柔術を中心に稽古される方には呼吸が浅い方が多いようです。
渋川一流柔術には形数が多いためか、形を覚えることに頭を働かせているので呼吸が疎かになっており、そのまま稽古を重ねるために或程度稽古が進んでも呼吸が浅いままなのだと思います。
呼吸に基づかない動きは非常に弱く脆いものです、また呼吸に基づかない動きは作った動きであるためにどのように動くか相手にすぐ分かってしまうものです。
自分の動きを省みてください。
高知県佐川町の青山文庫の庭園です。資料を閲覧するには1点2000円の閲覧料を払わねばなりません。学芸員の方が申し訳なさそうに条例で決められているので私にはどうしようもないのですと話されました。
そんな大きなお金を払えるわけもなく、資料の撮影は断念しました。驚きました。
- 2014/06/01(日) 21:25:56|
- 柔術 業
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何度か述べていると思いますが、気合いは声を出すことではなく呼吸に声が乗らなければなりません。
声を出そうとして気合いを掛ければ喉中心に音を出そうとするため、重心は浮き気合いを掛けない状態のほうがよいといった状態になります。あくまでも肚で呼吸をし、肚から出る息に声が乗るものでなければなりません。工夫しなければ出来るようにはなりません。
高知県佐川町のお寺への参道です。趣がありました。
- 2014/06/02(月) 21:25:57|
- 居合・剣術・柔術 総論
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古武道は、その本質を変えてはならぬもの、変えないためには少人数で稽古して伝統を保ったほうがよいものだという考え方があるようですが、無駄なあがきのように思えます。
時の流れの中で文化は変わり、考え方も変化します。そのような変化する背景があった中での古武道です。全く変化しないのであれば様々な流派が生まれてくる事はありませんでしたし、袋撓やコミ竹刀、防具といった道具も生まれてくる事はありませんでした。また稽古する木刀の長さも流派によって定まっていますが、現代人のように身長が高くなってしまうと同じ長さの木刀を用いることが動きを変えてしまい、本質は変えていないと思っていても知らないうちに変えてしまっているのです。
高知県佐川町には酒蔵があります。
- 2014/06/03(火) 21:25:41|
- 居合・剣術・柔術 総論
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変えてはならぬものがあるとすれば、形の手順と本質的な「自由」でしょうか。
形の手順がころころ変わるようでは、体系をもった流派とはいえなくなってしまいます。また相手との関係で自由でなければならない武道が見栄えを考えるばかりに自由であることを捨ててしまえば武道ではなくなってしまいます。
ただ、形の細部に至っては何cmといった決め方はできるものではありません。自由を損なってしまうからです。大石神影流では人によってやりやすいように小さな変化は許されています。体つきが個々で異なるからです。
先日咲いた蜜柑の花はもう小さな蜜柑になっています。
- 2014/06/04(水) 21:26:12|
- 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館の指導はあくまでも個人教授が基本です。同じ時期に稽古を始めたからといって同じ時期に同じ形を稽古する事はありません。人によって習得の早さが異なるからです。
無雙神傳英信流抜刀兵法であれば正しく座れるようになっていない人に形を教えることはあり得ません。同じ回数基本を稽古していても、個々の育ってきた過程は異なりますし、身につけてきたものや身につけるべきでなかったものも異なります。早く座れるようになる方もあれば、いつまでたっても座る形を作られる方もあります。座る形を作られる方に初発刀をお教えしても、形を作ってしまうだけです。
大石神影流も同じことです。構えもできず素振りもできないのに手数を教えても真似ごとをしているにすぎません。お遊戯のレベルを出るものではないのです。
指導されている方は習う方を上達させようと考えられるならば、心を鬼にして個人に応じた指導をしなければなりません。
家の片隅のほったらかしのサボテンに咲いている花です。
- 2014/06/05(木) 21:25:47|
- 居合・剣術・柔術 総論
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澁川一流柔術の形は大切な部分だけを集めたエッセンスのみを稽古しています。
本来であれば大石神影流や無雙神傳英信流の太刀打のように間合を取ったところから始まり接近して受けが仕掛けるという動きがあるべきでしょうが稽古においては省略されています。
