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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

加藤善右衛門の教え 5

加藤善右衛門の高槻藩士藤井又一に対する教えです。

今日先生ニ聞ケバ、後手上リ後手ノ上ラヌ様ニ突出シ躰スラヽヽカケ引ノスル様遣へき事被申ル也

 突くときに右手が高くなっていたのでしょう。大石神影流の手数でも左手が高くなっている人もいます。また、体が重く(緊張や突こうとする思いから体がかたくなり)すらすらと進めなかったのだろうと思います。

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  1. 2020/07/01(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 6

加藤善右衛門の高槻藩士藤井又一に対する教えです。

稽古ス、先生ニ尋ハ、今の所ハ躰カタクナラヌ様ニ仕、外ハ宜敷也

防具着用の稽古で突こう、つかれまいとして体が緊張していることを戒められたのでしょうか。


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  1. 2020/07/02(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 7

高槻藩士藤井又一に対する加藤善右衛門の教えです。

稽古ス、八面仕、此節仕所先生ニ聞ハ、先手はのヒテアレ共躰後江ヒケル也、コシ(註:腰)フトイレ、躰ヤワラカニシテ足のスラヽヽトスル様ニ仕也、突身ハ少持様ニ(註:待様ニカ)相也先ヲ取ル其心思ニ而仕事

 藤井又一は同じ癖がなかなか治らなかったのだと思います。体が後傾することや足が固まっていること、待ち受けになっていることを指摘されています。

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  1. 2020/07/03(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大島流槍術の突きどころ

 大石進種次は大島流槍術の師藩であり、子の大石雪絵、孫の大石一も大島流槍術を習得していました。大島流槍術の防具を着用したときの突きどころは大石進種次の門人等の日記には記されていませんが、同じ柳川藩の村上一刀の流れの加藤善右衛門の弟子である高槻藩の藤井又一の日記には記されています。一部ですが抜き出してみます。

稽古ス、谷川進吾と式合、八本内能キ面二本・腹巻二本突也

今日同藩宗川熊五郎と試合、三本ツヽ仕、始槍表面突、二本メ敵ヨリ浦面(註:裏面)ヲ被突、三本メ我浦面ヲ十分ニ突也


 面と胴以外の突きどころは記されていないため 大島流の防具着用稽古での突きどころは面と胴であったと考えられます。大石進種次は一刀流や直心影流の防具ではなく大島流槍術の防具を改良して剣術に用いたと考えるほうが自然だと思います。

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  1. 2020/07/04(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 8

加藤善右衛門の高槻藩士藤井又一に対する教えです。

今日稽古スレハ調式能出面白、谷川氏ト仕、十本之内壱本負、九本迄突、其より先生ニ只今ノ仕所ヲ聞ハ、当春頃とハ余程先カヽリ上達ト被申事、我心思、谷川ハ兼而表面ヲアケテオリ表ヲ突テ行のヲ承知也、表面ヲ不突敵の槍先ヲさハリ腹巻ヲ突事覚也、

上達したことを褒められています。また自分より上位の相手に対してその裏をかく技を覚えたようです。

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  1. 2020/07/05(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 9

 高槻藩士藤井又一に対する加藤善右衛門の教えです。

稽古ス、先生ニ聞ハ、只今の所ハ後手ヰカリ、業ヲ掛ルヲ後手上リ後手の上ラヌ様ニ仕ハ宜敷ト被申也、扨小身の者ヲ仕時ハ引請ヌ様ニトの位、小身ニ而も仕時ハ心ヲゆルマヌ様仕事、

後ろ手が上がることをまた指導されています。癖なのでしょう。また自分より下位の者に対するときにも受け身とならないように、心が緩まぬように対等に試合えということでしょうか。

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  1. 2020/07/06(月) 21:25:25|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

