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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

刀のキャリーケース

 模造刀や真剣のキャリーケースには刀の形状になったものがありますが、刀の形状になったキャリーケースで模造刀や居合刀を肩にかけて運んでいると警察官に職質される可能性が高く、知り合いの研ぎ師さんはお客様に研ぎ上がった刀剣をお届けするときによく呼び止められるそうです。
 もう40年位前のお話しですがその当時知り合いになった他の大学の居合道部に所属されている方が刀の形状をしたキャリーバッグで模造刀を肩にかけて歩いていると警察官に呼び止められ派出所に連れていかれて「これは刀か。登録証はないのか。」と問い詰められ、「模造刀です。」と答えてもその警察官は模造刀と真剣の違いが判らず、小一時間経った頃に年配の警察官が来て無罪放免になったということです。
 警察官でも良くご存じではない方もおられるので無用な摩擦を避けるためには刀の形状を下キャリーバッグはさけて釣りのロッドケースれなどの形状がわからないキャリーバッグに入れて運んだほうが余計な摩擦が起こらず無難です。ロッドケースには安くてもスポンジが入っていたり、表側が固いものがあり刀を保護してくれるものもあります。
 刀と木刀をいっしょに運ぶ場合には中にスポンジの筒のようなものを入れてその中に刀を入れるようにすれば木刀と刀が当たって鞘が傷つくのを防ぐことができます。

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  1. 2023/11/01(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

流派は個性

 古武道の初心者の方が知っておかなければならないことは教えは流派によって異なるということです。私たちの流派で良しとしていることが他の流派では悪しとすることもありえますし、その考え方はその流派では正しいのです。流派が存在するは流派に個性があるからであって、古武道として一つに統一されたものがあるわけではないのです。
 現代人は現代武道に触れることの方が多いので剣道は剣道、柔道は柔道として一つのものであり共通したルールが存在するというレベルの知識を持っています。しかし「古武道」は剣道や柔道と異なり一つのものではなく江戸時代に成立した流派武道を総称しているにすぎません。したがって流派が異なれば考え方も異なり、実技も異なるのです。
 初心者の方がここをわきまえていないと他流を否定することにもなりかねませんので心得ておいてください。
 無雙神傳英信流、澁川一流、大石神影流が小さな違いはありながらも基本的に同じであるのはたまたまなのです。

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  1. 2023/11/02(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

頑張らない

 多くの初心者の方は頑張って稽古をしようとすると、それが力みや力任せにつながっていきます。その意味で稽古で無理に頑張ることはしてはいけません。業は力任せや無理やり行うことで修得できるものではないからです。心を鎮めゆっくり正しくと心がけることによって身についていくものです。今まで行ったことがないことをしているのですから新たな価値観を身につけなければなりません。
 書道の稽古をしている子供たちを見られたことがあると思いますが、ゆっくり静かに丁寧に筆先をいかして書を書いています。筆をつかんで無理やり字を書いている子供たちはいません。書を稽古している子供たちのように稽古しなければなりません。

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  1. 2023/11/03(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

演武

 貫汪館でも公の場で演武できるレベルの方が増えてきました。公の場での演武は自分をそれまでの自分とは一段向上させるための機会です。この機会が多ければ多いほど自分に負荷をかけて漫然とした稽古から脱することができます。公の場での演武は私が演武する形を決めていますが、それぞれを上達させるために習得しなければならない形・手数を選んでいますので目標達成のために稽古することによって上達し、その中で自分に何が不足しているのかを気づくことができます。また演武後に反省して今後どのような稽古をしていかなければならないのかにも気づくことができます。
 公の場での演武会数が少ない方は残念ですがこういった機会が少ないので、機会が多い人に比べて上達のための手がかりが少ないと言えます。 ただし、演武慣れになってしまうと上達はしません。毎回新に取り組まねばなりません。

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  1. 2023/11/04(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

今一つ落ち着いて

 稽古をしているときは一生懸命なのでなかなかきづきませんが、普段稽古しているときに立ち止まって今一つ落ち着いて心も無にし、体を楽にして抜付けたり斬撃したり、相手を抑えたりしてください。このほうが刀が走り、力を入れずに相手を抑えることができるということに気付くはずです。
 ほんのわずかな違いですが楽になります。それほど人は知らないうちに感じないほどではあっても心も体も力んでいます。中者者にも上級者にも起こることです。騙されたと思って一度経験してください。変わり始めると思います。

