本日、貫汪館広島護国神社奉納演武を行いましたので忘れないうちに気づきを述べておきます。
子供たちの柔術の演武では技そのものは上達してきたものの気合の声が小さいのが気にかかりました。気合の声の小ささの原因が技を丁寧に行うという事に気を取られたことにもあると思いますので指導していただく方は今後その点に気を付けられ指導をお願いいたします。
大人の柔術は上級者は今後も稽古を重ね無理無駄のない動きへと進んでください。上級者に至る前の段階の方はしっかりと稽古量を増やし、無意識のうちに技が出るように心がけてください。
居合の初心者の方はいつも通りの動きができたと思います。引き続き指導に忠実に稽古を重ねていただきたいと思います。
居合の稽古が進んでいる方達は、それぞれに自分が稽古すべき点を理解され、よく稽古を重ねておられました。今後とも今の稽古の姿勢を忘れずに稽古を重ねていただきたいと思います。
最後に、丁寧さを心がけるあまり対敵動作になっていない方もおられました。自分たちが稽古していることは実際に用いられる場面では生きるか死ぬかという状況なのだという事を確認して稽古を重ねていただきたいと思います。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2012/04/01(日) 21:25:57|
- 居合・剣術・柔術 総論
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太刀打ちの独妙剣は切り結んだ後に相手の柄の下から自分の柄頭を相手の顔の急所に当てる方ですが、この切り結んだところから当てにいく動きのところで、相手の手を押し上げてしまうと実際には力の強い相手には、そこを通じて押しつぶされてしまいます。相手は待っていてはくれないからです。そのような動きは据物斬と同じで、武術的な動きとは異なる動きです。
ではどうするのか。切り結んだ接点は接点のまま、切り結んだ刹那に相手の柄に少しも力を加えることなく、入って当ててください。ただし接点をはずしはしません。
女性のほうが筋力がないので技に入りやすいためかこの形は上達が早く、男性は筋力があるためか力で相手の柄を押し上げる傾向が強いようです。特に男性は工夫してください。
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- 2012/04/02(月) 21:25:09|
- 居合 業
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無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は、時に理解しにくい比喩を用いて説明されることがありました。
私が初心者の頃によく聞いたのは、「上達するとやがて手もない、脚もない達磨のような状態になる。」という喩でした。初心者の頃にその喩を聞いても、手足を使わなくても刀が動くようになるという事なのかなという漠然としたイメージしかなく、具体的にどういう事なのかは全くわかりませんでした。
今のレベルに至って、そういう事を言われたかったのかなという事がわかるのですが・・・。
喩も理解できる人に適切に用いないとかえって惑わすだけになるかもしれません。
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- 2012/04/03(火) 09:21:25|
- 居合 総論
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昨日はダルマのような状態という比喩について述べましたが、師の梅本三男貫正先生は「でんでん太鼓のように。」という比喩を用いられたこともあります。
この「でんでん太鼓のような」動きという比喩もわかりにくいのですが、昨日のダルマの比喩よりもわかりやすいかと思います。つまり、抜付けは中心を用いるだけで手に力は入らず刀はとんでいくという説明です。でんでん太鼓なので、中心は動くものの、紐(腕)には力を入れようもなく、しかし先の重り(刀)の重さはしっかりと存在して速く動くという事の説明です。
下手な理解をしたら自分の体の真ん中を力を込めて回そうとし、視線も定まらないという状態になってしまいそうです。
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- 2012/04/04(水) 21:25:18|
- 居合 総論
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先日、長男の大学入学準備のために京都に赴き、その帰りに次男を連れて奈良によりました。奈良では30年ぶりくらいに航空自衛隊幹部候補生学校に立ち寄ってみました。30年近くたったとは思えません。月日が経つのは速いものです。
幹部候補生学校の正門は昔に比べて立派になったように感じますが、当時の記憶がありません。
左側手前の建物が銃剣道を稽古した体育館、奥が食堂で変わっていないように思います。
1年近く生活した隊舎です。
5メートルの高さから頭からまっさかさまに飛び込まされた飛び込み台です。このプールで鍛えられ、泳ぎが得意ではなかった私も4km遠泳ができました。
幹部候補生学校の東西にあるウワナベ古墳です。東側の古墳は夏に水が干上がって古墳の下部に沢山の円筒形埴輪が見えました。
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/05(木) 21:25:47|
- 未分類
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昨日に続き奈良の写真です。航空自衛隊幹部候補生学校を文字通りのぞいた後、東大寺に向かいました。写真は次男の撮影です。
