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2014年11月8日土曜日

ディスカウ 小川BACHへの言葉

フィッシャー・ディスカウ/バッハで検索して、種々を聴いてみるが、やはり「小川への言葉 Danksagung an den Bach」が最も美しい。


◆シューベルト『美しき水車小屋の娘』(Die schöne Müllerin)D795 第4曲 小川への言葉 Danksagung an den Bach Dietrich Fischer-Dieskau (Gerald Moore, piano)



…………

ここではあまりにも名高いディスカウのカンタータBWV82を掲げるのはやめにして、二人のバッハ歌いの女性歌手とのデュエットを貼付する。もっともElly Ameling をバッハ歌いとするのは語弊があるだろう、→ "Nacht und Träume" - Franz Schubertーー限りなく素晴らしいが、とはいえわたくしはさらにいっそう、Barbara Hendricks  Schubert "Nacht und Träume" を好む。そして二人ともわたくしの偏愛の対象フォーレ歌いでもある。


◆Elly Ameling & Dietrich Fischer-Dieskau"Herr, dein Mitleid" Weihnachtsoratorium



◆Agnes Giebel & Dietrich Fischer-Dieskau "Herr, dein Mitleid" Weihnachtsoratorium




…………

実は上の二人の歌手のマタイ「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」( Aus Liebe will mein Heiland sterben )を並べてみるのがここでの目的である(Gundula JanowitzとDorothee Mieldsの二人の歌唱は「ナウモフ-マタイBWV244」に貼り付けた)。



◆Elly Ameling "Aus Liebe will mein Heiland sterben" Matthäus-Passion(これは冒頭に前曲が入っている、Aus Liebe will mein Heiland sterben は1.30あたりから)。




◆Agnes Giebel: Bach, Matthäuspassion - Aus Liebe will mein Heiland sterben



グールドのシューベルト

◆Schubert - Symphony No.5, 1st. mov - Glenn Gould




◆Claudio Abbado "Symphony No 5 (1. Mov.)" Schubert





交響曲はめったに聴かないのだけれど、唯一思いついたように聴くのはシューベルと第ハ長調D. 944。長い間ウィーンフィルのベームで聴いていたのだけれど、アバドもいい。

《ここには、何よりも歓喜がある。いや正直いうと、私は、ほとんど、ここには、終わることのない歓びの泉からじかに水をのんだ記憶となって残るものがあると書きたいところなのだ》(吉田秀和)

ーーこれは第9番の交響曲の第一楽章アンダンテをめぐって書かれた文なのだが、グールドの演奏する5番の冒頭についてもしかり(グールドはシャイ・ミュージックなどと言っているが)。デモーニッシュな作曲家といわれるシューベルトだが、ときに類なれな歓喜を与えてくれるときがある。

《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

◆Schubert Symphony No 9 C major The Great Chamber Orchestra Of Europe Abbado



2楽章のアンダンテ・コン・モトについては、このように書かれる。

このアンダンテはリズムと旋律と和声との宝庫である。そうして、ここに登場する楽器たちの、作曲家の手で書きつけられた役割を演じているというよりも、自分で選びとって生きているような動きの素晴らしさ。三つの主題的な旋律が、めんどうな手続きも回り道もせず、つぎつぎと隣接しながら登場しおわったあと(それはイ短調の楽章の最初のヘ長調の部分の終わったところに当るのだが)、弦楽器がppから、さらに、dim.、dim.と小さく、小さく息を殺していって、そっと和音をならす、その和音の柱の中間に、小節の弱拍ごとに、ホルンがg音を8回鳴らしたあと、9回目に、静かに微妙なクレッシェンドをはさあみながらf音を経てe音までおりてくる。(吉田秀和『私の好きな曲』)




シューマンが『全楽器が息をのんで沈黙している間を、ホルンが天の使いのようにおりてくる』とよんだのは、ここである。これは、音楽の歴史の中でも、本当にまれにしかおこらなかった至高の「静けさ」の瞬間である。

至高の「静けさ」の瞬間は約22分あたりから(約20分あたりから聴くといい、オーケストラの団員たちがその至福の瞬間へ向かう準備をしているような表情をしている気がしてくるから) 。


グールドの庭に面した空間でのくつろいだ喜び溢れるシューベルトを聴いたなら、三人の巨匠による次ぎの映像もいい。




2014年7月26日土曜日

アンドレイの恋

以下は、アウステルリッツの戦闘で負傷、妻との死別などで、鬱屈した生活を送っていたアンドレイ公爵がナターシャとめぐり合い、恋に陥る箇所で、『戦争と平和』のなかでも、最も美しい場面のひとつだろう。というか十代半ばに初めてこの書を読んだとき、もっとも魅了された箇所ということであり、ほかの人がなにを言っているのかはしらないし、引用されているのは見たことがない(この作品で頻繁に言及される名高い箇所は、〔「あなたは読まないで話していますね」、あるいは『戦争と平和』〕にいくらか引用してある)。


◆トルストイ『戦争と平和』(二) 米川正夫訳 岩波文庫p251~

アンドレイ公爵は貴族団長のところへいったら、なんとなんとをきかなくてはならないと考えて、もの思わしげな浮かぬ顔つきをしながら、愉楽村〔オトラードノエ〕なるロストフ家をさして、庭園の並木路を進んでいった。と、右手に当って、木立のかげからうきうきした女の叫び声が聞え、彼の幌馬車の前を横ぎる少女の一群が目に入った。一人のやせたーーおかしいほどやせた、瞳の黒い黒髪の少女が、ちかぢかと公爵の馬車に駆けよった。少女は黄色い更紗の着物をきて、白いきれで頭を結えていたが、ほぐれた髪の束がそのかげからはみ出ていた。少女はなにやらおおきな声で叫んだが、見知らぬ人に気がつくと、そのほうを見ないようにして、笑い声をあげながらもときたほうへ駆け出した。

アンドレイ公爵はなぜかしら、急に苦しいような気持ちになってきた。空は美しく、太陽はあかるく、あたり全体がうきうきとして見える。ところが、このやせた可愛い女の子は、彼という人間の存在を知りもしなければ、また知ろうとも思わない。しかも、それでいて自分一個のばかばかしい(きっとそうに違いない)、けれども楽しい幸福な生活に満足して、仕合せに感じているではないか!『あの子は何がうれしんだろう? 何を考えているのだろう? まさか操典のことだの、リャザンの年貢の整理なんかじゃあるまい。何を考えているのかなあ? なぜあんなに仕合せなんだろう?』われともなしにアンドレイ公爵は、好奇心に誘われて腹の中でこうきいてみた。




……退屈な一日のあいだじゅう、主人側の年長者や、客の中でも地位のある人たちが、アンドレイ公爵をもてなした(……)。そのあいだ、アンドレイ公爵は、べつな若い人たちの仲間にまじってなにがおかしいのかしきりとはしゃいで笑っているナターシャのほうを、いく度もなく見やりながら、『いったいあの娘はなにを考えているのかしら、なにがうれしいのだろう?』とたえず自問するのであった。

その晩、一人きりになると、彼は新しい土地へきたために、長いあいだ寝つくことができなかった。しばらく読書していたが、やがて、いったん蠟燭を消してまたつけた。内から窓枠をはめた部屋の中は蒸し暑かった。彼は、入り用の書類が町においてあってまだとってきてないからといって、自分を引き止めたあのばかな老人(彼はロストフ伯爵をこう呼んだ)にむかっ腹を立ててみたり、ずるずるひき止められた自分自身をののしってみたりした。

アンドレイ公爵は起き上がって窓に近より、戸を開けにかかった。月光は窓が開くやいなや、まるでずっと前から外に張り番をしながらこの機会を待ちもうけていたかのように、さっと室内へ流れこんできた。彼は窓の戸を開けた。それはすがすがしい、静まりかえった明るい夜であった。彼のすぐ前には一方の側が黒くて、いま一方の側を銀色に照らし出された、枝を刈りこんだ木立が一列並んでいた。木立の下はなにかしら露にみちてむくむくして、しっとりと濡れた草があって、ところどころ葉や茎が銀色に輝いている。黒い木立の向こうには露に光る屋根が見え、やや右よりには幹や枝のくっきりと白い、もくもくした大きな木があって、その上には満月に近い月が、ほとんど星のない明るい春の空にかかっている。アンドレイ公爵は窓に頬づえをついた。彼の眼はこの空にすわった。