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  1. 2023/11/05(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古に向かう時

 私が高校生の頃のお話ですが、道場に向かう時に急いで自転車をこいでいました。道場についたときに息は切れておりその状態を先生は見られてこのように話されました。「車でも自転車でも早く行こうと思ったら心もみだれてしまうので、落ち着いて心を整えながら来ると稽古にもスムーズに入れ稽古は実にになるけれど、焦ってきていたら心は乱れており道場では心を落ち着かせることから始めなければならない。ハンドルを握っても自転車をこいでもあせらずに心を落ち着かせてきた方がよほど良い。」
 自宅から道場迄自転車でとばしても40分以上かかっており、高校からでも30分以上かかっていたのですが、それ以降は焦らず心に余裕をもって自転車をこぐようにしました。

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  1. 2023/11/06(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

悔し涙を流すくらいでなければ

 稽古にあたっては人に応じて様々な課題を課しています。たとえば斬撃の前に刀を抜くときに右手を伸ばしてはいけないとか、抜付けで柄手は柄を握ってはいけないとか、鞘手の肘を振ってはいけないなどの条件です。一人一人を見て今正しておかなければ上達しないところを言っています。
 ところが条件を課しているにもかかわらず、毎回自分がしたいことだけをするので正されない人もおり、そのような人はなかなか上達しません。一方で真面目に課題に取り組み克服して、次のレベルに行く人もいます。克服するのは簡単なことではなく、何度も何度もやろうとしながらできず、それを克服しようとするの人の中には自分ができないことに悔し涙を流す女の子もいました。しようとして何度も試みるのに自分の体が思うように動かないことが悔しかったのです。その子の最初の課題は右手を伸ばさずに刀を抜くことでした。やがてその課題を克服した後はすべてが順調に進みました。自分の体をコントロールする方法を覚えたのです。誰よりもスムーズに上達しました。
 できないことが悔しいという思いを持ち取り組む人は上達します。できないことを、どうでもいいとほっておく人はそれ以上は進むことがありません。

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  1. 2023/11/07(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

覚えておくこと

 最近は上下関係をあまり言わなくなったためか知っているだろうと思うことも知っていないことがあるので述べておきます。あくまでも私が師匠の道場で習ってきたことなので他では違う場合もあります。
 
 道場には上座と下座があります。自分がどこに位置すべきかは自分で調べてください。自分の稽古道具をどこに置くのかも上下座下座によって決まります。

 公共の場所を借りていると難しいのですが、先に道場に来た者が稽古前に床を掃除します。モップがけなどをして稽古に備えるのです。

 礼は弟子から先に頭を下げ始めます。学校で「起立、気を付け、礼」になれている人は号令によらなければ動けないようですが、兄弟子の動きを感じて見習ってください。それから弟子よりも先に師が頭を下げることはありません。弟子が礼をするので師はそれに応じます。

 掃除のあとに道場を最後に出るのは一番後輩です。忘れ物はないか戸締りに問題ないかを確認してから道場を出ます。

 他の道場ではしているところがありますが、貫汪館では師や兄弟子の稽古道具などを袋にしまったり、稽古着をたたむことはしていません。

 他に気づいたことがあればその時に記します。

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  1. 2023/11/08(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

確実に一歩一歩

 初心者の方は早く形・手数を習得したいと思います。その思いそのものは否定すべきものではありませんが、その思いが早くかっこよく見事に動けるようになりたいというものであるとかえって習得できなくなってしまいます。大切なのは上級者がすることをすぐにできるようになろうとすることではなく、教えられた基本を身につける努力をすることです。

 力みをなくせと言われたら力みをなくす努力をする(力みが力強さだと勘違いしている人が多いので力みをなくし体を楽にすると不安を覚える人の方が多いのです)

 柄を握るなと言われれば柄を握らずに正しい手の内の習得に努める(握らなければ刀が手から離れるではないかと思う初心者が多く、握らないことに不安を覚えるのです)

 右手を伸ばして刀を抜くなと言われれば右手を伸ばさない努力をする(体の前側ではなく後ろ側、上半身ではなく下半身といった使い方を知らない方がほとんどです)

