はじめに
「Gのレコンギスタ」5話を視聴。
本作ではGセルフを巡り、
キャピタルアーミィと宇宙海賊(実質はアメリア軍)が争っている。
キャピタルアーミィ側はベルリ・ゼナム達の救出を口実に
新しいMSを次々に投入させて、クンパ大佐は力を得ようとしている。
宇宙海賊はキャピタルタワーの占領と、宇宙への進出が目的のようだ。
スコード教への疑問もあるようだ。
こうした不安定な情勢下の世界。
カーヒル大尉を始め、前回4話のデレンセン大尉が
自分の部下を7人死なせた事を悔やむ描写を含め、お互いに戦争をやっている。
本作のベースにあるのは、人が死ぬシリアスでハードな世界観である。
しかしシリアスでハードな世界観ながら、本作はそれだけではない柔らかさがある。
それはキャラクター達が生きること、自分の信念に前向きに生きていること。
例えるなら、EDの「Gの閃光」の歌詞のように、みんな生きている。
次に本編中の画面に様々なユーモアが溢れているからである。
今回は「Gのレコンギスタ」にあるシリアスとユーモアから
生まれる笑いについて考えてみる。
一つの画面内に様々なキャラが動く、面白さ
「Gのレコンギスタ」では、物語の本筋とは関係なさそうな所で
キャラが動いているところにユーモア・おかしみが表現されている。
今回、まず面白かったのは、
ラライアがクリムのおさげを引っ張り回していることだ。
戦いが始まりそうな真面目な話をしている中で、
ラライアが金魚の糞みたいにクリムの後ろについて回っているのは面白い。
物語の進行上、ラライアがクリムのおさげを引っ張る必要性は感じられないが
それでもラライアとクリムの関係を描くためにやっている。
(実は二人は仲がいい感じでずっと描かれている)
またクリムは反抗の兆しを見せたベルリを
抑えようとするが逆にベルリに返り討ちに合う。
このシーンでもわかるのだが「Gのレコンギスタ」は
一つの画面でキャラクターが喋りもしくはアクションしながら、
一方で他の誰かが別のことをしている見せ方が多い。(※これが本作の情報量が多いという指摘にも繋がる)
またアイーダがGアルケインで出撃しようとする際も、
その後ろではノレドとラライアがじゃれあっている。
一見、アイーダに目を奪われがちだが、後ろでこんなことをやっていたのかと。
あと今回面白かったのが天才メカニックのハッパさん。
ベルリが乗るコア・ファイターにひっつき、操縦のアドバイスをするのが面白かった。
またベルリの視界を遮るから「邪魔です」と言われて、
画面外に引っ込んでいくのも面白かった。
クリムもGセルフとコア・ファイターのドッキングを指示するシーンで、
わざわざモンテーロの指差ししているのは面白かった。
クリムの代わりにモンテーロに演劇的な芝居をさせている形だ。
戦闘終了後、ベルリにお礼を言うアイーダは、みんなの前から姿を消すと
カーヒルを殺したベルリにお礼を言うのが屈辱で泣き出してしまう。
しかし彼女の感情とは無関係に、おっさん達がモノを引っ張って
引っ張った先にいるおっさんが「痛えじゃねえか」という。
アイーダの感情とは違う世界があり、そして物事は進行しているという見せ方。
最後にベルリ達の食事シーン。面白いというより、見ていて和む。
3人で食べていることが、戦いが終わっている感じを伝えている。
以上のように、戦闘中でも戦闘外のシーンでも
ユーモアを入れられるところは、ユーモアを入れている。
こうした積み重ねが「Gのレコンギスタ」を
シリアスかつユーモラスに仕立て上げていることに繋がっている。
富野コンテについての安彦良和・湖川友謙の証言
本作は5話までの絵コンテが斧谷稔こと富野由悠季監督が担当している。
上記で説明したように富野コンテでは一つの画面で様々な事が起こる。
この事に対し、安彦良和さんは富野監督のコンテを以下のように語っている。
安彦良和「テレビシリーズは、安い予算で3千枚位の動画枚数で20数話分を作るわけですよ。それは最低限、この動きは必要だ、こうやらないと話にならないとかね、そういうことをやって、やっと3千枚なんです。余分なことをやっていると、すぐに4千枚、5千枚とかかってしまうわけでしょ。そのような状況の中で富野さんの絵コンテは、余分なことがいっぱい描いてあるんですよね。それで、非常に作画受けが悪い。例えば主役が、画面の中央で何か芝居をしますよね、その時に脇の方で、関係ない通行人が何かやっていたりするんです。そういうのを見ると、腹が立つわけですよ。「こんなことをやるお陰で何十枚余計にかかるか知っているのか」って。良く作画打ち合わせの時に、「こんなところ、誰も見ないよ」と切ってしまっていたんです。富野さんが聞いたら怒るかもしれないけど。」
安彦良和「リミテッド・アニメ的じゃない絵コンテを描いていた。」
出典「富野由悠季全仕事(キネマ旬報社・1999年)-安彦良和インタビュー」より
次に湖川友謙さんは富野コンテに対して以下のように語っている。
インタビュワー「富野さんのコンテを見てどう思われましたか?安彦さんは『作画の苦労を考えていない、大変なコンテだった』とおっしゃったそうですが」
湖川友謙「いや僕は逆の印象をもちました。作画のことを考えてあるコンテだなあと。僕ば、常々、作画をもっと困らせてくれるようなコンテはないかと待っていたんですよ。面倒くさい方がいい。」
出典「富野由悠季全仕事(キネマ旬報社・1999年)-湖川友謙インタビュー」より
感じ方は違えど、富野コンテは面倒だという事では共通している。
しかし、安彦さんからは余分な事がいっぱい描いていると指摘されている
富野コンテを「Gのレコンギスタ」はきちんと拾い作画していると、上記の描写から推察できる。
まとめ
キャピタルタワーをめぐるエネルギー問題、
実際に戦争が起きているシリアスな世界観の中において
「Gのレコンギスタ」はキャラクターを通したユーモラスな姿を描くことで、
落語家:桂枝雀の理論である「緊張と緩和」によって
生み出されるユーモアを表現していると思う。
こうしたユーモアを描くの理由については、
宇宙世紀時代の文明と科学技術が高度に発達したことによる紛争の連続で、
人類はやりなおす羽目になったリギルドセンチュリーの世界で
それでも生きていくという、彼ら彼女らのたくましさの現れであり
今とは違う世界や価値観を描き出したいからだろう。
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