※Nuit d'Étoiles(星の夜)は、ドビュッシーの1876年(14歳)の作品とか1880年(18歳)の作品とか言われているが、詳細は不明。いずれにしろ最も初期の作品のひとつ。

アンドレイ公爵の部屋は二階であったが、その上の部屋にも人がいて、やはり寝ていないような気配であった。彼は上から響いてくる女の声を聞きつけた。

「たったもう一ぺんだけよ。」と三階の女の声が言った。アンドレイ公爵はすぐにそれが誰かわかった。

「いったい、まあ、あんたはいつ寝るの?」といま一人の声が答えた。

「あたし寝ないことよ、寝られないんですもの、しかたないわ! ねえ、もう一ぺんお名残りに……」二人の女の声は、なにかの末尾になるらしい音楽の一節を歌いだした。

「ああ、なんていい気持ちなんでしょう! さあ、もう寝るのよ、これでおしまい。」

「あんたお寝なさい。あたしだめよ。」第一の声が窓に近よってこう答えた。察するに、彼女はすっかり窓にのりだしてしまったらしく、衣ずれから息づかいまで聞えるのであった。あたりは月とその光と影と同様にしんとして、化石のようになってしまった。自分が偶然こんなところにいあわせたことを気取られまいとして、アンドレイ公爵は身じろぎさえもはばかった。




「ソーニャ、ソーニャ!」と第一の声がふたたび響いた。「まあ、どうして寝たりなんかできるんでしょう! まあ、ちょっとごらんなさいな、なんていいんでしょう! ほんとになんていいんでしょうねえ! さあ、お起きなさいってばよう、ソーニャ」彼女はほとんど涙声でこう言った。「だって、こんな美しい晩はけっして、けっしてありゃしないわ。」

ソーニャはしぶしぶなにか答えた。

「いやよ、まあちょっとごらんなさい、なんて月でしょう! ……本当になんて美しい景色でしょうねえ! あんたもちょっとここへきてごらんなさいよ。あたしの好きなソーニャ、ここへきてごらんなさいってばさあ。ほらね、見てて? ここんとろこへしゃがんでね。ほら、こんなふうに自分の膝を抱いてねーーしっかり、できるだけしっかり抱かなくちゃだめよーーそしてひと思いに飛んでみたらどうでしょう? こんなふうにして!」

「およしなさいよう、落っこちてよ……」

相争うような物音が聞えた。ソーニャは不平らしい声で、「だってもう一時すぎてよ」。

「ああ、あんたはいつもいつも水をさすんだわ。さあ、あっちぃいらっしゃい、いらっしゃい。」

ふたたびしんと静まりかえった。けれど、アンドレイ公爵は、彼女が依然としてそこに座っていることを知っていた。ときにひそやかな身じろぎの音、ときにため息が聞えたからである。

「あああ、本当になんというこったろう!」とふいに彼女は叫んだ。「どうせ成るものは寝るんだわ!」と言い、窓をぱたりと閉めた。

『そうだ、俺の存在などにはなんの用もなにんだ。』なぜかこの少女が自分のことをなにか言い出しはしないかと、恐ろしいような期待をいだきながらこの話し声に耳を傾けているうちに、アンドレイ公爵はふいとこう考えついた。『それに、またしもあの娘! まるでわざとのようだ!』と思った。

とつぜん、彼の全生活に矛盾する若々しい想念と希望の入りまじった渦巻が、思いがけなく心中に沸いてきた。とても自分の心持ちをはっきりさせることはできない、そう思って彼はすぐ眠りに落ちてしまった。



2014年7月25日金曜日

「自分の声をさがしなさい」

《自分の声をさがしなさい》(須賀敦子)

文章が表現しようとする内容の混濁と、にもかかわらず文章そのものの音調の明解さというのがありますね。僕は還暦の頃になってようやく、ひとつの極端な例だけど、わかったんですよ。マラルメです。

何を言っているのかわからないんだけど、その言葉の音調だけがきわめて明晰なものとして残るでしょう。そこまで表現として極端にはできないけど、僕は同じようなことを下のレベルでやっていたんじゃないかなと思いましたね。

僕の口調の明澄さを保証するものは何なのか。努めて音調を練ってできるだけ明澄さをつくり出そうとした覚えが、実はないんです。どこかでインプットされたものなのでしょうが、とにかく人間としてもそうだけど、作家としてもいちばんわからないのは自分の本質なんですね。(古井由吉「文藝」2012年夏号)





中井久夫ならこう言う。

「文体」を獲得して初めて、作家は、机に向かわない時も作家でありうる。なぜなら、「文体」を獲得した時、言語は初めて、書かず語らずとも、散策の時も、友人との談話の時も、電車の中でも、まどろみの中でも、作家の中で働きつづけるからである。

「文体」とは何であるか。古くからそれは「言語の肉体」であるといわれてきた。「言語の肉体」とは何であるか。それは、言語のコノテーションとデノテーションとの重層だけではない。歴史的重層性だけでもない。均整とその破れ、調和とその超出(……)だけでもない。言語の喚起するイメージであり、音の聴覚的快感だけではない。文字面の美であり、音の喚起する色彩であり、発声筋の、口腔粘膜の感覚であり、その他、その他である。(中井久夫「「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて」)

…………

女は笑って、どうしてそんな暮らしをしているのかを話してくれなかった。もうすこし待って。そうしたら、ふたりでどこかに行ってしまいましょう。あたしのことを信じて。これ以上話せないんだから。それから窓ぎわですっぽりはだかになって、月を見ながら、言った。あんたの呼び唄、歌ってよ。でも、そっと、よ。おれが歌ってやると、女はたずねた。あたしのことを愛している? 突っ立ったまま、なにかを待っているみたいに夜を眺めている女を、おれは窓際に押しつけて、抱いた。(ダブッキの『ビム港の女』(邦題『島とクジラと女をめぐる断片』)須賀敦子訳)

四方田犬彦が原典と読み比べて驚愕し呆然とした須賀敦子の訳である。《文体と語彙の豊かさのみならず、より根源的なところで詩的言語の凝縮性をめぐって、彼なり彼女なりはこれまでのテクストの記憶に、意識的・無意識的に動かされることになる。わたしは須賀敦子に、その典型的な例を見るような気がする。》と(参照:おれの心はムクロ(カヴァフィス=中井久夫))。

四方田氏が仮に試訳してみたという訳文なら次の通り。


女はあんな暮らしのわけなど自分でわかるでしょという感じで笑うと、私にいった。もうちょっと待ってから、いっしょに出ましょ、私を信じてくれなくちゃ、いえるのはそれだけ。それから窓のところで裸になると、月を見て私にいった。誘惑の唄をやってよ、でも声はたてないでね。そこで私が歌を歌ってみせると、抱いてよと頼んできた。それで私は立ったまま、窓のところに凭れかかっている女を抱いたのだが、その間ずっと彼女は何かを待っているかのように夜を眺めているばかりだった。(四方田犬彦 試訳)
…………

言語と身体に共通にあるのは声である。しかし声は言語でも身体のいずれの部分でもない。声は身体から生じる。だがその部分ではない。声は言語に属することなく、言語を支える。このパラドックストポロジー。この場のみが言語と身体が共有するものだ。これは対象aのトポロジーである。(ムラデン・ドラー Dolar, Mladen 『A Voice and Nothing More』 eng7007.pbworks.com/f/Dolar.pdf 私訳)

標準的なラカン派であっても、あるいは一般的な研究者の人間把握においても、さらに文学への接近方法においてさえも、声はあまりにもないがしろにされている。視線(まなざし)、あるいは視覚的領野だけが注目されがちなのだ。音楽家や一部の映像作家たち(ビクトル・エリセやストローブ=ユイレなど)はさておき、エクリチュールの領野に限るなら、ごく限られた詩文のすぐれた書き手や読み手のみが、声の秘密を知っているかのようである。