まだまだたくさんありますが、このような基本を身につけずに上級者がしていることを一足飛びにしようとしても猿真似であり、極論すれば形・手数の真似をしているだけで流派には入れておらず、自分の流派を作っていることになります。自分にはまどろっこしいいことに思えても流派を習得するには焦らず確実に稽古しなければなりません。ハイハイもできない赤ちゃんがいきなり走り出すことは出来ないのです。

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  1. 2023/11/09(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

有声の気合

 何度も記していますが、無雙神傳英信流は無声の気合、澁川一流柔術、大石神影流は有声の気合をかけます。有声の気合では若い人ほど声が小さくなる傾向があります。怒鳴りつけるように声を出せと言ってるわけではなく肚で呼吸し吐く息に音をのせるだけなのです。 
 無雙神傳英信流の稽古は無声の気合ですので抜付け、斬撃、血振いは特に肚から吐く息にのせてと指導するのですが、大きく息を吐いていても胸で呼吸をしていることがよくあります。胸で呼吸をする癖をつけていると有声の気合も小さなものになってしまいます。若い人ほど肚で呼吸する経験が少ないのかと思います。
 稽古以外のときに家で臍下丹田を指先で軽く押してそこを意識し肚で深く呼吸する稽古を毎日重ねてください。

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  1. 2023/11/10(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古相手を怪我させない

 昨日有声の気合について述べましたが、澁川一流柔術の稽古は稽古相手を怪我させないように多くの方便で成り立っています。たとえば「負投」では受けの肘を傷付けないようにしています。
 初心者の方の中にはそこを勘違いして有声の気合をかけるときに力を込めて稽古相手を怪我させかねない動きをされることがあります。有声の気合をかけるときには気は肚に込めながらも肩から先は柔らかく稽古相手を怪我させないようにしなければなりません。畝先生の動きはすでに述べたとおりです。
 「当」の稽古をし始めた方も同様に当の動きは柔らかく重くではあっても稽古相手にたとえ軽くではあっても当てることなく稽古します。これくらいと思うことが相手に対してダメージを蓄積させます。

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  1. 2023/11/11(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

体を固めない

 無雙神傳英信流の稽古には比較的長めの刀を用います。長ければ長いほど良いというわけではなく、稽古のために各人が無雙神傳英信流で用いることができるほぼ上限の刀を遣っていただいています。
 何かするときに体を固める癖がある人にとっては長めの刀を扱うのは難しいのですが、長いから何とかしようと体を固めるのでますます抜けなくなってしまいます。また勢いで抜こうとしても体に力みが入りますので体は固まります。初心者の方が心がけなければならないのはゆっくり静かに心を落ち着けて下半身は重くのびのびと、バランスが崩れることを恐れずに刀に任せて動くことです。

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  1. 2023/11/12(日) 21:25:00|
  2. 居合 業

不自由だからこそ稽古になる

 無雙神傳英信流の稽古では購入資金がたまった人には他と比べ比較的長めの居合刀(模造刀)を購入していただいています。長めの刀といっても各人の身長等によってそれぞれ適する長さ(自由に使える上限)が異なり、無雙神傳英信流では〇尺〇寸が定めだというわけではなく、また長ければ長いほど良いというわけではありません。あくまでも稽古によって自由になる適する長さです。
 居合刀(模造刀)を購入される前は普通の長さの木刀を用いて稽古していただいていますので、長めの居合刀(模造刀)を用いると当然不自由になります。教えられたとおりに抜かなければ自由には抜けません。不自由になるといってもそれまでが短い木刀でわがままに抜いていた方は不自由に感じるだけなのです。長くなれば条件が厳しくなるので我儘には抜けなくなります。大きな誤差があっても抜けていたのに誤差が許されなくなるのです。そこに使っていただいている長さの居合刀の意義があります。正しく抜けば不自由さは解消されるのです。

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  1. 2023/11/13(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

柔術の稽古の条件は力でごまかそうとしないこと

 澁川一流柔術の素手の形は無雙神傳英信流の長めの刀のような条件がありません。したがって我儘に動こうとすればいくらでも我儘に動くことができ、筋力が強い人はその動きが業ではなく力任せであっても同じようなことができます。そのようにならないためには自らが自分に条件を課して動きを業に変えていかなければなりません。そのためには

