力みが抜けない人。力みがなくなるという感覚がわからない人は長風呂をしてください。自宅でもよいのですが温泉などのほうが効果が上がると思います。
のぼせないように時間をかけて浸かっては休み浸かっては休みを繰り返し体がゆるゆるになる状態になるいまで長湯してください。体がゆるゆるになったら、その状態が力みが抜けている状態で稽古の時に求められる力みのなさだと実感してください。
武術の稽古は別物だとは決して思わないでください。長湯して体がゆるゆるになった状態が稽古するときの状態であればよいのですから。
次回の貫汪館居合講習会は12月4日(日)です。講習内容は「大小詰」と「奥居合座業」です。貫汪館ホームページをご覧になり、年齢や性別、経験等の有無にかかわらずどなたでもご参加ください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2011/12/01(木) 21:25:39|
- 居合・剣術・柔術 総論
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誰でも稽古を続け理解し始めると、ある日、急に伸びる時期がやってきます。その時期は自分自身では気づきにくいのですが、導いている師や先を歩いている兄弟子には見て取ることができます。
このような時期は、人によっては数か月続くこともありますが、それほど長くは続きません。そのような時期を利用して自分の力を伸ばしていかねば次はそのような時期がいつ来るかはわかりません。そのような時だと教えられたら上達しようとする人がなすべきことは二つです。
一つ目は道場での稽古回数を可能な限り多くする事。稽古回数が少なければ、それふだけ伸び率を少なくしてしまうのですから稽古回数は絶対に必要となります。また当たり前のことですが正しく導いてもらうためには一人稽古だけでは不十分です。今自分の歩んでいる方向が正しいのかどうか、確かめながら上達する必要があります。
二つ目は内容を高めていく事です。今まで以上に体で理解できるような状態になっていますので、今まで指導を受けてもできなかったことができるようになるチャンスです。いままでできないと思っていたことでも工夫をしっかり重ねることによって可能になってきます。
機会を逸することがないよう努力してください。
貫汪館H.Pの無雙神傳英信流行事のページに大石神影流演武の写真を載せました。 次回の貫汪館居合講習会は12月4日(日)です。講習内容は「大小詰」と「奥居合座業」です。貫汪館ホームページをご覧になり、年齢や性別、経験等の有無にかかわらずどなたでもご参加ください。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2011/12/02(金) 21:25:19|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法においても渋川一流柔術においても肩を用いることはありません。肩を用いることはないというと、肩があるから腕が働くと思われるかもしれませんが、少なくとも意識の上で肩を使うという事はないのです。
たとえば腕を上にあげるときに、肩を上げようと意識して腕を上げると上半身と下半身はバラバラになっててしまいます。肩は存在しないのだと観念し腕を上げると、上半身と下半身はつながったまま腕が上がります。形がないと意識したときには不用意に脇が開くことはありません。
道場であるいは自宅で稽古されるとき自分はどのような動きをしているのかを確認し、肩を用いているようでしたらどのようにしたら肩を用いないですむかを工夫してください。
貫汪館H.Pの無雙神傳英信流行事のページに大石神影流演武の写真を載せました。ご覧ください。 貫汪館 廿日市天満宮奉納演武は12月18日(日)午前10時から行います。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2011/12/03(土) 21:25:29|
- 居合・剣術・柔術 総論
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本日、貫汪館居合講習会を実施いたしました。本日の講習会では無雙神傳英信流抜刀兵法の大小詰と奥居合座業を稽古いたしました。
形の稽古をする前に1時間くらいをかけて体の力みをなくす方法を稽古しました。はじめに比較的感覚が発達している上半身の力みをとる稽古を行い、次に下半身の力みをとる稽古を行っていただき、そのまま正座、立膝の稽古をしました。
初めの力みをとる稽古は見ようによっては子供の遊びのように思え、「なんだこんな稽古」と思えるかもしれませんが、この稽古に取り組んで体の力みがなくなり、そのままの状態で動ければ、ほぼ形稽古の基本は完成といっても過言ではありません。この稽古で力みがなくなってきたら形稽古で相手を投げても転がしても、刀を抜きつけても斬撃しても、終始その状態のままで動ければよいのですから稽古の大きな目安となります。
上記の稽古である程度力みをなくすことができるようになったのに、形稽古で動いてしまうと力んでしまう方は強く投げようとか、刀を強く振ろうとか、あるいは形とはこういう動き得なければならないという刷り込み通りに動こうという邪念がそうさせるのですから、自分の心にどのような思いがあるかを自分自身で知り、それを正さなければなりません。そういった思いがある限り力みがなくなることはありません。
大小詰は二人で実際に相手を投げたり転がしたりしますので、自分の力みがそれらの技を如何に邪魔をしているかがわかり易かったと思います。したがって素直な力みのないよい動きをされる方が多くおられました。
しかし、午後からの奥居合は仮想の敵が相手であり、自分が力んでても、その効果がわからず、また力めば力むほど「やった」というあやまった実感が残るため、午前中の一番目に行った稽古が「ややもすれば無駄になっているのではないかと思えることがありました。刀を手にしていても手にしていなくても力みは動きの邪魔にしかなりませんので、努めて力みをなくすように稽古しなければなりません。
午前中の一番目に稽古した力みをなくす稽古は道場でなくてもどこでもでいる稽古ですので日々怠らず稽古を重ねれば、出来ないと思っている方でも、やがてすべての形の動きが「こうだったのか」と思える時がやってきます。怠らずに続けてみてください。
次の講習会の予定は3月に大森流11本を基礎から体得できるよう稽古しようと思っています。
貫汪館 廿日市天満宮奉納演武は12月18日(日)午前10時から行います。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2011/12/04(日) 21:25:13|
- 居合・剣術・柔術 総論
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軍隊では指揮官を助け作戦を立てる者を参謀といいます。参謀は一人ではなく色々な方面を専門とする参謀がおり作戦がたてられますが、参謀が正しく作戦を立てられなければ指揮官の命令が間違ったものになってしまうのは当然のことです。参謀の働きが悪く指揮官の命令が悪ければ組織は壊滅してしまいます。
昔、私が幹部自衛官としてある高射隊の発射小隊に整備幹部として仕事をしていた時のことです。私は新米の整備幹部でしたので小隊にはもう一人先輩の年配の整備幹部がおられました。ある時その方が小隊長がおられない時にみんなに聞いてほしいと話をされました。その時の小隊長は非常に癖のある方で小隊本部で働いている空曹からは好かれてはいませんでした。