したがってその部分を安易に考え形の稽古とは手順を繰り返すことと勘違いされる方もいます。理解できている方は相手の呼吸を読み、動きを見て仕掛けますが、そうでない方は相手の状態にお構いなく仕掛けておられます。また捕の稽古をされる方も安易に考えておられる方は受が動いてからが稽古だと勘違いしておられます。その前に受の状態を観察し、呼吸を読み、心を読まなければなりません。
柔術の稽古日には必ず大石神影流の稽古をするようにしています。大石神影流から学ぶことがない方には柔術の進歩はありません。
庭にテントウムシが増えてきました。
- 2014/06/06(金) 21:25:25|
- 柔術 総論
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動きの質を決めるものは呼吸ですが、形の手順ばかりを追いかけ「このように動こう。あのように動こう。」と頭が働くと、呼吸が浅くなってしまいます。
手順を追いかけず、まず呼吸に重きを置いて動く癖をつけなければ、いくら稽古を重ねても形だけの稽古になり心も体も治めるということからは遠ざかってしまいます。工夫してください。
先日おとずれた大三島の海岸にはペアのザリガニが沢山いました。
- 2014/06/07(土) 21:25:47|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法では礼法がそのまま業につながるため初心者の方には時間をしっかりとって稽古していただいています。礼をする動きがそのまま抜き付けにつながるため、礼ができなければ抜き付けもできないのです。
大石神影流剣術では礼法は簡素なものであるため、それほど時間を掛けて稽古することはありませんが、神前に折り敷いて礼をする動きは簡単なようですが余程稽古せねば出来るようにはなりません。私はいまだに苦労していますが、この礼が正しくできるようになれば、立姿勢での下半身の緩みはできるようになるはずです。
澁川一流柔術での履形の礼式は非常に深いものを含んであおり、礼式ができるようになれば基礎的な姿勢や呼吸は身についているはずです。形数が多いために礼式をさらっと流していますが、初心者の方ができるようになるまで受を勤める上級者は指導しなければなりません。
- 2014/06/08(日) 21:25:49|
- 居合・剣術・柔術 総論
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刀を手にする時の手の内についてはこれまでに何度も述べてきました。手の内は刀と自分とを一体にするための存在であり、それ以上でもそれ以下でもありません。手の有為に餘て刀を操作しようとか手の内によって切るのだという考え方をしていればいつまでたっても刀と自分は一体にはなれず別々の存在になります。
したがって刀と自分との間に違和感を感じるからといって手のひらだけを調整しての手の内が正されるものではありません。違和感を感じたら自分の中心である臍下丹田からのつながりを正す必要があります。元から正していかなければ正すことはできぬものです。
- 2014/06/09(月) 21:25:09|
- 居合・剣術・柔術 総論
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動きのもととなる呼吸については何度も繰り返して述べていますが、浅く考え普段の呼吸はしていると思っていては動きとつながった呼吸はできません。
素振りにおいて呼吸を正しく行うには、意識的に深い呼吸をし、それに動きをのせる必要があります。そのような稽古をしているときに手の内がどうだとか、肘の位置がどうだとか細かなことにこだわり頭を働かせていては正しく呼吸できるはずもありません。
ただ深く呼吸をすることに意を用いてそれに動きを載せる稽古を、ゆっくりと100回単位で自主稽古してください。
- 2014/06/10(火) 21:25:03|
- 居合・剣術・柔術 総論
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「できるようになりますか?」
必ずできるようになります。ただし求めていれば。
澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は私が難しさを感じていたときに「やっていれば出来るようになります。」と言われました。先生がどのように動かれているのかをよく見させていただき、それを求め続けていれば真似ごと程度であってもできるようになりました。あくまでも時間を掛けて求め続けていた上の事です。自分の考えから出ず、自分の思いから離れることがなく、その中で繰り返していてもできるようにはなりません。
- 2014/06/11(水) 21:25:27|
- 居合・剣術・柔術 総論
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基本ができていないのに、その応用である形をいくら稽古しても方は見せかけでしかなく砂上の楼閣に過ぎません。
