いよいよ物語の核心を担う荻野目桃果が登場。
彼女が持つ力は「運命を乗り換える」力。
それこそがピングドラムだったのです。
今回から新OPがお目見え。
ますます目が離せない作品です。
個人的にはピングドラムという時間を
体験しているだけでとても満足しています。
感想新OP
ついに新OPのお目見えです。
簡単にポイントを押さえていきたいと思います。
冠葉と晶馬の向いている方向が違いますね。
髪の色、性格どこまでいっても対照的な二人。
回る陽毬ちゃん。
今回のOPでも他にもいろいろ、まわる描写が徹底されています。
アップの苹果。
実はこれより前に苹果自体が燃えているカットがあります。
これについては、今回の説明で納得できるでしょう。
夏目とゆりの空間は黒いですね。
同じ向きを見る、眞悧とプリンセス。
二人を重ね合わせるかのような演出がなされています。
監督:幾原邦彦のクレジットを挟んで、違う向きに立つ冠葉と晶馬。
二人は幾原さんの半身なのか。
それはともかく、二人が別の道を歩むことを示唆しているように見えます。
明かされるピングドラムの正体
今回は、ゆりの過去を通して、物語の核心を担っていると目されていた
荻野目桃果がついに登場します。
さて、ゆりはお父さんから醜いやら汚いやらと言われ続けた事で、
今に引きずるトラウマを背負ってしまったようです。
しかもお父さんに直接傷つけられていると解釈されてよい
描写が何回も何回も入ってきます。
ここで使われるノミというモチーフとそのノミが鳴らす音が
痛々しさを存分に表現します。
謎の巨大なダビデ象。最初は何の事だかわかりませんが、
実はゆりと桃果がいるこの世界は東京タワーの代りに
超巨大ダビデ象があるという世界なのです。
(このダビデ象を作っているのは、ゆりのお父さん)
このビジュアル的インパクトにただただ圧倒されますが、
こうしたアイディアの鮮烈さを採用するのが幾原さんらしい。
ダビデ象が表すイメージ。それはもちろん「ちんちん」です。
そんな自分は醜い汚いと思い込んでいるゆりに近づいてきたのは桃果でした。
声が今をときめく豊崎愛生さんだということは面白かったです。
そんな桃果はゆりに、汚くないよ醜くないよと言いゆりと親しくなりたがっているようですが、
お父さんの洗脳の方が強く、ゆりは桃果を敵視します。
そんな桃果は再びゆりに接触します。それはゆりが死ぬ事を知っているから。
桃果は自分が学校のうさぎをある力を使って救った事を言いますが、ゆりは信じません。
ここでは、力を使って傷ついた桃果と、父親によって傷つけられているゆりが
対照的に描かれたなぁという印象を持ちました。
ここで桃果は自分の持つ力は、日記に向かって呪文を使うと、
電車を乗り換えるみたいに運命を乗り換えられると告白します。
ここで、なぜあれほどまでに電車の描写、
回想シーンに入る時に電車内の掲示板の描写が使われたかがわかります。
そう、電車に乗り換えるように回想シーンに入ってもいいという事を描写したい為です。
また力を使うと、桃果以外の人間は世界が変わった事を覚えていない。
桃果だけが覚えている。そしてその代償として傷つくという事です。
結局、桃果は力を使ってゆりを救い出しました。
その世界は巨大ダビデ象が無い世界、父親がいない世界でした。
しかしその代償として、桃果は大火傷になります。
そして巨大ダビデ象は東京タワーへと変貌していました。
陽毬と眞悧と冠葉の三角関係フラグ
さて、話は戻って、ダブルHが出演している番組で
前に自分が捨てたマフラーを届いた事を知る陽毬。喜びと驚きが同居します。
眞悧にお礼を言う陽毬。そしてちょっと悔しそうな冠葉。
本来であれば、ダブルHにマフラーを渡すのは自分の役目だと思っているのでしょう。
眞悧と陽毬が仲良くなっていくフラグでしたね。
まぁ眞悧はプリンセス一辺倒ですから、プリンセスに等しい陽毬に近づくのは
まぁ当然かなぁという感じでもありますが。
夏目とゆりの日記争奪戦
さて現在の時間では、日記を巡って夏目とゆりの日記争奪戦が繰り広げられています。
ここの一連のシーン。カッコよかったですね。
たぶんここのシーンが止め絵中心なのは、会話の応酬劇を見せたいがためでしょう。
むしろここは動かすより、鮮烈な絵を見せる方が効果的です。
まとめ
この作品はずっと「運命」という言葉が使われてきました。
そして今回、ピングドラムは「運命を乗り換えるもの」力であることもわかりました。
さらに桃果があの事件の日に消えたということ。
代償として、その身が焦がされるなら、
おそらく事件の日に桃果は力を使ったのかもしれません。
ゆりは「別の世界に行ってしまった」と表現していましたし。
