無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古を始めるときには様々な稽古の条件を護って稽古する必要があります。
正座するときには音を立てない。礼をするときには臍下が中心となる。歩くときには膝下は力を抜いたまま。刀は右手を伸ばさずに抜く。・・・・・・等々
稽古をする目的が自己流に満足したいことにある人はこれらの大切さがわからず自己の基準を守ろうとしますが、流派を選んだ方は教えを忠実に守ろうとして自分のレベルの低さに泣きながら稽古します。素抜き抜刀術では自己の我儘が通るものの、やがて太刀打・詰合・大小詰と進んでいくと我儘は通らなくなり、行き詰ってしまいます。しかし、教えを忠実に守ろうとして初めに泣いた方は、正しく稽古したことが役に立つのがわかるでしょう。
- 2018/05/01(火) 21:25:00|
- 居合 総論
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澁川一流柔術で受を取る方は必ず正しく間合いを取ってください。
澁川一流柔術は、その形の構成からみても明らかなように最終的には素手で刃物から身を護る技を身に付けなければなりません。そのためか、稽古の初めから相手と間合がある状態から相手が仕掛けてくる履形・吉掛の形を稽古します。
相手が刃物を持った場合には、触れられれば斬られ突かれると思わなければなりません。そうならないためには間合いが正しく取れ、間合いを正しくはかることができなければなりません。
受が正しく間合いをとって仕掛けることによってのみ初心者は間合を学ぶことができます。
- 2018/05/02(水) 21:25:00|
- 柔術 業
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正しく、あくまでも正しく稽古を続けていくと、やがて自分自身の変化・上達を感じるときが来ます。あくまでも正しい稽古を重ねていればであり、正しく稽古を重ね、上達を感じるときには本当に上達しているのですが、このような機会は正しく稽古していると何度も起こります。
師から正され続けているのに上達を感じたとしたら、それは自己満足にすぎません。より早く、より強くという思いはその都度起きてきます。初心者によく思われたいという欲や、人よりも優れて見られたいという欲などさまざまな欲がわいてくるのです。そのような魔がさしたときに、それが魔であるということに気付いて打ち消せるようにしっかりとした自己をもって稽古してください。
- 2018/05/03(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館では大石神影流剣術・澁川一流柔術・無雙神傳英信流抜刀兵法の3流派を稽古しています。しかし、稽古を重ねた方にはそれらの三つが別々のものではないということが理解できるようになってくると思います。
3つの流派は、生まれた地域も稽古していた人も全く別々でありながら、その根本には共通した者があるのは不思議であるとしか言いようがありませんが、これが縁であるのかと思います。
稽古を重ねた方は私から言わなくても、共通の原理を見つけられ喜ばれています。それは上達した証でもあります。逆にいくら稽古の年数を重ねていても「自分は、これはできるけれども、これは苦手。」と考える方は自分ができると思っているものも、実はできていないのだということを知らなければなりません。
- 2018/05/04(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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理解して稽古していただく方を増やそうと思うと、稽古していただかなくても私たちがしていることを理解してくださる方がおられなければなりません。
さて、そのためにはどうするか。演武会で通りすがりに見ていただいただけでは存在は知っていただけますが理解していただくことはできません。お話しして、説明してやっと理解していただける場合が多いのです。地道にお話していくしかありません。
- 2018/05/05(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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一般の方は古武道と言っても現代武道との違いはわかりません。現代武道のイメージで競技でありスポーツ的なものではあるけど、精神修養をするためのもの、といったイメージから連想して、競技ではないけど現代武道と同じように肉体的に厳しい稽古をして精神修養をするものといったイメージをもたれるくらいです。
少し説明の視点を変えて、江戸時代の日本は文官と武官が分かれておらず、武を専らとする武士が政治も行って平和な状態が長く続きました。その平和が続いた時代に稽古されたものが古武道であり、古武道の多くの流派が江戸時代に生まれました。つまり、稽古は争うためのものではなく、平和を保つ元ともなったのですとお話しすると、古武道に対する見方を変えられるようです。勝敗を競いチャンピオンを決める現代武道のイメージを持っておられる方から見ると、江戸時代の古武道はさらに勝負にこだわったもののように思われる方もおられるのです。
