏でさえ、南側にはいつ行っても焚き火があって人々が群がり、待ち合わせ場所にも使われていた。私も長い時間をその焚き火の側で過ごした記憶がある。時代の過酷さを忘れて人々はいっとき過去を思い出す表情になっていた。

岐阜の長良川の鵜飼の火。夏の湿った夜気。暗闇ににじむ焔の船が近づいてくる。小さく、あくまで小さく。時に燃え上がる。火の粉が散る。焔の反映は左右に流れて、水面にこぼした光のインクの一滴だ。

しかし、他の何よりも思い出を誘うのは火、ことに蝋燭の火だ。間違いない。「ロウソクは一本でいい。その淡い淡い光こそ/ふさわしいだろう、やさしい迎えだろう/亡霊たちの来る時にはーー愛の亡霊が。/……今宵の部屋は/あまり明るくてはいけない。深い夢の心地/すべてを受け入れる気持、淡い光――/この深い夢うつつの中で私はまぼろしを作る/亡霊たちを招くためにーー愛の亡霊を」(カヴァフィス)。終生独身のこの詩人の書斎の照明は最後まで蝋燭一本だったという。特にお気に入りの友が来た時は二本、稀には三本を灯したとか。(中井久夫「焔とこころ、炎と人類」『日時計の影』所収)

火を囲む人々は遠い過去の思い出に誘われがちだ、とある。匂いはいっそうそうだ。もちろんひとによってそれぞれ異なるだろうが。

プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。(『彼自身によるロラン・バルト』)

中井久夫には別に「匂いの記号論」序説ともいうべき素晴らしい文章がある(後引用)。この感覚を表現する文章家は、小説家のなかでも珍しい。その感覚を濃厚に喚起してくれるのは、わたくしの限られた読書範囲では、古井由吉や金井美恵子のいくつかぐらいだ、もちろん嗅覚と触覚の綯い交ぜになったエロス、その眩暈を与えてくれる谷崎潤一郎はいるし(参照:隠れた詩人たち)、冒頭近くにあげた中上健次もいる。だが多くの小説家たちでさえ視覚偏重、頭脳のひとであり、始原のエロス感覚から遠く離れているように感じられてしまう。詩人たち? たとえば西脇順三郎はけっして視覚の人ではないだろう、聴覚の、嗅覚の、芸術家だ。《タイフーンの吹いている朝/近所の店へ行って/あの黄色い外国製の鉛筆を買った/扇のように軽い鉛筆だ/あのやわらかい木/けずった木屑を燃やすと/バラモンのにおいがする/門をとじて思うのだ/明朝はもう秋だ(「秋Ⅱ」『近代の寓話』)

古井由吉の文章には鋭敏な聴覚とともに男女のにおいが立ちのぼる。

・石をおろしてひときわ深い息をついたとき、覚えのある甘い匂いが、怒った時も潤んだ時も同じ興奮した佐枝の匂いが、戸の内でもほのかにふくらんだ。

・佐枝が寄ってきて、背中の荷物を上手におろさせるとすばやく炉のほうへ押しやり、火照った頬を肩に埋めた。声が潤んで昨夜と同じ匂いをふくらませた。(古井由吉『聖』)
その黙んまりの時期に、家に居ればどこか半端な、貧乏ゆすりでもしそうな恰好で坐りこんでいたのが、夜中にもう眠っている妻の寝床にくる。声をかけずに呻くような息をもらして押し入ってくるので、外で人にひややかにされるそのかわりに家で求めるのだろう、とされるにまかせていると、よけいにせかせかと抱くからだから、妙なにおいが滴るようになる。自分も女のことだから、よそのなごりかと疑ったことはある。しかし同棲に入る前からの、覚えがだんだんに返って、怯えのにおいだったと気がついた。なにかむずかしいことに追いつめられるたびに、そうなった。世間への怯えを女の内へそそごうとしている。(古井由吉「枯木の林」)