先輩の整備幹部はこのようなお話をされました。「皆は小隊長のことを好きではないかもしれない。しかし我々小幕僚(参謀)が力を合わせて小隊長を補佐していかなければ、小隊がより良いものになっていかない。みんなで力を合わせて小隊長を補佐していってほしい。」
先輩の整備幹部は年配になられて幹部になられた方で非常に穏健な方でしたが、このように言われて小隊をまとめていこうとされました。間もなくその方が小隊長になられました。
私は、その時のお話をそれ以来忘れることはありません。
それ以来、いくつかの武道の組織を見てきましたが、トップに立つものの側にいる者が駄目で、その組織が駄目になった例をいくつも見ています。
道場は軍隊組織ではありませんが、今、貫汪館で稽古していただいている皆さんは講習会やその他の活動でみんなが力を合わせて働いてくださり、貫汪館がなりたっていくよう一人一人が力を合わせ組織を運営してくださっています。昨日行った講習会においても私が何もしなくても講習会が運営できるのは皆さんが協力して立派な講習会にしてくださっているおかげだと思っています。
私は指導者として熱心に稽古していただいている方には全員免許皆伝になっていただきたいと思っています。そのためには道場という組織が必要です。道場がより良いものとなっていくために稽古年数が長い方を中心として皆さんの知恵を集めていただき、今後とも皆さんの協力で道場という組織をより良い状態であるように保っていただくよう願っています。
貫汪館HPの無雙神傳英信流行事のページに居合講習会の写真を載せました。ご覧ください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2011/12/05(月) 21:25:59|
- 居合・剣術・柔術 総論
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力をこめようという思いがある方は動きが途切れ途切れになり、そこが隙になってしまいます。
形稽古であれば反撃されることもありませんので、それが隙であるという事を理解するのはますます難しくなってしまいます。柔術の形稽古であれば、おかしな動きをしていたら上級者は相手を崩してもよいとお話していますのである程度は知ることができるのですが、素抜き抜刀術では実際に相手がいないので自分に都合の良い相手を想定してしまう人にとっては隙があることにすら気づくことがありません。太刀打や詰合の稽古では指導が可能ですが、この段階に至るまで駄目な稽古を繰り返している方は太刀打ちや詰合いを稽古しても修正できなくなる可能性もあります。
困ったことに素人の方は力みがあって力強く見える動きを好みますので、自分に素人受したいという思いがある方は、ますます強く初めに記したような動きをしてしまいます。
無雙神傳英信流抜刀兵法や澁川一流柔術を上達しようと思ったら、すらすらと動くという事を前提として業の有効性を求めなければなりません。
貫汪館HPの無雙神傳英信流行事のページに居合講習会の写真を載せました。ご覧ください。 貫汪館 廿日市天満宮奉納演武は12月18日(日)午前10時から行います。
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- 2011/12/06(火) 21:25:17|
- 居合・剣術・柔術 総論
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初心者の域を脱しかけ、一応形も覚えて中級者になりかけた頃、自分が知っていることを初心者の人に口頭で解説したくなる時がやってくるようです。
このような時期が自分の修行にとって最も危うい時期です。口頭で解説できる事で自分ができると思い込んでしまっているのです。理論がわかるという事は即ちできるという事ではないのですが、何故か自分ができると思い込み人に教えたくなってしまうのです。無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生のもとには、このような方が沢山おられました。私が初心者であったころにそのような兄弟子を見て「自分ができていないではないか」とよく感じたものでした。
そのような兄弟子はたいていその段階で上達することはなく、あとは質の悪い動きをただ繰り返し、それらしく見えるといったレベルにしかなられていませんでした。
自分自身がよく指導されることがある人は自分が中級者であると思っても、実はその域にも達していないからよく指導を受けているのだと考え、たとえ相手をしている初心者ができないとしても。口先で解説するのではなく自分自身の動きで示すように努め、自分のレベルをよくよくわきまえたうえで稽古を重ねていかなければなりません。
貫汪館 廿日市天満宮奉納演武は12月18日(日)午前10時から行います。
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- 2011/12/07(水) 21:25:23|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生も澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生もよく写真をとられていました。
お二人とも私の演武の写真を撮ってくださり、私はそれをいただいたのですが、写真を見るたびに恥じ入るばかりでした。また、今でも演武の写真を見ては情けなく恥ずかしく思うばかりです。
武術は褒めて伸ばすことが難しいと以前述べたことがあると思いますが、自分の至らぬところ、すなわち隙がいのちとりになるので、優れたところを褒めて伸ばすよりも、隙のあるところを咎めて隙を作らせないようにする事を指導の主眼としなければならないからです。
自分自身の演武の写真を見ると、自分に如何に隙があるか、自分の至らぬところがはっきりと写し出されています。満足のいく動きが写し出されていることはごくわずかで、ここが駄目、あそこが駄目と思うばかりです。
演武会の時に皆さんの写真をお撮りしているのは、その写真を見て自分がどのようなところを稽古しなければならないかを知っていただくためです。自分の姿を見て自分を知らなければなりません。
貫汪館 廿日市天満宮奉納演武は12月18日(日)午前10時から行います。
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- 2011/12/08(木) 21:25:04|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は真剣の使用にはこだわられませんでした。特に早くから真剣を用いなさいと言われることもなく、むしろ居合刀(模擬刀:以下同じ)も真剣もその使用に関しては同じであると考えられていました。
居合刀であっても真剣と同じように用いることができなければ業にはならず、抜付けや納刀でコツコツと鞘に触れるようでは話にならないと考えておられましたので、そのような高度な技にあっては同じものといえるかもしれません。
私はそのような教えのもとで居合刀を用いていましたので、真剣を用い始めた時にも別のものを用いているという感覚やおそれはなく違和感なく真剣を使用することができました。あえて言うならば真剣のほうが芯が通っているような感じで使いやすいという感じを持ったくらいでした。