駐車場から東大寺に向かう道の傍らに工場跡を利用した喫茶がありました。
東大寺に向かう坂道です。
雨が上がったばかりで桜も濡れていました。
有名な南大門の仁王像です。いつ見ても立派です。奈良に住んでいたときによく仏像を見ては、その動きを探ったものでした。
続く
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/06(金) 21:25:48|
- 未分類
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東大寺大仏殿はいつみても偉大なのですが、奈良時代には現在の建物の二倍の大きさがあったそうです。現在の建物は江戸時代のものです。
大仏とその周りの広目天などの仏像です。普段目にするものに比べて、その大きさに圧倒されてしまいます。
まだ、見ておられない方は一度は見た方が良いと思います。
続く
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/07(土) 21:25:16|
- 未分類
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大仏殿を見た後は二月堂、三月堂へ向かいました。三月堂は締まっており非常に残念でした。あの空間には1時間いても2時間いても退屈することがないのですが…。 写真は全て次男の撮影です。奈良観光はこれででおしまいです。
二月堂の裏の写真です。
東大寺周辺を見た後は平城京跡を通り過ぎ唐招提寺に向かいました。幹部候補生学校から訓練で走って行ったことがあります。今回車で行くとかなりの距離がありました。
貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。 貫汪館HPに廣島護国神社奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/08(日) 21:25:01|
- 未分類
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土曜日の午前中に裏山に筍堀に上がりました。人里離れたというわけではないのですが、一人で竹やぶ深くはいると人の声も聞こえなくなり、次第に自分の感覚が繊細になるのを感じます。すると風の音や、鳥のさえずりがよりはっきりと聞こえるようになり、小さな変化にも気づくようになります。
機会があったら安全な範囲で、整備されてない自然の中に身を置いてください。何かを感じるはずです。
写真は筍が頭を出したところと、地下茎につながっているところ、その日の収穫です。
貫汪館HPに廣島護国神社奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。 貫汪館居合講習会は5月27日(日)に行う予定です。今回は英信流表を中心に稽古します。詳細は後日お伝えいたします。無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/09(月) 21:25:48|
- 未分類
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大石神影流の長刀手数(形)は2本しかありません。もともと3本あったものを2本にまとめたようですので2本のうち1本は形が長くしくまれています。
長刀の稽古をしていると、体の左右が均等に遣えるようになってきて自分自身の変化が面白く感じられます。剱術では通常右手が前で左手が後ろになりますが、長刀は左右交互に使うために、そのような方よりはなくなります。銃剣の稽古で左を前に使いますが、刀を用い銃剱を用いるので左右交互というわけにはいかず、感覚的にもずいぶん違っています。
先日、父が裏山の境にイチイの苗木を植えたいというので、子供たちと一緒に大鎌で裏山の笹を刈り払いましたが、私自身以前は苦手であった左前の動きが自然になっていました。
今後、様々な面でどのような効果があるかわかりませんが、面白い変化だと思います。
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- 2012/04/10(火) 21:25:38|
- 剣術 総論
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初心者の方が手順を覚えたら、まず心がけなければならないのは自分の極限まで力みをなくしすらすらと動くことです。自分勝手に技を効果的でああらせようとする必要はありません。
「手首をきめよう」とか、「しっかりおさえよう」とか、「強く斬ろう」とする、その思いが自分自身の調和を崩しているのであって、初心の内ににそのような思いにとらわれていれば自己満足の動きはできるようになるかもしれませんが、それは技とは言えないものです。自分自身で弱弱しいと感じようが、これでは武術ではないのではないかと感じようが自分の極限まで力みをなくしすらすらと動くことを心がけなければ上達はありません。
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- 2012/04/11(水) 21:25:43|
- 居合・剣術・柔術 総論
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江戸時代後期において剱術は防具の使用によって他流試合が盛んとなり剱術修行の勢いは強くなったように感じられます。一方、槍術は槍術家で有名な人物の名前があまり後世に残されていないこともあって盛んではなかったのではないかというような印象があります。