あるいは金井美恵子であるならば、エロスではなくタナトスのにおいを醸しだす表現が豊富だ。

腐敗した水のにおいだけではなく、路地の家々の壁には小便のにおいがしみついていて、粘り気のある有機質のにおいに混じったきな臭いアンモニアのにおいが充満してもいるのだ。腐敗した牛乳の匂いに似た、皮膚の表面から分泌する、汗や脂や腋臭の粘り気のあるにおいと、食物が腐敗して行く死の繁茂のにおいが建物の中庭に咲いているジャスミンと薔薇のにおいと混じりあり、甘ったるい吐き気のする睡気になって私の身体を包囲する。(金井美恵子『沈む街』)
(この中年男の)機械的に熱中ぶりを操作しているといったふうな長広舌が続いている間、わたしは濡れた身体を濡れた衣服に包んで、それが徐々に体温でかわくのをじっと待っていたが、部屋の空気は湿っていたし、それに、すり切れた絨毯や、 同じようにすり切れてやせた織糸の破れ目から詰め物とスプリングがはみ出ているソファが、古い車輌に乗ったりすると、時々同じようなにおいのすることのある、人々の体臭や汗のしみ込んで、それが蒸されて醗酵したような不快な汚物のようなにおいを発散させていたので、その鼻を刺激する醗酵性のにおいに息がつ まりそうになり、わたし自身の身体からも、同じにおいを発散させる粘り気をおびた汗がにじみだして来ては、体温の熱でにおいをあたりに蒸散させているよう な気がした。(金井美恵子『くずれる水』)

いまエロスやらタナトスやらと書いたが、においにおいては、エロスとタナトスは限りなく近づくと書く中井久夫がいる。

……実際、背の下にふかぶかと腐葉土の積み重なるのを感じながら、かすかに漂う菌臭をかぎつつ往生するのをよしとし、大病院の無菌室で死を迎えるのを一種の拷問のように感じるのは、人類の歴史で野ざらしが死の原型であるからかもしれない。野ざらしの死を迎える時、まさに腐葉土はふかぶかと背の下にあっただろうし、菌臭のただよってきたこともまず間違いない。

もっとも、それは過去の歴史の記憶だけだろうか。菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。恋人たちに森が似合うのも、これがあってのことかもしれない。公園に森があって彼らのために備えているのも、そのためかもしれない。(中井久夫「きのこの匂いについて」より『家族の深淵』所収ーー「トラウマを飼い馴らす音楽」より)

エロスとタナトスについては、いろいろな見解がある。だがいっけんそう思われるようには対立した概念ではない、というのが、ドゥルーズやジジェクらの見解だが、ここでは凡庸にメビウスの輪のようなものだ、とだけしておこう。

フロイトは、《家族が構成されたことと、人間の性欲が、もはや一種の客のようなものーーつまり、突然あらわれるが、いったん姿を消すとふたたび長いあいだまったく音信がないといったものーーとして登場するのではなく、いわば継続的な間借人として定着したことのあいだには関連がある》(「文化への不満」)としている。そしてこの文に注が付され、次のように書かれる。

生理機能としての性交の周期性はそのまま残ったけれども、心理的な意味での性欲がそれから受ける影響は、かえって逆になってしまった。この変化の最大の原因は、月経現象が男性の心理にあたえる影響の原動力だった嗅覚刺激の衰退である。すなわち、嗅覚刺激が果たしていた役割は視覚による興奮にとってかわられたのであって、視覚による興奮は間歇的性質の嗅覚刺激とは違い、一種の恒久的作用を維持することができたのだ。月経がタブーとされるようになったのは、すでに克服されてしまった発展段階の再登場防止の意味を持つこの「器官性抑圧」が原因であって、これ以外の動機はすべて二次的なものにすぎないように思われる。(……)古臭くなった文化時期の神々が魔神〔デーモン〕になるのも、これと同じ現象の別の次元での繰返しである。けれども嗅覚刺激の衰退という現象自体、人間が直立歩行する決心をつけて大地と訣別し、かくて、これまで隠蔽されていた生殖器が丸見えで保護を必要とするものになり、したがって羞恥心が生まれたことの結果である。こうしてみると、人類の呪いとなった文化というもののそもそもの発端は、人類の直立歩行という現象だったといえるだろう。その後事態は、嗅覚刺激がもつ意味の低下および月経現象の無視、視覚刺激の優位、性器の露出、性的興奮の持続、家族の成立から人類文化の開幕というふうにつぎつぎと進んでいったのだ。これはもちろん理論上の仮説にすぎないが、人間に近い動物の生活状況を手がかりになお詳細に検討してみる値打ちは充分にある。(フロイト『文化への不満』)

冒頭近くにあげたホルクハイマー&アドルノが書くように匂いをまさぐることの下等なものへの憧れ、《自分を失い他人と同化しようとする衝動》とは、エロス、享楽(ジュイサンス)の感覚である。究極のエロスとは、原初の共生への回帰、<母>との融合により自己がなくなってしまう実現しがたい衝動に他ならない。

さて、<あなた>が《嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう》でしかない、すなわち文明化され過ぎた人なのかのかどうかは、次の文をどう感じるかで、いくらか判定できるだろう。

