■ アジアの壁Jリーグの創生期に活躍したセンターバックと言うと、DF井原正巳(横浜M)とDFペレイラ(ヴェルディ川崎)の2人の名前が真っ先に浮かんでくる。歴代2位となる国際Aマッチ122試合に出場しているDF井原は、それほどスピードはなかったが、182センチと高さがあって、強さがあって、キックが安定していて、読みが鋭くて、狡さも備わっている万能型のセンターバックで、華のある選手だった。
オフトジャパンでCBコンビを組んでいたDF柱谷哲二(ヴェルディ川崎)と比べると、リーダーシップという点で見劣りしたので、統率力が疑問視されたこともあったが、1993年から1997年まで5年連続でJリーグのベストイレブンに選出されている。さらに横浜Mが初の年間優勝を果たした1995年にはアジアの年間最優秀選手に選ばれるなど、アジアを代表する名ディフェンダーとして、韓国代表のレジェンドであるDF洪明甫としのぎを削った。
一方、黄金時代のヴェルディ川崎の守備の要だったブラジル人のペレイラも万能型のセンターバックだった。非常にクレバーな選手で、カバーリング能力が高くて、エレガントなプレースタイルが人気を集めた。当時のV川崎はFW三浦知、MFラモス、FW武田、MF北澤、MFビスマルクなどスター軍団だったが、その中でも絶対に欠かせない選手の1人として、周囲の評価は高くて、1994年にはJリーグのMVPに選ばれている。
この選手はFKのスペシャリストとしても知られている。ディフェンダーとしても超一流だったが、フリーキッカーとしても、Jリーグ史上最高レベルの選手で、短い距離でも、長い距離でも、右足でも、左足でも、どちらでもゴールを狙うことができた。当然、フィードも正確で、V川崎の攻撃的なサッカーを支えた。その後、1996年から1998年までは札幌でプレーして、札幌のJリーグ昇格にも貢献している。
続きをメルマガ(J3+メルマ)で読む。