しかし、稽古に真剣を用いる利点というものもありますので記しておきます。
第一に体と刀を繊細に遣わざるを得なくなるという事です。居合刀ももちろん繊細に使わなければならないのですが、いい加減に用いて鞘に刃がコツコツと当たっても鞘を削ることはなく繊細さを理解しえない方はそのまま稽古を続けてしまい業にならない外形だけの稽古をしてしまう可能性があります。真剣ですと刃がコツこと当たるという事は鞘を削ることを意味しますので、いい加減な方でも繊細に遣わざるを得ないようになってしまいます。
第二に刀を大切にするようになるという事があります。私にとっては居合刀でも十分に高価なのですが、真剣は生活になくてはならないというものではないのに高価なものです。したがって居合刀を稽古道具程度にしか考えていなかった人でも真剣であれば今まで以上に刀を大切に扱うという感覚が自然に身についてきます。
一番目の利点は業を身につけるという点では非常に大切なことですので、稽古が進んで金銭的な余裕があれば真剣の購入を考えた方が良いかと思います。渋川一流柔術を専門に稽古している方も澁川一流柔術の居合(抜刀術)を身につけることなく免許皆伝上極意に至ることはありませんので、将来的には真剣の購入を考えておかなければならないと思います。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 貫汪館 廿日市天満宮奉納演武は12月18日(日)午前10時から行います。
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- 2011/12/09(金) 21:25:21|
- 居合 総論
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稽古を始める前、稽古場に来る途中や着替えている時に、初心の方にとって心の準備をすることは必要なことです。今までの状態から稽古する状態へと切り替えなければなりません。といっても、これは中級者や上級者に当てはまることではなく、中級者や上級者は普段の生活が稽古していることと同じですのでことさらに状態を切り替える必要はありません。
さて、初心者の方が心を切り替える時に犯しがちなあやまちが「気合を入れる」ということです。さあ、稽古しようと思い気合を掛けて集中しようとされるのですが、たいていは体を力ませ、心も力ませ何も吸収できない状態にされて稽古に臨まれています。
心を切り替えるとすれば、心を広く静にゆたかにさせ、体もゆったりと力みをなくすような方向を目指してください。
月食の写真です。家の前庭でコンパクトカメラで撮影しましたが、街灯の灯りもある中コンパクトカメラにしてはよく撮れたと思います。
貫汪館 廿日市天満宮奉納演武は12月18日(日)午前10時から行います。
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- 2011/12/10(土) 21:25:51|
- 居合・剣術・柔術 総論
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順刀は介錯の形です。古くは介錯の形ではなかったのではないかとも感じていますが、江戸時代後期にはすでに介錯の形として稽古が行われていたようです。
それはさておき、介錯は切腹する者の心を乱さぬようにごく自然に静かに行われなければなりません。したがって右足を右前に出す時も刀を抜き始める時も立ち上がるときも、待っているときも斬り下す時も動きに節がつかぬよう心掛けなければなりません。介錯をする者の動きが見えないような動きを心がけなければならないのです。
順当において節目がついてしまうのは右足を右前に踏み出す時、立ちあがろうとするとき、刀を抜こうとするとき、斬り下ろそうとするときです。そのとき自分の動きがどのようになっているのか確認してください。
なお、介錯について植田平太郎先生は次のように記されています。
「知人之善人の介錯を頼まれたる場合は慣ぬ事故若し斬損じがありましても御免を蒙るとの挨拶するを礼とす。」
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- 2011/12/11(日) 21:25:21|
- 居合 業
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無双神伝英信流抜刀兵法において納刀は相手を切る動きではありませんが抜付けと表裏の関係にある非常に大切な動きです。納刀が下手であれば抜付けもまたその域を出ないといっても過言ではありません。
納刀で大切なポイントは納刀の際に鞘を前に出す時も引く時も鐺をぐらぐらさせない事にあります。また、納刀の際に切先が鯉口に僅かでも入った時点で刀と鞘が反りなりに一文字になっていることが大切です。ただし、このような状態にしようとして上体をひねったり、柄手を無理やり伸ばしてはいけません。
納刀の稽古のコツは力みをなくし、静かに行うことです。
初心者の方のために記しておきますが、初発刀・左刀・右刀・当刀・陰陽進退などの納刀は納刀の動作をして鯉口から鍔元まで刀身が4・5寸(しごすん:約12㎝~15㎝)まで来たところから膝を下ろし始めます。また刀が鞘に入っていくときには静かに息を吐いていますので呼吸も忘れないようにしてください。
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- 2011/12/12(月) 21:25:15|
- 居合 業
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指導を受けたら二度と同じ指導を受けぬようにと務めて行わなければ上達はありません。業が急に上達するのは難しいことですが、それでも指導されたことを心がけていれば少しずつでも確実に上達していきます。問題なのは「視線を落とさない。」とか、「肘を伸ばさない。」とか「膝を伸ばしきらない。」といった心がけ次第ですぐにできるようになる指導を心にと留めておくことなく自分の興味関心のある事ばかりに目が行って指導されたことを忘れ何度も同じ指導を繰り返されることです。
すぐにできるようになる事というのは稽古をする上で基礎となるような事柄ですから、簡単にできるようになると思っても、それを捨て去ってよいというものではありません。稽古をするに当たってできて当たり前の事であり、出来ていなければ絶対に技が上達しないことなのです。
自分は道場でどのような指導を受けているのか思い出してください。
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- 2011/12/13(火) 21:25:04|
- 居合・剣術・柔術 総論
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初心の内に大切なことは、自分が体を動かして稽古するよりも上級者の動きを見て取るという事です。何がよいのかがわからずに稽古を重ねても目標がないのですから、どちらに行けば上達するのかも若いません。
さて、自分が体を動かして稽古するには体調がすぐれないが、出歩くことができるくらいの体調の時には道場に来て見取り稽古をしなければなりません。そのような日は見取り稽古に集中できるのですから自分が動かなければならない稽古よりも、よほど本質をつかむことができるはずです。