ジジェク曰く、欲動のタームでは、声と眼差しはエロスとタナトス、生の欲動と死の欲動に関係している。《眼差しー恥ー自我理想》と《声ー罪ー超自我》。

《In terms of the drives, the voice and the gaze are thus related as Eros and Thanatos, life drive and death drive……gaze–shame–Ego Ideal, and voice–guilt–superego.》(ジジェク『LESS THAN NOTHING』)

ラカンは後年、眼差しと声を対象aの主要な化身として分離した。しかし彼の初期理論は眼差しが疑いようもなく特権化されている。だが声はある意味ではるかに際立ち根源的である。というのは声は生命の最初の顕現ではないだろうか?自身の声を聴き、人の声を認知する経験、これは鏡像における認知に先行するのではないか?そして母の声は最初の〈他者〉との問題をはらむつながりではないか?臍の尾に取って換わる非物質的な絆であり、最初期の生のステージの運命の多くを形作るものではないか?(ムラデン・ドラー  『Gaze and Voice as Love Objects』私訳)



《あ、こいつ、粒々しているぞ。しゅうしゅういっている。くすぐっている。こすっている。傷つけている。》

声の《きめ》は響きではない――あるいは、響きだけではない――。それが開いてみせる意味形成性は、音楽と他のもの、すなわち、音楽と言語(メッセージでは全然ない)との摩擦そのものによって定義するのが一番いい。歌は語る必要がある。もっと適切にいえば、〈書く〉必要がある。なぜなら、発生としての歌のレベルで生み出されるのは、結局、エクリチュールだからである。(ロラン・バルト「声のきめ」)





《異郷感からこっそりと忍び込む分身(ドッペルゲンガー)の不快さ》、痛みであり傷であるもの。聴取活動を危機に陥らせる悦楽(享楽)の音楽。《私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である》(ライスブルック)。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)


……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」)


音楽こそ人生の苦悶の精華ではないか。どこかで血が流れていると、響きがいよいよ冴える。

ところがたった一人の恍惚者は果てた後の沈黙を心の静かさと取り違えて、祭司みたいな手つきでレコードを替えて塵を払い、また始める。これにはよほどの神経の鈍磨が必要だ。そうそう自らを固く戒めてきたはずなのに、近頃私はまた、夜中にステレオの前に坐りこんでレコードを取っ替え引っ替え回す悪癖に馴染んでしまった。 ただ、音の流れが跡切れると、間がもてない。音が消えたとたんに、自分を囲む空間のまとまりがつかないような、物がひとつひとつ荒涼とした素顔を見せて、私を中心にまとまるのを拒むような、そんな所在なさを覚える。

しかしさいわい、音楽と私とは、相変らず折合いが良くない。一節がこちらの身体の奥へすこしく深く響き入って来ると、私の神経はたちまちざわめき立ち、音楽のほうもなにか耳ざわりすれすれのところまで張りつめ、両者は互いを憎むことにならぬようあっさり別れる。(古井由吉『哀原』赤牛)



アファナシェフは、ある種の作品の演奏で吃るのだ、唐突にどもりだす。《文体とは、自らの言語のなかでどもるようになること。難しい。なぜなら、そのようにどもる必要がなければならないのだから。発語(パロール)でどもるのではない、言語活動(ランガージュ)そのものによるどもりなのだ。自国語そのものの中で異邦人のごとくであること。逃走の線をひくこと。》(ドゥルーズ『ディアローグ-』)

◆シューベルトの最後のピアノソナタ第21番変ロ長調D.960について(アファナシエフ『ピアニストのノート』より)

それに私も、どうすればこのソナタの心理的な重みに耐えることができるだろう。たとえウィークデーの夜、小さなホールで演奏するだけとしても。このソナタをわが家で弾いたら何が起こるだろう?大文字の「他者」がそのまったき光輝と恐怖とともに出現する。ある意味において、このソナタは私の不俱戴天の敵なのだ。弾けば弾くほど、私は具合が悪くなる。私を傷つけ、私の苦痛をいつまでも引きのばすことを知りながら―――今回も、とどめの一撃を与えてはくれないのだ―――私はこの他者を抱きしめ、接吻する。日常生活の中でなら、こんなにひどいカタストロフに襲われれば命を落としていただろう。





《このソナタは私の不俱戴天の敵なのだ》、あるいは《私を傷つけ、私の苦痛をいつまでも引きのばす》とも言う。


彼の演奏は、吃るというだけでは足りない。音が流れてしまうことを拒絶し(いわゆる華麗な演奏にあるような)、その一音一音を刻み込むさま。「耳で聞く」のではなくて、ほとんど読まねばならないこれらの音。華麗な演奏が流暢な演説口調のパロールであるならば、ここには《二行を探し求めて二日》のフローベールのようなエクリチュールがある。それは異質の聴き手に語りかけているかのようであり、あるいは聴くのではなく読まなければならないかのようなのだ。あるいはこう言ってもいい、アファナシェフは、音のなまなましい抵抗感に犯されることの苦痛が倒錯的な快楽に反転する瞬間を辛抱強く待ちつづけているかのようだ、と。

こうして、音楽の未来の扉が開くかすかな予感ーー何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているこの感覚、ーーがあたりに瀰漫しはじめる。そして、いつのまにか未来のドアがわずかに開き、隙間のなかに保留されていた光が漏れ入るかのような瞬間がある。そこにあるのがわからなかった部屋が見えるのだ。

…………

ケロールは作家や詩人たちの視覚的感受性の代わりに正真正銘の声の想像力を持っている。第一に、声はどこからか現れ、流れ出ることができる。だが、一旦発せられると、その声はどこかには存在する。あなたの周囲に、あなたのうしろに、あなたの横に。しかし、結局、決してあなたの前にはいない。声の真の次元は、間接的、側面的次元なのである。声は脇から他者に接し、軽く触れ、去っていく。声は自分の出自を名乗らず触れることができる。したがって、声は名づけられないものの記号である。それは、身体の物質性、顔の特徴、あるいは、視線の人間味を取り除いてもなお、人間から生まれ、存在し続けるものである。それは最も人間的であると同時に非人間的な実体である。声がなければ、人間同士のコミュニケーションもないが、声があると、また、冥界にせよ天界にせよ、超=自然から、つまり異郷感からこっそりと忍び込む分身(ドッペルゲンガー)の不快さをも生ずる。よく知られたテストによると、皆(テープレコーダーで)自分自身の声を聞くのを嫌がり、自分の声だということがわからないことさえしばしばあるという。それは、声というものは、その出所から切り離しても、つねに、一種の奇妙な親密さを生み出すからであるが、この親密さこそ、ケロールの世界、すなわち、その正確さによって識別され、しかし、その起源消失によって識別されることを拒む世界の親密さである。声はまた別の記号でもある。つまり、時間の記号である。どのような声もじっとしていない。絶えず過ぎ去る。さらには、声が示す時間は穏やかな時間ではない。声はどんなにむらがなく、慎ましくとも、その流れに何の切れ目がなくとも、声は皆脅かされている。人間の生の象徴的な実体である声は、つねに始めには叫びがあり、終わりには沈黙がある。この二つの契機の間に、パロールの頼りない時間が広がるのである。流動的で、しかも、脅かされている実体である声は、したがって、生そのものである。そして、おそらく、ケロールの小説は、つねに、純粋で孤独な声の小説であるからこそ、それはまた、つねに、頼りない生の小説でもあるのだ。(ロラン・バルト「削除」『テクストの出口』所収 沢崎浩平訳)

そしてもうひとつ、ニーチェの音調、文である思想、という歌唱。

『批評的エッセー』の中によく見てとれるように、エクリチュールの主体は「進化する」のである(荷担〔アンガーシュマン〕の道徳から、記号表現の道徳性へと移行して)。彼は、みずからが対象として扱う著作者たちに応じて、順を追って進化する。けれどもそれを導くものは、私がそれについて語る著作者自身ではなく、むしろ、《その著作者によってしむけられて私がその人について語るにいたることがら》である。つまり、私は《その人の認可のもとに》私自身から影響を受ける。私が彼について語ることがらによって、私は、私自身についてその同じことを考えさせられる(あるいは、そのことを考えないようにさせられる)、と、そんなふうに言ってもいい。

