新年あけましておめでとうございます。 平成29年の貫汪館の行事で大きなものは、2月4日(日)の日本武道館演武、4月22(土)の広島護国神社奉納演武、8月上旬に行われる予定の高知県立歴史民俗資料館の後藤象二郎展での大石神影流の演武と体験、8月末に行う予定の出雲大社奉納演武、12月下旬の廿日市天満宮奉納演武があります。
館長と一部の館員は他団体が主催する演武会等に参加していただくようにもなると思います。
かつて、ある流派の方が言われたことがあります。「自分は多くの演武会に出ているので緊張感がなくなり安易な演武をするようになってしまっている。」 これは心してお聞きしておかなければならない言葉です。
同じ形を演武したとしても、演武のたびに新たに畏れをもって行わねばなりません。これは毎日の稽古についてもいえることです。日々新たな自分であれるよう進んでいかなければなりません。
- 2017/01/01(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
我儘と自由をはき違えるのは人の性です。とくに古武道を稽古すると、定められたことが多く、これまでの自分の癖や正しいと思って行ってきた事が否定される場合が多くあります。
この定められたこと、稽古しなければならない事を稽古、修業していくことによって真の自由を会得します。我慢して修行することなく、自由だと思うのは真の自由ではなく我儘に行動しているにすぎません。下記の孔子の言葉の意味をよく考えてください。
七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず
- 2017/01/02(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
体の動きが偏れば偏った側の筋肉が緊張し、筋力の働きを感じます。偏れば偏っただけ力が働きます。初心者の方はこれを力強さと感じることがあります。
偏りがなければないほど筋肉の緊張は少なくて済み、力を感じることが少なくなります。
心の偏りも同じで、偏ってどこかに心の力みが生じると、それを気が出ているとか、集中していると感じることがあります。
腑抜け、低レベルの放心をしていることを体と心の偏りがない状態と勘違いすることもあります。
可能な限り、偏りをなくしていけば体も心も楽な状態となり天地と一体になりやすくなります。
- 2017/01/03(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
人は物事を自分の都合の良いように解釈する傾向があります。自分の主義主張に近いものがあればそれをもって自己の証拠とし、自分にとって都合が悪いものがあれば、それは目に入りません。
武道の稽古も同じで教えられたことを自分の都合の良いように解釈して、自分はできていると思ったり、自分ができない教えは、たちまち他所においておき取り組もうとはしません。
このような状態であっては偏った稽古しかできず偏った成長しかしませんので、自分に心を許すことができません。
- 2017/01/04(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
古くからの伝統のあるものを習得しようとするとき、師の教えはなかなかすぐに会得できませんし、言葉で説明できない事が言葉で説明できる事の何十倍何百倍もありますから、習得したとしても、さらに次の人に伝えようとしたときには「曰く言い難し」「目で見てとれ」「技を盗め「感触を覚えろ」という指導になるのは当然のことです。
自分が作り出した流派であれば問題はありませんが、古くから伝えられてきたことを自分が後進に教えるのに、言葉を用いて理論的にすらすら教えることができると思った時、それは自分自身で勝手に作り出した理論であるのか、本当に師から教えられたことであるのかをはっきりさせる必要があります。
- 2017/01/05(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
古武道を稽古する者は自分が行っていることに対する強い自覚を持たなければなりません。刀を用いる稽古は修行ではありますが、刀で相手を倒す稽古を通じて行われます。居合の稽古、剣術の稽古、また柔術の稽古であっても刀を用います。柔術の修業は人の動きを制する稽古を通じて行います。
オーストラリア・パース支部長のマイケルがオーストラリアで起こった事件について話してくれたことがあります。男子と喧嘩をした女子が家にあった刀を持ち出して男子の腕を切り落としたことがあると。
それ故に古武道を稽古する者は言葉や行動に気を付けることができる者でなければならず、たんなる時代劇マニアやコスプレマニア、古武道マニアであってはならないのです。
貫汪館で稽古される方は自分たちが行っていることには、そのような面もあるのだという自覚を以て稽古しなければなりません。
- 2017/01/06(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
稽古で同じことを何度も指摘されているのは、自分の興味関心の方が指摘された事よりも優先順位が高いからです。厳しい言い様ですが自分のやりたいことを優先するのであれば、ビデオを見て稽古すれば十分です。
それでは上達するために今の自分に欠けているところが見えてこないので、指導を受けています。かつて居合の師が「今日は誰誰が来るから教えてやってくれ、道場には上がらないから。」と言われていた方がいました。なぜかと思っていると、先生が指導されたことを軽く受け止め、少ししてみたらそれで身についたものと思い、努力もされないのです。これでは先生も教える気がなくなるのは当然です。
