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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

上段

 「上段」の構えるときには、中段から自分の左に半円を描き、「上段」に位置します。半円の中心は臍下であり、中心を動かすことにより切先まで動くように意識してください。木刀を動かそうとすると自分は虚になります。
 呼吸は木刀が上がる動きは、臍下に吸い込む息に乗ります。やや吐く息にのって土方が落着いたところが上段の位置です。斬り込むときにはそのまま落ちるだけですが、上段に構えたときに肩・肘が落着いていない場合は斬りこむときに動作が遅れてしまいます。

新田義貞です。
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  1. 2014/11/01(土) 21:25:55|
  2. 剣術 業

 「車」の構えの切先は相手から見えないように自分の後方に位置させます。前に進むときに切先が左右に触れる場合は足運びがうまくいっていない事が考えられます。右足を大きく前に進ませると体が左に開き、切先が振れてしまいます。
 また、「車」から木刀を自由に働かせるためには、左肩が治まる位置に治まっており、上腕の力みはなく左肘はおり、左手親指はいきており、右肩も治まり、上腕の力みはなく右肘もおり掌が働いている必要があります。

壇ノ浦合戦です
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  1. 2014/11/02(日) 21:25:47|
  2. 剣術 業

呼吸と構え

 大石神影流の「附け」「上段」「車」などの構えは臍下を中心に曲線を描いて一度上へ上がってから、下方に落着きます。この動き始めで呼吸が正しく出来ているかどうかを判断して指導してください。
 木刀を操作しようと考える方は臍下での呼吸が後になってしまいますので、木刀を上げるときに重心が浮きます。一方臍下の呼吸に乗って動く人は重心が上がることなく、むしろ下がることによって下降と上昇のバランスが取れています。
 指導の目安にしてください。

tuke上段
  1. 2014/11/03(月) 21:25:17|
  2. 剣術 業

瑞穂舞

 素晴らしい舞をみても、どうしても私たちが稽古している武道と重ねてみてしまいます。素晴らしかった点をわれわれの稽古している武道と重ねて述べて見ますので参考にしてください。

 舞台への入場から退場まで心の隙がない。
 舞台に達人にとっては当然の事なのでしょうが、武道の演武もそうでなければ成りません。1本終わるごとに終わったと思っていては残心も何もあったものではありません。演武も場に出てからさがるまでは隙があってはいけません。更に言えば、本来武道は日常が舞台ですので日常生活においても隙があってはならないという事になります。非常に難しいことですが、工夫しなければならないところです。

 とどまるところがない
 舞が始まって終わるまで、止まっているようなしぐさであっても常に流れています。表現は難しいのですが、外見は止まっていても体の中は流れているのです。武道も然り、とどまるということは居付きに通じます。

 体の隅々までが自分の体として感じられている
 指先から足先、頭のてっぺんから髪の毛の先に至るまで全てが自分の体であり、おろそかなところが一つもありません。私たちに置き換えれば、斬り込めば刀だけに意識がいき足先がおろそかになったり、刀を振り上げれば肩に力みが入ったり、肚がぬけたりと、そういう事が全くない状態です。
 
体の全てが連動している
たとえば外見上、上半身の肩から先を動かしているように見えても全身の全てが連動しており見えなくても下半身は働いています。われわれの居合にたとえるなら鞘手が動くに当たっても手だけが動くのではなく体全てが連動して働き、その結果として鞘手が動いているのは、そのレベルにある方は体感として理解できていると思いますが、全ての動きがそうなければなりません。


 当然ながら上記の働きには心が無関係であるはずはありません。美しい舞は美しい心から生まれているのだと思います。

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  1. 2014/11/04(火) 21:25:12|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