だから二種類の著作者たちを区別しなければならない。第一は、人がある著作者たちについて書く、そういう対象としての著作者たちであり、彼らからの影響は、人が彼らについて語ることがらの外にはなく、そのことがらに先立つものではない。そして第二は(もっと古典的な考えかたであり)、人が読む対象としての著作者たちである。ところで、第二の著作者たちから私に及ぼされるものはいったい何だろうか。一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)(『彼自身によるロラン・バルト』)

だが肝要なのは声だけではない。においやフェロモンがさらに根源的であるという視点がある。

……無時間的なものの起源は、胎内で共有した時間、母子が呼応しあった一〇カ月であろう。生物的にみて、動く自由度の低いものほど、化学的その他の物質的コミュニケーション手段が発達しているということがある。植物や動物でもサンゴなどである。胎児もその中に入らないだろうか。生まれて後でさえ、私たちの意識はわずかに味覚・嗅覚をキャッチしているにすぎないけれども、無意識的にはさまざまなフェロモンが働いている。特にフェロモンの強い「リーダー」による同宿女性の月経周期の同期化は有名である。その人の汗を鼻の下にぬるだけでよい。これは万葉集東歌に残る「歌垣」の集団的な性の饗宴などのために必要な条件だっただろう。多くの動物には性周期の同期化のほうがふつうである。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」ーー不安のにおい
成人世界に持ち込まれる幼児体験は視覚映像が多く、稀にステロタイプで無害な聴覚映像がまじる。嗅覚、味覚、触覚、運動覚、振動感覚などはほとんどすべて消去されるのであろうか。いやむしろ、漠然とした綜合感覚、特に母親に抱かれた抱擁感に乳の味覚や流れ入る喉頭感覚、乳頭の口唇触覚、抱っこにおける運動感覚、振動感覚などが加わって、バリントのいう調和的渾然体harmonious mix-upの感覚的基礎となって、個々の感覚性を失い、たいていは「快」に属する一つの共通感覚となって、生きる感覚(エロス)となり、思春期を準備するのではなかろうか。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』p57)

2014年6月21日土曜日

「わたしに何事が起ったのだろう。聞け!」

Bibiana Nwobilo



Elisabeth SchwarzkopfKirsten FlagstadAulikki RautawaaraCloe ElmoRosa Olitzka





《水べを渉る鷭の声に変化した女の声を聴く》(吉岡実)

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」)


ーー同じ曲の歌唱ではないが、他の時期の彼女の歌声を聴いても、このほとばしるアンテンシテ(強度)は、わたくしにはきこえてこない。彼女は激しい恋をしていたのではないか? そんな憶測をしたくなるほどの絶唱である。

もっとも、ひとは齢を重ねれば技術は向上するだろうが、ほとんど誰もが萌芽期にあった「ビロードの肌ざわり」を失ってしまう。

理知が摘みとってくる真実――この上もなく高次な精神の理知であっても、とにかく理知が摘みとってくる真実――透かし窓から、まんまえから、光のただなかで、摘みとってくる真実についていえば、なるほどその価値は非常に大きいかもしれない。しかしながらそのような真実な、より干からびた輪郭をもち、平板で、深さがない、というのは、そこには、真実に到達するために乗りこえるべき深さがなかったからであり、そうした真実は再創造されたものではなかったからだ。心の奥深くに神秘な真実があらわれなくなった作家たちは、ある年齢からは、理知にたよってしか書かなくなることが多い、彼らにはその理知が次第に力を増してきたのだ、それゆえ、彼らの壮年期の本は、その青年期の本よりも、はるかに力強くはあるが、そこにはもはやおなじようなビロードの肌ざわりはない。(プルースト「見出された時」)

《最初、わたしの青空の中に あなたは白く浮かび上がった塔だった。あなたは初夏の光の中で大きく笑った。わたしはその日、河原に降りて笹舟を流し、あふれる夢を絵の具のように水に溶いた。空の高みへ小鳥の群れはひっきりなしに突き抜けていた。空はいつでも青かった。わたしはわたしの夢の過剰で一杯だった。白い花は梢でゆさゆさ揺れていた。》(大岡信「青空」より)


Je-t-aimeは能動的である。自身を力として確認するーー他の諸力に逆らって。いかなる力か。世間に存在する無数の力(科学、通念、現実、理性、など)、Je-t-aimeの価値を低めようとするすべての力。あるいはまた、言語に逆らって。(……)発語としてのJe-t-aimeは記号ではない。記号の負けに賭けるものなのだ。Je-t-aimeを言わぬ者(唇の間をJe-t-aimeが通過することを望まぬ者)は、多様で、不確実で、疑わしく、かつ貪欲な愛の諸記号を、その標識を、その「証拠」を、つまりは、身振り、視線、ほほえみ、ほのめかし、省略などを、とめどもなく発しつづけるほかない。彼は解釈されるがままになるしかない。愛の諸記号の反動的要求に支配され、すべてを言わぬことによって言語の隷属的世界に譲渡されてしまうのだ(奴隷とは舌を切られた者、態度、身振り、表情でしか語れぬ者である)。

恋愛の諸「記号」は広範な反動的文学を養っている。愛は表象され、外観の美学に委ねられている(要するに、恋愛小説を書くのはアポロンなのだ)。反記号としてのJe-t-aimeはディオニューソスの側になる。苦痛は否定されない(嘆きも、嫌悪も、怨念さえも)。ただし、発語によって苦痛が内化されるのではない。Je-t-aimeを言うこと(それをくりかえすこと)は、反動的なものを放逐すること、それを、記号の、ことばの迂路(ただし、わたしはたえずそこを通過しつづけている)の、音のない悲しい世界へ送り返すことなのである。(ロラン・バルト「わたしは・あなたを・愛しています」『恋愛のディスクール・断章』)


Barbara Hendricks  Schubert "Nacht und Träume"



人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくとこもある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。(……)

その眼や指先、その髪や胸や腰、その衣裳や姿勢……その一瞬の表情には、――それは歓びに輝いていたり、不安に怯えていたり、断乎として決意にみちていたり、悲しみにうちひしがれていたりするのだが、――私の知らない女の過去のすべてが凝縮され、当人にさえもわからない未来が影を落としている。(加藤周一『絵のなかの女たち』)

2014年4月1日火曜日

四月朔

炎熱限りなし。書斎の寒暖計三十九度を指し示す。例年をはるかに上回る異常な暑さに襲われ忍難し。本日早朝米国から訪れし近縁の女が帰国せしが空港まで送るのは妻にまかせ門前にて惜別の挨拶を送るのみ。名残り惜しきかな。《けやきの木の小路を/よこぎる女のひとの/またのはこびの/青白い/終りを》(西脇順三郎) 昨深更奇事あり。

《余一睡して後厠に徃かむとて廊下に出で、過つて百合子の臥したる室の襖を開くに、百合子は褥中に在りて新聞をよみ居たり。家人は眠りの最中にて楼内寂として音なし。この後の事はこゝに記しがたし。》(永井荷風『断腸亭日記巻之五大正十年歳次辛酉 』)



                  (荒木経惟)


ナオミさんが先頭で乗り込む。鉄パイプのタラップを二段ずつあがるナオミさんの、膝からぐっと太くなる腿の奥に、半透明な布をまといつかせ性器のぼってりした肉ひだが睾丸のようにつき出しているのが見えた。地面からの照りかえしも強い、熱帯の晴れわたった高い空のもと、僕の頭はクラクラした。(大江健三郎「グルート島のレントゲン画法」『いかに木を殺すか』所収)



《丘のうなじがまるで光つたやうではないか/灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに》(大岡信)




                (Bibiana Nwobilo


《水べを渉る鷭の声に変化した女の声を聴く》(吉岡実)