自分が教えられたことを、どのように受け止め、どのように身につけようとしているのかを振り返ってください。
- 2017/01/07(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
貫汪館の定款の事業には下記のように記してあります。
(事業)
(1)貫汪館の古武道の普及振興を通じた人材育成等を目的とする事業を行う団体又は個人に対する指導,助言,専門家派遣その他の支援及び育成強化に係る事業
(2)貫汪館の古武道の普及振興のための大会,演武会,稽古会等の開催に係る事業
(3)貫汪館の古武道の専門的知識技能の普及及び指導者育成を目的とする講習会,研修会等の開催に係る事業
(4)貫汪館の古武道の段位の審査及び授与に係る事業
(5)貫汪館の古武道の普及振興のための文書図画,電磁的記録等の制作及び頒布並びに各種媒体等による啓発活動に係る事業
(6)貫汪館の古武道及びその他の古武道に関する調査研究,資料収集等に係る事業
(7)貫汪館の古武道に係る武道具に関する研究開発に係る事業
(8)貫汪館の古武道の普及振興のための表彰に係る事業
(9)その他この法人の目的を達成するために必要と認められる事業
このうち(1)に関しては筑波大学での指導を行っており、(2)に関しては広島護国神社や出雲大社などでの奉納演武がこれにあたり、(3)に関しては年に数回行っている講習会がこれにあたり、(4)に関してはこれを行っており、(5)に関しては名古屋支部長が製作してくれている記録映像やフェイスブック・ブログ等による活動がこれに当たり、(7)については木刀の鞘の製作や、稽古用の鎖鎌の製作、木製の稽古用懐剣の製作等がこれに当たります。
しかし貫汪館では(6)が弱く、現状では館長のみが行っているといっても過言ではありません。
今後は支部長クラスは自らテーマを考えまた、館長からテーマを与えるなどして武道学会の支部等で発表を行うなどの活動をしていただくことも考えていかなければならないと思います。
- 2017/01/08(日) 21:25:00|
- 武道史
-
-
伝承とは「受けついで伝えて行くこと」ですが、「受けつぐ」には正しく受けついでいることが重要です。
古武道で免許皆伝を受けていなければ受けついでいるとはいえず、ただ習ったにすぎません。ただ、習った状態で伝えれば伝えていくことにはならず、自分の考え思いに基づく自分勝手な技術を伝えているだけであり、それは「受けついで伝えて行」っているのではなく、自分の作ったものを伝えているのです。これを伝承と言えば嘘になります。
他流派のことは知りませんが、澁川一流柔術では中極意で教えることができ、大石神影流剣術でも大石雪江先生の例に見るように、中伝で他藩で指導しています。無雙神傳英信流抜刀兵法においても、中伝で師範代として指導している例もあります。
しかし、それはあくまで自分の師匠の思い・考え・技を指導するのであり、先生はこのようにするが自分はこうするとか、先生はこう言われるが自分はこう思うといって指導するのではありません。まだ「破」の段階には至っていません。
伝承の意味をはき違えず、道を外れないよう、稽古してください。
- 2017/01/09(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
テキサス州エルパソに指導に行って感じたことです。
型にはめ、決まった型にぴったりと合うようになることを居合の上達と言って指導すれば、教えるほうもずいぶん楽で、習う方も盲信やすいのだといまさらながらに感じました。
曰く振り上げたときの刀の角度は何度、斬り下ろした時の刀の位置は床と何度、抜き付けたときの鞘は体と何度、抜き付けたときの状態は床と何度・・・・。
形は自由を得るためにあります。一人ひとり体の柔らかさも、腕の長さも体つきも刀の長さも異なるのに角度は統一されていなければならない。決められたことにそって皆がすべて同じ動きをし、不自由になることを上達と言う。
私が稽古してきたこととは真反対でした。正しい手の内、正しい姿勢と動き、それらによって角度や位置は自ずと個々に定まってきます。
- 2017/01/10(火) 21:25:12|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
形は自由になるための手掛かりです。併し、以前述べたように我儘と自由とは全く異なっています。伝えられてきた形を自分勝手に解釈し自由になったと思うのは我儘に過ぎません。また、形を見事に使えるとして無理無駄をして飾り立てるのもまた我儘です。
正しく伝えられていなければどうにもなりませんが、貫汪館には正しく伝えられてきた形があります。形が求める動きを追及して、会得し自由になって形から離れることができます。
- 2017/01/11(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
硬い動き、固まる動きを教えられてきた軍歴の有る方に自動小銃の射撃の基本を思い出していただいたら、私の求めることをすぐに理解していただけました。「リラックスして両肩は沈み静かに引き金を引く」居合も剣術も柔術も同じです。
何か体を使う技術を身に付けている方は、そのレベルの高い動きと武道の動きを比べれば答えが出ることがあるかと思います。
- 2017/01/12(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
居合の仮想の敵が動かずじっとしており、動かない敵に抜き付けていくという形は無雙神傳英信流抜刀兵法にはありません。多くの形が抜いて斬りかかってくる敵を迎撃するような想定になっています。