試合口

 試合口は大石神影流の手数の稽古で初めに習う方です。手順だけ見ると非常にシンプルなのですが、身につければ後の手数の稽古に大いに役立ちますので疎かにはできません。特に初心者を指導される方は注意深く指導してください。
 試合口5本はお互いに前に出て始まります。動き始めは打太刀からですが仕太刀も同期が取れて前に出なければ成りません。この時点で相手との調和が取れていなければばらばらに似合ってしまいます。指導者はこの点を特に指導してください。
 位を観る動きは相手の心身の状態を観ます。仕太刀から先に行いお互いに切先が中心に位置するように試みます。位を観る動きは必ず呼吸に乗るように指導してください。
 「張る」動きは大石神影流の特徴的な動きですので形だけにならないように注意してください。刀の鎬ではるのですが、全身が連動して、下からの力が呼吸に乗ってしのぎに伝わって晴れるように指導してください。そのためには体のどこにも無駄な力が入っていてはなりません。特に初心者は方に力が入るのでそれをなくすように指導してください。どこにも力みを入れなければできないように感じると思いますができないからできるようになります。
 突きは腰のみでつけるように指導してください。腰が前に出ず、手でつく癖をつけてしまうと、実際に突くときには相手に届きません。手を使わず腰だけ前に進むことによって切先が相手に当たる寸前となるように指導します。

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  1. 2014/11/05(水) 21:25:24|
  2. 剣術 業

素振り

 「基礎を身につけるための講習会」での気付きを少しずつ述べていきます。今日は素振りについてです。
 素振りについては、その方法をよく理解され静かに正しく木刀を振っておられました。欲を言えば人によっては下半身の緩みが足らず重心が臍下に治まらない状態が見受けられました。下半身の緩みは非常に難しいのですが、あるべきところに落着けば下肢は突っ張る事がなく楽であることを感じると思います。緩めたつもりなのに大腿部の緊張が強いため、再び突っ立気味になってしまうのは緩めたのではなく、膝を曲げただけという場合もあります。また重心が前後左右のいずれかに偏っている場合もありますので、工夫してください。
 素振りが正しく行えるようになったら、その動きを必ず手数の稽古に応用してください。素振りと手数の動きが異なってしまうと、素振りを稽古する意味がなくなってしまいます。


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  1. 2014/11/06(木) 21:25:01|
  2. 剣術 業

木刀の重さ

 大石神影流では竹刀や真剣は乳の高さまでのものを使っても良いということになっていますが、手数の稽古には同じ長さで、ほぼ同じ重さの木刀を用いています。
 普通の体格の初心者にとっては問題はないのですが、体が大きくて力が極端に強い人、または小柄で非力な人にはその重さが問題となる場合があります。力が極端に強い人にとって、大石神影流で用いる木刀はまるで箸か爪楊枝のようにしか感じられず、手首を少し動かすだけで木刀が使えてしまいます。初心者に軽い重さを体で感じるようにと言っても困難なので、重い木刀を持っていただくと体を使うという事が理解できる場合があります。そこを糸口としてお教えするほうが早道だと思います。
非力な人には軽い木刀をという方法を取ると体を使うということを覚えることはできません。しっかりと理論をお教えして、体で感じていただき、少しでも体感できればそこから進んでいく事ができます。
 指導されるときには色々と工夫してください。

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  1. 2014/11/07(金) 21:25:40|
  2. 剣術 総論

クンダリーニヨガと剣術の講習会のお知らせ
日時:平成26年11月8日(土) / 14:00~15:00   16:00~17:00 大石神影流剣術法
場所:廿日市市スポーツセンター / 指導:クンダリーニヨガ 大石馨 ,大石神影流剣術 貫汪館館長
http://kanoukan.web.fc2.com/english/seminar/index.html
http://kanoukan.web.fc2.com/event/index.html
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  1. 2014/11/08(土) 12:00:00|
  2. 未分類

試合口の稽古

 初心者は試合口の稽古を始めると相手がいるために相手に心を奪われ、素振りで養った動きを忘れ、相手に合わせようとしてしまいます。その結果、呼吸を忘れ、体は崩れます。そうしないためには打太刀が重要な役割を果たします。
 打太刀は仕太刀を導かなければならない立場ですので、人がいる場合には必ず上位者が打太刀につきます。上位者は相手が初心者である場合には相手の力量を見極めたうえで、その技量にあった速さで仕掛けなければ、初心者は間に合わせようとして動きは乱れてしまいます。
 初心者の動きが乱れている場合には、上位者は自らの動きを見直してください。