加藤善右衛門の教え 10

加藤善右衛門の高槻藩士藤井又一に対する教えです。今回で終わりにします。

稽古後ニ而先生ニ聞は、只今の所は随分宜敷、乍就始突出ス槍敵の槍先ヲナブラフ様ニシテ突ハ先外ハ宜敷事被申也

突くときには相手の槍敵の切先から自分の切先を離さず、ねばく、すらせるように突き込めということでしょうか。

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  1. 2020/07/07(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

青龍、左沈

 大石神影流の稽古で気づいたところを少し述べていきます。
 青龍、左沈で打太刀の切り上げる刀を払ったあとに前方に進むとき、ただ前に進んで斬ることのみが頭にあり仕太刀がさらにもう一太刀斬りこんでくることを想定していない動きになっていることがあります。いついかなる時にも自由でなければなりません。自分の動きを確認してください。青龍や左沈の打太刀の二太刀目はもともとそういう意味合いがあります。三太刀目、四太刀目もあることを考えなければなりません。
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  1. 2020/07/08(水) 21:21:00|
  2. 剣術 業

十文字

 十文字は試合口で用いるような張る動きがあります。上級の形だからと早く動こうとしてはいけません。初めの受ける動きは相手の太刀と結ぶ動きです。相手の太刀と結ぶことなく張っても、それは自分だけが動いており相手を崩すことにはつながりません。受けたときに接点を通じて自分と相手がつながっているかを確認してください。

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  1. 2020/07/09(木) 21:25:00|
  2. 剣術 業

夜闇

 夜闇も十文字と同じ心が必要です。夜闇は張るわけではありませんが切り結んだ時には仕太刀は打太刀とつながっていなければなりません。つながっていない場合には打太刀が振りかぶるのを見てから小手に切り込んでしまいますが、つながっていれば打太刀が振りかぶる動きにつれてそのまま小手に切り込む動きが生まれます。自分の動きがどうなっているか確認してください。

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  1. 2020/07/10(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

乱曲

 小手を防ぐ動きが小手先になっているか肚中心に刀に重みが乗っているかで次の動きが変わってきます。仕太刀で小手を防いだ後に上段に取ろうとしてしまう癖がある方は小手先で(上半身だけで)動いている可能性があります。臍下丹田を中心に防ぐときには体のゆるみとわずかな落下を用いれば上段に取ろうとする癖は改善されます。

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  1. 2020/07/11(土) 21:25:00|
  2. 剣術 業

 仕太刀が気先をかけて三歩進んだ後に打太刀が附けから中段に取るときに焦って早く動いては仕太刀を導くことができません。気先をかけた後の残心が全くなくなってしまうのです。すべての手数の稽古に言えることですが、門人に通り一遍の形を覚えさせるためのような稽古をつけるだけでは門人は上達しません。

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  1. 2020/07/12(日) 21:25:00|
  2. 剣術 業

曲満

 仕太刀が攻め込んでいき、最後内腿に切り込んでから、右片手でお互いに抜き放した時には間合いが遠くなっています。そのために大きく片手で切り込みますが、この時離れすぎていて片手で切り込んでも相手にたわないような場合があります。そういうときには打太刀はさらに進んででから斬りこむようにしてください。手順に忠実に手数をおこなっても、間合いをいい加減にしてしまうと大切なものが身につきません。

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  1. 2020/07/13(月) 21:25:00|
  2. 剣術 業

斬段

 斬段も十文字と同じで受けて張りますがうけたところで相手とつながらず焦って張っても打太刀の中心は崩れません。大切なのは受けたときに打太刀の中心とつながるところです。

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  1. 2020/07/14(火) 21:25:00|
  2. 剣術 業

 大石神影流では基本的に鎬で相手の刀を受けます。簡単なようですが鎬で受けているつもりで実際には刃で受けている方が多く見受けられます。
 原因の一つは握り込みすぎて手の内で柄が動いていないことにありますが、多くは角度に対する認識が甘いように思います。思っている角度よりも大きい角度の変化が必要です。工夫してください。