- 2018/05/06(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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人の欲は限りなく、年を重ねてくると名誉欲が増大する人は多いと感じます。特に若いときに名誉を得た方が道を間違えると若さによって名誉を得たものが続かなくなり、人を陥れても何とかして名誉欲を満たそうとするようです。
私たちも、いつそのようになってしまうかわかりません。名誉にも小さなものや大きなものがあり、自分で気づかないだけで名誉だと思っていることはあります。道を外れぬよう常に自分自身を見つめていなければなりません。正しい道を歩んでいるつもりでも、知らずに異なる道を歩んでいるかもしれません。
- 2018/05/07(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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澁川一流柔術の形は非常に単純ですが、捕の大切さは、大石神影流剣術や無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古における打太刀の大切さと変わることはありません。
たとえば履形で力任せに下から殴りつけるように拳を振り込んでいたら、初心者は肩から先を力ませて、その拳を取ろうとしてしまい悪い癖がついてしまいます。また間合をいい加減に相手の体に触れないところに突き込んでいたら受は正しい間合を覚えることはできません。いくら澁川一流柔術の形が単純であるといっても単純なだけに捕の動きは非常に大切であるということを知らなければなりません。
- 2018/05/08(火) 21:25:00|
- 柔術 業
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現代に活きる私たちは江戸時代の武士のように毎日稽古することは難しく、上達しようとすればどこかで工夫する必要があります。
たとえば股関節を緩める稽古をしようとすれば、無理に正座しなくても椅子に座ったまま仕事をしながら少し意識するだけで稽古できます。肩の力みをなくそうとすれば車の運転をしながらハンドルを切るときに稽古できます。いろいろと工夫すれば生活しているだけで様々な稽古ができ上達の機会がありますので、試みてください。
- 2018/05/09(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館には米国にエルパソ支部、インディアナポリス支部、英国にロンドン支部、オーストラリアにパース支部、さらに南米にトリニダードトバコ支部があり、全て支部長は英語が母語です。支部長が日本に来て稽古する機会も増えています。支部長の全員が日本語を話せるようになりたいと努力していますが、英語と動きで指導する方が習得が早いのが現状です。
貫汪館で稽古される方には英語が苦手な方もおられると思いますが、日本人の悪い癖として文法にのっとった正しい英語を話そうとするばかりに英語が話せなくなっています。まずは単語を並べるところからと思い、英語を話してみてください。
- 2018/05/10(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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大石神影流剣術のある動きの手の内の作用を、鍬を扱う時の手の内の作用で説明を受けたことがあります。私の師の大石英一先生は師である祖父の大石一先生からその教えを受けたそうです。
農作業と言っても家庭菜園のレベルではなく家族が十分に食べていける規模の広さを全く機械を使うことなしに行うので、もっとも効率的な動きをしなければなりません。共通する部分も多かったと思います。
- 2018/05/11(金) 21:25:00|
- 剣術 業
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まだ古武道を稽古していないとき、素晴らしいと見えたものが稽古を始めてみると、実は力んでいたり無理な動きであっただけだとわかることがあります。しかし、一度素晴らしいと見えたものを自分の心から追い出すのは難しく、気付くとその方向に流れている場合もあります。心の奥底にあるものですので修正することはなかなか難しく、よほど自分自身をみつめながら稽古していかなければなりません。
- 2018/05/12(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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悪い癖を克服してその後の月日が長くたった場合、再びその悪い癖が少しずつよみがえってくる場合があります。自分自身は正しくなったと安心しきっているので、そこに気付きにくく、大きくなってから気付く場合があります。
かつて悪癖を身につけていた場合、時々自分自身を確かめてみる必要があります。