無雙神傳英信流抜刀兵法では礼法ができていなければ、初発刀の正座はできていませんし、正座ができていなければ抜付けが正しいはずはありません。似たようなことをしていても、所詮似たものにすぎないのです。理解できない初心者の方は、ここがわかりませんので礼法が正しく行えるまで稽古しておかなければ初発刀の稽古に入っても、適当に座り抜付けのまねごとをするだけになってしまい、自分自身でどこが間違っているのかが分かるようにはなりません。初心者を導く方は余程心しなければなりません。
- 2014/06/12(木) 21:25:08|
- 居合 業
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以前、言葉は全体の一部分しか伝えることはできないということを述べたことがあります。
上達するためには言葉以外の情報をいかに受け取るかが大切です。言葉はあくまでも目安しか示すことができませんので、上級者の心の働き、動き呼吸を見てとろうとする態度が必要になるのです。この態度がなければ上達は困難であるとしか言えません。始は見えなくとも見ようと心掛けていれば見えるようになるものです。はじめ見えないからといって、見ようとする努力をせずに自分の考えにのみ従っていては上達への道は開けません。
- 2014/06/13(金) 21:25:55|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流の斬撃の稽古で振りかぶりが浅い方は右手中心で動いている場合があります。刀は両手が協同して働き、どちらが中心であるという事はありませんが、右手が勝ち過ぎている方には左手のみでゆっくり斬撃していただく稽古法を採ってみてください。
ただし、几帳面すぎる性格の方は左片手になると半身がとれず正対してしまいますので注意してください。
また左片手での稽古をしてもらう場合振りかぶった時に、左手の内がゆるんだり、左脇が外れて後方に来た切先が死んでしまう事がありますので、最初から最後まで切先が生きていることにも留意して指導してください。
先日海田市駐屯地に行ったときに撮った車両の写真です。昔に比べて、ずいぶん進化した車両になっています。私が在職していたころはまだ「コンバット」に出てくるような車両でした。
- 2014/06/14(土) 21:25:05|
- 居合 業
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武道の稽古をするものは「道場の外こそが稽古の成果が生きる場面であると心得なければならない」ということが古くから言われています。
現代では刃物で襲われる可能性は少ないにしても、交通事故などの刃物以外の危険は多くあり、油断していたら何が起こるかわかりません。また詐欺に遭う可能性もあり、稽古で養ったものを活用しなければなりませんし、そういった意味では24時間稽古できるものです。
道場での稽古が終わった後と稽古したことを生かす人と生かさない人では上達の速さは大きく異なってきます。
これも先日撮った写真です。私には見慣れた風景であっても、自衛隊になじみがない人にとっては新鮮なもので驚きの目で見ておられたようです。
無理やり古武道の現状に当てはめると、私たち古武道を稽古する者には当たり前の事でも古武道を知らない方にとっては未知のものです。稽古していただく方を増やすためには、そのあたりを考えた広報活動が必要になるのかもしれません。
- 2014/06/15(日) 21:25:45|
- 居合・剣術・柔術 総論
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武道は人間形成に役立つかどうかは稽古している方の心がけ次第です。
初めから人間形成に役立てようと思って稽古を始められた方は、自分が未だ至らぬ人間だという自覚がありますので稽古が自分の至らぬところに気付かせてくれると思います。
一方、強くなりたいとか、かっこよく見えるからといった動機で始めた方は初めの内は知らなかった技もできるようになり、体力もついて自信が持てるようになるかもしれません。
武道には落とし穴がいくつもあり、人より強くなった、できるようになったという思いは自信につながるものであり。同時に慢心につながる元となります。
また、段位の存在も落とし穴になります。やっと○段になれた、まだまだ上を目指さなければという思いと、自分は○段になれたのであの人よりも上になったという思いは表裏です。
古武道の場合にはこの思いが宗家になりたいという邪念につながります。本来宗家とは文字通り家で続いていくものですが、その家がなくなってしまったところでは宗家を自称する者が現れます。この段階に至っては人間形成どころか自己顕示欲を満足させるものとしてしか武道は存在しません。さらには宗家を自称し始めた人の弟子、その又弟子には宗家争いというものが起きてきます。家で続いていないので誰でも宗家を名乗れるからです。このようになってしまっては、存在しないほうが道をあやまつ人を作らずに済むということになります。
写真は海田市駐屯地にある殉職自衛官の慰霊碑です。国民の生活を守るために訓練等の最中に殉職される自衛官の方がおられます。私が航空学生教育群の幕僚兼英語教官として勤務していた時の航空学生もパイロットになった後に数名訓練中に殉職されています。