見取り稽古をするポイントは、どのように動いた結果、技が決まっているのか、その時の体の状態はどのような状態か、また心の状態はどのような状態であるのかといった根本的なところを見て取ることです。
居合であれば刀の動きを見ても仕方なく、柔術であれば技の手順を見ても仕方ないのです。そのもととなるものを見てとる稽古をしなければなりません。
裏庭になっている蜜柑です見栄えは悪いのですがとても甘く毎朝食べています。
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- 2011/12/14(水) 21:25:52|
- 居合・剣術・柔術 総論
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渋川一流柔術で初めて刃物に対する形が「打込」です。
「打込」の稽古をする時に注意しなければならない事の一つは間合いですが、懐剣を手にした相手は腕が長くなったと同じことですので遠くから仕掛けても懐剣は自分に届いてしまいます。間合いの間隔がいい加減であると捕ることはできません。
次に大切なのは「斬らせて捕る」という事です。この言葉を使うと「さあ斬れ」と居直ることだと感じる方もおられるのですが意味するところは心も体もむなしくしてただそこにある状態になりなさいという事です。形ですから相手の打ち込むパターンは決まっています。しかしそれに対して捕るぞ捕るぞと身構え心もそのように構えていれば実際には敵は動きを読んで異なるところへ仕掛けてきます。
相手が打ち込みたい様に打ち込ませて、それを捕る稽古をしなければなりません。
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- 2011/12/15(木) 21:25:20|
- 柔術 業
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写真を撮ることが武術の稽古に役立つという事はこれまでにも述べてきていますが、ただ漠然と写真を撮るよりは、その写真に工夫があった方が武術の感性も伸びていきます。
その状況においてどのような写真を撮ればよいのかを瞬時に判断して撮ることが武道における判断力につながっていくように思います。写真は次男が修学旅行で私のコンパクトカメラを用いて撮ったものですので、顔があまりわからぬように少し暗くしています。北海道で上の写真を撮ったとき、影も伸びており、瞬間的に判断してみんなにジャンプしてもらって写真を撮ったのだそうです。このような写真はよく見かけるものですから、次男の頭の中にはこのような写真の記憶がどこかに残っていたのかもしれませんが、その時には思い出してはいなかったそうです。
最近の写真はデジタルなので失敗を恐れずに色々と工夫することが可能です。カメラを持っている方はただ漠然と撮るのではなく様々な試みをしてみてください。きっと上達に役立つはずです。
18日(日)午前10時から廿日市天満宮奉納演武を行います。
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- 2011/12/16(金) 21:25:08|
- 居合・剣術・柔術 総論
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誰でも思い込みは持っています。しかし新たなことを始めるのに思い込みを待ったまま真実に心を開かなければ上達することはありません。
刀を振るにははタメを作り威力をためて下半身を固めて振り込むから力強く振れるのだとか、斬り込んだ時に瞬間的に体を固めるからびくともしないのだとか、投げるときには腰を固めて投げつけるのだとかいう思い込みは多くの人が持つもののようです。
そうではないのだと目の前で見せても、事象の外側しか見えないために自分の思い込みが正しいと錯覚を重ねられる人もおられます。
しかし物事を習うという事は真っ新な心でなければなりません。自分には「黒」と見えても「白」と教えられれば「白」であって「黒」ではなく、自分には「強く速く」とみえても「静かにゆっくり」と教えられれば「静かにゆっくり」なのです。
いつまでも思い込みを捨てられぬから難しいと感じたり、出来ないと思ってしまいます。思い込みを捨て素直に愚直に行うところから上達は始まります。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
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- 2011/12/17(土) 21:25:08|
- 居合・剣術・柔術 総論
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本日毎年恒例の廿日市天満宮奉納演武を行いました。
無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術の奉納演武を行いましたが、柔術をする子供たちの演武が素晴らしく上達しており、大人の皆さんの指導と子供たちの努力の成果だと感じました。一人一人の演武は日本武道館で演武しても、受け入れられるレベルの演武でした。
大人の皆さんも、居合も柔術も今日の演武は日頃の成果を十分に出しておられ、今日の演武を基礎にして伸びていければ上達も速やかであると感じました。今日どのような気持ちで演武されたかを忘れず、稽古を重ねていただきたいと思います。
奉納演武の運営もスムーズで私は何も心配もする必要がありませんでした。本当にありがとうございました。最近は土曜日の柔術の稽古日には九州に赴いたり武道史関係の調査などで抜けることが多いのですが、私がいなくても竹本師範を中心にしっかり稽古を重ねていただいていますので安心して自分自身の稽古や調査に取り組むことができます。これからも自ら自分自身を上達させる姿勢を忘れずに稽古に取り組んでいただきたいと思います。
廿日市天満宮から見た厳島神社です。廿日市天満宮は小高い桜尾城という城があった小高い丘の上にありますので、高い建物がなかった江戸時代以前にはずいぶん見晴らしがよかったのだろうと思います。廿日市天満宮は世の中が平氏から源氏に変わったとき鎌倉から厳島神社の神官として派遣されてきた藤原親実が1233年に守護神として鎌倉の天神を勧請したことにはじまり、時代を感じさせます。
昨日、土曜日には大牟田の師のもとに次男と一緒に日帰りで行ってきました。柔術の稽古をされる皆さんには申し訳ありませんが、年末に師に挨拶に行くのは当然の事ですのでお許しいただきたいと思います。先生のもとにお伺いすると、先生のおそばに居らせていただけるだけで私の心と技の至らぬところに気づかせていただくことができます。有難いことです。先生に稽古をつけていただいた後は初、二代大石進先生のお墓にお参りしました。次男を連れて行っていましたので大石神影流表十本を墓前に奉納することができました。写真は次男が撮った初、二代大石進先生のお墓です。
灯篭などはすべて門人から奉納されています。
初、二代大石進先生のお墓にお参りした後は道の駅の野良猫たちに会いに行きました。一か月に一度しか行かないのに、私を覚えてくれています。寒くなったので風邪をひいている猫たちもいるのですが、吹きさらしに住んでいなければならないのでかわいそうです。もともと猫は人間がいたから猫になったのであり、犬も同じです。それだけで、人間には猫や犬たちに責任があるのだと感じます。