2014年3月14日金曜日

ききくらべと「感動飽和=無感動」

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。 (クンデラ『不滅』P295)

このところYouTubeで、シューベルトの歌曲を「ききくらべ」しているのだが、「ききくらべ」というのは以前はそんな習慣はなかった。たとえばバッハの合唱曲を好むのだが、長いあいだカール・リヒターの指揮による演奏録音で満足していた。いまでも多くの曲はそれでいいのだが、たとえばカンタータBWV12、BWV78はBWV4とともに最も好む合唱曲のいくつかだが、ある偶然の機会でほかの指揮者の演奏録音を聴いてみると、その清冽さに魅了され、すくなくともBWV12、BWV78は、リヒターのダイナミズムや厚い合唱の声がいささか鬱陶しく感じられるようになった。あるいは他にも、どうもわたくしのカール・リヒターにたいする態度は、ホモ・センチメンタリス的な側面があったのではなかったかとも疑ってみようとしている。わたくしがかつて馴染んだ曲を、この数年「ききくらべ」するようになったのは、これらのことに由来する。

シューベルトの歌曲については、すこしまえ、エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)&エトヴィン・フィッシャー(P)のD774に驚いた。少年時、エリー・アーメリングのレコード(ここではwith Jörg Demusのd118をリンクする)が実家にあり長いあいだそれでいいと思っていたのだが、どうもそうでもない。

シューベルト「水の上で歌うD774」を聴く》と題されて、D774の七人の演奏家の「ききくらべ」をされている方がいる。こういった試みは助かる。有名な曲だと、ききくらべするのに、とてつもない数の演奏録音がYouTubeにはあり、自分で探すと、場合によっては30~40種類聴くことになる。どの演奏もどこか気に入らないところがある場合はそんな具合になる。


というわけで、この数日30種類以上「ききくらべ」たのは、シューベルト十七歳のときの作曲といわれるGretchen am Spinnrade D 118、ゲーテの『ファウスト』の詩によることで有名な『糸を紡ぐグレートヒェン』だ。

 

シュヴァルツコプフの歌はわたくしの耳には音程のゆれが気になるところがあるのだ。フィッシャーのピアノもD774ほどには魅惑されない。糸をつむぐカラカラした音のリズムが活かされることが少ないように感じられる。Irwin GagePhillip Mollのピアノの音と比べてみる、あるいはLucia POPPの歌唱の伴奏者はだれだか分からないが、これとも。ーーいやこうやってあらためて聴き比べるとフィッシャーの慎みふかいリズムの蠢きが新鮮に聴こえてくるなどということがあるから、厄介だ……。

この演奏のなかで、《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた》(プルースト「囚われの女」)と呟いてみることになる。






いまはどの演奏家のものがお気に入りなのかをあげるのはやめよう。わたくしは黒人系女性歌手の、しかし

Jessye Normanのようなとてつもない声、奈落の底に吸い込まれてしまうような声ではなく、もっと

線の細い声が好みのことろがあって、まったく名を知らなかったある歌い

(Bibiana Nwobilo)に瞬時蠱惑されたのだが、それも束の間の印象かもしれない。それにベルリンで活躍するBibianaが黒人系なのかどうかも調べていない。ただ顔貌からの印象だ。

Bibiana Nwobiloも、わたくしにとっては声が響きすぎる。わたくしがことさら愛するのは、Barbara Hendricksだ。すくなくともBibianaの声は、シューベルトやシューマンと同様に愛するフォーレの歌曲には過剰すぎる(Après un rêve"のBarbara HendricksBibiana Nwobilo)。

もっともJessye Normanになんらかの怨みがあるわけではない。若い頃にひどくやられてしまって耽溺したのを初老の齢になっていささか恥じる気味があるだけだ。






ああ、ブラヴォー、ブラヴォー!

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。

(……)そういう彼らも、笑止ではあるが、全面的に軽蔑すべきものではない。彼らは、芸術家を創造しようと欲する自然が着手した最初の試作(エッセー)なのであって、現に生存する種に先立って生きたがこんにちまで存続するようにつくられていなかった原生動物とおなじように、形をなさず、生育もしないのだ。優柔不断で、不毛のこれらの愛好者たちが、われわれの心にふれるものをもっているとしたら、それは最初期の飛行機に似ているからで、本体は離陸することができず、内部の装置は、発見を婚儀に残す秘法を欠き、ただ飛ぶ欲望だけをとどめていたというわけである。「ところできみ」とあなたの腕をとりながら、愛好者はつけくわえる、「ぼくはね、あれをきくのは八回目なんだけど、はっきりいって、まだそれが最後というわけじゃありませんよ。」まったくその通りで、彼らは芸術のなかにある真の養分を吸収しないから、つねに飢えを癒しえないあの病的飢餓症になやんで、たえず芸術的なよろこびを欲求するのだ。そこで彼らは、いつまでもつづけておなじ作品を喝采しに行き、おまけに、そこへ出かけることが、一つの義務、一つの行為を遂行しているものと思いこむ、あたかも他の人たちが重役会か、埋葬に出かけるように。(プルースト「見出されたとき」) 



さて、『糸を紡ぐグレートヒェン』は、アバド指揮によるオーケストラによる二つのヴァージョン(

Stotijn

Renee Fleming

やら、ピアノ用に編曲されたものまで聴いた(

Yuja WangLazar Berman、……)。Enigmaというグループはいままでバカにしていたのだが、これも捨てたもんじゃない。アバドの糸車のまわし方がふたつのヴァージョン(Berlin Philharmonie 2010、Lucerne Festival Orchestra 2005)ではまったく異なるのが印象深い。何度か繰り返して聴いたが、後者のRenee Fleming版のほうが、わたくしには遥かに魅力的だ(歌声はどちらとも、熟れすぎている。D118には成熟した声は似合わないところがあるのではないか)。

わたくしは実は隠れYuja Wangファンであって(Lazar Bermanと比べちゃいけない)、ときに技倆だけに頼った聴くにたえない演奏もするが、なんといっても若く美しいので許してしまう。しかも以前長男が六歳前後、モーツアルトのK545を練習していた頃に参考にしたことがあり、あの少女があんなに可憐になるとはという驚きもある。




ほんとうに同じ女なのか?




彼女の場合、容色が衰えてからが勝負だ?
王羽佳(Yuja Wang)だって? なまえがいいぜ、オレとおなじ「佳」の字をもっている!--のはまったく関係がない。

後年、名声を罵倒しまくったリルケだって、初期には悪達者の詩を書いたのだから。少女時代の静謐さは、いまでもいくつかのスローテンポの曲に窺えないでもない。だがいまはあまりにも「芸能人」でありすぎる。

創作の過程は最初は甘美ないざないである。創作者への道もまた、多くは甘美ないざないである。それは、分裂病のごく初期にあるような、多くは対象の明解でない苦悩から脱出するためのいざないであることもあり、それゆえに、このいざないは、多く思春期にその最初の囁きを聞くのである。

多くの作家、詩人の思春期の作品が、後から見れば模倣あるいは幼稚でさえあるのに、周囲が認め気難しい大家さえも激賞するのはこの甘美ないざないをその初期の作品に感得するからではないかと私は疑っている。思いつく例はボール・ヴァレリーの最初期詩編あるいはジッドの「アンドレ・ワルテルの手記」である。このいざないがまだ訪れなかった例はリルケが初期に新聞に書きまくっていた悪達者の詩である。リルケはその後に一連の体験によってこのいざないを感じて再出発しえた希有な詩人である。そうでない多くの作家は一種の芸能人であって、病跡学の対象になりえないほど幸福であるということもできる。芸能人に苦悩がないとはいわないが、おそらくそれは別種の苦悩である。多少の類似性はあるかもしれないが。

さらに多くの人は、この一時期にかいまみた幸福な地平を終生記憶にとどめていて、己も詩人でありえたのだという幻想を頭の隅に残して生涯を終える。(中井久夫「創造と癒し序説」)


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というわけで個人的趣味の話、すなわちバーンスタインのいう寄生虫の話を書いてしまったなーー、《音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない》(バーンスタイン)