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  1. 2020/07/15(水) 21:25:00|
  2. 剣術 業

武道の危うさ

 武道というのは諸刃の剣で正しく導かれ正しく稽古すれば修行にもなりますが、少しでも道を間違えば邪になるために稽古をしているような結果になります。
 これは「武」がもつ業のようなもので、多くの人の武道を始める理由の一つに人よりも強くなりたいとか人に負けたくないとか他者と自己を比べて少しでも優位に立ちたいというものがあるからです。これは様々な形で現れてきます。
 技の面で人よりも優れて見られたいと虚飾を誇るのはまだかわいいものですが、古武道の組織の中で力をえたい、自分がいなければ組織は動かないとみられたい。自分に頼ってくれば融通が利く。こういう考え方に落ちいってしまう人が少なからずいます。自分が古武道のためにお役に立ちたいというのとは全く異なった行動です。また、自分は武道に関してこんなに知識があると誇る人もあります。武道学会で武道史を研究されておられる先生方の研究態度とは全く別物です。
 自分もそのような邪な道に落ちるかもしれないということを常に思い、自分自身に気を許さずに、道を踏み外さないように稽古していかなければなりません。
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  1. 2020/07/16(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

流派ごとの特徴 1

 幕末、特に天保の頃までは試合においても流派ごとの特徴が顕著に表れています。大石進種次が江戸で突き技と胴切りを広めるまでは突き技や胴切りは江戸ではあまり行われていません。九州では文政5年には大石進種次は竹刀・防具を改良しおえて中津藩の小野派(中西派)一刀流の長沼無惣右衛門と試合し、久留米藩などでも試合していますので江戸よりも早くから突き技や胴切りが行われていたと思います。
 天保7年に柳河藩の笠間恭尚により記された『他流試合口並問對』に表れる各流派の特徴を記しますので、どの流派の特徴であるか考えてみてください。
 
 「一本勝負に遣ひ、流儀の五本目のかまへにて走込、我思ひ込処を無邪念打、表裏を成事、畜生心とて武士の志にあらすとて、大に嫌ふ也。」

 九州の流派です。「走込」「表裏を成事、畜生心とて武士の志にあらす」というところに特徴があります。

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  1. 2020/07/17(金) 21:25:00|
  2. 武道史

流派ごとの特徴 2

 次は全国的に流布した流派の一つです。当時の他の記録を見ても、この流派についてはおおむね次のような記述がみられます。

 「清眼之構。突は不用。勝負を貪る事多し。其心得有へし。」

 長い間胴を用いなかった流派で、他流試合をするときには帯のようなものをまいていたといわれます。「勝負を貪る事多し。」というのは当時は審判はおらずお互いに打突の有効性を判断していたのですが、この流派は先に相手から打たれていてもあとから打って自分の打ちのほうが強かったと、勝ちを主張した流派であったことが他の資料からもうかがえます。

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  1. 2020/07/18(土) 21:25:00|
  2. 武道史

流派ごとの特徴 3

 この流派も全国的に広まった流派です。

「上段の構。拳を打事早し。又取付上段より面え打込事も早し。手本ニ入込、脇腹を打。突は無しといへとも、当事他流専ら突を用故、突も多く用ゆる也。一本勝負にて休ミ、息間を考へ又相手の虚を見、立上り試合す。仍て休内無油断心得へし。」

 「上段の構。拳を打事早し。」というところに特徴がありましたが、やがてこの特徴もなくなっていくようです。また、「一本勝負にて休ミ、息間を考へ又相手の虚を見、立上り試合す。」というところも特徴で、この特徴もやがてはなくなりますが佐賀藩のこの流派ではおそくまでこの特徴が残っていたようです。

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  1. 2020/07/19(日) 21:25:00|
  2. 武道史