 鼠径部をはじめ体を常に緩めておくこと
 腕・肩から動くのではなく臍下丹田から動くこと
 動きの最中に力みを感じないように努める事

 に努めてください。筋力が強い人は特に繊細に動くことを心がけてください。

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  1. 2023/11/14(火) 21:25:00|
  2. 柔術 業

突き

 大石神影流の手数には突き技がありますが、突き技がうまくいかない人は柄を必要以上に握りしめています。正しい手の内ができていないのです。臍下丹田と柄頭がつながっていれば斬撃も突きも自由になるものですが、柄を握っているので体の中心からの力がそこで遮られ小手先の技になっています。初心者の方は握ったほうが安心感がえられるようですが、刀が自由に働くためには握ってはなりません。
 刀と体は一体となるべきものですが、「我」がつよければ一体にはなれません。突きがうまくいかない方は己をむなしくして刀に自分をあずけてください。

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  1. 2023/11/15(水) 21:25:00|
  2. 剣術 業

自分の至らぬところを見続ける

 武道が修行になるのはどれだけ修業期間があっても、また形式的な段位や旧来の段階が上がっても、自分の至らぬところを見続け心技ともにさらに向上しようとするからです。それがなければ修行にはなりません。
 ところが武道がダメな人間も作ります。そのような人は自分のダメなところを見るのではなく自分が何段であるとか、自分の修業年数は、自分の役職は、というところにばかり目がいきます。いかに自分は他よりも優れているかということを誇りにし、自分の至らぬところは見ないのです。そのような人にとっては武道は人に対して威張るために必要なものなので修行とは真反対の効果を生みます。
 貫汪館には後者の人は不要です。私も武道を始めて50年以上たちましたが、これまでみてきたなかで後者の比率は古武道・現代武道を問わず驚くほど高いのです。一見人格者らしく見えても、人格者らしく振舞っているだけで一歩踏み込むとその内側は別です。自分がどうあるべきなのかを考えてください。

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  1. 2023/11/16(木) 21:25:00|
  2. 未分類

言葉

 その人が用いる言葉によって、その人の本心がわかります。稽古しているときに本当に理解しているのか、わかっていないけれどもその場しのぎで返事をしているのか、あるいはまったく反対のことを考えていて納得していなけれどとりあえず従っているふりをしているのか。そういったことがその人の発している言葉でわかるのです。
 同様にメールなどの文章からもわかります。本気で取り組んでいるのか、いい加減に考えているのか、ごまかそうとしているのかが見えるのです。
 本人は精一杯ごまかそうとしていても言葉の端々に表れてしまいます。言葉は心を表します。日ごろから人に誤解されていると思っている方は自分の心と言葉を見直してください。

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  1. 2023/11/17(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

後輩を指導したくなる

 初心者から脱し始め少し理解できるようになった頃、後輩を指導したくなる心が生じます。自分ができるようになったことを伝えたいのです。これは多くの人が上達の過程でたどることです。その時にその心を抑え、はたして自分が伝えたいことが正しいのかどうかと考えることができる人は上達します。しかし、思いついたことをべらべらと話すと後輩を迷わす大きな原因となります。本当にその後輩にとって必要とされることなのか、また自分が理解し体得したと思っていることが正しいかどうかはわからないのですから。
 話したくなったときは要注意です。ぐっと我慢して自分を顧みて自分自身が本当にできているかどうかを顧みて自分をを向上させていくべき時期なのです。

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  1. 2023/11/18(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