- 2018/05/13(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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稽古を長年続けていると、人の想いや意図が見えてくるようになります。それは道場で相対している人に対してだけではなく、初めて会った人や場合によっては会ったことがない人まで。同じことをしている方でも、この人は何が目的でするのかというところまで見えてくることがあります。
稽古を重ねていくと、そのようなことも起こってくるのだと思っていてください。
- 2018/05/14(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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武道の稽古は相手に対応するためにあるので、ほとんどの初心者は「速く強く」と思って稽古しますが、初心者が心掛けるべきことは「正しく」なのです。
「正しく」動けばやがて速さ強さは自然に生まれてきます。「正しさ」は師から教わることですが、身につけるのは自分自身です。「正しさ」を身につけるためには、くずれないように「ゆっくり」稽古する必要があります。
- 2018/05/15(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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澁川一流柔術の基本は履形で、履形にある形が他の形のグループに応用されていきます。しかし、履形の手順を覚えれば、基本が身についているのかというと、そうではありません。履形を本当の意味で身につけたというには履形の各形に共通している基本を身につけなければならないのです。
立ち姿勢では重心は臍下丹田に落ちている。肩腕の筋力を極力使わないので体の重さが相手に作用する。相手を押さえるときにも筋力を使わず、必ず自分の重さが相手に作用する。等々
このような動きをすると、抑えたり、きめたり、投げたりという力を自分自身で感じることは薄くなっていきますが、このような状態になれることを基本を身につけるといいます。
- 2018/05/16(水) 21:25:00|
- 柔術 業
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稽古を始めたばかりの頃は、いくらお話を聞いても理解できない事ばかりです。「刀を振るのに力を用いない。」と指導されても、「そんなことをしたら刀が振れない。」と思ったり、「抜付けで柄を握らない。刀が手から離れて飛んで行ってもかまわないと思わなければならない。」と指導されても、「そんなことをしたら刀が手から離れて道場の壁を壊し、刀が傷んでしまう。」と思ったりします。
稽古し、指導に随おうとしていればやがて体で理解できる時がやってきます。指導されたことが腑に落ちるときがやってくるのです。あきらめずに求め続ければ必ずその時がやってきます。
- 2018/05/17(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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私が初心者であった頃、師の動きを見て、あるいは技をかけていただいて、速いとか力強いと感じても、師は速くも力強くも動いておられないと話されたことがあります。
自分のこれまでの常識で「速く動くためには瞬発力が」とか「強く動くためには筋力が」という思いがあるので正しく見えず、師から教えられてもいない方法で何とかしようと思ったこともあります。しかし稽古しているのは業の世界ですから「ゆっくり速く」とか「筋力を用いずに強く」といったことが成り立つ世界だったのです。自分の中のそれまでの考えを捨てるまでは上達が始まりませんでした。
- 2018/05/18(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法の大小詰はそれまでの居合の稽古が正しかったかどうかが、よくわかる稽古です。
大小詰の稽古では相手を付けながら上半身の、特に腕や肩の筋力を用いても技がかからない形が多いため、それまでの素抜き抜刀術で自己満足のために肩や腕の筋力を用いて上半身で刀を振りまわしていた人にとっては困難な形で、正しく臍下丹田で動く稽古をしてきた方には、こんなに楽に技がかかるのかと思えます。
成果が出るように、この形に至るまで正しく稽古を重ねてください。
- 2018/05/19(土) 21:25:00|
- 居合 業
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澁川一流柔術の基本は履形にあります。履形によって相手との間合いと呼吸、臍下丹田を中心とした澁川一流柔術の基礎を養います。したがって、上達するためには無理なく静かに臍下を中心とした動きをしなければなりません。
業を掛けなければならないからと焦って素早くまた力強く動こうとすると上達からは遠ざかってしまいます。また、はじめて初心者の稽古相手になるのは相当に稽古を積んで、どのように稽古すれば上達するのかということがしっかり理解できている方でなければなりません。
正しく導かれることによって正しく上達していきます。
