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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

知らない事を話さない

 「知は行の始めにして、行は知の成なり」 

 という言葉がありますが、武道を行うものはこの立場に立たなければなりません。行うことができなければ真に知っていることにはならないのです。しかし、時に知識を持っているだけで、自分が大きくなったような気分になり、あたかも行えるかのように話をする人もいます。
 本来は「・・・と言われている。」とか「・・・だそうだ。」とか「・・・と教えられている。」と話すべきところを「・・・だ。」「・・・である。」と話してしまうのです。自らできるようになって話せるようにならなければなりません。武道においては行いが伴わなければあまり意味があることにはなりません。

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  1. 2019/07/01(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心地よい稽古

 以前、他流派を稽古されるまじめな方が、澁川一流柔術を体験したいと遠方からお越しになられたことがあります。真面目な方であると事前にわかりましたので、通常の稽古に参加していただきました。
 実際にお会いしても真面目な方で、礼をもって真摯に稽古してくださいました。ご自身の流派をしっかりと稽古されており、なおかつ自流派を忘れて澁川一流に取り組んでいただけましたので、澁川一流の技の理解も早く、外形ではなく本質をある程度理解していただけたと思います。
 このような方との稽古は、非常に心地よくさわやかです。求める心がある人が集まれば道場の空気がたいへんよいものになります。

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  1. 2019/07/02(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分を理解して稽古する

 上達が速やかな方と遅い方との違いは、自分自身を理解しているかどうかにもよります。動きを修正した時に自分を理解して稽古を続けている方は、すぐに修正できますが、自分自身を見つめずに自分の外側にあること【たとえば刃音、筋肉の緊張(これで安心する方もいます)、手順等々】ばかりを気にして稽古をしている方は、指摘されたところが何なのかなかなか理解できません。
 今外側にある事象は自分の内にある働きでそのようになっているのだという事を理解して、自分自身の理解を深める稽古をしてください。

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  1. 2019/07/03(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

意識過剰

 大石神影流剣術では斬り、突くときにすり足ではなく踏み込みながらこれを行います。この踏み込む動作で足を上げなければならないと考えすぎ、足を高く上げすぎると、上体が少し後方に反ってしまいます。そしてその分だけ、斬り、突く動作が遅くなってしまいます。踏み込むという事を考えすぎた結果、動きに無駄が出てしまうのです。
 このような意識過剰は、この踏み込むという動作だけでなく他の面でもよく出てくることがあります。自分自身の動きを見つめなおしてみてください。
 この大石神影流剣術の踏み込む動作も無雙神傳英信流抜刀兵法のすり足も,本質的な部分では同質の動きです。

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  1. 2019/07/04(木) 21:25:00|
  2. 剣術 業

心を落ち着けて

 無雙神傳英信流抜刀兵法の大森流の逆刀は心の焦りがあらわれやすい形です。
相手が斬り込むので後方に下がり刀を鞘から外し、相手の刀が下方に下りてくるので柄手はその高さのまま後方にさげなければならないのに、何度指導しても、鞘から刀が外れたとたんにあせってそのまま柄手を上にあげる方がおられます。
 このような動きだといくら体は後方に下がったとしても柄手がそこに残っているので下りてきた刀で右手を斬られてしまいます。焦らずに柄手を自分の胸より上げることなく後方に下げなければなりません。
 この動きは大石神影流剣術の「太陽剣」と理合が同じです。「太陽剣」もいくら体をさげても、両手が体に遅れ、体の前方で両手をあげてしまえば、頭は切られなくても手を斬られてしまいます。
 あせって手順を省略することなく、しっかりとした稽古をしてください。

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  1. 2019/07/05(金) 21:25:00|
  2. 居合 総論

抜付け

 無雙神傳英信流の抜き付けの初動で、鞘手柄手がかかり、体が前傾してそれにつれて両肘が前に出たとき、自分で両肘を前に出す動きをしてしまうと両肘は少し脇から離れてしまいます。その結果、抜付けたときに体を開くのではなく前腕で刀を動かすようになり、中心が働きません。
 確認するために、両肘が前に出たときに動きを止め、肩、脇の力みを抜いてみてください。その時さらに肘、肩が下方に沈むようであれば上記の状態になっていますので修正してください。

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  1. 2019/07/06(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