久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2011/12/18(日) 21:25:54|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無双神伝英信流抜刀兵法詰合の「発早」「拳取」「岩波」などの形は詰合って座しているときに、打太刀が脛に抜付けてくるのを英信流表の「虎一足」のように後ろに下がりながら表鎬で張り受けに受けるところから形が始まります。
この始まりで、考え違いをしてお互いに刀を合わせに行くのだと思ってしまうと後の動きがスムーズにいかなくなってしまいます。また打太刀が脛に抜付ける間合いを間違って抜付けが届かないような動きを繰り返してしまうと遣方が前述したように刀を合わせに行く動作をせざるを得なくなります。
打太刀は遣方を導かなければならないので、打太刀の動作が不足なくできると同時に遣方の動きがまずい場合にはこれを導く余裕を持たなければなりません。
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- 2011/12/19(月) 21:25:53|
- 居合 業
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人は一度記憶したイメージをなかなか消し去ることができないようで、悪いものを目にし続けていたら、良いものと悪いものの区別がつかなくなり何が良いものかわからなくなるようです。
骨董の修行をするためにはよいものばかりを見続けなければならないと聞いたことがあります。また津軽塗の職人さんから聞いたことですが、初めのうちに下働きばかりして作業をさせてもらえないのは何が良いものか悪いものかわからぬうちに作業を始めてもよいものを作ることができないからだそうで、下働きの内に師匠の作品を見て目を養うのだそうです。
武術も同じで、初めに間違ったものを見続けて、それが良いものだと錯覚してそのイメージが残り続けていると、良いものと悪いものの区別がつかなくなるようです。稽古し続けてこの方が良いのだと頭で理解し体で体得し始めても初めの悪いイメージが後々まで尾を引くこともあります。このような時は稽古場以外での自分自身の稽古で自分自身によくよく言い聞かせ、自分の持つイメージを変えていかなければなりません。
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- 2011/12/20(火) 21:25:07|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法の英信流の座法を植田平太郎先生は「居合膝に座す」と記されています。またその要点を以下のように記されています。
「左踵の内側の所へ臀部を下し」
「右脛を稍々立て左膝頭と右向脛が一文字になり」
「右足の踏誥を下につけ正に立上らんとする態勢を云ふ」
大森流の正座と異なり英信流の居合膝は「左踵の内側の所へ臀部を下」すため、言葉を変えていうと足の内側土踏まずの部分に臀部をのせるため、正座よりも臀部の位置が低くなります。より地に近付くわけですから正座よりも安定した状態になります。
また右脛は股関節の力みを抜くためやや右側に倒れるものの、半身に座り「正に立上らんとする態勢」であるため、正座よりもすぐに不安定になる状態にあります、「正に立上らんとする態勢」をよっこらしょと立つ姿勢ととってはいけません。
このように非常に安定しながらすぐに不安定になってしまう座り方が「居合膝に座す」という事なのですが、現代人にとってはなじみのない座り方であるために難しく感じ苦手にしておられる方もあると思います。難しくさせている原因は一つには鼠蹊部の力みが抜けないことにあります。鼠蹊部の力みが抜けなければ「左踵の内側の所へ臀部を下し」という動きはできませんし「右脛を稍々立て左膝頭と右向脛が一文字になり」という状態も困難になってしまいます。
座法は正座も居合膝も家で稽古することができるものですので、しっかり家で工夫を重ねてください。
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- 2011/12/21(水) 21:02:41|
- 居合 業
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大小詰の抱詰の打太刀(受)について記しておきます。
抱詰は相手と詰合、相手が自分の柄を両手で抑え柄頭を床につけることによって刀を抜かせないようにするのを返します。道場でも述べた様に技にはその技がかかる条件というものがあり、その条件を満たしていなければ、同じ技を掛けても有効には作用しません。抱詰の場合には相手が自分に近接して柄を押さえるという条件がなければ相手を自分の左枠に転がすことはできません。少し間があればそのまま前方に相手の肘を決めておしまいにする方法しか取れなくなります。
したがって、初心者の方に稽古をつけるには、こちらがしっかり接近して技を掛けさせるように導かなければなりません。そうでなければ、上記のように肘をきめて終わるという方法を取らなければならないのですが、それでは初心者を導く稽古にはなりません。この点は気を付けなければなりません。
さらに初心者は技を掛けることばかりに気がいき、何が何でも打太刀(受)を転がそうとし腕力を用いることがあります。そのような状態になりはじめたら打太刀(受)はそれを指摘して正さなければなりません。
業がかかるポイントは腕力を入れないことです。
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- 2011/12/22(木) 21:25:19|
- 居合 業
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渋川一流柔術の礼式をたんに作法だとのみ心得ていては初心者の方が体の用い方に繊細になることはできません。礼式は昔は「ひきだし」とも呼んでいたようで渋川一流の技を生み出すもととなる動きを稽古しています。
履形の礼式を例に挙げてみると突いてきた受の手首を取りそのまま背を向けさせますが、この時にはあいてを腕力で操作せず、自分の体を用いて操作することを学ばさせられます。また、相手を押す動きもしかり腕で押すのではなく体で押しています。
次に両手の指先を壇中に位置させる動きも疎かにはできません。臍下を中心として動いてなければ方は上がり重心は上ずり、体の状態は崩れてしまいます。また脚を前後に開き両腕を開く動きも臍下で行えなければ体の調和が乱れてしまいます。
礼式を技ではないと安易に考えず、出来るまでしっかり稽古しなければ、動きの基礎はできてきません。
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- 2011/12/23(金) 21:25:29|
- 柔術 業
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上達の絶対条件は素直さであり、必要とされる資質があるとすれば、これもまた素直さです。ただ、最近は以前では考えられないような人間関係を構築しながら育ち、現代社会では犯罪を犯すことがなければ排斥されないので、そのまま大人になった方がいます。今までは述べる必要もなかったことですが、以下に述べることも上達のための絶対条件であり、必要な資質でもあります。