槍術はかなり遅い時期まで相面試合ではなく入身試合が行われており、剱術のような対等の試合形式が多くの槍術の流派で行われるのはかなり遅れたのではないかと思います。相面試合が遅れたのはもっともなことで流派によって使う鎗の長さが異なるわけですから実戦を考えた場合如何に相手の手元に付け入るかを考えた稽古をしたほうが効果的だと考えられたと思います。廻国修行の英名録でも同じ道場で相面試合と入身試合が同時に行われているのを見ることがあります。
さて剱術と槍術の勢力ですが時と、地域によって一概には断言でませんが、剣術と槍術の英名録を見比べた時、各藩の試合の人数はあまり変わらないように思います。もっとも正確に比べたわけではありませんのでいつか正確に人数の比較をしてみたいと思います。
柳河藩の大石神影流の大石進と大嶋流槍術の加藤善右衛門はほぼ同時代の人ですが初代大石進と二代の門人は大石神影流の『諸国門人姓名録』にその名が記されています。一方加藤善右衛門の他藩の門人は『旅弟子姓名録』に記されています。
大石進初代と二代の他藩の門人数は403名、加藤善右衛門の他藩の門人数は446名です。加藤善右衛門は大石進ほど有名ではありませんが、他藩の門人数は大石進初二代の他藩の門人数より多くいます。
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- 2012/04/12(木) 21:25:51|
- 武道史
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上達を阻害する大きな要因が頑固さです。
鞘手はこのようにしなさいと指導しても一向に変えようとしない。手順を考えずに動きなさいと指導してもいつも考えながら動く。刀を強く振ろうとしてはいけないと指導しても、どうしても強く振ろうとする。何度も繰り返し同じ指導を受けてしまうのは自分の心に潜む頑固さが原因なのです。
自分は一生懸命稽古しているのに同じことを繰り返してしまうと思われる方もあると思いますが、一生懸命自分に忠実に稽古をしているのであって、自分を変えようとせず頑固さが消えない限りは上達はしないものです。
まず心から頑固さを追い出してください。
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- 2012/04/13(金) 21:25:50|
- 居合・剣術・柔術 総論
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澁川一流柔術の稽古で兄弟子が初心者の受をとり導く時、以下の点を中心に指導してください。指導を間違えると、その初心者は上達が困難になってしまいます。
1.力まない事
2.動きをとめない事
3.力を入れない事言い換えれば
1.自然に
2.すらすらと
3.楽に 以上の事を身につけようとせずに形の手順だけを求めさせてしまえば、お遊戯にしかなりません。筋力が強い人は力技にしかならないでしょう。
もし、自分が初心者に以上の事を身につけさせようとせずに手順を覚えさせることを第一にしているのなら、自分自身の動きがどうなっているのか振り返って自分自身の稽古を根本から変えていかなければなりません。
昨日夕方の収穫です。暖かくなっていたので大きなものがとれるようになりました。
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- 2012/04/14(土) 21:25:31|
- 柔術 総論
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昨日、大牟田の師のもとに次男と一緒に行ってきました。次男は今年高3ですので、武道が好きではない次男にとっては太宰府天満宮への参拝が主たる目的です。
親子ともども師に教えを受けたのち、大石神影流初・二代大石進先生のお墓参りに行きました。写真の真ん中に写っているのがお墓です。桜は葉桜になっていました。
今回は次男と一緒に行きましたので大石神影流の手数のうち、表十本、二刀、小太刀、天狗抄などを奉納することができました。私の稽古相手をさせるために次男には好きでもないのに大石神影流の構えや手数などを教えていますので、打太刀をさせ、私の稽古相手を務めることができます。
良き稽古相手がいるのはありがたいことで、澁川一流柔術の稽古では中極意までを畝先生に授かった甥や、免許皆伝上極意を授かったU.Kのウェンディーという稽古相手のおかげて私は技の探求をすることができましたし、無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古でも太刀打や詰合、大小詰なども良き稽古相手の存在が技を深めてくれました。稽古にはお互いに高め合えるような稽古相手の存在は不可欠だと思います。そのためには、当然の事ですが自分自身が深く強く求めていなければなりません。
インターネットのとある地方新聞の1年前の記事に記事にこのように記してありました。「延岡藩伝来の武術「大嶋流槍術」も初めて披露される・・・大嶋流槍術は福岡県の柳川古文書館所蔵の柳河藩主立花家の文書の中に記載があり、延岡藩に伝えられたと記されている。 今回は当時の文献から再現した演武を公開」