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  1. 2014/11/08(土) 21:25:08|
  2. 剣術 業

試合口の稽古 2

 試合口の「一心」「無明一刀」はそれぞれ打太刀が表面、裏面に斬り込みます。太刀筋は斜めになりますので刃筋が狂いやすくなるということを知っておかなければなりません。
 とくに裏面に斬り込むときには右利きの人は右手の働きが強くなるので振り回してしまいがちで、刃筋が通らなくなってしまいます。自分の木刀がどのような軌跡を描いているのか観察してください。

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  1. 2014/11/09(日) 21:25:31|
  2. 剣術 業

試合口の稽古 3

 試合口の「一心」「無明一刀」の打太刀は真剣(中段)から振りかぶってそのまま表面、裏面斬り込みます。
 一度上段に振りかぶって間をおいて斬り込む訳ではありませんのでありませんのでご注意ください。振りかぶりから斬りこむまでは焦ることなく一連の動作で行います。
 打太刀が一度振りかぶってから動きを止めて斬り込むと、仕太刀は動きが止まったところから手数が始まると勘違いしてしまい、それまでは気が抜けた上体になってしまいます。十分に注意してください。

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  1. 2014/11/10(月) 21:25:24|
  2. 剣術 業

クンダリーニヨガのセミナー

 11月8日(土)、福岡県大牟田市から大石馨先生(大石神影流剣術第7代宗家)をお招きしてクンダリーニヨガを指導していただきました。
 武道の稽古をする方は個人的にさまざまな目的をお持ちであろうと思いますが、自分で作った心の壁を壊さなければ、自由になることもありませんし、楽になることもありません。
 武道のみに偏ると、対人関係で動くために自分を守ろうとして心に壁を作りがちになってしまいます。武道の稽古によって壁を壊すことができれば、それに越したことはありませんが、江戸時代から武道家が禅の修行を行ったり、滝に打たれたりして修行したのも、武道以外のものの力で武道をよりはっきりと、とらえることができたからだと思います。
 今回のクンダリーニヨガは動きが激しいものもあり、きつい体験をされた方もあったと思いますが、自己を開放するのに大いに役立ったと思います。
 私は今回で3度目のご指導を受けましたが、最後に行う瞑想では三回とも自分の体が地から離れ、上昇し地球から離れたところから地球を見ているビジョンを観ます。ビジョンというより実感なのですが、それが何を意味するのかは分かりません。
 また折を見てクンダリーニヨガのセミナーを広島で行っていただこうと思っています。大石馨先生は「次回は静かなヨガにしてみましょう。」と話されていました。ご期待ください。

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  1. 2014/11/11(火) 21:25:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「鎗合」

 「鎗合」は難しい手数ですが、工夫と稽古を重ねればできるようになる手数です。心がけなければならないのは打太刀と一つになること。相手と自分とが別物と考えれば相手が動いて自分が動くようになります。そうすると、鑓先の動きについていくのはよほど動体視力と瞬発力に優れた人でなければ不可能です。打太刀と一つになり、打太刀の変化が自分の変化となれば起こりはより早くわかり、また鑓の動きと自分の木刀の動きの同期が取れるようになります。「鎗合」の手数では打太刀は変化を見せずただつくだけですので、しっかり稽古され防具着用稽古に活かしてください。

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  1. 2014/11/12(水) 21:25:34|
  2. 剣術 業

「一刀両断」

 大石神影流の「一刀両断」は打太刀の両腕を切り下ろし、同時に後方へ下がる手数です。斬りながらさがるのですが、この動きが滑らかでない方は斬るという思いが強すぎるように思います。
 斬るという思いが強いと必要以上に体(上半身)に力が入り上半身と下半身のバランスをとるために下半身にも不必要な力みが入り斬り込んだ時にいついてしまい、同時にさがることはできなくなります。
 軽やかに斬る事を試みてください。

