無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
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この時期定番: 上野公園・不忍池散歩
毎年、この時期・・・晩秋から初冬にかけての時期にはかならず上野公園へ行く機会がある。
上野公園内にある東京都美術館で書道の展覧会があるためだ。
僕の所属している団体主催のものだから、規模はそれほどのものではないが。
武漢肺炎の時期はなかったが、ここ数年は問題なく開催できている。
いつも書いているが、大江戸線の上野御徒町駅からアプローチするので、不忍池の畔を通ってから園内に入る。
歩いて通り過ぎるだけだが、季節によって異なる表情をもつ池と公園は大好きだ。
不忍池はどの季節をとっても、なかなか水面を拝むことは難しい。
一面、蓮の葉で覆われているからだ。
夏などはとりわけ、その旺盛な生命力で、水面などとても臨めるものではない。
いまの季節は、その生命力が後退して、人によっては見るも無残な枯れ蓮の群れと思うだろう。
たしかにそのとおりではあるが、多少でも絵心があると、むしろこの時期の蓮のほうが実に絵になると思う。
生き生きとした夏の蓮の葉は、生きているそのままの姿がよいのだ。
しかし、枯れた蓮はむしろ味わいのある洒脱なモチーフだ。
池の畔の柳の木も、この時期は枯れ出している。
柳の独特な枝振りや葉なども黄ばんだり、枯れて茶になっていたりする。
垂れ下がった葉も、どこか元気がなく見える。
でも、これも絵になっているのがなんたる皮肉であろうか。
花園稲荷神社や五條天神社の脇の坂道を上がって、上野公園に入っていく。
たいした坂ではないが、ちょっと勾配が急なので「どっこいしょ」と言いたくなる。
公園内には観光客がいっぱいだ。
その多くは外国人観光客である。
以前からいるが、ここ数年でやはり数は増えてきていると思う。
マナーのよろしい外国人ならば大歓迎であるが・・・。
園内も紅葉が素晴らしい。
いいお色を出している。
この時期ならではだ。
次に来るのは、新年明けてからだ。
新年会がこの近くのお店で開催される。
冬の真っ盛りの時期になるが、池はまたまた進化した姿でいるだろうか。
それとも、蓮の葉は伐採されて水面が見えることになっているだろうか・・・。
上野公園内にある東京都美術館で書道の展覧会があるためだ。
僕の所属している団体主催のものだから、規模はそれほどのものではないが。
武漢肺炎の時期はなかったが、ここ数年は問題なく開催できている。
いつも書いているが、大江戸線の上野御徒町駅からアプローチするので、不忍池の畔を通ってから園内に入る。
歩いて通り過ぎるだけだが、季節によって異なる表情をもつ池と公園は大好きだ。
不忍池はどの季節をとっても、なかなか水面を拝むことは難しい。
一面、蓮の葉で覆われているからだ。
夏などはとりわけ、その旺盛な生命力で、水面などとても臨めるものではない。
いまの季節は、その生命力が後退して、人によっては見るも無残な枯れ蓮の群れと思うだろう。
たしかにそのとおりではあるが、多少でも絵心があると、むしろこの時期の蓮のほうが実に絵になると思う。
生き生きとした夏の蓮の葉は、生きているそのままの姿がよいのだ。
しかし、枯れた蓮はむしろ味わいのある洒脱なモチーフだ。
池の畔の柳の木も、この時期は枯れ出している。
柳の独特な枝振りや葉なども黄ばんだり、枯れて茶になっていたりする。
垂れ下がった葉も、どこか元気がなく見える。
でも、これも絵になっているのがなんたる皮肉であろうか。
花園稲荷神社や五條天神社の脇の坂道を上がって、上野公園に入っていく。
たいした坂ではないが、ちょっと勾配が急なので「どっこいしょ」と言いたくなる。
公園内には観光客がいっぱいだ。
その多くは外国人観光客である。
以前からいるが、ここ数年でやはり数は増えてきていると思う。
マナーのよろしい外国人ならば大歓迎であるが・・・。
園内も紅葉が素晴らしい。
いいお色を出している。
この時期ならではだ。
次に来るのは、新年明けてからだ。
新年会がこの近くのお店で開催される。
冬の真っ盛りの時期になるが、池はまたまた進化した姿でいるだろうか。
それとも、蓮の葉は伐採されて水面が見えることになっているだろうか・・・。
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