武術は言うまでもなく対人関係の中で成り立つ術技です。自分の内側だけで完結する武術は存在しません。砲術や弓術が人ではない的を狙うといっても、実際、何かがあった場合には生きて働く者が相手となります。
道場では兄弟子が弟弟子の相手をし、指導しますが、その指導を有難いと思い感謝する気持ちを持つことができない人は武術はむきません。稽古しても絶対に上達することもありません。人と人との関係がわからないからです。何かを自分のためにしていただいたら、感謝の気持ちを持つのが自然であり、感謝の気持ちを持てる人は人と人との関係がわかる人です。したがってそのような関係がわかる人は兄弟子よりも先に道場の掃除をし、兄弟子よりも後に道場の状態を確認して道場を出ています。自分ができることをしようと心がけるからです。
しかし、兄弟子は古くて沢山知っているのだから教えて当然、と考える人は、自分の事だけ済ましたら兄弟子や、道場の事はお構いなしです。このような人は人と人との関係がわからないのですから武術の上達はあり得ません。
幸いにして現在の貫汪館には駄目な方はいません。みな上達していけると思っています。
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- 2011/12/24(土) 21:25:21|
- 居合・剣術・柔術 総論
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片腕の重さが何kgあるか調べてみてください。
この重さを用いることができるかどうかで技が随分変わってきます。渋川一流柔術では「前車」や「襟捕」の形。無雙神傳英信流抜刀兵法では大小詰の「右伏」や「左伏」の形などで、自分の腕の重さが有効に働くという事が理解しやすいと思います。これらの形で自分の出の重さが有効に働くという事が理解できない方は力みが抜けず、体の各部に必要以上に力を用いていますので、澁川一流柔術の四留や無雙神傳英信流抜刀兵法の英信流表の「瀧落」でも腕の重さが有効に働いている事を理解するのはさらに難しいことだと思います。
もっと述べれば渋川一流柔術のすべての形や、無雙神傳英信流抜刀兵法のすべての形で腕の重さが有効に働いているのですが、体で理解できない方は工夫を重ねていただくしかありません。
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- 2011/12/25(日) 21:25:15|
- 居合・剣術・柔術 総論
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12月23日(金)午後、少林寺拳法本部で日本武道学会中四国支部会が開催され私も出席させていただきました。鳴門教育大学の木原先生が事務局としてお世話してくださり、少林寺拳法本部の新井先生が副会長として少林寺拳法本部の建物を会場として中四国支部会のために使用させてくださっています。今年が3回目ですが、今までは道場の奉納演武と重なっていたため出席できず、今年は奉納演武を1週間早めにさせていただき,出席させていただくことが可能になりました。
私は「土佐藩武市半平太の廻国修行について」という演題で武市半平太の二度の廻国修行で記録された英名録について発表させていただきました。その内容については明日以降の「道標」で大略を述べたいと思います。
また、《シンポジュウム》では『中学校武道必修化にあたり、武道の何を学ぶか』というテーマでお話をさせていただきました。発表者は以下の三人です。
○古武道指導の立場から
森本邦生(広島県立宮島工業高等学校)
○少林寺指導の立場から
荒井章士(少林寺拳法本部)
○剣道指導の立場から
木原資裕(鳴門教育大学)
指導者の関係から古武道が中学校の体育の授業に取り入れられる可能性は皆無に近く、日本古武道振興会や日本古武道協会は文部科学省に対して何ら働きかけをしません。日本武道館は文部科学省と強いつながりがありますが、日本武道館にとって古武道はお飾りのようです。
さて今日は丸亀城を写真で紹介します。丸亀城は京極家のお城です。初めて丸亀城に行ったのですが石垣の美しいお城でしたまた小高い山の上にあるので江戸時代には瀬戸内海の船の通行は一望にできただろうと思います。
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- 2011/12/26(月) 21:25:56|
- 武道史
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先日、日本武道学会中四国支部会で発表した「土佐藩 武市半平太の廻国修行について」について数日にわたり載せていきます。ただし表などは載せることが難しく、資料(剱家英名録を解読して全ての姓名を載せたもの)は省略します。今回は発表までに私の分析の時間が少なく、本当は各地の師範の経歴などにも触れたかったのですが、触れることはできませんでした。各地の剱術師範の中には幕末に佐幕・倒幕にかかわらず中心人物になったものもいます。
今日は 「Ⅰ.はじめに」 の部分のみです。
Ⅰ.はじめに
武市半平太(1829~1865)は土佐の下士で白札と呼ばれる階層に属した。土佐勤王党を組織したことで知られるが、一刀流と鏡新明智流をおさめ、道場を開き門弟に教授していた。万延元年(1860)と文久元年(1861)に廻国修行を行っている。
武市半平太の廻国修行については『武市瑞山関係文書』1)、『維新土佐勤皇史』2)、『武市瑞山と土佐勤皇党』3)などに記されているが、その詳細については記述されていない。また、『幕末斬奸録』4)には万延元年(1860)の廻国修行に同行した岡田以蔵の『道中控帳』から廻国の行程の大略が記されているが、現在『道中控帳』の所在は確認されていない。
本研究では武市半平太がのこした『剱家英名録』5)(写真1,写真2)二冊をもとに武市半平太が廻国した地域においてどのような流派が存在し他流試合を行っていたのかを明らかにし、江戸後期の各藩の剣術の動向に関する基礎資料としたい。
貫汪館ホーームページに会報第69号を載せました。お読みください。 下の写真は丸亀城の近くで食べた讃岐うどんの写真です。大変おいしくいただきました。
今日の豊平町の雪景色です。沢山雪が積もっていました。
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- 2011/12/27(火) 21:25:52|
- 武道史
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Ⅱ.武市半平太の武術の経歴について
武市半平太の武術の経歴を『武市瑞山と土佐勤王黨』3)より表1にまとめる。(※表になりませんのでお許しください)
表1 武市半平太 武術関係年譜
天保12年(1841)13歳(数え:以下同じ)一刀流剣術 千頭傳四郎に入門。
弘化 2年(1845)17歳 高島流砲術 徳弘孝蔵に入門。
嘉永 3年(1850)22歳 千頭傳四郎病死。
一刀流剣術 麻田勘七に入門。
麻田勘七より初傳伝授。
稽古場を構え、門弟を取立てる。
嘉永 5年(1852)24歳 麻田勘七より中傳伝授。
嘉永 7年(1854)26歳 麻田勘七より皆傳伝授
安政2年(1855)27歳 道場新築、叔父の槍術師範 島村壽之助と共同経営。