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  1. 2014/11/13(木) 21:25:28|
  2. 剣術 業

防具着用稽古

 講習会では防具着用稽古も行っていただきました。私は鑓、銃剣(短鑓のかわり)、小太刀を持ってお相手をいたし、北大坂支部長には二刀を用いてお相手していただきました。これは同じ条件のもとでのみ稽古していたら自由を求める武道がかえって不自由になってしまうのを防ぐためです。
 それぞれの得物には、それぞれの特徴があり、それを知った上でこちらが自由に働かなければなりません。
 鑓に対した方は、入身の稽古の必要性を感じられたと思います。銃剣の左手から前の長さは竹刀の鍔先の長さとほぼ変わりませんが、その分長い槍に比して銃剣は機敏に位置を変える事ができます。槍に対しても銃剣に対しても受け身になることは禁物で、突いてきたら入身をすると考えるのではなく、初めから前に出て行く思いがなければなりません。
 一方、小太刀は普通の長さの竹刀に対しては入身をしなければなりませんので常に前に出てきます。竹刀をもった方は小太刀が入身して来ようとする機をとらえなければなりません。
 それぞれに対する工夫をしてください。

 今回は道場内での稽古であるので、私が槍や銃剣を持って稽古しましたが、有利な武器を持った者が不利な立場にあるものに試合を挑むことはありません。したがって剱と槍との試合は防具着用稽古が盛んになった幕末にもそれほど行われてはいません。廻国修行の場合でも通常は剱と剱、鎗と槍の試合です。有利なものが不利なものに試合を挑むのは非礼になります。道場内ではかまいませんが、対外的に鎗を以て剱に試合を挑むことは非礼な事であると知っておいてください。

 稽古槍のたんぽがありませんので今回は私が軽く当てるか当てる前に引いて鎗と対する稽古をしていただきましたが、いずれは大嶋流の稽古槍を用いて皆さんにも稽古していただきたいと考えています。

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  1. 2014/11/14(金) 21:25:14|
  2. 剣術 総論

「斬段」

 「斬段」の拳への斬り込みは張った後に足を踏み込む動きと手の内の働きのみで行います。
 うまくいかない理由は斬ろうとして、小さくても振りかぶってしまうことにあります。また、張る動きに少しでも腕が働くと切先が下がりすぎてしまい、横から振り込むようになってしまいます。腕を用いているかどうかの検証を行ってください。

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  1. 2014/11/15(土) 21:25:14|
  2. 剣術 業

後足

 無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術ともに前に斬り込むという思いが強く、自分の後半身が生きていなければ斬り込んだ時に後足が死んでしまいます。
 具体的には後足の足心が地とつながらず、蹴った後のような状態になっています。そのようになった場合には後足が死んでいるために、斬り込んだ後の変化ができなくなります。形や手数の手順の上での最後の斬り込みにおいて、おこりやすいことですので、おそらく、「きめ」という思いが本人にあるためだと思います。自分がどのような状態にあるのか確認してください。

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  1. 2014/11/16(日) 21:25:17|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「大石武楽先生のお墓参り」

 15日(土)に「大石武楽先生のお墓参り」が手鎌道場主催により行われ、私も参加しました。大石神影流第7代宗家大石馨先生をはじめ、大牟田市長御夫妻、大石神影流の先輩、手鎌道場の指導者の方と子供たちと保護者のお母さん方が参加され、お墓を掃除された後参拝。その後大石宗家のお話や、大牟田市長のお話があり、私も少しお話して大石神影流「鞘之内」を演武しました。 これまで雨や行事が重なるなどして参加することができませんでしたので、初めての参加でした。 
 いつもながら大石進父子のお墓の見事さには感動しますが、今回感動したのは手鎌道場の子供たちの素直さと勤勉さでした。心が本当にピュアで掃除や草抜きに、良く働いているのです。また難しすぎた私のつたない話や鞘之内の演武にも集中してくれていました。剣道の指導者の奥園さんの人格が素晴らしい事もあるでしょうし、保護者の方が素晴らしく家庭教育も素晴らしいこともあるでしょうし、また大牟田という土地柄が素晴らしいのもあるかもしれません。どうしたらあのような素晴らしい子供たちに育つのか、その秘密を知りたいと思いながら広島に帰りました。