弟子を育てようとする気があるかどうか

 三人の師匠の私への遺言は流派を次の世代に残すことであるというのはお話しした通りです。流派を残すためには弟子を育てなければなりません。つまり免許皆伝になることができる人は自分自身の修行ができる人であるだけでなく次を育てる技量と覚悟がある人なのです。
 私自身はその覚悟で指導に臨んできました。体調が悪くどうにもならないときにも病院で注射を打っていただいて無理して指導したことは数えきれないくらいあります。子供たちの事よりも指導を大事にしてしまいました。(今は支部長には自分の子供を一番大切にするように言っています)。いわゆる仕事の上での出世も上司から言葉をかけられても全く考えませんでした。そんなことになったら平日の指導はできないからです。当然収入は増えません。自分よりも育てることを大切にしてきたのです。
 そのようにしても現代は弟子がなかなか育つものではありません。それどころか初めから修行の覚悟はないので自分に都合が悪いことがあればすぐに去っていきます。今の時代は何事にも軽い時代です。はじめから免許皆伝に至ろうとは思っていない人も多く、口先で何を言っていても覚悟がうすい人も多くいます、1000人に一人いるかどうかの人を育てるのは運でしかないのかとも思います。ある由緒あるお寺で明治時代にボロボロになってしまいながら見事に復興したお寺の関係者にお話を伺う機会がありましたが、「縁」だと語られました。
 育つかどうかわからない、場合によっては後足で砂をかけて出ていくかもしれない弟子たちにそのような指導をしていく覚悟ががあるかどうかが現代における免許皆伝の条件だと考えています。

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  1. 2023/11/19(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

他人が気になる

 少し上達してわかるようになった頃、自分よりも稽古が浅い人の駄目なところが見えるようになってきます。そういいうときに自分が会得しなければならないことがたくさんあるにもかかわらず、他人の稽古に助け舟を出そうという気持ちが起こります。しかし実際は他人の稽古にかまっているような余裕はないのです。
 なぜそうなってしまうかというと、はじめに他人の動きが見え始め、自分自身が見えるようになるのはその次だからです。つまり自分の駄目なところが見えていないので他人ばかりが気になるのです。自分の駄目なところが見え始めると、他人の駄目なところを気にしていたことに恥じ入るようになります。また恥じ入るようになれなければまだ自分が見えておらずそれなりの段階にしかいないということなのです。ひたすらに自分の稽古をする方だけが上達します。

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  1. 2023/11/20(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分の至らぬところがわかる

 貫汪館では主催行事として4月に広島護国神社で、12月に廿日市天満宮で奉納演武をしています。奉納演武は上達の機会なのですが、上達するためには奉納演武で自分の至らぬところがわからなければなりません。
 奉納演武で演武する形・手数を決めその形・手数を重点的に稽古していくので、演武したら自分が至らなかったところがわかわかるはずです。しかし中にはそれがわからない人もいます。自分がしたいようにした方です。自分ががしたいようにして自己満足しているので自分の至らぬところがわからないのです。人によって理由は様々です。人より劣ってみられたくないとか、先輩に少しでも追いつきたいとか、見に来ている人たちに上手に見られたいとか・・・。意識的であるにせよ無意識であるにせよ、このような思いで稽古する人は演武の後に自己満足してどんどん道から外れていきます。
 一方、上達する人は機会あるごとに、また時間をやりくりして奉納演武に参加し自分を確かめ至らぬところを知る人です。

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  1. 2023/11/21(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古は積み重ね

 無雙神傳英信流の方がわかりやすいので例としますが、いつも話すように座礼は抜付けに通じます。礼のときの右手の出し方は抜付けの柄手の動きそのままで角度が異なるだけです。これを別物と考えるのでおかしな作った動きになります。初めに何度も礼法を稽古していただき、その動きが抜付けにつながることもお話ししているのに初発刀の稽古を始めたら柄手の動きがおかしくなるのは「こうしたい、ああしたい」という「我」で動いているからです。また折角礼法をあれほど稽古してきたのにもかかわらず大森流十一本を覚えたころに礼法がダメな作った動きになってしまうのは「我」で稽古してきたからなのです。そのようなときには再び元に戻って自分自身で何を習ったのかを思い出して稽古しなければなりません。礼法は自宅で稽古できるものです。
 抜付けを例に出しましたが、このようなことは稽古が進んでもどの段階でも起こりえることです。英信流表の稽古を始めたら大森流を忘れ、詰合を始めたら英信流で身につけたことを忘れ「我」の思いに基づいて動こうとしてしまいます。稽古は積み重ねることによって上達していくのですから積み重ねた基部にあるものをすててしまったら中身のない外形のみしか残らなくなってしまいます。

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  1. 2023/11/22(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