最初の記憶のひとつは花の匂いである。私の生れた家の線路を越すと急な坂の両側にニセアカシアの並木がつづいていた。聖心女学院の通学路である。私の最初の匂いは、五月のたわわな白い花のすこしただれたかおりであった。それが三歳の折の引っ越しの後は、レンゲの花の、いくらか学童のひなたくささのまじる甘美なにおいになった。

家が建て込むにつれてレンゲは次第に私の家のあたりから影をひそめたが、家々がきそって花壇をつくるので、ことに三月下旬の初めごろの散歩は、次々にちがう花のかおりに祝われた祝祭となった。色彩も夕暮にはアネモネの赤が沈み、レンギョウの黄がはげしい自己主張をした。

青年時代の京都の生活は、腐葉土のかもしだす共通感覚、すなわち、いくばくかのキノコのかおりと焦げた落葉のにおいと色々の人や動物の体臭のごときものとを交え、さらに水の流れなくなってまだ乾かないうちの石づくりの流水溝の臭気を混ぜたうえで、冷気としめり気とをあたえてひんやりさせ、地を低くはわせたときの共通感覚と切り離すことができない。もっとも同じ京都とはいえ、嵐山のあたりは少しちがって、ある歯切れのよさがある。定家の晩年の歌にはそれを反映したものがあると私は思う。また西山の竹林の竹落葉には少しちがったさわやかさがあって私の好みではあるが、触発される思考の種類さえ京都の東部とは変わってしまう。

これに対して中年期の東京の私の記憶は、何よりもまず西郊の果樹の花のかおり、それも特に桃と梨の花の香と確実にむすびついている。蜜蜂の唸りが耳に聞こえるようだ。むろん、風の匂いは鉄道沿線によって少しずつ異なる。おそらく、その差異の基礎は、土のかおりのちがいであろう。国分寺崖線を境に土の匂いがはっきり異なって、私は、その南側のかおりの記憶のほうに親しみを感じる。国立、小平の家の庭の土と、調布上石原のあたりの土のかおりの差を感じないひとはあるまい。

立川段丘は地元で「ハケ」と呼ばれ、狛江から始まって、特に谷保のあたりでは立派な森になっている。樹種が多いのはむかしの洪水によって流れついたものの子孫だからであろう。ハケ下の小さな、今ではほとんど下水になっている流れが二千年前の多摩川である。川越からその北にかけてのさまざまな微高地の上に生えていた(今でもあるであろうか)樹々のつくる森とは、同じ腐葉土でも、かおりが決定的にちがう。秋にはハケの上の茂みにアケビが生った。珍しい樹種に気づいて驚くこともあった。私の住んだ団地の植栽はずいぶん各地から運んだらしく、ついてきて、頼まれないのに生えている植物を、日曜日ごとに同定してまわったら、六〇種を越えた。ハケの森の樹種はもっと多種だろう。

嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう。

まず中央線沿線の最初の印象は、長い水平の線が多いということだった。縦の線は短く、挿入されるだけである。これはたしかに譜面の与える印象に近い。京王線では、何よりもまず、葉を落とし尽した欅の樹がみごとな扇形を初冬の空に描いている。もっとも、分倍河原駅を出て多摩川を南西に越えると、匂いも視覚も一変する。小田急線は、多摩川を越えて読売ランドの南側の「多摩の横山」を背にした狭隘地を抜けると次第に匂いが変化して、京王線の西部のかおりに近づく。

もっとも、小田急線は長く、さまざまの文化を通過し、車窓の風の香もつぎつぎに変化する。本線が小田原に向かって大山を背に南下するところ、酒匂川が豊かな水量の布を盛大に流している、二宮尊徳の生家の東がわの、見えない海のかおりが、もうかすかに混じるのを感じさせるところに来るとほっとする。

塩味のまったくない空気は、どうも私を安心させないらしい。鎌倉の最初の印象は、“海辺にある比叡山”であった。ふとい杉の幹のあいだの砂が白かっただけではない。比叡の杉を主体とした腐葉土の匂いが、明らかに海辺の、それもほとんど瀬戸内海の夏の匂いでしかありえないものとまじるのが驚きのもとであった。もっとも、比叡山のかおりにも、杉とその落葉のかおりにまじって、琵琶湖の水の匂いが、なくてはならない要素である。この水の匂いゆえに、京都時代の私は、しばしば、滋賀県に出て屈託をいやした。比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちとでなければ登りたくない山であった。

ふつうは「匂いの記号論」とよばれるであろうか、実はそれを問題にしたところの個人史の一部をここに終る。本稿もこれで終りである。近畿のひとには、神社の森ごとにちがうかおりを語ればいちばんわかってくださるであろう。(中井久夫「世界における索引と徴候」)