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  1. 2014/11/17(月) 21:25:07|
  2. 剣術 総論

備前長船日本刀傳習所

 16日(日)に備前長船日本刀傳習所を数年ぶりに訪れました。
 上田先生のお弟子さん達が皆、精神的に成長され立派になっておられました。数年ぶりですが 「男子三日会わざれば刮目して見よ。」という言葉を思い出しました。鍛錬し続ければ人格的にこうも変わるものだと実感しました。
 余談ですが、貫汪館の皆さんも成長をされています。先日大石宗家にご指導にお越しいただきましたが、「皆さんが上達している。」と評価の言葉をいただいています。
 上田先生は初めてお会いしたころは清貧という言葉がふさわしいほど、経済を度外視して、自身が求める刀をひたすらに探求されていました。私の用いている2尺8寸2分の刀もそのころに打っていただきました。その後、世に認められ刀の注文が増え、現在は多くの弟子も育てられています。 刀の製作も鉄の成分分析等を重ねられ独自の道を歩まれていますが、「努力は報われる。」を証明したような刀匠です。現在はANAの国際線の日本の紹介プログラムでも鍛錬の様子が流れているという事です。
 貫汪館の皆さんも工夫ある努力は必ず報われることを信じて進みましょう。

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  1. 2014/11/18(火) 21:25:45|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

半棒

 半棒は刀と違い刃はついていませんので、一撃ごとに威が備わっていなければなりません。歯がついていれば軽く触れるだけで大きなダメージがありますが、丸い棒で軽く触れるだけでは相手はそのまま踏み込んできます。
 しかし、「力任せ」に棒を動かすのではないと言うことをしっかり心にとどめて稽古しなければなりません。「力任せ」では動くたびに「居付」が生じてしまい、形であれば何事もなくても実際に場合には隙だらけになってしまいます。
 では、どうするのか。まず無駄な力をなくし、体を地にあずけ体が楽なままに、棒も自分といったいにします。棒を握り込まず体といったいとし、上から下に棒を使うときには引力に任せ体が沈むときに棒も下りるようにすれば棒に自分の重さが加わります。横に振るときは臍下を中心にして棒の先端までしなやかに使い中心からの遠心力を用います。
 まず力を用いないところから工夫してください。

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  1. 2014/11/19(水) 21:25:12|
  2. 柔術 業

上段

 大石神影流剣術で上段を取るときには臍下を中心に切先が円弧を描いてあがりますが、頂点でとまるわけではありません。
 「上」という言葉に惑わされて、上に上げるという思いが頭にあれば上から攻めるのだと思ってしまいます。そのような思いがある限り切先に釣られて重心が上がり、下半身を沈めているつもりでも上半身と下半身がばらばらになり、自分の体の中での調和さえ崩れてしまいます。そうなると、相手との調和もとれず、手数の稽古では相手にあわそう、遅くなるまいとして焦った動きが出てきます。
 上段は頂点から下りて沈みきったところが上段となります。

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  1. 2014/11/20(木) 21:25:27|
  2. 剣術 業

附け

 昨日は上段について述べましたが、「附け」の構えも同様に「附け」という言葉に惑わされて切先を相手に附けなければならないという思いにとらわれると、せっかく円弧を描いて下ってきた切先をさらに相手に附けようとしてしまい、そこで調和が崩れてしまいます。具体的には切先を相手に附けようとして意識が前にずれ、後半身が自分の体ではなくなっているのです。
 附けに構えようとするのではなく、動いた結果が「附け」になったとなるように工夫してください。