貫汪館の居合、柔術、剣術

 貫汪館の居合、柔術、剣術は本質がすべて同じであるため、無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術と三流派を稽古しても異なったものを三つ習うのだという意識は全く必要ありません。たとえば古い流派が居合、柔術、剣術さらには槍術や長刀までも同一流派の中で稽古されているのとかわらないと思います。
 私が指導していただくことになった三つの流派が偶然、同質のものであったのか、そのように導かれたのかは、おいておきます。
 私が最初に稽古を始めたのは無雙神傳英信流抜刀兵法で、次に稽古を始めたのが澁川一流柔術です。澁川一流柔術の稽古を始めたときには居合と、柔術は全く別物と思っていたのですが、稽古を始めて程ないころ、これは同じことを稽古しているのではないかと感じ、そのころから柔術の習得も早くなりはじめました。大石神影流剣術はだいぶ後になってからのことですが、導かれるように大石英一先生に指導を受け始めたときから、まったく違和感を感じませんでした。体の開きや、踏み込む、すり足などの違いはあっても本質が変わらないことがわかり、違和感なく稽古できたのです。
 貫汪館で稽古されている方は三つの流派が別物と思わず、同質のものを違う角度から稽古しているのだと理解して上達してください。どの流派を稽古していても三つの流派は同時に上達していきます。

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  1. 2019/07/07(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

居合刀【模造刀】の購入

 居合刀【模造刀】は高価なのですが、居合の稽古をするためには、どうしても居合刀【模造刀】が必要になります。無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男先生は私に道場の開設を命じられた時、「居合刀【模造刀】といえども武士の魂であるので基本的に武士の魂を科すということは行わないほうがよい。」と話されました。
 指導するようになって、ご自身の居合刀【模造刀】を購入されるまでお貸ししたこともありますが、自分で購入したものではないため、初めの内は大切に扱われるものの、少し慣れたら道具として扱われるような方もおられました。また、お金を貯めて購入してくださいと言っているにもかかわらず、1年たってもまだお金がたまりませんと言われながら、自由に暮らしておられる方もおられました。たしかに刀をお貸しして稽古していただくということには弊害が多いように思います。
 現在は鞘木刀を購入していただき基本の稽古をしていただきながら、居合刀【模造刀】を購入する準備をしていただいています。無雙神傳英信流抜刀兵法は比較的長い刀を使うため高価であるとはいえ、一度購入したら長年使用できるものですので剣道の防具よりははるかに安いのですが・・・。

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  1. 2019/07/08(月) 21:25:00|
  2. 居合 総論

まず稽古

 己を知ることもないのに他を知ることはできません。まず、自分の流派をしっかりと稽古したうえでこそ他の流派が見えてきます。
 知識をひけらかし、いかにも知っているようにふるまっても、自分自身がない根なし草であれば、小説を書くことができない評論家のような立場でしかありません。しっかりと自分の流派を稽古して自分が修業する流派が分かるようになって後に他の流派を拝見する方が稽古は進みます。

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  1. 2019/07/09(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

感じ取る力

 上達できる人は私との稽古で何かを感じ取ることができる方です。反対に真の上達をしにくい人は私と稽古しても足の位置、手の位置、タイミング、そういった外側に現れることを覚えて、次もまた同じことをしようとする方です。
 同じ相手であっても、その時その時で間合は少し異なり、腰の高さ、体の状態も異なりますので、形として基本的な手順は決まっていても、同じ相手に毎回同じ動きをしても有効なものになるわけではありません。
 形の中にあるものを感じ取る稽古をしてください。
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  1. 2019/07/10(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達の過程

 昨日述べたこととも重なりますが、武道の話がかみ合わない方は、形(手順・外形)を流派の最大の特徴と考え、形(手順・外形)を覚えることが稽古であると考えているようです。
 無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術の師は三人とも、形の奥にあるものを大切にされていました。形の奥にあるものが現れたものが形となるのです。大切なのは形を学びながらその奥にあるものを身につけ、さらに形の奥にあるものが形として完成されていくという考え方を持つことで、形(手順・外形)を正しくできればよいのだという考え方をもてば真の上達に結びつきません。

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  1. 2019/07/11(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 大石神影流の手数には打太刀の太刀を鎬で抑えて終わるものがありますが、この動きを初心者がするように小手先で切先を使って抑えるのは問題外としても、刀の中ほどを用いて抑えることができる方でも、刀に重さがのらないのは、肩が体から浮いている場合があります。
 つまり外的な動きはできていながら、わずかでも肩が浮くと肩から先の動きと体が結びつかず、体の重さが刀につながっていないのです。一人でその動きを行い、抑えた時に止まって確認してください。

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  1. 2019/07/12(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