2013年9月5日木曜日

悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう

《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

私はもちろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与することなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。(デリダ)ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト『なぜ精神科学を改革しなければならないのか』(田中純)

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一時期のめりこんだ政治活動と、童話の創作活動がどういう関係にあったのか。政治活動を否定したことによって、そこからあの童話の世界が生まれたのではなく、このふたつはじつはほとんど同時現象なんですね。あの奇跡のような傑作群と、危険なユートピア思想への傾倒は、深くつながっている。》(中沢新一――太田光との対談 「宮沢賢治と日本国憲法 」)







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これは、志賀直哉の小説で読んだと覚えているが、父親が病気の子供をかかえて、夜の闇の中を医者のもとに走るーーあるいは、子供をおいて医者を呼びに走るーーその時、彼は、シューベルトの歌《エリケーニヒ(魔王)》を思い出し、何といやな歌だろう、こんな歌を書いたシューベルトとは何といやな男だろうと呪う。志賀直哉という人も、少なくともここでは、自分の感情をむき出しにぶつけて書いているという印象を与えずにはおかないけれども、しかし、その中には真実な直観がある。シューベルトという男は、疑いもなく、人間の心の奥底にある何かにじかにぶつかり、そこに眠っている深い恐怖をひきずり出してくることのできた芸術家である。

《エルケーニヒ》には、馬のはしるところの描写だとかいう三連符のリズムの持続音型があるわけだが、それはそう思ってきけばというだけの話だけであり、まして《死と乙女》には、そういうモチーフはまるでない。ここでの三連符が死神の象徴ということにはならない。しかし、彼はどんな標題楽作曲家もやれないような形で、音楽を通じて、特定の感情をきくひとからひきだす。そうしないではいられなかった男である。

だが、シューベルトにできたのは、こういう鬼気迫る、凄みだけではない。《ぼだい樹》の三連符――風にそよぐ大樹の葉ずれの音といわれている、あのモチーフ。それと組みあわされた旋律。あれは、きくものをどんな子守唄よりも、もっと深い、私たちの生命の根源にあるところまでつれていって、その眠りの中に誘い入れる魔力をもっている。トーマス・マンが《魔の山》の終りで、戦死した主人公の最後の意識の中で浮びあがらせるのが、この旋律であるのは、この音楽のもつ真実と完全に一致する。ここでは、死は解放であり、安息なわけだが、音楽が生まれてきたのは、その死からだといいたくなるほどである。》






《シューベルトには、音楽にしかない道を通って、こういう生死の根源的な源泉にじかにぶつかるという経験を、きき手に味わせずにはおかない能力がある。それは、きき手の深い陶酔の中で行われるのだが、その時、きき手は何も、いつも、志賀直哉の小説の主人公のように、闇夜の苦悩の中にいる必要はない。いや、正反対である。それは、あの《ます》の歌の澄んだ、平明な三連符の躍動の中にもあるのだし、《水車小屋》の若者といっしょに、小川の流れのモチーフを口笛で、何回もくりかえしていたってかまわない。

シューベルトの音楽には、日常生活の次元での意識にそって、そのまま動いていながら、同時に、もうひとつ下の層の意識を呼びさます力がある。その時、私たちは、音楽に魅せられて眠りに入るといってもよいし、逆に、日常の世界から、もうひとつの深い世界への意識に目ざめるといってもよい。どちらにせよ、同じことなのだ。それを、私は、シューベルトの音楽のデモーニッシュな性格と呼ぶ。》(吉田秀和『私の好きな曲』)






ロマン主義的なるものとはこの世のなかでもっとも心温まるものであり、民衆の内面の感情の深処から生まれた、もっとも好ましいもの自体ではないでしょうか?疑う余地はありません。それはこの瞬間までは新鮮ではちきれんばかりに健康な果実ですけれども、並みはずれて潰れやすく腐りやすい果実なのです。適切な時に味わうならば、正真正銘の清涼感を与えてくれますが、時を逸してしまうと、これを味わう人類に腐敗と死を蔓延させる果実となるのです。ロマン主義的なるものは魂の奇跡です―― 最高の魂の奇跡となるのは、良心なき美を目にし、この美の祝福に浴したときでありましょうが、ロマン主義的なるものは、責任をもって問題と取り組もうとする生に対する善意の立場からすれば、至当な根拠から疑惑の目で見られるようになり、良心の究極の判決に従って行う自己克服の対象となってまいります。(トーマス・マンーー1924 ニーチェ記念講演)






トーマス・マンはデモーニッシュ、あるいはディオニソス的なものにアンビバレントな感情を抱き続けていた。もちろんそれはマンだけではない。

《音楽による偽りの深さ/音楽的ニーチェ/安請合いをする人》(ヴァレリー)