流派ごとの特徴4

 昨日の記述の補完です。嘉永5年7月29日の土佐藩の樋口真吉の廻国修行日記に昨日の流派とタイ捨流・鉄人流について以下のように記してあります。

「試合一本宛折鋪立合い、急ニ掛リ分合をせる仕口、惣而旧日之如し、可思人才、教導之難き事」

 大石神影流の樋口真吉にとっては勝負をむさぼるような試合の仕方は純然たる他流試合の趣旨からは離れているという認識があったのだと思います。

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  1. 2020/07/20(月) 21:25:00|
  2. 武道史

流派ごとの特徴5

 二日間述べてきた流派の中で、その流派を代表しているくらいに有名な人ではありますが、その流派の使いようとしては異質な人物についての記述です。誰についての記述か考えてみてください。大石進種次も試合し、二代目の大石進種昌が嘉永4年に江戸の藤堂邸で桃井春蔵などと試合したときには、この人は高齢で試合はしていませんが、種昌に「お父さんによろしく」といった人物です。
 次の文章の(  )に名字が入ります。

「当流の試合口は右の通りたりといへとも、当時(  )先生は是と異なり、清眼に構へ、一本勝負にて無之。此先生は専ら他流試合有之故か、突も用ひらる。諸手突、片手突ともに有之。其心得有へし。」

 この記述がある『他流試合口並問對』は天保7年に書かれています。大石進種次が江戸でこの人物と試合したのは天保4年ですから、「諸手突、片手突」は大石進種次と試合した後にすぐ始めたのだと考えます。

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  1. 2020/07/21(火) 21:25:00|
  2. 武道史

流派ごとの特徴6

 この流派の記述からはどの流派の記述かわかりにくいかもしれません。有名な流派ですが、防具を着用するようになった中津藩の師範の頃から稽古する人数が増えたようです。

「清眼の構。業多し。突も有之。右の小手打事早し。手本ニ入込、太刀を押付る。其訳は相手の刀ミねに掛、手前え引つくる。真剣なれハ、ミねに刃切込。相手弱けれハ、刀も取落すものゝよし。仍て其心得肝要也。刀の丸ミねを此流儀にて用ゆるは其為也とて、惣して躰の当り強し。是をふせくに口伝有。又手本にて脇腹を打事能心得有へし。」


明治大学の長尾先生のご研究『試合剣術の発展過程に関する研究』にはこの流派について「其体は,竹刀を下段にもち,此方の胸板より面へかけてつき,左右の小手を打,胴 を打つ」とあります。

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  1. 2020/07/22(水) 21:25:00|
  2. 武道史

流派ごとの特徴7

 この流派についてはすぐにわかると思います。かなり全国的に流布している流派です。、明治以降に脛打ちは卑怯ということで衰退したとされていますが、当時の記述には竹刀で床を叩きまわり、大声を上げ隙を見て脛を打つということも記してありますので、美意識の問題であったのかもしれません。

「上段の構。すねを打事を主とすと云へ、予いまたこゝろミす。」

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  1. 2020/07/23(木) 21:25:00|
  2. 武道史

流派ごとの特徴8

 『他流試合口並問對』からはこれで最後です。槍術流派についての記述もありますが、また、いつか。
 下の記述は有名な江戸の流派についての記述ですのですぐにお分かりになると思います。長州のこの流派の師範である〇〇は江戸で手直しを受けた後、長州藩主に頼み(という形をとって)大石進種次に入門し試合剣術を習っています。

「是ハ他流試合を不致。此流儀にてハ、専ら相手の気を取事を主とすと云へり。譬へハ途中にて無拠真剣勝負等致時、往来見知らずの人にもせよ、何某好時分御通り掛り被成、御助太刀被下候抔と言葉を懸、相手の気を取候て勝を取事多しと聞。」

 面白い真剣勝負の方法です。

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  1. 2020/07/24(金) 21:25:00|
  2. 武道史