◆Yuja Wang with Abado

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ラフマニノフのピアノ協奏曲のような、若い頃あまりにも聴きすぎてしまったような曲は、彼女のような演奏家でないと、めったに聴きかえすことはない。耳を新しくして聴くことがひどく難しいのだ(『糸を紡ぐグレートヒェン』もその気味があって、長いあいだまともに聴いていなかった)。

最晩年といっていいアバドの姿を垣間見たところで、もう二ヶ月ほどたったのだから、アバド追悼をしておこう。わたくしが唯一いまでも比較的熱心に聴く交響曲、シューベルトの大ハ長調、--アバドさん、古いベームのまろやかなウィーンの味はいまだ捨てがたいが、もし次に聴くとしたら、あなたの指揮のものだ。


◆Abbado first rehearsal with BPO(Mahler Titan 3rd mov.)1990年

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…………


さて元の話に戻れば、いずれにしろやたらに「ききくらべ」などするものではない。細部にばかり注目するようになってしまう。あるいはさらに悪いことに「感動飽和=無感動」に陥る。

読めば読むほどよいかというと、これにも限度がある。文章というものにはすべて、一定時間内にある程度以上の回数を反復して読書すると「意味飽和」という心理現象が起こる。つまり、いかにすばらしい詩も散文もしらじらしい無意味・無感動の音の列になってしまう。これはむしろ生理学的現象である。音楽で早く知られた現象である。詩というものは一定時間内には有限の回数しか読めない。つまり詩との出会いはいくらかは一期一会である。それだけではない。無意味化するよりも先に、その詩人の毒のようなものが読む者の中に溜まってきて、耐えられなくなる。ヴァレリー詩の翻訳の際に、彼のフランス語の「イディオシンクラシー」(医学でいえばまさに体質的特異性!)が私の中で煮詰まってきて、生理的な不快感となった時期があった。(中井久夫「訳詩の生理学」 『アリアドネからの糸』所収)

愛する音楽を、クンデラが書くマーラーのアダージョの悲しき運命にしてはならぬ。


父の死のとき、アニェスは葬儀のプログラムをつくれねばならなかった。儀式は弔辞なし、音楽としてマーラーの『第九交響曲』の「アダージョ」(第四楽章)を流したいと彼女は望んだが、それを父はとりわけ好んでいたのだった。だが、この音楽はひどく悲しいものなので、アニェスは式のあいだ涙を抑えられないのではないかと心配していた。衆人環視のなかで泣くのは許されないことだと思ったので、彼女は『アダージョ』をレコードプレイヤーで録音して、聴いてみた。一度、それから二度、それから三度。音楽は父の思い出を呼びおこし、彼女は泣いた。しかし八度目だったか九度目だったか、「アダージョ」が部屋のなかにひびいたとき、音楽の力は衰えていたし、十三度目になると、アニェスはパラグアイの国家がすぐ眼の前で演奏されるくらいにしか心を動かされなかった。この訓練のおかげで、彼女は葬儀で涙を流さなかった。

感情といいうものは、そもそも、われわれのなかに知らず知らずに、そしてしばしば意に逆らって湧きあがってくる。われわれがそれを感じようと欲すると(ドン・キホーテがドゥルネシアを愛そうと決めたように、われわれがそれを感じようと決めると)、感情はもはや感情でなくなり、感情を模倣する紛いもの、感情の誇示になってしまう。ふつう一般にヒステリーと呼ばれるものになってしまう。だからしてホモ・センチメンタリスは(いいかえれば、感情を価値に仕立てた人間は)、じっさいホモ・ヒステリクスと同一なのである。

そう言ったからといって、感情を模倣する人間は、その感情を感じないということを意味するのではない。老いたリア王を演じる俳優は、舞台の上で、観客を前にして、見捨てられて裏切られた人間の正真正銘の悲しみをはっきり感じているが、しかしその悲しみは上演が終る瞬間に消えてしまう。だからしてホモ・センチメンタリスは、その強烈な感情によってわれわれを眩惑したすぐあとで、今度は説明しがたい無感動でわれわれを面食らわせるのである。(クンデラ『不滅』P296-297)

《マーラーは、まだ率直に、そして直接にホモ・センチメンタリスに訴えかける最後の大作曲家である。マーラー以後、音楽において感情はうさんくさいものになる。ドビュッシーはわれわれを魅惑しようとはするが、心を揺りうごかそうとはしないし、ストラヴィンスキーは感情を恥じている。》(同 クンデラ『不滅』)



2013年9月10日火曜日

立喰の鮓に舌鼓打てばとて、三度の飯がいらぬといふ訳あるべからず

微恙あり。寝転がってシューベルトの歌曲を聴きながら荷風を読む。





《立喰の鮓に舌鼓打てばとて、三度の飯がいらぬといふ訳あるべからず》--シューベルトは、少年時の熱中以後、しばらくのあいだ、立喰の鮓のつもりでいたが、どうも最近はそうでもない具合だ。


《此日糊を煮て枕屏風に鴎外先生及故人漱石翁の書簡を張りて娯しむ》(断腸亭日記巻之三大正八年歳次己未

十月二日。午後富士見町与謝野氏の家にて雑誌朙星編輯相談会あり。森先生も出席せらる。先生余を見て笑つて言ふ。我家の娘供近頃君の小説を読み江戸趣味に感染せりと。余恐縮して荅ふる所を知らず。帰途歌舞伎座に至り初日を看る。深更強震あり。》(断腸亭日乗 06 断腸亭日記巻之五大正十年歳次辛酉







 般若はんにゃとめさんというのは背中一面に般若の文身ほりものをしている若い大工の職人で、大タブサに結ったまげ月代さかやきをいつでも真青まっさおに剃っている凄いような美男子であった。その頃にはまだ髷に結っている人も大分残ってはいたが、しかし大方は四十を越した老人としよりばかりなので、あの般若の留さんは音羽屋おとわやのやった六三ろくさ佐七さしちのようなイキなイナセな昔の職人の最後の面影をば、私の眼に残してくれた忘れられない恩人である。 昔は水戸様から御扶持ごふちを頂いていた家柄だとかいう棟梁とうりょうせがれに思込まれて、浮名うきなを近所にうたわれた風呂屋の女の何とやらいうのは、白浪物しらなみものにでも出て来そうな旧時代の淫婦であった。江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉おしろいを塗った女が入浴の男を捉えてたわむれた。かくの如き江戸衰亡期の妖艶なる時代の色彩を想像すると、よく西洋の絵にかかれた美女のむれの戯れ遊ぶ浴殿よくでんの歓楽さえさして羨むには当るまい。(永井荷風「伝通院」






気の合つた同志、知らず馴染を重ねしも無理はなし。然りと雖も、女一人わがものになしおほせて、床の喜悦も同じ事のみ繰返すやうになりぬれば、又折々別の女ほしくなるは男のくせなり。三度の飯は常食にして、佳肴山をなすとも、八時になればお茶菓子もよし。屋台店の立喰、用足の帰り道なぞ忘れがたき味あり。女房は三度の飯なり。立喰の鮓に舌鼓打てばとて、三度の飯がいらぬといふ訳あるべからず。家にきまつた三度の飯あればこそ、間食のぜいたくも言へるなり。此の理知らば女房たるもの何ぞ焼くに及ばんや。おのれ袖子が床の上手に打込みて、懐中都合よき時は四日五日と遠出をつゞけ、湯治場の湯船の中、また海水浴には浅瀬の砂の上と、処きらはず淫楽のさまざま仕尽して、飽きた揚句の浮気沙汰に、切れるの切れぬとお定のごたごた、一時はきれいに片をつけしが、いつか焼棒杭に火が付けば、当座は初にもまさり稀世の味、昼あそびのお客が離座敷へひたるを見れば、待合家業のかひもなく、無暗と気をわるくし、明いた座敷へそつと床敷きのべる間も待ちきれず、金庫の扉を楯に帳場で居茶日の乱行、女中にのぞかれしも一二度ならず。夜はよつぴて襖越しの啜泣に、家のおかみさんてばそれあ一通りや二通りではないのよと、出入の藝者に家の女中が嘘言ならぬ噂、立聞してはさすがに気まりのわるい事もありしが、それは所謂それにして、又折々の間食止めがたきぞ是非もなき。無類の美味家にありて、其上に猶間食の不量見、並大抵のあそびでは面白い筈もなし。(四畳半襖の下張全文








