■ 加茂監督の更迭1勝1敗1分けで迎えた4戦目はカザフスタン(A)との対戦となった。5戦目はウズベキスタン(A)との対戦となるので、旧ソ連のチームとのアウェー2連戦だったが、最初のカザフスタンとの試合は前半にDF秋田がセットプレーからゴールを決めて先制に成功するが、後半の終了間際に同点に追い付かれてドローに終わった。これで1勝1敗2分け。ホームの韓国戦から続く悪い流れを払しょくすることはできなくて、試合後、加茂監督の更迭が発表された。
新監督に就任したのは、コーチだった岡田氏だったが、当時の岡田氏は監督経験は全く無かった。他に適した人材はおらず、消去法と言えたが、最悪のタイミングで日本代表の監督に就任した岡田監督が16年が経過した今、「日本人で最高の監督の1人」と評価されているのだから、人生、何が起こるか分からない。加茂ジャパンで結果を出せなかった責任は自分にもあると考えていたので、最初は固辞したと言われているが、最終的には、引き受けることになった。
アルマトイという地で加茂ジャパンは突如として終焉を迎えたが、果たして、加茂ジャパンとはどういうチームだったのか。加茂監督はどういう考えの下、チームを作っていったのか。また、アジア最終予選の韓国戦やカザフスタン戦はどういう心情だったのか。加茂監督からはあまり語られていない。その後、フェードアウトしかけた時期もあるが、サッカー中継の解説を務めることもあるので、一度、きちんとした形で語って欲しいと思っている。
加茂ジャパンを象徴するワードと言うと「ゾーンプレス」である。また、常々、語っていたのは、「モダンなフットボールをしたい。」ということで、横浜フリューゲルスの時と同じで、「中盤でプレスをかけてボールを奪って素早く攻める。」というのが1つの形だったが、ロングボールを多用する中東勢とは相性が良くなかった。アジア最終予選を前にして、果たしてそのままのやり方で大丈夫なのか、どうなのか、疑心暗鬼になってしまった。
「日本サッカー界の切り札」と言われて1995年に満を持して日本代表の監督に就任したが、結局、志半ばで監督を退くことになった。残念な終わり方だったが、功績の1つは、世代交代を推し進めたことである。MF前園、MF中田英、FW城、GK川口といった五輪組だけでなく、もう少し上の世代のMF名波、DF相馬、MF森島などを抜擢して、さらには、DF秋田、MF山口、DF柳本といった選手たちも日本代表の試合で使い続けることで一流選手の仲間入りを果たした。
いずれの選手もJリーグの舞台で際立つ活躍を見せていたわけではない。もちろん、いいプレーをしていたのは間違いないが、「代表クラスになった。」と言い切れるレベルには達していない選手の方が多かったが、比較的、早いタイミングで日本代表に抜擢して、辛抱強く使い続けたことで、日本代表の層は厚くなった。韓国戦の采配と途中で更迭されたという事実からネガティブに語られることの多い指導者であるが、ポジティブな要素もたくさんあった。
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◆ まとめ #641 ジョホールバルの歓喜から16年 (part3) (2013/11/18)
・加茂監督の更迭
・20歳の中田英寿の覚醒
・高まるカズ不要論
→ 日本が初めてW杯の出場権を獲得したのは、1997年11月16日だったので、ちょうど16年が経過しました。そこで、ジェットコースターのような「スリル満点」だったフランスW杯のアジア最終予選の戦いぶりを振り返ってみました。(part1)から(part5)まで5回に分けて振り返っていきたいと思いますが、今回は3回目で、4戦目のウズベキスタン戦(A)と5戦目のカザフスタン戦(A)と6戦目のUAE戦(H)の3試合がメインです。
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