近代の音楽はあまりにも大きく、あまりにも甘美で、あまりにも速い。そのためそれは、すべてのものをあまりにも脆くする。音楽はその力を濫用し、その能力はわずか三分間で生命を賦与する。/加速するイリュージョン。停止するイリュージョン。――そのイリュージョンが、あらゆるものに個々別々に価値をあたえてしまう。そしてこれがアーティキュレーションなのだ。思想は力づくで柔らかくされてしまう、――不完全な現実によって。(ヴァレリー「カイエ」)

音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)
彼(キェルケゴール)は知っていた。だから、この素晴らしい芸術に対する俺の特別な関係に精通していた―― 彼の見るところ、この芸術はもっともキリスト教的な芸術なのだ。―― 勿論、マイナの符合付きだ。それはキリスト教によって創始され、展開されたのだけれども、やがてデモーニッシュな領域として否定され排除された、―― 君、このことは知っておけよ。音楽はきわめて神学的な問題なのだ ―― 罪がそうであるように、悪魔である俺がそうであるように。このキリスト教的音楽に対する情熱こそ本当のパッションなのだ。認識と惑溺が一体となっているのがこのパッションなのだ。本当の情熱は曖昧なもののなかにのみイロニーとして存在するのだ。最高のパッションの領域は絶対的に疑わしいものなのだ。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

『ファウスト博士』の執筆には、アドルノとの対話(あるいは助言)が大きく寄与しているらしい。


音楽は、それ自体の歴史的傾向に反抗せずに盲目的、無抵抗に服従し、世界理性ではない世界精神に身を委ねる。このことによって音楽の無邪気さは、あらゆる芸術の歴史が準備に取りかかっている破局を早めようとする。音楽は歴史をそれなりに認めている。歴史は音楽を廃棄したがる。しかしながら、まさにこのこと事体が死のみそぎを受けた音楽をもう一度正当化し、存続する逆説的チャンスを音楽に与える。(アドルノ『新音楽の哲学』)






《音楽がぼくをタメにし音楽がぼくを救う/音楽がぼくを救い音楽がぼくをダメにする》  (谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」より)




2013年6月22日土曜日

ジャコメッティとジャン・ジュネ(ボーヴォワール自伝より)







彼はほほえむ。すると、彼の顔の皺くちゃの皮膚の全体が笑い始める。妙な具合に。もちろん眼が笑うのだが、額も笑うのである(彼の容姿の全体が、彼のアトリエの灰色をしている)。おそらく共感によってだろう、彼は埃の色になったのだ。彼の歯が笑う――並びの悪い、これもやはり灰色の歯――その間を、風が通り抜ける。

<ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(現代企画室1999)>





《私はこんな奇妙な印象を受ける、つまり彼がそこにいると、それに触れなくとも、すでに完成された古い彫像たちは、変質し変貌する、なぜなら彼は彫像たちの姉妹のひとりにいま取りかかっているからだ。しかも一階にあるこのアトリエはいまにも崩れ落ちようとしている。アトリエは虫食いだらけの木で、灰色の埃でできており、彫像は石膏製で、綱、麻屑、あるいは針金の切れ端が見えている、画布は灰色に塗られ、それが画材屋にあった頃にもっていたあの落ち着きをとっくの昔に失ってしまった、すべては染みだらけで、廃品同然だ、すべては不安定で、いまにも崩れ落ちそうだ、すべては分解に向かっていて、浮遊している。ところで、そんなすべてのものが、ある絶対的実在性のなかでつかみ取られたかのようなのだ。私がアトリエを後にして、表の通りに出ると、私を取り巻くものはもはやなにひとつ真実ではない。こう言うべきだろうか。このアトリエで、ひとりの男がゆっくりと死んでゆき、燃え尽きる、そしてわれわれの眼前で、幾人かの女神たちに姿を変えるのだ》(ジャン・ジュネーー鈴木創士「ジャコメッティ覚書」より)


………







私はモリエール女子高等中学校で教えていた。……私たちはキャフェ・ドームを根城にしていた。(……)
サルトルやオルガとしゃべっている時には、私は出たり入ったりする人を眺めるのが大好きだった。(……)とりわけ私たちの興味をそそり、何者だろうと思った男がいた。ごつごつした美しい顔に、髪はぼさぼさ、貪るようなまなざしの男で、彼は毎夜、ひとりきり、または非常に美しいひとりの女性と連れだって、通りを徘徊していた。彼は岩のように強固な、同時に妖精よりも自由な様子をしていた。あんまりすばらし過ぎる。私たちは外見に騙されてはならないことを知っていたし、彼の風貌はあまりにも魅力に溢れていて、見かけ倒しではないかと思いたくなるほどだったのである。彼はスイス人で彫刻家、その名はジャコメッティといった。(ボーヴォワール『女ざかり』上 P263