十月一日。築地けいこの帰り桜木に飲む。新冨町の老妓両三名を招ぎ、新島原徃時の事を聞かむと思ひしが、さしたる話もなし。一妓寿美子といへるもの年紀廿一二。容姿人を悩殺す。秋霖霏々として歇まざるを幸ひにして遂に一宿す。

十月二日。雨歇む。久しく見ざりし築地の朝景色に興を催し、漫歩木挽町を過ぎて家に帰る。晡時唖々子来談。

十月五日。(……)この夜寿美子を招ぎしが来らず。興味忽索然たり。寿美子さして絶世の美人といふほどにはあらず、されど眉濃く黒目勝の眼ぱつちりとしたるさま、何となくイスパニヤの女を思出さしむる顔立なり。(断膓亭日記巻之二大正七戊午年)








シュワルツコフの歌声はもちろんのことだが、なりよりエドウィン・フィッシャーのピアノが素晴らしい。






晩年は白井光子を褒めていたらしい、ーー《他人を誉める事は少ない。しかしながら、フィッシャー=ディースカウを「神のような存在」、白井光子とハルトムート・ヘルのリート・デュオを「世界最高の音楽家夫婦」と賛辞を送っている。》(WikiPedia)









2013年9月5日木曜日

悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう

《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

私はもちろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与することなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。(デリダ)ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト『なぜ精神科学を改革しなければならないのか』(田中純)

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一時期のめりこんだ政治活動と、童話の創作活動がどういう関係にあったのか。政治活動を否定したことによって、そこからあの童話の世界が生まれたのではなく、このふたつはじつはほとんど同時現象なんですね。あの奇跡のような傑作群と、危険なユートピア思想への傾倒は、深くつながっている。》(中沢新一――太田光との対談 「宮沢賢治と日本国憲法 」)







 《

これは、志賀直哉の小説で読んだと覚えているが、父親が病気の子供をかかえて、夜の闇の中を医者のもとに走るーーあるいは、子供をおいて医者を呼びに走るーーその時、彼は、シューベルトの歌《エリケーニヒ(魔王)》を思い出し、何といやな歌だろう、こんな歌を書いたシューベルトとは何といやな男だろうと呪う。志賀直哉という人も、少なくともここでは、自分の感情をむき出しにぶつけて書いているという印象を与えずにはおかないけれども、しかし、その中には真実な直観がある。シューベルトという男は、疑いもなく、人間の心の奥底にある何かにじかにぶつかり、そこに眠っている深い恐怖をひきずり出してくることのできた芸術家である。

《エルケーニヒ》には、馬のはしるところの描写だとかいう三連符のリズムの持続音型があるわけだが、それはそう思ってきけばというだけの話だけであり、まして《死と乙女》には、そういうモチーフはまるでない。ここでの三連符が死神の象徴ということにはならない。しかし、彼はどんな標題楽作曲家もやれないような形で、音楽を通じて、特定の感情をきくひとからひきだす。そうしないではいられなかった男である。

だが、シューベルトにできたのは、こういう鬼気迫る、凄みだけではない。《ぼだい樹》の三連符――風にそよぐ大樹の葉ずれの音といわれている、あのモチーフ。それと組みあわされた旋律。あれは、きくものをどんな子守唄よりも、もっと深い、私たちの生命の根源にあるところまでつれていって、その眠りの中に誘い入れる魔力をもっている。トーマス・マンが《魔の山》の終りで、戦死した主人公の最後の意識の中で浮びあがらせるのが、この旋律であるのは、この音楽のもつ真実と完全に一致する。ここでは、死は解放であり、安息なわけだが、音楽が生まれてきたのは、その死からだといいたくなるほどである。》






《シューベルトには、音楽にしかない道を通って、こういう生死の根源的な源泉にじかにぶつかるという経験を、きき手に味わせずにはおかない能力がある。それは、きき手の深い陶酔の中で行われるのだが、その時、きき手は何も、いつも、志賀直哉の小説の主人公のように、闇夜の苦悩の中にいる必要はない。いや、正反対である。それは、あの《ます》の歌の澄んだ、平明な三連符の躍動の中にもあるのだし、《水車小屋》の若者といっしょに、小川の流れのモチーフを口笛で、何回もくりかえしていたってかまわない。

シューベルトの音楽には、日常生活の次元での意識にそって、そのまま動いていながら、同時に、もうひとつ下の層の意識を呼びさます力がある。その時、私たちは、音楽に魅せられて眠りに入るといってもよいし、逆に、日常の世界から、もうひとつの深い世界への意識に目ざめるといってもよい。どちらにせよ、同じことなのだ。それを、私は、シューベルトの音楽のデモーニッシュな性格と呼ぶ。》(吉田秀和『私の好きな曲』)






ロマン主義的なるものとはこの世のなかでもっとも心温まるものであり、民衆の内面の感情の深処から生まれた、もっとも好ましいもの自体ではないでしょうか?疑う余地はありません。それはこの瞬間までは新鮮ではちきれんばかりに健康な果実ですけれども、並みはずれて潰れやすく腐りやすい果実なのです。適切な時に味わうならば、正真正銘の清涼感を与えてくれますが、時を逸してしまうと、これを味わう人類に腐敗と死を蔓延させる果実となるのです。ロマン主義的なるものは魂の奇跡です―― 最高の魂の奇跡となるのは、良心なき美を目にし、この美の祝福に浴したときでありましょうが、ロマン主義的なるものは、責任をもって問題と取り組もうとする生に対する善意の立場からすれば、至当な根拠から疑惑の目で見られるようになり、良心の究極の判決に従って行う自己克服の対象となってまいります。(トーマス・マンーー1924 ニーチェ記念講演)






トーマス・マンはデモーニッシュ、あるいはディオニソス的なものにアンビバレントな感情を抱き続けていた。もちろんそれはマンだけではない。

《音楽による偽りの深さ/音楽的ニーチェ/安請合いをする人》(ヴァレリー)

近代の音楽はあまりにも大きく、あまりにも甘美で、あまりにも速い。そのためそれは、すべてのものをあまりにも脆くする。音楽はその力を濫用し、その能力はわずか三分間で生命を賦与する。/加速するイリュージョン。停止するイリュージョン。――そのイリュージョンが、あらゆるものに個々別々に価値をあたえてしまう。そしてこれがアーティキュレーションなのだ。思想は力づくで柔らかくされてしまう、――不完全な現実によって。(ヴァレリー「カイエ」)

音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)
彼(キェルケゴール)は知っていた。だから、この素晴らしい芸術に対する俺の特別な関係に精通していた―― 彼の見るところ、この芸術はもっともキリスト教的な芸術なのだ。―― 勿論、マイナの符合付きだ。それはキリスト教によって創始され、展開されたのだけれども、やがてデモーニッシュな領域として否定され排除された、―― 君、このことは知っておけよ。音楽はきわめて神学的な問題なのだ ―― 罪がそうであるように、悪魔である俺がそうであるように。このキリスト教的音楽に対する情熱こそ本当のパッションなのだ。認識と惑溺が一体となっているのがこのパッションなのだ。本当の情熱は曖昧なもののなかにのみイロニーとして存在するのだ。最高のパッションの領域は絶対的に疑わしいものなのだ。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

『ファウスト博士』の執筆には、アドルノとの対話(あるいは助言)が大きく寄与しているらしい。


音楽は、それ自体の歴史的傾向に反抗せずに盲目的、無抵抗に服従し、世界理性ではない世界精神に身を委ねる。このことによって音楽の無邪気さは、あらゆる芸術の歴史が準備に取りかかっている破局を早めようとする。音楽は歴史をそれなりに認めている。歴史は音楽を廃棄したがる。しかしながら、まさにこのこと事体が死のみそぎを受けた音楽をもう一度正当化し、存続する逆説的チャンスを音楽に与える。(アドルノ『新音楽の哲学』)