やはり武道史の研究は流派の捏造に結びついてしまいます。いまは復元と名乗っていても(とあるH.Pには「旧延岡藩○○家 伝来武術 大嶋流槍術」とありました)やがて、古伝の正真の武術とされてしまうのはよくある手口です。延岡藩の文書の中に大嶋流の伝来を発見したという事ではなく、「柳川古文書館所蔵の柳河藩主立花家の文書の中に記載があり」とあることから、私の武道学会での発表の「大嶋流槍術師範 加藤善右衛門 『旅弟子姓名録』についての考察」の資料が契機になったことが類推できます。また、その方たちが演武されている大会から、私の発表資料がどのように流れていったのかも推定できます。やはり完全に信用できない方には学会発表資料であっても手渡すのはやめた方が良いのかもしれません。
大嶋流の形の手順を記した古文書は各藩で出回っているので手順はわかりやすいでしょう。しかし実際の動きの細部まで記されているわけではありません。大嶋流槍術の実伝を知らなければ好き勝手なことができます。年数がたち復元と言わなくなったとき、実伝を表に出せば愕然とされるか、私たちにはこのように伝えられていると言うのでしょうが・・・。
世間に公にされていない流派であれば、今後そのようなこともたくさん起こってくるのでしょう。大石神影流もごく一部でしか演武されていませんので、そのうち○○藩伝大石神影流も出現するのかもしれません。(防府市の大石神影流は江戸時代からの実伝です。)
学問として武道史の研究を行っていると嫌な事にも出くわしてしまいます。以前、このようなことが榎本先生の研究からも起こったことが・・・。
本日朝から裏山を歩き、筍を沢山とらざるを得ませんでした。暖かくなってきたので一気に土の中から顔を出します。ほっておいたら太い孟宗竹となり鋸で切るのも大変なことになります。父が植林した場所も隣の山から侵略されてしまいます。楽しみで筍を掘るのではなく、気を抜いたら一気に攻め込まれる防衛戦のような気がします。夕方再び裏山に上がると見落としや新たに顔を出したものがあり土嚢1袋分掘りました。山を歩き土を掘り、時に孟宗竹を切り、重い土嚢を担いで山を歩くことはよい運動になります。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
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- 2012/04/15(日) 21:25:33|
- 武道史
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土曜日に師から太宰府天満宮に大石神影流の額があったと伺いましたので、参拝の折絵馬堂などを探したのですが、現存していませんでした。厳島神社の回廊にも江戸時代には多くの武術奉納額がかかっていたことが記録されています。金刀比羅宮にも記録によれば多くの武術奉納額が絵馬堂にかけられていたようです。地方の小さな神社にも、掛けられていたけれど、今はないというところが多くあります。
台風で壊れて外されたり、新しいものを掲げるのに壊れかけたものを外したりという事があるのだと思います。
神社などで武術奉納額が掛けられていたらできるだけ記録してください。今はデジカメを使えばお金もかからず必要な時に取り出すことができます。
神社の境内に写真のように新芽に押されて落ちた葉が集められていました。新芽の数だけ古い葉が落ちるのだそうです。稽古されている方は古いものが安心できるように実力を伸ばしていただきたいと思います。
昨日撮った裏庭のチューリップの花です。植えっぱなしですが毎年可愛い花を咲かせてくれます。春らしくなってきました。
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- 2012/04/16(月) 18:52:14|
- 居合 総論
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安政3年に幕府の講武所ができ、そこで剱鎗の稽古だけでなく盛んに西洋調練が始まると、それを心良しとしない守旧派の動きが出てきます。
まるで時代を遡ったかのような戦国時代のしかも火縄銃伝来以前のようなことを行う人たちが出てくるのです。以下は『東京市外編 講武所』という本に出てくる記述です。
一方の騎戦調練は恰も年を同じうして麹町一二の裏手火除原騎射馬場-今の元図町一丁日で麹町区役所と英国大使館との間一体の地-で行はれた俗に云ふ焙烙調練のことである。これに出場した者は諸番方小普請組並に次男三男厄介などで、これ迄の騎射人が多く、大草瀧次郎井戸新十郎中川千萬蔵などが其頭分であつた。赤白の指物で源平に倣った騎戦の調練で、銘々甲冑または竹具足を着込んで、兜の前立に土器を付けた、始め陳を東西に分ち、使番があつて馬を馳せて双方の示令を将師に告げる。将帥麾を振れば、束西寄せ来つて槍剱で前立の土器を割る、割られた方は負に成る。入替り入替り試合がある。尤東西には大将l人宛あつて、各その大将を警護する、敵方が隙を伺ひ番地に駈寄つて大将の土器を打割れば、それで勝敗が決する規定であつた。珍しいので見物群築山の如く、一雨
年緯いて止んだと云ふことが常時の記録に見える。
この騎馬調練は確に講武所の反面を示すものであつた。講武所の西洋調練が銃を用ゐるのを見ると、其利器なることを知りつつも、流石に士分はこれを潔しとしなかったのは蓋し人情の然らしむるところである。 火縄銃も用いず、馬に乗って合戦の稽古をするというのは、騎射をする人が考えそうなことですが、このような守旧派が幕府の軍制改革の妨げとなり幕府が滅びる一因となりました。
いつか学会の発表につなげます。
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- 2012/04/17(火) 21:02:09|
- 武道史
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人によって期間は異なりますが稽古を重ねていったとき、稽古しても稽古しても、そこから上達できない時期があります。