初めに動かない敵を想定して、動かない敵に抜き付ける稽古をするのと、生きて働き間合の外から長い刀で斬りかかってくる敵を想定するのではその後の上達に大きな影響があります。敵は必ず斬りかかってくるのだ(つまり自分も斬られる状況にあるのだ)という思いをもって稽古してください。
- 2017/01/13(金) 21:25:00|
- 居合 業
-
-
無雙神傳英信流抜刀兵法では手先で大きく楕円を描くことはしません。
楕円を描こうと手先・前腕を用いれば広背筋は働かなくなってしまいます。エルパソでの稽古でいつも行う広背筋を使えるようにする稽古をすると皆さんすぐに動きが変わりました。そして形の中でその動きを用いることができるようになりました。日本人と違い様々な生活の場面で自分の体を遣う事をされているのだと思います。一度楽な方法を理解されると、作った動きはされなくなっていました。
- 2017/01/14(土) 21:25:00|
- 居合 業
-
-
無雙神傳英信流抜刀兵法や大石神影流剣術の手の内は皆さんが苦手とされるところですが、そもそも物を持とうという思いが親指以外の4本の指を働かせてしまいます。
無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生はそのような状態をお金を鷲掴みにしようとしていると揶揄されていました。4本の指はタコの吸盤のようにという表現を用いられたり、真綿に針を含んだものを持つようにと教えられたりしました。
手の内は手首から先と考えるとなかなか正されません。両掌を上に向け大切な刀を捧げるようにして保持した時の両脇の状態があればよし、なければ正しい手の内はできないと思ってください。
- 2017/01/15(日) 21:37:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
斬撃のあと正しく保持していた手の内がくるってしまうのにはいくつかの原因がありますので、それを正してください。
左右の手のバランスが取れていない。
左右の手のどちらかが勝ってしまうとバランスは崩れ手の内がくるいます。
斬撃時に正対してしまう。
半身で構えていたのに斬撃時に正対してしまうと手の内はくるいます。
目付が正しくない
目付がくるうと手の内はくるいます。
- 2017/01/16(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
力みがある方に「力みをなくして、もっと緩んでください。」と指導すると、膝を曲げてそれで良しと思われる方もおられます。
緩むためには自分を繊細にして緊張を感知するように努めなければなりませんが、曲げるのであれば意図的に曲げればよいので簡単です。しかし、曲げたからと言って力みがなくなったわけではなく緩めるのと意図的に曲げるのとでは異なった働きです。
感覚を繊細にして小さな力みであっても感知するようにして初めて緩むことができます。努めて行ってください。
- 2017/01/17(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
動きの中心は臍下丹田ですが、まじめに育った方、上半身の力が強い方は動きの中心が胸に上がる傾向にあります。一生懸命すればするほど動きの中心が胸に上がってしまうので、単に一生懸命稽古すればよいというものでもありません。
しっかりと上半身・下半身を中心軸に沿って緩め臍下丹田に心身を鎮めそれを保ちながら、はじめはゆっくりと稽古することによって臍下丹田を中心に動けるようになっていきます。
- 2017/01/18(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
抜付けは個々人の体の各部のサイズと刀の長さとの微細な関係で腰の開きの角度が決まってきます。したがって自分の体を感じる感覚が育っていなければなかなか上達しません。
その感覚を育てるために形の稽古を始める前に礼法や斬撃の稽古をしっかりと積み重ねます。もし、基礎を丁寧に稽古してきたのに形の稽古に入って感覚が粗雑になっているとすれば、改めて自分で基礎の稽古をしたり、自分の形の稽古に臨む精神状態を見直さなければなりません。
- 2017/01/19(木) 21:25:00|
- 居合 業
-
-
形稽古をしていて自分の動きや姿勢に無理があるかないか指摘されるまで気づかないのは、心が落ち着くべきところに鎮まっていないからです。「打とう」「突こう」「かわそう」「強く」「激しく」などという事に心がとらわれていれば、自分の体の状態に違和感を感じることはなくなってしまいます。
礼法では気づけたことが形の稽古で気づけなくなっていれば自分の心の状態を確認してください。
- 2017/01/20(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
大石神影流剣術、無雙神傳英信流抜刀兵法の太刀打や詰合、澁川一流柔術の半棒や六尺棒などにいわゆる構えは存在しますが、構えを決まった形をとることと思って形を作ってしまえばそれは相手がある武道の構えではなく、たんなる一人で行うパフォーマンスか何かの形にすぎません。
構えは相手があるからそのような状態になるのであって相手によって流動的なものです。決まった形を以て構えとするのは大きな間違いです。
- 2017/01/21(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
澁川一流柔術の六尺棒の「刀と棒」の形には棒端で突く動きが多く含まれています。この突きの動きを形稽古だけで習得しようとすれば毎日何度も形稽古を繰り返す必要があります。しかし、そのような時間はなかなか取れるものではありません。