ただ、今回の新OPでは苹果がその身を焦がされていますが、
果たして苹果はピングドラムを使うのかどうか。
そして「電車のように乗り換える」という桃果の例え通りに
全ての描写が電車に繋がる事もわかりました。
「電車を乗り換えるように運命を乗り換える」これは作品を読み解く一つのキーワードだと思います。
各キャラが電車に乗っていた描写、CMに入る時の路線的な道。
そして上記にも書いた、回想シーンでの駅内の電光掲示板の描写。
全ては「運命と電車」を意識した描写だったのでしょう。
このフレーズは幾原さんが傾倒していた寺山修司っぽい言葉の使い方です。
寺山の「ポケットに名言を」という古今東西の名言を紹介した本を読むと、
「名言などはしかめつらしく覚えるものではなく、
Tシャツでも着替えるように日々好きな言葉を纏っていけ」という言葉がありますが、これに近い感覚を個人的には受けます。
さて話は変わりますが、
今回ピングドラムを見ていて思ったのは、今まで使われてきた
「何物にもなれないお前たち」というのは、
「運命を乗り換える事ができない」ものといえるでしょうね。そんな「運命を乗り換えられないお前たち」は
ピングドラムを手に入れる事で、どうなるのか。
今回もダビデ像、東京タワーという昭和的モチーフ、そして父権的イメージが使われました。
そしてダビデ象から→東京タワーになった事で、
東京タワーになった後の世界がより昭和に近づいているといえます。
そしてあの95が示す事件。これが平成に切り替わったといえる描写だと思ってしまいます。
昭和→平成と時代の移り変りの中で、私達の生存戦略はどうすべきなのでしょうかね。
この世界で運命を乗り換えないと、陽毬は死んでしまいます。
そんなこんなで桃果が言った「運命が変わった事を他の人はしらない」という意味も
「世界が変わっている事は現実の大衆は気づいていない」とも読み取れてしまいますね。
私達は世の流れをわかっていない、それはピクトグラムで描写された
モブで表現されているようにも思えます。
最後に気になるのはOP最後の冠葉と晶馬が別方向を向くカット。
やはり最後は二人が世界を変えても別方向に行く話なのでしょうか。
何にしても、私は輪るピングドラムという空間と時間を今味わえているだけで幸せです。
アニメとは体験です!!
- 関連記事
-
感想新OP
ついに新OPのお目見えです。
簡単にポイントを押さえていきたいと思います。
冠葉と晶馬の向いている方向が違いますね。
髪の色、性格どこまでいっても対照的な二人。
回る陽毬ちゃん。
今回のOPでも他にもいろいろ、まわる描写が徹底されています。
アップの苹果。
実はこれより前に苹果自体が燃えているカットがあります。
これについては、今回の説明で納得できるでしょう。
夏目とゆりの空間は黒いですね。
同じ向きを見る、眞悧とプリンセス。
二人を重ね合わせるかのような演出がなされています。
監督:幾原邦彦のクレジットを挟んで、違う向きに立つ冠葉と晶馬。
二人は幾原さんの半身なのか。
それはともかく、二人が別の道を歩むことを示唆しているように見えます。
明かされるピングドラムの正体
今回は、ゆりの過去を通して、物語の核心を担っていると目されていた
荻野目桃果がついに登場します。
さて、ゆりはお父さんから醜いやら汚いやらと言われ続けた事で、
今に引きずるトラウマを背負ってしまったようです。
しかもお父さんに直接傷つけられていると解釈されてよい
描写が何回も何回も入ってきます。
ここで使われるノミというモチーフとそのノミが鳴らす音が
痛々しさを存分に表現します。
謎の巨大なダビデ象。最初は何の事だかわかりませんが、
実はゆりと桃果がいるこの世界は東京タワーの代りに
超巨大ダビデ象があるという世界なのです。
(このダビデ象を作っているのは、ゆりのお父さん)
このビジュアル的インパクトにただただ圧倒されますが、
こうしたアイディアの鮮烈さを採用するのが幾原さんらしい。
ダビデ象が表すイメージ。それはもちろん「ちんちん」です。
そんな自分は醜い汚いと思い込んでいるゆりに近づいてきたのは桃果でした。
声が今をときめく豊崎愛生さんだということは面白かったです。
そんな桃果はゆりに、汚くないよ醜くないよと言いゆりと親しくなりたがっているようですが、
お父さんの洗脳の方が強く、ゆりは桃果を敵視します。
そんな桃果は再びゆりに接触します。それはゆりが死ぬ事を知っているから。
桃果は自分が学校のうさぎをある力を使って救った事を言いますが、ゆりは信じません。
ここでは、力を使って傷ついた桃果と、父親によって傷つけられているゆりが
対照的に描かれたなぁという印象を持ちました。