- 2018/05/20(日) 21:25:00|
- 柔術 業
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無雙神傳英信流抜刀兵法では初発刀、左刀、右刀、横雲、前後詰、両詰、四角などの形の斬撃は後方の膝が斬撃のたびに前に進むということはありません。
考えられる原因としては上半身で少し遠くを斬ろうとするために上半身の動きに下半身がとれられていることが考えられます。自分の動きを確かめて上達してください。
- 2018/05/21(月) 21:25:00|
- 居合 業
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無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術を深く求めて稽古している方は、その動きの中に深いところでの共通性を見出すことができるようです。
共通性を見出した方はその時からどちらの稽古をしていても双方向に良い影響があり、どちらを稽古しても他方も上達することが理解できるようになるはずです。
- 2018/05/22(火) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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心と体はつながっており、切り離して考えることはできません。初心の内は手順を追うことに精いっぱいで、なかなかそれに気づかないのですが、形・手数の稽古を重ねているうちに余裕が生まれ、気付くようになってきます。
焦ったために手わざになった。強くと思い腕力を用いた。速くと思い重心が浮いた。等々気づきは様々ですが心と体がつながっていることに気づきます。気付いたらあとは心を鎮めて稽古することによって動きが変わってくることがわかるとおもいます。
- 2018/05/23(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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澁川一流柔術の稽古で頭においておかなければならないのは体の中心の向きが変われば手の位置もそれに伴って変わるということです。したがって中心の向きが変わればその方向に相手を導くことができます。しかし、手先で相手をコントロールしようとすると体の中心の向きは変化していませんので最後まで手先で相手をコントロールすることになり、自分の重さを用いることもできませんし、自分の腕の重さすら相手に作用することもなくなります。
- 2018/05/24(木) 21:25:00|
- 柔術 業
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貫汪館では無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術を稽古しています。学んでいるものは形・手数・さらに防具着用稽古や意治稽古を通じて、その中にあるものです。代々の宗家や師範が伝えてきた内在するものなのです。
内にあるものを学ぶために形・手数・さらに防具着用稽古や意治稽古があり、それを受け継いで稽古していくからこそ外側にある形や手数を正しく受け継いでいくことができます。外側だけを身につけようとすれば、外にある形や手数も正しく受け継いでいくことはできません。
- 2018/05/25(金) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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滋賀大学大学院教育学研究科論文の「中学校における武道教育の方向性を探る― 武道の特性を生かす剣道授業について―」(大橋則子)の一部に次のようにあります。「武道は,日本人にとって精神性を重んじる一面があり,遊びやスポーツとして捉えるには違和感がある。しかし,戦後の教育の中で軍国主義教育の象徴であるように言われ,民主主義を進めていく教育には適当ではないとされていた。これは,武道にとってマイナスイメージを強化するものであり,武道関係者やその団体に大きな打撃を与えたであろう。それらの人々の多くは,表面的には時代の流れに逆らわず適応してきたが,武道は遊びやスポーツではないとする考えは常に根底にあったと思われる。今日,武道は必修化され日本固有の文化として,その伝統性を学ぶものと位置づけられた。それは,あくまでも学習指導要領にある「国際社会の中の日本人として重要」とする理由からである。
「武道は必修化され日本固有の文化として,その伝統性を学ぶものと位置づけられた。」の部分に着目すると学習指導要領に挙げられている武道は全て現代武道ですので、日本固有の文化伝統は明治維新以降の競技化が進んだ武道ということになります。一般の方の武道のイメージは、ここから大きく外れることはないでしょう。江戸時代に起源がある古武道は現代武道のあり方とは異なるあり方をしていますが、これを一般の方に理解していただくのは難しいと思っています。
どうすれば理解いただけるのか、大きな課題です。