藩命により安芸郡奉行所の所在地田野へ出張教授。
安政3年(1856)28歳 藩命により赤岡の香美郡奉行所へ出張教授。
江戸の鏡新明智流 桃井春蔵に入門。
安政4年(1857)29歳 桃井春蔵より皆傳伝授。帰国。安政6年(1859)31歳
安政6年(1859)31歳 剣術寄合稽古諸事世話方の藩命を受ける。
万延元年(1860)32歳 四国・中国・九州廻国修行。
文久元年(1861)33歳 四国・近畿廻国修行
武市半平太の一刀流のはじめの師は千頭傳四郎であった。千頭は身分は低く足軽であったが、江戸勤めの間に剣術修行をし、免許を得て帰国したという。また、千頭病死の後に師事した麻田勘七は馬廻り麻田利大夫の次男で弘化3年(1846)に稽古料として三人扶持をうけ、後に藩校致道館の剣術指南役にも任じられている3)。千頭傳四郎と麻田勘七との関係は不明であるが、武市が伝授された伝書5)(写真3)からは師弟関係であったことが推定できる。つまり麻田は武市の兄弟子であったのではあるまいか。
武市半平太が修行した一刀流は『剱家英名録』1)には小野派一刀流とあるが、武市が伝授された伝書5)(写真3)から江戸の中西家によって伝えられた一刀流であることが分かり、武市半平太が早くから防具着用の稽古をしており、防具着用の他流試合に違和感を感じていなかったことが想像できる。また、そのことが江戸における鏡新明智流 桃井春蔵のもとでの修行を容易にしたことも想像に難くない。さらに廻国修行をも容易にしたのであろう。
安政2(1855)年、土佐藩において他流試合は解禁となるが、それ以前は一般的には行われず、無外流、小栗流は厳しく他流試合を禁じていた6)。しかし、天保8年(1837)に土佐中村の樋口真吉が柳河藩の大石進のもとに赴き、入門して修行し免許を得て大石神影流を指導したのは無外流の因習に反発したからであり7)、他流試合を行う流派は藩庁の他流試合の解禁以前にも土佐には存在していた。
香川県は富士山のような形をした山が多くあり写真もその一つです。角度を変えてみると人工的に作ったものではないかと思えるほど不思議な形をしています。
丸亀城から撮った写真です。
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- 2011/12/28(水) 21:25:18|
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Ⅲ. 廻国修行の経路と試合した流派・人数
1.万延元年(1860)の廻国修行
万延元年(1860)の廻国修行は門弟の岡田以蔵、久松喜代馬、島村外内の三人を同道して行なわれた3)。このことは廻国修行の受け入れ先の資料にも記されている。
長州藩の記録である『長藩ヘ来ル他藩人事』8)には「万延元年十月十二日」の記録に人名の誤字は多いものの「土州藩中武市平治岡田伊蔵久松清馬嶋村外内と申者昨夕明木宿参着馬壱疋届出候付如例様子相尋□候處剣術修行として茲罷越瓦町山下七三郎方江越着滞留之程未相分由申分ニ付不審之儀も無之継立仕□を候由同人より相届候事」と記されている。
また久留米の真神陰流師範である加藤田家文書の『稽古諸願控』9)(写真4)にも万延元年12月14日に武市半平太ら4名が試合に訪れた事が記されている。
廻国修行の経路は以下の通りである。また各地での流派名と試合門人数を表2(
※表は省略します)にまとめた。( )内に示した地名は藩庁所在地等の現在の地名。
8/18, 西讃円亀藩(香川県丸亀市) → 9/6, 岡山天城藩(岡山県倉敷市藤戸町天城) → 9/7, 岡山新田藩(藩主は岡山県岡山市居住、主邑は岡山県浅口市)、岡山藩(岡山県岡山市)→ 9/11,12,美作藩(岡山県真庭市勝山)→ 9/17,18,20備中松山藩(岡山県高梁市) → 9/22, 福山藩(広島県福山市) →9/22, 芸藩(広島県広島市) → 10/5, 岩国藩(山口県岩国市) → 10/7, 徳山藩(山口県周南市徳山) → 10/9, 防州右田(山口県防府市) → 10/12~17, 長州藩(山口県萩市) → 10/24, 筑前秋月藩(福岡県朝倉市秋月) → 10/29, 西肥唐津藩(佐賀県唐津市)→ 11/9, 肥州佐嘉藩(佐賀県佐賀市) → 11/11, 西肥蓮池藩(佐賀県佐賀市蓮池) → 11/13~18,久留米藩(福岡県久留米市) → 11/21,22南筑柳河藩(福岡県柳川市) → 11/23, 柳河藩宮部(福岡県大牟田市) → 12/2, 岡藩(大分県竹田市) →12/8, 延岡藩(宮崎県延岡市) → 12/11, 高鍋藩(宮崎県児湯郡高鍋町) → 12/13, 佐土原藩(宮崎県宮崎市佐土原町) → 12/17, 飫肥藩(宮崎県日南市飫肥)
2.文久元年(1861)の廻国修行
文久元年(1861)の廻国修行は江戸に出るという主たる目的のついでに行われたもののようであり、数か所でしか試合を行っていない。小笠原保馬を同道している。
『武市瑞山と土佐勤皇党』3)では「剣術修行の名目で暇を請ひ、自由な旅を続けたもので、内心或いは窃かに期する所があったのであろう。」とのみ述べ、試合については触れていない。また、『維新土佐勤皇史』2)にも試合については触れられていない。江戸では長州藩の久坂玄瑞や桂小五郎と交わり、初めて土佐勤王党同士血判盟約書を作っている2)。
廻国修行の経路は以下の通りである。また各地での流派名と試合門人数を表3(
※表は省略します)にまとめた。( )内に示した地名は藩庁所在地等の現在の地名。
4 /24 , 西讃円亀藩(香川県丸亀市) → 5/1, 龍埜藩(兵庫県たつの市) → 5/12, 京都(京都府)→ 5/17,伊賀(三重県伊賀市) → 5/21, 津藩(三重県津市)
下の写真は日本武道学会中四国支部会が行われた少林寺拳法本部の建物の一部です。さすがに手入れが行き届いており、行としての武道であることを感じさせます。
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- 2011/12/29(木) 21:25:44|
- 武道史
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Ⅳ.まとめ
1.流派名・師範名の記載がない藩
万延元年の『剱家英名録』中、流派名・師範名の記載がないのは岡山天城藩、福山藩(誠之館)であり、文久元年の『剱家英名録』では伊州藩(伊賀精武館)、津藩(津藩演武荘)である。これらの藩では試合や、稽古に関して流派の垣根が低くなっていた可能性がある。
福山藩では流派にかかわらず初段、二段、三段という段位制がとられており、流派を超えた共通の実力の尺度が模索されていた10)。
「伊州藩」での試合は津藩の領地である伊賀での試合であり、津藩と同じ理由で流派名・師範名の記載がないものと思われる。土佐藩の樋口真吉が津藩で試合を行った嘉永5年(1852)9月18日の日記の記録には「目付役出て挨拶アリ、試合両側ニ立ル人数三拾餘人、分相を貪る事甚劣ナリ、拙堂之意如何、黄昏終る」とあり、19日の記録にも「暫有て人数廿餘人出来り、三輪ニ組て試合、午前ニ終ル」とあり、流派ごとの試合はなされていないことが分かる。また、同じ日記の記録に津藩の武場の壁書が記されておりその最後に「諸流之花法ハ各同しからすといへとも試合ニなり候而は刺撃之二ツに帰し候間、相互ニ打解け彼長を取り己か短を補ひ、他流之批判妄ニ致間敷候事」と記されている11)ことから、津藩でも試合に関しては流派間の垣根は低かったものと推定できる。