ここで桃果は自分の持つ力は、日記に向かって呪文を使うと、
電車を乗り換えるみたいに運命を乗り換えられると告白します。
ここで、なぜあれほどまでに電車の描写、
回想シーンに入る時に電車内の掲示板の描写が使われたかがわかります。
そう、電車に乗り換えるように回想シーンに入ってもいいという事を描写したい為です。
また力を使うと、桃果以外の人間は世界が変わった事を覚えていない。
桃果だけが覚えている。そしてその代償として傷つくという事です。
結局、桃果は力を使ってゆりを救い出しました。
その世界は巨大ダビデ象が無い世界、父親がいない世界でした。
しかしその代償として、桃果は大火傷になります。
そして巨大ダビデ象は東京タワーへと変貌していました。
陽毬と眞悧と冠葉の三角関係フラグ
さて、話は戻って、ダブルHが出演している番組で
前に自分が捨てたマフラーを届いた事を知る陽毬。喜びと驚きが同居します。
眞悧にお礼を言う陽毬。そしてちょっと悔しそうな冠葉。
本来であれば、ダブルHにマフラーを渡すのは自分の役目だと思っているのでしょう。
眞悧と陽毬が仲良くなっていくフラグでしたね。
まぁ眞悧はプリンセス一辺倒ですから、プリンセスに等しい陽毬に近づくのは
まぁ当然かなぁという感じでもありますが。
夏目とゆりの日記争奪戦
さて現在の時間では、日記を巡って夏目とゆりの日記争奪戦が繰り広げられています。
ここの一連のシーン。カッコよかったですね。
たぶんここのシーンが止め絵中心なのは、会話の応酬劇を見せたいがためでしょう。
むしろここは動かすより、鮮烈な絵を見せる方が効果的です。
まとめ
この作品はずっと「運命」という言葉が使われてきました。
そして今回、ピングドラムは「運命を乗り換えるもの」力であることもわかりました。
さらに桃果があの事件の日に消えたということ。
代償として、その身が焦がされるなら、
おそらく事件の日に桃果は力を使ったのかもしれません。
ゆりは「別の世界に行ってしまった」と表現していましたし。
ただ、今回の新OPでは苹果がその身を焦がされていますが、
果たして苹果はピングドラムを使うのかどうか。
そして「電車のように乗り換える」という桃果の例え通りに
全ての描写が電車に繋がる事もわかりました。
「電車を乗り換えるように運命を乗り換える」これは作品を読み解く一つのキーワードだと思います。
各キャラが電車に乗っていた描写、CMに入る時の路線的な道。
そして上記にも書いた、回想シーンでの駅内の電光掲示板の描写。
全ては「運命と電車」を意識した描写だったのでしょう。
このフレーズは幾原さんが傾倒していた寺山修司っぽい言葉の使い方です。
寺山の「ポケットに名言を」という古今東西の名言を紹介した本を読むと、
「名言などはしかめつらしく覚えるものではなく、
Tシャツでも着替えるように日々好きな言葉を纏っていけ」という言葉がありますが、これに近い感覚を個人的には受けます。
さて話は変わりますが、
今回ピングドラムを見ていて思ったのは、今まで使われてきた
「何物にもなれないお前たち」というのは、
「運命を乗り換える事ができない」ものといえるでしょうね。そんな「運命を乗り換えられないお前たち」は
ピングドラムを手に入れる事で、どうなるのか。
今回もダビデ像、東京タワーという昭和的モチーフ、そして父権的イメージが使われました。
そしてダビデ象から→東京タワーになった事で、
東京タワーになった後の世界がより昭和に近づいているといえます。
そしてあの95が示す事件。これが平成に切り替わったといえる描写だと思ってしまいます。
昭和→平成と時代の移り変りの中で、私達の生存戦略はどうすべきなのでしょうかね。
この世界で運命を乗り換えないと、陽毬は死んでしまいます。
そんなこんなで桃果が言った「運命が変わった事を他の人はしらない」という意味も
「世界が変わっている事は現実の大衆は気づいていない」とも読み取れてしまいますね。
私達は世の流れをわかっていない、それはピクトグラムで描写された
モブで表現されているようにも思えます。
最後に気になるのはOP最後の冠葉と晶馬が別方向を向くカット。
やはり最後は二人が世界を変えても別方向に行く話なのでしょうか。
何にしても、私は輪るピングドラムという空間と時間を今味わえているだけで幸せです。
アニメとは体験です!!
- 関連記事
-
>超巨大ダビデ象があるという世界なのです。
こんなのを連想しましたw
http://goo.gl/HukW4
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-947.html