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  1. 2014/11/21(金) 21:25:11|
  2. 剣術 業

指導法

 貫汪館に海外から稽古に来られるようになり、海外の方が日本語を介されない場合にはこちらが英語または、その他の言語を用いて指導しなければなりません。しかし、自分が用いる事ができる言語が相手に説明するには不十分な場合があります。
 そのような時には、「まあこの程度わかっていただけていればよいか。」という思いがおこります。しかし、日本人に対してそのように思わないのであれば指導法を工夫しなければなりません。
 日本人は外国語を完全な形で話さなければならないという思いがあるせいか、なかなか話そうとしませんがまず、単語を多く並べてください。文法にかなった文を話す必要はありません。
 単語がわからなければ、自分で動いて示してください。必ず通じるはずです。

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  1. 2014/11/22(土) 21:25:24|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「抱詰」

 無雙神傳英信流抜刀兵法の大小詰「抱詰」は自分の腕に意識がいくと、できなくなってしまいます。
 はじめ掌は相手の皮膚に軽く触れる程度で始まり、腰の下部を動かしていきます。その動きに中で掌を打ちに軽く絞りますが、絞るという思いが強いとできなくなります。腰の下部の使い方はクンダリーニヨガのセミナーで大石馨先生に初めに教えられた動きと同質の動きですので工夫してください。


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  1. 2014/11/23(日) 21:25:07|
  2. 居合 業

良いもの、劣るもの

 骨董などの世界で言われることのようですが、はじめから良いものばかりを観ておけば悪いものを見た時に区別がつくそうです。
 私はこれまでなんとなくしか刀剣の良し悪しがわからなかったのですが、先週ふくやま美術館の「国宝 名物日向正宗」という展示を見に行って、その後違う美術館で、展示されている刀剣を見た時はっきり、違いがわかりました。やはり、良いものを沢山見ると劣ったものがわかるようです。
 武道もまた同じで、流派によって考え方が異なるので、良い悪いとは言えませんが、スポーツや芸能において私たちの流派と考え方が近い動きを経験されている方は、私たちが稽古している流派を稽古したときに入りやすいようですし、私たちの武道とかけ離れた考え方の武道や芸能を経験されている方は、私たちの流派の入り口の段階で大変苦労されるようです。苦労される方は違いがよくわからないようです。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は「戦前広島の武徳殿のそばに住んでいたので、子供の頃には広島の大家の先生の剱術や柔術などをよく見ており、良いもの走っている。」と話しておられました。まだ広島に貫心流や司箭流その他の剱術流派や柔術流派槍術流派が残っていた時代です。
 経験が大きく上達を左右してしまいます。

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  1. 2014/11/24(月) 21:25:43|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

身体感覚

 海外でとある居合を習って、日本で無雙神傳英信流抜刀兵法を習った方がこんなことを話されました。

 ここでは下半身も緩めて、半身になり、リラックスして肩にも力を入れないように習うけど、以前習った居合は体を正対させ、ぐっと腰を前に押し出すように力を入れる。そして抜きつけたときには体に力を込めるように。そのほうが力強いのだと指導された。
 何年もボクシングを習ったけれど、ボクシングでは下半身を緩めて半身になりリラックスして動くように習った。ボクシングと日本の居合は何故こんなに違うのだろうと思ったけれど、此処に来てボクシングと居合は同じような教え方をするのだとわかった。

 素抜抜刀術の稽古のみをしていると、指導者も錯覚に陥りやすいのだと思います。力みを力強さと錯覚し、正対こそが正しい体の用い方だと錯覚するのかもしれません。貫汪館では幸いなことに居合も一人で行う素抜抜刀術のみではなく、太刀打や詰合なども稽古していますので相対した時の体のありようは理解しやすいと思います。また、居合だけでなく柔術、剣術の稽古をしており、刀だけではなく棒や長刀等いろいろな種類のものを用います。絶対ということはなく、楽に楽にという事をご存知だと思います。