いくら稽古しても何度繰り返しても上達しないときは、心の稽古が必要な時なのです。心が変わらなければ技も変わりません。思いを変えて心の稽古に大きな比重を置いて稽古してください。
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- 2012/04/18(水) 21:25:03|
- 居合・剣術・柔術 総論
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しばらく前に、友人が「座頭市物語」のDVDを送ってくれました。その中で居合を演ずる役者の動きが非常に良いのです。英信流系の動きをもとにした居合をしているのだと思いますが座った姿勢が素人とは思えません。
本当の役者の人たちは真似ではなく本質をつかむのが上手で、おそらく居合を演じた役者はその役者に教えた武術指導者か殺陣師よりもはるかにレベルが高いだろうと思います。英信流系の人であれだけ座れる人を見たことはないからです。
武術の上達も本質をつかむことにあります。私の無雙神傳英信流や渋川一流や大石神影流の師は外形を真似するようには指導されませんでした。特に居合は外形の真似を見事に行う事に終始しがちですが、無双神伝英信流抜刀兵法の師はご自身が目指されているものを私には求められていたので、本物の役者には劣りますが本質をつかむという姿勢は身につけることができたように思います。
貫汪館で稽古される方は外側の動きに惑わされることなく本質は何なのかを求めてください。
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- 2012/04/19(木) 21:25:32|
- 居合・剣術・柔術 総論
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素抜き抜刀術の稽古で、ごく初心者の人は自分がどのように動いているのか、また刀がどのように動いているのかを知りたいために視線をきょろきょろと移し、仮想の敵から目がそれてしまう事が往々にしてあります。
しかし、特に初心者のうちは視線が体の全ての角度の基準線とならざるを得ず、視線をきょろきょろと移してしまえば、敵を見ているべき基準線が変化してしまいますので自分の体の動きや刀の動きは敵に対しての動きではなくなってしまいます。
自分がどのように動いているのかわからず不安を覚えているのであれば動画を録画できる機器をもちい、録画を他の人にお願いして記録してもらってください。
これは柔術の稽古でも同じことで相手が実際にいながら相手を見ず目があらぬ方向に言っている方は体の角度が定まらず、技もかかりません。工夫してください。
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- 2012/04/20(金) 21:25:35|
- 居合 総論
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何度も述べているかと思いますが、体に無駄な緊張がある方にそれを指摘すると、上半身をゆすることによって緊張を解こうとされます。緊張を解こうとすること自体はよいことなのですすが、上半身をゆするために下半身を半ば固定して体が崩れないようにして上半身をゆすっておられますので、結果として下半身はますます、緊張してしまい、その上にのっている上半身もまた緩むことは困難になってしまいます。
体が緊張していると思ったら下半身をごく緩やかに微細に動かし下半身から緩めるように努めてください。
貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古のページに居合講習会の案内を載せました。今回の講習会は英信流表を中心に稽古いたします。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/21(土) 21:25:50|
- 居合・剣術・柔術 総論
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土佐藩の田中光顕という勤皇の志士が「語り残した維新体験談」とされる『維新風雲回顧録』に金沢焼き討ちという事に関する以下の記述があります。
武市は、果して、賛成しなかった。
「今そういう暴挙を計画することは、つつしまねばならぬ。勤王倒幕の運動も、ようやく目鼻がつきかけている際、下手なことをしてはならぬ、やるなら、国をあげて堂々とやらねばならぬ」 正面から、説破された。
だが、秘密のうちに計画をすすめた同志のものは、是が非でもやり通さねばならぬという勢い、後の伊藤博文公なども、この一味の中に加わっていた。
で、長州の藩邸へ出入りする薬種商から、硝石だの、硫黄だのを買入れ、薬研もかりてきた、邸内の有備館にこもって、彼等は刀の下げ賭を襷にかけ、この薬品をごろごろ薬研にかけてはすりまぜながら、焼玉を作っていたのである。
「誰が何といってもやる」
えらい元気で、仕度をととのえ、久坂高杉を始め、同志十一人、藩邸を脱して、横浜に向かった。
これが、十一月十三日。
武市は、この計画が、大局の運動をさまたげるという考えがあったので、まず、勅
使の両卿につげた。 刀の下緒は短くて襷にはならないという説が有力ですが、はて・・・。この本の記述は講談調のようなところがあるのであるいは、口述をまとめた人が作った表現かもしれませんが、気になったので記しておきます。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2012/04/21(土) 21:25:59|
- 武道史