- 2014/06/16(月) 21:25:38|
- 居合・剣術・柔術 総論
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流派武術というものは過去の存在であり映画やアニメの中不だけの存在であると思っているひとも多くいます。昨年広島城で廣島の武道史について講演し、演武していただいたときにもヽ廿日市市内に住んでおられ、かつ歴史に興味を持って講演を聞きに来られた方の中にも私たちの存在を知っておられない方があったのは演武された方も御存じのとおりです。ホームページも、ブログもフェイスブックも待ち受けであり、存在を積極的に広報するというものではありません。
ましてや海外に情報を発信する状況にないのはいうまでもありません。ホームページのみ昨年英語版を作りましたが、それが限界です。渋川一流柔術が日本古武道協会に加盟して20年近くになりますがいまだ欧米での演武の機会は与えられていませんので、これが本物の澁川一流柔術であるという事を示す事も出来ていません。一方で海外に間違った情報も発信されています。
如何にすべきか、考えていかなければなりません。
いつも見ている花なのに夕方になったら花を閉じるという事に気づきました。見ていても気づいていませんでした。
- 2014/06/17(火) 21:25:23|
- 居合・剣術・柔術 総論
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古武道を稽古される方は時間があったら書の稽古をしてください。
私は高校時代書道を選択して、高名な村上俄山という先生に書道を習いましたが生まれつきセンスがなく、一向に上達しませんでした。無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に目上の方への手紙くらいは筆で書けるようになりなさいと指導されて練習もしましたが、一向に上達せず、練習する時間がないまま現在に至っています。
道場で指導されるようになったら、筆で書かなければならない時も出てきます。私は仕方なく書いていますが、悪筆をどうすることもできずいつも恥ずかしい思いをしています。
出雲大社への正式な奉納願も記さねばなりませんでしたが、筆書きにしなければならない時にはいつも代筆を頼みたくなります。
- 2014/06/18(水) 21:25:28|
- 居合・剣術・柔術 総論
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澁川一流柔術の御膳捕の形の想定は、酒席等で前にお膳が置いてあるという状況です。したがって酒の上での狼藉は二度までは許すという前提で相手の手を2度押し返しています。
御膳捕はかなり稽古が進んでから行う形で、難しいのは座ることです。正しく座れていなければ技を掛けても全てが中途半端になり、座しているという特徴が生きてくることがありません。
正しく座れている状態は無雙神傳英信流抜刀兵法の正座と同じく重心は臍下丹田におり、引力の線と体の中心とがそろい頭肩肘腹背尻などすべては下方にあずけている状態です。
この状態のまま重心が上ずることなく技を掛けなければなりません。
- 2014/06/19(木) 21:25:11|
- 柔術 業
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澁川一流柔術の打込は相手が懐剣で打込んでくるのに対処する形です。
相手が刃物を持った場合相手の着衣を持ってこれに対処するのは甚だ危険です。相手を掴んだつもりでも相手の手首が働けば刃物はこちらの手首を切ったり、状況によっては首筋を切ることも可能になります。したがって相手が刃物を持っている打込のような場合には必ず相手の手首を制していなければなりません。
写真では手首を制してはいますが手首の関節に十分に指がかかっていません。工夫しなければなりません。
- 2014/06/20(金) 21:25:37|
- 柔術 業
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大きく投げられ前方に回転する受身を捕らねばならない時には「臍を見る」ように頭を内側に曲げ、万が一の時の首への損傷を防ぎます。手は、内側に入れて受、決して畳を手のひらで押すようなことをしてはいけません。手首を痛める恐れがあります。
また柔術は実際の場合には外で行う事が前提であるので畳を自らたたきに行くような動作はしません。小石でもあったら手を痛めてしまうからです。
さて写真は受は捕によって両手を制せられていますので手を使う受身はできません。捕があまりこの形に慣れておらず、また身長差もあるため、大きく投げることによって受の受身がとりやすくという配慮もされていません。したがって足の裏による受身も困難です。このような場合臍を見る」ように頭を内側に曲げるという鉄則を守っていなければ大きな事故につながる恐れがありますので十分注意してください。