スナップ

 刀と現代剣道の竹刀の用い方は大きく異なります。本来は刀の代わりに竹刀を用いたのですが競技化が進んで現代剣道は刀の代わりの竹刀というところから離れ、竹刀を用いる技術で現代のルールで有効とされる打突をするようになっています。
 現代剣道の経験者の方は刀を用いても現代剣道に影響を受けた体の用い方を忘れられず形・手数の稽古でもそのような使い方をされます。特に表れるのがスナップです。居合の斬撃の最後に手首を用いて刀を使おうとして手首を伸ばすのです。また大石神影流の仕太刀をして最後に面や小手に斬り込むときにも手首を伸ばそうとされるのです。刀を用いて斬るには不要な動きであり、また斬るという動きを妨げる動きでもあります。
 自分一人で確認できますので、ゆっくり丁寧に動いて自分がどのようにしているのかを確認してください。確認するためには繊細さも必要となります。この課題を解決しなければ刀を有効に用いることは出来ず、貫汪館の古武道を稽古しているとは言えないところです。

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  1. 2023/11/23(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鎬を削らせて受ける

 大石神影流では斬り込んできた太刀を鎬で受けます。大石先生は鎬を削らせて受けるという言葉も用いられました。つまりガツンと受けるのではなく鎬を削らせるように相手の太刀が自分の太刀の鎬を滑るような角度で受けるのです。しかし、鎬で受けていると思っている人でも鎬で受けることができずに刃が当たっている人が多くいます。木刀で稽古しているのでなかなか自覚できませんが自分の木刀のどこに討込のへこみがあるのかを確認してください。また貫汪館で稽古する方は全員居合刀(模造刀)はもっていますので自分一人で動いて鎬で受けることができているのかを確認してください。それでもわからなければ誰かにに木刀で斬り込こむべきところに木刀を位置させてもらい自分の居合刀(模造刀)でかくにんしてください。
 中段に構えたときの手の内と受けるときの手の内が変化していなければ鎬で受けることは出来ません。

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  1. 2023/11/24(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

手順を忘れる

 初心者から中級者へと変わるためには稽古を積み重ね手順は身に沁み込ませたうえで手順を忘れなければなりません。
 形・手数の手順は行く通りにも変化するうちの一つです。初心者に対して形・手順から離れて動きをかえることはありません。それは正しい形・手数の手順を覚えてもらう段階だからです。
 しかし、初心者が覚えた形・手数を見事に見せようとして素早く動こうとか力強く動こうとし始めたら武道の形・手順は自由になるためのものではなく決まりきったことを行うための不自由なものになってしまうのです。形・手数を繰り返し身に沁み込んだら次は速さ強さではなく自分の動きの中で隙をなくすように努めなければなりません。つまり決まった手順で打太刀が斬突してこなくてもそれに応じられる心や体の状態を保ちながら形・手数の稽古をしなければならないのです。ここを間違うと道を間違えてしまい武道の形・手数の稽古をしながら不自由な自分を作ってしまうことになります。ここが分かれ道となりますので十分に気を付けなければなりません。

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  1. 2023/11/25(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

正しく動いて斬られれば仕方ないと思わなければならない

 昨日の続きです。初心者が中級者になるためには梅本先生が私に教えてくださった「正しく動いて斬られれば仕方ないと思わなければならない」という言葉を腑に落ちるまで考えなければなりません。
 私は現代剣道の影響で試合には勝たなければ意味はないと思う癖がついていました。実際、競技としての剣道であれば大会で勝たなければ全く意味はなく、中学生の時に年間に何度もある試合で成績を残さなければ意味はありませんでした。試合になんか出なくてもいいよと言う剣道の指導者に会ったこともありませんでした。
 「正しく動いて斬られれば仕方ないと思わなければならない」という考え方は目先のことを考えず将来的に正しい心と業が身につき自由になる迄は勝ち負けは度外視して正しい心と業を身につける努力をしなければならないということですが、斬られる覚悟があれば稽古を通じて間に合わせではない心と業を身につけようと努めることができます。私は先生の教えによって変わることができました。本物を身につけるためには焦りは禁物です。

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  1. 2023/11/26(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間合