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今日も昨日引用した田中光顕の『維新風雲回顧録』の記述です。昨日の続きで焼き討ちをとめようとした動きです。
「それは、一大事」とあって、両卿は連署の書面を認め、於延次郎(巣内式部の変名)をして、決死の同志の後を追わしめた。
武市は、こうしておいて、鍛冶橋の藩邸にかけつけ、容堂にも進言した。そこで、容堂から、長藩邸へ小南五郎右衛門を使者としてさし出した。毛利家世子定広は、夜中、有備館内の藩士をひきい、馬を飛ばせて志士を追跡した。
小南が、藩邸へ引きかえし、委細報告をしたのは、夜八ツ時(二時)であった。
容堂はさらに、小笠原唯八、山路忠七の両名、藩主豊範は、林亀吉、諏訪助左衛門の両名を梅屋敷へ御見舞の使者につかわした。そしてまた、別に、問崎哲馬、門田為之助、岡本常之助三名に命じ、血気にはやる高杉を諭さしめようとした 文中の林亀吉は林家の8代目の当主です。居合で有名な林六太夫守政は林家の2代目当主です。
ちなみに6代当主の弟は本来なら部屋住みですが長谷川流居合心がけ厚くという理由で三人扶持を賜り馬廻りとなっていますので、林亀吉は養子ではありますが、土佐の歴史書にも居合の遣い手として名があり、居合は相当に遣えたのだろうと思います。
貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古のページに居合講習会の案内を載せました。今回の講習会は英信流表を中心に稽古いたします。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2012/04/22(日) 21:25:57|
- 武道史
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今日も少し長いのですが『維新風雲回顧録』から刀についてのお話です。
元来、その頃、浪人というものは、どこの藩にもあった。しかし、薩摩に限って、脱落者が少なく、ほとんど、薩州浪人というものはなかったと申してもさしつかえな
い、畢寛、藩論が統一していたためである。
梶原が、薩州浪人と聞いた時、実は私も意外に思った。おいおい事情を聞いて見ると、第一回の長州征伐の際、薩摩は、幕府に加担した。
「同じ勤王を奉ずる薩摩が、長州征伐に味方をするのは、よろしくない」
こういう意見をとって、彼は藩論に反対したが、採用されなかった。その不平のために、ついに京都の薩邸をぬけ出した。そこで関東に下り、水戸浪士と結んで、事をあげようとしたが、途中紀州領で掃えられてしまった。獄中にあること一年余、ようやく許されて、十津川へ亡命してきたということであった。
この梶原が名刀をもっていた。安芸国佐伯荘藤原貞安の作で、永禄六年八月吉と銘が打ってある。中身は、二尺六寸、焼きといい匂いといい、なんともいいようのない神品だ。刀は武士の魂、もし他人が、これを跨ぎでもしようものなら、頭を跨がれたと同じく、非常な侮辱とされていた頃である。同志相会すれば、互に侃刀を見せ合って、これを自慢にするのが、われわれの慣例であった。梶原の刀を見た刹那、私は欲しくて欲しくてたまらなかった。
「まことに恐れ入るが、拙者の刀と交換して下さらぬか」
こう申し入れたが、梶原も、秘蔵とみえて、容易に承知しない。
しかし、なんとしても思い切れない。
いつか機会があったら、また申し入れようと考えていた。
ところへ、大橋からの書面で、京都へ来いとある。
十津川を去るに臨んで、心のこりというのは、この刀だ。
「この機会に、もう一度、梶原にかけ合ってみたら、なんとかなるかもしれぬ」
私は、厚かましく、梶原に談じこむつもりで、訣別かたがた、彼を訪ねた。
「長らく、ご別懇を願ったが、自分も、今度京都へ立つことになった、もうこの世で
は再びお目にかかることはできぬかもしれませぬ、ついては記念のため所望がある」
刀の一件をもち出した。梶原は、私の熱心な要求にやっと動いた。
「それほど、ご恵望なら、貴長の刀と交換いたそうか」
「いや、かたじけない、ぜひ、そう肯いたい」
私のさしていた備前祐春の刀をわたすと、梶原は、希蔑していた貞安の刀を私にゆずってくれた。 私は刀は実用品と考えてきていたので、「焼きといい匂いといい、なんともいいようのない神品だ」という見方はしてこなかったのですが、最近はなんとなくわかるようになってきました。ただ、ものに執着し始めると、あまりよくないような気もします
「安芸国佐伯荘藤原貞安」ですが、よく知りません。佐伯荘というくらいですから、このあたりに住んでいた刀鍛冶でしょうか。気になります。
土曜日に裏山に上がった時に携帯で撮った、猿が筍を食べたあとです。皮を上から剥き先の美味しい部分のみを食べています。
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- 2012/04/23(月) 21:25:44|
- 武道史
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『維新風雲回顧録』のなかに兜切の記事がありました。腕が立ったのか、兜が弱かったのかはわかりませんが、このようなことができる人がいたのかと感心します。榊原健吉でも刀を選ばなければならなかったという記述を読んだことがあります。
心斎橋のそばまでくると骨董屋の店先に兜がすえてある。
「珍しい古物だな」
吉村は、店先へ足を止めた。
「左様でございます、いつ頃の作と思召しますか」
「わからぬな」
「とも角、御覧下さいませ、これはな、元亀天正戦国時代のものでございまして、手前の店でも大切にしております」
兜をささげて、店の主人が、自慢そうにいった。
「そうか、だが、いかにせん、古いじゃないか」
「そこが、貴いところでございます」