パッシーには白系ロシア人街があり、その年の私のもっとも優秀な生徒も白系ロシア人だった。十七歳で、ブロンドの髪を真中から分けているために老けて見えるが、どた靴、長すぎるスカートといういでたちのリーズ オブラノフは、その挑戦的な態度でたちまち私の興味を惹いた。《わかりません!》と乱暴にどなって私の講義を中断する。時にはいくら説明しても、いつまでも受つけようとしないので、私はやむなく無視することにした。すると彼女はこれ見よがしに腕組みをして、とって食いそうな目で私を睨むのである。(同上P323)




ある朝私がドームへ行くと、彼女(リーズ)が駈けよってきて、《ね、私、アンドレ・モローと寝たの。すごくおもしろかったわ!》と叫んだ。しかし彼女はじきにアンドレが大嫌いになった。彼はお金も健康も大事にしすぎるし、習慣やしきたりを一から十まで重んじる。爪の先までフランス人なのだという。彼はしょっちゅうあれをやりたがるので、しまいにリーズはうんざりしてきた。彼女はアンドレとの性生活を、まるで兵隊あがりのようにあけすけにしゃべった。(『女ざかり』下 P106







この年の春(1941年:引用者)、私たちは新しい友達ができた。リーズのおかげでジャコメッティと知り合ったのである。前にも書いたように、私たちはずっと前から彼の鉱物的な顔や、もさもさした髪や、浮浪者のような態度に目をとめていた。私は彼が彫刻家で、スイス人だということも聞いていた。また、彼が自動車の下敷きになったことも知っていた。彼がステッキをついて、びっこをひきひき歩くのはそのためなのである。彼はよく綺麗な女を連れていた。彼はドームでリーズに目をつけ、話しかけた。リーズは彼をおもしろがせ、好意を抱かせた。リーズは彼は頭が悪いといっていた。デカルトが好きかと訊いたのに、とんちんかんな答え方をしたからだという。それでリーズは、彼は退屈な男だと決めこんだ。しかし彼はドームで、リーズにとっては夢のような晩餐をおごった。若くて丈夫で食欲旺盛なリーズは、いつも食べに行く学生食堂ではおなかがいっぱいにならなかった。彼女は、大喜びでジャコメッティの招待に応じた。しかし最後のひと口を呑みくだすや否や、彼女は口をぬぐって立ち上がるのだった。ジャコメッティは彼女を引き留めるために、もう一人前注文することを思いついた。彼女は最初の一人前と同じようにこれをいそいそと平らげ、食べ終えると、情容赦もなく帰ってしまうのだ。

《なんていう奴だ!》
とジャコメッティは一種の感嘆をこめていった。そして仕返しにリーズのふくらはぎをステッキでつっついた。ある時リーズは、ジャコメッティが退屈きわまる連中といっしょに彼女をラ・パレットに招待した、とこぼした。彼らがしゃべっているあいだ、彼女はあくびのしつづけだったという。あとになって私たちは、このやりきれない連中の名を知った。それはドラ・マールとピカソだった。







ジャコメッティのアトリエは中庭に面していた。リーズはここを根城にすれば、彼女がパリの到る所から盗んで来る自転車を隠匿するのに好都合だと思った。私は彼女にジャコメッティの彫刻をどう思うかと尋ねた。リーズは狐につままれたような顔をして、
《わからないわ。あんまり小さいんですもの!》
と笑った。そして、ジャコメッティの彫刻は、ピンの頭ぐらいの大きさなのだと断言した。これでは判断しようがないではないか? リーズは、ジャコメッティの仕事ぶりは実に奇妙だと付け加えた。昼間作ったものは夜のあいだに全部壊してしまうし、夜制作すれば、昼間壊すのだ。ある日彼は、アトリエいっぱいにたまった彫刻を、手押車に積んでセーヌ河にほうり込みに行ったそうだ。(……)







あらゆるものが彼の興味を惹いた。人生にたいする彼の熱烈な愛は、好奇心という形をとったのである。彼は自動車に轢き倒された時でさえ、楽しさにも似た気持で、《死ぬってこういうことなのか。僕はこれからどうなるんだろう?》と考えた。入院中も刻一刻と何か思いもかけない発見があったので、退院するのが残念なくらいだった。この貪欲さは私の胸にぴんときた。ジャコメッティは言葉をみごとに使いこなして、人物や情景を肉付けし、これに生命を与えるのだった。そのうえ彼は、相手の話に耳を傾けることによって相手をゆたかにする、ごく稀な人物のひとりだった。(『女ざかり』下 P115-116




※サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)は『ゴドーを待ちながら』の舞台美術をジャコメッティに依頼している。

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ジュネが刑務所から出て来た、と人から聞いた。五月のある午後、私がサルトルとカミュといっしょにキャフェ・フロールにいると、ジュネが私たちのテーブルにやって来て、
《貴方がサルトルですか?》
と突然尋ねた。頭を坊主刈りにし、唇をひきしめ、用心深そうなほとんど挑発的な眼ざしのジュネを、私たちは悪党らしい様子をしていると思った。彼は腰をおろしたが、ほんのちょっときりいなかった。が、ジュネはまたやって来て、私たちはそれからしばしば会うようになった。彼は筋金入りの男だった。彼が産声をあげた時から閉め出しを喰ったこの社会を、問題にもしていなかった。しかし、彼の瞳は微笑することを知っていたし、その口元は驚くほどの子供っぽさを残していた。彼は話し易い人だった。彼は人のいうことに耳を傾け、答えた。けっして独学をした人のようにはとれなかった。彼の趣味や判断には、教養が自然に身についている人たちのもつ洒脱さや、思い切ったところやかたよったものがあるにはあったが、また同時にすばらしい眼識があった。(同上P201)






さらにもう一つ、彼の立像を前にしたときの、こんな気持。これらの立像は、すべて、とても美しい人々である。ところが、それらの悲しみ、それらの孤独が、私には、一人の奇形者の、突然裸にされ、自分の奇形が人目にさらされているのを見た人の、悲しみと孤独に比べることができるように思われる。その人は、同時に、おのれの奇形を世界に差し出してもいるのである、おのれの孤独とおのれの栄光に気づかせるために。変質することのありえない孤独と栄光に。
― ジャン・ジュネ“アルベルト・ジャコメッティのアトリエ”


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2013年6月16日日曜日

「無媒介性」に対抗する「倒錯性」

前回(「戦略的なマゾヒストたれ!」)に引き続く。

「無媒介」といえば、録音技術の進歩により、音楽がほとんど「リアルな」音で自宅のスピーカーからきこえてくるようになりつつある(もちろんデジタル音声の限界を知らないわけではないが)。演奏会にいけば、まわりの人の気配、ざわめき、そのほか別の音が聞こえて来る。自宅で聴けば、それもない。

そんなとき、昔の録音の透明な幕がかかった感じ、曇った音、レコード盤の傷による針とびや、ざわざわした感触を懐かしく思うのは「倒錯」だろう。《表象の透明性を厭い記号をその直接の意味の外へと絶えず逸脱させる「倒錯性」》(松浦寿輝)


詩が読みたくなることはほとんどないが、音楽が聴きたくなることはしょっちゅうある。喜怒哀楽から離れた感動という心の状態を初めて体験したのも、音楽によってだった。1940年代、音楽を聴く手だてはNHKの放送か、でなければ重くて割れやすい78回転のSPレコードだった。

それが33回転のLP、45回転のEPになって音の生々しさが革命的だったし、多様なジャケットデザインも楽しめた。同時にオープンリールのテープレコーダー、カセット、CD、MDと音楽を運んできてくれるメディアはどんどん進化して、今やパッケージで音楽を聴く時代ではなくなりつつある、とか。

iTunesやRadistarやNaxosで、未知の名曲をストリーミングで聴いているうちに、手巻きの古い蓄音機が懐かしくなって、とうとう1台買い込んでしまった。竹針を削ってレコードを裏返すのも悪くない。(俊)――谷川俊太郎「竹針」



無媒介で「直接的な」音に耳を傾けるとき、ひとは「まがいもの感」を感じてしまう。

《“It's so real, it must be fiction!”》( Zizek The Parallax View”)


―――《リアルというやつはほんとにアンリアルであって、あまりにもリアルにすると、アンリアルになっちゃうということはカフカがやったこと》(柄谷行人『闘争のエチカ』)


もちろん、カラー作品よりも白黒写真や映画、あるいは無声映画を求め、そこにいっそうの「リアル」を感じてしまうなどということもある。

これらをめぐっては、アドルノがすでに『レコード針の溝』(1927)という小論で書いていることだ。《かつての写真において見られた経緯が、歴史の上で繰り返されている》――録音技術の完璧さが増すことにより、《歌い手が装置からどんどんと遠ざけられているかのようである》と。

※英訳ならここにある、『The Curves of the Needle』(THEODOR W. ADORNO TRANSLATED BY THOMAS Y. LEVIN)http://www.clas.ufl.edu/users/burt/silentfilmphilology/778935.pdf