そこで自分一人で突きの稽古をする必要があります。毎日100回突きの稽古をしても数分もかかりません。突きの動きに習熟して「刀と棒」の形をおこなえば、自分の形の動きが変わっていることを実感できると思います。
- 2017/01/22(日) 21:25:00|
- 柔術 業
-
-
私の刀を打っていただいた上田先生が次のように書かれていました。
「長い間私の仕事を見せていないので、改めて沸かしの温度と、鋼の表面が溶けていないのを確認さす。これで自分勝手な仕事を止め、私と同じ温度の沸かしをしなければ、鋼と炭を捨てる事になり短刀は出来ない。
右の耳から左の耳へ聞き流し、頭の中は自分流儀でする仕事を止めれば技術は上達する。先ずは親方の真似をする事であり、日本刀に対しての思いが如何に有るかである。
鍛冶場は年齢でなく、技術と入門時期の早い者が兄弟子であり、親方の忠告には耳を傾け教えを乞うのが弟子である。正道を守れない者は一門から遠ざかり、最後は刀工からも遠ざかる。」
これまで、教えてきて上達する方と上達されない方の差はここにあると感じます。手順を覚えたら後は自分勝手な思いで稽古される方は自分では上達していると思っても、実際は我儘な自分勝手なことをしているだけで上達はせず、しっかりと習おうと私見をはさまず、素直に稽古されている方が真の上達をされています。
- 2017/01/23(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
居合、剣術、柔術ともに、初めに行わなければならないのが自分自身の心身の調和ですが、ここを勘違いしてしまうと先に進むことはできません。自分自身の心身の調和とは他者との調和、天地自然との調和の基礎であり、エゴを作ることではなく、むしろ自己を開放していくことでなければなりません。
ここを勘違いしてしまう方は、構えも礼法も自己完結で自分の動きを固めてしまい、二人で形を行わなければならないときにも自己完結で相手との関係が構築できません。思いを変えなくてはなりません。
- 2017/01/24(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
気合には無声の気合と有声の気合があります。無雙神傳英信流抜刀兵法は無声の気合であり、大石神影流剣術や澁川一流柔術は有声の気合です。有声の気合が正しくかけられない方は有声の気合が苦手なのだと考えますが、呼吸法が正しくできていないために有声の気合が正しくかけられないのであり、有声の気合が正しくかけられなければ、無声の気合も正しく行われてはいないのです。工夫してください。
- 2017/01/25(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
形の稽古で前に出るとき床を蹴ってしまえば上半身は正対し、下半身は固まってしまい、次の動きは自由になりません。足先を外に開いていても開いた足の膝が前に向いてでれば床を蹴って前に出ています。たんに足先を開いていればよいというわけではありません。工夫してください。
- 2017/01/26(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
形稽古であっても相手の心を読んで動かなければ動きは遅れてしまいます。つまり相手の動きを見てから動いていては遅いのです。形稽古を中途半端にとらえている方は、その部分がいい加減で、現代武道で実際に打ち合っている方から見れば、未熟にしか見えず形稽古は何の役にも立たないと考えられます。
本当の形稽古をしなければなりません。
- 2017/01/27(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
演武は何本行おうと初めから終わりまで一続きであり、その間には髪の毛一本でも入るような隙があってはなりません。一本終ったら、気を許し、またはじめては終わって気を許す。このようなことでは演武をする資格さえありません。これは普段の稽古にあってもそうなければならないところです。
自分がどんな演武をしているか振り返ってください。
- 2017/01/28(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
指導は口数少なく要点をとらえている必要があります。口数多い指導は何が大切なのかが初心者に伝わらず、かえって上達を阻害してしまいます。その人の上達にとって最も大切なことを伝えればよいのです。
口数多い指導者は自分の持つ知識を披露したいという気持ちから、そうなることが多く、本当に指導を受けている方のことを考えていない場合があります。自分がどのような指導をしているのか振り返ってください。
- 2017/01/29(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
動きには力みがあってはなりませんが、気がみちていなければ武道の形稽古にはなりません。ここを勘違え、力みがないことと気が抜けていることを混同してしまうことがあります。つまり腑抜けた状態を良いものと勘違いしてしまうのです。
気は正しく深い呼吸によってあらわれます。もっとも外柔内剛といって気がみちても体が力むことはありません。工夫してください。
- 2017/01/30(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-
気が満ちた状態と一般的に考えられる気迫がある状態とは異なります。一般的に武道で気迫がある状態は猛々しく形相もすさまじい状態をイメージします。また、初心者の方で自分に自信がある方はそのような状態を理想とされるようです。
- 2017/01/31(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
-
-