頭を空にする

 ある程度稽古を積んだら、頭を空にして手順を追い出して稽古してください。手順を間違ってもかまいません。いつまでも手順を頭において稽古していたら自由になることはできず、形(かたち)にとらわれているのでかえって不自由になる稽古をしていることになります。
 手順、腰の高さ、力まない等々は忘れて稽古してください。DSC_1782a.jpg
  1. 2019/07/13(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

つくろわない

 演武でいくら集中しても、また細心の注意を払っても稽古しただけしか表に出ることはありません。むしろ半分でもできたらよい方です。
 ところが演武を見事にみせようとして、いかにもそれらしく動いてしまうと、素人受けするかもしれませんがみえる方には見抜かれてしまうものです。稽古しただけのことしかできないのですから素直にやってきたことを演武する方がはるかに質の高い演武ができます。

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  1. 2019/07/14(日) 21:25:00|
  2. 昇段審査論文

半身

 正対する癖がある方には現代剣道や正対することを良しとする武道を経験された方が多いようです。下半身は半身になっていても一生懸命になればなるほど上半身が正対しようとしています。
 一つは、自分の中の価値観が「相手に正対することが正しい」というところから離れていないところからきています。しかし、これも下半身が半身になっていれば上半身もそれに従って半身になるものですので、心と体の緊張を解き、楽になって稽古してみてください。

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  1. 2019/07/15(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

安住する

 自分では頭を切り替えて新たなことに取り組んでいると思っていても、昔行った事の癖が抜けないのはそこに心も体も安住しているからです。新たなことを0から始めるのはよほどの覚悟が必要です。頭でそのようにしていると思っていても、過去に身につけたところから抜けられないのは、体がそれを忘れておらず、心も新たなことをゼロからすることを嫌がっているのです。
 自分は経験者である、といういらぬ目に見えぬ自分自身でも気づかない自負心がそうさせています。そこから抜け出さない限りは真の上達は始まりません。
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  1. 2019/07/16(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

すてる

 すてるべきは、過去に良いと思ったことすべてです。新たなことを始めるにあたって過去をあてにすれば新たなことは入りません。体の動きだけでなく、心の働き、稽古方法まですべて捨てなければなりません。いくら良いと思ったものであってもそれは違う事を行うにあたってよいとされていたことです。異なるものなのです。

 捨て果てて捨てる心も捨て果てて

 この心に慣れてこそ新たなものを習得することができます。

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  1. 2019/07/17(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

打太刀は心のゆとりをもって

 打太刀は仕太刀を上達へと導かなければなりません。そのためには仕太刀のレベルに応じた動きをする必要があります。打太刀の稽古を始めて間もない方は打太刀として良い動きをしようとするため、仕太刀を駄目な方へ導いてしまうことがあります。打太刀の稽古をする方は心にゆとりをもって、仕太刀を導くための稽古をしなければなりません。

  1. 2019/07/18(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

たとえ高段者が言ったとしても

 他の武道は他の武道であって、行っていることが違いますので、たとえその道の高段者が話したことであっても、技術に関連することを鵜呑みにして自分が行っていることに取り込んだり、基礎基盤の一つにしてしまったら大きく道を誤ることになります。
 たてば剣道の竹刀の振り方を刀の振り方としてしまったら大きな間違いのもととなりますし、「切先で相手を知る」と言われても、無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流袁術は全て刀、木刀、棒、を含めた全身で相手を感じており、全身で相手をコントロールしています。例としてあげたにすぎませんが道が異なれば、それぞれに異なった考え方があり、他を参考にできるようになるためにはまず、自分自身が行っていることをしっかりと体得しなければなりません。

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  1. 2019/07/19(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

神格化

 師が偉大であれば弟子や孫弟子は偉大なものに連なる者で、当然ながらまた素晴らしいという自己満足からか、政略的な動きからか、古武道の世界には、亡くなっている師や師の師、そのまた師を伝説上の人物にして極端に祭り上げることがあります。
 大学生の頃に、その当時はすでにお亡くなりになっていたある流派の有名な居合の先生のビデオを無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男先生に見せていただいたことがあります。私達と近縁の流派で、あまりに名のある方であったので期待してみましたが、期待外れでした。梅本先生からどう思うかと聞かれて、どう話していいかわからず言葉がなかったほどです。やっと「失礼ですが、私のレベルとかわらないと思います。」と申し上げましたが、先生は否定されませんでした。
 名人達人伝説は作られるものだと思いました。
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  1. 2019/07/20(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