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  1. 2014/11/25(火) 21:25:28|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

情報発信

 海外には日本の古武道に関するさまざまな断片的な情報がインターネットを通じて存在しているようです。中には日本に来て師について習い、教えられた歴史などを信じて自分の国で情報発信する場合もありますし、インターネットを通じて知った知識を自分の解釈で情報発信している場合もあるようです。
 しかし、言語の問題もあり海外の方はその情報の真偽を確かめることは非常に困難な事だと言うことは想像に難くありません。
 大石神影流剣術に関しても一般的な説が流布しているようですし、無雙神傳英信流抜刀兵法の歴史に関しても、これまで中山博道系の先生方が述べられてきた事と相違する部分もあり、何が真実なのか、判断できないようです。澁川一流柔術に関しても間違った事が信じられていいます。
 海外へ情報発信していくには私たちが海外の言葉を用いる能力を持たなければなりません。正しいことを正しく海外へ発信していかなければ、面白おかしい事のほうが真実だと信じられてしまいます。せめて英語を話す力は身につけていく必要があります。

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  1. 2014/11/26(水) 21:25:25|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「半向」

 「半向」は折敷ながら正面(顔)に斬り込みますが、おり強いたときに打太刀との間合が遠い場合には折敷方をかえてください。
 間合が遠い場合には折敷こうとする思いが強く、後足を規準にして折いている場合があります。その思いを変えて踏み込みながら前足規準に折敷けば間合が正しくなりますので工夫してください。

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  1. 2014/11/27(木) 21:25:06|
  2. 剣術 業

 師に対する接し方は非常に大切で、相手との接し方を学ぶべき者が師に対する接し方をわきまえないことは武道においても致命的な欠点になります。
 私が学校教育に古武道がなじまないと考えるのは学校では教師と生徒との関係はあっても、深い師弟関係で物事を教えることは困難だからです。私の澁川一流柔術の師である畝重實嗣昭先生は「師弟といえば親子も同然。親は我が子の危機には命を捨ててもこれを助ける」と言われました。弟子の危機には親同然にこれを助けるのが師であるという事です。当然、弟子にも子たる者の覚悟が必要です。3年かかって良師を探すのは、技術が高い師を探すためだけではありません。武道の教授はたんに技術の伝達ではないからです。また、師が弟子を選ぶのも当然の事です。
 私は師に対する礼は失わないように最大限に努めてきました。道を教わるものにとって当然の感覚でした。これは師が自分を我が子のように扱って下さろうとも、どんなに親しくして下さろうとも失ってはならない事です。心を学ばねばならぬ者が心を失してしまえば、形は真似できても心を学ぶことはできません。
 私が行ってきたことはその当時では当然の事ですが、道場をお持ちであった居合の師が道場に出られる前には必ず道場を掃除しておく、師が来られる前には必ず稽古を始めておき、自分の稽古を見ていただける状態にある。師が道場を出られるときには下足が靴箱にあっても、履物をそろえて師がすぐにはきやすい状態にしておく。兄弟子の下足も同様です。他にも道場での師に対する礼の作法は多々ありますが省略します。要はどのように動けば、師が何事も滞りなく行えるかを考えて行動するという事です。
 外を歩く時には、たとえ師と二人で歩いているときであってもやや下がって歩き、常に周囲に気を配る。当然の事ですが持たせていただける物があるときには持たせていただく。(何でも持つという事ではありません)。師が他の方と話されるときには控える。外では師に危害が加わらぬように、師に何事もないように、師の行動を邪魔しないように考えて行動します。その他すべての行動において自分ではなく師を中心に行動します。師が歩かれる時に自分はどちら側にいればよいのか、これも当時は当たり前のように分かっていたことです。
 居合、柔術、剱術のそれぞれの師匠に、不十分であったとは思いますが礼を尽くしてきました。最近の教育で育った方は古典文学でも読まなければイメージできないこともあるかと思います。が、イメージできない方は学んでください。
 以前、梅本先生の師の尾形先生が貫心流の免許皆伝で、貫心流の剱術だけでなく、居合、長刀、鎗、柔術なども修めておられ、習いに行きたかったものの、たとえ許可を得ることができたとしても師を飛び越えて習いに行くことははばかられ、出来る事ではなかったという事についてお話したことがあります。師は高い存在であり、師の師は仰ぎ見るほどまでにさらに高い存在です。
 この感覚を十分に弟子が理解できなかった場合に、弟子はいても流派はつたえなかったり、遠方の通いの弟子にのみに流派を伝えたりという事が起こったのだと思います。
 居合の師には師よりも年齢の多い、私にとっては兄弟子になられる方がおられました。しかしその方は終始弟子としての態度を失われず、真摯に道を学んでおられました。私はその兄弟子から大いに学ぶところがあり、その兄弟子を尊敬していました。師について道を学ぶに自分が年上か年下かという事は関係はないのです。