- 2014/06/21(土) 21:25:23|
- 柔術 業
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当ては形の中にあまり多く現されていませんが、重要な稽古であるため疎かにはできません。
当てを行う方の場合、初心の内には速さよりも正確さを心がけて稽古しなければなりません。中段、または下段を当てる形であってもいい加減に行い当てるか所が異なっているのを見ることがあります。
正確さの次に心がけねばならぬのは力まない事です。実際に当ててはいけないと思うためか当てるときに体を力ませている人が多いように思います。当てはつぎの動きへとつながる場合が多いので決して力まないように稽古してください。
写真の当ての拳の握り方は間違っていますので、指導される方は相手が年少者であっても手順のみでなく細部まで気を配ってください。
幕末に行われた柔術の試合では、当然ですが当身は行われていなかったと思われます。
昨年末に日本武道学会中四国支部会で発表した資料に柔術の記録を載せていますが、他流試合を禁じていた師範までが試合を受け入れるようになっており、また試合も剱術の試合のように大勢と行われていますので、現代柔道式のように背中をついたら1本という規則ではなく、また、当身は用いないけれども、「まいった」をするまで試合続けるというものでもなく、相撲のように体の一部でも床に着いたら負けといったような安全なルールが流派を超えて考えられたのではないかと思っています。この点は今後の研究で明らかにしなければなりません。
http://chushibudo.jimdo.com/ 剣道の試合に用いられる現在の防具の歴史については中村先生が記された記事がインターネットに詳しく載っています。剣術も安全性が確保されるようになってから他流派との試合が盛んになっています。
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~kuro/nakamura/kendo001.html#jikisihinkageryuu 防具の始まりは、直心影流ですが、盛んになったきっかけは木刀で試合をすると、止め太刀を用い損ねれば怪我をする事があったからのようです。
袋竹刀を用いて試合稽古をしていた流派よりも、木刀を用いて試合稽古をしていた流派の方が現代剣道式防具のもととなる防具の着用が早い時期に行われたようです。
ちなみに面が中高になり、面金の横金の数が増えたのは大石進が試合において突き技を始めた事によります。
中村先生の記述の一部です。
この山田平左衛門からはじまる直心影流の『兵法伝記註解』(稲川故吉写本)によれば、のちに直心影流を名のることになる山田平左衛門は、十八歳のとき木刀による仕合でけがをし、その後剣術を一時中断していたが、三十二歳のとき高橋弾正左衛門の流派が「面・手袋アリ而怪我ナキヤウニ、身ヲシトミ稽古スル」のを見て同流に入門し、四十六歳のときに免許を得たと記している。山田平左衛門が免許を得た歳は、貞享元年(一六八四)にあたり、それよりも十数年も昔から高橋弾正左衛門の流派では防具を使っていたことがわかる。
なお、高橋弾正左衛門が用いていたのは、ここでの記述が正しいとすれば、「面・手袋」のみであったことになる。胴は着けていなかったことになる。この点、同じ新陰流系統で、仙台に伝わった狭川新陰流が用いた防具が面と小手のみであったことから考えると、新陰流系統では早くから袋しないを使って、「面・手袋」を用いて稽古していたことがわかる。
- 2014/06/22(日) 21:25:53|
- 柔術 業
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大石神影流剣術には「附け」という構えがあり、これはそのまま相手を突くための構えですが手数の中では「附け」の構えから突く動きはほとんどありません。これは大石神影流では突きは当たり前の事であるためです。
手数では仕太刀が「附け」の構えをしているときに打太刀が切ってきてこれにしたtが羽ジル動きが多くありますが、これは理合の上では仕太刀が「附け」の構えで打太刀に切先を附けており、打太刀は見身動き出来ぬところから無理に攻めてくるという事が前提になっています。
そのような状態になるためには仕太刀の「附け」の構えが生きていなければなりません。手順の上では突くことはなくてもいつでも突ける状態になければならないのです。手順を考えて、これを疎かにしてしまうと大石神影流にはなりません。
写真の「附け」の構えはつ手順を考えているために突く状態にはありません。
- 2014/06/23(月) 21:25:45|
- 剣術 業
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御膳捕打込は対座した状態から受が懐剣で上から切下してくるところを捕る形です。
