この試合を見ろ!ワールドサッカー名勝負より
全世界に3億人以上の競技人口を持ち、さらにその何倍ものファン人口に支えられるサッカー。過去に遡ると、限りないほど数多くの試合がある。スタープレーヤーのスーパープレー、戦術、連携、審判、応援・・・。あの采配は素晴らしかった、1人のプレーヤーだけを目で追い続けた、連係プレーが美しかった、奇跡のようなシュートを見た、信じられない展開に心が躍った・・・。試合の見方や楽しみ方は人それぞれだが、そんな中で「一生心に残る試合」と出会うことがある。実力だけでなく、偶然とタイミングが重なり合い、見るものに感動と興奮を与えた数々の名勝負を、思う存分語り尽くす!この試合を見ろ!ワールドサッカー名勝負 ↑ 詳細はこちらより。 (楽天ブックス 1299 円 ※ただし、在庫切れです。)
(解説)
西部謙司氏、富樫洋一氏、西岡明彦氏、北川義隆氏、大竹奈美氏、岡田康宏氏ら識者が、それぞれが思う歴代の名勝負を語りつくすという企画。日本代表戦やワールドカップ、CL等、あわゆるジャンルの試合から選定している。1970年から2005年までの全45試合を収録。
・日本×韓国(国立競技場) 1997年9月28日
フランスワールドカップアジア最終予選
(試合経過)
フランスW杯予選のアジア最終予選。韓国・UAE・ウズベキスタン・カザフスタンと同居した日本は、第3戦で韓国と対戦する。ここまで2連勝中の韓国に対して1勝1分の日本は、ホームの国立で必勝体制で臨んだ。
日本は帰化したばかりのFW呂比須ワグナーを先発で起用。一進一退の攻防は、日本が先制する。後半22分、パスカットしたMF山口素弘がゴール前に侵入。最後は、鮮やか過ぎるループシュートで先制。宿敵相手に先制点を奪って最高に盛り上がる国立だったが、そのあとに悲劇が待っていた。
後半38分に韓国のFW徐正源にヘディングで決められて同点に追いつかれると、さらにDF李敏成のミドルシュートで逆転を許す。結局、1対2で敗れた日本は、ドロ沼地獄に入り込むことになった。
(背景)
2002年のW杯を控えて、至上命題であったフランスワールドカップへの出場だったが、この試合の敗戦で赤信号が灯った。その後、カザフスタン、ウズベキスタン、UAEと3試合連続ドロー。日本サッカーは、史上最大の危機に陥った。
今でこそ、「日本サッカー」は、社会の中でも十分な地位を占めるようになっているが、当時の日本サッカー界は、Jリーグバブルも崩壊し逆風ばかりだった。もし、フランスW杯の出場を逃していたら、今ごろ、Jリーグは消滅していたかもしれない。
仮に、オシムジャパンが南アフリカ大会の切符を逃したとしたら、一時的にマイナスな要素は作用するかもしれないが、1ヶ月あるいは2ヵ月も経てばその傷も癒されて、次の戦いへと切り替えられることも可能だろう。しかしながら、当時は違った。
フランスW杯を目指す代表チームは、自身の未来だけでなく、日本サッカー界の未来をも背負って戦っていた。ホームでの日韓戦で味わった屈辱とそれから始まる苦悩は、もう2度と経験したくないし、そして、2度と経験することの出来ない貴重なものだっただろう。
・ブラジル×イタリア(トゥルノワ・ド・フランス) 1997年6月8日
フランスワールドカップ プレ大会
(試合経過)
フランスワールドカップのプレ大会。この大会には、地元のフランス、イタリア、イングランド、ブラジルが参戦。中でも、ブラジルとイタリアの対戦は、94年のアメリカ大会の決勝のカードであり、最も多くの注目を集めた。
試合は、前半7分、イタリアのFWビエリのクロスをFWデル・ピエロが中央でヘディングで決め手先制。さらに、前半24分にもMFアルベルティー二の直接FKで追加点を挙げる。それでも、王者ブラジルはあわてない。前半34分に、DFロベルト・カルロスのクロスボールがイタリアのMFロンバルドのオウンゴールを誘って1点差に追いつく。
後半に入ると、イタリアは代表デビュー戦となるFWインザーギを投入。インザーギの突破からPKを獲得すると、FWデル・ピエロが決めて3対1とリード。
しかしながら、ブラジルも猛反撃。後半26分に世界最高のFWロナウドが、イタリアのDFコスタクルタとカンナバーロの間をかいくぐって追撃のゴールを決めると、さらに終了間際にも、FWロナウドのラストパスを受けたFWロマーリオがGKタファレルをドリブルでかわして無人のゴールに流し込む。結局、3対3という信じられないようなスコアで試合は終了した。
(背景)
当時のロナウドは、間違いなく、世界最高のプレーヤーであった。そのロナウドとロマーリオの黄金の2トップ(「Ro-Roコンビ」)に、新鋭のドリブラーのMFデニウソンとファンタジスタのMFレオナルドを擁するブラジルは、夢のような攻撃的なサッカーを披露した。
そのブラジルに対して、イタリアは引いて守備を固めることは無く、FWデル・ピエロを中心に素晴らしく機能的なサッカーで伝統国の意地を見せた。当時、デル・ピエロは24歳。プレーヤーとしては、絶頂期にあった。
この試合は、ブラジル的なサッカーとイタリア的なサッカーがものの見事にかみ合った名勝負となった。ブラジルは、98年のW杯は準優勝に終わった。明らかに、チームとしてのピークは、その1年前にあった。
・ヴェルディ川崎×横浜マリノス(国立) 1993年5月15日
Jリーグ
(試合経過)
Jリーグの開幕戦。そのカードは、黄金カードといわれた「読売」と「日産」の対戦。
ヴェルディ川崎は、FW三浦知、FW武田、MFラモス、MF北沢、MF柱谷、DF都並、DF加藤久らを擁し、横浜マリノスは、FWディアス、MF木村、MF水沼、DF井原、GK松永らを擁した。
スター軍団同士の対決は、前半に川崎がFWマイヤーのスーパーミドルで先制するが、後半に横浜がMFエバートンとFWディアスのゴールで逆転に成功。記念すべき開幕戦は、横浜マリノスが2対1で勝利した。
(背景)
Jリーグの開幕戦にふさわしい熱戦となった。レベルの高い試合だったかどうかは分からないが、それでも、新しい時代の到来を感じさせるには十分だった。
プロサッカーリーグが開幕したことで日本サッカーは大きく変わった。プロサッカーリーグが成功するかどうかの確信はまったく無かった。しかしながら、その手ごたえを感じるには十分であった。
Jリーグの歴史を作っていく存在となるFW三浦知、FW武田、MF北沢、DF井原といった若手から中堅の選手と、MF木村、MF水沼、DF加藤久、MFラモスといった日本リーグ時代から日本サッカーを支えてきたベテランが競演した。