取り組む姿勢(道をそれないために) 畝先生のお考え

 澁川一流の師 畝重實先生はこのような話をしてくださいました。
 「柔術は人と勝ち負けを競うものではなく、また何の役に立つということはないけれども、あれば何かあった時に心強いもの。」つまり澁川一流柔術の技は人と争うためにあるのではなく、万が一何かあった時にあれば身を守れるものだとおっしゃっていました。
 また、活かしについては、実際におぼれた人などを助けられたこともあり、これも何かあった時に役立てばよいものという考えを持っておられました。
 強いとか弱いということには言及されることはなく、実技の面においても社会生活においても人と争い自分が上に立ちたいという思いを持つことを否定しておられました。

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  1. 2020/07/25(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

取り組む姿勢(道をそれないために) 梅本先生のお考え

 無雙神傳英信流の師梅本先生は私を導いてくださるときに以下のようなお話をしてくださいました。
 「正しく動いて斬られたのであれば仕方ないと思わなければならない。」

 その頃、私は年齢的に若く、相手を斬るということに強い思いがあり、それを正してくださいました。梅本先生にとっては居合は心と体を正す修行ででした。「正しく動いて斬られたのであれば仕方ないと思わなければならない。」という考えがわからなければ無雙神傳英信流の習得は難しと思います。

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  1. 2020/07/26(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

取り組む姿勢(道をそれないために) 大石先生のお考え

 大石神影流の師 大石英一先生が教えてくださったことで最も印象的だったお話は以下のお話です。
 「祖父は校長を務め、また村長や市会議員もしていたので多くの来客がありました。来客を玄関までお見送りするのは私の務めでしたが、来客が帰られた後に祖父は私に、どのような帰り方をしたかを尋ねました。ある人は丁寧にスリッパをそろえ、ある人は脱ぎ散らかし、ある人はスリッパを拝むようにして揃えられました。子供に対して丁寧に挨拶して帰る人もあれば、子ども扱いして帰る人もいました。何年もたってから祖父はその人たちが現在どのようになっているかを話してくれました。帰られていく態度に相応したような現在があったように思います。」

 大石家では武道とはそのようなものとして教育が行われていました。大切なのは日常生活での人の行いであったのでしょう。

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  1. 2020/07/27(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

構え

 大石神影流の構えは半身に構えますが形だけを半身にすればよいというものではありません。足を外に向ければ事足りるのではなく、足首、膝、鼠径部上半身とつながっていますので、足首、膝、鼠径部のどこかに無理があり、歪みがあれば正しい構えになりません。また、正しく動けていなければ正しく構えていても構えは崩れてしまいます。
 自分の動きに繊細になり、無理や歪みに気づいて正してください。一人稽古が大切です。

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  1. 2020/07/28(火) 21:25:00|
  2. 剣術 業

四留

 四留は受が捕の両手首をとり両手を使うことができない状態にする形です。この時、受が中途半端に捕の手首をとると全く捕の稽古にはなりません。捕が臍下丹田を使って動くことができるように捕を上達させるためにもしっかりと両手首をとることが不可欠です。

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  1. 2020/07/29(水) 21:25:00|
  2. 柔術 業

枠型

 枠型は四留の条件がさらに厳しくなったものと考えてください。受は捕の両掌を合わせて両手を動かなくします。このときに受が中途半端な動きをして捕之両手が開く状態にあると稽古に花臨戦。しっかりと密着させてください。この条件の中で捕が技をかける工夫をするので高いレベルの稽古になります。

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  1. 2020/07/30(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

投げ捨てない

 他の素手の武道を経験された方が渋川一流柔術の稽古をされると、受を自分から遠くに投げようとされる傾向があります。
 渋川一流柔術では捕は受と一体になりますので投げ捨てるということはなく捕が受との関係の中で動きの中心となって動き、結果として相手が投げられた形になります。したがって捕の感覚からすると、すべては自分のうちで起こる事象になります。工夫してください。

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  1. 2020/07/31(金) 21:25:00|
  2. 柔術 業

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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