 私の居合の師も柔術の師もお亡くなりになりましたが、大石神影流の師はまだ私を導いてくださっています。私にとって大石英一先生は師ですが、皆さんにとっては師の師になります。皆さんが大石先生と呼ぶと私と同列になってしまい私の師をないがしろにすることになります。「大先生」とお呼びした方が良いと思います。また第7代宗家は「宗家」「御宗家」とお呼びしてください。ここををはき違えてしまえばもはや武道を修業しているとは言えなくなってしまいます。
 
 写真は
左が無雙神傳英信流抜刀兵法の我師 梅本三男貫正先生、師の師である尾形郷一先生、さらにその師である植田平太郎先生、さらにその師の細川義昌先生です。
中央が澁川一流柔術の我師 畝重實嗣昭先生、師の師である車地國松先生、さらにその師である宮田友吉先生(左)、さらにその師の首藤蔵之進先生です。
右が大石神影流剣術の我師 大石英一先生、師の師である大石一先生、さらにその師である板井真澄先生、さらにその師の大石雪江先生です。
 私の前には御写真が残っている方だけでもこれだけの師がおられます。各流派とも先師がおられなければ、私は学ぶことができませんでした。


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  1. 2014/11/28(金) 21:30:19|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

証明書

 先日、日本に来てホテルに滞在しながら、一ヵ月稽古したオーストラリアのマイケルに発行した段位の証明書です。
日本式の證書も発行し名前もカタカナで記しているのですがいかんせん帰国してその証書を友人に見せても日本語は読めないので何が記してあるのか、段なのか級なのかもわかりません。そこでデザインを考えて日本語の證書に添えて発行しました。
 簡素なデザインですが、バランス等を考えて作ってみました。
 今後海外から稽古に来られる方もあると思います。これまでのように国内で日本人に教えていたようにはいかない部分も多々出てくると思います。進化し続けなければ対応できなくなってしまいます。

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  1. 2014/11/29(土) 21:25:22|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

小太刀の入身

 先日の講習会で私が小太刀を持ってし、それに竹刀で対した方はどのように対処してよいかわからなかったかと思います。今後のために対処のヒントを少し記しておきます。
 小太刀を持った側は常に入身をしよう、つまり相手の懐に入ろうとしています。太刀の間合で戦っていたらいつまでたっても自分の小太刀が届く間合にはならないからです。これは長短の鎗の短い方が入身をするのと同じことです。つまり向かい合った時には小太刀はその間合で対しようとはせず、すぐに入ってくるものだと思っておかなければなりません。はじめから「入って来ようとするところを打つ」「または入ってくるものを迎え撃つ」という腹づもりで対してください。
 土佐の小栗流はもともと柔術流派ですが、幕末には剱術を表に出していました。しかし、その剣術の試合稽古が行われる前は如何にも柔術流派らしく、小太刀による入身の稽古が行われており、太刀と小太刀に分かれ、小太刀が何回入身に成功したか、あるいは太刀がなんかそれを留めたかという稽古の記録が残っています。

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  1. 2014/11/30(日) 21:25:55|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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