■ 頂点に立つのは・・・高校サッカー選手権の決勝戦は、岡山の作陽と岩手の盛岡商業の対戦となった。ともに、初めての決勝進出である。
前半は、盛岡商業のプレスが積極的で、作陽に自由を与えなかった。すると、作陽は、ロングボールを使ってプレスをかいくぐりに入った。作陽は、つなぎの部分でのミスが多く、盛岡商業が優勢で前半を終えた。
後半に入ると、作陽は切り札のFW村井を投入しペースを握ると、後半12分に、その村井が巧みなキープからミドルシュート。そのシュートはクロスバーに当たったが、走りこんでいた右SBの桑元がヘディングシュート。作陽が先制ゴールを挙げた。
後半18分に盛岡商業はPKを獲得するが、2年生キッカーの林勇介が失敗。同点に追いつくことはできなかった。しかしながら、後半26分にその林が同点ゴールを決める。左サイドを完全に切り崩すと、ゴール前で左足で押し込んだ。これ以上ないくらいのドラマティックな展開で、盛岡商業が同点に追いついた。
勢いに乗る盛岡商業は、後半40分に、再び、左サイドから崩すと、今度は、千葉が中央で合わせて勝ち越しゴール。左サイドを切り崩した成田のプレーが光った。終盤は、作陽に攻め込まれるシーンもあったが、守りきって、2対1で勝利し、盛岡商業が頂点に立った。
■ 見事な盛岡商業のサッカー先制点を許したものの盛岡商業の勝利は妥当だった。作陽が決勝のプレッシャーが原因なのか、本来のサッカーができなかったのに対して、盛岡商業は終始、アグレッシブに戦った。2得点ともに完全に左サイドを崩したゴールで、鮮やかな得点だった。
前線の選手はみんな個人技が高く、ドリブルで勝負できるだけのテクニックを備えていた。作陽のDFも粘り強く戦ったが、盛岡商業の技術が優っていた。また、中盤のプレスもきつく、作陽の中盤に自由を与えなかった。
北信越や東北の高校のサッカーは、従来は、雪国育ちらしく、粘り強くみんなで守って勝利を目指すスタイルのチームが多かっただけに、主導権を握って戦った盛岡商業のサッカーは新鮮な感じだった。屋外スポーツの場合は、雪国のハンディは避けては通れない。11月ごろから3月ごろまでは、ほとんど外での練習ができないだろう。斉藤監督の情熱と工夫がつかんだ優勝旗だった。
ただし、テレビ局が、雪国のハンディを強調しすぎるには、違和感を感じた。雪国のチームにとって、真冬に屋外で練習できないのは当たり前であって、彼らは、それがハンディだとは思っていないだろう。あまりにハンディばかりを強調するのは、彼らに対して失礼である。
■ 全国規模でのレベルアップの傾向東北地方の岩手と中国地方の対戦は、非常に新鮮だった。その理由のひとつとして考えられるのは、Jリーグのクラブがある都市部の高校は、有望な選手がユースに人材が流れややすく、人材の確保が容易ではなくなっていること。タレントの絶対数では都市部にはかなわないが、今後も地方の高校の躍進は続くだろう。
今大会では、丸岡高校(福井)と広島皆実(広島)の2チームが、3試合連続スコアレスドローでPK戦の末にベスト8に進出したことが話題になった。レベルの低下かという議論もされているが、得点が少ないことが、そのままイコールでレベル低下であると言い切ることはできない。これは別途、検証すべき興味深い現象ではあるが、むしろ、全体的なレベルが上がっているからこそ得点が入りにくくなっていると考えるのが、自然である。
日本代表がアジアの格下の相手と対戦するとき、最も能力の差が表れるのは、サイドバックの選手の質の差である。高校サッカーも同じで、以前は、サイドバックというと最も能力の低い選手が務めることが多く、チームの穴になっていたが、底辺の拡大によってまんべんなく選手が揃うようになって、ウイークポイントとはならなくなった。
■ 見逃せない守備面でのレベルアップ高校サッカーでは、全国大会といえどもミスからゴールが生まれやすい。そのミスとは、攻撃側のミスだけではない。分かりやすい単純なパスミスもあるが、表面に表れにくいポジショニングのミスが少なくなってきていることが、なかなか相手DFを崩しきれない原因ではないかと考えられる。
例えば、速攻の場面で2対2の形を作ったとする。ここで、攻撃の選手がスルーパスを狙って相手DFに引っかかってクリアされたとする。一見すると、攻撃側の技術不足によるパスミスが原因だと思われるが、相手DFがパスコースを切って狙ってクリアをしていたとしたら、それは目に見えずらいがDFのファインプレーであり、シュートシーンにつながらなかったのは、攻撃側のミスだけが要因とはいえない。
地味ではあるが、このあたりの細かいプレーレベルの上昇が、得点機減少の理由であるように思う。同じシーンで、DFが何も考えずに対応していたならばあっさりパスが通っていた可能性は高い。どちらの攻防がレベルの高いプレーであるかは明らかである。守備と攻撃は表裏一体である。
■ 曲がり角を迎えた高校サッカーテレビ的には、中京大中京の伊藤翔選手や野洲高校の乾貴士選手がゴールを決めて、優勝する方がおさまりが良かっただろう。テレビ局がひとりの選手にスポットライトを浴びせて、その選手をクローズアップして作成するストーリーはある意味では分かりやすいが、もはやそんな時代ではない。
以前の高校サッカーと決定的に違うのは、高校サッカーのヒーローがイコールスーパースターではないということ。昔は、高校サッカーでストーリーが完結していた。しかしながら、今では、世界で戦うための一舞台にすぎなくなった。
同様のことは、高校野球でも当てはまる。もう、「オオタコウジ」や「アラキダイスケ」のようなヒーローは出現しないだろう。高校スポーツであっても、世界に通用する強さ(実力)をもった選手だけが、社会的なスーパースターになりえる。
■ 世界に通用する選手を育成することだけが正なのかただし、高校サッカーという場において、世界に通用する選手を育成することを目標に指導することだけが正なのかというと、首を傾げざる得ない。高校サッカーを修了して上のカテゴリーに進める選手はごく一部であり、ほとんどの選手は、高校サッカーでサッカー人生の区切りをつける。
選手の将来性を考えた指導をすることも大切だが、だからといって、勝利至上主義のチームを否定できることはできない。全ての選手は、チームの勝利を目指して戦っているのである。もっとも勝利する確率が高いと思われる戦術を用いることが悪いのかというと、そうとはいえない。答えの出ない、高校サッカーに対するジレンマは当分続く。
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