2.塾生のある流派
万延元年の『剱家英名録』には他藩からの塾生を有する流派の記載がある。東備(岡山新田藩)の直心影流、美作藩の神道無念流、久留米藩の直心影流・津田一傳流・真神陰流、岡藩の直指流・抜討流である。直心影流や神道無念流、津田一傳流、真神陰流などは早くから防具着用の剣術を行っていた流派であり、防具着用の試合の技術の優れた流派に他藩から留学したものと考えられる。
直心影流や神道無念流は江戸を中心とした流派であり、他地域で行われた流派がその地方に根付いた例である。これらのほかにも高鍋藩には大石神影流と津田一傳流が、飫肥藩には大石神影流が行われており、防具着用での試合の技術を有した流派が他地域に広まっていく傾向を読み取ることができる。(写真はくるめの加藤田家の塾生)
Ⅳ おわりに
土佐の武市半平太が残した『剱家英名録』を分析する事によって、万延元年(1860)と文久元年(1861)に半平太が訪れた地で行われた流派の状況について知見を得、今後の研究の基礎資料とすることができた。引き続き他の英名録等を調査する事によって年代によって各地でどのような変化が起こっているのかを確認したい。
本発表に当っては次の方々に御指導とご協力を賜りました。
高知県立歴史民俗資料館の皆様
広島県立文書館 西村晃様
(財)飫肥城下町保存会飫肥城由緒施設学芸員 長友禎治様
広島県広島市在住 森本凱己様
心より御礼申しあげます。
註
1)『武市瑞山関係文書』第一・第二、編集兼発行:早川純三郎、大正5年、日本史籍協会
2)『維新土佐勤皇史』瑞山会、大正元年、富山房
3)『武市瑞山と土佐勤皇党』平尾道雄、昭和18年、大日本出版社峯文荘
4)『幕末斬奸録』山下白雲、昭和2年、龍文館
5)高知県立歴史民俗資料館所蔵資料、武市家文書
6)『平尾道雄選集第4巻 土佐・武道と仇討ち』平尾道雄、昭和55年、(株)高知新聞社
7)『樋口真吉 第一回廻国修行日記について―大石神影流の土佐への伝播―』、森本邦生、日本武道学会第42回大会発表資料
8)山口県文書館所蔵、毛利家文庫
9)九州大学附属図書館付設記録資料館九州文化史資料部門所蔵資料、桧垣文庫
10)『誠之館一件帳 弐番』福山城博物館友の会編集
11)『土佐藩大石神影流樋口真吉の廻国修行について‐嘉永5年の廻国修行を中心として‐』
森本邦生、日本武道学会第44回大会発表資料
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- 2011/12/30(金) 21:25:39|
- 武道史
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日本武道学会中四国支部会の、《シンポジュウム》で『中学校武道必修化にあたり、武道の何を学ぶか』○古武道指導の立場からというテーマで話をしましたが、これほど困難なテーマはありませんでした。
何故かというと現代武道は柔道でも剣道でも、また合気道や少林寺拳法でも何のために学ぶのかという明確な目的があるのですが、いわゆる古武道には「何々のために学ぶ」というスローガンはないのです。また、何を学ぶかといっても実用の武術ですから基本的に技を離れて古武道は成り立ちません。技を学んでいるのです。
それは津軽塗や友禅染の職人さんに「それぞれの伝統工芸に何を学ぶか」と問うようなものでおそらく職人さんたちは何かを学ぶためにしているのではなく良い作品を作るために仕事をしているのだと答えられるでしょう。
しかし、そうはいっても技を学ぶことによって副次的に得られるものがありますのでそのような事にも触れなければなりません。
パワーポイントを用いて以下のように話を進めめました。もう少し理詰に論理が展開できるようにもっと考えなければなりません。
『中学校武道必修化にあたり、武道の何を学ぶか』 古武道指導の立場から難しいテーマである理由 古武道は流派武術であり、剱術・柔術 槍術という種目分けは可能だが流派によってその考え方は異なる。 したがって、現代武道の剣道や柔道のように組織による統一した価値観が存在しない。
私の武道歴(写真を入れて)
無雙神傳英信流抜刀兵法
土佐の居合で細川義昌から香川の植田平太郎を経て伝えられた居合で現代居合道化していない居合
澁川一流柔術
江戸時代後期、広島で首藤蔵之進が渋川流と難波一甫流・浅山一伝流から開いた流派
大石神影流剱術
柳河藩の大石進が開いた剱術流派
銃剣道
短剣道
幕末期にオランダから取り入れられ、日本化が始まった現代武道であり、現代においても実用的なものでもある。
学校教育での古武道の指導経験(月刊武道の記事を紹介しながら)
広島県安芸郡府中緑ヶ丘中学校 平成八年度選択授業での柔術の授業
古武道の定義(仮) 古武道協会でも古武道振興会でも定義づけがなされていないため
明治維新以前に成立した流派武術古武道の特徴 1 武器を持ち、または持たずに自分の身を守るための技術を身につける。したがって、ルールはなくあらゆる事態に対応する必要がある。また、1種目の武術だけではなく多種目の武術が併修されることが多い。
1、長久手合戦屏風図の絵図の表示(合戦では様々な武器が同時にもいいられることを例示)
2、大石神影流剱術 手数目録、無雙神傳英信流抜刀兵法 形目録、澁川一流柔術 形目録を配布
剱術が剱だけを用いるのではなく、居合が素抜き抜刀術だけではなく、柔術が素手だけで行うものでないことを説明し、
いずれの流派も剱術・抜刀・柔術の表記にかかわらず他の武術の技を包含している。 3、江戸時代後期の武術の併修の1例
(片岡健吉の安政6年2月の稽古記録:馬術・大石神影流剱術・無双神伝流抜刀兵法・高木流體術) 日記 日記に様々な武術が稽古されている音を示す。
古武道の特徴 2 江戸時代あるいはそれ以前に作られた形・礼法を有し、その形や礼法を基本として稽古を行う。
大石神影流剱術・無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術 の霊峰を写真で例示
古武道の特徴 3 古武道は基本的に一つの流派に師は一人であり、その流派において師から弟子へと知識の蓄積が伝えられる。
口伝と記された伝書(居合心持引歌)の写真を例示
結論:中学校武道必修化にあたり、武道の何を学ぶか』 ― 古武道指導の立場から -
その時代に生きた人の生き残るための技と心を学ぶ。 その時代に生きた人の生き残るための知恵を学ぶ。 その時代に生きた人の武術の歴史を学ぶ。 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 昨日、裏山の八朔を収穫しました。17年位前に裏庭から裏山に移植したのですが、すでに大きくて一人では運べないため枝を大胆に切り落として運びました。枝を切りすぎたためか10年以上実がつかなかったのですが、何年か前から再び実をつけるようになっています。猿は八朔が苦手なのか食べられたことがありません。
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日
荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は
無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
- 2011/12/31(土) 21:25:55|
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