10年

 幕末には免許皆伝までの多くの流派での修行年数は約10年です。10年たたなければ使えないのかという事ではなく、一通りその流派を習得していると言えるまで10年という事で、使える使えないとは別物です。別物であるがゆえにその途中の階梯の目録とか中伝などというものが存在します。流派の体を身につけ流派を教えることができるレベルに達するまでに10年が必要とされたという事です。
 江戸で入門した者の中にはごく短い期間で免許に至るものもいましたが、それは地元で地元の流派を修行している場合です。坂本龍馬は小栗流、武市半平太は、一刀流を修行しています。桂小五郎は新陰流を修行しており、新陰流の師は大石進種次に入門して防具着用稽古を習っていますので、桂小五郎は大石神影流の稽古様式も身につけていました。大石進種次から免許を授かった来嶋又兵衛も地元で新陰流を修行しています。
 大石神影流に限って述べても多くの他藩からの留学生は地元で地元の流派を修行しており免許皆伝を授かった者はそれなりに修行を積んでいた者です。大石進種次のもとで10年修行して免許を授かった他藩の者もいますが、まだ元服もしていない歳で入門して住み込みで修行しています。
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  1. 2019/07/21(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

段階的に教える

 海外の支部には全剣連の居合を経験した支部長もいるためか、教え惜しみともいえるような教え方をする方もいるので教え方についても指導しています。全剣連で指導する方の中には最初の数年は制定形のみ、それ以後数年は大森流、さらに数年たって英信流表。太刀打、詰合にいたっては極意のような扱いのようです。
 しかし、貫汪館では礼法などの基礎を身につけたら大森流の稽古を数か月以内に終え、太刀打、英信流表と進み、1年くらいたてば詰合に入る人もいます。流派の体系はそれを順番通りに稽古していけば上達できるようにできていますので、一通りできるようになれば(形の手順を覚えればではありません)、次の段階に進み、進んだ段階、前の段階の習得過程で前の段階で習ったことを振り返ればより前の段階の理解が深まるようにできています。
 貫汪館では一つのことが完璧にならなければ、次に進まないという方法はとりません。
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  1. 2019/07/22(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

とばして教えない

 昨日は段階的に教えることについて述べましたが、流派の体系が整えられているのにその体系を無視して教えてもその流派の上達には結びつきません。
 たとえば無雙神傳英信流抜刀兵法で大森流のあとにいきなり奥居合の座技をしても基礎ができていないので真似事を身につけることになり、上達の阻害をしてしまいます。また、浮雲が難しいからと言って浮雲をとばしてしまえば、浮雲で身につけるべきことを飛ばしているのですから、以後の形もまねごとにしかなりません。
 大石神影流も陽之表のあとにいきなり槍合せや二刀を稽古しても真似事が身についてしまいます。
 流派の体系を無視した指導は無意味であるどころかかえって上達を阻害する元となってしまいます。
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  1. 2019/07/23(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

肩の遊離

 肩が体から浮いてしまうと臍下丹田と肩から先がつながらず、体の中心を使っているつもりでも肩から先で刀を使い木刀を使い素手を使っています。 
 肩が体から遊離する癖を直すには、よほど覚悟して取り組まなければ難しく、日々の生活の中で自分に肩は存在しないと言い聞かせながら生活しなければなりません。日常生活の中で動くときに自らの肩の動きに常に気を付けて稽古を続けてください。

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  1. 2019/07/24(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

工夫する

 教えられたことを会得するためには自分自身で工夫して会得することが大切です。形(かたち)や、手順だけならすぐに覚えることは可能ですが、その奥にあるものを会得するための工夫です。奥にあるものを会得することによってそうなるべくしてそうなる動きや形を会得でき、意識せずにそのように動くことができるようになります。 
 また、それは運動能力の高い低いにかかわらないものですから会得することによって、教えられたことは誰でもできるようになります。それが貫汪館で稽古している三つの流派ですので、形(かたち)や手順ではなく奥にあるものを会得し自分自身を変化させる工夫をしてください。

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  1. 2019/07/25(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

勝手な工夫はしない

 教えられたことを表面上できたように見せかけることも可能ですが、そのような底が浅いことをしていたら「小手先の技を使う。」と言われるような状態からいつまでたっても抜け出すことはできなくなってしまいます。
 以前もお話ししたことがありますが、無雙神傳英信流抜刀兵法の先輩に「それはこうすればできるようになる。」と本質からかけ離れた方法で見かけ上できるようにする癖がある方がおられました。結局似てはいても偽物で、先生はいつも嘆いておられました。

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  1. 2019/07/26(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