「骨董としては、古い方が値打ちがあるかもしらぬが、実用にはなるまい」
「どういたしまして、これならどんな名刀で打ち込まれても、掠り傷一つ付く道理がございませぬ」
「馬鹿をいえ、このようなものは、拙者の腰の物でも、たちどころに両断して見せるぞ」
「これは恐れ入りました。斬れるか斬れぬか、では、試して御覧なさいまし」
主人も、意地張りずくで、こういったが、多少、心中むっとしていたらしい。
「よし、斬って見せる、……だが、この兜は、お前の店の売物だ、で、拙者が断ち割ることが出来たかったら、なにほどかしらぬが、値をとらせる、もし、見事に断ち割ることが出来たら、半文銭の値もあるものでたい、よって、お前の損になる、それでさしつかえないか」
「いえ、もう結構でございます」
この田舎侍、何をいうか、大きなことをいうても、名工の作になる兜を断ち割るなどとはとんでもないことだと、主人は、心中そう思った。
「これへ出せ」
兜は、店先へおかれて、これから吉村が兜切りを始めようというのだった。
人通りの多い心斎橋通りだから、たちまち店の前へ黒山のように集った。
「何をするのだろう」
「兜切りだ、ほんとうは、あの兜の中へ土を埋めて、台の上へのせなけりゃ、法式通りではない」
講釈をはじめるものもいた。
さて、吉村は、兜に向かって式礼し、一刀をぬいて、気息を定める。
店の主人も、見物も、眼を皿のようにして、じいっと吉村の手元を見つめている。と、たちまち裂吊一声。
「やッ」
風を切って打ち下す一刀、兜の真向うから、二つになれと斬ってかかる。
「どうじゃな」
刀を引いた吉村は、主人に声をかけた。
「へえ、斬れましたか」
主人がのぞいた。
「いかにも斬れたぞ」
「どりゃ」
兜をとって見ると、鉢金を割って、切先は、鐙に及んでいる。
「こりゃ、お見事」
主人も、吉村の腕前に驚き入った。
兜切りは、力ばかりでもいけない、気息をととのえて、法式通りにかからねば失敗をするのだが、この場合、鮮かにやってのけたのは、さすがに、吉村だけのことはある。 昨日見かけたトンボです。携帯で撮ったのであまりよく写っていませんが、かなり近づいても逃げませんでした。トンボの名前を知りませんが、あまり見ない羽の色で、羽も体もとても綺麗でした。
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- 2012/04/24(火) 21:25:54|
- 武道史
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今日も、『維新風雲回顧録』からです。田中光顕自身の身分について述べた箇所です。
家の格式は、新小姓というので、佐川では士格だが、高知へ出ると、それこそほんとに資格はなかった。土佐藩では、小姓以上が士格で、正月には、耗衣をきて、年賀のため殿さまの御前へ出られる。新小姓は、つまり小姓以下と見られていた。
紙衣というのは、仙花紙みたいなものを揉んで、渋をぬってある。どうして、土佐にこういう慣例がのこつているかといえば、一豊入国の際、寒夜に紙の衣をきて、やつと寒さをこらえた、その昔を忘れぬためだという言い伝えがある。
「一生の中、一度でいい、俺も耗衣をきたいものだ」
私はその頃、この就衣を羨ましがったものだった。
「何故、おまえは紙衣をきたいというのか」
「でも、紙衣のきられぬ家柄だと、槍持ちをつれて歩くことも出来ません、それに馬にのることも出来ません」
私は、よくこういう不平をいった。その頃の格式というものは、よほどやかましく、御年寄は御年寄、小姓は小姓と、ちゃんときまっていて、格式にそわぬことは出来なかった。私も、したがって馬術や槍術の稽古はしなかったものである。 土佐藩は身分の差が厳しかったのでこのようなことがあったのかもしれません。
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- 2012/04/25(水) 21:25:24|
- 武道史
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ある程度稽古をし、手順を覚え後進もできてくると初心者の稽古の相手をする必要が出てきます。
ここで、中途半端に稽古をしてきた人は自分の持っている知識をすべて話そうとする癖が出る事があります。自分は理論を知っているのでそれを話そうとされるのですが、理兵法に陥っている状態です。本来なら自分ができることしか体得できておらず、その範囲でしか説明もできないはずであるのに、自分自身ができていないことまで教えたくなってしまうのは理を知っていることを自分ができていると勘違いしている慢心の状態なのです。
何もかも後進に話したくなっていたら理兵法の慢心の状態にあるのだと自分を戒めてください。
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- 2012/04/26(木) 21:25:15|
- 居合・剣術・柔術 総論
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4月1日の広島護国神社での岡田先生の半棒術の演武を皆さん見られたと思います。岡田先生は半棒の稽古は数えるほどしかしておられませんが、道場以外で自分自身で一人稽古をされて、あのレベルに達せられました。半棒のみでいえば免許皆伝の位です。
すでに数年稽古されてあの岡田先生の半棒の稽古を見られて自分と比べ、自分自身が「如何になさけない状態か」と感じることがなかったとしたら今後の上達もどの程度かは予想がつきます。自分自身がなさけなく感じられた方は素手の相当一人稽古をされ岡田先生に追いつこうとされていると思います。そのような方は上達の見込みがあります。