- 2018/05/26(土) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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武道の負のイメージに「痛い、怖い」があります。主に競技中心の現代武道のイメージであり、私たちが稽古している無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術には当てはまらないのですが、このイメージは変わらないようです。
無雙神傳英信流抜刀兵法は形稽古のみであり二人で組んで行う太刀打、詰合、大小詰、大小立詰は繊細で柔らかな稽古をしなければ業が身に付きません。また、有声の気合いもかけませんのでむしろ、「静か、おとなしい、落ち着いている」というイメージかと思います。
大石神影流剣術の手数の稽古も同様で有声の気合いを掛けますが、動きは無雙神傳英信流抜刀兵法と同じく「ゆっくり、静かに、無理無駄なく」というイメージだと思います。防具着用稽古においても初代大石進種次先生は力も強く長身でありながら、試合において打突後に相手にダメージが残るという遣い方は一切されていませんし、現代剣道のように動き回ることはなく二人が対峙しても静かな時間が流れていきます。
澁川一流柔術においてもしかりです。有声の気合いを掛けますが、動きは本質的に無雙神傳英信流抜刀兵法と同じで「ゆっくり、静かに、無理無駄なく」ですので、「痛い、怖い」は全くあてはまりません。
このような私たちが稽古している流派のイメージをどのように広めていくかも大きな課題です。一般の方の私たちの流派に対する見ない前からのイメージを変えていく必要があります。
- 2018/05/27(日) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術はいずれも江戸時代に成立した武術です。したがって、実際の戦いの技法、護身の技法であるのは当然のことですが、江戸時代に戦いの術であった武術は戦い・護身の技法を稽古しながら同時に修養としての存在となっていました。
一般には柔術が柔道と呼ばれ、剣術が剣道と呼ばれるようになってから心の修養が行われるようになったのだとされますが、大きな間違いで各流派の武道の伝書を少しでも学べば、江戸時代に武術がすでにたんなる闘争の術ではなくなっていることを知ることができると思います。
では私たちが稽古している流派から護身の術以外に学べるものは何なのでしょうか。次回から少し考察していきたいと思います。
- 2018/05/28(月) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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居合の稽古で座ることができるようになった方は、動き始めや動きの最中、動かぬところ、動きが終わったところすべてが座った時の体の状態が同じかどうかを確認してください。
異なるところは体の力み、心の力みがあるところです。座ることができる方は自分の中に自分の師がいますので、師に従うよう心掛けてください。
- 2018/05/29(火) 21:25:00|
- 居合 業
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幕末の藩政改革や廃藩置県で各藩の多くの武術師範が武術を教えることをやめています。それは幕末に西洋砲術が取り入れられ槍を無用の長物として槍の教授や、弓の教授を廃止したこともありますし、廃藩置県で武術を教えていれば禄をもらうことができ、食べることができていた人たちが失業したことにも原因があります。実用的価値がなくなってしまったのです。
西南戦争などで、白兵戦における剣術の実用性が再認識され、また日露戦争後には嘉納治五郎自身が白兵戦のための柔道を意識していますが、実際は機関銃の発達とともに戦いは白兵戦の強さによらなくなり、銃剣道(術)も試合技術は向上していっても陸軍の『剣術教範』の記述は簡略化されていきます。戦闘における銃剣による白兵戦の比重が軽くなったからです。
そのなかで柔道・剣道は思想はともかく競技としての側面に重点を置き、選手権があり、銃剣道も追随しています。このような流れの中で所謂古武道流派の数は少なくなっているのが現状(新たに作られた古武道は別として)です。
私たちは私たちの流派の現代における存在意義を各自がしっかりともっていなければ、流派が消え去るのが遠い先のことではないという危機感を持っていなければなりません。
- 2018/05/30(水) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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刀を用いるにも素手で技をかけるにも腕の重さを用いるのか、腕力で刀を振り、腕力で技をかけるのかでは大きな違いがあります。
試みに相手に力を抜いてもらい、ダランとしている腕を持ち上げてみてください。力を抜いていれば腕は肩・広背筋につながっていますので相当に重いことを感じられるはずです。その重さを用いてください。
- 2018/05/31(木) 21:25:00|
- 居合・剣術・柔術 総論
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