覚悟のない演武

 どんな演武でも、覚悟のない演武には何も感じません。ただ上手にしているなと思うだけで武道をしているとは感じられないのです。
 武道とは命がかかったものという大前提があり、その部分だけはスポーツと異なります。(ここでスポーツというのは格闘技以外のスポーツ、または極端に命の危険性があるスポーツ以外です。命の危険性が高いスポーツは対人競技出ないとしても武道とかわらないものと思っています。)
 演武に、体の遣い方や形の美しさのみを求めているのかどうかと、大前提として命がかかったものとして行っているのかは見ていてわかるものです。これは一生懸命行っているという事とは違う事です。貫汪館で稽古される方は形を覚えたばかりの形は仕方ないにしても、稽古が進んでいる方はそのような覚悟を持った演武をしてください。それこそ、脇差を抜いて自分自身につき付けて相手はこれをもって自分に迫ってくるのだと感じてください。

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  1. 2019/07/27(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

優れた演武

 優れた演武と感じるのは、覚悟のある演武であるのは述べたとおりですが、もう一つ、相手のつながりがある演武です。相手の心と心・体と体がつながっていて、途切れがない演武です。
 いくら覚悟がある演武であっても、相手との関係性がきれていたら、それは狂気としかみえないところがあります。相手とのつながりがあるがゆえに道となり、凶刃とはならないのだと考えます。

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  1. 2019/07/28(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

袴の股立

 私が中学生の頃に現代剣道を始めた頃は、股立ちの位置が深く(袴のひもの位置よりずっと低く)空いている部分が広かったため、無雙神傳英信流抜刀兵法の袴捌が楽に行えました。私が中学生の頃は女性が剣道を始める時期と重なり、団体戦には女性が混じっており、その後、女性だけのチームができたように思います。そのころの股立ちの位置だと、中には稽古着が短すぎて腿が見えている人がいましたので、女性のためにだんだん股立ちの位置が高くなっていったのかと考えています。私が高校生になってしばらくたつと股立の位置が高い袴がほとんどになったように思います(もっとも高価な袴は別であったかもしれませんが)
 さてこの股立ちの位置ですが、居合袴と称されて売られている袴でも高く、稽古にあまりに不便なので本来は親指を外に出して行う袴捌ができないため、指をすべて袴の中に入れて行っていました。しかしこれでは正式な袴捌とは言えないので、何とかリフォームしたいと思いながら時間がなく、リフォームショップで稽古用の袴の股立ちの位置を低くいていただきました。これが実に調子が良いのです。無雙神傳英信流では袴捌によって体が整うのですが、正しい袴捌ができると座る前に心身が鎮みます。東山堂の居合用の袴だと約15cm位、剣道袴だと約17cm位位置を下げます。自分でリフォームできる方は試みてください。

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  1. 2019/07/29(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 大石進種次先生の身長は七尺と言われており、石碑にも記されています。オーストラリア支部長の身長で以前検証したことがありますので、ほぼ間違いないところだと思います。この身長で五尺三寸の孟宗竹の根元で作った重い竹刀を使っていたと伝えられています。
 この身長でそのような竹刀を使っていたら、よくある、「誰々が突いたら数日食事が出来なかった」とか「誰々が籠手を打ったら、箸を持つのにも困った」というような話はいっさい伝わっていません。あるのは長沼無双右衛門の面を突いたときに鉄の面であったのもかかわらず不備で壊れてしまったという話くらいです。
 大石進種次先生は余興で牛が引く鍬を自分の体で引いていたという話が伝わるくらい力があった人ですので、もしその力を使って、その身長から打ちこめば、相手は撃たれるたびに脳震盪を起こしたり場合によっては小手の骨にダメージを受けるようなこともあったかもしれません。しかし、そのような話は一切ないのです。大石進先生はあくまでも竹刀は刀の代わりとして技を使われていたのだと考えます。
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  1. 2019/07/30(火) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

忍れと色に出にけり我恋は物や思ふと人のとふまで

 武道の教えとして戒めた道歌です。何かをするときに心に力みや偏りがあれば表に現れて、相手に知られ隙となってしまいます。心に力みや偏りをなくし、表に現すことなく動けるようにならなければなりません。
 体にあらわれ、また顔にあらわれてしまいますので自分の演武の写真を見て気付くようにしてください。とくにこれまでに現代居合道を経験して貫汪館で稽古している方は気を付けてください。現代居合道の競技では顔の表情も大切なようですので。

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  1. 2019/07/31(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
ご質問のある方は記事へのコメントではアドレスが記されてないため返信ができないので貫汪館ホームページに記載してあるメールアドレスからご連絡ください。よろしくお願いします。

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