求められたことができないのに自分自身をなさけなく思えず、くやしいとも思えず、歯がゆいとも思えない方は人が1年でできるようになる事も10年20年かかってもできるようにならないでしょう。ひょっとしたら自分ができないという事すらわかっていないのかもしれません。
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- 2012/04/27(金) 21:25:12|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に入門して間もないころ、先生は私に北辰一刀流の「大目録皆博之巻 奥の口傳」の文言を書にされたものをくださいました。よく読みけ稽古の指針にせよとのことでした。その文言を以下に記しますので各自、どういう事であるのかを考えてください。
大目録皆博之巻 奥の口傳 石火位
星王剱 鐘 位
露 位
是は免状之傳授也。塁王は北辰也。乾坤を貫きたる位也。星王の位そなはり北辰我、我北辰と観念し、打てども突けども、寂然不動として不動位也。其乾坤を貫たる廣大の位に、石火鐘露の三つの位自ら僻はる、石火は金石に火を含みたる如く、中れば業を生す。鐘は大鐘の如く、敵のカだけに響き應ず。露は草の葉末に露の止りたる如く、心気力満々と満ちて、草葉につける露の如く、觸ると蕗る美妙無相の早業、至然に備はりたる位なり。
5月4日(金)京都下鴨神社の奉納演武と5月5日(土)白峯神宮奉納演武のプログラムが来ましたので、載せます。小さな画像をクリックすると大きくなります。
5月4日(金)京都下鴨神社の奉納演武のプログラムです。
5月5日(土)白峯神宮奉納演武のプログラムです。
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- 2012/04/28(土) 21:25:16|
- 武道史
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昨日、北辰一刀流大目録皆傳奥之口伝を載せましたが、勝海舟の話を載せた『氷川清話』に以下のように記してあります。
坂本龍馬が、かつて俺に「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行って会ってくるにより添書(紹介状)をくれ」と言ったからさっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から帰ってきて言うには「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と言ったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。 「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」という部分と昨日の「鐘は大鐘の如く、敵のカだけに響き應ず。」という部分は同じ内容を異なる言葉で述べただけです。
坂本龍馬が北辰一刀流の言葉を用いたのか、大風呂敷の勝海舟が北辰一刀流の坂本龍馬ならこのように言うだろうと、言葉を飾ったのか、どちらでしょうか。
日本武道学会中四国支部会の新しいホームページアドレスです。
http://chushibudo.jimdo.com/ クリックすると新しいウインドウが開きます。昨年末の支部会の抄録が載っています。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
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- 2012/04/29(日) 21:25:53|
- 武道史
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知人のブログに次のように記されていました。どの道も同じで、このような覚悟がなければ上達はしないのだと思います。よく読んでください。
ダンスレッスンの先生に言われた一言が響いている。
☆家で何かやってますか?
と言う問いに答えられなかった。
日々ウォーキングをやったり、音楽にノってクネクネダンスしたりはしてるけど、鍛える!柔らかくなる!ってほどの事はしてないしね。
そしたら。
身体が硬いことや、出来ない事を平気で口に出してる場合じゃない、とピシャリと言われたのですね。
あ、私は言いませんよ。
言ったら負けだと思っていますからね。
だって、出来ないのはサボっている証拠。
やればやっただけ蓄積されて行くものだから、家でやりなさいね。
と言われました。
そのとおり。やればやっただけ。
ひとまず、開脚頑張ろうと思って床と戯れつつ、出来る事を模索中。 昨日、裏山で昨年倒し残してしまった竹が大きくなっているのをのこぎりで切倒し、今年の筍が大きくなって竹になりかかっているのを切たおしました。少し大きくなりすぎただけのものは蹴り倒し、かなり大きくなったものはスコップの先で片手突きをして倒したり、スコップの先のカーブしている部分で袈裟に斬り込みます。ただ2,3メートル以上に成長してしまったものは斬り倒した後に、斬り倒した上部が上からこちらに向かって落ちてくることがあるので残心は欠かせません。はじめて斬り倒した頃、そういう事が起こると気づかずかなり体にこたえたことがあります。切り口はスコップの形に曲がってしまいます。
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- 2012/04/30(月) 21:25:34|
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