《音楽がぼくをタメにし音楽がぼくを救う/音楽がぼくを救い音楽がぼくをダメにする》  (谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」より)




2013年9月4日水曜日

どうやって耐えることができるだろう



スタジオ録音に比べて、かなり速い演奏。コントロールできていない音があるという人がいるかもしれない。だがシューベルトは(ひょっとして他も)、ライヴ録音がいい。

スタジオ録音が絶対的にすぐれているとするグールドの主張は間違っていた。ストックホルムでのピアノ・ソナタ作品110の実況録音には厚みがある。時間に対してどこか緊張したところ、なにか奪われたもの、最後のシカゴ・コンサートで同じ曲も退くの演奏がどのようなものだったかを想像させるに足るなにかが存在する。時間の切迫が動作を鋭くし思考の速度をはやめるチェスの勝負のように、ある種の絶対的必然性があるのだ。スタジオの場合、時間はじゅうぶんにある。あらゆる方向で時間をたどりなおすことができる。自由だともいえるが、それなりの代価を払わねばならない。(シュネデール)

さらに、ここではアファナシエフとともにこう言おう。

《それに私も、どうすればこのソナタ(D.960)の心理的な重みに耐えることができるだろう。たとえウィークデーの夜、小さなホールで演奏するだけとしても。このソナタをわが家で弾いたら何が起こるだろう? 大文字の「他者」がそのまったき光輝と恐怖とともに出現する。ある意味において、このソナタは私の不俱戴天の敵なのだ。弾けば弾くほど、私は具合が悪くなる。私を傷つけ、私の苦痛をいつまでも引きのばすことを知りながら―――今回も、とどめの一撃を与えてはくれないのだ―――私はこの他者を抱きしめ、接吻する。日常生活の中でなら、こんなにひどいカタストロフに襲われれば命を落としていただろう。》

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連中は何もいうことがないので、名前だけでものをいうのです。テレビは、対話というか、そうした話題をめぐって話をする能力を確かに高めはしました。だが、見る能力、聴く能力の進歩に関しては何ももたらしていない。私が『リア王』にクレジット・タイトルをつけなかったのはそのこととも関係を持っています。

ふと、知らないメロディを聞いて、ああ、これは何だろうと惹きつけられることがあるでしょう。それと同じように、美しい映像に惹きつけられて、ああ、これは何だろうと人びとに思ってもらえるような映画を作ってみたいのです。しかし、名前がわからないということは人を不安におとしいれます。新聞やテレビも、一年間ぐらい絶対に固有名を使わず、たんに、彼、彼女、彼らという主語で事件を語ってみるといい。人びとは名前を発音できないために不安にもなるでしょうが、題名も作曲者もわからないメロディにふと惹きつけられるように、事件に対して別の接し方ができるかもしれません。

いま、人びとは驚くほど馬鹿になっています。彼らにわからないことを説明するにはものすごく時間がかかる。だから、生活のリズムもきわめてゆっくりしたものになっていきます。しかし、いまの私には、他人の悪口をいうことは許されません。ますます孤立して映画が撮れなくなってしまうからです。馬鹿馬鹿しいことを笑うにしても、最低二人の人間は必要でしょう(笑)。(ゴダール「憎しみの時代は終り、愛の時代が始まったと確信したい」(1987年8月15日、於スイス・ロール村――『光をめぐって』所収)


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それは相手に対する何の顧慮も打算もなしに、僕の中に、愛の一つの原型が出来てしまったことを意味する。それはもう彼女ではなく僕だけの原型なのだ。しかし、これは僕に不幸をもたらすとともに、僕に自分自身に対する誇りをあたえてくれた。そういう女と同時に海の遥か向うを見ていた自分を想い出す。どこまでも遥かに行って決して止らないこと、そして愛の親密の中に自分を完全に打ちこむこと、こういう物騒な形が僕の中に出来ていたのだ。

肉体は成長し、成熟し、老衰して死んでゆく。ただ一回だけ。だから本当の愛も唯一つしかない。それにすべてを注ぎ尽くすことのできた人は幸福である。唯一つと言ったが、本当の人生を生きる人間にとって、愛は一つ以上あってはかえって余計で、愛そのものを破壊してしまうのだ。しかしその唯一つはどうしてもなければ、その人の全人生は他に何があっても「無意味」なのだ。その代りそれ一つがあれば、他に何もなくても全部的に充実しているのだ。

魂の深さの差が、愛のすがたが一つであるに限らずあるいは正にその故に、徹底的に露われる。しかしこの深さの度合は、本当は思考の深さの度合の基準にならなければならないものである。何となればそれは、本質的には純粋さの度合だからである。自分を超えるものがそこにある、というのとある意味で同じことだからである。

真の愛とは一人の男あるいは一人の女をその自我から引きはなす、そういう愛である。そして他の者の意志がそれにとってかわるのである。愛の行為とは相手をその自我から引きはなし、それを吸収することである。つまり、相手にとってかわるのである。相手は己れから決定的に引き離されてしまうのである。究極の行為はだから暴力である。しかしそれは、同意し同意された暴力だ。僕は何も、肉体に基づく行為のことを言っているのではない。ただ愛のもつ意義について語っているのである。


愛はそのもの自体としては存在しない。しかし、だからといって、愛が存在する凡てのものよりも強いことに変りはない。死についても同じ事が言える。死は存在しない。が、それが我々の存在にとって本質的であることに変りはない。愛することと死ぬること、この生の二面が、恐るべきある瞬間に合体する。愛は死を鎮め、また、死がなければ愛には何の意味もない。……僕が死のみを待つとするなら、それは愛しか待たないということだ。


ーーここにはリルケがいるだろう、『ドゥイノの悲歌』の、あるいは『マルテの手記』のリルケもいる。

ひょっとして最晩年のラカンさえいるかもしれない。
最晩年のラカン? そのまま信じる必要はない、枯淡のラカンかも。

《「枯淡」は衰えの美称にすぎず、「老成円熟」は積年の習慣の言い換えにすぎないだろう。》(加藤周一「老年について」 1997


The standard notion of love in psychoanalysis is reductionist: there is no pure love, love is just “sublimated” sexual lust. Until his late teaching, Lacan also insisted on thenarcissistic character of love: in loving an Other, I love myself in the Other; even if the Other is more to me than myself, even if I am ready to sacrifice myself for the Other, what I love in the Other is my idealized perfected Ego, my Supreme Good—but still my Good. The surprise here is that Lacan inverts the usual opposition of love versus desire as ethics versus pathological lust: he locates the ethical dimension not in love but in desire—ethics is for him the ethics of desire, of the fidelity to desire, of not compromising on one’s desire.

Furthermore, the late Lacan surprisingly reasserts the possibility of another, authentic or pure love of the Other, of the Other as such, not my imaginary other. He refers here to medieval and early modern theology (Fénélon) which distinguished between physical” love and pure “ecstatic” love. In the first (developed by Aristotle and Aquinas), one can only love another if he is my good, so we love God as our supreme Good. In the second, the loving subject enacts a complete selferasure, a complete dedication to the Other in its alterity, without return, without benefice, whose exemplary case is mystical selferasure. Here Lacan engages in an extreme theological speculation, imagining an impossible situation: “the peak of the love for God should have been to tell him ‘if this is thy will, condemn me,’ that is to say, the exact opposite of the aspiration to the supreme good.” Even if there is no mercy from God, even if God were to damn me completely to external suffering, my love for Him is so great that I would still fully love him. This would be love, if love is to have le moindre sens. François Balmès here asks the right question: where is God in all this, why theology? As he perceptively notes, pure love must be distinguished from pure desire: the latter implies the murder of its object, it is a desire purified of all pathological objects, as desire for the void or lack itself, while pure love needs a radical Other to refer to.This is why the radical Other (as one of the names of the divine) is a necessary correlate of pure love.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")