 距離の間合のことを述べますが、打太刀が正しい間合で斬り込まなければ仕太刀は正しく動くことは出来ません。たとえば「太陽釼」で仕太刀が後方に下がるのが間に合わないだろうと考え打太刀が十分に斬り込まなければ仕太刀はいい加減な間合いを覚えてしまい実際には面に斬り込まれてしまいます。このような場面をかなり見かけますが、その打太刀の動きは仕太刀に対して優しいのではなくひどいことをしていると思わなければなりません。役に立たない動きを身に着けさせているのです。仕太刀の動きが間に合わないと思ったら正しい間合で怪我させないようにゆっくり斬り込んでください。
 仕太刀が打太刀に遠慮しているのを見ることもあります。当たってしまうと考えて十分に斬り込んでいないのです。基本的に打太刀は仕太刀よりも上位者がつきます。したがって仕太刀は打太刀に遠慮する必要はありません。

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  1. 2023/11/27(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

受が正しく間合をとらなければ捕は上達しない

 剣術や太刀打の間合について述べましたが澁川一流の素手と素手での形稽古も同じです。「履形」は澁川一流の基本であり、一見拳で受が捕の中段を当に行くところから始まるように見えるのですが、その意味合はお教えしているとおりですので間違えないでください。
この動きで受が捕に遠慮して拳が捕に中段に届いていない方も散見されます。これは実は優しいのではなく剣術や太刀打と同じようにひどいことをしているのです。間違った間合で稽古しているのですから実際に何かあった時に対応は出来なくなってしまいます。剣術や太刀打と同じように受が対応できないと思ったら間合は正しく、ゆっくり突いてください。正しい稽古をすることで正しい動きが身につきます。

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  1. 2023/11/28(火) 21:25:00|
  2. 柔術 業

習う

 習うとは教わったことを繰り返し稽古し身につけることでなければなりませんが、せっかく教えても自分がしたいことをするだけではくりかえしても身につくことはありません。
 このレベルの人にはこれを身につけてもらわなくてはならないと、ゆっくり行って見えないところを見せているのに、お構いなしに真似だけして雑に動く人はかなりの割合でおられます。自分がしたいことをしているので見せて教える意味がないのです。
 たとえば無雙神傳英信流では袴捌をして座ることに業につながる大きな意味合いがありますが、ただ刀を抜きたいだけの人はその大切なところを雑に行って座ります。それでは正しく抜けるわけではないのですが、自分の興味関心がある所だけを行いたいのです。それは習っているわけではなく無雙神傳英信流の形の手順を用いて自分の流派をつくっているだけです。
 また抜付けを鞘手、柄手の掛け方から重心の移動まで細かに教えているのに、柄を握りしめ鞘をつかんで自分が力強く感じられるように抜こうとされる方も初心者の方の中にはおられます。習おうという気はなく自分がしたいように刀を振り回したいだけなのです。江戸時代にもそういう人がいたのか、現代人だからそうなのかはわかりませんが、習うということができない人もおられるようです。
 そもそも習うということがどういうことなのかご存じないのかもしれません。習うということはどういうことなのかを理解してもらって後に体を動かして稽古していただかなくてはならないようです。

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  1. 2023/11/29(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

全ての動きを繊細に感じる

 形・手数の手順を覚えたらすべての自分の動きを繊細に感じながら稽古しなければなりません。
 例えば無雙神傳英信流の鞘引きに関して、鞘手が鞘をつかみに行っているのか、肚が働き肩が後方に下がり肘が下がって前腕が上がり結果として小指薬指が鞘に下から触れているのかの違いを自分自身が感じているかどうか。柄手が肚が働いて体がやや前に傾き(傾けているのか傾いているのかも感じられなければなりません)柄手が前に出ようとしているのを感じているのか、あるいは自分で柄をつかみに行っているのかの違いを感じられているか。
 例えば澁川一流の礼式で蹲踞するとき、引力に身を任せて体が下方に下りていくのを感じているのか、自分で膝を曲げているのか。立ち上がるときに脚力を用いて足を突っ張っているのか、肚と呼吸の働きが体を持ち上げているのかという違いを感じているのか。
 例えば大石神影流で上段に取るときにたんに肩を回し手首を回して刀を上にあげているのか、肚中心に体を動かしそれに連動して自然に体が動きさらに下半身が緩みながら刀があがっているのかどうかの違いを感じられているか。
 このような基本的な動きの自分自身で感じることができていなければただ肩の手順を追っているだけであり上達することは出来ません。上達するためにはすべての自分自身の動きを繊細に感じてダメな部分をなくしていく努力が必要です。

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  1. 2023/11/30(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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