お互いに正座をしていますが、横に座している御膳捕と同様に正座ができていなければ業にはなりません。正座ができているとして、そこから受に技を掛けていく全ての過程において重心が上がっては技はかかりません。全て臍下で行うものだと観念し工夫してください。相手の下から技はかけていきます。
重心が浮いてしまえば相手の体の方が重くなり思うようにはならなくなるものです。
- 2014/06/24(火) 21:25:02|
- 柔術 業
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大石神影流剱術では上座に対する礼は折敷の礼です。これは外で稽古してたこととも関係し、また柳河藩主の武術の上覧が屋敷の前の庭で行われていたことと関係するのかもしれません。
右膝をつき左膝はまっすぐ前方に向くため右足はやや斜め後方に下げます。この時左右鼠蹊部は十分に緩んでおく必要があります。またお尻の力みも無くさなければなりません。
大小二本の鞘木刀を腰にしていると礼をしたときに鞘が邪魔になり背中が曲がりがちになりますが背は丸める事が無いよう注意しなければなりません。しっかり工夫してください。
- 2014/06/25(水) 21:25:38|
- 剣術 業
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無雙神傳英信流の刀礼は柄頭を左に、刃をこちらに向けて刀を前に横たえて行います。
この時、丸鍔ですと置きようによってはぐらぐらと刀が安定しないこともありますので、静かに床に置くことが必要で粗雑さは禁物です。
また下緒は写真のようにコジリから直角に曲げても、また45度位に流しても、さらにはコジリのあたりでミネにそって折り返してもかまいません。
また自分と刀との距離ですが、礼をするときに両手を床に下ろし両手の親指と人差し指で三角形を作り、頭を下げたときに頭頂部がそこに位置できるようにしなければなりませんので、刀はそれよりも遠くになければなりません。写真では若干刀が自分に近いように思います。
- 2014/06/26(木) 21:25:08|
- 居合 総論
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無雙神傳英信流では鯉口が臍前に来るように帯刀します。写真のように大森流の正座の場合には体は正対していますので文字通り臍前に位置しています。
しかし英信流の立膝の場合は半身になりますので、状況は少し異なってしまいます。立膝で座す場合には相手と自分の中心線を結んでその線上に鯉口が位置しなければなりません。そのようにするためには大森流で座しているときよりも刀はやや前に出さなければなりませんので、間違いないように稽古してください。
- 2014/06/27(金) 21:25:19|
- 居合 総論
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正座をするときには親指の付け根が下腹に軽く接する程度に両手を位置させます。
しかしこの時に所謂よい姿勢を取ろうとすると肩甲骨周辺が緊張してしまい、抜付けの初動が難しくなってしまうので注意しなければなりません。
良い姿勢を取ろうとするときには両肱を体側につけようとしてしまいますが、その考えは捨てて両肱を軽く後方に開くつもりで両手を位置させてください。そうすれば肩甲骨周辺が緊張する事はなく、また自分の肘の重さを体に感じることができるようになるはずです。この重さを感じることが出来るかどうかが抜付けに大きな影響を与えます。
- 2014/06/28(土) 21:25:30|
- 居合 総論
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鞘手のかかりは、写真の通りです。良い動きの写真です。
鞘を握ろうとすれば親指以外の指が鞘を包み込んでしまいます。四指で鞘を握ってしまうと鞘引きは肩が緊張してしまいコジリが後方へと動くのではなく自分の右側へと動いてしまい、無雙神傳英信流で用いる刀の長さであれば鞘を痛める可能性が出てきます。
自分の鞘手のかかりが写真のような状態にあるかどうか、確認してください。
- 2014/06/29(日) 21:25:32|
- 居合 業
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写真は抜付けの柄手のかかりではなく、斬撃のために刀を抜こうとしているところですが、良い動きをしています。
柄手も握ろうとすると親指と外の四指が柄と直角位に位置してしまいますが、写真のように浅い角度で掛かかる必要があります。
深い角度で握り込んでしまうとそこから先は肩中心の動きとなり臍下丹田からのつながりは途切れてしまいます。力仕事をしなければならない方はどうしても握り込んでしまう傾向が強いので工夫してください。初めは不安に感じるかもしれませんが、続けて稽古しなければ会得できません。
- 2014/06/30(月) 21:25:33|
- 居合 業
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