グールドはその録音に、ピアノ演奏にある、《あの廃棄物、寄生物、身体の痕跡、つまりテクノロジーの細菌処理法にしたがえば抹殺すべきものとなるはずの声の雑音、椅子のきしみ音、ピアノのアクションが発する雑音などを残したままにしたい》と願った。これもグールトの「倒錯」である。

ベートーヴェンの作品のレコード録音では、和声の肉付きの薄いシュナーベルのような音の響きを追求した。それに対して、レコーディング・エンジニアはこんな応答をしている。「長距離電話で聞けば、そんなふうになりますよ。」(……)音楽によって他人とそして彼自身と遠くから接触をはかろうとするのが彼の物理学と形而上学なのだ。演奏している、誰を呼んでいるのかはわからない。自分自身の内部で誰が呼んでいるのかもわからない。ふたつの遠隔地のあいだの単なる空気の振動、ただ迷っているということのほかにはなにもわからないふたりの存在を結びつけ、かすかなざわめきを発する線。(ミシェル・シュネデール『グールド 孤独のアリア』)

ここで再度、昨日の記事から松浦寿輝の文を抜き出しておこう。

「倒錯」は,たとえば記号の意味作用をめぐる磁場においても生きられうるものだ.「倒錯」的な記号,それはその「意味」がただちに消費されてしまうことを拒む記号 ――透明なものであるべき表象作用を混濁させ,そのなめらかな進行をみずから妨害して,それに向けられたまなざしを攪乱し,読もうとする欲望が成就する瞬間をどこまでも遅らせつづけようとする記号のことだ.


もちろん、これらとは異なった角度から、技術の発展に文句をいうこともできるだろう、たとえばゴダールのように。

技術者というのは子供みたいなもので、玩具を与えられて遊んでいるうちはいいが、二年もすると飽きてしまって別のものを発明しないと気がすまない。しかし、デジタル・サウンドにしても、期待された成果を生んでいない。彼らは、音響製品を作っても音を聞かない。映像器具を作っても映像を見ない。だから、間違った製品を平気でつくってしまう。だから、すべては途方もない速度で進んでいながら、結局はいつまでたっても同じことなのです。テレビがお得意なズームという奴のようなもので、とりわけスポーツ中継のときには耐えがたい。選手が遠くにいるとキャメラがズームで近寄り、こんどは選手が近くに来ると、もう飽きてしまってズームを引いて遠ざかるというあれです。技術はこうした退屈さしか生まないのです。(「憎しみの時代は終り、愛の時代が始まったと確信したい」『光をめぐって』蓮實重彦インタヴュー集所収)

 …………



過去の録音ばかりを聴きたいというのではない。たとえば、バルバラ・ヘンドリックスのいささか田舎臭いドレスを纏った、録音状態が必ずしもよいわけではない演奏会でのアンコールのシューベルト。遠くからやってくるような歌声。音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる。




※「録音状態がかならずしもよくない」と書いたが、この録音は、グールドを撮り続けたブルーノ・モンサンジョンのものであり、この「遠くからやってくる音」には、バルバラやシフの技倆以外にも、なんらかの秘密があるのかもしれない。

こうして、ラカンのいう"extimité"や<対象a>が生まれる。《the objet a is this structure in which the most interior is conjoined to the most exterior in its turning》

それは「みせかけ
semblance」でもあろう、《The key formula of semblance was proposed by J‐A. Miller: semblance is a mask (veil) of nothing. Here, of course, the link with the fetish offers itself: a fetish is also an object that conceals the void. Semblance is like a veil, a veil which veils nothing—its function is to create the illusion that there is something hidden beneath the veil.》(zizek『LESS THAN NOTHING』2012)



さて最後にいささかの諌めの文として(あるいは古い世代の常識的な見地からの「新しさ」への嘲笑として捉えられることを畏れて)、もう一度、松浦寿輝の「電子的レアリスム」から抜き出しておこう。

ここでの問題は,「今はマルチメディアの時代」「今はヴァーチュアル・リアリティの時代」といった物言いを常識的な叡知の名の下に嘲笑することではなく,「新しさ」をめぐって取り交わされる言説には,古来,きわめて貧しい種類しかないという呆気ない事実を確認することにある.「新しさ」をめぐる言説は,結局,囃し立てるかシニックに構えるか,「技術」を讃えるか「人生」に開き直るか,といった貧しい二元論に還元されるほかないのが通例なのだ.21世紀の地平を開くと言われる視覚メディアを主題とする場合であろうと,同じ貧しさの再現を免れることは難しいだろう.